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花摘みの頁<01>
 今日(2015.3.10)から、「花摘みの頁<01>」をリリースします。休載にした「火曜日の詩歌」の姉妹篇
に当ります。「火曜日の詩歌」同様、小生の気に留めた詩歌をここに掲げようと思います。もっとも、前企画
のように、毎週火曜日に掲げるのではなく、まったくの不定期掲載を予定しています。ときには、旧ブログか
らの転載をすることもあります。また、出所を明らかにできない場合もあります。その点をご了承ください。
小生が詩歌への関心を高めるとき、きまってこころは病んでいます。いわば、癒しの頁。慰めの場。現実逃
避の手段です。なお、題名の「花摘み」は、《anthology》の原義(ギリシア語:anthologia)から採りました。

                                                
 2017年3月5日(日)

  旅上          萩原朔太郎
              
 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背廣をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに。

                          『純情小曲集』(1925年)より


  五月の貴公子     萩原朔太郎  
              
 若草の上をあるいてゐるとき、
 わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
 ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
 まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
 ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
 わたしは柔和の羊になりたい、
 しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
 あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
 若くさの上をあるいてゐるとき、
 わたしは五月の貴公子である。

                          『月に吠える』(1917年)より


 現在、少し精神的な危機に陥っており(発狂までは程遠いので、心配はない)、それを癒すためにネット
サーフィンをしていたのだが、あるサイトで、これら二連の詩が並べて引用されていた。こんな甘ったるい
抒情詩にこころが惹かれること自体、小生にとっては(この詩の引用者にとってではない)とても恥ずかし
いことだし、さらにそれを自分のサイトに載せてしまうに至っては、もう「情けない」の一言なのだが(こ
の詩の引用者をくさしているのではない)、どうしても載せたくなったのである。載せてみて、だいぶすっ
きりした。これで、大事な仕事に入れる。なお、詩自体は、説明を要しないであろう。

                                                 
 2017年2月16日(木)

  家は薔薇の花で           フランシス・ジャム(堀口大學 訳)

 家は蜜蜂と薔薇の花とで一ぱいであらう。
 午後からは寺の晩課の鐘が聞えて来よう、
 そして透明な宝石のやうな色をした葡萄は
 ほのかなもの影に日を浴びて眠るやうに見えよう。
 そこで如何にわたしがお前を愛することか。
 わたしはお前に今年二十四歳になつたこの心と
 そしてわたしの皮肉な魂と、わたしの矜と
 白ばらの花のやうなわたしの詩(うた)とを与へよう。
 斯うまでわたしは思ひ上つてゐるのに
 しかもわたしはお前をまだ知らぬのだ、
 お前は存在してさえゐないのだ。
 わたしの知つてゐることはただ
 若(もし)もお前が本当に生きてゐるとしたら
 若もお前がわたしのやうに
 この牧場の奥に住んでゐるとしたら
 褐(かち)いろの蜜蜂が群り飛ぶ下で、
 涼しい流れの側(かたはら)で
 こんもりと茂つた葉陰で
 わたしたちは笑ひながら
 接吻するであらうと云ふことだ。
 その時、太陽の暖さより
 ほかには何も聞えぬであらう。
 お前の耳の上には
 胡桃の木が陰を置くであらう、
 やがてわたしたちは笑ふことを止めて
 脣と脣を合せるであらう、
 言葉では言ひ現せない
 わたしたちの恋を語る為に、
 そしてお前の脣の紅の上に
 わたしは褐いろの葡萄と
 紅いばらと蜂蜜との味ひを味ふであらう。

                     『訳詩集 月下の一群』(岩波文庫)より


 堀口大學の名前を知ったのはいつ頃だろう。たぶん、小学校の高学年の頃だったと思う。翻訳家としての
彼は名高いが、どこか星菫派の領袖のようで、なるべく近づかない方がいいと思っていた。岩波文庫版の
『月下の一群』も、ざっと読んできて、それほど感銘を受けた作品はなかった。もう400頁を優に超えてい
るというのに……。ところが、442頁から始まるこの詩に立ち止まってしまった。恋をうたう詩はあまたあ
るが、不在の恋人との接吻をこれほど甘美に表現した詩はかつてあっただろうか。初めての接吻の味は
「檸檬の味」と言われることもあるが、幻のベーゼは、葡萄と薔薇と蜂蜜の味だという。ジャムは、こんな
接吻を夢みていたのであろうか。嬉しいような、恥ずかしいような、とても幸せな接吻と言えよう。

                                                
 2017年2月10日(金)

  吹き飛ばされてしまった影          新延拳

 繪の中の裸婦には影がないが
 美術館の床にときどき影を落としているのを知ってるかい
 全き黒目の画中の人よ
 なぜ己をそのように永遠に閉じる?

 身の内に飼い殺しているものの息吹を
 僕は耳をそばだてて聞いている
 それは影といわれているもの
 僕に聞こえている影の声は君には聞こえない
 医者は幻聴というけれど
 君の耳の感度が悪いのかもしれない
 僕は大きな水槽に張り付いている○のように疲れているが       ○=えい 魚偏に覃
 ときに自分の影を指揮しなければならない

 ひとりのときにはずっと蹤いてきているのに
 影は人ごみをきらう
 薄くなって消えてしまう
 スクランブル交差点でみんなの影がもみくちゃになる
 踏まれる痛さに耐えかねてなのか
 それぞれの影が打ち消し合っていなくなってしまうのか
 それとも合体して天にでも昇るのか
 ほら ひとりになると降りてきて
 また僕に蹤いてくる

 「ぽ」って何?
 「ぽ」はおまえみたいなものだ 影よ
 よりそってくれる
 でも無くても何とかなるんだ
 「ぽ」と本体の間に小空間「っ」があり
 さきっぽ、はしっぽ、しっぽ、尾っぽ、からっぽ
 ん? からっぽ? 空っぽ
 からっぽの「ぽ」だけは他とちがうようだけれど
 なんだかむなしさが募ってこないか
 真昼の影が死という定型に近づくようで

 のどかな日だ
 田舎の駅のホームに立ってぼんやり眺めていると
 昼間見た埴輪が田を打っている
 あいつによりそっている影がない
 雲の影が枯野の彩を変えながら動いてゆくが
 日を遮って
 保線夫の影を盗んでいった

