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日日是労働セレクト92
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第92弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト92」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 再び、内田樹氏のブログを転載させていただく。ほぼ原文通りである。


  日本の文脈・アメリカの文脈            2013年05月23日

  ブログ更新をしばらく怠っていた。
  この間の政治的できごとを振り返って、現段階における個人的な総括と見通しを書き留めておきた
 い。4月23日の参院予算委員会で、安倍首相は「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。
 国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言し、これが内外に大きな波紋を呼んだ。
  これは前日22日に行った「戦前の日本による植民地支配と侵略」について謝罪した村山富市首相
 「談話」(1995年)について「安倍内閣として、村山談話をそのまま継承しているわけではない」
 (参院予算委)とした答弁を承けたものである。
  日本が中国大陸や朝鮮半島で行ったことは「侵略」であるかどうかは当事国によって解釈が違う。
 だから、中国韓国は侵略だと言うが、日本はそれに同意しないという、村山談話の歴史認識を180度転
 換する重大な発言であった。
  中国韓国がこれに異を唱えるのはいつものことだが、今回例外的だったのは、NEW YORK TIMESが こ
 れにきびしい批判を加えたことである。
  NYTは発言の当日、4月23日に論説委員会名で「日本の不要なナショナリズム」JAPAN’S UNNECESSARY  
 NATIONALISMという長文の社説を掲載し、安倍発言に露呈した日本政府の冒険主義的な外交政策をはげ
 しくなじった。
  東アジア情勢が北朝鮮の瀬戸際外交によって不安定化し、日中韓三国間にこれまで以上の連携が求
 められているときに、なぜあえて波風を立てるような発言をするのか。
  「的外れの論戦を掻き立てることは逆効果しかもたらさないが、安倍晋三とその議会におけるナシ
 ョナリストの同盟者たちがしたことはまさにそれである。火曜日、168人の保守系国会議員が東京中心
 の靖国神社を訪れた。これは日本の戦死者を祀る神社であり、第二次大戦後に戦犯として処刑された
 人々も合祀されている。この議員団は近年においては最大のものである。日本のメディアによれば安
 倍氏自身は参拝をしていないが、供物を捧げており、彼の内閣の副総理と二人の閣僚が週末の参拝団
 に加わっている。(・・・)
  安倍氏と彼の同盟者たちはこれが20世紀の日本の帝国建設と軍国主義の下で苦しんだ中国と韓国に
 とってどれほどセンシティブな問題であるかを熟知している。だから、中韓のリアクションは予測済
 みだったはずである。(・・・)
  日本と中国はいずれも領土問題を平和的に解決するために努力する必要がある。しかし、北朝鮮と
 その核問題を解決するために関係諸国が協力して連携しなければならないそのときに中韓との敵対関
 係に火を注ぐことは日本にとってきわめて無思慮なふるまいのように思われる。
  歴史的な傷口をえぐるようなことは止めて、安倍氏は日本の未来を描くことに専心すべきである」。
  同盟国の総理大臣の政治的行動に向かって「無思慮(FOOLHARDY)」という形容詞を付すことは、き
 わめて異例のことである。私の知る限り、アメリカのメディアからここまではっきり罵倒された日本
 の総理大臣は過去20年間にはいない。
  この「叱責」はアメリカ政府からの直接のものではないが、米政府の意向をかなり強く反映してい
 るものと官邸は受け止めた。その結果、米国内での批判の流れを承けて、安倍首相は15日の参院予算
 委員会で、「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と答弁し、村山談話も継承する考え
 を示し、「村山談話を踏襲しない」とした従来の発言を修正した。
  この3日後に、今度は猪瀬直樹東京都知事が同じNYTによって、五輪誘致をめぐって五輪憲章に違反
 するおそれのある「失言」を報じられた。
  五輪候補都市間では、競争相手を貶める発言をしてはならないという憲章の紳士協定を踏みにじっ
 た猪瀬「失言」は「安倍氏とその政治的同盟者たち」の国際感覚と紳士としての品性に疑問符を点じ
 たNYMの見立てをいわば側面から立証するかたちとなった。
  「猪瀬はしばしば無遠慮で歯に衣着せない言葉づかいで、東京とその競合都市、とくにイスタンブ
 ールとを比較したが、それは修辞的な駆け引きとして許される境界線ぎりぎりのものであった。彼は
 イスタンブールが低開発で、五輪を誘致するには設備がお粗末であることを示唆した」。
  そして、猪瀬のこんな発言を採録した。
  「イスラーム諸国が共有しているのはアラーだけである。彼らは互いに戦争をしており、階級に分
 断されている」。
  この発言を紹介したあと、記事は「IOCは招致候補都市によって公然と行われた品性を疑わせる非難
 を看過することはなく、憲章違反をしたものには非難声明を送付してきている」というニューヨーク
 五輪の招致委員会委員長の発言を引用している。
  この長文のインタビューは最後に都知事の国際感覚を疑わせる発言を採録した。
  「猪瀬はインタビューの中で、日本文化はユニークであり、こういってよければ他国に優越したも
 のであるという日本では広く支持されている見解を幾度となく披瀝した」。
  そしてトルコの国情と人口構成についてコメントした後に、猪瀬は何を血迷ったのか、「トルコ国
 民が長生きしたければ、日本のような文化を創造すべきである」という暴言を発したのである。
  NYTの報道があった後、猪瀬都知事ははじめ「真意が伝わっていない」「インタビューの文脈と異な
 る記事」として、NYTの報道姿勢に問題があるとしたが、のちに「不適切な発言」があったことを認め、
 これらの発言を「撤回する」と述べた。
  このときのNYTの猪瀬インタビューはかなりの部分まで「トラップ」であったと私は見ている。
  これまでの文脈を見れば、「安倍氏のナショナリストの政治的同盟者」には当然石原慎太郎・橋下
 徹のふたりの日本維新の会共同代表が入っており、猪瀬都知事はその石原前都知事の直系の人物であ
 るから当然アメリカ側の警戒の対象であったはずである。
  だから、失言をとらえようというほどの悪意はなくても、「猪瀬がどれほどナショナリスティック
 な暴言を吐くのか」は政治家としての危険度をみきわめるためにチェックしておく必要があると思っ
 て、日本語のできる記者二人を派遣したのだと私は思う。
  ところが都知事は誘導尋問にひっかかったわけでもなく、自分から進んで五輪憲章違反の不規則発
 言を繰り返し、その「自民族中心主義的」「排外主義的(特に「イスラーム差別」)本性を記者たち
 の前で剥き出しにしてしまった。
  記事の行間からうかがえるのは、「無遠慮で歯に衣着せない言葉づかい」で米紙の取材に応じた、
 国際感覚も紳士としてのプライドも持たない政治家に対してNYT取材記者たちが抱いた深い嫌悪感であ
 る。
  記事はいささか嫌悪感が前に出過ぎているように私には思われるけれど、五輪招致という本来なら
 まったく政治性のない穏やかなトピックの取材で、記者たちをここまで怒らせることができたのは、
 都知事の「お人柄」という他ないだろう。
  そして、安倍、猪瀬と続いた「失言シリーズ」の第三弾が橋下徹日本維新の会共同代表の「慰安婦
 問題」発言であった。
  NYTはつよい驚きを以てこのニュースを報道した。
  日本のナショナリストに対して、「これ以上、中国韓国を刺激して、西太平洋の戦略的安定のため
 のアメリカの仕事を増やすような真似をするな」というシグナルをはっきり送ったつもりでいたのが、
 まるごと無視されたのである。
  そればかりか、米軍海兵隊の性欲処理について「気づかい」を示され、それ以降の「言い訳」の中
 では繰り返しアメリカ軍の「性犯罪」について言及したのである。
  この橋下徹という人物は国際感覚がまったく欠如しているのか、それとも「アメリカを不快にさせ
 ること」を「中国韓国を不快にさせること」と同じくらい優先順位の高い政治目標に掲げて、それに
 よって国内的なポピュラリティを獲得しようとしているのか。
  いずれにせよ、彼はアメリカにとって「きわめて好ましからざる人物」(ペルソナ・ノン・グラー
 タ)にカテゴライズされたのである。
  そのいらだちはNYTの記事にはっきりと表れた。
  橋下のバックグラウンドと彼の登場の政治的文脈を簡単に紹介したあと、記者はこう書いた。
  「彼のスタイルをどう評価しようとも、彼は月曜に日本の戦時下の行動についての許しがたいコメ
 ントによって超えてはならない一線を超えた。未来の総理大臣と目されているこの政治家は戦時中の
 レイプと性奴隷制とに事実上の同意署名をなしたのである」。
  「彼は記者団に対して性奴隷は有用な目的のために利用されたと語った。『兵士たちは命がけで銃
 弾の嵐の下を駆け抜けているのである。感情的に大きな負荷をかけられた兵士たちにはどこかで休息
 を与えたい。慰安婦制度が必要であることは明らかである』。彼は売春宿は『軍隊に規律を維持する
 ために必要である』と主張し、さらに日本政府が女性たちを奴隷的労働を強制した証拠は存在しない
 とも述べた。彼は女性たちの経験を、あいまいな言い方で、『戦争の悲劇』に帰した。そして生存し
 ている慰安婦は日本からの厚情に値するとも述べた」。
  その次のパラグラフからは記者の怒りが伝わってくる。
  「紛争の中で女性をレイプし続けている男たちは今もいくつかの国にいる。シリアやコンゴ共和国
 がそうだ。橋下氏はこのような蛮行をも過労の兵士を慰労するために必要だとして擁護するつもりだ
 ろうか」。
  「橋下氏のコメントはもっとも過激なものに分類されるだろう。だが、戦時中の歴史を修正し、か
 つて日本が占領していた諸国との間に新たな危険な緊張をかき立てている日本の政治家は彼一人では
 ない」。
  「日本のウルトラナショナリストたちは1993年の慰安婦に対する謝罪と、戦時中に日本の侵攻によ
 って被害を受けた国々に対する1995年の謝罪をきびしく批判してきた。新たに首相の座についた安倍
 晋三は当初この謝罪を見直すつもりであったが、先週彼の政府は謝罪を維持することを約束した。
  火曜に、日本政府は橋下氏のコメントに対する距離を表明した。しかし安倍氏と政権執行部の人々
 はそれにとどまらず、橋下氏のコメントを公的に非難する必要がある。橋下氏のような非道な見解を
 抱く人物が、日本でも他の国でも、何らかの政治的未来があると信じることは困難である」。
  記事はそう終わっている。
  これはあくまで一新聞の一記者の記事に過ぎないが、WASHINGTON POST やイギリスのBBCニュースや
 フランスのLIBERATIONなど海外のメディアの一連の報道も、NYTと基本的なトーンは同じである。
  この記事から私はアメリカのリベラル派の怒りと不安を感じ取る。
  このような人物が将来的に国政で重要な発言力を持つようになったとき、日本は西太平洋における
 アメリカの「パートナー」たりうるのか。
  むしろ、アメリカにとっての「新しい問題」になるのではないか。
  安倍首相が尖閣をめぐって「軍事的衝突も辞さず」という態度を当初国内に向けて繰り返しアピー
 ルし、右派メディアがそれに乗じて「日中もし戦わば」というような上滑りな提灯記事を書いていた
 ことにアメリカはつよい不安を覚えていた。
  実際に日中が戦闘状態に入った場合、在日米軍は日米安保条約第五条によって出動を要請される。
  だが、アメリカは中国と戦争する気はない。
  何のメリットもない戦争である。
  だから、日本政府からの出動要請に対して、「尖閣を日本が実効支配していることは認めるが、領
 有権については日中どちらの立場にも与しない」と答えるだろう。当然である。
  日本領土ではないところでの戦闘であれば、日米安保条約の発動要件を満たさない。だから、米軍
 は動かない。
  だが、これで米軍が動かなければ、日本国内の世論は一気に「反米」に振れる。
  日米安保条約は「空文」だったということだからである。
  68年間われわれは米軍に「無駄飯」を食わせてきたのだ、ということになる。
  安保条約即時破棄、日米同盟解消という大衆的世論はもはや押しとどめることができない。
  このとき、アメリカは1853年のペリー浦賀来航以来150年にわたって、アメリカ青年たちの血で購っ
 てきた東アジアの「要衝」を失うことになる。
  「ウルトラナショナリスト」たちの軽挙妄動によって同盟関係を毀損されることはアメリカの望む
 ところではない。
  だが、日本の政治家たちをあまりに長きにわたって「対米従属」下に置き、彼らに自主外交を許さ
 ず、国防についても、安全保障についても、エネルギーについても、食料についても、「指示」を下
 してきたことで、アメリカは結果的に「自力で外交戦略を考えることのできない国」を作ってしまっ
 たのである。
  その中から「アメリカの国益を配慮しているつもりで、アメリカの足を踏む」とんちんかんな政治
 家たちが輩出してきてしまった。
  今アメリカは深い悩みのうちにいる。
  もし、これでアメリカがつよい指導力を発揮して、安倍一派を抑え込み、「ウルトラナショナリス
 ト」の跳梁を阻止したとしても、それはますます日本という国の「自浄能力」「自己修正能力」を損
 なうことになる。
  「困ったことがあったら、最後はアメリカが尻を拭ってくれる」から、自分では何も考えない、何
 も判断しない、何も改善しないで、ぽかんと口を開けてアメリカの指示を待つという国民性格がさら
 に強化されることになる。
  つまり、ここで強い指導力を発揮して日本政府の方向性を「修正してあげる」ことで、アメリカは
 「日本というリスク」をさらに高めることのなるのである。
  アメリカは今苦しんでいる。
  私が国務省の「対日政策局」の小役人なら、どうしていいかわからずに今頃は頭を抱えているだろ
 う。「とりあえず『安倍を残して、橋下を切る』というのが現在とりうる『わりとましな方法』です」
 というレポートを起草して上司に提出するだろうが、「知恵のないレポートだな」と上司は不機嫌そ
 うな顔をするに違いない。


