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日日是労働セレクト128
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第128弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト128」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 DVDで内外それぞれ1本ずつ、都合2本のアニメーションを観たので報告しよう。
 1本目は、ジャパン・アニメの『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』(監督:高畑勲、日本アニメ
ーション、1979年)である。1979年放映のTV版アニメーション(全50話)の中の1-6話を、監督の高畑勲
自らが監修して再編集した劇場版だそうである。情操教育には打ってつけの題材で、とくに女子のファンは
多かったに違いないと思う。典型的な筋書ながら、アンの個性が全面的に出ている。ただし、物語の発端だ
けを扱っているので、少し物足りなさを感じざるを得ない。原作は翻訳で読んでいると思うが、だいぶ以前
のことなので、読んだという記憶しかない。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  世界中の人々から愛されているルーシー・モード・モンゴメリの名作児童文学を基にした、1979年
 放映のテレビアニメを劇場公開用に再編集。孤児の少女・アンが苦境を乗り越えていく姿をつづる。
 当時演出を担当した高畑勲が自ら監修。画面構成の宮崎駿ら、現代のアニメシーンを代表するスタッ
 フが多数携わっている。

   〔あらすじ〕

  赤い髪をした少女が、カナダ東部のプリンス・エドワード島に到着する。彼女の名前はアン・シャ
 ーリー(声:山田栄子)。孤児院育ちのアンは、独特の空想癖があり、いつでもどこでも空想を楽し
 んでいた。ところが、迎えに来たマシュウ・カスバート(槐柳二)は、家の仕事を手伝ってくれる男
 の子を引き取るはずであった。マシュウは、手違いに戸惑いながらも、いつしかアンの楽しいおしゃ
 べりに引き込まれていく。マシュウの妹マリラ(北原文枝)に男の子じゃないからいらないと言われ、
 失望するアンだったが、マシュウのたっての願いでこの家、グリーン・ゲーブルズ《Green Gables》
 (緑の切妻〔のある家〕)にアンは置いてもらえることになる……。

 他に、麻生美代子(レイチェル・リンド夫人)、坪井章子(スペンサー夫人)、塩見龍介(駅長)、高村
章子(近所の主婦)、京田尚子(ブルエット夫人)、吉田理保子(フローラ・ジェーン)、貴家堂子(リリ
ー・ジョーンズ)、羽佐間道夫(ナレーター)が声の出演をしている。
 アンは自分の気に入ったものに名前を付けるのが好きで、ただのリンゴ並木には「喜びの白い道」、近隣
の人々が「バリーの池」と呼んでいる湖沼には「きらめきの湖」などの名前を付けている。また、自分の名
前であるアン・シャーリーではなく、「コーデリア」と呼んでほしいとマシュウに訴えている。幼少の頃は
「ジェラルディン」と自称していた由。空想することで、孤児としての自分の厳しい境涯への不如意を和ら
げているが、空想だけに留まらず、自分の人生を積極的に切り開こうとする強い意志が窺われ、とても魅力
的な女の子として描かれている。70年代だから通用した節があるが、現代の10歳前後の女子は、このアニメ
を観てどういった感慨を抱くのだろうか。小生はどうかといえば、たとえ短い期間であっても、こんなとこ
ろで暮らしてみたいと思う。自動車も電化製品も電話も何もかもないけれども、とても豊かな世界が広がっ
ていると感じるからである。
 2本目は、フランス語圏で絶大な人気を誇る『キリクと魔女(KIRIKOU ET SORCIERE)〔SORCIERのEには
アクサン・グラーヴが付く〕』(監督:ミッシェル・オスロ〔Michel Ocelot〕、フランス=ベルギー=ル
クセンブルグ、1998年)である。アンリ・ルソーを思わせる絵柄が斬新で、物語も予定調和とはいえ、まっ
たく飽きさせない構成になっている。文句なしの傑作といえるだろう。小生は音声をフランス語で観たが
(日本語の吹き替えもある)、日本語の字幕があるので困らなかった。再び観る機会があれば、音声を日本
語、字幕をフランス語で、三度観る機会があれば、音声も字幕もフランス語で観てみたい。そして、慣れた
ら、字幕なしのフランス語だけで観てみたい。そのくらい面白かった。なお、日本での公開は2003年8月2日、
日本語版はスタジオジブリ制作、アルバトロス・フィルム配給の由(ウィキペディアより)。
 物語を確認しておこう。以下、上と同様である。

   〔解説〕

  仏で観客動員130万人、興行収入650万ドルというアニメ作品としては歴代興行収入第1位の記録を
 樹立したアニメ。魔女に立ち向かう小さな男の子の大冒険を美しい映像とともに描く。

   〔あらすじ〕

  キリクの生まれた村には、魔女カラバの恐ろしい呪いがかけられていた。泉の水は枯れ、魔女を倒
 しに出かけた男たちはみな食われ、残ったのは老人と子供だけ。村を救うべく、キリクは賢者の住む
 という《禁じられたお山》へ旅に出る。小さな身体に、大きな好奇心を秘めて……。

 声の吹き替えとしては、キリクには神木隆之介、魔女カバラには浅野温子、キリクの母には山像かおりが
担当している。映像の美しさもさることながら、単純ではあるがとても幸せな気分になれるストーリーが素
晴らしい。やはり、『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』と同様、10歳前後の少年少女の情操教育の
教材として、とても優れていると思う。<ウィキペディア>では、「内容はアフリカの村を描いたファンタジ
ー映画。鮮やかな色使い・細密な描画・個性的な音楽・大胆なストーリーで、子供から大人まで楽しめる印
象深い作品となっている。音楽は、セネガル出身の国際的人気歌手ユッスー・ンドゥールが手がけている」
と評されている。とにかく、時間をおいて、また観たいと思ったことはたしかである。なお、『キリクと魔
女2 4つのちっちゃな大冒険』(監督:ミッシェル・オスロ、仏、2005年)という続篇もある由。小さな
キリクが活躍するサイド・ストーリーらしい。これも機会があったら観てみたい。


 某月某日

 DVDで邦画の『沈黙 SILENCE』(監督:篠田正浩、表現社=マコ・インターナショナル、1971年)を観た。
遠藤周作の長篇小説『沈黙』の映画化である。彼の作品は、以下に示す通りいくつか映画化されている。

  『日本の青春』、監督:小林正樹、東京映画、1968年〔筆者、未見〕。原作:『どっこいショ』
  『私が棄てた女』、監督:浦山桐郎、日活、1969年。原作:『わたしが・棄てた・女』
  『沈黙 SILENCE』、監督:篠田正浩、表現社=マコ・インターナショナル、1971年。原作:『沈黙』
  『さらば夏の光よ』、監督:山根成之、松竹=バーニングプロ、1976年〔筆者、未見〕。
   原作:『さらば夏の光よ』
  『真夜中の招待状』、監督:野村芳太郎、松竹、1981年。原作:『闇のよぶ声』
  『海と毒薬』、監督:熊井啓、「海と毒薬」製作委員会、1986年。原作:『海と毒薬』
  『妖女の時代』、監督:長崎俊一、関西テレビ放送=ディレクターズ・カンパニー、1988年
   〔筆者、未見〕。原作:『妖女のごとく』
  『深い河』、監督:熊井啓、「深い河」製作委員会=仕事、1995年。原作:『深い河』
  『愛する』、監督:熊井啓、日活、1997年〔筆者、未見〕。原作:『わたしが・棄てた・女』

 小生はこのうちの5本を観ている勘定になる。『海と毒薬』が最高傑作だと思うが、その他の作品もそれ
なりのできである。ただし、『真夜中の招待状』は失敗作だという認識がある。クリスチャンである遠藤周
作の純文学作品の色調は一様に暗い。本作も同様で、かなり重いテーマを扱っている。ただし、若い頃に一
読したきりなので、あまり覚えていない。したがって、映画との異同に関しては不明である。「転び伴天連」
が登場する小説といえば、長与善郎の『青銅の基督』が真っ先に頭に浮かぶが、本作でも同じフェレーラと
いう苗字の転び伴天連が登場する。あるいは、実在した同じモデルがいるのかもしれない。今、調べてみる
と(ウィキペディア)、『沈黙』は「遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小
説」とあるので、小生の推測は当っていたことになる。いずれにせよ、拷問によって棄教を迫ることの非人
間性には胸を痛めずにはおれない。
 物語を確認しておこう。今回は、<allcinema>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変した
が、ご寛恕を乞う。

   〔解説とあらすじ〕

  1966年に発表され第2回谷崎潤一郎賞を受賞した遠藤周作の同名小説を、篠田正浩が映画化。原作
 者の遠藤が、監督の篠田とともに脚色を担当した。激しいキリシタン弾圧が行われる17世紀の長崎に、
 二人のポルトガル人宣教師が密かに入った。二十年前に渡来し捕らえられた恩師の行方を探るのが目
 的だ。キチジロー(マコ岩松)に案内され隠れ切支丹の村にかくまわれたガルペ(ダン・ケニー)と
 ロドリゴ(デヴィット・ランプソン)だったが、キチジローは金欲しさにロドリゴを役人に売り渡し
 てしまう。ロドリゴは牢の中で若い夫婦の拷問を見せられ、夫の命を救うため妻が踏み絵をするのを
 目の当たりにする。ガルペは水刑で命を落とした信者の後を追い、自ら命を絶った。数日後、ロドリ
 ゴの目の前に、侍装束を身にまとったかつての恩師、フェレイラ(丹波哲郎)が現れた。

 他に、岩下志麻(菊=岡田三右衛門の妻。後に、棄教したロドリゴにあてがわれる)、入川保則(岡田三
右衛門=棄教せずに殉教した侍)、岡田英次(井上筑前守)、三田佳子(丸山遊廓の遊女)、加藤嘉(村長)、
松橋登(モキチ=茂吉)、滝田祐介(イチゾウ)、毛利菊枝(老婆)、戸浦六宏(通辞)、永井智雄(白洲
の役人)、稲葉義男(仮牢の役人)、松本克平(同)、島田順司(同)、殿山泰司(牢番)、陶隆(隠れキ
リシタンの漁師)、松山照夫(同)、伊達三郎(役人)、高橋昌也(ナレーション)などが出演している。
 「穴吊り」という独特の拷問が登場するが、『青銅の基督』では、熱した鉛に顔を近づけさせるという拷
問だったと記憶している。記憶違いだろうか。ロドリゴの取り調べをする井上筑前守を演じている岡田英次
が抜群の演技を披露していると思った。なお、マーチン・スコセッシ監督が、この原作を映画化しようとし
ているという話もある。以下に、関連するネット情報(メディアゴン)を引用させていただく。執筆者に感
謝したい。なお、ほぼ原文通りである。


