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日日是労働セレクト167
驢鳴犬吠1912
無印良品映画の頁(2)
日日是労働セレクト166
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第166弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト166」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 You Tube で邦画の『ろくでなし』(監督:吉田喜重、松竹大船、1960年)を観た。期待通りの作品で、60  
年安保闘争時代の雰囲気を十分に味わうことができた。吉田監督の作品は、以下のように18本観ているが、
難解な彼の作品の中では、ずいぶん分り易い筋書である。

  『ろくでなし』、監督:吉田喜重、松竹大船、1960年。  
  『血は渇いてる』、監督:吉田喜重、松竹大船、1960年。
  『甘い夜の果て』、監督:吉田喜重、松竹大船、1961年。
  『秋津温泉』、監督:吉田喜重、松竹大船、1962年。
  『嵐を呼ぶ十八人』、監督:吉田喜重、松竹京都、1963年。
  『日本脱出』、監督:吉田喜重、松竹大船、1964年。
  『水で書かれた物語』、監督:吉田喜重、中日映画社=現代映画社、1965年。
  『情炎』、監督:吉田喜重、現代映画社、1967年。
  『炎と女』、監督:吉田喜重、現代映画社、1967年。
  『さらば夏の光』、監督:吉田喜重、現代映画社、1968年。
  『樹氷のよろめき』、監督:吉田喜重、現代映画社、1968年。
  『エロス+虐殺<ロング・バージョン>』、監督:吉田喜重、現代映画社、1969年。
  『煉獄エロイカ』、監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1970年。
  『告白的女優論』、監督:吉田喜重、現代映画社、1971年。
  『戒厳令』、監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1973年。
  『人間の約束』、監督:吉田喜重、西部セゾングループ=テレビ朝日=キネマ東京、1986年。
  『嵐が丘』、監督:吉田喜重、セゾングループ、1988年。
  『鏡の女たち』、監督:吉田喜重、グループコーポレーション=現代映画社=ルートピクチャーズ=
   グループキネマ東京、2002年。

 上記の作品の中で、最も印象深い作品は『人間の約束』であるが、この作品もデビュー作ということを考
えると、なかなかの出来だと思う。たしかに、『勝手にしやがれ(A bout de souffle, 1959)』〔A には
アクサン・グラーヴが付く〕(監督:ジャン・リュック・ゴダール〔Jean-Luc Godard〕、仏、1960年)との  
類似は否めないが、当時の青年の虚無をお洒落に描いていると思う。さすが、松竹ヌーヴェル・ヴァークの
三羽烏(彼に加えて、大島渚と篠田正浩)の一翼を担っている監督である。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部  
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  新人・吉田喜重が自らの脚本を監督したもので、四人の大学生と一女性をめぐる青春のドラマ。吉
 田監督は昭和八年生れ、東大仏文科を卒業後松竹に入社、主として木下恵介監督の助監督を勤めた。
 撮影は成島東一郎。

   〔あらすじ〕

  初夏のオフィス街を、大学生の秋山俊夫(川津祐介)は高級乗用車を走らせていた。同乗している
 北島淳(津川雅彦)、森下(山下洵一郎)、藤枝(林洋介)もみな大学四年生だ。彼らは銀行帰りの
 牧野郁子(高千ひづる)の前に車を止めた。彼女は俊夫の父秋山物産社長・秋山謙作(三島雅夫)の
 秘書である。郁子を無理に乗せ、淳と森下は金を奪った。俊夫はやがて「遊びもこれまでだ」と金を
 返すよう命令した。郁子は「大学までいっててロクデナシね」と言い捨てて降りた。ブルジョワ息子
 の俊夫と藤枝は盗むことに快感を得、森下はその金に誘惑を感じ、淳はなんの興味もなかった。数日
 後の夕刻、郁子は同僚の篠原宏二(渡辺文雄)から映画に誘われ困惑していた。待っていた淳は、篠
 原を無視して強引にパーティに誘った。会場に行くと、大きな拍手が起こった。俊夫たちが郁子を帰
 国したばかりの新進シャンソン歌手にデッチあげていたのだ。俊夫たちは立往生している郁子を見て
 喜んだ。ピアノが演奏し始めた時、淳が電気のスイッチを切った。車で待っていた。翌日、淳は森下
 らにパーティの損害弁償を迫られた。淳が払わないというと、学生たちは郁子に電話して払うことを
 約束させた。乱闘となった。俊夫が金を払っておさまった。郁子が来て金を置いて去った。数日後、
 淳は郁子に金を返した。彼らは、葉山の海岸で最後の夏休みを送っていた。郁子は、アルバイトを探
 すために東京に帰る淳と一緒になった。郁子は秋山物産のアルバイトを世話すると約束し、家に誘っ
 た。彼女の部屋で、淳は郁子をベッドの上に押し倒した。数日後、帰りに郁子が待っていた。淳は俊
 夫の車に乗って去った。淳は郁子に束縛されるのがいやで、アルバイトをやめた。アパートに訪れた
 郁子に、あの夜のことは遊びにすぎず、二人は無関係だと言った。藤枝がアメリカへ行くことになっ
 た。俊夫が仲間が欠けるなら解散しようと言い出した。森下は、最後の馬鹿でかい遊びをしてからに
 しようと、郁子の銀行帰りを狙って金を奪うと言った。俊夫に拳銃を借りた。車の中で郁子を待つ森
 下は緊張し、淳は無表情にハンドルを握っていた。森下が郁子の鞄を奪った。淳が森下に飛びかかっ
 た。森下の拳銃が火を吐いた。淳は重傷に耐え、車で森下をひき倒した。淳は郁子に鞄を渡した。郁
 子は中から白い紙片を取り出した。お金は入っていなかった。淳の「あれは遊びだったんだよ」と呟
 く声は次第に聞こえなくなった。

 他に、安井昌二(信一=郁子の兄)、千之赫子(信一の妻)、佐藤慶(拳銃と弾丸を俊夫に売った男)、
榊ひろみ(洋子)、若葉慶子(みどり)、土紀洋児(重役A)、末永功(同じくB)、佐々木功(歌手)な
どが出演している。
 吉田監督の長編映画としては、あと2本未見だが、機会があれば観てみたい。『女のみづうみ(1966年)』
と『BIG-1物語 王貞治(1977年)』である。なお、吉田監督以外の監督作品では、『処刑の部屋』(監督:
市川崑、大映東京、1956年)を連想した。虚無的な若者の生態をストレートに描いているからである。


 某月某日

 昨日も少し触れたが、DVDで邦画の『日蓮と蒙古大襲来』(監督:渡辺邦男、大映京都、1958年)を観たの
で、以下で感想を記そう。
 一般に「鎌倉新仏教」と称される六宗について簡単にまとめてみよう(ウィキペディアを参照)。
  
 宗派   開祖  教義      教理の特色        主要著書     支持層    中心寺

 浄土宗  法然  絶対他力  難しい教義を知ることも、 『選択本願念仏集』  京都周辺の  知恩院
          専修念仏  苦しい修行も、造寺・造  『一枚起請文』    公家、武士、
                塔・造仏も必要ない。た             庶民
                だひたすらに「南無阿弥
                陀仏」を唱えることが大
                切だと説く。

 浄土真宗 親鸞  一向専修  師である法然の教えを継  『教行信証』     地方武士や  東本願
 (真宗・一向宗) 一念発起  承、展開、深化させる。  『歎異抄』(唯円)  農民、とく  寺・西
          悪人正機  一念発起(一度信心をお             に下層民   本願寺
                こして念仏を唱えれば、
                ただちに往生が決定する)
                や悪人正機説を説く。

 時宗   一遍  全国遊行  賦算(念仏を記した札を  『一遍上人語録』   全国の武士・ 清浄光
(遊行宗)   (賦算、踊念仏)配り、受けとった者を往             農民     寺
                生させる)→男女の区別
                や浄・不浄、信心の有無
                さえ問わず、万人は念仏
                を唱えれば救われると説
                く。

 法華宗  日蓮  題目唱和  法華経こそが唯一の釈迦  『立正安国論』    下級武士、  久遠寺
(日蓮宗)     法華経主義 の教えであり、その他の  『開目抄』      商工業者   中山法
          四箇格言  経典は未完成もしくは誤                    華経寺
                りの法であるとして、題
                目(「南無妙法蓮華経」)
                唱和により救われると説
                く。辻説法で布教した。
                末法無戒を主張し、それ
                を実践したため、日本仏
                教における破戒を助長し
                た。

 臨済宗  栄西  坐禅    坐禅を組みながら、師の  『興禅護国論』   公家、京・   建仁寺
          公案    与える問題を1つ1つ解            鎌倉の上級   建長寺
                決しながら(公案問答)、           武士、地方
                悟りに到達すると説く。            有力武士
                政治に通じ、幕府の保護
                と統制を受ける。

 曹洞宗  道元  出家    ただひたすら坐禅を組む  『正法眼蔵』    地方の中小   永平寺
          第一主義  こと(只管打坐)で悟り  『正法眼蔵随聞記』 武士・農民
          修証一等  にいたることを主眼とし、 (懐奘)
          只管打坐  世俗に交わらずに厳しい
                修行をおこない、政治権
                力に接近しないことを説
                く。

 仏教において、鎌倉時代は群雄割拠の時代であり、それぞれの宗派の特色を競っていたと言えるだろう。
そんな時代にあって、とりわけ日蓮は異彩を放っていた。その日蓮を描こうというのだから、大変な試みで
あったと推測される。ところどころで、文字による説明が入るので、それを写し取ろう。

  十三世紀 わが鎌倉時代
  文永 弘安の両度にわたる
  元寇 即ち蒙古の襲来は
  日本独立が壊滅に瀕した
  空前最大の危機であった

  加うるに国内では
  天変地異 相次ぎ
  政治は混乱し腐敗し
  宗教は安逸を貪り
  庶民は救いのない生活
  に苦しんだ

  時に
  熱烈な愛国の先覚者
  日蓮の立正安国論は
  日本の惰眠を醒ます
  一大警鐘となった

  この映画は
  日蓮の救国救民の熱情と
  未曾有の国難を中心に
  歴史の事実から飛躍して
  自由に創作した物語である。

  十七年の間
  只一筋に仏の道を求め
  叡山を中心に日本全土を
  あまねく遍歴した蓮長が
  生地安房国清澄寺に
  立教開宗を志す
  禅定に入って七日目

  吾れ 今日より
  日本の柱とならん
  日本の眼目とならん
  日本の大船とならん
  (建長五年四月二十八日)

  時を同じうして
  アジア大陸の一角に起った
  遊牧の民 蒙古族は
  世界制覇の野望に燃え
  太祖 成吉思汗より
  その孫、忽必烈に至る間

  全アジアを忽ち席捲し
  遠くヨーロッパに侵入
  北は北氷洋、南は紅海
  西はボルガ河に達する
  空前の大帝国を形成し
  国号を「元」と称した

  蒙古軍の過ぎるところ
  人は死し、街は消え
  生きるものの影
  絶えて無しと言われた
  しかるに、その馬蹄の
  未だ及ばざるところ

  かくて、数年の後 ──
  果せるかな
  日蓮の予言の如く
  異国侵略の前兆は現れた

  時に、文永五年
  ここ、越前国
  博多

  鎌倉幕府に於いては
  北條時宗執権職に就き
  未だ日も浅き折から
  ここにも日蓮の予言の如く
  肉親相争う悲劇が突発した

  この事件が片付いて
  十数日後

  文永十一年
  日蓮の警告し続けた
  異国の侵略は、遂に
  事実となった
  蒙古十万の軍船
  日本に迫る

  勝ち誇る
  十万の蒙古軍船
  舳艪(じくろ)相ふくんで
  博多海岸へ ──
  
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  日蓮上人と蒙古襲来の物語を、歴史の事実から飛躍して自由に創作したスペクタクルもの。渡辺邦
 男と八尋不二の共同脚本を『おこんの初恋 花嫁七変化』の渡辺邦男か監督、『忠臣蔵(1958年)』
 の渡辺孝が撮影した。『花の遊侠伝』の長谷川一夫を筆頭に、『炎上』の市川雷蔵、『花の遊侠伝』
 の勝新太郎、梅若正二・淡島千景・叶順子らのオールスターキャスト。

   〔あらすじ〕

  十幾年の求道の遍歴を終えた蓮長〔開宗して、日蓮〕(長谷川一夫)は「吾れ今日より日本の柱と
 ならん」と、故郷安房の土を踏み、清澄寺に集った人々の前で開宗第一声を放った。現在の仏法はす
 べて邪法だ、法華経以外に真の平和は得られぬと説く彼の言葉は、人々の期待を裏切り、追放される
 身となった。しかし彼の両親は改めて説かれ最初の法弟子となった。力を得た蓮長は名を日蓮と改め、
 救国救民の首途についた。鎌倉に庵を結んだ日蓮は、弟子日昭〔成弁〕(黒川弥太郎)を得、連日、
 南無妙法蓮華経の旗を掲げ辻説法をつづけた。他宗信者の迫害もあったが、国を愛する彼の信念は強
 く、帰依者も増えた。日蓮は数々の予言を含め為政者の反省を求める『立正安国論』を幕府に提出し
 た。ところが、日蓮を憎む幕府の重臣極楽寺入道重時(永田靖)らによって草庵を焼討ちされた。日
 蓮は新弟子日朗(草山英明/林成年)と難を避け身を隠したが、そのころ起った大地震で鎌倉が崩壊
 するや、隠れ家を出て難民救済に当ったため幕吏に発見され、伊豆へ流罪となった。しかし日蓮の救
 国に捧げる真摯な態度は若き執権補佐〔連署〕北條時宗(市川雷蔵)に聞え、時宗は日蓮の流罪を解
 いた。かくて数年、日蓮の予言が事実となって現れ始めた。九州博多には世界を席捲した蒙古からの
 使者(羅門光三郎)が到着した。時宗は蒙古の世界制覇の野望を見破り、使者を追放した。一方日蓮
 も蒙古船の訪れこそ国難の前兆と、各方面に警告の書状を発し時宗に面会を求めた。が、日蓮を敵視
 する時宗の母・尼御前(村瀬幸子)や執事の平頼綱(河津清三郎)のため国を乱す狂僧として捕えら
 れ、竜の口で処刑されることになった。刑場へ行く途中、日蓮の祈りで雷鳴が起り、再び難を免れた
 が、今度は佐渡へ流刑となった。やがて、日蓮が警告しつづけた異国侵略は事実となり、文久十一年
 夏、蒙古十万の軍船が来寇、壱岐、対馬を血祭にあげるや直ちに博多湾に迫った。時宗は鎌倉武士の
 出陣を命ずるとともに偉大なる予言者日蓮を、丁重に鎌倉へ迎えた。時宗は日蓮を伴い博多へ出陣し
 た。ところが、数をたのむ蒙古軍は意外に強く、箱崎、博多が焼き払われた。日蓮は博多の一角で敵
 国降伏を祈りつづけた。すでに三割の軍勢を失った日本軍は遂に翌日の決戦を迎えることになった。
 ところが、その夜、突如として起った暴風雨は、蒙古の軍船を木の葉の如く奔弄、全艦隊を博多湾海
 底深く葬り去った。夜を徹して祈りつづけた日蓮の前には日輪が厳かに昇りつつあった。

