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日日是労働ファイナル(2002)
日日是労働ファイナル(2002)
 「日日是労働ファイナル(2002)」をリリースします。2020年2月21日(金)をもちまして、SOULSが  
終了します。したがって、本来ならば「日日是労働2002」を経て、「日日是労働セレクト170」にな
る予定のブログをそのまま公開します。題して、上記のように「日日是労働ファイナル(2002)」とし
ました。「日日是労働セレクト」における記事の日付は「某月某日」が原則でしたが、最終回に限り、記入
した日付をそのまま公開します。「驢鳴犬吠」と並走して、こちらには主として邦画鑑賞の感想文を掲載し
ます。最後までお付き合いいただければ幸甚です。2月2日現在、「家族研究への布石(映像篇)」の掲載邦
画は2,987本になっていますので、あと13本で3,000本の大台に乗ることになります。今日から20日間の間に、
残りの13本の鑑賞および感想掲載を「ミッション13」と名付け、必ずやこのブログを完成させる心づもり
です。

                                                 
 2020年2月21日(金)

 いよいよ本日でSOULSが終了します。本来ならば、このブログが「日日是労働セレクト170」になるはず  
でしたので、実に15年近く続いた勘定です。最後に、小生が選ぶ「オールタイム邦画ベスト10」を発表して、
有終の美を飾りたいと思います。

  第1位 『ツィゴイネルワイゼン』、監督:鈴木清順、シネマ・プラセット、1980年。
  第2位 『復讐するは我にあり』、監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年。
  第3位 『泥の河』、監督:小栗康平、木村プロ、1981年。
  第4位 『七人の侍』、監督:黒澤明、東宝、1954年。
  第5位 『流れる』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1956年。
  第6位 『雲ながるる果てに』、監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年。
  第7位 『飢餓海峡』、監督:内田吐夢、東映東京、1965年。
  第8位 『切腹』、監督:小林正樹、松竹京都、1962年。
  第9位 『東京難民』、監督:佐々部清、「東京難民」製作委員会〔キングレコード=ファントム・フィルム=シネムーブ〕、2014年。
  第10位 『有りがたうさん』、監督:清水宏、松竹大船、1936年。

  次 点 『どっこい生きてる』、監督:今井正、新星映画=劇団前進座、1951年。
      『東京暮色』、監督:小津安二郎、松竹大船、1957年。
      『祭りの準備』、監督:黒木和雄、綜映社=映画同人社=ATG、1975年。
      『さらば愛しき大地』、監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年。
      『誰も知らない』、監督:是枝裕和、『誰も知らない』製作委員会、2004年。

 以上です。もちろん、小生の好みとしては、『兵隊やくざ』、『昭和残侠伝』、『女囚さそり』などの
シリーズものを入れたいところですが、それは控えました。また別のかたちで言及したいと思います。
 さて、またどこかでお会いしましょう。いやぁ、映画って本当にいいもんですね、モア・ベターよ、さ
よなら、さよなら、さよなら!

                                                 
 2020年2月20日(木)

 昨日、「ミッション13」を達成しましたので、正直なところ気が抜けています。15年も続いたブログに、
おそらく2,000本を超える作品に感想を記してきましたが、実に楽しい作業でした。小生は、小学生の頃から
芸術家になることに憧れてきましたが、自分にはどの分野においてもまったく才能がないということを自覚
しております。あれは1980年のことです。講談社から村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が公刊され、
それを読んだときの衝撃は凄まじいものでした。もちろん、作品そのものに対する何とも言えない感慨があ
ったことは否めませんが、それよりも何よりも、村上龍の想像力の圧倒的な迫力に心底こころが打たれたの
です。つまり、少しでも小説を書こうという志があるならば、少なくとも彼くらいの想像力がなければお話
にならないと思ったのです。
 その年、小生は「哲学」を勉強するべく大学に入学しました。本来の志向性は「文学」にあったのですが、
文学は独りでもできるから(これは、大学に入ってから、まったくの勘違いであることが分かりました)、
その肥やしにするつもりで、先ずは哲学を勉強しようと思い立ったのです。ところが、その年の秋、上記の
ように小生の思惑は粉々に打ち壊され、改めて芸術家を目指すことを断念せざる得なくなったというわけで
す。最初の断念は小学校4年生の頃だったと思います。図画工作の宿題で絵を描いたのですが、自分でも泣
きたくなるほど下手糞であることを思い知り、美術家を目指すことは早々と諦めました。その次は音楽家で
す。ウィーン少年合唱団に憧れて、歌手はどうだろうかと思っていました。ところが、合唱クラブの練習の
際、誰か音が外れているなと思ったとき、他ならぬ自分の声であったことに気付き、赤面しました。歌手は
だめでした。そこで、楽器に手を出しました。すでに中学生になっており、さっそくブラスバンドに参加し
たのです。チューバとトロンボーンを手にしましたが、直ぐに自分には才能がないことに気付きました。も
ちろん、ギターにも手を出しました。高校生の頃です。恋の歌を30曲ぐらい作ったのですが、どれもこれも
駄作ばかりで呆れていました。そこで向かった先は文学です。『文學界』という雑誌を読んでいたとき、突
如小説家になろうと思い立ったのです。今から考えれば、まさに若気の至りで、才能のない人間に限って、
その志に酔ってしまったのです。そこで、小説家になるためには先ずは世間を知らなければならないと思い
立って、いろいろ彷徨していました。ところが、23歳くらいの頃勤めていた会社が潰れて、さてどうしよう
かと岐路に立ちました。「そうだ、大学に行こう」と思い立ったのは、千葉の仕事を終えて、その頃住んで
いた横浜に帰る電車の中でした。最初は、国文学か仏文学を専攻しようと思いました。中国哲学に惹かれて
いた気持も否定できません。いっそのこと、露文学を専攻して、ドストエフスキーのような作家を目指そう
かと思ったこともあります。結局、哲学を選びました。何をするにしても、物事を根本から考え尽くす哲学
こそ最初の出発点にふさわしいと考えたからです。上でも書いたように、下心がありました。哲学そのもの
を目指すのではなく、あくまで文学をやる上での土台を築こうと思ったのです。ところが、そんな思惑は不
純そのものですから、瞬く間に潰えました。村上龍に出遭ったお陰で、哲学を本格的に志そうと考え直した
のです。今でも忘れません。1980年11月6日(小生の誕生日の一日前の日)、先ずはデカルトに取り掛かろ
うと決心し、大学の近くにあった本屋でラテン語の辞書を買いました。それから40年、芸術家になる道を遮
断して、哲学に関わってきました。もっとも、この道においてもまったくの落第生で、ろくな仕事もできま
せんでした。つまり、何の功もなくいたずらに禄を食んできたというわけです。しかし、小生は劣等である
ことを恥じません。色川武大の小説「百」に、「劣等は、優等に連なるものではなく、別系統のものである」
という記述があり(正確ではない)、その文章にずいぶん慰められたからです。思えば、彼の別名、阿佐田
哲也の『麻雀放浪記』を愛読していた小生からすれば、彼こそ本当の恩人であるかもしれません。
 2005年にこのSOULSが始まった頃、映画の感想文を載せようと思いました。というのも、その10年前、
すなわち1995年、神戸・淡路大震災や地下鉄サリン事件をきっかけに、アカデミックな哲学研究に邁進する
よりも、この社会そのものを対象に哲学する(徹底的に考える)ことの方が大事だと思い、デカルトの道徳
論をテーマにした博士論文の準備を投げ出し、どうすればいいのか模索していました。思い立ったのは「居
場所」という概念です。「人は居場所さえあれば、どんな境遇であっても、何とか生きていける」と思った
からです。それと並行して、「戦後の日本人の倫理観の変遷」をテーマに選びました。もちろん、さまざま
書籍を渉猟する道も無視できませんでしたが、日本人の生きる姿を映画を通して眺めてみようと思ったので
す。もっとも、直ぐに論文にできるだろうと目論んだことは大間違いでした。覚書のつもりでブログを発表
してきましたが、まったくまとまっていません。それはこれからのテーマでしょう。
 小生は、芸術家にはなれませんでしたが、その芸術を通して何ごとかを人々に訴えることは可能でしょう。
映画は「第八芸術」(サイレント)もしくは「第九芸術」(トーキー)と呼称されることがあります。その
芸術の神髄を捉えるにはまだまだ時間がかかりそうですが、いつの日か、小生の捉えたものをかたちにした
いと思っています。SOULSは明日で終了しますが、意気はまだまだ軒昂です。

                                                 
 2020年2月19日(水)

 DVDで邦画の『恋は緑の風の中』(監督:家城巳代治、家城プロダクション、1974年)を観た。「家族研究
への布石(映像篇)」登録邦画の3,000本目に当たる。このブログは2005年7月に始めているので、15年近く  
経つことになる。小生としては、SOULSが終了するあと二日を残して「ミッション13」を成し遂げることが
できたので、とても感慨深い。もっとも、このブログに3,000本全部の感想を載せているわけではないので、
少し暇になったら、邦画鑑賞の集大成に着手したいと考えている。さらにその先には、「アジア・太平洋戦
争後の日本人の倫理観の変遷」を邦画を通して吟味する仕事が待っている。いわば、その第一歩を記したこ
とになる。当該作品を最後に選んだのは、未見の家城巳代治作品だからである。DIGが発掘してくれたお陰で
観ることができた。関係者に深謝したい。
 小生が鑑賞済みの家城監督の作品は、以下のように8本ある。小生の評価は『雲ながるる果てに』を筆頭  
に、『異母兄弟』がそれにつづくといったところである。当該作品は家城監督のイメージとはかけ離れてい
るように見えるが、「青春」を描いているという点では、戦中の特攻隊員を描いた『雲ながるる果てに』と
そんなに変わるわけではない。言い換えれば、人間そのものに大きな変化はないのである。ただ、扱う時代
が大きく変わっているだけなのである。

  『悲しき口笛』、監督:家城巳代治、松竹大船、1949年。
  『雲ながるる果てに』、監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年。
  『ともしび』、監督:家城巳代治、新世紀プロ、1954年。
  『姉妹』、監督:家城巳代治、中央映画、1955年。
  『異母兄弟』、監督:家城巳代治、独立映画、1957年。
  『裸の太陽』、監督:家城巳代治、東映東京、1958年。
  『みんなわが子』、監督:家城巳代治、全国農村映画協会=ATG、1963年。
  『恋は緑の風の中』、監督:家城巳代治、家城プロダクション、1974年。

 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕されたし。

   〔解説〕

  中学生の愛と性のめざめを正面からとりあげて描いた異色青春映画。脚本はいえきひさこ、監督は
 『ひとりっ子』の家城己代治、撮影は佐藤昌道がそれぞれ担当。

   〔あらすじ〕

  愛川純一(佐藤佑介)は東京近郊の住宅地にある中学校の二年生。中流家庭のひとりっ子である。
 母夏子(水野久美)は、若くて美しく、解放的だ。純一が秘そかに想いを寄せている八百屋の娘、松
 島雪子(原田美枝子)の父松三(三由茂)が交通事故に遭い、彼女が店を手伝わなければならなくな
 った。雪子のテキパキと働く姿を見た純一は、時々、店を手伝うことにした。藤井先生(三田佳子)
 の保健の時間、男女の性の違いについて、純一たちは昂奮し、騒ぎたてる。純一の家庭はなごやかで
 ある。純一の誕生日、ワイワイ騒いだクラス・メートたちが帰った後、純一は、ふと母に異性を感じ、
 唇をあわせた。夏休み。雪子の店でアルバイトをする純一は、配達の途中、林の中で雪子との将来を
 語り合った。その時チンピラが二人を襲った。純一は自ら傷つきながらも雪子を救った。病院にかつ
 ぎ込まれた純一は誇らし気だった。退院した純一の家に、同級生の池谷花枝(和気ますみ)が見舞い
 に来て「あたしと結婚して。あたしの体、あげる!」と迫るが、純一は断った。その夜、純一は夢を
 見た。林の中で、天使のような雪子を襲いかかったのだ。純一は、射精して目が覚めた。「おれは汚
 ねえ!」純一は拳で自らを叩いた。数日後、雪子は、父が再起不能のために田舎へ越すことになった。
 純一は、雪子をせめて中学卒業まで、家に下宿させるように夏子に頼むが、夏子はとりあわない。純
 一は家を飛び出し、親友の志村武(江崎真)たちに協力してもらい、レンガ工場跡地にある廃屋に、
 「雪子の部屋」を作った。だが、そこへ教師と母親たちが踏み込んで来て、大人と子どもの対立とな
 った。雪子はその時、思い出の林をさまよっていた。やっと雪子を探しあてた純一は、必死にはげま
 し、初めて激しく抱擁した。「雪子の部屋」に戻った雪子は、明るく田舎へ行く決心を皆に語った。
 驚いた純一は、小川のほとりで一人泣いた。向こう岸に雪子がいた。二人は見つめ会いながら川ぶち
 を歩く。雨が降り始めた……。

 他に、福田豊土(愛川道夫=純一の父)、阿部百合子(松島清子=雪子の母)、崎田和子(志村らく子=
武の母)、溝呂木雄浩(大沢三郎=純一の同級生のひとり)、上野めぐみ(ユリ=同)、相生千恵子(ユリ
の母)、相沢裕子(池谷えみ子=純一の同級生のひとり)、西堀鈴江(えみ子の母)、 稲葉義男(教頭先
生)、左右田一平(石山先生)、山口容子(若い女の先生)、高橋博久(電車の中で酔っ払いに注意した若
者)、篠原克也(菅沼=純一の同級生のひとり。秀才)、鶴島洋二(戸山=同)、根岸宮子(戸山の母)、
吉田晋吉(久夫=純一の同級生のひとり)、町田淑子(久夫の母)、加藤道夫(正=純一の同級生のひとり)、
野沢晶則(前田=同)、芝田陽子(前田の母)、池田健一郎(太=純一の同級生のひとり)、川村千鶴(太
の母)、大関みゆき(美子=純一の同級生のひとり)、岸谷善子(美子の母)、浜村純(レンガ工場の管理
人)、白井育子(花枝の姉)、赤津進(山村)などが出演している。
 この物語の舞台は「深谷ねぎ」で名前の知られている埼玉県・深谷市である。典型的な地方都市だが、一
度は住んでみたいと思わせる場所である。ここをロケ地に選んだ理由は不明だが、正解だったと思う。主人
公の二人である佐藤佑介(同姓同名の俳優がいる)と原田美枝子のデビュー作である。他の同級生とともに
中学生らしい佇まいを見せている。1970年代中頃の雰囲気も十分に表現されており、多感な時期の少年少女
を扱った映画として貴重な作品であると思う。なお、佐藤は、1975年にハウス食品工業の「シャンメン」の
TVコマーシャルに登場しており、その際「私作る人、僕食べる人」の「僕」を演じているが、ジェンダー・
バイアスの観点からだいぶ批判された。時代が少しずつ動いていたのであろう。
 雪子の母である清子は二人の仲を裂くが、その際、雪子の日記を盗み見ている。それを同級生のユリに咎
められたとき、「親だから当たり前でしょう」という台詞を吐いている。当時でこそ通用したかもしれない
が、今ではたぶんアウトだろう。自分の子どもとはいえ、相手は自分とは別の人格である。親だからといっ
て許されるものではない。なお、花枝も雪子も純一との結婚を意識しているが、さして早熟でもないだろう。
雪子に至っては、「新婚旅行はスイスに決めた」と日記に書いている由。甘酸っぱい思いがいっぱい詰まっ
ているような気がする。かくいう小生も17歳の時にある女性と婚約したことがあるので、彼/女らの気持が
よく分かる。青春は二度と戻らないが、思い出は一生残るのである。

