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日日是労働セレクト146
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2018年度版「福島原発事故を考え ...
家族研究への布石(映像篇15)
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日日是労働セレクト148
日日是労働セレクト149
驢鳴犬吠1806
日日是労働セレクト78
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第78弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト78」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 DVDで邦画の『修羅の群れ』(監督:山下耕作、東映京都、1984年)を観た。80年代に入ってからの任侠映
画なので、さまざまなかたちで綻びがあるように見えたが、それは小生の偏見だろうか。配役も豪華で凄い
のだが、他の世界で名を揚げたいわゆる「にわか俳優」も多く出演しており、バランスを欠く構成となって
いる。また、筋書もダイジェスト版を観ているようで、場面同士が互いを食い合っている。その点で、もは
や時代から取り残された作品となってしまった感がある。もっとも、晩年の鶴田浩二の味は格別で、主演の
松方弘樹を脇からしっかり支えていると思った。『究極のドラマ 実録ヤクザ映画で学ぶ抗争史』(山平重
樹 著、ちくま文庫、2011年)にも取り上げられている映画であるが、モデル(実在のヤクザの親分)の生
き方は活写できたのだろうか。もちろん、小生などには知る由もないが……。なお、原作は大下英治の同名
の小説(筆者、未読)である。
 物語を記そう。例によって、〈goo 映画〉のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、
ご寛恕を乞う。

  昭和8年の冬。雪の舞う横浜浅間町の吉岡道場(柔道・骨接ぎ)を、横浜四親分の一人、加東伝三
 郎(丹波哲郎)が訪ねてきた。そこで柔道を習う稲原龍二(松方弘樹)は加東の勧めもあって、彼の
 若い衆になることに決めた。明治大学出身のインテリでありながら博奕で身を滅ぼした父龍太郎(品
 川隆二)の仇をとるには、この道で男をあげるしかないと思ったのだ。龍二はよく働き、そんな彼に
 加東一家の兄貴分である横山新二郎(鶴田浩二)が仁侠道のイロハを教えた。ある日、売り出し中の
 龍二は海岸でチンピラにからまれている娘(酒井和歌子)を助ける。娘の名は中田雪子、後の稲原夫
 人である。日本が太平洋戦争に突入した昭和15年、二人は結婚した。19年、勤労奉仕で御殿場の山北
 へ出かけた龍二は、伝三郎の兄弟分、横浜笹岡一家の桐原銀一郎とことを起こしてしまう。しかも、
 横浜四天王の一人、鶴岡政次郎(若山富三郎)の目前でだ。しかし、鶴岡は、弱い人間をかばって喧
 嘩した龍二を見込んで、身柄をあずかるといってくれた。戦後の混乱期の湯河原。賭場で無法をはた
 らいた海軍復員兵の長谷部夏治(木之元亮)と森谷義男(清水健太郎)が龍二の貫禄に圧倒され、若
 い衆になった。更に、モロッコの辰(北島三郎)、井沢輝一(菅原文太)というグレン隊あがりの暴
 れ者たちも次々と舎弟分となった。そして昭和24年春、熱海の山崎一家石井光之助親分の跡目を継ぎ、
 稲原組がうぶ声をあげた。僅か10年の間に稲原組は熱海を制覇するや、小田原、横浜、静岡へと進攻
 し、組員も増えた。龍二の人を差別しない心に感動した韓国人の山村修道(張本勲)、田上圭(小林
 繁)、五、六百人の若い衆をかかえる石河(北大路欣也)も、稲原に惚れ身内となった。組織が大き
 くなればなるほど上下の意志の疎通は欠けるようになり、井沢の独断専行が目にあまるようになった。
 横山は、彼を破門せよと迫り、龍二は断腸の思いでこれに従った。さらに不幸は襲った。龍二が親と
 仰いだ横山が死んだのだ。龍二は、横山のために建てた墓前で、更なる前進を誓うのだった。

 他に、小野さやか(三谷千恵)、待田京介(林俊一郎)、にしきのあきら(輪田久吉)、風見章子(中田
しずえ=雪子の母)、小林稔侍(鄭)、市川好朗(朱)、林彰太郎(稲本弁護士)、天知茂(大島英五郎)、
葉山良二(弔問に来た男)、鳥羽一郎(若い衆)などが出演している。


 某月某日

 今日は、『愛のむきだし』(監督:園子温、オメガ・プロジェクト、2008年)の感想を綴りたいと思う。
「公序良俗」をこよなく愛する人々からすれば、まさに眉を顰めたくなる映画の代表格と言ってもよい作品
である。たとえば、変態、盗撮、パンチラ、レズビアン、勃起、監禁などの行為や言葉が連発されるので、
R-15指定(映画等の年齢制限で、15歳未満禁止を意味する)を受けている。小生の目にはそれほど過激なシ
ーンはないけれども、青少年にはたしかに刺激的かもしれない。しかし、この映画はそんな見かけの風俗現
象を描いたのではないと思う。むしろ、テーマとしては、「原罪の問題」、「家族の在り方」、「人間同士
の愛」が重要である。とくに、キリスト教絡みの問題設定に特徴があり、監督の園子温の生い立ちにも関係
があるのではないかと思わせる。というのも、ユダヤ教やキリスト教の関連で「シオン」と言えば、エルサ
レムにある丘の名前を指しており、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動である「シオニズム
(Zionism)」という言葉は、まさにこの場所に由来している。日本でも、とくにプロテスタントの信者は、
自分の子どもに「シオン」という名前を与えることはそれほど珍しくないので、園子温(その・しおん)も
その口かもしれない。また、傍証として、『冷たい熱帯魚』(監督:園子温、日活、2010年)でも、「教会」
を連想させる廃屋が登場し、彼にとって重要な場所(肯定・否定を問わず)なのかもしれない。また、両作
品ともに、ローソクがアクセントになっているが、あれにもキリスト教の匂いを感じるのは小生だけではあ
るまい。いずれ、園子温その人や彼の映画の詳細な研究本が世に出れば明らかにされると思うが、言葉だけ
を拝借したと思われる『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(監督:青山真治、TOKYO FM=バップ=ランブル
フィッシュ、2005年)とは異なり、当該映画は園監督が単にキリスト教をアクセサリーに使った映画だとは
とうてい思えないのである。その証拠をもう一つ上げよう。この作品には重要な場面がいくつかあるが、小
生にとって一番こころに滲みたのは、被監禁者が監禁者に対して、『聖書』の一節を叫ぶところである。以
下に引用してみよう。

  「コリント人への第一の手紙」(ネットの〈God & Golem, Inc.〉より拝借した。執筆者に感謝)

  たとえ人々の言葉、天使たちの言葉を語ろうとも、愛がなければ、わたしの言葉は騒がしい銅鑼、
 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物をもち、あらゆる知識と奥義に通じ、必要とあれば山を
 揺るがすほどの信心を持ち合わせようとも、愛がなければ、無に等しい。持てる全てを他者に与えよ
 うとも、己の身を燃やし尽くそうとも、そこに愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強く、
 情け深く、妬まず、誇らず、己惚れず、礼を失せず、利を貪らず、怒りを抱かず、不当に扱われたこ
 とをいつまでも恨まない。そして不義を喜ばない。愛は、真実を喜ぶ。愛は、諦めないこと、信じる
 こと、希望を持つこと、耐え忍ぶこと、すべてにおいて過たず成し遂げる。愛は永遠である。しかし、
 預言は人に霊感を与えるも、廃れてしまう。異言による賜物も、いつか已んでしまう。知識は、いつ
 かは過去のものとなってしまう。私たちの知識はしょせん断片にすぎない。預言もまたしかり。もし
 完全なるものが到来したならば、それら断片的なものは廃れてしまうだろう。私が幼子だったとき、
 わたしは幼子のように語り、幼子のように感じ、幼子のように考えていた。だが今や私は大人となり、
 幼子であった頃のやり方を棄てた。私たちは今、鏡に映った朧な像を覗いている。だが来るべき時が
 来れば、私たちは真の像と正面から対峙することになろう。それゆえに。〈信仰〉〈希望〉〈愛〉、
 この3つはいつまでも残る。このうち最も大いなるものは、〈愛〉。

 私事で恐縮だが、このパウロの言葉は、小生が『新約聖書』の中で一番感銘を受けた言葉であり、フラン
ソワ・ラブレーの「できうれば憎まん、しからずんば、こころならずも愛さん(Odero si potero, si non
invitus amabo.)」と並んで、「愛」について語った最も美しい言葉だと思う。実は、毎年判で押したよう
に行なっている「倫理学概論 I」という講義で、「愛」に言及するとき必ず引用する一節でもある。園子温
がどういう意図で長々と『聖書』の一節を登場人物に語らせたかは判然としないが、少なくとも小生にとっ
ては大いなるインパクトであった。また、『聖書』のこの一節における「愛」は、「性愛」とは距離を置い
た「愛」のはずであるが、この映画では「性愛」をも包含しており、その点でも見逃せない描き方であると
思う。キリスト教絡みの映画としては、『塩狩峠』(監督:中村登、ワールドワイド映画=松竹、1973年)
や『海と毒薬』(監督:熊井啓、「海と毒薬」製作委員会、1986年)などの生真面目な映画ももちろん重要
だが、むしろこの映画や、『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年)などの方
が、小生にとっては宗教を感じさせるから不思議である。
 さて、物語を記しておこう。今回は、〈ウィキペディア〉のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご寛容いただきたい。

  クリスチャンの家庭に生まれた男子高校生の本田悠〔通称:ユウ〕(西島隆弘)は、優しい神父の
 父テツ(渡部篤郎)と2人で幸せな生活を送っていた。幼くして亡くした母親(中村麻美)の「いつ
 かマリア様のような人を見つけなさい」という言葉を忘れずに。後に、父テツにカオリ(渡辺真起子)
 という愛人ができ、聖職者でありながらもカオリに没頭していく。しかしその愛人カオリも去り、シ
 ョックのためか父の性格は一変する。ユウはテツから毎日「懺悔」を強要されるが、罪と言えるよう
 なものは何も思い出せず、父とのつながりを失いたくないがために、しまいにはさまざまな罪作りに
 励むようになる。その中でひとつ、父に許されることのないキリストの教えに反する罪があった。そ
 れは、女性の股間ばかりを狙う「盗撮」であった。
  ユウはテツにヘンタイと殴られるが、これこそが愛だと感じる。そしてユウは盗撮のさまざまな技
 術を身につけるが、ついに父から懺悔を拒否されるに至った。父への執着心を愛と感じ取る感性が、
 ユウを盗撮のプロに仕上げていくが、それでもユウは全く性欲を感じなかった。
  しかし、転機が訪れた。ユウがずっと探し続けていた「マリア」との出逢いがあったのである。そ
 の女性は、ユウの目の前で、不良少年たちの大群をカンフーで叩きのめしていた、女子高校生の尾沢
 洋子〔通称:ヨーコ〕(満島ひかり)であった。ユウはヨーコをその対象として、生まれて初めて恋
 に落ちた。さらにヨーコも、ともに不良少年たちと戦ってくれた、女装していたユウ〔通称:サソリ〕
 に恋をした。
  2人は初めて恋心を知ったのだった。ユウはヨーコを想うと勃起が止まらない。ヨーコもサソリを
 想えば胸が痛くなり、初めてオナニーを覚えた。
  数日後、突然、テツはカオリと再会し、「一緒に暮らし、神父をやめて結婚する」と語るが、その
 カオリには連れ子がいた。それがヨーコだった。ヨーコはサソリに恋をするも、その正体が兄のユウ
 だとは気がづかず、ユウを毛嫌いする。ユウの混乱は加速度を増し、想いを押し殺すようにして盗撮
 を続けていた。
  その頃、膨大な会員数を誇り、営利を貪って、高層ビルまで所持する悪の教団「ゼロ教会」という
 謎の新興宗教団体が世間を賑わせていた。教祖に近い「プロンプター」という階層のコイケ(安藤サ
 クラ)は何を企んでいるのか、ユウとユウの家族に近づき始めた。しまいにコイケは、ヨーコに自分
 がサソリだと思わせ、その後、家族を丸ごと洗脳した。家族への不信感を払拭できず、家を出て行く
 ユウは、新興宗教団体「ゼロ教会」との戦いを挑むことになった。
  新興宗教団体「ゼロ教会」の幹部であるコイケには、父親(板尾創路)からの虐待とそれへの復讐
 の過去があった。愛に満たされずして取る行動は、学校での流血を伴う暴虐であった。ヨーコは浮気
 性の父親への嫌悪感が原因の男性不信に陥っていた。その衝動が、懐かしい家族の風景を自らの手で
 壊した。
  ユウは「ゼロ教会」に洗脳されたヨーコの心を取り戻すべく、全身全霊を傾けてとある決死の行動
 に出た。

