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 月が替わりましたので、「日日是労働スペシャル」の続篇をお届けします。「日日是労働スペシャル
LXI (東日本大震災をめぐって)」が正式名称ですが、通称を用いることにしましたので、「驢鳴犬吠
1607」となります。そういうわけで通称を用いますが、内容に変わりはありません。主として、今
回の大災害(原発の過酷事故を含む)に関係する記事を掲げますが、特定の個人や団体を誹謗中傷する
目的は一切ありません。どうぞ、ご理解ください。人によっては、多少ともショッキングな記事がある
かもしれませんので、その点もご了承ください。なお、読み進めるほど記事が古くなります。日誌風に
記述しますが、後日訂正を載せるかもしれません。あらかじめ、ご了解をいただきたいと存じます。
 また、ご質問、ご意見等のおありの方は、muto@kochi-u.ac.jp 宛にメールをいただければ幸甚です。

                                              
 2016年7月31日(日)

 午後から大学に来ているのですが、仕事は捗っていません。膨大な時間を取られるプレ答案の吟味と、今
日中にしておきたい仕事とを天秤にかけています。どちらも終わらせたいのですが、さてどうなりますか。

                                                  
 2016年7月30日(土)

 今、夜中の12時半です。金曜日から営々と仕事をしているのですが、まだ終わりません。さすがに疲れた
ので、もう1本学生のリポートを読んでから帰路につくつもりです。まだまだやらなければならないことが
あるのですが、もう気力、体力ともに売り切れです。今日は休日ですが、自宅で少し休養を取ってから、ま
た大学に来なければならない感じです。この試練を乗り切れば、☆夏休み☆……これで乗り切りましょう! 
自分にファイトです!

                                                 
 2016年7月28日(木)

 本日は、再び、『倫理としてのナショナリズム グローバリズムの虚無を超えて』(佐伯啓思 著、中公文
庫、2015年)の抜書に着手します。具体的には、「第四章 倫理としてのナショナリズム」の「3 グロー
バリズムがもたらす社会の亀裂」および「4 シビック・ナショナリズムという自覚」に言及する予定です。
例によって、各種の引用はほぼ原文通りですが、一部改変しております。この点で、執筆者に感謝するとと
もに、ご寛恕を乞います。


 ******************************************

 第四章 倫理としてのナショナリズム

  3 グローバリズムがもたらす社会の亀裂

p.278-279 ・グローバリズムのもとでの価値規範の崩壊、新たな社会の亀裂の問題を扱う。

p.279 ・引用:「グローバル・エコノミーの進展は、一般的に言えば社会の価値規範の意識を希薄化せざ
        るをえない。つまり、グローバリズムが切り開く無国籍的な経済活動はまた無倫理的
        (「無倫理的」に傍点あり)でもある。なぜなら、倫理や価値規範は、常に特定の社会の
        文脈に依存して形成され、維持されるものだからだ。
         ⇒ amoralな状況
   ・引用:「ここで、倫理や規範と呼んでいるものは、ある社会の人々がおおよそ受け入れて生活習慣
        の中に様式化し、また彼らの発想や思考様式を組み立てている価値やルールの体系であり、
        とりわけ、法のような形では明文化されない。集団のインプリシットな倫理観、価値意識
        のことである。とりあえず、ここではそれを、ウェーバーの言い方を借りて「社会的エー
        トス」と呼んでおこう」。
         ⇒ グローバリズムは、これを無視する。
   ・グローバリズムの競争倫理とは、「フェアプレイの精神」と「公正なゲームのもとでの敗者の潔い
    退場」のことである。

p.278 ・要するに、精神の基本を損得勘定に置いてかまわないのである。
   ・引用:「端的に言えば、市場は、利潤機会に敏感であり、価格にすばやく感応し、情報と快楽に即
        時的に反応する人々の群れは生み出すだろうが、決して倫理的な人間など必要とはしない、
        ということだ。この場合、人々を律するエートスが限りなく希薄化された社会は人間の多
        様性を実現するように思われるが、決してそうではない。多様性の実現どころか、あらゆ
        る人々が市場という共通の舞台へと半ば強制移送される。ここでは、マネーゲームが、コ
        スト競争が、利潤機会の発見が、人々を駆り立て、人々の欲望に火をつける」。
         ⇒ 「経済人(Homo economicus)」への接近

p.279 ・引用:「実際には、市場は真の意味での選択の多様性など提供しない」。
         ⇒ コンビニの商品の貧弱さを見よ!

p.280 ・引用:「あらゆるものが市場化されてゆけば、市場で提供されにくいもの、市場で商品価値をも
        たないものは、この世界から排除されてゆく。それらは選択肢から排除されてしまう」。
   ・引用:「しかし、ここにある問題の本質は、ただ「モノの選択」という点にあるのではない。そう
        ではなく、問題は、この種の「自由な選択」を限りなくつなげてゆくことによって、誰も
        気づかないうちに、市場はわれわれをある方向に、有無を言わせず運び去ってしまうので
        はないかという点にある」。
         ⇒ 悪しき「運河化(canalization)」

p.281 ・引用:「市場は、いわば自己生成的(self-genetic)に自己展開し、もしかしたら、誰もが本当
        には望んでもいない、本当は誰もが選択しようとはしていない社会へとわれわれを連れて
        ゆくかもしれないのである。それが「選択の自由」の帰結なのである」。
         ⇒ 市場の奴隷、経済の婢女へ

p.282-283 ・引用:「私の関心に引き戻して言えば、経済的グローバリズムのもたらす没倫理的、脱規範
          的意識と、民族的・宗教的ファンダメンタリズムのもつ排他的で閉鎖的な超規範意識
          のどちらもが、今、国民国家に対する脅威となっている。だがそうだとすれば、むし
          ろ国家こそが、この両者の間にあって、むしろ歴史的健全性、つまりある種のコモン・
          センスにその土壌をもつような規範意識を可能とする存在と言うべきではないだろう
          か」。

p.283 ・引用:「ここで言うナショナリズムとは、アンソニー・スミスなども強調するように、民族的感
        情をベースに形成されたにもかかわらず、民族的共同体意識、民族、人種的同胞意識とは
        一線を画したもので、それこそが近代の人為的な構成物である。それは民族的同質性の意
        識を背後におきながらも、それに縛られない近代的な国民的アイデンティティをもった集
        団意識である。端的に言えば、ある国に属しているという事実の自覚的な意識化である」。
         ⇒ 著者の言うナショナリズム

p.284-285 ・個々人の内に存在する国家。ナショナリズムなどを唱えれば、反感の対象、時代遅れの遺物
      と看做されかねないが、しかし、そのナショナリズムを本当に失えば、国民すべてが、無倫理
      的、没規範的とならざるをえない。
         ⇒ ある意味でのアナーキズム

p.286 ・「責任ある個人」がグローバリズムの支柱であるが、その個人主義そのものは、ある特定の社会
     的伝統(キリスト教や古代市民の伝統を有する西欧社会)の産物である。

p.289 ・引用:「彼ら(グローバリズムの申し子であるエリート層)は、まさに国際的であることによっ
        て、国家や地域といった特定の文脈への忠誠心をもはや失っている。国家や地域共同体な
        どといった観念は、彼らには意味をなさない。およそ忠誠心などという感情は単なるアナ
        クロニズムに響くだけだろう」。

p.290 ・引用:「統治者には、多かれ少なかれ、被治者からの尊敬と称賛という要素がなければならない」。
   ・引用:「少なくともかつては、社会に対して、もっとせんじ詰めて言えば公共的事項に対して責任
        をもとうとする意思こそが、エリート層を形作るものであった。ここには「公共的市民意
        識(civic mind)」があった」。
         ⇒ リベラリズムとは相容れない「市民の徳」

p.293 ・引用:「中産階級、すなわち、特にグローバルな世界で活動するのではない、ボーダーの内側に
        生活の場をもつ多くの「普通の人々」のナショナリズムこそが、国家を支え、それによっ
        て国家の分裂・分解が避けられてきた」。 ⇒ ラッシュの主張

p.294 ・引用:「グローバリズムの時代にデモクラシー(つまり政治)を支えるものは、「シヴィック・
        ナショナリズム」であるほかないと思われる」。