 ホームの先に人影、と思ったら
 逆光の中に立っているヒマワリだった
 あっ
 いま通過列車が吹き飛ばしていった
 僕の影

                      『流刑地に』(新延拳 著、思潮社、2015年)より。


 「影が差す」、「影が薄い」、「影がある」、「影が見える」、「影を踏まず」、「影武者」……「影」
という文字を用いた表現はいくつかある。また、アーデルベルト・フォン・シャミッソー(Adelbert von
Chamisso, 1781-1838)に、『影をなくした男』という不思議な物語もある。影は長くなったり短くなった
りもする。光がまともに当たれば、影は消える。光が遮られることで見える物の姿や形、黒い部分がなくな
るからである。影は自分に寄り添うようでいて、あっさりと裏切る。それでいて、いつの間にか付き纏って
いるのだ。影が薄くなると、本体のほうもぼんやりしてくる。やがて影が消え、本体も消滅する。盥の中に
映った月影のように。此岸に本籍をもたない男の挽歌が静かに聞こえてくる。

                                                 
 2017年1月24日(火)

  ミカサ屋          瀬崎祐

 駅前から北にのびる花見小路にあるミカサ屋はラーメン
 専門店だ せまいカウンターの奥で 無口な店主がいつ
 も黙ってラーメンを作っている メニューには餃子もな
 い 担担麺もない 炒飯もない しかしミカサ屋のラー
 メンを食べた人は誰もがおいしいという 誰もがもう一
 度食べたいという 静かにひっそりと建っている店だ

 でも昔はそうではなかったと古くからの客はいう そう
 だった 店主は話し好きで 小太りの奥さんもいて 会
 話を楽しめるにぎやかな店だった メニューにも廃墟の
 餃子定食とか寒空の担担麺定食とかがあった それに店
 ができたときは 店の屋号はもっと長いものだった た
 しか「遙かなるミカサ屋」という名前だった

 その頃は 店の中では大きな声で歌をうたうようにうな
 がされた このにぎやかな店の中では誰にも言葉は届か
 ないのだから せめて歌でもうたわなければならない
 と カウンターの奥からラーメンをさしだしながら 店
 主は真顔で力説するのだった たしかに うたっていれ
 ばにぎやかで陽気な気分になれる店だった

 そのうちに小太りだった奥さんは痩せてきた 普通の体
 型を通りこして針金のような体つきになっていった 身
 体の栄養分がしだいにどこかへ溶けだして 骨の形だけ
 が残っていくようだった やがて奥さんの身体は手や足
 などの末梢部分から透きとおりはじめた 最後に唇が透
 きとおると 奥さんは誰にも見えなくなった

 それとともに話し好きだった店主の会話も減っていっ
 た そして「遙かなるミカサ屋」はただの「ミカサ屋」
 になった 遙かなるものをラーメンスープの中に溶けこ
 ませてしまったのだった そのスープを飲みこんだ者の
 食道や腸管はどんどんとひきのばされる 快感とともに
 遙かなるものの所までひきのばされるのだった

 今ではメニューはラーメンだけになったので 訪れた客
 がわざわざ品名を注文することもなくなった こうして
 店内は静かになっていった 歌をうたうものはもう誰も
 いない 客は会話をすることもなく ただミカサ屋の遙
 かなるラーメンを食べていく いっさいの言葉がなくな
 り 店内にはラーメンの味だけが残ったのだ

 そんなミカサ屋に行こうとすると 近ごろは道に迷うよ
 うになった 訊ねようとするたびに ミカサ屋の場所が
 変わっているようなのだ 花見小路は見通しがいいはず
 なのに ミカサ屋はいつも何かの陰になる場所に建って
 いる たどり着けなかった日には 唇の傍らに吹き出物
 があらわれる ミカサ屋の店主が痩せてきている

       『片耳の、芒』(瀬崎祐 著、思潮社、2016年)より


 奇妙な味のする詩である。最初に連想したのは、酒鬼薔薇聖斗の「透明な存在であるボク」という言葉で
ある。陰惨な事件の犯人が、どんな思いでこの言葉を紡ぎ出したのか、もちろん小生には皆目分からないが、
世間の耳目を集めたいという彼の渇望がその言葉を生む原動力のひとつであったことは間違いないように思
われる。無視されることがどれだけ辛かったか……という憶測である。また、ガブリエル・ガルシア=マル
ケスの『百年の孤独』の中で、村人から無視され続けているうちに、樹木の根元で透明になっていく老人が
描かれてはいなかったか。あるいは、マリー・ローランサンの「鎮静剤」の最後の三行である「死んだ女よ
り/もっと哀れなのは/忘れられた女です」を思い出す人もいるだろう。人間は孤独に耐えられない存在で
ある。誰も声をかけてくれなかったら、透明にならざるを得ないのである。
 さて、この「小太りの奥さん」は、どうして透明になっていったのだろう。最後に唇が透きとおったとあ
るから、最後まで言葉を紡いでいたのではないか。「わたしを無視しないで」、と。客が途絶えたわけでは
なさそうだから、「夫婦の間に何かあったのだろうか」、と思わず考えてしまう。ただの邪推が新たな邪推
を生んで、ますます奥さんの消滅の謎は深まっていく。もちろん、奥さんは癌を患って痩せ細っていったと
いう、身も蓋もない解釈もあり得るが、それではロマンがないよね。
 個人的な背景へのアプローチを断念すれば、次に浮かんでくるのは「昭和の消滅」という社会的な観点で
ある。シャッター街が当たり前の風景になっている今、櫛の歯が抜けたような商店街に、ポツンと残ってい
るラーメン屋……そんなイメージである。昔はそこそこ流行っていたのに、今ではすっかり寂れて、ひっそ
りと営業している店。その方が、ミカサ屋にはふさわしいか。もしも、たどり着くことができたなら、大声
で、「ラーメン、一丁」とでも叫んでみるか。

                                                 
 2016年12月8日(木)

  乏しき時代に      以倉紘平

 ──門の鉄の大戸
   玄関の戸をいっぱいあけておくこと
   西瓜を冷やしておくこと
   離れに雑巾がけしておくこと
   神棚仏壇を整理しておくこと
   一輪挿し程度でよいから花をさしておくこと…

 江田島海軍兵学校一年、満十七歳に満たぬ若者が、夏季休暇で帰省
 するにあたり、故郷の妹にあてた手紙の抜粋である。彼、臼淵磐大
 尉は、昭和二十年四月七日、二十一歳七ヵ月で戦死している。「大和」
 の乗組員で、後部副砲指揮所・分隊長であった。

 ──徳之島ノ北西二百浬の洋上、「大和」轟
   沈シテ巨体四裂ス水深四百三十米
   今ナオ埋没スル三千の骸
   彼ラ終焉の胸中果シテ如何 (注:「の」はママ)