 他に、尾上寛之(タカヒロ)、清水優(ユウジ)、長岡佑(先輩)、広澤草(クミ=コイケの側近)、玄
覺悠子(ケイコ=同)、岩松了(BUKKAKE社社長)、大口広司(ロイドマスター)、大久保鷹(親友の神父)、
岡田正(司教)、倉本美津留(霊感絵画の客)、ジェイ・ウエスト(暴走族リーダー)、深水元基(クラブ
店員)、吹越満(救済会の神父)、古屋兎丸(ミヤニシ)、堀部圭亮(ヨーコの実父)、宮台真司(ゼロ教
会の先生)などが出演している。
 オリジナリティとは、奇抜なアイディアや聞いたことのない話をひけらかすことではない。むしろ、馴染
深い題材を深く掘り下げることによって、その題材に新しい魂を吹き込むことである。この世に新しいこと
などそうそうあるものではない。園子温は、われわれが日常生活の中で漠然と感じていることを、これでも
かとばかり映像化することに執念を燃やしつづけている人であり、その点で独創的な人物である。これは駄
洒落であるが、さらに、「独奏者」であると同時に「独走者」でもある。おまけに、「毒草」に喩えること
もあるいは可能かもしれない。


 某月某日

 DVDで邦画の『愛のむきだし』(監督:園子温、オメガ・プロジェクト、2008年)を観た。3時間57分に及
ぶ長尺の映画であるが、退屈なシーンはほとんどなかった。園監督を始め、スタッフやキャストのこの映画
に賭ける熱い思いが緩みを排斥したのであろう。園監督の映画は、以下に記すように4本目の鑑賞であるが、
個人的にはこの映画が最も好みである。次点の『冷たい熱帯魚』にはあまり感じられないユーモアがあり、
その点で評価が上回った。たとえば、主人公役の西島隆弘が〈サソリ〉を名乗るが、あれは明らかに『女囚
さそり・701号怨み節』(監督:長谷部安春、東映東京、1973年)で梶芽衣子が演じた松島ナミのいでたちの
パロディであり、思わず苦笑した。

 『うつしみ』、監督:園子温、アンカーズプロダクション、1999年。
 『愛のむきだし』、監督:園子温、オメガ・プロジェクト、2008年。
 『冷たい熱帯魚』、監督:園子温、日活、2010年。
 『恋の罪』、監督:園子温、「恋の罪」製作委員会=日活=キングレコード、2011年。

 さて、今日はもう遅いので、感想は後日に記そう。ともあれ、多くの人が高い評価を与えている『紀子の食
卓』(監督:園子温、マザーアーク、2006年)をますます観たくなった。


 某月某日

 DVDで邦画の『関東破門状』(監督:小澤啓一、日活、1971年)を観た。日活がロマンポルノ路線に転向す
る直前の作品である。主演の渡哲也も、次の作品は『さらば掟』(監督:舛田利雄、松竹=浅井事務所、19
71年)〔筆者、未見〕であり、松竹初主演作となっている。当該作品は、いわゆる日活の「関東」シリーズ
(東映にも同名のシリーズがある)第3弾で、同時に最終作である。この頃の日活映画と言えば、『愛の渇
き』(監督:蔵原惟繕、日活、1967年)、『あゝひめゆりの塔』(監督:舛田利雄、日活、1968年)、『私
が棄てた女』(監督:浦山桐郎、日活、1969年)、『反逆のメロディー』(監督:沢田幸弘、日活、1970年)、
『八月の濡れた砂』(監督:藤田敏八、日活、1971年)などの話題作や、大作の『戦争と人間』(監督:山
本薩夫、日活、三部作、1970-73年)などが挙げられるだろう。さらに、「野良猫ロック」シリーズ(1970-
71年)が異彩を放っていると言える。ちなみに、日活は、ロマンポルノ以外の作品もぽつぽつ製作しており、
『あばよダチ公』(監督:沢田幸弘、日活、1974年)などがそれに当たる。また、ロマンポルノとは別路線
で、藤田敏八と秋吉久美子のコラボ作品である、『妹』(監督:藤田敏八、日活、1974年)、『赤ちょうち
ん』(監督:藤田敏八、日活、1974年)、『バージンブルース』(監督:藤田敏八、日活、1974年)の三部
作が目立つ。なお、藤田監督は、『エロスは甘き香り』(監督:藤田敏八、日活、1973年)などのロマンポ
ルノ作品とは別に、『帰らざる日々』(監督:藤田敏八、日活、1978年)などの一般映画を日活で撮ってお
り、さらに、「にっかつ」で『もっとしなやかに もっとしたたかに』(監督:藤田敏八、にっかつ、1979
年)や『十八歳、海へ』(監督:藤田敏八、にっかつ、1979年)を撮っている。
 日活のヤクザ映画はあまり馴染がないが、渡哲也(「無頼」シリーズなど)や高橋英樹(「男の紋章」シ
リーズなど)が主演したその手の映画を何本かは観ているはずである。当該映画もひょっとしたら観ている
かもしれないが、まったく記憶に残っていなかったので、たぶん初見だと思う。それにしても、70年代に入
ってから製作されたヤクザ映画なのに、ドス一本で渡り合うのはちょっと無理がありすぎる。これは、上で
挙げた『反逆のメロディー』を観たときにも感じたことである(「日日是労働セレクト27」を参照のこと)。
もっとも、斬り合いのシーンはなかなかの迫力であり、東映の美学とは異なる、日活アクションの伝統が活
かされていると思った。
 さて、物語に触れてみよう。例によって<goo 映画>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

  その数、数百団体といわれる全国の組織暴力団。弱少の組を吸収して大組織へとふくれあがる。そ
 れ故に、組織内の派閥争いや、他の組織との抗争にも血をもって解決しなければならない。関東浜野
 組若衆頭寺田組組長の寺田次郎(渡哲也)も、非人間的な叔父貴の岩井(加原武門)を殺してしまっ
 たことからいったんは消される運命だったが、寺田の侠気に感じた中桐組組長の中桐徹(佐藤慶)と
 浜野組総長の浜野吉太郎(佐々木孝丸)のはからいで寺田組は解散、無期限の所払いということで、
 上諏訪の中桐組に身柄をあづけられることになった。だが、新たに舎弟頭になった総長代理の長谷川
 (山本麟一)はそれに不服ではあったが、総長の一言で引きさがざるをえなかった。その反動で、次
 期総長のイスを狙って陰謀を計り始めた。後日、中桐組に身をおいた寺田は、中桐組と同じく浜野組
 の盃を受けた神崎(曽根晴美)が率いる愚連隊上りの新興暴力団共栄会が、虎視耽々と中桐組の縄張
 りを狙っていることを知った。しばらくして、寺田を頼ってきた元寺田組の組員である紘二(郷○治)
 〔○は、金偏に英〕たちのために、中桐はスナックを世話した。そして、寺田の身がわりで服役中の
 沢木(藤竜也)の妹玲子(丘みつ子)が、そこのママとして働くようになった。一方、浜野組の幹部
 にしてやるとエサを与えられ、中桐、寺田殺しを依頼された神崎は、スナックの開店資金の出所であ
 る金融業の畑野(役者、不詳)から借用証を取り上げ、寺田を脅迫した。それが、彼らの抗争への誘
 いであることを知った寺田は、中桐に迷惑のかかることを恐れ、単身共栄会に乗り込み凄惨なリンチ
 に耐えた。そこに中桐組のタケシ(岡崎二朗)が殴り込みをかけるが、押さえつけられて手出しする
 ことができなかった。これを知った中桐は、タケシを破門するが、それでは気が済まないタケシは寺
 田への詫びのために共栄会に出向いたが、反対に殺されてしまう。遅れて殴り込んだ紘二たちが共栄
 会の組員を傷つけてしまったことから、中桐組と共栄会の抗争に点火し、情況は長谷川の思惑通り進
 んだ。機に乗じて喧嘩の仲介を買った長谷川は中桐組の縄張りを一部共栄会に渡すことによって落着
 させ、寺田の処分は、名古屋方面に勢力をのばし始めた西田会を潰すための鉄砲玉として使おうとし
 ていた。中桐は、自分のために死ににいく寺田を思い、代貸の田村(長谷川明男)を差し向けた。だ
 が、長谷川は、中桐の行為は本家の方針を無視したものとし、本家破門、縄張りの全てを共栄会に渡
 してしまった。中桐組対共栄会ならびに浜野組の対決は勝敗が眼に見えていた。中桐は殺された。中
 桐の死を知った寺田は、浜野組のために命を張った自分が裏切られたこと、そして、兄弟と誓った男
 が殺されたことで、所詮やくざでしか生きられぬ男なら、兄弟仁義のための復讐を決心し、浜野組へ
 と向った。

 他に、夏純子(ミドリ=タケシの恋人)、榎木兵衛(白井=共栄会の幹部)、天坊準(小池=同)、青木
義朗(西田義一=西田会会長)、内田良平(宮坂武雄=宮坂組組長)、長浜鉄平(敏夫=寺田組組員)、杉
山俊夫(健=同)などが出演している。佐藤慶がいつもの悪役でないところが面白かった。また、山本麟一
や曽根晴美が東映の雰囲気を持ち込んでおり、その点でも異色作と言えるのではないか。


 某月某日

 石垣りんの詩に、こんな作品がある。『現代詩文庫46 石垣りん』(思潮社、1971年初版、25-26頁)より。


   私の前にある鍋とお釜と燃える火と

  それは長い間
  私たち女のまえに
  いつも置かれてあったもの、

  自分の力にかなう
  ほどよい大きさの鍋や
  お米がぷつぷつとふくらんで
  光り出すに都合のいい釜や
  劫初からうけつがれた火のほてりの前には
  母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

  その人たちは
  どれほどの愛や誠実の分量を
  これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
  ある時はそれが赤いにんじんだったり
  くろい昆布だったり
  たたきつぶされた魚だったり

  台所では
  いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
  用意のまえにはいつも幾たりかの
  あたたかい膝や手が並んでいた。

  ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
  どうして女がいそいそと炊事など
  繰り返せたろう?
  それはたゆみないいつくしみ
  無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

  炊事が奇しくも分けられた
  女の役目であったのは
  不幸なこととは思われない、
  そのために知識や、世間での地位が
  たちおくれたとしても
  おそくはない
  私たちの前にあるものは
  鍋とお釜と、燃える火と

