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花摘みの頁<02>
 今日(2017.9.4)から、「花摘みの頁<02>」をリリースします。「花摘みの頁<01>」の続篇に当り
ます。「火曜日の詩歌」や「花摘みの頁<01>」同様、小生の気に留めた詩歌をここに掲げようと思います。
もっとも、前々企画のように、毎週火曜日に掲げるのではなく、まったくの不定期掲載を予定しています。
ときには、旧ブログからの転載をすることもあります。また、出所を明らかにできない場合もあります。
その点をご了承ください。小生が詩歌への関心を高めるとき、きまってこころは病んでいます。いわば、
癒しの頁、慰めの場、現実逃避の手段です。なお、題名の「花摘み」は、《anthology》の原義(ギリシア
語:anthologia)から採りました。

                                                 
 2018年5月21日(月)

  紙漉きのうた      西岡寿美子

 いつからぢゃいうて
 そりゃ うまれ落ちた時からのうし
 親父(おやぢ)も 祖父(ぢい)も ひ祖父(ぢい)も ひひ祖父(ぢい)も
 あしの血の源(もと)の源まで紙漉きぢゃ
 ごくどう者(もん)の血ぢゃ
 なぜというて鎌鍬使うての百姓しごとはええせん
 いやぢゃじきにのうし
 ほんでもう 紙のことなら
 漉いて 漉いて 漉ききったもんですらあ

 紙ぢゃいうもんは買い手あってのことですけに
 なんぼわががええ よう漉いたと思うたちち
 頼うだ人の気にいらにゃそれまでぢゃ
 こうした冬の朝疾(は)ように
 漉いた紙を車に積んで手引きで引いて売りに往(い)たもんで
  すらあ

 いんげ 高知ぢゃない 伊野ですらあ
 一里半も二里もそうして引いて往て
 大けな白塗塀の店の土間の
 コンクリの外に車を引きつけましての
 見せてみい いうもんぢゃけ
 ひとしめ取り出いて番頭に渡すんぢゃ

 こちらあの身は
 コンクリ打ちの土間へも上がらしてはくれませんきに
 さぶいさぶい朝 大戸のしきいの外に立てっての

 すると番頭はそれを前だれでちょっと抱えてみて
 すんぐ横手へ放り投げるんぢゃ
 ぼぼけた紙のけばをむさいもののようにパッ パッとは
  たいて
 おいて行けとも持って帰(い)ねともいわん

 なんぼ心にええ紙漉いてきたと思い切っちょっても
 じっと立って持ちよると
 怯(お)くれるんぢゃの 心がひるむんぢゃわ
 これ売って米買わんならん 銭にせんならん
 女房子が待ちよりますけんの
 ー弱いわのう
  オホホ 七人も子を養うて嬶(かか)に叱(づ)かれまいことか

 大事に大事に漉き上げて奥の間へ積み増してのう
 家では一枚も粗末(ざっぱ)にはええ使わん紙ぢゃ
 それを それを
 それを あないに放り捨てて
 こっちゃの足許を見て
 いるともいらんとも ものがええとも悪(あ)しいともいわん
 白腰巻の厚塀の 肥えふとったあの衆(し)に
 なんで物乞人遍路(ほいとうへんどう)のように頭下げんならんのぢゃ
 もう止めょう 紙は捨ちょう
 屈辱(はじ)がましい銭ょ握って戻るみちみち
 何べん思うたか知れん
 何十ぺん思うたか知れん

 楮草を地にぶち付けてヤケ酒呑うでみても
 一日二日(ひいといふつか)そこなあたりほついてみても
 やっぱりあしは生得の紙漉きぢゃ
 ほかのことはええせんし しとうもありませんのぢゃ
 又(まあたあ)荷車引いて行くんですらあ

 ーそうですよ
 七十年
 あしらあにええ世は
 ありませざったのうし
 
   (吾川郡伊野町鹿敷、浜田老の話から)