 「大和」は無謀この上ない作戦により、片道の燃料を積載しただけ
 で、沖縄に特攻出撃した。臼淵磐大尉は、戦艦大和と共に、三千の
 死者の一人として、南海に散華したのである。家族にやさしく、水
 泳の達人で、詩文を愛好したという。

 ──何故に笹の葉を追ふか
   このせせらぎのめだかは

 繊細で、心やさしい抒情詩もいくつか残しているが、しかし次の如
 き死生観の持ち主であった。

 ──進歩ノナイ者ハ決シテ勝ナイ、負ケル
   コトガ最上ノ道ダ、ソレ以外ニドウシテ
   日本ガ救ハレルカ、今日覚メズシテイツ
   救ハレルカ、俺達ハソノ先導ダ

  私の驚きは、国家の運命に翻弄されたこの若き大尉が、すでに幼
 少時から身につけていたと思われる生活の感覚についてである。
 水を打った敷石や庭の匂い。開け放たれた家のすがしさ。雑巾がけ
 した畳や床の感触。簡素な神棚の森厳な雰囲気…。それらを統べ
 るどの家にも満ちていた何か。かつての日本の家と日本人の起居振
 舞いに宿っていた何か。
  旧世紀との別れの元旦を迎えるにあたって、私は我が家の玄関を
 あけておく。いっぱいにあけておく。玄関に水を打ち、部屋に一輪
 の花をさしておく。あの敗戦によって失ったものを自覚するためで
 ある。

   引用は、吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)並びに
  『鎮魂戦艦大和』(講談社)所収「臼淵大尉の場合」に拠る。

    『フィリップ・マーロウの拳銃』(以倉紘平 著、沖積舎、2009年)より


 また、開戦の日を迎えた。戦勝気分に酔い痴れた当時の多くの日本人に対して、「先見の明がなかったで
すね」と語りかけることは残酷なことであろう。したがって、この手の詩においては、死者に鞭打つような
真似は金輪際あり得ないのである。もちろん、小生もその伝を踏襲する他ないが、敗戦によって失ったと思
われるものを懐かしむよりも、敗戦によって得られた教訓を肝に銘じる方が先決だと思ってしまう。これは
もう性分としか言いようがないだろう。昨日、たまたま『この世界の片隅に』というアニメーション映画を
観てきたが、この作品においても、日本人の陥った敗戦という苦境に対して静かに寄り添っているばかりで
ある。この詩においても、この映画においても、いわば「鎮魂」こそがその命脈であり、ことそこに至った
事態の究明にはとんと関心が向かわないのである。それが日本人の特性であり、長所でもある、と記述する
ことはたやすいが、果たしてそれで済ましてよいのだろうか。そんなことを考えさせてくれる詩であった。

                                                 
 2016年6月28日(火)

  なぜか追悼、辻井喬           林嗣夫

       1

 追悼、などというのは
 ちょっとおこがましい
 一度も彼に会ったことがないし
 作品の熱心な読者でもなかった
 しかし「樹林」(’13年12月)の特集や
 「現代詩手帖」の追悼号を読んでいるうち
 なぜだろう なつかしさのようなものを感じた
 例えば山本勝夫によると
 吉井勇 北原白秋 川田順らの歌はいい、
 と辻井は語ったことがあるという
 わたしも彼らの歌が好きだ
 実は高知の山間、猪野々の里に
 吉井勇は失意の一時期を仮住まいしたことがあり
 そこに小さな記念館が建っている
 訪れると あの「ゴンドラの唄」の切ない曲が流れるのだ
 作詞したのは吉井だ
   いのち短し 恋せよおとめ
   朱きくちびる あせぬ間に
 この歌を辻井も好きだったのではないか
 黒沢明の映画『生きる』の中で志村喬が口ずさんだように
 一つの超越のメロデーとして

       2

 「現代詩手帖」’14年2月号 飯島耕一・辻井喬追悼特集──
 その座談会からいくつかの発言を拾ってみる
 吉田文憲「基本的に飯島さんも辻井さんも散文行わけ詩と言っても
   いいような、歩行の感じがあるんです。ぼくが物足りないのは、
   辻井さんに関して北川さんがおっしゃったように、詩に対する
   疑いがない。文化の普遍的な価値を信じている。伝統というよ
   うな大きなものに自分の感受性がつながっていないと個別のう
   えにいいものができないんだという言い方もしています。」
 野村喜和夫「飯島耕一の発する言葉は世代を代表できる。辻井さん
   の『わたつみ 三部作』は死者の鎮魂として機能する。言葉が
   広い意味での公共性をもち、自分が発話することが何かを代表、
   代行できるような、ある意味幸福なポジションがあった気がする
   んです。」
 蜂飼耳「詩がそういうものであれたということを振り返ってはっき
   り見えるんです。ただ、下の世代は逆にそこに言葉のリアリティ
   を感じにくい。詩にそれをさせてしまうと言葉に空虚な感じを
   受けるようになり、それぞれ個別化していった結果、いまこの
   現状がある。しかし、昔はそうだったと単に振り返って終わる
   べきではないと私は思っていて、まさにその接続を探さないと
   いけない。……でもその接続はとても難しいなと感じますね。」
 北川透「……むろん、辻井さんは、これまでの大義、あるいは大義
   そのものを否定するけれども、大義を求める生き方自体は美し
   いということで否定していないんです。大義のあるものは、意
   味を失うとともに、美的な価値に変わっているんでしょうね。」
 四人それぞれに辻井の作品を読み
 現代における詩の大事な問題にもふれている

       3

 思索にむかう辻井の苦しみの中心は
 どこにあったのだろう
 一言でいえば現代社会の虚妄、ということか
 大君のために「鬼畜」と戦い 南海の美都久屍となった若者たち
 あの経験を無にするかのような今の日本の在り方
 辻井も堤清二の名でかかわったマーケティングや
 グローバリズム(アメリカ化)のもたらす深い矛盾、など
 ここで 最近のあるインタビュー記事を思い出す
 渡辺京二「生きづらい世を生きる」(朝日新聞、’13・8・23)
   「あらゆる意味づけが解体され、人が生きる意味、根拠まで
   見失って、ニヒリズムに直面しているのではありませんか。」
   「根本的には、高度資本主義の止めどもない深化があると思い
   ます。……お金を払えば(何でも)済むわけですから便利で
   はあるんですよ。だけど人間はバラバラになってしまう。資
   本主義は一人一人を徹底的に切り離して消費者にする。……
   生きる上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、……」
   「人は何を求めて生きるのか、何を幸せとして生きる生き物
   なのか、考え直す時期なのです。」
 そういえば3・11の原発事故
 その直後から早くも原子炉再稼働の声が出てくる
 万一のことが起こっても「金を払えば済む」──
 このような発想ばかりが横行する今の社会を
 詩人、辻井喬は苦しんだのではないか
 済む、とはこの場合
 大事なものを切断することである