  それらなつかしい器物の前で
  お芋や、肉を料理するように
  深い思いをこめて
  政治や経済や文学も勉強しよう、

  それはおごりや栄達のためでなく
  全部が
  人間のために供されるように
  全部が愛情の対象あって励むように。

     詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(石垣りん 著、書肆ユリイカ、1959年)に所収。


 この詩に解説は要らないだろう。現代の女性はそれほど感じないかもしれないが、家庭用電化製品のなか
った時代には、炊事を含む家事の大変さは凄まじかったと思う。いまどき、電気釜ではない昔のお釜でご飯
を炊く人は皆無に等しいのではないか。まして、ガスではなく、その火を熾すところから始めるとすれば、
かなり大変だったはずである。もっとも、当時の女たち(もちろん、一部の男たち、たとえば僧侶とか兵隊
とかは炊事を行っていただろう)は、それが当たり前だったので、大変とは思わなかったかもしれない。小
生も、電気釜ではなくて、普通のお釜や飯盒などでご飯を炊いたことはあるが、それは非日常的な営みだっ
たので、その行為に一種の楽しさが伴っていた。「はじめチョロチョロ、中パッパッ、赤子泣いても蓋とる
な」といった口伝も、しっかり守っていたと思う。しかし、毎食ごとに家族などのご飯を炊かなければなら
ないとすれば、それは憂鬱な仕事と成り果てたであろう。
 近年になって、「ジェンダー役割」の見直しが始まっており、「男子厨房に入らず」は葬り去られつつあ
る慣用語句となった。この詩において、「女も炊事の合間にさまざまな事柄を勉強をしよう」という提言が
なされているが、今は老若男女を問わず活用できる言葉に出世したと思う。とくに、最後の連の「それはお
ごりや栄達のためでなく/全部が/人間のために供されるように/全部が愛情の対象あって励むように。」
は、素直に身に染みる言葉であろう。


 某月某日

 DVDで邦画(うち一本は日本=香港合作)を2本観たのでご報告。ただし、後者は純粋な邦画とは言いがた
いので、「家族研究への布石(映像篇)」には登録しなかった。2本とも、外国が舞台の映画で、出演者も
外国人の方がはるかに多い。しかも、両者ともに人気劇画が原作のアクション映画であるからその点でも共
通しているが、出来の方はどちらももう一つなので、その点では一致してほしくなかった。
 1本目は、『ゴルゴ13』(監督:佐藤純弥、東映東京、1973年)である。さいとうたかを原作の同名劇画
である。あまりに有名なので(小生もかなりの数の作品に目を通している)、物語の背景には触れない。た
だし、映画化されたとき、いかに高倉健といえどもゴルゴ13は無理だろうと思っていたので、案の定の作品
だった。先ず、フィルター付の安っぽい葉巻を吸っていること(ゴルゴ13は、最高級のハバナ葉巻しか吸わ
ないはず)。次に、裸になったとき、身体中に傷跡があるはずなのになかったこと。最後に、眼はあくまで
細く冷たく、ほとんど動かすことはないはずなのに、健さんのゴルゴはそうでもなかったこと。以上三点が
少し気になった。もともと荒唐無稽(ただし、ニュース・ソースの新鮮さや、取材の綿密さには非の打ちど
ころがない)の物語であるから、どだい映画化は無理なのだろう。あの貪欲なハリウッドでさえ触手を動か
していないのだから、その点でもそう言えるのではないだろうか。ともあれ、彼のプロフィールを掲げてみ
よう(冒頭、タイプライターによって記される)。

  NAME:DUKE TOGO NICKNAME GOLGO13
  NATIONALITY:UNKNOWN
  PLACE OF BIRTH:UNKNOWN
  DATE OF BIRTH:UNKNOWN
  HAIR:BLACK
  EYES:BLACK
  COLOR:YELLOW
  HEIGHT:180 CENTIMETERS
  WEIGHT:80 KILOGRAMS
  FEATURE:MIXED BLOOD JAPANESE LOOK-LIKE
  OCCUPATION:SNIPER

 以上である。外見の特徴から判るように日系の東洋人であること。超一流のスナイパーであること。それ
以外はほとんど知られていないこと……彼のファンならば、誰でも知っていることである。
 さて、物語に触れよう。例によって<goo 映画>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改変し
たが、ご寛恕を乞う。

  ある国際都市の高級ホテルに、某国秘密警察の幹部数人が集まった。彼らの議題は、犯罪王マック
 ス・ボア(ガダキチアン)暗殺についての善後策だった。ボアは表向きは海運業者だったが、その正
 体は世界中に麻薬と武器を密輸している犯罪シンジケートのボスで、しかも彼の素顔は誰も知らなか
 った。そのボアが人身売買に手をのぱし、イランの女性へと毒牙をのばし始めたのだった。某国秘密
 警察部長のリチャード・フラナガン(キャリミー)は、殺人マシーンと恐れられている殺し屋ゴルゴ
 13〔デューク東郷〕(高倉健)にボア殺害を依頼した。フラナガンは、ゴルゴとの連絡係に秘書のキ
 ャサリン(プリ・バナイ)を任命した。翌朝、ゴルゴは単身、テヘランへ飛んだ。キャサリンもゴル
 ゴを追ってテヘランへ。テヘランでは、ボアの片腕の盲目の殺し屋であるワルター(ヤドロ・シーラ
 ンダミ)が暗躍しており、テヘラン警察の警部であるアマン・ジャフアリ(モセネ・ソーラビ)は、
 三十名にも及ぶ女性行方不明の事件を追っていた。彼の妻シーラ(ジャレ・サム)もその中の一人だ
 った。一方、ゴルゴは先に送りこんでいた私立探偵エグバリ(ゴルジイ)の調査で、ボアが小鳥を可
 愛がっているのを知る。ゴルゴの動きを嗅ぎつけたアマンはゴルゴをボア一味と思い込み、ゴルゴと、
 彼と再会したキャサリンのいるホテルを包囲した。そしてゴルゴは脱出に成功するが、キャサリンは
 逮捕された。その足でゴルゴは、オールタウンにあるワルターのアジトを襲うが逆に罠に陥ち捕われ
 てしまった。女を拉致しようとしたワルターの部下たちが、警官隊との銃撃戦で射殺され、逮捕され
 た。イスファハンにいるボアがそれを知り、女たちを観光バスに乗せてペルセポリスに移すように指
 令した。ボアの電話を盗聴したゴルゴはワルターを殺して脱出した。砂漠を貫ぬくハイウェイを、数
 台の車が次々とひた走っていた。女たちを乗せた観光バスと武装したボアの配下の車、ゴルゴの車、
 ボアの犯罪をつきとめたアマンの車、そして釈放されたキャサリンの車。不毛の砂漠で展開される息
 づまる追跡戦……ボアの配下の防衛線を突破してイスファハンに姿を見せたゴルゴは、ボアの宿泊す
 るホテルを見下す塔の上にいた。ホテルの庭でお茶を飲むボアと彼の替玉たち。ゴルゴの放った銃弾
 は鳥籠の扉を破壊し、飛び立った小鳥は、すっと一人の男の肩に止まった。その男こそ、目ざすボア
 だ。しかし、止どめの一発は、配下のダグラス(ジャラル)に阻まれてしまった。ゴルゴの恐しさを
 知ったボアは、シーラをはじめとして女たちと捕えたキャサリンを縛りあげ、丘の上に立たせて、一
 人ずつ殺していった。女を救おうとして近づくゴルゴを殺そうとしたのだ。アマンはボアの部下数名
 を殺して丘に近づいたが、シーラの目の前で、胸を朱に染めて倒れた。ゴルゴの名を呼び続けたキャ
 サリンもまた、ダグラスに射たれ、息をひきとった。やがて、女たちを殺したボアたちは、二台のヘ
 リコプターで飛び去った。車で追うゴルゴは、ダグラスの乗るヘリコプターを狙い撃ち、ヘリコプタ
 ーは炎上しながら墜落した。数日後、ボアは豪華な別荘で日光浴をしていた。ゴルゴの狙撃銃の望遠
 スコープが、ゆっくりとボアの顔に焦点を合わせた。銃口が火を噴いたその一瞬も、ゴルゴの顔には
 何の表情もなかった。

 他に、アレズゥ(イボンヌ=ボアの愛人)、アーラッシュ(アルバード・ジョンソン)、レザー(ジャッ
ド)、アトラシイ(サイモン=義足の殺し屋)、アサザデ(ミスターワイン=ボアにゴルゴの情報を伝えよ
うとしてゴルゴに殺される男)、アリ・デヒガニ(エバンス)、モハメッド・ノルジイ(クロード)、バハ
ロム(チャーリー)、ハッサン・レザリイ(ビリー)、アッバス・モフタリ(ジャック)などが出演してい
る。なお、依頼料はUSドルで50万ドル。例によって、「スイス銀行に振り込め」との要請だった。イランが
舞台の映画はたぶん観たことがないので、その意味では新鮮だった。なお、台詞はすべて日本語吹き替えだ
ったが、ゴルゴを含めてペルシャ語にして、日本語字幕でもよかったのではないか。また、高倉健の台詞の
スピードももう少しゆっくり目でよかったのではないか。その方が重厚感が出たのではないかと思う。なお、
千葉真一〔JJ Sonny Chiba〕が主演の『ゴルゴ13・九竜の首』(監督:野田幸男、東映京都、1977年)〔筆
者、未見〕が存在する。いずれ近いうちに観てみたい。
 2本目は『さそり』(監督:馬偉豪〔ジョー・マ〕、日本〔アートポート〕=香港合作、2008年)である。
篠原とおる原作のリメイクであるが、中国語のタイトルとしては『蠍子』となっていた。わずかに原作の香
りが残っているものの、ほとんど「香港カンフー映画」という趣で、エンディングにおいて中村中が「怨み
節」(作詞:伊藤俊也、作曲:菊池俊輔、唄:梶芽衣子、1972年)を歌っていなければ、『さそり』とはと
ても認めがたい。この手の映画を見飽きたせいか、アクション・シーンにも新味を感じることはできなかっ
た。ともあれ、物語を記しておく。これも<goo 映画>の「あらすじ」を引用しよう。執筆者に感謝したい。
なお、一部改変したが、ご海容いただきたい。

  松島ナミ〔「奈美」と表示されていた〕(水野美紀)は、婚約者である刑事のケンイチ〔「林喜泰」
 と表示され、「ヘイタイ」と発音されていた〕(ディラン・クォ=郭品超)との結婚を控えたある日、
 暗殺集団に襲われる。ケンイチの留守を狙ってきた彼らの狙いはケンイチの父、ナカイ教授と妹のト
 ン。ナミは、最愛のケンイチを救いたい一心で、2人を殺害してしまう。凶悪殺人犯として逮捕され、
 女子刑務所に収監されるナミ。そこで待ち受けていたのは監獄長(ラム・シュー=林雪)のセクハラ
 と女囚のボス、エリカ〔<Dieyou>と表示され、「ダイユー」と発音されていた〕(夏目ナナ〔「奈奈」
 と表示されていた〕)によるリンチだった。過酷な状況にひたすら耐えるナミ。だが、刑務所内では所
 長公認の殺人バトルが行われていた。自分を陥れた者への復讐を誓うナミは、生き抜くためにエリカ
 の部下を殺害。それを所長から聞いたエリカはシャワールームでナミを襲撃する。壮絶な格闘の末、
 エリカの息の根を止めたナミだったが、罰として屋外に吊るされ、瀕死の状態で森に捨てられてしま
 う。そんな彼女を救ったのは、死体収拾人〔「収屍人」と表示されていた〕と呼ばれる老人(サイモ
 ン・ヤム=任達華)。ナミの復讐に燃える心を知った老人は、過酷な訓練を開始。やがて刺客として
 生まれ変わったナミは老人から受け取った日本刀を背負い、町に戻る。そして、ジョンオー〔「章和」
 と表示されていた〕(石橋凌)が経営するバーに足を踏み入れたところ、偶然ケンイチと再会。事件
 を機に、過去の記憶を催眠術ですべて消し去った彼はここで働いていたのだ。ナミの妖しい魅力に惹
 かれるケンイチ。2人は再び愛し合う。やがて、大学の医学部時代の同級生サヨ〔「早夜」と表示さ
 れていた〕(ペギー・ツァン=曾珮瑜)が事件の黒幕であることを知るナミ。彼女と関係を持つマン
 ダ教授の行き過ぎた臓器移植に反対していたのが、殺されたナカイ教授だった。ナミの行動に気付き、
 再び暗殺集団を差し向けるサヨ。果たして、ナミは復讐を遂げ、ケンイチと新たな人生を送ることが
 できるのか……?

