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日日是労働スペシャル XII (東日本大震災をめぐって)
 月が替わりましたので、「日日是労働スペシャル」の続篇をお届けします。単純に、「日日是労働スペシ
ャル XII (東日本大震災をめぐって)」と命名しました。主として、今回の大災害に関係する記事を掲げま
すが、特定の個人や団体を誹謗中傷する目的は一切ありません。どうぞ、ご理解ください。人によっては、
多少ともショッキングな記事があるかもしれませんので、その点もご了承ください。なお、読み進めるほど
記事が古くなります。日誌風に記述しますが、後日訂正を載せるかもしれません。あらかじめ、ご了解をい
ただきたいと存じます。また、ご質問、ご意見等のおありの方は、muto@kochi-u.ac.jp 宛にメールをいただ
ければ幸甚です。

                                                  
 2012年6月29日(金)

 本日も、『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、20
12年)に言及します。例によって、ほぼ原文通りです。


  四章 深刻な健康被害(つづき)

 p.116 食べ物は非常に深刻な状況です。これまで通りの食生活を送っている人々は、政府が守ってくれる
    と信じているのでしょう。しかし、それは適切とは思いません。基準や監査体制をみても日本政府の
    対応は業界寄りで、一般消費者の健康を犠牲にしています。チェルノブイリから四半世紀が経ったウ
    クライナやベラルーシでは、はるかに厳しい安全基準が設定され、細かい検査がなされています。

 p.116-117 すでに、川魚の汚染が進みました。山岳部に降った放射性物質はまず川に運ばれていき、海に
      流れ込んでいます。放射性物質を運ぶ川を泳ぐ淡水魚は、誰も口にすべきではありません。大量
      の汚染水が流れ込み、放射性の雨が降り注いだ海はさらに深刻です。私は、原発から半径一五キ
      ロほどの海域がとりわけ問題だと考えてきましたが、問題はどんどん複雑になっていきます。

 p.117 大型魚は長距離を移動します。魚類に蓄積する水銀と同じように放射性物質も生物濃縮されます。
    食物連鎖の上にいるマグロなどにはまだそれほど蓄積していないかもしれませんが、二-三年も経て
    ば港の放射能検知器が鳴って騒ぎになるかもしれません。

     海水魚のデータでは、セシウムが事故前と比べて大きく上昇しています。福島第一原発の汚染水浄
    化装置が対応しているのはセシウムのみなのに、ストロンチウムも含めて充分に測定されていません。
    食品全般について、日本政府は基準を緩和しました。平時が厳しすぎたという口実で本末転倒です。
    事故から一年以上が経って少し見直す予定です。

 p.117-118 本来は予防原則にのっとって基準を設定すべきであり、そうするための正しい情報はあるので
      すが。日本政府は都合の良いことしか耳を貸していません。ある個人がその魚を食べたところで
      がんになるとは限りませんが、世間一般にとってのリスクを軽減する必要があるのです。食品の
      安全基準を適切な値とし、また実際に検査を行わないといけません。政府がこれを怠っている現
      状では、人びとが自主的にリスクを回避するにも限界があります。政府はもっときちんとした対
      応をとるべきです。

 p.118 妊婦や将来妊娠する女性の被曝は非常に危険です。本書の目的の一つは、このデリケートな問題に
    ついて警告を発することです。死産が増加したり、子供に先天的な影響が生じたりしないかが心配で
    す。少ない細胞が急速に分裂しているときのDNAの損傷は、とりわけ重大なのです。男性の精子に
    対する影響も大きく懸念されます。チェルノブイリをはじめ被曝が起きたケースでは、子供たちのな
    かに呼吸器疾患や免疫力低下といった発育不全が報告されています。こうした生体への被害は、原発
    周辺だけでなく、首都圏でも統計的に現れるだろうと考えています。

     この種の健康被害については、政府が揉み消そうとする傾向があります。スリーマイルでもありま
    したし、日本でも起きることを憂慮しています。

 p.119 スリーマイルの住民が、最初の一二時間で生体への被害に遭っていたのは確実です。「一五キロ先
    に勤める教師だったが、車を運転していて金属の味がした」といった逸話が、今でもメールで寄せら
    れます。福島第一原発で事故が起きた後にはとりわけ増えました。犬を納屋に残し、食べ物や水を充
    分に与えて避難した人がいました。三日後に帰ると、犬は死んでいたそうです。住民たちはペットや
    家畜をNRCに提出しましたが、行方不明になりました。後に二つの頭を持つ子牛が産まれた際にも
    NRCに記録を委ねましたが、日の目を見ることはありませんでした。

     スリーマイルではこうした状況なので診察記録も使い物になりません。アメリカ人は頻繁に引っ越
    しますし、ある土地でがんを発症し別の場所で亡くなった場合、経過を辿れないのです。社会主義下
    の統一された医療制度のおかげで、チェルノブイリでは診断記録が残っていました。移動が盛んなア
    メリカでは、原発の近くで生まれ育った人や、親が核関連施設に勤めていた人を特定できません。離
    婚したり別の州へ引っ越したりすれば、家族の健康に与えた影響がわからなくなるのです。

 p.119-120 こうした生体への被害については、直接的な因果関係を証明することが簡単ではなく、疫学的
      な増加傾向に着目することになります。甲状腺がんだけでなく、まずは甲状腺の異常が現れるで
      しょう。ホルモンの分泌が多すぎたり少なすぎたりするのです。最初の二-三年、主に若い人に
      起きると考えられます。次に肺がんが、最低でも二〇-三〇パーセント増えるだろうと思います。
      五年後には心臓疾患で、やはり若ければ若いほど細胞が速く分裂しているため被害を受けやすい
      はずです。その後は各臓器のがんです。チェルノブイリでは膀胱がんの増加が指摘されています
      が、すべての臓器に可能性があります。さらに、血液のがんが考えられます。これらのことは、
      政府と医学界が正しくデータを処理すれば、統計学的に有意な増加が確認されると思います。

 p.120 日本の人々がこの問題を自分たちだけのものとして内在化しないよう訴えることが、個人的な目標
    です。ICRPの言うとおり、健康被害があまり出なければどんなに喜ばしいことか。しかし、内部
    被曝では臓器全体ではなく狭い面積が攻撃されます。正しい調査が行われれば、今回の事故がこの議
    論に決着をつけるでしょう。データが無視されたりねじ曲げられたりしないよう祈っています。

     今はインターネットがあります。一九九〇年にはファックスが革新的だったほどですから、スリー
    マイルどころかチェルノブイリのときにも存在しなかった技術です。情報の拡散が速く広いほど、市
    民にとって有利です。ここにはわずかな希望があります。

     こころが痛みますが、これから健康への悪影響が顕在化するかもしれません。そこで皆が立ち上が
    って口を開く必要があります。「私たちは皆、電力を使ったのだから受け入れるしかない」という考
    え方を、あらためるのです。


 最近になって、『内部被ばくを生き抜く』(監督:鎌仲ひとみ、環境テレビトラスト、2012年)という映
画のDVDを入手しました。まだ観ていませんが、なかなか評判のよい作品です。もし、新しい情報を手に入れ
たならば、ここに記すことにします。
 さて、次回は「五章 避難と除染の遅れ」に言及する予定です。

                                                 
 2012年6月28日(木)

 本日も、『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、20
12年)に言及します。例によって、ほぼ原文通りです。


  四章 深刻な健康被害(つづき)

 p.107 放射性ヨウ素は液体として吸収され得ます。よく知られているように甲状腺がんなどを引き起こす
    恐れがあります。チェルノブイリのあと、甲状腺がんが急激に増加しました。これを防ぐためには、
    安定ヨウ素を初期に摂取することが効果的です。先に安定ヨウ素剤のヨウ素が甲状腺に入ることで、
    放射性ヨウ素の侵入から守るのです。
    
 p.107-108 ヨウ素131の半減期は八日ですから、たとえば牛が放射性ヨウ素に汚染された牧草などを食
      べた場合、その牛乳を九〇日間は避けなければなりません。飲料水も同様です。もちろん、これ
      は放射性ヨウ素に限った話であり、他の放射性元素の混入を考慮した場合はまったく別です。

 p.108 日本では、原乳の検査や出荷差し止めなどの措置が適切にとられたのでしょうか。放射性物質の拡
    散を考えてみれば、福島産の原乳だけでなく、他の都道府県の原乳についても、厳密な対応が必要だ
    ったのです。
     しかし、さらにいえば、液体による摂取よりも呼吸による吸収の方が速く吸収されます。東京やそ
    の近郊などでは、液体による摂取もさることながら、呼吸で取り込まれてしまったのではないかと心
    配しています。
     放射性ヨウ素は、セシウムなどと一緒に拡散したはずです。家の中なら大丈夫ともいえません。人
    人が窓を閉めていたかどうか、服や靴などに付着して屋内に持ち込んでいないかなど、注意すべき点
    が多くあるのです。

 p.108-109 たとえばプルトニウムは福島原発から四〇キロ離れた場所でも発見されています。ネプツニウ
      ムなど他の重い元素も同様ですが、メルトダウンが起きても圧力容器や格納容器が無事ならば炉
      心に閉じ込められたままのはずです。圧力容器と格納容器に損傷がなければ外部へ出てきません。
      粉々になった、あるいは人が通れるほどの穴が空いたというわけではありませんが、たとえば九
      センチの亀裂でも大量の放射能を撒き散らすのには充分です。また、この種の元素は三号機の爆
      発で使用済み核燃料がプールから持ち上がった際に放出されたとも考えられます。前述の私の仮
      説を裏付けるものです。
 
 p.109 コバルト60もあります。核分裂生成物ではなく、放射化生成物と呼ばれます。核燃料の間を行き
    来して連鎖反応を維持している中性子が水に衝突した際に、コバルト50を微量に含む鉄と反応して
    生じます。水は配管から少しずつ鉄を補足しているのです。

 p.109-110 事故当初に発生したのは希ガスのキセノンとクリプトンでした。初めの数日間に東京で検知さ
      れていた放射能はこれらが原因でした。身を守るためには室内に入り、窓をテープで密閉して時
      がすぎるのを待つしかありません。それでも家に入り込みますが、おおむね防げます。

 p.110 キセノンやクリプトンは周期表の端に位置していることからわかるように、完璧な電子の殻に囲ま
    れていますから、何とも反応しません。そのため懸念する必要はないといわれますが、とんでもない
    間違いです。体内で結合こそしないものの、非常に強いガンマ線を放出し、細胞を攻撃するのです。
     さらに、キセノン137は崩壊してセシウム137に姿を変えます。クリプトン90はストロンチ
    ウム90になります。希ガスがガンマ線を発しながら崩壊したかと思えば、別の放射性物質が生じま
    す。肺の中です。
     これらはイオンですから細胞と結びつき、半減期が数時間ではなく三〇年の時限爆弾と化します。
    前述のようにICRPはその崩壊を一〇〇グラム当たりの平均値で考えますが、実際のところエネル
    ギーはずっと狭い面積に集中し、DNAを傷つけます。

 p.110-111 ストロンチウム90がイットリウム90に崩壊すると、別の放射線が発せられます。つまりス
      トロンチウムの悪影響に加えて、次の事象が生じるのです。初めの出来事でDNAが損傷してい
      れば、娘元素による攻撃までに修復が間に合っていません。三〇年というのはストロンチウムだ
      けの半減期で、間髪を入れずにイットリウムの崩壊が続きます。同じ個所に二発の弾丸を受ける
      ようなものです。

 p.111 これらの放射性物質は気体ですから真っ先に漏洩したのです。止めるものはありません。メルトダ
    ウンに至らない段階でも、燃料棒が割れるやいなや放出され、首都圏で検出されました。その他の同
    位体は、遮蔽が機能していれば核燃料が溶融しても漏れ出さないはずでした。しかしベントを開けざ
    るを得なかったうえ、格納容器が破損しました。
     非常な高温でセシウムとストロンチウムも気体として発生しました。これを業界は認めたがりませ
    ん。圧力抑制室に閉じ込められる前提だからです。実際には、冷却用海水ポンプが壊れたため、圧力
    抑制室の水は沸騰したのです。

 p.111-112 スリーマイルでは、事故から三-五年以内の肺がんの発生率が最低でも一〇-二〇パーセント増
      えたというデータがあります。他の記録は失われていましたが、肺については喫煙に関する研究
      が進行中だったために使える情報があったのです。スリーマイルは福島よりも人口密度が低く、
      放射能は一〇〇あるいは一〇〇〇分の一でした。ですから福島原発事故では少なくとも二〇-三〇
      パーセント増加するでしょう。最初の三-五年で甲状腺の異常、四-七年で肺がん、その後に他の
      がんが続きます。なぜ肺がんかというと、微粒子状(雲状)の汚染物質を直接吸い込むためです。

 p.112 風が海へ向かって吹いていた点は何度強調しても足りません。幸運と言ってよいのかはわかりませ
    んが、風向きによっては、はるかに大きな放射能汚染が居住地に生じていてもおかしくなかったので
    す。一六〇キロの沖合でデッキに出ていた米空母の乗組員は、一カ月分の上限とされている被曝量を
    一時間で浴びました。

 p.114 関東では三月一五日に風向きが変わり、山沿いにプルームが南下しました。東京大学の研究では、
    三月一五日午後三時からの一八時間で、九・三マイクロシーベルトの内部被曝に相当するセシウムが  
    キャンパス内を浮遊していたことがわかります。

 p.115 放射性物質は間違いなく広い範囲で体内に取り込まれています。東京の建物で使われたフィルター
    を検査すると、九月に二週間使っただけのサンプルは六月のそれよりも汚染が悪化していました。こ
    れは、ごみや廃棄物の焼却が原因ではないかと思います。屋内の方がひどく汚染されている例が多い
    のです。衣服などに付着して屋内に持ち込まれ、蓄積する一方ですから。日本に靴を脱ぐ習慣がある
    のは、不幸中の幸いでした。

     私が協力している科学者によると、乾いた布ではなく濡れた布で埃を拭わなければ汚染物質を拭き
    とれず、舞い上がってしまいます。掃除機にはHEPAフィルターなどを使うべきですが、エアコン
    や車のものを含めてフィルターはこまめに交換しなければなりません。私が東京にいたならば……い
    え、日本のどこであっても、少なくとも数年間はそれを続けるでしょう。

