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2018年度版「福島原発事故を考える」資料集
 以下に、2018年度版「福島原発事故を考える」資料集を掲げます。ご笑覧いただければ、幸いです。なお、
インターネット用に一部改変しました。ただし、内容にはほとんど変更はありません。

                                                
 (共通教育)福島原発事故を考える   2018年度1学期(金曜・2限) 参考資料01

                                 
  読んでおきたい災害・原爆・原発・科学技術関連書籍

『核時代を生きる 生活思想としての反核』、高木仁三郎 著、講談社現代新書、1983年。
『ハイテク汚染』、吉田文和 著、岩波新書、1989年。
『原爆の子 -広島の少年少女のうったえ-(上・下)』、長田新 編、岩波文庫、1990年。
『原発はなぜ危険か ─元設計技師の証言─』、田中三彦 著、岩波新書、1990年。
『プルトニウムの未来 ─2041年からのメッセージ─』、高木仁三郎、岩波新書、1994年。
『核時代の科学と哲学 現代の危険と良心の楽観論』、相原信作 著、行路社、1994年。
『核解体 ─人類は恐怖から解放されるか─』、吉田文彦 著、岩波新書、1995年。
『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』、七沢潔 著、岩波新書、1996年。
『新版 日本の原発地帯』、鎌田慧 著、岩波書店(同時代ライブラリー)、1996年。
『共生と循環の哲学 ── 永遠を生きる』、梅原猛 著、小学館、1996年。
『科学事件』、柴田鉄治 著、岩波新書、2000年。
『黄昏の哲学 脳死臓器移植・原発・ダイオキシン』、小松美彦 著、河出書房新社、2000年。
『IT汚染』、吉田文和 著、岩波新書、2001年。
『「原発」革命』、古川和男 著、文春新書、2001年。
『テクノリテラシーとは何か 巨大事故を読む技術』、齊藤了文 著、講談社選書メチエ、2005年。
『朽ちていった命 ─被曝治療83日間の記録─』、NHK「東海村臨界事故」取材班 著、新潮文庫、2006年。
『いのちと放射能』、柳澤桂子 著、ちくま文庫、2007年。
『原発・正力・CIA』、有馬哲夫 著、新潮新書、2008年。
『偽善エネルギー』、武田邦彦 著、幻冬舎新書、2009年。
『もうひとつの核なき世界』、堤未果 著、小学館、2010年。
『原発のウソ』、小出裕章 著、扶桑社新書、2011年。
『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』、内橋克人 編、岩波新書、2011年。
『福島 原発と人びと』、広河隆一 著、岩波新書、2011年。
『眼の海』、辺見庸 著、毎日新聞社、2011年。
『文明の災禍』、内山節 著、新潮新書、2011年。
『原発訴訟』、海渡雄一 著、岩波新書、2011年。
『新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示』、菅谷昭 著、新潮文庫、2011年。
『脱原発社会へ ─電力をグリーン化する』、長谷川公一 著、岩波新書、2011年。
『原発を終わらせる』、石橋克彦 編、岩波新書、2011年。
『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』、武田徹 著、中公新書ラクレ、2011年。
『原発と権力 ─戦後から辿る支配者の系譜』、山岡淳一郎 著、ちくま新書、2011年。
『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』、山本義隆 著、みすず書房、2011年。
『福島第一原発 真相と展望』、アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、2012年。
『3・11 複合災害』、外岡秀俊 著、岩波新書、2012年。
『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』、辺見庸 著、NHK出版新書、2012年。
『夢よりも深い覚醒へ ── 3.11後の哲学』、大澤真幸 著、岩波新書、2012年。
『原発の、その先へ ミツバチ革命が始まる』、鎌仲ひとみ 著、集英社、2012年。
『希望の国』、園子温 著、リトルモア、2012年。
『ハンドブック 原発事故と放射能』、山口幸夫 著、岩波ジュニア新書、2012年。
『幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて』、安富歩 著、明石書店、2012年。
『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』、福島原発事故独立検証委員会 著、パワーハウス、
 2012年。
『プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実』、朝日新聞特別報道部 著、学研パブリッシング、 2012年。
『プロメテウスの罠2 検証! 福島原発事故の真実』、朝日新聞特別報道部 著、学研パブリッシング、2012年。
『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』、本間龍 著、亜紀書房、
 2012年。
『レベル7 ── 福島原発事故、隠された真実』、東京新聞原発事故取材班 著、幻冬舎、2012年。
『日本を脅かす! 原発の深い闇』、古賀茂明/一ノ宮美成/神林広恵/中田潤/藤吉雅春 他 著、宝島SUGOI
 文庫、2012年。
『原発と憲法9条』、小出裕章 著、遊絲社、2012年。
『原発の正しい「やめさせ方」』、石川和男 著、PHP新書、2013年。
『「原発さまの町」からの脱却 ── 大熊町から考えるコミュニティの未来』、吉原直樹 著、岩波書店、
 2013年。
『原発はやっぱり割に合わない』、大島堅一 著、東洋経済新報社、2013年。
『放射能汚染と災厄 ── 終わりなきチェルノブイリ原発事故の記録』、今中哲二 著、明石書店、2013年。
『つくられた放射線「安全」論 科学が道を踏みはずすとき』、島薗進 著、河出書房新社、2013年。
『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』、大鹿靖明 著、講談社文庫、2013年。
『熊取六人組 反原発を貫く研究者たち』、細見周 著、岩波書店、2013年。
『反原発へのいやがらせ全記録 原子力ムラの品性を嗤う』、渡海雄一 編、明石書店、2014年。
『原発ユートピア日本』、早川タダノリ 著、合同出版、2014年。
『災害ボランティア ── 新しい社会へのグループ・ダイナミックス』、渥美公秀 著、弘文堂、2014年。
『原発の底で働いて ── 浜岡原発と原発下請労働者の死』、高杉晋吾 著、緑風出版、2014年。
『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』、朝日新聞取材班 著、朝日新聞出版、
 2014年。
『「放射能汚染地図」の今』、木村真三 著、講談社、2014年。
『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』、日野行介 著、岩波新書、2014年。
『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』、太田昌克 著、岩波新書、2014年。
『被ばく列島 放射線医療と原子炉』、小出裕章/西尾正道 著、角川oneテーマ21、2014年。
『原発と大津波 警告を葬った人々』、添田孝史 著、岩波新書、2014年。
『原発と教育』、川原茂雄 著、海象社、2014年。
『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ─ いま、この世界の片隅で』、林典子 著、岩波新書、2014年。
『終わりなき危機 ─ 日本のメディアが伝えない、世界の科学者による福島原発事故研究報告書』、ヘレン・
 カルディコット 監修、河村めぐみ 訳、ブックマン社、2015年。
『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』、雁屋哲 著、遊幻舎、2015年。
『ポストフクシマの哲学 原発のない世界のために』、村上勝三 編著、明石書店、2015年。
『民を殺す国・日本 足尾鉱毒事件からフクシマへ』、大庭健 著、筑摩書房、2015年。
『3.11原発事故後の公共メディアの言説を考える』、名嶋義直/神田靖子 編、ひつじ書房、2015年。
『むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』、猪瀬浩平 著、農山漁村文化協会、2015年。
『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』、浅羽通明 著、ちくま新書、2016年。
『ルポ 母子避難 ── 消されゆく原発事故被害者』、吉田千亜 著、岩波新書、2016年。
『原発プロパガンダ』、本間龍 著、岩波新書、2016年。
『近代日本一五〇年 ── 科学技術総力戦体制の破綻』、山本義隆 著、岩波新書、2018年。