 政治的文脈は、時が経ってみなければ正確なところは見えてこないが、たしかに、内田氏が指摘するよう
に、日本の外交戦略はお粗末なのかもしれない。カリエールの『外交談判法』など、繙いた人はいないのだ
ろうか。外交は一種の偽善を含み、失点ゲームの連続なのかもしれない。つまり、揚げ足取りに遭わないよ
うに、十分に注意する必要がある。「褒め殺し」なども常套手段で、本当に褒められていると自惚れたら、
蔭で何を言われるか知れたものではない。正直な日本の政治家が、正直な本音を吐いて外国に叩かれるとい
った構図はもう見飽きた。マッカーサーが「日本人は12歳」と語ったとき、多くの日本人はその言葉に反感
をもったのではないかと推察できるが、この時むしろ静かに反省していれば、もう少し違った方向に日本が
進んだのではないかと思う。残念である。「もっともっと大人になろうよ、日本と日本人!」と思わざるを
得ない。


 某月某日

 DVDで邦画の『馬喰一代』(監督:木村恵吾、大映東京、1951年)を観た。脂の乗り切った三船敏郎が、馬
喰を見事に演じている。粗野で乱暴だが、心根に一本筋の通っている男をやらせたら、右に出る者はそうそ
ういないと思われる。相手役は京マチ子で、直ぐに『羅生門』(監督:黒澤明、大映京都、1950年)を連想
したが、様相はだいぶ異なる。盗賊の多襄丸とは対蹠的な人物で、曲がったことが大嫌い、女にも潔癖とい
った塩梅である。京が演じたゆきは常にやきもきするがどうにもならない。役柄が変われば、まったく違っ
った人物像が浮かび上がるといった寸法である。
 さて、物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したがご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  原作は中山正男。「牝犬」の成澤昌茂と木村恵吾のコンビにより脚色、「牝犬」に次ぐ木村恵吾の
 監督作品。撮影は「東京悲歌」の峰重義。出演者は「完結 佐々木小次郎(1951)」の三船敏郎、「源
 氏物語(1951)」の京マチ子、「牝犬」の志村喬、「麦秋」の菅井一郎などの他、市川春代、星光、杉
 狂児、 光岡龍三郎、小杉義男、水原洋一などである。

   〔あらすじ〕

  昭和五年の秋の北海道北見高原を十数頭の馬を追って行く二人の男があった。今しも一頭の馬が軍
 を離れて凄い勢いで突っ走り始めた。それを追って巧みな投縄で引きとめた一人の男は馬喰仲間でも
 「北海の虎」と異名をとった乱暴男の片山米太郎(三船敏郎)だった。その日の馬市で彼は馬を売払
 って相棒の鳥取太郎(光岡龍三郎)とともに久しぶりに相当の金を懐にしたが、これをねらっていた
 馬車追いで、いまは高利貸を兼ねている小坂六太郎(志村喬)は、米太郎を賭博にさそって、小料理
 「桃代」ですっかりその金をまきあげてしまった。「桃代」の酌婦ゆき(京マチ子)は六太郎の誘い
 にもなびかず、ひたすら米太郎を想っていたが、彼には家にはるの(市川春代)という従順な女房と
 大平(伊庭輝夫〔幼年時代〕/宮坂尚利〔少年時代〕)という可愛い倅があったので、会えば借金を
 催促されるゆきをひたすら敬遠していた。賭博で金をすった米太郎は病気のはるのの薬も買えない有
 様だったが、冬になって例年の如く山仕事に出稼ぎしていたときはるのの危篤で呼び戻された。はる
 のの遺言通り米太郎は賭博と喧嘩を断って大平とはるのの貯金で飼った駿馬フシミの成育をたのしみ
 に苦しい生活を続けていた。その大平は早や小学校の六年生になり、学校の成績も抜群で、札幌の中
 学校を志望していた。米太郎は大平も馬喰にするつもりだったが、フシミを北見競馬の「北見ダービ
 ー」に出場させ、大平の学資を得ようとした。フシミは見事優勝したが、無理な競争がたたってその
 場で死んでしまった。頭髪に霜を置きめっきり弱った父を置いて行くことに大平は後髪をひかれる思
 いだったが、ついに心のとどいたゆきが米太郎の面倒を見ることになり、大平も父にはげまされて札
 幌へと旅立って行った。

 他に、星光(島崎定次)、杉狂児(シャッポの孫八)、菅井一郎(小笠原=蹄鉄屋)、姫路リエ子(おす
が)、春藤和枝(おたけ)、小杉義男(片目の仁三)、水原洋一〔浩一〕(榊の吉次)、潮万太郎(下駄屋
の仙三)、浦辺粂子(おのぶ=桃代の女将)、左卜全(五作)、香住佐代子(酌婦)、河原侃二(酒田医師)、
ジョー・オハラ(郵便屋)、高品格(留)、中條静夫(徳)、伊達正(おでん屋)などが出演している。な
お、この作品は『馬喰一代』(監督:瀬川昌治、東映、1963年)〔筆者、未見〕でリメイクされており、片
山米太郎役を三國連太郎が、ゆき役を新珠三千代が、小坂六太郎役を西村晃がそれぞれ演じている由。
 おでん十銭、お酒十五銭が目についた。米太郎の仲間が出し合った大平の札幌行きの餞別はひとり当たり
一円(ただし、「一両」と発音していた)だった。落馬のシーンが何度か出て来たが、とても危なく見えた。
とくに、フシミが「北見ダービー」のレースでゴール直後に騎手が落馬するが、フシミ自身はもんどりうっ
ている。フシミ役のサラブレッドは、本当に予後不良になったのではないか。このように、馬を扱うシーン
はかなりの迫力であった。


 某月某日

 DVDで邦画の『あゝ陸軍 隼戦闘隊』(監督:村山三男、大映東京、1969年)を観た。陸軍の加藤隼戦闘隊
の活躍を描いた映画である。見所はたくさんあったが、凡庸な作り方で、戦前に作られた戦意高揚映画であ
る『加藤隼戦闘隊』(監督:山本嘉次郎、東宝、1944年)の方が質的には上だと思う。先ずは、後者の感想
文を下に引用してみよう。


 ──……──……──……──……──……──……──……──……──……──……──……

 某月某日(「日日是労働セレクト18」より)

 2本目は『加藤隼戦闘隊』(監督:山本嘉次郎、東宝、1944年)である。陸軍省が後援した、いわゆる
「国策映画」(情報局撰定国民映画)である。「撃ちてし/止まむ」の文字が冒頭を飾る。DVDの特典にあ
る解説によれば、映画『加藤隼戦闘隊』は、昭和19年3月9日に公開された由である。帝国陸軍始まって以
来最も多い7度の感状(戦功を称える賞状)を授与され、戦死した後は「軍神」と呼ばれた陸軍飛行第64
戦隊長加藤建夫の活躍を、実話をもとに描いたこの作品は、昭和19年上半期の封切興行成績第1位を記録
したそうである。
 戦無派の小生にとってもまんざら無縁の映画ではない。というのも、加藤隼戦闘隊に関しては、その歌
を通して物心つくころから知っているからである。下に記しておこう。

 「加藤部隊歌」(正式には「陸軍飛行第64戦隊歌」)
      (唄:灰田勝彦、作詞:加藤部隊〔田中林平/朝日六郎〕、作曲:南支派遣陸軍軍楽隊
       〔原田喜一/岡野正幸〕、編曲:佐野鋤)

 一番 エンジンの音 轟々と
    隼は往く 雲の果(はて)
    翼(よく)に輝く 日の丸と
    胸に描きし 赤鷲の
    印(しるし)は我等が 戦闘機

 二番 寒風酷暑 ものかわと 
    艱難辛苦 打ちたえて 
    整備に当る 強兵(つわもの)が
    しっかりやって 来てくれと 
    愛機に祈る 親ごころ

 三番 過ぎし幾多の 空中戦
    銃弾うなる その中に
    必ず勝つの 信念と 
    死なばともにと 団結の 
    心で握る 操縦桿

 四番 干戈(かんか)交ゆる 幾星霜 
    七度重なる 感状の 
    いさおの蔭に 涙あり 
    あゝ今は亡き 武士(もののふ)の
    笑って散った その心

 五番 世界に誇る 荒鷲の 
    翼のばせし 幾千里 
    輝く伝統 受けつぎて
    新たに興す 大アジア 
    われらは皇軍 戦闘隊

 いわゆる「軍歌」をあまり口にしたことのない父親(昭和2年生まれ)でさえ、この歌を歌っていことが
あった。「隼」(一式戦闘機)は陸軍の戦闘機としては一二を争う名機とされ、小生もよくそのプラモデル
をつくったものである。ゼロ戦と比べてややスリムなせいか、まさに「隼」の名にふさわしい勇姿を見せて
いる。DVDの映像特典によれば、隼は長距離爆撃機を支援するために、航続距離の長い戦闘機が必要とされた
ため開発されたものだそうである。当時、新技術が盛り込まれた隼は、空中での格闘戦性能はトップ・レヴ
ェルに達していたようである。
 さて、主人公の加藤建夫のプロフィールに移ろう。この豪放磊落な中佐(戦死後は少将に二階級特進して
いる)は、明治36年9月28日、北海道の上川郡に生まれている。大正14年、陸軍士官学校本科を卒業。昭和
12年、日中戦争が始まると、飛行第二大隊中隊長として華北戦線に出征。昭和13年には、2度の感状を授与
されている。感状とは、戦闘での功績を称える表彰状のようなもので、これを授与されるのは大きな名誉で
あった。そして、昭和16年、飛行第64戦隊長に着任。この64戦隊こそが、加藤隼戦闘隊である。8月には、
これまでの九七式戦闘機に替えて、一式戦闘機、通称「隼」が配備された。
 物語は、昭和16(1941)年4月の広東(かんとん)から始まる。加藤隊長が単機で赴任したのである。こ
の隊長はなかなか粋な趣味をもっており、サイゴンのお土産としてコーヒー・ミルを持参し、部下においし
い珈琲を振舞ったりしている。さて、数ヶ月を経た後、新鋭戦闘機「隼」が部隊に配備されると、加藤隊長
はさっそくその性能を実地に研究して、早くも自家薬籠中のものにしている。同年12月初旬、部隊は仏印の
フコク島へ進駐した。そこで、友軍の大船団を護衛する任務をこなしたりしている。さらに、部隊はコタバ
ルを経てタイに移動。12月25日には、ラングーンを攻撃する爆撃隊の掩護を行っている。部隊は再びコタバ
ルに戻り、そこで昭和17年の正月を過ごしている。加藤隊長は、愛用のコンタックスで写真を撮ったりして
いる。1月のマレー作戦の際には、部下が加藤を評する場面がある。いわく「生もなく、死もなく、ただた
だ勅諭のみを畏み、奉戴しておられる。その他は何もない」という評言が述べられる。この手の戦意高揚映
画には、必ず出てくるような台詞である。一種の「催眠効果」を齎していると言えるだろう。さて、2月6日、
カハンへ前進。パレンバン進駐の落下傘部隊の掩護を行っている。なお、落下傘部隊が出撃する前の集会で、
清酒に巻かれた紙に書かれた「祈 開傘」の文字が印象的であった。明けて15日、シンガポールに白旗が揚
がる。17日、加藤部隊、パレンバンに前進。3月9日、蘭印無条件降伏。この頃の部隊は戦争中とは思えない
ほど牧歌的で、加藤隊長は散髪をしたり、その様子を写真に撮られたりしている。
 さて、途中を割愛して、いよいよ加藤隊長戦死の模様である。この日、昭和17年5月22日、神鷲去って、
また帰らず。「資料抄」があるので、それを写そう。なお、正字は現行の文字に置き換えた。

   アキャブ西北
   約八十粁海上二於テ
   遂ニ之ヲ撃墜セルモ
   此時 部隊長ノ愛機ハ
   火ヲ発シ
   部隊長又重傷ヲ
   負ヘルモノノ如ク
   最早之迄ナリト
   見事ナル反転操作ニヨリ
   海中ニ自爆
   壮烈ナル戦死ヲ遂グ

 加藤隊長は、敵性語の「チャンス」を用いたり、アメリカ煙草の「キャメル」を吸ったりして、まったく
そういうことにはこだわらない人というように描かれている。加藤建夫役の藤田進も、またこれによく応え
ていたと思う。その他、ドイツのヒットラー総統との関わり、イタリアのスパゲッティの食べ方、デング熱
(ウィルス性の熱帯伝染病)の話などが目に付いた。他に、大河内伝次郎、志村喬、河津清三郎などが出演
している。

 ──……──……──……──……──……──……──……──……──……──……──……


 さて、肝心の加藤建夫役であるが、戦前のそれは藤田進、当該映画のそれは佐藤允である。どちらも軍人
役は似合うが、どちらかというと藤田進の方がイメージに近い感じがした。佐藤允は陸戦に相応しい面構え
のような気がするからである。また、粋な加藤と野暮な佐藤はかみ合わないと言ったら、佐藤允は怒るだろ
うか。なお、その藤田進が、戦死した部下の父親役で出演していた。陸軍士官学校第12期生の筋金入りの退
役軍人木原慎吾の役であった。その木原が、情を殺すことに汲々としている加藤を一喝するシーンがある。
なかなかの見せ所であった。
 物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

  昭和四年春、加藤建夫中尉(佐藤允)は、所澤飛行學校の教官となった。加藤は、二人の優秀な教
 え子を持った。元聯隊旗手から航空に転じた木原一郎少尉(平泉征〔成〕)と、中華民国陸軍中尉の
 趙英俊(藤巻潤)だった。やがて、日本と中国は戦火を交えることになった。昭和十二年北支戦線に
 出動した加藤戦闘機隊長は、撃墜王の名を欲しいままにした。ある日、木原が、虎のマークをつけた
 敵戦闘機に不意をつかれ、戦死した。それはかつての留学生趙英俊の機だった。加藤は、一騎討ちを
 挑み、遂に撃墜するがその一瞬の焔の色が忘れられなくなってしまった。やがて、内地に帰還した時
 加藤は家に帰らず、戦死した部下の留守宅を廻り、遺族に詫びその姿に遺族は感動した。加藤は、妻
 の加寿子(藤村志保)に真赤な焔の夢を語った。加寿子は、その焔がいつかは夫をも焼く焔であるこ
 とを悟り、覚悟を決めた。間もなく、日米は開戦し、最新鋭機“隼”が加藤少佐を長とする第六四飛
 行隊に配属され、マレー半島に進撃した。緒戦の活躍で加藤隼戦闘隊の勇名は轟いた。そして、パレ
 ンバン空挺作戦を山下奉文軍司令官(石山健二郎)に具申した加藤隊長は、みごと重務を果したが、
 教え子の安藤中隊長(本郷功次郎)以下数名のかけがえのない犠牲を払わねばならなかった。シンガ
 ポールが陥ち、ビルマ進攻作戦が開始された。その最前線基地アキャブで、加藤隊長は、単機、襲来
 した敵爆撃機を追って撃墜したが、自からもまた火を発して、ベンガル湾上で壮烈な戦死を遂げた。
 昭和十七年五月二十二日のことだった。