     不適切な焼却などによる放射性物質の二次的な拡散、つまり二次被害は継続している問題なのに、
    残念ながら人々は防御策を採っていないようにみえます。放射性物質を理由にマスクをつけている人
    はいるでしょうか。花粉や風邪の症状と違って放射性物質は五感では感知できませんが、道端の土埃
    もセシウムを含んでいるのです。

 p.116 日本では、こうした現実には触れず、何事もなかったように“日常”を取り戻すことが最優先だと
    いう意識が定着しているようです。それが可能なのは、実際には始まっている健康被害が表面化する
    までに数年かかるためです。放射量がずっと少なかったスリーマイルでは逃げおおせました。肺がん
    のリスクが一〇パーセント上がった程度なら揉み消せるのです。しかし、今回は生体への影響を無視
    することは不可能でしょう。政府や医学界が未補正のデータを隠さない限りは。


 日本映画界の「巨匠」と言われる黒澤明が、放射能に対してかなり敏感になっていたことは、よく知られ
ています。たとえば、『生きものの記録』(監督:黒澤明、東宝、1955年)、『夢』(監督:黒澤明、黒澤
プロダクション、1990年)、『八月の狂詩曲』(監督:黒澤明、黒澤プロダクション、1991年)にその思い
は結実しています。ただし、いずれも作品の評価は高いものではなく、その分注目度も低いと言ってよいで
しょう。要するに、日本人は、「臭いものに蓋をする」が常套手段で、「水に流す」のを得意としているの
です。もっとも、これまでのところ、少なくとも2011年3月11日まではそれでよかったかもしれませんが、こ
れからはそうはいきません。むしろ、「羹に懲りて膾を吹く」ぐらいがちょうどよく、「転ばぬ先の杖」を
用意しなければならないでしょう。しかし、日本人には無理かもしれませんね。つまり、健康被害が隠蔽で
きないほど拡がってから対応するのでしょうね。しかし、この腰の重さは一体何なのでしょうか? 広島、
長崎、静岡(第五福竜丸)で被爆者(被曝者)がたくさん出ているにも拘らず、その声は国民の耳に届いて
いないようです。その他、

 『原爆の子』、監督:新藤兼人、近代映画協会=劇団民芸、1952年。
 『ひろしま』、監督:関川秀雄、日教組プロ、1953年。
 『純愛物語』、監督:今井正、東映東京、1957年。
 『第五福竜丸』、監督:新藤兼人、近代映画協会=新世紀映画、1959年。
 『愛と死の記録』、監督:蔵原惟繕、日活、1966年。
 『地の群れ』、監督:熊井啓、えるふプロ=ATG、1970年。
 『ふたりのイーダ』、監督:松山善三、映画「ふたりのイーダ」プロ、1976年。
 『この子を残して』、監督:木下恵介、松竹=ホリ企画制作、1983年。
 『夢千代日記』、監督:浦山桐郎、東映京都、1985年。
 『さくら隊散る』、監督:新藤兼人、近代映画協会=天恩山五百羅漢寺、1988年。
 『Tomorrow 明日』、監督:黒木和雄、ライトヴィジョン=沢井プロダクション=創映新社、1988年。
 『黒い雨』、監督:今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年。
 『ビキニの海は忘れない』、監督:森康行、映画「ビキニの海は忘れない」制作実行委員会、1990年。
 『カンゾー先生』、監督:今村昌平、今村プロダクション=東映=東北新社、1998年。
 『鏡の女たち』、監督:吉田喜重、グループコーポレーション=現代映画社=ルートピクチャーズ=
  グループキネマ東京、2002年。
 『父と暮らせば』、監督:黒木和雄、衛星劇場=バンダイビジュアル=日本スカイウエイ=テレビ東京
  メディアネット=葵プロモーション=パル企画、2004年。
 『夕凪の街 桜の国』、監督:佐々部清、アートポート、2007年。

などで、原爆投下や水爆実験による被曝者が描かれていますが(原発事故を除く)、一部で話題になるだけ
のようです。きっと、「他人事」なのでしょうね。しかし、何度でも書きますが、今度ばかりは「見知らぬ
他人の話」で済ますことはできないでしょう。小生も、このブログを読んでいるあなたも、あるいはこれま
でまったく小生とは縁のないお方も、皆一様に大きなリスクを背負ってしまったのです。少なくとも、健康
被害に関しては、すでに「ロシアン・ルーレット」が始まっているのです。どこで弾丸が発射されるか、そ
れは神のみぞ知る事柄かもしれませんが……。
 さて、次回は、食品管理が話題にされます。

                                                  
 2012年6月27日(水)

 本日は、再び『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、
2012年)に言及します。例によって、ほぼ原文通りです。


  四章 深刻な健康被害(つづき)

 p.103 今回放出された一〇〇を超える同位体の中でも、特に有害なものを二つ挙げるとすれば、ストロン
    チウムとセシウムです。
     筋肉を攻撃するセシウムはカリウムと化学的に似ています。筋肉痛を緩和するためにはバナナを食
    べてカリウムを補給することが推奨されますね。セシウムは、がんを引き起こすだけでなく、筋肉の
    塊である心臓に悪影響を及ぼす恐れがあります。チェルノブイリ・ハートという症状がチェルノブイ
    リの子供たちに見られました。セシウム134、137による心臓の異常です。私たちの体内でも細
    胞は生まれ変わっていますが、育ち盛りの子供ほどではありません。

 p.103-104 セシウムは厄介ですが、検出しやすいという面があります。特徴的なガンマ線を発するのです。
      そのため、被曝の影響はよくセシウム換算で表現されます。チェルノブイリのような昔の事故が
      原因なら137しか残っていないはずです。測定器は崩壊の壊変数とエネルギーを数えています。
      これらは同位体ごとに独特ですから、数式にあてはめて、キログラムあるいはリットル当たり何
      ベクレル化が計算できるのです。

 p.104 東京で検出されたセシウム134、137の数値は恐ろしい数字です。一平方メートル当たり一万
    ベクレルというのは信じられない値です。メーターが一秒間に一万回カウントするのですから、凄ま
    じい量の放射能です。
     一平方メートル当たり一万ベクレルの地区に人を住まわせるという話を事故前に聞いていれば、間
    違いなく反対したでしょう。これだけ大勢の人々を高レベルの汚染に曝してしまうのは、公衆衛生上
    の大問題です。
     首都圏の住民はどれほどのリスクを覚悟しなければならないのでしょうか。一人ひとり、つまりあ
    る個人に着目した場合、確実なことは何も言えません。ある特定の個人に健康被害が生じるかどうか
    には様々な要素が絡むからです。ただ統計学的には、長期的にみてがんや循環器系の異常が増加する
    でしょう。半減期が短いセシウム134は四年間で二五パーセントまで減り、セシウム137だけの
    地図に近づきますが、その四年間のうちに、放射能の影響を受けやすい子供たちを中心に被害が不均
    衡に広がる可能性があります。

 p.106 いたるところでストロンチウム89とストロンチウム90が検出されています。前者は半減期が五
    〇日と短く、二-四年で消えます。後者は半減期が二九年ですから、三〇〇年ほど残ります。測定し
    やすいガンマ線を発するセシウムに対して、ベータ線を出すストロンチウムを測るためには別の機器
    が必要です。化学的な処理をして数週間も置かなければなりません。高価で手間暇がかかるため、あ
    まり検出されていないような印象を与えているかもしれませんが、存在しているのは間違いありませ
    ん。福島原発事故のストロンチウムの放出量はセシウムのおよそ一〇分の一です。

     原子の半分が崩壊する物理的半減期とは別に、セシウムもストロンチウムも体内半減期があります。
    体内に入った放射性物質は、崩壊に加えて新陳代謝によって処理されます。放射性物質の物理的な性
    質は変えられませんが、体内半減期はある程度は強制的に速められます。

 p.106-107 ただし、ストロンチウムはカルシウムと似ています。周期表で上下に並んでいるのがそれを示  
      しています。これがセシウムより有害だという所以です。筋肉は継続的に自己再生していますか
      ら、セシウム137の場合、三〇年の物理的半減期とは別に、体内からは約三ヵ月で排出される  
      といわれます。ところが歯や骨に入ったストロンチウムは、そのようなわけにはいきません。し
      かも骨髄では白血球がつくられています。そこにストロンチウムが入り込めば、将来的に骨や血
      液のがんを引き起こす恐れがあるのです。


 今日はこの辺にしておきましょう。主として、セシウムとストロンチウムに言及されている記事です。次
回は放射性ヨウ素などが話題になります。

                                                
 2012年6月22日(金)

 本日も、『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、20
12年)に言及します。例によって、ほぼ原文通りです。


  四章 深刻な健康被害(つづき)

 p.99 ただ、分子生物学以前の体系によるICRP基準では、DNAや細胞レベルでの放射線障害を正し
   く認識できません。たとえば、ホットパーティクル(放射性微粒子)が肺に入り込んだ場合、ICR
   Pは肺の一〇〇グラム分にかけてそれを平均します。このような算出方法では一グラム当たりの崩壊
   エネルギーが少なくなります。私はこの考え方に疑問を持っています。実際には放射線は遠くへは届
   かず、非常に狭い範囲で組織に吸収されます。一グラム当たりで計算するならば良いのですが、一〇
   〇グラムでは範囲を広げすぎていて影響の見積もりが小さくなるのです。
    一〇万人の観客でいっぱいのサッカースタジアムがあるとします。フィールドの中心に、銃を持っ
   た人物が立っています。ホットパーティクルです。彼は群衆に向けて七回発砲します。ICRPの考
   え方でいくと、銃弾のエネルギーを一〇万人で平均すれば僅かな量になるため、誰も負傷していない
   ということになってしまいます。ところが実際には、銃弾が命中した、つまりエネルギーが集中した
   七人は怪我をしているのです。

 p.99-100 後者にあたる欧州放射線リスク委員会(ECRR)モデルは慢性的な低線量被曝に着目する考
     えで、原子力業界から資金提供を受けていない科学者に採用されています。しかし、政府はIC
     RPモデルを好みます。半世紀前から原子力の政策や規制に用いられており、健康被害の責任を
     問いにくい見解です。資金面では彼らがはるかに有利です。

 p.100 今回の事故で放出された汚染物質は、ホットパーティクルとして内部被曝の原因となります。放射
    性ヨウ素、セシウム134、137をはじめとした核分裂生成物、コバルト60などの放射性生成物、
    ウランと超ウラン元素(プルトニウム、アメリシウム、ネプツニウム)といった核種を、空気中を浮
    遊したり舞い上がったりする埃を吸い込み、水や食品を口にすることで摂取していますのです。

 p.100-101 二〇一一年三-五月に使用された車のエアフィルターをレントゲンフィルムで捉えた写真が三
      枚あります。フィルターをレントゲンのフィルムに載せてから現像したものです。シアトルは一
      分間で一一・七μR(一μR/hr=〇・九三cpm)、東京は一八・九、福島市は一九九。違いは
      一目瞭然です。福島市から送られた車のエアフィルターをマサチューセッツ州の研究所で測定す
      ると、放射性物質として破棄しなければならない水準まで汚染されていました。整備士たちの健
      康が懸念されます。また、車が燃焼のために取り込む空気は平均で人間の呼吸と同量ですから、
      住民への悪影響は免れないでしょう。

 p.101 茨城で四月四日に採取された埃のサンプルを走査型電子顕微鏡とガンマ線から分析すると、大きさ
    が一-一五μmのユウロピウム、イットリウム、ジルコニウム、トリウム、セリウム、セシウム134、
    137、ストロンチウム(Eu、Y、Zr、Th、Ce、Cs、Sr)が含まれています。放射性ヨ
    ウ素は崩壊していますが、ほかにもコバルト60や、首都圏の埃からはアメリシウム241を検出し
    ました。アメリスシウムはプルトニウムが崩壊した結果です。検出されたものは直径一〇ミクロンで
    すから、吸入してしまえば細胞を集中的に攻撃します。

 p.101-102 どのような物質が捕えられているか調べた後、住宅のフィルターやモニタリングポストで量を
      厳密に比較しました。福島とは緯度がほぼ同じマサチューセッツ州では事故から二時間後にサン
      プリングを開始しています。四月の土壌サンプルからはシアトルやボストンにも福島からと思わ
      れるホットパーティクルが降り注いだことがわかりました。東日本では大気中の汚染物質こそ減
      少傾向にありますが、この研究で証明された通りセシウムは埃と結合し、風で遠くへ運ばれます。

 p.102 郡山市から送られた子供靴には、靴底と靴紐を中心に八〇ベクレルのセシウムが付着しています。
    四足の平均は一・六六ナノキュリー。マサチューセッツの子共靴では〇・〇一以下です。
     「放射能はどこにでもあるから気にすることはない」という主張とは裏腹に、原発事故の影響が明
    らかです。しばしば比較対象に挙げられる自然放射線の影響とは違う内部被曝についての分析は、ま
    だ不充分です。
     さらに、プルームの動きを無視した同心円状の図を元にした避難勧告では、汚染が高い地域へ逃げ
    てしまった住民もいました。福島原発事故で五〇マイルの避難を呼びかけたNRCも、米国内の一〇
    マイルという指針を見直すべきではないでしょうか。日本政府は一般人の被曝量の上限を年間一ミリ
    シーベルト(一〇〇ミリレム)から二〇ミリシーベルト(二〇〇〇ミリレム)へ引き上げました。N
    RCはアメリカの一般的市民の被曝量を一〇〇ミリレムに、環境保護庁(EPA)も一〇〇ミリレム
    に設定しています。


 本日は、ここで打ち切りましょう。さて、最後の項目には、やはり驚かされます。明らかに放出された放
射線量が多いので、これまでの基準では危険な地域が拡大してしまいます。したがって、今まで危険だった
値を危険じゃないことにしよう、というわけです。それも、20倍とは! プラットフォームからの転落防止
や列車との接触事故を防ぐために、どこの駅でもその淵に白線が引かれていたり、点字ブロックが並べられ
たりしていますが、その幅を二〇分の一にすることを考えてみましょう。それでも十分に気をつければ事故
を防げるかもしれませんが、その淵に立つ人の恐怖は半端ではないでしょう。この喩えを被曝量の問題にそ
のまま適用することはできませんが、国民への危険性を低める政策ではなくて、危険性を高める政策を立て
るとは、明らかに本末転倒ではないでしょうか。いわば、煩わしいこと(たとえば、危険地域から国民を避
難させること)を避けるために、国民の健康被害の可能性を無視したことになります。牛肉のレバーの生食
を禁止した(それはそれで、一種の「英断」ですが……)同じ政府のやることでしょうか。小生にはやはり
大いなる疑問です。
 さて、次回は、このつづきに言及する予定です。

