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日日是労働セレクト166
無印良品映画の頁
 新しいサイトを立ち上げます。題して、「無印良品映画の頁」としました。あまり有名ではないけれども、
小生が鑑賞した映画の中で、これはと思う映画を紹介します。主に邦画を取り上げますが、洋画にも少しは
気を向けます。なお、小生のブログにすでに記事のあるものは、それを引用するかたちをとります。記事の
ないものは、思い出しながらその感想を記したいと考えています。SOULSに書き込むこともあと数ヶ月で終
了します。その記念行事(最後のあがき)として行おうと思っています。あまりに忙しいので、その流れに
掉さして、ますます忙しくなろうという目論見です。

                                                  
 「無印良品映画」その1 『洗濯機は俺にまかせろ』


 某月某日

 『洗濯機は俺にまかせろ』(監督:篠原哲雄、ボノボ=スターポート、1999年)を観た。小洒落たタイト
ルが気になっていた作品で、期待通りなかなか面白かった。ただ、まだまだ洗練させることのできる余地が
散見できるので、「傑作」の称号は与えにくい。「佳品の上」と言ったところか。物語の趣向は、中古電器
店に勤める青年、その店の「出戻り娘」、昔その店に勤めていたが、今ではタクシー運転手をしている中年
男の「三角関係」(もう一人若い女性が絡むので、「四角関係」とも言える)を中心に描きながら、ほろ苦
い人生の味を垣間見せるといった類のものである。その意味で平凡な物語であるが、丁寧に描いているので
最後まで飽きさせない。タイトルにもある「洗濯機」は、主人公の木崎敏郎(筒井道隆)の修理における得
意分野で、その仕事ぶりを見ていると情熱をもっていることが窺える。ただし、熱血漢のようなタイプでは
なく、女性には優柔不断で煮え切らない面も見せるが、基本的には淡々と物事に対処する堅実派である。た
とえば、かなり高齢の女性(菅井きん)から「年代物(四半世紀以上も前の製品)」とも言える洗濯機を買
い上げ、それを裕福とは言えないサックス奏者の若者(染谷俊)に3,000円で売るところなど、「商いはこう
でなければいけない」と思った。ただ、惜しむらくは、「出戻り」の片桐節子(富田靖子)と「不良中年」
の大紙泰司(小林薫)の絡みにはやや難が見えたし、喜劇の定番とも言える追っかけシーン(警察官が出て
くる辺り)も鮮度に欠けていた。しかし、何度も強調するが、木崎の好青年ぶりは特筆すべきで、それに絡
む節子(ラジオのDJという職業に誇りをもっている)の微妙な女心にも好感がもてた。一方、大紙という中
年男は、いわゆる「金にだらしがない」タイプである。寸借詐欺すれすれの行為は当たり前だし、人の善意
につけ込むこともうまい。しかし、どことなく「憎めない」といった困った存在である。世の中には、「男
女交際にだらしがない」や「酒を飲むとだらしがない」など、「だらしがない」ことを挙げ始めれば枚挙に
遑がないほどであるが、小生も万事だらしがない人間なので恐縮せざるを得ない。せいぜい「人のふり見て
我がふり直せ」を貫くしかないだろう。なお、主人公の友人吉田役で出演している田鍋謙一郎という役者に
は「赤丸付」注意である。この作品でもいい味を出しているが、精進すればさらに味のある役者になると思
う。主人公に気があるパン屋の店員役の百瀬綾乃も、その佇まいが初々しかった。その他の登場人物である、
節子の父(橋本功)、母(入江若葉)、スナックのママ(根岸季衣)なども含めて、皆自分の居場所を求め
て悪戦苦闘しているが、深刻な問題があるわけではない。したがって、それぞれの人生をどれだけ自覚的に
生きることができるのか、それが問題なのだろう。ところで、作品の流れとは直接の関係はないが、離婚寸
前の夫婦の会話が面白かったので、下に記してみる。夫役は鶴見辰吾、妻役は平沢草である。

 妻:そもそも、あなたの一方的な押し付けが私には堪えられない。
 夫:僕はただ帰宅してレトルトのカレーを食べるのが嫌だっただけだ。
 妻:炊事をするのが女の役目だというのは昭和の考え方。
 夫:男がするのが平成の考え方だ、ということもない。
 妻:仕事で帰りが遅いというわりに、クラブ・ピンキーの名刺は持っている。
 夫:接待で貰ったんだから仕様がないよ。
 妻:技術系は接待がないから遅くならない、と結婚前に言ったのはあなた。
 夫:料理教室に通っているので、モンブラン以外は何でも作れますって言ったのは君。
 妻:休みの日は一緒にスーパーに買い物に行こうと言ったのはあなた。
 夫:車の免許を持っているから、毎日送り迎えをすると言ったのは君だ。

 節子がこのやりとりに呆れて勝手に離婚届に押捺するシーンがあるが、二つの判子を同時に朱肉に押し付
けるところは新鮮な映像であった。また、これは蛇足であるが、上で記したように入江若葉が節子の母親役
で出演している。この女優は、中村錦之助主演の『宮本武蔵』五部作(監督:内田吐夢、東映京都、1961-
65年)でお通の役を演じており、実は小生が生まれて初めて憧れた女優なのである。小学校の低学年生で大
人の女性を慕うということは、どういうことだろうか。もっとも、クレヨンしんちゃんの気持が何となく分
かるのだから、さもありなんである。


 以上が、「日日是労働セレクト7」にある記事である。この映画は妙にこころをくすぐるところがあって、
細部もところどころ覚えている。登場人物の微妙な心理を丁寧に描いているので、小生の好みにも合うのだ
ろう。とくに小林薫が演じた大紙という中年男は印象深く、「餃子は酢だけで食べるのが美味い」といった
台詞があったような気がする。<Movie Walker>に詳しいストーリーが載っているので、それを引用させてい
ただく。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ほぼ原文通りである。ご容赦願いたい。

   〔映画のストーリー〕

  漫画家を目指して上京してきた青年・木崎は、今は下町の商店街にある片桐電機店の支店である中
 古電機店で店番と修理を任されている。そんな彼の元に、ある雨の日、社長の一人娘で仕事にあぶれ
 たDJ・節子が出戻ってきた……、それから一ヶ月後の月曜日。節子は手伝いをするでもなく、なん
 となく店にやってきては適当に木崎をからかう毎日を過ごしていた。一方、木崎はそんな節子の存在
 が気になりながらも、向かいのパン屋の秀子といい感じだ。火曜日。木崎は、秀子に洗濯機の修理の
 依頼を受けたことで、ついでにデートの約束を取りつけた。ところが、水曜日。木崎は、節子にデー
 トに誘われてしまう。しかも、秀子と同じ木曜日に。困った木崎は、社長が楽しみにしている草野球
 を済ませた後、4時までならという約束で節子の申し出を承諾する。木曜日。長引いてしまった試合
 を終えた木崎は、慌てて節子との約束の場所に急ぐが、既に節子の姿はそこになかった。仕方なく4
 時までの時間を潰し、秀子と食事をする木崎。その後、秀子の家へ洗濯機を直しに行こうとして商店
 街を横切っていく節子の姿を見かけた彼は、無性に節子のことが心配になりだし、秀子との約束をキ
 ャンセルして、節子の元に走るのだった。そしてその晩、木崎と節子は酔っ払って今までになく親密
 な関係になっていった。金曜日。かつて店で働いていた今はタクシー運転手の大紙を、借金取りの取
 立から助けた節子。彼女は、以前から抱いていた彼への想いから彼と路上で抱き合ってしまうが、そ
 れを秀子の洗濯機を直しに行く途中の木崎に目撃される。その夜遅く、木崎の元を訪れた節子に、し
 かし木崎は冷たい言葉で彼女を追い返した。土曜日。木崎は、節子のことが気になりながらも、老婆
 から古い洗濯機を譲り受けたり、裏ビデオの宅配のバイトをして警察に捕まった友人の吉田の身元引
 受人になったりして、何かと忙しい。日曜日。今日は店の大売り出しの日だ。店内は大勢の客で大混
 雑。ところが、カップルの客が一台の洗濯機を見て、自分たちが粗大ゴミに出したものだと言い出し
 た。中古とはいえ、ゴミは扱わないことにしていた木崎は断固としてそれを否定したが、結局は客の
 言うとおりで、店の信用はがた落ち。だが、後になってその洗濯機を持ってきたのが大紙であること
 が判明。彼のアパートに乗り込んだ木崎はそこで、大紙が拾ってきたゴミを修理しては、それを売っ
 た金で借金を返済していたことを知る。今まで少なからず尊敬していた大紙の落ちぶれように複雑な
 想いの木崎。彼は、貸していた金を返して貰うことや、今回の一件をチャラにする代わりに、大紙に
 一発平手打ちを喰らわせるのだった。そんな木崎が店に帰ってくると、急に決まった長野でのDJの
 仕事のために、節子が東京を出ていったと社長が話して聞かせた。それから数日後。ラジオ番組で洗
 濯機がないことを話している節子のために、木崎は直したばかりの洗濯機をトラックの荷台に乗せて、
 長野へと走り出すのであった……。

 以上である。ちょっといい話だと思う。ネーミングセンスもいいので、忘れられない映画の1本でもある。



 「無印良品映画」その2 『どぶ』


 某月某日

 『どぶ』(監督:新藤兼人、近代映画協会、1954年)を観た。さて、この映画は、黒澤明の『酔いどれ天
使』(東宝、1948年)、『どん底』(東宝、1957年)、『どですかでん』(四騎の会=東宝、1970年)を髣
髴とさせる映画だった。もちろん物語は全然異なるが、『酔いどれ天使』は、戦争の傷跡がまだ至るところ
に残っていた時代を描いている点で、『どん底』と『どですかでん』は、いわゆる「下層民」を描いている
点で(ただし、『どん底』の舞台は江戸時代)共通する部分が多いからである。また、映像における創意工
夫も数多試みられている意欲作と言えるだろう。乙羽信子、宇野重吉、殿山泰司、菅井一郎、藤原釜足、加
藤嘉、花沢徳衛、山村聰、三崎千恵子(この映画では千枝子)、大滝秀治(この映画では秀司)、左卜全、
神田隆、中北千枝子、下元勉、飯田蝶子、松山政路(この映画では省次)などが出演している。ところで、
本日は忙しいから、感想は明日以降に記そう。なお、これは蛇足であるが、『どぶ』と黒澤明の3作品にお
いて、音声上の共通点があることにお気付きだろうか。いずれにも「ど」の文字が入っているのである。思
うに、「ど」という音には、野暮臭くて重い響きがある。したがって、これらの作品間に微妙な類似性を感
じさせるのだと思う。