 他に、長谷川明男(大江中尉)、宇津井健(三宅少佐=落下傘部隊)、南美川洋子(立花圭子=安藤の恋
人)、藤田進(木原慎吾)、平井岐代子(木原寿美)、島田正吾(徳原好道=航空兵団司令官)、北原義郎
(志村少佐)、仲村隆(本庄大尉)、露口茂(正木中尉)、峰岸隆之介〔徹〕(人見伍長)、根岸一正(水
野軍曹)、三夏伸(沢井軍曹)、高見国一(島田伍長)、石山律(手塚軍曹)、森矢雄二(松本軍曹)、喜
多大八(森伍長)、稲妻竜二(小川伍長)、見明凡太朗(歩兵聯隊長)、伊東光一(A大佐)、杉森麟(B
大佐)、原田げん〔言偏に玄〕(C中佐)、小山内淳(D中佐)、北城寿太郎(参謀A)、花布辰男(参謀
B)、豪健司(参謀C)、浜世津子(立花圭子の母)、吉原直樹(加藤の息子)、田中三津子(芸者A)、
笠原玲子(芸者B)、藤道子(芸者C)、橋本力(憲兵A)、九段吾郎(憲兵B)、松山新一(衛兵司令)、
早川雄三(歩兵大隊長)、藤山浩二(歩兵大隊副官)などが出演している。
 飛行機乗りは目が命。「その目によいドジョウを捕まえて、佃煮にして送りたい」という飛行兵の弟の手
紙の文句が印象に残った。


 某月某日

 今日は、久しぶりに内田樹氏のブログを転載させていただくことにする。例によってご本人の了解を得て
いないが、たぶん許してくれるだろう。なお、ほぼ原文通りである。


  改憲案の「新しさ」              2013.5.8

  ある媒体に長い改憲論を寄稿した。
  一般の目に触れることのあまりなさそうな媒体なので、ここに採録しておく。

  改憲案の「新しさ」

  改憲が政治日程に上ってきている。7月の参院選で自民党が大勝すれば、今秋以降には国内での合意
 形成めざした議論が始まるだろう。自民党や改憲勢力がいったいこの改定を通じて「何を」実現しよ
 うとしているのか、それをこの機会に確認しておきたいと思う。

  自民党の改憲草案については、さまざまな批判がすでになされている。個別的な条文ひとつひとつ
 についての適否は専門家による議論に委ねて、私としてはこの改憲案に伏流している「新しいものの
 見方」についてだけ考えてみたいと思う。護憲派の論客の多くは、改憲案の「復古調」に違和感や嫌
 悪を覚えているようだが、私はむしろこの改憲案は「新しい」という印象を受けた。その「新しさ」
 とは何かについて書きたい。

  まず、今日本のみならずグローバルなスケールで起きている地殻変動的な「潮目の変化」について
 抑えておきたい。大づかみに言えば、私たちが立ち合っている変動は、グローバル資本主義という
 「新しい」経済システムと国民国家という「古い」政治システムが利益相反をきたし、国民国家の統
 治システムそのものがグローバル資本主義の補完装置に頽落しつつあるプロセスのことである。その
 流れの中で、「よりグローバル資本主義に親和的な政治勢力」が財界、官僚、マスメディアに好感さ
 れ、政治的実力を増大させている。自民党の改憲草案はこの時流に適応すべく起草されたものである。
 それは言い換えると、この改憲案には国民国家解体のシナリオが(おそらく起草した人間にも気づか
 れぬまま)書き込まれているということである。

  国民国家という統治システムは政治史的には1648年のウェストファリア条約を起点とする近代
 の装置である。国境があり、官僚制度があり、常備軍があり、そこに国籍と帰属意識を持つ「国民」
 というものがいる。生誕の日付をもつ制度である以上、いずれ賞味期限が切れる。だが、国民国家は
 擬制的には「無窮」である。現に、あらゆる国民国家は自国の「年齢」を多めに詐称する傾向がある。
 日本では戦前まで神武天皇の即位を西暦紀元前660年に遡らせていた。朝鮮の檀君王倹が王朝を開
 いたのは紀元前2333年とされる。自国の発祥をできる限り遠い過去に求めるのは国民国家に共通
 する傾向である。
  その構えは未来についても変わらない。国民国家はできれば不死のものでありたいと願っている。
 中央銀行の発行する紙幣はその国がなくなった日にはゴミになる。翌日ゴミになることがわかってい
 るものを商品と交換する人はいない。だから、国がなくなる前日において貨幣は無価値である。残り
 日数を十日、二十日と延ばしてみても事情は変わらない。だから、国民国家の財政は「いずれ寿命が
 来る」という事実を隠蔽することによって成立している。

  これに対して企業は自己の寿命についてそれほど幻想的ではない。
  統計が教えるところでは、株式会社の平均寿命は日本で7年、アメリカで5年である(この数字は
 今後にさらに短縮されるだろう)。
  グーグルにしても、アップルにしても、マイクロソフトにしても、それらの企業が今から10年後
 にまだ存在しているかどうか、確かな見通しを語れる人はいない。けれども、そんなことは企業経営
 者や株主にとっては「どうでもいいこと」である。企業が永続的な組織であるかどうかということは
 投資家にとっては副次的なことに過ぎない。
  「短期的な利益を追い求めたことで長期的には国益を損なうリスクのあること」に私たちはふつう
 手を出さないが、この場合の「長期的・短期的」という判定を実は私たちは自分の生物としての寿命
 を基準に下している。私たちは「国益」を考えるときには、せめて孫の代まで、三世代百年は視野に
 収めてそれを衡量している。「国家百年の計」という言葉はその消息をよく伝えている。だが、寿命
 5年の株式会社にとっては「5年の計」が最大限度であり、それ以上先の「長期的利益」は損益計算
 の対象外である。

  工場が排出する有害物質が長期的には環境に致命的な影響を与えると聞いても、その工場の稼働に
 よって短期的に大きな収益が上げることが見通せるなら企業は環境汚染をためらわない。それは企業
 にとっては全く合理的なふるまいなのである。そして、これを倫理的に断罪することは私たちにはで
 きないのである。なぜなら、私たちもまた「こんなことを続けると1000年後には環境に破滅的な
 影響が出る」と言われても、そんな先のことは気にしないからである。グローバル資本主義は「寿命
 が5年の生物」としてことの適否を判定する。国民国家は「寿命100年以上の生物」を基準にして
 判定する。それだけの違いである。

  寿命を異にするだけではない。企業と国家のふるまいは、機動性の違いとして端的に現れる。
  グローバル企業はボーダーレスな活動体であり、自己利益を最大化するチャンスを求めて、いつで
 も、どこへでも移動する。得物を追い求める肉食獣のように、営巣地を変え、狩り場を変える。一方、
 国民国家は宿命的に土地に縛り付けられ、国民を背負い込んでいる。国家制度は「その場所から移動
 することができないもの」たちをデフォルトとして、彼らを養い、支え、護るために設計されている。
 ボーダーレスに移動を繰り返す機動性の高い個体にとって、国境を越えるごとに度量衡が言語が変わ
 り、通貨が変わり、度量衡が変わり、法律が変わる国民国家の存在はきわめて不快なバリアーでしか
 ない。できることなら、国境を廃し、言語を統一し、度量衡を統一し、通貨を統合し、法律を統一し、
 全世界を商品と資本と人と情報が超高速で行き交うフラットな市場に変えたい。彼らはつよくそう望
 んでいる。
  このような状況下で、機動性の有無は単なる生活習慣や属性の差にとどまらず、ほとんど生物種と
 して違うものを作り出しつつある。戦争が始まっても、自家用ジェットで逃げ出せる人間は生き延び
 るが、国境まで徒歩で歩かなければならない人間は殺される。中央銀行が破綻し、国債が暴落すると
 きも、機動性の高い個体は海外の銀行に預けた外貨をおろし、海外に買い整えておいた家に住み、か
 ねての知友と海外でビジネスを続けることができる。祖国滅亡さえ機動性の高い個体群にはさしたる
 金銭上の損害も心理的な喪失感ももたらさない。
  そして、今、どの国でも支配層は「機動性の高い個体群」によって占められている。だから、この
 利益相反は前景化してこない。奇妙な話だが、「国が滅びても困らない人間たち」が国政の舵を任さ
 れているのである。いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておい
 たヘリコプターで脱出できる船長」が船を操舵しているのに似ている。そういう手際のいい人間でな
 ければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込まれているのである。
 とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、
 機動性の多寡が国家内部の深刻な対立要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題
 化しない。
  スタンドアロンで生き、機動性の高い「強い」個体群と、多くの「扶養家族」を抱え、先行きのこ
 とを心配しなければならない「弱い」個体群の分離と対立、それが私たちの眼前で進行中の歴史的状
 況である。

  ここでようやく改憲の話になる。
  現在の安倍自民党はかつての55年体制のときの自民党と(党名が同じだけで)もはや全くの別物
 である。かつての自民党は「国民国家内部的」な政党であり、手段の適否は措いて、日本列島から出
 られない同胞たちを「どうやって食べさせるか」という政策課題に愚直に取り組んでいた。池田内閣
 の高度経済成長政策を立案したエコノミスト下村治はかつて「国民経済」という言葉をこう定義して
 みせたことがある。

 「本当の意味での国民経済とは何であろう。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一
 億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本
 列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱
 出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
  その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これ
 が国民経済である。」(下村治、『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』、文春文庫、2009年、
 95頁)

  いまの自民党議員たちの過半はこの国民経済定義にはもはや同意しないだろう。
 「外国に脱出するもの」をもはや現政権は「例外的」とは考えていないからである。今日の「期待さ
 れる人間像」であるところの「グローバル人材」とは、「日本列島以外のところで生涯を過ごす」こ
 とも社命なら従うと誓言した代償に内定をもらった若者のことだからである。
  もう今、「この四つの島から出られないほどに機動性の低い弱い日本人」を扶養したり、保護した
 りすることは「日本列島でないところでも生きていける強い日本人」にとってはもはや義務としては
 観念されていない。むしろ、「弱い日本人」は「強い日本人」がさらに自由かつ効率的に活動できる
 ように持てるものを差し出すべきだとされる。国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。
 彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が「弱い日本人」にも
 多少は分配されるかも知れないのだから。

  改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。
  人権の尊重を求めず、資源分配に口出しせず、医療や教育の経費は自己負担し、社会福祉には頼ら
 ず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の頤使に従い、一旦緩急あれば義勇公に報じることを厭わない
 ような人間、それが「弱い日本人」の「強い日本人」に対する奉仕の構えである。これが安倍自民党
 が改憲を通じて日本国民に飲み込ませようとしている「新しいルール」である。
  少数の上位者に権力・財貨・威信・情報・文化資本が排他的に蓄積される体制を「好ましい」とす
 る発想そのものについて安倍自民党の考え方は旧来の国民国家の支配層のそれと選ぶところがない。
 だが、はっきり変わった点がある。それは「弱い同胞」を扶養・支援する「無駄なコスト」を最少化
 し、「すでに優位にあるもの」がより有利になるように社会的資源を傾斜配分することを確信犯的に
 めざしているということである。

  自民党の改憲案を「復古」とみなす護憲派の人たちがいるが、それは違うと私は思う。この改憲案
 は「新しい」。それはTPPによる貿易障壁の廃絶、英語の準公用語化、解雇条件の緩和などの一連の安
 倍自民党の政策と平仄が合っている。
  一言で言えば、改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)であ
 る。国民の政治的統合とか、国富の増大とか、国民文化の洗練とかいう、聞き飽きた種類の惰性的な
 国家目標をもう掲げていない。改憲の目標は「強い日本人」たちのそのつどの要請に従って即時に自
 在に改変できるような「可塑的で流動的な国家システム」の構築である(変幻自在な国家システムに
 ついて「構築」という語はあまりに不適当だが)。
  国家システムを「基礎づける」とか「うち固める」とかをめざした政治運動はこれまでも左右を問
 わず存在したが、国家システムを「機動化する」、「ゲル化する」、「不定形化する」ことによって、
 個別グローバル企業のそのつどの利益追求に迅速に対応できる「国づくり」(というよりはむしろ
 「国こわし」)をめざした政治運動はたぶん政治史上はじめて出現したものである。そして、安倍自
 民党の改憲案の起草者たちは、彼らが実は政治史上画期的な文言を書き連ねていたことに気づいてい
 ない。

  予備的考察ばかりで紙数が尽きかけているが、改憲草案のうち、典型的に「国こわし」の志向が露
 出している箇所をいくつか示しておきたい。
  一つは九条「平和主義」と九条二項「国防軍」である。
  現行憲法の平和主義を放棄して、「したいときにいつでも戦争ができる国」に衣替えすることをめ
 ざしていることは改憲派の悲願であった。現行憲法下でも、自衛力の保持と個別的自衛権の発動は主
 権国家としては当然の権利であると国民の大多数は考えている。だが、改憲派は「それでは足りない」
 と言う。アメリカの指揮で、もっと頻繁に戦争に参加するチャンスに恵まれたいと考えているからで
 ある。国民を危険にさらし、国富を蕩尽し、国際社会に有形無形の敵をつくり、高い確率で国内での
 テロリズムを招き寄せるような政策が68年の平和と繁栄を基礎づけた平和憲法よりも「望ましい」と
 判断する根拠はなにか。
  改憲派はそれを「国際社会から侮られてきた」屈辱の経験によって説明する。「戦争ができる国」
 になれば、このいわれなき侮りはかき消え、国際社会からは深い敬意が示されるだろうと予測してい
 るようだが、これまで日本が軍事的コミットメントをためらうことを不満に思い、しばしば侮言を浴
 びせてきたのは「国際社会」ではなく、端的にアメリカである。ヨーロッパにもアジアにも、日本の
 戦争へのコミットメントが自由化することを歓迎する国はひとつとして存在しない。改憲派が仮想敵
 国とみなしている中国や北朝鮮はまさに平和憲法の「おかげで」軍事的反撃のリスクなしに日本を挑
 発できているわけで、九条二項はいわば彼らの「命綱」である。日本がそれを廃絶したときに彼らが
 日本に抱く不信と疑惑がどれほどのものか。改憲派はそれも含めて九条二項の廃絶が「諸外国との友
 好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」ことだと考えているようだが、私にはその理路がま
 ったく理解できない。「アメリカとの友好関係を増進し、アメリカの平和と繁栄に貢献する」ことを
 日本の存在理由とするというのが改憲の趣旨であるというならよくわかるが。