                                                  
 2012年6月20日(水)

 本日から、再び『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新
書、2012年)に言及します。なお、この章は、全文に近い転載を行います。例によって、ほぼ原文通りです。


  四章 深刻な健康被害

 p.92-93 福島第一原発事故では放射性物質の多くが海へ向かいました。海は陸地と違って沈着量から放出
     量を推計することができません。したがって、原発に残った核燃料の総量のわかるまでは、どれだ
     けの放射性物質が放出されたのかは不明なのです。
      東電は「チェルノブイリより被害が少ない」などと主張していましたが、彼らの数字はあまり
     にも誤魔化されていて、漏洩した放射性物質はチェルノブイリの五-一〇倍だったとしてもおかし
     くありません。私の予想は二-五倍ですが、原子力安全委員会と原子力安全・保安院は一〇パーセ
     ントだと言っていました(二〇一一年四月一二日の会見)。

 p.93 そもそも、当時も今も放射性物質の漏洩は止まっていません。彼らの試算は、炉心の放射能が圧力
   抑制室へ行き、水に取り込まれる設計に基づいていました。アメリカの規制ガイドラインによると放
   射能の九九パーセントは水に溜まっている計算です。ただし、これには水が沸騰していないという前
   提があります。福島第一原発は冷却機能を失い、水が沸騰したため除染係数がなくなりました。つま
   り、一対九九(逃げた割合:残った割合)から九九対一になるのです。水が沸騰していれば、入って
   きたものは出ていきます。

 p.93 にもかかわらず、東電は漏れた放射能を九九パーセントではなく一パーセントで計算していました。
   過去の経験から私には抜け穴が特定できます。それだけでなく、格納容器の漏洩も計算に入れていま
   せん。自分たちで発表した測定内容とも、航空機モニタリングの結果とも食い違っています。

 p.93-94 チェルノブイリでは、ロシア政府が記録を抹消しようとしました。スリーマイルでも健康調査は
     一九九〇年まで行われませんでした。一〇年以上が経過していたうえに、調査を命じた判事はレー
     ガン大統領に任命されていました。信じられないことですが、判事は被害の最大測定値について、
     統計学的に有意な水準を一パーセントでも超えれていれば無効だと、あらかじめ忠告していたので  
     す。唯一実施されたこの研究は、ノースキャロライナ大学のスティーヴン・ウィング博士によって
     のちに再分析されました。不完全かつ圧力をかけられた調査ですが、住民のがんが増加しているこ
     とを示していました。しかし、公式に発表された放出量と合致しないため因果関係は否定されたの
     です。

 p.94-95 長年にわたって事故を追った私は、NRCがどのように放出量を算出したのか突き止めました。
     公式な概算は一〇〇〇万キュリーです。ベクレルに換算しなければなりませんが、少なくとも福島
     原発事故の一〇〇分の一です。一〇〇〇分の一かもしれません。それはともかく、非常に難解な理
     屈が元になっていました。私は責任者を知っています。八基の放射能測定器が原発の敷地を取り囲
     むように設置されていました。そこで彼はそれぞれの記録値から放出量を割り出し、平均をとった
     のです。事故が起きてから間もないときで、誰も異議を唱えませんでした。それが絶対的真理とな
     ってしまったのです。
      しかし実際の数値は一〇〇倍かもしれません。プルーム(放射能雲)が飛んだ方向次第では、測
     定器に当たらなかった可能性があるのです。要するに基本的な前提が完全に外れていました。です
     からスルーマイルではNRCが認めるよりずっと多く、少なくとも一億五〇〇〇、最大で一〇億キ
     ュリーの放射能が漏れたのです。今回の事故でも東電の発表は控えめすぎると思います。

 p.95 放射能の生体への影響については、「外部被曝」と「内部被曝」に分けて考えるのが通例です。また、
   一度に大量の放射線を受けることによって生じる「急性障害」と、急性障害を起こさない程度の放射能
   によって、のちに健康への影響が現れる「晩発性障害」に分けられます。
    外部被曝とは放射線を身体の外側から浴びることを、内部被曝とは放射性物質を呼吸によって吸い
   込んだり、汚染された飲食物を摂取したりして、身体の内部から被爆することを指します。ヨウ素は
   皮膚からも吸収されます。放射性核種によって生体内での挙動に特有の性質があります。

 p.96 放射性元素は一度だけ放射線を出すわけではなく、崩壊しながら別の元素に変わり、安定した元素
   になるまで放射線を出し続けます。線量は時間に比例して増加し、線源までの距離の二乗に反比例し
   ます。また、放射線の透過性に応じて遮蔽が可能です。
    ただし、主に透過性の高いガンマ線で被曝する外部被曝と違い、内部被曝では透過性の低いアルフ
   ァ線、ベータ線のエネルギーが細胞へ届きます。この三つの主な放射線は電離放射線と呼ばれ、分子
   を分解することができます。放射性の一粒子が、細胞の染色体の重要なDNA(核酸)に当たると、
   遺伝子が切断されるのです。異常細胞ががん化するまでには数十のプロセスを経ると考えられていま
   すし、普段から様々な刺激にさらされている私たちの身体は修復作用を備えています。ところが、同
   じ個所が繰り返し攻撃されたり、細胞分裂の過程で影響を受けやすい状態にあったりすると、損傷が
   引き継がれてしまう恐れがあります。

 p.96-98 多数の細胞が機能を喪失し症状がすぐに現れる急性障害については、一定の被曝量以上でなけれ
     ば症状が現れることのない「閾値」が認められています。一方で、がんなどの晩発性障害について
     は“安全量”などなく、少ない被曝量でもそれなりのリスクを伴うと考えられています。「直ちに
     影響を与えない」からといって健康に害がないわけでは決してなく、長期的には影響が及ぶのです。
     規制値を下回れば法的に危険とされない理由は、他のリスクと比べたり、社会的な防御の限界を計
     算に入れたりしているだけで、実際のところ被曝に許容量などありません。

 p.98 ここまでの話は、被曝リスクの評価に広く用いられている国際放射線防護委員会(ICRP)の指
   針と合致します。ICRPの分析については、基礎データとなっている広島、長崎の被爆生存者追跡
   調査が一〇〇ミリシーベルト以下で統計的に有意ながん死の増加を示していないとして、晩発性障害
   をめぐる閾値の存在を主張する論者もいますが、被爆の影響が他の要因に紛れてしまったと解釈でき
   ます。生涯追跡結果からは、被爆によるがん以外での疾病についても線量との比例の関係が観察され
   ています。さらに、長年にわたって蓄積した原子力産業労働者の被曝影響も同レベルだという他の調
   査結果から、累積的な被害が見てとれます。


 今日は、この辺で留めておきましょう。英語の格言に、以下のようなものがあります。

   Statistics never lie, but liars use statistics.  
    統計はけっしてうそを吐かないが、うそつきは統計を用いる。

   Figures don't lie, but liars are always figuring.
    数字はうそを吐かないが、うそつきはいつも数字で表現する。

 小生は数字(統計)嫌いなので、これらの格言を知ったとき、得心がいきました。ものごころついて以来、
数字を用いて人を煙に巻く連中を胡散臭く感じてきましたので、それも当然のことでしょう。まして、肝心
のデータを改竄している場合は何をかいわんやです。もちろん、有意味な統計的データをすべて斥けるつも
りは毛頭ありません。説得力ある場合は傾聴していますし、その結果何をするべきかを自分で勘案する習慣
ももっているつもりです。つまり、データそのものよりも、数字(統計)を用いる人の意図の方が重要とい
うわけです。その人が明らかに何らかの誘導を図っている場合は、むしろ警戒が必要です。釣りそこなった
魚はだんだん大きくなるのが世の常ですし、自分の失策はなるべく少なく見積もりたくなるのも人情だから
です。わたしたちは、迅速で正確なデータを欲しています。少なくとも、小生はそうです。重要な判断をし
なければならない立場の人々が、そのデータを隠蔽したり改竄したりすることは、すでに犯罪の領域に達し
ている行為だと思います。原発に関して、そのような立場にある人は、正確なデータと良心に忠実であって
欲しいものです。誤魔化せば誤魔化すほど、その人は苦しむと思います。もちろん、中には屁とも思わない
人もいるでしょう。そういう人は、いかんともしがたいですね。
 さて、次回は、このつづきに言及するつもりです。

                                                  
 2012年6月19日(火)〈その2〉

 今日は、もうひとつ、内田樹氏のブログを転載しましょう。珍しく、彼は怒っているようです。ほぼ、原
文通りです。


  「国民生活」という語の意味について       内田樹     2012年6月14日

  野田首相の大飯原発再稼働について国民に理解を求める声明が発表され、それについての評価を東
 京新聞から求められた。
  声明の全文を読まないとわからないので、全文のpdfファイルを送って貰って読んだ。驚嘆すべ
 き文章であった。このようなものを一国の国論を二分しているマターについて、首相が国民を「説得」
 するために語った言葉として公開してよいのか。
  私は野田さんという人に個人的には特に好悪の感情を抱いていなかったが、この声明を読んで「誠
 実さを欠いた人だ」という印象を持ってしまった。その所以について述べたい。
  そのためには、首相の所信表明演説の全文を読んでもらう必要がある。

  【野田総理冒頭発言】

  本日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話
 をさせていただきたいと思います。
  4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりました。
 夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活
 を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であ
 ります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
  その具体的に意味するところは二つあります。国民生活を守ることの第一の意味は、次代を担う子
 どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったよ
 うな地震・津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見
 を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らない
 ことが確認されています。
  これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上に
 わたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果で
 あります。もちろん、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常
 に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございまし
 た。そのため、最新の知見に基づく、30項目の対策を新たな規制機関の下で法制化を先取りして、
 期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。
  その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を
 刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進
 展することを強く期待をしています。
  こうした意味では実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なもので
 あり、新たな体制が発足した時点で、安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を
 擁する福井県にもご協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これ
 により、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政
 府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置致します。
  なお、大飯発電所3,4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を
 判断してまいります。
  国民生活を守ることの第二の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への
 悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安
 定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、
 止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ちゆきません。
  数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかも知れません。しかし、関西での15%
 もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的にはきわめて厳しいハー
 ドルだと思います。
  仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事
 が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震
 災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それ
 が実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。
  そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需要の問題
 だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っ
 ている小売店や中小企業、そして家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてし
 まいますそのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。
  そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいり
 ました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これらの立地自治体はこれまで
 40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たち
 は立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。
  以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、
 大飯発電所3,4号機を再起動すべきだというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体
 のご理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。ご理解をいただいたところで再起動のプロセス
 を進めてまいりたいと思います。
  福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の
 皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持た
 れていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮
 らしを守るという責務を放棄することはできません。
  一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中
 長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりまし
 た。この間、再生エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。
  これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保
 障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府と
 して選択肢を示し、国民の皆さまとの議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。
 国論を二分している状況で一つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。
  再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民
 の生活を守るための今回の判断に、何とぞご理解をいただきますようにお願いを申し上げます。
  また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めてゆく努力をどこまでも不断に追求してい
 くことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。
  私からは以上でございます。

  お読み頂いて、どういう感想を持たれただろう。
  なんとなく「狐につままれた」ような、言いくるめられたような、気持ちの片づかない思いをした
 人が多かったのではないかと思う。
  それも当然である。
  この所信表明は「詭弁」の見本のようなものだからである。
  詭弁にはさまざまなテクニックがあるが、そのもっとも基礎的な術の一つに「同一語を二つの意味
 で使う」という手がある。
  二つの意味のうち、それぞれ一方についてしか成立しない命題を並べて、あたかも二つの命題が同
 時に並立可能であるかのように偽装するのである。
  この演説で同一語を二つの違う意味で用いているのは、キーワードである「国民生活」である。
  この語は前半と後半でまったく違う、そもそも両立しがたい意味において用いられている。
  前半における「国民生活」は「原子力発電所で再び事故が起きた場合の被災者の生活」のことを指
 している。
  首相はこう述べている。
  「国民生活を守ることの第一の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決
 して起こさないということであります」。
  「何から」国民生活を守るのかは、この文からは誤解の余地がない。
  原発事故の及ぼす破壊的影響から守る。
  たしかに首相はそう言っている(のだと思う)。
  だが、それは私たちの読み違いであることがわかる。
  首相はこう続けているからである。
  「福島を襲ったような地震・津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っています。これ
 までに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、
 炉心損傷に至らないことが確認されています」。
  注意して読んで欲しいのだが、首相はここでは福島原発を襲ったのと「同じ」震度の地震と「同じ」
 高さの波が来ても大丈夫、と言っているだけなのである。
  だが、福島原発「以上」の震度の地震や、それ「以上」高い津波や、それ「以外」の天変地異やシ
 ステムの異常や不慮の出来事(テロや飛来物の落下など)を「防止できる対策と体制」についてはひ
 とことも言及していない。
  そのようなものはすべて「想定外」であり、それについてまで「安全を保証した覚えはない」とあ
 とから言われても、私たちは一言もないように書かれている。
  次の文章も官僚的作文のみごとな典型である。
  「これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上
 にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果
 であります。」
  これは原発の安全性が確認されるというこの所信表明の「きかせどころ」なのだが、何とこの文に
 は主語がないのである。
  いったい「誰」が安全性を確認したのか?
  うっかり読むと、これは「IAEAや原子力安全委員会」が主語だと思って読んでしまうだろうが、
 たしかに不注意な読者にはそのように読めるが、実は安全性を確認した主語は存在しないのである。
  意味がわからなくなるように周到に作文されているのである。
  これを英語やフランス語に訳せと言われたら、訳せる人がいるだろうか。
  私がフランス語訳を命じられたら、「安全性を確認した」のところはたぶんこう書くだろう。

  La securite s’est confirmee.
  〔securite の二つの e、confirmee の後ろから2番目の e には、アクサン・テギューが付く〕。

  これは代名動詞の受動的用法と呼ばれるもので、「安全性」というものが自存しており、それが自
 らを確認したというニュアンスを表わす。
  つまり、人間は誰もこの確認に関与していないということである。