 *******************************************

  <窪塚洋介も大役をオーディションで獲得>
  巨匠マーチン・スコセッシ監督が遠藤周作の名作「沈黙」を映画化 

                高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事] 2015年8月21日

 イギリスの古書店から取り寄せて1971年に制作された篠田正浩監督による映画「沈黙 SILENCE」を観た。
日本の古本屋では10,000円の値をつけている。言わずと知れた、クリスチャンの作家である遠藤周作の谷崎
潤一郎賞受賞作『沈黙』の映画化である。
 1966年に書き下ろされた『沈黙』 は17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。江戸
時代初期のキリシタン弾圧の渦中にマカオから命がけの航海を経て長崎にやって来た置かれたポルトガル人
の司祭(パードレ)ロドリゴ。
 ロドリゴの目的はイエズス会派の布教。そして、20年前に来日した恩師である司祭フェレイラを探すこと
であった。ロドリゴは案内をかって出た百姓キチジローに「救われ・騙され・役人に売られ」と、翻弄され
ながら布教を続ける。結局、長崎奉行に捕縛されたロドリゴは「転ぶ」ことを迫られるが……。
 原作者・遠藤は篠田と共同で脚本を担当しているが、ロドリゴの棄教に至る経緯などは小説と比較して大
幅な改変が加えられている。おそらく、映画の129分というサイズにするには小説全部、つまり小説の核心を
描くことは不可能だったと考えたからだろう。

 この映画について筆者は以下のように思った。

 ○ ラストシーンは「これはないよ」というような終わりかたである。
 ○ 日本映画なので、欧米の上手な役者をキャスティングできていない。ロドリゴを演じる欧米人の役者が
  イモである。
 ○ フェレイラ司祭のキャスティングは吹きだしてしまう。

 ……と、文句を並べ立てたが、この映画、駄作ではない。上記3点以外はじっと見てしまうレベルの映画
だ。
 この映画を『タクシードライバー』(1976)のマーチン・スコセッシ監督が映画化してクランクアップし
たばかりだ。ロケ場所は残念ながら台湾であるが、これは期待してしまう。配役は以下の人たちだ。

  フェレイラ司祭:リーアム・ニーソン
  ロドリゴ司祭:アンドリュー・ガーフィールド
  通詞 :浅野忠信
  モキチ:塚本晋也
  キチジロー:窪塚洋介
  井上筑後守:イッセー尾形

 このキャスティングにも期待してしまう。アンドリュー・ガーフィールド は『ソーシャル・ネットワー
ク』(2010)や『アメイジング・スパイダーマン』(2012)で有名だ。
 窪塚洋介の役は大きな役だが、窪塚の名前がこれまで公にならなかったのは、この役を窪塚が、オーディシ
ョンで勝ち得たからだ。
 さて、篠田監督の時と違うのは原作者が脚本に関わらないことだ。これは良いことである。小説家と脚本
家は違う。
 さらに、巨匠スコセッシ監督は、原作を25年以上前に読んで以来、映画化をしたいと思ってきたという。

  「遠藤周作がこの作品で描いたテーマは、僕の人生においても、本当に本当に若い頃からすごく重
   要なことだった。僕はすごく敬虔なカトリックの家庭で育ってきたから、宗教に深く入り込んで
   いたからね。だから、この本を1988年にもらって以来、強く惹かれてきたんだ」。

と、米誌のインタビューに答えている。……ということは、篠田作品のような省略はしないということだ
ろう。ますます期待してしまう。

 *******************************************


 小生とそれほど変わらない感想である。スコセッシ監督の新作も、機会があれば観てみたいと思う。

                                    
 某月某日

 DVDでアニメーション映画の『幻魔大戦』(監督:りんたろう、角川春樹事務所、1983年)を観た。名前  
だけは知っていたが、内容までは知らなかった。当時けっこう話題になっていたので、少しだけ期待したが、 
筋書も映像も陳腐でがっかりした。だいいち、絵柄が小生の好みとはとても言えず、その点でも残念だった。 
原作は平井和正(小説)と石森章太郎〔後、石ノ森章太郎〕(漫画)なので、それなりではあったが……。  
また、サイオニクス戦士の顔ぶれが『サイボーク009』を連想させたので、その点でも興醒めだった。大友
克洋がキャラクターデザインを担当しているが、『AKIRA』(監督:大友克洋、アキラ製作委員会、1988年)
には遠く及ばなかった。もっとも本作の経験が活かされているだろうから、その意味では参加したこと自体
はよかったのだろう。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  大宇宙の破壊を企む暗黒の支配者、幻魔と戦う地球の各地から集まったエスパーたち(サイオニク
 ス戦士)の活躍を描く。平井和正、石森章太郎の同名の原作のアニメーションで、脚本は『宇能鴻一
 郎の姉妹理容室』の内藤誠、『襲われる女教師』の桂千穂、真崎守の共同執筆、監督は『さようなら
 銀河鉄道999』のりんたろうがそれぞれ担当。

   〔あらすじ〕

  トランシルバニア王国の第一王女ルナ姫(声の出演:小山茉美)は、親善使節として米国に向うジ
 ェット機に乗っていた。機内で、彼女は手に持った水晶の球の中にジェット機が落ちるのを見て大声
 をあげた。同時に機は宇宙から飛んできた物体と衝突して墜落する。空中に放りだされたルナは、宇
 宙のエネルギー生命、フロイ(三輪明宏)の声を聞く。フロイによれば、宇宙の破壊者である幻魔大
 王(佐藤正治)の死の手が銀河系に伸びており、超能力を持つ者を集めて地球を救うために戦えとい
 う。ルナはフロイによって遣わされたサイボーグ戦士ベガ(江守徹)とともに同士を求めて飛びたっ
 た。その頃、東京では、高校生の東丈(古谷徹)が野球部のレギュラーからはずされ、ガールフレン
 ドの沢川淳子(潘恵子)にも冷たくされて腐っていた。ある夜、丈は淳子を新宿に呼びだした。夜な
 のに学生服で外出した丈に、淳子は「あなたの姉の存在が大き過ぎる。暫く会わない方がいい」と話
 す。ホンダ・ストリームに乗って走り去る彼女の後姿を寂しげに見送った丈は、憂さ晴らしに成人映
 画を観ようとして断られ、新宿ALTA附近をうろついていた。そこへ、ベガが現れ、丈を追いつめ
 る。周囲の通行人は石のように動かない。建築中のビルの屋上に逃げた丈は、恐怖に錯乱すると、建
 築資材がベガめがけて飛んでいった。これはルナが丈の超能力を調べるためにやったことで、その力
 は予想以上だった。自分の力に驚く丈は、帰路、シャッターの降ろされた吉祥寺サンロード商店街で、
 マクドナルド・ハンバーガー・ショップの前にあったポリバケツの蓋を思うがままに飛ばした。数日
 後、ルナは丈とテレパシーでコンタクトするが、彼は怯えて自分の殻の中に閉じこもる。その原因は、
 丈が小さい頃から、危険を感じると姉の三千子(池田昌子)に頼っていたことにあると悟ったルナは
 逃避をやめて自立しろと説得する。地球を救う戦いに参加する決意をした丈は、この途方もない話を
 姉にすると、彼女は疑いもなく信用し、愛の力が宇宙を救うのだと話す。幻魔は淳子に乗り移り、丈
 に襲いかかるが、彼はなんとか敵の攻撃をかわした。その頃、幻魔がニューヨークを襲い、市は廃墟
 と化し、超能力を持った黒人少年ソニー・リンクス(林泰文)が、謎の炎に包まれ、それがどんどん
 膨張していた。その光景を呆然と見つめるルナ、ベガ、丈。そこでルナは各地の超能力者にテレパシ
 ーを送ると、サラマンダー(内海賢二)、ヨーギン(槐柳二)が集まり、皆の協力でソニーを救い、
 幻魔を追い払った。同じ頃、東京でも幻魔が大暴れてしており、ニューヨーク同様に廃墟と化してお
 り、吉祥寺の丈の自宅では幻魔の手下、ザメディ(滝口順平)とザンビ(永井一郎)が三千子に襲い
 かかっていた。三千子はテレパシーでガスレンジに火を付け、一人を焼き殺すが、無残に殺されてし
 まった。東京に戻った丈は戦いに傷つき、医師のカフー(穂積隆信)に手当てを受けるが、彼こそが
 幻魔を代表する配下であった。回復した丈は、超能力を持ったアラビアの遊牧民アサンシ(田中秀幸)
 と少女のタオ(原田知世)とともに、カフーを追い富士山に向った。丈たちよりも一枚も二枚も上手
 のカフーは二人を冷凍にするが、その時、死んだ三千子の霊が現れ、カフーを残留思念によって倒す。
 そして、集まって来たルナ、サラマンダー、ソニー、ヨーギンたちの力(サイキック・ウェーブ・マ
 ッサージ)で、丈とアサンシは蘇生する。そのとき、火口から幻魔が現れ、全員に襲いかかった。そ
 の爆発的なパワーにはね飛ばされる丈たち。そこで、全員が輪になり、皆の力をベガに集中して立ち
 向かう。これには幻魔もかなわず、一瞬にして氷となって砕け散った。役目を終えてベガは、緑の水
 晶球となって、手をつないで輪になったルナ、丈、ヨーギン、サラマンダー、アサンシ、タオ、ソニ
 ーたちの姿が空中に浮かんでいた。

 他に、塩沢兼人(江田四郎=丈の友人)、寺田誠(オライリー所長=ザメディに乗っ取られる)、宮内幸
平(侍従長)、矢田耕司(アナウンサー)、恵比寿まさ子(丈の幼年時代)、塩谷翼(黒人ギャング=ソニ
ーの手下)、塩谷浩三(同)、加藤友子(若い女A)、青木典子(同じくB)、白石加代子(女占星術師)
などが声の出演をしている。字幕では、江田四郎の「四郎」が「四朗」になっていた。元々は「四朗」なの
で(ただし、マガジン版では矢頭四朗)、それでいいのだが、統一した方がよかったのではないか。また、
『太陽の王子 ホルスの大冒険』(演出:高畑勲、東映動画、1968年)〔「日日是労働セレクト127」、
参照〕でも感じたことであるが、「静止画」の使用はやはりアニメとして安っぽく見える。いずれにせよ、
原作を読んでいないので、文句を言えた義理ではないが、評判とは裏腹な印象を抱いたことはたしかである。


 某月某日

 DVDで邦画の『明治大帝と乃木将軍』(監督:小森白、新東宝、1959年)を観た。新東宝の「明治天皇3
部作」の第3作目(完結篇)に当る作品である。3作の中では一番地味目の作品だろうか。明治天皇役をス
ターの嵐寛寿郎が演じているのに対して、彼と比べると著名度において遥かに後塵を拝する林寛が乃木希典
に扮しているためかと思われる。もっとも、林寛は、『明治天皇と日露大戦争』(監督:渡辺邦男、新東宝、
1957年)においても、『天皇・皇后と日清戦争』(監督:並木鏡太郎、新東宝、1958年)においても、乃木
希典役を演じているので、その流れでキャスティングが決ったのだと推測される。なお、他に、以下の映画
やTVドラマで、乃木希典が登場する。