  もう一つは13条。現行憲法の13条はこういう文言である。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
  自民党改憲案はこうだ。「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する
 国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大に尊重さ
 れなければならない。」
  自民党案は「公共の福祉」というわかりにくい語を「公益及び公の秩序」というわかりやすい語に
 置き換えた。
  「公共の福祉」は基本的人権を制約することのできる唯一の法的根拠であるから、それが「何を」
 意味するのかは憲法学上の最大の問題であり、現にいまだ一意的な定義を得ていない。
  「公共の福祉」の語源は古くキケロに遡る。「民の安寧は最高の法たるべし(salus populi suprema
  lex esto)」。salus populiを英語はpublic welfareと訳し、日本語は「公共の福祉」と訳した。あら
 ゆる法治国家において、すべての法律・制度・政策の適否はそれが「民の安寧」に資するかどうか、
 それを基準に判定されねばならない。これは統治について久しく万国において受け容れられてきた法
 理である。
  だが、ラテン語salusは「健康、幸運、無事、安全、生存、救助、救済」など深く幅の広い含意を有
 している。「民の安寧」salus populi は「至高の法」であるが、それが要求するものはあまりに多い。
 それゆえ、自民党改憲案はこれを「公益及び公的秩序」に縮減した。「公益及び公的秩序」はたしか
 に「民の安寧」の一部である。だが、全部ではない。統治者が晴れやかに「公益及び公的秩序」は保
 たれたと宣している当の国で、民の健康が損なわれ、民の安全が失われ、民の生存が脅かされている
 例を私たちは歴史上無数に挙げることができる。だが、自民党案はあえて「民の安寧」を廃し、「至
 高の法」の座を「公益及び公の秩序」という、統治者がそのつどの自己の都合にあわせて定義を変更
 できるものに譲り渡した。
  先進国の民主主義国家において、自由な市民たちが、強権によらず、自らの意志で、基本的人権の
 制約の強化と「民の安寧」の語義の矮小化に同意したことは歴史に前例がない。歴史上前例のないこ
 とをあまり気負いなくできるということは、この改憲案の起草者たちが「国家」にも「市民社会」に
 ももはやほとんど興味を失っていることを意味している。
  「民の健康や無事や安全」を配慮していたら、行政制度のスリム化が進まない。医療や教育や社会
 保障や環境保全に貴重な国家資源を投じていたら、企業の収益が減殺する。グローバル企業が公害規
 制の緩和や教育の市場化や医療保険の空洞化や雇用条件の切り下げや第一次産業の再編を求めている
 なら、仮にそれによって国民の一部が一時的にその健康や安全や生存を脅かされることがあるとして
 も、それはもう自己責任で受け止めてもらうしかないだろう。彼らはそう考えている。

  改憲案にはこのほかにも現行憲法との興味深い異同が見られる。
  最も徴候的なのは第22条である。
  「(居住、移転及び職業選択等の自由等)何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。こ
 れが改憲案である。どこに興味深い点があるか一読しただけではわからない。でも、現行憲法と比べ
 ると重大な変更があることがわかる。現行憲法はこうなっている。
  「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
  私が「興味深い」という理由がおわかりになるだろう。
  その直前の「表現の自由」を定めた21条と比べると、この改定の突出ぶりがうかがえる。21条、
 現行憲法ではこうだ。
  「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。」
  改憲案はこれに条件を追加した。
  「前項の規定に、かかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそ
 れを目的として結社をすることは、認められない。」
  21条に限らず、「公益及び公の秩序」を保全するためには私権は制約されるべきだというのは自
 民党改憲案の全体を貫流する基本原則である。それがなぜか22条だけには適用されていない。適用
 されていないどころかもともとあった「公共の福祉の反しない限り」という制約条件が解除されてい
 るのである。
  起草委員たちはここで「居住、移転及び職業選択の自由」については、それが「公益及び公の秩序」
 と違背するということがありえないと思ったからこそ、この制約条件を「不要」と判断したのである。
 つまり、「国内外を転々とし、めまぐるしく職業を変えること」は超法規的によいことだという予断
 を起草委員たちは共有していたということである。
  現行憲法に存在した「公共の福祉に反しない限り」を削除して、私権を無制約にした箇所は改憲案
 22条だけである。この何ということもない一条に改憲案のイデオロギーははしなくも集約的に表現
 されている。機動性の高い個体は、その自己利益追求行動において、国民国家からいかなる制約も受
 けるべきではない。これが自民党改憲案において突出しているイデオロギー的徴候である。

  そういう文脈に置いてみると、九条の改定の意図がはじめてはっきりと了解できる。
  改憲案はあきらかに戦争に巻き込まれるリスクを高めることをめざしている。平和憲法下で日本は
 68年間、九条二項のおかげで戦争にコミットすることを回避できていた。それを廃するというのは、
 「戦争をしたい」という明確な意思表示に他ならない。
  安倍自民党と改憲で共同歩調をとる日本維新の会は、現行憲法をはっきり「占領憲法」と規定し、
 「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」とし
 た。
  感情的な措辞だが、「孤立と軽蔑」というのをいったいどのような事実について述べているのかが
 私にはわからない。もし、北方領土や中国の領海侵犯や北朝鮮の恫喝について言っているのだとした
 ら、これらの問題において日本は別に国際社会では孤立していないし、すぐに軍事的行動をとらない
 ことについて軽蔑されてもいない。北朝鮮の軍事的挑発に耐えているという点で言えば、韓国とアメ
 リカの方が日本以上だと思うが、そのせいで米韓は国際社会で「孤立」しており、「軽蔑」されてい
 ると言う人に私は会ったことがない。
  同時に「絶対平和という非現実的な共同幻想」という言葉がどういう現実を指示しているのかもわ
 からない。「絶対平和」などという文言はそもそも日本国憲法のどこにもない。「日本国民は、恒久
 の平和を念願し」という言葉はあるが、「念願」している以上、それが非現実であることは誰にでも
 分かっていることである(すでに現実化している事態を「念願」するものはいない)。戦後の歴代政
 府の憲法解釈も憲法学も国連も、自衛隊と個別的自衛権を違憲として否定してはいない。「非武装中
 立」を訴えた政治勢力もかつては存在したが、今はほとんど存在感を持っていない。「絶対平和とい
 う非現実な共同幻想」のせいで、日本がどのような損害を蒙っているのか、それを具体的に列挙して
 もらわなければ話が見えない。
  まさか今さら「湾岸戦争のとき世界の笑いものになった」というような定型文を持ち出すわけでは
 ないだろうが、もしかするとそれかもしれないので、一言記しておくが、湾岸戦争のとき日本が世界
 の笑いものになったのは、日本が巨額の戦費を供出したにもかかわらず当事国から感謝されなかった
 からである。多国籍軍の支援を受けたクウェート政府は戦争終了後に、支援各国に感謝決議を出した
 が、日本の名はそこになかった。しかし、その理由は「国際社会の笑いもの」論者たちが言うように
 「金しか出さなかった」からではない。日本が供出した当初援助額1兆2,000 億円のうちクウェートに
 渡ったのは6億3千万円で、あとは全部アメリカが持っていったからである。仮に国際社会がほんとう
 に日本を笑ったのだとしたら、それは、「国際貢献」という名分でアメリカにいいようにされた日本
 の外交的愚鈍を笑ったのである。
  改憲派のトラウマの起源が湾岸戦争にあるのだとしたら、彼らの悲願はアメリカのするすべての戦
 争へ同盟国としてフルエントリーすることであろう。そのために戦争をすることへの法制上・国民感
 情上のハードルが低い国に国を変えたいと彼らは願っている。
  現行憲法の下で、世界史上例外的な平和と繁栄を享受してきた国が、あえて改憲して、アメリカに
 とって「使い勝手のいい」軍事的属国になろうと願うさまを国際社会は「狂気の沙汰」と見なすであ
 ろう。
  私に反論するのはまことに簡単である。「日本が改憲して『戦争のできる国』になれば、わが国は
 これまで侮蔑してきた日本を尊敬し、これまで遠ざけてきた日本と連帯するだろう」と誓言する国を
 ひとつでもいいから「国際社会」から見つけ出して連れてきてくれれば足りる。そのときはじめて現
 行憲法が「孤立と軽蔑」の原因であることが証明される。
  それでもこの妄想的な九条廃絶論にもひとつの条理は貫いている。それは「戦争のできる国」にな
 ることは、そうでない場合よりも国民国家の解体が加速するということであり、改憲論者はそれを直
 感し、それを望ましいことだと思っている。
  「戦争ができる国」と「戦争ができない国」のどちらが戦乱に巻き込まれるリスクが多いかは足し
 算ができれば小学生でもわかる。「戦争ができない国」が戦争に巻き込まれるのは「外国からの侵略」
 の場合だけだが、「戦争ができる国」はそれに「外国への侵略」が戦争機会として加算される。
  「戦争ができるふつうの国」と「戦争ができない変わった国」のどちらに生き残るチャンスが高い
 か、これも考えればすぐにわかる。「私がいなくなっても私の代わりはいくらもいる」という場合と、
 「私がいなくなると『私のようなもの』は世界から消えてしまう」という場合では、圧倒的に後者の
 方が「生き延びる意欲」は高いからである。
  だから、国民国家の最優先課題が「国民国家として生き延びること」であるなら、その国は「でき
 るだけ戦争をしない国」であること、「できるだけユニークな国」であることを生存戦略として選択
 するはずである。
  だが、安倍自民党はそのような選択を拒んだ。改憲案は「他と同じような」、「戦争を簡単に始め
 られる国」になることをめざしている。それは国民国家として生き延びることがもはや彼らにとって
 の最優先課題ではなくなっているということを意味している。漫然と馬齢を重ねるよりはむしろ矢玉
 の飛び交う修羅場に身を置いてみたい、自分たちにどれほどのことができるのか、それを満天下に知
 らしめてやりたい。そんなパセティックな想像の方が彼らを高揚させてくれるのである。でも、その
 高揚感は「国民国家が解体するリスク」を賭けのテーブルに置いたことの代償として手に入れたもの
 なのである。「今、ここ」における刹那的な亢奮や愉悦と「国家百年の存続」はトレードオフできる
 ものではと私たちは考えるが、それは私たちがもう「時代遅れ」な人間になったことを表わしている。
 国民国家のような機動性の低い(というか「機動性のない」)システムはもう不要なのである。グロ
 ーバリストが戦争を好むのは、彼らが例外的に暴力的であったり非人道的であったりするからではな
 く(そういう場合もあるだろうが)戦争をすればするほど国民国家や領域国家という機動性のない擬
 制の有害性や退嬰性が際立つからである。安倍自民党は(本人たちには自覚がないが)グローバリス
 トの政党である。彼らが「はやく戦争ができるようになりたい」と願っているのは、国威の発揚や国
 益の増大が目的だからではない。戦争機会が増大すればするほど、国民国家の解体が早まるからであ
 る。惰性的な国民国家の諸制度が溶解したとき、そこには彼らが夢見る「機動性の高い個体」たちか
 らなる少数集団が圧倒的多数の「機動性の低い個体」を政治的・経済的・文化的に支配する格差社会
 が出現する。この格差社会では機動性が最大の人間的価値であるから、支配層といえども固定的・安
 定的であることは許されない。一代にして巨富を積み、栄耀栄華をきわめたものが、一朝あけるとホ
 ームレスに転落するめまぐるしいジェットコースター的な出世と降位。それが彼らの夢見るウルトラ・
 モダン社会のとりあえずの素描である。
  改憲案がまず96条を標的にすることの理由もここから知れる。改憲派が改定の困難な「硬性憲法」
 を法律と同じように簡単に改廃できる「軟性憲法」に変更したいと願うのは、言い換えれば、憲法が
 「国のあるべきかたち」を恒久的に定めることそれ自体が許しがたいと思っているからである。「国
 のあるべきかたち」はそのつどの統治者や市場の都合でどんどん変えればよい。改憲派はそう考えて
 いる。安倍自民党のグローバリスト的な改憲案によって、基本的人権においても、社会福祉において
 も、雇用の安定の点でも、あきらかに不利を蒙るはずの労働者階層のうちに改憲の熱心な支持者がい
 る理由もそこから理解できる。とりあえずこの改憲案は「何一つ安定したものがなく、あらゆる価値
 が乱高下し、システムがめまぐるしく変化する社会」の到来を約束しているからである。自分たちが
 さらに階層下降するリスクを代償にしても、他人が没落するスペクタクルを眺める権利を手に入れた
 いと願う人々の陰惨な欲望に改憲運動は心理的な基礎を置いている。
  自民党の改憲案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起
 草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろう。けれども、現行憲法が国民国家の
 「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲案にはもうめざすべき理想がない。
 誰かが作り出した状況に適応し続けること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちで
 あれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲案は謳っている。歴史
 上、さまざまな憲法案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまり、「いかなる理想も持
 たないこと」)を国是に掲げようとする案はこれがはじめてだろう。


 小生は、ロマンティストでありながら、リアリストでもありたいという、きわめて矛盾した願望を自分の
中で併存できるのではないか思っているお調子者である。そういう心情になるためには、なるべく旧態依然
の思想をかなぐり捨て、フットワークをよくしなければならない。伝統的な考え方に縛られていると、「機
動性」というファンクションを所有できないからである。しかし、そういった輩は、周囲から「裏切り者」
というレッテルを張られるかもしれない。かつて、理想を掲げて建設した国家の首長が、国家の崩壊ととも
に国民によって処刑された例はいくつもあるようだ。しかし、それは斬首された統率者が裏切り者だったか
らだろうか。むしろ、国民の叶えられなかった欲望の矛先が、統率者の首を欲しがっただけなのではないだ
ろうか。さて、もはや「国家百年の計」というまやかしは通用しない時代に突入した。われわれは、なけな
しの1票という権利を誰に託すのだろうか。せめて、嘘でも義理でもいいから、「あなたのために全力をあ
げて自分にできることをします」とのたまうお調子者が出て来てほしいものである。内田樹氏の文章を読ん
で、そんなことを考えた。