 La porte s’est fermee は「扉が閉まった」と訳す。
  〔fermee の 後ろから2番目の e には、アクサン・テギューが付く〕。

  「誰も扉を閉めていないのに、扉が勝手に閉まった」という事情を言う場合に使う。たぶん、それ
 と同じ用法なのである。
  だから、仮にその後何かのかたちで「安全ではなかった」ことがわかったとしても、文法的には、
 その責任は勝手におのれを「確認」した「安全性」に帰せられるほかない。
  だが、そうやって「安全性を確認」した主体を曖昧にしただけでは不安だったのか、ご丁寧に、そ
 のあとには「結果であります」ともう一重予防線を張って、さらに文意を曖昧にしている。
  もう一度この文を読んで欲しい。
  「これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上
 にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果
 であります」。
  「安全性を確認した結果」とは何を指すのか。
  「安全性を確認した結果」は実はこの文の前にも後にも言及されていない。
  それが出てくるのは、はるか後、演説の終わる直前である。
  「大飯発電所3,4号機を再起動すべきだというのが私の判断であります」。
  これが「結果」である。
  たぶんそうだと思う。
  「安全性を確認した結果」として意味的につながる言葉は声明の中に、これしかないからである。
  だが、この書き方はいくらなんでも、声明の宛て先である国民に対して不誠実ではないだろうか。
  「これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以
 上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した
 結果、大飯発電所3,4号機を再起動すべきだというのが私の判断であります」と堂々と書けばよ
 ろしいではないか。
  なぜ、そう書かないのか。
  推察するに、そう書いてしまうと、IAEAや原子力安全委員会を含めるすべての専門家が全員
 「安全だ」と言ったので、それを根拠に首相は再起動の政治決断をした、というふうに読めてしまう
 からである。
  実際には、専門家からは大飯原発の安全性についてはさまざまな疑念と否定的見解が提出されてい
 た。IAEAも特定の原発について、「絶対安全です」という技術的な保証を与えることを任とする
 機関ではない。
  だから、そうは書けない。
  やむなく、「専門家の議論」と「私の判断」の間に数十行の「ラグ」を挿入して、この二つの間に
 関連性が「あるような、ないような」不思議な文を作ったのである。
  議論には参加したが、安全性を確認していない専門家に対してはみなさんがなさった議論と私の政
 治判断の間に「関連がある」とはひとことも書いていないという言い訳ができる。
  でも、素人が読めば、議論の「結果」、あたかも科学的推論に従って、首相は粛々とこの判断に至
 ったかのように読める。
  よくこんな手の込んだ作文をするものである。

  だが、詭弁が冴えるのはむしろこの後である。
  「国民生活の第二の意味」についての部分である。
  さきほど見たように、「国民生活の第一の意味」は原発事故という「非日常的なリスク」から守ら
 れるべき生活のことである。
  このリスクは「安全性が確認された」のでクリアーされた、というのが首相の言い分である。
  第二の意味は平たく言えば、「日々の生活」のことである。
  「計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が
 成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます」。
  だから、原発再稼働というロジックはみなさんご案内の通りである。
  原発事故や天変地異は「いつ、どこを、どのような規模の災禍が襲うか予測できないリスク」であ
 る。
  電力高騰と停電は「いつ、どこで、どのような規模の災禍が襲うか予測可能なリスク」である。
  盛夏期の午後(高い確率で甲子園の決勝の日)に、関電が送電している地域で、計画的な(場合に
 よっては、突発的な)停電があるかも知れない。
  たしかにそうだろう。
  だが、そのような事態や電力料金の値上げは、原発事故とは「リスク」として比較を絶している。
  原発事故は「長期的な、被害規模が予測できないリスク」である。
  原発停止がもたらす電力不足や電気料金の高騰は「短期的な、被害規模が予測可能なリスク」であ
 る。
  再稼働反対の人たちは「長期的なリスク」を重く見る。
  賛成派は「短期的なリスク」を重く見る。
  その射程の違いが賛否をわけているということは、これまでに何度も書いてきた。
  野田首相は「長期的なリスク」を低く見積もり、「短期的なリスク」を高く見積もった。
  それは彼の個人的判断であり、一般性は要求できないが、ひとつの見識である。
  だが、それなら「原発事故が起きる蓋然性は低い。だから、それよりは確実に被害をもたらす短期
 的なリスクを優先的に手当てすべきだ」と率直に言えばよかったのである。
  「原発事故が起きた場合に損なわれる(かもしれない)国民生活より、電力高騰と電力不足によっ
 て(確実に)損なわれる国民生活の方を私は優先的に配慮したい」とはっきり言えばよかったのであ
 る。
  首相が不実なのは、そのことを言わなかった点にある。
  彼は「原発事故が起きた場合に損なわれる蓋然性のある国民生活」については、これを今は配慮し
 ないという政治決断を下した。(「安全性が確認された」のである。どうして事故を気づかう必要が
 あろう)。
  繰り返し言うように、そのような判断は「あり」である。
  「朝三暮四」と侮られようと、この夏が乗り切れなければ、「日本は終わりだ」と彼がほんとうに
 信じているなら、そう考える自由は彼のものである。
  だが、「原発事故から国民生活を守る」という仕事を「原発の安全性について(誰ひとりその責任
 をとる気のない)『確認』を行ったこと」に矮小化して、あたかも「原発事故から国民を守っている」
 かのように偽装することは一国の統治者には倫理的に許されない。
  「原発事故から国民を守る」というのは、原理的には稼働停止・段階的廃炉以外の選択肢はない。
  仮に暫定的な再稼働が経済的理由で不可避であるというのなら、「原発事故から国民生活を守る」
 ためにまずなすべきは、原発隣接地域における汚染被害を最小限に食い止めるための「最悪の事態に
 備えた避難計画」の立案と周知であろう。
  それを再稼働よりも「後回し」にできる理由として、私には「原発事故から国民生活を守る仕事に
 は緊急性がない」と彼が思っているという以外のものを思いつかないのである。

  長くなるのでもう止めるけれど、昨日と同じことを今日も書く。
  困っているなら、「困っています」と素直に言えばいい。
  二つの選択肢の間で、決断しかねている。
  こちらを立てればあちらが立たずという苦境にいるのだが、とにかく目先のリスクを回避するのが
 優先すると、私は腹をくくった。
 原発事故がもう一度起きたら、そのとき日本は終わりだが、それは起きないと「祈りたい」。
 「原発事故から国民生活を守る」という「国として果たさなければならない最大の責務」については、
 これを暫時放棄させて頂く、と。
  そう正直に言ってくれたらよかったのである。
  そう言ってくれたら、私は彼の「祈り」にともに加わったかも知れない。
  だが、彼は正直に苦境を語るという方法をとらずに、詭弁を弄して、国民を欺こうとした。
  政治家が不実な人間であることを悲しむほど私はもうナイーブではない。
  だが、総理大臣が自国民を「詭弁を以て欺く」べき相手、つまり潜在的な「敵」とみなしたことに
 は心が痛むのである。


 小生は、政治家の詭弁や不誠実には慣れっこになっているのでさほど驚きはしませんが、今回ばかりは質
が違うと思います。原発問題は、ロッキード事件のような汚職問題とはまったく異なる次元の話だからです。
もし、もう一回深刻な原発事故を起こせば、日本の壊滅どころか、世界全体をさらに放射能の汚染に晒すこ
とになります。これは、明らかに一国の問題ではなく、全地球的な問題です。しかも、回復可能な話ではな
く、未来のない結果を生じさせます。「国破れて、山河あり」ではなく、「国破れて、山河なし」なのです。
「安全性を確認した」とありますが、それではなぜ、他ならぬ福島でスリーマイル島やチェルノブイリの二
の舞を演じたのでしょうか。まったく信用できません。スマトラ沖地震の津波の凄まじさを経験しているの
に、ほとんど何の対策も採ってこなかったのは、なぜでしょうか。貞観の大津波の例を挙げて、多くの専門
家が不安視していたのに、それを無視しつづけたのは誰だったのでしょうか。ただでさえ老朽化した原発を、
なぜこれ以上稼働させる必要があるのでしょうか。福島の原発も危険が去ったわけではありません。核廃棄
物の問題も解決したわけではありません。「はじめに再稼働ありき」で、後付けの論理を展開しているにす
ぎません。小生は、「金儲け」を悪いことだはと思っていませんが、いかにも手段が悪い。ニヒリストの選
択としか思えません。冷静に考えさえすれば、多くの国民は「経済」よりも「安全」を採ると思います。ほ
んとうに国民生活を守る気があるのならば、原発再稼働など論外の選択だと思います。野田首相の真意がど
こにあるのかは分かりませんが、少なくとも野田首相よりも、内田氏の論理の方が数倍優れていると思いま
す。

                                                 
 2012年6月19日(火)

 本日は、内田樹氏のブログを転載しましょう。ほぼ原文通りです。


  「大飯原発再稼働について」 内田樹       2012年06月11日

  野田首相が大飯原発の再稼働に向かう決意表明を行った。
  首相は記者会見で「原発を止めたままでは、日本の社会は立ちゆかない。原発は重要な電源だ」と
 し、「国民の生活を守るため再稼働すべきだというのが私の判断だ」と断言した。その根拠として、
 首相は政府が一年以上かけて安全対策を講じたことを挙げて、「原発の安全性は実質的に確保された」
 とした。首相が「国民の生活」と言うのは、長期的には電力料金の値上がりによるコストの上昇、そ
 れによる製造業の国際競争力の劣化、それによる生産拠点の海外移転、それによる産業の空洞化、そ
 れによる雇用の喪失というスパイラルのことであり、短期的には「突発的な停電が起これば、命の危
 険にさらされる人もいる」という生命リスクのことである。
  橋下徹大阪市長も、再稼働反対を撤回した根拠として、「病院はどうなるのか、高齢者の熱中症対
 策はできるのか。そう考えると、原発事故の危険性より、目の前のリスクに腰が引けた」と語ってい
 る。(いずれも6月9日讀賣新聞)

  3/11原発事故以来の日本であらわになったある種の思考傾向が首相にも市長にもあらわになっ
 ている。それは「目の前のリスク」は長期的なリスクよりも優先されるべきだということである。た
 だし、この「リスク」はそのコンテンツによって考量されているのではない。「原発事故のリスク」
 と「病院が停電したり、エアコンが止まって高齢者が熱中症になるかもしれないリスク」ではリスク
 のスケールが違う。盛夏の電力消費が最大になる時期については、専門家が繰り返し言っているよう
 に、個別的な節電努力で十分に対応できるはずである。家庭での電力消費は電力全体の25%である。
 消費電力が大きいのはエアコン、冷蔵庫、照明、テレビ。この4品だけで1世帯の消費電力量の70
 %を占める。つまり、エアコンと冷蔵庫と照明とテレビで、国内の総発電量の17.5%を使ってい
 る計算になる。
  一方、国内54基の原発が発電しているのは、年間総発電量の30%である。節電は「焼け石に水」
 ではなく、工夫次第で十分に電力消費を抑制できることはこの数字を見れば誰でもわかることである。
 現に一月ほど前のアンケートでは、回答者の75%が今夏の電力不足については「受忍する」と回答
 している。今の電力消費レベルを維持したいから、原発を再稼働してほしいと回答した国民はきわめ
 て少数であった。国民的規模での節電努力があってもなお、人命にかかわるような「突発的な停電」
 が起きるというのは、どういう場合を想定してそういうことを言っているのであろう。病院はもちろ
 ん「突発的な停電」に備えて自家発電装置を備えている。ICUや重篤な患者がいる病室のエアコン
 ももちろん自家発電でカバーされている。「突発的」というからには、まさか停電が何日も続くとい
 う事態を指しているわけではないだろう。エアコンが突発的に止まったために、高齢者がただちに熱
 中症で死に至るというケースも想像しにくい。
  フランスでは2003年の異常高温で、全土で15,000人の熱中症による死者が出たことがある。夜間が
 高温で、そのために何日も寝不足が続き、心身がはげしく消耗した高齢者の死者が多かった。いくつ
 か原因があるが、医療体制の不備、政府の対応の遅さの他に、フランスでは一般家庭にエアコンとい
 うものが装備されていないことが挙げられる(パリで暑いのは盛夏の3週間だけで8月下旬には秋風が
 立つ。エアコンを買うなら、その予算で盛夏期に都会を離れて、田舎にバカンスに出かけた方がずっ
 と快適である)。
  だから、「突発的な停電」で2003年のフランスのような事態が大阪で起きるということは考えにく
 い。市長がいったいどの国のどの事例に基づいて「目の前のリスク」をイメージしているのか。私に
 はよくわからない。とにかくそれは「目の前にある」というだけで、「長期的なリスク」よりも優先
 的に配慮されるべきものとされている。
  繰り返し書いているように、これはビジネスマンに特有の「業界的奇習」である。会社経営をして
 いる場合、今期赤字を出したら株価が下がる。資金調達が難しくなり、資金繰りがつかなければ不渡
 りが出て、倒産する。そういう「目の前のリスク」のことを脇に置いて、「長期的なリスク」につい
 て語る経営者はいない。目の前のリスクを逃れ損ねたら、長期的リスクについて考える主体そのもの
 が消滅するからである。何があっても今期の利益を確保して、今期だけは生き延びる。それがビジネ
 スマンにとっては最優先事項である。だから、人件費が安く、環境保護法制のゆるい国に工場を移転
 し、法人税の安い国に本社を移すことをためらわない。生産拠点の移転や産業の空洞化によって、長
 期的に祖国の国民経済がどうなろうと、同胞の雇用環境がどう劣化しようと、日本の国庫の税収がど
 れほど減ろうと、そんなことはグローバリスト・ビジネスマンの関知することではない。だから、グ
 ローバリストが「目の前のリスク」は「原発事故の危険性」よりも重いと判断するのは当然のことで
 ある。
  その判断は、彼らがビジネスというゲームをしている限りは合理的である。だが、私たちは今ビジ
 ネスの話をしているのではない。国の統治の話をしているのである。国というのは「金儲け」をする
 ためにあるのではない。とにかく石にかじりついても、国土を保全し、ひとりでも多くの国民を「食
 わせる」ために存在する。グローバル企業がより多くの収益を求めて日本を捨てて逃げ出すのは、彼
 らが「国より金が大事」だと思っているからである。そういう考え方をする人たちは、そういう考え
 で生きられればいいと思う。シンガポールでも上海でもドバイでもムンバイでも、投機的なマネーが
 渦巻いているところでひりひりするようなゲームを続けられればよろしいかと思う。
  でも、そういうマナーで国を統治することはできない。国がなすべきことは、逃げ出したくても逃
 げ出すことのできない一億あまりの列島住民たちの国土を保全し、健康を配慮し、「三度の飯」を食
 わせることである。それが最優先である。金儲けのために、国土をばら売りするとか、国民の健康を
 危険にさらすとか、食えない国民を切り捨てるというような選択肢は統治者には許されていない。野
 田首相が企業経営者であるなら、彼の言うことは筋が通っている。彼がいう「国民の生活」というの
 は端的に「ビジネス」のことだからだ。「目先の金」、「明日の米びつ」のことだからだ。でも、彼
 は会社の経営者ではない。一国の統治者である。
  彼は「原発の危険性」がどれほどのものか、骨身にしみているはずである。それが目先の不便や、
 税収の減少や、グローバリストの「エクソダス」とトレードオフできるようなレベルの災禍ではない
 ことを知っているはずである。それを恐怖している国民の実感を(少なくとも知識としては)知って
 いるはずである。かりにその国民たちの恐怖が「確率論的には無視できるほどのリスク」についての
 「杞憂」であったとしても、現に福島原発が「確率論的には無視できるほどのリスク」が現に起こり
 うるということを示してしまった以上、国民が「天文学的確率でしか起きないはずの事故」を恐れる
 感情を軽視することはできないはずである。
  「杞憂」というのは、杞の国の人が「いつ天地が崩れるか」を恐れて、取り越し苦労をした故事に
 基づく。杞人の上についに天地は崩れなかったが、福島の原発は一年前にメルトダウンを起こした。
 だから、原発の危険性を「杞憂」と同列に扱うことはもうできない。政府はその恐怖を鎮静させるた
 めに、いったいこれまでにどれだけのことをしたのか。事故についての政府や東電の証言は食い違い、
 事故がなぜ起きて、なぜこれほどの規模の災禍にまで拡がったのか、システムにどのような瑕疵があ
 り、どのような人為的ミスがあったのかについて、価値中立的な調査結果はいまだに明らかにされて
 いない。
  これは原発にとっても決してよいことではない。というのは、官邸と東電が、「想定外の事態」に
 よって「起こるはずのなかったことが起きた」ので、誰も責任でもないというロジックで話を打ち切
 るつもりであるなら、これから先も同種の事故が起こる確率はあきらかに高まるからである。人間と
 いうのは、「手抜き」をして失敗をしたときに、それは「想定外の事態のためで、いかなる人為的ミ
 スもかかわっていない」という弁明を採用すると、その後も引き続き同じ「手抜き」を続けることを
 宿命づけられる。
  「手抜きのせいで起きた事故ではなかった」と言い張っている以上、もし「手抜き」を反省し、改
 善してしまえば、事故と「手抜き」の因果関係を認めることになるからである。私たちに罪はないと
 言い続けるためには、意地でも「手抜き」を続けるしかない。日本の原発は今そのような呪縛のうち
 にある。福島原発事故について「あれでよかったのだ。われわれは安全操業のためにベストを尽くし
 たのだ」という電力会社や経産省の言い分を認めて、これを免責することはできる。たぶん、政府は
 そうするつもりであろう。
  だが、それは代償として、これから先、「われわれは安全操業のためにベストを尽くした」という
 言明が無意味になるということを意味している。「安全操業のためにベストを尽くした」が「事故は
 起きた」。そして、ベストを尽くしたものには非がないというのなら、この二つの出来事の間にはい
 かなる相関関係もないということになる。だとすれば、安全性が担保されようがされまいが、原発事
 故が起こる蓋然性には変化がないことになる。原子力行政の当事者がそうアナウンスしている以上、
 「原発の安全性は実質的に担保された」という言明は単なる空語である。多くの国民はそう思って、
 首相の宣言を理解していると思う。「安全性が担保されたので、原発事故は未来永劫起こらない」と
 信じているのは今の日本で讀賣新聞の論説委員くらいであろう。
  何度も書くが、原発再稼働の判断は「会社経営者」というスタンスで考える人にとっては合理的で
 ある。けれども、国家の統治というスタンスから考えた場合には熟慮を要する問題である。少なくと
 も、今の段階でゴーサインが出せるようなことではないと私は思う。