  4 シヴィック・ナショナリズムという自覚

p.295 ・これまでの論点は以下の通りである。

p.295-296 ・5つの論点(以下、引用)

      (1)グローバリズムは、決して国家を形骸化するボーダレスの時代を開くのではなく、一層
         高度な、世界的な経済ゲームの中に国家を巻き込む、十七世紀にヨローッパで形成され
         た主権国家の概念と国民国家なるものは、グローバリズムの形成とともに、さらに重要
         性をもつようになる。
      (2)現実には、このグローバリズムにおいて富をめぐる国家間のゲームが生じており、その
         ゲームの中でアメリカの新たな覇権構造ができつつある。ただ、それはグローバルな市
         場に依存しており、グローバルな市場そのものはきわめて不安定な動きをするため、今
         日の覇権構造は決して安定的なものとはならない。
      (3)グローバルな市場はもはや、かつて経済学が論じたような「(神の)見えざる手」に導
         かれた調和的世界をもたらすかどうか、全くわからない。それは、市場それ自体の拡大
         によって自らを正当化するといった、「自己準拠的(self-referential)」で、かつ、
         「自己生成的(self-genetic)」な運動である。この運動が調和的世界をもたらすとは
         見なしがたい。
      (4)グローバリズムの中では、世界的な市場で競争できる企業や専門家たちといったグロー
         バル・エキスパートと、そうでない企業や人々、つまりその生活の基盤、経済活動の基
         盤を一国という枠組みの中に依存した人々との間に、様々な意味での亀裂(文化的なも
         のや価値の亀裂を含む)が生じる。前者が個人の自由を主張するのに対して、後者は民
         主主義や生活の安定を主たる拠り所とする。つまり、リベラル・デモクラシーの価値が
         分裂して、「リベラリズム」と「デモクラシー」の間に亀裂が生じるわけである。
      (5)社会のエリート層は、主としてグローバルな市場で活躍する経済人やシンボリック・ア
         ナリストと呼ばれる専門家からなる。しかし彼らは、国家に対する忠誠心はもたないし、
         公共精神とは概して無縁である。その結果、彼らは、少なくとも、従来の意味での国家
         を基軸にした政治には関心をもたない。このエリート層の政治的なものへのアンチ・コ
         ミットメントは、グローバリズムの中でますます重要となる高度な政治という点からす
         れば、大きなディレンマである。

          ⇒ シヴィック・ナショナリズムから、シヴィック・リベラリズムへ

p.301 ・引用:「これらは何も特別な観念ではない。要するに、「個人の自由」といえども、決して抽象
        的で空中に浮いたものではありえない。グローバルな世界での無制限の自由というものは
        ありえない」。

p.303 ・もちろん、「ナショナリズム」が、「ウルトラ・ナショナリズム」に化し暴走する危険に対して
    無自覚であってはならない。

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 小生自身、ごく普通の生活を送りたいですし、日本という枠組(その一部に言うに言われぬ嫌悪感を抱い
ているにしても)の中で、生きざるを得ないことを深く自覚しています。したがって、自分の内部に健全な
意味でのナショナリズムを有していると看做しています。「自由」という旗印を掲げ、瞬時に大金を動かす
ことに血道を上げている人々がいてもいいとは思いますが、その活動がその他の多くの人々を隷従させるシ
ステムだとすれば、看過することはできません。「傍迷惑」という言葉を遣いたいくらいです。かつての日
本人には、「人前で大っぴらにお金の話をすることは恥ずかしいことだ」という自覚がありました。それが、
いつの間に、子どもまで巻き込んで、金、金、金の世の中に鞍替えしたのでしょうか。もちろん、小生とて、
そのような風潮に対して手を拱いているばかりか、やはり金が欲しいと思っている口です。だから、よけい
に悲しくなるのです。衣食住、健康、精神的な糧、共に生きる人びととの交歓……人間は、これ以上に何を
望むというのでしょうか。いやな風潮です。それがグローバリズムの正体だとすれば、けっして染まらない
ように気を強くもつしかありません。かつて、永井荷風は、こんな愉快な俳句(川柳)を詠んでいます。

  名月や銭金いはぬ世が恋し

 小生も、つくづくそう思います。最後は駈足になりましたが、『倫理としてのナショナリズム グローバ
リズムの虚無を超えて』の抜書は、これで終了します。

                                                 
 2016年7月27日(水)

 まだ仕事が完全に終わっていないのですが、22時を回ってしまいました。けっこう疲れているので、明日
以降に先送りしようかどうか迷っています。そて、どうなりますか。
 いま、メール箱を覗いたのですが、ぞっとするほど量が多かったので、もう退散することにしました。明
日もフルスロットルです! 頑張れ、俺!

                                                
 2016年7月26日(火)

 昨日、今日と、いろいろ忙しくて、やっと今仕事の目処が立ちました。もっとも、今日中に片付けておき
たい雑務がありますので、まだ終わりとはなりません。明日は、1限目授業、2限目会議、3限目介護等体
験関係の外回り、および、FDの発表者、4限目以降会議と、5連続の仕事三昧です。体力を温存しておか
なければんりませんが、今日の仕事はまだ終わりません。何とかこなしたいと思います。

                                                
 2016年7月24日(日)

 今日は休日ですが、大学に来ています。というのも、『倫理としてのナショナリズム グローバリズムの  
虚無を超えて』(佐伯啓思 著、中公文庫、2015年)の抜書の残りを片付けておきたいからです。具体的に
は、「第四章 倫理としてのナショナリズム」に言及します。例によって、各種の引用はほぼ原文通りです
が、一部改変しております。この点で、執筆者に感謝するとともに、ご寛恕を乞います。


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 第四章 倫理としてのナショナリズム

  1 グローバル経済と国民国家

p.232 ・引用:「グローバリズムとは、言うまでもなく「グローブ(地球的)」という語から派生した言
        葉で、もともと様々な問題や事項を一国や地域の枠を越えた地球的規模のものと見なす立  
        場である。例えば、環境問題や紛争、安全保障、人権などの問題に局所的、国家的に対処
        するのではなく、地球的な一体の構えで取り組もうとするわけである」。
   ・グローバリズムと似ている言葉に「インターナショナリズム(internationalism)」があるが、主
    権国家を媒介しないという点で、むしろ対立した概念である。

p.233 ・「グローバル・エコノミー」(地球)vs「ナショナル・エコノミー」(国家)
    「グローバル・エコノミー」(地球)vs「リージョナル・エコノミー」(地域)

     ⇒ 国家や地域を構成する原理とは異なったところで作用しているグローバル・エコノミー。

   ・リージョナル・エコノミー(regional economy)の事例(ウィキペディアより)。

     EU:欧州連合(英: European Union、略称:EU)は、欧州連合条約により設立されたヨーロッ
        パの地域統合体。
         欧州連合規約では欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。

      仮訳:連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティ
           に属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの
           価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普
           及する社会において、加盟国に共通するものである(欧州連合、欧州連合条約第2
           条)。

        さらに欧州連合条約第3条第1項では欧州連合の目的について、第2条で挙げられた価値
       観や平和、域内の市民の福祉を促進することとしており、同条第2項以下では政治や経済、
       国際関係に関する連合の活動について列挙している。
        欧州連合では欧州連合条約の発効前に調印されていた単一欧州議定書によって市場統合が
       実現し、またシェンゲン協定により域内での国境通過にかかる手続きなどの負担を大幅に削
       減した。さらに欧州連合条約発効後によって外交・安全保障分野と司法・内務分野での協力
       枠組みが新たに設けられ、ユーロの導入による通貨統合が進められている。このほかにも欧
       州議会の直接選挙が実施されたり、欧州連合基本権憲章が採択されたりするなど、欧州連合
       の市民権の概念が具現化されつつある。加盟国数も欧州経済共同体設立を定めた欧州経済共
       同体設立発効時の6か国から、2013年7月のクロアチア加盟により28か国にまで増えている。
 