  読んでおきたい原爆・原発関連小説・詩集

『夏の花』、原民喜、1947年(原題は『原子爆弾』)。
『復活の日』、小松左京、1964年。
『黒い雨』、井伏鱒二、1966年。
『霊長類南へ』、筒井康隆、1969年。
『祭りの場』、林京子、1975年。
『ピンチランナー調書』、大江健三郎、1976年。
『方舟さくら丸』、安部公房、1984年。
『愛と幻想のファシズム』、村上龍、1987年。
『原発詩集』、武内辰郎 著、オリジン出版センター、1988年<第2刷/1988年第1刷>。
『天空の蜂』、東野圭吾 著、講談社文庫、1998年。
『原発クライシス』、高嶋哲夫 著、集英社文庫、2010年。
『日本原発小説集』、井上光晴 他、水声社、2011年。
『阿武隈共和国独立宣言』、村雲司 著、現代書館、2012年。
『渡されたバトン』、ジェームス三木 著、新日本出版社、2013年。
『オールド・テロリスト』、村上龍 著、文藝春秋、2015年。
『原民喜全詩集』、若松英輔 解説、岩波文庫、2015年。
『チェルノブイリの祈り ─ 未来の物語』、スベトラーナ・アレクシエービッチ 著、松本妙子 訳、岩波現代
 文庫、2015年。


  読んでおきたい原爆・原発関連漫画

 『はだしのゲン』、中沢啓治 作、1973‐1985年、中公文庫コミック版(1998年)。
 『ゴルゴ13』、「2万5千年の荒野(第223話)」、さいとう・たかを 作、1984年、リイド社(2008年)。
  その他、数篇あり。
 『夕凪の街 桜の国』、こうの史代 作、双葉社、2004年。
 『この世界の片隅に(上)(中)(下)』、こうの史代 作、双葉社、2008年-2009年。
 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論』、小林よしのり 著、小学館、2012年。
 『美味しんぼ 110巻/111巻 福島の真実1/2』、雁屋哲 作/花咲アキラ 画、小学館、2013・2014年。