       4

 ところで
 わたしが追悼特集を読んだのは’14年2月4日
 まだ暗い午前4時ごろから
 いつものことで早く目が覚めてしまった
 夜が明けて朝食をとっていたら なんと!
 NHKアーカイブズ「トルストイ ユートピアの大地
 辻井喬の巡礼」をやっていた
 “巡礼”は二〇〇一年のことらしい
 人は何を求めて生きるのか 何のために生きるのか、
 を追求しつづけたトルストイの生涯
 その非戦と愛の思想に共鳴する農民たちが
 小さなコミューンを形成して 自分たちの労働と歌に生きる
 やがて教会や国家から破門弾圧を受けた彼ら
 今はみるかげもないその子孫たちの
 暮らしの現場を辻井が訪ねるという番組である
 例えば
 ユートピア伝説のふるさと シベリア
 ここはかつてデカブリストたちが
 ロシアの専制と農奴制の廃棄を求めて武装蜂起し
 徒刑ないし流刑となった地でもある
 彼らの後を追って妻たちは
 貴族の身分を捨て
 はるか遠くバイカル湖のほとりへと向かう
 このような場面は 「大義を求める生き方」として
 辻井の胸を揺さぶったにちがいない
 バイカル湖でよく捕れるという魚を手にしながら
 「彼らはこの魚を食べながら
 革命の思想から生活の思想へと
 心を向けたんでしょうね」
 辻井はつぶやくように語っていた

       5

 『自伝詩のためのエスキース』(’08年)から
 すこし引用してみよう

   そんな時 むかし見たのは漂泊者
   あるいは都を捨ててゆくさきざきで相聞歌を詠む男
   しかし今では数えきれない顔のない勤め人
   そして遠くにはくたびれた後ろ姿の老人
   そこには劇的な要素はいっさいなくただ翳りがある
   それは勤め人が悪いのではない
   通行人が無秩序で退屈なのでもない
   おそらく現代とはそういう時代なのだと呟いて
   僕である老人の彼は目的もなく歩いていくのだ
   ぼんやり幻視される海は油に覆われ鈍く光って
   白かった鴨の声も汚れてしまった

 自己処罰のような辻井の彷徨をみるうちに
 なぜか 芭蕉の次の一句が頭をよぎった
   旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
 この場合 「旅」も「病んで」も具体的で
 「枯野」も芭蕉の風雅の内にあったかもしれない
 が いま読み直してみて別のひびきに打たれる
 旅に病む、とは
 なぜ、何のために生きるのかを問いつづけるということである
 そのような精神にとっては
 地上の花も枯野と見える
 しかしそれでも
 希望を探してさまようほかはないという……

       6

 なぜ「辻井喬」か 「追悼」なのか
 実は自分でもよく分からないままこれを書いているのだが
 彼は東京どまん中の人 昭和をぴったり生きた人
 詩の形もわたしとは違う
 わたしは南国の遠野物語からはい出して
 いまとんぼの羽根や女の髪の毛を歌っている
 しかし……
 先の渡辺京二によると
 深化した今の資本主義は人間をばらばらにする、という
 ばらばらにしたほうが金をより多く消費するから、と
 それならば人は人から切り離されるだけでなく
 神からも自然からも伝統文化からも死者たちからも
 切り離されるだろう
 それはそのまま
 自分自身からの切断ということでもある
 さらに彼の場合
 生い立ちにまつわる特別の矛盾と孤独もかかえていたようだ
 そしてそこから
 辻井の彷徨は始まったのではなかろうか
 「どうやら私は神を探しに行かなければならないようだが。」
 と彼は記している(「わたつみ・しあわせな日日」あとがき)
 彼が探していたのが
 いわゆる神であったとは思われない
 何か別の超越──
 ばらばらになった他なる存在と
 「ゆくさきざきで相聞歌」を交わすことのできる、場、
 とでも言ったらいいか
 山本勝夫が追悼文の中で引用した辻井の短詩を
 孫引きさせていただくと

   もの総て
   変りゆく
   音もなく

   思索せよ
   ただ一人
   旅に出よ

   鈴あらば
   鈴鳴らせ
   りん凛と

 会ったこともない辻井喬になつかしさのようなものを感じ
 この長い詩もどきを書くことになったのは
 結局
 「詩に対する疑いがない」と評者から言われる
 そこのところだったのかもしれない
 詩は信疑の対象であることを超え
 まず それを生きるほかはないものだったのではないか

                       『林嗣夫詩集 解体へ』(ふたば工房、2016年)より


 2016年6月26日(日)、高知会館で「高知詩の会」(春の大会)が催された。その会場で、作者から手渡
された詩集の冒頭の詩である。果たしてこれが詩と言えるかどうかはさておき、不思議な味わいがあった。
もっとも、全面的に共感を抱いたわけではない。小生には、「伝統だからよし」とする気持はないし、「新
風だから芳し」という感激もない。そのときその場の琴線に触れるかどうかが問題で、作者が誰であろうと
それは問わない。「生きる意味を問うこと」も、いまだ大切なことと認識はしているが、巡礼に出ようとは
思わないし、グローバリズムに異議申し立てすることには賛成だが、それに取り込まれている自分の中の矛
盾を解消しようとも思わない。携帯電話を玩具にしながら、原発反対を叫ぶ人々を揶揄する自分。その直後
にエアコンを動かし、コンピュータの画面を見詰めながら、キーボードを叩いている自分。ひたすら滑稽な
だけだ。寒山拾得が笑いながら通り過ぎてゆく。芭蕉の俳句やトルストイの人類愛とやらを耳にしても、何
やら他人の手垢のついたハンカチを顔にかぶせられた思いがする。むしろ、「理に合わないものは、いずれ
亡びる」と考えれば、いくらかの慰めが得られるかもしれない。この「長い詩もどき」を読んで、そんなこ
とをぼんやりとこころに浮かべた。

                                                 
 2016年5月12日(木)