     NAFTA:北米自由貿易協定(英:North American Free Trade Agreement、頭字語:NAFTA)
           は、カナダ、メキシコとアメリカ合衆国によって署名され、北アメリカにおいて3
           か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17日に署名され、
           1994年1月1日に発効した。それはアメリカとカナダ間の米加自由貿易協定の後継で
           あり、NAFTAには、環境問題に関する補完協定(North American Agreement on
            Environmental Cooperation、略称NAAEC)と労働問題に関する補完協定(North
            American Agreement on Labor Cooperation、略称NAALC)という付随する2つの補
           完協定がある。

        域内の人口は約4億5,751万人(アメリカ約3億1,085万人、カナダ約3,433万人、メキシコ約
       1億1,232万人、すべて2010年)、GDPは約17兆1,918億ドル(うちアメリカが約14兆6,241億ド
       ル、2010年)に達する。ちなみに、欧州連合は2010年現在27か国、域内人口は約5億210万人、 
       GDPは約16兆1,068億ドルである。
        NAFTA成立以降、域内の貿易は拡大し、特にメキシコではマキラドーラが成長しアメリカ
       との国境地帯の所得はNAFTA発効後の10年間で15.5%増加した。逆にアメリカでは職がメキ
       シコに流出したとして批判された。アメリカの域内での貿易赤字は2010年で約7.5兆円で、
       これはアメリカの総貿易赤字の26.8%にあたる。
        交渉の段階では農業の分野が特にメキシコで懸念されたが、1994年から2001年の間にメキ
       シコの農産物の輸出は9.4%増加したのに対し、農産物の輸入の増加は6.9%だけであった。

     APEC:アジア太平洋経済協力(英:Asia-Pacific Economic Cooperation)は、環太平洋地
          域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムである。略称、APEC
          (エイペック)。

        「アジア太平洋」という概念が最初に打ち出されたのは、永野重雄が1967年に発足させた
       太平洋経済委員会(PBEC)という経済団体の設立時であるとされるが、具体的にこうした地
       域概念が政府レベルの協力枠組みに発展する萌芽は、1978年、日本の大平正芳内閣総理大臣
       が就任演説で「環太平洋連帯構想」を呼びかけたことにある。これを具体化した大平政権の
       政策研究会「環太平洋連帯研究グループ」(議長:大来佐武郎、幹事佐藤誠三郎)の報告を
       受け、大平がオーストラリアのマルコム・フレイザー首相に提案して強い賛同を得たことが、
       1980年9月の太平洋経済協力会議(PECC)の設立につながった。PECCは地域における様々な
       課題を議論し研究するセミナーといった趣のものであったが、これを土台にして、各国政府
       が正式に参加する会合として設立されたのが、APECである。
        APECは、1989年にオーストラリアのホーク首相の提唱で、日本・アメリカ合衆国・カナダ・ 
       韓国・オーストラリア・ニュージーランド及び当時の東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟6か
       国の計12か国で発足し、同国のキャンベラで閣僚会議(Ministerial Meeting)を開催した。
       また、1993年には米国のシアトルで初の首脳会議(Economic Leaders' Meeting)がもたれた。
       現在は、首脳会議、及び、外相、経済担当相による閣僚会議をそれぞれ年1回開いている。
       シンガポールに常設事務局を置き、開催国から任期1年で事務局長が選任されている。 参
       加しているメンバーは、21カ国・地域で、人口では世界の41.4%、GDP(国内総生産)では
       57.8%、貿易額では47%を占めている。
        APECは、開かれた地域協力によって経済のブロック化を抑え、域内の貿易・投資の自由化
       を通じて、世界貿易機関(WTO)のもとでの多角的自由貿易体制を維持・発展することを目
       的としてきたが、近年のWTOの新ラウンドの停滞や自由貿易協定締結の動きの活発化などに
       よって、その存在意義が問われている。
        なお、APECには、多くの国から国家として承認されていない台湾や、中国の特別行政区で
       ある香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」
       という語が用いられる。また、国旗や国歌の使用は禁止されている。さらに、条約等に基づ
       いて設立された組織ではない非公式なフォーラムであるため、「加盟」等の語も用いられな
       い。首脳会議等も「非公式」とされているが、これは「公式」とすると台湾を事実上国家と
       して認めることになり、中国等が参加しなくなるためである。

     ASEAN:東南アジア諸国連合(英: Association of South‐East Asian Nations、ASEAN)
           は、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構。
           本部所在地はインドネシアのジャカルタ。

        2009年以降、アメリカや中国など50ヶ国あまりがASEAN大使を任命し、ASEAN本部のあるジ
       ャカルタに常駐。日本も、2011年5月26日、ジャカルタに東南アジア諸国連合(ASEAN)日本
       政府代表部を開設し、ASEAN大使を常駐させている。
        域内の総人口は6億2,000万人(2014年)を超えており、5億人(2014年)の人口を抱える
       欧州連合 (EU) よりも多く人口増加率も高い。2013年の加盟国の合計のGDPは2兆4,104億米
       ドルであり、日本のGDPの約半分の規模である。ASEANを一つの国家として見た場合、世界7
       位の規模を持つことになる。
        ASEAN経済共同体のAECを発足させようとしている。2015年末に向けて発足する予定で、主
       にASEAN各国同士の経済協力を目的としている。域内の物品関税が9割超の品目数ですでに
       ゼロとなるなど高水準のモノの自由化を促そうとしている。
        1961年にタイ、フィリピン、マラヤ連邦(現マレーシア)の3か国が結成した東南アジア
       連合(Association of Southeast Asia, ASA)が前身。また、インドネシアも加えたマフィ
       リンド構想も、ASEAN 設立の土台となったEAN(東アジア協会)の設立によって発展的に解
       消される形となったとされる。
        その後、ベトナム戦争中の1967年8月、ドミノ理論による東南アジア諸国の赤化を恐れた
       アメリカの支援のもと、タイのバンコクでASAを発展的に解消する形で現在の東南アジア諸
       国連合が設立された。原加盟国はASAの3か国とインドネシア、1965年にマレーシアから独
       立した新興都市国家シンガポールの計5か国で、いずれも反共主義の立場を取る国であった。
       各国外相共同の設立宣言は、東南アジア諸国連合設立宣言や「バンコク宣言」などと言う。

   ・もっとも、両者は、ナショナル・エコノミー(政治的な国家主権や文化・歴史的な国民国家とから
    不可分である)を容易に解体し去るわけではない。

p.234 ・ただし、本書は、「グローバル・エコノミー」(地球)vs「リージョナル・エコノミー」(地域)
    を視野の外に置く。
   ・ロバートソンの見解:「1950年代、60年代の近代化論の直接の起源は、連合国とりわけアメリカの、
              ドイツおよび日本に民主主義を押し付けようとする試みにあった」。