                                                  
 (共通教育)福島原発事故を考える   2018年度1学期(金曜・2限) 参考資料02


 観ておきたい原爆・原発・災害などを背景にした邦画

『原爆の子』、監督:新藤兼人、近代映画協会=劇団民芸、1952年。
『ひろしま』、監督:関川秀雄、日教組プロ、1953年。
『ゴジラ』、監督:本多猪四郎、東宝、1954年。
『日本敗れず』、監督:阿部豊、新東宝、1954年。
『億万長者』、監督:市川崑、青年俳優クラブ、1954年。
『生きものの記録』、監督:黒澤明、東宝、1955年。
『純愛物語』、監督:今井正、東映東京、1957年。
『地球防衛軍』、監督:本多猪四郎、東宝、1957年。
『美女と液体人間』、監督:本多猪四郎、東宝、1958年。
『第五福竜丸』、監督:新藤兼人、近代映画協会=新世紀映画、1959年。
『世界大戦争』、監督:松林宗恵、東宝、1961年。
『妖星ゴラス』、監督:本多猪四郎、東宝映画、1962年。
『マタンゴ』、監督:本多猪四郎、東宝、1963年。
『愛と死の記録』、監督:蔵原惟繕、日活、1966年。
『地獄の掟に明日はない』、監督:降旗康男、東映東京、1966年。
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』、監督:福田純、東宝、1966年。
『大巨獣ガッパ』、監督:野口晴康、日活、1967年。
『日本のいちばん長い日』、監督:岡本喜八、東宝、1967年。
『昆虫大戦争』、監督:二本松嘉瑞、松竹、1968年。
『とむらい師たち』、監督:三隅研次、大映京都、1968年。
『地の群れ』、監督:熊井啓、えるふプロ=ATG、1970年。
『日本沈没』、監督:森谷司郎、東宝=東宝映像、1973年。
『仁義なき戦い』、監督:深作欣二、東映京都、1973年。
『ふたりのイーダ』、監督:松山善三、映画「ふたりのイーダ」プロ、1976年。
『はだしのゲン』、監督:山田典吾、現代ぷろだくしょん、1976年。
『聖母観音大菩薩』、監督:若松孝二、若松プロ=ATG、1977年。
『原子力戦争 LOST LOVE』、監督:黒木和雄、ATG=文化企画プロ、1978年。
『太陽を盗んだ男』、監督:長谷川和彦、キティフィルム、1979年。
『復活の日』、監督:深作欣二、角川春樹事務所=東京放送、1980年。
『地震列島』、監督:大森健次郎、東宝映画、1980年。
『にんげんをかえせ』、監督:橘祐典、子供たちの世界に被爆の記録を贈る会映画製作委員会、1982年。
『この子を残して』、監督:木下恵介、松竹=ホリ企画制作、1983年。
『人魚伝説』、監督:池田敏春、ディレクターズ・カンパニー=ATG、1984年。
『生きているうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』、監督:森崎東、キノシタ映画、1985年。
『夢千代日記』、監督:浦山桐郎、東映京都、1985年。
『さくら隊散る』、監督:新藤兼人、近代映画協会=天恩山五百羅漢寺、1988年。
『Tomorrow 明日』、監督:黒木和雄、ライトヴィジョン=沢井プロダクション=創映新社、1988年。
『黒い雨』、監督:今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年。
『夢』、監督:黒澤明、黒澤プロ、1990年。
『ビキニの海は忘れない』、監督:森康行、映画「ビキニの海は忘れない」制作実行委員会、1990年。
『八月の狂詩曲』、監督:黒澤明、黒澤プロダクション、1991年。
『ゴジラ VS スペースゴジラ』、監督:山下賢章、東宝映画、1994年。
『ゴジラVSデストロイア』、監督:大河原孝夫、東宝映画、1995年。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』、監督:金子修介、大映=日本テレビ放送網=博報堂、1995年。
『罵詈雑言』、監督:渡辺文樹、BARI・ZOGONオフィス、1996年。
『シャブ極道』、監督:細野辰興、大映、1996年。
『ガメラ2 レギオン襲来』、監督:金子修介、大映=日本テレビ放送網=博報堂=富士通=日本出版販売、
 1996年。
『カンゾー先生』、監督:今村昌平、今村プロダクション=東映=東北新社、1998年。
『ゴジラ2000 ミレニアム』、監督:大河原孝夫、東宝映画、1999年。
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』、監督:金子修介、大映=徳間書店=日本テレビ放送網=博報堂=日本出版
 販売、1999年。
『千里眼』、監督:麻生学、「千里眼」製作委員会〔東映=小学館=小学館プロダクション〕、 2000年。
『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、監督:手塚昌明、東宝映画、2000年。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』、監督:金子修介、東宝映画、2001年。
『東京原発』、監督:山川元:グランプリ=オメガ・ピクチャーズ=日活=衛星劇場、2002年。
『昭和歌謡大全集』、監督:篠原哲雄、光和インターナショナル=バンダイビジュアル、2002年。
『鏡の女たち』、監督:吉田喜重、グループコーポレーション=現代映画社=ルートピクチャーズ=グループ
 キネマ東京、2002年。
『水の女』、監督:杉本秀則、アーティスト・フィルム=日活、2002年。
『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』、監督:手塚昌明、東宝映画、2003年。
『旋風(かぜ)の用心棒』、監督:川原圭敬、プロフェッショナルマネージメント、2003年。
『父と暮らせば』、監督:黒木和雄、衛星劇場=バンダイビジュアル=日本スカイウエイ=テレビ東京メディア
 ネット=葵プロモーション=パル企画、2004年。
『ゴジラ FINAL WARS』、監督:北村龍平、東宝映画、2004年。
『ローレライ』、監督:樋口真嗣、フジテレビジョン=東宝=関西テレビ放送=キングレコード、2005年。
『鉄人28号』、監督:冨樫森、T-28 PROJECT〔電通=キングレコード=メディアウェイブ=衛星劇場=テレビ
 朝日=ジェネオン エンタテインメント=GENEON ENTERTAINMENT USA=クロスメディア〕、2005年。
『日本沈没』、監督:樋口真嗣、TBS=東宝=セディックインターナショナル=電通=J-dream=
 S・D・P=MBS=小学館=毎日新聞社、2006年。
『日本以外全部沈没』、監督:川崎実、クロックワークス=トルネード・フィルム=ウェッジ
 ホールディングズ=角川ヘラルド映画=ジャパン・デジタル・コンテンツ信託=リバートップ、2006年。
『最終兵器彼女』、監督:須賀大観、「最終兵器彼女」製作委員会〔東映アニメーション=東映=東映ビデオ=
 スカパー・ウェルシンク=小学館=シリコンスタジオ=アミューズメントソフトエンタテインメント=博報堂
 DYメディアパートナーズ〕、2006年。
『小さき勇者たち ーガメラー』、監督:田崎竜太、「小さき勇者たち ーガメラー」製作委員会〔角川ヘラルド
 映画=日本映画ファンド=日本テレビ=Yahoo! JAPAN〕、2006年。
  註:フォントがないため、一部の文字や記号を別のもので代替した。
『夕凪の街 桜の国』、監督:佐々部清、アートポート、2007年。
『252 生存者あり』、監督:水田伸生、「252製作委員会」〔日本テレビ放送網=讀賣テレビ放送=
 バップ=ワーナー・ブラザーズ映画=A-team=ツインズジャパン=札幌テレビ放送=宮城テレビ放送=静岡
 第一テレビ=中京テレビ放送=広島テレビ放送=福岡放送〕、2008年。
『クライマーズ・ハイ』、監督:原田眞人、「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ〔ビーワイルド=
 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=トゥモロゥー〕、2008年。
『感染列島』、監督:瀬々敬久、「感染列島」製作委員会〔TBS=東宝=電通=MBS=ホリプロ=CBC=ツインズ
 ジャパン=小学館=RKB=朝日新聞社=HBC=RCC=SBS=TBC=Yahoo! Japan〕、2009年。
『USB』、監督:奥秀太郎、NEGA、2009年。
『この空の花 長岡花火物語』、監督:大林宣彦、「長岡映画」製作委員会〔長岡商工会議所=(社)長岡青年
 会議所=(社)長岡観光コンペンション協会=長岡まつり協議会=NPO法人復興支援ネットワーク・
 フェニックス=長岡ロケナビ=市民映画館をつくる会=新潟県フィルムコミッション協議会= 長岡都市ホテル
 資産保有株式会社=新潟綜合警備保障株式会社〕、2011年。
『ヒミズ』、監督:園子温、「ヒミズ」フィルムパートナーズ〔ギャガ=講談社〕、2011年。
『内部被ばくを生き抜く』、監督:鎌仲ひとみ、環境テレビトラスト、2012年。
『希望の国(THE LAND OF HOPE)』、監督:園子温、The Land of Hope Film Partners、2012年。
『おだやかな日常』、監督:内田伸輝、「おだやかな日常」製作委員会、2012年。
『放射線を浴びたX年後』、監督:伊東英朗、南海放送、2012年。
『未来への決断 -ノーモア 原発-』、監督:島田陽磨、日本電波ニュース社、2012年。
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』、監督:長谷川三郎、Documentary Japan.104 co ltd、2012年。
『遺体 明日への十日間』、監督:君塚良一、フジテレビジョン、2013年。
『渡されたバトン さよなら原発』、監督:池田博穂、「日本の青空 III」製作委員会、2013年。
『爆心 長崎の空』、監督:日向寺太郎、パル企画=メディアファクトリー=日本スカイウェイ=長崎放送=
 長崎ケーブルメディア、2013年。
『私の男』、監督:熊切和嘉、「私の男」製作委員会〔ハピネット=日活=マックレイ=ドワンゴ=GyaO!〕、
 2013年。
『ペコロスの母に会いに行く』、監督:森崎東、「ぺコロスの母に会いに行く」製作委員会〔素浪人=TCエンタ
 テインメント=フォーライフミュージックエンタテイメント=東風〕、2013年。
『アオギリにたくして』、監督:中村柊斗、ミューズの里「アオギリにたくして制作委員会」、2013年。
『今日子と修一の場合』、監督:奥田瑛二、ゼロ・ピクチュアズ、2013年。
『家路』、監督:久保田直、「家路」製作委員会〔WOWOW=ポニーキャニオン=ホリプロ=ビターズ・エンド=
 いまじん=ハートス=レスパスビジョン=ソリッドジャム〕、2014年。
『小さき声のカノン ── 選択する人々』、監督:鎌仲ひとみ、ぶんぶん フィルムズ、2014年。
『無知の知』、監督:石田朝也、「無知の知」製作委員会、2014年。
『ラブ&ピース』、監督:園子温、「ラブ&ピース」製作委員会〔キングレコード=アスミック・エス=GYAO=
 フィールズ〕、2015年。
『天空の蜂』、監督:堤幸彦、「天空の蜂」製作委員会〔松竹=木下グループ=講談社=ローソンHMVエンタ
 テイメント=GYAO!〕、2015年。
『日本のいちばん長い日』、監督:原田眞人、「日本のいちばん長い日」製作委員会〔松竹=アスミック・
 エース=テレビ朝日=木下グループ=WOWOW=巌本金属=読売新聞社=中日新聞社〕、2015年。
『この国の空』、監督:荒井晴彦、「この国の空」製作委員会〔吉本興業=チームオクヤマ〕、2015年。
『ストレイヤーズ・クロニクル』、監督:瀬々敬久、映画「ストレイヤーズ・クロニクル」製作委員会〔日本
 テレビ放送網=ワーナー・ブラザーズ映画=讀賣テレビ放送=バップ=ツインジャパン=D.N.ドリーム
 パートナーズ=電通=集英社=札幌テレビ放送=宮城テレビ放送=静岡第一テレビ=中京テレビ放送=広島
 テレビ放送=福岡放送〕、2015年。
『母と暮らせば』、監督;山田洋次、『母と暮らせば』製作委員会〔松竹=テレビ朝日=博報堂DYメディア
 パートナーズ=ジェイ・ストーム=博報堂=日本出版=メ?テレ=長崎新聞社=講談社=北海道テレビ放送=
 住友商事=木下グループ=松竹ブロードキャスティング=読売新聞社=朝日放送=GYAO=こまつ座=長崎文化
 放送=九州朝日放送〕、2015年。
『シン・ゴジラ』、総監督・脚本:庵野秀明、監督・特技監督:樋口真嗣、東宝映画=シネバザール、2016年。
『この世界の片隅に』、監督:片渕須直、「この世界の片隅に」製作委員会〔朝日新聞社=エー・ティー・
 エックス=Cygames=TBSラジオ=東京カラーフォト・ウィングス=東京テアトル=東北新社=バンダイ
 ビジュアル=双葉社=マック=MAPPA=ジェンコ〕、2016年。

