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日日是労働セレクト150
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第150弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト150」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 今月はとても多忙で、1本しか映画を観ることができなかった。来月も多忙が予想されるので、夏休みま
では映画鑑賞の機会はあまりないだろう。仕事があるうちが花なので、それも仕方がないだろう。


 某月某日

 今年度の「(共)福島原発事故を考える」(1学期・金曜日・第2時限目)の講義資料は、すでにSOULS
上に「2018年度版「福島原発事故を考える」資料集」で公開している。小生の担当講義は、「原発と倫理」
という題名であるが、そのうち、「(5)原発を含む文明の倫理問題」に関しては、レジュメではなく、
より詳しい講義ノートを公開しようと思いつき、「日日是労働1806」(7月になってから、「日日是
労働セレクト150」として一般公開の予定)上に公開することにした。ますます世の中が「文明色」一
色になって、自然が日々滅んでいくことに深い憂いを感じるからである。以下は、その講義ノートである。


 ********************************************
 
  (5) 原発を含む文明の倫理問題

 (5)の1 「イゾン(依存)化傾向」について

 上記のタイトルは、「イオン化傾向」(金属が溶液と接するとき、陽イオンとなって溶液中に入ろうとす
る傾向の度合。カリウム・ナトリウムなどは大で、銅・鉛などは小……『広辞苑』より)をもじったもので
す。高校のときの化学の参考書に、「借りよう(カリウム=K)か(カルシウム=Ca)な(ナトリウム=Na)、
まぁ(マグネシウム=Mg)あ(亜鉛=Zn)て(鉄=Fe)に(ニッケル=Ni)すん(錫=Sn)な(鉛=Pb)ひ
(水素=H)ど(銅=Cu)す(水銀=Hg)ぎる(銀=Ag)借(白金=Pt)金(金=Au)」の覚え方が書いてあ
るのを見たことがある人もいるでしょう。小生も、センター入試のときに覚えました。これをもじったタイ
トルを掲げて話を始めてみましょう。
 たとえば、野球場を例に挙げてみましょう。手始めに、イゾン化傾向の大きい順に列を作ってみましょう。

 ドーム球場(開閉式)>ドーム球場(密閉式)>照明設備のある球場>照明設備のない球場>
 草野球の球場>ただの原っぱ

「ただの原っぱ」は、一番「イゾン化傾向」の小さい場所でしょう。何の設備もない代わりに、何の「依存
性」もありません。野球をやりたい人が勝手に集まって来て、適当に線を引いて野球を始めればよいのです。
終われば、原状回復も簡単です。それに対して、ドーム球場は「イゾン化傾向」が大きい場所です。建築費
も莫大であると同時に、維持費もバカになりません。現代人は、全天候型照明つき・空調つきの楽しく心地
よい空間を求めますが、イゾン化傾向のことを勘定に入れると、環境負荷は半端ではないと思われます。
 たぶん、ドーム球場に足を運ぶ人は、このような「イゾン化傾向」に思いを寄せる人は少ないと思います。
たった今楽しくて快適ならば、それが原因で地球が滅んでも痛痒を感じないからです。もちろん、本当に滅
びそうだということが分かったら、野球どころではないでしょうけれど。非常に短絡的な考えですが、小生
は、以前から、「このイゾン化傾向が高いほど悪の度合も高い」という法則を信じています。言い換えれば、
何かに依存することが少なければ少ないほど、それだけ一層「自立」の度合が高まり、それだけ一層「悪」
の要素は少ないというわけです。現代人は、ドーム球場を「悪の殿堂」とは思わないでしょう。きっと、文
明が産んだ建築美の極致だと思うでしょう。この点が、決定的に小生の感じ方と違うところです。
 小生は、単純な、直ぐに元に戻せる、自然に近いものを愛しています。もちろん、それと同時に、生活形
態は現代人そのものですから、さまざまな文明の利器に依存して生活しています。したがって、小生のここ
で話している内容(だいいち、コンピュータを使用しているではないか)は「矛盾の塊」のようなもので、
批判力はほとんどないことは自覚しているつもりです。しかも、このような「絶望の揺り籠」は、きわめて
甘美な夢を見させてくれるので、とても手放せそうもありません。われわれは、ますますいろいろなものに
依存して、ある日突然、絶滅の日を迎えるのでしょう。その日が来るまで、われわれは悪の限りを尽くすと
いう寸法です。地球は人間だけのものではないはずなのに。
 「球場」の例を持ち出しましたので、今度は異綴同音異義語の「窮状」の例に言及してみましょう。

 生活一切を他者に依存(無職)>生活の一部を他者に依存(有職)>複数者の相互依存(共同生活)>
 清貧(独立採算)

 もちろん、幼児、児童、生徒、学生、高齢者、障害者などは、保護や援助を必要とするので、この枠組か
ら外されます。なお、専業主婦(夫)は、賃金が支払われないだけで、立派に家事・育児・介護等の仕事を
こなしていますので、無職ではありません。問題は、健常者にも拘らず、生活上の窮状を余儀なくされてい
る人々です。最初から勤労(国民の三大義務のひとつ)を拒否する人は論外ですが、働きたくても働く場所
がない人もいるのです。この人たちは、イゾン化傾向が大きいわけですが、先の例で挙げた球場と同じよう
に扱うわけにはいかないでしょう。つまり、イゾン化傾向は大きいけれども、それは恒常的なものではけっ
してなく、一時的なものだからです。
 今はイゾン化傾向が大きいけれども、それはけっして怠けているわけではなく、働く意欲を強くもち、生
活上の窮状を改善しようと努力している人は、けっして「悪」ではありません。国家は、国民の生命と財産
を守る義務を負っています。そして、われわれの国の憲法第二十五条には、【生存権、国の社会保障的義務】
として、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明記されています。本人
の努力によ って窮状から脱出しようとすることは必要条件ですが、そのことを促進させるためには、国家が
雇用を保障し、どんな人にも生活できるだけの賃金を稼げる職業(もしくはそれに匹敵するもの)を用意す
ることが十分条件に当たるのではないでしょうか。これは、現代日本の急務でしょう。自己責任や民間任せ
では、けっして実現できないでしょう。もし、このことがなされないならば、国家は果たすべき責任を放棄
することになり、それこそ国民に対するイゾン化傾向が最大になることを意味します。つまり、「国家悪」
が国民を苦しめることになるのです。このような小生の考えなど、幼稚極まるでしょうが、とても懸念して
いる問題です。もちろん、国家には国家の立場があり、国家には国家の窮状があることは、百も承知の話で
はありますが……。

 この記事は、2009年6月15日(月)にリリースしたものです(当初は、一般公開ではなく、学内公開のみ
でした。その後、セレクト版として一般公開)。阪神・淡路大震災が起きたとき、ライフライン(lifeline)*
の断裂が人々に耐乏生活を余儀なくさせたことは記憶に新しいのですが、今回の東日本大震災においても然
りで、多くの被災者が「情報が入らないので不安だ」、「物流を促進するためのガソリンが不足している」、
「暖が取れない」、「必要な食べ物が調達できない」、「トイレにも満足に入れない」、「着の身着のまま
である」など、普段の生活とはほど遠い状態に置かれています。人間生活は多くのものに依存しなければ成
立しませんが、その依存化の傾向は現代を迎えてますます顕著になっています。いわば、「便利競争」 の成
れの果に「イゾン(依存)化傾向」がマックスに近付いたのです。これは、今後の課題になると思いますが、
この現代人のさまざまなものに依存する傾向を見直し、「それがなくても済ませられる生活」とは何かを考
えてみてはどうでしょうか。もちろん、現在でも決定的なもの不足に悩んでおられる被災者に、「窮乏に耐
えよ」と宣告しているわけではありません。わたしたち日本人の生き方そのものが見直されるべきときなの
かもしれない、と言っているのです。

 * ライフライン:元は英語で「命綱」の意味だが、日本ではおもにエネルギー施設、水供給施設、
  交通施設、情報施設などを指す言葉で、生活に必須なインフラ設備を示す。現代社会においては、
  電気・ガス・水道等の公共公益設備や電話やインターネット等の通信設備、圏内外に各種物品を
  搬出入する運送や人の移動に用いる鉄道等の物流機関など、都市機能を維持し人々が日常生活を
  送る上で必須の諸設備を言う(ウィキペディアより)。

  (5)の2 「デュアルユース(dual-use)」と「トランス・サイエンス(Trans-Science)」について

 必要があって、日本学術振興会の「科学の健全な発展のために」編集委員会が著した『科学の健全な発展
のために ─ 誠実な科学者の心得 ─』という、120頁ほどの小冊子を読みました。よくまとめられた冊子で
大いに参考になったのですが、中でも次にあげる二つの概念には、注目すべき点があると思いました。それ
を簡単に紹介しておきましょう。
 一つ目は、「デュアルユース(dual-use)」という概念です。同冊子から主要な箇所を引用してみましょ
う。ほぼ原文通りですが、句読点などを少し変更しました。内容は変わっていません。