      ⇒ グローバリズムの中心的問題は、戦後の50年代に存在していた。

   ・引用:「近代化とは、一面では、連合国とりわけアメリカによる「民主主義」と「市場経済」の世
        界化であると同時に、他面では、後進国自らの課題としての先進国化であった」。

p.235 ・「ゲマインシャフト」から「ゲゼルシャフト」への移行。

      テンニース(1855-1936)は、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結
     びついた自然発生的なゲマインシャフト(Gemeinschaft、共同体組織)とは別に、利益や機
     能を第一に追求するゲゼルシャフト(Gesellschaft、機能体組織、利益社会)が人為的に形
     成されていくと考えた。
      ドイツ語では、Gemeinschaft(ゲマインシャフト)は概ね「共同体」を意味し、Gesell-
     schaft(ゲゼルシャフト)は概ね「社会」を意味する。テンニースが提唱したこのゲゼルシ
     ャフト(機能体組織、利益社会)とゲマインシャフト(共同体組織)とは対概念であり、原
     始的伝統的共同体社会(共同体組織)を離れて、近代国家・会社・大都市のような利害関係
     に基づき機能面を重視して人為的に作られた利益社会(機能体組織)を近代社会の特徴であ
     るとする。
      ゲマインシャフトでは人間関係が最重要視されるが、ゲゼルシャフトでは利益面や機能面
     が最重要視される。
      日本においては、労働集約型の農業を基礎に「協働型社会」とも呼べるものが形成されて
     いたと言われる。これは産業革命、工業化のプロセスに従って企業共同体へと変貌したと言
     われる(日本型社会主義)。しかし、バブル崩壊、経済のグローバル化、終身雇用制の崩壊、
     派遣労働者の採用の増加等に伴い、かつて企業そのものが家族共同体のようであると評され
     た日本の企業風土も1990年代以降大きく変貌したと言える(ウィキペディアより)。

p.235-236 ・ウィルソンによれば、「近代化」は、一方で民主主義の世界化と市場経済の世界化を掲げる
      とともに、他方に、民族観念に基づく国民国家主権という政治的正当性を掲げたのである。

p.236     ⇒ 普遍化した「個別主義」。集団的なアイデンティティの再確認、あるいは再編(民族
         や宗教、自国の歴史へのこだわり)。

     ・引用:「普遍性と個別性の対抗もしくは重層としてしか現代のグローバリズムは語れない」。

p.238-239 ・アジアの経済発展=アジアの奇跡。これは、グローバル・エコノミーがもたらしたもの。

       ⇒ 世界的規模における市場経済の構造転換。

p.240-241 ・1997年のアジアの金融危機(ウィキペディアより)。

        アジア通貨危機(英語: Asian Financial Crisis):1997年7月よりタイを中心に始まった、
                          アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。

         概要

        アジアの通貨下落は、アメリカ合衆国のヘッジファンドを主とした機関投資家による
       通貨の空売りによって惹起され、東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及
       ぼした。狭義にはアジア各国通貨の暴落のみを指すが、広義にはこれによって起こった
       金融危機(アジア金融危機)を含む経済危機を指す。
        前述のタイ、インドネシア、韓国はその経済に大きな打撃を受け、IMF管理に入った。
       マレーシア、フィリピン、香港はある程度の打撃を被った。中国と台湾は直接の影響は
       なかったものの、前述の国々と関連して影響を受けた。日本に関しては融資の焦げ付き
       が爆発し、緊縮財政とタイミングが重なった結果、1997年と1998年における金融危機の
       引き金の一つとなり、1998年9月の政策金利引き下げ、10月7-8日の円急騰(2日間で20
       円の急騰)、10月23日の長銀国有化、12月13日の日債銀国有化へと繋がる一連の金融不
       安の遠因となった。
        また、新興国における通貨不安はアジアに留まらず、1998年8月17日からのロシア通
       貨危機、1999年1月ブラジル通貨危機など、その他の経済圏でも同様の混乱を招いた。

         経緯

        日本、台湾、フィリピンを除く、アジアの殆どの国家は、米ドルと自国通貨の為替レ
       ートを固定する「ドルペッグ制」を採用していた。それまではドル安の状態で、比較的
       通貨の相場は安定していた。また欧米諸国は、固定相場制の中で金利を高めに誘導して、
       利ざやを求める外国資本の流入を促し、資本を蓄積する一方で、アジアは輸出需要で経
       済成長するという成長システムを採用していた。中でもタイ王国は、このパターンの典
       型的な成長システムであり、慢性的な経常赤字であった。
        また、アジアの国際分業体制は、1992年以降の中国改革開放政策の推進により、構造
       的な変化が生じており、東南アジアに展開していた日系、欧米系企業の多くが、当時人
       件費の安かった中国本土への生産シフトを強めていた。
        1995年以降、アメリカ合衆国の長期景気回復による経常収支赤字下の経済政策として
       「強いドル政策」が採用され、アメリカ合衆国ドルが高めに推移するようになった。こ
       れに連動する形で、アジア各国の通貨が上昇(増価)し、その結果アジア諸国の輸出は
       伸び悩む展開となった。これらの国々に資本を投じていた投資家らは、経済成長の持続
       可能性に疑問を抱くようになった。
        そこに目をつけたのが、欧米のヘッジファンドである。ヘッジファンドは、アジアの
       経済状況と為替レートの評価にズレが生じ、結果として自国通貨が過大評価され始めて
       いると考えた。そこで過大評価された通貨に空売りを仕掛け、安くなったところで買い
       戻せば利益が出る。1992年にイギリスで起こしたポンド危機と同じ構図である。
        ほとんどの国家でドルペッグ制が採られていたため、ヘッジファンドは売り崩せれば
       巨額の利益を得られる一方で、例え失敗したとしても、アジア諸国の為替レートが上昇
       していくため、損を被るという可能性は低く、この非対称性が、大規模な通貨への売り
       仕掛けを呼ぶこととなった。
        かくして、ヘッジファンドが通貨の空売りを仕掛け、買い支える事が出来ないアジア
       各国の為替レートは、変動相場制を導入せざるを得ない状況に追い込まれ、通貨価格が
       急激に下落した。

        (「各国での状況」等は、割愛)

         総評

        アジア通貨危機は関連諸国の経済を崩壊あるいは打撃を与えただけでなく、インドネ
       シアのスハルト政権やタイのチャワリット・ヨンチャイユット内閣を失脚させた。のみ
       ならず、ジョージ・ソロスらヘッジファンドや IMF をはじめとした反欧米感情を招いた。
       アジア経済に対する不安感を招き、投資対象としての中国の台頭をも生んだ。
        さらに、ユーロダラーは「質への逃避」を起こし、ことごとくアメリカへ回帰。新興
       市場への不信感からロシア財政危機、ブラジル危機をも招いた。外国為替市場における
       通貨攻撃は循環的なブームを呈するようになり、2004年には日本の円に対してもヘッジ
       ファンドによる通貨へ投機的売買は仕掛けられているが日本政府による大規模市場介入
       によって防衛されている。
        また、アジア諸国では外国からの資本導入にあたり、IMF の推進してきた資本移動の
       自由化の下で、比較的短期の物を導入していたことも、問題拡大に繋がったと指摘され
       ている。経済的に不安が生じた場合に流動性の高い資本が急速に流出し、傷口を広げた
       とされる。アジアの途上国では高成長を背景に高金利政策を採用していた一方で、90年
       バブルの崩壊以降米日の政策金利は極めて低利水準にあり、国際金融資本市場から短期
       資金を融通し、それを国内向けの資金にスワップ(長短金利スワップ)することは、為
       替変動リスクを考慮した上でも自国の民族資本による投資よりも有利であったところ、
       アジア通貨危機の発生により為替リスクの急騰と途上国向け短期金利が高騰したことが、
       長期資金の急速な枯渇と資金逃避をもたらした。加えて IMF が融資の条件として景気
       後退期に緊縮財政や高金利政策を課したことが危機をより深刻なものとしたとの評価も
       ある。
        東南アジア諸国の経済成長システムが、1990年代のアメリカ経済成長システムと著し
       く似通っていたのが、根本的な危機の要因であるとの評価もある。同じ投資過熱を起こ
       す国であるなら、より信用のあるアメリカへと資本が逃避することになるため、東南ア
       ジア諸国の成長システムは経済のバランシング(見えざる手)により破壊されることに
       なったとの見解もある。
        金融政策面ではアジア各国が事実上の固定相場制を採用していながら、各国独自の経
       済状況に合わせた金融政策と自由な資本移動を追求した結果としての国際金融のトリレ
       ンマの破綻が、典型的に大規模で非対称の通貨投機を招いたと分析されている。中国が
       通貨攻撃の直接的影響を免れたのはトリレンマの理論上整合的であり、資本の自由移動
       を厳しく制限していたためである。

p.241 ・引用:「タイやマレーシア、あるいは韓国などのアジア諸国は、十数年という短期間に急速な経
        済成長を可能とするために、金融市場の自由化を急ぎ、短期の外資を大量に導入してきた。
        その意味では、確かにクルーグマンが見越していたように、この急速な成長政策そのもの
        に無理があったと言える」。

p.242 ・マハティール首相(マレーシア)vs ヘッジファンド(ジョージ・ソロスに代表される)

p.243 ・市場(投資家)に支配される国家の経済政策。

p.244 ・引用:「こうして、国家と市場の関係を形作ってきた従来の基本的な前提が大きな変更を受けざ
        るをえない。少し前まで、自由市場論者にとっても、ケインズ主義者にとっても、政府は
        あくまで市場の外部にあって、夜警国家であろうと介入的国家であろうと、いずれにして
        も国家は市場の欠陥を補正し、市場制度を補助するものであった。しかし、今日、国家は、
        二つの種類のゲームの主体とならざるをえない。それも同時にである」。

p.244-245   ⇒ 第一は、市場とのゲーム。国内の資本市場を守るだけではなく、国際的な資本の動きを
        引きつける政策(「市場の気にいる(market favored)」政策)を取らざるをえない。