  決断のためには、
  (1)福島原発事故の事故原因の調査委員会の報告書が、遺漏なくすべての人為的ミスを列挙する
     こと。
  (2)家庭での節電努力を最大化しても「突発的な停電」が不可避であることが技術的に証明され
     ること。

  この二点がクリアーされることが必要だろうと私は思う。それを先送りにしたまま、原発再稼働を
 強行すれば、私たちは「ここから出ることができない」人たちを置き去りにして、「こんな国、用が
 なくなったら、いつでも捨てて出て行く」と公言する人たちに国の舵取りを委ねるという背理的な選
 択をしたことになる。


 内田氏は、小生の考えていることを小生以上に言語化してくれる人なので、ほんとうに頭が下がります。
原発事故の深刻さは、想像を絶するものです。この事実は、これからますます明らかにされることでしょう。
それを、経済的観点だけから無視したとすれば、国民に綱渡りを要求するようなものです。かつて(アジア・
太平洋戦争の末期)、大西瀧治郎中将は「特攻」を考案し、それしか日本が劣勢を挽回する道はないと考え
ました(もちろん、そんな単純な図式ではないと思われますが……)。彼は、1945年8月16日、特攻で散った
英霊(あまり遣いたくない言葉ですが、あえて遣います)とその遺族に謝すために自刃しています。しかし、
万が一再び原発事故が起これば、大西中将のように自刃すれば済む問題でしょうか。小生は、軍人の赤心を
揶揄するつもりは毛頭ありません。もちろん、野田首相や橋下大阪市長に大西中将の例に倣え、と言ってい
るのでもありません。おそらく、野田首相らも苦悶しているのだと思います。しかし、ほんとうに苦悶する
のであれば、「特攻」のような未来のない選択をしないでほしいと思います。たとえば、小生のようなロー
トルは、寿命を縮められたとしても甘受する用意がありますが、若者やまだ生まれてさえいない国民は、先
ず生きることが最優先事項でしょう。原発がなくても、生きていけます。否、原発がない方が、生きてゆく
上で安心です。ほんの50年前には、原発は日本に存在しなかったのです。これが「道理」でないとすれば、
小生は若者に対して何を教えればよいのでしょう。「(今の生活を維持するためには、)原発はやはり必要
だから、多少の不安は押し殺せ」という言説を撒き散らせばよいのでしょうか。

                                                  
 2012年6月14日(木)

 今日も、『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新書、20  
12年)に言及しましょう。例によって、ほぼ原文通りです。


  三章 廃炉と放射性廃棄物処理(つづき)

 p.89 日本ほど地震活動が活発な地域での長期的な地下貯蔵施設などナンセンスです。地震の心配がない
   場所など日本にあるのでしょうか。日本政府は保管場所がないと気づいているため、廃棄物について
   正面から議論することを避けてきたのでしょう。他国への協力要請も一筋縄ではいきません。

 p.89-90 アメリカではネバダ州に計画されていた処分場が実現できそうにありません。一見すると砂漠で
     すが、わずかな降水による湿気でも、長年にわたれば金属と反応したり、放射能を運んだりするこ
     とが懸念されます。一〇〇年なら深刻な問題を引き起こさないと思われる水も、数千、数万年とな
     れば話は別なのです。温められた地下水が容器に影響を及ぼすかもしれませんし、ガラス固化技術
     も確実だと証明されていません。アメリカでこれまで稼働したことのある商業用原子炉は一二五基
     ですが、使用済み核燃料プールでの三年間の冷却期間と三〇年の中間貯蔵を経た最終処分場は決ま
     っていないのです。

 p.90 人間に長寿命核種の問題を解決できる力が備わっていると考える傲慢な態度は、恐ろしいとしか言
   いようがありません。人類の時間スケールを超えた話なのです。コストの問題もあります。

    ウランは途上国や先住民の保護区で採掘し、環境を破壊して立ち去っているのが現実です。イエロ
   ーケーキ(ウラン鉱石を粗精錬したもの)を作るには酸性の水が大量に必要です。カナダのファース
   トネーション(先住民族)の地域社会では、一〇もの湖が台無しにされており、酸性度が強すぎて魚
   や鳥が生息できなくなっています。採掘の次はウラン抽出や濃縮のプラント、そして発電へ……最悪
   の事態が起きるリスクを常にはらんでいます。

 p.91 私の住むバーモントからコネチカット川を下ったところにコネチカット・ヤンキー原発がありまし
   た。予定より一〇年早く閉鎖しています。地下水が汚染され、小さな発電所から漏れたストロンチウ
   ムを処理するのに多額の費用がかかりました。こうしたコストは考慮されません。最後には使用済み
   核燃料や放射性廃棄物の問題が残ります。まるで一〇〇年後、気が済んだら手を引いて忘却できると
   思っているかのようです。

    地球にとりかえしのつかない変化をもたらしていて、それには値段などつけられません。想像を絶
   するような負の遺産を子孫に先送りしています。経済用語でいう“外部性”を計算に入れていないの
   です。潜在的なリスクの次元は異なりますが、石炭についてもいえることです。正しく算出したなら
   ば、この二つの発電方法は決して経済的ではないのです。

    あるとき私は確信しました。原子力の安全性を高めるための費用で、代替エネルギー源を研究開発
   した方がよほど安価だと。しかし、原発を安全にするための本当のコストが無視されたまま、代替エ
   ネルギーと比較がなされ、安価に見せかけられているのが現実なのです。


 今日はここまでにしておきましょう。原発は、事故だけを心配していれば済むわけではないことは、上の
文章を見ればよく分かると思います。最も懸念されるのは核廃棄物の処理問題です。「人間に長寿命核種の
問題を解決できる力が備わっていると考える傲慢な態度は、恐ろしいとしか言いようがありません」という
一文をもって、全科学者の、否、全人類の共通認識にしないかぎり、これからも災厄はつづくでしょう。わ
たしたち人類は、つい最近まで核分裂の力を借りなくても十分幸せに暮らしてきたはずです。わざわざ不幸
の種を蒔くことの愚に、いい加減気付くべき時でしょう。また、コストに関しても詐術が横行しているとし
か考えられないし、その他の環境破壊も無視できないと思います。要するに、原子力は、今のところ〈厄介
者〉以外の何ものでもないのです!
 さて、次回は、「四章 深刻な健康被害」に言及する予定です。

                                                 
 2012年6月13日(水)

 本日は、再び、『福島第一原発 ──真相と展望』(アーニー・ガンダーセン 著、岡崎玲子 訳、集英社新
書、2012年)に言及しましょう。例によって、ほぼ原文通りです。


  三章 廃炉と放射性廃棄物処理(つづき)

 p.86 核燃料を積み込んだばかりの原子炉には、ウラン235が四パーセント、ウラン238が九六パー
   セント入っています。天然の状態では九九パーセントがウラン238ですが、濃縮で配合を変えてい
   るのです。稼働させると、ウラン235は分裂して減ります。ウラン238は中性子を吸収してプル
   トニウム239になります。
 
 p.86-87 プルトニウム239だけではないのが問題です。発生するプルトニウム240、241、242
     は猛毒ですし、核分裂反応を阻害します。そこでシベリアの特別な濃縮プラントでプルトニウム2
     39を他のプルトニウム同位体から分けるのです。いずれにせよ半減期の長いプルトニウムの同位
     体を廃棄物として長期にわたって管理する必要がでてきます。フランスは「使用済み燃料をリサイ
     クルしている」と言っています。たしかにシベリアからプルトニウム239が戻ってきますが、他
     の同位体も戻ってくるのです。

 p.88 アメリカが再利用を何十年も前に諦めたのは、この分野における最良の判断でした。日本の高速増
   殖炉は閉鎖の瀬戸際でしょう。冷却材として液体ナトリウムを使っています。水を使えない理由は、
   軽水炉では必要な性質ですが、移動する中性子を減速させるからです。この高速増殖炉で使用される
   液体ナトリウムは、空気中で燃える性質があります。水に触れれば爆発します。アメリカは液体ナト
   リウムの危険性から高速増殖炉を諦めたわけです。オークリッジ国立研究所で液体ナトリウムを使っ
   た高速増殖炉を試していましたが、コストと危険性が高すぎると判断されています。一九六六年、ア
   メリカでは高速増殖炉フェルミ一号炉の実験でデトロイトを失いかけました。本の題名にもなってい
   ます(注:We Almost Lost Detroit, John G. Fuller, 1975. 邦訳『ドキュメント原子炉災害』田窪
   雅文訳、時事通信社、一九七八年)。日本はまだ追求していますが、非現実かつ高額であるばかりか、
   解決する分より多くの汚染を残す計画なのです。

 p.89 今回、三号機のMOX燃料(ウランとプルトニウムの混合酸化物)を問題視する人が多いようです。
   たしかに燃料集合体三〇個分が入っていたわけですが、プルトニウムの心配は何も三号機に限ったこ
   とではありません。先述のようにウラン238はプルトニウム239になりますから、ウラン燃料の
   原子炉では必ず生じるのです。一八ヵ月ごとの点検のために停止したばかりのバーモント・ヤンキー
   原発では、最後には電気の一〇パーセントがプルトニウムから生じていました。三号機を恐れる理由
   はもちろん充分にありますが、MOX燃料が入っていたことを特別視する意味はありません。


 今日はここまでにしましょう。写していてとても辛いです。一部の人たちは、どうしてこんな危険なこと
を試みるばかりか、事故後も懲りずに繰り返すのでしょう。設計図のことしか頭に入っておらず、現実を無
視している人の曇った目のために、どうして原発など要らないと考えている人が苦しまなければならないの
でしょうか。精神的ストレスたるや、相当なものです。福島の原発の教訓を国民共有のものにしないかぎり、
深刻な事故が再び起こるかもしれません。そうなったら、もう日本は住めない島になってしまうでしょう。
本気で原発を推進している人は、日本列島を住めない島にしたいのでしょうか。まったく理解できません。
 次回は、このつづきに言及する予定です。

                                                  
 2012年6月12日(火)

 本日は、〈Actio March 2012〉の記事を転載させていただきます。話者は高知大学の岡村眞教授(本日現
在、特任教授)です。転載許可はいただいておりませんので、もし不都合な場合には、ただちに削除します。
なお、ほぼ原文通りです。