 他に、サム・リー〔「李燦○〕(チョンロン=蒼狼)、ブルース・リャン〔梁小龍〕(赤城)、エメ・ウ
ォン〔黄伊●〕(セイコ=星愁)などが出演している。物語の内容は<goo 映画>に従ったが、本当にそうい
う筋書だったのか、あまり自信がない。上記の『ゴルゴ13』とは異なり、すべての台詞は広東語で、日本語
字幕によって観た。その方が臨場感があると思う。蛇足ながら、人気AV女優だった夏目ナナが本格的に映画
デビューを果たしていることを初めて知った。演技の方はともかくとして、けっこう迫力があった。さすが
タフネスである。

 註:○は、玉偏に「探」の旁。●は、三水偏に「文」。


 某月某日

 DVDで邦画の『富江 vs 富江』(監督:久保朝洋、朝日ソノラマ=アートポート、2007年)を観たので、報  
告しよう。キャッチ・フレーズは、「増殖が終わり、破滅が始まる」である。伊藤潤二原作の「富江」シリ
ーズの第7弾。他の作品(例えば、第4弾の『富江・最終章/禁断の果実』、監督:中原俊、大映=アート
ポート、2002年)にも同じ設定があるが、富江が二人出てくる作品である。当該作品は、タイトルからして
そのものずばりである。物語を確認しよう。例によって<goo 映画>の「あらすじ」を引用させていただく。
執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  恋人の尚子(あびる優)を目の前で何者かに殺された梅原一樹(八戸亮)は、精神的なダメージを
 克服するためにカウンセリングに通いながら社会復帰を目指していた。目の前で殺されたとはいえ、
 一樹に事件の定かな記憶がなく、尚子の死体も見つからない状況では、警察も事件そのものの存在す
 ら認めることはできなかった。しかし、一樹は尚子の遺骨の一部を形見として持っており、尚子の死
 を確信していた。やがて、症状が良くなってきたこともあり、一樹はマネキン工場に就職する。工場
 長の藤田(菅原大吉)に先輩工員の岸田(三浦誠己)を紹介された一樹は、彼から仕事を教えてもら
 うことになる。ある日、藤田に「会わせたい人がいる」と工場の別棟に連れていかれた一樹は、そこ
 で尚子と瓜二つの富江(あびる優の二役)に出会う。藤田も他の工員も、富江の魔性に取り憑かれて
 いるかのようであったが、一樹は尚子の残像が脳裏によぎり、富江に対して過剰なまでの拒絶反応を
 示してその場を立ち去ってしまう。富江は激しい屈辱を受けながらも、一樹を虜にするという強い思
 いを抱く。一方で富江は、藤田と工員の大城(長江英和)にある女を探させていた。岸田と一緒に暮
 らしているその女もまた富江を探しており、彼女の名も富江(松岡恵望子)であった……。富江を追
 い続け30年も愛しては殺して、を繰り返してきた男(伊藤洋三郎)は、富江から採取した血を生まれ
 たばかりの女児に注入していた。それは、富江に人生の全てを奪われた男の、富江へのささやかな復
 讐であった。富江の細胞を持った富江のコピーは体内に流れる血液が次第に濁り、やがて皮膚が崩壊
 してしまう。肉体の崩壊を防ぐにはオリジナルの鮮血が必要であった。一樹は富江(松岡)に追われ
 た富江(あびる)といつしか行動を共にする。一樹の心は次第に開かれ、富江に尚子を投影するよう
 になるが、間もなく富江と富江の血をかけた闘いが訪れようとしていた……。

 他に、梶原阿貴(一樹を担当する精神科医)が出演している。ところどころ面白くなりそうな雰囲気はあ
るのだが、もう一つリアリティに欠けている。せっかく、マネキン工場を背景にしたのだから、それを恐怖
の種にすればいいのに、一切そんな工夫はなかった。映像的に山場となり得るシーンも、有名なホラー映画
の焼き直しの域を出ていなかった。「富江」というブランドに寄りかかっていては、新しい衝撃は生まれな
いのではないか。とにかく、この手の作品では、新鮮な映像を観たいものである。


 某月某日

 DVDで邦画の『東京島』(監督:篠崎誠、「東京島」フィルムパートナーズ〔ユーズフィルム=ゼネラル・
エンタテインメント=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=融合事務所=ヤフー・ジャパン〕、2010
年)を観た。桐野夏生の同名小説が原作である。1945年から1950年にかけて、マリアナ諸島のアナタハン島
で起きたアナタハンの女王事件をモデルに創作された作品。なお、アナタハンが敗戦直後の事件であったの
に対して本作の時代設定は(明確には記されていないが)現代であると考えられる。第44回谷崎潤一郎賞を
受賞している(ウィキペディアより、一部改変)。アナタハン島の事件そのものを映画化した方が断然面白
かったと思えるが、それは無理か。設定が似ている作品としては、『十五少女漂流記』(監督:吉田健、松
竹=アミューズ=TBS、1992年)が挙げられる。前半のサスペンスに比べて、後半に入ると、通俗に流れた感
は否めない。ともあれ、物語をたどってみよう。例によって<goo 映画>に頼ろう。執筆者に感謝したい。な
お、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  清子(木村多江)と隆(鶴見辰吾)は、結婚20周年を記念して夫婦ふたりきりのクルーザー旅行に
 出かけるが、途中で嵐に遭い、太平洋に浮かぶ無人島に漂着する。43歳、専業主婦だった清子は、東
 京では何かと夫を頼っていたが、島で救助を待つ日々を送る中、意外にもサバイバル能力を発揮。一
 方、隆は島の生活に馴染めず、小屋にこもって食べ物の絵を描き続け、日に日に衰弱していく。そん
 なある日、16人の若いフリーターの男たちが漂着。彼らは島を「東京島」と呼び、シブヤ、ブクロ、
 ジュク、コウキョ、トーカイムラという風に地名を付け、地域ごとに役割分担を決め、それぞれ生活
 を始める。やがて密航に失敗した6人の中国人も加わり、男23人と、女は清子ただ一人という奇妙な
 共同生活を送ることになるが、隆が崖から落ちて死亡、清子は島でただひとりの女性として女王のよ
 うに君臨し始める。しかし、トーカイムラにひとり暮らすワタナベ(窪塚洋介)だけは、清子を敵視
 するのだった。少しずつ島のバランスが崩れていく中、争いを避け、ルールをつくって島に安住しよ
 うとする日本の男たち。脱出計画を立てながらも生存能力を発揮する中国人。相容れない2つのグル
 ープの間を渡り歩き、何があろうと脱出しようと決意する清子。果たして、この「東京島」から脱出
 できるのは誰なのか……。

 他に、福士誠治(GM/ユタカ/森軍司)、柄本佑(オラガ)、木村了(犬吉)、染谷将太(マンタ/カズ
ちゃん)、山口龍人(カスカベ)、南好洋(シンちゃん)、結城貴史(ダクタリ)、清水優(アタマ)、阿
部亮平(ジェイソン)、鄭龍進(ヤン)、趙たみ(玉偏に民)和(ムン)、塩見大貴(フレディ)、中村無
何有(ウッス)、石田佳央(チェン)、張天翔(ウォン)、張沫(リー)、孫良(シュウ)、吉田友一(ミ
ユキ)、サヘル・ローズ(キム)、大貫杏里(マリア)などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『美男城』(監督:佐々木康、東映京都、1959年)を観た。 中村錦之助〔萬屋錦之介〕主演の
正統派東映時代劇である。柴田練三郎の時代小説が原作であるが、よく練られているので最後まで飽きずに
観ることができた。当時の田園風景も、昭和34年なだけに、まだまだ古きよき日本が残っている。それを観
ているだけでも値打ちがあると思う。石田三成、ひいては豊臣方を裏切った伊能盛政の嫡男である(真相は
異なるが)御堂主馬之介が縦横無尽に活躍する物語である。ネットの「名文美術館」(赤川仁洋)の一節を
引用してみよう。ほぼ原文通りであるが、明らかな間違いはこれを正した。

  関ヶ原の戦いは、揖斐郡日坂(いびごおりひさか)の城主、伊能盛政の裏切りによって、形成が逆
 転した──。石田三成の策略で、大坂方1万2千の精鋭が徳川軍の背後を突くべく、美濃の間道を潜
 行していた。それを阻んだのが、豊臣恩顧の豪族であり三成とも親交が深かった伊能盛政なのである。
 伊能盛政は報償として美濃一国を要求、刎頸(ふんけい)の友である三成を裏切った卑劣な行為は、
 徳川方の兵士からも唾棄された。

 そういう背景のもとに物語は動き出すが、さてどうなるか。例によって<goo 映画>の「すじがき」を引用
してみよう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  関ヶ原の合戦で徳川方が勝利を得た裏には、美濃の国日坂の城主である伊能盛政(薄田研二)の大
 坂方に対する裏切りがあった。盛政の子主馬之介(中村錦之助)にとって、この父の行為は死にまさ
 るものだった。彼は父の殺害を心に決めた。一方徳川家康(柳永二郎)は、勝利をもたらせた盛政で
 はあったが、その謀叛を心よく思わず、盛政ならびに主馬之介の暗殺を図った。主馬之介と幼馴染で
 はあったが野心家の須藤頼之助(徳大寺伸)は、主馬之介に惹かれている妹の千草(桜町弘子)の気
 持を利用、主馬之介を屋敷に引き入れ毒を盛った。土牢に入れられた主馬之介に、外から鍵が渡され
 た。関ヶ原の戦で一命を救った金吾中納言小早川秀秋の妹の美尾姫(大川恵子)だった。日坂城では
 謀叛の責を盾に、家臣たちが盛政に詰腹を迫っていた。盛政は狂乱、天主閣に火を放った。「あなた
 を斬って私も死ぬつもりでここへ来ました」……瀕死の盛政に主馬之介は言った。しかし、盛政は主
 馬之介にとって意外な出生の秘密を語った。「妻はむりやり秀吉の夜伽を命ぜられた……三成がとり
 もったのだ」。主馬之介は父の裏切りの意が分った。三成への復讐だったのだ。主馬之介は父の遺骸
 を車に伊能家の菩提所歓喜寺に向った。しかし、住職の宗禅(三島雅夫)は冷くこれを拒んだ。主馬
 之介は亡骸を日坂城に葬ることにした。だが日坂城で待っていたのは頼之助率いる暗殺団だった。主
 馬之介は彼らを淡々と斬った。頼之助も斬った。主馬之介は盛政を日坂城に葬った。千草は焼け落ち
 た城跡で彼を見つめていた。それを振り切るようにして、主馬之介は立ち去った。