           「公共的利益(public interest)」<「市場の関心(market interest)」

p.246 ・引用:「さらに国家はただ市場を相手にゲームをするだけではない。国家は他の国家を相手とす
        る第二のゲームをも同時に遂行せざるをえない。(中略)「市場」はこのポイント(註:
        各国の格付け)を参照して政策を評価し、「市場友好的」な政策をとった国へと資本は流
        入することになる」。


 2 市場主義というイデオロギー

p.248-249 ・引用:「「市場」なるものは、本来、個々の参加者の利益追求行動の集積でしかないはずで
          ある。ところが、とりわけ現代のグローバルな金融市場においては、「市場の意思」
          あるいは「市場の思惑」つまりマーケット・オピニオン(「マーケット・オピニオン」
          に傍点あり)なるものが重要な役割を果たす。市場は、ただ需要と供給のメカニズム
          なのではなく、市場を「解説」もしくは「説明」する言語表現を随伴しているのであ
          る」。

p.250 ・金融市場はにおける投資は、「美人投票」のようなものである。

p.251 ・引用:「美人の基準は決して個人の主観でもなければ個人の嗜好でもない。「美人」とは、わた
        しやあなたの好みではなく「社会的なもの」なのである」。

p.255 ・引用:「グローバリズムという言葉は、一種の魔語である。そこには、資本の自由な動きによっ
        て国境を取り払い、規制や行政介入を排せば、国家なるものからは独立した自由市場がで
        きあがるというイリュージョンがある」。
   ・引用:「八〇年代の金融の自由化は、アメリカ経済の立て直しという政治的課題と深く結びつい
       ていた。製造業における生産性の鈍化を、金融資産の流動性を高めることによって逆転しよ
       うとしたわけである」。

      ⇒ バブル経済の登場。

p.257 ・「IT革命」なる虚飾にまみれた宣伝が情報部門のバブルを引き起こした。

p.258 ・「グローバルな世界で「金融」という世界共通商品の自由取引を行うという建前は、アメリカの
     国内事情と無関係ではないのである。ドル価値の防衛、製造業の空洞化、情報革命と結びついた
     金融の(実物に対する)優位、資金需要、マネーゲームの風潮、といったアメリカ経済の事情を
     中心に、今日の金融自由化は世界へ拡散していった」。

p.259-262 ・クリントン大統領の「アメリカの競争力」という論点。

       ⇒ このような観念の戦略的使用はナンセンス。

p.262 ・ある経済学者の冗談:「コンピュータ・チップをもっぱら生産するのと、ポテト・チップばかり
                   を生産するのではやはり違う」。
   ・消費者の論理からすれば、同様な品質ならば、価格が安い方がよい。⇒ 「一人勝ち」の可能性。

p.263 ・国家にとって、「戦略的貿易」の重要性。しかし、それほど新しいものではなく、「新重商主義」
    と呼ばれたりする。

     伝統的貿易論では、比較優位に基づく国際分業と自由貿易がすべての国に利益をもたらすとする
    完全競争モデルが中心だった。これに対して新しい貿易論「戦略的貿易論」は、規模の経済性、技
    術の外部性や寡占企業間の不完全競争の側面に注目する。偶然生じた一時的優位が固定して分業パ
    ターンを決定する経路依存性により、補助金や技術開発、産業政策といった政府介入が利益の大さ
    さ(レント)を左右する可能性がある。
     問題は、現実の政策ではこれが保護主義に転化する可能性が高い点である(ネット記事「戦略的
    貿易政策」より)。

p.263-264 ・引用:「例えば、アメリカの情報ハイウェー戦略のように、政府が情報化のためのインフラ
          ストラクチャーに投資をし、情報化に適した教育を打ち出し、情報社会構想を明示す
          ることが、情報産業にとってきわめて有利になる」。
     ・引用:「国家は決して、市場の外部に立つ中立的な観察者でも、自国のマクロ経済の管理者で
         もなく、市場活動に有利な条件を積極的に生み出す主体となりうるのである」。

p.266 ・引用:「こうして現代の国家は、政治的国家や文化的国家であるよりも前に、経済的国家、つまり
        「産業国家」でなければならない」。
   ・引用:「今日のグローバル・エコノミーは、直接には、八〇年代のアメリカ経済の再生政策と不可
        分な形で展開してきたものなのであった」。

p.269 ・経済的に安定した時代」から、「不確実性の時代」へ

p.270 ・「プラザ合意」(グローバリズムと不確実性を制御するための政策協調)は、うまく機能しなか
     った。

    プラザ合意(英: Plaza Accord):1985年9月22日、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)によ
           り発表された、為替レート安定化に関する合意。呼び名は、会場となったアメリカ・
           ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
            会議に出席したG5蔵相は、ゲルハルト・シュトルテンベルク(西ドイツ財務相)、
           ピエール・ベレゴヴォワ(フランス経済・財政相)、ジェイムズ・ベイカー(アメ
           リカ合衆国財務長官)、ナイジェル・ローソン(イギリス大蔵大臣)、竹下登(日
           本大蔵大臣)。歴史的な会議ではあったが、事前に内容は決められており、会議自
           体の所要時間はわずか20分程度であったといわれる(ウィキペディアより。なお、
           詳細は割愛する)。

p.272 ・グローバリズムは、それまでの調整メカニズムに対する挑戦であった。

p.273 ・引用:「今日の市場経済は、もはや制度的な安定装置をもたず、いわば、市場そのものの自動的
        な拡張(「市場そのものの自動的な拡張」に傍点あり)に自らの正当性を委ねているよう
        に見える」。
   ・引用:「市場が長期的に均衡に向かうかどうかはもはや今日の市場の関心事ではない。むしろ、絶
        えず創造的破壊を繰り返し、新たな機軸を打ち出し、常に市場を不均衡に陥れることによ
        ってそこに利潤機会を生み出し、このダイナミズムによって市場そのものの舞台を拡張し
        てゆくという、ネオ・シュンペータリアン的な市場の進化(「市場の進化」に傍点あり)
        という考えが、今日の市場イデオロギーであると言ってよいだろう」。

p.274 ・グローバリズムは、「世界は、目的もなく、合理性のもない、不確実で複雑なものであって、理
     性的に制御できないものである」という、前提に基づいている。
   ・引用:「この新しい市場のイデオロギーに支えられたグローバル市場は、果たしてどのような問題
        を生み出しつつあるのか。それは、「市場」を「社会」から切り離すことによって、どの
        ような亀裂を生み出しつつあるのか」。
   ・三つの対立軸
     (1)グローバル・エコノミーとナショナル・エコノミーの対立
     (2)経済的自由主義と政治的民主主義の対立
     (3)社会の規範と市場の精神との間の対立

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 今日で終わらせようと思っていたのですが、もう23時になろうとしていますので、ここで打ち切りましょ
う。内容に関するコメントは、第四章が終わってからにします。次回は、「第四章 倫理としてのナショナ
リズム」の「3 グローバリズムがもたらす社会の亀裂」および「4 シビック・ナショナリズムという自
覚」に言及する予定です。

                                                 
 2016年7月21日(木)