 * なお、『東京家族』(監督:山田洋次、「東京家族」製作委員会、2013年)に、ほんのわずかですが震
  災と家族を絡ませた場面があります。ただし、「付け焼刃」と言ってよいほどの扱いでした。

                                                  
 (共通教育)福島原発事故を考える   2018年度1学期(金曜日・第2時限目) 担当:武藤整司


 第7回講義 原発と倫理       (6月1日)レジュメ(1)

 はじめに

 さて、小生の講義ですが、原発をめぐる倫理問題をいくつかの観点から考察してみたいと考えています。
具体的には、以下に記すような五つの観点を用意しました。

 (1) 原発導入時の倫理問題
 (2) 原発建設時の倫理問題
 (3) 原発の管理上の倫理問題
 (4) 原発事故後の倫理問題
 (5) 原発を含む文明の倫理問題

 以上です。それでは、先ず、?@の問題を見て行きましょう。

 (1) 原発導入時の倫理問題

 (1)の1 先ず、「日本国憲法」の前文を検討したいと思います。原発問題を考える上でも、重要な言葉に
    満ちていると思われるからです。 註:実際の講義では、この前文から重要な言葉を引き出す。

  日本国憲法(前文)

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸
国民との共和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び
戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法
を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力
は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲
法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平
和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和
を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある
地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存す
る権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳
の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうと
する各国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる。日本国民は、国家の
名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 (1)の2 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(有馬哲夫 著、新潮新書、2008年)の検討

 ○ 唯一の被爆国である日本に、なぜ原子力発電所を導入することができたのでしょうか。
 ○ その一連の流れにおいて、讀賣新聞の巨魁(きょかい)である正力松太郎の働きはきわめて大きなもので
  あったと言わざるを得ません。


 第7回講義 原発と倫理       (6月1日)レジュメ(2)

 (2) 原発建設時の倫理問題

 (2)の1 葉上太郎氏のルポルタージュ「原発頼みは一炊の夢か ─ 福島県双葉町が陥った財政難」
    (『世界』2011年1月号、所収)を取り上げてみましょう。