 他に、丘さとみ(朝路)、植木基晴(宗太郎)、三井弘次(多次郎)、中村時之介(来宮藤左衛門)、原
健策(宇部隠岐)、阿部九洲男(田屋兵部)、三原有美子(楓)、山形勲(竹中蔵之介)、加賀邦男(大谷
玄審)などが出演している。


 某月某日

 DVDと映画館で3本の邦画を観たので、ご報告。1本目は、『大学の暴れん坊』(監督:古川卓巳、日活、
1959年)である。デビュー直後の赤木圭一郎を周囲が盛り立てながら作った映画という感じか。その後、彼
は、石原裕次郎、小林旭に次ぐ日活の第三の男の位置に立ち、和田浩治を加えた「日活ダイヤモンド・ライ
ン」を形成したが、1961年にわずか21歳の若さで他界している。当該映画は柔道に青春を賭けた大学生を演
じているが、まだまだ演技は未熟である。彼の恋人役(稲垣美穂子)の父親を演じた佐野浅夫が物語を締め
ていると思った。例によって、<goo 映画>の「あらすじ」を引用しよう。執筆者に感謝したい。なお、一部
改変したが、ご寛恕を乞う。

  竜崎三四郎(赤木圭一郎)は、万能スポーツ選手(ボクシング、バスケットボール、ラグビー、空
 手、重量挙げ、相撲、柔道に関わる)で美青年である。先輩の田口喬(葉山良二)を慕って聖城大学
 の柔道部に入った彼は、ある大試合で相手である城南大学の人見兼作(梅野泰靖)四段を投げ飛ばし、
 彼に大怪我を負わせて再起不能にした。人見の妹千恵子(芦川いづみ)は田口と相愛の仲だった。千
 恵子は試合の上のことだからと三四郎を許してくれた。ところが、人見の同輩で千恵子を狙っている
 法元良平(内田良平)は、三四郎と田口を罵倒した。苦しむ三四郎を「カリー軒」を経営している須
 藤平蔵(佐野浅夫)とその娘の美也子(稲垣美穂子)が慰めてくれた。人見は退院したが、千恵子は
 兄にもう柔道が出来ぬ身なのだとは言えなかった。一方、三四郎は上級生の小沢(藤村有弘)の紹介
 で銀座のキャバレー「不夜城」の夜警をはじめた。不良外国人を投げとばす彼を、マダムの三原圭子
 (白木マリ)の熱っぽい目と、ボスである佐久間興業社長の佐久間竹次郎(二本柳寛)の身内となっ
 ている法元の蛇のような目が狙っていた。ある日、人見に千恵子との結婚を申しこんだ法元は、断ら
 れて乱暴を働いているところを、三四郎にしずめられた。法元の命令で三四郎を襲ったナイフ投げの
 名手イタチの勝(高田保)も、重傷を受けて敗れた。これを聞いた田口に、三四郎は柔道を使うのを
 禁じられた。ちょうどその頃、平蔵のカリー軒のある商店街一帯は、ボス佐久間により立ちのきを迫
 られていた。一味の不法に抗議した三四郎は、法元のためさんざんリンチをうけた。店は次々とこわ
 され、昔の顔なじみ佐久間のもとに行った平蔵は、帰途刺されてしまった。一味の魔手は、次に今は
 法律事務所につとめ、商店街を守っている田口に向けられた。地下室に人見を使って田口と千恵子を
 呼んだ一味は、手を引くように田口を脅した。再起不能の身の上を法元に告げられた人見は酒にひた
 っていたのである。そこへ、三四郎が乗りこんできた。今は柔道の禁を解かれた三四郎は、法元をは
 じめ一味を投げとばした。彼らは警察にあげられた。次の朝、三四郎のオート三輪に乗る美也子と、
 三四郎からの輸血で命をとりとめた平蔵の姿があった。

 他に、木浦佑三(毛利)、野呂圭介(山之辺)、伊藤寿章(末松博士=田口の務める法律事務所の所長)、
葵真木子(とんちゃん=末松法律事務所の事務員)、下絛正巳(西山)、相原巨典(「不夜城」の副支配人)、
山田美智子(ホステスのナナ子)、津田秀水(聖城大学教授A)などが出演している。夜警のアルバイト代
が一晩(0時-7時)300円、カリー軒のライスカレーが30円、ジューク・ボックスが一曲10円だった。末松
が語る「現代のヤクザは、片手にピストル、片手に六法全書で、暴力一点張りの昔のヤクザよりも始末が悪
い」という言葉が印象的であった。
 2本目は、『ダンボールハウスガール』(監督:松浦雅子、キューフロント=電通=シネカノン=クリー
ク・アンド・リバー社、サイブロ=ネットクリエイティブ=東映ビデオ、2001年)である。以前から観たい
と思っていた作品で、やっと念願が叶った。原作は、『段ボールハウスガール』(萱野葵 作、新潮社、1999
年)〔筆者、未読〕。ほんのちょっとしたボタンの掛け違いから、有り金、仕事、彼氏、住処を一挙になく
した若い女性の物語である。主演を演じるのは米倉涼子。さばさばした感じに好感を抱いている人だが、映
画で観るのは始めてだと思う。これも、物語などに関しては<goo 映画>を参照しよう。執筆者に感謝したい。
なお、一部改変したが、ご海容いただきたい。

  アメリカに渡って自由に生きるため、コツコツと貯金してきたOLの桜井杏(米倉涼子)。目標の500
 万が貯まり、いよいよ明日は機上の人となる筈が、なんと全財産を空き巣(川屋せっちん)に盗まれ
 てしまった! 仕事は退職、アパートも解約、しかも頼れる筈の彼氏である和也(加瀬亮)に女がい
 たことが発覚。こうして、身寄りのない(母親がいるが、ほとんど絶縁状態である)彼女はホームレ
 ス生活を送るハメに。そんな彼女が行き着いた先は、バラック教会(聖セバスチャン教会)の下に広
 がる空き地。そこで彼女は、段ボール生活を送るトム(櫻田宗久)たちの仲間に入れてもらう。生活
 費を稼ぐため、テレクラのバイトやかつての教え子である浜口あゆみ(伴杏里)の家庭教師を始める
 杏。やがて、そんな何ものにもとらわれない生活の中で自身を見つめ直すこととなった彼女は、今ま
 での自分が心のホームレスであったことに気づき、心を解放しようとする。だが、はみ出した人間に
 この国の人たちは冷たかった。若者たちの襲撃、そしてサラリーマンからの罵声。しかし、傷つきな
 がらも仲間と支え合い再生した杏は、本当の自由を求めてアメリカへ旅立つのだった。

 他に、吉田日出子(蘭々)、黒沼弘己(クロヌマ)、P.J(ウォン)、加藤四朗(彦兵衛)、森下能幸
(猫田)、原金太郎(スミちゃん)、モニーク・ローズ(クリス)、樹木希林(大家の黒川)、ブラザート
ム(小林刑事)、大倉孝二(高槻刑事)、山村美智(浜口千恵=あゆみの母)、鈴木一功(浜口敏夫=同じ
く父)、本間しげる(田島森作)、掛田誠(都庁職員)、有福正志(おやじ)、平岩紙(由美)、朴本早紀
子(後藤=杏の元同僚)、東海林愛美(由香)、今井隆(流山)、大槻修治(警備員)、近藤公園(酒屋店
員)、桂木宣(酒屋店員)、一本気伸吾(ハローワーク職員)などが出演している。
 ところで、『ルポ 最底辺 ──不安定就労と野宿』(生田武志 著、ちくま新書、2007年)によれば、女性
野宿者は確実に増えているという(同書、89頁以下を参照)。少しだけ引用してみよう。

  更に、全国の〔野宿者の〕男女比を見ると「男90.7%」「女性3.3%」「不明6%」となっている。
 「不明」は「防寒着を着込んだ状態等により性別が確認できない者」〔当該映画においても、ビルの
 屋上に住みついた杏は、最初男性と思われていた〕とされているが、「6.0%」は多すぎる。また、各
 地の夜回りに参加した体験から言っても「女性3.3%」はあまりに少なすぎる。女性野宿者は、人目に
 つかない場所で寝ることが非常に多いため、この調査から抜け落ちている可能性が高い。これでは、
 「ホームレス問題」の実態を伝えるものとは言いがたい(民間の「虹の連合」による全国調査では、
 「39歳以下」が8%、女性が7%となっている)(同書、90-91頁)。〔 〕内は、筆者の補足。

 この映画は21世紀に入った日本の縮図とも言える様相を描いているのだと思うが、やや突込みが足りず、
その結果少し物足りない。典型的な構図を狙っているので、個々の問題があっさりとしているからだろう。
三池崇史あたりが演出すれば、もう少しエグイ映画になったのではないか。もっとも、女性監督ならではの
感性に溢れており、いろいろ考えさせてくれる映画だった。
 3本目は、『恋の罪』(監督:園子温、「恋の罪」製作委員会=日活=キングレコード、2011年)である。
これは久し振りに映画館で観た。同監督の作品を鑑賞するのは『冷たい熱帯魚』(監督:園子温、日活、20
10年)以来なので期待したが、ほぼ期待通りの作品だった。ちょっと外れたら収拾がつかなくなるであろう
素材を、丁寧に扱って成功へと導いている。公開中なので、その他の情報はほんの少しに留めておこう。い
ずれ作品に言及することがあるだろうから、そのときにもう少し詳しく語ろうと思う。さて、「マネキンに
接合された死体」という発想から直ぐに連想したのは『追悼のざわめき』(監督:松井良彦、欲望プロダク
ション、1988年)である。この作品は当該作品よりもはるかにおぞましい設定であったが、その猟奇性に映
像的なリアリズムはあまり加わらなかった。時代の相違と予算の関係で彼我の違いが生じたのであろう。む
しろ、検死のシーンからは『ヴィタール』(監督:塚本晋也、海獣シアター、2004年)を思い出した。園子
温がこの手の映像的ショッキング・シーンを卒業した後の映画を観てみたいが、さてどう変わってゆくのか。
小生からすれば、彼はむしろクラシカルな監督なのではないか。映像は派手だが、筋書はかなりオーソドッ
クスで、意外性はあまりない。それにしても、田村隆一の詩やカフカの『城』への言及はいかなる配剤か。
もちろん、悪くはないが……。また、津田寛治が演じた流行作家の名前が「菊池由紀夫」だったので、思わ
ず笑った。おそらく、『真珠夫人』(菊池寛、1920年)や『美徳のよろめき』(三島由紀夫、1957年)など
のイメージから拝借したのではないか。他に、水野美紀、冨樫真、神楽坂恵、児嶋一哉、二階堂智、小林竜
樹、五辻真吾、深水元基、町田マリー、岩松了、大方斐紗子などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『破れ傘長庵』(監督:森一生、大映、1963年)を観た。題名にある「傘」の字は簡略体であ
るが、文字化けするので「傘」の字で代用した。以前、『破れ傘刀舟悪人狩り』(全131話。1974年-1977年、
NETテレビ〔現:テレビ朝日〕系列)という萬屋錦之介が主演のTV番組(時代劇)があった〔ウィキペディア
より〕。小生もいくつか観た覚えはあるが、熱心な視聴者というわけではなかった。叶刀舟(かのうとうし
ゅう)という腕のいい蘭学医が主人公だったが、悪人たちに対しての最後の決め台詞である「てめえら人間
じゃねえや! 叩っ斬ってやる!」が受けてかなりの長寿番組となっていた。この叶刀舟は医者のくせに人
殺しをする荒っぽい人間であるが、その点では当該映画の主人公である村井長庵(長蔵)と似ている。しか
し、動機はまるで異なる。刀舟はいわば「悪人狩り」をしているだけだが、長庵には私欲を満たすことにす
べての行動の原点があったからである。したがって、当該映画は、いわゆる「ピカレスク・ロマン」、もし
くは、「フィルム・ノワール」に擬せられる作品ということになるだろう。主人公の長庵を演じるのは、す
でに大映の売れっ子になっていた勝新太郎である。「兵隊やくざ」シリーズ(全9本、1965年-1968年)こ
そまだ始まっていないが、「悪名」シリーズ(全16本、1961年-1974年)や「座頭市」シリーズ(全26本、
1962年-1989年)は始まっており、これらのシリーズ作品と同時並行的に製作された映画の1本である。振
り返れば、勝新太郎の出世作となった『不知火検校』(監督:森一生、大映京都、1960年)は森一生が監督
を務めた作品であり、同時に当該作品と同様のピカレスク時代劇でもあった。森監督は、数こそ寡ないが、
「悪名」(5本)も「座頭市」(3本)も「兵隊やくざ」(1本)も撮っているので、勝新太郎にとって最
も大事な監督の一人であろう。いずれにせよ、この頃の大映時代劇の面白さ満載の作品である。
 さて、物語を確認しておこう。例によって、<goo 映画>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一
部改変したが、ご寛恕を乞う。