 約1か月ぶりになりますが、本日から再び、『倫理としてのナショナリズム グローバリズムの虚無を超
えて』(佐伯啓思 著、中公文庫、2015年)の抜書に着手しましょう。具体的には、「第三章 グローバリ
ズムの文化的矛盾」の「2 西洋近代主義の帰結としてのグローバリズム」、「3 グローバリズムの文化
的次元」、「4 グローバリズムとニヒリズム」に触れます。例によって、各種の引用はほぼ原文通りです
が、一部改変しております。この点で、執筆者に感謝するとともに、ご寛恕を乞います。


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 第三章 グローバル資本主義の文化的矛盾

  2 西洋近代主義の帰結としてのグローバリズム

p.192 ・引用:「グローバルな市場経済に対する「経済的」な批判とは、おおよそ、グローバルな競争的  
        市場が所得分配の不平等をもたらす、またそれが賃金の低下や失業を招くことによって労
        働者の生活水準の悪化をもたらす、というものである。
         この経済的な批判は、基本的には、競争的市場のもたらす効率性と平等性の間のトレー
        ドオフという、古くから繰り返されてきた周知の議論の変形であると言ってよい」。

     トレードオフ(英: Trade-off):一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・
                    関係のことである。トレードオフのある状況では具体的な選択
                    肢の長所と短所をすべて考慮したうえで決定を行うことが求め
                    られる(ウィキペディアより。ほぼ原文通り)。

   経済学

  経済学の基本概念である希少性は、様々な経済現象を引き起こす。そして、トレードオフも、その
 一つである。何が必要であり何が必要でないかを検証する経済学では、トレードオフの関係を明らか
 にすることが重要となる。
  また、トレードオフで、選択しなかったことによる損失を「機会費用」と呼ぶ。
  ベンジャミン・フランクリンは、「時間は貨幣」すなわち「時は金なり」という格言で、経済学の
 いう機会費用の考え方を表現している。

   日常生活での例

  トレードオフは日常の至る所に存在している。
  人間が経験するもっとも基本的なトレードオフは、「時間をどう使うか」というものである。たと
 えば、与えられた時間を使って、芝刈りをすることもできるし、より儲かること、またはより楽しい
 ことすることもできる。「時は金なり」である。楽しいことだけに時間を使った場合、当然のことな
 がらお金がなくなってしまう。一般的には、ある状況で固定できるのは、3つのうち2つのみである
 とされている。限られた資金で品質を上げるには、大量の時間が必要となる。
  製品設計は、消費者を満足させる形状と、競争力を保つために価格を抑える必要性とのトレードオ
 フで決まる。「安い」と「よいもの」は、本来両立しない二律背反であるが、用途を限定することで
 両者の関係は近づけることができる。

   水道事業の例

  水の流量を考える。太い水道管を用いると、たくさんの水を流すことができる。しかし、その反面、
 管の費用は高くなり、送水ポンプの圧力も高くなる。そのため、それに必要な費用も大きくなる。逆
 に、水道管を細くすると、送水に必要な費用は少なくて済むが、少ない量の水しか流せなくなる。こ
 のように、水量の多さを重視すると費用が犠牲になり、費用の安さを重視すると流せる水の量が犠牲
 になるという関係にある。したがって、流せる水量の多さと費用の安さは、トレードオフの関係にあ
 ると言える。
  山間部や都市部などでは、どの程度の水量が必要か(これを需要と呼ぶ)を適切に見極めて、水道
 管の太さと費用を決定する。季節の変化も含めて、需要の予測を誤ると、水量が多すぎた場合は費用
 のかかりすぎた過剰な設備となり、結果的にはお金の無駄遣いとなる。逆に水量不足の場合はさらに
 別の水道管を敷く工事の必要が生じたり給水車を出す必要が生じたりして二度手間となり、結局割高
 になってしまう場合もある。

   鉄道の駅の数と所要時間の例

  鉄道の駅の数と所要時間もトレードオフの関係にある。駅の数を増やすほど駅を利用しやすい人が
 多くなり、また、目的地に近い駅で降りられるようになる。しかし、駅での停車時間や加速・減速で
 低い速度で走行している時間が増えるため、平均速度が下がり、移動に時間がかかるようになる。
  逆に、所要時間を短くしようとすれば、在来線の快速電車や特急のように途中の駅を通過させたり、
 新幹線のように駅の数自体を少なくしたりする必要が生じ、利用できる人が制限されたり、目的地に
 近い駅がない状態になったりする。
  地上設備の改良(最高速度の引き上げ、曲線改良工事など)や、高性能の車輌を導入することによ
 って解決できる場合(阪神電鉄のジェットカーなど)もある。しかし、工事費や車輌の製造コストが
 相当に高価であるため、今度は経営上のトレードオフが発生する。

   音や映像のデータ圧縮に要する時間と品質の例

  パソコンの分野で、たとえば、音のデータをMP3などに、あるいは、映像のデータをMPEG-2やH.264
 などに圧縮・変換するといったことがしばしば行われる。音や映像の圧縮(エンコード)では、デー
 タフォーマットのみが規定されており、どのような方法を用いてデータをエンコードするかはアプリ
 ケーションごとに自由にまかされている。そのため、同じパソコンを使用しても、アプリケーション
 によって品質やエンコードの時間に違いがある。
  音や映像のエンコードに要する時間と品質もトレードオフの関係にある。品質を上げようとすれば、
 たくさんの計算を必要とする装置になりやすく、エンコードに要する時間が増大する。逆に、エンコ
 ードに必要な時間を短くしようとすると、データを走査する処理をなるべく省いたり、細かい計算を
 省略するなどの工夫を行うため、品質が劣化しやすくなる。このように、同じ処理能力をもつ装置で
 ソフト的にも冗長(アルゴリズム的に見て無駄)な処理を行っていない条件で、エンコードの品質を
 重視すると時間が犠牲になりやすく、処理時間を重視すると品質が犠牲になりやすくなる。
  音や映像のエンコードでは使用する用途による制約も受ける。パソコンによるエンコードでは、品
 質を重視するかあるいは処理時間を重視するかをアプリケーション開発者もユーザも自由に選択する
 ことができ、比較的制約がゆるい。一方、ビデオカメラや放送の送信機器のように実時間以内に必ず
 エンコードを完了しなければならない用途では、実時間以上にエンコードの時間を増やすことができ
 ない。品質と時間の両方をいいところ取りしようとすると、より高い計算能力をもつ処理装置が必要
 になり、業務用機器のように非常に高価なものになる。また、ビデオカメラでは、高い計算能力をも
 つ処理装置を使用すると今度は消費電力が大幅に上昇し、これを補うためにバッテリの容量を増やす
 と今度は重量が増大するといった別の問題も生じ、電源コンセントで使用する据え置き型の機器に比
 べてさらに厳しい制約を受ける。これらは、時間と品質とは別に、処理性能対コスト、処理性能対消
 費電力、処理性能対重量のトレードオフの関係にある。このように、使用する目的や条件とさまざま
 なトレードオフを考慮に入れながら、何を重視しどのようにバランスをとるかを取捨選択していく。

   政治・経済での例

  多くの経済問題にトレードオフの関係が見られ、「失業率の低下と物価上昇」、「福祉への公的支
 援の拡大と国民の税負担の増加」、「経済成長率の高まりと環境破壊の進行」といった例がある。公
 的支援については税負担の軽減のみならず、真に公的支援を必要とする者に対して、確実に支援が受
 けられるよう審査等を甘くすると、公的支援を受ける資格のない者が不正に支援を受ける可能性が高
 くなり、逆に不正支援を排除するために審査等を厳しくすると、真に公的支援を受けなければならな
 い者までもが排除され、支援を受けられなくなる可能性が高くなってしまう。このため、これも一種
 のトレードオフの関係にあると言える。
  失業とインフレーションとの間にも、フィリップス曲線を描く関係がある。

  「効率性と公平性のトレードオフ」とは「効率性・生産性を上昇(低下)させれば、公平性が低下
 (上昇)する」という力学であり、実際の経済政策を評価するときには、これを意識しなければなら
 ない。