 1.福島県双葉郡双葉町内には、原発が二基ある。東京電力福島第一原子力発電所の第五号機と第六号機
  である。第一号機から第四号機は、隣町の双葉郡大熊町にある。
 2.福島県の双葉町と大熊町にまたがる発電所では、多いときには6,000人ほどが働いている。東電だけで
  はなく、敷地内には、約30の関係会社が事務所を構えており、他にも約300社の社員が作業を行っている。
 3.双葉町には1,880メートルの町道があるが、町道には珍しく四車線もある。発電所の正門とメーン道路
  は大熊町側にあるが、双葉町側の敷地にもつなげられるよう造ったのである。
 4.双葉町は、町内に新たに二基の原子炉を増設するように求めている。新しい町道は増設が始まれば工
  事用となる予定である。
 5.しかし、増設計画は毎年延期されて、2010年で14回目となる。現在も着工の目処は立っていない。
 6.この町道の建設費は約30億円にのぼったが、これが町の財政を逼迫(ひっぱく)させている。
 7.同町の「実質公債費比率」は一時30%を超えて、全国の市町村ではワースト6位にランクされた。
 8.実質公債費比率は、自治体の支出に占める借金返済の割合を示す指標で、25%以上は黄信号とされて
  いる。原発関連の交付金や税収で裕福なはずの町が、なぜこんなことになったのか。
 9.双葉町は、陸軍の飛行場があった土地で、敗戦直前には、米空母艦載機の大爆撃を受けている。
 10.戦後、1960年になって、国が進めようとした原子力発電所の用地に選ばれた。すなわち、戦前から国
  策と深い因縁で結ばれた土地なのである。
 11.67年から原発が建設され始め、71年には営業運転が始まっている。これを境に、両町は変貌した。
 12.誰もが「農家しかなく、出稼ぎばかりだった」と語る土地が、首都を支える一大電力工場になったの
  である。しかも、両町は東北電力の営業エリア内にあるので、原発は純粋に首都圏のためのものなので
  ある。
 13.原発が地元に影響を及ぼしたのは、職場ができたからだけではなかった。町には、発電所や関連企業
  の固定資産税や法人税が流れ込んだのである。国の電源交付金も潤沢に注ぎ込まれた。町は、一気に裕
  福となったのである。
 14.原発着工の65年度、双葉町の財政力指数は0.23であった。財政力指数が1.0を割ると、補填財源として
  地方交付税が配分される。したがって、プレ原発期の双葉町は、相当に貧しい町だったのである。
 15.ところが、原発景気で、双葉町は「富裕団体」(交付金の配分されない団体)に伸し上がった。財政
  力指数は79年に1.0を超え、80年度には3.73という「超」のつく富裕団体になった。
 16.双葉町は、剰余金で文化施設の建設に力を入れた。図書館がそのよい例である。つまり、ポスト原発
  に備えて、人材育成に力を入れようとしたのである。
 17.こうした取組にも拘らず、「ポスト原発」を切り開く人材は輩出できなかった。逆に原発財政に頼っ
  て財政危機を招いていしまったのである。

 第7回講義 原発と倫理       (6月1日)レジュメ(3)

 18.町の財政は徐々に傾いていった。固定資産税や電源交付金による収入が大幅に減ったからである。
 19.双葉町は、90年度、財政力指数が1.0を割った。地方交付税の交付団体に転落したのである。普通の自
  治体では、足りない分は地方交付税を頼みにすればいいので、財政難には陥りにくい。しかし、「豊か
  な財源」を背景に整備した施設の維持管理で経費が嵩んだのである。
 20.財政立て直しの道は、また原発に求められた。すなわち、原発増設に関する決議を採択したのである。
  第七号機、第八号機増設への道である。
 21.それでも、双葉町は、さまざまな工夫を行っている。リストラや緊縮財政はもちろんしなければなら
  ない取組だったが、住民サービスの低下を招くようなことはしなかった。それにも拘らず、実質公債費
  比率は好転し、黄信号(25%以上)は脱している。
 22.まだまだ、原発立地自治体ならではの財源(電源交付金など)があるからだ。
 23.さらに、原発に依存しない地場産業を育てている。しかし、それを支えているのは、低賃金と重労働
  に耐えている人々がいるからだ。しかし、身も心も原発に頼り切った町に成り果てないためには、どう
  しても必要な取組である。
 24.原発に頼り切って国策に翻弄され続ける町になるのか、それとも原発を部品の一つとして戦略的に扱
  う町になれるのか。双葉町は今、運命の分かれ道にいる。

 (2)の2 『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)III章の
    「原発銀座の沈黙 福島」からの引用。

 現在、福島の原発のことを書くことは辛いことです。上で取り挙げた双葉町は、大熊町とともに、人の住
めない土地になり果てました。原発建設までの経緯、さらにその後の経過を知ると(ただし、推進派にも言
い分はあるのでしょうが)憤りぐらいでは済まされない感情が湧いてきます。誰にも責任を取れないような
(もちろん、国でさえも)事業を推進することの愚を、愚ではないと言いくるめる神経はどうやって養われ
るのでしょうか。「はなはだ疑問である」としか言いようがありません。

 (2)の3 『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)II
      章の「金権力発電所の周辺 伊方」からの引用。

  伊方原発反対運動の原則とは、

   1.いかなる政党にも属さない。
   2.いかなる支援も敵視しない。
   3.各自共闘の自主性を尊重する。
   4.経費は自前とする。
    
 の四項目です。大衆運動の理念が簡潔にしてよく表現されていると思われます。
  伊方原発(愛媛県)は、川内(せんだい)原発(鹿児島県)とともに、高知県外に立地されていますが、
 もしどちらかが福島第一原発同様のシビア・アクシンデントを起こせば、わたしたち高知県民もその余波
 を確実に被ります。したがって、けっして他人事(ひとごと)ではないのです。

                                  
 (共通教育)福島原発事故を考える   2018年度1学期(金曜日・第2時限目) 担当:武藤整司


 第8回講義 原発と倫理       (6月8日)レジュメ(4)

 (3) 原発の管理上の倫理問題

 (3)の1 以下に、石橋克彦「原発震災 破滅を避けるために」(『科学』、1997年、10月号、所収)の
      主要な論旨を掲げます。

 1.通産省(1995年当時)〔現 経産省〕は、原発は建設から運転まで十分な地震対策が施されているとし
  て、以下の七つの項目を挙げております。

  (1)活断層の上には作らない。
  (2)岩盤上に直接建設。
  (3)最大の地震を考慮した設計。
  (4)大型コンピュータを用いた解析評価。
  (5)自動停止機能。
  (6)大型振動台による実証。
  (7)津波に対する対策。