 某月某日

 『どぶ』(監督:新藤兼人、近代映画協会、1954年)についての感想を少し。乙羽信子が演じている石橋
ツルという女性がいる。おそらく、若い人ならば、この人のような生涯が存在することすら信じられないか
もしれない。しかし、敗戦直後のことならば、掃いて捨てるほどあった物語だと思う。例によって現代では
不適切な表現を用いるが、歴史的な背景をもっている表現なので、ご海容のほどをお願いしたい。
 さて、満州生まれのツルは、帰国後内地の工場で女工をしていたが、労働争議の果てにあえなく馘首され
る。千葉の伯父(叔父)を頼ろうとするが、路銀を不良どもに巻き上げられて途方に暮れる。その後、歩い
て千葉に向かうが、三日も食事をしていなかったので、とある農家の釜の飯を思わず失敬してしまう。その
結果、ツルはそれを咎めたその家の主に犯される。これで千葉の親戚を頼るわけにもいかなくなり、東京に
流れ着く。今度は男に騙されて土浦の曖昧宿に売られてしまう。そこでしばらく過ごしたが、余りの待遇の
悪さに耐えかねて仲間と一緒に逃亡する。うまく逃げ果せたツルは、横浜の鶴見にある河童沼のほとりのバ
ラックに住みつくことになる。工員の徳さん(殿山泰司)の気紛れな親切(腹を空かしたツルにコッペパン
を与える)がきっかけであった。どうやら徳さんはピンちゃん(宇野重吉)という男の居候らしく、二人と
も競輪に目がない。そのためか、ツルが千円を隠し持っていたことからそれを代価に食事が与えられること
になり、やがて女中代わりに住みつくことになったのである。甲斐甲斐しく二人の世話をするツルは、この
ままピンちゃんの部屋に居着くことになる。ところで、このバラック部落には他にも個性的な住民が大勢い
るが、中でも忠さん(菅井一郎)という役者くずれが異彩を放っている。この御仁の悪知恵から、ツルは料
理屋の女中兼芸者もどきに売り飛ばされる。ツルがほのかに恋をしているピンちゃんの学資が足りないとい
う口車(つまり、ピンちゃんはツルに対して偽学生を装ったというわけである)にのって、よしとばかりに
一肌脱いだのである。それで得た金(五千円)の一部は、バラック部落の住民の胃袋に流し込まれる(高価
な中華料理を貪り食うシーンは見物である)。さて、料理屋の亭主の頭を張り倒して早々と仕事をしくじっ
たツルは、前借りした五千円に関しては自分が返すと主張する。いわば「わたしに任せておけ」というわけ
である。ちなみに、その料理屋の女将を演じているのは三崎千恵子(この映画では千枝子)で、『男はつら
いよ』のおばちゃん(車つね)役で馴染みのある人が多いだろう。この三崎千枝子と内藤武敏演じる軽薄そ
うな男の「野球拳」ならぬ「レスリング拳」(?)が傑作で、抱腹絶倒と言ってもよいだろう。さて、話を
元に戻すが、ツルにはどんな金策の当てがあったのだろうか。いわゆる「街娼」(その当時の用語では「パ
ン助」)になるというのである。一回300円程度、一日1,200円くらいの稼ぎであるから、五日もあれば完済
にこぎつけるというわけである。なお、ツルの娼婦用のメイキャップが傑作である。ちょんまげを別にすれ
ば、志村けんの「バカ殿」そっくりなのである。それはともかく、ツルの仕事は繁盛して、やがて河童沼の
住民はツルの金を当てにし始める。彼女も気がいいものだから、誰彼問わずどんどん恵んでやる。おそらく、
主人公の名前をツルにしたのは、「鶴の恩返し」や「金蔓」にひっかけたのであろう。そんなこんなで、貯
金が六千円に達したとき、そのことをピンちゃんに告げる。それを耳にしたピンちゃんは、その金を巻き上
げようと考えて、「俺のことが好きなんだろう」と言って彼女に迫る。直ぐに承諾したツルとピンちゃんが
抱き合う寸前に、ツルが突然ピンちゃんを突き放す。自分の患っている「悪い病気」に思い当たったからで
ある。この映画でははっきりと病名を挙げているわけではないが、いわゆる「脳梅毒」だと推測される。春
をひさぐ彼女も、恋するピンちゃんには病気を移したくなかったのである。そのことを知らないピンちゃん
は、癇癪を起こしてツルを追い出してしまう。途方に暮れたツルは、部落で唯一まともな若い女学生の朝子
(役者不詳)に自作の「小説」を託してふらふらと部落を後にする。なお、この朝子は「河童沼の安吉」と
いう侠客(藤原釜足)の娘という設定である。さて、ツルが商いの場所にしていた駅前に来たとき、街娼グ
ループに因縁をつけられてリンチにあう。交番に逃げ込んだツルはそこにたまたまあったピストルを手にし
たことから、狂乱状態に陥る。危険を感じた警察官(下元勉)の発砲により、射殺されてしまう。やがて、
場面はツルの通夜のシーンである。朝子に託された「小説」(彼女の独白のようなもの)が忠さんの朗読に
よって披露される。つまり、ツルの真実が露わになるというわけである。とくに、ピンちゃんに関しては、
「好きだけど、受け容れるわけにはいかない」という彼女の心の叫びが痛々しい。部落のうなぎ博士(加藤
嘉)による「彼女は悪い病気に冒されていたのだ」という発言で、すべてが皆に分かってしまうのである。
しかも、皆が「赦してくれ」と泣き始めたその矢先、ピンちゃんの部屋に贈り物が届く。ピンちゃんへの贈
り物である。それは、真新しい靴と学生服であった。おそらく、ここで泣けない人などいないだろうと思わ
れる。ピンちゃんと徳さんは表に飛び出して、のたうち回って号泣し始める。部落の追い出しを図るために
わざわざ様子を窺いに来ていた地主や件の料理屋の亭主も事情を知って立ち去るのである。ツルが仕事帰り
に歌っていた「仕事の歌」が妙に明るいだけに、射殺されて果てたツルが何とも哀れである。しかし、そこ
に救いがあるとすれば、ツルの死に顔が何とも清々しくきれいだったことであろう。黒澤作品ほど有名では
ないが、小生はこの『どぶ』に「傑作」の称号を贈りたいと思う。

 注:役者くずれの忠さん役を菅井一郎としているが、これは誤りであることが判明した。『縮図』(監督:
   新藤兼人、近代映画協会、1953年)を観ていて明らかになったことである。おそらく、菅井一郎は、
   料理屋の亭主役だと思われる。忠さん役については、後日、判明次第ここに記すことにする。以上、
   指摘してお詫びしたい。
 注:忠さん役の俳優が分かった。信欣三である。


 以上が、「日日是労働セレクト9」にある記事である。この作品は、『狼』(監督:新藤兼人、近代映画
協会、1955年)とともに、新藤監督の作品の中でもとくに印象深いもので、戦後の貧しい日本人の生態を飾
らずに描いているところが凄いと思う。現代人は、こんな日本が存在したことをすっかり忘れて、偸安の夢
を貪っているかのように見える……などと書けば、紳士淑女の顰蹙を買うだろうか。もちろん、昔のことな
どきれいさっぱり忘れてしまうことこそ日本人の特性かもしれないので、それはそれで構わないのだろう。
 この作品も<Movie Walker>に解説やストーリーが載っているので、それを引用させていただく。執筆者に
感謝したい。なお、一部改変したが、ほぼ原文通りである。ご容赦願いたい。

   〔解説〕

  『女の一生(1953年)』に次ぐ新藤兼人監督の近代映画協会作品。製作は吉村公三郎で、脚本は『足
 摺岬』の新藤兼人と『学生五人男』の棚田吾郎の共同によるオリジナル・シナリオ。撮影は『女の一生
 (1953年)』の伊藤武夫、音楽は『足摺岬』の伊福部昭が担当している。出演者は『大阪の宿』の乙羽
 信子、『美しい人』の宇野重吉、『足摺岬』の殿山泰司など。

   〔ストーリー〕

  京浜工場地帯の一隅、河童沼のほとりのルンペン集落に、ある朝、うす汚ない若い女の行き倒れが
 あった。集落の住人徳さんがパンを与えたのを機会に、この女ツルは、河童沼集落に住むことになっ
 た。ツルは戦後満洲から引揚げてから、紡織工場の女工となったのだが、糸へん暴落のため失業し、
 それ以来というもの転々として倫落の道をたどってきたのだった。ツルが同居した徳さんとピンちゃ
 んは、競輪、パチンコにふける怠け者達だったが、阿呆のツルはそれとは知らず毎日、二人のために
 弁当を持たせて勤めに送り出す。だが二人はツルを利用して一儲けたくらみ、近所の特飲街にツルを
 売りとばした。ツルは、そこの主人大場と衝突して飛び出し、河童沼へ帰ってきたが、大場が徳さん
 達に前借金の返済を迫ったので、遂にツルはパンパンになって夜の街に立つようになり、その稼ぎを
 ピンちゃん達に貢ぐのである。ある夜、ツルは沼の主人三井のアプレ息子輝明が二十万円入っている
 と云う手提金庫を奮って逃げてくるのに会い、沼の住人達に注進した。彼らは金庫を求めて走り出し
 たが、取ってみると中には裸体写真しか入っていないで、一同は風邪をひいてツルを恨んだ。ツルは
 寝こんだピンちゃんを真心を以て看護したが、ある時突然抱きついたピンちゃんにツルは抵抗した。
 ある日、ツルは土地のパンパンに因縁をつけられリンチされたため、逆上してピストルを振り廻して
 暴れたので、巡査に打たれて死んでしまった。沼の住人はツルを担いで帰った。ツルが病気に鞭打っ
 て貯金した通帳、そしてピンちゃんの学校へ行くという偽芝居をすらも信じて学用品を贈ったツルを
 知り、一同は涙にくれた。

   〔配役〕

  ツル(乙羽信子)、ピンちゃん(宇野重吉)、徳さん(殿山泰司)、西村(鶴丸睦彦)、きぬ子(本
 間文子)、弘美(木匠マユリ)、三井(深見泰三)、よね(高野由美)、輝明(近藤宏)、たみ(飯田
 蝶子)、武(松山省次)、安吉(藤原釜足)、朝子(松山紀子)、忠さん(信欣三)、まつ江(中北千
 枝子)、大場(菅井一郎)、お勝(三崎千枝子〔千恵子〕)、几(花澤徳衛)、延代(清川玉枝)、博
 士(加藤嘉)、斎藤巡査(神田隆)、杉村巡査(下元勉)、鶴見の辰(野辺かほる)、特殊婦人(岩崎
 ちえ)、大酔軒の主人(左卜全)、お時(赤木蘭子)、重役(山村聡)、運転手(柳谷寛)、紳士(御
 橋公)。

 まことに悲しい物語であるが、ツルの健気さがそれを救っている。乙羽信子、会心の熱演である。なお、
この作品は小生のエイジ映画に当り、製作されてから65年の歳月が流れ去ったことになる。



 「無印良品映画」その3 『タナカヒロシのすべて』


 某月某日

 休日に2本のDVDを観たので、以下に報告する。『誰がために』(監督:日向寺太郎、ジャパンケーブル
キャスト=バンダイビジュアル=ワコー=メリオル=パル企画、2004年)と『タナカヒロシのすべて』(監
督:田中誠、プログレッシブピクチャーズ=ジェネオンエンタテインメント=ヒューマンコミュニケーショ
ンズ=バップ=ネルケプランニング=グレコジャパン=小椋事務所、2004年)である。

 (中略)

 後者はいわゆる「喜劇」であるが、定番の笑いの取り方以上に、この主演の鳥肌実は個性的であった。つ
まり、彼の存在が「喜劇」そのものなのである。こんな役者は珍しい。物語は細かく説明しない方がいいだ
ろう。簡単にまとめれば、彼に次々と不幸(父母の死、詐欺や倒産に巻き込まれること、病気になること、
女性とうまくいかないこと、頭髪が薄くなりかけていること、等々)が舞い込むが、めげずに彼らしさを発
揮するという物語である。ところで、彼が勤める中小企業(遠山かつら工場)の経営者役(主人公田中宏の
父親の知人らしい)に南州太郎が扮していた。この人は裏声の「おじゃまします」が流行ったことのある漫
談師であるが、とても懐かしかった。俳優に転じていたと理解してよいのだろうか。また、歌手の日吉ミミ
(1970年に「男と女のお話」が大ヒット)が中華料理店のマダムの役で出演しており、「蘇州夜曲」を歌っ
ている。これも懐かしい芸能人であった。その他として、宏の父親(上田耕一)、母親(加賀まりこ)、上
司(高橋克実)、弁当屋(ユンソナ)、宏の友人(宮迫博之)、俳諧師(伊武雅刀)、詐欺師(寺島進)、
税理士(小倉一郎)、看護師(小島聖)、俳句友だち(市川実和子)などが出演している。この作品の監督
田中誠も初監督だそうであるが、すでにベテランの域に達している。とくに、西田佐知子の「コーヒー・ル
ンバ」(1961年の作品)から始めて、横山剣(クレイジーケンバンド)の怪しい曲(誉めているつもり)で
ある「シャリマール」をエンディングに使っているセンスは半端ではない。最後にもう一度書くが、この主
演の「鳥肌実」、只者ではない。


