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日日是労働スペシャル VI (東日本大震災をめぐって)
 月が替わりましたので、「日日是労働スペシャル」の続篇をお届けします。単純に、「日日是労働スペシ
ャル VI (東日本大震災をめぐって)」と命名しました。主として、今回の大災害に関係する記事を掲げま
すが、特定の個人や団体を誹謗中傷する目的は一切ありません。どうぞ、ご理解ください。人によっては、
多少ともショッキングな記事があるかもしれませんので、その点もご了承ください。なお、読み進めるほど
記事が古くなります。日誌風に記述しますが、後日訂正を載せるかもしれません。あらかじめ、ご了解をい
ただきたいと存じます。また、ご意見等のおありの方は、muto@kochi-u.ac.jp 宛にメールをいただければ
幸甚です。

                                                
 2011年9月29日(木)

 かなりの時間を割かなければ運営できないので、このコーナーを休止する予定だったのですが、やはり思
い直して続けることにしました。それほど、今回の「3・11 東日本大震災」の意味は重いと思います。さて、
岩波新書を中心に、震災や原発絡みの新書が続々刊行されていますので、そのエッセンスをこのコーナーで
紹介します。少しでも多くの人に関心を持ってほしいので、そのさわりを転載するというわけです。編著者
の方々にいちいち断ってはおりませんが、きっと快諾してくださるとの見込みで引用させていただきます。
もし、差し障りがある場合には、ご一報ください(muto@kochi-u.ac.jp)。ただちに削除します。
 さて、来月の頭から言及する本を予告しておきます。それは、『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』
(内橋克人 編、岩波新書、2011年)という本です。月替わりなので、ブログのタイトルは、「日日是労働
スペシャル VII (東日本大震災をめぐって)」にする予定です。

                                                  
 2011年9月26日(月)

 以下は、インターネットに掲載されていた「共同声明」です。ご本人らの許可を得ていませんが、きっと
転載しても文句は言われないと思います。なお、ほぼ原文通りです。


 「デモと広場の自由」のための共同声明

 3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来におい
て多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さら
に、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、
すでに片づいたかのようにふるまっています。

 それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思が
デモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された
民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会
の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。

 しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた
「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明ら
かなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグル
ープを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。

 私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメ
ディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手
を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。

                                   2011年9月29日

                             起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二


 たぶん、三日後の9月29日に出される声明文だと思います(「9月29日午後3時より共同声明記者会見を日本
外国特派員協会で行います」という記事があります)。小生もおおむね賛意を表したいと思います。現在、
福島の原発事故の影響が出ているとしても、それはまだほんの序の口の段階だと思います。これからが本番
です。悲しいことが次々に起こることを強く懸念しています。3月11日に関わることは、誰を非難しても解決
できる問題ではありません。したがって、小生は、原発を推進する人も、「脱・原発」を妨害する人も、非
難するつもりはほとんどありません。この点で、この声明文を出した方々とは立場が異なります。しかし、
「すべての原発を廃炉にしていただきたい」という気持の強さはいささかも劣らないと自負しております。
それは、「人間のために」というよりも、「すべての生きとし生けるもののために」と言った方が正確でし
ょう。人間だけに限定すれば、むしろ「自業自得」かもしれないからです。もちろん、被害を受けた方々の
傷口に塩をなすりつけたくてそう言っているのではありません。人間自身が選んできた道が、他の生物に多
大な迷惑をかけてきた点を忘れてはならないと言っているのです。不毛な争いはやめて、全力を挙げてこの
難局を乗り切りましょう。そのためには、あらゆる立場を止揚する必要があるのではないでしょうか。なお、
念のために、英文も引用させていただきます。


  Joint Statement for the Freedom of Demonstration and Assembly

 In the aftermath of the Fukushima Daiichi nuclear disaster, following the Tohoku earthquake and
tsunami on March 11th, TEPCO, METI and the government have colluded in covering up the real
situation and underplaying its damage. This may eventually claim many lives in the near future.
Such behavior is clearly criminal. This is even unconstitutional. Article 25 states that ‘all
people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living’,
yet while TEPCO, METI and the government should take responsibility for it, they behave as if all
problems have already been solved.

 Voices of protest among the people, demanding full nuclear decommissioning, are now growing ever
large. Naturally such opinions are expressed in the form of street demonstrations. Organizing and
joining a rally that is ‘freedom of assembly and association as well as speech, press and all
other forms of expression’ is a fundamental democratic right, guaranteed by Article 21 of the
Constitution. The groundswell of political protests all over Japan is testament not to confusion or
disorder, but to the maturity of Japanese civil society. This is what overseas media are now taking
notice of.

 However, the reality is that the police are systematically obstructing the demonstrations. During
the ‘Genpatsu Yamero (No Nukes)’ rally in Shinjuku on September 11th, 12 participants were
arrested. As movies uploaded to YouTube and other media testimonies show, these are coercive arrests
without any reasonable grounds. Their true intention, of repressing all anti-nuclear demonstrations
by targeting the particular group that has successfully organized rallies with young people, is
apparent.

 We condemn this injustice and support the people’s right to demonstration as part of the freedom
of expression. Japanese mass media are complicit in concealing the fact that mass dissent against
nuclear reactors exist, by neglecting to report the anti-nuclear protests or the malicious arrests
in their coverage. We also call on the mass media to reflect on their news policies.

                                                 
 2011年9月22日(木)

 小松方正という名前をご存知でしょうか。小生のような年配の映画ファンには懐かしい名前ですし、一頃
はTVのリポーターなども務めていらしたので、そちらの方で名前を知っている方もいるかと思います。アク
の強い容貌でしたので、悪役を演じられることが多かったと思います。大島渚監督の一連の映画の登場人物
や、『女囚さそり・第41雑居房』(監督:伊藤俊也、東映東京、1972年)での看守役などが印象的です。題
名は忘れましたが、あるTVドラマで、毒殺される人に扮したことがあります。あのときの悶え苦しみ方は半
端ではなく、小生の観た毒殺される人の映像の中で最も迫力のあるシーンだったことも覚えています。たぶ
ん青酸カリだったはずですが、まさか実生活での見聞が活かされたわけではないでしょうから、実に想像力
の豊かな人だったのではないかと推察します。2003年に亡くなっています。小生の友人が亡くなった年でも
あるので、何か因縁めいたものまで感じる人です。最近観た『座頭市果し状』(監督:安田公義、大映京都、
1968年)という映画に「勘造」という名前の凶状持ちの役で出演していたので、彼のことを調べてみました。
さて、その小松方正の来歴を以下に記してみましょう。<ウィキペディア>からの引用です。