  江戸の町医者良伯(中村鴈治郎)のもとで見習中の長蔵(勝新太郎)には、普通人では到底考えも
 及ばないほどのず太さと賢さがあった。猛毒を仕掛けた猫を料理して吝坊の良伯や小僧に食べさせ、
 けろっとして工合を見るという男だった。良伯の養女お加代(万里昌代)だけにはかねて好意を抱い
 ていたが、夜ともなれば質屋の後家さん(角梨枝子)の伽ぎを勤めてはお小遣いを貰い、何くわぬ顔
 で女中(西岡慶子)にも手を出すという達者なところをみせていた。良伯は器量よしのお加代を利用
 して出世を目論んでいた。それを知った長蔵は腕ずくで彼女を犯し、激怒して破門を命ずる良伯から
 口止め料を強請り取って姿を消した。それから数年、浅草の露地に村井長庵と名乗る町医があった。
 面構えも一変して貫禄を備えたかつての長蔵である。表向きは善行を装う彼も、裏では地廻りの御家
 安(多々良純)を手下にあいも変らぬ悪業を続けていた。なじみの深川芸者小鶴(福田公子)が金満
 家の唐木屋清兵衛(寺島雄作)に囲われたと知るや、この男を消そうと企んだ。長庵は貧乏浪人の藤
 掛道十郎(天知茂)、りよ(藤村志保)の夫婦に近づき、見舞金だといって五両を贈った。ほどなく
 して道十郎は唐木屋殺しの容疑で捕えられ、五両もの大金で刀剣を質屋から請け出していたことや被
 害者の手に彼の印篭が握られていたことなどが動かせぬ証拠となって、ついに処刑された。だが、こ
 れらはもちろん長庵が仕組んだことであった。ある日突然、落ちぶれた良伯が現れ、今度は長庵を強
 請った。長庵が掛け合いのため良伯の家へ行った留守に、唐木屋殺しの口封じのために殺したつもり
 でいた御家安が生き返り、苦しい息の下から真相の一切をりよに話してしまった。良伯との交渉がう
 まくはかどらぬ長庵は、ついに隙をみて良伯の湯呑みに白い粉(おそらく、砒素)を注ぎ一気に毒殺
 をはかろうとしたが、僅かの間に二人の湯呑みが入れ換わっていた。りよが懐剣を手に良伯の家にか
 けつけた時、目ざす長庵は自らの毒にのたうちまわり、まさに息も絶えんとする一瞬であった。二人
 の湯呑みを巧みに入れ換えたのは、長庵の謀略を見破ったお加代が、茶菓子を持って部屋に入ったほ
 んの瞬間の出来事であった。

 他に、丹羽又三郎(に組の千太郎=小鶴のいろ)、中村豊(次郎一=良伯の使用人)、伊達三郎(玄沢=
良伯の弟子)、水原浩一(坂田三十郎)、南条新太郎(佐田源次郎=同心)、橘公子(お房)、東良之助
(但馬屋松右衛門)、藤川準(与茂兵)、小林加奈枝(お百)、越川一(番頭の種吉)、芝田総二(おでん
屋の亭主)、千石泰三(目明しの富蔵)、南正夫(庄兵衛)、木村玄(町人)などが出演している。
 良伯の台詞に「秋刀魚の焼き冷ましはご免だ」がある。吝嗇ではあるが、食に煩い一面を見せており、そ
のくせ長蔵の料理した「猫汁」を「牡丹汁(猪汁)」と見誤っている。ちなみに、日本では猫の肉を「岡河
豚」と呼ぶ習わしがあるが、普通は食べない。夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭に、書生が猫を煮て食
う話が出てくるが、現代人からすればずいぶんと野蛮に見える。もっとも、これはスイス人に伺った話であ
るが、彼の地では猫の肉をシチューにして食するそうである。真相は分からないが、食えば案外美味いのか
もしれない。小生にはそんな趣味はないが……。また、良伯の吝嗇ぶりを示すエピソードとして、「ローソ
クは何匁のものを使っていのか」と次郎一に訊ねるシーンがある。次郎一は「十七匁」と答えるが、良伯は
即刻「九匁に換えなさい」と返している。さらに、良伯は「法眼」の位(中世から近世にかけて、医師、画
工、連歌師などに授けられた位)を欲しがっていたが、この法眼になるには相当の賄賂が必要だったのでは
ないか。だから、吝嗇だったのかもしれない。長蔵も贋医者を開業してから、いかにも仁術を施しているか
のようなふり(自分の診療所に、「薬礼は払える者が払い、払えざる者は払うに及ばず」〔正字を現行の文
字に置き換えた〕という貼札を掲げている)をするが、しょせん化けの皮がはがれる運命にあったのである。


 某月某日

 DVDで邦画の『金語楼の三等兵』(監督:曲谷守平、新東宝、1959年)を観た。主演の柳家金語楼と言えば、
小生などにはNHKの「ジェスチャー」(1953-1968年)という番組で、水の江滝子とともにそれぞれ男女両チー
ムのキャプテンを務めていたことが一番印象深い。エノケン(榎本健一)、ロッパ(古川緑波)、キンゴロ
ー(柳家金語楼)は、戦前の浅草が生んだ喜劇人の御三家であるが、ともに一時代を築き、映画でも活躍し
た。彼の主演映画はたぶん初めて観たが(もしかすると、はるか昔に観ているかもしれないが、まったく覚
えていない)、予想通りの出来で楽しめた。50年代の終わりに作られた映画ではあるが、もう戦争が終わっ
て14年も経っているので、戦争や軍隊を茶化す余裕がある。なお、主演の金語楼は若い兵隊を演じているが、
出演当時はすでに58歳(1901年生れ)であった。原案の有崎勉は彼の別名。脚本は「月光仮面」で一世を風
靡した川内康範である。さて、物語を確認しておこう。例によって<goo 映画>のお世話になる。執筆者に感
謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  1932(昭和7)年、兵役適齢に達した噺家の三遊亭金三〔きんざ〕こと山下敬太郎〔金語楼の本名
 でもある〕(柳家金語楼)は、坊主の馬場(鮎川浩)、豆腐屋の木田(小高まさる)、女形の骨村
 (水原爆)たちと、なんとか徴兵を逃れようとしたが、その甲斐もなくみんな甲種合格になってしま
 った。入隊の決った敬大郎の壮行会が開かれた。その席上、コンニャク屋の若旦那(役者、不詳)に
 くどかれて困っている芸者菊弥(池内淳子)を、敬大郎が助けてやった。それが縁で二人はその夜結
 ばれた。東山中隊に配属になった敬太郎や木田たちは、内務班班長の丹羽軍曹(坊屋三郎)に軍隊精
 神を叩き込まれ、激しい訓練がつづいた。ある夜、抜き打ちの検査があった。敬太郎の持物から「あ
 なたを苦しめる班長を、ネコイラズか青酸カリで殺してやりたい」という菊弥の手紙が発見された。
 敬太郎は上官侮辱罪で三日間の厩当番を命じられた。中隊長の東山大尉(並木一路)や丹羽軍曹にく
 つわをとらせ、白馬に乗った将軍の夢をみた。入営三ヵ月。白川閣下(九重京司)査閲のもとに行わ
 れた大演習の日、敬太郎はまたまた大失態を演じてしまった。敬太郎が重営倉を覚悟をした時、満蒙
 に出動命令が下った。満州の吉林に駐屯した東山中隊は匪賊討伐に活躍し、特に敬太郎の働きはめざ
 ましかった。ある日腹痛で苦しんでいる老婆(五月藤江)を助けたのが縁で、その娘の白蘭(川田孝
 子)を知り、彼女に熱い想いを寄せられた。が、敬太郎は日本にいる菊弥が忘れられなかった。演芸
 大会が開かれた夜、白川閣下が着任するため、途中で大会を中止して全員警備についた。鉄橋附近の
 警戒に当った敬太郎と馬場は、匪賊が鉄橋に爆薬を仕掛けるのを発見、奮闘の末、白川閣下を乗せた
 列車が鉄橋にさしかかる寸前に爆発をくいとめた。急停止した列車から降りた白川閣下に、抜群の功
 を賞められた敬太郎は嬉しそうに相好をくずした。

 他に、平凡太郎(秋山二等兵)、三宅実(小森二等兵)、鈴木義十郎(三遊亭金太郎)、丹波哲郎(敬太
郎の敬礼を誉める上官)、谷村昌彦(徴兵検査の検査官)などが出演している。小生は『兵隊やくざ』(監
督:増村保造、大映京都、1965年)に始まる一連のシリーズ(勝新太郎、田村高廣などが出演している)が
大好きであるが、それとはまた違う味わいがあった。むしろ、『拝啓天皇陛下様』(監督:野村芳太郎、松
竹大船、1963年)などに近いかもしれない。なお、陸軍内務班のパロディは面白く、とくに慰問袋の中の手
紙を敬太郎が読むシーンは秀逸であった。なお、敬太郎が満州の前線に送られる際に、婚約者となった菊弥
が彼に送った品物を記しておこう。仁丹、弾丸除けの千人針、成田山のお守り、大神宮さんのお札である。
なお、写真だけであるが、俳優の田中春男の娘であり、当時新東宝の売れっ子女優だった宇治みさ子が登場
している。女優の写真なども慰問袋の中に入れられたのであろうか。これは蛇足であるが、『Gメン'75』
(TBSの人気刑事ドラマ、1975-1982年)で共演した夏木陽介によれば、1960年(昭和35年)、新東宝社長の
大蔵貢と喧嘩してクビになりフリーになった丹波哲郎が、一時的とはいえ、柳家金語楼の付人だった時期が
あるらしい(ウィキペディアより)。この映画での共演が縁だったのかもしれない。ところで、第1作に柳
家金語楼も出演している、フランキー堺主演の「与太郎戦記」シリーズ(全4本、1969-70年)という邦画が
あるが、これらの作品も機会があれば観てみたい。なお、原作は落語家の春風亭柳昇である。