 某月某日

 昨日のつづきを少しだけ書こう。『タナカヒロシのすべて』(監督:田中誠、小椋事務所 他、2004年)の
エンディング・テーマ曲である「シャリマール」の歌詞は、小林旭の「自動車ショー歌」を連想させる。そ
れだけでも楽しいのだが、インターネットを覗いてみたら、この「自動車ショー歌」の歌詞が載っていた。
あんまり面白いので、以下に引用させていただく。なお、言うまでもないが、小生にとって既知の楽曲であ
る。


 「自動車ショー歌 」、作詞:星野哲郎、作曲:叶弦大、唄:小林旭、1964年。

 一番 あの娘をペットに したくって ニッサンするのは パッカード 骨のずいまで シボレーで
    あとでひじてつ クラウンさ ジャガジャガのむのも フォドフォドに ここらで止めても 
    いいコロナ
 二番 ビュックりするほど タウナスで おまけに心臓が デボネアで おやマアキュリーな 人だこと
    てなてなおだてに すぐルノー オペルオペルは もうお止し あんまりコルトじゃ 身がもたぬ
 三番 あなたは私の ブルーバード ミンクス買うのよ 約束を キャロルと忘れて ダットサン 
    こんど逢ったら コンテッサ とっちめちゃおうと マツダけど 逢えばやっぱり オースチン
 四番 ベンツにグロリア ねころんで ベレットするなよ ヒルマンから それでは試験に クライスラー 
    鐘がなるなる リンカーンと ワーゲンうちだよ 色恋を 忘れて勉強 セドリック


 また、「加藤楸邨」という俳人名が登場するが、主人公の田中宏は、最初これを「しゅうとん」と発音し
ている。おそらく、「屯」などの文字、あるいは「里見とん(弓に享、フォントがない)」から、「しゅう
そん」を「しゅうとん」と読み間違えていたのであろう。小生も石川啄木を「ぶたぼく」と呼んでいたこと
があるし、小生の幼馴染み(この人は後に国文科に進んだ)などに至っては、「ぶたぎ」と呼んでいた頃が
あるそうだ。これらの「間違い」はさして笑えるほどの材料ではないが、積み重なると「笑い」になる。そ
んなお笑いが、この『タナカヒロシのすべて』には多数隠されているのである。


 以上が、「日日是労働セレクト9」にある記事である。この作品を「無印良品映画」として採り上げた理
由は、偏に主演の鳥肌実の個性がずば抜けているからである。鑑賞してからだいぶ経つはずだが、彼が放つ
独特のにおいが今でも目の前に漂っていると言えるほどである。そのくらい、印象深い俳優だが、元々はお
笑い芸人で、「演説芸」を持ち味としているらしい。映画作品以外で彼との接触はないが、機会があればそ
の芸を堪能したいと思っている。映画そのものもなかなか凝っており、田中誠監督の作品は、他に、『もし
高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら』(監督:田中誠、「もしドラ」
製作委員会〔TBSテレビ=電通=東宝=ファイン エンターテイメント=吉田正樹事務所=毎日放送=秋元康
事務所=中部日本放送=AKS=太田プロダクション=キングレコード=ダイヤモンド社=ワタナベエンター
テインメント=RKB毎日放送=TBSラジオ&コミュニケーションズ=北海道放送〕、2011年)しか観ていない
ので、これも機会があったら、鑑賞したい監督のひとりである。
 この作品も<Movie Walker>に解説やストーリーが載っているので、それを引用させていただく。執筆者に
感謝したい。なお、一部改変したが、ほぼ原文通りである。ご容赦願いたい。

   〔解説〕

  人気パフォーマー、鳥肌実主演によるコメディ・ドラマ。平凡な生活を送っていた男性に次々と降
 りかかる不幸の数々を、シニカルな笑いを交えながらつづる。

   〔ストーリー〕

  平穏な生活を送るカツラ工場勤務の会社員、タナカヒロシ。だが、そんな彼に両親の死や失恋、詐
 欺など次々と不運が押し寄せる。ついには、唯一の家族である飼い猫のミヤコまでが病気になってし
 まう。

   〔配役〕

  田中宏(鳥肌実)、弁当売りの女(ユンソナ)、小林専務(高橋克実)、田辺(宮迫博之)、飯島
 (市川実和子)、看護婦(小島聖)、おはようリフォーム(寺島進)、俳句の会・リーダー(伊武雅
 刀)、父(上田耕一)、母(加賀まりこ)。

 その他、南州太郎(遠山かつら工場の経営者)、日吉ミミ(中華料理店のマダム)、小倉一郎(税理士)  
などの個性派が出演している。<Movie Walker>には、ほとんど情報らしい情報はないので、引用は無駄だっ
たかもしれないが、騙されたつもりで機会があったら観てほしい。もっとも、田中監督(小生より6歳年下
の1960年生れ)よりもはるかに若い人、もしくははるかに高齢の人には、この作品の面白さは伝わり難いか
もしれない。ただし、鳥肌実の「演説芸」に嵌る人には、絶好のエンタメ映画であろう。なにしろ、彼の芸
風は、天然なのか演出なのか、まったく見分けがつかないからである。



 「無印良品映画」その4 『ぼくの伯父さん(Mon Oncle, 1958)』


 今回は洋画を紹介しよう。フランスとイタリアの合作映画で、監督はジャック・タチ(Jacques Tati,1907-
1982)である。いつ観たのか、どこで観たのか、よく覚えていない。少なくとも日本公開の2003年以降であ
ることは間違いないが、その他の記憶は飛んでいる。とくに爽やかな印象を受けたが、物質文明にやんわり
と批判的視線を向けているからであろう。
 とりあえず、タチ監督のプロフィールを覗いてみよう。<ウィキペディア>のお世話になる。執筆者に感謝
したい。なお、若干の手を入れたが、内容に変更はないのでご寛恕願いたい。


 ジャック・タチ(Jacques Tati, 1907年10月9日 - 1982年11月4日)は、フランスの映画監督、俳優。本名
はジャック・タチシェフ(Jacques Tatischeff)。パリ郊外のル・ペック生まれ。父はロシア人、母はオラ
ンダ人。

   〔来歴〕

  ○ 映画デビューと『のんき大将』

 若い頃からパントマイムの道を志し、得意だったスポーツをネタにした芸でならす。1933年からミュージ
ックホールの舞台に立ち、シドニー=ガブリエル・コレットから激賞を受けるなど人気を博した。1932年か
らは映画の仕事も始めたが、最初に話題になったのは、ルネ・クレマンが監督し、タチは脚本と主演を担当
した『左側に気をつけろ(Soigne ton gauche, 1936年)』という短編映画である。タチはここでもお得意の
ボクシングの芸を披露している。クロード・オータン=ララの『乙女の星(Sylvie et le fantome, 1945)』
〔o には、アクサンシルコンフレックスが付く〕と『肉体の悪魔(Le Diable au corps, 1947)』に出演し
た後、1947年に短編映画『郵便配達の学校(L'Ecole des facteurs)』〔E には、アクサンテギュが付く〕
を初監督した。この作品でタチは脚本・主演も担当し、この作品の主人公である郵便配達人フランソワは次
の作品に活かされることになる。
 本格的な長編映画デビューは、監督・脚本・出演を兼ねた『のんき大将脱線の巻(Jour de fete, 1949)』
〔2番目の e には、アクサンシルコンフレックスが付く〕である。フランスの片田舎の郵便配達人が、アメ
リカ式合理主義に影響され、自転車で駆け回りながら騒動を巻き起こすコメディ映画であった。この作品は
当初モノクロ映画として上映されていたが、実は同時に2色方式トムソン・カラーによるフランス最初の長
編色彩映画として全編撮影されていた。技術的な困難さのために公開当時はこのカラー・ヴァージョンを公
開できなかったが、1995年、タチの娘を中心にシネマテーク・フランセーズによって復元され、日本でも劇
場公開された。この作品の舞台は、タチがドイツ占領下のパリを逃れて住んだサント・セヴェールという小
さな村で、その村が大変気に入ったタチが映画の舞台に選んだのであった。

  ○ 『ぼくの伯父さんの休暇』

 長編第2作は『ぼくの伯父さんの休暇(Les Vacances de Monsieur Hulot, 1953)』(モノクロ映画)。
ユロ氏がフランスの浜辺の高級リゾートに現れ、8月の優雅なバカンス地に大騒動を巻き起こす。ユロ氏を
中心にコミカルなエピソードが次から次へと繰り広げられるが、ほとんどでサイレント映画のような視覚的
ドタバタに終始している。サウンドトラックは英語版・フランス語版の2種類が作られたが、音楽とサウン
ド・エフェクトが多くを占めており、独特の音響センスに満ちている。この作品は米国のアカデミー賞オリ
ジナル脚本賞にノミネートされ、また後のヌーヴェルヴァーグの批評家にも大絶賛された。
 『ぼくの伯父さんの休暇』以降、のっぽで小さい帽子をかぶり、吸口の長いパイプを咥え、レインコート
と寸足らずのズボンを着用した無口な主人公「ユロ氏」のキャラクターを確立させ、以後自作自演で映画に
登場することになる。英国のローワン・アトキンソンのインタビューによると、「ミスター・ビーン」のキ
ャラクターにも大いに影響を与えていたとのことである。

  ○ 『ぼくの伯父さん』

 長編第3作は『ぼくの伯父さん(Mon Oncle, 1958)』である。日本ではこちらの方が早く公開されたが、
『ぼくの伯父さんの休暇』と直接の関係はない。パリの古い下町に住む「ぼくの伯父さん」ことユロ氏が、
自動化されアメリカナイズされたモダンな住宅やプラスチック工場で悪戦苦闘するコメディである。この作
品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、タチのモダニスト的な資質も注目された。
 1959年、『ぼくの伯父さん』は米国第31回アカデミー賞外国語映画賞を受賞する。授賞式出席のため訪米
する際、映画会社の人間から「(当時人気絶頂だった)ジェリー・ルイスとお会いになるおつもりがあるな
らば、(会談を)セットしますよ」と言われたが、タチは「ジェリー・ルイスと会う必要は感じません。も
し会えるなら私はむしろマック・セネットと会いたいです」と返答した。当時、養老院で最晩年を送ってい
たマック・セネットはこれを聞いて大いに喜び、タチが深く愛したサイレント喜劇映画時代の仲間を呼び集
め、タチを迎えて親しく歓談したという。その席に招かれた無声喜劇映画の巨星たちとは、すなわちバスタ
ー・キートン、ハロルド・ロイド、そしてスタン・ローレル(オリヴァー・ハーディは1957年に死去)のこ
とである。
 アカデミー賞受賞時には、これら無声喜劇映画のスターたちを念頭に「If Hollywood had not done so
many funny pictures, I would not be here tonight. For all those great comedians, I am not the
uncle, but the nephew.(もしハリウッドがあれほどたくさん面白い映画を作っていなかったら、今夜私は
ここにいないでしょう。あの偉大なコメディアン諸氏に対して、私は「伯父さん」ではないのです。私は彼
らの甥っ子なのです)」とのスピーチを残している。

  ○ 『プレイタイム』

 長編第4作は、大作『プレイタイム(Playtime, 1967)』である。このコメディ映画にはプロットがほと
んど存在せず、劇中ではユロ氏と一団のアメリカ人観光客が街を彷徨う中、フランスの古き良き伝統を発見
する。タチは私財を投げ打ち、ほぼ10年がかりでこの超大作に取り組んだ。近未来のパリを舞台とするため
に、高層ビルの林立する一つの都市が作り上げられている。当時のフランス映画史上最大の製作費をかけ、
しかも高画質にするため70mm磁気6チャンネルのフォーマットを使って壮大な世界が構築された。『プレイ
タイム』のオリジナルは155分の長尺であったが、タチ自身の手で126分まで短縮され、しかも経理上の問題
から次々と短縮され、米国での公開ヴァージョンでは93分モノラルまでカットされ公開された。
 公開当時、『プレイタイム』は一部の批評家には絶賛されたが、多くのマスコミからは酷評を受けて興行
的にも惨敗し、その失敗は一生タチにまとわりついた。2002年になってようやく、カンヌ国際映画祭の歿後
20周年記念上映で126分70mmヴァージョンが復元されている。タチは自らの作品の登場人物一人ひとりの動き
をまるでバレーの振付師のように実演して見せたという(女性の場合は女装してまで実演した)。画面構成
から俳優の動きまであくまでも完全主義であったのである。
 『プレイタイム』製作中に資金難に陥り、製作が一時止まった時、短編『ぼくの伯父さんの授業(Cours
du soir, 1967)』が撮られる。これは、ユロ氏が彼のコメディを出来の悪そうなコメディアン志望者たちに
伝授するという内容であった。劇中には郵便配達人フランソワの姿も登場しており、懐かしさを帯びている。