 某月某日

 DVDで邦画の『あゝ海軍』(監督:村山三男、大映東京、1969年)を観た。岩手県から海軍兵学校に入学し、
一人前の海軍将校に育っていく一青年将校の半生記である。何か教科書的な作り方で、総花的に海軍を描い
ているが、どうもピントが合っていないような気がする。紋切型の映画はたとえ丁寧に作っても紋切型で終
わる。そんな見本のような映画であった。
 一応、物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  『闇を裂く一発』の菊島隆三と『殺し屋をバラせ』の石松愛弘が脚本を共同執筆し、かつて『海軍
 兵学校物語 あゝ江田島』を演出した村山三男がメガホ ンを握った戦記もの。撮影は『ある見習看護
 婦の記録 赤い制服』の上原明が担当した(キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)。

  〔あらすじ〕

  平田一郎(中村吉衛門)は海軍兵学校に入学したが、重複して受験した一高にも合格してした。退
 学しようとした平田の申し出を教官の岡野大尉〔後、少佐〕(宇津井健)は一蹴した。平田は自分の
 軽卒を悔んだが、訓練や勉学に熱中して、母が危篤の時も故郷へ帰ろうとはしなかった。やがて卒業
 式が来た。平田は卒業生を代表して恩賜の短剣を拝受した。卒業後の遠洋航海を終えて、はじめて故
 郷に帰り、母の墓前にぬかずいた。途中、竹馬の友である本多勇(峰岸隆之介〔徹〕)が陸軍幼年学
 校を卒業し陸軍大尉になっているのも知った。その後海軍省航空本部に勤務を命ぜられた平田は、山
 本五十六長官(島田正吾)から親しげに声をかけられた。やがて大平洋戦争が勃発した。平田は海軍
 航空隊の一員として、マレー沖海戦に参戦し、ラバウル航空隊に身を置いた。そんな時、満州から南
 方に転戦してきた本多と再会したが、本多は万年筆を片身にガダルカナルで玉砕した。同じ頃、山本
 司令長官が督励のためラバウルを訪れた。平田は長官機を護衛したが、敵機に襲われ、長官機は撃墜
 され、平田も負傷した。長官を護り得なかった責任を感じた平田は、ピストルで自決しようとしたが、
 部下に止められた。傷ついた彼は、少佐に任官され、母校海軍兵学校の教官になった。平田の教育、
 訓練は峻烈をきわめた。そんな彼に反抗してくる佐川(長谷川明男)の態度にかつての自分の面影を
 見るような気がした。戦局は終りに近づき、本多の片身の万年筆を佐川に贈り、激戦の島沖縄へと向
 うのだった。

 他に、森雅之(井口少将)、村瀬幸子(平田の母房代)、梓英子(とし子=地主の娘)、水木正子(のぶ
代)、早川雄三(配属将校)、平泉征〔成〕(森下)、吉田豊明(片山)、関幸四郎(田村)、北龍二(兵
学校長)、藤巻潤(前川大尉)、本郷功次郎(荒木中尉)、川口浩(小西中尉)、内田朝雄(右翼の男A)、
北城寿太郎(右翼の男B)、北原義郎(右翼の男C)、千波丈太郎(右翼の男D)、浜田ゆう子(芸者)、
村上不二夫(憲兵)、蛍雪太朗(牛太郎)、笠原玲子(娼婦)、酒井修(小松一等整備兵)、露口茂(山下
六助兵曹)、成田三樹夫(梅本少尉)、伊東光一(宇垣参謀長)、菅原謙次(司令)、中條静夫(参謀)、
仲村隆(暗号係)、小山内淳(将校A)、橋本力(将校B)、長谷川明男(佐川)、石山律(矢野)、稲妻
竜二(吉武)、土井武(工藤)、中村吉三(戸倉)、浦辺粂子(山下兵曹の母きよ)、などが出演している。
 山本長官の戦死シーンは何度か観ているが、当該作品のそれにはあまりリアリティはなかった。また、特
撮の湯浅憲明も、東宝の円谷英二ほどの腕は持っていないようだ。零戦のモデルがあまり上手に作られてい
ないからである。


 某月某日

 DVDで邦画の『あゝ零戦』(監督:村山三男、大映東京、1965年)を観た。これも「特攻映画」であるが、
零戦の南方戦線での活躍も描いており、やや散漫な印象を受ける。戦後製作されたこの手の映画(ただし、
昭和に限る)を下に挙げておこう。もちろん、全部を網羅しているわけではない。

 『雲ながるる果てに』、監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年。
 『太平洋の鷲』、監督:本多猪四郎、東宝、1953年。
 『さらばラバウル』、監督:本多猪四郎、東宝、1954年。
 『あゝ特別攻撃隊』、監督:井上芳夫、大映東京、1960年。
 『太平洋の翼』、監督:松林宗恵、東宝、1963年。
 『ゼロ・ファイター 大空戦』、監督:森谷司郎、東宝、1966年。
 『あゝ同期の桜』、監督:中島貞夫、東映京都、1967年。
 『あゝ予科練』、監督:村山新治、東映、1968年。
 『最後の特攻隊』、監督:佐藤純彌、東映東京、1970年。
 『あゝ決戦航空隊』、監督:山下耕作、東映、1974年。
 『零戦燃ゆ』、監督:舛田利雄、東宝映画=渡辺プロ、1984年。

 軍隊への賛辞と批判が同時に表現されている点では、当該映画もその轍を踏んでいる。その意味で、「戦
争は悪いことだが、軍人は皆頑張った」というメッセージは伝わって来る。しかし、現実の戦争や軍隊はど
うであったのか、あるいは、生身の軍人の気持はどんなものであったかは、永久に不明のままであろう。当
該映画は戦後20年を経過した時点で製作されているので、ミッシング・リングもたくさんあるはずである。
しかし、まだまだスタッフには戦争を知る者もいたであろうから、その意味で貴重な映画であろう。
 さて、物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  〔解説〕

  『太平洋奇跡の作戦 キスカ』の須崎勝弥がオリジナル・シナリオを執筆、『大捜査網』の村山三
 男が監督した戦記もの。撮影もコンビの石田博(キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)。

  〔あらすじ〕

  最強を誇る、東部ニューギニアに位置するラエ基地の海軍航空隊に、若い夏堀明男(長谷川明男)
 中尉〔後に大尉〕と峯岸二飛曹〔=二等飛行兵曹、後に一等飛行兵曹〕(小柳徹)が着任して来た。
 隊長の梶大尉(本郷功次郎)とその列機の徳永上飛曹〔上等飛行兵曹、後に少尉〕(早川雄三)は、
 海空にその人ありと知られた零戦乗りだ。この二人に夏堀と峯岸は実戦の厳しさを骨の髄まで叩き
 こまれ、逞ましく勇ましい零戦パイロットとして成長していった。激しい出撃が毎日続いた。戦局
 が切迫し、零戦を戦闘爆撃機として使用せよという命令が下った。戦闘機が爆弾を載んだらどうな
 るか。結果は余りにもひどかった。梶大尉を事故で失うという結末であった。徳永上飛曹もグラマ
 ンの射撃の餌食になっていた。そんな中で、夏堀は大尉に昇進、セブ島基地の隊長として比島に着
 任した。そこで海兵同期の小関大尉(大橋一元)と邂逅した。二人は再会を喜んだが、その小関大
 尉も翌日の出撃で戦死してしまった。セブでも毎日戦闘が続いた。飛行機と飛行機の消耗戦である。
 墜しても墜しても米軍の反撃があった。そのうち、零戦に勝る新鋭機グラマンが南方の空に出現し
 た。明らかに日本は受身の戦いに追いこまれた。この戦局の逼迫は、体当り攻撃“神風特別攻撃隊”
 を生んだ。夏堀は南九州笠原基地に呼び返されたが、軍の上層部が特攻を断行し始めた矢先、横須
 賀航空隊に転勤を命じられた。ベテラン・パイロットとしての彼の腕が惜しまれたためである。笠
 原基地の司令(見明凡太朗)が次のような言葉を発する。「老練な搭乗員を一回限りの特攻で失う
 には惜しい。体当たりは若い者に任せて、貴様は本土防衛に備えて、大いに奮闘してくれ」、と。
 連日、特攻出撃がくり返された。夏堀は特攻を志顔し、ついに許可された。夏堀は十数機を率いて
 飛び立った。峯岸も夏堀隊長の列機として二五〇キロ爆弾を腹に抱いて出撃した。やがて基地無電
 室に“グラマンと交戦中”という無電音波が入ったまま消息がとぎれた。

 他に、青山良彦(山県一飛曹)、根上淳(高田中佐)、成田三樹夫(八木少佐)、藤山浩二(森上飛曹)、
浜口喜博(整備長)、後藤武彦(整備員A)、井上大吾(整備員B)、蛍雪太朗(補充兵)、浜世津子(徳
永しづ)、二木てるみ(日高智子)、平井岐代子(日高しげ乃)などが出演している。
 三つの掛軸の文字を記してみよう。ちなみに、最初の二つは右から読む。

 翼全溢氣意之殺必

 風天斬里萬     山本五十六 書

 東の空は 日に燃えて
 あゝ!! 青春の その血潮
 ゆく末求む 碧空に
 散りなん われら
 たまゆらの
 美わし きよし
 さち ながく       夏堀 書

 ラエ基地では、梶大尉がジョニー・ウォーカーを飲んでいたが、あれは史実通りだろうか。また、零戦の
相手として、カーチスP40、ロッキードP38、スピットファイアが挙げられていたが、小生の小学校当
時、男の子の必須の知識だったと思う。その他、「全機帰還と全機未帰還は紙一重」という梶大尉の言葉は
印象的だった。「先任下士」(峰岸が徳永を呼ぶときの呼称)も久しぶりに聞いた言葉である。なお、女の
子への誕生日のプレゼントして夏堀が挙げたものは、キャラメルと羊羹であった。甘いものが不足していた
頃のご馳走だったからであろう。零戦は愛されていた。7年以上に亙って第一線で活躍した零戦の魂は、今
でも多くの人のこころを魅了していることは間違いない。


 某月某日

 DVDで戦争映画を2本観たのでご報告。最近になって、5本ほど1959年から1969年にかけての十年間に大映
が製作した戦争映画を入手したが、そのうちの2本である。製作年次がアジア・太平洋戦争が終わってから
20年前後しか経っていないので、細部に亙って見るべきところがあり、だいぶ勉強になった。とくに2本目
の特攻映画は、通俗的であるとはいえ、ずいぶん丁寧に作ってあると思った。2作品ともに、いわば、「埋
もれていた戦争映画」といえるだろう。
 さて、1本目は、『海軍兵学校物語 あゝ江田島』(監督:村山三男、大映東京、1959年)である。海軍兵
学校についてはまったく知らない人が多いと思われるので、<ウィキペディア>の記述を転載してみよう。執
筆者に感謝したい。なお、ほぼ原文通りである。


  海軍兵学校(かいぐんへいがっこう、1876年〔明治9年〕-1945年〔昭和20年〕)は、明治から昭和
 の太平洋戦争終戦まで存続した大日本帝国海軍の海軍将校の養成を目的とした教育機関である。

   概要

  戦前、「江田島」といえば、海軍兵学校を意味した。海軍兵学校は、海軍機関学校、海軍経理学校
 とともに生徒三校と呼ばれた。その規模ではイギリスの王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学
 校とともに、世界でも最大の兵学校の一つで、全78期から、総計1万2,433名の卒業生を出している。
  江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大
 切にした。日本海軍にいる限り、どうしても出世に差が生じ、クラスでも上官と部下になることもあ
 ったが、職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があった。クラス
 同士の会合は準公務として扱われ、またクラスが戦死した場合残された家族は生き残ったクラスが可
 能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在していた。こうしたことは美風として語られ、戦後に至
 るまで兵学校出身者の絆は強かった。
  第二次世界大戦中、国内の諸学校で英語教育が敵性語であるという理由で廃止縮小されるなか、井
 上成美校長の強い信念で従前通り英語教育が継続され、徹底した教養教育もなされた。このことが礎
 になって、坂元正一東京大学名誉教授(皇族の産婦人科担当医を長年務める)や、建築家の池田武邦
 (日本の高層建築のパイオニア)など、戦後、各界でリーダーとして活躍している卒業生、元生徒も
 多い。
  戦後の学制改革に伴い、学歴としての「海軍兵学校卒業」は、その他の「海軍生徒学校卒業」およ
 び「陸軍生徒学校卒業」とともに、国・地方自治体・民間企業等における学歴免許等資格区分では短
 期大学卒と同等と扱われるようになった。

   批判

  行過ぎたエリート意識、貴族趣味、排他性が機関科士官や戦争末期の学徒動員による予備士官に対
 する差別、下士官兵への露骨な差別に繋がったとの批判もある。

  江田島が兵学校の所在地に選定された理由は、

軍艦の錨泊が出来る入江があること。
文明と隔絶し、いわゆる「娑婆」の空気に汚されずに教育に専念できる環境を持つこと。
気候が温暖で、安定していること。

  この3点を備えていたためである。

  これらの条件によりシステマティックに海軍士官の育成が可能であったといわれる。反面、世情に
 疎く、戦略的観点が欠如した士官も生みだしてしまい、太平洋戦争では通商破壊作戦や海上護衛作戦
 といった任務を軽視する風潮を生んだ。海軍士官たる者は、世界情勢と最新技術を常に蒐集分析する
 必要があり、その点では、横須賀や横浜などが適地ではなかったかという指摘もある。