 某月某日

 DVDで邦画の『青い山脈・続青い山脈』(監督:今井正、藤本プロ=東宝、1949年)〔正確には、公開時期  
が違うので別の映画であるが、1本の映画として扱う〕を観た。正続併せて3時間を超える長尺の作品だが、
長いとは感じなかった。ずいぶん以前にTVで観ているかもしれないが、ほとんど覚えているシーンがなかっ
たので、初見と同じである。もっとも、昨年の暮れにリメイク版の『青い山脈』(監督:西河克己、日活、
1963年)〔3度目の映画化〕を観ているので(「日日是労働セレクト75」を参照されたし)、筋書は頭に
入っていた(脚本に同じ井手俊郎が関わっているので、かなり似通った作品になっている)。63年版の方は
上映時間が100分なのでだいぶ短縮されているはずだが、49年版が冗漫ということもなかった。それぞれによ
さがあるのだと思う。さて、両作の主要登場人物を再び掲げてみよう(ウィキペディアより)。

 1949年版、監督:今井正
      寺沢新子(杉葉子)、金谷六助(池部良)、島崎雪子(原節子)、沼田玉雄(龍崎一郎)、
      ガンちゃん(伊豆肇)、笹井和子(若山セツ子)、梅太郎〔笹井とら〕(小暮実千代)、
      井口甚蔵(三島雅夫)
      註:富永安吉(矢崎浩)
 1963年版、監督:西河克己
      寺沢新子(吉永小百合)、金谷六助(浜田光夫)、島崎雪子(芦川いづみ)、沼田玉雄(二谷
      英明)、富永安吉(高橋英樹)、笹井和子(田代みどり)、梅太郎〔笹井とら〕(南田洋子)、
      井口甚蔵(三島雅夫)

 これによれば、富永安吉とガンちゃんは別人ということになっているが、実際に映画を観たら、冨永=ガ
ンちゃんだった。だとすれば、矢崎浩に振られている役名が宙に浮いてしまう。いったい、どういうことな
のか。なお、主要登場人物役の俳優の当時の年齢を記してみよう。

  杉葉子(21歳)、池部良(31歳)、原節子(29歳)、龍崎一郎(37歳)、伊豆肇(32歳)、
  若山セツ子(20歳)、小暮実千代(31歳)、三島雅夫(43歳)。

 やはり、池部良と伊豆肇の年齢が突出している。両者ともに旧制高校生という設定だから、20歳前後のは
ずだが、10歳ぐらい若い役を演じていることになる。「若大将」シリーズで、加山雄三と田中邦衛が両者と
もに薹が立った大学生を演じていたが、それに匹敵するだろう。もっとも、池部も伊豆もそれほどの違和感
はなかった。モノクローム映画だったので、年齢は際立たないのであろう。また、63年版の方では、若いカ
ップルの吉永と浜田がメインだったが、49年版ではむしろ原と龍崎の方によりスポットライトが当たってい
るように見えた。時代の相違か、俳優の格の違い(原と吉永は別格)から来るものかもしれない。ただし、
新子を演じた杉葉子は、吉永小百合とはまた別の味わいを醸し出していた。
 さて、物語を確認しておこう。例によって、<goo 映画>のお力を借りる。なお、一部改変したが、ご海容
あれ。

  ある片田舎町の駅前。金物商丸十商店の店先に一人の女学生(杉葉子)が、「母が手元に現金がな
 いからこれを町へ持って行って学用品を買いなさいって……」と言い、さらに「鶏卵を15円で買って
 くれ」と店番をしていた金谷六助(池部良)に声をかけてきた。寺沢新子という名前の旧制女学校の
 5年生であった。六助は交換条件として、もうすぐ炊き上がるご飯の惣菜を作ってくれと頼む。その
 ついでに事情を聞いてみると母を二人もつ新子だった。一方、新任の英語教師である島崎雪子(原節
 子)は、新子宛にきたラヴレターを見せられて、友達のいたずらだという彼女の言分に、何かしら尋
 常でない性格をつかみ、まして前の学校で転校を余儀なくされたこの娘の力になってやりたい衝動に
 かられる。そして磊落な校医の沼田玉雄(龍崎一郎)にこの問題を相談するが、意外な答えだったの
 でつい平手で殴ってしまう。雪子は恋愛の問題を講義しつつ、偽のラヴレター事件を直接生徒たちに
 説いてゆく。しかし生徒たちは「学校のために」やったといい、その理由として新子の行動を六助と
 結びつけて曲解した例を挙げた。雪子は生徒たちの旧い男女間の交際に対する考え方を是正しようと
 努力するが、それはますます生徒たちの反感を買うばかりだった。教員仲間でも雪子の行動を苦々し
 く思い民主主義のはき違いなどといいつつ問題は次第に大きくなっていった。新子はその渦巻の中に
 あっても、旧制高校生の六助や富永安吉(伊豆肇)たちとつき合って行く。ついに学園の民主化を叫
 ぶ名目で新聞にまで拡がり、沼田も黙っていられず、雪子の協力者となる。沼田の患者の一人が彼女
 の妹分の駒子(立花満枝)である芸者の梅太郎(小暮実千代)は、恨みのある理事長の井口甚蔵(三
 島雅夫)を相手に廻して大いに気焔を吐く。彼女の妹の笹井和子(若山セツ子)も小さな味方として
 協力した。ついに理事会の日がきた。沼田医院を根城にして案を練る沼田、和子の父兄代理の梅太郎、
 ガンちゃん、雪子も力がついてくる。理事会は八代教頭(島田敬一)の経過報告から始まった。井口
 が正面の会長席に座っている。雪子は退席を命じられたが、どんな批判でもはっきり伺いたいとがん
 ばった。意地の悪い田中という体育教師(生方功)や、立場に困っている武田校長(田中栄三)、教
 頭、熱心に説明している沼田、雪子の理整然した答え、梅太郎、ガンちゃんたちの議論とユーモアの
 うちに理事会は展開されてゆく。父兄たちの異様な顔もほぐれて五分五分の態勢が七分三分となる。
 形勢不利とみた井口は「これから最も民主的な方法で無記名投票で……」と提議した結果は、島崎先
 生を可とするもの十二票、生徒を可とするもの六票。勝利であった。しかし、その夜沼田は怪我をし
 た。井口が差し向けた与太者にやられたのである。もはや争う必要もない、彼を看護する梅太郎、雪
 子。やはり生徒たちの青春の躍動は抑え切れない。次第に、雪子や新子たちに理解の目が向けられて
 くる。ラヴレター問題も同級生松水浅子(山本和子)の策略だったことが彼女自身の口から解かれて
 ゆく。かくして、サイクリングの一日、沼田、雪子、新子、六さん、ガンちゃん、和子、みんなの顔
 が見える。海岸で、沼田は雪子に求婚する。誰にも憚ることなく。そして、雪子はそれを承諾する。
 こうなると、他の若いカップルも黙ってはいない。六助は海に向かって「新子が好きだ」と叫ぶので
 あった。

 63年版とは異なり、戦後4年しか経っていない時期なので、よりリアリティがあった。たとえば、女学校
の宿直をしている岡本先生(藤原釜足)の妻(役者、不詳)が「煙草を巻いておきました」という台詞を吐
くが、若い人には何のことか分からないだろう。当時、刻み煙草を一本一本紙に巻いて吸う習慣があり、そ
れゆえにこんな台詞が登場するのである。また、同じ夜、外から蛙の鳴き声がしきりに聞こえてくるが、あ
れもなかなか捨て難い風情だと思う。なお、六助が炊いていたご飯も、もちろん電気釜などではない。芸者
の梅太郎が「お線香代」という言葉を遣うが、芸娼妓などの揚代(花代)のこと。線香1本のともる時間を
単位に勘定を計算したことからこの異名がある。また、田中先生の口から、かつてストライキをやった女学
生たちがいたが、彼女たちの嫁の売れ口が頗る悪かったという挿話も出てくる。もちろん、例の「変しい」
や「脳ましい」(正しくは「恋しい」と「悩ましい」)も出てくる。意外だったのは、正字が遣われている
かと思いきや、「變しい」ではなく、「変しい」だった。もちろん、「戀」も「恋」であった。
 民主化や、男女平等に関しても、けっして取って付けたような扱いがなされているわけではなく、旧道徳
と新道徳との間の葛藤を絡めて、実に上手に描いていると思った。とくに、原節子が演じた島崎雪子よりも、
杉葉子が扮した寺沢新子の率直さが魅力的に映った。たとえば、初対面の六助に対して、「身長160センチ、
体重54キロ、視力2.0」などと告げるだろうか。また、松山浅子と仲直りをするとき、わざと浅子に自分の頬
を平手打ちさせるが、これなども突飛な行動と言えないこともない。さらに、交際を非難された渦中の六助
と、二人きりで泳ぎに行くだろうか。ずいぶん大胆不敵な行動であろう。杉葉子は、日本女性として、当時
としてはプロポーションのよかった女優なので、彼女の水着姿は男性の鑑賞者にとって眩しかったのではな
いだろうか。相手が池部良なので、ベスト・カップルに見える。なお、古歌の「恋しくば/尋ね来て見よ/
和泉なる/信太の森の/うらみ葛の葉」(信太妻)が出てきたり、ゲーテ、セネカ、カーライルの名言の登
場などもあって、楽しく仕上がっている。なお、雪子が沼田のお見舞いに買ってきた薔薇は、1本100円で
あった。
 蛇足ながら、松山浅子らが板書した抗議文における漢字の間違いが63年版と若干異なっているので、それ
も以下に記しておこう。


 49年版 侮辱 → 悔辱  風紀 → 風記  自治 → 自冶  尊重 → 奠重
 63年版 精神 → 精心  侮辱 → 悔辱  風紀 → 風記  尊重 → 尊長

 おそらく、「冶」や「奠」の字が、63年当時としてはやや馴染みが薄くなっていたからであろう。

 他に、三田国夫(中尾先生)、長浜藤夫(易者)、河崎堅男(松山浅右衛門)、花沢徳衛(近隣の百姓)、
岩間湘子(野田アツ子=松山浅子の同調者)、江幡秀子(田村静江=同)、上野洋子(沼田医院の看護婦)、
原緋紗子(白木先生)などが出演している。ちなみに、<ウィキペディア>にも<goo 映画>にも、配役に関し
て事実誤認の疑いがある(例:富永安吉とガンちゃんとが別人として扱われている点<ウ>。井口甚藏〔蔵〕
に永田清〔永田靖の間違いだとすれば、二重の間違い〕が配され、武田校長に薄田研二が配されている点
<g>)。<goo 映画>は毎度のことなので驚かないが、<ウィキペディア>には百科事典の機能があるのだから、
正確を期してほしいものである。なお、<goo 映画>の「あらすじ」(これも、古い作品ほど間違いが多い)
において、結末部分はまったくの捏造であった。執筆者に感謝を捧げるとともに、間違いを是正してほしい
と注文もつけたい。


 某月某日

 DVDで邦画の『呪怨2』(監督:清水崇、「呪怨2」製作委員会〔パイオニアLDC=日活=オズ=ザナドゥ
ー=角川書店=東京テアトル〕、2003年)を観た。この作品においては、夫の佐伯剛雄(松山鷹志)に殺さ
れた伽椰子(藤貴子)の怨念が彼女に関わる人々に主たる恐怖を与えているが、それと同程度の働きをして
いるのが、息子の俊雄(尾関優哉)の存在である。彼はただいるだけだ。もっとも、通常は存在しない場所
(自動車のハンドルの下など)に突然現れるし、全体に白っぽい姿なので、それだけで怖いことは怖いのだ
が……。ところで、過去、子どもが絡むホラー映画にはどんな作品があっただろうか。先ず、覚えている限
りの洋画を挙げてみよう。