  ○ 『トラフィック』と『パラード』と晩年

 長編第5作は、比較的低予算の『トラフィック(Trafic, 1971)』である。この作品は、ユロ氏が自動車
デザイナーとなって、アムステルダムで開かれるモーターショーに向け、自ら設計したキャンピングカーを
運転していくコメディ映画である。劇中ではモータリゼーションの発達やコミュニケーションの困難さを背
景にしているが、あくまでもそれらは作品の背景であり、道中における日常的な渋滞や様々な事故に巻き込
まれるユロ氏の姿がスマートに演出されている。
 スウェーデンのテレビ局のために監督・脚本・主演したテレビ映画『パラード(Parade, 1974)』がタチ
の遺作となった。2人の子供が訪れたサーカスを舞台に繰り広げられるショーの模様を温かいタッチで描い
たコメディである。タチはサーカス団の団長を演じて、年齢を感じさせない達者な動きを見せている。
 ジャック・ラグランジュと共同で執筆した『Confusion』や『イリュージョニスト』の脚本を残し、1982年
11月4日、タチは肺炎のため死去した。

   〔評価・影響〕

同時代の映画人であるタチの作家性に気付き、早くから絶賛していたフランソワ・トリュフォーやオー
ソン・ウェルズといった人物もいたが、タチの再評価が始まったのはタチの没後1990年代後半になってから
である。2002年、第55回カンヌ国際映画祭で行われた歿後20周年を記念した回顧上映でタチの作品は絶賛を
受けた。
 アニメ作品『ベルヴィル・ランデブー(Les Triplettes de Belleville, 2002)』を監督したシルヴァン・
ショメもタチの影響を受けたと公言して憚らない熱烈なファンの一人であり、2010年にはタチが生前に残し
た脚本をもとにしたアニメーション映画『イリュージョニスト』を制作している。
 日本の芸術家沼田元氣もタチの大ファンで、『ぼくの伯父さんの○○』と題した本を何冊も著し、タチの
絵本の翻訳も行っている。また雑誌『ガリバー』1992年5月14日号「ムッシュ・ユロに会いたい ぼくの伯父
さんを探して」という特集では、タチの娘であるソフィー・タチシェフへのインタビューや映画のロケ地を
回る旅を敢行している。
 日本の現代音楽家伊左治直は、タチのトリビュートCD『南天夢譚 ジャック・タチの優しい夜』を制作し
ている。日本の作家長谷川四郎にもブラックユーモア溢れるメルヘン『ぼくの伯父さん』という代表作があ
る。日本のミュージシャン一色進は「ジャック達」というロック・バンドを率いている。

  (以下、割愛)

 以上である。フランソワ・トリュフォーやオーソン・ウェルズが注目していたとあるが、当然であろう。
もっとも、1959年に米国の第31回アカデミー賞外国語映画賞を受賞していることは知らなかった。見る人が
見れば、彼の才能は明らかなのだろう。多少ともではあるが、『モダン・タイムス(Modern Times, 1936)』
(監督:チャールズ・チャップリン〔Charles Chaplin〕、米国、1938年)を髣髴とさせる。ユロ氏が放つ独
特のオーラに、チャップリンを重ねることができるからである。哀愁を帯びた生真面目さというか、どこと
なく懐かしい感じなのである。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  仏の人気喜劇作家、ジャック・タチの主演による7作品をニュープリントで上映。本作は自由気ま
 まに生きる伯父さんの日常を淡々と描いたタチ自身の監督による長編第3作。

   〔あらすじ〕

  ジェラール少年は自由気ままに生活する伯父さんのユロ氏と遊ぶのが大好きだ。ところがジェラー
 ルの父親でプラスチック工場を営むアルペル氏は、そんなユロ氏のことを快く思っておらず、なんと
 か就職させようとしたりする。

   〔配役〕

  M. Hulot (Mon Oncle)=ジャック・タチ
  M. Arpel=ジャン・ピエール・ゾラ
  Mme Arpel=アドリエンヌ・セルヴァンチ
  Little Arpel=アラン・ベクール
  The Nextdoor Neighbor=ドミニク・マリ
  The Daughter of Porter=ベティ・シュナイダー

 自動化されたハウス・システムやプラスティック工場のオートメーションに戸惑うユロ氏の滑稽さを通し
て、むしろそのようなモダンな機械文明に対して痛烈なパンチを放っていると言える。しかも、あくまでユ
ロ氏は泰然自若としており、「ここに人間あり」を確固として示しているとも言えよう。小生はユロ氏には
なれないが、彼の姿に喝采を捧げたい。



 「無印良品映画」その5 『さらば愛しき大地』


 某月某日

 『さらば愛しき大地』(監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年)を観た。以
前から観たいと思っていた作品で、京都でDVDをみつけて購入しておいたのである。期待以上の作品で、主
演の根津甚八(山沢幸雄役)を見直した。もちろん、共演の秋吉久美子(順子役)は予想通りの熱演で、彼
女が読み終わった柳町の生原稿(脚本)を抱き締めた気持も分からないではない。おそらく、二人にとって
代表作と言ってよいだろう。思うに、生涯に「代表作」のある表現者は、それだけで生まれてきた甲斐があ
るのではないか。ジャンルはどうあれ、小生もいつの日か「代表作」と自負してよいものをつくりたいもの
である。
 さて、物語であるが、茨城県の鹿島地方を舞台にして、農業が成り立たなくなりつつある時代の閉塞感が
描かれている。言い換えれば、人間の営みの徹底的な哀しさを描破した作品である。幸雄という青年がいる。
ダンプの運転手をしており、それなりの腕や度胸もある。しかし、弟明彦(矢吹二朗)に対する幼いときか
らの根強い劣等感があって、何かをきっかけにその感情が暴力となって迸ってしまうことがある。父幸一郎
(奥村公延)や母イネ(日高澄子)とも折り合いが悪く、妻である文江(山口美也子)に対しても含むもの
をもっている。要するに、家族の中で浮いた存在なのである。ただし、二人の息子は彼に懐いている。和也
と哲也とである。ある日、船遊びをしていた息子が二人とも溺れて死んでしまう。母親が注意義務を怠った
ということで、幸雄の文江への怒りは半端ではない。大雨の中、容赦なく拳を振り上げている。それほど、
息子を溺愛していたのである。実際、葬式を済ました後、幸雄は観音菩薩の像とともに二人の戒名を背中に
刺青している。
 葬式で東京から帰ってきた明彦がスナックで飲んでいる。元恋人の順子の店である。そこに、幸雄がやっ
て来て、酒をあおる。明彦に「東京に帰れ」と言う。何もかも面白くないのである。ところで、この店は順
子の母(佐々木すみ江)が経営者であるが、やがて男と駆け落ちしてしまう。独りぼっちになった順子は、
幸雄のドライヴの誘いにのって、互いの身の上を確認し合う。その日、弾みから男と女の仲になる。孤独な
魂が惹かれ合ったのである。やがて、幸雄は実家を出て、順子と同棲するようになる。稼ぎ手を喪った一家
は、東京から明彦を呼び寄せる。彼もダンプの運転手になるのである。もっとも、覚醒剤に溺れる幸雄とは
異なり、地道に実績を上げて界隈の出世頭になる。やがて、自分の会社の事務員だった娘(志方亜紀子)を
娶ることになる。弟の結婚式の日、彼ら兄弟はまたも喧嘩になる。刃物まで持ち出して。その日、覚醒剤が
もたらす幻覚に悩まされ続けた揚げ句、幸雄は順子を刺し殺してしまう。順子の声が幻聴として聞こえてき
たのだ、こんな風に。もちろん、順子が実際に語った言葉ではない。

  わたしが悪いよ、たしかに。シャブ打ってんの知っててやめさせなかったんだから。わたしだってや
 めさしたかった。でもあんたが可哀想で。そのうち何とか立ち直ってくれると思って。わたしが悪い。
 けど、あんたの方がもっと悪い。もっともっと悪い。あんたがしっかりしててくれたら、こんなとこま
 で落ち込むことなかった。男らしくやってくれたら。一体、何のために背中に刺青彫ったの。死んだ和
 也ちゃん、哲也ちゃんが笑っているよ。ゲラゲラ笑っているよ。しっかりしろ。男じゃないって。皆に
 迷惑かけて、皆の責任にして、大っきい顔してよくも生きてられるよ。感心するよ。人間じゃないよ。
 動物だ。ケダモノだ。死んじめェ。もう顔も見たくない。

 ジャガイモの皮をむく音が増幅されて、しゃわしゃわとうるさい。薬漬けになった人間の感覚は常人をは
るかに超えてしまっているのだ。稲穂の波、ダンプの砂、工場街、補償金で得たけばけばしい家、豚ども、
順子の下手だが魂を揺さぶる歌声と表情、それぞれのシーンは反響し合って、一瞬の無駄もない。映像は単
なるリアリズムを超え、一篇の神話と化している。豊饒でありながら、それでいてストイックな物語。まさ
に、傑作である。叔父の竹二郎に草薙幸二郎、ダンプ仲間の通称「大尽」に蟹江敬三、文江の浮気相手に小
林稔侍、文江の兄に松山政路、ジャパゆきさんに岡本麗、霊媒師に白川和子が配されており、それぞれ見事
に自分の役を演じ切っている。とくに、蟹江敬三の味わいは格別であった。


 某月某日

 昨日のつづきを少し。『さらば愛しき大地』で描かれている世界は「荒廃する農村」である。工業団地と
して農地が買収され、思わぬ金を得る者、農業では暮らしが立たなくなり、ダンプカーの運転手になる者な
ど、静かな農村地帯は高度経済成長期とともに一変するのである。そのような見掛けの変化は、人々の心を
も変化させる。たとえば、嫁と姑の問題も、過去から連綿と続くものとは言え、この時代この地方に特有の
あり方を示している。イネのところに二人の老婆がやってくる。神経痛で思うように動けないイネのために、
夫の幸一郎が洗濯物を干している。それを見た一人の老婆が、「このおじいさんと一緒になるんだった」と
言って軽く幸一郎の背中を叩く場面がある。弟の竹二郎にまで意気地がないと貶されている幸一郎も、他人
の目には「やさしいおじいさん」に映るのである。近所の老婆の訪問を受けたイネは昼寝をしている文江を
起こすが、なかなか起きない。しかし、別に狸寝入りを決め込んでいるわけでもないようだ。老婆たちも負
けていない。文江が訪問者のために起きてお茶を淹れようとしたとき、「じきに死ぬ者にお茶など不要だ」
と言って笑い合うからである。やがて農作業に出掛ける幸一郎と文江を見て、一人の老婆は、「嫁っつうの
は、どこでも舅とは仲いいもんだなァ」という台詞を吐く。それを受けたもう一人の老婆は、「おらァ、も
う、十日も嫁と口きいてねェんだよなァ」と呟く。どうもこの人は、後に猫イラズをのんで自殺したようだ。
息子にも裏切られたと思ったからである。また、実家に帰って愚痴をこぼす文江に対して、兄は「嫁に行っ
たら、そこがお前の家だ」と言って、取り合わないのである。もっとも、兄嫁(猪俣光世)からは「いつで
も帰って来い」というやさしい言葉をかけられる。嫁として同じ立場だからであろう。嫁姑問題はどこにで
もあるが、育った時代も環境も違うだけに、どちらが悪いわけではない。距離をどう置くかがうまく捌くコ
ツなのだろう。文江は、豚の餌を運んで来た男(小林稔侍)の誘惑に簡単にのることによって、幸雄のみな
らずこの一家にも復讐を遂げるのである。というのも、情事がおこなわれたその同じ時間に、一家は霊媒師
を呼んで子どもの霊を慰めていたからである。文江は己の現実しか見ていない。だから、順子に対して「妻」
の意地など発揮することはけっしてないのである。見事な処世術と言えよう。
 覚醒剤のためにおかしな行動を取る幸雄や大尽の描き方もさることながら、斬新な映像もところどころで
見られた。とくに、順子の手が眠っている幸雄の首を絞めているように見えるシーンや、日蝕の日の葬礼場
面などは、稲穂が波打つシーンなどともに素晴らしいと思う。もちろん、幸雄が順子を刺殺する場面は秀逸
で、臨場感にあふれていた。『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年)におい
て、榎津巌(緒形拳)が浅野ハル(小川真由美)を扼殺するシーンに匹敵するのではないだろうか。