  科学技術の「デュアルユース」はもともと、ある技術が民生用にも軍事用にも使えるという意味で
 使われてきました。ダイナマイトは土木工事などに不可欠ですが、同時に強力な兵器にも使われます。
 原子力技術は、平和的に利用された場合は発電や放射線治療などに使われますが、原子爆弾・水素爆
 弾などの大量破壊兵器を生みます。インターネットやGPSなどは、軍事技術が民生技術に転用され
 た好例です。

 さらに説明が進みますが、それは割愛します。「デュアルユース」の意味内容は一目瞭然、誰にでもすぐ
に了解できることでしょう。
 次に注目すべき概念は、「トランス・サイエンス(Trans-Science)」という概念です。これについても、
上と同様に主要な個所を引用してみましょう。若干の語句を変更しました。内容に変わりはありません。

  科学技術の輝かしい進展に伴い、社会には向き合うべきさまざまなリスクが生れてきました。原子
 力発電、遺伝子組換え作物、再生医療など、人類が手にした科学技術はいずれも光と影を有していま
 す。例えば、原子力発電所に関する「受容可能なリスク」のような問題を物理学者アルヴァン・ワイ
 ンバーグ(Alvin M.Weinberg)は「Trans-Science(トランス・サイエンス)」の領域に属する問題
 と呼びました。これは、科学的な合理性をもって説明可能な知識生産の領域に価値や権力に基づいて
 意思決定が行われる政治的な領域とが重なり合った領域であり、「科学によって問うことはできるが、
 科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定義されています。科学的に計算される
 原子力発電所の事故発生の確率が低いとしても、人々がその発電所を受け入れるかどうかは、社会、
 経済、暮らし、さらには歴史や文化などのさまざまな観点からの判断を要し、科学だけでは答えの出
 せない問題です。
  さらに、今後は、国や世界の合意形成において、科学が果すべき役割はますます大きくなっていく
 でしょう。科学技術の進展とグローバル化に伴い、政策課題は複雑化し、高度の専門性を必要とする
 ようになりました。地球温暖化問題に関して政策を立案しようとすると、気象、生態系、エネルギー
 利用、温室効果ガスなどに関する理工学、社会制度や国際協力などに関する社会科学など、領域を超
 えた広い科学の動員が求められます。
  このようなトランス・サイエンスの問題に、科学者はどのように関わるべきでしょうか。これから
 の科学者は、第一に、自らの視野を広く社会の事象に拡げ、自らの研究活動の社会的意義を考え続け
 ることから始める必要があります。さらに、科学の限界を踏まえた上で、市民とのコミュニケーショ
 ンに積極的に参加する必要があります。社会が直面する問題群の解決に向けて情報を提供し、社会と
 の誠実な対話を図ることが、社会の中の科学者としての役割であることを自覚せねばなりません。加
 えて、科学者を雇用するすべての組織は、そのような活動を行う科学者を積極的に支援すべきなので
 す。

 まことにもっともな話で、ここに書かれていることが粛々(しゅくしゅく)と遂行されていれば、福島第一
原発の事故もあるいは回避されたかもしれませんし、その後の対応の拙劣さも少しは緩和されたかもしれま
せん。しかし、問題は別のところにも潜んでいるような気がします。タテマエとホンネの問題です。科学の
発展が「諸刃の刃」であることは、こころある人ならば誰でも心得ていることでしょう。しかし、それはタ
テマエにすぎません。利点が少しでも認められれば、多少のリスクには目を瞑(つぶ)るのが人間の性です。
リスクを怖がっていては、何も進展しないからです。これが、ホンネでしょう。やがて、利点にばかり目が
いき、リスクに鈍感になって、取り返しのつかないことが想定できなくなります。経済的観点が優先されて、
人命や環境は蔑(ないがし)ろにされていきます。
 ここで、もう一度科学の使命を考えてみましょう。科学の技術への拙速な応用や、研究競争に勝利するこ
とは、果たして科学の使命でしょうか。たぶん、誰も「そうだ」とは答えないでしょう。マキャベリアンが、
「自分はマキャベリアンだ」と言わないのと同じことです。そこで登場するのがタテマエです。タテマエを
整えるのは簡単です。むしろ人間のホンネの部分の歪みをいかにして是正するのか。これが隠れた問題だと
思います。上の二つの概念が、概念のまま唱えられても、何も変わらないでしょう。いくらでも抜け道があ
るからです。何が一番大切なことなのか。科学者のみならず、地球上で生息している人間すべての問いにな
ることが求められています。あなた任せにしないで、自分で事柄をみつめてみることが必要なのです。

  (5)の3 荷担構造の葛藤

 また、環境問題の難しさは、自分独りではどうにもならないという点にあります。つまり、誰もが環境汚
染に荷担しないでは生きていけないからです。これも絶望を招く大きな要因です。しかし、言わないでいる
のも罪(未必の故意)だと思いますので、こうしてしゃべっているというわけです。人間は一人では生きら
れない、このことが徒になっているのです。公害(「水俣災害」などの日本の四大公害を思い出してみまし
ょう)が人的被害をもたらせば、人々に環境汚染の恐ろしさが少しは伝わるでしょう。しかしながら、それ
も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の譬え通り、人々は自分が危うくなるまで何の対策も立てないのです。こ
れを「間接性の免罪」と呼んでみましょう。つまり、自分が直接関わる問題には神経質に目くじらを立てる
くせに、自分と直接的な関係をもたない対象には冷淡なままで平気なのです。たとえば、微量とは言え、砒
素やカドミウムを使っている携帯電話など、地球環境を守るためにはない方がいいのですが、今更なくすこ
とはできないでしょう。わたし自身を顧みても、喫煙の習慣を断ち切れないので、自己(じこ)撞着(どうちゃ
く)に陥っていることは自明なのですが……。そして、そのような荷担構造はいつまでもつづき、やがてカタ
ストロフィを迎えます。人類もやがて亡びざるを得ないのです。しかし、あまり心配する必要はないのかも
しれません。それが、人間の正体なのですから。

  (5)の4 閾値(いきち)は直ぐそこに

 皆さんのような若い人は40年前の日本を知りませんから、いかに日本の自然が失われたかを知る由もない
でしょう。わたしのようなロートルは、その変化が激烈だったことをありありと思い浮かべることができま
す。はっきり言って、わたしは、「環境問題」に関しては絶望しています。なぜなら、閾値を超えてからで
は遅すぎるからです。しかも、その徴候はすでにいろいろなところに現れているのにも拘わらず、人間は気
付かない振りをしています。現在の便利さを手放したくないからです。カタストロフィは直ぐそこにやって
きているかもしれません。わたし一人の人生だったら、「残りの人生はおまけ」と感じていますので、それ
はそれで「よし」なのですが、皆さんはそうはいかないでしょう。自分なりにじっくりと考えてください。