   沿革

  1869年(明治2年)、前身の海軍操練所が開設された。その後海軍兵学寮と改称し、1876年(明治9
 年)、東京の築地に移転、改称されて海軍兵学校が開校。築地時代に明治天皇が皇居から海軍兵学校
 まで行幸した道が、現在のみゆき通りである。
  1888年(明治21年)に呉市の呉鎮守府に近接した広島県の安芸郡江田島町(現在の江田島市)に移
 転した。「本校舎の赤煉瓦は一つ一つ紙に包まれ軍艦でイギリスから運ばれた」と伝えられているが、
 実際は当時レンガの生産を始めた安芸津町(現在は東広島市安芸津町)で作られたという説もある。
  海軍機関学校は関東大震災で校舎が全焼したため、一時期江田島の海軍兵学校の校舎を借りて教育
 が行われた。海軍兵学校の52期から55期まで、海軍機関学校の33期から36期までの生徒が同じ地で教
 育を受けて関係を深めた。
  1939年(昭和14年)より、採用生徒数(71期)は1936年(昭和11年)の採用生徒数(300人)と比較    
 して倍増(600人)した。これは1937年(昭和12年)の第3次軍備拡張計画により、大型戦艦の建造、
 航空隊が倍増されるための要員確保のためであり、1941年(昭和16年)には採用生徒数(73期)は900
 人となり、その後の採用生徒数は拡大の一途を辿った。
  1943年(昭和18年)11月15日には岩国分校が、1944年(昭和19年)10月1日には大原、舞鶴分校、19
 45年(昭和20年)3月1日には針尾分校がそれぞれ開校された。このうち舞鶴分校は海軍機関学校の分
 校として開学した。針尾分校は1945年(昭和20年)7月に防府の通信学校に疎開して閉校となった。19
 45年(昭和20年)12月1日までに全校が廃校となり、消滅した。
  江田島の兵学校跡は、1956年(昭和31年)以降、海上自衛隊の第1術科学校および幹部候補生学校に
 なっており、明治時代の赤煉瓦の校舎や、教育参考館などが残されている。

   生徒の採用

  以下の事柄は時代によって多少の違いがあるが、必要受験資格は受験年齢は16歳から19歳の年齢制
 限があり、身体条件を満たす者、中学校第四学年修了程度の学力、独身者、犯歴の無い者とされた。
 銓衡にあたり、最初に身体検査、運動機能検査で学術試験受験者が決定され、学術試験は5日間連続
 で行われた。学術試験は数学に始まり、英語(和訳)と歴史、物理、化学と国語(漢文も含む)、英
 語(英作文、文法)と地理の順に行われ、それぞれの学術試験の採点結果は当日に発表され、所定の
 合格点数に達した者のみが次の学術試験を受験できる篩い落とし選考であった。その後、面接試験を
 経て最終合格者が決定された。志願者の増加と共に内申書による事前選考が行われるようになった。
 日本海軍の人事政策では兵学校出身者は特別の事情がない限り、大佐まで昇進させる方針を採ってお
 り、採用生徒数は海軍の軍備政策と密接な関係にあった。 また、全国から優秀な青年が競って志願し
 た超難関校であり、募集人員が少なかった明治から昭和の初期までの海軍兵学校は、日本最高のエリ
 ート校であった。
  海軍兵学校設立の明治時代から、この海軍兵学校に入学するための予備校的な学校が、全国に存在
 していた。主な予備校的な学校には、明治初期は、東京の攻玉社、明治中期以降は、東京の海軍予備
 校(海城中)が有名で、数多くの合格者を出した。その他に、神奈川の湘南中、横須賀中、逗子開成
 中、兵庫の鳳鳴義塾、広島の修道中、山口の鴻城中、高知の海南学校、佐賀の三養基中などがあった。
 その後、大正時代頃になってくると、先駆的な私立の予備校的学校の進学実績は減少していった。な
 お、これらの予備校的な学校は、戦後の学制改革により、大学受験のための進学校へ衣替えし、現在
 では海上自衛隊との関係は消滅している。
  また、第65期(昭和9年4月入学)から第69期(昭和13年)4月入学)の入学試験倍率は20倍を超えて
 いた。この期は、東京府立一中、 東京府立四中、東京府立六中などのいわゆる東京府立ナンバースク
 ールに、湘南中、横須賀中、横浜一中などの他、仙台一中、麻布中、神戸一中、広島一中、呉一中、
 済々黌、佐賀中、鹿児島一中に、外地の朝鮮・竜山中、台湾・台北一中なども含めた全国の数多ある
 有名中学が上位合格者数を競いあっていた。
  なお、海軍兵学校は、兵科上級将校になるためには絶対に通らなければならない学校であった。一
 方、大学工学部などを卒業し技術士官になる途はあった。東京帝国大学等の成績優秀な学生で海軍委
 託生になれば、海軍に籍を置き士官に准ずる給与支給があり、卒業後は技術将校の地位が約束された。
 海軍委託生は海軍兵学校生より運動系の科目の内容は緩和されていた。また、一般の大学生と違い陸
 軍の軍事教練の単位を取る必要も無く、この面でも優遇されていた。

   生徒の教育

  教育期間は始め3年制、1927年(昭和2年)より3年8ヶ月、1932年(昭和7年)から4年制となったが、
 中国における事変拡大の影響を受け、1934年(昭和9年)入校の66期が3年9ヶ月に短縮された後、戦線
 の激化に伴い1935年(昭和10年)入校の67期(3年3ヶ月)、1936年(昭和11年)入校の68期(3年4ヶ
 月)、1937年(昭和12年)以降の69期 - 71期(3年)、1940年(昭和15年)入校の72期(2年10ヶ月)、
 1941年(昭和16年)入校の73期(2年4ヶ月)と教育期間が短縮されていった。兵学校においては、最
 上級生を1号、以下2号、3号、4号と称した。
  英国式の術科重視の教育が行われ、卒業後は少尉候補生として練習艦隊に配属され、遠洋航海など
 実地訓練や術科講習を経て任官した。当初は兵学校生徒のままで参加したが、1897年(明治30年)よ
 り、24期生が少尉候補生として航海を行った。この練習航海も太平洋戦争の開戦により、1941年(昭
 和16年)の69期生の航海を最後に終了した。
  第二次世界大戦中も英語教育は継続された。陸軍士官学校が英語教育を廃止し入試科目からも外す
 と、海軍兵学校もこれにならうべきだという声が強くなった。しかし、井上成美校長は、「一体何処
 の国の海軍に、自国語しか話せないような海軍士官がいるか」、「いやしくも世界を相手にする海軍
 士官が英語を知らぬで良いということはあり得ない。英語が今日世界の公用語として使われているの
 は好む好まないに拘らず明らかな事実であり、事実は素直に事実と認めなければならぬ。外国語のひ
 とつも習得しようという意気のない者は、海軍の方から彼らを必要としない。私が校長である限り英
 語の廃止などということは絶対に認めない」と却下し、英語教育継続に伴っておきた校長排斥運動に
 関しても、「これらの運動に従事する人物の主張するところ、概ね浅学非才にして島国根性を脱せず」
 と断じ、兵学校の英語教育は従来通り行った。海軍兵学校内では従来通り外来語の使用も容認してい
 る。このことは、戦後、大学に入り直すなどして再出発することになった卒業生達から相当感謝され
 ている。

   五省

  海軍兵学校の教えとして有名な「五省(ごせい)」は松下元校長が考案したもので、兵学校の精神
 を代表するものとして名高い。諸外国の軍人をも感動させたといい、戦後、英訳されてアナポリス海
 軍兵学校でも採用された。海上自衛隊にも引き継がれている。
  ただし、これが考案されたのは1932年(昭和7年)で、海軍兵学校の歴史から見れば末期の一時期の
 こととも言える。どの程度重視したかは当時の校長や教官の姿勢にも左右されており(永野修身校長
 の時代は重視されず、唱和されることもあまりなかったという証言もある)、常に重んじられていた
 訳でもないらしい。リベラリズムと柔軟性を重んじた古参の海軍軍人の中には「帝国海軍の風潮にな
 じまない」として好感を持たない者も少なからず存在していた。

   その内容

  五省(ごせい)とは、旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補
 生学校)において用いられた五つの訓戒。

   一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか(真心に反する点はなかったか)
   一、言行に恥づる勿かりしか(言行不一致な点はなかったか)
   一、気力に缺(か)くる勿かりしか(精神力は十分であったか)
   一、努力に憾(うら)み勿かりしか(十分に努力したか)
   一、不精に亘(わた)る勿かりしか(最後まで十分に取り組んだか)

   概説

  考案者は、当時、兵学校校長であった松下元少将。
  今日では帝国海軍の精神を象徴する標語であるかのように語られることがあるが、五省が兵学校校
 舎に掲げられるようになったのは国内の軍国主義的色合いが濃くなり始めた1932年(昭和7年)からで
 あり、その採用期間は海軍70余年の中でも末期の10数年間に過ぎない。古参の海軍軍人の中には、文
 語調箇条書きの五省を生徒に唱和させることについて、「(リベラリズムと柔軟性を重んじた)帝国
 海軍の伝統になじまない」として不快感を表明する者も少なからず存在した。
  しかし、一方で、太平洋戦争後に日本を占領したアメリカ海軍の幹部が五省の精神に感銘を受け、
 英訳文をアナポリス海軍兵学校に掲示したり、日本国内でも、海上自衛隊が日々の行動を自省する標
 語として用いたりしている。現在、海軍兵学校の後継にあたる海上自衛隊幹部候補生学校及び海上自
 衛隊第1術科学校では、五省が旧海軍の伝統として継承されている。

   生徒の待遇

  兵学校生徒には、海軍一等兵曹(昭和17年以降は海軍上等兵曹)と海軍兵曹長の中間ともいえる階
 級を与えられていた。これは、陸軍士官学校予科生徒が“赤タン”(無階級)であったのに比べれば、
 非常に優遇されていたと言える。夏の帰省時には、純白の第二種軍装が一際映え、郷里の誇りとして
 町を挙げての歓迎会が開かれたほど人気があった。
  海軍兵学校の卒業生は卒業席次順(ハンモックナンバー)に昇進していった。これが人事の硬直化
 を招いた。

   選修学生

  1920年(大正9年)から1942年(昭和17年)の間、兵学校の教育は、上記の将校生徒と選修学生(第
 23期まで存在する)の二本立てであった。選修学生制度とは、優秀な准士官(海軍兵曹長)および海
 軍一等兵曹の中から選抜して、生徒教育に準じた教育を行う課程であった。この制度は、海機、海経
 にも設置されていた。ただ、この課程を卒業したとしても、特務士官という立場に変わりはなかった。
 なお、陸軍士官学校も士官候補生と少尉候補者(乙種学生)の二本立てであった。

   職員

  職員として、校長、副校長、副官、教頭、教官、監事長、監事、分隊長、軍医長、主計長、附など
 置かれた(時代により違いがある。)。このうち、教官は、教頭の命を承け学術教育を担任した。監
 事は監事長の命を承け訓育を担任した。


 小生のように戦争映画を観慣れた者からすれば、描かれている世界に違和感を感じることはないと思うが、
若い人などを中心に、軍隊(とくに、ここでは海軍)に関してまったく予備知識のない人がこの映画を観れ
ば、驚くことも多いかと思われる。とくに、鉄拳制裁の場面が頻出するが、「体罰」禁止の風潮からすれば、
「何という野蛮な教育方針だろう」という声があがるかもしれない。小生には見慣れた風景なので、とくに
感慨はない。冒頭付近にある、以下のような加納教官(伊沢一郎)の台詞も馴染深いものである。いわく、

  「お前たちのからだは、入校式と同時に、畏れ多くも大元帥陛下に捧げ奉ったものである」。

 ただ、この映画の面白いところは、硬直した兵学校の「悪弊(多くの兵学校生徒は美風と考えている習慣)」
に対して、敢然と反旗を翻す生徒がいたという点である。しかも、その反抗が後に友情の花を咲かすという
どんでん返しもあり、この時代のあり得た姿を描いていると思う。その他、兵学校の階段は二段ずつ駆け上
がるものだという規律、食事は右手だけを用いるべしという規律、校庭を斜めに横切ってはいけないという
規律など、理屈を超えた規律が支配しており、「合理性」を重んじたはずの海軍なのに、どうもこの辺りは
陸軍の理不尽さに通じるものがあると思った。これらの規律は、ティピカルな「鉛の兵隊」を精錬するのに
は適しているが、精神主義一辺倒なので、「江田島精神」はただの観念に堕しているという批判を蒙ること
になる。なお、「電力ガスの節約で生み出す戦力」という標語が垣間見えたが、小生としては初めて見る標
語である。また、これは蛇足であるが、「大尉」を陸軍風の「たいい」ではなく、海軍の習いである「だい
い」と発音していた。この当時としては、時代考証すら必要がないほど軍隊経験者がスタッフにいたであろ
うことは予測がつき、その意味で、今となっては作ることができない要素もけっこうあるのではないかと思
われる。
 さて、物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご海容いただきたい。