  『日本海大海戦』、監督:丸山誠治、東宝、1969年(「日日是労働セレクト23」、参照)。 
   乃木希典役:笠智衆
  『二百三高地』、監督:舛田利雄、東映東京、1980年(「日日是労働セレクト17」、参照)。 
   乃木希典役:仲代達矢
  『坂の上の雲』、演出:柴田岳志/佐藤幹夫/加藤拓/木村隆文/一色隆司、NHK、2009年11月29日-
   2011年12月25日(筆者未見)。 
   乃木希典役:柄本明

 ネットの評判では(<YAHOO JAPAN! 知恵袋>より)、仲代達矢の乃木はそっくりと言われており、柄本明
の乃木は論外という酷評もある。小生の印象でも、『二百三高地』の乃木(仲代達矢)はいかにもという感
じで、彼の当り役かと思われる。ただし、林寛の演技はけっして劣るものではなく、リアリティも十分にあ
ると思う。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  『明治天皇と日露大戦争』、『天皇・皇后と日清戦争』につづく新東宝“天皇三部作”の最終篇。
 大蔵貢が原作を書き、『大東亜戦争と国際裁判』の館岡謙之助が脚色、『静かなり暁の戦場』の小森
 白が監督した。撮影は『九十九本目の生娘』の岡戸嘉外。

   〔あらすじ〕

  日露関係が風雲急を告げていた明治三十七年一月、明治大帝(嵐寛寿郎)の苦心の打開策にもロシ
 アは一向に誠意を見せず、逆に旅順に難攻不落を誇る要塞を築き、名将ステッセル(エルマー・ポポ
 リッチ)をそこに送ってきた。そのころ、乃木希典(林寛)は那須野ヶ原で百姓仕事をしていたが、
 西南の役で軍旗を奪われた罪をとがめなかった大帝の恩に報いようと有事に備えていた。ついに宣戦
 布告。朝鮮から満州へと進撃した日本軍は戦争の勝敗を左右する旅順攻撃へと向った。その任に当っ
 たのは、大帝直々のお言葉で当時近衛師団長の乃木将軍。まず港口を封鎖し八月十九日から第一回総
 攻撃の実施となった。が、それに先立つ御前会議で、要塞内部にいる婦女子を戦禍から免れさせるよ
 うにとの決定があり、そのため攻撃はさらに困難となった。それにロシア軍は新兵器・機関砲を使っ
 た。第一回総攻撃は一万五千の犠牲者を出して失敗した。兵員を補充して新たな攻撃を試みたが、戦
 線は膠着状態。乃木更迭の声が高まった。しかし将軍を信ずる大帝は許さなかった。そして数カ月、
 旅順は陥落、海軍の勝利とともに戦いは終った。講和条約が成立して宮中に参内した乃木将軍は作戦
 指導の拙さを大帝に謝した。しかし実情を知る大帝はかえって労をねぎらった。戦争が終っても大帝
 の将軍に対する信頼は変らず、学習院の院長に任命した。やがて、大帝が病に倒れ、永眠した。寝食
 を忘れ、大帝に仕えていた将軍の悲嘆は大きかった。大帝崩御の一カ月半後この世に生きる意義を失
 った将軍は、静子夫人(村瀬幸子)ともども、その後を追って自刃した。

 他に、高倉みゆき(昭憲皇后)、片岡彦三郎(長男勝典=南山総攻撃で戦死)、和田桂之助(次男保典=
第3回旅順総攻撃で戦死)、細川俊夫(山縣元帥)、近衛敏明(大山元帥)、沼田曜一(児玉大将)、守山
竜次(寺内中将)、九重京司(岡沢中将)、広瀬康治(長岡少将)、芝田新(伊東元帥)、明智十三郎(山
本大将)、中西博樹(伊集院中将)、若宮隆二(伊知地少将)、佐伯秀男(山岡少佐)、新宮寺寛(白井少
佐)、御木本伸介(吉岡少佐)、小浜幸夫(大内少佐)、沖啓二(富永中尉)、千葉徹(石川軍曹)、西一
樹(副官)、小林重四郎(須知中佐=常陸丸の連隊長)、中村竜三郎(大久保少尉)、坂東好太郎(谷干城)、
江見俊太郎(河原林少尉)、倉橋宏明(島村大尉)、ジム・エグノール(レース大佐)、武村新(村井久助)、
中村虎彦(渡辺寅松=俥屋)、北村真知子(春子=寅松の孫娘)、國方傳(山田=馬丁)、杉山弘太郎(三
好=書生)、渡辺高光(軍人)、徳大寺君枝(女官長)、宮田文子(女官)、朝倉彩子(同)などが出演し
ている。
 最近では、「殉死」という行為は稀になったが、昭和天皇崩御の際にも、殉死と思われる自殺があったと
いう報告もある(ウィキペディアより)。われわれ現代人には、なかなか想像力の及ばない領域ではある。


 某月某日

 DVDで邦画の『天皇・皇后と日清戦争』(監督:並木鏡太郎、新東宝、1958年)を観た。新東宝の、いわ
ゆる「明治天皇3部作」の第2作目に当る作品である。『明治大帝と日清戦争』という別名もある。小生は、
第1作目の『明治天皇と日露大戦争』(監督:渡辺邦男、新東宝、1957年)は鑑賞済みであり、第3作目の
『明治大帝と乃木将軍』(監督:小森白、新東宝、1959年)は次に観る予定の作品である。さらに、『明治
大帝御一代記』(監督:渡辺邦男、大蔵映画、1964年)という上記の一連の作品を再編集し、追加撮影して
製作された作品もある由(筆者、未見)。「日日是労働セレクト23」に、『明治天皇と日露大戦争』の関
連記事があるので、以下に引用してみよう。


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  某月某日

 2本目は『明治天皇と日露大戦争』(監督:渡辺邦男、新東宝、1957年)である。当時、7億円の興行
収入をあげた大ヒット作だそうである。旅順、黄海、遼陽、奉天の戦い、および日本海海戦を描いている。
明治天皇(実名で登場させたため、社会的センセーションを巻き起こしたらしい)を演じた嵐寛寿郎は、
なかなか貫禄があってよかった。「天皇には辞職はないぞ」や「戦地の将兵に避暑はあるか」などの台詞
がぴったりと決まっていた。日露戦争関連の映画の中で、明治天皇(他では、三船敏郎、平幹二郎、先代
の松本幸四郎などが演じている)に最もスポット・ライトが当たっている作品である。出演者は大勢であ
るが、小生が確認できた役者だけは挙げておこう。藤田進(井上馨)、田崎潤(東郷平八郎)、丹波哲郎
(島村少将)、宇津井健(廣瀬武夫少佐)、高島忠夫(乃木保典=乃木希典の息子)、若山富三郎(橘少
佐)、天知茂(代議士)などである。明治天皇の御製が何句か披瀝されるが、大時代を感じさせた。なお、
日本海海戦の特撮はいただけなかった。その点がだいぶ作品の質を落としている。別の観点から言えば、
いかに円谷英二の技術が優れていたかが判る。

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 あまり詳しい記述ではないが、これを読むと、うっすらと作品のイメージが湧いて来る。当該作品もその
延長線上にあることは明らかで、陸戦だけではなく海戦の様子もけっこうリアルに描かれている。おそらく、
後に戦争映画を製作した人々の参考に供したのではないか。なお、日露戦争を描いた映画はいくつかあるが、
日清戦争だけに焦点を合せた映画は唯一といってもよいのではないか。その点で、貴重なフィルムである。
例えば、小生の浅薄な知識では、東学党の乱(甲午農民戦争)、下関条約(日清講和条約/馬関条約)、遼
東半島・台湾・澎湖諸島などの割譲、二億テールの賠償金、仏独露の三国干渉、遼東半島の返還などしかな
く、清の北洋艦隊との海戦であった豊島沖海戦や黄海海戦についてはまったく知らなかった。また、清国の
戦艦「定遠」(日本軍による鹵獲を避けるために自沈。艦長の劉歩蟾も自決を遂げた。ウィキペディアより)
や同型艦「鎮遠」(日清戦争において日本海軍に鹵獲され、戦後に戦利艦として日本海軍に編入された。同
じく、ウゥキペディアより)も初めて聞く名前だったし、それらの戦艦が当時「堅艦」として東洋一の威容
を誇ったことも初耳だった。要するに、ほとんど無知な状態でこの映画を観たことになる。もちろん、当該
映画がどこまで史実に忠実であるかは窺い知れないので、その分は割り引いて受け取らなければならないだ
ろう。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容されたし。

   〔解説〕

  先に同じ新東宝が製作した『明治天皇と日露大戦争』の姉妹篇で、日清戦争を中心に天皇と皇后を
 描く。社長大蔵貢が自ら原作を書き『世界の母』の館岡謙之助が脚色、『鏡山誉の女仇討』の並木鏡
 太郎が監督した。撮影は、『戦雲アジアの女王』の山中晋。主演は、明治天皇に『稲妻奉行』の嵐寛
 寿郎、皇后に『戦雲アジアの女王』の高倉みゆき、そのほか高田稔、天城竜太郎、若山富三郎、高島
 忠夫、藤田進、和田桂之助などオールスター・キャスト。色彩はイーストマンカラー。

   〔あらすじ〕

  明治二十七年八月一日、日清両国間に宣戦が布告された。祖母(五月藤江)と二人暮しの山田一太
 郎(高島忠夫)のもとにも召集令状がきた。老いさき短い祖母は苛酷な運命を呪った。そして旬日、
 一太郎は、“一太郎やーい”という祖母の悲痛な叫び声を後に宇品港を発った。その頃、宮中では明
 治天皇(嵐寛寿郎)を中心に伊藤博文首相(阿部九州男)ら重臣によって大本営の広島進駐が決定さ
 れた。一方、戦線では韓国の野津師団が激闘の末に平壌を陥し、海軍も海洋島の東北東で四時間半に
 わたる大海戦を演じて勝利をおさめた。内地では天皇、昭憲皇后(高倉みゆき)が率先して国民の志
 気を高めようと、傷病兵の慰問などに心を尽されていた。黄海の制海権を握った日本軍は山縣有朋大
 将(高田稔)の率いる第一軍と大山巌大将(信夫英一)の率いる第二軍をもって旅順攻略を目指し進
 撃を開始した。旅順はドイツ人を招いて作った最新式の要塞、攻略作戦も一頓座を来したが、木口小
 平喇叭卒(和田桂之助)らの決死的攻撃によって、前面の堅塁、黄金山砲台の陥落に成功した。この
 進撃に清国は驚愕した。数日後には米国を通して講和打診が行われてきた。これをめぐって大本営で
 は白熱的な論議が闘わされた。この間にも威海衛攻略の火蓋は切られた。第二軍は威海衛軍港の背面
 に迫り、海軍が軍港の奥深くひそむ北洋艦隊に決戦を挑んだ。闇黒の海面を修羅場に化した水雷夜戦。
 こうして清国海軍は“定遠”以下の多数の艦船を失い、威海衛は陥ちた。この形勢に狼狽した清国は、
 ついに講和使節を送ってきた。二十八年三月十九日、講和全権(清国軍機大臣講和全権大使)として
 李鴻章(勝見庸太郎)一行が下関に上陸、翌二十日から講和談判が始った。李鴻章が一暴漢〔小山六
 太郎〕(天知茂)に狙撃されるという一幕もあったが、講和談判は日本側に有利な結果をもって終っ
 た。しかし、勝利の歓喜がまだ全国に達せぬうちに、突如、日本の息の根を止めるような大事件が起
 った。ロシア、フランス、ドイツが、清国の同意を得て割譲される筈の遼東半島の領有権を放棄せよ
 というのである。しかも、世界情勢は日本に不利、平和を希う天皇は遂に三国勧告受諾のご聖断を下
 した。