 他に、中村鴈治郎(道善=清澄寺住職)、千田是也(重忠=日蓮の父、法名は妙日)、東山千栄子(梅菊=
日蓮の母、法名は妙蓮)、勝新太郎(四条金吾)、梅若正二(比企小次郎)、淡島千景(吉野=白拍子)、
叶順子(萩江=金吾の妹)、見明凡太朗(四条兵衛=金吾・萩江の父)、石黒達也(比企大学=侍読学士、
小次郎の父)、田崎潤(依智の三郎=頼綱の家人)、志村喬(弥三郎=日蓮を助けた漁師)、浦辺粂子(弥
三郎の女房)、荒木忍(良寛)、左卜全(老武士)、沢村宗之助(東条景信=安房の地頭)、千葉敏郎(平
景信=代官)、島田竜三(河野通有)、舟木洋一(浄観=道善の弟子)、原聖四郎(浄顕=同)、花布辰男
(八郎左衛門=伊豆の地頭)、天野一郎(町人)、上田寛(道慧=通訳)、石原須磨男(村人)、伊達三郎
(竹崎季長)、香川良介(北條実政=九州探題)、杉山昌三九(少弐資能=筑前の守護)、松本克平(宿谷
入道則光=問注所奉行)、大美輝子(新潟の女)、浜世津子(白拍子)、若杉曜子(長屋の女)、春風すみ
れ(尼御前の侍女)、橘公子(逃げてくる女)、葛木香一、東良之助、南部彰三、光岡竜三郎、尾上栄五郎、
南條新太郎、市川勤也、志摩靖彦、水原浩一、寺島雄三、五代千太郎、横山文彦、藤川準、玉置一恵、堀北
幸夫、春日渚、桜井勇、芝田総二、岩田正、神田耕二、福井隆次、菊野昌代志、三浦志郎。長谷川茂、武田
徳倫、仲上小夜子、滝のぼる、国枝勢津子、堀さわ子、三星富美子、宮田暁美、種井信子、和田良子、小柳
圭子、小林加奈枝、緑美千代、金剛麗子などが出演している。
 勝新太郎や市川雷蔵がまだ若く、長谷川一夫の偉丈夫には遠く及ばないが、それでも持ち味は出していた
と思う。日昭役の黒川弥太郎もはまり役で、日蓮に仕える感じがさもありなんに見えた。その他、当時の大
映俳優陣が総出演といった趣で、志村喬や中村鴈治郎などの大物も顔を出しているので、その点でもとても
楽しめた。特撮も悪くなく、永田大映の面目躍如といったところだろう。


 某月某日

 DVDで邦画の『日蓮と蒙古大襲来』(監督:渡辺邦男、大映京都、1958年)を観た。当時としては「一大ス  
ペクタクル映画」と呼べる出来であった。日蓮を演じた長谷川一夫の貫録も見ものであった。今日はもう遅  
いので、感想は明日以降に綴ることにしよう。ただし、同じ日蓮を描いた鑑賞済み映画があるので、その感
想文を以下に引用しておこう(「日日是労働セレクト131」、参照)。


 ************************************************

 某月某日

 DVDで新旧2本の時代劇を観たので報告しよう。両者はおよそ傾向の異なる映画で、それなりによく出来た
作品だった。
 1本目は、『日蓮』(監督:中村登、永田雅一プロダクション、1979年)である。仏教者の生涯を描いた
邦画としては、親鸞を描いた『親鸞・白い道』(監督:三國連太郎、松竹=日映=キネマ東京、1987年)や、
道元を描いた『禅 ZEN』(監督:高橋伴明、「禅 ZEN」製作委員会〔道元禅師の映画を一緒につくる会=ア
ミューズソフトエンタテインメント=ツインズ ジャパン=トータル=誉=日本プライベート証券〕、2009
年)を観ている。他に、空海を描いた『空海』(監督:佐藤純爾、東映=全真言宗青年連盟映画製作本部、
1984年)、一遍を描いた『一遍上人』(監督:秋原北胤、配給:カエルカフェ、2012年)、蓮如を描いたア
ニメーション映画の『なぜ生きる -蓮如上人と吉崎炎上-』(監督:大庭秀昭、「なぜ生きる」製作委員会、
2016年)などがあるが、小生はいずれも未見である。機会があればすべて観てみたい。
 伝記映画なので、日蓮の生涯を時間軸に沿って描いている。以下に、簡単な流れを記してみよう。鑑賞中
のメモから起こしたので、間違いがある可能性大である。その点ご容赦。また、映画なので、史実と異なる
ところもあると思われる。その点にも注意されたし。
 まず、劈頭に次の言葉が登場する。

 源氏は三代にして滅び/鎌倉幕府は/執権北條氏の手により/強力な武家政治の/基礎を固めつつあった

 物語は安房清澄山に始まる。比叡山の修行から帰ったばかりの蓮長〔日蓮以前の名前〕(萬屋錦之介)が、
三昧堂に籠る。清澄寺の和尚は動善(大滝秀治)であり、日蓮が薬王丸(俗名は善日丸〔ウィキペディアで
は、善日麿〕)だった頃からの師匠に当る。側には、先輩である義浄(橋本宣三)や浄顕(折尾哲郎)もい
る。
 蓮長が日の出に向かい、吠える。今日よりわれは日蓮と名のり/日本の柱とならん!/日本の眼目となら
ん!/日本の大船とならん! 今を去る凡そ七百年/建長五年〔1253年〕4月28日/日蓮時に三十二歳。
 蓮長は地頭職の東條景信(小池朝雄)の前で説法をすることになるが、念仏、禅をして、「間違った仏法」
と言い放つ。当然のごとく、激しい非難に遭い、逃亡を余儀なくされる。ここから、迫害と闘争の人生が始
まるというわけである。
 そもそも、日蓮は、寛名四郎〔ウィキペディアでは、次郎〕重忠(田村高廣)の一子で、父は元遠州寛名
郷の領主であった。しかし、千葉まで流れ着き、小湊では「流人」の子として迫害された。日蓮は鎌倉松葉
ヶ谷に庵を結び、そこを拠点として布教を始めた。
 若かりし頃(仁治三年)、日蓮は比叡山延暦寺に学ぶ。無動寺谷の山岳修行に励んだこともある。南勝房
俊範(成瀬昌彦)の目にとまり、横川の定光院を与えられるほど秀でた存在であった。
 三論、成実、倶舎、法相、華厳、天台、真言、浄土、禅……一切経を読み、あらゆる宗派を学びながら、
15年間どうしても解けなかった疑いが……建長三年、春の大講座において、大僧正聖覚(嵐寛寿郎)と対峙
した際、解ける。大僧正は問う。天台宗の経文のうち、法華経と大日経のどちらが主か。ほとんどの僧が大
日経と答える中で、日蓮ひとり「天台宗の精神は、法華経の教義実践にあり」と断ずる。後の「南無妙法蓮
華経」の題目(立教開宗)こそ、その精神なり。
 さて、松葉ヶ谷に訪ねてくるものがあった。比叡山で互いに修行した成弁〔じょうべん、後の日昭〕(中
村嘉葎雄)である。さらに、吉祥丸〔後の日朗、成弁の甥〕(小沼宏之/中村光輝)が加わる。後に、駿河
実相寺からやって来た日興〔にちこう〕(永島敏行)も弟子入りする。
 康元元年、日蓮鎌倉を去って、諸国行脚の旅に出る。下総中山の冨木常忍(丹波哲郎)に匿われる。
 正嘉元年、関東一円に大地震相次いで起こる。能登房(菅啓次)や少輔房(青木卓)らと合流する。
 正元元年、飢饉、疫病、流行し、民衆の窮乏その極に達す。
 日蓮は上書をしたため、最妙寺入道時頼(市川染五郎)に直に読んでいただく。文応元年、日蓮は「立正
安国論」を草し、前執権北條時頼(このときの執権は長時)に献白す。時頼は、日蓮が説く「七難」のうち
の二つ、「他国侵逼(たこくしんぴつ)」と「自界叛逆(じかいほんぎゃく)」の意味を問う。前者を説明
して、「蒙古が高麗を冒し、日本を狙っている」と説く。松葉ヶ谷の草庵、焼き討ちに遭うも、難を逃れる。
 弘長元年、日蓮、伊豆に流罪と決まる。このとき、伊東の浜で、漁師の弥三郎(加藤武)に助けられる。  
その妻とき(松下砂稚子)、娘なみ(池上季実子)などと交流する。
 弘長三年、流罪を赦された日蓮は、翌文永元年、久々に故郷安房へ帰る。母梅菊(岸田今日子)の臨終に
間に合う。安房小松原において難に遭う。門下の工藤左衛門尉吉隆(江原真二郎)や鏡忍〔元の名前は行道〕
(田中邦衛)らを失う。
 文永五年、蒙古の使者、日本に現る。日蓮は、執権北條時宗(松方弘樹)らに勘文状を送って、注意を喚
起する。 
 文永八年、関東一円、大旱魃に見舞われる。極楽寺良観(梅津栄)らが降雨祈祷をするが効果なし。とこ
ろが、日蓮が祈祷すると霊験あらたか、豪雨になる。
 良観、嫉妬に駆られ、執権の大奥を唆し、幕府をして法華経信者の弾圧へ乗り出す。
 日蓮は佐渡流罪と決まるが、それは表向きで、片瀬竜ノ口(腰越龍ノ口)で断罪されんとす。しかし、依
智直重(山本麟一)がまさに首を刎ねんとした瞬間、竜巻が起こり日蓮を救う。供をしていた四條金吾頼基
(伊吹吾郎)は、刑が執行されていたならば自害する覚悟であった。
 さて、越後の寺泊から佐渡に渡ろうとするとき、日蓮は幼馴染みの浜夕(松坂慶子)と邂逅する。彼女は
幕府の御家人である工藤吉隆の妻だったが、彼女の夫吉隆は、上記の安房小松原の難の際東條景信と争って
命を落とし、妻である浜夕は尼僧になっていたのである。
 佐渡に渡った直後、念仏信者の阿仏房(西村晃)に襲われる。彼は、順徳上皇に仕える北面の武士・遠藤
左衛門尉為盛であったが、日蓮の気迫に負け、妻の千日尼(赤木春恵)ともども彼の信者になる。
 文永九年、日蓮「開目抄」を著す。時輔(時宗の腹違いの兄)、都の六波羅にて謀反。日蓮の説いた「自
界叛逆」が実現したのである。
 文永十一年、日蓮赦免され鎌倉へ帰る。時の執権北條時宗(松方弘樹)の御前で、平頼綱(中谷一郎)に、
「禅、念仏、真言、律の各宗を敵として戦うか」と問われ、日蓮はあくまで「釈迦の真意は法華経にあり」
と言い募る。彼の擁護者である宿屋光則(佐野浅夫)にも日蓮を救済することはできなかった。
 日蓮の信者である南部実長(御木本伸介)の所領、甲斐の身延に向かう。
 日蓮の予言的中し、文永十一年十月、蒙古軍博多に来襲(文永の役)。激戦の末、蒙古軍、台風のため壊
滅、敗走す。
 弘安二年、駿河熱原の信者である神(じん)四郎国重(和崎俊哉)以下二十余名、男女ことごとく鎌倉へ
引き立てられ、弾圧される。
 弘安四年七月、蒙古軍再び来襲す(弘安の役)。
 弘安五年(1282年)、十月十三日、日蓮、武蔵国池上宗仲邸にて入滅。

 以上である。念のために、<Movie Walker>の解説やあらすじを引用しておこう。執筆者に感謝したい。な
お、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  古代王朝から新興武士へと政権が移りつつあった承久四年(1222年)に生まれた日蓮の、言語を絶
 する迫害をはねのけての布教活動の生涯を描く。原作は川口松太郎、脚本監督は、『遺書 白い少女』
 の中村登、撮影は『俺は田舎のプレスリー』の竹村博がそれぞれ担当している。

   〔あらすじ〕

  日蓮は承久四年、安房小湊に生まれた。幼名は善日丸〔善日麿〕、父貫名重忠は遠州の領主だった
 が領地争いに敗れ、妻梅菊とともに安房に流された。流民の子と迫害される善日丸をやさしくいたわ
 る地主の娘浜夕も鎌倉武士に嫁ぐため小湊を去る。孤独な善日丸は天台の名刹清澄寺に入り修業する
 こと四年、剃髪して是聖坊蓮長と名乗り、その後、鎌倉寿福寺で禅の修業をする。しかし、禅や念仏
 では民衆の窮状を救えないとの疑問を抱いた蓮長は比叡山へ向かう。比叡山での厳しい修業、奈良、
 京都の寺々を廻り、求道十年、ついに蓮長は法華経こそ釈迦の説いた本当の教え、最高至上の仏教と
 の確信を得て、その布教に生涯を捧げる決心をし、故郷の安房へ帰った。ある早朝、清澄山の山頂に
 立った蓮長は、自ら日蓮と名を改め、東海から昇り始めた太陽に向かって「われ日本の柱とならん、
 眼目とならん、大船とならん」と叫んだ。鎌倉に戻った日蓮は「極楽浄土は、この世にある。法華経
 を信ぜよ」と辻説法を説いていると、奇しくも幼馴染の浜夕と再会する。日蓮の努力は徐々に実を結
 び、浜夕と夫の工藤吉隆の入信、また日昭、日朗、比企能本(観世栄夫)、四條金吾らの弟子もでき、
 信者も増えはじめた。その頃、鎌倉では飢饉、疫病、地震等の災害が相次いで起り、民衆の窮乏はそ
 の極に達し、この惨状を憂う日蓮は「立正安国論」を書いて北條時頼に提出し、政治を正して民衆を
 救えと要求するが、逆に時頼に伊豆に流されてしまう。二年後、赦面された日蓮の布教活動は増々活
 発となり、その行動を危険視した平頼綱は日蓮を斬首しようと謀るが、謀略を知った執権北條時宗は
 赦免使を立てて日蓮を救おうとする。断罪直前、大竜巻が起り幕府方は人馬もろとも宙に舞い日蓮は
 奇跡的に難を逃れたが、佐渡に流されてしまう。しかし、佐渡での言語を絶する寒さと飢えの中を、
 阿仏房夫妻の情で生きぬいた日蓮は、そこで「開目鈔」、「観心本尊抄」等の代表作を完成する。や
 がて「立正安国論」で驚告した日蓮の予言が的中し、蒙古軍が日本に迫って来た。北條時宗は日蓮を
 赦免し、敵国降伏の祈祷の協力を要請するが、日蓮は幕府が法華経を主経と認めることを条件として、
 禅の信者の時宗と対立する。絶望して身延山に入った日蓮に、さらに、弟子、信者が拷問虚殺される
 という悲報がもたらされる。弘安四年、闘いと迫害の生涯を生き続けた日蓮もすでに六十歳、ついに
 花の咲く日を見ることが出来ぬと悟り、如何なる困難に遭遇しようとも法灯を守りつづけてくれるよ
 うに弟子たちに切々と頼む。翌弘安五年秋、風雲児日蓮はその多難な生涯を閉じた。

 他に、野際陽子(常忍の妻)、小林昭二(建長寺道隆)、大澤萬之介(北浦忠吾=工藤吉隆の御家人)、  
田原千之右(北浦忠内=同、忠吾の弟)、大東梁佶(那須佐源次)、香川良介(北條政村)、佐藤和男(北
條長時)、二戸義則(南條七郎)、日頂(山崎之也)などが出演している。
 小生は日蓮の激しい生き方に眉を顰めていたこともあったが、この映画を観て、そんな偏見が吹き飛ぶ思
いがした。宗教者のタイプとしては相変わらず買えないが、「人間」日蓮には大いに魅力を感じたというわ
けである。どこかルターを彷彿させたが、誰でもそう感じるのだろう。小生にも、いつか「法華経」を繙く
日が来るのかもしれない。

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 以上である。上記のように、感想は後日に。


 某月某日

 You Tubeで邦画の『瘋癲老人日記』(監督:木村恵吾、大映、1962年)を観た。原作は、たぶん、『鍵』
と一緒にカップリングされた新潮文庫で読んだと思う。谷崎潤一郎原作の映画化作品は、以下に掲げるよう
に、16篇観ている。今年は文芸映画を中心に鑑賞する計画なので、まさに打ってつけの作品を観たことにな
る。まさか、You Tube で観ることができるとは思っていなかったので、何か得をした気分である。

  『春琴抄 お琴と佐助』、監督:島津保次郎、松竹蒲田、1935年。
  『お遊さま』、監督:溝口健二、大映京都、1951年。
  『鍵』、監督:市川崑、大映京都、1959年。
  『細雪』、監督:島耕二、大映東京、1959年。
  『瘋癲老人日記』、監督:木村恵吾、大映、1962年。
  『卍』、監督:増村保造、大映東京、1964年。
  『悪党』、監督:新藤兼人、東京映画=近代映画協会、1965年。
  『刺青(いれずみ)』、監督:増村保造、大映京都、1966年。
  『痴人の愛』、監督:増村保造、大映東京、1967年。
  『讃歌』、監督:新藤兼人、近代映画協会=ATG、1972年。
  『鍵』、監督:神代辰巳、日活、1974年。
  『春琴抄』、監督:西河克己、東宝=ホリプロ、1976年。
  『細雪』、監督:市川崑、東宝、1983年。
  『卍』、監督:横山博人、横山博人プロダクション、1983年。
  『卍』、監督:井口昇、アートポート、2005年。
  『白日夢』、監督:愛染恭子/いまおかしんじ、アートポート=ベルヴィー、2009年。