 2.しかしながら、本当に耐震安全性は万全なのだろうか。
 3.実は、想定地震に関する致命的誤りがある。たとえば、顕著な活断層があれば、その地下に拡がる面
  で将来も大地震がおこる可能性があることは確かである。
 4.しかし、詳細を省くが、地下に大地震発生源があっても活断層はできない。つまり、活断層がなくと
  も直下の大地震が起こり得る。
 5.1943年の鳥取地震(M7.2、死者1,083人)、1948年の福井地震(M7.1、死者3,769人)などは、いず
  れも地表地震断層を伴う海岸近くの直下地震だが、活断層が認識できないところで発生している。
 6.むしろ、有史以来の大地震が知られていないところこそ注意すべきである。
 7.以上のことから、日本海側の原発はどこでも、直下でM7級の大地震が起こっても不思議ではない。
  たとえば、13基の原子炉が犇(ひしめ)く若狭湾地域は、前記の福井地震と北丹後地震(1927年、M7.3、
  死者2,925人)の震源域の間にあるが、似たような直下地震の発生を警戒した方がよい。
 8.地震の想定が間違っていれば、大型コンピュータや大型振動台を駆使しても意味がない。
 9.また、発生が懸念されるM8級の東海巨大地震の想定断層面の真上、静岡県御前崎のやや西に、中部
  電力浜岡原子力発電所がある。約四半世紀前に東海地震をまったく予想せずに着工された1、2号機を
  含めて、4基のBWR原子炉の電気出力は合計約360万kWである(中部電力の発電設備全体の約13%)。
 10.ここに、M8級の東海地震が起こった場合、M7.5級の直下地震が複数連発するような現象になるかも
  しれない。たとえば、前回の1854年の安政東海地震(M8.4)では、M7-7.5の最大余震が天竜川河口付
  近で起こったが、そのようなものが本震と同時か直後に浜岡直下で発生する可能性もある。前述のよう
  に、活断層の有無は問題ではないのである。
 11.原発にとって大地震が恐ろしいのは、強烈な地震動による個別的な損傷もさることながら、平常時の
  事故と違って、無数の故障の可能性のいくつかが同時多発することであろう。
 
 → (1)「正常な安全感覚」を失っている原子力関係者(政府、東京電力、原子力安全・保安院の人々、
  など)。(2)事態を看過した無関心な国民。(3)社会の木鐸(ぼくたく)であるべきマスコミの理念
  放棄。


 第8回講義 原発と倫理       (6月8日)レジュメ(5)

  参考文献:『原発報道』、本間龍 著、亜紀書房、2012年。

p.26 ・しかし、東電の大量の広告出稿の真の目的は、立地県の県民や関東の人たちに原発の安全性、重要
    性をアピールすることではなく、その広告を掲載するメディアに、原発についてマイナスイメージ
    を与える報道をさせないことにあったのです。
p.28 ・そして恒常的に巨額の広告費を支払うことによって、メディア各社が反原発の番組や記事を取り上
    げることを躊躇(ちゅうちょ)するような「空気」を作り上げていきました。

  (3)の2 ネットで原発従事者(放射線従事者)の記事を発見したので、少し長いのですが、全文を
       転載したいと思います。著者は平井憲夫さんで、そのプロフィールから紹介しましょう。な
       お、一部改変しました(「日日是労働スペシャルXIII」より)。

  〔要点〕

 ○ 私は原発反対運動家ではありません
 ○ 「安全」は机上の話
 ○ 素人が造る原発
 ○ 名ばかりの検査・検査官
 ○ いいかげんな原発の耐震設計
 ○ 定期点検工事も素人が
 ○ 放射能垂れ流しの海(とくに、トリチウムが問題)
 ○ 内部被爆が一番怖い(全身化換算のトリック……ICRPの詐術)
 ○ 普通の職場環境とは全く違う
 ○ 「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
 ○ だれが助けるのか
 ○ びっくりした美浜原発細管破断事故!
 ○ もんじゅの大事故
 ○ 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
 ○ 日本には途中でやめる勇気がない
 ○ 廃炉も解体も出来ない原発
 ○ 「閉鎖」して、監視・管理
 ○ どうしようもない放射性廃棄物
 ○ 住民の被曝と恐ろしい差別
 ○ 私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
 ○ 原発がある限り、安心できない

  → 上の記事の恐ろしさは、どんなホラー映画も敵わないほどの恐ろしさではないでしょうか。とくに、
   小生も、原発を廃炉にすれば何とかなるというレヴェルの話ではないことを知り、ゾーっとしました。
   当時の政権は、このような原発の実態を知りながら、大飯原発の再稼働に踏み切ったのでしょうか。
   また、原発を推進している人は、このような実態をどのくらい心得ているのでしょうか。また、素人
   が原発を造り、素人が原発を管理し、素人が原発の検査をしているという件(平井さんの言葉だけで
   は確証がありませんが……)も、背筋をゾーっとさせます。平井さんは、草葉の陰から、福島第一原
   発の事故をどういう気持で眺めているのでしょうか。また、次世代を担う若者は、この記事を読んで
   どう思うのでしょうか。

                                                  
(共通教育)福島原発事故を考える   2018年度1学期(金曜日・第2時限目) 担当:武藤整司


 第9回講義 原発と倫理       (6月15日)レジュメ(6)

 (4) 原発事故後の倫理問題

 (4)の1 『高知民報』(2012年1月15日付)「アンテナ」より、引用します。ほぼ原文通りです。余計
      なコメントはつけませんので、ご了解ください。

 ○ この副読本(「知っておきたい放射線のこと」)は現実から目を背け、一般的な放射線の知識でお茶を
  濁して、結局のところ「被曝は怖くない、事故は大したことではない」というメッセージを発するもの
  になっている。
 ○ 「もんじゅ」と核燃料サイクルを推進している部署が作った副読本を、なぜ全国すべての児童生徒に配
  らなければならないのか納得がいかない。

 (4)の2 言葉の問題

 ○「危険」→「安全」、「事故」→「事象」、「爆発」→「爆発的事象」、「不安」→「安心」、
  「老朽化」→「高経年化」といった言い換え言葉。
 ○ 事実を隠蔽して他者を騙すのみならず、自分自身をも誤魔化している。
  参考文献:『幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて』、安冨歩 著、明石書店、2012年。
 ○ 「正常性バイアス」と「放射脳」。