 他に、江川宇礼雄(西郷従道海相)、鳥羽陽之助(松方正義蔵相)、浅野進治郎(陸奥宗光外相)、廣瀬
康治(野津道貫中将/第五師団長)、大谷友彦(立見尚文少将/第十旅団長)、沢井三郎(山地元治中将/
第一師団長)、林寛(乃木希典少将/第一旅団長)、芝田新(川上操六中将/参謀次長)、廣瀬恒美(児玉
源太郎少将/陸軍次官)、沼田曜一(山本権兵衛少将/軍務局長)、國創典(大寺安純中将/参謀)、藤田
進(伊東祐亨中将/連合艦隊司令長官)、明智十三郎(出羽重遠少将/連合艦隊参謀長)、岬洋二(坪井航
三少将/第一遊撃隊司令官)、若杉英二(向山慎吉少佐/「松島」副艦長)、舟橋元(島村速雄少佐/連合
艦隊参謀)、高村洋三(藤田少佐/水雷艇隊隊長)〔実在不祥〕、三村俊夫(今井兼昌大尉/水雷艇隊隊長)、
菊地双三郎(伊勢地大佐)〔実在不祥〕、若山富三郎(原田重吉一等兵)、中村龍三郎(三村幾之助中尉)、
御木本伸介(佐藤兼吉二等兵)、天野照子(その母親)、中山昭二(田代小隊長)、宇津井健(三浦虎次郎
三等兵曹)、千葉徹(連絡将校)、丹波哲郎(大鳥圭介/駐清兼駐韓公使)、岡竜弘(林董外務次官)、武
村新(井上書記官)〔実在不祥〕、松本朝夫(通訳官)、原文雄(米田虎雄侍従)、秋山要之助(日野西侍
従)〔実在不祥〕、九重京司(岡沢精少将/侍従武官長)、細川俊夫(齋藤實少佐/侍従武官)、藤村昌子
(典侍)、津路清子(同)、三原純(香川敬三皇后太夫)、中村彰(石黒忠悳軍医総監/野戦衛生長官)、
泉田洋志(防護巡洋艦「吉野」の参謀)、大江満彦(山村少佐/同じく「松島」の参謀)、江見俊太郎(李
鴻章の随員/通訳官)、浪野幹雄(袁世凱/清国駐韓公使)、高松政雄(袁世凱の随員)、坂内英二郎〔永
三郎〕(丁汝昌/北洋艦隊司令長官)、若月輝夫(程壁光/清国軍使)、大原譲二(程壁光の随員)、武田
正憲(閣泳駿/李氏朝鮮総理)、有馬新二(李氏朝鮮随員)、小倉繁(山田一太郎の出自である村の村長)、
石川令(その村の助役)、鮎川浩(郵便夫)、筑地博(世話役)、横山運平(荷車を引く農民)、天津七三
郎(その息子)、明日香実(軍楽隊長)、山口多賀志(廣島病院長)、川部修詩(仁川病院長)、徳大寺君
枝(看護婦長)、倉橋宏明(傷病兵)、國方傳(同)、遠藤達雄(同)、南沢潤一(同)、宗方祐二(國本
中尉)、小浜幸夫(見張員)、山川朔太郎(俘虜)、加藤章(同)、草間喜代四(同)、杉山弘太郎(壮士)、
伊達正三郎(同)、小高まさる(出征兵士)、杉寛(その父)、エド・キーン(ロシア大使)などが出演し
ている。
 なお、明治天皇は「伏見桃山陵」に、昭憲皇太后は「伏見桃山東陵」にまつられている。


 某月某日

 映画館とDVDで2本の映画(邦画と洋画、それぞれ1本ずつ)を観たので報告しよう。
 1本目は『黒薔薇の館』(監督:深作欣二、松竹、1969年)である。『黒蜥蜴』(監督:深作欣二、松竹、
1968年)〔筆者、未見〕につづく、丸山明宏(現 三輪明宏)主演の異色作である。いわば、「丸山明宏の、
丸山明宏による、丸山明宏のための映画」とでも言いたくなるような作品である。あたご劇場で観た。主催
は「へびや」で、「第68回高知市文化祭参加行事」でもある。実は、昨年の6月7日(土)、あたご劇場は上
記の『黒蜥蜴』を「MOVIEJUNKY+カイノナマエ」の主催で上映しているのだが、小生は所用で観ることがで
きなかった。観ておけばよかったのであるが、今となっては次の機会を待つほかない。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕いただきたい。

   〔解説〕

  『恐喝こそわが人生』の松田寛夫と深作欣二が共同でシナリオを執筆し、深作が妖麗な謎の女をめ
 ぐる異常な性行動を描いたもの。撮影は『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』を担当した川又昂。

   〔あらすじ〕

  藤尾竜子(丸山明宏)は、佐光喬平(小沢栄太郎)が経営するクラブ「黒薔薇の館」で純粋至上の
 愛を歌い、男たちを陶酔させた。崇拝者たちは、種々の手段を講じて竜子に近づこうとしたが誰一人、
 彼女の気に入る者はいなかった。佐光もまた、彼女を愛する者のひとりだった。ある日、竜子のかつ
 ての男・風間(内田良平)が、復縁を迫り混血少年のジョージ(城アキラ=ジョー山中)と決闘して
 即死した。その惨事を見て竜子の瞳は、妖しくも、美しく輝くのだった。それから数日、竜子は佐光
 に自分の愛の遍歴を打ち明けた。それは、求め続けながらまだ獲得出来ない“絶対の愛”についての
 嘆きだった。その時佐光は、彼女を慰め、「黒薔薇の館」を彼女の手に委ねた。竜子の意匠のもとに
 改装された「黒薔薇の館」は官能的な幻想の世界に変貌し、会員たちを驚かせた。「館」の主人にな
 った竜子は女王の気品を備え、ますます男たちを魅了した。佐光はそんな有様に幸福だった。しかし、
 彼の幸福は長続きはしなかった。佐光と病弱の妻(宝生あやこ)との間に生まれた一人息子亘(田村
 正和)が舞込んで来たのだ。やがて、竜子と亘は結ばれたが、二人で生きていくには金が必要だった。
 一度は断念した組織の金を強奪する計画を実行した亘は、警察と組織の両方から追われていた。追い
 つめられた亘の姿は、竜子の心を強烈に惹きつけた。佐光は愛人を奪われた嫉妬から息子を罵り、自
 分と竜子のどちらを取るか迫ったが、警官に撃たれた傷で苦しむ亘は死を覚悟して、竜子とともに逃
 走を企てた。竜子と亘との、死をも恐れぬ至上の愛が美しく燃えた。やがて、二人を探し廻る佐光は
 港で息絶えている亘と竜子の姿と対面するのだった。二人を乗せたモーターボートが貨物船に激しく
 衝突した結果であった。

 他に、西村晃(大友=竜子の夫を名乗る男)、川津祐介(津川=竜子に惚れ抜いた男)、室田日出男(喬
平の長男)、松岡きっこ(玲子=その妻)、曽根晴美(亘と組織の資金強奪を企てる男)、宇佐美淳也(喬
平の友人)、小松方正(滝田警部)、穂積隆信(梶岩=作家)、諸角啓二郎(代議士)などが出演している。
 西村晃の大袈裟な演技には思わず苦笑したが、この映画にはむしろあれでよかったのだろう。深作欣二が
一連の「仁義なき戦い」シリーズ(1973年-1974年)を撮る前にこんな作品を手掛けていたとはついぞ知ら
なかった。丸山明宏と三島由紀夫のつながりと、深作欣二はどう関係するのだろうか。少しだけ興味のある
話題ではある。
 2本目はDVDで鑑賞した洋画の『顔のないヒトラーたち(Im Labyrinth des Schweigens, 2014)』(監督:
ジュリオ・リッチャレッリ〔Giulio Ricciarelli〕、独国、2015年)である。「ナチス」の周辺を描いた映
画は数多くあるが、久々に重厚な映画を観ることができたという思いは強い。『質屋(The Pawnbroker)』
(監督:シドニー・ルメット〔Sidney Lumet〕、米国、1964年)〔「日日是労働セレクト121」、参照〕
を観て以来の「ナチスもの」であるが、アウシュヴィッツの惨劇を具体的に描いている点で、貴重な映画で
もある。「アウシュヴィッツは、8,000の部品(ナチの親衛隊のこと)でできた殺人マシーンである。時に
はお役所的、時には残虐的だ。8週間前は150人だったが、今や容疑者は8,000人もいる」という、主人公ラ
ドマンの台詞が印象的だった。
 物語を確認しておこう。以下、上と同様。

   〔解説〕

  戦時中にナチスが犯した罪をドイツ人自ら裁き戦争責任に向き合う契機となった1963-1965年のア
 ウシュヴィッツ裁判開廷までの道程を、事実に基づき描いた人間ドラマ。戦後十数年が経ち戦争を過
 去のものとする雰囲気に包まれる中、ナチスの罪を浮かび上がらせようとした検察官たちの苦闘に迫
 る。監督は俳優としても活躍するイタリア出身のジュリオ・リッチャレッリ。本作が長編映画初監督
 作品となる。主演は『ゲーテの恋 ─君に捧ぐ『若きウェルテルの悩み』─』のアレクサンダー・フェ
 ーリング。ほか、『ハンナ・アーレント』のフリーデリーケ・ベヒトらが出演。