                                                 
 2020年2月18日(火)

 DVDで洋画の『ジョーカー(JOKER, 2019)』(監督:トッド・フィリップス〔Todd Phillips〕、米国
〔配給:ワーナー・ブラザース映画〕、2019年)を観た。話題になっていたので、どんなものかと観てみ
たが、予想をはるかに上回る出来であった。もちろん、人が殺されることを肯定するつもりは毛頭ないが、
主人公の行為を頭から否定することはけっこう難しい。なぜなら、「では、どうしてこんな事態が起こり
得るのか」を虚心坦懐に考えてみる必要があるからだろう。フィクションにおける「殺人事件」など、い
くらリアリティを盛り込んでもしょせんフィクションの域を出ないが、この映画のそれはあまりに深刻な
ので、単なるフィクションでは片づけられない要素を含んでいる。もちろん、殺す側と殺される側の立場
の違いを強調しても、それは答えとは言えない。誰であれ殺されても構わない人などこの世に存在しては
いけないからだ。しかし、実際には殺す側と殺される側にきれいに分れる。図式としてみれば、非常に単   
純な物語なのである。
 主人公の台詞の中で、気になったものはたくさんあるが、中でも、「ずっと人生は悲劇だと思ってた。で  
もわかったんだ、人生はコメディ、喜劇だって」という台詞には「やられた」と思った。小生が二十歳を越
えた頃、同じ感慨を持ったからである。たとえば、同じ「人の世」を観察しながら、ヘーラクレイトスとデ
ーモクリトスでは天と地ほどの違いがある。前者が涙なしでは人の世を見ることができないのに対して、後
者は笑いをもってそれに対峙するからである。小生の前半生は前者のそれであった。しかし、それ以後の人
生はまさに後者のあり方をなぞってきた。少なくとも、この世の理不尽さを嘆くよりも、笑い飛ばす方がよ
ほどましだと思って生きてきたのである。もっとも、小生もこの映画の主人公に殺される側にいるのかもし
れない。いや、それだけでは済まない。格差社会の肯定、無意識の差別、口先だけの偽善、超然派を気取る
意識、保身が骨の髄まで浸み込んでいる体質、こころの底に渦巻いている邪悪な欲望……ありとあらゆる醜
いものが炙り出されて、主人公の目がそれらを射抜き、その口がボソッと呟くのだ。「ギルティ、デス、バ
イ、ハンギング」、と。射殺はアメリカらしいが、殺す手段は何でもいいのだ。「俺たちをゴミのように扱
って得たものはこれだ!」……撃たれたのはロバート・デ・ニーロが演じるところのマレー・フランクリン
であるが、いつの間にか自分に取って代わっていることに気付く人は、むしろ幸いかもしれない。
 劇中、「精神病の最も辛いところは、あたかも健常者の様に振る舞う事を社会から期待される事だ」とい
う言葉が出て来る。どんなに優秀なカウンセラーでも、悩み深き人の本当の声を聴くことはできない。だか
ら、クライエントに演技を強要するしかないのである。もっとも、社会を壮大なフィクションと看做せば、
自分がその物語の中で、どう演じたらよいのかを考えることは有効かもしれない。ほとんどの人はそうして
いるのだろう。しかし、この映画の主人公のように、もう演じることをやめてしまった人には、社会など存
在しない。そもそも、自分の存在を消そうとしたのは社会なのだから、その社会の存在を消すことに躊躇は
ない。だから、社会の中に自分の居場所を見つけることのできた人には、彼の行為の意味は生涯分からない
だろう。
 物語を確認しておこう。今回は、<ウィキペディア>に詳細な記事があるので、それを引用させていただく。
執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご海容いただきたい。もちろん、「ネタバレ」に注意してほ
しい。

 〔ウィキペディア〕『ジョーカー』(原題:Joker)は、2019年にアメリカ合衆国で制作されたスリラー映
          画。DCコミックス『バットマン』に登場するスーパーヴィランであるジョーカーこと
          アーサー・フレックが悪へ堕ちる経緯が描かれる。『グラディエーター』、『ザ・マ
          スター』などで個性派俳優として知られるホアキン・フェニックスがアーサーを演じ、
          「ハングオーバー! シリーズ」を成功させたトッド・フィリップスが監督を務める。
          映画は2019年10月4日より日米同日で劇場公開された。R15+指定。 ロケ地となったニ
          ューヨーク・ブロンクス地区にある階段が観光名所になった。劇場公開当時のキャッ
          チコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。

   〔ストーリー〕

  時は1981年、財政難によって荒んだゴッサムシティ。大道芸人のアーサー・フレック(ホアキン・
 フェニックス)はこの街で母親のペニー(フランセス・コンロイ)と2人で暮らしていた。2人の生
 活は酷く困窮しており、ペニーはかつて自身を雇っていたトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)
 へ救済を求める手紙を何度も送っていた。アーサーの目標はコメディアンとして人々を笑わせること
 で、日々思いついたネタをノートへ書き記し、マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の人
 気番組「マレー・フランクリン・ショー」にて脚光を浴びる願望を抱いていた。しかし発作的に笑い
 出すという病気によって多量の精神安定剤を手放せず、仕事でも周囲に溶け込めず報われない日々を
 過ごしていた。
  ある時の仕事中に貧民街の少年らに暴行を受けたアーサーは、同僚のランドール(グレン・フレシ
 ャラー)から護身用にと拳銃を借り受けたが、これを小児病棟の慰問中に落としてしまい仕事を馘に
 なってしまう。ランドールにも裏切られピエロの恰好で地下鉄に乗っていると、今度は酔っ払った証
 券マンらに絡まれ暴行を受け、反射的に彼らを拳銃で射殺した。殺人を犯した罪悪や恐怖だけでなく、
 言い知れぬ高揚感がアーサーを満たしていった。
  アーサーの起こした地下鉄殺人は貧困層から富裕層への復讐と報道され、ゴッサム市民から支持を
 集める。さらに証券マンらが勤めていたウェイン産業のトップで、市長選へ立候補するウェインが色
 めき立つ市民を「ピエロ」と嘲ったの機に事態は加熱し、貧困層と富裕層との軋轢が増々悪化、ウェ
 インへの反発によって日々ピエロの仮面を被った市民による抗議デモが頻発した。これまで誰からも
 認知されずにいたアーサーは、人生における存在意義を果たしたのだと気分を上げ、意を決して出演
 したコメディショーでは笑いの発作に冒されながらもどうにか最後まで演じ切った。だがすでに刑事
 たちはアーサーに目星をつけて調査に乗り出し、彼らの詰問にあったペニーは脳卒中で倒れてしまっ
 た。
  そんな中、アーサーはペニーの手紙を盗み見、自身がペニーとトーマスの隠し子であるという内容
 を目にする。真実を確かめるべくトーマス邸を尋ねると、すべてはペニーの虚言だと突っぱねられる。
 ペニーは精神障害を患い、養子のアーサーが恋人に虐待されるのを静観した罪で逮捕された過去があ
 った。アーサーの笑いの病もこの虐待が原因であった。失意に陥るアーサーの元へ、突如、マレー・
 フランクリン・ショーのスタッフから電話がかかる。先のコメディショーの映像を番組で流したとこ
 ろ反響を呼び、番組出演を求められたのだった。しかし、憧れていたマレーはアーサーのショーを正
 当に評価するのではなく、世間の笑いものとして見せているに過ぎなかった。「僕の人生は悲劇では
 なく喜劇だったのだ」と悟ったアーサーは病床に就くペニーを窒息死させた。
  番組収録の当日。アーサーは自宅にて髪を緑に染め上げ、馴染み深いピエロのメイクや服装など入
 念な準備を進めていた。そこへ母親の死を悼んだランドールがゲイリー(リー・ギル)とともに訪問
 する。だがランドールは相変わらずな様子で、実は警察への証言の口裏合わせを求めて来訪したに過
 ぎなかった。アーサーは隠し持っていたハサミでランドールを殺害し、改めて完成させたピエロのメ
 イクで街へ乗り出す。意気揚々と階段の踊り場で舞い踊るアーサーを、張り込んでいた刑事たちが追
 いかける。アーサーはデモへ向かうピエロですし詰め状態の地下鉄へ逃げ込む。刑事たちはピエロだ
 らけの車内で無関係の市民を誤射してしまい、ピエロたちの暴行を受ける。まんまと刑事を撒いたア
 ーサーは番組スタジオへ到着。アーサーはようやく対面したマレーに対し、自身のメイクは昨今の情
 勢とは全くの無関係であることと、自身を「本名ではなく、ジョーカーと紹介してほしい」と依頼す
 る。
  そして番組の生放送が始まった。アーサーはコメディアンとして振る舞うが、番組の趣旨とは合わ
 ないジョークで顰蹙を買い、話の流れの中で「証券マンを殺したのは自分だ」と大胆に告白する。報
 われない人生で鬱積した怒りを番組内でぶちまけるアーサーは、次第にゴッサムの格差社会を非難し
 始める。自分のような社会不適合者は、富裕層から奴隷のように蔑まされる存在でしかなく、善悪や
 笑いの基準も社会的に力ある立場の人間が決めており、トーマス・ウェインも含め世の中は不愉快な
 連中ばかりだと主張。それに対してマレーは、世の中は不愉快な連中ばかりではないと言う。だがア
 ーサーは、マレー自身も不愉快な富裕層と同じ立場の人間であり、自分を番組に出演させたのはみん
 なの笑いものにするためだと主張。呆れたマレーは番組を中断させようと、ディレクターに警察を呼
 ぶよう指示する。アーサーは社会不適合者のジョークを怒りに震えつつ披露しながら、隠し持ってい
 た拳銃でマレーを射殺した。 パニック状態になり逃げ出す観客らをよそに、テレビカメラの前でステ
 ップを踏むアーサー。カメラに向かって司会者マレーの決め台詞「That's life!(それが人生!)」
 を真似しようとするが番組は中断され、駆け付けた警察に取り押さえられた。
  アーサーの凶行は、図らずして貧困層の富裕層への憎悪を爆発させる要因となってしまった。ゴッ
 サムシティはピエロに扮した市民の暴動によって混沌と化した。街のあちこちで火が上がり、富裕層
 の人々が悪辣な暴行を受けた。パトカーで護送されていたアーサーだったが、暴徒が駆る車の衝突に
 よって救出される。暴徒たちの歓喜の声を受けたアーサーはパトカーのボンネットへ立ち上がり、自
 らの血で裂けた口のようなメイクを施し笑みと涙の混在した表情で踊った。一方で、騒動を避けて劇
 場から犯罪路地(crime alley)へ逃げたトーマスと、妻のマーサは暴徒の1人に射殺され、息子のブ
 ルースだけが生き残った。

   〔キャスト〕

  アーサー・フレック / ジョーカー(演者:ホアキン・フェニックス、日本語吹替は平田広明)。
   精神的な問題や貧困に苦しみながらも、スタンダップコメディアンを目指している道化師。認知
  症気味の母の面倒を見る心優しい男だったが、自身の辛い境遇から精神のバランスを崩し、次第に
  常軌を逸した行動を取っていく。感情が高ぶると、自分の意思に関係なく突然笑い出してしまう病
  気を患っており、また妄想と現実の区別もつかなくなってきている。

  マレー・フランクリン(演者:ロバート・デ・ニーロ、日本語吹替は野島昭生)。
   人気トーク番組「マレー・フランクリン・ショー」の司会者。アーサーが憧れている。

  ソフィー・デュモンド(演者:ザジー・ビーツ、日本語吹替は種市桃子)。
   アーサーと同じアパートに住むシングルマザーの女性。

  ペニー・フレック(演者:フランセス・コンロイ、日本語吹替は滝沢ロコ)。
   アーサーの母親。認知症気味で体が不自由。若い頃はゴッサム随一の大富豪のウェイン家にメイ
  ドとして仕えていたとアーサーに語っている。

  トーマス・ウェイン(英語版/演者:ブレット・カレン、日本語吹替は菅生隆之)。
   ゴッサムシティの名士。政界に進出し市議会議員となるが、医療制度の解体を推し進めたことな    
  どから困窮する貧困層からバッシングを受けている。

  ギャリティ刑事(演者:ビル・キャンプ、日本語吹替は高岡瓶々)。
   ゴッサム市警の刑事。

  バーク刑事(演者:シェー・ウィガム、日本語吹替は山岸治雄)。
   ゴッサム市警の刑事。

  ランドール(演yさ:グレン・フレシュラー〔英語版〕、日本語吹替はボルケーノ太田)。
   アーサーの同僚の道化師。

  ゲイリー(演者:リー・ギル〔英語版〕、日本語吹替:越後屋コースケ)。
   アーサーの同僚の道化師。小人症で他の同僚に身長をネタにからかわれる。原作ではジョーカー
  のずっと昔の相棒ギャギーというヴィランが元となっている。

  ジーン・アフランド(演者:マーク・マロン〔英語版〕、日本語吹替は唐沢龍之介)。
   「マレー・フランクリン・ショー」のプロデューサー。

  アルフレッド・ペニーワース(演者:ダグラス・ホッジ〔英語版〕、日本語吹替は田中美央)。
   トーマス・ウェインの執事。

  ブルース・ウェイン(演者:ダンテ・ペレイラ=オルソン〔英語版〕)。
   トーマス・ウェインの息子。この映画の原典である『バットマン』における主人公。両親を目の
  前で喪った悲しみから、成長後、蝙蝠のコスチュームを纏って犯罪者に立ち向かうクライムファイ
  ターとなり、ジョーカーと対決する。

  カール(演者:ブライアン・タイリー・ヘンリー)
   アーカム州立病院の事務員。

   〔製作〕

  脚本は『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』などマーティン・スコセッシの作品
 群に影響を受けて書かれ、80年代初頭のゴッサムシティを舞台とした作品となった。両作に主演した
 ロバート・デ・ニーロが本作にも出演している。
  当初はスコセッシ監督がメガホンを取り、ジョーカー役に盟友のレオナルド・ディカプリオが配役
 される話もあったが、監督に就任したトッド・フィリップスは同役にはホアキン・フェニックス以外
 考えられないとし、起用されるに至った。