  (5)の5 「ニヒリストの選択」と巻き添えを食う地球の住人

 これまでは人間同士の倫理について考察してきましたが、最後に、人間と人間以外の生物、とくに動物と
の関係に焦点を合わせて、倫理問題を考えていきましょう。
 ところで、ピーター・シンガーは、わたしたちにとってたいへん刺激的な論文「動物の解放(Animal
Liberation)」を書いた人です。そのあらましを述べることから始めましょう。
 今日では、「人種差別」や「女性差別」は、少なくともタテマエ上、許されない「悪」とみなされていま
す。しかしながら、そのような差別をなくそうとする解放運動は、せいぜい人間同士の問題に留まり、その
範囲を人間以外の動物にまで拡張することはほとんどありません。したがって、「動物の権利(the right
of animals)」という言葉は、とかく滑稽な概念として受け取られがちです。しかし、とシンガーは言いま
す。「動物実験や工場畜産の実態を目の当たりにすれば、『種差別(speciesism)』の野蛮さは何ぴとにも
否定できないところである。したがって、われわれは、即刻暮らし方の変革を実行し、菜食主義者に転向す
べきなのだ」、と。
 リチャード・ノイハウスは、シンガーのように動物の権利を求める人を「瑣末な問題に熱中する者(zealots
of the peripheral)」と揶揄(やゆ)しています。しかし、本当にそれは瑣末な問題のでしょうか。わたした
ちが人間に生まれたのはたまたまです。たとえ、力量において他の生物を圧倒しているとしても、それを理
由にして他の生物のテリトリーを侵してよいということにはならないはずです。その辺りの事情を、シンガ
ーは次のように表現します。「より高い知性をもつからといって、その人に他の人間を搾取する権利がある
と言えないなら、人間に人間以外のものを搾取する権利があるなどとどうして言えようか(If possessing
greater intelligence does not entitle one human to exploit another, why should it entitle humans
to exploit nonhumans?」、と。
 たしかに、動物と人間を同じように扱うことは不可能でしょう。しかし、シンガーの語ることにまるで説
得力がないとも思えません。わたしたちは、身内と他人という枠組を巧みに使い分けて、他人から自分たち
にとって必要だと思われるもの(往々にして、なくても済ませられるもの)を搾取しようとします。身内に
対してはできないことを、他人に対しては平気でできるのです。たとえば、スペイン人がインディアスを破
壊した際の惨状について書かれた本を繙いた人は、当時のスペイン人の蛮行(金銀を奪うために広範囲にわ
たって殺戮を行った)を非難するでしょうが、現在わたしたちが動物に対して行っていることも似たり寄っ
たりであることを自覚しなければなりません。もし、動物たちがわたしたちの野蛮を咎めるとすれば、わた
したちにはどんな弁解ができるのでしょうか。
 もちろん、今すぐにわたしたちが、動物実験を中止したり、菜食主義を選択したりすることには無理があ
ります。しかし、少なくとも、スポーツとしてのハンティングをやめることは可能でしょう(日本でも、
「矢鴨」が非難の対象になったことは、記憶に新しいところです)。もし、動物の苦痛について何も感じず、
まして、動物は人間のために存在していると考えつづけるならば、わたしたちの「傲慢」は癒しがたい難病
のままに留まるでしょう。もちろん、「捨身飼虎」(飢えた虎にわが身を捧げること)のような行為はほぼ
不可能ですが、動物にも人間と同じように苦痛を回避し、天寿を全うする権利がある、と考えることはそれ
ほど難しいことではありません。
 この「動物の解放」という問題提起は、まだ始まったばかりです。ともあれ、この概念は、わたしたち人
類と他の生物との関係を考える上で、けっして無意味なものではないでしょう。
 さらに、最近では、「人間のための自然保護」ではなく、「自然自身のための自然保護」という、「脱・
人間中心主義(deanthropocentrism)」の思想も生まれました。わたしたちが「わが身かわいさ」から脱す
ることははなはだ困難ですが、「地球は誰のものか」について深く省察すれば、けっして不可能なことでは
ないでしょう。

 〔補遺1〕 マイケル・シュナイダーの「原子力のたそがれ」(『世界』2011年1月号、所収)(「日日是
      労働スペシャル II」より)

 1.原子力発電は、コストが上昇している。
 2.再生可能エネルギーは、コストが下降している。
 3.世界の原子力発電の新規運転開始基数と廃止基数の推移を見ると、1980年代の終わり頃から、原発廃
   止基数が格段に増えている。
 4.再生可能エネルギーとしては、風力、太陽光が有力である。
 5.原発が何らかの原因で運転を停止すると、突然二酸化炭素の排出量が増える。
 6.アメリカのノースカロライナ州では、基幹的な電力供給オプションとして太陽光と風力を使った場合
   にどうなるかというシミュレーション研究が行われている。
   → この研究から導き出される結論は何か。ノースカロライナのような、年間販売電力量910億キ
    ロワット時(東京電力の約三分の一)以上の販売電力量をもつシステムが、四分の三以上を太
    陽光と風力だけに頼る形で運営できるということだ。補完する電力源としては、バイオマスと
    コジェネ(熱電併給)で200万キロワット、水力発電で250万キロワット、揚水発電で150万キロ
    ワットだ(以下、割愛)。
 7.大量の資金を原子力につぎ込んでしまうと、再生可能エネルギーの方は非常に低い状態にとどまって
   しまうことがわかる。
 8.再生可能エネルギーの導入に最善の方法のひとつは、フィールド・イン・タリフ(固定価格買取)シ
   ステムである(これも、詳細は割愛)。
 9.日本はいろいろな面で立ち遅れている。

 以上を受けて、結論が導かれています。引用してみましょう(一部、表記を改変した箇所があります)。

 まとめてみよう。原子力発電は、国際的なエネルギー分野で限定的な役割しか果たしていない。世界の電
力の約13%、一次エネルギーの約5%、最終エネルギーの約2%だ。恐らく今後さらに低下するだろう。こ
の状況は変わりそうにない。原子力はこのように、役割が非常に低いレベルにあるために、気候変動の緩和
にとって意味を持ち得ない。関係がないと言っていいのだ。2000年9月4日、国立アルゴンヌ研究所代表ロバ
ート・ロズナーもこう述べている。「原子力は、少なくとも今世紀半ばまでは、大気中の二酸化炭素相当量
の濃度を制限する上で重要な役割を果たしそうにない」「現実的な計画で、向こう30-40年内に二酸化炭素相
当量を550ppm以下にとどめるのに原子力が役立てるようなスピードで原発を次々と建設することを想定して
いるものはない」。
 一方、再生可能エネルギーは、今日すでに競争力をもっている。最適化された条件だけではなく、非常に
不利な状況下でもそうなっている。しかしはっきりさせなければいけないのは、再生可能エネルギー技術だ
けでは、つまり、大規模なエネルギー利用効率の向上プログラムと合わせて実施しなければ、二酸化炭素排
出量の低下にはつながらないということだ。
 エネルギーの未来は、手ごろな価格での分散型超高効率技術、スマートグリッド*、マイクログリッド**、
そして持続可能な都市計画にある。原子力政策は、基本的にその逆だ。集中型で融通に欠け、一般的に専制
的アプローチを具現している。原子力エネルギー利用の継続は、持続可能なエネルギー政策の緊急の実施に
とって、大きな障害となるだろう。

 以上、きわめてアバウトに引用しましたので、詳細をお知りになりたい方は、岩波書店のホームページに
アクセスしてください。ともあれ、マイケル・シュナイダーが、「原子力発電にはもはや未来はない」と主
張していることは一目瞭然でしょう。まして況や、この大事故においてをや、です。これまで、原子力発電
のメリットして、1.二酸化炭素量の削減に貢献する。2.コストが安い。3.他のエネルギー源(とくに、
再生可能エネルギー)の開発では、需要量の拡大に対応できない点などが挙げられてきましたが、いずれも
的外れであることが分ります。また、デメリットとしては、1.高レベルの放射性物質を生成すること。2.
原発を解体するのに多額の費用がかかることなどが挙げられます。とくに、放射性物質の取り扱いに関して
は甚だ深刻です。というのも、高レベルの放射性物質を無害な状態に処理する方法が現在のところないので、
人体に影響が出ない場所へ半永久的に保管するしかないからです。しかし、この地球上にそんな場所がどこ
にあるのでしょうか。少し考えれば、小学生でも分りそうなことなのですが……。

 * スマートグリッド(smart grid)とは、デジタル機器による通信能力や演算能力を活用して電力需
  給を自律的に調整する機能を持たせることにより、省エネとコスト削減及び信頼性と透明性の向上
  を目指した新しい電力網である(ウィキペディアより)。
 ** マイクログリッド(micro grid)とは、一定地域内において、複数の分散型電源、電力貯蔵設備お
  よび制御装置等を組み合わせてネットワーク化し、エネルギー(電力・熱)を供給するシステムの
  ことである(技術用語解説より)。

 〔補遺2〕 明石昇二郎氏の論文「原発輸出 ーこれだけのリスク」(『世界』2011年1月号、所収)
      (「日日是労働スペシャル II」より)