 以上である。『春琴抄』、『鍵』、『卍』、『細雪』、『痴人の愛』、『白日夢』などは、何度も映画化
されている。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  『中央公論』に連載された谷崎潤一郎の原作を『やっちゃ場の女』の木村恵吾が脚色・監督した文
 芸もの。撮影もコンビの宗川信夫。

   〔あらすじ〕

  七十七歳の卯木督助(山村聰)は、軽い脳溢血で寝たり起きたりの日日を送っている。それに今で
 は完全に不能である。ところが、「不能ニナッタ老人ニモ或ル種ノ性生活ハアルノダ」と思っている。
 そんな督助の性と食欲だけの楽しみを息子浄吉(川崎敬三)の妻、颯子(若尾文子)は察している。
 ある日、老人がベッドでぼんやりしていると、突然浴室の戸が開き、颯子が顔を出した。「アタシ、
 シャワーノ時ダッテ、ココ閉メタコトナイノヨ」……老人を信用しているからか、入って来いという
 のか、老いぼれの存在なぞ眼中にないのか、なんのためにそんなことを言うのだろう。夜になりシャ
 ワーの音がして来た。幸い誰もいない。老人は浴室へにじりよった。「入リタインデショ、早ク入ッ
 テ……」。老人のあぶない足元が水に濡れてすべりそうになる。それでも颯子の足に取りすがる老人。
 「足ニ接吻スルクライ、オ許シガ出タッテヨサソウナモノダ」……「ダメ! アタシソコハ弱イノヨ」。
 「アアショウガナイ、ジャア、モ一度、ヒザカラ下ナラ許シテヤル! 一度ダケヨ」……その接吻の
 代償に老人は颯子に、浄吉の従弟の春久(石井竜一)にバスを使わせることを承知させられた。颯子
 と春久は出来ているのだろうか? ある夜、また老人の部屋で颯子と二人になった。やにわに背後か
 ら抱きすくめ首筋へ接吻する老人。「オ爺チャン、イヤダッタラ、誰ガソンナコトシロト言ッタノヨ、
 ネッキングナンテ」……いきなり床に手をつき三拝九拝する老人。「ジャ、ナンデモワタシノコトキ
 ク?」……結局、老人は三百万もする猫目石(キャッツアイ)の指輪をせしめられてしまった。秋が
 来て、冷たい風が吹き始める。京都へ来て老人にひとつのアイデアが生まれた。自分の墓に仏足石を
 彫ろうというのだ。その足型は、颯子のものでなければならない。宿で老人はいやがる颯子の足の裏
 に朱墨を塗り、ちょうど魚拓を作るような足型をとった。何度も何度も良いものが出来るまで異常な
 までに続けた。晩秋の卯木家でブルトーザーの唸りが騒々しい。庭の一角にプールを作ろうというの
 だ。それを見つめる老人の若々しい眼。「プール作ッテネ、ソシタラ、アタシ泳グノ見セテアゲル」。
 老人はたった一つのこの言葉を何度もくりかえしていた。

 他に、東山千栄子(督助夫人)、村田知栄子(五子=京都在の娘)、丹阿弥谷津子(陸子=辻堂在の娘)、
倉田マユミ(佐々木=住込みの看護婦)、葵三千子(お静=女中)、響令子(お富=同)、小笠原まり子
(おハル=同)、中田勉(野村)、永井智雄(杉田=督助の主治医)、藤原礼子(油谷正子=陸子の友人)、
丸山修(油谷茂=その夫)、大山健二(井上)、遠藤哲平(矢野)、真杉美智子(山野)、毛利郁子(ひろ
み=浄吉の浮気相手の踊子)、竹里光子(宿の女中)、大川修(田端)、杉森麟(鈴木)、長谷川峰子(鈴
木の弟子)などが出演している。
 若尾文子は相変わらずだったが、山村聰の力演には驚いた。重厚な役柄の多い彼としては、何とも情けな
い耄碌ぶりである。当時52歳くらいだったので、25歳くらい年上の老人を演じたことになる。案外、楽しん
でいたのかもしれないが……。


 某月某日

 You Tubeで邦画の『夜ごとの夢』(監督:成瀬巳喜男、松竹蒲田、1933年)を観た。久しぶりの無声映画
である。成瀬監督初期の代表作の由だが、主演の栗島すみ子の熱演が素晴らしい。小生は本作の他、彼女の
役者ぶりを『淑女は何を忘れたか』(監督:小津安二郎、松竹大船、1937年)〔「日日是労働セレクト13
4」、参照〕と『流れる』(監督:成瀬巳喜男、東宝、1956年)〔「日日是労働セレクト4-6」、参照〕
で観ているが、日本映画界初期の人気女優であることに異存はない。ところで、成瀬作品であるが、以下に
掲げるように18篇観ている。いずれも「やるせなきお」と呼ばれるだけのことはある。

  『夜ごとの夢』、監督:成瀬巳喜男、松竹蒲田、1933年。
  『妻よ薔薇のやうに』、監督〔演出・脚色〕:成瀬巳喜男、P.C.L.、1935年。
  『はたらく一家』、監督〔脚色・演出〕:成瀬巳喜男、東宝東京、1939年。
  『秀子の車掌さん』、監督〔脚色・演出〕:成瀬巳喜男、南旺映画、1941年。
  『めし』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1951年。
  『銀座化粧』、監督:成瀬巳喜男、新東宝、1951年。
  『稲妻』、監督:成瀬巳喜男、大映東京、1952年。
  『おかあさん』、監督:成瀬巳喜男、新東宝、1952年。
  『あにいもうと』、監督:成瀬巳喜男、大映東京、1953年。
  『山の音』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1954年。
  『浮雲』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1955年。
  『流れる』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1956年。
  『女が階段を上る時』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1960年。
  『娘・妻・母』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1960年。
  『放浪記』、監督:成瀬巳喜男、宝塚映画、1962年。
  『乱れる』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1964年。
  『女の中にいる他人』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1966年。
  『乱れ雲』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1967年。

 小生としては、やはり『流れる』が最も印象深い作品であるが、名作『浮雲』など、他にも素晴らしい作
品が目白押しである。
 さて、物語を確認しておこう。今回は、<YAHOO! JAPAN 映画>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、 
一部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  成瀬巳喜男が自身の原作を監督したサイレント映画。池田忠雄が脚本(脚色)を担当した。世界的
 な不況時代を背景に、社会の底辺で生きる人々の暮らしを見つめる作品。  

   〔あらすじ〕

  夫である水原(斎藤達雄)に家を出て行かれてしまったおみつ(栗島すみ子)は、幼い息子の文坊
 (小島照子)と二人で貧しい生活を送っている。おみつは港町の酒場で身を売って生計を立てていた。
 そこへ水原がひょっこり帰ってくる。おみつは水原のことを許せなかったが、文坊のために同居する
 ことに。子どももすっかり父親に打ち解け、幸せな家庭生活が訪れたかに見えたが、水原は仕事が見
 つからずにいた。そんなある日、文坊が交通事故で大怪我を負ってしまう。治療費のために身体を売
 ろうとするおみつを引き止め、水原は自分で金を集めると言い出すのだが……。

 他に、新井淳(隣の住人=薬の外交員)、吉川満子(その妻)、坂本武(船長=おみつに目を付けている)、
大山健二(船員)、小倉繁(同)、飯田蝶子(女将)、沢蘭子(おみつの友人)、雲井ツル子(女給)、若
水照子(同)、仲英之助(医者)、大国一郎(人事係)、西村青児(刑事)、谷麗光(守衛)などが出演し
ている。
 救いようのない結末だが、おみつは毅然として自らの不幸に耐え、子どもの将来に夢を託すのである。同
じ成瀬監督の『はたらく一家』〔「日日是労働セレクト132」、参照〕でもそうだったが、戦前の日本人
の貧しさには、観る者のこころを抉るようなものがある。


 某月某日

 You Tubeで邦画の『獣の宿』(監督:大曾根辰夫、松竹、1951年)を観た。鶴田浩二、志村喬、岸恵子な
どが出演しており、原作は藤原審爾、脚本は黒澤明ということで、大いに期待して観たのだが、どうにも批
評し難い映画であった。プログラム・ピクチャーやTVのドラマなどで何度も観たような筋書で、正直言って、
微笑ましく鑑賞させていただいた。言い換えれば、この程度の作品で当時の大衆は喜んでいたのだなぁ、と
いったところである。後の松竹カラーのかけらもなく、天下の鶴田浩二も東宝時代や東映時代とは異なる人
間を演じている。昭和26年頃としては、これが精一杯なのだろう。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞いたい。

   〔解説〕

  製作は『怪塔伝』の小倉浩一郎。藤原審爾の小説新潮に連載した小説『湖上の薔薇』から『殺陣師
 段平(1950年)』のシナリオを書いた黒澤明が脚色し、『黒い花』の大曾根辰夫が監督に当たってい
 る。出演者の主なものは『白痴』の志村喬、『怪塔伝』の鶴田浩二、『少年期』の小林トシ子、他に
 藤原釜足、清水将夫、毛利菊枝などの脇役陣それに新人岸恵子が重要な役で出演している。

   〔あらすじ〕

  湖畔のホテルに、人を殺して来たブラックの健(鶴田浩二)が逃げ込んで来たが、ホテルの支配人
 弥造〔=ドスの弥造〕(志村喬)は無頼の徒であった前身を知る健を追い出すことが出来なかった。
 そして、健の轢き逃げした老婆(毛利菊枝)のことで小谷巡査(藤原釜足)がたずねて来たときも健
 のことを訴え出ることが出来なかった。弥造の孫娘由紀(岸恵子)はそれを不審に思い真相を知ろう
 としたが、健は彼女の清純な美しさに惹かれ、これを獣欲の犠牲にしようとしたが果たさなかった。
 健の身代わりになった弟分次郎(役者、不詳)の情婦ユリ(小林トシ子)は次郎を救って貰おうと健
 を訪ねて来て却って彼に犯され湖に身を投じて死んだ。そのことから警察が動き出し健の身辺が危う
 くなったので、由紀の案内で寝たきりになった老婆の家に隠れた。そして、由紀もユリと同じように
 健の餌食になったと勘違いした弥造は、掌中の珠としている由紀の純潔が汚されたものと思って、健
 を湖上におびき出して猟銃で撃ち殺した。湖畔で釣りをしている小谷巡査の傍に、弥造は座って、健
 を殺したことを告げ由紀のことをくれぐれも頼むのだった。

 他に、有島一郎(荒=キャバレー「グリーンランド」のマネージャー)、清水将夫(田部警部)、青山宏
(山田=学生)、山口幸生(刑事)、岩波菊子(菊)、村上記代(女中)などが出演している。
 拳銃のことをユリや健は「パチンコ」と呼んでいた。パチンコ→ハジキ→チャカといった歴史上の呼び名
の変遷があるのだろうか。麻薬(ヤク)のことを「ペイ」と呼んでいた時代もあるように。


 某月某日

 昨日も少し触れたが、DVDで邦画の『叛乱』(監督:佐分利信/阿部豊、新東宝、1954年)を観た。これで
小生の「エイジ映画」は28本目である。この年は力作が目白押しで、かなりの水準に達している作品も少な
くない。

   〔筆者の評価〕 ◎ 傑作 ○ 佳作

  ○『太陽のない街』、監督:山本薩夫、新星映画=独立映画、1954年。
  ○『ともしび』、監督:家城巳代治、新世紀プロ、1954年。
  ◎『二十四の瞳』、監督:木下恵介、松竹大船、1954年。
  ○『山の音』、監督:成瀬巳喜男、東宝、1954年。
  ○『どぶ』、監督:新藤兼人、近代映画協会、1954年。
  ◎『七人の侍』、監督:黒澤明、東宝、1954年。
   『さらばラバウル』、監督:本多猪四郎、東宝、1954年。
  ◎『ゴジラ』、監督:本多猪四郎、東宝、1954年。
  ○『山椒大夫』、監督:溝口健二、大映京都、1954年。
   『噂の女』、監督:溝口健二、大映京都、1954年。
   『近松物語』、監督:溝口健二、大映京都、1954年。
   『女の園』、監督:木下恵介、松竹大船、1954年。
  ◎『大阪の宿』、監督:五所平之助、新東宝=スタジオ8プロ、1954年。
   『伊豆の踊子』、監督:野村芳太郎、松竹大船、1954年。
   『君の名は 第三部』、監督:大庭秀雄、松竹大船、1954年。
  ◎『宮本武蔵』、監督:稲垣浩、東宝、1954年。
   『勲章』、監督:渋谷実、俳優座、1954年。
   『勝敗』、監督:佐伯幸三、大映東京、1954年。
   『東京ロマンス 重盛君上京す』、監督:渡辺邦男、新東宝、1954年。
   『ハワイ珍道中』、監督:斎藤寅次郎、新東宝、1954年。
   『娘十六ジャズ祭り』、監督:井上梅次、新東宝、1954年。
   『エノケンの天國と地獄』、監督:佐藤武、新東宝、1954年。
  ○『潜水艦ろ号未だ浮上せず』、監督:野村浩将、新東宝、1954年。
  ○『日本敗れず』、監督:阿部豊、新東宝、1954年。
   『億万長者』、監督:市川崑、青年俳優クラブ、1954年。
  ○『この広い空のどこかに』、監督:小林正樹、松竹大船、1954年。
   『三つの愛』、監督:小林正樹、松竹大船、1954年。
  ○『叛乱』、監督:佐分利信、新東宝、1954年。

 当該作品も力作で、当時の皇道派の青年将校たちの葛藤がよく描かれていると思う。「二・二六事件」の
あらましは、他の資料(ウィキペディアに詳細な記述がある)に譲るが、映画化作品に関しては、小生の過
去のブログの感想を再録してみよう。


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  『重臣と青年将校 陸海軍流血史』、監督:土居通芳、新東宝、1958年。
    
   「日日是労働セレクト127」より

 1本目は、『重臣と青年将校 陸海軍流血史』(監督:土居通芳、新東宝、1958年)である。劈頭の言葉
を以下に書き写してみよう。耳から拾ったので、正確ではない。ご寛容いただきたい。

  昭和三年、広大な面積と豊富な資源を有する満洲は、不況と疲弊に喘ぐ当時の日本にとって、経済
 的・軍事的にも確保必須の生命線であると考えられていた。かくて田中内閣(註:立憲政友会総裁で
 予備役陸軍大将の田中義一を首班とする内閣。1927年〔昭和2年〕4月20日に発足し1929年〔昭和4年〕
 7月2日まで続いた。ウィキペディアより)は、満洲に積極外交策を採り、日本の権益拡大を図ったが、
 日本の援助によって満洲の主権者になれた張作霖は、その支配的地位が確保されるや、大中華民国建
 設の野望を抱いて、にわかに日本排斥の態度を示し、交渉は難航を極めた。かくて田中外交を軟弱な
 りとする日本陸軍の急進将校たちは、忘恩の徒張作霖を倒して一挙に満洲を占領すべしと強く主張し
 ていた。

 物語は昭和3年6月4日早朝、満洲鉄道京奉線〔京奉鉄路〕(註:京奉鉄路は、北京と奉天〔現 瀋陽〕を結
ぶ鉄道で、中国で実質的に最古の鉄道である。「百年の鉄道旅行」より)に仕掛けられた爆薬に端を発する。
張作霖を乗せた列車の通過時刻は5時30分。彼は8両目の展望車に乗り込んでいた。いわゆる「張作霖爆殺
事件」(中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採って、「皇姑屯事件」ともいう。終戦まで事
件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件」と呼ばれていた。ウィキペディアより)の発端
である。昭和4年6月、田中内閣総辞職。後継内閣の首班は浜口雄幸、陸軍大臣には宇垣一成が就任している。
昭和5年11月13日、陸軍の演習の視察のため岡山に赴こうとしていた浜口首相は、東京駅において襲撃され
る。昭和6年9月18日、満洲事変、勃発。昭和7年1月28日、上海事変、勃発。同5月15日、五・一五事件が起
こり、犬養毅首相が暗殺される。首謀者への判決は軽いものであった。昭和10年8月12日、相沢事件が起こ
る。皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍中佐が、統制派の永田鉄山軍務局長を、陸軍省において白昼斬
殺した事件である。被害者側の名前から、永田事件、永田斬殺事件ともいう(ウィキペディアより)。昭和
11年2月26日、二・二六事件が起こる。首謀者は暗黒裁判にかけられ、銃殺刑となる。五・一五事件の首謀
者への判決が軽かったことから、二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われ、二・二六事件の反
乱将校たちは投降後も量刑について非常に楽観視していたことが二・二六将校の一人磯部浅一の獄中日記に
よって伺える(ウィキペディアより)。映画は、これら一連の流血事件をやや足早に描いている。なお、終
盤には、以下のような文字が読み取れる。