  Unchain my heart                      俺の心を解放してくれ

 Unchain my heart                     鎖をはずしてくれ
 Baby let me be                       ベイビー 俺の好きにさせてくれ
 Unchain my heart                     俺の心を解放してくれ
 Cause you don't care about me            お前が俺を好きでないから
 You’ve got me sewed up like a pillow case     俺の心をぼろぼろにしながら
 But you’re letting my love go to waste       俺の愛を浪費するお前
 So, unchain my heart, oh please            だから心を解放してくれ
 Please set me free                    俺を自由にしてくれ

 
 Unchain my heart                     鎖をはずしてくれ
 Baby let me go                       俺を行かせてくれ
 Unchain my heart                     俺の心を解放してくれ
 Cause you don't love me no more           お前が俺を愛してないから
 Every time I call you on the phone            いつお前に電話しても
 Some fella tells me that you're not at home     誰かがお前は留守だという
 So, unchain my heart, oh please             だから心を解放してくれ
 Please set me free                     自由にしてくれよ


 I'm under your spell                    俺はお前のとりこさ
 Like a man in a trance                  魔法にかかった男のように
 But, I know darn well                    でも俺は知ってるともさ
 That I don't stand a chance               俺がそんな扱いに我慢できないと


 So, unchain my heart                   だから鎖をはずしてくれ
 Let me go my way                     俺を行かせてくれ
 Unchain my heart                     俺の心を解放してくれ
 You worry me night and day               お前は昼も夜も悩ませる
 Why lead me through a life of misery         俺の人生は惨めなものなのに
 When you don't care a bag of bean for me     お前は豆袋一つもくれようとしない
 So, unchain my heart, oh please            だから俺を解放してくれ
 Please set me free                    自由にしてくれよ


 レイ・チャールズ・ロビンソン(Ray Charles Robinson、1930年-2004年)が、1962年にリリースした楽
曲の歌詞である(ウィキペディアより)。もちろん、10代のころから既知のスタンダード・ナンバーだが、
最近になって勝新太郎が歌っているCDを聴いて、本家のレイ・チャールズを聴き直してみたところ、とても
こころに沁みた。この曲は恋の歌だが、《Unchain my heart!》は、すべての事柄に通じているような気が
する。なお、歌詞は各種のネット情報から適当に引っ張ったものである。バリアントは無数にあるようだが、
これも適当にアレンジした。

 * 問題があるようでしたら直ちに削除します。muto@kochi-u.ac.jp までご連絡ください。

                                                 
 2016年5月5日(木)

  戦ふ兵隊            亀井文雄

 現地の兵隊は
 この映画の撮影に
 非常な好意を
 示してくれた

 いま大陸は
 新しい秩序を
 生み出すために
 烈しい陣痛を
 体験してゐる

 支那大陸は
 どこへ行っても
 水が悪い
 兵隊は
 故郷の清らかな水を
 いくたびか思ひ起す

 衛生隊の水質検査
 給水班が来た

 乾燥菜 乾燥馬鈴薯
 乾燥人參 それに
 粉味噌を使って
 汁をつくる
 兵隊はつくづく
 新鮮な野菜を
 食ひたいと思ふ

 部隊は前進移動して
 この土地を去った

 また
 部隊が去った
 その日から
 農民は
 働きはじめる

 しかも
 こゝには最早や
 戰火のうれひが
 なくなったのだ

 枯草をよって
 燃料にする

 部隊は
 大陸の
 奧深く進む

 追撃の急な時は
 病馬を捨てゝ
 行く事がある
 こんな時 兵隊は
 心の中で 泣いてゐる
 だが作戰上
 やむを得ないのだ

 兵隊は
 死闘してゐる

 悠久な大陸の自然に
 歴史の一頁を
 刻みこんでゐるのだ

 大君の邊にこそ
 死なめ ──
  この言葉を思ふ時
  兵隊の感情は
  美しく昂揚する

 こんな晩
 兵隊は
 驢馬の泣声が
 しきりに
 耳につく

 明治節も間近い朝
 部隊は
 武漢への
 最後の前進行動を
 起した
 その出発に先立って

 武漢
 抗日くづるゝ日

 漢口江漢関の廣場で
 軍楽隊の演奏が
 行はれた

 兵隊は
 武勲を語らない
 名誉を思はない
 ただ
 大いなる事業を
 果たした後の
 快い疲れを休めて
 靜かに楽しんでゐる

 兵隊は
 荒涼たる戰場を
 超えて来たのだ

 この日
 早や裏町には
 文字通り焦土の中に
 うごめく
 生活の意欲をみた

         ドキュメンタリー映画『戦ふ兵隊』(監督:亀井文雄、東宝文化映画部、1939年)より


 上記の言葉は、映画『戦ふ兵隊』における手書きのテロップを小生が適当に編集したものである。したが
って、文字通りの意味では「詩」とはいえない。しかし、小生はこの言葉のかたまりに対峙するとき、一種
の「叙事詩」を感じるのである。書いた人は亀井監督ではないかもしれない。もっとも、それは大した問題
ではないだろう。従軍した映画スタッフ全員の気持を代表していると思われるからである。陸軍省情報部が
後援して製作された記録映画であるが、軍の検閲において「反戦的な哀感が強すぎる」という理由で公開は
中止されたという。しかも、この映画がその理由の一つとなって、亀井文雄は治安維持法違反の廉で逮捕・
投獄されたという。戦後だいぶ経ってから(1975年)このフィルムは発見されたそうだが、「よくぞ、残存
してくれた」という思いが強い。詩は、人々の本当の気持が言葉となって滲み出ることによって、はじめて
成立するものだからである。

                                                 
 2016年3月15日(火)

  わたしが一番きれいだったとき      茨木のり子

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
                    ね

                         『見えない配達夫』(1958年、飯塚書店)より


 映画『この国の空』(監督:荒井晴彦、「この国の空」製作委員会〔吉本興業=チームオクヤマ〕、2015
年)の掉尾を飾る詩として、主人公里子役の二階堂ふみが朗読している詩である。もちろん、既知の詩では
あるが、それほど好きな詩ではなかった。たぶん、思い切りジェンダー・バイアスをかけており、「これは
女性にしか書けない詩ではないか」と思って、引いてしまうからだと思う。今読んでみても、「素直な詩」
とは言えるが、何か生意気な少女の呟きに聞こえ、やはりあまり感心できない。だいいち、自分のことをつ
かまえて、わざわざ「一番きれいだったとき」と表現すること自体、何だか「夜郎自大」のにおいがするで
はないか。しかし、よく考えてみると、別の様相が浮かび上がってくる。すなわち、茨木のり子は、この詩
をものすることによって、男から見た女を捨て去って、独立独歩の女が立ちあがってくる気配を醸し出そう
としているのではないだろうか。堂々と男抜きの「女」を宣言しているのではないだろうか。男の目を遮り、
自分の一番よいところをぐいっと前に押し出しているのではないだろうか。小生は、「汲む  ── Y・Y
に ──」という詩を「火曜日の詩歌01 - Anthologica Poetica -」に転載しているが、この詩と併せ
て改めて茨木のり子の詩想に触れてみると、その威勢のよさに思わずエールを送りたくなってくるのである。