                 『おけさ恋うた』(西尾寿美子 著、二人発行所、1980年)より

 昨日、「高知詩の会・初夏の催し」(於 高知会館)に参加した。第一部は「西岡寿美子の詩を数人で朗読」
するという企画であった。合計8名の方々が彼女の詩を朗読した。当人も顔を見せており、卒寿を迎えた人と
は思えない元気なご様子であった。現在、詩や詩人の世界も「少子高齢化」(詩を書く人が減り、既成の詩人
は高齢化している)が著しいが、齢90歳を超えてなお旺盛な創作活動を続ける人もいるのだから、あまり心配
する必要などないのかもしれない。
 さて、当該作品であるが、宮本常一の「土佐源氏」を髣髴とさせる。あるいは、会に参加した人が指摘して
いたが、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を連想させるかもしれない。以下、賢治の童話の肝の部分を引用して
みよう(青空文庫より)。

 (前略)

 ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆を売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。
 町の中ほどに大きな荒物屋があって笊だの砂糖だの砥石だの金天狗やカメレオン印の煙草だのそれから硝
子の蠅とりまでならべていたのだ。小十郎が山のように毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと店では
又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金の火鉢を出して主人がどっかり
座っていた。
 「旦那さん、先ころはどうもありがどうごあんした」
 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮ねいに敷板に手をついて言うのだった。
 「はあ、どうも、今日は何のご用です」
 「熊の皮また少し持って来たます」
 「熊の皮か。この前のもまだあのまましまってあるし今日ぁまんついいます」
 「旦那さん、そう言わなぃでどうか買って呉んなさぃ。安くてもいいます」
 「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、あ
の豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこ
では山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが米などは少しもできず味
噌もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要った
のだ。
 里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわずか藤つるで編む入れ物の外に布にするよ
うなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるでしわがれたような声で言ったも
んだ。
 「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉なぃ」小十郎はそう言いながら改めておじ
ぎさえしたもんだ。
 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくして言ったもんだ。
 「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ」
 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかに
かしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくなる。

 (後略)

 たしかに、浜田老の話と小十郎の話には通底するものがある。鎌鍬を使っての百姓仕事ができないので、
仕方なしに別の生業で糊口を凌いでいる者の何とも言えぬ「惨めさ」。紙漉きにも熊獲りにも、人間の哀愁  
が否が応でも漂っているのである。作者の西岡寿美子は、小生の父親よりも1年だけ遅く生まれた(昭和三
年生まれ)人であるが、土佐の方言を用いながら、人類のこころに普遍的に付き纏う思いを、見事に掬い上
げているのである。

  * 西岡寿美子さんは、1931年に誕生、2018年8月27日に亡くなりました。享年87歳です。合掌。

                                                  
 2018年2月27日(火)

  三行詩篇 「風の姿」       諸井朗

  四.目の供養

 ぱせり
 とまと
 とかげ

 竹のといに
 山水は走り
 逃げる素麺はや

 時が止まる
 夏の真昼
 川に沈むモモ

 沖から雲が
 頭の上に
 ビー玉降り

 どろめの眼
 百に二百で
 俺を見ている

 八月にモズが鳴く
 水鳥が渡り来る
 なにかが見えない

 山道をあえぎ行く
 木に草に石に空に
 名が失せ眼が歩く

 ブラインドのへら板を回す
 こちから見えぬのか
 あちから見えぬのか

 拓三くんが長男
 二人どこかで
 なくしたのか

 ようかんと茶
 ねがねと胃薬
 卓に置き去る

 闇を落ちる
 どしんと
 目がさめる

 漬かるかどうか
 胡瓜の身のなかの
 すきとおる種まで

 川で桃を
 街でモモを
 さるまっこう

 空が山際まで青い
 空の下に森がある
 北山 みなみ黒潮

 立ち昇る煙の下に産廃
 ともだち特区にそんたく
 うつくしい私物にっぽん

 本日ご葬儀
 故 田亀 源五郎 様
 故 目高 多那子 様

 目の中で
 糸くずが泳ぐ
 ほたるが飛ぶ

 星くずはぜ
 鬼火ただよう
 めのなかを

                    『詩集 わかれあう』(諸井朗 著、南の風社、2018年)より

 思いがけない人が詩を書いていて、こうして詩集に編み上げられた。実作者から手渡された直後に、一気
に読んだ。最も惹かれたことばは、「ねのもとに」と題された一篇の中の一節である。