 (5) 原発を含む文明の倫理問題

 (5)の1 「イゾン(依存)化傾向」について

 たとえば、野球場を例に挙げてみましょう。手始めに、イゾン化傾向の大きい順に列を作ってみましょう。

  ドーム球場(開閉式)>ドーム球場(密閉式)>照明設備のある球場>照明設備のない球場>
  草野球の球場>ただの原っぱ

 「ただの原っぱ」は、一番「イゾン化傾向」の小さい場所でしょう。何の設備もない代わりに、何の「依
存性」もありません。野球をやりたい人が勝手に集まって来て、適当に線を引いて野球を始めればよいので
す。終われば、原状回復も簡単です。それに対して、ドーム球場は「イゾン化傾向」が大きい場所です。建
築費も莫大であると同時に、維持費もバカになりません。現代人は、全天候型照明つき・空調つきの、便利
で楽しく心地よい空間(利便性と快適性)を求めますが、イゾン化傾向のことを勘定に入れると、環境負荷
は半端ではないと思われます。
 たぶん、ドーム球場に足を運ぶ人は、このような「イゾン化傾向」に思いを寄せてこころを痛める人は少
ないと思います。たった今楽しくて快適ならば、それが原因で地球が滅んでも痛痒を感じないからです。も
ちろん、本当に滅びそうだということが分かったら、野球どころではないでしょうけれど。非常に短絡的な
考えですが、小生は、以前から、「このイゾン化傾向が高いほど悪の度合も高い」という法則を信じていま
す。言い換えれば、何かに依存することが少なければ少ないほど、それだけ一層「自立」の度合が高まり、
それだけ一層「悪」の要素は少ないというわけです。現代人は、ドーム球場を「悪の殿堂」とは思わないで
しょう。きっと、文明が産んだ建築美の極致だと思うでしょう。この点が、決定的に小生の感じ方と違うと
ころです。


 第9回講義 原発と倫理       (6月15日)レジュメ(7)

  (5)の2 「デュアルユース(dual-use)」と「トランス・サイエンス(Trans-Science)」について

 必要があって、日本学術振興会の「科学の健全な発展のために」編集委員会が著した『科学の健全な発展
のために ─ 誠実な科学者の心得 ─』という、120頁ほどの小冊子を読みました。よくまとめられた冊子で
大いに参考になったのですが、中でも次にあげる二つの概念には、注目すべき点があると思いました。それ
を簡単に紹介しておきましょう。
 一つ目は、「デュアルユース(dual-use)」という概念です。同冊子から主要な箇所を引用してみましょう。
ほぼ原文通りですが、句読点などを少し変更しました。内容は変わっていません。

  科学技術の「デュアルユース」はもともと、ある技術が民生用にも軍事用にも使えるという意味で
 使われてきました。ダイナマイトは土木工事などに不可欠ですが、同時に強力な兵器にも使われます。
 原子力技術は、平和的に利用された場合は発電や放射線治療などに使われますが、原子爆弾・水素爆
 弾などの大量破壊兵器を生みます。インターネットやGPSなどは、軍事技術が民生技術に転用され
 た好例です。

 さらに説明が進みますが、それは割愛します。「デュアルユース」の意味内容は一目瞭然、誰にでもすぐ
に了解できることでしょう。
 次に注目すべき概念は、「トランス・サイエンス(Trans-Science)」という概念です。これについても、
上と同様に主要な個所を引用してみましょう。若干の語句を変更しました。内容に変わりはありません。

  科学技術の輝かしい進展に伴い、社会には向き合うべきさまざまなリスクが生れてきました。原子
 力発電、遺伝子組換え作物、再生医療など、人類が手にした科学技術はいずれも光と影を有していま
 す。例えば、原子力発電所に関する「受容可能なリスク」のような問題を物理学者アルヴァン・ワイ
 ンバーグ(Alvin M.Weinberg)は「Trans-Science(トランス・サイエンス)」の領域に属する問題
 と呼びました。これは、科学的な合理性をもって説明可能な知識生産の領域に価値や権力に基づいて
 意思決定が行われる政治的な領域とが重なり合った領域であり、「科学によって問うことはできるが、
 科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定義されています。科学的に計算される
 原子力発電所の事故発生の確率が低いとしても、人々がその発電所を受け入れるかどうかは、社会、
 経済、暮らし、さらには歴史や文化などのさまざまな観点からの判断を要し、科学だけでは答えの出
 せない問題です。
  さらに、今後は、国や世界の合意形成において、科学が果すべき役割はますます大きくなっていく
 でしょう。科学技術の進展とグローバル化に伴い、政策課題は複雑化し、高度の専門性を必要とする
 ようになりました。地球温暖化問題に関して政策を立案しようとすると、気象、生態系、エネルギー
 利用、温室効果ガスなどに関する理工学、社会制度や国際協力などに関する社会科学など、領域を超
 えた広い科学の動員が求められます。このようなトランス・サイエンスの問題に、科学者はどのよう
 に関わるべきでしょうか。これからの科学者は、第一に、自らの視野を広く社会の事象に拡げ、自ら
 の研究活動の社会的意義を考え続けることから始める必要があります。さらに、科学の限界を踏まえ
 た上で、市民とのコミュニケーションに積極的に参加する必要があります。社会が直面する問題群の
 解決に向けて情報を提供し、社会との誠実な対話を図ることが、社会の中の科学者としての役割であ
 ることを自覚せねばなりません。加えて、科学者を雇用するすべての組織は、そのような活動を行う
 科学者を積極的に支援すべきなのです。


 第9回講義 原発と倫理       (6月15日)レジュメ(8)

 まことにもっともな話で、ここに書かれていることが粛々(しゅくしゅく)と遂行されていれば、福島第一
原発の事故もあるいは回避されたかもしれませんし、その後の対応の拙劣さも少しは緩和されたかもしれま
せん。しかし、問題は別のところにも潜んでいるような気がします。タテマエとホンネの問題です。科学の
発展が「諸刃の刃」であることは、こころある人ならば誰でも心得ていることでしょう。しかし、それはタ
テマエにすぎません。利点が少しでも認められれば、多少のリスクには目を瞑(つぶ)るのが人間の性です。
リスクを怖がっていては、何も進展しないからです。これが、ホンネでしょう。やがて、利点にばかり目が
いき、リスクに鈍感になって、取り返しのつかないことが想定できなくなります。経済的観点が優先されて、
人命や環境は蔑(ないがし)ろにされていきます。
 ここで、もう一度科学の使命を考えてみましょう。科学の技術への拙速な応用や、研究競争に勝利するこ
とは、果たして科学の使命でしょうか。たぶん、誰も「そうだ」とは答えないでしょう。マキャベリアンが、
「自分はマキャベリアンだ」と言わないのと同じことです。そこで登場するのがタテマエです。タテマエを
整えるのは簡単です。むしろ人間のホンネの部分の歪みをいかにして是正するのか。これが隠れた問題だと
思います。上の二つの概念が、概念のまま唱えられても、何も変わらないでしょう。いくらでも抜け道があ
るからです。何が一番大切なことなのか。科学者のみならず、地球上で生息している人間すべての問いにな
ることが求められています。あなた任せにしないで、自分で事柄をみつめてみることが必要なのです。