   〔撮影〕

  2018年9月より、ニューヨーク市内で撮影がスタートした。ロケ地となったのはブロンクスのチャー
 チ・アベニュー駅、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅。ブルックリンの9番街駅。クイーン
 ズのアストリアにあるファースト・セントラル・セービングス・バンクなどである。
  ニュージャージー州のジャージーシティでも撮影が行われ、ニューアーク・アベニューが一時閉鎖
 されてのロケが行われた。10月にはニューアーク、11月には郡道501号での撮影が行われた。

   〔公開〕

  当初、日本での公開は11月の予定だったが、後に10月4日に日米同時公開に変更となった。

   〔評価〕

  興行収入:10月4日に公開され、アメリカでは公開初日からの3日間で9,620万2,337ドルを記録。日
 本でも10月8日までの5日間で10億2,241万3,800円を記録した。
  R指定作品として、全世界での興行成績において、『デッドプール2』が保持していた7億8,500万ド
 ルの世界記録を塗り替え、10億ドルを超え、一位を記録。日本では興行収入が2019年12月15日に50億
 円を突破した。
  評論:Rotten Tomatoesによれば、503件の評論のうち69%にあたる347件が高く評価しており、平均
 して10点満点中7.28点を得ている。 Metacriticによれば、58件の評論のうち高評価は32件、賛否混在
 は15件、低評価は11件で、平均して100点満点中59点を得ている。

   〔受賞〕

  アカデミー賞:主演男優賞(ホアキン・フェニックス)、作曲賞(ヒドゥル・グドナドッティル)
         を受賞。
  英国アカデミー賞;:主演男優賞、作曲賞の他、キャスティング賞を受賞。
  全米映画俳優組合賞:主演男優賞、受賞。
  ヴェネツィア国際映画祭:金獅子賞、受賞。
  放送映画批評家協会賞:主演男優賞、受賞。

 以上である。
 ところで、太宰治の『人間失格』の中で、悲劇名詞(トラ)と喜劇名詞(コメ)という組み合わせが登場
する。以下に、少し引用してみよう。なお、「トラ」はトラジディ、「コメ」はコメディの省略形である。

  「自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊
   戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、
   喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、
   市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、
   喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた
   然り、といったようなわけなのでした」。

 果たして、「ピエロ」はどちらだろうか。見る者からすれば「コメ」、演じる者からすれば「トラ」とな
りそうだが、アーサーは自ら笑うので、判定がつかない。「悲喜こもごも」という言葉もあるので、それで
いいのかもしれない。

                                                
 2020年2月17日(月)

 DVDで邦画の『新聞記者』(監督:藤井道人、『新聞記者』フィルムパートナーズ〔VAP=スターサズ=
KADOKAWA=朝日新聞社=イオンエンターテイメント〕、2019年)を観た。小生の小学生当時、「将来どんな
職業に就くか」と問われたとき、「仙人」と答えていたような気がする。もちろん、本気で仙人に憧れてい
たわけではなく、それなりに現実的な選択肢もあった。たとえば、外交官、ボードビリアン、落語家、漫画
家などだが、その中のひとつに新聞記者があった。たぶんTVドラマ(とくに、「事件記者」、NHK、1958年-
1966年)などの影響だと思うが、「ブンヤ」(今では死語か)というラフなライフ・スタイルが小生の気質
に合っているような気がしたからであろう。もちろん、「夜討ち朝駆け」の新聞記者に小生がなれるはずも
なかったが、今でも何となくカッコいいと思う職業ではある。一つには、「社会の木鐸」という建前がある
し、さらに、真実を追求する姿が颯爽と見えるからであろう。もっとも、新聞記者には刑事や私立探偵など
とともに、「犬」を連想させる要素もあるので、手放しで誉めるわけにもいかないが、基本的にはプラスの
イメージで捉えることができる。ところで、新聞記者ということで連想した邦画が2本ある。それぞれ「日
日是労働セレクト」の記事を引用しておこう。

  『闇を横切れ』、監督:増村保造、大映、1959年。


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  「日日是労働セレクト145」より

 2本目は、『闇を横切れ』(監督:増村保造、大映、1959年)である。増村監督の映画はこれで39本鑑賞
したことになる(「日日是労働セレクト137」、参照)。全作品数が57本であるから、鑑賞率は7割近く
(.684)ということになる。最近になって、『映画監督 増村保造の世界 上・下』(増村保造 著、藤井浩明  
監修、ワイズ出版映画文庫、2014年)という本を知ったので、注文した。まだ手に取っていないが、けっこ
う楽しみにしている。
 さて、当該映画だが、1958年から1966年までNHKで放映されたドラマ『事件記者』を思い出した。登場する
新聞社は4社、東京日報、タイムス、中央日日、毎朝であった(ウィキペディア)。辛うじて「タイムス」
と「毎朝新聞」の名前が耳に残っている。もちろん、小学生だったので、よく分からない部分がたくさんあ
ったのだろうが、けっこう面白がって観ていたような記憶がある。小生は「新聞記者になりたい」と思って
いた時期があるので、たぶんこのTVドラマの影響は大きかったに違いない。
 新聞の仕事と言えば、『クライマーズ・ハイ』(監督:原田眞人、「クライマーズ・ハイ」フィルム・パ
ートナーズ〔ビーワイルド=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=トゥモロゥー〕、2008年)〔「日
日是労働セレクト140」、参照〕を連想するが、同じく地方紙を扱っているので、両者に通底する要素も
多い。たとえば、全国紙との関係、地元の新聞という意味、新聞を発行する上でのさまざまな困難(たとえ
ば、妨害や締切)など、見所満載であった。ただし、1959年と時代がかなり古いので、若者にはピンと来な
い事柄も多いのではないか。たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんの体重を訊くシーンがあるが、「一月で
一貫二百目(=匁)になった」という台詞があった。一貫は約3.75キログラム、一匁は3.75グラムだから、
メートル法に換算すると、4.5キログラムくらいだろうか。資本金の数字も現代とは桁違いである。たとえ
ば、全国紙の「東都日報」が7億円、地方紙の「西武新聞」が720万円という風に。飲食店での勘定が370円
というのもばかに安く感じられた。現代だったら、少なくともその5倍くらい、あるいは10倍くらいかもし
れない。冒頭でストリッパーが殺されるが、そのプロフィールも時代掛かっている。「貧乏漁師の娘として
生まれて、不良女学生、ドサ廻りのジャズ歌手、転んで、進駐軍のオンリー、最後にストリッパー」という
ものである。若者は、「進駐軍のオンリー」などという言葉に、どんな反応を見せるのだろうか。また、米
軍のキャンプ地の払い下げ問題が出てくるが、日本全国に及ぶ都市開発と絡むだけに、戦後日本の一側面を
伝えているとも言えるだろう。お金に纏わる話も、時代を感じさせる。警察官や医師が金の誘惑に弱いのも
薄給だからだという按配である。また、「恩給」という言葉も、若者には馴染がないだろう。いずれにして
も、昭和30年代(1959年は、昭和34年)は小生にとって最も懐かしい時代なので、それだけでも楽しめた。
ヴェテランの新聞人が若手に「夜ものを考えるな、酒をあおって寝てしまえ」という台詞を吐くが、これも
今の若者だったら大きなお世話で、ウザったく感じるのかもしれない。このヴェテランは、「支那(=中国)
で4年弾の下を潜ってきた」猛者である。小生にも記憶があるが、昭和30代には、このようなタイプの男性
は山ほどいたと思う。ただし、誰とは言わないが、新聞記者にも拘らず、「物見遊山(ものみゆさん)」を
「ものみゆうざん」と発音していた。これは時代のせいではなく、たぶん単なる間違いだろう。撮影現場に
いた誰も気づかないのも問題だが、編集の時のチェックが甘いのはもっと問題だと思う。また、主人公のひ
とりである若い女性が女の幸せについて語るシーンがあるが、「好きな男と結婚して子どもを産むこと」と
答えている。小生は、東京オリンピック(1964年)辺りを境にしてこの「大思想」が少しずつ変わっていっ
たという見立てをしているが、まさにそれを証明しているような答えであった。フランス国歌の「ラ・マル
セイエーズ」《La Marseillaise》(フランス革命のときの革命歌。マルセイユの連盟兵〔=義勇兵〕が歌っ
て広めたことからこの名前がある〔ウィキペディアより〕)が口笛として背景に流されるが、おそらく新聞
による地方の改革を高らかに謳い上げるためだったのだろう。
 物語を確認しておこう。以下、上と同様である。

   〔解説〕

  ある地方都市の市長選挙をめぐって起った連続殺人を追う新聞記者を主人公にしたアクション・ド
 ラマ。『日本誕生』の共同執筆者・菊島隆三と、『美貌に罪あり』を監督した増村保造との脚本を、
 増村保造が監督し、同じく『美貌に罪あり』の村井博が撮影した。なお、音楽は口笛を除いて一切使
 用されていない。

   〔あらすじ〕

  女が殺されていた。絞殺死体の傍に泥酔して倒れた男が一人、女はストリッパーの鳴海秋子〔DVDの
 キャストでは「純子」になっていたが、まったくの間違い〕(八潮悠子)、男は市長選挙に革新党の
 候補として出馬している落合正英(松本克平)だった。落合はその場から容疑者として警察に連行さ
 れた。なぜこの二人が一緒にいるんだ、話がうますぎる──西部新聞の社会部記者・石塚邦夫(川口
 浩)は疑問を抱いた。現場に居合せた老警官の片山(大山健二)は事件の発生直後、黒コート、顎に
 傷痕のある男を見たという。殺し屋(守田学)だと石塚は確信した。彼はこの事実を編集局長の高沢
 渉(山村聰)に話した。高沢は激励した。石塚にとって、高沢は最も尊敬する人物だった。西部新聞
 を今日あらしめたのは高沢の手腕だった。石塚は、片山が休暇を命ぜられて旅に出たことを知った。
 温泉旅館の一室で、石塚は片山に会った。証言を取消さなければ、クビにして恩給がつかないように
 すると、捜査係長の生田(高松英郎)に言われたという。石塚は、殺された女の友人のストリッパー
 鳥居元美(叶順子)にも会った。彼女は何かに怯えているようだ。片山が亡くなった。生田捜査係長
 の「自殺だよ」という言葉は疑わしかった。石塚は、市の大ボスと見られている広瀬陽吉(滝沢修)
 から呼出しを受けた。広瀬の目はこの事件から手を引けと言っていた。石塚は事件の核心と思われる
 材料を聞きこんだ。現市長一派の汚職である。彼らは都市計画の道路拡張を理由に、この市の中心地
 帯の土地を一斉に買い上げた。が、都市計画は中止され再び民間に払下げになった時、その土地を買
 ったのは広瀬だったのだ。写真コンクールの応募作品の中に、偶然殺し屋らしい顔が写っていた。撮
 影者(飛田喜佐夫)は、片山が殺された旅館の前のDP屋だ。その写真を石塚は元美に見せた。彼女
 の顔は青ざめた。警察に照会の結果、殺し屋で前科五犯の森という男だった。石塚は警察署長(見明
 凡太朗)に今までのことを喋り、なじった。結果は、生田捜査係長の休職というかたちでやって来た。
 生田は買収されていたのだ。また殺人が起った。DP屋が殺されたのだ。殺し屋のネガが紛失してい
 た。石塚には、どうしてDP屋が殺されたのか不思議だった。新聞社の中にも内通する奴がいるのだ
 ろうか? 石塚は元美から、殺された秋子が持っていた都市計画汚職の関係者一覧表を受取り社へ乗
 りこんだ。しかし、石塚の調べたことは記事にはならない。高沢が広瀬と手を握っていたのだ。しか
 し、東都日報が広瀬をくどき落したという知らせを聞き、高沢も立ち上った。彼は言った。「新聞可
 愛いさだけでボスと手を握ってきたが、それまでにして育てたこの新聞が、今ドタンバに追いつめら
 れた。俺は大事なことを忘れていた。新聞は読者という民衆のものだ。真実を訴えてそれにより民衆
 の支持を受ける。それで勝負するのが新聞屋の根性だ」と。記者に発破をかけた後外に出た高沢は、
 例の殺し屋に殺された。石塚は歯をくいしばりながら原稿を書いていた。

 他に、杉田康(掛川紘一=広瀬の子分で、秋子の夫)、滝花久子(片山の妻)〔52歳という設定だが、随分
老けて見えた。これも時代を現していると思う〕 、潮万太郎(山野=タクシーの運転手)、浜村純(首藤真
五郎=保守党の現市長)、花布辰男(岡田=東都日報支局長)、夏木章(デスク)、森矢雄二(選挙カーの
学生A)、青山邦夫(同じくB)、三宅川和子(同じく女子学生)、中田勉(ホテル・ワシントンの支配人)、
半谷光子(おとき=同じくスタッフ、殺人現場の第一発見者)、竹内哲郎(按摩=指圧師)、此木透(革新
党支部長)、杉森麟(選挙事務長)、高村栄一(広瀬の顧問弁護士)、春本冨士夫(水上博士=秋子の司法
解剖で執刀した医師)、角梨枝子(バー「エリート」のマダム)、新宮信子(花月の女将)、伊達正(モヒ=
モルヒネを元美に打とうとした男)、村田扶実子(ホテル・ワシントンの掃除婦)、伊東光一(西部新聞社
社長)、丸山修(同じく社会部長)、松村若代(旅館「西屋」の女中)、谷謙一(広瀬の秘書)、三角野郎
(愚連隊A)、高見貫(アパートの管理人)、藤巻公義〔潤〕(新聞記者)などが出演している。
 山村聰や滝沢修は、このような役を配されると本当に精彩を放つ。脇役陣の浜村純、潮万太郎、見明凡太
朗、夏木章らも、実に生き生きとした演技を見せている。もちろん、主人公の川口浩や叶順子には、地味な
がら華があった。日本映画全盛時代の作品らしい出来であった。

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  『クライマーズ・ハイ』、監督:原田眞人、「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ
   〔ビーワイルド=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=トゥモロゥー〕、2008年。