                                                 
 2016年1月13日(水)

  ネアンデルタール人の涙        埋田昇二

 おれは火を用いることを覚えた
 ホモサピエンスたちよりも
 進んだ皮革加工用の精巧な骨角器を創ることができた
 病で亡くなったわが子を埋葬し
 遺体に花を供える心も持っていた
 だが
 せっかくの獲物を追いつめても
 おれたちは仲間に合図を送る言葉を知らなかった
 プアプア プーピー プーピー
 と叫ぶことしか出来なかった
 猟が終わった後の
 囲炉裏を囲んで語るじいさんばあさんの
 数えきれないほどの豊かな経験も
 子どもたちに知恵として伝えることができなかった

 二万数千年前のある夜
 ホモサピエンスの奴らとの生存競争に敗れて
 寒い洞窟の奥で
 仲間も家族も失い
 食べ物もなく
 たった独り残された
 最後のネアンデルタール人のおれの横顔に
 仄かに月の光がさしこむ
 唇を僅かに動かして
 おれには確かな音節をもった声帯はなかったから
 悲鳴のような声は
 やはり
 プアプア プーピー プーピーとしか発することもできず
 一粒の涙が
 髭だらけの頬を濡らした

 ホモサピエンスが生き残ったのは
 喉骨の構造がほんの少し進化して
 声から明晰な音階を持った言葉を持てたから
 回り道して待ち構えている仲間への合図ができたから
 じいさんばあさんの豊かな知恵と経験を
 子どもたちに伝えることができたから

 かつて
 古生代カンブリア紀に爆発的に動物が大進化を遂げた時代に
 硬い殻と甲羅に身を固めた三葉虫をもかみ砕いた
 アノマロカリスのように
 また
 中生代のティラノサウルスのように
 巨大な歯と牙をもって
 怖いものなしの生態系の頂点にのぼりつめながらも
 環境の激変に対応できずに滅んでいった
 とすれば
 ホモサピエンスが滅ぶとすれば
 貧困ではない
 資源の枯渇ではない
 言葉によって地球のすべての生物の王者になったものの
 ある時
 突然
 なぜか
 互いの言葉が通じなくなって
 愛と詩が消えて
 沈黙と秘密と憎悪と怒りと狂気と
 殺戮とテロと死者を弔う棺もなくて
 宇宙の果てにまで届こうとした「バベルの塔」が
 脆くも崩れ去る時に違いない

                     『気まぐれな神』(2014年、土曜美術社)より


 この作品は巻末を飾る力作で、「III 生命の記憶」の中の一篇である。他に、「記憶という川を遡る」、 
「ひとつの生命が」、「ヒトは海の記憶を脱ぎ捨てられない」、「花の革命作戦」、「今日吹く風は」、
「飛べない鳥」、「ルーシーは空腹をかかえながら二本足で歩いていた」が掲載されている。
 これらの詩篇に登場する大きな数字だけを拾い上げてみよう。

   「記憶という川を遡る」

  p.93 三五億年前の世界最古の原核細胞(バクテリア)であると判断された

   「ひとつの生命が」

  p.98 この親鸞の投身のはるか十数億年前に

  p.99 たとえば
     数億年を経た今も
     ホモサピエンスの細胞の奥に潜む
     たった一個の大腸菌は
     条件がよければ
     九時間に一億個に増殖することができるという

  p.100 一〇〇〇万種の生物が地球上にあふれている

  p.101 時間を超えた億年の異界からきたヒト?

   「ヒトは海の記憶を脱ぎ捨てられない」

  p.102 ここは億年の昔に絶滅した生き物たちの墓場だ

  p.104 そして三億六〇〇〇万年前のある日 紫外線の弱い夜 薄暗い湿地
      帯の水の中からイクチオステガという魚が倒れた古木に這い上がっ
      たのだ!

  p.105 億年の後 胎内の羊水は原始地球の海の成分に似ているという

   「花の革命作戦」

  p.109 一億二五〇〇万年前のよく晴れた森の中の出来事であった

   「今日吹く風は」

  p.110 二三億年前 七億年前 六億五〇〇〇万年前には 地球史上最大の
      氷河時代の地球まるごと氷に包まれた全球凍結が起きた また四億
      四〇〇〇万年前 三億七〇〇〇万年前 二億五〇〇〇万年前 二億
      一〇〇〇万年前には 地球の生物の九〇パーセント以上が死滅する
      大量絶滅が起きた

  p.111 五回目が六五〇○万年前

  p.112 助けて! ふりむくことも悲鳴をあげる間もなく 昏い空から墜ち
      てきた巨大な小惑星の塊に 一億八〇〇〇万年もの間 世界を支配
      してきた恐竜たちは壊滅した

      はるか六五〇〇万年後のヒロシマのように 灼熱の業火のなかに消
      えたヒトの魂だけが時間も砕け散ることを瞬時に感受したに違いな
      いが 恐竜はもちろん だれも原始の森さえも 迸る海に 世界は
      暗闇に沈んだ 沈黙だけを支配し 記憶は凍りついた

   「飛べない鳥」

  p.114 数千億の屍を晒しながら這いあがったものだが

  p.116 億年の昔
      ニュージーランドの島々は
      いちど
      海のなかに沈んだという

   「ルーシーは空腹をかかえながら二本足で歩いていた」

  p.120 一九七四年
      エチオピアのハダールのサバンナで
      人類学上の大発見がなされた
      それは三二〇万年前の最古のヒト科のアファール猿人の化石である
      五二個の化石はほぼ全身の形を推定することができるもので
      この化石は骨盤の形 背骨の構造から
      二本の足で直立歩行していたことは間違いないと考えられた
      この猿人はルーシーと名付けられた

 100年でも気が遠くなるほど長いのに、その100万倍の1億年などという数字は、人間の実感をはるかに凌
駕している。それでも、人間はいとも簡単にその数字を言葉にすることができるので、何か不思議な感じが
する。小生も自分の年齢を訊かれたとき、冗談で「35億61歳」と答えることがある。生命のリレーは一度も
バトンを渡し損なうことなく、小生まで確実に届いているからである。これを奇跡と呼ばずして何を「奇跡」
と呼べばよいのだろうか。遠からずして小生は消滅するが、生命のリレーはまだまだ続くと思う。その雄大
なドラマがこれらの詩篇にさりげなく表現されているのである。