  菊村到の同名小説を映画化したもので、「薔薇の木にバラの花咲く」の舟橋和郎が脚色し、「代診
 日記」の村山三男が監督した。撮影は「私の選んだ人」の秋野友宏。

  〔あらすじ〕

  瀬戸内海の真只中、江田島の海軍兵学校は日本海軍揺籃の地であった。太平洋戦争も激烈をきわめ
 て来た昭和十七年十二月、石川竜太郎(小林勝彦)は海軍兵学校に入学した。三年制の速成教育に移
 った兵学校では、最上級生を一号生徒、新入生を三号生徒と呼んで、一、二、三号各十五名ずつから
 成る編成を一分隊として、起居訓練を共にした。石川は二〇三分隊に編入され、兵学校生活が始まっ
 た。自習室に集められた石川ら二〇三分隊の新三号は、分隊伍長の佐田(村上文二)〔註:一応、村
 上文二としておくが、クレジットにその表記はなく、むしろ並びからして石井竜一ではないかと思わ
 れる。なお、石井竜一の役柄は「週番生徒」とされているが、佐田がそれに当たるとも考えられる〕
 を中心とする一号生徒から激しい気合をかけられた。その時一人の三号生徒が猛烈に反抗した。村瀬
 真一(野口啓二)だった。村瀬をなぐり倒したのは、気の荒い上級の小暮一号生徒(本郷功次郎)だ
 った。石川は村瀬と小暮にどこか魅かれるものを感じた。訓練は厳しかった。ちょっとでもたるむと
 すぐ気合をかけられた。石川と村瀬は親しく語った。村瀬は不幸な青年だった。母の再婚で家庭を失
 った時悪の道に踏み込んだ。しかし、斎藤先生(根上淳)導きで飜然と悟り、兵学校に入学したのだ
 った。小暮生徒は村瀬を目の仇のようにしてきたえた。日曜日、村瀬と石川は兵学校の象徴として名
 高い古鷹山に登った。そこで二人は田口教官(菅原謙二)の妹、田口由美子(仁木多鶴子)を知った。
 或る日、気合を入れられている村瀬を助けたのは小暮生徒であった。小暮は中学で村瀬の先輩だった。
 しかも同じような境遇からこの兵学校に入って来たのだ。この日から村瀬は小暮を兄のように慕った。
 やがて、佐田や小暮は卒業した。戦時のため、卒業記念の遠洋航海にも出ず、直ちに各任地へととび
 立った。戦争はますます激化した。アッツやサイパンも失った。兵学校の訓練も激化した。石川は由
 美子にほのかな思慕を覚えた。村瀬も由美子を愛していることを同時に知った。しかし死ぬことだけ
 を教えられた彼らにどうすることが許されていたろう。空襲は日毎に激しくなった。そしてある日、
 敵機に爆撃されて沈んでゆく巡洋艦の姿を見て、村瀬はとび出して機銃にしがみついた。村瀬は兵学
 校の校庭で死んだ。昭和二十年、佐田は神風特攻隊に乗った。村瀬の死に慟哭した小暮は人間魚雷に
 乗った。兵学校を卒業した石川も特攻機の一員となった。十四年後、古鷹山を訪れたのは石川だった。
 平和な瀬戸の海の彼方に、石川は村瀬や小暮や佐田の姿を見たように思った。瀬戸の海はあくまで平
 和だった。

 他に、南部彰三(石川の父作太郎)、桃山太郎(同じく弟金次郎)、矢島ひろ子(同じく妹光子)、見明
凡太朗(村瀬の義父民蔵)、三宅邦子(同じく母きく)、葉山葉子(同じく義妹朝子)、滝沢修(河村校長)、
伊東光一(学校副官)、伊沢一郎(加納教官)、北原義郎(塚越教官)、浜口喜博(土屋教官)、細川啓一
(八木一号生徒)、黒川清司(並木一号生徒)、藤巻公義〔=潤〕(東一号生徒)、佐々木尚夫(牧二号生
徒)、渡辺鉄弥(高木三号生徒)、三角八郎(芳賀三号生徒)、土方孝哉(片岡三号生徒)、日高渥(井手
三号生徒)、渡辺久雄(飯島三号生徒)、大川修(大学生)、久保田紀子(連れの女優)などが出演してい
る。
 2本目は、『あゝ特別攻撃隊』(監督:井上芳夫、大映東京、1960年)である。「特攻映画」の鑑賞は久
し振りであるが、なかなかよくできていると思った。小生のように涙腺の弱い人間は、涙なしでは観られな
い映画である。とくに、新しい知見を得ることはなかったが、妻のことを「ケーエー」(海軍の隠語と思わ
れる)と呼ぶことは知らなかった。ちなみに、ネット情報の「役に立たない海軍用語(略語・隠語)集」に、
<KA。かかあ。[意]妻>と出ている。また、「しれっとしとるぞ」(しらを切っているぞ)や、「手荒く旨
そうだぞ」(すごく旨そうだぞ)なども、海軍独特の言い回しかと思われる。また、パイナップルの罐詰を
「パイカン」と呼んで貴重品扱いする場面や、牡丹餅をありがたく頂戴する場面などがあるが、これらはお
馴染みと言ってよいだろう。予備学生が4人登場するが、それぞれ、出身校を挙げ、旧制浦和高校、慶応義
塾経済、神戸高等商業、青森師範から来たことを報告していた。また、中江兆民の『一年有半』が恋の橋渡
しとして登場するが、時代を感じさせる挿話ではある。最初の「特攻」が海軍省から布告されるが、そのあ
らましを下に記しておこう。耳から得た情報なので間違いも多いかと思うが、ご寛容のほどよろしく。

  昭和19年10月28日、連合艦隊司令長官ハ、左ノ通リ全軍に布告セリ。布告。海軍大尉関行男他四名
 ハ、神風特別攻撃隊員トシテ、昭和19年10月25日、スルワン島沖ニオイテ敵機動部隊ニ必死必中ノ体
 当タリ攻撃ヲ敢行。悠久ノ大義ニ殉ズ。忠烈万世ニ燦タリ。ヨッテ茲ニ其ノ殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス。

 当該映画では、「神風」を「かみかぜ」と発音していたが、正確には「しんぷう」と呼ぶはずである。な
お、『あゝ決戦航空隊』(監督:山下耕作、東映、1974年)において、北大路欣也が関行男大尉の役を演じ
ており、印象深い。小生の拙い記憶によれば、「ワイフのために」という台詞があったはずである。その他、
軍人は傘を差してはならないとか、千人針、勤労奉仕、銃後の乙女の儀礼など、お馴染みの言葉や事柄が登
場している。
 物語を確認しておこう。この作品もまた<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一
部改変したが、ご寛恕を乞う。

  太平洋戦争末期、空しくも散った特攻隊員の青春を描いた戦争映画。「リスとアメリカ人 廃虚の銃
 声」の長谷川公之の脚本による新人・井上芳夫の第一回監督作品。井上芳夫は大正十五年東京生れ、
 浦和高校文科卒後、昭和十三年二月大映入り、久松静児、市川崑、増村保造に師事していた。撮影は
 「川向うの白い道」の渡辺徹。

  〔あらすじ〕

  昭和十九年十月、戦局は日本に著しく不利となっていた。横須賀航空隊所属の海軍少尉である野澤
 明(本郷功次郎)は、休暇で母校浦和高校の図書館を訪れ堀川〔苗字が「山中」となっていたが、堀
 川の間違い〕令子(野添ひとみ)という少女と知り合った。戦局はますます重大化し、神風特攻隊の
 出動となった。野澤の乗組むはずだった空母も撃沈され、彼は、林少尉(野口啓二)〔慶應義塾〕、
 大垣少尉(森矢雄二)〔神戸高等商業〕、神原少尉(水村晃)〔青森師範〕らの同じ予備学生出身の
 同僚や、海軍兵学校出身の軍人精神にこり固まった小笠原少尉(三田村元)らとともに、特攻基地で
 ある茨城県の百里浜に転属を命じられた。赴任途中、野澤は令子に逢いたいと連絡したが、だめだっ
 た。百里浜へ来た野澤、林、大垣、神原らは明日なき命を人生や戦争についての語り合いのうちにす
 ごした。林は、女学校を卒業したばかりの妻芳江(吉野妙子)と基地近くの宿屋で新婚生活を始めた。
 そんな彼らを、ここへ来て中尉に任官した小笠原は苦々しく思った。幼くして両親を失った彼は、只
 一人、一身を滅して悠久の大義に生きることこそ自分の使命と感じていた。ついに特攻機への出撃命
 令がきた。第一次は岡崎大尉(北原義郎)〔京都帝国大学法科〕を隊長に林、大垣、神原の四機。そ
 の夜、訪ねてきた母を駅へ見送った帰途、海辺を歩く野澤は、小笠原に呼び止められた。「お前には
 貸しがある」……小笠原の言葉を皮切りに二人は殴り合った。血を流しながら、戦い終えた二人は固
 く手を握り合った。翌朝、第一次特攻隊が出発した。基地の丘に喪服の女が見送っていた。林の妻の
 芳江だ。彼女の胎内には子どもが宿っていた。第二次攻撃隊が間もなく編成された。野澤らである。
 小笠原中尉は機銃掃射を受けて怪我をしたために待機組として残った。出撃の前日、野澤は東京へ行
 った。令子と逢うために。しかしようやく逢えた令子は、折からの空襲で、野澤の眼前で死んで行っ
 た。出撃の朝、野澤は晴れ晴れとしていた。恋人の令子に逢える時が近づいたからである。

 他に、瀧花久子(野澤の母志乃)、星ひかる(令子の父)、沖村武志(令子の弟)、根上淳(基地飛行隊
長)、原聖四郎(基地司令)、高松英郎(浅野参謀)、宮口精二(大西長官)、片山明彦(副長)、藤山浩
一(実戦帰りの中尉)、宮川和子(のぶ)、原田玄(配属将校)、三角八郎(従兵)、目黒幸子(防空壕の
女)、花野富夫(参謀)、中原健(通信兵A)、土方孝哉(通信兵B)、津田駿二(基地整備士官)、黒川
清司(歩哨)、六本木倫彬(少尉)、武江義雄(飛行大隊長)、槙俊夫(哨飛行長)、有川雄(ホテルの男)、
村井千恵子(ホテルの女)、中條静夫(参謀の一人)などが出演している。
 最後に、「直掩機(ちょくえんき)のない特攻は悲しい」という台詞があったが、凄まじい艦砲射撃に晒
されてほとんどの特攻機が空しく太平洋の藻屑となったからである。海軍兵学校出の小笠原が「同期の桜」
を歌うとき、野澤ら予備学生はドイツ語で「歓びの歌」(ベートーヴェンの第九交響曲)をその声に重ねて
いる。珍しいシーンであった。また、京大出の岡崎大尉のために、三高寮歌の「紅萌ゆる」(逍遥の歌)を
歌うシーンもあった。一機で一艦を屠る体当たりという奇策を敢行する人々の気持やいかん、といったとこ
ろか。


 某月某日

 DVDで邦画の『探偵はBARにいる』(監督:橋本一、「探偵はBARにいる」製作委員会〔東映=テレビ  
朝日=木下工務店=東映ビデオ=アミューズ=クリエイティブオフィスキュー=東映チャンネル=北海道新
聞社=北海道テレビ=メーテレ=朝日放送=広島ホームテレビ=九州朝日放送〕、2011年)を観た。なお、
メーテレの「ー」は正確には波線である。文字化けするので音引きで代用した。よくできた娯楽作品で、大
泉洋と松田龍平のコンビも決まっていた。探偵を物語の主人公に据え、都会的なセンスで彩った邦画として
は、『探偵物語』(監督:根岸吉太郎、角川春樹事務所、1983年)〔探偵役は松田優作〕や『ありふれた愛
に関する調査』(監督:榎戸耕史、メリエス=サントリー=日本テレビ、1992年)〔探偵役は奥田瑛二〕を
連想したが、どちらの作品にも劣らない出来だと思う。とくに、大泉洋は新しいタイプの探偵像を創出した
のではないか。後でその宗旨を変えているとはいえ、「携帯電話をもたない主義」(縛られる割には、役に
立たないという点で)というのはいい。小生も彼に同感だからである。もっとも、小生が携帯電話をもたな
いことにしている最大の理由は、その存在そのものが間違っていると考えているからである。
 さて、物語を確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したがご寛恕を乞う。

  札幌・ススキノ。この街の裏も表も知り尽くした探偵(大泉洋)は、いつものように行きつけのBAR
 「KELLER OHATA」で相棒兼運転手の高田(松田龍平)と酒を飲み、オセロに興じていた。そこへ“コン
 ドウキョウコ”と名乗る女から電話が……。職業柄、危険の匂いには敏感なはずが、簡単な依頼だと
 思い引き受け、翌日実行。だがその直後に拉致され、雪に埋められ、半殺しの目に遭ってしまう。怒
 りが収まらぬ探偵の元に、再び“コンドウキョウコ”から電話が入る。その依頼を渋々こなし、自力
 での報復に動き出した探偵と高田は、知らず知らずのうちに事態の核心に触れていく。その過程で浮
 かび上がる沙織(小雪)という謎の美女と大物実業家・霧島(西田敏行)の存在。そして、探偵は4つの
 殺人事件にぶつかる……。果たして“コンドウキョウコ”は何を目論んでいるのか。事件と事件のつ
 ながりは何なのか……。

 他に、マギー(ソープランド「英雄色好」の客引きの源ちゃん)、榊英雄(スポーツバーのマスター)、
本宮泰風(岩淵貢)、安藤玉恵(峰子=喫茶モンデのウエイトレス)、新谷真弓(スナック京子の元従業員)、
街田しおん(近藤京子)、野村周平(「則天道場」塾生)、カルメン・マキ(歌手のマキ=霧島の友人)、
中村育二(南=札幌経済法律事務所の弁護士)、阿知波悟美(田口康子)、有薗芳記(田口幸平)、田口ト
モロヲ(松尾=北海道日報の記者)、波岡一喜(佐山=「則天道場」の幹部)、竹下景子(近藤百合子=京
子の母)、石橋蓮司(岩淵恭輔=大阪銀漢興産会長)、松重豊(相田=桐原組若頭)、高嶋政伸(カトウ)、
吉高由里子(近藤恵)、武井椋(田口晃)、上田文雄(札幌市長)、桝田徳寿(大畑)、諏訪魔(スポーツ
バーの店員)、片桐竜次(桐原組組長)などが出演している。
 ところどころにギャグが隠されており、それなりに面白かった。たとえば、高田は北大の農学部の助手を
しているが、その研究発表のシーンに「ナチス・ドイツの農業における労働配置」という何となく胡散臭い
タイトルが登場する。また、探偵がフリーライターを装ったときの名刺に刻まれた名前は「桑畑三十郎」だ
ったが、この名前は『用心棒』(監督:黒澤明、東宝=黒澤プロ、1961年)の主人公の名前である。それも、
主演の三船敏郎が人に名前を訪ねられて、目の前に広がる桑畑と己の齢三十から、その場で適当に名乗った
名前である。探偵の遊び心が十分に現われている場面であろう。高嶋政伸が演じた「カトウ」も、その不気
味さはなかなかのものだったことを付け加えておこう。なお、「犯罪映画」としての側面は生温く、考察に
値するシーンはほとんどなかった。その点が少し残念である。