  小松方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、長
 野県松本市出身の俳優、声優。中央大学法学部卒。本名は小松豊成(こまつ とよしげ)。
  日本映画界を代表する名脇役。いかつい風貌と低音のドスのきいた声が特徴で、大島渚作品や時代
 劇・ヤクザ映画・2時間ドラマなどのアクの強い悪役・敵役で知られている一方で、その演技力は幅
 広く、『柳生あばれ旅』第12話ではコミカルな道場主、『気になる天使たち』では人情味のある父親
 (パン屋の主人)など、多彩な役柄を演じた。また、アンソニー・クインの吹き替えや、『ポパイ』
 のブルート、『ドランクモンキー 酔拳』をはじめとするジャッキー・チェン主演のモンキーシリーズ
 の師匠役など声優としても活躍した。
  東京の昌平中学卒業後、満映入り。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原
 爆投下の前日まで広島市にいた。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。
 新型爆弾投下をラジオで聞いたのは、空襲の影響で列車が止った静岡県掛川駅だった。功績調査部で
 終戦を迎える。1952年(昭和27年)、中央大学法学部を卒業後、新劇入りし大島渚らと行動を共にし
 た。45歳の時に22歳年下の女性と結婚した。
  霊感が強く様々な怪奇現象に遭遇した体験があり、毎年夏になると自身の霊体験を語るイベントも
 開催されていた。独特の低い声で語られる怪談は人気があった。
  1982年(昭和57年)、映画の撮影中に大怪我を負い、後遺症で数々の病との闘病により映画出演で
 の長い撮影が出来なくなったが、役者の仕事を続けた(著書『俺は元気な大病人』に詳しい)。
  2003年(平成15年)7月11日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、76歳没。

 以上です。なぜ、このコーナーで小松方正を取り上げたのかというと、勘のいい人はすでにお気づきかも
しれませんが、「彼は、原爆が投下された広島に、前日まで滞在していた」という事実を指摘したかったか
らです。人間の運命の妙を感じざるを得ませんね。今年の3月10日までは津波の被害に遭った地域にいたけれ
ども、3月11日には別の場所に移動していた、という人もいるでしょう。また、その反対の人もきっといるは
ずです。「人間到る所青山あり(じんかん、いたるところせいざんあり)」……このご時世、生きている限
り、精一杯の活動をしたいものです。

                                                 
 2011年9月21日(水)

 さて、お休み延期としたものの、何を書き込みましょうか。ネットでこれはと思われる記事を見つけたら、
転載させてもらうつもりです。そのやり方だとあまり時間を要さないので、何とかなりそうだからです。

                                                  
 2011年9月20日(火)

 このコーナーをお休みにすると宣言したのですが、延期します。今日は、「9・19 さようなら原発・武藤
類子さんスピーチ」を転載させていただきます。ご本人の了解を取っておりませんが、ネットに配信されて
いた記事なので、たぶん許してくださるでしょう。同姓の方なので、目に飛び込んできたのです。なお、余
計なコメントはつけません。


 「9・19 さようなら原発・武藤類子さんスピーチ」

投稿者: saeko
2011年9月20日 5:00 PM
福島原発震災

 「9・19 さようなら原発5万人集会」での、ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチをご紹介しま
す。ふくしまの想いを、ひとりでも多くの方に、伝えたい。

               *********************************

 みなさんこんにちは。福島から参りました。

 今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそ
が原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。はじめに申し上
げたい事があります。

 3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深
く尊敬いたします。

 それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上
げます。ありがとうございます。

 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、この
ような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

 皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだもの
の宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふ
ちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

 3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとな
りました。

 大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

 すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応
無くせまられる決断。逃げる、逃げない? 食べる、食べない? 洗濯物を外に干す、干さない? 子ども
にマスクをさせる、させない? 畑をたがやす、たがやさない? なにかに物申す、だまる? 様々な苦渋
の選択がありました。

 そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

 ・真実は隠されるのだ

 ・国は国民を守らないのだ

 ・事故はいまだに終わらないのだ

 ・福島県民は核の実験材料にされるのだ

 ・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ

 ・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ

 ・私たちは棄てられたのだ
 
 私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

 でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

 福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

 ・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

 ・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

 ・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・

 ・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

 ・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・

 ・ひとりひとりの市民が・・・国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声を
  あげています。

 私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

 私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、
支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクション
に注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そし
て、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思
いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでくださ
い。

 もうひとつ、お話したいことがあります。

 それは私たち自身の生き方・暮らし方です。私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界
を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなけれ
ばなりません。原発はその向こうにあるのです。人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。私はこの地球という美しい星と調和したまっとう
な生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮
らしを紡いでいきたいです。
 どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できう
ることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確
かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力がある
ことを思いだしましょう。

 私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながるこ
と。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けてい
くことが、私たちの力です。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいま
しょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げてい
きましょう。私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどん
なに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

                                                  
 2011年9月18日(日)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。なお、今回が最終回です。


 第8章 これからのこと

 p.185 測定器の準備やモニタリングシステム、汚染の通報、避難、除染、そのあとの体内被曝検査、連絡
    方法、妊婦と子どものケア、ヨウ素剤配布の体制、食品汚染の検査……。これらのすべてを私たちは
    「やってもらえるもの」という受け身で対処してきた。原発推進を打ち出す政府・自治体、そして電
    力会社、さらにその影響下にあるメディアにゆだねてきた。私たちはいったい何をしていたのだろう
    か。私たちは自分たちの首を絞めてきたのだ。

 p.189 放射能から自分を守るということは、何を意味するのだろうか。それは、放射線医学の権威者たち
    から身を守ること、原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること、原子力推進政策をとる政治家
    たちから身を守ること、推進ではないけれども結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアか
    ら身を守ること、放射能は安全だという学者たちから自分たちを守ること、そうした人々や機関によ
    って封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を得る手段をなんとかして手に入れること。そ
    して、それを妨害しようとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」
    などの言葉を用いる人間たちから身を守ることである。

 p.190 政府にとって正しい情報とは、政府の発表する情報を指す。それがどれだけ隠されたり、誤った情
    報であったかは、今回の事故で私たちは思い知っている。さらに放射能から身を守る方法は、政府や
    警察に避難するなと言われて、屋内退避を呼びかけられても、制止を振り切って遠くへ避難すること
    しかない。逮捕するぞとおどかされても逃げることだ。自主避難とみなされて、それにより補償金が
    出なくても、自分や家族の体が大切だと思うなら、逃げるほかない。もちろん避難を余儀なくされた
    すべての住民は、補償金を受け取る権利がある。少なくとも普段から、子どもと妊婦は逃がすことを
    考えて準備をすることだ。しかし根本的に原発事故から身を守る方法は、原発を廃止する以外にはな
    い。

     チェルノブイリ被災地のある女性は、汚染食品を食べる理由として、「飢えて死ぬより、おなかい
    っぱいで死ぬ方がいいからね」と言っていたが、これも、こうした絶望的な選択の一つだ。

 p.192 ただ子どもに被曝していることを伝えることと、がんであることを告知することは違う。私たちは
    多くの小児甲状腺がんの子どもたちをケアしてきた。子どものがんを医師が親に告知しないケースは
    ない。しかし子どもは親から自分ががんであることを教えられていない場合も多い。だから私たちは
    子どもの前ではがん、つまりロシア語でラックという言葉は使わないように気をつけた。

 p.201 しかし気をつけなければならないことがある。それはこの事故が政府の責任者たちの貧しい対応だ
    けによるものとみなさないようにすることだ。チェルノブイリ事故でも、IAEAは運転員のミスさえな
    ければこんなことにはならなかった、と言った。そして、先にも述べたように、当事者たちは裁判に
    かけられた。しかし後に調査委員会は、原発に構造的欠陥があったと発表した。