  暴力と流血に彩られた嵐の軍国時代を耐えぬいて来た我々は、真の世界平和を築くため、かゝる悲
 惨事をふたゝび歴史の上に繰り返さぬよう不断の努力を続けなければならない。

 このように、満洲事変から二・二六事件に至る経緯を描いた映画は他にも存在し、小生の観た映画では、
次のような作品がある。ただし、もっと長い期間に起こった出来事、もしくは個別の事件を描いたものも含
む。

  『日本暗殺秘録』、監督:中島貞夫、東映京都、1969年。「日日是労働セレクト108」、参照。
   註:「桜田門外ノ変」から「二・二六事件」までの日本における主な暗殺事件を扱っている。
  『激動の昭和史・軍閥』、監督:堀川弘通、東宝、1970年。「日日是労働セレクト111」、参照。
   註:主として、「二・二六事件」以後、頭角を現した東条英機を主人公に据えた作品。
  『戒厳令』、監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1973年。「日日是労働セレクト26」、参照。
   註:主として、「二・二六事件」を、北一輝を中心に描いた作品。
  『動乱』、監督:森谷司郎、東映=シナノ企画、1980年。「日日是労働セレクト88」、参照。
   註:主として、「五・一五事件」と「二・二六事件」を扱っている。
  『226』、監督:五社英雄、フィーチャーフィルムエンタープライズ、1989年。
   「日日是労働セレクト81」、参照。註:主として、「二・二六事件」を扱っている。

 「二・二六事件」を扱った映画はこの他にもあるが、それは割愛しよう。ここで、物語を確認しておこう。
例によって、<Movie Walker>の世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  張作霖爆死事件に始まり、五・一五事件、二・二六事件等々のエピソードを織りこんだ歴史劇映画。
 『不如帰』の村山俊郎の脚本を、同じく『不如帰』の土居通芳が監督、『若君漫遊記 サタン城の魔
 王』の森田新が撮影した。宇津井健・中山昭二・細川俊夫・高倉みゆき・三ツ矢歌子等々のオールス
 ター・キャストである。

   〔あらすじ〕

  不況に喘ぐ日本にとって満洲は経済・軍事両面の生命線と考えた田中義一首相(高田稔)は、満洲
 に対し積極外交を進めていたが、張作霖の排日行動によって難航を極めていた。この田中外交を軟弱
 と見た陸軍の急進将校たちは関東軍の河本大佐(高村洋三)をして張作霖を爆死させ満洲の一挙占領
 を企てたが、参謀長斎藤義次少将(高松政雄)に妨げられた。張作霖爆死事件で内外の反対を受けた
 田中内閣は政権を放棄、代って内閣を組織した浜口雄幸(鈴木儀十郎)は、中国との友好外交、軍縮
 政策を強行したため急進将校、右翼思想家の反感を買い、東京駅で右翼の刺客佐郷屋留雄(渡辺高光)
 によって狙撃された。昭和五年のことである。ところが、この機に乗じ橋本欣五郎中佐(細川俊夫)
 と右翼思想家の大川周明(丹波哲郎)は、満洲占領と軍政府樹立を計り、陸軍次官杉山元(九重京司)
 を通じ陸相宇垣一成(坂東好太郎)へその具体案を提示、決起を要望した。ところが、宇垣陸相はこ
 れを退け橋本中佐以下を満洲や地方師団に転属させた。満洲に転属を命ぜられた橋本中佐は、所期の
 目的完遂のため河本参謀に関東軍の協力を要請。かくて関東軍は昭和六年九月、政府の不拡大方針を
 無視して柳条溝に中国軍と戦火を交え、戦いは満洲全土に拡がった。橋本中佐は、さらに内地へ戻り、
 今度は国内改造を目ざして海軍の青年将校と結び荒木貞夫中将(中村彰)の担ぎ出しにかかった。し
 かし、計画の中止を命ぜられ、彼自らも憲兵隊に逮捕された。この世にいう十月事件は未遂に終った
 が、関東軍は満洲の占領を終え、戦火は上海へと移った。しかし満洲の確保で解決されるべき不況は
 さらに深刻化し農村は疲弊、一方では財閥、政治家が満洲へと利権を求めて行った。こうした情勢に
 憤激した海軍青年将校は昭和七年五月一五日、牧野伸顕内大臣(登場せず)、犬養毅首相(浅野進治
 郎)らを襲撃した。この海軍側の決起は陸軍の若手将校を刺激、相沢三郎中佐(沼田曜一)が永田鉄
 山軍務局長(山口多賀志)を襲撃するという事件が起った。そしてこれを契機に昭和十一年二月二六
 日、安藤輝三大尉(宇津井健)ら陸軍若手将校による決起部隊の、岡田啓介首相(山田長正)、高橋
 是清蔵相(登場せず)、鈴木貫太郎侍従長(武村新)、渡辺錠太郎教育総監(登場せず)、斎藤実内
 大臣襲撃事件が起った。決起部隊には原隊復帰の勧告が下ったが、安藤大尉らは、これに反対したた
 め遂に反乱軍の汚名を着せられ詔勅の渙発となった。“勅命下る、軍旗に手向ふな”── 決起部隊
 は呆然として原隊に復帰したが安藤大尉ら五人の首謀者は銃殺刑に処せられた。“国民よだまされる
 な、軍部を信用するな”この絶叫を最後に安藤大尉は死んでいったが、強力な実権を握った軍首脳部
 は、日中戦争を誘発、太平洋戦争から敗戦へと進んだ。

 他に、中山昭二(藤井少佐)、中村竜三郎(三上卓中尉)、御木本伸介(磯部浅一中尉)、松本朝夫(野
中四郎大尉)、三村俊夫(栗原安秀中尉)、杉山弘太郎(長勇少佐)、小林重四郎(山下奉文少将)、林寛
(真崎甚三郎大将)、芝田新(川島陸相)、坂内英二郎(白川義則大将)、池月正(尾崎大尉)、川部修詩
(田中清少佐)、真木裕(坂田義郎中佐)、千葉徹(今井少佐)、泉田洋志(東宮鉄男大尉)、松方信(新
聞記者)、倉橋宏明(坂下治=同)、竜崎一郎(藤野五郎=同)、三ツ矢歌子(藤野里子=五郎の娘)、晴
海勇三(誰何する刑事)、中西博樹(軍法会議判士長)、原聖二(同)、高倉みゆき(芸者若駒)、津路清
子(鈴木侍従長夫人)、宗方祐二(根元博中佐)、浅見比呂志(林八郎少尉)、大江満彦(坂本兼一候補生)、
坂根正吾(八木)、大谷友彦(新見大佐)、伊達正三郎(村中大尉)、菊川大二郎(香田大尉)、鳥羽陽之
助(安部信行大将)、國創典(西大将)、廣瀬康治(大島=陸軍報道部長)、若宮隆二(古賀中尉)、北村
勝造(山岸中尉)、鈴木信二(黒岩少尉)、秋山要之助(松尾大佐)、小森敏(秘書官)、などが出演して
いる。
 大川周明が橋本中佐に芸者の若駒を紹介する際、「桂小五郎(木戸孝允)と芸者幾松(木戸松子)」の喩
えを引いていたが、小生は知らなかった。


  『銃殺』、監督:小林恒夫、東映東京、1964年。

   「日日是労働セレクト」に記述なし。


  『憂國』、監督:三島由紀夫、東宝=ATG、1966年。

   「日日是労働セレクト137」より

 You Tubeで邦画の『憂國』(監督:三島由紀夫、東宝=ATG、1966年)〔英語版〕を観た。一時は「幻の
映画」と言われていた作品で、三島由紀夫の自決以後、現存するフィルムは存在しないとされていた。とこ
ろが、ネガが亡くなった奥方の茶箱の中から発見され、日の目を見ることになったのである。小生自身、生
涯観られないと思っていたが、試しにYou Tubeに当ってみたところ、英語版が完全なかたちで流されている
ことが分った。早速鑑賞に及んだ次第である。なお、英語版のタイトルは《The Rite of Love and Death》
(愛と死の儀式)である。
 映画の背景を確認しておく。今回は、<ウィキペディア>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一
部改変したが、ご寛恕を乞う。


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   『憂國』(東宝+日本ATG) 1966年(昭和41年)4月12日封切。

   〔あらすじ〕

  昭和11年2月28日、二・二六事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえ
 ない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉は懊悩の末、自死を選ぶことを新婚の妻・
 麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共
 に死を選ぶことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そし
 て、2人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹に立会い、自らも咽喉を切り、後を追う。

   〔作品復活の背景〕

  ※ 1966年(昭和41年)1月、ツール国際短編映画祭出品。劇映画部門第2位受賞。
  ※ 東宝+日本ATG共同配給は6月15日より。
  ※ 写真集・撮影台本:『憂國 映画版』(新潮社、1966年4月10日)-古書値は非常に高価。

 2005年(平成17年)8月、それまで現存しないと言われた『憂国』のネガフィルムが、三島の自宅(現在
は長男平岡威一郎邸)で発見されたことが報じられ、話題を呼んだ。映画『憂国』は、後の三島事件の自決
を予感させるような切腹シーンがあるため、瑤子夫人が忌避し、三島の死の後の1971年(昭和46年)に、瑤
子夫人の要請により上映用フィルムは焼却処分された。しかし共同製作者・藤井浩明の「ネガフィルムだけ
はどうか残しておいてほしい」という要望で、瑤子夫人が密かに自宅に保存し、茶箱の中にネガフィルムの
ほか、映画『憂国』に関するすべての資料が数個のケースにきちんと分類され収められていた。
 ネガフィルムの存在を半ば諦めていた藤井浩明はそれを発見したときのことを、「そこには御主人(三島)
に対する愛情と尊敬がこめられていた。ふるえるほどの感動に私は立ちつくしていた」と語っている。これ
らネガフィルムや資料は1995年(平成7年)に夫人が死去した数年後に発見されていた。映画のDVDは2006年
(平成18年)4月に東宝で販売され、同時期に新潮社の『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』にも、
DVDと写真解説が所収された。

   〔キャスト〕

  三島由紀夫:武山信二中尉
  鶴岡淑子:武山麗子(信二の妻)

   〔スタッフ〕

  製作:三島由紀夫
  製作並びにプロダクション・マネージャー:藤井浩明
  監督:三島由紀夫
  演出:堂本正樹
  脚色:三島由紀夫
  原作:三島由紀夫
  撮影:渡辺公夫
  美術:三島由紀夫
  メーキャップ・アーティスト:工藤貞夫

   〔映画評価〕

 『憂国』はツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となった。ところが、その時の評価は賛否両論あり、
中には「ショックを与えることをねらった露出趣味」という映画評論家・ジョルジュ・サドゥールの辛口評
もあったが、『ヌーヴェル・レプブリック』紙のベルナアル・アーメルは、『憂国』を「真実な、短い、兇
暴な悲劇」とし、近代化された「能」の形式の中に「ギリシア悲劇の持つ或るものを、永遠の詩を、すなわ
ち愛と死をその中にはらんでいる」と評し、以下のように解説している。

  驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深
 く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこ
 れまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。

                    ─ ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙

 また、フランスの一般の観客から、「良人が切腹している間、妻がいうにいわれない悲痛な表情でそれを
見守りながら、しかも、その良人のはげしい苦痛を自分がわかつことができないという悲しみにひしがれて
いる姿が最も感動的であった」と言われ、三島は感動したと述べている。
 澁澤龍彦は、「三島氏はこの映画で、日本人の集合的無意識の奥底によどんでいるどろどろした欲望に、
映像として明確な形をあたえ、人間の肉のけいれんとしてのオルガスムを、エロティシズムと死の両面から
二重写しに描き出した」と評価している。
 安部公房は、小説『憂国』を支えていた「精緻な均衡」とくらべ、映画の方は、「ひどく安定に欠けたと
ころ」があったが、むしろその不安定さのもつ「緊張感」にひきつけられたとし、次のように語っている。

  その不安定さは、もしかすると、作者が映画を完全には信じていないところからくるものだったか
 もしれない。信じていないからこそ作者があれほど前面に押し出されて来てしまったのだろう。作者
 が主役を演じているというようなことではなく、あの作品全体が、まさに作者自身の分身なのだ。自
 己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとし
 たのかもしれない。むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあ
 り、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
  そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだ
 ろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせた
 のも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。いずれにしても、単なる作品評などでは片付
 けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、ともかくぼくは脱帽を惜しまない。

           ─ 安部公房「“三島美学”の傲慢な挑戦 ─ 映画『憂国』のはらむ問題は何か」

   〔エピソード〕

 三島が有名な作家であることから、周りの映画評論家たちが賛辞ばかりを贈るなか、『薔薇族』の表紙絵
を描いていた大川辰次が率直な感想を雑誌に書いたところ、三島から面会を求められ、意気投合。付き合い
を重ねるうち、三島が大川のことを「親父」と呼ぶまでの仲になったと、伊藤文学は回顧している。

   〔映像ソフト〕

  2006年4月28日に東宝からDVDが発売された。
  2006年4月28日に新潮社から発売された『決定版 三島由紀夫全集 別巻 映画「憂国」』にも、DVD
 と写真解説が所収された。
  前述の事情から2006年のDVD化以前は一切映像ソフト化されていなかったが、海外には焼却処分を
 免れた本作の上映用プリントが残っており、そのフィルムを元にした海賊版ビデオが出回っていた。
 藤井浩明はDVD化の際に「海賊版がネットオークションなどで出回っていて粗悪な画面だったので、
 いずれ発表しなくてはいけないと思っていた」とコメントしている。

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 三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決したとき、「青島幸男が鳩ヶ谷で自決した」というフェイク・
ニュースを先ず耳にしたことを覚えている。そのときの印象は、「なぜ、青島が?」というものだった。そ
の後、やや正確なニュースに接したとき、ずいぶん興奮したものである。そして、小生の記憶に誤りがなけ
れば、1970(昭和45)年11月25日付の朝日新聞「夕刊」の一面に、三島の生首が映っていたはずである。
 もちろん、高校1年生だった小生に、三島由紀夫の自決の意味など分かりはしない。ただただ驚いた記憶
がある。その当時、三島の作品をどのくらい読んでいたかは覚えていない。『仮面の告白』や『金閣寺』く
らいは読んでいただろうか。短篇だと、「煙草」や「牡丹」の印象が強いが、それも読んでいたかどうかは
分からない。この「憂国」も、忘れられない作品の一つである。たしか、三島自身が語っていたことだと思
うが、時間のない人から「あなたの作品の何か一つを推奨してください」と言われたら、「この『憂国』を
勧める」ということではなかったか。また、これも三島自身のことばだと思うが、「あるバーのマダムから、
『憂国』はとてもエロティックだったと誉められた」というエピソードもあったような気がする。いずれに
せよ、三島由紀夫という不世出の作家を、「憂国」抜きでは語れないだろう。
 映画の方にも、静謐な映像が幻の轟音ともに迫ってくるような恐ろしさを感じた。三島の演技は鬼気迫る
ものがあり、共演した鶴岡淑子も、はまり役ではなかったか。


  『けんかえれじい』、監督:鈴木清順、日活、1966年。

   「日日是労働セレクト」に記述なし。


  『日本暗殺秘録』、監督:中島貞夫、東映京都、1969年。

   「日日是労働セレクト108」より

 DVDで邦画の『日本暗殺秘録』(監督:中島貞夫、東映京都、1969年)を観た。何とも中途半端な描き方で、
物足りなさが残ったが、こんなスタイルの作品はそう多くはないと思うので、「異色作」の部類であること
は間違いない。幕末以降、二・二六事件までの9つの「暗殺事件」を扱っており、中でも「血盟団事件」に
焦点を合わせて、井上準之助を暗殺した小沼正の人となりを中心に描いている。採り上げられた暗殺事件は
以下の通りである。