   〔あらすじ〕

  1958年、西ドイツのフランクフルト・アム・マイン(Frankfult am Main)。第二次世界大戦が終
 わってから十数年が経ち、西ドイツは西側諸国との結びつきを強くして経済復興を成し遂げようとし、
 大半の人々は戦争は過去のものとして当時の記憶も自分たちが犯した罪も忘れ去ろうとしていた。そ
 んな中、あるジャーナリストがかつてアウシュヴィッツ強制収容所にいた元親衛隊員が規定を破り教
 職についていることを突きとめる。上司の制止も聞かず、新米検察官のヨハン・ラドマン(アレクサ
 ンダー・フェーリング)は、ジャーナリストのトーマス・グニルカ(アンドレ・シマンスキ)や強制
 収容所の生き残りであるユダヤ人シモン・キルシュ(ヨハネス・クリシュ)などとともに調査を開始。
 さまざまな妨害にあいながらも、検事総長フリッツ・バウアー(ゲルト・フォス)の指揮のもと、生
 存者の証言や実証を得ながらナチスがアウシュヴィッツで犯した罪の詳細を明らかにしていく。

 他に、フリーデリーケ・ベヒト(マレーネ・ウォンドラック=ラドマンの恋人)、ヨハン・フォン・ビュ
ロー(オットー・ハラー検事)、ハンシ・ヨクマン(ラドマンの実直な秘書)、ロベルト・フンガー・ビュ
ーラー(検事正ウォルター・フリードベルク)などが出演している。なお、配役に関しては、ネット記事の
<みなと横浜みなみ区3丁目>を参照した。このサイトには、当該映画に関するかなり詳細な記述があるので、
興味のある人は参照されたし。
 ところで、ラドマンは、とくに、当時アウシュヴィッツの医師であったヨーゼフ・メンゲレを追いつめよ
うとするが、取り逃がしている。シモンの供述によれば、以下のような陰惨な事実があった由。

  シモンの供述:実験と称して、双子のルースとクララ(シモンの娘)を拷問し、チフス菌や結核菌
         やジフテリア菌を注射。さらに、麻酔もせずに、メスを入れて内臓を取り出し、頭
         には針を何本も刺した。それから二人を背中合わせに縫いつけたそうだ。

 まさに人間がすることとは思えない残虐行為であるが、ヨーゼフ・メンゲレ(Dr.Josef Mengele)は、モ
サドの追及を逃れて、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、パラグアイ、ブラジルに逃げている。なお、彼
は実在の人物である。詳しい記述が<ウィキペディア>にあるので、引用しよう。執筆者に感謝したい。なお、
ほぼ原文通りである。


 *******************************************

   ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele, 1911年-1979年)はドイツの医師、ナチス親衛隊 (SS) 将校。

  第二次世界大戦中にアウシュヴィッツで勤務。収容所の囚人を用いて人体実験を繰り返し行った。
 実験の対象者や、直ちにガス室へ送るべき者を選別する際にはナチス親衛隊の制服と白手袋を着用し、
 クラシックの指揮者さながらに作業にあたったと伝えられ、彼の姿を見た人々からは恐れられた。人
 種淘汰、人種改良、アーリア化を唱えるナチス人種理論の信奉者であったが、その持論は全く異なっ
 た独特の思想である。愛称のベッポ (Beppo) はJosefのイタリア語読み「ジュゼッペ」(Giuseppe) に
 由来する。戦後は南米で逃亡生活を送り、ブラジルで海水浴中に心臓発作を起こし死亡した。

   生い立ち

  メンゲレはドイツ南部バイエルン王国ギュンツブルクの裕福な農業機械工場経営者、カール・メン
 ゲレ(1881年-1959年)とその妻・ワルブルガ(出生年不明-1946年)の間に、3人息子の長男として
 生まれた。 弟にカール・メンゲレ(1912年-1949年)およびアロイス・メンゲレ(1914年-1974年)が
 いた。
  大学時代はミュンヘン大学、ウィーン大学、ボン大学で遺伝学、医学、人類学を研究し、1935年に
 下顎構造の人種間の差に関する研究で人類学の博士号 (Ph.D) を得た。1937年、フランクフルト大学
 では指導教官オトマール・フォン・フェアシュアー (Otmar von Verschuer) の下で助手として遺伝
 生物学と民族衛生学を研究した。1938年には「口唇口蓋裂の家系調査」の研究で医学博士号 (M.D.)
 を取得した。

   ナチス

  1931年、20歳のときにヴァイマル共和国に反対する右翼政治団体である鉄兜団 (Stahlhelm) に加
 わる。同団体は1933年の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の政権獲得後、ナチス突撃隊に吸収
 される。その後、健康上の問題を理由に退団し、1937年にナチ党に入党。1938年にSSに入隊。1938年
 から1939年まで6か月間、チロルの第137山岳兵連隊にて義務兵役に就く。
  1939年、最初の妻となるイレーネと結婚し、息子をもうけルドルフと名付けた。1940年に武装親衛
 隊に志願、最初は予備医療部隊、次いで第5SS装甲師団「ヴィーキング」に軍医として配属され、東
 部戦線に従軍するが、1942年に負傷し、前線任務に適さないと判定された。1943年4月20日に親衛隊
 大尉に昇進。この間、第一級・第二級鉄十字章、黒色戦傷章、東部戦線従軍記念メダルなどを授与さ
 れた。同年5月30日にアウシュヴィッツ強制収容所に配属され、主任医官になった。
  メンゲレは、アウシュヴィッツに21か月間(1943年5月30日-1945年1月17日)勤務し、「死の天使」
 とも渾名された。囚人の乗せられた貨車がアウシュヴィッツに到着した時、メンゲレはプラットフォ
 ームに立ち、降りてくる囚人の誰が仕事と実験に役立つか、また誰がガス室に送られるべきかを選別・
 指図した。人体実験を行った理由は、自分の出世のために実験結果をどうしても認めさせる必要があ
 ったからであるが、メンゲレは義務としてユダヤ人を淘汰させることが本当に正しいかどうかで葛藤
 していたと言われている。また、戦後生き残った生存者の証言によると、メンゲレはクラシックを好
 み、選別作業中や人体実験の合間に口ずさんでいたと証言している。

   人体実験

  ヨーゼフは実験対象である囚人をモルモットと呼び、加圧室に置く、有害物質や病原菌を注射する、
 血液を大量に抜く、熱湯に入れて麻酔なしで手術をする、さまざまな薬剤をテストする、死に至るま
 で凍らせる、生きたまま解剖するなど、囚人達に致命的外傷を与える実験を繰り返した。
  彼はナチズムの信奉者であったが、ユダヤ人に関してはアドルフ・ヒトラーや他の信奉者とは全く
 違った見解を持っていた。一般的なナチズムの信奉者は社会ダーウィン主義に基づき劣等民族である
 と考えていたが、彼の主張はエリート層にユダヤ人が多いことから「世界で最も優れた民族はドイツ
 人とユダヤ人であり、どちらかが世界を支配する。しかしユダヤ人が支配することを私は望まない」
 という極めて変わったものだった。ただ後年、息子ヘルマンが著したノンフィクション『Vati』の中
 では、野生生物の優勝劣敗の掟をたとえに挙げて、ヒトラーたちとさほど変わらない優生学、選民思
 想を説いていたという。
  メンゲレはまた、双子に特別な興味を持っていた。双子に対する実験は1944年に始まり、メンゲレ
 の助手はプラットフォームに立ち「双子はいないか、双子はいないか」と叫び何千もの実験対象を集
 め、特別室に収容した。実験のほとんどは倫理を無視したものだった。当初の実験は身体を比較する
 だけであったが、徐々にエスカレートしていき、子どもの目の中へ化学薬品を注入して瞳の色を変更
 する実験や、人体のさまざまな切断、肢体や性器の転換およびその他の残忍な外科手術が行われた。
 他にも、2つの同じ臓器が1つの身体で正常に機能するかを確認するために、双子の背中同士を合わ
 せて静脈を縫い合わせることで人工の「結合双生児」を作ることを試みたが、この手術は成功しない
 ばかりか単に悪性の感染症に罹患させただけだった。この癒着した双子は目撃の証言も多く残され、
 二人は痛みに泣き止まないばかりか姿があまりにも見るに耐えなかったため、手術の3日後に両親に
 よって窒息死させられたという(モルヒネを用いたという説も存在する)。
  ヨーゼフの実験対象にされ実験から生還できた囚人達たちも、そのほとんどが解剖されて殺害され、
 役に立たない実験体は処分された。双子たちはヨーゼフを「おじさん」と呼び、ヨーゼフも双子の、
 とくに少女を車に乗せて楽しげにドライブしたと言われるが、その双子たちも次の週には解剖台の上
 に乗せられたことを側近の医師たつたちも理解できなかったという。戦争が終結する直前に人体実験
 の証拠隠滅のために囚人を皆殺しにすることを試みたが、毒ガスが底をついたので解放している。こ
 の時、約3,000人の双子のうち180人が生き延びたが、後遺症や精神的ショックが後を引いた。
  ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長となっていた恩師、オトマール・
 フォン・フェアシュアーのもとへメンゲレが送ったトラック2台分の記録は後に破却され、メンゲレ
 の仕事の全貌はもはや知られることはなくなった。一方、オトマールは戦後告発されずにミュンスタ
 ー大学遺伝学教授として人生を全うし、1969年に没した。2001年、戦後56年を経てベルリンを訪れた
 生き残りの8人の双子に対して、カイザー・ヴィルヘルム協会の後継組織であるマックス・プランク
 協会の会長フーベルト・マルクル(1938年-)は謝罪した。

   逃亡前

  1945年1月17日、ソ連赤軍がアウシュヴィッツ収容所を解放する直前、メンゲレはグロース・ロー
 ゼン強制収容所へ移り、さらにベルリンへ移った。ドイツ敗戦後は国防軍兵士になりすまし、陸軍病
 院部隊に偽名で紛れ込むが、ミュンヘン近郊でアメリカ軍の捕虜となった。しかし、本来SS隊員は負
 傷した時のために腕に血液型の刺青を彫ってあるところ、メンゲレはその刺青をしていなかったため、
 アメリカ軍はメンゲレがSS隊員だと気づかずそのまま解放した。その後、ドイツ南部のマンゴルディ
 ングの村に身を潜め、フリッツ・ホルマンの偽名を用い農家の住み込みとして働く。この時、ニュル
 ンベルク裁判では同僚であったカール・ゲープハルトらが被告として出廷しており、この裁判でメン
 ゲレの名前も何度か挙げられていたが、連合軍側ではメンゲレは既に死んだものとみなしていた。こ
 の「医者裁判」によりゲープハルトら7名は1948年に処刑されている。