     今回の原発事故も、地震と津波の後の対応さえ正しかったら事故の深刻化が防げたと考えることは、
    「今回の失敗を教訓として、手を打てば、次の事故が防げる」という過信が生じることになる。こう
    して原発は延命の道をみつけるかもしれない。構造上の問題にしても、ディーゼル発電機が地下にあ
    ったから水没したのなら、発電機は高所におけばいいということになる。

 p.203 受電鉄塔が倒壊して外部電源が断たれたのなら、倒れないように設計すればいいということになる
    ……。しかしあらゆる事故は形を変えて襲ってくる。責任者たちは絶えず想定外という言葉を必要と
    するだろう。数字を操作しても、私たちは安全にならない。日本という地震多発地帯には、原発建設
    は不可能なのだという決断を早く持つことが必要なのだ。

 p.206 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんは次のように言う。
     「自治体は市民の流出を何としてでも妨害しようとしています。日本ってこんな国だったのかとあ
    きれています。ただ、私たちは今は緊急事態だから、子どもたちを守るために、やらなければならな
    いことは全部やろうと決めました。まさに走りながら考えようということです。
     子どもたちを守るっていうのはある意味利己心なんです。でも一番美しく、正当な利己心だと思っ
    ています」


 あとがき

 p.208 甲状腺がんが発生する可能性を生じさせたのは、誰の責任なのか。
     もちろん地震多発の日本で、人命や健康よりも、経済的利益を優先させて原発を推進した電力会社
    や歴代政府が挙げられる。さらに事故発生とともに、妊婦や子どもたちを真っ先に避難させず、すぐ
    にヨウ素剤を配布して飲むように指導しなかった政府と県。ヨウ素剤が自治体に配られた後、それを
    人びとに渡さなかった自治体の長。重大な危険を訴え、ヨウ素剤の配布を行政に訴えなかった医学者
    や医師たち。ことの重大性をいち早く報道しなかったメディア。これらの措置は、特別な知識がなけ
    ればできないことではない。昔から「常識」として知られていたことだ。

 p.209 子どもの甲状腺がんが現実になるとすれば、これは一〇〇パーセント人災である。

 p.211 放射能は、今や福島県という県境を越えて、関東一円から、東北地方、そして食物の流通によって
    日本中に広がっている。人びとが原発問題から目をそらしたいと思うのは当然だが、それは次の犠牲
    者を確実に準備してしまう。

     福島県から避難した一人の主婦は次のように言う。
     「帰りたいって思わないわけはありません……。でももうこんなことがあったんだから、全然違う
    人生、全く違う日本にならなきゃ意味がないと思うんです。これで元の鞘に収まってしまったら、何
    のための事故だったのって思うんです」


 どんなに言葉を尽くしても、原発事故以前の日本に戻すことはできません。ヴィデオならば巻き戻すこと
ができるでしょうが、現実は巻き戻せないのです。だとすれば、もっと悪いことが起こらないように努力す
ることが必要でしょう。原発推進者たちの「原発の安全性をより高めて活用しながら、その依存度を下げて
いく」という方策には、原発事故で死んだり(これから死ぬことになったり)、傷ついたり(これから病気
が発症したり)、生活苦を余儀なくさせられたりした(これから生活できなくなったりする)人びとの苦し
みはまったく考慮されていないようです。福島からけっこう離れている高知に住む小生ですら、放射能の影
響を免れないでしょう。それはもう覚悟しております。しかし、新たな事故が起これば、確実に日本は転覆
します。したがって、「すべての原発を速やかに廃止してください」という声は、伊達や酔狂で発している
ものではないのです。
 また、「構造上の欠陥ではなく、運転員のミスが原因である」という言葉も、図らずも原発の大欠陥を暴
露していることになります。何が原因であるにせよ、取り返しのつかない事故を起こした事実は消えないか
らです(まさか推進者たちは、「人間は訓練を積めばミスを犯さないようになる」と思っているのではない
でしょうね)。事故が起これば必ず大惨事になり、場合によっては広範囲にわたって人の住めない土地を図
らずもこしらえてしまう(しかも、何万年という年月のこともありうる)原発は、「疫病神」そのものです。
食中毒を起こした食材がもったいないからといって、その食材を新たに料理して提供しようとする人がいた
ら、周りの人は全力をあげてそれを阻止するのではないでしょうか。原発は食中毒を起こした食材なのです。
たとえこれまで、人類に対していくらかの貢献を積んだものだとしても、一秒でも早くわたしたちの目の前
から消え失せてほしいものです。
 さらに、人間だけの安全に限りません。人間以外の生物も、この美しい地球に棲んでいるのです。人間の
わがままをいくらかでも鎮めて、「共生」を模索しなければ、人間以外の生物は人間との無理心中に巻き込
まれることになります。いい加減に目覚めましょう。自然から離れれば離れるほど、地獄に近付くのです。

                                                  
 2011年9月17日(土)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第7章 チェルノブイリから何を学ぶか

 p.152 しかし実際には、IAEAやWHOなどがつくるチェルノブイリ・フォーラムは二〇〇五年九月、「チェ
    ルノブイリ事故にともなう放射線被曝による最終的な死者数は約四〇〇〇人」と推定している。さら
    にこの数字は、被災国から強烈な反発を受け、翌年にWHOは約九〇〇〇人と改めた。これは被災者、
    被災国を限定した上での最小限の予測であり、さまざまなNGOや研究者によっては、死亡者数は九万
    三〇〇〇から九八万五〇〇〇人にのぼると推定しているのである。

 p.154 もちろんあらゆる病気は放射能との因果関係を立証するのは困難だ。それをいいことに、病気と事
    故との関係を否定する。しかし多くの人びとは病気になり、死亡している。

 p.159-161 甲状腺がんになる子どもは、圧倒的に女の子が多い。
       もう一人の女の子に会ったのも、病院でだった。彼女は甲状腺がんだけでなく、白血病も併発
      していた。抗がん剤で髪の毛が抜け落ちた彼女は、骨髄検査の痛みに必死に耐えていた。父親は
      数年前にがんで亡くなっていた。彼女の祖母の村は、事故直後に放射能の雲が通り、雨が降った。
      そしてその危険な時期に彼女は父親とともに祖母のもとにいたのである。

 p.165 小児甲状腺がんは、幼少期に放射性ヨウ素を浴びたり飲食物の形で摂取した子どもたちに集中した。
    活発に細胞分裂を繰り返し成長する幼少期こそ、放射能は大きな影響を与えたからである。だから世
    界中の国は、放射能の事故が起こった時には、まず妊婦と子どもを避難させようとする。その当たり
    前のことが日本では行われなかった。

 p.169 それでも旧ソ連の政府のほうが、日本よりも妊婦や子どもの健康に気をつかっていた例をあげよう。
    チェルノブイリの事故が起きたのは四月二六日。翌日原発周辺の住民は避難し、三〇キロ圏の住民の
    避難が決定したのは、事故から一週間後の五月二日である。その日のうちに、まず妊婦と子どものい
    る家族が避難した。そのほかの人びとが避難したのは翌日だった。
     日本の福島原発事故で、政府はこうした妊婦や子どもへの配慮を全くしなかった。「安全です」と
    言っているのに二〇キロ圏外の住民を避難させるわけにはいかないと思ったのだろう。自己矛盾する
    からである。