 以上が、「日日是労働セレクト10」にある記事である。この作品は、日本が歩んだ日向の道の陰で、ど
れだけの歪みが周囲に生じたかを描いている。いわば「裏街道」の現実を活写した映画である。監督の柳町
光男は、いわゆる「社会派」作品を多く手掛けており、小生は以下の5篇を観ている。

  『十九歳の地図』、監督:柳町光男、プロダクション群狼、1979年。
  『さらば愛しき大地』、監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年。
  『火まつり』、監督:柳町光男、プロダクション群狼=シネセゾン、1985年。
  『愛について、東京』、監督:柳町光男、「愛について、東京」製作委員会〔パイオニアLDC=プロ
   ダクション群狼〕、1992年。
  『カミュなんて知らない』、監督:柳町光男、プロダクション群狼=ワコー=Bugsfilm、2006年。

 寡作ではあるが、いずれも力作で、とくに当該作品の迫力は並のものでは到底ない。これは推測だが、監
督の出生地が茨城県なので、鹿島地方の変貌に胸を痛めていたのではないだろうか。さらに、兄弟の確執、
覚醒剤、嫁姑問題、補償金成金なども絡ませており、それらが混然一体となって、まさかの傑作を生んだの
である。なお、鹿島灘の臨海工業地帯への変貌を描いた作品としては、『甦える大地』(監督:中村登、石
原プロモーション、1971年)があり、これも力作である。
 一応、<Movie Walker>にも記事があるので、それを引用しておこう。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞
いたい。

   〔解説〕

  農業と工業が、新旧渾然一体となってぶつかり合う茨城県鹿島地方を舞台に、ある農家の崩壊を描
 く人間ドラマ。脚本・監督は『十九歳の地図』の柳町光男、撮影は『三里塚 辺田部落』の田村正毅
 がそれぞれ担当。

   〔あらすじ〕

  茨城県鹿島地方、田園地帯に押し寄せる工場群、その一角に小さな農家、山沢家がある。次男の明
 彦は東京で働いており、一家を支えるのは長男の幸雄だ。一家に不幸が突然襲ってきた。最愛の息子
 二人が溺死してしまったのだ。孫を失ったイネと幸一郎の落胆、身重の妻、文江に当る幸雄。幸雄は
 背中に観音像と子供の戒名を刺青し供養するのだが、そんな一人よがりの贖罪にいたたまれないのは
 文江だ。そんな折、幸雄は順子という、かつて明彦の恋人だった女をダンプに乗せてやる。順子は、
 昼間は工場で働き、夜は母の呑み屋を手伝っていた。幸雄の刺青に打たれた順子と幸雄の同棲生活が
 始まった。四年後、二人の間には娘まり子も生まれ、依然として幸雄の二重生活は続いていた。だが
 絶頂期に較べると仕事も減り始め、その不安をまぎらわすために、覚醒剤を常用するようになってい
 た。一方、山沢家では母イネの強い希望で東京から戻ってきた明彦もダンプの運転手を始めていた。
 兄とは逆に着実に仕事を続けた明彦は、一年目に事務所を持つ程に成長した。次第に荒んで堕ち込ん
 でいく幸雄と成功者の明彦の間には溝がひろがり、ついには決裂してしまう。家計が苦しくなって、
 スナックで働く順子、そんな順子の気持も知らず覚せい剤に溺れていく幸雄。順子は仕方なく、結婚
 を控えた昔の恋人・明彦に金の工面を頼んだ。それを知ると、幸雄のそれまで鬱積していた弟に対す
 る嫉妬とコンプレックスが一挙に吹き出した。明彦の結婚式の日、おちぶれた幸雄が明彦に包丁を突
 きつける。「あやまれ! 順子に会うな」。あまりの情なさに兄を殴る弟。順子が待つアパートで覚
 醒剤を射つ幸雄、幻覚が拡がり、「昔のあんたに戻ってほしい」と哀願する順子の声も虚しかった。
 突然、順子の背中に包丁が突き刺さる。覚醒剤の幻覚の末の凶行だった。

   〔配役〕

  山沢幸雄(根津甚八)、順子(秋吉久美子)、山沢明彦(矢吹二朗)、山沢文江(山口美也子)、大尽
 (蟹江敬三)、フミ子(中島葵)、山沢イネ(日高澄子)、山沢幸一郎(奥村公延)、山沢竹二郎(草薙
 幸二郎)、順子の母(佐々木すみ江)、文江の実兄(松山政路)、文江の兄嫁(猪俣光世)、霊媒師(白
 川和子)、台湾人の女(岡本麗)、女子事務員(志方亜紀子)、生コン会社部長(石山雄大)、老事務員
 (港雄一)、運転手(粟津號)、銀座の雀の客(三重街恒二)。



 「無印良品映画」その6 『神々の深き欲望』


 某月某日

 昨日はシステムがダウンしていたので、このブログもお休みを余儀なくされたが、今日から再開する。さ
て、『神々の深き欲望』(監督:今村昌平、今村プロ、1968年)を観た。今村昌平監督作品は10本以上観て
いるはずだが、これまで鑑賞の機会に恵まれなかった作品の一つである。
 物語は、沖縄周辺の島々の一つを思わせるクラゲ島を舞台に、かの地の共同体における土俗的な因習を描
いている。沖縄研究者にこの映画の話をしたところ、もしかしたら、「沖永良部島」がモデルかもしれない
との由(彼はこの映画を観ていない)。舞台設定から、『さらば箱船』(監督:寺山修司、劇団ひまわり=
人力飛行機舎=ATG、1982年)を連想したが、製作の際『神々の深き欲望』を意識したと考える方が自然であ
ろう。影響関係はあまりないと思うが……。太(ふとり)家という家柄がある。信仰厚い一家であるが、島
民からは「けだもの」とさえ呼ばれることがある。理由は簡単、「近親相姦」の噂が絶えないからである。
この映画における太家の登場人物を挙げておこう。太山盛(嵐寛寿郎)、太根吉(三國連太郎)、太亀太郎
(河原崎長一郎)、太トリ子(沖山秀子)、太ウマ(松井康子)である。根吉は山盛の息子、ウマは同じく
娘、したがって、根吉とウマは兄妹、亀太郎は根吉の息子、トリ子は同じく娘、したがって、亀太郎とトリ
子は兄妹である。さらに幾人かの登場人物が出てくるので、簡単に説明しておこう。この島を仕切っている
人物が竜立元(加藤嘉)、その妻が竜ウナリ(原泉)、島の神話の語り部が里徳里(浜村純)、その妻が里
ウト(中村たつ)、その他の島の有力者として登場するのが麓金朝(小島晋)である。竜立元と里徳里とは
太根吉の戦友という設定。その他、比嘉(殿山泰司)、山城(徳川清)、土持(石神康彦)が島の住民とし
て出てくる。東京から来たギシ(技師のことか?)の役として、島尻(小松方正)、刈谷(北村和夫)、ま
た、物語の終盤で登場する刈谷夫人(扇千景)、東夫人(細川ちか子)などが出演している。
 根吉は島の秩序破壊者で、ダイナマイトで密漁をしたり、人妻にちょっかいを出したり、妹のウマにまで
手をつけたりする、いわゆる「鼻つまみ者」である。そのため、足には鎖の枷をはめられ、外出を制限され
ており、普段は穴を掘って暮らしている。この穴は、津波がもたらした大岩をそこに落として、神の田を復
活させるという使命を担った存在である。根吉がかれこれ20年も掘っている穴である。天地自然一木一草が
神であるこの島の創造神話として、兄妹神話が存在する。ある兄妹が結ばれて、この島ができたとする神話
である。その意味では、根吉とウマとの結びつきは神の領域においてはむしろ自然である。一方、そのウマ
は、神託を述べ伝える巫女役の「ノロ」でもある。このウマを竜立元は世話している。根吉の息子の亀太郎
は土俗的な因習を迷信だと公言しているが、積極的にこれを否定するつもりはない。神域の木を伐採するこ
とができないので、むしろ畏れていると言えるかもしれない。この島の経済はかつて漁と耕作で成り立って
いたが、現在はサトウキビの栽培が主力で、東光悌という実業家によって支配されている。ところが、島の
水源や世界的な砂糖の値下がりの問題があって、このままでは立ち行かなくなっている。ほとんど無能とも
言える島尻というギシの後を受けて、この島に刈谷という新しいギシがやって来る。島ではドンガマ祭が近
づいており、この刈谷の助手として亀太郎が推薦される。推薦者は竜立元で、働きぶり如何によっては、ド
ンガマ祭への復帰を太家に許可してもよい、と言う。つまり、太家は一種の「村八分」にされているのであ
る。この提案に、太山盛は感激する。村の太家への制裁の、事実上の終了を意味するからである。しかし、
山盛と根吉の間には決定的な相違がある。つまり、亀太郎が日当を受けるか受けないかという一点が分かれ
目になっているのである。

 根吉の立場:働けば銭になる。人は銭のために働く。
 山盛の立場:人は神のために働く。したがって、銭を受け取ってはならない。

 村には、「ユイタバ」と呼ばれる「相互労働奉仕」のしきたりがある。屋根葺きなど、大勢の人間の共同
作業を必要とする際の仕事である。山盛は、土持のユイタバに駆り出される。これで、太家の村への復帰が
本格化したわけで、山盛は溜飲の下がる思いで出掛けてゆく。ところが、作業中、屋根から落ちて死んでし
まう。太家の新たなる不幸の始まりである。ウマの濃厚な接待を拒否していた刈谷は、ふとした弾みからト
リ子とできてしまう。このトリ子は発達の遅れている少女で、島の青年の多くと性的関係がある存在である。
刈谷は会社と太家との間で右往左往することになる。サトウキビが頭打ちであることがはっきりしたとき、
この島を観光の島に変貌させる計画が持ち上がる。新たなる経済的発展が約束されたというわけである。し
かし、空港予定地に太家の土地が入っていたのに、根吉はこの土地を売ることはできないと言い出す。例の
大岩が穴に落ちて、神の田が復活したからである。竜立元が説得に当たるが、色好い返事は聞かれない。そ
うこうするうち、竜立元が死ぬ。現場に居合わせた根吉とウマは、手に手を取って船で島を脱出する。ユー
トピアと考えられる、今では日本領ではない無人島を目指したのだ。これは、竜ウナリのアドヴァイスによ
るものだったが、島民に対してウナリは、自分の夫である立元は根吉によって殺されたと虚偽の証言をする。
おそらく、夫の妾同然であったウマに対する嫉妬心がそうさせたのではなかろうか。たちまち、追っ手がか
かる。息子の亀太郎もそのメンバーである。カヌーのような七、八人乗りの手漕ぎボートで追跡を開始する。
一方、根吉とウマを乗せた船はモーターで動くが、そのモーターもやがて動かなくなることによって、追跡
者に追いつかれる。夕日を背景に、面をつけた追跡者は櫂で根吉を制裁し鮫の餌食にする。ウマは帆柱にく
くりつけられて、さらし者の憂き目に遭う。五年後、観光開発が成功したクラゲ島に、刈谷一向がやってく
る。東京に出たはずの亀太郎も戻ってきていて、機関車の運転手をしている。刈谷一向に島の伝説(根吉と
ウマが処刑され、トリ子が恋人の帰りを待ちわびているうちに亡くなったという話)が語られるが、刈谷は
妻たちの手前、惚けるしかない。島の有力者である麓金朝も、島民は昔話と現実を混同していると説明して、
誤魔化す。突然、機関車の前方に死んだはずのトリ子が現れる。亀太郎にしか見えない幻影かもしれない。
このトリ子を機関車は轢いてしまうが、トリ子の死体はどこにもいない。赤い帆の船が海に浮かんでいるシ
ーンで、映画は終わる。
 神と人間との関係、共同体における神話(兄妹相姦による創造神話)、昔ながらの習俗と近代化との葛藤、
掟を破った者に対する苛酷な制裁、人口調節の実態など、いろいろ考えさせてくれる映画であった。映画の
舞台は小さい島であるが、考えれば狭い島の連合体である日本の縮図になっている、と言ってよいかもしれ
ない。