 1.国民は、「原発特需」という言葉に踊らされていないだろうか。
 2.度重なる事故や不祥事の結果、原子力産業は冷え込んでいたが、「地球温暖化」対策の切札として、
   民主党政権下で息を吹き返している。
 3.しかも、現在中東やアジア各国で導入が検討されている原発を日本が建設し、あわよくば儲けようと
   考えていることが「原発特需」につながっている。
 4.不況が長引く「外需依存」国家の日本が立ち直るためには、「原発輸出」が儲け話でなければならな
   い。
 5.しかし、2010年10月31日に行われた管首相とベトナムのグエン・タン・ズン首相との会談における、
   日本とベトナムとの原発建設に関する同意には、いくつかの問題点がある。
 6.ベトナムが求めた条件の中のひとつに、「使用済み燃料を含む放射性廃棄物処理」という項目がある
   が、「最終的に日本がその責を負うことにはならないのか」という懸念がある。これを、本稿では、
   【リスクその1】と呼ぼう。
 7.また、日本からの資金供与が組み込まれているが、「原発輸出」がそのまま不良債権化する虞はなさ
   そうなものの、もし貸し倒れということになれば、発生する損害額は1,000億円のオーダーになる。
   これを、本稿では、【リスク2】と呼ぼう。
 8.もし、核技術が別の意図に転用された場合、核兵器の製造につながりかねない。これを、【リスク3】
   としよう。
 9.かつての日本では、「日本の原発は絶対に事故を起こさない」といった「安全神話」がまことしやか
   に語られたものだが、今では誰もそれを信じる者などいない。したがって、もし事故が起きたときの
   損害賠償に関して、建設した当の原発メーカーやその後見人としての日本政府に連帯保証を求められ
   る可能性もある。これを、【リスク4】と呼ぼう。
 10.政府間で話がまとまったとしても、実際に計画に着手した際、建設予定地周辺の地元住民の猛烈な反
   対を受け、計画が足踏みしたり、潰されたりするリスクもある。こうした反対運動を【リスク5】と
   呼ぶことにしよう。
 11.事故のリスクが100%払拭できないかぎり、「原発」は世界最大級の迷惑施設である。スリーマイル島
   原発事故とチェルノブイリ原発事故という二つの大事故を経験してしまった人類にとって、それは誰
   の目にも明らかであろう。
 12.しかし、「原発輸出」を所管する経済産業省にとっては、こうしたリスクは意識の外にあるかのよう
   である。つまり、危険などまったく顧みることなく、「原子力産業界の立て直し」しか眼中にないの
   である。
 13.なお、日本は、現在も熾烈な原発受注合戦の只中にある。しかも、国家レヴェルの対応が不可欠であ
   る。そのために、何が狙われているのか。それは、「郵貯」や「電気料金」や「年金」であり、反核
   運動家であろうと、被爆者であろうと、日本に暮らす者は皆、知らないうちに連帯保証人にされてい
   るのである。
 14.しかし、幸いなことに、この賭けはまだ始まったばかりである。傷が深くならないうちに撤退するの
   は、「負けないギャンブル」の定石であろう。今ならまだ、引き返せるのである。

   → 「命あっての物種」という言葉がありますが、生命よりも金品を欲しがる人が愚かなことは
    明らかでしょう。死んでしまえば、せっかく得た金を遣うことができないからです。原発はそ
    のくらい危ない橋です。しかも、その時代における事故(つまり、電気の享受者が蒙るもの)
    だけがリスクではありません。もっとも危険なリスクは、何世代も後の人々が蒙る核廃棄物の
    恐怖です。自分が一切の恩恵に与らずに、負債だけを背負わされたとすれば、これほどの理不
    尽はないでしょう。したがって、他国に大迷惑をかける虞のあるものを、金儲けを理由にして、
    売りつけてよいものでしょうか。この問いの答えは言うまでもないでしょう。今回の福島の原
    発事故は取り戻せない負債です。これ以上の負債を子孫に押し付けることはもはや許されない
    ことでしょう。もし、この理屈が通らない人がいるとすれば、「その人はいったいどういう頭
    の構造をもっているのだろうか」、と呟く他はないようです。

 (おまけコラム)

  「ニヒリストの選択」……小生のように60年以上生きてきた人間からすると、「現代」という時代の特
 徴の一つがそこに現われているような気がします。あらゆる価値が相対化されることによって、何を目標
 に生きていくべきかが分かりにくくなっているのです。そのくせ、生活上の快適性や利便性はますます求
 められるようになり、それに伴う負の要素(人間関係の希薄化、社会システムの硬直化、環境の悪化等)
 を顧みないことが常態となっています。「誰かが何とかしてくれるだろう」という依存性の高まりも、
 「ニヒリストの選択」に拍車をかけているようです。人間が生きてゆく上で何が共通要素として必要なの
 かをもう一度原点に戻って考え直し、「少なくとも、これだけはそうだ」と言えるものを探さなければな
 らない時期に来ているのではないでしょうか。

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 タガメが絶滅危惧種になってから久しいが、こういうことに関心を寄せる人は案外少ない。自分の生活と  
直接的な関係がないからである。しかし、直接的に関係がないと思われる芸能人のスキャンダルは、世間の
耳目を集めるようである。この矛盾に対して、どんな回答が与えられるのだろうか。
 やはり、前者に関しては、上で挙げた「間接性の免罪」意識が働いているせいではないだろうか。つまり、
本来ならば、たとえ専門家ではないとしても人間として関心を持つべき対象なのに、「自分が考えなくても
誰かが考えて、しかるべき処置をとってくれるだろう」と高を括るからである。後者に関しては、野次馬根
性を丸出しにして、どうでもいいような問題をマスコミが針小棒大に扱って、煽り立てるからではないだろ
うか。
 言うまでもないことであるが、芸能人のスキャンダルよりも、タガメの絶滅問題の方が人類にとって何億
倍も重要な案件であろう。しかし、現実にはそうはならない。小生が憂えるのもこの点に尽きる。受講生に
は、毎度おなじみの老人の繰り言を聴かせることになるだろうが、「伝えるべきは伝えなければならない」
という脅迫観念めいた想念(あるいは、妄念と言ってもよい)に身を任せて、あえて語る次第である。


 某月某日

 今学期の共通教育科目として「(共)倫理を考える」を開講しているが、テキストは『ルポ 貧困女子』
(飯島裕子 著、岩波新書、2016年)である。けっこう過激な内容なので、不良行為(飲酒、喫煙、深夜
徘徊、その他自己又は他人の徳性を害する行為 *)〔ウィキペディアより〕とは無縁の学生には、少し
刺激が強いかもしれない。しかし、倫理を真正面から扱う場合、人間のどんな行為であっても直視するこ
とが要求される場合が多く、避けては通れない。したがって、少しマイルドにする工夫がいる。

 * 少年警察活動規則第2条第6号「不良行為少年 非行少年には該当しないが、飲酒、喫煙、深夜はい
  かいその他自己又は他人の徳性を害する行為(以下「不良行為」という)をしている少年をいう」。

 そこで、学生諸君の参考になるような記事(主として、日本映画の感想文)を「日日是労働セレクト」の
中に探し出そうと試みた。ある種の困難に陥っている若い女性の「奮闘記」を描いた映画に関する記事であ
る。さて、以下にその記事を挙げてみよう。


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 「日日是労働セレクト109」より

 某月某日

 DVDで邦画の『もらとりあむタマ子』(監督:山下敦弘、「もらとりあむタマ子」製作委員会〔エムオン・
エンタテインメント=キングレコード〕、2013年)を観た。山下監督らしい飄々とした味わいの映画である。
もっとも、「だからどうした」という突っ込みを入れられそうだが……。小生が鑑賞済みの彼の映画を挙げ
てみよう。

  『どんてん生活』、監督:山下敦弘、真夜中の子供シアター、1999年。
  『リアリズムの宿』、監督:山下敦弘、ビターズ・エンド=バップ、2003年。
  『くりいむレモン』、監督:山下敦弘、「くりいむレモン」製作委員会、2004年。
  『リンダ リンダ リンダ』、監督:山下敦弘、「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ〔COVERS&CO.=
   バップ=ビターズ・エンド=ケイブ〕、2005年。
  『ユメ十夜』、監督:実相寺昭雄/市川崑/清水崇/清水厚/豊島圭介/松尾スズキ/天野善孝・河原
   真明/山下敦弘/西川美和/山口雄大、「ユメ十夜」制作委員会〔日活=IMAGICA=I&S BBDO=ダイコ
   ク電機〕、2006年。
  『松ヶ根乱射事件』、監督:山下敦弘、シグロ=ビターズ・エンド=バップ、2006年。
  『マイ・バック・ページ(My Back Page)』、監督:山下敦弘、「マイ・バック・ページ」製作委員会  
   〔WOWOW=バンダイビジュアル=アスミック・エース エンタテインメント=日活=ホリプロ=ビター
   ズ・エンド=Yhoo! Japan=マッチポイント〕、2011年。
  『苦役列車』、監督:山下敦弘、「苦役列車」製作委員会〔東映=木下工務店=キングレコード=東映
   ビデオ=東映チャンネル=Yahoo! Japan=日本コロンビア=マッチポイント=ビターズ・エンド=東
   京スポーツ新聞社=ソニーPCL=niconico=CGCGスタジオ〕、2012年。
  『もらとりあむタマ子』、監督:山下敦弘、「もらとりあむタマ子」製作委員会〔エムオン・エンタ
   テインメント=キングレコード〕、2013年。

 『リンダ リンダ リンダ』と『松ヶ根乱射事件』が小生としては一押し映画であるが、当該作品も悪くは  
ない。テイストとしては、『8月のクリスマス』(監督:長崎俊一、「8月のクリスマス」製作委員会〔ミ
コット・エンド・バサラ=オフィス オーガスタ=キングレコード=S・D・P=TOKYO FM=WOWOW〕、2005年)、
『赤い文化住宅の初子』(監督:タナダユキ、「赤い文化住宅の初子」フィルムパートナーズ〔トライネッ
トエンタテインメント=ビクターエンタテインメント=スローラーナー〕、2007年)、『ノン子36歳(家事
手伝い)』(監督:熊切和嘉、日本出版販売=東映ビデオ=ゼアリズエンタープライズ、2008年)辺りが似
ているか。父親と娘の物語はけっこうあるが、今風の味付け作品である。全国を探せば、こんな父娘はどこ
にでもいるだろう。そんな彼らへの静かな応援歌になっている。
 物語を確認しておこう。例によって〈Movie Walker〉にお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  前田敦子が『苦役列車』の山下敦弘監督と再びタッグを組んだヒューマンコメディ。音楽チャンネ
 ル、MUSIC ON!TVの季節毎のステーションIDから短編ドラマを経て長編劇場作として製作された異色
 作。ボサボサ頭にジャージ姿で家の中で一日中、何もせず、無意味な毎日を過ごすヒロインを演じた
 前田敦子の新境地ともいえる一作だ。