     日本で妊婦と子どもに対する先行避難を打ち出したのは、一部の自治体だけだった。住民は自分を
    守るためには、自分で判断しなければならなかった。政府の判断に従っているだけでは、子どもたち
    を守れなかった。

 p.170 大規模な避難をしてしまうと、この事故を隠し通すことができないのではないかと考える指導者た
    ちもいた。事故を隠匿できる可能性がある限り、住民に被曝の危険性を知らせることはできない。こ
    れが被害を広めることになった。

 p.171 チェルノブイリ事故から日本が学んだものは、秘密主義だけではないかと思ってしまうことがある。 
    チェルノブイリ事故ではまだ明らかにされていないことが多くある。事故の形態は福島と異なるし、
    原子炉の構造も異なる。しかし直面する問題がほとんど同じなのは変わりがない。
     私はテリャトニコフ消防隊長に「また事故が起これば、部下に消火に駆けつけるように命令できま
    すか」と尋ねたことがある。「いや、できません。当時は放射能の恐ろしさを知らなかったのです」
    と彼は答えた。「でもあの当時は放射能防護服がなかったのが問題だったのではありませんか。今で
    は世界中から最新の防護服が届いているから、大丈夫なのではありませんか」と私は言った。彼は笑
    って答えた。「放射能防護服といわれるものは世界中にまだ一着も存在していないのです。今あるの
    は放射性物質を体内に取り込んだり、体に付着するのを防ぐことはできますが、ガンマ線や中性子線
    などはまったく防ぐことはできません」

 p.171-174 私は、帰国後に原発が多くある若狭湾に行き、そこで一番大きな敦賀消防署に行った。「もし
      原発で火災が起こったらどうするのですか」と私は尋ねた。署長は最新型の防護服を見せてくれ
      た。「これを着たら安全に消化できるのですか」と尋ねると、「いえ、だめです。これでは放射
      能を防げません」と彼は答えた。「被曝すると分かっていて消火にいくのですか」と私は聞いた。
      「仕方ないですね。一般の人はそれが私たちの仕事だと信じていますから」と彼は言った。

 p.174 鉛などが入っている防護服も最近現れ始めている。しかしそれで軽減できる放射能は、何分の一で
    しかない。京大原子炉実験所の小出裕章氏に聞いたら、核種によって違いはあるものの、ガンマ線を
    一〇分の一にするためには、二・五センチの厚さの板が必要だと教えられた。それでは大変な重さに
    なり、身動きできない。

     では今、福島第一原発で作業員が着用している白い服はなんだろう。正確な言い方ではあれは「放
    射線防護服」ではない。放射性物質が付着したときなどに脱いで捨てるための衣類だ。危険な場所に
    行くには、放射能を防ぐ手段はないから、結局作業時間を短く制限して、交代するほかない。このや
    り方はチェルノブイリ事故後二五年間変わっていない。そして今、福島第一原発では、多くの作業員
    が被曝を余儀なくさせられている。

 p.177 「水を守る」ために行われた、当時の作戦がある。雨雲が原発に近づくことが分かると、雲が汚染
    される前に人工的に雨を降らせてしまったのだ。この作戦は水門気象委員会のイズラエリ委員長の指
    揮下で行われた。私はこのことを二〇一一年二月に彼本人の口から証言として聞いた。作戦はサイク
    ロン舞台と呼ばれる特別なチームの手で行われた。その生き残りからも、作戦の詳細な証言を得た。
    しかし彼らの多くは、がんなどで次々と亡くなっていた。


 仮に、補償をめぐる裁判に勝ったとしても、人の住めない土地には帰って来れません。病気の不安を常に
抱えて暮らさなければならない人も大勢出てくるでしょう。「原爆症」の蓄積がある日本においても、これ
からどうなるかの予測は誰にもつけられないと思います。井伏鱒二の原作を映画化した『黒い雨』(監督:
今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年)においても、姪が船上で受けた黒い雨(原爆投下直後の雨)
によって、数年後にその症状が現れます。田中好子が演じた若い女性は、お風呂場でごっそりと髪の毛が抜
け落ちる恐怖に苛まれました。肉体的な問題ばかりではありません。結婚問題もなかなかまとまらない矢先
の発症だったのです。
 2011年3月以前からしばらくの間、福島第一原発の近くに住んでいたという事実が、移転、入学、就職、
結婚などの人生問題に深く関わってくると見込んで間違いはないでしょう。今後、それがどういうかたちで
現れるか誰にも皆目見当もつかないので、人生にずっと暗い影を投げつけられているようなものです。なぜ
そうなったのか。電気を作るというただそれだけのためだったのです。いわば、チェルノブイリの原発事故
からも、インドネシアの津波からも、日本人は何も学んでこなかったことが明らかになったというわけです。
 さて、次回は、「第8章 これからのこと」に言及する予定です。おそらく、最終回になります。

                                                 
 2011年9月16日(金)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第6章 子どもと学校

 p.126-127 福島の人びとは「安全」という言葉で人と人との間を引き裂かれている。「安全」だから校庭
      で遊んでも大丈夫、「安全」だから避難しなくても大丈夫といわれたが、しかしその「安全」は、
      昨日までは「危険」な値だった。それを急に「安全」としたことに政府も学者も合理的な説明が
      できず、だからそれをどこまで信じていいのか分からず、どのように子どもを守ればいいのか、
      右往左往するのだった。

 p.127 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大教授は、人びとにこの通達(=福島
    県の児童・生徒に対して、校舎・校庭を使用する際の暫定基準値を「年間二〇ミリシーベルト、毎時
    三・八マイクロシーベルトまで」とする文科省による通達)を受け入れてもらうために、「安全」講
    演会を重ねた。彼は時には「年間一〇〇ミリシーベルトでも大丈夫だ」と発言して、住民を戸惑わせ
    た。しかし彼の発言は「大丈夫」から「分からない」に変わっていった。
     四月二九日、内閣官房参与の小佐古敏荘(こさことしそう)・東大教授は、年間二〇ミリシーベル
    ト基準に対して抗議し、三〇日付で参与を辞任することを明らかにし、記者会見で次のように発言し
    た。
     「年間二〇ミリシーベルト近い被ばくをする人は、約八万四〇〇〇人の原子力発電所の放射線業務
    従事者でも、極めて少ないです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地から
    のみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」

 p.128 五月三日の二本松市の講演会では「五年後、一〇年後に子どもたちの健康に影響があったら責任を
    取れますかと問われ(問われたのは前述の山下教授)、「将来のことは誰も予測できない。膨大な疫
    学調査がいるのです」と長期的な影響については明言を避けた。

 p.130 息子はサッカー部で活動は校庭になる。だが子どもを校庭に出したくないという母親が多かったた
    め、上の娘の分は同意書を出して、下の息子の分は出さなかった。「判断が異なって困っているので
    校庭を使わないでほしい」と言ったら、校長は「国の方針を守らなければ国が成り立たないからしょ
    うがない」と答えたという。「子どもは守らなくても、国の方針は守るんですって」と斉藤さんは言
    う。

 p.135-136 翌日の電話で、結局「お答えできません」と言われました。「それでは福島県外の人は年間一
      ミリシーベルトで守られて、福島県民だけは、年間二〇ミリまで我慢しろってことなんですかね」
      と聞くと、「まぁ、そういうことになりますね」。ひどいでしょ。納得できなくて、次の日もま
      た電話したんですよ。でも、もう繋いでもらえないの」

 p.136 彼女によると今、福島県には様々な立場の人がいる。不安だから逃げたいという人、放射能が怖い
    けど嫌々ながら福島に残っている人、本当に大丈夫だと思っている人、そして、病気になるかもしれ
    ないけれど、ここで生きていくしかないと割り切っている人。

 p.137 事故の時に二〇キロ、三〇キロを超えてもっと早く遠くの子どもたちも逃がしておけば、そうい差
    別も受けず被曝もしなくて済んだはずという声もある。しかしそれ以上に、このようなことは許され
    ない差別であり、私たちは同じ原発事故の被害者という意識で、共に守り合い、放射能というこの巨
    大な相手に対して共に戦わなければならないはずである。私たちは原発がまき散らす「差別」という
    罠に陥ってはならない。

 p.143 人と接する態度も慎重になっている。
     人に会ったとき、洗濯物をどこに干しているかを聞いて、家の中で干していると聞けば、その人は
    放射能に注意しているわけだから、原発の話ができるのだという。
     「それが踏み絵のようになっているんです。外に干している人には、通じないかなって思って、原
    発の話は用心するのね。それで、探りを入れるんです」
     いま必要なのは、話を聞くことではないかと彼女は思っている。
     「みんな気持ちがいっぱいになっていて、だから、ゆっくり聞いてあげることもすごく大切だなっ
    て思います。