   南米へ逃亡

  1949年、戦争犯罪追及を逃れようとする元ナチ党員の多くとともに、メンゲレはアルゼンチンに逃
 亡し、家族の支えで薬品会社の共同経営者になる。メンゲレは妻・イレーネと離婚して、1958年に弟・
 カールの未亡人・マルタと再婚した。なお、イレーネとの離婚の際、離婚手続きを行うためにドイツ
 大使館に出向いて書類に本名で記載している。この書類とともに提出された写真が戦後公式記録に残
 る唯一の写真となった。彼女と息子はメンゲレに会うためにアルゼンチンへ移る。1960年のアドルフ・
 アイヒマン逮捕以降、イスラエルの追及を逃れるために南米諸国を転々とする彼を追い詰めようと国
 際逮捕状が出されるなどの国際的な捜査が行われたが、さまざまな名で隠れ住んだ彼は逮捕されるこ
 となく戦後35年間を生き延びた。
  メンゲレが1960年代に訪れていたカンディド・ゴドイというブラジルの村では、ナチスの主張する
 アーリア人的特徴を備えた双子が次々に生まれる現象が起きている。この村では1960年代にメンゲレ
 風の医者に薬を提供された証言が残っており、実際にこうした現象が起きていることからメンゲレの
 実験が成功したとみる学者もいる。だが、孤立され比較的に近親交配率が高い小さな村で双子が多く
 生まれるのはカンディド・ゴドイだけではなく、しかもこの村で双子が生まれる高い確率は1990年代
 までも続いていたため、メンゲレが直接関係していた可能性は薄いとブラジルの学者は主張している。

   死去

  メンゲレはパラグアイとブラジルで暮らしたが、自身の日記や会社の同僚によると、追跡の恐怖に
 怯えており、小さな物音にさえ動揺するほど精神衰弱していたという。1979年、サンパウロ州ベルテ
 ィオガの海岸で海水浴中に心臓発作によって溺死した。1992年に遺骨からのDNAテストで本人である
 ことが確認された。その後遺体は荼毘に付され、ブラジル政府が保管している。

   死後

  2008年9月、アイヒマン拉致作戦に従事したイスラエル諜報特務庁(モサド)の元工作員で、オル
 メルト政権時に閣僚であったラフィ・エイタンがエルサレム・ポストとのインタビューで語ったとこ
 ろでは、モサドはすでに当時メンゲレがアイヒマンと同じくアルゼンチンのブエノスアイレスに潜伏
 していることをつかんでいたが、メンゲレを捕まえることによってアイヒマンが逃亡するのを恐れ、
 メンゲレ拘束には踏み切らなかったという。
  さらにエイタンによると、モサドは情報提供者をメンゲレと接触させており、彼が不定期にブエノ
 スアイレスに戻り、市内のアパートで妻とともに生活していることまで把握していたという。その時
 点でモサドはアイヒマンを拘束し彼の身柄を押さえていたが、メンゲレの拘束はアイヒマンをイスラ
 エルへと出国させる段階でリスクになると判断し、この時は逮捕を見送った。アイヒマン逮捕が世界
 に知れ渡った後、モサドは再びメンゲレが潜伏していると見られるアパートを急襲したが、すでに逃
 亡した後であった。2年後、モサドはメンゲレがブラジルのサンパウロにいることをつかんだが、再
 びメンゲレは逃亡し、完全に見失ったという。
  2007年9月17日、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館はアウシュヴィッツで撮影されたこれま
 で未公開のアルバムを公表した。その中には、これまで知られていなかったメンゲレが写った写真が
 8枚含まれている。

   人物

  現在一般的に知られるメンゲレの写真は異常性を引き立てるためにやや醜悪に写ったものが使われ
 ているが、妻をはじめとして本人をよく知る人物は、メンゲレは背が高くハンサムで親切な人物であ
 ったと評している 。このことについては実験体となった被害者も認めており、南米の同僚に至って
 は、アウシュヴィッツでの行為について「彼がやったとは思えない。やったとしたら命令でしたのだ
 ろう」と発言している。
  戦後ついに死ぬまで逃げ果せた著名な戦犯の一人である。モサドは彼の目撃情報をつかむたびに迅
 速に動いたが、そのたびにメンゲレは跡形もなく消えていた。これにはナチハンターのサイモン・ヴ
 ィーゼンタールも「あと2年もあれば彼を捕まえられたのだが」と舌を巻いた。
  存命中に息子をブラジルへ招待しており、当時の写真は現在も残っている。このことについて息子
 は「警察に引き渡すなんてできなかった」と語っている。息子が人体実験について父メンゲレに質し
 たところ「息子よ、お前も新聞に書かれていることを信じるのか。全て嘘だ。お前の母に誓って言お
 う。決して人に危害をかけたことなどない」と答えたという。

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 「人間業とは思えない」という言葉はもちろん陳腐であるが、むしろ、「これが人間だ」といった方が正
確なのかもしれない。この映画は、「普通の人が、ある状況下に置かれると、平時にはとても考えられない
ことをしでかすものである」ということを、丁寧に描いているといえよう。以下に、メンゲレに関するテロ
ップを書き記そう。

   Josef Mengele lebt bis zu seinem Tod 1979 un behelligt in Brasilien.
                 Er starb bei einem Bodeufall.

    メンゲレはブラジルで暮し、1979年に水泳中に死亡。

 ドイツの勇気を称えるとともに、アウシュヴィッツで亡くなった多くの人の魂のために、合掌。


 某月某日

 DVDで邦画の『GONINサーガ』(監督:石井隆、「GONINサーガ」製作委員会〔KADOKAWA=ポニーキャニオ
ン=電通=ファムファタル=ソニーPCL〕、2015年)を観た。『GONIN』(監督:石井隆、ぶんか社=イメー
ジファクトリー・アイエム、1995年)の続篇である。その19年後の世界を中心に描いている。石井隆監督の
作品の鑑賞はいつ以来か。たぶん、『甘い鞭』以来だと思う。ともあれ、彼の作品は以下のようにこれで10
作目である。

  『死んでもいい』、監督:石井隆、アルゴプロジェクト=サントリー、1992年。
  『ヌードの夜』、監督:石井隆、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ=サントリー、1993年。
  『夜がまた来る』、監督:石井隆、ビデオチャンプ=キングレコード=テレビ東京、1994年。
  『GONIN』、監督:石井隆、ぶんか社=イメージファクトリー・アイエム、1995年。
  『GONIN2』、監督:石井隆、衛星劇場、1996年。
  『花と蛇』、監督:石井隆、東映ビデオ、2004年。
  『花と蛇2 パリ/静子』、監督:石井隆、東映ビデオ、2005年。
  『フィギュアなあなた』、監督:石井隆、「フィギュアなあなた」製作委員会〔角川書店=ファム
   ファタル〕、2013年。
  『甘い鞭』、監督:石井隆、「甘い鞭」製作委員会〔角川書店=ファムファタル〕、2013年。
  『GONINサーガ』、監督:石井隆、「GONINサーガ」製作委員会〔KADOKAWA=ポニーキャニオン=電通=
   ファムファタル=ソニーPCL〕、2015年。

 彼の演出はよく言えば「粘り強く」、悪く言えば「ねちっこい」のではないか。当該作品もかなり無理筋
のストーリーであるが、エンタメとしては成功しているのだろう。最後まで飽きずに観ていられたからであ
る。ただし、以前ほどの執拗さは薄れている。彼も年齢を重ねたからだと思う。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  数奇な運命を背負った5人の男たちの死闘を描いた、石井隆監督の代表作として知られるバイオレ
 ンス・アクションの19年ぶりとなる続篇。かつての暴力団襲撃事件で命を落とした男たちの遺族が出
 会い、因縁の相手と戦いを繰り広げる様がつづられる。東出昌大、桐谷健太、柄本佑ら若手個性派が
 多数共演する。

   〔あらすじ〕

  五人の男たちが広域指定暴力団五誠会系大越組を襲ってから19年後、五誠会は初代会長・式根(室
 田日出男)〔本作では登場せず〕の孫にあたる式根誠司(安藤政信)が三代目となり、勢力を伸ばし
 ていた。19年前の事件で命を落とした大越組若頭・久松茂(鶴見辰吾)の遺児・久松勇人(東出昌大)
 は建設作業員として働き堅気の道を行き、大越組組長・大越康正(永島敏行)の遺児・大越大輔(桐
 谷健太)は誠司の用心棒をしつつ、いつか組を再興させたいと願っていた。ある日、勇人の母・安恵
 (井上晴美)のもとに富田と名乗るルポライター(柄本佑)がやってくる。19年前の事件を追う彼の
 出現により勇人らの運命が動きはじめ、誠司の愛人である元アイドルの菊池麻美(土屋アンナ)を巻
 き込んだ新たな戦いが始まる……。

 他に、テリー伊藤(式根隆誠=二代目)、りりィ(大越加津子=大輔の母親)、竹中直人(明神=隆誠が
雇った殺し屋)、福島リラ(余市=明神の相棒)、松本若菜(百合香=誠司の婚約者)、菅田俊(松浦譲=
五誠会系松浦組組長)、井坂俊哉(黒木正行=松浦のボディガード)、根津甚八(氷頭要=元刑事)、佐藤
浩市(万代樹木彦=麻美の父親)、本木雅弘(三屋淳一)〔回想シーン〕、ビートたけし(京谷)〔同〕、
椎名桔平(ジミー)〔同〕などが出演している。もう少し脚本を練りあげれば、もっとよくなったような気
がする。


 某月某日

 DVDで邦画の『岸辺の旅』(監督:黒沢清、「岸辺の旅」製作委員会〔アミューズ=WOWOW=ショウゲート=
ポニーキャニオン=博報堂=オフィス・シロウズ〕、2015年)を観た。題名から直ちにTVドラマの『岸辺の
アルバム』(演出:鴨下信一、原作・脚本:山田太一、TBS系、1977年6月24日から9月30日)を連想した。本
篇は同じく家族ドラマではあるが、子どもは絡まない。失うものは、かたや、家、こなた、夫の生命。他に
類のない構成ではあるが、『居酒屋ゆうれい』(監督:渡邊孝好、サントリー=テレビ朝日=東北新社=キ
ティフィルム、1994年)、『象の背中』(監督:井坂聡、「象の背中」製作委員会〔産経新聞社=松竹=テ
レビ朝日=メーテレ=北海道テレビ= 九州朝日放送=ジェネオン エンタテインメント=ポニーキャニオン=
電通=扶桑社=USEN=デスティニー〕、2007年)、『死にゆく妻との旅路』(監督:塙幸成、「死にゆく妻
との旅路」製作委員会〔イメージフィールド=青山洋一=めいふぁず=ミノル・プランニング・コーポレー
ション=テアトル・ド・ポッシュ〕、2011年)などに少し似ているか。一貫して実存の恐怖を描く黒沢清と
してはソフトな小品に仕上がっているが、さすがヴェテランだけにしっとりとした味わいを醸し出している。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞に輝いた、黒沢清による夫婦の愛を描くせつな
 いラヴ・ストーリー。3年にも及ぶ失踪の後、突然帰宅した夫とともに、かつてお世話になった人々
 の元を訪れ、愛を深めていくヒロインの姿を描く。深津絵里と浅野忠信が初の夫婦役を演じる。原作
 は湯本香樹実の同名小説。