 1.桜田門外ノ変
 2.大久保利通暗殺事件
 3.大隈重信暗殺事件
 4.星亨暗殺事件
 5.安田暗殺事件
 6.ギロチン社事件
 7.血盟団事件
 8.相沢事件
 9.二・二六事件

 冒頭を飾るのは「桜田門外ノ変」であるが、安政七年三月三日(1860年3月24日)に水戸浪士他十八名が大
老・伊井直弼を暗殺する事件である。明治維新後、あまりに暗殺が多発するので(75件、100余名)、「暗殺
禁止令」が布告され、併せて、明治天皇が前代未聞の詔勅を下している。関連した文字が画面に登場するの
で、それを写し取ってみよう。

  抑(ソモソ)モ維新ヨリ以来大臣ノ害ニ罹(カカ)ルモノ三人ニ及ベリ
  是レ朕ガ不逮(不行届)ニシテ
  朝憲ノ立タズ 綱紀ノ粛ナラザル
  ノ致ス所 
  朕甚ダ焉(コレ)ヲ憾(ウラ)ム

 当該作品は、「現代(1969年当時)のゲバルト時代に敢えて問う。暗殺、是か非か、と」……というコン
セプトで製作されたらしい。問答無用の暗殺は、今日では「テロ(リズム)」と総称されるのだろうが、テ
ロは何も生み出さないというのが、小生の基本的スタンスである。しかし、テロをまったく理解できないわ
けではない。おそらく、止むに止まれずに暗殺を実行する人々の胸に去来するものは、抑えきれない義憤な
のであろう。当該作品の登場人物も、追いつめられた野獣のように、目指す敵を葬り去ろうとするのである。
 物語を確認しておこう。例によって〈Movie Walker〉の助けを借りよう。執筆者に感謝したい。なお、一
部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  鈴木正の原作(原書房刊)を『緋牡丹博徒 鉄火場列伝』の笠原和夫と『おんな刺客卍』の中島貞夫    
 が共同で脚色し、中島が監督した明治・大正・昭和の暗殺ドラマ、撮影は『温泉ポン引女中』の吉田
 貞次。

   〔あらすじ〕

  ○桜田門外の変 安政七年三月三日、薩摩浪士有村次左衛門(若山富三郎)ら十八名が江戸城桜田
 門外に大老井伊直弼(那須伸太朗)を襲い暗殺。○大久保暗殺事件 明治十一年五月十四日東京麹町
 にて、島田一郎(唐十郎)他五名が参議内務卿大久保利通(堀正夫)を暗殺。○大隈暗殺事件 明治
 二十二年十月十八日、外務省正門前にて、玄洋社社員来島恒喜(吉田輝雄)が投弾、外務大臣大隈重
 信(矢奈木邦二郎)は右脚爆砕後切断、来島は自殺。○星亨暗殺事件 明治三十四年六月二十一日、
 東京市役所にて心形刀流師範伊庭想太郎が東京市会参事星亨(千葉敏郎)を暗殺。○安田暗殺事件 
 大正十年九月二十八日大磯にて神州義団主幹朝日平吾(菅原文太)が安田財閥当主安田善次郎(志摩
 靖彦)を暗殺。○ギロチン社事件 大正十二年九月十日、テロリスト集団のギロチン社社員古田大次
 郎(高橋長英)が摂政官暗殺を計画、資金獲得のため銀行員を殺し死刑。○血盟団事件 日蓮宗行者
 井上日召(片岡千恵蔵)を中心として結集した一団の民間青年と大学生たちは、国政改革を叫んで一
 人一殺のテロを計画、革命を志して上京した小沼正(千葉真一)は日召に従い、昭和七年二月九日本
 郷駒込小学校演説会場で井上準之助(野村鬼笑)前蔵相を暗殺、同年三月五日三井銀行本店正面玄関
 で団琢磨三井合名理事長が菱沼五郎(八尋洋)により暗殺された。○二・二六事件 昭和十一年二月
 二十六日早朝、一部青年将校を先頭に兵員民間人あわせて千四百八十三名が首相官邸をはじめとした
 重臣たちの私邸を襲撃した。が、数日を待たず鎮圧された。襲撃を受けて死んだ者九名。決死部隊死
 刑十七名、自決した者二名だった。

 他に、土方巽(看守)、高津住男(古内栄司)、高橋昌也(小沼新吉=正の兄)、三益愛子(小沼たつ=
正の母)、小池朝雄(落合初太郎=落合製菓店店主)、桜町弘子(落合清子=その妻)、藤純子〔富司純子〕
(たか子=正のこころの恋人)、南都雄二(西村=高利貸)、田中春男(職人B)、汐路章(巡査A)、賀
川雪絵(民子=正の恋人)、市川裕二(民子の父)、岡島艶子(民子の母)、橘ますみ(友子=正の恋人)、
村井国夫(桧山誠次)、田宮二郎(藤井斉=海軍将校)、林彰太郎(鈴木四郎)、 近藤正臣(大庭春雄)、
砂塚秀夫(新聞記者)、鶴田浩二(磯部浅一=二・二六事件の首謀者のひとり)、里見浩太朗(村中孝次)、
神田隆(山下少将)、高倉健(相沢三郎中佐)、天津敏(井上日召の高弟)、北竜二(裁判長)、小田部通
麿(巡査)、芥川比呂志(ナレーター)などが出演している。暗殺者はたくさん登場したが、何と言っても
高倉健が演じた相沢三郎がいちばん颯爽としていた。


  『激動の昭和史・軍閥』、監督:堀川弘通、東宝、1970年。

   「日日是労働セレクト111」より

 DVDで邦画の『激動の昭和史・軍閥』(監督:堀川弘通、東宝、1970年)を観た。以前より気になってい
た映画だったが、DVDを手に入れたので(たぶんTSUTAYAではレンタルされていない)、早速鑑賞に及んだ次
第である。もちろん、今年最後の鑑賞作品ということになる。東條英機を中心に描いているが、焦点がぼや
けており、あまり成功している作品とはいえない。というのも、この手の戦争映画はとかく総花的になりや
すく、とくにミッドウェー海戦や山本五十六の戦死のくだりは付け足しのような印象を受け、とても残念に
思った。もっとも、陸軍と海軍の角逐の様相や、毎日新聞の戦時中の姿勢は比較的よく描けていると思う。
東條英機を演じた小林桂樹は、「熱演すれども届かず」といった感じであった。彼はやはり根っからの善人
タイプなので、東條のような複雑な立場の人間に扮することにはかなりの困難が伴ったのではないだろうか。
 ここで、東條英機に関する簡単なプロフィールをウィキペディアから引用しておこう。

  東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭
 和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。
 功級は功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機(とうじょう ひでき)と表記され
 ることが多い。
  陸軍大臣、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53
 代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。
  現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年
 (昭和19年)7月18日)。階級位階勲等功級は陸軍大将・従二位・勲一等・功二級。永田鉄山の死後、
 統制派の第一人者として陸軍を主導する。
  日本の対米英開戦時の内閣総理大臣。また権力の強化を志向し複数の大臣を兼任し、慣例を破って
 陸軍大臣と参謀総長を兼任した。敗戦後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り
 留める。その後、連合国によって行われた東京裁判にてA級戦犯として起訴され、1948年(昭和23年)
 11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。
 享年65(満64歳)。

 以上である。東條英機に関しては、小生も物心ついたときからその名前を知っており、とかく印象のよく
ない人物の一人であった。とくに、年長けてからは、仏文学者の渡辺一夫が折に触れて描いた東條英機像や、
地理学者の飯塚浩二が著した『日本の軍隊』(岩波現代文庫、2003年)における彼のエピソードなどを読ん
で、「どうしてこの人物が日本の命運を握ったのだろう」と不思議に思ったこともある。人並み外れた忠君
愛国思想に加えて、権力志向の旺盛さはまさに半端ではない。「カミソリ東條」の異名も、識者にいわせれ
ばまったくその反対で、石原莞爾が「上等兵」と罵った逸話さえあるほどである。
 当該作品で一番印象に残ったのは、特攻隊員を演じた黒沢年男の口上である。毎日新聞の記者(加山雄三
が演じている)を彼の上官が褒め称える場面で、独り果敢に当該の記者とその背後に控える報道陣を断乎糾
弾しており、この映画のクライマックス・シーンである(もちろん、少なくとも小生にとって)。あらまし
はこうだ。戦争が始まったとき、あれほど東條を持ち上げておきながら、戦争が負け戦に突入したとたん、
手の平を返して東條独りに責任を転嫁しようとする軽薄さはどうだ。何が見事な記事(大本営発表とは一線
を画する記事)を書いた記者か! 勝っていれば書かないのか、と。詳細は割愛するが、あの特攻隊員の訴
えこそ、当時の戦況を肌で感じていた兵隊の魂の叫びだったのではないか。サイパンが陥落しそうなとき、
なおも陸軍の将兵を現地に派兵しようとした東條である。ガダルカナルやニューギニアの激戦や、次々と玉
砕(全滅)した太平洋上の孤島の守備隊における悲惨さを少しでも感じることのできる人物であったなら、
とうていできない仕儀といえよう。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  激動の時代を生きた日本人の魂の真実を描こうとした『日本のいちばん長い日』につづく“激動の
 昭和史”シリーズ第二作。『政治』(新名丈夫 著)をもとに、『続社長学ABC』の笠原良三が脚本
 を書き、『狙撃』の堀川弘通が監督した。撮影は『待ち伏せ』の山田一夫が担当。全国公開は1970年
 9月12日より。

   〔あらすじ〕

  二・二六事件の衝撃を利用して、軍部の政治進出がはじまった。日華事変、日独伊三国同盟、軍部
 は大陸進攻をつづけながら、着々と国内統制を強化して総力戦体制を作りあげて行った。軍部の期待
 を担って近衛内閣が成立し、東條英機(小林桂樹)が陸相に就任した。しかし、泥沼に陥った、日華
 事変に焦った軍部は、南方進出を企て、その結果アメリカとの関係は険悪になった。海軍の米内光政
 (山村聰)や山本五十六(三船敏郎)はあくまで対米戦争の不可を強調したが、彼等は次第に孤立化
 した。そして近衛内閣は倒壊、次期内閣首班は東條に大命降下した。その間にも軍部の中には、開戦
 への大きな流れが渦を巻いており、東條ももはやそれを替えることは出来なかった。そして開戦。山
 本五十六指揮による真珠湾奇襲攻撃の大戦果はかやのそとにおかれていた国民を湧かせるに十分だっ
 た。マレー沖海戦、シンガポール戦略と、戦果は相いついだ。東條も今までの心労が一気に吹きとん
 で、大いに意気があがった。しかし、ミッドウェーの大敗を機に戦局は逆転した。そしてガダルカナ
 ルの悲惨な敗北。新聞記者新井五郎(加山雄三)はこの撤退作戦に海軍報道班員として従軍し、はじ
 めて前線の真相を知った。だが、大本営は厳重な言論統制をしき楽観的な誇大戦果を発表していた。
 新井は弾圧を覚悟で、真実を報道することを決意した。長い間、真実に飢えていた読者からの反応は
 すばらしかった。しかし、軍の反応もまた強烈だった。新井は報道班員の召集免除の慣例を無視され
 た上での陸軍の策動で「徴罰召集」された。やがて、サイパン島陥落。玉砕した兵士の中には、新井
 と一緒に召集された老兵たちも混っていた。東條批判の声はますます高まり、内閣総辞職を余儀なく
 された。その頃、新井は海軍の尽力で再び報道班員としてフィリピンに赴いていたが、二度と還らぬ
 特攻機をみながら、戦争をくいとめることが出来たかも知れない新聞人としての自分を責めていた。
 しかし、もうすべては遅かった。敗戦を信じぬかのように東條のあのカン高い声がなおも響いていた。
 戦争はそれからなお一年ばかりも続き、激しい空襲に日本の国土も人々も、壊滅的な打撃を受けたの
 であった。

 他に、中村又五郎(昭和天皇)、中谷一郎(佐野=陸軍省軍務課長)、垂水悟郎(武井)、睦五郎(石田
軍務課員、後に陸軍省軍務局長)、冨田浩太郎(富本次官)、森幹太(小山秘書官)、石山健二郎(杉山元=
陸軍参謀総長)、玉川伊佐男(塚本=陸軍幹部)、藤岡重慶(中田=同)、青木義朗(辻井=同)、椎原邦
彦(田部)、福田秀実(小島中佐)、小沢弘治(片桐少佐)、宮川洋一(杉村)、細川俊夫(島田繁太郎)、
北竜二(及川古志郎=海軍大臣)、波多野憲(中川=軍務課員)、三橋達也(大西滝次郎=第11航空艦隊参
謀長)、安部徹(南雲忠一=第1航空艦隊司令長官)、土屋嘉男(岡辺)、船戸順(黒島=先任参謀)、勝
部義夫(空母「赤城」通信参謀)、大前亘(戦艦「長門」通信将校)、向井淳一郎(司令官)、藤田進(永
野修身=海軍軍令部総長)、田島義文(内藤)、緒方燐作(福山)、平田昭彦(富田=海軍)、佐原健二
(岡本)、当銀長太郎(庄司)、江原達怡(三国=海軍参謀)、久保明(高見=同)、原保美(栗原=海軍
報道部長)、堺左千夫(北村上等兵)、鈴木和夫(陸軍下士官)、岩本弘司(伝令兵)、広瀬正一(兵隊)、
伊藤孝雄(中村)、田中浩(結城)、木村博人(田宮)、新田昌玄(丘中尉)、黒沢年雄(島垣=特攻隊員)、
志村喬(竹田=毎日新聞編集総長)、清水元(吉沢=同じく編集局長)、北村和夫(山中=同じく政治部長)、
中原成男(添田=同じく整理部長)、寺田農(藤井=同じく政治部記者)、高津住男(横山=同)、岸田森
(高倉=同)、佐田豊(後藤)、上西孝(給仕A)、小笠原優悦(給仕B)、加藤春哉(黒潮会記者)、神
山繁(近衛文磨=公爵)、中村伸郎(木戸幸一=内大臣)、清水将夫(来栖三郎=特命全権大使)、宮口精
二(東郷茂徳=外務大臣)、安川徳三(豊田貞次郎)、小山源喜(鈴木貞次郎)、山本武(賀屋興宣)、宮
本曠二郎(原嘉道)、落合義雄(岡田啓介=首相)、藤山竜一(広田弘毅=首相)、佐々木孝丸(若槻礼次
郎=元首相、重臣)、岡泰正(阿部信行=同)、野村清一郎(平沼騏一郎=同)、田村奈巳(新井きみ江=
五郎の妻)、中真千子(隣組の婦人)、矢野洋子(若い母)、天本英世(冬木=新井の元先生)、南風夕子
(東條夫人)などが出演している。


  『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』、監督:山本薩夫、日活、1971年。

   「日日是労働セレクト26」より

 『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』(監督:山本薩夫、日活、1971年)の感想を綴ろう。先ず、
第一部の解説が冒頭に設けられているので、それを書き取ってみよう。例によって耳から拾ったので、正
確とは言えないが、どうぞご寛恕願いたい。なお、ナレーターは鈴木瑞穂である。