  「南海地震の想定震源域は従来の2倍に 伊方原発はM9クラスの地震と津波に耐えられるのか?」

                              高知大学・岡村眞教授インタビュー


  昨年3月11日に起きた東日本太平洋沖地震は、マグニチュード9・0。4つの震源域が連動し、従
 来の予測を超えた規模となった。これを踏まえ内閣府有識者会議では、東海・東南海・南海地震の規
 模などの見直しに着手。その委員を務める高知大学・岡村眞教授に南海地震について話を聞いた。
                                                  
                                    (聞き手=温井立央)

  プロフィール:おかむら・まこと

  高知大学理学部応用理学科災害科学分野・教授。高知大学南海地震防災支援センター長。海底活断
 層と津波堆積物のコア試料の採取・分析を通して規則性を明らかにし、地震の長期予測を行う研究を
 続けている。1996年、伊予灘の海底活断層がほぼ2000年周期で地震を起こしていることを音
 波探査で突き止めた。     


  <プレート型地震は周期的に必ず起きる>

  ◆東海・東南海・南海の連動地震が心配です

  南海地震は、日本列島の南西・海側の「フィリピン海プレート」が、陸側の「ユーラシアプレート」
 の下に沈み込んで起きるプレート型地震です。沈み込む場所は水深の深い「南海トラフ」で、駿河湾
 から九州沖にかけて延びています。

  場所によって違いますが、フィリピン海プレートの沈み込みは平均年間5-6センチメートルで、断
 層面が固着していれば付近の陸側のプレートがたわみ、100年で6mぐらい押し込まれます。それ
 がある断層面で外れ、陸側が跳ね返って元に戻る時に大きな地振動を生じさせる。

  ちなみに紀伊半島の南東沖の南海トラフ沿いで起こる地震は「東南海地震」、それよりも東の駿河
 湾から遠州灘の駿河トラフ沿いで起こる地震は「東海地震」と呼ばれます。

  過去1300年間で9回の南海地震が起きたことが分かっています。最近では1498年の明応地
 震、1605年の慶長地震、1707年の宝永地震、1854年の安政地震、そして昭和の南海地震
 は1946年に起きました。つまり約100年ごとに起きていますので、今世紀前半には必ず起こる
 宿命的な地震です。

  南海地震は世界で一番長い1300年間に渡る歴史記録があり、特に最近の3回は詳細な被害の記
 録もあります。これを教訓にして次の地震が迫っていることを認識し、備えをすべきです。

  ただ同じ南海地震でも規模や発生の仕方は異なります。約300年前の宝永地震はマグニチュード
 8・6で、東海・東南海・南海という3つの地震領域がほぼ同時に動いたことが分かっています。安
 政地震は、東南海地震が起きて32時間後に南海地震が起きました。昭和の南海地震は、東南海地震が
 起きて2年後に起きました。

  このように地震領域が連動したり時間差で起きるなど、色々な起き方をする。最も注意しなければ
 いけないのは連動型です。同時にいくつもの地震領域が一斉に動くと、巨大な津波が発生します。3
 00年前の宝永地震では、西南日本の沿岸に最大15メートルの津波をもたらしました。ですから次の
 南海地震が連動型になるかどうかは極めて重要な問題です。

  <「想定外」は二度と許されない>

  ◆南海地震の想定震源域が拡大されました

  南海トラフの検討委員会では、東海・東南海・南海の三つの連動地震の震源域を従来の2倍にし、
 マグニチュード9・0を想定しました。

  最初に踏まえるべきことは、昨年の東北日本太平洋沖地震の反省の上に立って「想定外」をなくす
 ことです。これが全ての議論のスタートですから、現在分かっている最悪のケースを全部つなぎあわ
 せる必要がありました。

  その上で注目したのは、東日本太平洋沖地震では従来考えられていた震源域以外の海溝の深い部分
 でも、東南東に50メートルも動いたことです。しかも非常に急激に上に跳ね返るように動いたことで
 大津波を発生させた。

  そこで次に起きる南海地震でも、従来震源域にしていなかったプレートの沈み込み部分から幅30キ
 ロメートルぐらいの非常に柔らかい海底部分も動くと想定し、そこを津波が発生する波源域として追
 加しました。

  実際にボーリング探査船「ちきゅう」が南海トラフを掘削した結果、地震が起こらないと思われて
 いた柔らかい堆積物のなかで断層が高速で動き、摩擦熱で高温になった痕跡が見つかっています。そ
 こを波源域として認定したわけです。

  さらに津波堆積物の分析によって、過去に九州側でも10mを超える津波があったことが分かり、従
 来の地震想定域を西側、宮崎沖の日向灘まで拡大しました。

  そして北側については、瀬戸内の真下まで想定震源域が大きく伸びました。これまで震源域は、プ
 レートの沈み込み領域から深さ20-25キロメートルぐらいだと思われていました。しかし最近の地震計
 の発達によって、非常に小さな地震までとらえられるようになり、ここ10年の研究で深さ40キロメー
 トル地点でも深部微動と呼ばれる小さな地震が多発していることが分かってきた。それは瀬戸内海の
 真下ぐらいにあたります。

  こうして波源域は南へ拡大し、震源域が西側は日向灘まで、北側も四国をほとんどカバーするにま
 で拡大したのです。この結果、想定震源域は従来の約2倍の広さになりました。マグニチュードは9・
 0でエネルギーは従来の3倍、それが最悪のケースとして浮かび上がった。

  今後さらに様々なデータを整理しなおせば想定が変わることがありますので、昨年12月27日の発表
 はあくまで暫定値です。

  (続きは弊誌1323号でお読みください)→ 続きを転載しましょう。


  <2000年前に起きた巨大津波>

  ◆津波の痕跡調査は有力な根拠ですね

  巨大地震サイクルを検証するには過去数千年のデータが必要ですが、南海地震を記した歴史文献は
 最も古いものでも1300年前、詳細なデータは過去300年間3回ぐらいしか残っていません。

  そこで南海トラフ沿岸の湖沼に残された津波堆積物を調べ、過去の南海地震の履歴を調査しました。
 湖底に溜まっている堆積物にパイプを突きさし試料を抜き取ります。湖は陸に比べて比較的堆積物を
 観測できます。つまり湖のある地点での定点観測に相当するわけです。

  大きな津波なら大量の海の堆積物を運びこんでくるので、厚い堆積物が形成されます。小さな津波
 なら土砂の運ばれる量が少ないので、相対的に薄い堆積物になります。約30カ所を調査した結果、
 過去5000年くらいのデータを収集できました。

  土佐湾の蟹ヶ池で採取したコア試料には、2000年前の層に50-60センチメートルぐらいの砂が溜
 まっていました。同じ試料の宝永津波の堆積物は15センチメートルくらい。宝永の時は約15mの津波
 だったと記録されていますので、それをはるかに超える津波が2000年前に起きたと考えられます。

  この巨大津波の間隔は1万年に1回なのか、2000年に1回なのかよく分かっていません。ただ
 宝永よりも大きな津波が過去にあったのですから、いずれ必ず起こります。

  東日本太平洋沖地震でも巨大な津波が沿岸を襲いましたが、こうした津波は想定外ではありません
 でした。869年に貞観津波が仙台平野を襲った記録があり、その津波堆積物に関する論文もすでに
 数多く書かれていました。それを無視してきたことが今回の災害につながってしまった。大変残念で
 す。

  <大きな揺れに襲われる伊方原発>

  ◆原発の安全性評価も見直しが必要です

  想定震源域が瀬戸内海にまで拡大しましたので、その中に建っている伊方原発の岩盤がどれくらい
 の揺れになるか再検証が必要です。

  東北日本太平洋沖地震では、女川原発、福島第一・第二原発で約600ガルを超える揺れを記録し
 ています。ただ地震の規模に比して揺れは非常に小さかった。これに対し地震の発生領域が広がった
 次の南海地震では、揺れは相当大きくなると考えざるを得ません。

  これまでの想定では、伊方原発は南海地震の震源域ではなかったので、震源域から離れるに従い地
 震の揺れが小さくなる距離減衰の原理が働くと考えられていました。しかし瀬戸内側まで震源域に入
 る以上、地震が原発の直下で起こる可能性が高く、より強い揺れが襲ってきます。

  またマグニチュード9・0サイズの地震が起こり海底が動くとなると、津波の高さも今までの想定
 3メートルをはるかに超える相当大きなものになるでしょう。

  さらに伊方原発の沖合6キロから8キロには、西日本最大の活断層である中央構造線が存在してい
 ますが、そんな危険な場所に原発を作ってしまったわけです。今から400年前、室町から江戸に移
 り変わる頃に、中央構造線が原因と考えられる慶長の地震群が発生しました。関西、徳島、別府で同
 時に、しかも慶長の東海・東南海・南海の連動型地震とほぼ同時期に起こっています。大きな地震が
 起こると中央構造線も活動する可能性があることを示しています。

  ただ今のところ、中央構造線活断層系は2000年に1回くらいの割合で動いています。400年
 前に動いていれば、近々に動く可能性はそれほど高くないといえます。宝永地震でも、1854年、
 1946年の地震でも中央構造線は動かず黙っていた。今後地震が起こる可能性はありますが、それ
 ほど確率は高くない。切迫はしていない。ただ非常に粗っぽい議論なので安心してはいけません。

  <墓石が飛ぶ加速度に耐えられない>

  ◆新しい活断層も次々と見つかっています

  伊方原発1、2号機の建設時は、活断層を探す技術が未熟でした。漁師さんは沖合の海底に溝があ
 ると指摘していましたが、それが活断層だと証明する手段がなかったのです。

  その後3号機を作った時の調査では、四国電力もとりあえず活断層の存在を認めました。しかしそ
 の断層の長さを7-8キロにブツ切りにして、「マグニチュード6クラスの地震しか起こさない」と
 とんでもない査定をした専門家がいた。

  地表活断層の長さから起こりうる地震の規模を推定する「松田式」という計算式があります。この
 計算式はマグニチュード7クラス以上の地震には使えないのですが、その意向を無視して地震の規模
 を過小評価した。その結果3号機が作られたのです。

  その後、ブツ切りに評価された断層は一連の断層だと分かり、四国電力も巨大地震が起こることを
 認めざるをえなくなった。それでも想定している3倍くらいの揺れまでは大丈夫、耐震裕度があると
 強弁してきました。

  この伊方原発の基準地震動は570ガルです。建設当時日本には、地震の大きな揺れを記録できる
 地震計がほとんどなかったので、こんな低いレベルでも「安全」だと言えたのです。

  しかし阪神淡路大震災以降、防災科学研究所は強震計システムKネットを作りました。全国130
 0カ所ぐらいから始まり、機械計測信号で震度予想を出すようになった。今では市町村に1個ずつ強
 震計を設置しているので、地震発生から3分くらいで震度が表示されるようになりました。

  こうして世界に冠たる強震計の記録が整ってからわずか10年程度で、2000ガル、4000ガ
 ルの揺れが観測されるようになった。もっとも大きいのは、岩手宮城内陸地震で記録された4017
 ガルです。これは地震が強くなったわけではなく、観測技術が大きな地震まで記録できるようになっ
 たが故です。

  そもそも昔から大地震の揺れで墓石が空中に飛ぶのが目撃され、釧路沖地震では地中に埋めてあっ
 た石が飛び出しています。1000ガル(を)超えるような地震があることは経験的には分かってい
 たのですが、電力会社は頑として認めず、科学的データはないと突っぱねてきました。

  つまり強震動地震学の分野が未熟で、大きな揺れがどのくらいの加速度を持っているのか分からな
 かった時代に、日本の原子力発電所は建設されたのです。地震が未知の領域なら、本来原発を作って
 はいけないはずですが、逆にデータがないことを逆手にとって作った。そこがすべての不幸の始まり
 です。自然を甘くみたのです。
 
  <原発耐震設計指針の根本的見直しを>

  ◆ストレステストは有効とは思えません

  東日本太平洋地震を超えるもっと大きな地震があるかもしれないのに、国は根本的な見直しに動い
 ていない。むしろコンピューターでシミュレーションしたストレステストだけで原発を再稼働しよう
 としている。これは大問題だと思います。福島原発の調査さえ不十分な段階であるのに。

  まず根本的な耐震設計指針の見直しが必要です。そして審査は、独立した研究機関が行うべきです。
 電力会社の報告を官僚が評価しても意味がない。原子力安全・保安院は原子力“推進”保安院ですか
 ら、根底から組織を変えないとダメです。

  当然評価する人もすべて変えないといけない。なぜ原子力安全委員会にいまだに斑目さんが居座っ
 ているのか全く理解できません。その人たちの進言でストレステストを評価するなんてあり得ません。

  そもそも誰も今回の原発事故の責任をとっていない。11万人が家に帰れない状態ですよ。普通の
 民間会社の社長なら即逮捕です。なんで東京電力が許されているのか理解できません。

  そもそも電力という社会的なインフラベースを、一民間会社に任せるべきではない。地域毎の一社
 独占体制で全然競争もないからおかしくなる。国の管理で全てやるべきだとは思いませんが、やはり
 原発をめぐる全てのシステムに問題があったことが、今回の事故ではっきりしました。

  私たちはもっと厳しく、自然をきちんと理解することが必要だと思います。今回の東日本地震に対
 して、私たちも研究者も深く反省しているのですが、それだけでは専門家以外の方は非常に戸惑うと
 思います。地震の研究者が「申し訳ございません」としか言わないと困る。「じゃこれからどうする
 のか」を積極的に発言しないといけない。

  たとえば多くの専門家はこれまで、「既往最大の津波」「既往最大の洪水」という言葉を使ってき
 ました。この「既往最大」とは、今までに起こった最大のものという非常に便利な言葉です。

  しかし人によって時間スケールは全く違う。私たち地質学の専門家が既往最大と言えば、少なくと
 も1万年、数千年のスケールを考えます。ところがダムや堤防を作る人は100年、地震研究者は3
 00年を想定している。それぞれの分野では既往最大は全然違う時間スケールだったのです。

  その結果、既往最大を超えたから想定外だったと、体の良い逃げ口上に使われている。もうこんな
 都合の良い言葉は使わないほうがいいと思います。

  日本列島は地震と火山噴火で隆起した島です。それを前提にどういう技術は妥当で、どういう技術
 は妥当でないか、どのくらいまで我々はリスクを引き受けるのか、引き受けないのかを議論していく
 必要があります。そうした根本的な議論をしなければ、また都合の良い想定が出てきます。