   〔あらすじ〕

  3年前に夫・薮内優介(浅野忠信)が失踪してしまってから喪失感を抱えていた瑞希(深津絵里)
 は、ようやくまたピアノ講師の仕事ができるようになった。そんな中突如優介が帰宅し、自分は死ん
 だと告げる。優介に誘われるまま旅に出た瑞希は、初老の新聞配達員の島影(小松政夫)、小さな食
 堂を営む夫婦〔フジエ/神内〕(村岡希美/千葉哲也)、山深くにある農園に住む家族〔星谷/薫ら〕
 (柄本明/奥貫薫ら)といった3年の間に優介がお世話になった人々を夫と一緒に訪ねていく。空白
 の時を巡るように優介と一緒に過ごしながら彼が感じたことを同じように感じるとともに、見たこと
 のない優介の一面も知っていく瑞希。二人は改めて互いへの愛を感じていくが、告別のときが近づい
 ていた。

 他に、赤堀雅秋(タカシ=薫の夫)、藤野大輝(良太=薫の息子)、石井そら(シオリ=瑞希の教え子)、
いせゆみこ(シオリの母)、星流〔せいる〕(電車の中で出会った子ども)、深谷美歩(その母親)、蒼井
優(松崎朋子=優介の浮気相手)、首藤康之(瑞希の父)、岡本英之(僧侶)、松本華奈、高橋洋、分部顕
伸、北村真芳、松下直樹などが出演している。なお、一部配役は小生の推定である。
 陳腐な設定に加え、細部も練り上げられているとは言い難いが、大人のファンタジーとしては成功の部類
に入るのではないか。とくに、小松政夫の起用はヒットで、彼の哀愁が十分に出ていたと思う。


 某月某日

 DVDで邦画の『柳川堀割物語』(監督:高畑勲、二馬力、1987年)を観た。165分に亙る長尺のドキュメン
タリー映画である。一部アニメーションも組み込まれているが、水路の町である柳川の歴史を実写フィルム
で追っている。とくに、日本が高度経済成長期に経験したマイナスのシナリオ(柳川の場合は、水路の汚染)
をどうやって解消するかが焦点となっている。方法は実に単純、水路との「煩わしい付き合い」を復活させ
たのである。ここには、人々の連帯の精神が息衝いており、観ていてとても気持がよくなった。水路が浄化
されるのに伴って、人々の精神も浄化されていったからであろう。
 作品情報を<Movie Walker>から引用させていただく。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご海
容いただきたい。

   〔作品情報〕

  8年前、福岡県柳川市に起こった柳川暗渠事件を基に人と水とのかかわりあいを実写とアニメーシ
 ョンで描く異色のドキュメンタリー。都市化が進み工場廃液などで汚染・汚濁化した堀割を埋め立て
 ようとする計画が発表されたが、役所の一係長(広松伝)が堀割の果たしてきた歴史的役割を調べ、
 浄化して人々の生活に役立てようと提案し、実現させる。製作は『天空の城ラピュタ』の監督・宮崎
 駿、脚本・監督は『セロ弾きのゴーシュ』の高畑勲、撮影は高橋慎二がそれぞれ担当。映画の構成は
 次のようになっている。
  プロローグ「川下り」水の街・柳川の四季折々の風景が映される。
  第一章「堀割は生きている」(水路の点描)コイ、ザリガニ、ヘビ、アシ、ウォーターヒヤシンス
 など堀割に凄むさまざまな動植物と人々との暮らし。
  第二章「吸水場と舟とお濠端」(水路網の特色と利用)堀割はかつて人々の暮らしを支える重要な
 役割を果たしていた。
  第三章「柳川三年、肥後三月」(水路のしくみ)川の水を平らな土地に供給する堀割の仕組みは、
 さながら精密機械のようである。間秦曲「曼珠沙華」を背景に映像詩が展開、難攻不落の柳川城伝説
 や白秋前夜祭の様子が描かれる。
  第四章「福岡県令飯用河川取締規則」(水路が清浄だった頃)昔は掘割に蛍が飛び交い、水をすく
 って飲むこともできた。人々はいかにして水を清く保っていたか。
  第五章「列島改造の時代」(水路の荒廃)高度経済成長の時代。柳川の掘割も工場廃液などで汚染
 されヘドロ化し、ハエやカの発生源となった。やがて埋め立て計画が発表される。
  第六章「海のつくった平野」(堀割のなりたち)人々はどのようにして平野に住みついたか。平野
 の歴史を描く。
  第七章「水を“もたせ”る」(水利システムの完成)試行錯誤を繰り返しながら私たちの祖先がつ
 くり上げた堰や桶門のシステムとその役割。
  第八章「水の一滴は血の一滴」(矢部川水争い)筑後川の水を取り入れる淡水取水をめぐって久留
 米・柳川両藩の一〇〇年を越す水争い。
  第九章「直訴と英断」(水路再生にむかって)中小の堀割がコンクリートで固められてしまうこと
 に対して、一人の男が異議を唱えた。
  第十章「自然を生かし共に生きること」(水土のとつきあい)市民総出で行われる川や土手の定期
 清掃。冬の風物詩・城堀の“水落ち”と、春の風物詩・子供の“川まつり”。
  第十一章「住民と行政の連帯」(水路再生のあゆみ)一〇〇回を越える人々の話し合いの結果、市
 職員と市民が共に堀割の浄化に取り組むことになった。沖ノ端天天宮祭では、オランダ灘子に乗って
 舟舞台が水路を上がり下りする。
  エピローグ「川下り」川で憩う人々。再び水の街・柳川の風景が描かれる。(16ミリ)

 さらに、<ウィキペディア>の概説も引用しておこう。同じく、執筆者に感謝したい。なお、一部改変した
が、ご寛恕を乞う。

   〔概説〕

  水の都として知られる福岡県柳川市を縦横につらぬく水路網「堀割」。市街と水路がへだてなく隣
 接し、人々の暮らしにとけこんでいる様子がある。本作は、その成り立ちから現代にいたる水辺の暮
 らしと知恵を紹介しながら、近代化の波におされて荒廃した堀割の再生をめざす住民のたたかいをあ
 わせて描いている。
  監督の高畑勲は、もともとアニメの舞台として柳川を登場させるつもりで現地でのロケハンを行っ
 たが、そこで水路再生の中心人物である柳川市職員広松伝の話を聞いて感銘を受け、単なる物語の背
 景ではなく、柳川そのものを主題にしたドキュメンタリーを製作することに決めたと語っている。広
 松は本作の製作にも深く関わっている。
  鈴木敏夫によると、この企画は高畑がプロデュースした『風の谷のナウシカ』がヒットしたことか
 ら、『ナウシカ』の監督である宮崎駿が、その謝礼として『ナウシカ』で得た資金を使って高畑が監
 督する映画の製作を提案したことが発端である。制作は1年間の予定であったが、高畑が遅らせたた
 めに3年間に延びた。しかも、高畑は宮崎が用意した資金を使い果たしたため、宮崎は自宅を抵当に
 入れる事態となった由。

 小生は水にはかなり関心を抱いており、少し時間ができたら、水について研究してみたいとさえ思ってい
る。したがって、このドキュメンタリー映画はかなりのインパクトを与えてくれた。当初、どんなアニメ映
画かと思っていたので、いい意味で裏切られたというわけ。また、「やればできるじゃないか」という思い
も強く、劇映画としては『生きる』(監督:黒澤明、東宝、1952年)を連想した。シチュエーションはまっ
たく異なるが、志村喬が演じた渡邊勘治と本篇の広松伝が被って見えたからである。なお、詩人の北原白秋
と作家の檀一雄の縁の地である由。もっとも、生れは北原は熊本県、檀は山梨県である。


 某月某日

 DVDで邦画の『皇室と戦争とわが民族』(監督:小森白、新東宝、1960年)を観た。つい先日観た『日本
敗れず』(監督:阿部豊、新東宝、1954年)に少し似ているが、決定的に異なるところは、皇室に焦点を合
せている点である。少し強引ではあるが、神武天皇の東征から物語を始め、皇太子(現 平成天皇)のご成
婚や親王殿下誕生までを描いている点である。昭和天皇の「人間宣言」に触れたり、ご巡幸の記録もふんだ
んに採り入れており、その意味で貴重なフィルムとなっている。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  『大虐殺』の内田弘三の脚本を、『太平洋戦争 謎の戦艦陸奥』の小森白が監督した歴史もの。
 『女と命をかけてブッ飛ばせ』の岡戸嘉外が撮影した。

   〔あらすじ〕

  神武天皇(嵐寛寿郎)の御東征 ── 昭和十二年七月七日盧溝橋に端を発した日中両軍の戦闘。陛
 下(画面には登場せず)は戦争状態を解決する努力を続けたが、軍の巨大な力をどうすることもでき
 なかった。昭和十六年十一月二十六日、最高戦争指導者会議は開戦やむないとの決議がなされた。陛
 下は万機公論に決するという明治以来の伝統と、立憲国の君主としての分をあくまでも守らなければ
 ならなかった。十二月一日、開戦の議は決せられた。緒戦は華々しかったが、ミッドウェイ海戦の敗
 北を契機に日本は劣勢にたった。しかし、攻府・軍部は国民をしゃにむに戦争にかりたてた。陛下は
 ひそかに終戦の決意を鈴木首相(林寛)に打ちあけた。しかし、軍の圧力にあい鈴木首相はポツダム
 宣言を黙殺した。八月六日、広島に原爆が投下された。八月十五日、遂にポツダム宣言は受諾された。
 八月三十日、マッカーサー元帥(アンドレ・ヒューズ)が厚木飛行場に進駐した。日本は被占領国と
 なった。二十一年新春、陛下は年頭の詔書で神であることを否定し「人間宣言」を発表した。二十二
 年襲いかかったインフレの荒波は、労働者の生活をおびやかした。ゼネスト、国鉄の首切り、三鷹・
 松川事件。やがて朝鮮戦争が勃発した。国内は依然として暗雲低迷としていた。二十七年、サンフラ
 ンシスコ講和条約が結ばれた。「国の春と今こそはなれ露こほる、冬にたへこし民のちかのに」と陛
 下はその日の喜びをお詠みになった。この年の十一月十日、皇太子は成人式と立太子の儀式をとり行
 い、三十四年四月十日には正田美智子嬢と結婚。そして明年二月二十三日には親王殿下が誕生した。