 某月某日

 小説を原案にして映画を製作することはよくあることだろう。原作とは異なるので、下敷きにされた小説
はあまり表には出てこない。『神々の深き欲望』(監督:今村昌平、今村プロ、1968年)にも、原案にされ
た小説が存在する。1951年(昭和26年)に、宮崎市の同人誌『龍舌蘭』に発表された安達征一郎作「憎しみ
の海」である(『怨の儀式』、三交社、1974年、所収)*。この人は一般にはあまり知られている人ではな
いと思われるが、直木賞候補にもなったことのある作家である。最近鑑賞した『神々の深き欲望』には、た
しか原作があったはずだという記憶を頼りに、さして多くもない蔵書の中から見つけ出したのである。読ん
でみたが、舟による逃亡と追跡が映画に活かされていることが判った。さらに、これも記憶が頼りであるが、
丹羽文雄が主宰していた『文学者』という雑誌の集いで、この安達氏のお話を聴いたことがあるような気が
する。30年以上も前のことなので、思い違いかもしれないが……。
 さて、文学作品を映画化したものは数多いが、未見の作品で一番観てみたいのが『泥の河』(監督:小栗
康平、木村プロ、1981年)**である。最近、主演の田村高廣が亡くなったので、追悼番組としてテレヴィ
で上映された由。小生は惜しくも観損なったが、またいつか鑑賞の機会もあるだろう。少し悔しいので、原
作である宮本輝の「泥の河」を読んでみた。蟹を燃やす話だけは知っていた。誰かから教わったのであろう。

  * 柳井貴士、「今村昌平『神々の深き欲望』論 ─ 作品イメージと安達征一郎をめぐって (特集 一九五
   〇年代文学の可能性を探る ─ 一九五五年体制が創り出したもの/隠したもの) 、『社会文学』(33号、
   2011年)という論文が存在するが、小生は未読である。
  ** その後、『泥の河』はDVDで鑑賞した。素晴らしい作品である。


 以上が、「日日是労働セレクト11」にある記事である。この作品は、日本の原点を吟味する上で是非鑑
賞したい映画である。小生としては、『復讐するは我にあり』を推したいが、当該作品を今村昌平監督の最
高傑作とする意見もある。とりあえず、小生が鑑賞済みの今村監督の作品を以下に掲げてみよう。全部で18
本ある。○は、必見映画。◎は、最高傑作。

  『盗まれた欲情』、監督:今村昌平、日活、1958年。
  『西銀座駅前』、監督:今村昌平、日活、1958年。
  『果てしなき欲望』、監督:今村昌平、日活、1958年。
 ○『にあんちゃん』、監督:今村昌平、日活、1959年。
 ○『豚と軍艦』、監督:今村昌平、日活、1961年。
 ○『にっぽん昆虫記』、監督:今村昌平、日活、1963年。
 ○『赤い殺意』、監督:今村昌平、日活、1964年。
 ○『「エロ事師たち」より 人類学入門』、監督:今村昌平、今村プロ、1966年。
  『人間蒸発』、監督:今村昌平、今村プロ=ATG=日本映画新社、1967年。
 ○『神々の深き欲望』、監督:今村昌平、今村プロ、1968年。
 ◎『復讐するは我にあり』、監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年。
  『ええじゃないか』、監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1981年。
 ○『楢山節考』、監督:今村昌平、東映=今村プロ、1983年。
  『女衒・ZEGEN』、監督:今村昌平、東宝=今村プロ、1987年。
 ○『黒い雨』、監督:今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年。
  『うなぎ』、監督:今村昌平、ケイエスエス=衛星劇場=グループコーポレーション、1997年。
  『カンゾー先生』、監督:今村昌平、今村プロダクション=東映=東北新社、1998年。
  『赤い橋の下のぬるい水』、監督:今村昌平、日活=今村プロ=バップ=衛星劇場=マル、2001年。

 『神々の深き欲望』が公開されたとき、各種映画賞を総なめにしたが、同時に多額の借金を抱えたために、
その後長篇映画を撮る資金が調達できなかったという。長い雌伏の後、満を持して『復讐するは我にあり』
を発表したが、これは大ヒット。劇映画の監督としての復活を意味していたと言われる。なお、今村の師匠
は川島雄三だが、常に彼を意識していたいう。さもありなん、映画監督としての力量が十分に伝わっている
〔ウィキペディアより〕。
 一応、<Movie Walker>にも記事があるので、それを引用しておこう。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞
いたい。

   〔解説〕

  『東シナ海』の今村昌平と長谷部慶治が共同でシナリオを執筆し、『人間蒸発』の今村昌平が、神
 話的伝統を受けついで生活する沖縄の一孤島を舞台に、因襲や近代化と闘う島民の生活を描いた。撮
 影は、栃沢正夫。

   〔あらすじ〕

  今日もまた大樹の下で、足の不自由な里徳里が蛇皮線を弾きながら、クラゲ島の創世記を語ってい
 た。この島は、今から二十余年前、四昼夜にわたる暴風に襲われ津波にみまわれた。台風一過、島人
 たちは、根吉の作っている神田に真赤な巨岩が屹立しているのを発見した。神への畏敬と深い信仰を
 持つ島人たちは、この凶事の原因を詮議した。そして、兵隊から帰った根吉の乱行が、神の怒りに触
 れたということになった。根吉と彼の妹ウマの関係が怪しいとの噂が流布した。区長の竜立元は、根
 吉を鎖でつなぎ、穴を掘って巨岩の始末をするよう命じた。その日からウマは竜の囲い者になり、根
 吉の息子亀太郎は若者たちから疎外された。そんなおり、東京から製糖会社の技師刈谷が、水利工事
 の下調査に訪れた。文明に憧れる亀太郎は、叔母のウマから製糖工場長をつとめる亀に頼んでもらい、
 刈谷の助手になった。二人は島の隅々まで、水源の調査をしたが、随所で島人たちの妨害を受けて、
 水源発見への情熱を喪失していった。刈谷は、ある日亀太郎の妹で知的障害者の娘のトリ子を抱いた。
 トリ子の魅力に懇かれた刈谷は、根吉の穴掘りを手伝い、クラゲ島に骨を埋めようと、決意するのだ
 った。だが、会社からの帰京命令と竜の説得で島を去った。一方、根吉は、穴を掘り続け、巨岩を埋
 め終る日も間近にせまっていた。ところが、そこへ竜が現われ、仕事の中止を命じた。根吉は、二十
 余年もうち込んできた仕事を徒労にしたくなかった。根吉は頑として竜の立退き命令をきき入れなか
 った。豊年祈祷の祭りの夜、竜はウマを抱いたまま死んだ。そのあとで、根吉は、妹ウマを連れて島
 を脱出した。小舟の中で二人は抱きあったが、島から逃れることはできなかった。亀太郎を含めた青
 年たちに、根吉は殴り殺され、海中の鮫に喰いちぎられた。ウマは帆柱に縛られたまま、いずことも
 知れず消えていった。五年後、クラゲ島は観光客で賑っていた。亀太郎は一度東京へ行ったが、いつ
 の間にか島に戻り、今は蒸気機関車の運転手をしている。そしてトリ子は岩に化身して刈谷を待ち焦
 がれているという。里徳里が今日もまたクラゲ島の創世記を観光客に蛇皮線で弾き語っていた。

   〔配役〕

  太根吉(三國連太郎)、太亀太郎(河原崎長一郎)、太トリ子(沖山秀子)、太山盛(嵐寛寿郎)、
 太ウマ(松井康子)、竜立元(加藤嘉)、竜ウナリ(原泉)、里徳里(浜村純)、里ウト(中村たつ)、
 麓金朝(水島晋)、刈谷(北村和夫)、島尻(小松方正)、比嘉(殿山泰司)、山城(徳川清)、土
 持(石津康彦)、東夫人(細川ちか子)、刈谷夫人(扇千景)。



 「無印良品映画」その7 『ハッシュ!』


 某月某日

 (前略)

 2本目は『ハッシュ!』(監督:橋口亮輔、シグロ、2001年)である。上記の『松川事件』とは質がまっ
たく違うが、これも重たい映画である。基本的図式としては『きらきらひかる』(監督:松岡錠司、フジテ
レビジョン、1992年)と同じく、男性の同性愛カップルに一人の女性が絡むという筋である。狛江市に住む
歯科技工士の藤倉朝子(片岡礼子)は、端から見ると「自堕落」と看做されかねない日々を送っている。ア
パートの部屋は散らかし放題、男性関係も行き当たりばったりで、これまで二人の胎児を堕ろしている。一
方、何かよく分からない仕事(人工的な波を起こして、その水面に船を浮かべ、何かデータを取っていると
いう仕事)の技師をしている勝裕(田辺誠一)と、犬の美容師をしている直也(高橋和也)との、同性愛カ
ップル(映画の中では「ゲイ」という言葉を遣っている)がいる。ときどきは喧嘩もするが、互いに気を遣
い合っておおむね仲がよい。この三人がそば屋で知り合い、やがて「家族」をつくろうとするまでの物語で
ある。
 子宮に異常が見つかった朝子は、急に自分の子どもを欲しがるようになるが、結婚によって縛られたくは
ない。そこに、女性には興味のないゲイ(勝裕)が現れたことをきっかけに、「この人の子どもを産みたい」
と思うようになったのである。現在、生殖技術の発達によって、配偶者間の人工授精は可能になった。した
がって、形式上婚姻すれば子どもをもつことは可能であろうが、朝子が考えている方法は、スポイトで精子
を採取し、それを膣に注入するという方法である。素人目にも無理なような気がするが、本人は案外真面目
である。しかし、当然のごとく、周囲はこのような発想を許すはずがない。勝裕の義姉(秋野暢子)や直也
の母(冨士眞奈美)などはその急先鋒である。また、勝裕に入れ上げているストーカー女性(つぐみ)など
も絡んで、なかなか困難な状況である。しかし、すべてが反対者ばかりではない。勝裕の兄(光石研)やそ
の娘(役者名不詳)はむしろ彼らの応援に廻っている。最後の方で、この兄は交通事故であっさり死ぬが、
義姉のその後の態度が批判される流れになっている。つまり、映画のメッセージとしては、新しい考え方の
方に軍配を上げていると言えよう。家族観の変遷をつぶさに描いた傑作であると思う。肌理の細かい演出の
できる橋口亮輔という監督に、今後とも注目したい。


 以上が、「日日是労働セレクト11」にある記事である。この作品は、男性のいわゆる「同性愛」を描い
ているが、上記の『きらきらひかる』の他にも、『おこげ OKOGE』(監督:中島丈博、東京テアトル、1992
年)が同様の作品として存在する。三者に共通することは、男性の同性愛カップルに一人の女性が絡むとい
う点である。なお、LGBTQなどと括られて、性的指向性の少数派を指すことがあるが、少数派を浮き上
がらせないSOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)という括りもある。ジェンダーを論じる本
はあまたあるが、ひとつだけ参考文献を挙げておこう。