  君は自分の中に居場所があるのか
  君の中はひとのものでいっぱいだ

 現代を批判することは詩人の務めの一つだが、この二行の中に、現代の病根が潜んでいる。やがて潜伏期  
間を経て、発症という運びになる手筈だが、その日がいつになるかは分からない。その日が来る前に、上記
の詩の次に挙げる一節が先ずは突きつけられた。

  本日ご葬儀
  故 田亀 源五郎 様
  故 目高 多那子 様

 タガメ、ゲンゴロウ、メダカ、タナゴ……シラスウナギも危ないという。閾値は突然やって来る。これだ
け証拠を挙げられても、誰も騒がない。そのくせ、お仕着せの映像や音響は幅を利かせ、誰もがさも重大事
のように騒ぐ。誰かの浮気報道など、タガメの絶滅のニュースと比べれば、一億倍くらい影が薄いはずなの
に。諸井朗は静かに告発する。この絶望的な世界の進行を!

                                                  
 2017年9月4日(月)

  茫茫               猪野睦

 押しかけては
 ようトリを喰ったと
 通夜帰りの道で一人が笑った
 まだ密殺牛が闇値で
 まわったりしていた頃だが
 おれは闇酒一升仕入れては
 わるをさそった
 気のいい没落貴族の息子は
 庭先の放し飼いトリつかまえては
 器用にさばいた
 日の高いうちから酒盛り
 おれたちは夜明けを告げるトリなどと
 つぶした固いトリつつきながら
 情勢がどうのアラゴンがどうのと
 無頼となって
 やがて箸拳 ざれ唄と
 追加酒でつぶれていった
 どうやって暗闇の田んぼ道を
 帰っていったか
 片足他人の靴はいたまま
 男たち通夜帰りの喫茶で
 ほろよいのビールなど前にし
 あれは気のいい男だったと
 これも供養であるかと
 あれの艶話などふくらませてみるが
 じんわりすぎた半世紀茫茫

                     『猪野睦 詩抄』(高知詩の会 '17年9月3日)より

 
 2017年9月3日(日)、高知会館で「高知詩の会」(秋の大会)が催された。その会場で配布された「詩抄」
の中の一篇である。昭和6年(1931年)生まれの猪野睦の、戦後のスケッチといった趣の詩篇であるが、ノモ
ンハン事件や七三一部隊を詩作のモチーフにする詩人のことだから、ごくくだけた作品と言ってよいだろう。
しかしながら、戦後の一風景を的確に切り取っており、小生のような戦無派からすれば、戦争体験のある人
の貴重な思い出として立ち現われてくる。この時代を生きたわけではないので、もちろん共感することはで
きないが、どこか父母(それぞれ、昭和2年、昭和7年生れ)の世代の、何やら懐かしい風景が目に浮かんで
くる。それはもちろん幻視であるが、「茫茫」といった題名から、小生自身の人生とも重なり合い、人の世
の儚さを思わずにはいられないのである。昭和6年生れというと、かつて愛読した三浦哲郎と同い年であり、
戦争には間に合わなかった世代でもある。だからこそ生き残って、かつての日本を描き続けてほしい。休憩
時間に彼との間に束の間の対話をもったが、なお矍鑠とした猪野睦に、われわれの世代にはない気骨を感じ
たものである。なお、彼は、2016年度「高知県文化賞」を受賞している。

  * 猪野睦さんは、1931年に誕生、2018年08月03日に亡くなりました。享年87歳です。合掌。

                                                 

                                                 
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