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  「日日是労働セレクト140」より

 1本目は、『クライマーズ・ハイ』(監督:原田眞人、「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ
〔ビーワイルド=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=トゥモロゥー〕、2008年)である。実は、
単なる「山岳映画」だと思い込んでいて、TSUTAYAの店頭でもあまり触手が動かなかった作品である。何か
のDVDの予告篇で1985年に起きた「日航機123便墜落事故」をモチーフにした作品であることを知り、機会が
あればぜひ観たいと思った映画である。期待に違わず、素晴らしい出来であった。文句なしに、「佳品」と
言ってよいだろう。
 いわゆる「ブンヤ魂」(新聞記者にとっては、今や「ブンヤ」は蔑称と化しているかもしれないが、以前
は自らそう呼んでいた記者も多かった印象がある)を描いた作品で、編集と販売の確執も丁寧に扱っており、
新聞離れが深刻になった現在、「新聞(新聞社)」の実態をある程度知る上で貴重な映画だと思う。もちろ
ん、テーマである「日航機事故」に関しても、いろいろ学ぶことができた。1985年は、阪神タイガースが日
本一に輝いた年で、歌手の坂本九らと一緒に、当時の球団社長が犠牲になったことを覚えている。その後、
吉田義男監督が「チーム一丸となって」を連呼していたことが懐かしい。先ずは、犠牲者の冥福を祈りたい。
 物語を確認しておこう。今回は、<ウィキペディア>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  『クライマーズ・ハイ』は、横山秀夫による日本の小説。2003年1月、『別冊文藝春秋』に掲載され、
 8月25日に文藝春秋から単行本が刊行された。週刊文春ミステリーベストテン2003年第1位、2004年本
 屋大賞第2位受賞。
  著者が上毛新聞記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故を題材としており、群馬県の架空の地方
 新聞社を舞台に未曾有の大事故を取材する新聞記者の奮闘を描く。「クライマーズ・ハイ」とは、登
 山者の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態のことである。
  2006年6月10日には文春文庫版が刊行された。
  2005年12月にNHKでテレビドラマ化され、東映・ギャガ・コミュニケーションズの共同配給で映画化
 され2008年に全国公開された。2007年7月5日クランクイン、8月31日クランクアップ、10月に製作が発
 表され、2008年7月5日に公開された。事故現場となった上野村において特別試写会がおこなわれ、多く
 の村民が鑑賞した。

   〔あらすじ〕

  1985年8月12日、群馬県の地方紙「北関東新聞社」の遊軍記者で、社内の登山サークル「登ろう会」
 メンバーの悠木和雅(堤真一)は、販売部の安西耿一郎(高嶋政宏)とともに、県内最大の難関であ
 る谷川岳衝立岩登攀へ向かう予定だった。帰宅の準備をしているとき、社会部記者の佐山達哉(堺雅
 人)から「ジャンボが消えた」との連絡が入る。悠木は、白河頼三社長(山崎勉)から直々に事故関
 連の紙面編集を担う「日航全権デスク」を命ぜられる。同新聞社にとって、「大久保・連赤」(大久
 保清事件・連合赤軍事件)以来となる大事件を抱えた悠木は、次々と重大かつ繊細な決断を迫られる。

 他に、尾野真千子(玉置千鶴子〔ズーコ〕=地域報道班)、中村育二(粕谷隆明=編集局長)、螢雪次朗  
(追村穣=編集局次長)、遠藤憲一(等々力庸平=社会部長)、田口トモロヲ(岸円治=政経部デスク)、
堀部圭亮(田沢善吉=社会部デスク)、金子和(山田厳=地方部デスク)、マギー(吉井弁次郎=整理部)、
滝藤賢一(神沢周作=地域報道班)、皆川猿時(伊東康男=販売局長)、でんでん(亀嶋正雄=整理部長)、
矢島健一(守屋政志=政経部長)、樋渡真司(暮坂直樹=広告部長)、山田明郷(稲岡信也=投稿欄担当)、
矢柴俊博(森脇時彦=地域報道班)、大鷹明良(藤浪鼎=事故調査委員長)、野波麻帆(黒田美波=元・社
長秘書)、西田尚美(安西小百合=安西耿一郎の妻)、小澤征悦(安西燐太郎=安西耿一郎の息子・成長後)
などが出演している。

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 ともに地方紙の記者の奮闘が描かれているが、当該映画も東京のローカル紙(たぶん、東京新聞)がモデ
ルだと思われるので、小生にとっては、「ローカル紙傑作映画三羽烏」といったイメージを形成することが
できる。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞いたい。

   〔解説〕

  東京新聞記者・望月衣塑子によるベストセラーを原案に、『怪しい彼女』などで知られるシム・ウ
 ンギョンと松坂桃李のW主演で映画化。政治権力の闇に迫ろうとする女性記者と、理想と現実の狭間で
 揺れる若手エリート官僚との対峙を描く。監督は、『デイアンドナイト』の藤井道人。

   〔あらすじ〕

  日本人の父と韓国人の母のもと、アメリカで育った吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は、東都新聞
 の社会部記者として働いている。ある日、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届き、その真相
 を暴くため、彼女は調査を開始する。一方、内閣情報調査室官僚・杉原拓海(松坂桃季)は、現政権
 に不都合なニュースをコントロールする現在の任務と自身の信念との間で葛藤していた。尊敬する昔
 の上司・神崎俊尚(高橋和也)と久々に再会し、かつての職務を懐かしむ杉原だったが、その数日後、
 神崎はビルの屋上から飛び降りてしまう。

 他に、本田翼(杉原奈津美=拓海の妻。身重の状態から女児を出産)、岡山天音(倉持大輔=東都新聞社
会部記者)、郭智博(関戸保=同)、長田成哉(河合真人=内閣情報調査室のスタッフ)、西田尚美(神崎
伸子=俊尚の妻)、宮野陽名(神崎千佳=同じく娘)、高橋努(都築亮一=内閣府の役人。神崎の後任者)、
北村有起哉(陣野和正=東都新聞社会部デスク)、田中哲司(多田智也=内閣情報調査室の幹部)、イアン・
ムーア(ジム=吉岡の知人のジャーナリスト)、望月衣塑子(TV番組「討論“官邸権力と報道メディア”」
の中の社会部記者)、前川喜平(同じく元文科省事務次官)、マーティン・ファクラー(同じく番組で解説
をしている人物)、南彰(同じく記者)などが出演している。
 なお、<ウィキペディア>も引用しておこう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、内容に変更は
ない。

  『新聞記者』(しんぶんきしゃ)は、2019年公開の日本映画。

 東京新聞記者(正確には、中日新聞社東京本社社会部記者)・望月衣塑子の同名ノンフィクションを原案
に、若手女性新聞記者と若手エリート官僚の対峙と葛藤を描く社会派サスペンス。監督は藤井道人、主演は
シム・ウンギョンと松坂桃李。

   〔あらすじ〕

  ジャーナリストの父親が誤報のために自殺した東都新聞社会部の若手女性記者・吉岡エリカは、総
 理大臣官邸における記者会見でただ1人鋭い質問を繰り返し、官邸への遠慮が蔓延する記者クラブの
 中で厄介者扱いされ、社内でも異端視されていた。
  そんなある日、吉岡は上司の陣野から大学新設計画に関する調査を任される。極秘情報が記された
 匿名のファックスが社会部に届いたためだ。彼女が調査を進めた結果、内閣府の神崎という人物が浮
 上してくるが、その矢先、神崎は自殺してしまう。
  神崎の死に疑問を抱いた吉岡はその調査の過程で、内閣情報調査室の若手エリート官僚・杉原拓海
 と巡り会うが、彼は現政権に不都合なニュースをコントロールする立場でありながら、神崎の死に疑
 問を持っていた。神崎は彼の元上司だったのだ。立場の違いを超えて調査を進める2人の前に、ある
 事実が明らかになる。

   〔製作〕

  監督の藤井道人は、企画を持ちかけられた当時、新聞も読むタイプの人間ではなく、政治にも無関
 心だったために自信がなく、オファーを2回断っている。製作段階では、新聞記者だけでなく、同じ
 くらい官僚の人に念入りに取材してリアリティを追求したが、内閣情報調査室のことは誰に聞いても
 詳細はわからなかったと言う。映画の内容から反政府というイメージを持たれかねないにもかかわら
 ず、この難しい役の出演を承諾した松坂桃李に対して、その決断を評価する声があがった。

   〔評価〕

  映画監督の是枝裕和は、「これは、新聞記者という職業についての映画ではない。人が、この時代
 に、保身を超えて持つべき矜持についての映画だ」とコメントを寄せた。
  映画公開日前後から公式サイトが断続的にサーバーダウンして閲覧が難しくなる状況が発生した。
 特定のIPアドレスからシステムを使用した集中的なアクセスを受けていると公式から説明があり、サ
 イバー攻撃ではないかという疑いも持たれた。
  配給会社によると客層は従来の中高年層に加え若い層が徐々に増えてきており、全国42の劇場で売
 り切れとなっていたパンフレットも1万部の増刷が決定したという。
  なお、 第43回日本アカデミー賞各賞を始め、多数の映画賞を受賞している。

   〔興行成績〕

  2019年6月28日に全国143館で公開され、最初の週末となる6月29日と翌30日の全国映画動員ランキン
 グ初登場第10位となり、公開3日間の観客動員数4万9,871人、興行収入6,233万1,930円を記録し、1週
 目(6月28日から7月4日)は累計で観客動員数10万6,807人、興行収入1億2,920万9,860円を記録した。
  公開2週目の週末となる2019年7月6日と翌7月7日の2日間で観客動員数5万1,229人、興行収入6,485
 万8,230円を記録し、全国映画動員ランキングでは、10位から8位にランクアップした。また、初週末
 3日間の数字を2週目週末が上回り、動員対比102.9%、興収対比104.1%と好調な推移となった。
  2019年7月8日には、公開から11日間の累計で観客動員数17万2,127人、興行収入2億1,055万5,640円
 となり、累計興行収入2億円を突破した。
  2019年7月22日までに累計で観客動員数33万人、興行収入4億円を突破した。

 以上である。物語の核心は、「デュアル・ユース」問題にあるが、詳細は割愛する。是非、映画そのもの
を観て自ら判断してもらいたい。最後に、一番印象深い台詞だけを記しておこう。多田の「この国の民主主
義はかたちだけでいいんだ」……本気で吐いた台詞ならば、看過できない。日本の主権は国民にある……こ
れは動かせないだろうから。

                                                 
 2020年2月16日(日)

 DVDで邦画の『人魚の眠る家』(監督:堤幸彦、「人魚の眠る家」製作委員会〔松竹=フジテレビジョン=  
木下グループ=電通=幻冬舎=ジャパン・ミュージックエンタテインメント=GYAO〕、2018年)を観た。直
ちに連想したのは、『孤高のメス』(監督:成島出、「孤高のメス」製作委員会〔東映=テレビ朝日=木下
工務店=アミューズソフトエンタテインメント=東映ビデオ=読売新聞=幻冬舎=博報堂DYメディアパート
ナーズ=朝日放送=メーテレ=東映チャンネル=北海道テレビ放送=九州朝日放送〕、2010年)〔「日日是
労働セレクト85」、参照〕である。一部、以下に抜書してみよう。


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 ところで、小生は、この映画はだいぶ危ない映画だと思う。というのも、この映画を観た医療の素人は、
たぶんスーパーマンのような当麻医師にぞっこん参ってしまい、「彼の言うことはすべて正しい」と思わさ
れてしまうのではないか、と危惧するからである。実際、これを書いている小生だって、当麻医師の魅力に
惹かれる自分を見出すのだ。ところが、脳死・臓器移植の背景には、以下のような問題が潜んでいるのに、
この映画ではキレイゴトしか取り上げられておらず、現実の深刻さを巧妙に回避している。つまり、小生に
は、「脳死・臓器移植」推進の宣伝映画にしか思えないのである。

  ☆ 臓器移植問題の難点(技術的可能は即倫理的可能ではない)
 
 ○ 脳死判定の問題。脳死は人の死か? 
   ⇒ 映画では「全脳死だから、死と看做してよい」という風に回答していた。本当にそうか?
 ○ ドナー(donor)が承知しても、その家族が反対した場合は?
   ⇒ ドナーの母は、むしろ積極的に移植を望んでいる。その行為が尊く見えれば見えるほど、そうは
    考えない人のこころを圧迫する。
 ○ 誰がレシピエント(recipient)になるのか?
   ⇒ 優先権問題。この映画では、ドナーから臓器を摘出するのも、レシピエントに移し替えるのも、
    同じ当麻医師が行っているが、現実には同じ執刀医が配されることはあり得ない。脳死判定を早め
    る虞があるからだ。また、強行手術をしているので、コーディネーターによるレシピエントの選択
    もない。だいいち、ドナーとレシピエントは互いに知り合ってはいけない。恩返しの問題、具体的
    には金銭的な代償の問題に発展する虞があるから。
 ○ 莫大な費用を誰が払うのか?
   ⇒ この映画では、一切触れられていない。高度医療は莫大な費用を要するはずである。
 ○ 免疫問題(抗原抗体反応)をどう扱うのか?
   ⇒ この映画でも多少触れられているが、おざなり程度。実際はもっと深刻なはずである。
 ○ 臓器売買・臓器搾取の問題は?
   ⇒ この映画では、一切触れられていない。

  参考:邦画『闇の子供たち』、監督:阪本順治、「闇の子供たち」製作委員会〔セディックインター
     ナショナル=ジェネオン エンタテインメント=アミューズ〕、2008年〔「日日是労働セレクト
     60」、参照〕。

 ○ 医師の功名心から来る科学主義をどう捉えるか?
   ⇒ 当麻は清廉潔白、女色にも金銭にも淡泊という設定なので、「功名心」とは無縁であろうが、す
    べての医師が当麻のような理想的な医師とは限らない。

 人間の死は「科学の埒外」にあり、医学で何とかなると思っている医師がいるとすれば、それは傲慢以外
の何ものでもない。当麻は、「医療>科学」の図式をよく心得ているが、はたして、そんな医療関係者が現
実にどれほどいるだろうか。小生には、はなはだ疑問である。ただし、小生は、「脳死・臓器移植」に対し
て絶対反対を叫ぶつもりもない。まだまだ検討の余地があると言いたいだけである。