  『ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary's Baby)』(監督:ロマン・ポランスキー〔Roman Polanski〕、
   米、1968年)。
  『サスペリア PART2(Profondo Rosso)』(監督:ダリオ・アルジェント〔Dario Argento〕、伊、
   1975年)。
  『オーメン(The Omen)』(監督:リチャード・ドナー〔Richard Donner〕、米、1976年)。
  『チャイルド・プレイ(Child's Play)』(監督:トム・ホランド〔Tom Holland〕、米、1988年)。
  『シックス・センス(The Sixth Sense)』(監督:M・ナイト・シャマラン〔M. Night Shyamalan〕、
   米、1999年)。

 小生は『チャイルド・プレイ』(シリーズ化されている)を除いてすべて観ているが、いずれも作品の質
は高い。「子どもは何をするか分からない」から、怖いのであろう。ところで、そういった大人の心理をう
まく描いた邦画に『影の車』(監督:野村芳太郎、松竹、1970年)がある。見た目の虚仮威しではなく、子
どものすることに意識過剰になる大人の恐怖が克明に描かれている。実際、恐怖は、見た目ではなく、心理
的なものとして引き出された方がより怖いのではないか。その点、この『呪怨2』はさほど優れているとは
思えない。もちろん、怖いことは怖いが……。サム・ライミ(Sam Raimi)監督に激賞され、ハリウッドに
招待されてリメイク作品(筆者、未見)をものしたぐらいだから、清水崇監督にとってみれば自慢の一品と
言ってよいのだが……。
 ともあれ、物語を記してみよう。例によって、<goo 映画>のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、
一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  ホラー・クイーンの異名を取る女優、原瀬京子(酒井法子)は、呪われた家をレポートするテレビ
 の心霊特番に出演した夜、婚約者の石倉将志(斎藤歩)の運転する車に乗って帰路についていた。道
 中、車は首都高速で猫を轢いてしまう。将志は猫の死体を処理せずに車を発進させるが、次の瞬間、
 彼はおぞましいモノが車に乗り込んでいたことを知る。やがて車はコントロールを失い、壁に激突し
 て大破してしまう。その事故で将志は意識不明の重体となり、京子も重傷を負ってお腹の子供を流産
 した、と思われた。だが数日後、彼女はかかりつけの産婦人科で主治医(伊藤幸純)から「お腹の赤
 ちゃんは順調に育っている」と告げられる。テレビでレポーターをしているタレントの三浦朋香(新
 山千春)は、自宅のマンションで毎晩夜中の同じ時刻になると聞こえてくる物音に悩まされ、部屋に
 恋人の山下典孝(堀江慶)を呼ぶ。それは、角部屋の誰もいるはずの無い壁の向こうから誰かが叩い
 ているような不気味な音で、毎晩12時27分になると聞こえてきた。やがて、心霊特番で呪われた家を
 レポートした日、朋香が深夜に帰宅すると、そこには信じられない光景が彼女を待っていた……。テ
 レビ・ディレクターの大国圭介(葛山信吾)は、『心霊特番! 呪われた家の真実・謎の怪死事件に
 迫る!』という番組のロケのため、出演者の原瀬京子と三浦朋香、そしてスタッフを連れて練馬区の
 住宅地にある一軒の家を訪れる。かつてそこに住んでいた一家の夫である佐伯剛雄が、妻の伽椰子を
 惨殺し、自らも付近の路上で死体となって発見され、当時6歳の息子の俊雄が行方不明になって以来、
 その家に関わった者の謎の死や失踪が多発していた。不気味なノイズが録音された以外、収録は無事
 に終わったかに思えたが、その夜、メイク担当の大林恵(山本恵美)が悲鳴と共に姿を消したのをは
 じめ、番組関係者が次々と失踪、局は番組を制作中止にする。圭介は改めて録画されたビデオをチェ
 ックするが、その映像には映ってはいけないあるモノが……。女子高生の千春(市川由衣)は、友人
 の誘いで原瀬京子主演のホラー映画にエキストラ出演する。撮影中、彼女は京子にまとわりつく白い
 少年の霊を目撃して絶叫し、失神してしまう。やがて、千春の悪夢はより恐ろしいかたちで現実とな
 っていく……。圭介は、関わる者すべてに次々と伝染し、無限に増殖していく理不尽な悲劇の謎を解
 くべく、すべての発端となった呪われた家に向かうが、そこで廊下で意識を失っている京子を発見す
 る。激しい陣痛に悶え苦しむ京子はすぐに病院に運び込まれ、緊急手術を受けることになった。しか
 し、それはさらにおぞましい本物の恐怖のはじまりだった……。

 他に、黒石えりか(宏美=千春の友人)、水木薫(原瀬亜紀=京子の母)、結城しのぶ(石倉薫=将志の
母)、影山英俊(石倉和正=将志の父)、秀島史香(ラジオのDJ)、戸田比呂子(少女役の俳優)、ジーコ
内山(監督)、眞島秀和(助監督)、中村靖日(相馬=録音担当)、山上賢治(渡辺=カメラ担当)、田邉
年秋(医師A)、寺十吾(医師B)、野島千佳(看護師)、嘉川澪(同)、松川尚瑠輝(少年)、鎌田咲良
(少女の伽椰子)、鎌田悠(同)などが出演している。なお、『呪怨 白い老女』(監督:三宅隆太)なら
びに『呪怨 黒い少女』(監督:安里麻里)が、2009年に同時上映されている由。いずれ、DVDで観てみたい。


 某月某日

 DVDで邦画の『晴れ、ときどき殺人』(監督:井筒和幸、角川春樹事務所、1984年)を観た。原作の赤川次
郎はその全著作の売り上げが1億冊を超えているそうだが、凄いと思う反面、日本人の知的レヴェルはその
程度かと嘆かざるを得ない。もっとも、当の赤川次郎には罪はないので、本を読む人がいるだけましなのだ
ろう。この物語も80年代に流行った荒唐無稽の探偵譚であるが、先日観た渡辺典子主演の『結婚案内ミステ
リー』(監督:松永好訓、角川春樹事務所、1985年)と比べるとはるかに面白かった。とくに、太川陽介を
見直した。小生にとって彼にはアイドル歌手のイメージしかなかったが、演技者としてもなかなかのもので、
他に同型の俳優はあまりいないのではないか。是非また映画に出てほしいと思う。また、美池真理子(別名:
池まり子)という女優もなかなか魅力的だった。現在は芸能界から引退しているらしいが、不思議な味を醸
し出しているので、少しもったいない感じがする。
 さて、物語であるが、例によって<goo 映画>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部変更した
が、ご寛恕を乞う。また、推理ものなので、結末を知りたくない人はスルーしてほしい。

  アメリカ留学から戻ってきた北里可奈子(渡辺典子)は、母浪子(浅香光代)の死の間際、ショッ
 キングな告白を聞く。浪子は北里産業という巨大コンツェルンを一人で切り盛りしていた女会長であ
 ったが、加奈子を殺すと脅迫されて、目撃したコールガール殺人事件の偽証をし、無実の人間に罪を
 きせ自殺に追いやってしまったというのだ。真犯人は北里家をとりまく身近な人間だという。浪子は
 自分宛ての年賀状の筆跡からその人間に目星をつけたのだが、名を告げる直前に逝ってしまった。浪
 子の通夜、北里産業の雇われ社長で、この機会に会社を自分のものにと狙う円谷等志(神田隆)と、
 加奈子に婚約を迫り、執拗に追いまわすその息子正彦(清水昭博)。無表情で何を考えているのか全
 くわからない浪子の秘書の水原信吾(伊武雅刀)。主治医菊井和人(前田武彦)など、続々と身近な
 人々が集まって来た。おそるおそる真犯人探しを始めた加奈子は、多田三津男(小島三児)ならびに
 安岡比呂志(九十九一)の両刑事の訪問を受けた。彼らが帰った後、彼女は突然の闖入者に気づく。
 上村裕三(太川陽介)と名乗るその若者は、殺人の疑いで警察に追われ、北里家に侵入して来たので
 ある。上村は自分の無実を主張し、目撃した紋章入りライターから犯人は北里家に関係した人間だと
 告げた。しかも、その殺しの手口が半年前のコールガール殺人事件とソックリと聞いた加奈子は、上
 村を母が私室として使っていた秘密の隠し部屋に匿う。浪子が亡くなる前に年賀状の筆跡を依頼して
 いた興信所員の岩下公一(梅津栄)が結果を持ってやって来たが、加奈子と会う前に書類を盗まれ殺
 されてしまう。上村が熱を出した。加奈子は昔、英語の家庭教師をしてもらっていた菊井和昌(松任
 谷正隆)に援助を頼む。彼は和人の息子で外科医をしていた。夜明け近くに連れ出すことに決めたと
 ころ、刑事が匿名電話で隠し部屋のことを知りやって来た。だが、その時には脅迫状を見つけた上村
 はすでに逃亡していた。皆を帰した加奈子は、脅迫状を見て年賀状と照らし合わし、メイドの石田マ
 リ子(美池真理子)の部屋に向かうが、彼女はバスタブで殺されていた。屋敷の中、ひとりになった
 加奈子のもとに和昌が現われる。加奈子は安心するが、そこに飛び込んで来た上村は「だまされては
 いけない」と叫ぶ。その時、加奈子は和昌から匂うマリ子が使っていたシャネルの19番の香りに気づ
 いた。真犯人は和昌でマザー・コンプレックスを嗤われたための犯罪であった。マリ子は彼の愛人で
 連絡をとっていたのだった。上村と加奈子は、上村の作った人力飛行機で逃げるが、すぐに墜落して
 しまう。そこに刑事たちがやって来た。

 他に、浅見美那(田代明美)、江角英明(田宮健太郎)、東山茂幸(倉田昭二)、鶴田忍(中華飯店のボ
ーイ)、小鹿番(関口雄次)、寺田農(サングラスの男)などが出演している。なお、《absence makes the
heart grow fonder》「遠ざかるほど思いが募る」(和昌)と、《out of sight, out of mind》「去る者は
日々に疎し」(加奈子)の遣り取りがあるが、ここで犯人が分かった。後はどう辻褄をつけるかだったが、
あっと驚くほどではないとしても、さほど破綻がないようではある。
 ところで、話はまったく変わるが、小生は『京一輪(きょういちりん)』という題名の渡辺典子主演のTV
ドラマを観ている。同作品は、1989年10月2日から1990年3月30日の月曜日 - 金曜日、8時30分 - 8時55分の
間に放送された、よみうりテレビ制作の朝の連続ドラマである。NTV系では、10時00分 - 10時25分の間に放
送された由(ウィキペディアより)。たしか、京菓子の老舗を舞台にした物語だったはずである。なお、小
生は朝の連続ドラマ(NHKもしくは民放)を通しで観たことなどほとんどなく、渡辺典子と共演の尾藤イサ
オ(最初は使用人だったが、後に夫になる人)との恋を応援していた覚えがある。あの頃、小生はたぶん渡
辺典子に「健気なもの」を感じていたのだと思う。ともあれ、渡辺典子の映画主演作4篇は、これですべて
観たことになる。

                                                  
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