                                                 
 2016年1月7日(木)

  きのこや       今井好子

 はじめはきづいたらはえていて
 たたみの間からにょきにょきしめじみたいなのが二本
 あわててむしりとって
 そしたらつぎの日にょきにょき にょきにょき
 二本が二ヵ所で
 なんでと思いながらひっこぬいて
 またつぎの日 つぎの日
 つぎの日がかさなってはじめたのです
 きのこや
 
 今までにないかおり
 あじもかくべつといわれ
 ますますちょうしがのってきて
 和室はつねにしめきりうすぐらくして
 加湿器をかいこみしっけをおくり
 夏にはれいぼうをかけて
 冬にはだんぼうをいれる
 とくべつなえいようをあたえなくても
 まほうのたたみをもっていたんだ
 ほくそえみながらまいにちしゅうかくしました

 きのこの成長ははやくて
 くる日もくる日も朝から晩までいそがしくはたらきました
 きのこにぼっとうしていました
 きのこにむちゅうでした
 夫のどなり声がかすかに耳にのこっていましたが
 きのこの成長ははやくて
 耳をかしませんでした
 子どものなき声も聞こえてきましたが
 きのこの成長ははやくて
 かまっていられませんでした
 頭痛をおぼえたときもありましたが
 きのこの成長ははやくて
 薬をのんではいられませんでした

 それはとつぜんやってきました
 まほうのたたみと床板がくさり
 へやごとあながあいたのです
 異臭とともに床下におちました
 床下にはみたことのない
 白くてほそいきのこがいちめんにはえていました
 うつくしいとおもいました
 きのこのあたまは触手のようにゆれていました
 きのこたちは二このまりを触手でころがして
 あそんでいるみたいでした
 目がなれてくらくてもわかりました
 まりは大小ふたつのがいこつでした
 みおぼえのある子どものふくのはぎれが
 きのこにからみついて触手といっしょにゆれていました

                         『詩集 揺れる家』(2014年、土曜美術社)より


 松本零士の漫画『男おいどん』(『週刊少年マガジン』、1971-1973年連載)に登場する「サルマタケ」
を連想させるが、あちらが滑稽味を醸し出しているのに対して、こちらは陰惨ですらある。何かにかまけ
て家族のことを忘れた主婦が一番大切なものを失うという「教訓詩」として読むこともできるが、それだ
けではない奥行を持っている詩である。大袈裟に捉えれば、人間の「根源悪」を活写した詩にも見えてく
るのだ。強欲な人間は、その強欲に呑まれて、やがては亡びに至るというような……。「きのこの成長は
はやくて」を4回繰り返すが、手を拱いている間に事態が悪化してゆく様子が加速度的に読む者に伝わっ
てくる。しかも、この時点では、まだカタストロフは顔を見せていない。その後も、白いきのこはあくま
で美しく、その触手はまりで遊んでいるかのように見えるのである。サッカーの起源の一つとして、勝利
した戦争で敵国の将軍の生首を蹴って遊んだことに由来するという説があるが、白いきのこは勝利を祝っ
て「まり=骸骨」を弄んでいるのだろうか。だとすれば、「根源悪」というよりも、人間の根本的な「悲
惨さ」を表現している詩なのかもしれない。そんな解釈が可能ならば、「きのこや」というとぼけた題名
も、ひとしお効いてくるのではないだろうか。

                                                 
 2015年9月20日(日)

  葛西善蔵     友川カズキ

 空 青々と澄みわたり
 鳥さえずりて胸を射る
 アアリンゴのたわわの木の下
 その実と同じくうなだれる
 哀しき父ひとり
 どうこくする
 その名は葛西善蔵

 おせいおせい彼はうたったぞ
 現せ身の寂寞の何たるかを
 日々声して走り抜けたぞ
 暗き内なる修羅の喉笛
 哀しき父ひとり
 もろ手をこする
 痛いぞ葛西善蔵

                        『赤いポリアン』(2000年)より


 とあるシャンソン・バーで聴いた曲の歌詞である。友川カズキと言えば、『17歳の風景』(監督:若松孝
二、若松プロダクション=シマフィルム、2005年)という映画の中で彼の歌声が入るが、とても印象的だっ
たことを覚えている。彼の名前もそのとき記憶した。この映画に関する記事が小生のブログ「日日是労働セ
レクト36」にあるので、少しだけ引用してみよう。

  繰り返される、自転車の疾走、少年の独語、画面に映る文字、時折入る友川カズキ(旧 かずき)
 の情念の歌声(「いつか、遠くを見ていた」)などが、日本の風景に重なって、詩的な雰囲気を醸
 し出していた。「現国の横川先生の背中から/ナルト〔鳴戸巻きのことか〕が落ちてきたとき/た
 とえば母が死んだとき/たとえば僕が死んだとき/ゼツ、ゼツ、ボウ、ボウ、ゼツ、ボウ、ボウ」
 (音から拾ったので正確ではない)などを聴くと、ぞくっとする。自宅で母を撲殺するシーンが何
 カットか挿まれるが、最後に少年が自転車を岬から投げ捨てるシーンに至って、血だらけの母親が
 倒れるのである。まるで、日本そのものが倒れるかのように……。少年が見たものは、果たして何
 だったのだろうか。

 「ゼツ、ゼツ、ボウ、ボウ、ゼツ、ボウ、ボウ」という言葉から彼のありったけの情念を感じることがで
きる。調べてみると(ウィキペディア)、彼は幾冊か詩集を出しており、どうりでと思った。園子温の映画
『うつしみ』(監督:園子温、アンカーズプロダクション、1999年)に「詩」を感じたとき、やはり調べて
みたら彼が「詩人」だったことを知ったときのように。
 さて、当該の歌詞であるが、同じ東北出身の作家である葛西善蔵の名前が唐突に登場する。『子をつれて』
(1919年)がもっとも有名な作家の名前であるが、文学通でなければ知らない人も多いだろう。実在した人
物の名前を歌詞の中に織り込み、その名前がショッキングな感じで伝わってくる。こんな歌は他にあまりな
いだろうと思う。もっとも、わが日本では、これから詩人が確実に増えてくると思っている。金と女/男と
病気で苦しんだことのない作家は大成しない……その土壌は少しずつ生まれつつあるから。

                                                  
 2015年7月29日(水)

  コレガ人間ナノデス         原民喜

 コレガ人間ナノデス
 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
 肉体ガ恐ロシク膨脹シ
 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
 オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
 「助ケテ下サイ」
 ト カ細イ 静カナ言葉
 コレガ コレガ人間ナノデス
 人間ノ顔ナノデス

                          「原爆小景」(岩波文庫)より


 生協の書籍部門で文庫の棚を何気なく眺めていたら、原民喜の全詩集が文庫として発売されていることに
気づいた。もちろん、直ぐ手に取って購買した。その中の一篇をここに写したが、何も解説は要らないだろ
う。戦争について感受性の希薄な人は、この詩を読んでも何も感じないのかもしれない。むしろ、酷薄な笑
いすら浮かべるかもしれない。エラスムスの有名な言葉をここで掲げておこう。

  Dulce bellum inexpertis.  英訳:War is sweet for those who haven't experienced it.