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 以上である。この文章を書いたのは、2012年10月頃だと思うが、今でも基本的な考えは変わっていないこ
とをお断りしておく。
 さて、こう書くと善意の人に怒られるかもしれないが、極めて上手に「臓器移植推進派」の意図へと人々
をいざなうべく運河化を図っている映画だな、という感想を持った。この「脳死=臓器移植」問題は非常に
複雑な問題で、小生もこういう状況ならば、脳死判定を行い、その上で臓器移植を行った方がよい、とは思
う。しかし、どうしてもある種の違和感がつきまとい、『孤高のメス』を鑑賞した時と同じ感想を抱いてし
まうのである。一言でいえば、「本当にそれでいいのか」という感想である。「人間はいつか死ぬ」という
判断はたぶん間違いのないことだし、「科学技術がそれ(死ぬ時期)をコントロールすることができる」と
いう見解も確かな説得力を持つ。だから、すでに「人間としては終わっている」生物から臓器を移植して、
まだ「人間として生きることのできる」生物を生かした方がよいだろう、という判断は正しいように見える。
 ここまではいい。しかし、そもそも「脳死(brain death)」という言葉が曲者である。なぜ、「全脳不全  
(total brain failure)」という言葉を使わないのか。間違っているかもしれないが、「死(death)」と
いう言葉を使わない限り、臓器移植をすることができないからである。もちろん、「生体間移植」の場合は
そうではないが、心臓移植の場合は、ドナーになったとたん、本当の死を迎えるからである。これはドナー
という生物を殺していることと同然である。これは動かないだろう。この事実はしばしば「命のリレー」と
いうかたちで、浄化される。いわば「美談」になるのである。小生のように子どものいない人間がとやかく
言える立場ではないことを十分に承知しながらも、どうしてもひっかる箇所である。ただ、仮にこの映画が
「臓器移植推進派」、とりわけ、子どもの臓器移植を可能にしたいと考えている人々の「啓蒙映画」にすぎ
ないと断定したとしても(すなわち、巧妙な運河化が施されているとしても)、現実にはその考えに従いた
くなるだろう。小生も同様である。つまり、この作品は、日本ではできない子どもの臓器移植を可能にする
ためのステップと位置付けることのできる「啓蒙映画」であることを認めたとしても、その考えに同調した
くなるのである。当たり前であろう。運河化がかなり上手に行われているのだから。したがって、小生でさ
えも「うん、そうだね」と頷きたくなる。もちろん、現実社会ではこれでいいと思う。しかし、思考実験の
世界では、この流れにどうしても違和感を感じざるを得ないのである。言い換えれば、「どこかおかしい」
と感じるのである。医療の素人が口幅ったいことは言えないが、その素人をさらに説得させる根拠が欲しい
のである。そんな思いを抱えながら、この作品を観た。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  娘がプールで溺れ、意識不明になるという突然の悲劇に襲われた夫婦の姿を描く、東野圭吾のベス
 トセラー小説が原作のミステリー。意識不明という状態からの娘の回復を願いつつも、決断を迫られ
 る夫婦を篠原涼子と西島秀俊が演じる。監督はコメディから人間ドラマまで幅広いジャンルを手がけ
 る堤幸彦。

   〔あらすじ〕

  IT機器メーカーの社長である播磨和昌(西島秀俊)と妻の薫子(篠原涼子)は、娘・瑞穂(稲垣来
 泉)の小学校受験を終えたら離婚することが決まっていた。ところがある日、瑞穂がプールで溺れ、
 意識不明の重体に。医師は脳死状態からの回復の見込みはないと判断するが、奇跡を願う和昌は自身
 の会社の最新技術を娘の治療に生かそうとし、次第に運命の歯車を狂わせていく。

 他に、坂口健太郎(星野祐也=人工神経接続技術〔ANC〕の技術者。瑞穂を生かしておくプロジェクトの一
員)、川栄李奈(川嶋真緒=星野の婚約者。動物病院のスタッフ)、山口紗弥加(美晴=薫子の妹)、田中
哲司(進藤=脳神経外科医。瑞穂の主治医)、大倉孝二(門脇=臓器移植のための募金活動をしている男、  
和昌の大学時代のサークル仲間)、斎藤汰鷹(生人=瑞穂の弟)、荒川梨杏(若葉=瑞穂の従姉妹)、田中
泯(播磨多津朗=和昌の父)、松坂慶子(千鶴子=薫子の母)、などが出演している。
 「脳死・臓器移植」の是非はともかくとして、最近観た『今日も嫌がらせ弁当』でも褒めたが、篠原涼子
会心の演技だったことを最後に記しておこう。

                                          
 2020年2月15日(土)

 DVDで邦画の『スマホを落としただけなのに』(監督:中田秀夫、映画「スマホを落としただけなのに」製  
作委員会〔TBSテレビ=東宝=毎日放送=ツインズジャパン=CBCテレビ=ポニーキャニオン=ニッポン放送=
KDDI=GYAO=RKB毎日放送=TBSラジオ=讀賣新聞社=北海道放送〕、2018年)を観た。典型的な「息切れ映  
画」である。もっと厳しく言えば、「竜頭蛇尾映画」と言ってもよいだろう。(途中で気づいたけれども)
犯人が確定するまではたしかに素晴らしかった。第一に、題名がスリリングである。さらに、サスペンスと
いい、テンポといい、ストーリーといい、通俗的ではあるが、分かりやすいホラーを予想させた。それはSNS
社会の悪夢であり、誰もが警戒すべき陥穽であり、文明の利器にそれを拵えた人間自身が振り回される狂気
の世界である。ふと思ったのだが、安部公房が生きていたら、間違いなくこのテーマに基づくとても面白い
作品を提供してくれただろう、と。もちろん、当該映画の原作を読んでいないので何とも言えないが、もし
この映画が原作通りだとすれば、初期設定の収拾がついていないではないか、と文句を付けたくなる。しか
しながら、改めて志駕晃の原作を繙いてみたいと思わせるほどの出来ではあった。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  現代人の必需品となったスマートフォンにまつわる恐怖を描くミステリー。恋人がタクシーにスマ
 ホを忘れてきてしまったのを機に、個人情報の流出など、度重なるトラブルに巻き込まれていくヒロ
 インを北川景子が演じる。『リング』などホラー映画を得意とする中田秀夫監督が、身近に潜む恐怖
 をスリリングに映し出す。

   〔あらすじ〕

  彼氏の富田誠(田中圭)に電話をかけた稲葉麻美(北川景子)は、聞き覚えのない電話の声に戸惑
 う。その人物は富田が落としたスマホを拾ったと言い、麻美は無事に富田のスマホを取り戻す。しか
 し、その日を境に、身に覚えのないクレジットカードの請求や、ストーキングに遭うなど、麻美の周
 りで奇妙な出来事が起き始める。さらに個人情報が流出するなど、事態は深刻化していく。

 他に、千葉雄大(加賀谷学=若い刑事。元プログラマー)、原田泰造(毒島徹=神奈川県警捜査一課の警
部補。加賀谷の先輩)、成田凌(浦野善治=ITサポート・サイバーベイシスのスタッフ)、バカリズム(小
柳守=麻美のストーカー)、要潤(武井雄哉=光友商事社員。無類の女好き)、高橋メアリージュン(麻美
の友人)、酒井健太(大野俊也=暴走族上がりの不良青年)、筧美和子(天城千尋=富田の教え子)、岩井
堂聖子(池上聡子=横浜のデリヘル嬢。足柄市山中女性連続殺人事件の被害者の一人)、杉山愛里(宮本ま
ゆ=博多出身の風俗嬢。同事件の被害者の一人)、桜井ユキ(山本美奈代=かつての麻美のルームメイト)
などが出演している。
 パスワード、クラッカー、ランサムウェア、疑似音声、なりすまし、Wアカウント……SNS社会特有のジャ
ーゴンが頻出するが、その世界にとっぷり浸かっていなくとも理解不可能の言葉ではない。小生は、半ば冗
談で(つまり、半分は本気で)「携帯電話撲滅推進運動全国連絡協議会」を独りで賄っているので(つまり、
小生以外の会員は存在しない)、この作品の意図がよく分かった。スマホは、それを所有している人の「分
身」であり、「宝箱」であるかもしれないが、同時に常に自分に向けられている刃でもある。このことを忘
れてはならないだろう。なお、「母源病」もこの映画のテーマの一つであるが、上手に描かれているとは言
い難い。とくに、その点が惜しかった。なお、「家族研究への布石(映像篇)」登録作品3,000本まで、残り  
3本になった。もう少しである。

                                                  
 2020年2月14日(金)

 DVDで邦画の『病院へ行こう』(監督:滝田洋二郎、フジテレビジョン、1990年)を観た。以前からチェッ
クしていた作品であるが、TSUTAYAにあるのを見つけてさっそく鑑賞に及んだ。期待通りの作品で、1990年前
後の雰囲気も十分に出ていた。当時は珍しかった携帯電話が大型なのも今となっては貴重な映像と言えよう。
似ている作品を挙げれば、『大病人』(監督:伊丹十三、伊丹フィルムズ、1993年)あたりか。なお、当時
は「看護婦」(男性の場合は看護士)という呼称が一般的だったので、ここでは「看護師」という言葉を使
わないことをお断りしておく。さらに、『彼女が水着にきがえたら』の一色伸幸が脚本を執筆しているので、
「ホイチョイ・プロダクションズ」のノリが濃厚である。主人公の職業も広告代理店のコピーライターだか
ら、いわばこの頃の流行とさえ言えよう。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  とある大学病院を舞台に、医者と患者やそこに携わる人々の姿をブラックユーモアに描く。脚本は
 『彼女が水着にきがえたら』の一色伸幸が執筆、監督は『木村家の人びと』の滝田洋二郎で、撮影は
 『悲しきヒットマン』の浜田毅がそれぞれ担当。

   〔あらすじ〕

  新谷公平(真田広之)は、広告代理店のコピーライターとして日夜仕事に励んでいたが、ある夜、
 倦怠期の妻春子(斉藤慶子)の不倫現場を発見、相手の男である如月十津夫(大地康雄)ともめて大
 騒ぎの末、マンションの階段から間男と共に転落してしまう。そんな公平が運ばれた大学病院の新米
 研修医の吉川みどり(薬師丸ひろ子)は救急患者が大の苦手で、点滴針すら上手く刺せない始末だっ
 た。その結果、公平は全治一ヵ月の大腿骨骨折で、安い大部屋の病室で入院生活を送ることになるが、
 隣のベッドには何と、例の間男如月十津夫がいたのだった。それでなくともこの病室には変人が多く、
 公平のストレスは溜まるばかりで、さらに翌日春子が公平に離婚届をつきつけるのだった。ある夜、
 公平は血を吐いて内科の診察室にまわされた。症状はストレス性の胃潰瘍だったが、公平は癌ではな
 いかという不安にかられるのだった。一方、十津夫は担当医になったみどりにほのかな想いを抱いて
 いるが行動に現わせない。意外に純情なのだ。そして、公平はそんな十津夫にいつしか親しみを感じ
 るようになる。ところがその十津夫のレントゲン写真から妙な陰が発見され、肺癌の疑いが出てきた
 のだった。胸部外科の韮崎(伊原剛志)は切って病原を確かめようとする。手術の前日、自分が癌で
 あることを知った十津夫は騒ぎを起こすが、みどりが自ら丹念に調べた結果、十津夫の癌はシロだと
 判明したのだった。何日か経ち、退院することになった公平はみどりや十津夫に別れをつげて病院を
 去ったのだった。

 他に、尾美としのり(笹蔵=みどりのボーイフレンド。寄生虫の研究をしている)、平栗あつみ(五月=
みどりと仲のよい看護婦)、加藤善博(榊=公平の執刀医)、荒井注(幸吉=公平と同じ病室の患者)、桑
田和美(ミツコ=幸吉の若い妻)、螢雪次朗(定=ゲイの入院患者)、ベンガル(牛丸=公平と同じ病室の
患者。職業は公務員)、三原世司奈(牛丸の強欲女房)、角田英介(春日野=若い患者)、嶋田久作(安西=
首を動かせない患者)、米山善吉(富田=公平の後輩)、井上彩名(優=公平が担当するCMに出演するモデ
ル。公平の浮気相手)、レオナルド熊(花火職人である十津夫の親方)、絵沢萠子(親方の女房)、石井愃
一(諸星教授)、田根楽子(婦長)、西岡徳馬(公平の胃潰瘍を発見する内科医)、鍵本景子(清美=公平
や十津夫を担当する准看護婦)、橘雪子(手術室のおばはん=手術前の公平に医師や看護婦への付け届けの
重要性を説く)、水城蘭子(小夜=幸吉の付き添い)、飯山弘章(辰=十津夫の後輩)、町田博子(春子の
母)、菊池彩美(フェリックスの少女)、大杉漣(その少女の父親)、早川絵美(同じく母親)、西沢まこ
(救急の看護婦)、石井きよみ(ナイスな看護婦)、池島ゆたか(医師)、小出明広(胃透視の検査技師)、
辻伊万里(プロのおばさん=みどりの下手な注射の被害者)、草見潤平(理学療法士)、岬真吾(CTの検査
技師)、寺坂博文(看護士)、豊川悦司(研修医)などが出演している。配役は、<ウィキペディア>も参照
した。なお、同サイトに詳しいあらすじが載っているので、興味のある人はそちらの方を参照されたし。
 当該映画には、第二作に当たる『病は気から 病院へ行こう2』(監督:滝田洋二郎、フジテレビジョン、
1992年)があるが、筆者は未見である。機会があれば、これも観てみたい。
 当該映画が公開されてから30年経つが、すでに鬼籍に入っている方(レオナルド熊、荒井注、大杉漣)も  
おられるので、光陰矢の如しを実感する。小生の感覚では、1990年などちょっと前のことなのだが……。

                                                 
 2020年2月13日(木)

 DVDで邦画の『白河夜船』(監督:若木信吾、『白河夜船』製作委員会〔キングレコード=ユマニテ〕、
2015年)を観た。いずれ観ようかとは思っていたが、何となく触手が動かなかった映画である。よしもとば
なな(吉本ばなな)の原作も読んでいない。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  よしもとばななが1989年に発表した同名小説を『星影のワルツ』の若木信吾監督が映画化。“眠り”
 に取り憑かれ、暗闇の中で逡巡する男女の姿を静かに紡ぎ出す。『かぞくのくに』で兄妹を演じた安
 藤サクラと井浦新が再共演を果たし、ほかに『海炭市叙景』の谷村美月、『家をたてること』の紅甘、
 『あれから』の伊沢磨紀、竹厚綾が出演する。

   〔あらすじ〕

  恋人の岩永(井浦新)と不倫関係を続ける寺子(安藤サクラ)は、仕事もせず毎日家で岩永からの
 電話を待つだけの日々を送っている。岩永の妻(竹厚綾)は、交通事故にあって以来ずっと植物人間状
 態にあった。岩永との関係は進展することもなく穏やかに続いていたが、寺子にとって最愛の親友し
 おり(谷村美月)が死んでしまったことだけは彼に言えずにいた。大学時代に一緒に住んでいたしお
 りとはどんなことでも話せる仲で、岩永との関係についていつも親身に相談に乗ってくれたのも彼女
 であった。しおりは男たちにただ添い寝をする“添い寝屋”という奇妙な仕事をしており、まるで天
 職のようにその仕事に夢中になっていた。そんなしおりが自ら死を選んでしまったことに寺子はショ
 ックを受けるが、なぜか岩永に言い出せずにいた。しおりと過ごした日々を思い返しているうちに、
 寺子の眠りは徐々に深くなる。どんなに深い眠りのなかでも岩永からの電話だけは聞き分けられるの
 が自慢だったが、ついに彼からの電話にも気付かなくなってしまう。まるで何かに取り憑かれたよう
 に眠り続ける寺子。やがて彼女は、夢と現実の境目すら曖昧になっていく……。