   〔あらすじ〕

  坂井タマ子(前田敦子)は東京の大学を卒業後、父親〔坂井善次〕(康すおん)がひとりで暮らす
 甲府の実家に戻ってくる。しかし就職もせず、家業のスポーツ店(甲府スポーツ)も手伝わず、ただ
 ひたすらに食っちゃ寝の日々を過ごしている。起きているときはマンガを読みふけるか、ゲームをす
 るかで、かつての同級生とも連絡を取らず、まるで引きこもりのような生活を送っていた。「就職活
 動くらいしろ!」と父が言っても、「いつか動く! でもそれは今じゃない!」と意味不明な言葉で自
 分を肯定するタマ子。ようやく履歴書を書いたかと思うと、応募先は芸能プロダクションだった。そ
 れでも父は、タマ子を応援せずにはいられない。四季を通してダメダメなタマ子は、新たな一歩を踏
 み出せるのか……?

 他に、鈴木慶一(坂井啓介)、中村久美(坂井よし子)、冨田靖子(曜子=アクセサリー教室の先生)、  
伊藤清矢(仁)、奈良本未羽(仁の彼女)などが出演している。父親が「合格」するところが、静かなマッ
クス! すなわち、現代は親が子どもに採点される時代なのである。

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 せっかくなので、上記で引用されている作品の一部に言及した「日日是労働セレクト」の記事を、以下に
挙げてみよう。最初は、『8月のクリスマス』である。


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 「日日是労働セレクト100」より

 某月某日

 また、DVDで恋愛映画を観た。『8月のクリスマス』(監督:長崎俊一、「8月のクリスマス」製作委員会
〔ミコット・エンド・バサラ=オフィス オーガスタ=キングレコード=S・D・P=TOKYO FM=WOWOW〕、2005
年)という作品である。封切された頃から知ってはいたが、観なくても分るような気がして、これまで鑑賞
とは無縁の映画だった。小生の今年の鑑賞テーマが「恋愛映画」なので、観るタイミングとしては適切だっ
たと思う。死が間近に迫っている人の恋愛というモチーフは、あまりに平凡かつ退屈だが、その平凡さと退
屈さがかえって温かさを生むのだろう。主人公は死んでしまうが、この恋はある意味で成就していると思っ
た。勝手な解釈だろうか。
 物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  韓国の珠玉のラブ・ストーリーを、人気ミュージシャン、山崎まさよし主演でリメイク。余命わず
 かな男性の、結ばれることのない人生最後の恋を静かに見つめる。

   〔あらすじ〕

  父から譲り受けた写真館で鈴木寿俊(山崎まさよし)は、訪れる人々の幸せな瞬間を写真に刻み付
 ける、そんな仕事を楽しんでいた。ある日、友人の葬式に参列した寿俊は、店主の帰りを待ちわびて
 写真館の前に佇んでいる高橋由紀子(関めぐみ)と出会う。近所の小学校の臨時教員である由紀子は、
 急ぎで写真の現像を頼みにきたのだった。それから由紀子はたびたび写真館を訪れ、寿俊との他愛の
 ない会話を楽しむようになる。嫁いだ妹の純子(西田尚美)は、父・雅俊(井川比佐志)と兄とのふ
 たり暮らしを心配して、時折家事を手伝いにやって来る。縁側に座り西瓜を食べる純子と寿俊。ふと、
 地元に帰ってきた純子の友達、佳苗(戸田菜穂)のことが話題に上る。佳苗は、寿俊のかつての恋人
 だった。その佳苗が写真館を訪れ、思い出話をしていると由紀子がやって来る。佳苗の存在に驚いた
 由紀子は、慌てて写真館を立ち去る。小学校へ写真を届けに行った寿俊がふと体育館を覗くと、バス
 ケットボールの指導をしている由紀子がいた。ふたりはバスケットを始め、ボールを取ろうとする寿
 俊の足を引っ掛けて、意地悪をする由紀子。翌日、寿敏の筋肉痛を心配した由紀子は、アイスクリー
 ムを持ってお見舞いにやって来る。ひとつのアイスを分け合って食べるふたり。学生時代からの親友、
 宮田亮二(大倉孝二)を誘って、居酒屋へ出かける寿俊。すっかり酔った寿俊は、冗談に見せかけて
 自分が病気でじきに死ぬと口にする。ある日、バイクショップの軒先で寿俊が雨宿りをしていると、
 傘をさして由紀子が通りかかる。相合い傘で送るお礼に、由紀子はお酒をおごってほしいと頼む。し
 かし、約束の時間が来ても由紀子は現れない。不意に写真館のドアが開く音がして振り返ると、そこ
 には昼間、喜寿のお祝いの記念写真を撮ったおばあさん(草村礼子)が立っていた。お気に入りの着
 物を着て、お葬式に使う写真を撮り直しにやって来たのだ。その優しい笑顔を撮影する寿俊。寿俊と
 由紀子は遊園地へ出かけ、帰り道、寿俊はお気に入りの場所に由紀子を案内する。高台の石階段に腰
 掛けて、広がる街並を見るふたり。母を亡くした子どもの頃から、寿俊はここで物思いにふけるのが
 好きだった。「雪が降ると静かでいい」と言う寿俊に、「今度の冬にまたここに来よう」と答える由
 紀子。だが寿俊はふざけることしかできない。夜、様態が急変して寿俊は病院へ運び込まれる。入院
 をしたことも知らずに、毎日写真館を訪れる由紀子。いつまで経っても戻らない寿俊に宛てて、手紙
 を扉に挟み込む。やがて置き去りの手紙を持ち帰ろうとするが、誤って手紙は写真館の中へ。新しい
 小学校へ新任教師として赴任することを決心した夜、由紀子は写真館の窓に向けて小石を思いっきり
 投げつけた。そして、夏が終わりを告げる頃、寿俊は退院した。由紀子からの手紙の束を見つけ、寿
 俊は彼女が赴任した海沿いの小学校を訪れる。

 他に、大倉孝二(宮田亮二=寿俊の友人)、大寳智子(由紀子の同僚)、野口雅弘(警察官)、諏訪太朗
(亮二と喧嘩した相手)、山本浩司(寿俊らの同級生)などが出演している。主演の山崎まさよしについて
はよく知らないが、カラオケ・バーで彼の「中華料理」(1996年)とか「セロリ」(同年)とかをよく歌う
青年を知っており、そのお陰で辛うじて認識している人である。いかにもの人で、この作品の主人公にはぴ
ったりだと思った。相手役の関めぐみは存在を知っている程度の女優だったが、彼女も活き活きとした演技
をしているのではないか。とくに、バスケットボールのシーンはよかった。つまるところ、物語があまりに
平凡なので、その意味でリアリティがあったと思う。

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 次に、『赤い文化住宅の初子』に関する記事を再録しよう。


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 「日日是労働セレクト59」より

 某月某日

 3本目は『赤い文化住宅の初子』(監督:タナダユキ、「赤い文化住宅の初子」フィルムパートナーズ
〔トライネットエンタテインメント=ビクターエンタテインメント=スローラーナー〕、2007年)である。
両親を失って生き難い生を歩む女子中学生とその周囲を描いた作品。この作品も後日感想を記したい。父親
役の大杉漣が登場してから、少しリアリティを失っている。つまり、作りすぎ。「結婚」への希望がハッピ
ー・エンディングをかたちづくっているが、あまりにも古風ではないのか。