   政府の租税に見られる例

  税制全体は、単一の税目のみではなくいくつかの税目から成り立っており、それぞれの税目にはそ
 れぞれの長所があるとともに何らかの問題点も持っている。税収が特定の税目に依存しすぎると、そ
 の税目の課税対象となる人々の負担感が過重になるなどの問題点が出てくるため、全体として偏りの
 ない税体系を選択していくことが必要であるとされる。世界の税制においては複数の税が組み合わさ
 れている。「税制の三大原則」としては「公平」・「中立」・「簡素」が求められているが、それぞ
 れはトレードオフの関係になる場合もある。

   特定の領域でのトレードオフ

  トレードオフは工学の分野で重要となる。例として電気工学では増幅回路にネガティブ・フィード
 バックを用いることで、利得との交換に周波数特性の向上や利得の安定性、雑音への耐性、非線形歪
 みの低減などの利点を得ることができる。
  計算機科学ではトレードオフの利用が重要となる。例えば、キャッシュを利用することでキャッシ
 ュの格納領域を犠牲にしてCPUの処理時間を減らすことが可能になる(時間と空間のトレードオフ)。
 状況によってはコンパイラが高い時間性能のためのコードのインライン展開と空間性能のための実行
 時の関数呼び出しの両方を利用できる場合があり、プログラマは時間と空間のどちらの性能を重視す
 るかを決定できる。また、実行速度が重要でないのなら、開発速度を速くすることができる。時間や
 空間性能を最適化すると、開発サイクルが長く複雑になっていく。
  戦略性のあるボードゲームにはほとんど常にトレードオフが現れる。麻雀における和了確率と放銃
 回避確率、囲碁における地と厚み、将棋やチェスにおけるマテリアルアドバンテージとポジショナル
 アドバンテージ、モノポリーにおけるカラーグループの独占と被独占回避、などが例である。

   生物の場合

  動物が卵を産む場合、子孫が確実に残せるためには卵は多い方が良いと考えられる。他方で、卵は
 大きい方が生存率は高くなるから、そうあるべきである。しかし、利用できるエネルギーには限りが
 ある以上、卵を大きくすれば数を作るのは困難になる。したがってこの両者はトレードオフの関係に
 なる。両者の勘案で産卵数と大きさが決まる。ここで、おそらくはその結果として得られる子の数が
 最大になるようにそれらが決められるはずだ、というような考えをとるのを最適化モデルという。ま
 た、繁殖戦略におけるひとつの考え方として、数を犠牲にして大きい卵を産んで生存率を上げる戦略
 と、小さくても多数の卵を産んで生き残りを図る戦略の2つの方向が存在するという説がある。前者
 を大卵少産戦略、後者を小卵多産戦略という。また、これに近い概念にr-K戦略説がある。

   注意点

  目先のトレードオフばかりに集中しすぎると、細かいことに気をとられすぎて、より重要な考え方
 とのトレードオフを見失うことがしばしばある。トレードオフは狭い事象の中でぎりぎりまで詰めて
 考えるものではなく、先を見通す予測の他、安全性などのマージン確保や必要な冗長化という別の視
 点があることを忘れてはならない。

p.193 ・本章では、上記のようなトレードオフに対する批判を問題にするわけではない。むしろ、ジョー
    ジ・ソロスによってなされた批判が重要である。
   ・ソロスは、グローバルな金融市場においてもっぱら追求され実現される「貨幣的価値」と、社会の  
    土台を構成している「社会的価値」の間に大きな乖離が生じていると考え、市場原理主義は「社会
    的価値」を尊重しないがゆえに危険だ、と見ている。
   ・社会的価値の一側面としての「コミュニティへの気遣い」。

    事例:1.ローカルなコミュニティへの配慮や自発的な参加
       2.社会の基礎を作る学校、家族、法
       3.伝統や慣習と結びついた道徳的価値や規範

p.193-194 ・引用:「この種の社会的価値を共有できる限りで、人々はコミュニティに対する帰属意識を
          もつことができ、道徳や規範に従って生活を組織できるであろう」。

p.194 ・引用:「ソロスのグローバル市場経済批判がここでわれわれの興味を引くのは、その中心点が、
        所得の不平等化や、あるいは金融市場の不安定化といった点にあるのではなく、それがコ
        ミュニティを形成している社会的価値を掘り崩す点に向けられているからだ」。

p.195 ・引用:「だが、そのアメリカで生じていることは何か。それは、家族的価値の解体、コミュニテ
        ィの崩壊、犯罪の増大、麻薬の蔓延、人種間の敵対、すなわち社会的秩序と社会的価値の
        ゆるやかな崩壊ではないか。そして、このようなアメリカ的な「市場原理主義」が世界的
        に浸透するプロセスにおいて、西欧の「社会的市場」やアジアの「家族的、組織的資本主
        義」とのあからさまな衝突が生じているのではないか」……これが、ジョン・グレイのグ
        ローバル経済への批判である。

p.196 ・西欧民主主義の矛盾:文化的多元主義や価値多元主義を擁護しながら、個人主義や自由主義の普
              遍性を唱えている点。

p.197 ・西欧の思想の背景には、キリスト教などの世界観や人間理解が不可分に張り付いている。
   ・「和魂洋才」の二重性。

p.198 ・引用:「個人主義や自由主義は、それを信奉する共同体において初めて意味をもつ」。

p.199 ・はたして、「市場経済」なるものは、社会や文化から切断して論じることができるものなのか?

p.199-200 ・引用:「市場経済システムが一つの孤立系と見なされる結果、市場経済は、普遍的な動機づ  
          けをもち、普遍的なメカニズムをもった自律的システムだとされる。しかし、そのよ  
          うな市場観そのものが、一つの文化、とりわけアメリカ的な文化的価値の表出だとい
          う点は巧妙に隠蔽されたままになっている」。

p.200 ・経済と文化は、「境界相互交換」の関係にある。したがって、それぞれが独立に存在するわけで
    はない。

p.203 ・引用:「市場経済の形成、展開は、自生的というより権力的に(「権力的に」に傍点あり)作り
        出されるものである」。⇔ 社会は、自然発生的に形成されてきた多様な規制を有する。

p.204 ・引用:「市場競争がこのような生の不確実性(金銭に換算できないものを貨幣的尺度で捉えるこ
        と)を強いるとき、生活の安定を確保するという生の必要が、自由市場に抵抗を示すこと
        になる」……カール・ポランニーは、これを「社会の防衛(social protection)」と呼
        んだ。

p.205 ・引用:「ポランニーは、一方で、自由市場が「作り出される」とともに、他方で、それに対する
        「社会の防衛」が市場への介入を要請するという事態を「二重の運動」と呼んでいる」。


  3 グローバリズムの文化的次元

p.210 ・引用:「それ(グローバル経済が広い関心を集めるようになったという事情)は、国際金融市場
        の急速な展開の結果として、世界的な資本流動性が高まり、また直接投資に伴う技術移転  
        が生じ、結果として市場の相互連関が高度化したため、企業が世界的な市場を視野に入れ
        たマーケティングを踏まえて投資計画、生産計画を立てるようになったからである。むろ
        んこの事態を後押しした情報技術と通信ネットワークの急速な拡大も、九〇年代のグロー
        バル化の重要な要因であった」。

p.211 ・引用:「金融、生産技術、情報、商品の世界的流動という経済領域における自由化と連動して、
        世界中のあらゆる場所における相互依存、相互影響(遠隔的な影響関係)が著しく強まる
        ことである」……ロバートソンは、それを「世界の縮小化」と呼んだ。
   ・引用:「グローバリゼーションとは、近代の生活様式を特徴づける相互結合性と相互依存性のネッ
        トワークの急速な展開と果てしない稠密化を意味する」……トムリンソンの理解(複合的
        結合性)。

p.212 ・今日のグローバル経済の特質とは?