 他に、高橋義明(しおりの昔の恋人)、紅甘(公園で寺子が出遭う少女)、伊沢磨紀(しおりの母親 )な
どが出演している。
 よしもとばなな(吉本ばなな)が原作の映画は、当該作品の他に、『キッチン』(監督:森田芳光、光和
インターナショナル、1989年)と『アルゼンチンババア』(監督:長尾直樹、「アルゼンチンババア」製作
委員会〔バップ=双日=キネティック=Yahoo! JAPAN=トムス・エンタテインメント=エフエム東京=読売
広告社=オーエルエム=WOWOW=読売新聞〕、2006年)を観ているが、原作はたぶん読んでいない。もちろん、
吉本隆明の娘ということで敬遠したわけではない。単に、縁がなかっただけかもしれない。あるいは、「ば
なな」といペンネームが気に入らなかったのだろう。気が向けば、今度読んでみようと思う。当該映画と言
えば、一言で言って「かったるい」。おそらく、このかったるさが、よしもとばななの本領なのだろう。
 題名について、少しだけ記しておこう。「コトバンク」からの引用を以下に掲げる。

   白河夜船(しらかわよふね)

  諺。知ったかぶりをすること、または、ぐっすり眠り込んで、何が起こったか知らないことのたと
 え。京都の白河(一説に、船の通れない谷川の名ともいう)のことを聞かれた人が、地名とは知らず
 に川の名と勘違いして、夜船で通ったから知らないと答えたため、京都見物に出かけたという嘘がば
 れてしまった、という話に基づく。[宇田敏彦]

 当該映画では、主人公の寺子がよく眠るので、この題名がついているのだろう。どうにもアナクロで捻り
のない題名だが、却って吉本流のにおいがしないこともない。小生ならば、先ずは考えつかないネーミング
ではある。

                                                  
 2020年2月11日(火)

 DVDで邦画の『終わった人』(監督:中田秀夫、「終わった人」製作委員会〔東映=東北新社=東映ビデオ=
木下グループ=セントラル・アーツ=石原プロモーション=朝日新聞社=電通=ユニバーサル ミュージック=
講談社=イオンエンターテイメント=セレモ=岩手日報社=IBC岩手放送=テレビ岩手=岩手めんこいテレビ=
岩手朝日テレビ〕、2018年)を観た。しみじみと味わうべき映画。17もの企業が関わっているので、外れは
許されない。したがって、とても無難な仕上がりである。もっとも、小生もあと二ヵ月足らずで定年を迎え
るが、共感を抱くことはなかった。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  “定年”をテーマに描き、同世代から絶大な支持を受けた内館牧子のベストセラー小説を、『リン
 グ』シリーズなどホラー作品を得意とする中田秀夫監督が映画化したヒューマン・コメディ。長年勤
 めてきた会社を定年退職したものの、退屈な日々に困惑してしまう、どこか情けない主人公を舘ひろ
 しがユニークに演じる。

   〔あらすじ〕

  定年を迎えた元銀行マンの田代壮介(舘ひろし)は仕事一筋だったため、翌日から時間を持て余し
 てしまう。公園や図書館、スポーツジムへ向かうが、どこも老人ばかり。また、仕事を探そうにも高
 学歴(東大法学部卒)・高職歴(都市銀行のエリート・サラリーマン)が邪魔をし、仕事は見つから
 ない。そんなある日、大学院で学ぼうと決意した壮介はカルチャーセンターを訪れ、受付嬢の浜田久
 里(広末涼子)に思いを寄せるようになる。

 他に、黒木瞳(田代千草=壮介の妻)、臼田あさ美(山崎道子=田代夫婦の娘)、田口トモロヲ(青山俊
彦=千草の従兄弟、職業はイラストレーター)、今井翼(鈴木直人=IT会社の経営者)、ベンガル(工藤元
一=南部高校ラグビー部のOB、現在はNPO法人「岩手復興ネットワーク」の代表)、笹野高史(二宮勇=同、
現在は一流商社を退職し、ボクシングのレフェリーを務めている)、渡辺哲(川上喜太郎=同ラグビー部監
督/その息子である16番の二役)、駒木根隆介(高橋=鈴木の会社の幹部)、高畑淳子(桜田美雪=壮介の
妹)、岩崎加根子(田代ミネ=同じく母)、温水洋一(山下良夫=壮介が面接を受けた会社の社長)、清水
ミチコ(山下正美=良夫の妻、副社長)、彦摩呂(TV番組「ランチの達人」のタレント)、柳憂怜(鈴木の
運転手)、志賀廣太郎(ハイヤーの運転手)、諏訪太朗(ボクシングの観戦客)などが出演している。なお、
どこで出ているのか分からなかった(たぶん、スポーツジム)が、小川節子、小林トシ江、田中真理、山口
美也子などの見覚えのある名前に加えて、原作者の内館牧子の名前がクレジットにあった。
 盛岡弁が出てくるが、「いだますごと=惜しかった」、「いだます=もったいない」が壮介と久里を接近
させるきっかけの言葉となっている。また、「幸呼来(さっこら)踊り」が何度か登場する。これは岩手の
踊りである。その他「卒婚(離婚はしないが、同居を解消すること)」や「定年は生前葬と同じだ」も印象
に残った。なお、良寛の辞世の句である「散る桜/残る桜も/散る桜」が壮介の口から何度も出て来るが、
特攻隊を描いた映画でさんざん聞かされた句なので、あまりいい印象はない。さらに、これは蛇足であるが、
壮介の運転するクラウンのカー・ナンバーは「品川300 い 49・89」だったことを記しておこう。よく
あるタイプのゲイコマである。

                                                 
 2020年2月9日(日)

 昨日感想を書きかけた邦画に言及しよう。『私の兄さん』(監督:島津保次郎、松竹鎌田、1934年)とい
う作品である。昨夜、洋画好きの方と遭遇したので、フランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』を観た
ことがあるかと訊ねたら、「あれは素晴らしい映画です。私は5回以上観ました」という返答だった。小生
も機会があったら『私の兄さん』を意識しながら鑑賞したいと思う。著作権が切れていると思うので、案外
近いうちに観ることができるかもしれない。
 さて、物語を確認しておこう。今回も<allcinema>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変  
したが、ご寛恕を願う。

   〔かくもかくかく氏のコメント〕

  ダンディズム:1934年製作。スタッフに吉村公三郎、木下惠介、豊田四郎と錚々たる面々。シトロ
 エン11CVを走らせてタクシー強盗……あわやと思わせるクダリ……これって怖い怖いねぇ……まさに
 サスペンス。うまいよねぇ。そんな思わせぶりでお洒落なオリジナル脚本で始まる。『隣の八重ちゃ
 ん』(監督:島津保次郎、松竹蒲田、1934年)と同じくホンワカコメディは今見ても一級品。笑える
 んだね、これが。もう一つ、島津保次郎の
 映画には他の巨匠たちにないお茶目でチャーミングなとこがあってこれも引き込まれる所以だ。その
 ときと古さを感じさせない、思わせない上質の感覚。まだ戦時の風は薄いか1934年。絹代25歳。可愛
 いねぇ……。気風ある。

 以上である。小生もかなり近い感想を持った。もっとも、かくもかくかく氏ほど誉めたくはないが……。
 以下に主な出演者を記しておこう。

  林長二郎(長谷川一夫):文雄。
  田中絹代:須摩子=令嬢。 
  河村黎吉:重太=文雄の義兄。 
  鈴木歌子:高子=文雄の実母。 
  坂本武:永松。強盗に襲われそうになる運転手。事務員の幸子に恋をしている。
  大山健二:上林=永松の運転手仲間。
  石山竜児:古賀=同。文雄を乗せてきた。
  赤池重雄:田中=同。 
  坪内美子:幸子=三星ガレーヂの事務員。 
  小林十九二:仙公=文雄の友人。 
  南里コンパル:金公=同。
  松井潤子:順公=同。
  奈良真養:男A=須摩子の義母の弟。
  河原侃二:男B=須摩子の家の者。
  山口勇:不審な男。永松を襲うが失敗。
  野寺正一:めし屋の主人。

 義理と人情の板挟みを建設的な方向で解消しようとする試み。恋によるハッピー・エンディングを迎える
が、通り一遍でつまらない。もっとも、にやけた現代劇の長谷川一夫と、コケティッシュな魅力の田中絹代
の組み合わせには意外性があってよかった。『祇園の姉妹(きょうだい)』(監督:溝口健二、第一映画、
1936年)や『浪華悲歌(なにわエレジー)』(監督:溝口健二、第一映画、1936年)のヒロインを演じた山
田五十鈴とは一味違った、戦前にもいた「アプレ」である。

                                                 
 2020年2月8日(土)

 You Tube で戦前の邦画を2本観たので、以下で報告しよう。
 1本目は、『人生のお荷物』(監督:五所平之助、松竹鎌田、1935年)である。1935年と言えば、昭和10
年にあたり、軍国主義が席捲していた時代である。長女は医者、次女は絵描き、そして三女は軍人に嫁ぐと
いう設定を見れば分かるように、やっと最後に戦争色が出て来るが、それでも牧歌的な様相は変わらない。
実にのんびりとした世界を描いており、この6年後に英米蘭相手に宣戦布告をする国とは思えない。これは
同じ頃に製作された成瀬巳喜男、小津安二郎、溝口健二などの作品と通底する特徴である。思うに、映画人
は軍人が嫌いで、わざと戦争には触れないようにしていたのではないかと穿ちたくなる。見当違いだろうか。
 物語を確認しておこう。今回は、<allcinema>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変した
が、ご寛恕を乞いたい。

   〔解説〕

  伏見晁の原作・脚色を、五所平之助が監督した小市民コメディ映画。軍人役の佐分利信が登場する
 シーンは、再公開時に大部分をカットされたという。

   〔あらすじ〕

  初老のサラリーマンである福島省三(斎藤達雄)には三人の娘がいる。長女の高子(坪内美子)は
 医師の小見山哲雄(大山健二)と、次女の逸子(田中絹代)は画家の栗田俊吉(小林十九二)と、そ
 れぞれ結婚しており、三女の町子(水島光代)も軍人の橋本公正中尉(佐分利信)との結婚式を終え
 た。これですべて片付いたとほっとしたのも束の間、福島家にはまだ小学生の長男である寛一(葉山
 正雄)が残っていた。自分が高齢で作った子どもであるにも拘わらず、省三は自分が70近くまで子ど
 ものために働かなければならないことに腹を立てていた。子どもを邪険に扱う省三に腹を立て、妻の
 たま子(吉川満子)は寛一を連れて家を出てしまう。

 他に、新井淳(阿部福太郎=仲人)、飯田蝶子(おかね=阿部の女房)、阿部正三郎(余作=同じく息子)、
谷麗光(南=会社員)、六郷清子(お浪=福島家の女中)、坂本武(結婚式の招待客)、突貫小僧(寛一の
遊び仲間)、爆彈小僧(同)、小櫻葉子(葉子=女給)、三宅邦子(同)、浪花友子(同)、忍節子(同)、
朝見英子(同)、小池政江(同)、出雲八重子(同)、武田春郎、水島亮太郎などが出演している。
 娘を嫁がせる際の支度金として、家作を二軒手放したという台詞が出て来る。「娘三人持てば身代潰す」
という俚諺があるが、まさにそれを地で行く話である。なお、この諺の英訳(知って得することわざ集)が
揮っていたので、引用しておこう。

   If having my three daughters, parent become poor.

 文字通り、貧乏になるということだろう。もっとも、小生は「娘三人いれば、身上潰す」で覚えていた。
その他にも、「娘三人持てば身代潰す」の類語として、「娘出世に親貧乏」、「娘三人あれば身代が潰れ
る」、「女の子三人あれば囲炉裏の灰もなくなる」、「娘多きは貧乏神の宿」、「娘一人に七蔵あける」、
「女三人あれば身代が潰れる」などが挙げられているので、小生の言い種は改めなければならないだろう。
なお、逸子がタクシー料金を値切る挿話など、時代を感じさせるシーンが散見できた。また、省三の台詞で
ある「女はもともと売り物だ」などは、現在ではアウトだろう。時代は大きく変わったのである。もっとも、
変わらないものもある。オブザーバー(高子の発した言葉)、デパート、ジンフィーズ、オールドパーなど
が登場するからである。ただし、「クラブ乳液ホルモン」は久しぶりに耳にした商品だし、町子の新婚旅行
先が「紀州の白浜」というのも時代がかっている。「エッグブランデー」(卵型の容器に収められたブラン
デー)に至っては、どこかで見たことがあるような気がする程度で、小生とは無縁の洋酒である。さらに、
高子やたま子らが結っていた日本髪も、違和感を催させるに十分な代物であった。
 2本目は、『私の兄さん』(監督:島津保次郎、松竹鎌田、1934年)である。サスペンス・ドラマのよう
な劈頭から、すったもんだした末に、一転してラヴ・ロマンスで締めくくるという急展開の物語である。一
説には、フランク・キャプラの『或る夜の出来事(It Happened One Night,1934)』の影響を受けているの
ではないかと指摘されている。小生は当該作品を観ていないので何とも言えないが、アカデミー賞主要5部
門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)で受賞とあるから、間違いなく傑作なのだろう。
 それでは、日本の「或る夜の出来事」はどう展開したのか、物語を確認しておこう……と思ったが、今日
は都合でこれ以上は書けないので、明日以降に持ち越そう。

                                                
 2020年2月6日(木)

 DVDで邦画の『となりの怪物くん』(監督:月川翔、映画「となりの怪物くん」製作委員会〔東宝=博報堂  
DYミュージック&ピクチャーズ=講談社=ジェイアール東日本企画=博報堂=ローソンHMVエンタテイメント=
ソニー・ミュージックエンタテインメント=GYAO=日本出版販売〕、2018年)を観た。元々はろびこ原作の
少女漫画の由。お約束通りの映画で、安心して観ていられた。ただし、怪物くんの登場シーンには度肝を抜
かれた。その「怪物くん」こと吉田春だが、まさに菅田将暉に打って付けの役だと思った。お相手の土屋太
鳳もはまり役で、キャスティングにおいてまずは成功している。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  月刊デザートで連載され、テレビアニメにもなった、ろびこ原作の青春ラブストーリーを菅田将暉
 &土屋太鳳主演で映画化。問題児で“怪物”の異名をもつ少年・春と、ガリ勉で友達もいなかった少
 女・雫が出会い、次第に恋心を募らせていく様が描かれる。2017年に大ヒットした『君の膵臓をたべ
 たい』の月川翔が監督を務める。

   〔あらすじ〕

  勉強第一で友達や恋人なんて邪魔だと思っている水谷雫(土屋太鳳)は、隣の席で不登校の問題児・
 吉田春(菅田将暉)の家に嫌々プリントを届けに行き、知り合う。春も友達がいなかったが、雫を初
 めての友達に認定し、勝手に好きだと告白してしまう。無関心だった雫はやがて春の本当の人柄に触
 れて心惹かれていき、彼らの周りには次第に個性豊かな仲間たちが集まってくる。