 某月某日

 今日も、おなじみの席でキーを叩いている。このネカフェが小生の京都でのオフィスというわけだ。さて、
4、5日前に鑑賞した『赤い文化住宅の初子』(監督:タナダユキ、「赤い文化住宅の初子」フィルムパー
トナーズ 〔トライネットエンタテインメント=ビクターエンタテインメント=スローラーナー〕、2007年)
について、もう少し書き込んでみよう。
 タナダユキ監督といえば、『月とチェリー』(監督:タナダユキ、「ラブコレクション」製作委員会〔ヒ
ューマックスコミュニケーションズ=ジャム・ティービー=カルチュア・パブリッシャーズ〕、2004年)で
その力量を十分に証明していると思うが、先日も書いたように、この作品は後半部分が弱いと思う。父親が
借金苦から夜逃げし、母親にも先立たれ、自分の口すら養えない兄の宇野克人(塩谷瞬)に悩まされながら
も、精一杯生きようとしている宇野初子(東亜優)の物語である。中学生の初子は、同級生の三島(佐野和
真)に勉強を教わりながら、高校進学を目指している。しかし、経済的な事情から、兄の克人からは早く就
職してほしいと言われている。担任の田尻先生(坂井真紀)もいい加減な対応しかしてくれない。ラーメン
屋でアルバイトをしているが、ドン臭いので、そこもお払い箱になる。子どものころから住んでいる文化住
宅への帰り道、「カネ、カネ、カネ……死ね」と呟く初子。それでも、兄妹ふたりの昼食代としての600円
を分ける際、300円ずつにするか、兄の昼食代を400円にして自分は200円で甘んじるかで悩んだりする。結
局、兄に400円を渡す初子。このシーンは秀逸だ。兄の克人は、仕事先で喧嘩をしてクビなるし、金もない
のにデリヘル嬢を部屋に引っ張り込んだり、電気代をパチンコで使ってしまったりして、なんとも頼りな
い。そんな万事切ない状況の中で、ある日、ひょんなことから知り合った栄子(浅田美代子)からお小遣い
を貰い、それで安物のワンピース(兄にどこで手に入れたと訊かれ、家庭科の時間に作ったというウソを吐
く)や学習参考書を買う初子。しかも、10円足りないことに気づいた初子が、本屋の床に落ちている10円を
発見し、子どもに見られているのを知りながらネコババする。普通だったら、親に甘え切って好き勝手をし
たい年頃なのに、生活苦に追われる初子。しかし、光明もある。同級生の三島の存在である。彼は初子のこ
とが好きで、将来結婚したいとまで言ってくれる。モンゴメリの『赤毛のアン』がふたりをつなぐ物語とな
るが、この挿話はもう少し丁寧に描いた方がよかったのではないか。初子が高校進学を諦めるといったとき、
三島はそのことが理解できない。「お金がないから」とは言えない初子。切ない場面だ。その後、初子は栄
子と再会する。栄子は、初子を、他に居場所のない人々の場所として開いている「精魂会」という一種のカ
ルト集団に引き入れようとするが、初子はそれを断る。そこで邂逅した田尻先生のだらしなさに呆れたりも
する。また少し時が経って、三島は高校生に、初子はクッキー工場の工員になっている。ふたりは恋人同士
といってもよい関係だが、そこに邪魔者が入る。失踪していた父親(大杉漣)が突然姿を現したのである。
克人は父親を認めない。初子はその辺りは曖昧のままである。未来への望みのない父親は初子たちの部屋で
焼身自殺を図る。すべては灰燼に帰す。しかし、三島は初子に「大人になったら結婚しよう」と言う。初子
はその言葉で夢を紡ぐことができるのである。「結婚」は少女の夢足りうるのかと思ったが、今の日本では、
それはやはり有力な生きるための選択肢のひとつなのであろう。ふと、業田良家の『自虐の詩』の主人公幸
江を連想した。いくつかの場面で「薄倖」が表現されているとは思うが、もっと悲惨な少女は全国に少なか
らずいるに違いない。切ない境遇にいる少女は物語になる。しかし、その父親の不幸は誰にも同情されない。
少し不公平な気もするが、それが世の中というものなのだろう。

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 さらに、『ノン子36歳(家事手伝い)』の記事を引用しよう。


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 「日日是労働セレクト63」より

 某月某日

 DVDで邦画の『ノン子36歳(家事手伝い)』(監督:熊切和嘉、日本出版販売=東映ビデオ=ゼアリズエ
ンタープライズ、2008年)を観た。熊切監督の作品を鑑賞するのは2本目だが、以前に観た『アンテナ』
(監督:熊切和嘉、オフィス・シロウズ=グルーヴコーポレーション、2003年)よりはずっと上手になって
いると思った。デビュー作の『鬼畜大宴会』(1998年、大阪芸術大学卒業制作)は未見だが、話題になった
ことは覚えている。物語は、タレント活動に芽が出ず、結婚にも失敗して実家に戻っている36歳の女性の内
面を描くもので、主人公の坂東ノブ子(タレント名は飯島ノン子)を坂井真紀が好演している。この映画の
登場人物は皆どこか箍が外れている感じのする人たちで、奇妙なリアリティに満ちている。換言すれば、現
代人における人間関係の曖昧さがよく表現されていると思った。ノブ子の、元亭主の宇田川(鶴見辰吾)や、
坂東家に居候する藤巻マサル(星野源)に対する思いは、期待と幻滅のカクテルとなっており、その複雑な
感情がノブ子のやるせない顔からあふれ出ていた。しかし、最後のシーンでノブ子は鶏を捕まえることに成
功し(この物語のトリック・スターであるヒヨコが成長した鶏)、そのときに浮かべた笑顔がすべてを救済
している。おそらく、日本国中で、こんな境遇にいる女性はたくさんいるだろうが、「めげずに生きていこ
う」というメッセージは、きちんと伝わっていると思った。他に、津田寛治(安田時生=縁日の手配師)、
新田恵利(富士子=ノブ子の同級生、和風スナック藤のママ)、斉木しげる(ノブ子の父親)、宇津宮雅代
(ノブ子の母親)、佐藤仁美(ノブ子の妹)、舘昌美(和人)などが出演している。なお、配役等に関して
は、<goo 映画>を参照した。これは蛇足であるが、母親役の宇津宮雅代を何十年かぶりで見た(1983年-2000
年、休業)。TV番組の『大岡越前』(第1部-第6部、1970年-1982年、TBS)で、大岡越前守忠相(加藤剛)
の妻の雪絵(初代)役での印象が強い。最初は誰か分からなかったが、健在だったというわけである。

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 この他にも、困難な状況に陥った若い女性に対する「応援歌」のような映画はたくさんある。最後に、も
う2本だけ言及ておこう。『百円の恋』(監督:武正晴、東映ビデオ=スタジオブルー、2014年)と、『転
がれ! たま子』(監督:新藤風、近代映画協会=シネカノン=衛星劇場=S・D・P=ハピネット・ピクチャ
ーズ、2005年)である。


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 「日日是労働セレクト131」より

 某月某日

 DVDで邦画の『百円の恋』(監督:武正晴、東映ビデオ=スタジオブルー、2014年)を観た。ボクシング
が物語に絡む映画はあまたあるが、それを「女子」に限定するとさすがに僅かになる。小生の記憶する限り
で例を挙げると、洋画では『ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby, 2004)』(監督:クリント・
イーストウッド〔Clint Eastwood〕、米国、2005年)〔筆者、未見〕、邦画では『ナチュラル・ウーマン』
(監督:佐々木浩久、ケイエスエス、1994年)、『ラブファイト』(監督:成島出、『ラブファイト』フィ
ルムパートナーズ〔ミコット・エンド・バサラ=テレビ東京=ジェネオン エンタテインメント=コアプロ
ジェクト=東映ビデオ=東映チャンネル=大広=テレビ大阪〕、2008年)ぐらいか。したがって、貴重な物
語なのだが、その他の点では、どちらかと言えばリアリズム志向の映画で、うまくまとまっていると思う。
武正晴監督の作品を続けて観たわけだが、今後がかなり期待できる監督で、もう一つ上のレヴェルの作品に
出遭ってみたい。小生が映画を採点する基準は曖昧であるが、ジャンルを問わず共通していると思われる要
素を以下に掲げてみよう。しょせんお遊びであるが、参考まで。

  1.細部にこだわって、丁寧に描く。
  2.もっとも、全体の流れから浮くようなかたちで特定のシーンを描きすぎない。
  3.ただし、ポイントとなる部分は、しつこいぐらいにこだわる。とくに、喜劇の場合は。
  4.インパクトのある部分は、リアリティ重視で、鑑賞者の想像力が追い付けない描き方はしない。
  5.ファンタジー的要素はとかく監督のひとりよがりになるので、むしろサラッと描いた方がよい。
  6.決め台詞は、シンプル・イズ・ベストでいく。
  7.意外性のある展開をグッド・タイミングで配する。ただし、ギクシャクとしてはいけない。
  8.真剣になりすぎて、遊び心を失ってはいけない。
  9.シェイクスピアの戯曲も、当時の通俗的な娯楽であったことを忘れてはならない。
  10.監督は「自分の作品である」ということを示す刻印を打つ。