                                          (おわり)


 福島第一原発は地震や津波に対して無力でした。事故の可能性を無視して安全管理を怠ったことはもはや
明らかだと思います。もちろん、責任の所在を究明しなければなりませんが、そんな段階で一部の原発の再
稼働はないでしょう。無謀すぎるからです。869年の貞観津波に関する論文が数多く書かれていたにも拘
らず、すべて無視されました。何のための研究なのでしょう。死蔵される論文を量産するシステムにも問題
があると思いますが、きわめて重要な懸念を国民に知らさないマスコミの在り方にも疑問の余地があります。
上に掲げた岡村さんの記事を読んで理解できない人はあまりいないでしょう。もちろん、細部にまで精通し
ている人はそう多くはいないと思いますが、素人にも十分に分かる記述だと言っても誤りにはならないでし
ょう。学界もマスコミも、そして言わずもがなの政府や企業も、秘密主義から脱却して、正確なデータを国
民に示して、国民にとってきわめて重要な事柄を国民自身が直接議論できるようにしなければなりません。
一部の人たちの恣意的な判断に振り回されることはもうたくさんです。原発は、人の「生き死に」に大きく
関わる事項です。しかも、現在生きている人だけの問題でもありません。未来を失う瀬戸際かもしれないの
です。そんなことは小学生にも分かることでしょう。また、国民も、他人事ではなく自分自身の問題である
ことを深く自覚する必要があります。わたしたちは、もはや12歳の少年(マッカーサーの表現)であっては
なりません。手を拱いていればいるほど、国際的にも日本の評価はどんどん下がっていくでしょう。岡村さ
んの言説を無駄にしてはなりません。今からでも遅くはありません。自分にできることを始めてみましょう。

                                                  
 2012年6月7日(木)

 本日は、久しぶりに内田樹氏のブログを転載してみたいと思います。ほぼ原文通りです。


   「原発ゼロ元年の年頭にあたり」  内田樹        2012.5.7

  国内のすべての原発が止まった。
  1970年から42年ぶりのことである。
  2012年という年号が「脱原発元年」としてひさしく記憶されるようになることを私は願っている。
 原発の再稼働の賛否については、文字通り「国論を二分する」ような議論がゆきかっている。再稼働
 賛成派の論拠はおもに経済的なものである。盛夏における電力の不足、電気料金の値上がり、電力コ
 ストの上昇による工業製品の国際競争力の相対的低下、より安い電力を求めての生産拠点の海外流出
 と産業の空洞化などなど。
  政治的要因としては、石油依存体制がもたらすエネルギー安保上の不安があるが、これはあまり大
 きな声で言い立てる人がいない。ご存じのとおり、石油の採掘、精製、輸送、販売は「オイルメジャ
 ー」と呼ばれる石油資本が伝統的に独占してきた。メジャーの価格統制を嫌った産油国が1960年にO
 PECを結成し、石油メジャーによる市場の独占は70年代に終わったが、エクソン・モービル、シェブ
 ロン、BP、ロイヤル・ダッチ・シェルといった巨大資本はふたたび石油の独占体制をめざして市場
 を回復しつつある。
  石油の安定的な供給のためには、これらの石油資本と産油国の両方に「いい顔」をする必要がある。
 だがアメリカ政府は日本が産油国に主権的に「いい顔」をすることを許さない。先日の鳩山由紀夫元
 総理のイラン訪問に対してアメリカ政府と民主党内の親米勢力は露骨な不快を示した。これは日本が
 エネルギー安保において主権的にふるまうことに対する国内外のアレルギーの現れと見るのが妥当だ
 ろう。エネルギー安保も軍事同盟と同じである。アメリカ以外のところと安全保障の盟約を締結する
 ことは許されない。そういうふうに考える人たちがここにきて原発再稼働に賛成するようになってい
 る。……ように見える。
  いま原発再稼働を主張している人たちのうちで、福島原発以後官邸や東電を擁護して、「原発はこ
 れからも稼働すべきだ」という力強い論陣を張った人がどれだけいるだろうか。ほとんどいなかった
 ように思う。彼らの判断はたぶん最近変わったのである。
  2011年暮れまでは「アメリカは日本には原発をコントロールできるだけの能力がないと判断して、
 『脱原発』を指示するのではないか」という予測が「日米同盟基軸派」内には存在した。存在したか
 どうか確証はないが、私は何となくそう推測している。だが、その後、アメリカは別に脱原発を指示
 してもこないし、石油メジャー依存へのエネルギー戦略の切り替えも指示してこないし、代替エネル
 ギー(そのテクノロジー開発のアメリカはトップランナーである)への転換も指示してこなかった。
 どうやら、アメリカは日本の原子力行政に積極的な介入をする意思はないらしい。そのことがわかっ
 た。そこで、これまで「アメリカの出方待ち」で態度表明を保留していた人々が、一斉に「じゃあ、
 原発再稼働しようよ。コスト安いし(事故があった場合でも電力会社にはさしたるお咎めもないみた
 いだし)」という命題を公言するようになった。そういう流れではないかと思う。
  私はそれが悪いと言っているのではない。「アメリカの意思を最優先することが日本の国益を最大
 化する道である」という国家戦略(と言えるかどうか心許ないが)は「あり」である。現に、そのよ
 うなしかたで日本は戦後67年を生き延びたのである。けれども、日本の国益の判断はもう少し自主的
 に行ってもよろしいのではないか。アメリカの国益を損なうが日本の国益は増大するというきびしい
 選択の場面で、もう少し「強押し」してもよろしいのではないか、という考え方をする人はいつもい
 たし、今もいる。
  私もそういう立場をとるひとりである。とはいえ、別にさしたる思想的確信があってそう言ってい
 るわけではない。最終的な判断基準は「国益の多寡」という数量的なものだからである。カミュの言
 葉を借りて言えば、必要なのは「計量的知性」である。イデオロギーではない。原発再稼働が国益増
 大に必須の所以を教えてあげようという人がいたら、私は素直にその言葉に耳を傾けるだろう。そし
 て、その話に説得力があれば、私は意見を変えるにやぶさかではない。
  でも、誰も「そういう話」をしてくれない。「再稼働反対なんて、バカかお前は」という言い方ば
 かりされて、さっぱり説得されるチャンスに恵まれないのである。ごく短期的に見れば、原発再稼働
 は国益増大にプラスであるように見える。電力不足も起こらないし、エネルギー安保も担保できるし、
 企業の海外流出も防げる。ばんばんざいである。でも、すこし長期的に考えると、原発は国益にマイ
 ナスである。すでに私たちは国土の一部を半永久的に失った。福島の事故の終熄までにどれほどの国
 民が苦しみに耐えなければならないのか、どれほど国費を投じなければならないのか、まだわからな
 い。一説には200兆円という。使用済み核燃料の処理費用も天文学的な額にのぼる。これらは「原発の
 つくりだす電力料金」に加算されるべきものであり、それを考えると、原発は「長期的にはきわめて
 費用対効果の悪いテクノロジー」だということになる。だから、原発を「損得」で考える場合に「支
 払期限」をどこに設定するかで、結論が変わってくる。
  「この夏の電力不足は待ったなしだ」とか「このままでは国内の製造業は壊滅する」というような
 タイプの「この」という指示形容詞を多用する言説は総じて「短期決算」型の損得に固着している。
 その切実さを私は理解できないわけではない。だが、短期的にはメリットがあるが、長期的にはメリ
 ットのない選択肢をリコメンドする人々は「長期的なデメリット」についての言及を忌避する傾向が
 ある。「私が勧めるこの選択肢は、短期的には利があるが、長期的には利がない。でも、短期で損失
 を計上した場合、わが社は倒産するので、そもそも『長期的メリット』について語ることさえできな
 くなるであろう」と会社経営者が言うのは筋が通っている。そういうルールでゲームをしているから
 である。株式会社が短期的な資金繰りの失敗で「待ったなし」ですぐ倒産するのは、100社起業した株
 式会社のうち99社が100年後には存在しないことを誰も不思議に思わないような「短期決戦」ルールで
 制度設計されているからである。
  だが、国家経営は会社経営とは違う。国民国家はそういうルールでやっているわけではない。そも
 そも国民国家は「利益を出す」ためにつくられたものではない。「存続し続けること」が第一目的な
 のである。「石にかじりついても存続し続けること」が国民国家の仕事のすべてである。もし「私の
 経営理念は利益を出すことではなく、会社を存続させることです」という会社経営者がいたら、「バ
 カ」だと思われるだろう。だから、ビジネスマインドで国家経営をされては困ると私はつねづね申し
 上げているのである。短期的利益を言い立てて、原発再稼働を推進している人たちは総じてビジネス
 マインドの人々である。彼らは「電気料金が上がったら企業は海外に生産拠点を移して、国内の雇用
 が失われる」というようなことをまるで「自明のこと」のように語る。いかなる場合でも最大の利益
 を求めて行動するのが人間として「当然」のふるまいだと信じているからである。コスト削減を最優
 先して国内の雇用確保をないがしろにするのは国民経済的視点からは「いささか問題」ではないかと
 いう反省はここにはまったくない。国民経済というのは「日本列島に住む1億3,000万人の同胞をどう
 やって養うか」という経世済民の工夫のことである。それを考えるのが統治者の仕事である。ビジネ
 スマンは同胞の雇用の確保よりも自社の利益確保の方が優先させる。「まずオレが儲けること」があ
 らゆる国家的事業に優先されねばならない。だから、国がビジネスの邪魔をするなら、オレはよその
 国に出て行くよと平然と言い放つ。この不思議な主張を正当化するのは例の「トリクルダウン」理論
 である。「オレを金持ちにしてくれたら、みんなにいずれ分配するよ」というあれである。この理論
 の根本的瑕疵は「オレが金持ちになったら」というときの「金持ち」の基準が示されていないことで
 ある。「オレはまだ皆さんに分配するほどの金持ちになっていない」と自己申告しさえすれば、企業
 がどれほど収益を上げようと、CEOの個人資産が10億ドルに達しようと、貧者への分配は始まらな
 い。その歴史的経験からそろそろ私たちは学んでもいい頃ではないかと思う。
  「国論を二分する」ようなイシューについては、誰が考えても、「ゆっくり議論して合意形成を待
 つ」というのが筋である。だが、国論を二分する一方の主張が「ゆっくり議論している暇なんかない」
 という短期的な損得勘定を自説の正しさのよりどころにしている。つまり、まことに不思議なことな
 のだれけれど、原発再稼働をめぐる議論はコンテンツの正否をめぐる議論というより今ではむしろ、
 「じっくり話し合おう」という立場と「話をしている暇なんかない」という立場の、つまり「アジェ
 ンダをめぐる対立」と化しているのである。当たり前だが、「アジェンダをめぐって対立が存在して
 いる」という当の事実がアジェンダの早期確定を妨げている。そうである以上、「待ったなし派」に
 とっては「ここには対立はない。あるのは正しい政策を理解できる程度に賢明な人間と、正しい政策
 の正しさを理解できない程度の愚鈍な人間の間の乗り越え不能のコミュニケーション不調なので、議
 論するだけ時間の無駄なのである」というロジック以外にもう頼るものがない。
  たしかに、おっしゃるとおりなのかも知れない。だが、「お前はバカなのだから黙れ」というステ
 ートメントをしだいにヒステリックになりながら繰り返すことによって集団の合意形成が早まるとい
 うことはふつうは起こらない。そうこうしているうちに、実際に夏が来て、ばたばた節電したり停電
 したりしているうちに、日本を見限って出てゆく会社は日本を出て行き、「待ったなし派」の設定し
 たタイムリミットはいつのまにか過ぎてしまう。タイムリミットは過ぎ、原発は止まったままだが、
 別にそれだからと言って日本は滅びているわけではない(たぶん)。少しばかり貧乏になるだけで。
  「待ったなし派」の方々は「座して貧乏になるようなバカばかりの日本なんか、もうどうなっても
 知らない」と言い放って、彼らと同じような考え方をする人ばかりが暮らす国にきっと移住してしま
 うのだろう。それはそれでしかたがないような気がする。
  そういう静かな諦観とともに、「原発ゼロ元年」を言祝ぎたいと思う。


 細部の認識に至るまで「内田氏の言う通りだ」と礼賛するつもりはありませんが、実に痒いところに手の
届く痛快な議論だと思います。小生も現在の「原発論議」の焦点は、どこかぼやけているような気がしてな
りません。とにかく、経済云々を口にするのは、危険が去った後にしてほしいと思います。自分の家が燃え
ているときに、金儲けのことを考えることの出来る人は、たしかにビジネスマンとしては一流かもしれませ
んが、普通一般の人間としてはどこか肝心なところが欠如した人のような気がします。命を失えば、経済ど
ころの話ではないでしょうに。また、共同体を営んでいる以上、「自分だけがよかれ」は通用しないはずで
す。内田氏の語るように、日本を見限った人は日本を脱出すればよいと思います。「来る者は拒まず、去る
者は追わず」の格言通り、日本で頑張りたい人だけで「日本再生」を考えていけばよいと思います。

                                                  
 2012年6月6日(水)

 今日は、新聞記事を引用したいと思います。ネットから拝借しました。ほぼ原文通りです。


  「危機に最も不適格な菅前首相」      政治部・阿比留瑠比

  ■決められない

  国会の東電福島原発事故調査委員会が5月28日に行った菅直人前首相の参考人聴取は、大方の予
 想通り、菅氏の大弁明演説会となった。菅氏は自身の言動や判断が事故対応の混乱や遅れを招いたこ
 とへの自覚も反省も示さず、ひたすら責任転嫁を続けていた。

  「よくもまあ、日本国民もこんなばかな首相をいただいたものだ。私の知る限り、歴史上最低の首
 相じゃないですか」

  これは原子炉復水器の専門家として、昨年3月11日の事故発生直後から首相官邸に助言・提案を
 行っていた上原春男・元佐賀大学長の参考人聴取を見ての感想だ。

  古くは福田赳夫氏から最近では安倍晋三氏まで、多くの首相からエネルギー政策全般について意見
 を求められてきた上原氏だが、菅氏にはあきれ果てたという。

  経緯はこうだ。上原氏は事故発生を受けただちに首相官邸側に冷却系の回復を訴え、外部冷却装置
 設置のための図面も送った。

  16日には事故対策統合本部の細野豪志首相補佐官(当時)に呼ばれて上京する。枝野幸男官房長官
 (同)や海江田万里経済産業相(同)とも会い、いったん事務所のある佐賀市に戻って作業に必要な
 機械類の手配を進めた。