 他に、古川雄輝(吉田優山=春の兄)、山田裕貴(山口賢二=通称ヤマケン、春のライヴァル)、速水も
こみち(三沢満善=春の従兄)、池田イライザ(夏目あさ子=ゴルゴーザと綽名されている。春やしずくた
ちの友人で、満善に恋をしている)、浜辺美波(大島千づる=学級委員長、春のことが好き)、佐野岳(佐
々原宗平=ササヤン、春の小学校時代の同級生)、佐野史郎(吉田泰造=優山や春の父)、入山法子(二宮
冴子=担任の先生)、志賀廣太郎(男鹿俊夫=教師)、田口トモロヲ(水谷隆司=雫の父)、西田尚美(三
沢京子=満善の母)などが出演している。
 ラヴコメはいつ観ても楽しいが、現実はこんな風にはいかない。したがって、この手の物語は少女の夢を
育むのだけれども、「怪物くんはどこにもいないよ」と思わず言いたくなる。これは、オヤジの悪い癖か。

                                                 
 2020年2月5日(水)

 DVDで邦画の『アンダー・ユア・ベッド』(監督:安里麻里、「アンダー・ユア・ベッド」製作委員会〔ハ
ピネット=KADOKAWA〕、2019年)を観た。非日常的な物語に触れて、日常のありがたみを感じたいと思って
この作品を選択したが、たしかにこの悲しい物語よりも、自分の日常は確実にありがたいと思うことができ
た。救われない人生はどこにでも転がっているし、今でも苦しみの中で生きている人は星の数ほどいるだろ
う。この映画の主人公である青年は救われたのだろうか。殺人を犯してまで救われる人生などあってはいけ
ないと思うが、この青年はやはり救われたと思う。自分の名前を呼ばれることによって。
 安里監督の作品を鑑賞したのは、これが2本目である。これまで『呪怨 黒い少女』(監督:安里麻里、東
映ビデオ=CELL、2009年)を観ているが、女性監督らしい丁寧なつくりである。もっとも、それは褒めてい
るだけではなく、「よくもこんなイライラさせる映画を作ったものだ」という意味も含んでいる。妄想シー
ンと現実のシーンが錯綜するが、それも手の内か。荒唐無稽の物語だけに、瑕疵が散見できるが、それも愛
嬌というものだろう。連想した映画は『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(監督:田中登、日活、1976
年)だが、時代が現代だけに、より一層文明の利器(例えば、盗聴器やスタンガン)が躍動しており、面白
さを増す仕掛けになっている。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  『殺人鬼を飼う女』や『甘い鞭』など数々の映像化作品で知られる大石圭の同名小説を、高良健吾
 主演で映画化したサスペンス・ホラー。かつて自分に対して唯一、優しくしてくれた女性に対し、歪
 んだ思いを強くしていく男の行き過ぎた行動の行方が描かれる。主人公が思い続けるヒロインを演じ
 るのは『私は絶対許さない』の西川可奈子。

   〔あらすじ〕

  親からも学校のクラスメイトからも誰からも名前すら憶えられたことのない男・三井直人(高良健
 吾)。そんな彼にも唯一、幸せと思えるひと時があった。11年前、大学の講義中に“三井くん”と呼
 んでくれた佐々木千尋(西川可奈子)のことを思い出し、もう一度名前を呼ばれたい一心で、現在の
 彼女(浜崎千尋)の自宅を探し出し、近所に引っ越す。だが、目の前に現れた千尋に当時の眩しい面
 影はなかった。

 他に、安部賢一(浜崎健太郎=千尋の夫)、三宅悠冴(水島=観賞魚店azurにアロワナを買いに来た青年)、
三宅亮輔(千尋の学生時代の彼氏)、青木柚(三井直人の中学時代)、澤田真伍(同じく子ども時代)、山田
雄三、井関ひろ南、城内陽太、蛭田智道、吉原ちとせ、橋本久男などが出演している。
 「忘れられる側にいる人間」ということで、以下の詩を思い出した。

  鎮静剤(Le Calmant)         マリー・ローランサン(Marie Laurencin)

 退屈な女より
 もっと哀れなのは
 かなしい女です

 かなしい女より
 もっと哀れなのは
 不幸な女です

 不幸な女より
 もっと哀れなのは
 病気の女です

 病気の女より
 もっと哀れなのは
 捨てられた女です

 捨てられた女より
 もっと哀れなのは
 よるべない女です

 よるべない女より
 もっと哀れなのは
 追われた女です

 追われた女より
 もっと哀れなのは
 死んだ女です

 死んだ女より
 もっと哀れなのは
 忘れられた女です

                          〔堀口大學 訳〕

 小生としては、「別に忘れられてもいいじゃん」と思うのだが、「結構こだわる人もいるのだな」と思い
返す。人の記憶に残らない人生がほとんどなのだから、せいぜい生きているうちは何かで楽しめばいいだけ
の話ではある。こんなことを書くと、怒られるかもしれないけれど……。

                                  
 2020年2月3日(月)

 DVDで邦画の『今日も嫌がらせ弁当』(監督:塚本運平、「今日も嫌がらせ弁当」製作委員会〔関西テレビ
放送=ポニーキャニオン=博報堂DYミュージック&ピクチャーズ=ジャパン・ミュージックエンターテイン
メント=博報堂=サンライズプロモーション東京〕、2019年)を観た。八丈島を舞台にしたシングルマザー
の奮戦記である。非常にオーソドックスなつくりであるが、その完璧なまでの定型にむしろ感心した。思わ
ずもらい泣きした場面もあり、皮肉ではなくさわやかな映画だと思った。主演の篠原涼子の人間的な魅力に
初めて気づいたことも収穫である。なお、『のんちゃんのり弁』(監督:緒方明、「のんちゃんのり弁」製
作委員会〔木下工務店=キングレコード=中部日本放送〕、2009年)を連想したが、「弁当」の文字が入る
小生が鑑賞済みの映画は、検索してみると意外にもわずか1本しかなかった。それは、『喜劇・駅前弁当』
(監督:久松静児、東京映画=東宝、1961年)である。映画になりそうでなかなかならないテーマだからな
のか。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  嫌がる娘への毎日のキャラ弁作りをブログにつづり、エッセイ化されるやシリーズ累計20万部を突
 破した親子の物語を、篠原涼子主演で映画化。東京の八丈島を舞台に、反抗期の娘へのキャラ弁作り
 に勤しむシングルマザーと、完食することで抵抗を続ける娘との高校生活3年間の物語が描かれる。
 反抗期の娘を芳根京子が演じる。

   〔あらすじ〕

  夫の島次郎(岡田義徳)を亡くし、シングルマザーとして2人の娘を育ててきた持丸かおり(篠原
 涼子)。長女の若葉(松井玲奈)とは問題なくなかよしだが、15歳になった次女の双葉(芳根京子)
 は反抗期真っ盛りで口もきかなければ目も合わせない。そんな双葉にかおりは高校入学の日、「あな
 たが嫌がることをします」と宣言し、友達にもクールで知られる双葉に、嫌がらせのキャラ弁作りを
 始める。

 他に、佐藤寛太(山下達雄=双葉の幼馴染、八丈太鼓に打ち込んでいる)、村上知子(浩実=かおりの友
人のひとり)、佐藤隆太(岡野信介=シングルファザー)、鳥越壮真(岡野健太郎=信介の息子)、船木愛
理亜(若葉の幼少期)、落井実結子(双葉の幼少期)、森下愛里沙(保育園の先生)、段丈てつお(恵)、
鯉沼トキ(光江)、大久保運(栄子)、碓井玲菜(美怜)、牧野真鈴(椎名)、山本佳志(谷山先生)、羽
瀬川なぎ(紗耶香=達雄の彼女)、杉澤駿(カズくん)、小吹奈合緒(美紀ちゃん)、ひかり(保母さん)、
小磯勝弥(面接の係官)、安住啓太郎(面接官)、緒方若葉(看護師)、渡邊真帆(クラスメイトA)、本
多蘭(同じくB)、永井毬絵(同じくC)、スギちゃん(キャラ弁の声)、小島よしお(弁当キャラ)、日
本エレキテル連合(同)、ダンディ坂野(同)などが出演している。
 舞台は八丈島であるが、簡単なプロフィールを記しておこう。映画の中で紹介されている項目である。

  名称:東京都八丈町。
  人口:約7,500人。
  位置:東京から南に287キロ、飛行機で55分、船で10時間。
  形状:三原山と八丈富士のふたつの火山が合体してできた瓢箪型の島。縦14キロ、横7.5キロ、山の手線
     の内側とほぼ同じ。
  特徴:電車、コンビニ、大学はないけれど、大自然に囲まれており、ナズマド、ウスバハギ、アオウミ
     ガメなどが紹介される。
  人々:ふれあい牧場、八丈太鼓の人たち、漁業の人たち、樫立踊りの人たち、ロベ農園の人たちが紹介
     される。彼/女たちは、挨拶が大好きである。

 弁当と言えば、駅弁を連想し、旅行の楽しみのひとつであるが、手作り弁当も捨てがたい。自分でも作る
ことがあるが、何と言っても人に作ってもらったものは嬉しい。おいしければなおいいが、それほどでなく
ても感謝の気持が素直に湧いてくる。小生も母親にはずいぶん作ってもらった。鶏の唐揚、卵焼き、ソーセ
ージ炒め、煮豚、揚げ餃子、揚げ焼売、きんぴらごぼう、アスパラのベーコン巻き、焼き塩鮭などが定番だ
ったが、こう書いているだけで涙が滲んでくる。やはり、食いものは人間同士の絆を作る。「お袋、ありが
とう」と言いたくなった。
 今日は、You Tube でもう1本邦画を観た。『蟻の街のマリア』(監督:五所平之助、歌舞伎座映画=松
竹、1958年)である。実は、去年のクリスマスの日に観る予定を立てていたのだが、急遽用事ができて鑑賞  
することができなかった作品である。実在する人物である北原怜子(さとこ)を巡る物語で、原作は松居桃
樓である。独特の雰囲気を持った作品で、市井のキリスト者を描いている。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  隅田川畔のバタヤ集落(廃品回収業者の集落)に身を投じた、カトリック信者の一女性が胸を患い
 歿するまでを描いたもので、先頃芸術座の舞台で上演されたこともある実録である。原作は蟻の街の
 住人松居桃樓で、『炎上』の共同脚色者の一人長谷部慶次が脚色、『欲』の五所平之助が監督した。
 撮影は『浮世風呂』の竹野治夫。宝塚出身の新人・千之赫子がヒロインに抜擢された他、斎藤達雄・
 南原伸二・佐野周二・渡辺文雄らが出演する。

   〔あらすじ〕

  昭和二十五年、浅草の近く隅田川・言問橋のそばのバタヤ集落、蟻の街に一人の可愛いお嬢さんが
 訪れてきた。「何か私にすることない? 私何でもやるわ」……バタヤたちの好奇と不審な目が光っ
 た。彼女の名は北原怜子(千之赫子)。農学博士の父誠治(斎藤達雄)と優しい母幸枝(夏川静江)
 をもつ健康な家庭の娘で、マリアの洗礼名をもつカトリック信者だが、この不幸な人々の集団を知っ
 て救いの手を差しのべようとやってきたのだった。蟻の街には立派な自治組織ができていた。会長
 の大沢(佐野周二)を中心に、バクチ打ちの五三(多々良純)と彼の女房の利恵(水原真智子)、
 元大佐(永田靖)、オンリー上りのキティ(岩崎加根子)など、いずれも変った人間がよくまとまっ
 て将来に備え天引貯金さえしていた。これらの人々の結束を固め、指導しているのが先生と呼ばれる
 松木(南原伸二〔宏治〕)だったが、彼は飛込んできた怜子を利用し盛大なクリスマスを蟻の街で催
 し、毎朝新聞に取上げてもらおうと計画した。蟻の街は都庁から追立てを喰っていた。それをはねか
 えすにはジャーナリズムを先頭にした世論の同情が必要だったからだ。こうして怜子は、たとえ利用
 される小道具にもせよ、蟻の街の仲間入りができた。バタヤ集落を巡回しているゼノ神父(エドワー
 ド・キーン)とも知り合った。クリスマスは大盛況で先生の思い通りの成功をおさめた。怜子は集落
 の子どもたちに勉強を教えるようになった。夏休みになったころ、怜子は海へも山へも行けぬ子ども
 たちを箱根に連れて行ってやりたいと思い立ち、その資金集めにバタヤ車の梶棒を握った。彼女の真
 剣な姿を見て、今まで、お嬢さんの気まぐれと思っていた先生たちも、すっかり打たれた。箱根行き
 は実現し、やがて怜子、ゼノ神父、住民たちの協力で教会もできた。怜子のことを新聞で知ったとい
 うモンテンルパの死刑囚からの涙の手紙が、一層彼女に自信を与えた。怜子は、大人たちを説き伏せ、
 子どもたちの協力で、より不幸な人たちへの共同募金のために再び寒空をバタヤ車の梶棒を握った。
 ところが、過労は、間もなく彼女の胸を蝕んでいった。

 他に、桜むつ子(大沢の妻浪江)、三井弘次(岩さん=前科十六犯)、須賀不二夫〔不二男〕(ぐち安=
五三のバクチ相手)、中村是好(西行)、星ひかる(赤寅)、浜村純(ピカソ)、飯田蝶子(河津婆=日蓮
宗信者)、丸山〔美輪〕明宏(ジャン=河津婆の息子)、山岡久乃(常子)、和歌浦糸子(夏江)、ビル・
ロス(若い神父)、草香田鶴子(よし=北原家の女中)、渡辺文雄(木崎=毎朝新聞記者)、浮田左武郎(同
じくデスク)、和田文夫(中東新聞記者)、島田屯(木村=都庁の役人)、坂本武(同)、松本克平(都庁
の部長)、吉川満子(蟻の街の住人)、井上昭文(坂本=同)、陶隆(刑事)などが出演している。
 雰囲気としては『どですかでん』(監督:黒澤明、四騎の会、1970年)に似ているが、においが違う気が
する。むしろ、『にあんちゃん』(監督:今村昌平、日活、1959年)の方が近いか。
 詳細に「蟻の街」を説明している文章が<ウィキペディア>にあるので、それを以下に引用しよう。

  蟻の街(ありのまち)とは、1950年(昭和25年)1月頃、現在の隅田公園(東京都墨田区)の一角
 で、言問橋(ことといばし)のそばにあった廃品仕切場および「蟻の会」という労働者の生活協同体
 があった一帯を指す。マスコミ報道によって付けられた呼び名である。文献によってはアリの街、ア
 リの町とも書く。1960年に東京都の代替地斡旋により、東京都江東区深川8号埋立地(現在の潮見)
 に移転した。