 「シーベルト」という単位が何を意味しているのか分かりませんが、原発の放射線業務従事者でも浴びな
いような線量を「安全」と言いくるめるのは、さすがに通らないと思います。「後は、自己判断に任せます」
ということなのでしょうか。しかし、その対象者には、年配の人よりもはるかに放射能の影響を受けやすい
とされる乳児や児童・生徒も含まれているのです。以前、内田樹氏のブログを引用させていただきましたが
(「日日是労働スペシャル I (東日本大震災をめぐって)」3月16日付記事を参照のこと)、やはり児童・
生徒の「疎開」を検討すべきではないでしょうか。意地とか面子とかを言っている場合ではありません。国
の方針にメスを入れて、関係各位は、最もよい判断をしてほしいと思います。
 さて、次回は、「第7章 チェルノブイリから何を学ぶか」に言及したいと思います。

                                                  
 2011年9月15日(木)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第5章 広がる放射能被害

 p.105 「林業を新たにやろうという人はもう皆無ですね。田畑なら汚染された表土を削って新たな土を入
    れて放射線量を落とすことも可能ですけれども、山はそういうわけにはいきません。原発事故は、山
    のこと、林業すべてに影響を与えているんです」

 p.105-106 東電は放射能に汚染された大量の水を海に流した。そのため漁業も甚大な被害を受けている。 
      福島県漁業組合長の野崎哲さんは「どんな事情があろうとも、(汚染水を)海に捨てるという行
      為を選んだその重さを分かってもらいたい。魚という食べ物に対して、大変なことをしてしまっ
      たのです」と話す。

 p.108-109 「海の汚染も大変ですが、一番の当事者である福島県民が、こうした行為に対して声を大にし
      て不満を訴えることが少ないのが悲しいです。行動で抗議する人もあまりいないのです。これで
      は県外の人たちから「結局、原発特需で潤っている人たちは、なんだかんだ言ったって、原発が
      あった方が仕事が回るし、いいんだろう」って思われてしまうのが、悔しいのです」

 p.112 彼女の家では薪ストーブで煮炊きし、自家発電を行って「ナチュラルライフ」を実践していた。こ
    の地域では、そのような暮らしは決して珍しくなかったという。
     「自分で木で家をつくったり、手作りの暮らしをしているんです。除草剤や農薬も全く使わないで、
    自然農とか有機農業をやっていて、子どもの食べるものにもほんとに気を配っていました。食品添加
    物のないものを食べて、予防接種もなるべく避けようとか、健康診断のレントゲンもX線浴びるから
    拒否しているとか、そういうレベルで自然に暮らしたいねっていう考えの人たちがいっぱいいたんで
    す」
     彼女は「だから今回は、人生を否定されたに近い」と言う。

 p.115 有馬さんは『イワンのばか』が好きだという。悪魔がお金を出すけれど、農民のイワンは「お金は
    いらねえ、食えねえもん」と突っぱねる話だ。「後で後悔したくない」。それだけだという。ここで
    は人間が試されている。

 p.115-116 この村では、「気まぐれ茶屋」という名で農家レストランを開き、どぶろくを販売している
      佐々木栄子さんを避難前に訪ねた。彼女は、村おこしのために自分でもできることを探し、自然
      食品を使ったレストランを思いついたという。虫食いの野菜が健康にいいことを知っていたため、
      有機農法で育てた野菜や穀物を提供し、苦労して許可を取ったどぶろくを出す店として、ようや
      く近郊の人びとに知られてきたときに、原発事故が起こったのだ。
       「原発が爆発して、放射能が出た話は聞いたけど、どの程度か分かんなかった。そのうち終わ
      るかなという気持ちでいました。爆発して二、三日して雪降ったんだよ、ここ。けっこう積もっ
      たから、みんなして雪かきして。だからその頃いっぱい放射能かぶってるはずだよね、一番強い
      時の雪だから」

 p.118 飯舘村では、一〇二歳の男性が、避難を苦に自殺している。
     「東電も国も何でもっと早くいろいろ教えてくれなかったんだと思って。四月頃が一番怒り心頭だ
    ったけど、もう今となってはあきらめっていうのかな、疲れたっていうのかな、もう起こったことは
    しょうがないと思うようになっちゃったし。うちの中にじっとしてるでしょ。誰ともはなしできねえ。
    だから、疲れたんだね、うん」

 p.120-121 放射能は、不当な差別も生み出している。
       福島県いわき市に住むNさん。五月二六日に東京・お台場に行った。そこでエネルギー転換を
      テーマとした環境展が開催されていたからだ。ソーラー発電機や線量計などの展示会場の一角で、
      若い男性が必死に献血のお願いをする呼びかけが聞こえた。
       Nさんは気の毒になり、自分は数少ないRHマイナス型の血液なので、同じ被災地でけがや病
      気をした人のことが思い浮かび、少しでも役に立てるならと考えた。
       入口で「自分は福島県のいわき市から来たから、多少放射能を浴びているかもしれない」と言
      うと、若者は途端に顔色を変え、ブースの中へ入っていった。そして「実はダメなんです」と言
      われた。Nさんは「いわきは安全宣言が出ているのに、なぜだめなのか、献血できないのか」と
      聞いたが、若者は答えることができなかった。
       Nさんはブースの中へ入り、その時出てきた白衣を着た女医に、「遺伝子に傷がついている可
      能性があるのでお断りします」と言われた。「それでは遺伝子の内部被曝はどこで検査したら輸
      血できるようになりますか」との問いに「放射線科ですかね」と女医はあいまいに答えた。彼は
      呆然としてその場を立ち去った。「福島の人は緊急の時でさえ、わが子にも輸血できないのか」
      と落胆した。

       翌日、厚労省に問い合わせると、作業員で一〇〇ミリシーベルトを超える被曝を受けている人
      は、輸血できないと指導しているとの答えだった。当然、彼は当てはまらない。日本赤十字にそ
      う言うと、「指導が行き届かず申し訳ありませんでした」との答えだった。
       その後、自身の遺伝子や被曝状態を検査してくれる機関を知るために厚労省、保健所、総合病
      院、全国医師会などに問い合わせた。しかし、その時彼がたどり着いた最終的な答えは、検査を
      してくれる機関は日本に一ヵ所もないということだった。
 
 p.121-122 ネットに輸血を拒否されたことを書くと、「死ね」「輸血テロ」「人殺し」とたたかれた。
       Nさんは「これは福島だけではなく日本のどこで起きてもおかしくない問題です。日本国民す
      べてにかかわる大切なことだと私は思いますが、人殺し扱いされるほど間違っていたのでしょう
      か」と問うている。