  「ところが、官邸高官らといくら話しても『首相がなかなか判断せず、決めてくれない。首相が最
 終決定権者だからどうにもならない』というばかり」(上原氏)

  当時、政府関係者が「首相には大局観がまるでない。反対に、自分が知っている瑣末(さまつ)な
 ことにこだわり、いつも判断を下すのが2日遅れる」と嘆いたのを思いだす。

  ■理解できない

  3月20日には、上原氏の事務所に民主党の原口一博元総務相や大串博志内閣府政務官らが集まり、
 原発事故対応を協議していた。そこで原口氏が携帯電話で菅氏に連絡し、上原氏に取り次いだところ、
 こんなやりとりがあった。

  菅氏「あなたのリポートには目を通したが、技術的に理解できない。外部冷却装置はどこにつける
 のか。私がどこにつけていいのか分からずに決定はできない」

  上原氏「そんなことは首相が考えるべきことではないはずだ。技術的に分からずとも、やるやらな
 いの決断はできるでしょう」

  すると、菅氏は突然「なにいっ!」と激高して、日本語かどうかも聞き取れない言葉で延々とわめ
 き散らしたという。

  「ショックを受け、本当に怖くなった。一国の首相がこんな状態では国は危ないと感じた」

  上原氏はこう振り返る。菅氏の意味不明の怒声はその場の議員らにも聞こえ、みんなが身ぶりで電
 話をやめるよう伝えてきた。

  「(民主党は)なんでこんな人を首相にしたのか」

  原口氏らをこう叱った上原氏は以後、「菅氏は早く辞めさせなければ」と確信したという。

  今回の国会事故調の参考人聴取で菅氏は、政府外部からのセカンドオピニオン活用について「思い
 つき的な話もあったので、全部が実行されたわけではない」と語った。だが、中には菅氏の知識・能
 力では理解できないだけで、有効な対策もあったのではないか。

  ■マイクロ管理

  「東工大出身の理工系の首相ということで相当前へ出すぎたように見える。気負いはなかったか」

  参考人聴取では、科学ジャーナリストの田中三彦委員が菅氏にこう問いかける場面もあった。

  菅氏はこれを否定したが、2月に公表された民間事故調調査報告書によると、第1原発の非常用電
 源であるディーゼル発電機が壊れ、代替バッテリーが必要と判明した際、菅氏は異様な行動をとった。
 自分の携帯電話で担当者に「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと直接質問し、熱心にメ
 モをとっていたのだ。

  官邸筋によるとこのとき、ふつうの政治家ならばまず「その事態にどう手を打つか」を考えるとこ
 ろを、菅氏は「なぜディーゼル発電機が壊れたか」に異常に関心を示し、議論がなかなか進展しなか
 ったとされる。

  菅氏はまた、国会事故調の参考人聴取で、事故翌日の3月12日早朝に第1原発を視察した意義に
 ついてこう述べ、失笑を買った。

  「現場の考え方や見方を知る上で、顔と名前が一致したことは極めて大きなことだった」

  国家の非常時に、現場の責任者の顔まで自分で見て確かめ、名前と一致させなければ納得できない
 トップとはどういう存在か。部下の業務を過剰に管理・介入したがる悪しき「マイクロマネジメント」
 の典型がここにある。

  己の限界も足らざるところも知らぬ半可通が全て仕切ろうとし、必然的に多くの失策を犯した。そ
 れが官邸の事故対応の本質だったのだろう。(あびる るい)

                                2012年6月3日 産経新聞 東京朝刊


 今更、菅直人前首相を個人攻撃しても原発事故をなかったことにすることはできませんが、上で書かれて
いることが事実ならば、何とも言えない虚脱感に襲われます。リーダーの資質として一番大切なことは「決
断力」が優れていることだと思います。自分の立場を超えて、その時点で集団にとって進むべき一番よい方
向を指し示すことです。回遊魚や渡り鳥にも、多分リーダーがいるでしょう。リーダーが判断を誤れば、集
団が危機に陥ることは必定です。小生は、フランス流の政治エリート教育を日本に導入してはどうかと考え
ていますが、今の日本では夢物語かもしれません。しかし、日本の政治がこのままでは、直ぐにでも第二、
第三の危機に襲われても不思議ではないと思います。あらゆる事柄を押しのけて、最も憂慮すべき事柄であ
ると愚考します。参考になるかどうかは分かりませんが、拙著で引用した新聞記事を含んだ一連の文章を以
下に引用してみたいと思います。なお、一部改変しました。


  「種蒔人の思惑」(抜粋)

  さて、「自分で考えること」を磨き上げるための方策として、参考になる事例を挙げてみよう。そ
 れは、たしかに日本のことではないが、むしろわれわれ日本人にとってこそ、まさに傾聴に値する事
 例であると思われる。
  フランスに「バカロレア(baccalaurea=高校卒業、大学進学資格試験)〔最後から二番目の e に
 は、アクサン・テギューが付く〕」(略してバックBAC)という制度があることは、比較的よく知
 られている。このバカロレアに言及している新聞記事があるが、その大略を自由に引用してみよう(註)。

  (註)「決断 学ぶフランス・エリート」、倉田保雄、『毎日新聞』、一九九八年七月九日付、参照。
     自由に引用したので、趣旨を損ねた虞があるが、その場合は寛恕を乞う。

  一九九八年度のバカロレアで出題された「哲学」の設問は、「ある理論の価値とはその実際上の有
 効性によって測られるか」、「私は私のサンス感覚を信頼してよいか」、「エフェメールつかの間の
 ものに価値はあるか」であったという。受験生(17-18歳)は、このうちの一つを選択し、四時間かけ
 て理路整然とした答案を書かされるというわけである。試験準備の段階で、ギリシア・ラテンの古典
 を熟読玩味し、要点は諳じてのける力量を備えなければならない。「哲学・文学BAC」は最難関で
 (合格率二○%台)、グラン・ゼコール(総合大学とは別個のエリート養成機関)=国立行政学院
 (ENA)、理工科学校(EP)、高等師範学校(ENS)、パリ政治学院(シアンスポ)を目指す受験生は、
 まずこの「哲学・文学BAC」に合格し、ついで名門リセ(アンリ四世校など)に併設されている「プレ
 パ(特別学級)」への編入試験に合格しなければならない。プレパは二年間だが、その間に猛烈な勉
 強(哲学、古典、ギリシア語、ラテン語)を強いられ、約半年ごとの哲学漬けのテスト(「幸福であ
 ることは義務か」、「人は自分に対して恐怖を覚えるか」、「人間は政治的動物か」など)で、容赦
 なく淘汰されてゆく。名門グラン・ゼコールへの合格率は二○%程度だから、その試練の厳しさたる
 や、日本では想像を絶すると言っても過言ではない。
  それでは、なぜ、かくも「哲学」に固執するのか。その理由はフランスが、ギリシア・ラテン文化
 を相続し、モンテーニュ、デカルトがその相続遺産を活用して、フランスにとっての「サヴァイヴァ
 ル哲学」を形成し、今日に至っているからである。プラトーンは『国家』の中で、「政治権力と哲学
 的精神が一体化されないかぎりは、真に立派な国家となり得ない」と述べているが、その辺りにこの
 哲学の原点があるのではないか。
  グラン・ゼコールENAは、BAC、プレパで「哲学充電」をしたエリートを受け容れ、これをトップ・
 エリートに育て上げ、最終的に「デシドゥール(decideur=意思決定者)〔二番目の e には、アク
 サン・テギューが付く〕」として、政財界の必要に応じて「分泌する(secreter)〔最初と二番目
 の e には、アクサン・テギューが付く〕」(輩出ではない)という仕組みで、シラク大統領、ジョス
 パン首相はこのように「分泌された」政治家である。
  デシドゥールは、デカルト型哲学教育で培われた独創力、洞察力、理論展開能力、史観、世界観を
 駆使して、情勢分析を行い、素早い判断で的確な決定を下さなければならない。たとえ、決定が結果
 的に間違ったとしても、決定を下すべきときに下す、いや下せる能力を備えていることが重要なので
 あって、右顧左眄は論外なのである。
  ヨーロッパのエリートたちは、方法は異なるがエリート教育で「哲学充電」をしたデシドゥールで
 あり、「欧州連合(EU)」は二一世紀に照準を合わせた彼らの「サヴァイヴァル哲学」の申し子なの
 である。言うまでもなく、今日本が切実に必要としているのは、このデシドゥールだが、残念ながら
 日本には存在しない。
  いずれにしても、デシドゥールは、エリートが支配する階級社会ではその存在理由がはっきりして
 いるが、日本のようにフラットな「平等社会」(フランスの日本通に言わせれば「悪平等社会」)で
 は、そのようなデシドゥールが存在するかしないかの問題ではなく、「デシドゥールが育つ土壌」が
 そもそも存在しないのである。かくして、アメリカ型マス・エリート教育は続き、日本は哲学の貧困
 のうちに衰退する……。

  この記事を読んで筆者は、日本の現状に慨嘆すると同時に、フランスに少なからず羨望の念を覚え
 たが、現実に日本で政治や経済の屋台骨を背負っている人々はどう感じるのだろうか。もちろん、国
 情が異なる両国を単純に比較することはできないが、少なくとも、理念なき野合・離散を繰り返す政
 治家や、利潤の追求に汲々として責任を全うしない経済人を見るにつけ、薄ら寒いものを感じる者は
 筆者だけではあるまいと思う。上で挙げた「詰め込み勉強」の弊害がここにも現れているとは言えな
 いだろうか。
  同記事には、「日本のアメリカ式○×解答VS正解なき質問に対する論述解答という対比に加えて、
 哲学が試験問題で大きな比重を占めているという内容上の違いが注目に値すると思う」とある。ここ
 に、「自分で考えること」の大切さが現れている、と言えるだろう。選択肢があって、その選択肢の
 中から正解と称するものを選ぶための勉強を繰り返している者には、「自分で考えること」から生ま
 れる独創性など育つわけがない。「あり得ないもの」の一つとして「日本人のクリエイター」という
 ジョークがあるが、「国際化」を声高に強調する政策を打ち出す以上、そのようなジョークを昔日の
 ものにする努力を重ねないかぎり、当該の政策は掛け声だけのものになりかねないだろう。

                      拙著『人間の輪郭』、不二出版、2004年、212-215頁より。


 かつて、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年-1964年)は、「日本人の精神年齢は12歳
程度*」という発言をしていますが、現代の日本人の精神年齢は何歳ぐらいなのでしょうか。もし、その年
齢が敗戦直後より下がっているとすれば、これは忌々しき事態ではないでしょうか。


  *「12歳」発言(ウィキペディアより)

  民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想
 を実現する余地はまだある」と述べた。これは成熟した民主主義をもちながら、国民の意思でファシ
 ズムに走ったドイツのケースと、同じく民主主義を持ちながら、結果的に軍国主義によって押しつぶ
 された日本のケースを比較し、新生日本を擁護した文脈であった。しかしながら、「12歳」という部
 分だけが取り出され、現在に至るまで「日本の未熟さ」について「日本人の精神年齢が12歳程度」と
 侮辱したかのような解釈を受け続けている。また、日本の女性の一部には、この発言を「日本人の男
 性の精神年齢は12歳」と解釈し、白人男性との交際を肯定する者がいる。

  そもそも、上記「12歳」発言は、1951年5月5日に米上院軍事外交委員会において上院議員 R・ロン
 グが行った「日本とドイツの占領の違い」に関する回答として行われたものである。マッカーサーは
 次のように回答した。

   1.科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年
     に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。
   2.しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である。
   3.ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、
     国際情勢に関する無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異
     にするのである。
   4.ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていくであろう。日本人はドイツ人
     とは違う。

  前後の文脈を総合すると、「ドイツ人は十分に成熟しているにも関わらず戦争を起こしたが、日本
 人は未熟であったため戦争という過ちを犯した」という趣旨の発言であり、新生日本を擁護する意味
 合いを含むものであった。しかし、いずれにしてもこの発言の前提として「大正デモクラシー」以降
 に議会制民主主義が日本に根付こうとしていた事実や、大戦前に日本は「五大国」の一国として高い
 科学、美術、宗教、文化程度を持っていた経緯を、マッカーサーが故意か無知か無視していたことも
 あり、5月16日にこの発言が日本で報道されると、日本人は未熟であるという否定的意味合いのみが巷
 間に広まり、このため日本におけるマッカーサー熱は一気に冷却化した。

  政府が計画していた「終身国賓待遇の贈呈」、「マッカーサー記念館の建設」はいずれも先送りに
 なり、三共、日本光学工業(現ニコン)、味の素の三社が「12 歳ではありません」と銘打ち、タカジ
 アスターゼ、ニッコール、味の素の三製品が国際的に高い評価を受けている旨を宣伝する共同広告を
 新聞に出す騒ぎになった。


 いずれにしても、いろいろ考えさせてくれる産経新聞の記事でした。

                                                  
 2012年6月5日(火)

 原発の事故や再稼働をめぐる一連の問題を考えれば考えるほど、気が滅入ってきます。このところ著しく
飲酒の機会と酒量が増えたので、心身の状態がますます悪化しています。そこで、一念発起、ここに〈断酒
宣言〉をします。もっとも、小生は意志薄弱ですので、「ここで言われる『断酒』とは、『例外のある休酒』
のことである」と予め逃げ道を作っておきましょう。「それでは意味がないではないか!」と、大向こうか
ら野次を飛ばされそうですが、これでも少しばかり真剣なのです。月給も信じられないくらい減ったので、
その点でも酒を遠ざけた方がよいでしょう。嗚呼、哀しきかな、今日この頃よ!

                                                  
 2012年6月1日(金)

 月が替わりました。昔なら「衣更え」の日ですが、小生の服装は相変わらず同じです。われながら、芸が
ないと思います。しかしながら、小生はファッションモデルではありませんから、それでいいのです。それ
よりも、震災や原発に関して、もっともっと考えを深めたいと思います。なお、「現代思想論 I」という講
義で、学生に任意の課題を提示しました。「愛媛県の伊方原発の再稼働、もしくは、福島県の飯舘村の酪農
について、調べなさい」という課題です。任意なのでどのくらいのリポートが集まるか見当もつきませんが、
少しでも参加学生に関心を持ってもらいたいので、急遽課題を課した次第です。

                                                 
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