  〔成り立ち〕

   仕切り場とバタヤ

  旧「蟻の街」があった一角の初期は、同胞援護会が管理していた製材工場跡と約600坪の土地を元ヤ
 クザの小澤求が同会より借り受け、廃品の仕切り場とするためだった。仕事のない人々を日雇いで雇
 いあげ、ガラスくず、鉄・銅くず、縄くず、紙くず等を拾い集めて回収させ、再生工場へ送る事業を
 行った。当時はこのような業務を行う労働者を「バタヤ」と呼んだ。収集して来た物品の買い取り価
 格が低いため、バタヤの生活は貧しく苦しかった。小澤は自前の仕切り場を開設し、バタヤたちに適
 切な報酬を支払うことを目指した。小澤の仕切り場での報酬は出来高払いで、仕切り場の労働者とそ
 の家族たちを居住させ、仕切り場はいわば生活共同体となった。当時はバタヤたちが公共の土地に無
 許可で集落を形成する「バタヤ集落」が点在し、小澤の仕切り場もその一つと見なされていた。

   蟻の会

  小澤が仕切るこの一角では、廃品回収の報酬等に関するトラブルや、地元ヤクザ等と争いが多発し、
 東京都などの行政は、隅田公園から蟻の街を撤去させるための手段を模索していた。
  小澤は自分の仕切る一角で起こるトラブルについて、法的手段で解決しようと考え、同胞援護会が
 関係する法律事務所に相談した。この事務長が、当時その法律事務所でアルバイトをしながら著作や
 脚本などを手掛けており、後に『蟻の町のマリア』を執筆することになる松居桃楼だった。松居は、
 行政や世間の無理解と闘い理想郷を作ろうという小澤の考えに賛同し、自分も法律事務所を辞め、蟻
 の街に住みながら小澤の相談役に専念することにした。松居は当時40歳になったところだった。
  この二人によって蟻の会は結成され、初代会長として小澤が就任した。

   蟻の会理念と戦略

  蟻の町の課題として、戦後の混乱期に東京都の土地を保持していたため、強制立ち退きをされるリ
 スクがあった。そのため、松井は孤児救済者として知られた修道士であるゼノ・ゼブロフスキーと蟻
 の町の奉仕に尽力していた北原怜子に協力を依頼し、クリスマスの開催と翌年の聖堂建築を行った。

  〔ゼノ修道士と蟻の街の教会〕

   新聞記事

  実は、この件が終わった直後、松居は自分がこのことを言ったことすら忘れてしまったが、この記
 事と話はさまざまな人々を大きく動かし、係わった人々や蟻の街、東京のカトリック教会にまで影響
 を与えた。 ゼノ修道士はこの新聞記事が掲載された後日に東京都の担当者が訪れ、蟻の街がある土地
 はもともと東京都の土地であり、教会を勝手に建造されては困ると注意を受けた。ゼノは当時「ゼノ
 神父」と報道されていたが、もともと一介の修道士に過ぎないゼノは、教会を設立できる権限を持っ
 ていない。東京都の担当者は事情を把握していなかった。
  ゼノと問答を繰り返すうち、担当者は「あの地区で子供博覧会が開催される予定である。だから教
 会を建てられるとその子供博覧会が開催できない。」という理由でゼノを説得したが、その話が途中
 から「子供博覧会が終了する翌年5月以降であれば教会を設立してもよい」ということになってしま
 った。ゼノはこのことを担当者に確認させ、押印つきの念書を書かせた。この押印つきの念書はゼノ
 から小澤に渡り、小澤はこの念書を大事に保管していた。

   北原怜子と子供たち

  北原怜子の活動は、松居桃楼のマスコミへの働きかけで「蟻の街のマリア」として新聞・雑誌に記
 事として取り上げられるようになる。肺結核を病んでいた北原は、病身にもかかわらず蟻の街の子供
 たちのために奉仕した。松居の説得で、一度は療養のために蟻の街を去ったが、余命が短いと医師に
 判断された後は、蟻の街に移り住んで療養を続け、蟻の街の住民として死んだ。

   教会の建設

  蟻の街の子供たちを世話する北原怜子の姿に感動した小澤は、子供たちの勉強部屋を確保するため
 に2階建て家屋を蟻の街に建設する。これは、東京都の隅田公園管理者により取り壊し命令を受ける
 が、小澤は、ゼノ修道士が以前に東京都の担当者から教会建設を許可する念書を預ったことを思い出
 す。この2階建て家屋の屋上には大きな十字架を立て、1951年5月13日に「蟻の街の教会」が完成す
 る。3年後の1954年8月29日には、東京大司教により許しを得てカトリック浅草教会の司祭が来てミサ
 が執り行われる。松居がマスコミ相手にその場の思い付きで口にしたカトリック教会の建設だったが、
 この教会設立が実現することを信じていたのがゼノ修道士であった。
  その後、ゼノや北原に影響を受けた小澤を始めとする十数名の蟻の街住民がカトリック教会の洗礼
 を受けることになった。その中には、当初、カトリック関係者に不信感を持っていた松居もいた。小
 澤の洗礼名はゼノ、松居の洗礼名はヨゼフである。

  〔移転〕

   東京都の移転要求

  東京都は蟻の街を隅田公園から撤去するよう様々な方策を取ってきたが、それはどれも間接的なも
 のであった。この地は、同胞援護会が借り受けて建てた製材工場跡を小澤が同会から正式に借地して
 いるものであり、他のバタヤ部落と違って不法占拠しているものではなかった。しかしながら、東京
 都側は蟻の街も隅田公園を占拠するバタヤ部落として捉えていた。
  蟻の街が成り立ってから5年後に、東京都が代替地を斡旋するから移転するよう移転要求をした。
 もともと不法占拠ではない蟻の街は、代替地無償提供を求めることができる立場ではあった。しかし、
 浅草一帯に思い入れがあった小澤は隅田公園をもとの姿に戻したいと以前から希望しており、数年後
 に移転する計画を持っていた。ただし蟻の街への流入者数が日増しに伸びて行き、適当な移転先がな
 かなか見つからない状況が続いていたのであった。
  そのため、小澤は東京都のこの代替地斡旋による立ち退き要求に同意した。ところが、この移転同
 意の段階では代替地が決定していなかった。蟻の街の立ち退きのみが決定しており、ある意味では単
 なる蟻の街の焼き払い計画である可能性があった。

   移転地決定まで

  東京都が蟻の街の立ち退きに関する準備を進める中、代替地をなかなか提示しないことにしびれを
 切らした松居桃樓は、この代替地斡旋の条件による立ち退きを要求して来た東京都の部長のもとに赴
 き、直談判をした。この時、松居は北原に彼女が愛用しているロザリオをお守り代わりに託されてい
 た。松居は担当部長に北原が託したロザリオと、彼女の著書『アリの町のこどもたち』をその机の上
 に置き、北原の命をかけた活動、蟻の街が東京都に果たす役割、その経済効果を熱弁した。北原の著
 書はそのまま部長の机に残してきた。
  後日、その担当部長は北原の著書を手に蟻の街を訪問した。彼は応対に出た松居より北原の著作が
 全て実話だと聞かされ、北原が子供たちの歌声に合わせて伴奏するオルガンの音を耳にし、「今回の
 換地問題は大変難しい。しかしこの件に関しては、自分は立派な役人であると同時にりっぱな人間で
 ありたい」と回答した。

   代替地決定と資金問題

  その後に東京都が斡旋を提示して来た代替地は、東京湾の埋立地の一部である「8号埋立地」の約
 5,000坪であった。ただし、その敷地代2,500万円を即金で支払うことが条件となっており、これは蟻
 の会としては難しい条件であった。蟻の会は移転地に建設する建物やその他の予備経費を換算した場
 合、敷地代として支払い可能な金額は1,500万円、それも5年間での分割支払いにしなければならな
 かった。この交渉は難航し、蟻の会は難しい局面に立たされた。
  数ヶ月後に東京都の担当者に呼び出しがあり、代表者代理として松居が都庁に赴いた。その時の担
 当者が再提示した条件は、「敷地代1,500万円で5年間分割」と言う蟻の会の要求を全面的にのんだも
 のであった。この時、担当係官の机の上には、北原の著書『アリの町のこどもたち』が置いてあった。
  この日は1958年(昭和33年)1月20日で、蟻の会設立のちょうど8年目の日だった。なお、3日後の
 1月23日に北原が死去した。

   新・蟻の街

  1960年(昭和35年)6月4日に蟻の街は隅田公園一角より東京都江東区深川8号埋立地へ移転した。敷
 地面積は16,000?uで、旧蟻の街の10倍であった。新蟻の街では、バタ車と呼ばれた手押し車や重労働
 であった梱包作業は姿を消し、トラックとベルトコンベヤによる全自動装置によるものに変わった。
 公衆浴場、児童公園、保育室などの福利厚生施設も建設されるなど、恵まれた社会環境が整備された。
 蟻の街教会はカトリック枝川教会となって小教区に認められ、現在はカトリック潮見教会と名称を変
 更している。

   その後

  廃品回収は廃品を入手できなくては成り立たない。移転した8号埋立地界隈は人口の多い市街地か
 ら距離があり、実際の業務には不向きであった。また、やがて高度経済成長の流れの中で他の活計を
 見出すなど、新・蟻の街も徐々にその構成人員を減少させていった。8号埋立地は潮見と名を変え京
 葉線の駅もできマンションが林立するなど風景も様変わりした。往時からこの地に残ったのはコンク
 リート造に姿を変えた教会と、その南側に建つ「蟻の会事務所」のみであった。また当時バラック屋
 根に設置された十字架が教会で保存されている。
  事務所はその原点、貧しい人たちのために「難民のための一時宿泊所」へ転用する計画がある。

 以上である。もちろん、小生も「バタヤ」という言葉を耳にしたことがあり、「クズヤ」という呼び名も
使われていたと思う。昭和30年代前半は日本全体が貧しく、物資も不足していた時代である。したがって、
よほど使い物にならなくなったもの以外はすべて大事されていたと思う。現代と比べれば、文字通り隔世の
感がある。
 社会奉仕者としての位置付けを持つ北原怜子については、まったく知らなかった。今回の作品で初めて知
ったのであるが、こういう人は得てして夭折する。あるいは、自分の寿命を薄々感じており、そのおかげで
大胆に身を投げ出すことを可能にするのかもしれない。イエスを信じていればこその話である。

                                                 
 2020年2月2日(日)

 月が替わった。「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という言葉があるが、一月は往ってしまった。もはや
還ることはできない。時間の無常というか非情というか、この感覚が溜まらない。取り返しがつかないから
こそ、貴重なのである。せいぜい、2月も思い切りクールにやり過ごしたいものである。
 ところで、本年1月30日(木)の5限目の講義「比較思想論 II」をもって小生の現役教員生活最後の講義
としたが、そこで配布した「番外資料」を以下に公開してみよう。文字通り「贅言」だが、小生としてはい
ろいろな意味を籠めたつもりである。


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  比較思想論 II・番外資料            武藤整司

                                   2020年1月30日(木)

  講義贅言

 〇 この「贅言」という言葉は、永井荷風作『ぼく(さんずいに墨)東綺譚』から借りてきたものです。あ
  りていに言えば、「余計な言葉」という意味ですが、この作品における「贅言」は、余計どころか本作
  よりも興味深くさえあります。詳細は作品そのものに譲りますが、もし関心を持たれたならば、是非お
  読みいただきたいと思います。
 〇 ところで、なぜ永井荷風に言及したのかと言えば、夏目漱石とともに、日露戦争の勝利に浮かれる国
  民に、冷水を浴びせているからです。漱石の作品である『三四郎』と併せて読めば、小生の言いたいこ
  とが分かるでしょう。
 〇 小生は幼稚園児だったとき以来、教師と呼ばれる人々にずいぶんと可愛がられてきました。「お前は、
  本校始まって以来の問題児だ」と言われたこともあります(母親からの伝聞)。「この生活習慣という
  項目にCがつく児童に初めて遭遇した」と言われて、「やった!」と叫んだこともあります。つまり、
  意に染まないことには同意しないことを信条にしてきたのです。したがって、「つべこべ言うな。黙っ
  て言うことを聞け」といった類の問答無用の恫喝に対しては、断固拒否の姿勢をとってきたのです。も
  っとも、暴力には弱いので、泣く泣く従ったふりをしたこともあります。後年、「面従腹背」という言
  葉を知って、納得がいきました。仮に膝を折ったとしても、こころまで折らなければよいのだと思い直
  したのです。
 〇 小生はあらゆる事柄に亙って「我」を通したい性分であることを認めますが、相手の主張に耳を傾ける
  労をとることにやぶさかではありません。つまり、小生自身が話し合いの中で納得さえすれば、相手の
  考えを取り入れることに躊躇しません。その方がお互いのためだからです。
 〇 ここで、J.S.Millの『自由論(On Liberty)』から、三つの言葉を取り出したいと思います。それは
  以下の言葉です。一つ目は、《tyranny of majority》です。「多数者の暴虐」という訳を与えておきま
  しょう。二つ目は、《nonconformity》です。「同調しないこと」という意味です。三つ目は、《inferior
  imitation》です。「より劣った模倣」と訳しましょう。これらの言葉は、小生をとても鼓舞してくれま
  した。出遭った当時、「ミルよ、ありがとう。だいぶ救われたよ」と呟きたくなったものです。
 〇 さて、忖度、空気を読む、KY、和を以て貴しとなす、同調圧力、絆(きずな/ほだし)…… いずれも
  使い方を誤ると、人々のこころを歪ませることにもなりかねない代物です。
 〇 小生は、「四割理論」というまったく人々に認知されていない理論を信じています。つまり、日本人と
  いう人種は、ある考えの支持者が三割のうちは傍観者を決め込んでいるのですが、支持者が増えて四割
  を超えると直ちにそちらの方に傾き、いつの間にか七割近くの支持者集団に膨れ上がっているという理
  論です。
 〇 「右顧左眄」という言葉があります。若いときは、いろいろな思想にかぶれてはたちまち冷めて、あち
  らこちらに彷徨うことが常態でしょう。しかしながら、いつかはベース・キャンプに落ち着く必要があ
  ります。
 〇 そのベース・キャンプを見つけるところとして、大学は恰好の機関です。大いに迷い、大いに悩んで、
  自らの拠り所(ベース・キャンプ)を見つけてください。
 〇 ベネディクトの指摘がすべて正しいとは限りませんが、われわれ日本人を見ている視線は鋭いと思い
  ます。批判を回避するのではなく、真正面から受け止めて、修正すべきは修正して、厚い壁を破りまし
  ょう。

   註:当該講義のテキストとして、ルース・ベネディクト 著、長谷川松治 訳、『菊と刀 日本文化の
     型』(講談社学術文庫、2005年)を用いた。

 〇 若者にはその力があります。是非自らを信じて、日本を覆う深い闇を切り開いてください。

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 以上である。「28年もの間、小生の拙い講義を聴講していただいた受講生には、感謝の気持で一杯である」
と、とりあえずは書いておこう(笑)。

                                                  
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