  『同性愛と異性愛』、風間孝/河口和也 著、岩波新書、2010年。

 念のために、この作品も、<Movie Walker>の記事を引用しておこう。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、内容に変化はない。ご寛恕願いたい。

   〔解説〕

  『渚のシンドバッド』から5年ぶりとなる、橋口亮輔監督の最新作。満たされない心を抱える3人
 の男女が、新たな家族の可能性を探っていく珠玉のヒューマン・ドラマだ。

   〔あらすじ〕

  気ままなゲイライフを送る直也と、ゲイであることを隠して暮らす勝裕。偶然出会い交際を始めた
 彼らの前に、人生に希望を持てない朝子が出現。2人をゲイだと知った朝子は、子どもを産むため破
 天荒な提案をする。

   〔配役〕

  栗田勝裕(田辺誠一)、長谷直也(高橋和也)、藤倉朝子(片岡礼子)、栗田容子(秋野暢子)、
 長谷克美(冨士眞奈美)、栗田勝治(光石研)、永田エミ(つぐみ)、マコト(沢木哲)、有朋(斉
 藤洋介)、田所 (深浦加奈子)、ユウジ(山中聡)、産婦人科医師(岩松了)、朝子の父(寺田農)、
 真山(井上康)、逸地部長(亜南博士)、広瀬(佐藤二朗)、昌(佐藤直子)、堀内(川崎桜)、ヒ
 ロ(岡安泰樹)、マスター(猪野学)、店子(原田和年)、冒頭の青年(高木ヒロオ)、蕎麦屋の店
 員(加瀬亮)、スイミングインストラクター(飯沼誠司)、三塚歯科医院看護婦(沢木麻美)、三塚
 歯科医院看護婦(清水麻依子)、栗田カオル(真柄佳奈子)、マッチョ(ハスラー・アキラ)、ヒロ
 の彼氏(松永大司)、産婦人科大部屋の女(伊藤修子)、ナースセンターの看護婦(高仁和絵)、産
 気づく妊婦(萩原利映)、プールの妊婦(氏家恵)、プールの妊婦(矢澤庸)、ファミレスのウェイ
 トレス(大澤桂子)、田所舞(丸山夏海)、蕎麦屋の親子(梶田むつみ)、蕎麦屋の親子(梶田翔)、
 蕎麦屋の親子(梶田翼)。



 「無印良品映画」その8 『ブラザーフッド』


 某月某日

 『ブラザーフッド』(監督:カン・ジェギュ、韓国、2004年)を観た。1950年に勃発した朝鮮戦争を舞台
にして、チャン・ドンゴン(ジンテ)とウォンビン(ジンソク)の兄弟愛を謳いあげた作品である。CGを
駆使した映像づくりには迫力があったが、それと同時に映画の限界も感じざるを得なかった。つまり、段々
と白けてくるのだ。もっとも、演技者はそれぞれ上手で、「限界状況」にある人間の表情をこれでもかとい
うばかりに画面に叩きつけていた。ジンテの婚約者ヨンシン(イ・ウンジュ)が殺されて、穴に投げ込まれ
るシーンがあるが、『アマデウス』(監督:ミロス・フォアマン、米、1984年)でモーツァルトが同じよう
にされるシーンを思い出し、何とも悲しい気持になった。死者を物のように扱うことが胸に応えるからだと
思う。ところで、10月から韓国語を学ぶ予定であるが、映画を学習に活用できればよいが、と思っている。


 某月某日

 父親が亡くなって一月が過ぎた。この間、彼はどんな人物であったかを度々考えた。小生とは接点の少な
い人で、彼の考え方と合わずに衝突したこともしばしばあった。晩年の衰えゆく姿を見て、少しばかり感傷
も生じたが、基本的には敵対的な関係をつづけてきたと言える。それゆえ、『ブラザーフッド』で描かれて
いるような、麗しい親子関係は小生には無縁である。儒教的な教えが浸透している韓国にあっては、父母を
大事にすることは当たり前なのかもしれないが、小生は父母を特別視することに懐疑的である。たしかに、
家族は大事であろう。しかし、その考えを普遍化してゆくならば、同じ民族同士の殺し合いを肯定すること
はできないだろう。『ブラザーフッド』は、あくまで韓国側の視点から描かれているので、北朝鮮軍はどこ
までも悪者にすぎない。したがって、彼らを殺すことにためらいがないのだ。しかし、殺される者にも家族
はいるのである。家族愛を崇めるとすれば、どうして敵とは言え人を殺すことができるのだろうか。大いな
る矛盾である。小生は今後、父親の魂の救いは何処にあったのかを考えてみようと思っている。それが亡び
た敵に対する礼儀であろう。


 以上が、「日日是労働セレクト11」にある記事である。この作品は、著名な韓国映画であるが、ハリウ
ッドで製作されたと言ってもよいほど、かなりレヴェルが高い。もっとも、本文にも書いてある通り、CG
の駆使はだんだんと興醒めを呼ぶので厄介である。朝鮮戦争は現在休戦状態の由だが、アジア・太平洋戦争
後の日本の経済的繁栄は、朝鮮戦争とベトナム戦争のお蔭という皮肉な側面があるので、日本人にも鑑賞す
べき大いなる理由があると思う。ともあれ、韓国映画なので知らない人も多いだろう。
 韓国の日本バッシングは確かに不愉快な部分もあるが、日本が朝鮮半島に浸出したという歴史的事実は消
えないので、保障問題はともかくとして、避けては通れない問題であることは、日本人として自覚した方が
よいだろう。自衛隊(警察予備隊 ⇒ 保安隊 ⇒ 自衛隊)が結成されるきっかけになった戦争を描いている
ので、その意味でも興味深い。
 <Movie Walker>に関連記事があるので、それを引用しよう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、
ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  韓国映画史上最大のヒットを記録した、『シュリ』のカン・ジェギュ監督最新作。朝鮮戦争に運命
 を翻弄された兄弟の強い絆を、リアルな戦闘シーンと共に描きだす。

   〔あらすじ〕

  1950年、ソウル。朝鮮戦争が勃発し、ジンテとジンソクの兄弟も戦場での戦いを強いられる。ジン
 テは、進学を目指すジンソクの除隊許可を得るため危険な任務を志願するが、そんな兄にジンソクは
 反発する。

   〔配役〕

  Jin-tae(チャン・ドンゴン)、Jin-seok(ウォンビン)、Young-Shin(イ・ウンジュ)、ヨンマン
 (コン・ヒョンジン)、North Korean commander(チェ・ミンシク)、青年団長(キム・スロ)。

 なお、これは日本人の監督が製作した映画であるが、韓国を描いた映画として印象深い作品を一つ挙げる
とすれば、小生は『KT』(監督:阪本順治、「KT」製作委員会〔シネカノン=デジタルサイト コリア=
毎日放送〕、2002年)を挙げたい。
 一応、<Movie Walker>と<ウィキペディア>に記事があるので、それも以下に引用させていただこう。執筆
者に感謝したい。なお、若干の修正を施したが、ご寛恕をいただければ幸甚である。

   <Movie Walker>

   〔解説〕

  1973年に起きた現韓国大統領・金大中の拉致・監禁事件を、多角度から捉えた社会派群像劇。事件
 に関わった人々の人間模様を、『顔』の阪本順治監督が重厚にあぶりだす。

   〔あらすじ〕

  1970年代。朴大統領による独裁政治下の韓国から、政敵の金大中が日本へ逃亡する。同じころ、自
 衛隊の諜報員・富田は韓国大使館の要請で金を追跡。大使館では金の暗殺を計画し、富田もこの策略
 に関わっていく。

   <ウィキペディア>

 『KT』(ケイティー)は、1973年に起こった金大中事件を題材にした2002年公開の日本と韓国の合作映画。
中薗英助の『拉致-知られざる金大中事件』を原作としている。
 「史上初の日韓同時公開」と喧伝されたが、韓国では不入りを理由に2週間ほどで上映打ち切りとなり興
行は惨敗した。

   〔概略〕

  1971年4月に行われた韓国大統領選挙は僅差で朴正熙の三選が決まり、敗れた野党候補の金大中は、
 朴正熙大統領の地位を脅かすことが明らかとなった。金大中は日本を訪れるが、その時朴大統領は非
 常戒厳令を宣言し、反対勢力の弾圧に乗り出した。追われる金大中と追う当局の戦いが始まる。

   〔キャスト〕

  富田満州男〔陸上自衛隊中央調査隊役〕(佐藤浩市)、金車雲(キム・ガプス)、金大中(チェ・
 イルファ)、神川昭和(原田芳雄)、金甲寿(筒井道隆)、李政美(ヤン・ウニョン)、金俊権(キ
 ム・ビョンセ)、佐竹春男〔陸上自衛隊中央調査隊役〕(香川照之)、塚田昭一(大口ひろし)、内
 山洋〔陸上自衛隊中央調査隊役〕(柄本明)、柳春成(光石研)、洪性震(利重剛)、川原進(麿赤
 兒)、甲寿の母(江波杏子)、高島俊子(中本奈奈)、趙勇俊(平田満)、柳沢三郎(白竜)、高井
 警察庁長官(浜田晃)、官房長官(佐原健二)、外事課警部補(山田辰夫)、尹英学(康すおん=カ
 ン・スオン)、金銅忠(金廣照=キム・カンジョ)、金君雄(木下ほうか)、和田博(中沢青六)、
 官房長官秘書(水上竜士)、塩田(田中要次)、五木寛(甲本雅裕)、東豊(真鍋尚晃)、野光(笠
 松伴助)、菊村透(井川修司)、村田輝子(蜷川みほ)、料金所係(宇口得治)、朴正熙(キム・ミ
 ョンジュン)、梁宇東(ユ・イルファン)、金敬一(キム・デソン)、李厚成(チェ・ジョンウ)、
 劉永善(チョン・ジョンフン)、韓尚石(パク・ソンウン)、李台建(チョ・ムニ)、白哲現(ユ・
 ジェミョン)、朴相夏(ナ・ジェギュン)、朴星一(木村慶太)、金命基(松原末成)、金起国(奥
 原邦彦)、金鳳美(キム・ソヌァ)。