 今回の東日本大震災、ならびに、福島第一原発の事故は、日本国民すべてに関わっている試練です。それ
どころか、日本に暮らす外国人のみならず、あらゆる生物も含めて、存亡の危機を迎えていると考えてよい
ほど、大事な時期です。ここを何としても乗り越えないと、日本という国はその屋台骨を喪ってしまいかね
ません。日本は、先の戦争(アジア・太平洋戦争)で、完膚なきまでに叩き潰されました。それでも、健康
な山河が残されたので、何とか立ち直ることができたのです。食べ物さえあれば、生物は生き延びられるの
です。しかし、今回の事故においては、「放射能」というきわめて厄介な問題を抱えているために、どこを
どうすれば日本と日本人にとって、あるいはその他の日本に住むあらゆる生物にとって、よい結果を生むこ
とになるのか、なかなか見えてこないようです。また、そういった肉体的な問題のみならず、精神的な問題
(差別問題など)も、ずいぶんと根深いようです。今、何らかの指針を出すことは難しいと思いますが、生
き物が健全に生きていくことのできる環境を取り戻し、持続可能な世の中を建設すること、これだけはあら
ゆる角度から見て、間違った方策ではないと思います。
 さて、次回は、「第6章 子どもと学校」に言及する予定です。

                                                  
 2011年9月13日(火)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第4章 事故の隠蔽とメディア

 p.80 戦争と原子力災害に共通なのは、「加害者は市民の被害を隠す」ということである。そして今回、
   この“原則”にマスコミが乗り、巨大な「記者クラブ」が出来上がった。
    東電と政府は事故の状況を隠そうとした。なぜ電源が喪失したのか、どれくらいの放射能が出たの
   か、人びとはどれくらい被曝したのか、手を打った処理が功を奏したのかどうか。情報を自分たちで
   管理するために、いくつかのキーワードを用いた。

 p.81 「想定外の事態」「原子炉は管理下にある」「ベントで出る放射性物質は微量である」「ただちに
   健康に影響が出るレベルではない」「万全を尽くしている」という言葉などである。
    それ以上の追及を押しとどめる役目を果たす言葉も準備された。
    「いたずらに不安をあおる」「不正確な情報に惑わされないでほしい」
    「危険な状態にある」と書いたり話したりすることは、すべて「いたずらに不安をあおっている」
   ろされ、「不正確な情報」ということになった。何が正しい情報かを決めるのは官邸であり、保安院
   であり、東電だった。もちろんこの三者もそれぞれ利害が一致しない場合も多い。それは情報伝達の
   乱れや、責任転嫁の形にみられていく。

 p.82-83 それでは隠すことによって、企業や政府にとって何かいいことはあったのか。
      その問いに対する答えはない。彼らは体質として、その場を切り抜けるために嘘をついていただ
     けだ。こうした嘘は、原子力産業が「絶対に安全である」という神話に成り立つことに、すべて起 
     因していた。

 p.83 これは日本だけの出来事ではない。
    チェルノブイリの雨が降ったドイツでも、当局は隠した。フランスはもっとひどい。フランスには
   放射能は到達しなかったと政府は発表していたからである。旧ソ連が各国との協力で作成しようとし
   た汚染地図も、西ヨーロッパの協力が得られないケースがあった。幾つかの国では、国境線で放射能
   プルームは止められたように見えた。もちろんそんなことができるわけがない。

 p.84 しかし原子力推進の立場をとる国にとっては、汚染がなかったと国民に説明する必要があっただろ
   うし、旧ソ連としては、その国の汚染に対する賠償責任を免れることになる。両者にとって、国境線
   が放射能を止めることは必要だったのだ。

    チェルノブイリ事故から一年半後にヨーロッパの被曝地帯を訪れたときに、一枚のポスターを見た。
   そこには豚が空を飛んでいる絵が描かれていた。そして「地球は平らだ。原発は安全だ。豚は空を飛
   ぶ」と書かれていた。世界中で「原発は安全だ」という嘘がふりまかれたことを風刺したものである。

    チェルノブイリ事故の後、原発産業とは、先ず国民を欺くものであるという認識が世界中に広まっ
   ていった。

 p.84-85 なぜ原発産業は安全だと言いつくろう必要があったか。それは、他の産業とは異なり、ひとたび
     事故を起こすと巨大な規模の被害を生み出すからである。しかし、「安全」のために必要な資金を
     投入すると、赤字になる。そのため事故が起きても、それをなかったことにし、安全だと言い続け、
     隠蔽し、犠牲者が出ても見捨てることになる。さらに放射能と病気の関連を実証するのは困難であ
     ることをいいことに、補償もしない。

 p.85-86 世界の原子力産業にとって大切なことは、事故は原発の構造や設計の問題などが原因で起こるの
     ではなく、人為的なマニュアル無視によって起こるということを人びとに信じさせ、さらにそれに
     よって生じた被害は、最小限に見積もることだった。

 p.86 日本のような地震大国に原発を建てること自体が事故の原因だと考えれば、それは原子力産業にと
   って致命的なことである。しかし、今回の事故が起きた原因が地震と津波であることは間違いない。
   日本の原発産業にとっては、この根本的な問題にはなるべく手を触れずにおくことが必要とされる。
   地震大国である日本では、原発を建設することが不可能になるからである。この問題は、原発のもう
   ひとつのタブー、つまり核廃棄物の最終処分をどうするかという解決不可能な問題とともに、手をつ
   けてはならないことだった。

 p.91-92 しかしこの電源喪失による冷却不能という事態を見れば、人びとを安心させる状況ではないこと
     は誰にでも分かるはずである。安心よりも安全のために、ジャーナリズムとしてはこの時点で「落
     ち着いてできるだけ遠くに避難することが必要です」と呼びかけるべきではなかっただろうか。特
     に妊婦と子どもに対しては、それが必要だったのではないだろうか。ベント実施検討のニュースを
     伝えるときには、ヨウ素剤服用の必要性に言及すべきだったはずである。

 p.92 政府が言う「ただちに」というのは、「急性障害」(やけど、脱毛、下痢、嘔吐など)が起きない
   という意味であり、住民のためには「晩発性障害」(数年後に発症するがんなど)についても考えな
   ければならないはずだ。NHKが国の発表のおかしさについて指摘せずに、追認した例だった。

 p.93 後になって、東電も政府も、多くのことを国民に知らせず、意図的に隠していた事実が次々に明ら
   かになっていった。こうした状況で、事故直後の最も大切な時期に、メディアが自分の取材や発表の
   検証を行わないで、まるで中継のように東電や政府の言い分や分析を伝えることしかしなかったのは、
   かえって国民に動揺や不安を与え、大きな問題を残すことになった。住民に被曝を強いることになっ
   た責任も、東電、政府とともにメディアも負わなければならないのではないだろうか。


 地震や津波は「天災」であって誰を恨むこともできませんが、原発事故やその後のデータ隠蔽は「人災」
であって、明らかに「誰かが」責任を取らなければなりません。しかし、この国の一部の人は責任転嫁を繰
り返し、二重の罪に陥っていると思われます。事故を起こした罪はいまさらどうしようもないのですが、そ
の後の隠蔽工作はそれ以上にいただけません。小生は、こういう事態ですから、国民全員が責任を取らなけ
ればいけないのではないか、と思っています。原発建設を阻止できず、ぬくぬくとその恩恵を蒙っていたの
ですから。日本に住んでいる以上、「わたしには関係ありません」とは、誰にも言えないのではないでしょ
うか。そして、「犯人捜し」よりも、事態収拾の方が大事であって、国民が一致団結して国難に立ち向かう
必要があると思います。したがって、上に書かれている記事に同調はいたしますが、いまさら政府、東電、
保安院、マスコミを叩いても無益だと思います。小生も、仮に政府の中枢にいたら、やはり平気で隠蔽工作
に荷担したかもしれないのですから。とにかく、安全とは言えない原発を廃炉に追い込み、放射能汚染が著
しい地域から人々を避難させることは、今なすべき国民の義務だと愚考します。
 さて、次回は、「第5章 広がる放射能被害」に言及する予定です。