  (5)の3 荷担構造の葛藤

 また、環境問題の難しさは、自分独りではどうにもならないという点にあります。つまり、誰もが環境汚
染に荷担しないでは生きていけないからです。これも絶望を招く大きな要因です。しかし、言わないでいる
のも罪(未必の故意)だと思いますので、こうしてしゃべっているというわけです。人間は一人では生きら
れない、このことが徒になっているのです。公害(「水俣災害」などの日本の四大公害を思い出してみまし
ょう)が人的被害をもたらせば、人々に環境汚染の恐ろしさが少しは伝わるでしょう。しかしながら、それ
も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の譬え通り、人々は自分が危うくなるまで何の対策も立てないのです。こ
れを「間接性の免罪」と呼んでみましょう。つまり、自分が直接関わる問題には神経質に目くじらを立てる
くせに、自分と直接的な関係をもたない対象には冷淡なままで平気なのです。たとえば、微量とは言え、砒
素やカドミウムを使っている携帯電話など、地球環境を守るためにはない方がいいのですが、今更なくすこ
とはできないでしょう。わたし自身を顧みても、喫煙の習慣を断ち切れないので、自己(じこ)撞着(どうちゃ
く)に陥っていることは自明なのですが……。そして、そのような荷担構造はいつまでもつづき、やがてカタ
ストロフィを迎えます。人類もやがて亡びざるを得ないのです。しかし、あまり心配する必要はないのかも
しれません。それが、人間の正体なのですから。


 第9回講義 原発と倫理       (6月15日)レジュメ(9)

  (5)の4 閾値(いきち)は直ぐそこに

 皆さんのような若い人は40年前の日本を知りませんから、いかに日本の自然が失われたかを知る由もない
でしょう。わたしのようなロートルは、その変化が激烈だったことをありありと思い浮かべることができま
す。はっきり言って、わたしは、「環境問題」に関しては絶望しています。なぜなら、閾値を超えてからで
は遅すぎるからです。しかも、その徴候はすでにいろいろなところに現れているのにも拘わらず、人間は気
付かない振りをしています。現在の便利さを手放したくないからです。カタストロフィは直ぐそこにやって
きているかもしれません。わたし一人の人生だったら、「残りの人生はおまけ」と感じていますので、それ
はそれで「よし」なのですが、皆さんはそうはいかないでしょう。自分なりにじっくりと考えてください。

  (5)の5 「ニヒリストの選択」と巻き添えを食う地球の住人

 これまでは人間同士の倫理について考察してきましたが、最後に、人間と人間以外の生物、とくに動物
との関係に焦点を合わせて、倫理問題を考えていきましょう。
 ところで、ピーター・シンガーは、わたしたちにとってたいへん刺激的な論文「動物の解放(Animal
Liberation)」を書いた人です。そのあらましを述べることから始めましょう。
 今日では、「人種差別」や「女性差別」は、少なくともタテマエ上、許されない「悪」とみなされていま
す。しかしながら、そのような差別をなくそうとする解放運動は、せいぜい人間同士の問題に留まり、その
範囲を人間以外の動物にまで拡張することはほとんどありません。したがって、「動物の権利(the right
of animals)」という言葉は、とかく滑稽な概念として受け取られがちです。しかし、とシンガーは言いま
す。「動物実験や工場畜産の実態を目の当たりにすれば、『種差別(speciesism)』の野蛮さは何ぴとにも
否定できないところである。したがって、われわれは、即刻暮らし方の変革を実行し、菜食主義者に転向す
べきなのだ」、と。
 リチャード・ノイハウスは、シンガーのように動物の権利を求める人を「瑣末な問題に熱中する者(zea-
lots of the peripheral)」と揶揄(やゆ)しています。しかし、本当にそれは瑣末な問題のでしょうか。
わたしたちが人間に生まれたのはたまたまです。たとえ、力量において他の生物を圧倒しているとしても、
それを理由にして他の生物のテリトリーを侵してよいということにはならないはずです。その辺りの事情を、
シンガーは次のように表現します。「より高い知性をもつからといって、その人に他の人間を搾取する権利
があると言えないなら、人間に人間以外のものを搾取する権利があるなどとどうして言えようか(If possess-
ing greater intelligence does not entitle one human to exploit another, why should it entitle
humans o exploit non humans?」、と。
 たしかに、動物と人間を同じように扱うことは不可能でしょう。しかし、シンガーの語ることにまるで説
得力がないとも思えません。わたしたちは、身内と他人という枠組を巧みに使い分けて、他人から自分たち
にとって必要だと思われるもの(往々にして、なくても済ませられるもの)を搾取しようとします。身内に
対してはできないことを、他人に対しては平気でできるのです。たとえば、スペイン人がインディアスを破
壊した際の惨状について書かれた本を繙いた人は、当時のスペイン人の蛮行(金銀を奪うために広範囲にわ
たって殺戮を行った)を非難するでしょうが、現在わたしたちが動物に対して行っていることも似たり寄っ
たりであることを自覚しなければなりません。もし、動物たちがわたしたちの野蛮を咎めるとすれば、わた
したちにはどんな弁解ができるのでしょうか。


 第9回講義 原発と倫理       (6月15日)レジュメ(10)

 もちろん、今すぐにわたしたちが、動物実験を中止したり、菜食主義を選択したりすることには無理があ
ります。しかし、少なくとも、スポーツとしてのハンティングをやめることは可能でしょう(日本でも、
「矢鴨」が非難の対象になったことは、記憶に新しいところです)。もし、動物の苦痛について何も感じず、
まして、動物は人間のために存在していると考えつづけるならば、わたしたちの「傲慢」は癒しがたい難病
のままに留まるでしょう。もちろん、「捨身飼虎」(飢えた虎にわが身を捧げること)のような行為はほぼ
不可能ですが、動物にも人間と同じように苦痛を回避し、天寿を全うする権利がある、と考えることはそれ
ほど難しいことではありません。
 この「動物の解放」という問題提起は、まだ始まったばかりです。ともあれ、この概念は、わたしたち人
類と他の生物との関係を考える上で、けっして無意味なものではないでしょう。
 さらに、最近では、「人間のための自然保護」ではなく、「自然自身のための自然保護」という、「脱・
人間中心主義(deanthropocentrism)」の思想も生まれました。わたしたちが「わが身かわいさ」から脱す
ることははなはだ困難ですが、「地球は誰のものか」について深く省察すれば、けっして不可能なことでは
ないでしょう。

                                                  
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