 「無印良品映画」その9 『河内カルメン』


 某月某日

 『河内カルメン』(監督:鈴木清順、日活、1966年)を観た。清順美学の粋が詰まっており、絶好調とい
う感じ。原作は今東光、小生の子どもの頃の印象では、「禿の変なおっさん」だった。『悪名』シリーズが
大好きだった小生としては、彼の描く世界には馴染みがある。小生が坂東を捨てて上方に上ったのも、淵源
はその辺りにあるのかもしれない。もっとも、大阪ではなく京都を選んだのは、もうひとつひねくれている
からだろう。とにかく、河内のパワーには憧れるが、それほど近付きたいわけではないのである。その辺が
微妙。
 さて、物語であるが、カルメン役の武田露子(野川由美子)が、薔薇を口に銜えて、颯爽と自転車に乗っ
て勤め先の「坂田製綿株式会社」に向かうところから始まる。もちろん、早々とカルメンを全面に押し出し
ているのであるが、この分かりやすくも安っぽい演出を成功させたのは、鈴木清順の図太さと主演の野川由
美子のエキゾチックな風貌にあると思う。まさか最初から薔薇を銜えさせるなんて、そんな「臭いこと」は
しないだろうと思っている鑑賞者の度肝を抜くのである。小生は清順ファンを自認しているが、あの意表を
突く展開、映像のファンタジー、安っぽいのにお洒落な小道具、カラッとした人間関係、それでいて泣かせ
るところは泣かせ、ほどよいお色気、きわどいユーモア、ときに人間の業(カルマ)を見せ、ときに人間を
滑稽に踊らせる。この作品でも、そんな味わいが満載だった。
 露子はぼんを見付けて、薔薇を投げる。もちろん、ぼんとは「坊ちゃん」のことである。坂田彰(和田浩
治)が、坂田製綿の御曹司であることから、こう呼ばれるのである。彼は大学生であるが、もう大学には嫌
気が差している。それで、実家に帰って来たのだ。露子の帰り道、そのぼんが同行する。成り行きから二人
は接吻するが、それを見ていた地元の青年たち(野呂圭介ら)を煽り立てることになり、ぼんが帰った後、
露子は彼らに輪姦される。傷心の露子が家に帰ってみると、今度は母親のきく(宮城千賀子)が浮気をして
いる現場に出会す。相手は不動院の良厳坊(桑山正一)で、父親も承知の上であるという。最初、良厳坊は
露子の身体を欲しがったが、それを阻止するために自分が犠牲になったという。父親が甲斐性なしなので、
売春もやむなしというわけである。それを聴いた露子は、河内がほとほと嫌になって大阪に出る。女工時代
が終わりを告げたのである。
 大阪に出た露子は、先輩の雪江(松尾嘉代)を頼ってキャバレーのホステスになる。最初の日、したたか
に酔っぱらった露子は、そのつもりもないのに勘造(佐野浅夫)に身を任せてしまう。彼は信用金庫に勤め
ているしがないサラリーマンであったが、河内の有名な造り醤油屋の御曹司だとウソを吐いていたのである。
遊行資金の切れたと思われる勘造は、雨の日も店の外で彼女の帰りを待っていた。それを鬱陶しがった露子
は、そんなことをしていたら、信用金庫を馘になっちゃうよと忠告する。それに対して勘造は、すでに馘首
されたと言う。露子のところに通う資金として、10万円ほど使い込んだというのである。露子は、どうせ使
い込むのならば、なんで一千万か二千万ぐらいやらなかったんだと怒る。勘造は俺も後からそう思ったと言
う。そんなやりとりの後、勘造を哀れに感じた露子は自分のアパートに連れ帰る。その後、しばらくは同棲
生活である。勘造は行くところもないし、露子に惚れているので、まさに渡りに船、おさんどんをしながら
露子の帰りを待つ生活に入る。しかし、そんな生活が長続きをするはずがない。モデルの元締めのような仕
事をしている鹿島洋子(楠侑子)が、露子のスタイルに目を付けたのである。レズっ気のある彼女は、同居
してモデルの勉強をしないかと誘う。それも悪くないと思った露子は、それを承諾する。キャバレーのホス
テス時代から、モデル時代への変身である。そこで、勘造と別れることになるが、その場面がなかなか味が
ある。露子は勘造に「怒ってくれないと別れられない。だから怒ってくれ」と頼むのである。優しい勘造は
芝居を打って怒るふりをする。釣り合わない自分を置いてくれたお礼である。やがて静かに部屋を去ってゆ
く勘造に対して、露子は本当の涙を流す。
 さて、洋子の豪邸に同居することになった露子は、いわばお手伝い代わりに使われる。しかし、露子はそ
れを嬉々としてこなす。ある日、洋子がボーイフレンドを連れて来る。後に、露子の大事な友人になる高野
誠二(川地民夫)である。彼と洋子はできているが、誠二が露子にちょっかいを出そうとしてキスをする。
それを見て嫉妬した洋子は、露子と誠二に出て行けという。本心からではなかったが、洋子のレズ癖に辟易
した露子は、誠二とともに洋子の元を去る。誠二は面白い青年で、何で食べているのか分からないが、裕福
そうである。芸術家を気取っているが、それに打ち込むというのでもない。有り余る親の遺産で食っている
という感じか。そのせいか、露子に対してもがつがつしない。露子にとって、恋人としてはもの足りないが、
友人としては完璧な人物の誕生である。誠二の「抱いて欲しければ抱くけれど」という言葉を受けて、露子
はセックスはあまり好きではないと言う。経験も少ないし、本当に好きな人と結ばれたことがないからであ
る。誠二はそれじゃ僕は他のガールフレンドのところへ行くから、君はここでしばらくのんびりしていいよ
と言う。現実にはありそうもないシチュエーションであるが、清順ワールドに入り込むと全然無理がない。
まさにマジックである。誠二が不在なので少し退屈した露子は、大阪見物に出掛ける。大阪に出てきてから
落ち着いた時間をもてなかった露子にとって、ぽっかりと空いた時間である。
 電車の中でぼんと邂逅した露子は、誠二の元を出てぼんと同棲すると言う。気のいい誠二は、困ったらま
たいつでも戻って来いよと言って、ぼんの元に送り出す。粋な計らいである。ぼんの話によれば、坂田製綿
は倒産し、彼も大学をやめたという。今は陋巷にいるが(実際、だいぶ汚いバラックに住んでいる)、温泉
を掘り当てて、一発大儲けをするのだという。いわゆる「山師」になっていたのだ。生駒山系には必ず温泉
が湧き出る場所があるはずだという夢を抱いているのである。露子は、自分がもってきた高価な洋服を皆ぼ
んによって質に入れられたにも拘わらず、怒る気配すらない。むしろ、そんなに資金がいるのなら私が何と
かしようというのである。そこで誠二に相談することになるが、誠二は一つ方法があると言う。金貸しの齋
藤長兵衛(嵯峨善兵)のお妾さんになる道である。露子はぼんのために一肌脱ぐことになる。ぼんも不本意
ながらそうしてくれと言う。露子のお妾時代の始まりである。
 齋藤長兵衛は変わった人物で、彼女には指一本触れない。マンションの部屋を与え、そこに住まわせる。
最初はマンションの鍵しかもっていなかったが、誠二の画策で権利証を手に入れる。本当によくできた友人
である。ぼんが露子をダシにして、長兵衛の元に資金調達の談判に出掛けるが、彼は動じない。逆に、奇妙
な依頼を受ける。忍者の格好をして腰元の格好をした露子を犯せ、と言うのだ。それを撮影して、外国で売
り捌こうというわけである。露子は呆れるが、結局は長兵衛の思い通りにことは運ぶ。しかも、露子は初め
て感じたと言う。出演料(?)の百万円の小切手をもってぼんの部屋を訪ねるが、彼は不在である。後で、
誠二の部屋で判明するが、やくざに刺されて死んだのである。マンションの自室でぼんやりしていた露子の
元に誠二が「朗報」をもってくる。長兵衛が飛行機事故で亡くなったというのである。マンションの権利が
手に入った瞬間である。しかし、露子は少しも嬉しくない。ぼんがこの世にいないからである。したがって、
マンションを売り飛ばした金ももう要らないというわけである。金を撒く露子、慰めようがない誠二。そこ
に、実家から電話がかかってくる。父が死んだという。急いで駆けつけた露子を待っていたのは、またぞろ
良厳坊絡みの醜聞であった。妹とできているというのだ。溜息を吐く露子。良厳坊に一矢報いたい露子は、
一計を案じる。この辺りに不動の瀧はないか、と。温泉が出るという噂を聞いた、と。二人で出掛けたその
瀧で、露子は良厳坊を瀧壺目掛けて突き飛ばす。あえなく転落する良厳坊。復讐の完成である。
 時がいくらか経過し、誠二の元に葉書が来る。露子からのものだ。東京で、もっともっといい男を捜すと
いうのだ。微笑する誠二。薔薇を銜えた露子の貌。
 一場面一場面が、リアルなのか、ファンタジーなのか、迷うほど意外性に満ちており、予想を裏切る展開
が観ている者のこころをわくわくさせる。容易には意味の分からない場面も、清順流の意味が賦与されてい
るのだ。当該作品も、筋を追うだけではまことに通俗的なドラマなのだが、その通俗性を超えたところに、
聖なるものが仄見えてくるのである。『ツィゴイネルワイゼン』(監督:鈴木清順、シネマ・プラセット、
1980年)とは異質の傑作であった。


 以上が、「日日是労働セレクト12」にある記事である。この作品は、その突き抜けた物語の展開に驚く
と同時に、あり得そうであり得ない人物が躍動するところに面白さが潜んでいる。もともとメリメの『カル
メン』が好きな小生としては、この露子にカルメンの面影を垣間見るには見るが、かなり脇の甘いカルメン
ではある。そんな人間臭いカルメンと数々の男たちの交流が、不自然のようで自然なのが不思議である。と
くに小生としては、川地民夫が演じた高野誠二という青年の鷹揚雑駁さがとても印象深い。もっとも、ちょ
っと考えれば、「現実には、こんな奴はいない」という結論に達せざるを得ないが……。「映画格付」(映
画ランキング専門サイト)において、鈴木清順監督の50作品のうちで、『ツィゴイネルワイゼン』、『関東
無宿』に次ぐ、第3位にランキングされていたのには驚いた。ある意味で素っ頓狂な映画だと思っていたか
らである。素直に、このランクをつけた人には同感せざるを得ない。なにせ、かの『けんかえれじい』(第
12位)よりも評価が高いのだから。
 さて、<Movie Walker>に関連記事が載っているので、それを引用しよう。執筆者に感謝したい。なお、一
部改変した(実際に、事実誤認が数箇所ある)が、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  今東光の原作を、『四つの恋の物語(1966年)』の三木克巳が脚色、『刺青一代』の鈴木清順が監
 督した風俗もの。撮影は『三匹の野良犬』の峰重義。

   〔あらすじ〕

  河内のドン百姓勇造の娘露子は、美しく豊かな肉体で村中の男を悩殺していた。中でも製綿工場の
 息子で大学生の彰は、露子に夢中であったが、露子もまた彰に強く魅かれていた。が、村祭の夜、悪
 童らに処女を奪われ、母のきくが悪坊主良巌坊と関係するのを見た露子は、家出同然に大阪にとび出
 した。さて大阪に出た露子は先輩の雪江の世話でバーに勤めた。いやらしい沢山の男の中で、同郷人
 だという勘造は露子に惣れこみ、露子のアパートに同居した。そのうち露子は鹿島洋子の誘いでファ
 ッションモデルとして生計をたてることになった。鹿島洋子の家に移って、コーチを受ける露子は、
 洋子のセックスフレンドである経理士誠二から、洋子はすごい同性愛で露子は狙われていると聞かさ
 れ驚愕した。そしてある夜寝室を襲われた露子は、とうとう洋子のもとを逃げ出して、誠二の家にこ
 ろがりこんだ。デパートのマネキンになった露子は、偶然彰にめぐり会い、誠二と別れて彰のアパー
 トに移った。生駒山に温泉を掘ろうと野心を抱く彰のため、露子は誠二の力を借りて金貸斎藤長兵衛
 の妾となった。長兵衛に気に入られた露子を縁に、彰は長兵衛に借金を頼んだが断わられ、あげくに、
 長兵衛の趣味とするブルーフィルム製作のスターにかり出される始末。露子はそんな彰に半ば呆れ果
 てるのだった。そして数日後、長兵衛は事故死した。露子はマンションの権利をもらいうけ、一躍金
 持ちになった。彰が金のことでやくざに殺されたあと、露子は河内に着飾って帰って来た。だが、母
 のきく、妹の仙子が良厳坊と寝る仲なのを知った露子は、良巌坊を滝の上に呼び出し、詰問する間、
 良巌坊は足をすべらして谷底に落ちた(小生の記憶では、露子が突き落としたはずだが……)。家の
 ゴタゴタを片づけた露子は、再び都へととび出していった。

   〔配役〕

  武田露子(野川由美子)、武田仙子(伊藤るり子)、武田きく(宮城千賀子)、武田勇吉(日野道夫)、
 坂由彰(和田浩治)、勘造(佐野浅夫)、高野誠二(川地民夫)、不動院の良厳坊(桑山正一)、斎藤
 長兵衛(嵯峨善兵)、雪江(松尾嘉代)、稲代(和田悦子)、和子(加藤洋美)、鹿島洋子(楠侑子)、
 アパートの隣の女(深町真喜子)、「ダダ」のマネージャー(柳瀬志郎)、女秘書(横田陽子)、課長
 (島村謙次)、女給A(若葉めぐみ)、女給B(森みどり)、女給C(西原泰江)などが出演している。

 ともあれ、『肉体の門』(監督:鈴木清順、日活、1964年)でもそうだったが、野川由美子の気風のよさ
には痺れること請け合いである。

                                                  
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