 小生も戦争を経験しているわけではないが、さまざまな機会を通して、絶対に避けなければならない事柄
の筆頭というイメージを抱くようになった。人間とは思えない人間を見てしまった人間の人間に対する悲し
みと憎しみを人間として受けとめなければならないだろう。

                                                 
 2015年6月2日(火)

  言葉            小松弘愛

 何度か
 目に止めてきた横断看板*

  ARBEIT MACHT FREI

 アウシュビッツ強制収容所の
 正門に掲げられたドイツ語の標語

 「アルバイト マハト フライ」
 「労働は自由への道」と訳されている

 福島第一原発から三キロほどの町 
 商店街に掲げられた横断看板**

  原子力明るい未来のエネルギー

 人々はどのような思いで
 この標語の下を逃げていったのだろう
 今は無人の町である

 横断看板の下には
 ポールに取り付けられた
 三角状の青い道路標識がある

 その中には
 足元に引かれた白線に沿って
 白い人が手を振って歩いている

     * フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳)所収の写真
     ** こども高知新聞「おさまらぬ原発『もどる日』いつ」に添えられた写真(12・2・14)

                              『兆』166号、2015年より


 この方も面識のある高知の詩人である。端正な方で、いわゆる「無頼派」の詩人ではない。もっとも、近
年にその名前を知った詩人なので、若い頃のことは知らない。詩集『狂泉物語』(1980年)は散文詩の傑作
だが、この作品は構成としてはむしろ平凡である。しかし、ある種の言葉の虚しさを告発する詩として光っ
ている。
 小生が一篇の詩に惹かれるとき、そこで用いられる言葉の味わいを好む場合が多い。したがって、語られ
る内容であることは案外少ない。ところが、この詩においては、用いられている言葉にも内容にもさして魅
力があるわけではない。虚しい言葉を呈示することによって、詩の言葉の「不在」を暗示しているところに
逆説的な魅力を感じさせるのである。老練な技と言えようか。

                                                 
 2015年3月10日(火)

  ひも             林嗣夫

 ひものことが
 話題となっているけれど
 ひもは見えない 
 見えにくい
 というところに本質がある

 たとえば
 台所にすわっている冷蔵庫
 あのおしりのところから
 一本のひもが
 のびていることに気づいている人は
 少ない
 冷蔵庫のひもを
 たどっていくと
 その先に何があるか
 もちろん巨大な発電所
 石油やウラニウムが
 ぼうぼうと燃えている

 発電所から
 さらに
 シルクロードならぬオイルロードが
 ぎらぎら光りながら
 海のかなた
 地球の裏側までもつづいている
 なまぐさく
 執念深い幾すじものひも

 マイホームの明るい台所に
 キュートな新製品を買い込んだ時
 ひもの先の
 ずいぶんやくざなものまで
 かかえ込んだ

 入道雲の立ち上がる夏
 トマトジュースを飲もうとして
 冷蔵庫をあけると
 不意に
 爆弾でもぎとられたアラブの少女の
 片腕が
 一番下の棚に入っていたりする


           『林嗣夫詩選集』(林嗣夫 著、ふたば工房、2013年、81-83頁)より。


 面識のある方の詩を断りもなく自分のサイトに載せることは少し失礼な気もするが、今朝、この詩に触れ
て、どうしてもこの頁を立ち上げたくなったので、「ええいままよ」とばかり、掲載してしまった。
 詩想も表現も平凡だが、「ひも」という題名から、アラブの少女の片腕が登場するとは、ついぞ予想でき
なかった。林嗣夫の詩は、恐ろしいことを日常の文脈の中にごろっと投げ出して、読む者をぎょっとさせる
ことがしばしばである。この詩選集に収められている幾篇かの詩も、「おいおい、大丈夫かよ」と、思わず
口に出してしまうような危うさに満ちている。われわれの生の綱渡りは、いつでもどこでも見ることのでき
る光景である。しかし、ほとんど誰も気がつかない。気がついた人がたぶん詩人になり、たまさかに詩が生
れる。林嗣夫の「ひも」は、そんな一篇である。
 世界は一昔前よりも格段に狭くなっている。ただのひもが世界のあちこちにつながり、思いもかけないか
たちで舞い戻ってくる。この詩はもちろんフィクションであり、アラブの少女の片腕は幻視であるが、それ
でもまったくの絵空事ではない。小生は、どんな場合であれ、人が暴力に晒されることを悲しく思う。曲が
りなりにも平和な日本では、戦争によって傷つけられたり殺されたりする人は現在のところ皆無といってよ
い。しかし、世界のどこかでは、今この瞬間にも、誰かが傷ついたり死んだりしているのだ。ひもはそれを
微かに伝えてくる。われわれはその小声でなされる報告を聞き逃してはいけない。もっとも、この日本でも、
いついかなるときにも、暴力に怯えている人はたくさんいる。われわれの生の危うさは、日常に埋没してい
る限り見えにくい。しかし、この詩は、そのような日常にいつでも大穴が開くことを教えてくれる。

 * 高知新聞(2016年2月22日〔月〕夕刊)によると、林嗣夫氏は、第49回日本詩人クラブ賞を受賞した由。
  詩集『そのようにして』(ふたば工房、2015年)が受賞作であるが、ご本人から謹呈された詩集でもあ
  り、感慨深い。石井研氏の記事によれば、「ある劇的な瞬間を境に、凡庸な日常を越え出る大いなるも
  のが出現する不思議さ、それによって人間自身が励まされ、触発されていく醍醐味などが描出されてい
  る」とあり、小生の林嗣夫の詩に対する思いと軌を一にしている。

                                                  
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