 こんなところか。武正晴監督の作品は、これらの要素を余すところなくもっており、しかも、彼の意図を
しっかりと把握した俳優ばかりで固められているので、今後とも武組に期待するところ大である。
 さて、物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい、なお、
一部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  故・松田優作氏の出身地である山口・周南映画祭に新設された第1回松田優作賞グランプリ脚本を
 『イン・ザ・ヒーロー』の武正晴監督が映画化。不器用でどん底の生活を送っていた32歳の女が、中
 年ボクサーと出会い、ボクシングを通して変化していく姿を描く。出演は『かぞくのくに』の安藤サ
 クラ、『アウトレイジ ビヨンド』の新井浩文、『ハラがコレなんで』の稲川実代子。第27回東京国
 際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞受賞。2014年11月15日より山口県内先行上映。

   〔あらすじ〕

  32歳の斎藤一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていたが、ある日、離婚
 した妹の二三子(早織)が子連れで戻ってくる。しかたなく同居をする一子だったが折り合いが悪く
 なり、家を出て一人暮らしを始めることに。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にあ
 りついた一子の唯一の楽しみは、帰り道にあるボクシングジムで一人ストイックに練習するボクサー・
 狩野(新井浩文)を覗き見することであった。百円ショップの店員たちは皆心に問題を抱え、そこは
 底辺の人間たちの巣窟のような場所だった。そんなある夜、狩野が百円ショップに客としてやってく
 る。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに二人はお互いの距離を縮めていき、なんとなく一
 緒に住み始め、体を重ねる一子と狩野。だが、そんなささやかな幸せの日々は長くは続かなかった。
 どうしてもうまくいかない日々の中、一子は衝動的にボクシングを始める。やがて、一子の中で何か
 が変わりだし、人生のリターンマッチのゴングが鳴り響こうとしていた……。

 他に、稲川実代子(斎藤佳子=一子の母親)、伊藤洋三郎(斎藤孝夫=同じく父親)、宇野祥平(岡野淳
百円ショップの店長)、坂田聡(野間明=同じく店員。44歳、バツイチ)、沖田裕樹(佐田和弘=本部の社
員)、吉村界人(西村=百円ショップの店員)、松浦慎一郎(一子のボクシングの小林トレーナー)、重
松収(青木ジムの会長)、根岸季衣(百円ショップの元店員、廃棄が決定してる焼きそば弁当を強奪に来店
する中年女)、白岩佐季子(迫田彩美=一子の対戦相手)、和宇慶勇二(藤村京介=祐二の対戦相手)など
が出演している。なお、小林トレーナー役の松浦慎一郎は本職の方で、道理でさまになっていると思った。


 「日日是労働セレクト145」より

 某月某日

 1本目は、『転がれ! たま子』(監督:新藤風、近代映画協会=シネカノン=衛星劇場=S・D・P=ハピ
ネット・ピクチャーズ、2005年)である。似ている作品を探せば、『もらとりあむタマ子』(監督:山下敦
弘、「もらとりあむタマ子」製作委員会〔エムオン・エンタテインメント=キングレコード〕、2013年)あ
たりか。もしかすると、当該作品がヒントになって、後者が製作されたのかもしれない。少なくとも、「タ
マコ」つながりはある。後者の方がシリアスだが、状況は似ている。つまり、人生に行き詰っていた若い女
性が自らの居場所を見つける物語である。監督は新藤兼人の孫の由で、撮影現場にも祖父その人が陣中見舞
いに来たらしい。作風に祖父の影響はないかと探しながら観たが、これといって見つからなかった。当たり
前と言えば当たり前か。独特の時間の流れがあり、女性監督ならではの柔らかいタッチだった。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞いたい。

   〔解説〕

  好物は甘食、どこへ行くにも鉄カブトが手離せないという風変わりでキュートなヒロインの“変身”
 を描くコメディ。山田麻衣子、竹中直人ら多彩なキャストも魅力的。

   〔あらすじ〕

  運河に囲まれた町。桜井たま子(山田麻衣子)は、美容室<たっまき>を経営する母・タツコ(岸本
 加世子)と、高校三年生の弟・大輔(松澤傑)と暮らしている。幼い頃、かくれんぼの最中に父の鳥
 越平吉(竹中直人)が家を出て行って以来、すっかり用心深くなったたま子は、24歳になった今もど
 こへ行くにも鉄かぶとが欠かせない。たま子の好物は、<日進月歩堂>のジイチャン(ミッキー・カー
 チス)が作る甘食だ。最近までは店のレジから甘食代を抜き取っていたたま子だが、「自分の甘食は
 自分で買え!」とタツコに言われ、たま子に恋心を寄せるトラキチ(与座嘉秋)が紹介した配送所で
 アルバイトを始めた。今日も甘食を買ったたま子は、父の平吉がやっている<鳥越メカニック>へ行く。
 平吉は、昼は自動車修理、夜はオブジェ作りという夢見心地な人生を送っている。ある日、細い道に
 入ったたま子は、不思議な雰囲気の少年(染谷州真)と出会う。少年は「気をつけて」と言い、次の
 瞬間、向こうからやって来る自転車をよけようとしたたま子は、穴に落ちる。その頃、桜井家のリビ
 ングでは、タツコとトラキチが年の差を超えて激しい恋に落ちていた。さらに<日進月歩堂>が休業し
 てしまった。ショックを受けたたま子は<鳥越メカニック>へ行くが、雑誌に取材されてアーティスト
 魂に火がついた平吉は、たま子の話など上の空。自分の部屋に戻ると、ひきこもり猫だったはずのタ
 マまで姿を消していた。タツコとトラキチの結婚式が行われた夜、<たっまき>で盛り上がる家族や友
 人をよそに、たま子はひとり孤独をかみしめる。どうしても甘食が食べたいたま子は、一念発起して、
 街で唯一たま子好みの甘食を作れるパン屋に弟子入り。修行の末に甘食を作ることができるようにな
 り、たま子の世界は少しだけ広がったのだった。

 他に、広田レオナ(マーブル=タツコの幼馴染みのバスガイド)、平岩紙(カシコちゃん=<たっまき>の
従業員)、草村礼子(<日進月歩堂>のバアチャン)、松重豊(中村源蔵=ベーカリー<Madu>の主人)、ユウ
スケ・黄帝液。(フタバ=同じく従業員)、ケンスケデリカット(ミツバ=同)、根岸季衣(村田=近所の
オバチャン)、永澤俊矢(田口=大福観光人事部長)、津川雅彦(大福千歳=同じく社長)、諏訪太郎〔太
朗〕(配送所の所長)、山根和馬(三四郎=同じく従業員)、廣川将都(五郎=同)、榊英雄(広瀬=雑誌
『美しい人生』編集者)、山野海(看護師)、やべきょうすけ(入院患者)、中原翔子(中村の店の客)、
三上瓔子(太極拳のおばちゃん)、坂野真弥(小学生のたま子)、荒船彩花(幼いたま子)、鴻野舞郁(赤
ちゃんのたま子)、杉本陽音(幼い大輔)、平田未央子(サンバガール)、新関ふみ乃(同)、Miki(同)、
松田美保(同)、中村正(ナレーター)などが出演している。

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 いずれも、切ない物語ではあるが、精一杯生きようとする主人公の息遣いが伝わって来そうな作品群であ
る。続けて観れば、困難な状況を打開する方策があるいは見えてくるかもしれない。


 某月某日

 DVDで邦画の『赤穂浪士』(監督:松田定次、東映京都、1956年)を観た。同名の作品があるので、DVDで
は副題として「天の卷・地の卷」が添えられている。
 「赤穂浪士」や「忠臣蔵」は、映画の題材としてたびたび取り上げられていることは、誰しもが承知して
いるところである。もっとも、昨年の12月14日だったか、「今日は何の日か知っていますか」と学生諸君に
訊ねたところ、誰ひとり答えられる者がおらず、苦笑したものである。時代は変わる。したがって、天下の
「赤穂浪士」と雖も形無しである。
 さて、同じような題材を扱った作品で、小生が鑑賞済みのものを以下に挙げてみよう。大雑把なので、正
確を期したわけではない。