 他に、佐々木孝丸(木戸内大臣)、嵐寛寿郎(東条英機首相/二役)、岬洋二(杉山参謀総長)、細川俊
夫(近衛公爵)、大友純(阿南陸相)、芝田新(原枢密院議長)、大原謙二(松岡外相)、九重京司(梅津
参謀総長)、広瀬康治(永野軍令部総長)、久保春二(東郷外相)、近衛敏明(米内海相)、中村虎彦(及
川海相)、松下猛夫(豊田外相)、沼田曜一(田中軍司令官)、明智十三郎(森近衛師団長)、御木本伸介
(芳賀連隊長)、宇津井健(畑中少佐)、天知茂(椎崎少佐)、菅原文太(上原大尉)、若宮隆二(加藤総
務部長)、新宮寺寛(渡辺連隊長)、高宮敬二(塚本副官)、泉田洋志(白石中佐)、高村洋三(古賀連隊
長)、岡竜弘(奥村通訳官)、大谷友彦(長髄彦〔ながすねひこ〕)などが出演している。嵐寛寿郎が神武
天皇と東条英機の二役を演じているが、どちらもそれらしく見えるので、さすがだと思った。
 もう一本、自主上映のかたちで、『選挙フェス!』(監督:杉岡太樹、mirrorball works、2015年)を観
た。2013年の参議院選挙に立候補し、17万6,970票を集めた三宅洋平の17日間を描いたドキュメンタリー映
画である。先入見を抱かずに観たつもりであるが、政治が絡むだけにいろいろな感慨が浮かんだ。新機軸を
少しだけ期待したが、無難な作りで、「まぁ、こんなものだろうな」と思った。
 例によって、<Movie Walker>を引用させていただく。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛
恕を乞う。

   〔解説〕

  政治経験ゼロの新人候補・三宅洋平が、落選候補者最多となる17万6,970票を集めた2013年夏の参
 議院選挙を追ったドキュメンタリー。ミュージシャンとして活動を続ける三宅が、音楽と演説を融合
 させた街頭ライブ型選挙演説を“選挙フェス”と名付け、17日間26カ所を巡る“ツアー”に密着。監
 督・撮影・編集は『沈黙しない春』の杉岡太樹。

   〔あらすじ〕

  2013年7月、参議院選挙。この国の行方を占う注目の国政選挙の候補者として突如34歳のミュージ
 シャン・三宅洋平が姿を現す。緑の党からの推薦を受けて全国比例区に立候補した三宅は、音楽好き
 の若者の間では知る人ぞ知る存在ではあったが全国的には無名に等しい。資金に恵まれることもなく、
 参議院選挙に立候補するために必要な供託金600万円も100日に渡る“ドサ回り”で集めた。公示当初
 は泡沫候補と揶揄された三宅の状況が一変したのは、彼がギターを鳴らしながら語る街頭演説が始ま
 った時だった。ヒゲ面にTシャツ、短パン、島ぞうり姿の彼が、音楽と演説を融合させた街頭ライブ
 型演説を“選挙フェス”と名付け、17日間26カ所の“ツアー”を敢行。この前代未聞の選挙スタイル
 は祭りのような熱気を帯び、大きなうねりを起こし始める。三宅はイマドキの感性でネット選挙の強
 みを最大限までに拡張。彼の“演説”は集まった群衆のカメラやスマホに収められ、すぐさまネット
 上にアップロードされる。動画の再生回数は日を追うごとに伸び続け、それに対するリアクションが
 ネット上での議論を呼び、三宅本人がTwitterやFacebookを使ってその中へ飛び込んでいく。彼が群
 衆に訴えかけたコール&レスポンス、政治参加へのアプローチ、その裏側には未経験の選挙に苦悩し、
 怒り、歓ぶ姿があった。そして結果的に三宅は、落選候補最多17万6,970票もの個人票を獲得する……。

 他に、山本太郎などが登場している。 


 某月某日

 DVDで2本の邦画を観たので報告しよう。1本は劇映画、もう一本はドキュメンタリー映画である。いず
れも古き時代の日本をそれなりに伝えており、いろいろ勉強になった。
 1本目は、『南國土佐を後にして』(監督:齋藤武市、日活、1959年)である。ペギー葉山の大ヒット曲
「南国土佐を後にして」(作詞・作曲:武政英策、編曲:川上義彦、唄:ペギー葉山、1959年)を材料にし
て川内康範(原作・脚本)が練り上げた作品である。日活はこの手の歌謡アクション映画を得意としている
が、後に歌手でも売れた主演の小林旭は、この作品では歌っていない。もっとも、旭はこの映画で脚光を浴
び、作品の骨子は後の「渡り鳥シリーズ」や「流れ者シリーズ」に引き継がれている。なお、小林旭主演の
「ギャンブラー・シリーズ」に『黒い賭博師』(監督:中平康、日活、1965年)という作品があり、彼はそ
こでもダイスを振っている。ともあれ、この手の脚本には食傷するほどお定まりの筋書ではあるが、まだま
だ牧歌的だった日本の地方(高知)を描いている点で、貴重なフィルムである。「よさこい祭り」の場面が
登場するが、現在と異なり、型にはまった鳴子踊りに終始しており、あまり魅力を感じなかった。なお、相
手役の浅丘ルリ子も受け身の女そのもので、まったく彼女の個性が出ていなかった。1950年代では仕方がな
いか。
 物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご海容いただきたい。

   〔解説〕

  ペギー葉山のヒット・ソングを背景にしたサスペンス・ドラマで、川内康範の原作を原作者自身と
 斎藤武市が脚色、『かわいい女』の斎藤武市が監督した。撮影は『若い豹のむれ』の高村倉太郎。助
 監督として、神代辰巳がスタッフに加わっている。

   〔あらすじ〕

  “ダイスの眼”と異名をとる賭博の名手原田譲司(小林旭)は、刑期満了を期に母のぶ(高野由美)
 と恋人の山本春江(浅丘ルリ子)の待つ故郷高知に向った。刑務所で聞いたペギー葉山の“南国土佐
 を後にして”が、彼に特攻隊で死んだ兄(小林旭/二役)を思い出させ、彼は心を改めたのだ。亡き
 兄の許婚者だった、今は東京の料亭つかさを経営しているはま子(南田洋子)は、この歌が好きで昔
 よく歌っていた。譲司が帰郷すると、春江は借金のためヤクザの北村定男(内田良平)と結婚しなけ
 ればならぬ身の上となっていた。譲司は関西汽船に勤めることに決まったが、前科が知られて職を追
 われた。再び東京に出ようとする譲司をとめる春江に、北村一味の短刀が迫った。ところが、その時
 譲司のかつての仲間である会津(二本柳寛)が現れて二人を救った。東京に出た譲司は、ペギー葉山
 (本人)に会って勇気づけられ、はま子のもとに下宿して職を探した。ある夜、北村に追れた春江が
 高知から逃げてきた。追って東京にやってきた北村は、百万円の借用証をつきつけて、譲司を脅した。
 仲間の会津を呼んだ譲司は、その金のために、もう一度ダイスを振る決意をした。ナイトクラブ“モ
 カ”の一室で、譲司は一世一代の勝負にのりだした。そこにかつて譲司の就職を断わったことのある
 大川証券の社長(金子信雄)が中村麻子(中原早苗)とともにやってきた。なお、麻子は譲司に恋心
 を抱いている高知の女性で、やはりはま子のところに下宿していた。勝負は、譲司と大川の一騎打ち
 となり、金額は百万円につり上った。丁度その時、ペギー葉山の歌う“南国土佐を後にして”が譲司
 の耳に響いてきた。その歌声に手元を狂わせてはならずと、会津の舎弟のベレーの寛(西村晃)に頼
 んで、演奏を中止させた。それで落ち着いた譲司は、ダイスを振った。とたんに出た目はオール・ワ
 ンだった。百万円を手に入れた譲司は、その金を北村にかえして彼ら一味をたたきのめした。かけつ
 けた春江と譲司は固く抱き合った。春江に、故郷の母親のことをたのんだ譲司は、今は心も晴れ晴れ
 と、ひとり警視庁に歩をはこぶのだった。

 他に、河上信夫(中村=麻子の兄)、武藤章生(仙吉=北村の子分)、峰三平(同じく北村の子分A)、
黒田剛(同じくB)、瀬山孝司(同じくC)、弘松三郎(コールマン髭の男=ダイス勝負でイカサマを企て、
譲司に見破られる男)、清水千代子(仲居の由子)、天草四郎(関西汽船の主任)、河合健二(建築会社の
受付)、小泉郁之助(商事会社の社員)などが出演している。
 会津の「前科者はどこまでいっても前科から逃げられねぇ」という台詞が印象的である。以前(2002年)、
「居場所を制限されている人々」(「基礎倫理学」)というテーマを学生とともに検討していたとき、受刑
者の刑期を終えたその後のことを調べてみたことがあった。案の定「累犯率」が高く、刑務所に舞い戻って
しまう人びとが多いことが分った。阿部譲二の『塀の中の懲りない面々』がまさに象徴的というわけである。
もっとも、それには本人のこころの持ち様が深く関係するとは思うが、いわゆる「世間の風の冷たさ」もそ
れに与っていることは間違いあるまい。刑務所は「更正施設」のはずであるが、なかなかそううまくはいか
ないようである。
 なお、テーマ曲の「南国土佐を後にして」に関してであるが、もともと、大陸に出兵した地元の陸軍朝倉
歩兵236連隊(鯨部隊)内で歌われていた曲ともいわれる由(ウィキペディアより)。さらに、この映画の
時代性を示すものとして、以下のものが挙げられよう。まず、タクシー初乗り料金は80円だった。そのタク
シーの車種はトヨペット・クラウンで、「観音開き」の後部ドアであった。なお、譲司が上京した折、はま
子は「来るんだったら、電報で知らせてほしかった」と語りかけている。今では消滅した習慣だろう。さら
に、譲司は就職活動のための履歴書を毛筆でしたためている。これも頗る古風である。ペギー葉山は、譲司
に一万円を与えるが、これは不自然だった。譲司は、その金の半分をはま子に下宿代代わりとして納めよう
とし、また残りの半分を母親の許に送っている。これは、この時代の人ならば当然の行為といえなくもない。
いずれにせよ、道を踏み外しかけた男の更生ドラマとしては、定番といえる内容だった。
 2本目は、『戦ふ兵隊』(監督:亀井文雄、東宝文化映画部、1939年)である。陸軍情報部が後援して製
作させたドキュメンタリー映画であるが、国策とは程遠い内容だったので、上映禁止となっている。その後、
行方不明になっていたフィルムが、1975年に発見させた由。監督の亀井文雄は、1941年、治安維持法に触れ、
逮捕・投獄されている。その理由の一つがこの映画にあったといわれている。武漢攻略作戦に従軍して製作
された映画であるが、戦闘シーンはほとんどなく、観る者に戦争の愚かさや命の尊さを問いかけている(日
本映画新社のパッケージより)。映像は鮮明ではないが、手書きのテロップが印象深く、まるで「叙事詩」
のような趣があった。誰が書いたのかは判然としないが、亀井監督の手になるものであったとしたら、戦争
に批判的な映画人として投獄されたのも故なきことではないような気がする。なお、当該作品に先行する映
画として、『上海 支那事変後方記録』(構成:亀井文雄、東宝文化映画部、1938年)があるが、小生は未
見なので、機会があれば観てみたいと思う。ちなみに、上記のテロップに関しては、小生のブログ「花摘み
の頁」で再構成しているので、興味のある人はそちらを参照してほしい。

                                                
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