  昭和3年初頭、中国大陸、蒋介石を総帥とする南京の国民政府軍は、北京に侵出して来た満州
 軍閥張作霖を討つために40万の兵を北に向けていた。この頃、満州には、日清・日露両戦争で獲
 得した権益を守るために、日本の関東軍が駐屯していた。関東軍は時の田中内閣の対日中国強硬
 路線を背景に、満蒙を中国から切り離し、日本の支配下に置こうと、虎視眈々、その機会を狙っ
 ていた。新興財閥伍代家のサロン、当主伍代由介(滝沢修)は、風雲急を告げる中国大陸の情勢
 をめぐって、長男英介(高橋悦史)、実弟喬介(芦田伸介)らと、今後の方針を検討していた。
 喬介はすでに満州に乗り込み、関東軍の強硬派と気脈を通じていた。伍代家の次男俊介(中村勘
 九郎から北大路欣也へ)は、標(しめぎ)耕平(吉田次昭から山本圭へ)と知り合った。耕平の
 兄拓郎(伊藤孝雄)は、伍代産業の工場労働者であったが、この年3月15日に行なわれた左翼一
 斉検挙に連座し、獄につながれていた。俊介は耕平や貧乏画家の灰山(江原真二郎)を通じて貧
 しい労働者の生活を知り、次第に社会の矛盾に目を向けてゆくようになった。伍代家にあって、
 俊介の唯一の理解者は長女の由紀子(浅丘ルリ子)であった。由紀子は直情径行な青年将校柘植
 中尉(高橋英樹)を愛していた。一方、満州の関東軍は、張作霖を暗殺し、混乱に乗じて一挙に
 武力占領するという陰謀を企んでいた。こうした中で、満州の抗日運動は次第に拡がっていった。
 朝鮮人徐在林(地井武男)は、万歳事件で日本兵に一家を惨殺された怨みから、中国共産党満州
 小委員会白永祥(山本学)、満人のブルジョワの娘趙瑞芳(栗原小巻)は、横暴な日本の侵略行
 為に対する怒りから、抗日運動へと参加していった。日本人の中にも批判的な者がいた。満州医
 大講師の服部(加藤剛)、伍代公司の高畠(高橋幸治)たちだった。関東軍の板垣参謀長(藤岡
 重慶)、石原参謀(山内明)らは、昭和6年9月18日、奉天柳条溝(現在では、「柳条湖」が正
 しいとされている)付近で満鉄列車を爆破、これを張学良軍の仕業だとして、一斉攻撃を開始し
 た。いわゆる「満州事変」である。この戦いの中で、獄から出され、第一線部隊に配属された耕
 平の兄拓郎は戦死した。昭和7年、戦火は上海へ飛んだ。上海の第一線には、柘植大尉の姿があ
 った。こうして人々は、好むと好まざるとに拘わらず、 戦争の大きな渦の中に巻き込まれていっ
 たのである。

 さらに、本篇のイントロダクションが続く。一部文言を改変したが、ご海容いただきたい。

  昭和7年3月1日、満州国建国宣言、清朝廃帝、宣統帝溥儀、満州国執政に就任。同、5月15
 日、「五・一五事件」勃発。犬養首相、海軍将校らに射殺される。同11月12日、東京地裁尾崎判
 事、政治活動の疑いで検挙。以後、司法官の免官各地に拡がる。昭和8年1月30日、ドイツ、ヒ
 トラー内閣成立。同2月24日、国際連盟総会、満州国不承認を決議。日本、国際連盟を脱退。同
 5月10日、滝川事件。京大、滝川教授、左翼思想を理由に文部当局により処分、後日、京大法学
 部全教授総辞職。同7月11日、神兵隊右翼クーデター未遂事件。同12月25日、日本共産党中央部
 弾圧。宮本顕治ら800余名を検挙。昭和9年3月1日、満州国帝政を実施。執政溥儀、満州国皇
 帝となる。同11月20日、陸軍青年将校、士官学校生徒らクーデター発覚 ─ 士官学校事件。昭和
 10年2月18日、美濃部達吉博士の<天皇機関説>議会で攻撃される。

 今回は筋を追わないが、見所だけは押さえておこう。先ず、灰山や陣内(南原宏治)や耕平が特高で甚
振られるが、そのとき「小林多喜二の死に様」という言葉が出て来る。また、ファッショ文学運動の推進
者として、直木三十五(映画では「みそご」と発音されていた)、久米正雄、三上於菟吉、白井喬二の名
前が挙がっている。さらに、左翼系の本の著者として、蔵原惟人や戸坂潤の名前が挙がっている。監督の
山本薩夫は左翼陣営の人であるから、この辺りの描写は不可欠であったのだろうが、少し紋切り型すぎて
通俗に堕してしまったきらいがある。ただ、特高刑事として草薙幸二郎が出演しているが、この人にこう
いう役をやらせるととてもうまいので、その点で見所の一つと言えるだろう。
 右翼も出て来る。伍代産業の本社を訪ねて来た「防人會(さきもりかい)」の連中である。「昭和維新
断行ニ逆ラウ伍代財閥ノ暴挙」という宣伝ビラを買えというのである。応対した英介は、一枚10銭、1万
枚で千円という値段ならば取引に応じるという。脅しにも屈しないし、かと言って国の方針にも逆らわな
いという柔軟性を示しているつもりなのだろう。英介が名乗るとき、胸が反り返っている構図で描かれて
いるが、傲慢な英介の心が見る者に分りやすく示されていた。英介は時代の流れを逆行することを懼れ、
父由介の「実業一点張り」の姿勢に批判的なのである。具体的には、三井や三菱のように、伍代産業の体
制を軍需産業にシフトすべきだというのである。二人の会話を拾ってみよう。

 由介:「皇道派*」も「統制派**」も、一皮むけば将官連中の古狸が若い者を利用しているだけだ。
    政党の腕利きが陣笠を買って頭数を増やそうとするのと同じだな。要は元老・重臣・財閥・
    官僚を倒して軍閥内閣をつくることだろう。だが、建設のプログラムはできているのか。生
    意気盛りの子どもがちょっとばかり関心があって、時計を壊してみる。しかし、一つしかな
    い時計だから、組み立てなきゃならん。やってみるが、子どもにはそれができん。結局、時
    計屋にもってゆく。それでは困るぞ。
 英介:国家の改革と子どもの遊びを一緒にされたらたまりません。認識不足ですよ。
 由介:知能的には子どもの遊びだ。血腥いだけよけいに始末が悪い。天皇だ、国家だと旗印を立て
    るが、国という複雑な社会で一つの歯車がどっちへ曲るかも知っていないだろう。

  * 旧日本陸軍内部の一派閥。荒木貞夫・真崎甚三郎を中心に、昭和7〔1932〕年頃から勢力を
   もった。クーデターによる国家改造を計画したが、統制派と対立、二・二六事件の失敗により
   衰退した。『デジタル大辞泉』より。
  ** 昭和初期、陸軍内で皇道派に対立した派閥。永田鉄山・東条英機らが中心で、直接行動を
    唱える青年将校の運動を封じ、一元的統制の下での国家改造を目ざした。二・二六事件以後、
    軍部の指導権を握った。『デジタル大辞泉』より。

 由介と英介、あるいは由介と喬介、または喬介と英介、それぞれの立場は微妙に違うけれども、少なく
とも俊介から見れば、三人ともに同じ穴の狢であろう。所詮、憂国の士でもなければ、社会的弱者の味方
でもない、ただのスノッブだからである。それでは、俊介はどうだろうか。彼は、英介の元婚約者である
狩野温子(佐久間良子)との恋に生きようとするロマンティストである。しかし、温子には夫があった。
狩野市郎(西村晃)という中年男である。この映画では俊介と温子に同情的であるが、小生に言わせれば、
やはり身勝手で無鉄砲な印象は免れず、清純どころかかえって薄汚く見えた。恋愛観の相違と言ってしま
えばお仕舞いだが、この手の恋愛を称揚すればするほど、単に性欲が意識化で蠢いているだけじゃないか、
と思ってしまう。しかし、俊介の友人の耕平と伍代順子〔よりこ〕(佐藤萬理から吉永小百合へ)との恋
は様相を異にすると思う。耕平はやはり生粋のプロレタリアートであり、俊介とは所詮立場が違うのであ
る。耕平がありきたりの青年だったならば、恋する順子の気持を利用して階級的にのし上ることも可能だ
ったのだから。しかし、耕平はそうしなかった。兄拓郎の無念が心の底まで浸透していたからであろう。
もちろん、そんな耕平だからこそ順子も耕平に恋をしたのであって、上昇志向一辺倒の青年だったら、お
そらく鼻も引っ掛けなかっただろう。しかし、所詮子ども染みた淡い恋であって、現実感のないふわふわ
した感情に見える。由紀子と柘植の恋はどうだろうか。由紀子は、軍務に忙しい柘植をひたすら待ちなが
らも、「女がいつまでも待っているとは思わないで」という言葉を当の恋する相手に投げつけている。端
的に言って由紀子は潔く、温子や順子とは違う女であることをはっきりと示している。さて、もう一つの
恋もある。服部達夫と趙瑞芳との恋である。こちらは、瑞芳に深い傷がある。英介に犯されたことや父大
福(龍岡晋)が伍代家に騙されたことなどである。したがって、服部の愛も直截には示されない。しかし、
鴻珊子(岸田今日子)の手を借りたとはいえ、命がけで瑞芳を亡命させることによって、その愛が本物で
あることが分る。このように、四つの恋愛を概観したが、この映画で一番の売りである俊介と温子の恋は、
小生にとっては一番くだらない恋だという結論に達せざるを得なかった。判定、女は由紀子を、男は服部
を買いたい。
 エピソードは他にもたくさんある。その一つは、柘植が垣間見た石井部隊(七三一部隊)の実態である。
周知のように陸軍軍医正〔後、軍医中将〕(軍医総監、軍医監に次ぐ役職)の石井四郎が率いる部隊で、
元々は関東軍の管轄区域内で、防疫や給水業務を行うことを目的に設置された組織であるが、実際には、
細菌・化学戦研究のために、中国人捕虜やモンゴル人捕虜を用いて生体解剖などを行ったとされている部
隊である(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。映画では、ホスゲン(Phosgen)・
ガス〔塩化カルボニルの別称〕実験、青酸実験、電気の衝撃実験などが描かれている。柘植は、「人体実
験を受けているのは死刑囚か」と、担当者に尋ねている。それに対する答えは、「全員、反満抗日連合軍
と称する共産匪の捕虜だ」であった。
 鴫田駒次郎(三國連太郎)、大塩雷太(辻萬長)、高畠正典、白永祥などの、第一部から続く物語もそ
れなりに面白く、徐在林と全明福(木村夏江)の愛なども見所であろう。また、「五族(漢・満州・蒙古・
西蔵〔チベット〕・ウイグル)協和」や「王道楽土」といった満州国のスローガンの偽善性(日満ブロッ
ク経済による共存共栄を謳いながら、その実、趙大福所有の鉱山を接収してしまうこと、あるいは、阿片
の密売によるボロ儲けなど)、皇道派と統制派の角逐から生じた相沢中佐事件なども、丁寧に描いている。
とくに、皇道派の相沢三郎中佐(玉川伊佐夫)が統制派の軍務局長永田鉄山少将を斬殺する場面などには
迫力があった。
 二・二六事件の様子も描かれている。ナレーションを以下に書き写してみよう。

  昭和11年2月26日、かねてから元老・重臣・財閥・官僚などを打倒し、天皇親政下の軍事政権
 を主張していた、皇道派の一部青年将校は、この日、昭和維新国家改造のスローガンを掲げて決
 起。歩兵第一連隊、同第三連隊、近衛歩兵第三連隊の下士官・兵1,400余名を率いて、岡田啓介
 首相を始めとする、政界要人を襲撃。朝日新聞社などを襲った後、首相官邸付近一帯を占拠した。
 殺害された者、内大臣斉藤実、大蔵大臣高橋是清、陸軍教育総監大将渡辺錠太郎、重傷を負った
 侍従長、大将鈴木貫太郎は、奇跡的に一命を取り留めた。「二・二六事件」と呼ぶ。同7月12日、
 二・二六事件の首謀者15名、銃殺刑に処せられる。

 その他、抗日運動の高まりに呼応して、中国国民党政府軍事委員長蒋介石と、中国共産党軍事委員会副
主席周恩来との間に、内戦の停戦が結成された、いわゆる「西安事件」なども描かれている。これは、国
民党政府掃共軍司令官張学良の画策で実現したことである。「愛国即戦争即他国への侵略」や「抗日即生
不抗日即死」などの言葉が踊っている。
 昭和12年7月8日午前5時30分、北京郊外盧溝橋付近で、日本軍と中国軍が衝突。宣戦布告なき日中戦
争が開始されたのである。

      奉勅

     支那駐屯軍ハ
     平津地方ノ支那軍ヲ
     膺懲シテ、同地方ノ
     主要各地ノ安定ニ任
     スヘシ

                  参謀総長 閑院宮戴仁

 他に、水戸光子(お滝)、波多野憲(武居弘道)、山田禅二(梅谷庄吉)、和泉雅子(梅谷邦)、岩崎
信忠(趙延年)、斉藤真(島津)、井川比佐志(朴)、大月ウルフ(イワーノフ)、高原駿雄(車夫)な
どが出演している。


  『戒厳令』、監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1973年。

   「日日是労働セレクト26」より

 邦画の『戒厳令』(監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1973年)を観た。吉田喜重らしい難解な台詞に満
ちた作品である。北一輝の『日本改造法案大綱』を読んだこともなく、二・二六事件の背景もよく分らない
身にとって、この映画の鑑賞には辛いものがあった。極力娯楽性を排除し、律義に北とその周辺を描いてい
るからである。また、俳優も知らない人が多く、主人公の北一輝を演じた三國連太郎も、どちらかと言えば
切れのない演技に終始している。わずかに面白いと感じたのは、盲目となった傷痍軍人(今福正雄)と北が
対峙したときで、とくに今福は迫真の演技を披露していると思う。また、どんな身分の人物かは分らないが
(特高警察か、あるいは憲兵隊か)、とにかく北を取り調べている人物の一人(内藤武敏)の台詞を書き取
っておこう。

 「あれ(「日本改造法案大綱」のこと)からは、戒厳令を布き、憲法を停止するということと、そ
  の戒厳令下を在郷軍人が活動するということしか読み取れなかった」。

 傍流である安田善次郎を刺殺した朝日平吾(辻萬長)とその姉(八木昌子)の話や、兵士(三宅康夫)と
その妻(倉野章子)の話も、本流である北の内面の動きと上手に絡み合っているとは思えなかった。北の側
近の西田税(菅野忠彦)や岩佐(飯沼慧)も、その人物像が見え難かった。また、北の妻のすず(松村康世)
も、どんな人間かさっぱり見えてこなかった。北が大正天皇に『法華経』三巻を献上した折、その受領書に
は何も書かれてなかったこと、頻繁に登場する明治天皇の写真(絵画)、「革命家の本分は革命を起こすこ
とではなくて、革命に耐えられることである」という北の台詞、処刑されるとき「天皇陛下、万歳」を叫ぶ
のかという官吏の質問に対して、「死に際にはそんな冗談は言わないことにしている」と答える北など、い
ろいろ謎があり、「北一輝や二・二六事件に関して十分に勉強した後、改めて観なければよく分らない」と
いうのが正直な感想である。若い頃、この映画の脚本を担当した別役実の戯曲をいくつか読んだことがある
が、不思議な読後感であったことを覚えている。思うに、文章として読むと想像力を掻き立てられるが、い
ざ映像化すると途端に難解になる作風なのかもしれない。また、同じ素材を別の監督が扱ったならば、だい
ぶ異なる作品になったのではないか、と思う。たとえば、本編にはエロチックな場面がいくらか出て来るが、
映画全体に何の関係があるのかと思ったからである。他の監督だったら、強引にでも辻褄合わせを行なって
いただろう。侍従長時代の鈴木貫太郎が銃撃されるシーンがあるが、どこで撮影したのだろう、と思った。
素敵な庭だからである。


  『動乱』、監督:森谷司郎、東映=シナノ企画、1980年。

   「日日是労働セレクト88」より

 DVDで邦画の『動乱』(監督:森谷司郎、東映=シナノ企画、1980年)を観た。二・二六事件を背景に、軍
人とその妻の夫婦愛を描いている映画である。この事件を扱った映画に関しては以前にまとめたことがある
ので、以下にそれを転載してみよう。「日日是労働セレクト81」に載っている記事である。


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 某月某日

 DVDで邦画の『226』(監督:五社英雄、フィーチャーフィルムエンタープライズ、1989年)を観た。昭  
和11(1936)年2月26日に起こった、いわゆる「二・二六事件」(12月29日、鎮圧)を扱った映画である。英
題は《The Four Days of Snow and Blood》。冒頭にナレーションが入るので、それを記しておこう。なお、
耳から拾った文章なので正確ではない。

  昭和の初め、日本は満州で武力侵出をめぐって国際聯盟を脱退、国際的に孤立し、国内でも血盟団、
 五・一五事件、相沢中佐による永田軍務局長刺殺事件が相次いで起こり、経済不況と東北地方の凶作
 による農村恐慌とが相重なって、国民の不安と不満は絶頂に達していた。

 併せて、以下のような貼紙が人目を惹く。

     娘身賣の場合は當相談所へ御出下さい

              伊佐澤村相談所

 二・二六事件を扱った映画は、この他に以下のような作品がある。

 『叛乱』、監督:佐分利信/阿部豊、新東宝、1954年〔筆者、未見〕。
 『銃殺 2・26の叛乱』、監督:小林恒夫、東映東京、1964年〔筆者、未見扱い〕。
 『憂国』、監督:三島由紀夫、東宝=ATG、1966年〔筆者、未見〕。
 『動乱』、監督:森谷司郎、東映=シナノ企画、1980年〔筆者、未見扱い〕。