 某月某日

 自主上映会で『勝敗』(監督:佐伯幸三、大映東京、1954年)を観た。映画研究家の円尾敏郎氏が収集し
ておられる16ミリ映画コレクションの上映である。小生の「エイジ映画」(1954年)の18本目の鑑賞作品で
ある。凡庸なスポ根プラス恋愛映画ではあるが、丁寧に作ってある分そこそこ楽しめた。昭和29年当時の風
俗・習慣も窺え、それなりにこの頃の倫理観も浮き彫りにされていたと思う。「試合に負けてくれ」という
件は『大菩薩峠』(監督:三隅研次、大映京都、1960年)で、机竜之助(市川雷蔵)に対して字津木文之丞
(丹羽又三郎)の妹と偽るその妻お浜(中村玉緒)の仕掛けた設定(御嶽山奉納試合の勝ちを譲れという設
定)と同じである。しかし、本作の主人公の相良順一(菅原謙二)は机竜之助のような無頼漢ではないので、
大いに悩むという展開だった。結局は、女のわがままを男がどう実現させるかに焦点が合わされており、予
定調和の結末も奇を衒うことなく王道の締め括りであった。物語を確認しておこう。例によって<Movie Walk-
er>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  旬日に控えた全日本学生柔道選手権試合に出場する相良順一(菅原謙二)は、孫の雄姿を見るため
 上京した祖母(北林谷栄)と連れ立って東京見物をするとき、快活で美しいバスガールの杉恵子(若
 尾文子)にすっかり好感をもった。だがこの順一と選手権を争う相手こそ、恵子の兄杉龍太(三田隆)
 であった。龍太はアルバイトからすっかりグレており、恵子は兄を立ち直らせるものは柔道しかない
 と、秘かに選手権試合を待ち望んでいた。そして兄の強敵順一の許を訪れ、彼が意外にもバスで知合
 った男だと知った。恵子は兄のことを哀願したが、神聖な試合に情実を入れることはできないと順一
 は怒った。しかし選手権試合は、龍太の勝利となり、彼は大滝産業に迎えられ、社長令嬢の大滝笙子
 (伏見和子)と親密になっていった。一方敗れた順一は、父の順造(河原侃二)が事業の不振で自殺
 し、彼は恵子の世話で大滝家の家庭教師となった。一方笙子は龍太を真面目に愛さず、その心変りを
 怒った龍太は順一の誘惑と誤解して彼と大格闘をした。それ以後順一は父の後妻であった芸者屋をし
 ているおしん(村瀬幸子)の許に世話になり、そこの抱え芸者秀彌(藤田佳子)の世話で矢島商事に
 就職した。ところが矢島商事は密輸団の本拠で、龍太はその仲間に入っており、依然笙子への愛情に
 悶えていた。彼は順一を相変らず憎んでいたが、恵子はその誤解をとこうとしていた。一旦追放にな
 った紘道館で、二人はその技を惜しまれてフランス派遣柔道選手権試合に出場し再び顔を合わせるこ
 とになった。今度は順一の勝ちだった。順一と恵子、龍太と笙子の愛情、そして順一と龍太の友情も
 改めて結ばれた。

 他に、浦辺粂子(龍太と恵子の母しな)、清水将夫(笙子の父の保馬)、渡辺鉄彌(同じく弟の保夫)、
清水元(相良と杉の共通の先輩の平尾)、高村栄一(矢島)、宮島健一(植木屋の亮助)、竹里光子(その
女房のお松)などが出演している。主演の菅原謙二は実際に柔道経験者だそうである。柔道の試合の場面や
チンピラとの格闘場面は地味で、その分かえってリアリティがあるのかもしれない。はとバスの東京観光と
いう設定も定番で新味はないが、田舎から上京してきた人間にとっては新鮮だったのだろう。なお、円尾氏
の情報(俳優の品川隆二から仕入れた情報)によれば、当時主演の菅原と若尾は実際に恋仲であったという。
もちろん、人気商売ゆえ、秘匿されていたことは言うまでもないが……。


 某月某日

 連休中、DVDで3本の邦画を観たので報告しよう。1本目は、『貞子3D』(監督:英勉、「貞子3D]製
作委員会〔角川書店=関西テレビ放送=東海テレビ放送=テレビ静岡=テレビ新広島=岡山放送〕、2012年)
である。『リング』(監督:中田秀夫、「リング」「らせん」製作委員会〔角川書店=ポニー キャニオン=
東宝=IMAGICA=アスミック=オメガ・プロジェクト〕、1998年)、『らせん』(監督:飯田譲治、「リング」
「らせん」製作委員会〔角川書店=ポニー キャニオン=東宝=IMAGICA=アスミック=オメガ・プロジェク
ト〕、1998年)、『リング2』(監督:中田秀夫、角川書店=アスミック・エース=東宝=住友商事=IMAGICA=
日本出版販売=オメガ・プロジェクト、1999年)、『リング0 -バースデイ-』(監督:鶴田法男、角川書
店=アスミック・エース エンタテインメント=東宝=イマジカ=日本出版販売=住友商事、2000年)の続篇
として12年ぶりに製作されたJホラー作品である。ウィキペディアに詳細な記事があるので、それを転載さ
せていただく。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  『貞子3D』(さだこスリーディー)は、2012年5月12日に公開の日本のホラー映画。

   概要

  鈴木光司書き下ろし『エス』を原作とし、『リング』シリーズ完結後のほぼ12年後に製作された。
 『リング』、『らせん』、『リング2』、『リング0 -バースデイ-』に続く映画シリーズ第5作で、
 シリーズ初の3D立体映画(3D/2D同時公開)となる。
  ストーリーは『エス』の忠実な映画化ではなく、同作の登場人物や各種設定を応用して映画オリジ
 ナルの物語に再構築したもので、最大の違いは原作で間接的に登場するにすぎない山村貞子を、旧映
 画シリーズ同様に殺人モンスターとして登場させており、ジャンルとしては旧映画シリーズの系譜上
 にある作品となっている。また、主要人物である柏田は、原作の正体は前シリーズに繋がる重要人物
 であったが、本作ではこの設定は一切描かれず、従って前シリーズとの関連性は一切ない、独立した
 物語となっている。また、前映画シリーズはシリアス路線だったのに対し、本作ではコメディ要素も
 多数含まれており、終盤に登場する異形の貞子群に主人公が鉄パイプで立ち向かうなど、アクション
 性も強調されている。
  監督は『高校デビュー』の英勉。主演は石原さとみ。貞子役の橋本愛は公開間近まで伏せられてい
 た。時代背景にあわせニコニコ動画を題材としている。キャッチコピーは「“S”の復活」。2013年続
 編決定。

   封切

  日本では全国214スクリーンで公開され、初週5月12日、13日の土日2日間で動員15万4,148人、興行
 収入2億4,641万4,100円となり、興行通信社調べによる興収ランキング2位を記録し、10代、20代の若
 年層を中心としたヒットとなった。
  日本国外では、韓国で6月14日より200スクリーンで上映される予定のほか、香港でも同日より、シ
 ンガポールで6月21日から、台湾などでも上映される予定である。
  本作のヒットを記念して同年6月7日に東京・角川シネマ新宿にて貞子4Dの上映が行われた。4Dでは
 本編のシーンに合わせ劇場をアトラクション化した演出がおこなわれている。

   あらすじ

  主人公・鮎川茜(石原さとみ)が教師を務める女子高では、ニコニコ動画上で生放送されるという
 「呪いの動画」が噂になっていた。動画は、ある男が首を絞められる映像が流れ、最後に「お前じゃ
 ない」という声が聞こえ、それとともに閲覧者が死ぬというものだった。動画は放送後に削除される
 も、今なおゲリラ的にウェブ上でアップロードされ続けているという。その動画探しに熱中していた、
 茜の教え子の一人、森崎典子(喜多陽子)は遂に動画の再生に成功するが、直後にマンションから転
 落死してしまった。典子の変死事件を担当した刑事の小磯勇吾(田山涼成)と中村正彦(高橋努)は、
 捜査の過程で「呪いの動画」の噂を聞きつける。やがて動画の閲覧直後に変死した人物が複数いるこ
 とに気付いた小磯と中村は、動画を最初にアップロードした人物が柏田清司(山本裕典)というアー
 ティストであることを突き止める。
  やがて茜の教え子の一人で典子の友達だった北山理沙(高良光莉)も動画のアクセスに成功し、閲
 覧に使ったスマートフォンから女性の怪物が出現するが、場に居合わせた茜の悲鳴でスマートフォン
 が破壊され、動画の女は「お前だ」という言葉を残して姿を消し、かろうじて難を逃れる。茜の悲鳴
 は超音波のような能力を持っており、過去にその能力のせいで冷遇を受けてきたという過去があった。
 しかしこの一件で理沙は気が触れてしまい、茜の責任問題に発展してしまう。
  茜は恋人の安藤孝則(瀬戸康史)の同僚である榎木(染谷将太)から動画に関する情報を聞き、皆、
 一様に動画の最後に「お前じゃない」という言葉を聞いていることを知る。自分だけ「お前だ」と言
 われた茜は、他の人たちとの体験の違いに動揺する。
  一方、茜の恋人の安藤孝則もまた「呪いの動画」の再生に成功してしまう。しかし今回も、動画に
 登場した謎の女は茜に対し「お前だ」と宣言する。孝則と茜はその場から逃げ出すが、街中のディス
 プレイから飛び出してきた謎の女によって、孝則は異世界へ引きずり込まれてしまう。
  その頃、柏田の捜査を進めていた中村刑事が突然自殺してしまう。残された小磯は柏田を追い続け、
 遂に柏田が目指していたものである「Sの復活」というキーワードに突き当たった。そして追跡過程
 で小磯は茜と知り合い、ともに「S」が潜む場所を突き止め、向かうことになる。だがそこに現れた
 のは、蜘蛛のように這いまわる化物の大群だった……。

 他に、橋本愛(山村貞子)、平祐奈(生徒時代の鮎川茜)などが出演している。過去の作品とのつながり
はほとんどなく、あの「貞子」を期待していた向きには、いささか拍子抜けの作品かもしれない。途中まで
はそこそこ面白かったので、残念である。わざわざ「貞子」と指定しながら、貞子とは似ても似つかない化
物をご丁寧にも大量に登場させているが、かなり裏切に近いと思う。橋本愛の演じた貞子も意味不明。ホラ
ー映画は現実の裏付があってこそ生きてくるのに、スタッフは何か勘違いしているのではないか。あの芸達
者の染谷将太も、まったく冴えない演技に終始していたと思う。重ねて残念である。
 2本目は、『サイドウエイズ(SIDEWAYS)』(監督:チェリン・グラック〔Cellin Gluck〕、20世紀フォ
ックス=フジテレビジョン、2009年)である。これは傑作。中年諸君必見の映画ではないだろうか。物語を
確認しておこう。例によって、<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変した
が、ご海容いただきたい。

  土曜日。連ドラの仕事をしたのは遥か昔、今やシナリオスクールの講師に納まっている脚本家の斉
 藤道雄(小日向文世)は、20年ぶりにロサンゼルスに降り立つ。留学生時代の親友で、レストランの
 雇われ店長をしている上原大介(生瀬勝久)の結婚式へ出席するためだったが、迎えに来た大介と二
 人でワインの産地ナパ・バレーを目指しドライヴ旅行をすることになる。日曜日。レストランで偶然
 にもかつての道雄の片思いの相手・田中麻有子(鈴木京香)と再会。彼女の成熟ぶりにショックを受
 けた道雄は、ワインをがぶ飲み、酔い潰れてしまう。一方、麻有子の連れのミナ・パーカー(菊地凛
 子)に目をつけた大介は、彼女を口説き始める。月曜日。道雄は麻有子に付き添い、セントヘレナの
 ワイナリーへと向かう。麻有子は離婚したことを道雄に打ち明け、道雄も1年前に同棲相手に出て行
 かれたと話す。かたやミナといいムードになった大介は、その晩モーテルには戻らなかった。火曜日。
 麻有子に夕食に誘われた道雄。リラックス・モードで昔話に花を咲かせ、二人はキスを交わすが「日
 本へ帰って来たほうがいい」と道雄が口走ったことからムードが険悪になってしまう。水曜日。ミナ、
 大介、道雄、麻有子の4人は田園地帯へピクニックに出かけた。昨夜のことが尾を引いて、道雄と麻
 有子は少し気まずい。だが、大介は自分の気持がミナに傾き始めたことに気付く。木曜日。大介の結
 婚話が麻有子にバレた。道雄は大介あての電話に応答したミナに真相をばらし、結果、大介はミナに
 フライパンで殴られて顔面を負傷してしまう。金曜日。道雄と大介は最後のワイナリー巡りに出かけ、
 その帰り道、大介は車を道路わきの大木にぶつける。顔の怪我の言い訳のために事故を装うと言う。
 土曜日。大介とローラの結婚式は無事に終了。別れ際、ローラから車のキーを渡された道雄は、麻有
 子に会いに行くため再びナパに向けて車を走らせた……。

 本作の『サイドウェイズ』は、第77回アカデミー賞作品賞にノミネートされた2004年の米国映画『サイド
ウェイ(SIDEWAYS)』(筆者、未見)を20世紀フォックスとフジテレビがリメイクした作品である。リメイ
ク元はアレクサンダー・ペイン(Alexander Payne)監督の作品で、オリジナル版の脚本をジム・テイラー
(Jim Taylor)とともに手がけている。本作の脚本も同じだが、日本語版の脚本を担当した上杉隆之の言葉
遣いが実に自然で、かなりの才能を感じた。とくに、「無益な節操(=殺生のもじり)はしない」、「作法
(=果報のもじり)は寝て待て」、「ゴンドラ(=パンドラの間違い)の匣」などの言葉遊びが生きていた
と思う。その他、男女の微妙なこころの遣り取りの描き方も優れていると思った。主要な出演者である、小
日向文世、生瀬勝久、鈴木京香、菊地凜子は、それぞれ個性的で素晴らしく、簡単な演技のように見えて、
実はたいへん難しい演技を難なくこなしていた思う。一流の俳優はさまざまな点で違う。こんな映画を観て
しまうと、つくづく下手くそは要らないと思ってしまうのだ。ともあれ、後進の俳優諸君のお手本になるよ
うな映画であった。
 3本目は、『女囚701号・さそり』(監督:伊藤俊也、東映東京、1972年)である。気持が塞いでいるので、
それを打破するために観た。つまり、主演の梶芽衣子の力を貰いたくて観たのである。おそらく、5回目く
らいの鑑賞だろうか。何度観ても、主人公の松島ナミの迫力は半端ではない。正直、だいぶ癒された。

                                                  
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