  『元禄忠臣蔵・前編』、監督:溝口健二、興亜映画、1941年。
   「日日是労働セレクト21」、参照。
  『元禄忠臣蔵・後編』、監督:溝口健二、松竹京都、1942年。
   「日日是労働セレクト21」、参照。
  『赤穂浪士』、監督:松田定次、東映京都、1956年。
  『忠臣蔵』、監督:渡辺邦男、大映京都、1958年。
   当ブログに記載なし。これまで、「家族研究への布石(映像篇)」に記載していなかった作品である
   が、長谷川一夫が大石内蔵助を演じている映画を母親と一緒に鑑賞していることを覚えており(4歳
   以降)、彼が大石を演じている作品はこれが唯一なので、確実に観ていることになる。
  『薄桜記』、監督:森一生、大映京都、1959年。
   「日日是労働セレクト108」、参照。
  『サラリーマン忠臣蔵』、監督:杉江敏男、東宝、1960年。
   「日日是労働セレクト110」、参照。
  『続・サラリーマン忠臣蔵』、監督:杉江敏男、東宝、1961年。
   「日日是労働セレクト110」、参照。
  『赤穂浪士』、監督:松田定次、東映京都、1961年。
   「日日是労働セレクト57」、参照。  
  『赤穂城断絶』、監督:深作欣二、東映京都=東映太秦映画村、1978年。
   「日日是労働セレクト66」、参照。
  『忠臣蔵外伝 四谷怪談』、監督:深作欣二、松竹、1994年。
   「日日是労働セレクト85」、参照。
  『四十七人の刺客』、監督:市川崑、東宝=日本テレビ放送網=サントリー、1994年。
   「日日是労働セレクト28」、参照。
  『花よりもなほ』、監督:是枝裕和、「花よりもなほ」フィルムパートナーズ〔松竹=エンジンフィルム=
   テレビマンユニオン=バンダイビジュアル=衛生劇場=ジェイ・ストーム=FM東京〕、2005年。
   「日日是労働セレクト70」、参照。
  『最後の忠臣蔵』、監督:杉田成道、「最後の忠臣蔵」製作委員会〔ワーナー・ブラザース映画=電通=
   角川映画=日本映画衛星放送=レッド・エンタテインメント=角川書店=Yahoo! JAPAN=メモリー
   テック=読売新聞〕、2010年。
   「日日是労働セレクト98」、参照。

 『忠臣蔵』の物語は食傷気味と言ってよいほど頭に入っているが、本作のようなオーソドックスなタイプ
の作品ならば、ときおり観てみてもよいと思える。古典落語なども、粗筋もオチもしっかり頭に入っていな
がら、落語家の話術の魅力で、何度聴いても面白い噺はいくらでもある。おそらく、『忠臣蔵』もその類な
のだろう。松田定次は戦後同じような作品を3度映画化しているが、彼の一番のお気に入りは本作である。
なお、『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』(監督:松田定次、東映京都、1959年)は筆者未見である。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  大佛次郎の小説を『母なき子』の共同脚色者の一人、新藤兼人が脚色、『復讐の七仮面』の松田定
 次が監督、『弥太郎笠(1955年)』の川崎新太郎が撮影を担当した。主なる出演者は、『荒獅子判官』
 の片岡千恵蔵、喜多川千鶴、千原しのぶ、『あばれ振袖』の中村錦之助、『笛吹若武者』の大友柳太
 朗、『ふり袖小天狗』の東千代之介、『続・薩摩飛脚』の市川右太衛門、その他東映の男優陣、女優
 陣の大部分が出演する。

   〔あらすじ〕

  元禄十四年三月十四日、勅使饗応役浅野内匠頭(東千代之介)は生来の一徹さから、江戸城内で吉
 良上野介(月形龍之介)に斬りつけたが果さず、即刻切腹、お家断絶の処分をうけた。上野介の実子
 である上杉綱憲(東宮秀樹)の養子先、上杉家の家老千坂兵部(小杉勇)は家臣小林平七(加賀邦男)
 を通して知った浪人堀田隼人(大友柳太朗)と大泥棒の蜘蛛の陣十郎(新藤英太郎)を、隠密として
 赤穂に放った。浅野家の城代家老大石内蔵助(市川右太衛門)は赤穂城明け渡しを済ませると、妻子
 と別居し、京の遊里で放蕩三昧の明けくれを送った。浪士たちはあるいは江戸に、あるいは他藩に、
 それぞれの生活を求めて離散したようだが、お家の安泰を願う千坂は気を許さず、小林平七を吉良家
 に付け人として送るほどの用心深さだった。ひそかに大石の蹶起を待つ五十余名の同志の中にも、昼
 行灯の噂そのままの大石の行状に不信を抱いて脱落する者も尠くない。それでも、江戸市中では町人
 に身をやつして仇敵吉良家の動静を探る浪士もあった。やがて舎弟大学の取り立ての儀は許されず、
 主家再興の望みもまったく断たれたと知って、大石は江戸に向うが、名古屋本陣での立花左近(片岡
 千恵蔵)の情けほど、大石の心をうったものはなかった。一方、早くも大石の動きを察知した千坂は、
 隼人に大石を斬らせて将来の禍根を断とうと図った。だが隼人ほどの腕も大石には刃が立たなかった。
 そして隠密の仕事に懐疑を抱き始めた隼人は、師走十四日夜半、山鹿流の陣太鼓が突如、凍てついた
 厳冬の町に鳴り響いたとき、寝返りを打った。上杉家へ走ろうとする目明しの目玉の金助(河野秋武)
 を斬り伏せたのだ。かくて四十七士は首尾よく本懐を遂げることができた。もはや生きる望みを見失
 った隼人は、女間者お仙(高千穂ひづる)と姿を消した。その朝、泉岳寺に向う浪士たちを、深編笠
 の武家が見送っていた。それは千坂兵部であった。

 他に、伏見扇太郎(大石主税=内蔵助の息子)、薄田研二(堀部弥兵衛)、堀雄二(堀部安兵衛)、原健
策(片岡源五右衛門)、片岡栄二郎(毛利小平太)、神田隆(小平太の兄)、清川荘司(渋江伝蔵)、百々
木直(梶川與惣兵衛)、月形哲之介(高田郡兵衛)、河部五郎(権太夫)、植木基晴(吉千代)、龍崎一郎
(脇坂淡路守)、加藤嘉(小野寺十内)、宇佐美諄(柳澤出羽守)、中村錦之助〔萬屋錦之介〕(小山田庄
左衛門/近江屋傳吉)、三島雅夫(丸岡朴庵=お犬医者)、三条雅也(大高源吾)、高木二朗(片田勇之進)、
高松錦之助(穂積惣右衛門)、田代百合子(さち=惣右衛門の娘、後に小山田庄左衛門の妻)、明石潮(安
井彦右衛門=浅野家の家老)、葛木香一(牟岐平右衛門)、香川良介(大野九郎兵衛)、澤田清(将軍徳川
綱吉)、吉田義夫(石屋の源六)、藤川弘(清水一學)、杉狂児(松原多仲=上野介の側用人)、三浦光子
(りく=内蔵助の妻)、團徳磨(八助=大石家の下男)、水野浩(藤井又佐衛門=浅野家の家老)、浦里は
るみ(お柳)、植木千恵(おくう)、吉井待子(料亭「しのぶ」の女中)、毛利菊枝(宗偏の妻)、松浦築
枝(丹=十内の妻)、八汐路恵子(仲居お菊)、星美智子(幸=安兵衛の妻)、千原しのぶ(夕露太夫)、
喜多川千鶴(お千賀=朴庵の女)、伊東亮英(五平=三國屋主人)、時田一男(清吉=同じく番頭)、村田
宏二(徳兵衛=巡礼)、中野市女蔵(伊達左京亮)、岸田一夫(朴庵の弟子)、有馬宏治(早水藤左衛門=
御注進の武士)、遠山恭二(萱野三平=同)、六條奈美子(おわか=弥兵衛の妻)、赤木春恵(長屋のお内
儀)、植木義晴(大三郎)、堀正夫(中村清九郎)、青柳龍太郎(近藤源八)、上代悠司(前原伊助)、大
文字秀介(深井傳四郎)、大丸巌(寺坂吉右衛門)、尾上華丈(原惣右衛門)、中村時十郎(眞野金吾)、
小金井修(三村次郎左衛門)、中野雅晴(磯貝十郎左衛門)、津村礼司(赤垣源蔵)、楠木健二(神崎與五
郎)、葉山富之輔(間瀬久太夫)、丘郁夫(関久和)、富九井一朗(三次=町人)、小金井勝(奥田孫太夫)、
山内八郎(多吉=町人)、石丸勝也(六蔵=巡礼)、藤木錦之助(傳奏屋敷の番士)、東日出夫(源太=町
人)、浅野光男(金太=同)、矢奈木邦二郎(伊之吉=同)、山村英三郎(戸村源左衛門)、加藤正男(甚
太=町人)、中野文男(平谷新平衛)、人見寛(室井左六)、舟津進(佐七=町人)、河村満和(近松甚六)、
熊谷武(菅谷半之亟)、近江雄二郎(潮田又之亟)、原京市(富森助右衛門)、源八郎(村松喜兵衛)、近
松龍太郎(玉虫七郎右衛門)、小田部通麿(岡林埜之助)、大野則彦(傅吉=町人)、舟井弘(泉岳寺の僧)、
小田昌作(伊八=町人)、森田肇(吉田忠左衛門)、吉田江利子(おきん=料亭の中居)、鳳衣子(お米=
同)などが出演している。
 見せ場はいろいろあったが、やはり、大石内蔵助と立花左近の対峙するシーンが秀逸だろう。右太衛門、
千恵蔵の一歩も引かない演技は他を圧倒していた。内蔵助と隼人が剣を交えるシーンもなかなかのものであ
った。さすが東映、さすが松田定次である。

                                                 
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