 上記の作品のうち、『銃殺 2・26の叛乱』はたぶん封切時に映画館で観ていると思うが、記憶が曖昧なの
で未見扱いにしている作品である。また、『動乱』もTVで観た気がするが、これも記憶が曖昧なので未見扱
い。残る2作品は観ていない。
 さて、当該作品であるが、丁寧に作ってはいるものの、総花的描写は否定しがたく、焦点がぼやけてしま
っている。また、萩原健一の華は買うけれども滑舌が悪く、三浦友和も柔和すぎて軍人の気骨があまり伝わ
ってこなかった。軍服が似合っていたのは、川谷拓三、高松英郎、大和田伸也あたりか。松方弘樹や渡瀬恒
彦らの大物も、あまり軍人には見えなかった。少し残念である。その他、オールスター・キャストといって
よいほどの豪華配役であるが、それぞれが殺し合ってひとりひとりの個性があまり生かされていなかった。
この手の作品の陥りやすい欠点である。ともあれ、『日本のいちばん長い日』(監督:岡本喜八、東宝、19
67年)のように仕上げていたら、もっと優れた作品になっていただろう。
 物語を確認しておく。例によって、〈goo 映画〉のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

  昭和8(1933)年、満州への武力進出が問題となり日本は国際連盟を脱退し、国際的に孤立してい
 った。国内でも経済不況と農村恐慌が重なって国民の不満と怒りは頂点に達していた。その頃、陸軍
 の若手将校たちが集まって昭和維新の計画を立てていた。それはこのような窮状を打開するために天
 皇を取り巻く元老や重臣を排除し、陛下の「大御心(おおみごころ)」を直接国政に反映させるしか
 ないというものだった。野中四郎大尉(萩原健一)、安藤輝三大尉(三浦友和)、河野寿大尉(本木
 雅弘)、香田清貞大尉(勝野洋)、栗原安秀中尉(佐野史郎)、中橋基明中尉(うじきつよし)、磯
 部浅一元陸軍一等主計(竹中直人)、村中孝次元陸軍大尉(隆大介)の8人は、昭和11年2月26日未
 明、雪の降る中昭和維新を決行。22名の青年将校に率いられた1,500名にも及ぶ決起部隊はそれぞれ
 連隊の営門を出発した。栗原隊は首相官邸を襲撃し、岡田啓介総理(役者、不詳)を殺害したとも思
 われたが、実は身代わりの松尾伝蔵秘書〔陸軍予備役大佐〕(田中浩)だった。坂井隊は斉藤実内大
 臣(役者、不詳)、渡辺錠太郎教育監督(役者、不詳)を射殺。中橋隊は高橋是清蔵相(役者、不詳)
 を射殺。安藤隊は鈴木貫太郎侍従長〔海軍大将〕(芦田伸介)を襲撃したが、結果的に命はとりとめ
 ることとなった。丹生隊は陸相官邸を占拠し、野中隊は警視庁を占拠。河野隊は湯河原で牧野伸顕伯
 爵〔元内大臣〕(役者、不詳)を襲撃するが、河野は被弾し牧野に逃げられてしまう。河野はそのま
 ま陸軍病院に収容された。陸相官邸では香田と磯部が、川島義之陸軍大臣(金子信雄)や真崎甚三郎
 大将(丹波哲郎)ら高級将校に決起趣旨を述べ今回の行動について陛下の御聖断を要求した。皇居で
 は緊急の軍事参議会議が開かれ、決起を認めるかのような陸軍大臣告示が発表された。しかし、宮中
 では、湯浅倉平宮内大臣(田村高廣)を始め、木戸幸一内大臣秘書館長(長門裕之)、広幡忠隆侍従
 次長(小野寺昭)らの会合の結果、「戒厳令」の御裁可が杉山参謀本部次長(仲代達矢)に下され、
 決起部隊も戒厳部隊に編入された。翌27日には香椎浩平戒厳令司令官〔陸軍中将〕(加藤武)から奉
 勅命令が発表され、決起部隊に原隊への復帰が勧告された。当初決起部隊へ同調していた真崎らの力
 も及ばず事態は次第に皇道派青年将校達の不利な方向へ傾いていった。原隊からは食料の供給を絶た
 れ兵たちは疲れを見せ始めていた。安藤隊は赤坂の山王ホテルに立て籠もるが、ラジオやビラを使っ
 ての原隊復帰の勧告も始まった。青年将校たちの脳裏にも残してきた妻子の顔が浮かぶようになった。
 一方、陸軍第一衛戊病院熱海分院に入院中の河野の元へは兄の河野司(根津甚八)が見舞いに来てい
 たが、腹を切りたいので果物ナイフを用意してくれ、という弟の言葉に愕然としたのだった。陸相官
 邸では一早く坂井直中尉(加藤昌也〔現 雅也〕)が隊員たちに原隊復帰を促していた。山王ホテルで
 は村中らが兵を帰して軍法会義で戦おうと提案するが、安藤はあくまで抵抗した。野中は安藤に兵た
 ちの命と名誉を守ってやろうと説得。初め決起に乗り気でなかった自分を促したのは野中だっただけ
 に、安藤には無念だった。そしてホテルから青年将校一人一人が野中と安藤に敬礼しながら出ていっ
 た。安藤も野中に別れを告げ、兵たちには自分たちのやったことは正しいのだから胸を張って行けと、
 言葉を残した。安藤は拳銃で自決を図るが未遂に終わった。陸相官邸で野中は安藤から返された決起
 を謳ったハンカチを燃やし、拳銃で自決。また、河野も熱海の岸壁で自決していた。29日宮中では事
 変の鎮圧が上奏された。捕らえられた決起部隊の青年将校ら19人は特別軍法会議にかけられ、7月12日、
 全員が銃殺刑に処せられた。弁護人なし、上告なしの裁断であった。

 他に、渡瀬恒彦(石原莞爾大佐)、梅宮辰夫(山王ホテル支配人)、川谷拓三(永田露曹長)、鶴見辰吾
(高橋太郎少尉)、宅麻伸(丹生誠忠中尉)、石橋保(林八郎少尉)、松方弘樹(伊集院兼信少佐)、高松
英郎(山下奉文少将)、新克利(武藤章中佐)、大和田伸也(小野木伍長)、鈴木瑞穂(阿部信行大将)、
藤岡重慶(寺内寿一大将)、ガッツ石松(陸相官邸憲兵曹長)、三上寛(堂込喜市曹長)、日下武史(荒木
貞夫大将)、坂田明(大木伍長)、三遊亭小遊三(三浦作次上等兵)、関口誠人(田中勝中尉)、沖田さと
し(対馬勝雄)、高峰三枝子(斉藤春子)、久我美子(渡辺すず子)、八千草薫(鈴木たか)、藤谷美和子
(坂井孝子)、名取裕子(野中美保子)、有森也実(丹生すみ子)、賀来千香子(香田富美子)、高部知子
(府川きぬえ)、南果歩(安藤房子)、もたいまさこ(秋本サク)、安田成美(田中久子)などが出演して
いる。なお、以下に、戒厳司令部の分断工作としての「勧告ビラ」を記しておく。

    下士官兵ニ告グ

  一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ歸レ
  二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
  三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ

           二月二十九日  戒嚴司令部

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 この記述によれば、『動乱』はもしかしたら観たことがあるとなっているが、覚えている個所がひとつも
ないので、初見だと思う。題名は知っていたので、観たような気がしていたのであろう。もっとも、観たは
ずなのに、2度目に観たときにまったく忘れていることもあるので、鑑賞済みか否かは定かでない。ともあ
れ、2時間半に及ぶ長尺の割には内容が希薄で、あまり優れた作品とは思えない。だから、たとえ観ていた
としても、記憶に残らなかったのであろう。高倉健と吉永小百合のコンビでなければ、もっとひどい結果に
終っていたのではないか。小生が鑑賞済みの『226』とどうしても比較してしまうが、こちらがどちらか
というと史実に忠実なのに対して、当該作品はだいぶフィクションが混入されているらしく、その点でも迫
力不足は否めない。二・二六事件も、決起した青年将校の夫婦愛も、中途半端なかたちでしか描くことがで
きなかったことになる。残念である。
 物語を確認しておこう。例によって、<goo 映画>のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

  第一部「海峡を渡る愛」:昭和七年四月、仙台連隊。宮城啓介大尉(高倉健)が隊長をつとめる中
 隊の初年兵、溝口英雄(永島敏行)が脱走した。姉の薫(吉永小百合)が貧しさから千円で芸者に売
 られようとしていたからだ。溝口は捜索隊の上官(内務班班長)である原田軍曹(小林稔侍)を誤殺
 してしまい、宮城は弁護を申し出るが聞き入れられず、結局溝口は銃殺刑に処せられた。宮城は父の
 広介(志村喬)に用立ててもらった千円を香典として渡す。当時、日本は厳しい経済恐慌に襲われ、
 これを改革すべく、一部の海軍将校と陸軍士官候補生らが決起した。五・一五事件である。クーデタ
 ーは失敗に終り、陸軍内部の皇道派と統制派の対立を激化させた。この影響は仙台にいる宮城にまで
 及び、部下から脱走兵を出した責任で朝鮮の国境守備隊へ転任を命じられる。そこは、朝鮮匪賊へ軍
 需物資の横流しが平然と行なわれる腐敗したところだった。宮城は将校をねぎらう宴に招待され、そ
 こで芸者になった薫と再会する。薫を責める宮城。数日後、薫が自殺を図った。宮城は軍の不正を不
 問に付すことで、薬を入手し薫の命を救う。その頃、国内では統制派によって戦争準備が押し進めら
 れていた。
  第二部「雪降り止まず」:昭和十年十月、東京。宮城は第一連隊に配属になり、薫とともに居をか
 まえた。しかし、二人の間にはまだ男と女の関係はなかった。宮城の家には多くの青年将校が訪れ、
 「建設か破壊か」と熱っぽく語り合っていく。憲兵隊の島謙太郎曹長(米倉斉加年)はそんな宮城家
 の向いに往みこんで、四六時中、見張りを続けていた。ある日、宮城は恩師であり皇道派の長老格で
 もある神崎中佐(田村高廣)を薫と伴に訪れた。神崎の家庭の幸せを見て、薫は「私の身体は汚れて
 いるから抱けないんですか」と宮城につめよる。数日後、宮城が決行を決意していた水沼鉄太郎軍務
 局長(天津敏)暗殺を神崎が単身で陸軍省におもむき果してしまった。この事件は青年将校たちに、
 「時、至れり」の感を持たせ、昭和維新への機運が一気に高まった。宮城たちの行動に、心情的には
 同調しながらも、憲兵という職務からことを事前に防ごうと島は苦悩する。決行の日が決まり、宮城
 は実家に帰り父に薫のことを頼むと、はじめて彼女を抱くのだった。決行の日が来た。時に昭和十一
 年二月二十五日。夜半から降りはじめた雪は、男たちの熱い思いと、女たちの哀しい宿命をつつみこ
 んで、熄むことなく降り続いていた……。

 他に、佐藤慶(広津美次中将/ナレーター)、田中邦衛(小松少尉)、新田昌玄(安井大尉)、桜田淳子
(高見葉子)、にしきのあきら(野上光晴=葉子の夫、青年将校のひとり)、左とん平(朴烈全=軍需物資
の横流しをする男)、日色ともゑ(神崎昌子=神崎中佐の妻)、金田龍之介(三田村利政大将)、小池朝雄
(三角連隊長)、川津祐介(陸軍刑務所の看守)、久米明(薫の父)、中田博久(本間大尉)、小堀阿吉雄
(鹿島義一郎大将)、森下哲夫(牧野憲兵上等兵)、青木卓司(折口二等兵)、織田あきら(永井上等兵)、
近藤宏(柴田大佐)、岸田森(小林少佐)、田中浩(立石少佐)、三重衛恒二(朴の配下のひとり)、団巌
(将校のひとり)、名和宏(少佐A)、嵯峨善兵(笹井田巌)、瀬良明(犬養首相)、野口元夫(蔵相)、
浜田晃(小森少尉)、相馬剛三(裁判長)、佐川二郎(女衒)、高野高志(医師)などが出演している。
 高倉健と吉永小百合の濡れ場があるが、やはり建さんには似合わない。芸者になった吉永小百合もどこか
不自然である。元々脚本が練れていないのではないか。溝口の脱走の動機も首を傾げたくなる。挙げ出すと
切りがないので、この辺でやめておこう。


  『226』、監督:五社英雄、フィーチャーフィルムエンタープライズ、1989年。

   「日日是労働セレクト81」にある同映画へのコメントは、上で引用済み。


  『スパイ・ゾルゲ』、監督:篠田正浩、スパイ・ゾルゲ製作委員会〔表現社=アスミック・エース
   エンタテインメント=東宝=セガ=日本情報コンサルティング=オービック=イマジカ=カルチュア・
   パブリッシャーズ=テレビ朝日=サミー=フィールズ〕、2003年。

   「日日是労働セレクト155」より

 DVDで邦画の『スパイ・ゾルゲ』(監督:篠田正浩、スパイ・ゾルゲ製作委員会〔表現社=アスミック・
エース エンタテインメント=東宝=セガ=日本情報コンサルティング=オービック=イマジカ=カルチュア・ 
パブリッシャーズ=テレビ朝日=サミー=フィールズ〕、2003年)を観た。篠田監督の作品は、以下のよう  
に15本観ているが、3本の指に入る佳品だと思う。

  『乾いた花』、監督:篠田正浩、松竹大船、1964年。
  『暗殺』、監督:篠田正浩、松竹京都、1964年。
  『処刑の島』、監督:篠田正浩、日生プロ、1966年。
  『心中天網島』、監督:篠田正浩、表現社=ATG、1969年。
  『無頼漢』、監督:篠田正浩、にんじんくらぶ=東宝、1970年。
  『沈黙 SILENCE』、監督:篠田正浩、表現社=マコ・インターナショナル、1971年。
  『化石の森』、監督:篠田正浩、東京映画、1973年。
  『卑弥呼』、監督:篠田正浩、表現社=ATG、1974年。
  『桜の森の満開の下』、監督:篠田正浩、芸苑社、1975年。
  『はなれ瞽女おりん』、監督:篠田正浩、表現社、1977年。
  『悪霊島』、監督:篠田正浩、角川春樹事務所、1981年。
  『瀬戸内少年野球団』、監督:篠田正浩、YOUの会=ヘラルド・エース、1984年。
  『鑓の権三』、監督:篠田正浩、表現社=松竹、1986年。
  『少年時代』、監督:篠田正浩、藤子スタジオ=テレビ朝日=小学館=中央公論社=旭通信社=シンエイ
   動画、1990年。
  『スパイ・ゾルゲ』、監督:篠田正浩、スパイ・ゾルゲ製作委員会〔表現社=アスミック・エース
   エンタテインメント=東宝=セガ=日本情報コンサルティング=オービック=イマジカ=カルチュア・
   パブリッシャーズ=テレビ朝日=サミー=フィールズ〕、2003年。

 以上である。題材が題材なだけに、よくぞ挑戦したと思う。それどころか、作っただけでも手柄だと思う。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。