p.212-213 ・引用:「それは今日のグローバル経済が、ただモノや資本の移動というだけではなく、世界
          的な規模でのある種の共通の問題を同時に生み出している点にある。それは、単なる
          経済上の運動にとどまらず、社会構造、文化の次元においても生じる全般的なグロー
          バリズムと連動しているのである」。

p.213 ・引用:「それは、技術の共通化、情報化、それに金融の自由な移動という市場経済のもつ「標準
        化と平準化の運動」が、同時に、文化や社会構造の次元(「文化や社会構造の次元」に傍
        点あり)でのグローバル化をもたらしている点にある」。
   ・引用:「確かに、一方で、資源の調達、大量生産によるコストの低減、低賃金労働による利潤の確
        保という生産企業の課題はそのまま持ち越されている。いやそれどころか、今日の多国籍
        企業のグローバル戦略は、賃金を中心に低コスト化を模索した結果生まれたと言ってよい。
         にもかかわらず、今日、利潤の源泉は、消費者の好みや生活スタイルをいち早く察知す
        ること、情報やマーケティングを適切に活用すること、商品に対してある種の文化的意味
        を付与すること、といった局面に移行していることもまた事実なのである」。

p.214 ・グローバリゼーションは、けっして世界を一色に染めることではない。

p.215 ・「グローカリゼーション(glocalization)」というギデンスの言葉。
   ・グローバル化とは、文化的な画一化(homogenization)と差異化(heterogenization)を同時並行
    的に生み出す過程なのである。

p.216 ・引用:「ピータースの言う「文化的ハイブリッド化」、ロバートソンの言う「グローカライゼー
        ション」、トムリンソンの言う「複合的結合」、このいずれにおいても、特定の場所性と
        歴史性に根をもった共有文化という観念はもはや容易には維持しえなくなる。その結果、
        文化的一貫性(cultural coherence)のもとでこそ形成されえた集団的なアイデンティテ
        ィは、少なくとも、この限りでは解体するということである」。

p.217 ・文化は、常に、何らかの意味での整合性、一貫性、体系性をもっている。

p.218 ・われわは、「マクドナライゼーション」を、本当に選択しているのだろうか?

     参考文献:『ファストフードが世界を食いつくす(Fast Food Nation, 2001)』、エリック・
          シュローサー 著、楡井浩一 訳、草思社、2001年。

   ・「生活スタイルの世界的標準化」は、実は「世界の西洋化(westernization of the world)」に
    ほかならない。

p.219 ・引用:「グローバリズムとは、アメリカの文化帝国主義にほかならない、という議論も成り立ち
        うるのである」。

p.220 ・大地から空間になっていく場所。モザイク化した生活。

p.222 ・引用:「ギデンスによれば、近代化によって伝統は必ずしも放棄されるのではなく、いったん疑
        問に付され、その上で改めて、意図的に新たな文脈の中に投入され組み込まれるのである」。


  4 グローバリズムとニヒリズム

p.227 ・引用:「伝統的なものに対する関心は失われ、新たな価値に対する確かな意味も見失われるとい  
        う事態が生じかねない。コミュニティは相互の信頼を調達できず、しかし個人的価値には  
        確信をもてない。生の体系的な目的は見失われたが、生の断片化、刹那主義には耐えられ
        ないといった状態である」……「文化的確信(cultural confidence)」の喪失。

p.229 ・引用:「「自由」は、ただ個人の活動領域の解放と拡張にあるだけではなく、その活動に意義を
         与える集団的な価値への参与にもふかくかかわっているものである。言い換えれば、
         「自由」にとっては、個人の選択というより前に、価値のシステムに一貫性と体系性
         を与える文化の「防衛」が不可欠なのである。これは一種の逆説ではあるものの、こ
         の逆説を認めなければ、今日のグローバルな市場社会は、おそるべき意味喪失(ニヒ
         リズム)へゆっくりと沈む込んでゆくことは間違いないと思われる」。

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 佐伯啓思の分析は必ずしも明晰とは言えませんが、グローバリズムが席捲することへの危機感を解き明か
す過程で、文化・伝統がいかに大切であるかの指摘を上手に組み込んでいると思います。ただし、議論はか
なり抽象的なので、歴史的な背景についての基礎知識の不足がちな学生が十分な理解に至るためには、かな
り骨が折れるでしょう。彼の考えをさらに敷衍して、より具体的な文脈で問題の深刻さに論及すれば、わた
したちの置かれている状況が、「待ったなし」の苦境であることがより鮮明化されると思います。万事アバ
ウトな小生自身、21世紀に入ってから、さまざま事柄に強い拒絶反応(たとえば、携帯電話の跳梁跋扈に対
して)を起こしながらも何とかやって来れたのは、「むしろ事態の深刻さに鈍感だったから」という皮肉な
結果だったのではないかと自嘲しています。また、日本の文化・伝統に対する抑え難い嫌悪感がある小生で
すら、なお、日本的な文化・伝統の擁護に回りたい衝動に駆られるのは、故なきことではないでしょう。も
はや、行き着くところに来た感がありますが、さらなる難局が口を開けて待っているとすれば、手を拱いて
いる暇など到底ないことに気付きます。
 さて、次回は、「第四章 倫理としてのナショナリズム」に言及する予定です。

                                                 
 2016年7月14日(木)

 今日はパリ祭です。「倫理学概論 I」で、自由・平等・博愛の話を振ったのですが、受講生の反応はあっ
たのでしょうか。あまり感じられませんでした。さて、雑用を片付けていたら、22時を回りました。もう、
気力、体力ともに売り切れです。明日の講義のノートが不十分なのですが、無理はできません。帰って、眠
ります。

                                               
 2016年7月13日(水)

 介護等体験の肝煎りをしているのですが、先ほど下準備が完了しました。来週以降、委員としての小生も、
5箇所のデイサービス等を自転車で訪問する予定です。真夏の午後という過酷な時間帯ですが、その5箇所
を回れば主要な仕事のほとんどを終了することができますので、少し肩の荷が下りた気分です。ただし、10
月以降にも訪問先が残っていますので、まだ気を抜くわけにはいきません。
 雑用をやっと終えました。23時を大幅に回っています。疲れましたので、帰ります。

                                                 
 2016年7月12日(火)

 やっと、講義ノートを1本完成させました。ただし、もう1本あります。懸案の仕事にも着手しました。
しかし、もう23時を回りましたので、断念です。疲れましたので、帰ります。明日は1限から授業です。貧
乏暇なし、こればかりです。

                                                 
 2016年7月11日(月)

 どうしてこうもいろいろ厄介なことが降って来るのか分からないくらい、雑用が降って来ます。一つ一つ
片付ける他ないのですが、何を優先したらよいのか迷います。とりあえず、どうしても急ぐ必要があるもの
から着手するのが最もリーゾナブルなのですが、小生のひねくれた根性がそうはさせてくれません。不要不
急のものにどうしても目が行ってしまうのです。まったく、因果な性格です。

                                                 
 2016年7月7日(木)

 まだ仕事を完全に終えているわけではないのに、23時を大幅に回ってしまいました。だいぶ眠くなってき
ましたので、帰ります。

                                                
 2016年7月6日(水)

 次から次へと雑用が降って来て、まるでテトリス状態です。今日のイベントはミスが許されないイベント
(入試関係)なので、今から緊張しています。明日は定期健診の日、これも苦手な行事です。それが終わっ
たら、いよいよ「介護等体験」関係のお仕事です。早く、一段落してほしいと、こころから祈っております。

                                                  
 2016年7月5日(火)

 懸案の書類を提出したのですが、「前門の虎、後門の狼」のたとえ通り、今度は「介護等体験」関係の仕
事を片付けなければなりません。まったく、貧乏暇なし、嫌になります。

                                                
 2016年7月4日(月)

 提出締切を過ぎてしまった書類を作成しなければならないのですが、もう23時になんなんとしています。
明日は看護学校出向の日、それが終わったら絶対に着手しなければなりません。絶対だぞ、俺!

                                                
 2016年7月1日(金)

 2016年の後半が始まりました。少しでも充実したときを過ごしたいとこころから思います。

                                                
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