                                                 
 2011年9月11日(日)<その2>

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第3章 避難した人びと

 p.56 浪江町両竹(なみえまちもろたけ)の新妻アイ子さんは、海辺から五〇〇メートル、福島第一原発
   から北に四キロほどの集落で夫と農業を営んでいた。三月一一日午後、家の中で精米をしているとき
   に地震が襲ってきた。とっさに外へ飛び出すと、瓦が落ち、石塀が倒れてきた。
    「津波が来るから逃げろ」と隣家の男性が怒鳴って知らせてくれたため、畑仕事をしていた夫と裏
   山に逃げた。しかし教えてくれた男性を含め、隣の家は親子三人、津波に飲みこまれた。

 p.61 アイ子さんと夫は、何も持たないまま逃げた。一〇円すらなかったという。しかし知り合いが五万
   円を封筒に入れて渡してくれた。「嬉しかったよ。義援金いただいてから返しに行きました」とアイ
   子さんは言い、「普通はこんなとき、誰も貸さねえよ」と涙ぐんだ。夫が泥だらけになっていたので、
   下着から何から全部くれた人もいた。

    地震と津波に襲われた後、家族の誰一人、原発が危ないなんて思わなかった。思う余裕さえなかっ
   た。しかし爆発したと聞いて久美さん(=アイ子さんの娘)は「ありえない」と思った。昔から周り
   では、原発が爆発するときには東京の人もみんな死んでしまうんだと話していた。しかし、たいして
   深く考えていたわけではない。

 p.62-63 原発から二〇キロ圏内の浪江町に住み、南相馬市の小学校に避難した男性は、東電への不満を漏
     らした。
      「私らは関東に送るための電力を引き受けたばっかりに、こういう避難の苦痛を強いられて」
      彼は、東電の社員たちは給料を半減させ、歴代の役員に対しても退職金を強制的に返還させるぐ
     らいの措置が必要だと考えている。東電社員が謝罪に訪れた時のことをこう話した。
      「土下座なんて誰でもできるよね。で、おれらが何聴いても「分かりません」って。だから質問
     するのが馬鹿らしくなってきて。おれはマスコミも信じてないからね。信じたらだめなんだ、自分
     で判断しないと。本当のことなんだか、どうなんだか分かんねえんだから」
      謝罪と同時に公表された事故収束に向けた工程表にも不信を募らせている。最終的な処理方法を
     聞いても「分かりません」と繰り返すばかりだったからだ。
      彼は説明会の途中で質問する意味がないと思い、たばこを吸いに外に出た。気持ちをおさめてか
     ら戻ると、説明会はすでに終わっていた。その晩は眠れなったという。

 p.63-64 「(警戒区域を)コンパスで測ったために、ここの地区の北の方は仮払金もらえない。コンパス
     外ですから。だから私、これをコンパス政治って呼んでます。マル書いて終わりでしょ。
      補償金受けとりまでの流れを書いた紙を持ってきて、みんなに配ったんですけど、もしかすると
     B型肝炎訴訟みたいに和解までに二〇年、三〇年かかるんだろうなって思いました。で、その間に
     どんどん人が死んでいくでしょう。裁判になれば必ずそれぐらいの年数かかりますからね。それ狙
     ってんだろうな」
      そして、保安院に対する不満も漏らした。
      「政府や東電よりも責任重いのは、保安院ですね。やつらが避難所回って土下座して回るのが筋
     だと思ってんですけど。監督責任者ですからね、原発の」

 p.68 この時、家族はみんな異変を体で感じていた。なにかおかしいと肌で感じた。空港(=福島空港)
   ではみんな頭痛がした。Yさんの妻は空港で鼻血を出した。Yさんも後に鼻血を出した。

 p.70 いわき市に戻り、ラジオで二〇日に長崎大学の山下俊一教授の後援会があることを知った。

 p.70-72 「私が知りたかったのはとにかく安全か安全じゃないかということでした。家族を連れてきてい
     いのかだめなのかということです。その時に山下教授は開口一番、安全です、と言いました。誰が
     質問しても安全です、大丈夫です、問題ないですと言い切ったのです。すごい先生が長崎から福島
     まで、自分も被曝する可能性があるのに来てくれて、安全だって言うんだから間違いないよなって、
     自分を納得させて東京に戻ったんです。家族を連れに」

 p.72 放出された放射性物質の量も明らかにならず、また、原発事故の収束も見通せない中で、なぜ安全
   だと言えるのだろうか、現状の放射線測定値に基づく見解だとしても、無用な被曝を避けるために、
   「避難できる人は避難したほうがいいです」と言うべきではなかっただろうか。原発から放射能は出
   続けていたのである。今後、どのような被害が生じるか定かではない。Yさんの妻は「山下教授は、
   五年後一〇年後に残る罪作りをしたんです」と言う。

 p.73 Yさんが、あのとき山下教授が言っていたことが本当なのかと疑問に思うようになったのは、イン
   ターネットで調べ始めてからだった。教授の名前を打ち込んだら、「御用学者」というキーワードが
   出てきた。山下教授は二一日の福島の講演では「放射能の影響は、実はニコニコ笑っている人には来
   ません。クヨクヨしている人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」と発言していた。
   「それで、これはひょっとしたら自分は騙されているのではないかと思って……」とYさんは言う。
    はっとして、テレビもラジオも新聞も、まったく真実を伝えていないのではないか、と思い始めた。
   コンビニはみんな閉まっていて、雑誌は手に入らなかった。だから本当に頼れるのはインターネット
   だけだった。でもネットをしない人は、情報を知らないままだった。
    「私の親は大丈夫だと刷り込みをされて、マインドコントロールされているような状態だと思いま
   す。正しい情報を得るのがこんなに難しいのかと初めて知りました。情報操作って本当にあるんだな
   と。放射能は安心していい、そんなこと気にしなくていいと、毎日聞いていればみんな信用しますか
   らね」

 p.73-75 文部科学省は米国エネルギー省と共同で、原発から八〇キロ圏内の地表汚染マップをつくり、五
     月六日に公表した。それによると、セシウム134(半減期約二年)とセシウム137(半減期約三〇年)
     による汚染が三〇〇万ベクレル/平方メートル以上となる地域は、飯舘村南部まで広がっていた
    (ベクレルは放射能の量を表す単位。原子核が一秒間に一個崩壊すると一ベクレルになる)。これ
     は、チェルノブイリ事故の強制移住対象(五五万五〇〇〇ベクレル)よりも高い値だ。いわき市北
     部や福島市東部の一部でも、六十万から一〇〇万ベクレル/平方メートルを記録している。
      つまり、震災から二ヶ月近く経って、かなりの広範囲で重大な汚染が進んでいた実態が明らかに
     なったのである。