   〔解説〕

  巨匠・篠田正浩が念願の企画を実現させた歴史大作。戦争へと突き進む日本に存在した国際的スパ
 イ、ゾルゲの暗躍を軸に、昭和初期の激動の時代をスケール豊かに描く。

   〔あらすじ〕

  1895年、アゼルバイジャンの油田地帯の町・バクーで、ドイツ人の父とロシア人の母の間に生まれ
 たリヒャルト・ゾルゲ(IAIN GLEN)は、昭和16年秋、尾崎秀實(本木雅弘)と共に国防保安法及び治
 安維持法違反の容疑で検挙され、特高警察の厳しい追及に遂に共産主義のスパイであることを認めた。
 米国人ジャーナリスト、アグネス・スメドレー(MIA YOO)の紹介でゾルゲと尾崎が出会ったのは、
 昭和6年の上海。当時、朝日新聞社上海通信局に赴任していた尾崎は、「列強からアジアを救いたい」
 という信念から日本上層部の情報をゾルゲに伝え、ゾルゲはそれをモスクワの赤軍第四本部へ送った。
 その後、ドイツ新聞記者を装い東京のドイツ大使館に出入りするようになったゾルゲ。オイゲン・オ
 ット大佐〔後に、駐日ドイツ大使〕(ULRICH MUHE)〔MUHEのUにはウムラウトが付く〕の力添えでヒ
 ットラー率いるナチスに入党した彼は、それからも、近衛内閣嘱託、さらに南満州鉄道嘱託となった
 尾崎や、大使館から入手した国家機密を無線でモスクワの赤軍第四本部へ送り続けたが、スターリン
 (PETER BORCHERT)の粛正が激しさを増すと、二重スパイではないかと疑われ、宣戦布告無しのドイ
 ツ軍ソ連侵攻の情報は無視されてしまう。やがて、時代は目まぐるしく変化し、第二次世界大戦直前。
 母国での信頼を回復していたゾルゲは、尾崎からもたらされた御前会議で決定した日本軍の南進策を
 モスクワへ打電する。報せを受けたソ連は、兵力をドイツ軍に集中させスターリングラードの戦いで
 圧勝。しかし、これを最後に任を解かれる筈だったゾルゲは、尾崎と共に逮捕され、3年間の獄中生
 活の後、1944年11月7日、「国際共産主義万歳」という最後の言葉を残し処刑されたのであった。

 他に、椎名桔平(吉河光貞=思想犯専門の検事)、上川隆也(特高“T”)、葉月里緒菜(三宅華子=ゾ
ルゲの恋人のひとり)、小雪(山崎淑子=ヴェケリッチの妻)、夏川結衣(尾崎英子=秀實の妻)、永澤俊
矢(宮城与徳=沖縄県出身の画家、秀實の同志、最初「南龍一」と名乗った)、榎木孝明(近衛文麿=公爵・
首相)、WOLFGANG ZECHMAYER(マックス・クラウゼン=ゾルゲの同志のひとり)、ARMIN MAREWSKI
(ブランコ・ド・ヴェケリッチ=同)、CATHERINE FLEMMING(カーチャ=ゾルゲの妻)、KAREN FRIESICKE
(ヘルマ・オット=オイゲンの妻、ゾルゲの浮気相手)、竹中直人(東條英機)、岩下志麻(近衛千代子=
文麿の妻)、大滝秀治(西園寺公望)、麿赤児(杉山元=陸軍大臣)、加藤治子(1990年の華子)、佐藤慶
(墓守)、石原良純(中橋中尉)、花柳錦之輔(昭和天皇=大元帥)、吹越満(西園寺公一=公望の孫)、
鶴見辰吾(牛場友彦=近衛文麿の秘書)、津村鷹志(内務省の男=“T”の上司)、河原崎建三(朝日上海
通信局長=尾崎秀實の上司)、原口剛(本庄繁=侍従武官長)、不破万作(見物の男)、観世榮夫(能/善
知鳥)、LENA LESSING(アンナ・クラウゼン)、MARIAN WOLF(ディレクセン大使)、MAX HOPP
(ショル少佐、後に中佐)、MICHAEI GHRISTIAN(マイジンガー大佐)、ALEXANDRA FINDER
(キーファ秘書)、MAREK WLODARCZYK(ベルジン大将)、JURIJ ROSSTALNYI(ウリツキー大尉)、
ROBERT MIKA(ラヴレンティ・ベリヤ)、JAREK WOZNIAK(ヴィクトール)、ROGER PULVERS
(新聞記者)、GEORG O.P. ESCHERT(ケテル)、VINCENT GIRY(U.S.MP)、野田よし子(クララ)、
松永恵美(モニカ)、峰岸みくさ(ベルタ)、下出丞一(バーテン)、神野寛子(受付嬢)、麻丘しのぶ
(女中)、菊池康二(大橋秀雄=吉河の部下)、松村穣(拘置所通訳)、津田健次郎(報道カメラマン)、
鶴岡大二郎(栗原中尉)、佐藤学(安藤大尉)、田中弘太郎(青年将校)、秋間登(刑務所看守)、りゅう
雅登(満鉄司会者)、野村信次(避難訓練の男)、江口ナオ(娼婦)、沈莉輝(上海の少女)、江口達也
(大陸浪人)、木村翠(華子の母)、福井友信(日光の通訳)、岡村洋一(緒方竹虎=東京朝日新聞主筆)、
山本哲也(肖像画の軍人)、大島隆弘(逓信省通信士)、金子達(高橋是清=大蔵大臣)、 中村方隆(街
頭写真屋)、石毛誠(インテリ失業者)、福井晋(ロシア語の男)、篠田正浩(山崎淑子の父親)などが
出演している。
 戦前を復活させることはきわめて困難だと思うが、SFXなどを駆使して、かなりリアリティを感じさせる映
像作りに成功していると思う。役者の演技もなかなかのもので、とくに外国人の活き活きとした演技は特筆
ものであった。スターリン役の俳優がスターリンそっくりだったことは愛嬌だとしても、主人公のゾルゲ役
を演じたイアン・グレンを筆頭に、皆優れていると思った。どのような経緯でキャスティングを行ったので
あろうか、少し気になった。

 ***********************************************


 以上である。案の定、『銃殺』(監督:小林恒夫、東映東京、1964年)への言及があった。このときはあ
やふやだったが、完全に鑑賞済みであることを思い出した。なお、最も印象的な役者は、『日本暗殺秘録』
に登場する相沢三郎中佐役の高倉健である。
 さて、当該映画の物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝し
たい。なお、一部改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  二・二六事件に至る陸軍部内の葛藤相剋を描いた立野信之の直木賞受賞作品『叛乱』を原作に『に
 っぽん製』の菊島隆三が脚色、『広場の孤独』の佐分利信が監督した。なお、佐分利監督は撮影中病
 いに倒れたため、阿部豊監督が後をつぎ、これを内川清一郎監督が補佐している。撮影は『銀二郎の
 片腕』の小原譲治、音楽は『広場の孤独』の早坂文雄。キャストは映画俳優の他、新派、新劇人が大
 挙出演している。

   〔あらすじ〕

  昭和十年八月十二日。福山から台湾に転出を命ぜられていた相沢三郎中佐(辰巳柳太郎)は、赴任
 の途中、陸軍省に立ち寄り、軍務局長永田鉄山(野村清一郎)を一刀のもとに斬殺した。意外にも犯
 人には毫も罪の意識がなく、兇行直後、平然と任地に出発しようとして傍人を愕かした。それも理わ
 り、永田少将は満洲事変によってふくれあがった日本陸軍の規模をそのまま対支対ソ戦に切換えるべ
 く財閥と結んで国家総動員体制を企図したいわゆる統制派の中心人物であり、これに対して資本主義
 による農漁村の疲弊に憤り、腐敗した財界、政界、軍閥を倒して天皇親政の国家改造を断行しようと
 する皇道派の、相沢はもっとも純粋な分子だった。果然、「相沢につづけ」の合言葉が皇道派青年将
 校のうちに湧きあがった。これら直接行動派の急尖鋒は、歩一の栗原安秀中尉(小笠原弘)、それを
 時機至らずとして抑えているのは同じ歩一の山口大尉(清水将夫)、そして民間の志士北一輝〔輝次
 郎〕(鶴丸睦彦)、西田税〔みつぎ〕(佐々木孝丸)らであるが、相沢公判をめぐる統制派の陰謀に
 刺戟され、かれらの主張が早急に蹶起へ傾むきかけた矢先、第一師団の満洲派遣が決定した。それも
 三月。「二月にやろう」との声が歩一から歩三に拡がるが、歩三の安藤輝三大尉(細川俊夫)のみは
 依然慎重にかまえている。しかし、その彼も一夜娼家で農村の身売娘・中村ゆみ子(香川京子)の悲
 惨さを目のあたりにして、同志の声に従う決心をした。西田も山口大尉ももはや大勢をせきとめるこ
 とは不可能だった。二月二十六日朝。首相、陸相、侍従長、蔵相、内府、警視庁……あらかじめ、暗
 殺の目星をつけていた要人の許に、幾手かに分れた総員千七百の蹶起部隊は、夜来の白雪をけって殺
 到した。要人らの多くは即死、あるいは深傷を負ってあやうくのがれた。軍も政府もなすところを知
 らなかったが、二十七日に至って香椎中将を司令とする戒厳令が布かれ、二十八日、宮廷内部に統制
 派の強硬論が通り、一方七千の部隊に叛乱軍討伐の勅令が下った。が、アドバルーン、ラジオ等によ
 る香椎中将らの必死の説得で、兵の多くは原隊復帰、主謀者:軍人側香田清貞(丹波哲郎)、安藤両
 大尉以下十七名、民間側北一輝、西田税以下数名は、弁護も主張もゆるされぬ一方的な軍法会議によ
 って、死刑を宣せられた。十日にわたる無政府状態の末、広田内閣が生れ、かくて統制派の勝利はし
 だいに財閥との結合による国臨戦体制へと一切をみちびいていった。

 他に、鶴田浩二(中村上等兵=ゆみ子の兄)、山形勲(磯部浅一=元陸軍一等主計)、安部徹(村中孝次=
元陸軍歩兵大尉)、菅佐原英一(野中四郎大尉)、村山京司(河野大尉)、大野康二(対島中尉)、今清水
基二(中橋中尉)、中原謙二(丹生中尉)、竹中弘道(坂井中尉)、池月正(田中中尉)、三砂亘(安田少
尉)、近藤宏(林少尉)、千葉徹(常盤少尉)、小浜幸夫(高橋少尉)、旗昭二(渋川善助=思想家)、沼
田曜一(新川中尉)、福岡正剛(石田軍曹)、石山健二郎(山下奉文少将)、島田正吾(真崎甚三郎大将)、
御橋公(川島義之陸相)、林幹(阿部大将)、坂内英二郎(片倉少佐)、石黒達也(宮川少佐)、千田是也
(軍法会議判士長)、武村新(鈴木貫太郎侍従長)、藤田進(伊集院少佐)、喜多川隆(小松秘書官)、江
藤勇(小藤大佐)、清水彰(新見大佐)、生方壮児(伊藤老看守)、高松政雄(刑務所長)、児玉一郎(川
元大尉)、冬木京三(歩一副司令)、倉橋宏明(歩一衛兵司令)、津島恵子(やす子=石田軍曹の妻)、外
崎恵美子(真崎大将夫人)、木暮実千代(鈴木侍従長夫人)、田中春男(円タク運転手)、坪井哲(渡辺錠
太郎教育総監)、花岡菊子(同夫人)、高村洋三(憲兵)、高木昇(島上等兵)、石坂呉峰(龍士亭主人)、
勝田完(竹鳥中尉)、宮口精二(橋井警視庁副総監)、高島忠夫(山王ホテル前の野次馬)などが出演して
いる。
 「農村では、家畜よりも先に娘を売ってるんです」(栗原→山口)の台詞や、「必死三昧 天下無敵」、
「尊皇討奸」などの威勢のよい標語、慰問の清酒「雄叫び」などが印象に残った。
 最後に、劇中で登場した文字を拾っておこう。なお、正字や略字は現行の文字に置き換えた。

  昭和六年/満洲事変と前後して/全国農漁村は 打ちつづく/東北地方の凶作など/極度の疲弊に
  あえぎ/世は不況の/どん底にあった/折しも/帝人事件を始め/所謂昭和五大疑獄事件/相つい
  で起り 政界財界/官界の腐堕落は/その極に達していた/一方 陸軍部内も/満州事変による/
  軍備拡張の結果/機構人材共に/著しく膨張し 依って/生じた二つの派閥 ── 即ち/現代戦
  を遂行する/為には/軍事産業を大々的に/拡張し 強力な/国家総動員体制を/敷く/ことを主
  張する統制派と ── 天皇親政の下に/国家改造を断行し/依って国難打開を/計らんとする/
  皇道派がそれである/当時 皇道派の/青年将校達は/資本主義社会の矛盾と罪悪 ── つまり
  農漁村の疲弊という/犠牲の上に立った財閥の繁栄 ── それと結託した/政界軍閥の堕落腐敗
  に/極度の憎悪と/義憤を感じていた/相沢事件は 二派対立の/真只中に投げられた/爆弾であ
  った そして/皇道派青年将校達は/相沢に続け!/相沢を見殺しにするな/の合言葉の下に ──
  昭和十一年二月二十六日 ── 未明/兵千数百名を動員し/元老重臣を襲撃/歴史上未曾有の/
  クーデターを/敢行したのである

  宮中に参内 ── 陛下に拝謁した川島陸相は/「速やかに叛乱軍鎮圧の/対策を講ぜよ」との叱
  責を受け ── /直ちに東溜りの間に於て/軍事参議官会議を開き/非常事態収拾に就いて/協
  議したが ── /結局/天皇の真意に悖り/蹶起部隊の士気を鼓舞/するが如き告示を発する/
  ことになったのである 所謂/陸軍大臣告示がこれである/通達者は ── 山下奉文〔ともゆき〕/
  その夜/戦時警備令が発令/蹶起部隊は/あらたに「地区隊」という/名称を与えられ/事実上 
  叛乱軍ではなく/皇軍の一部隊となった/そして蹶起部隊は真崎主班 柳川陸相の/協力維新内閣
  の実現を/待つのみであった/ ─ 翌二十七日 ─ /明けて ── /二月二十八日/午前五
  時/叛乱軍討伐の/奉勅命令下る/明けて/二月二十九日 ── 

 なお、これは蛇足であるが、監督を務めた佐分利信は、どちらかと言えば俳優としての名前の方が大きい
だろう。なお、<ウィキペディア>に以下のような記述がある。

  1953年(昭和28年)11月8日、『叛乱』の撮影中に膵臓壊疽で倒れて中野組合病院に入院する。11
 月13日には輸血を受けるが重体が続き、一時は危篤と報じるマスコミもあった。2回の手術を受けて
 一命をとりとめるが、『叛乱』の監督は降板し、残りの場面は阿部豊が代理で監督して完成させた。
 西田税役で出演も兼ねており、これも降板して佐々木孝丸が代役を務めた。

 小生の印象では、『お茶漬けの味』(監督:小津安二郎、松竹大船、1952年)での朴訥な中年男役
での振る舞いや、『やくざ戦争 日本の首領(ドン)』(監督:中島貞夫、東映京都、1977年)と『日本の首  
領(ドン)・野望篇』(監督:中島貞夫、東映京都、1977年)で魅せた重厚な演技が光っていると思う。


 某月某日

 DVDで邦画の『叛乱』(監督:佐分利信/阿部豊、新東宝、1954年)を観た。今日はもう遅いので、感想は
後日記すことにする。今調べたところ、同じ二・二六事件を扱った『銃殺』(監督:小林恒夫、東映、1964
年)という邦画が存在し、小生はこれを映画館で鑑賞していることを思い出した。もちろん、当時小学校4
年生だった小生としては、当該事件の詳細など知る由もなかったので、ただただ「怖いなぁ」と感じただけ
だったような気がする。「二・二六事件」(ウィキペディア)によれば、以下16篇の映画化作品がある。か
なり観ているので、それも含めて、後日この事件を改めて考えてみたい。

  映画

 叛乱(1954年、新東宝)
 重臣と青年将校 陸海軍流血史(1958年、新東宝) ※別題:陸海軍流血史 五・一五から二・二六へ
 貴族の階段(1959年、大映)
 二・二六事件 脱出(1962年、東映)
 銃殺(1964年、東映)
 憂国(1966年、ATG)
 けんかえれじい(1966年、日活)
 宴(1967年、松竹)
 日本暗殺秘録(1969年、東映)
 激動の昭和史 軍閥(1970年、東宝)
 戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(1971年、日活)
 戒厳令(1973年、現代映画社 / ATG)
 動乱(1980年、東映 / シナノ企画)
 226(1989年、フィーチャーフィルムエンタープライズ)
 斬殺せよ 切なきもの、それは愛(1990年、サムエンタープライズグループ)
 スパイ・ゾルゲ(2003年、「スパイ・ゾルゲ」製作委員会)

 以上である。なお、『貴族の階段』(監督:吉村公三郎、大映、1959年)、『二・二六事件 脱出』(監督:
小林恒夫、1962年、東映)、『宴』(監督:五所平之助、松竹、1967年)、『斬殺せよ 切なきもの、それは
愛』(監督:須藤久、サムエンタープライズグループ、1990年)以外の12篇は観ている。

                                                 
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