 ときに人は天使にもなれますし、悪魔にもなれます。しかも、自分のなしている行為が「天使的行為」な
のか、「悪魔的行為」なのか、自分自身で見分けがつかないこともままあるようです。自分が悪魔でもかま
わないという人も中にはいるでしょう。しかし、一般に人は、他者の行なっている行為が、果たして「天使
的」なのか、「悪魔的」なのか、あるいはそのどちらでもないのか、見分けがつかなければなりません。も
し、他者の間違った行為に同調すれば、望まずして自分が悪魔になってしまうことすらあり得ます。ここに
登場する山下教授がどういう方なのかまったく存じ上げませんが、明らかに大量の放射能が漏れているのに、
「大丈夫、安全です」はないだろうと思います。どんな思惑があるのか知りませんが、後年になって多くの
被曝被害者が現れたとき、彼はどんなコメントを漏らすのでしょうか。まさか、「想定外でした」ではない
ですよね。
 さて、次回は、「第4章 事故の隠蔽とメディア」に言及する予定です。

                                                  
 2011年9月11日(日)

 今日も大学に来ています。片付けておかなければならない仕事があるからです。午前11時より、丸ノ内緑
地を出発点として、ひろめ市場→帯屋町→大丸前→はりまや橋→電車通り→四電前→県庁前→丸ノ内緑地と
いう経路をたどる「脱原発パレード」に参加しました(「グリーン市民ネットワーク高知」の一会員として)。
6月11日以来です。その時は福島の原発事故から3ヵ月が経過した日でした。今日は、半年が経過した日とい
うわけです。まだまだ日中は猛暑が続きますが、すべての原発を停止させるためには、この程度の暑さで参
っているわけにはいきません。物心ついたとき以来、市民運動などむしろ冷ややかな目で見てきた小生です
が、こと「原発」に関しては話が違います。デモに出るのもこれが2回目ですが、おざなりではなく、ここ
ろから原発をなくしてもらいたいと願っているからです。推進者たちは、原発の危険性について、あらゆる
欺瞞的な言説を流布することによって隠蔽してきました。もちろん、そのことも罪深いと思いますが、彼ら
にも立場や言い分というものがあるのでしょうから、あえて非難するつもりはありません。しかし、だから
と言って、原発を全面的に廃棄するまでは、一切妥協するつもりもありません。原発は「百害あって一利な
し」という決まり文句すら当てはまらないほど、世界中の生きとし生けるものにとって、危害しかもたらさ
ないものです。電気を欲しがって命を喪う人がいるとすれば、傍目から見れば「悲喜劇」そのものでしょう。
少なくとも小生は、放射線を浴びつつ死んでゆくなんて真っ平御免です。これからも、デモがあればなるべ
く参加したいと思います。全国的に展開されているらしいので、気の向いた人は参加していただきたいと思
っております。

                                                 
 2011年9月10日(土)

 本日も、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要部
分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈
は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第2章 原発作業員は何を見たか

 p.30 その時とっさに、大きな横揺れが来たときはものすごい地震が来る、と何かの本で読んだのを思い
   出した。「あ、まずい」と思って「来るぞ!」と叫んだ。その瞬間に今まで体験したことのない、も
   のすごい縦揺れが始まった。

 p.32-33 その時Tさんの頭には一瞬。、「地震のあとは必ず津波が来る」という考えがよぎった。でもそ
     れはせいぜい二、三メートルだろうから被害は出ないはずだ、と思い直した。正門のすぐそばに企
     業棟が並んでいる。そこにある自社の事務所に入ると案の定、机も椅子も散乱し、天井は落ち、パ
     ソコンはひっくり返っていた。地震から約二〇分後、彼はカバンに弁当箱などを入れて、転がって
     いたヘルメットをかぶって外へ出た。

 p.33-34 他のチームが次々と帰ってきて、彼らの口から、「一〇メートルくらいのものすごい津波が押し
     寄せて、海のそばの駐車場の車が流された」と聞かされた。すぐに作業員には解散命令が出て、帰
     宅した。土日の間に電話も復旧し、電気もすぐ来るだろうから、月曜日あたりからまた原発で作業
     できるようになるだろうと考えていたという。

 p.34 その対策本部のホワイトボードには、「福島第一原発、ECCS(緊急炉心冷却システム)が動かない」
   と書いてあった。しかし、まさかすべての冷却装置が作動しなくなるとは思いもしなかった。海側に
   あるポンプが津波で全滅し、さらに建屋が飲み込まれて、地下のディーゼル発電機を水没させ、燃料
   タンクも押し流され、冷却不能になっていることを知ったのは翌日だった。

 p.35 避難の途中、バスの窓の外に流れる景色や、潰れた家を見ながら、Tさんは、「もしかしたらここ
   はチェルノブイリ原発近くの街みたいに廃墟になるんじゃないか」と思ったという。原子炉が大変な
   状態になっていることを知ったのは、彼が原発から三、四〇キロほど離れた田村市の避難所に着いた
   後に、NHKのニュースを見たときである。

    そして午後三時三六分に1号機が爆発した。後に1号機が骨組みだけになってしまったのを目にし
   て、「もしかしたら原子炉圧力容器が壊れてしまったのかもしれない」と、めまいがしてきたほどだ
   ったという。

    当時、首相も官房長官も保安院も「心配ありません、大丈夫です」を言っていたが、Tさんは「そ
   んなはずはない」と考えた。「すごい汚染になるはずだ。保安院が放射性物質は微量だと言っていた
   が、少しでも経験と知識のある人なら、こんな発表を信じるわけがない。核燃料も間違いなく溶けて、
   下に溜まっているはずだ」と思ったという。それに計測制御設備自体が溶けて壊れているかもしれな
   いし、データも信用できないかもしれない。水位計も高温でやれているかもしれない……。

 p.36 そのうち「赤紙」つまり戻れという連絡が来た。それを見て彼は「人海戦術の海になる」ことを覚
   悟した。戻ることにしたのだ。その時の気持ちは「ああ、おそらくこれから死ぬんだろうな」という
   ものだった。出発の前日は気持ちが重く、「明日死んでしまうんだな。でも悔やんではいないな、昔
   の特攻隊員ってこんな気持ちだったんじゃないかなぁ」と考えたという。

 p.36-37 防護服と全面マスクでは放射線が防げないと最初から分かっているので、とりあえず現場では走
     って移動するしかない。4号機の近くまで行ってわずか二〇分くらい作業したが、それだけで一・
     六ミリシーベルトを浴びてしまった。一般の人が一年で浴びる制限値の一・六倍を二〇分で浴びた
     ことになる。

 p.37 しかし戦車もヘリも投入していた自衛隊が、現場に行ってみると、誰一人いないのに驚いた。「自
   衛隊、もっと全面的に協力してくれよ」と思ったという。

 p.37-40 原子炉建屋に入るのは非常に危険なので、自衛隊の中央特殊武器防護隊(旧化学防護隊)が、東
     京電力の社員と一体となって建屋の中に入り、現場の放射線量を測定することを期待していたが、
     危険な現場で目にするのは作業員だけになっていた。

 p.40 自衛隊がなぜ姿を消したのかはすぐに分かった。3号機の爆発の時に、東京電力は「絶対爆発はし
   ないから大丈夫」と言うので、自衛隊は装甲車ではなくジープのような車で現場に行った。車が3号
   機のそばに着くのと爆発はほとんど同時だった。車は吹き飛ばされた。「隊員のけがは打撲程度」と
   メディアには発表されたが、実際は打撲どころか下半身不随になった隊員もいたという噂が作業員の
   間で流れていた。
    その日のうちに自衛隊は郡山駐屯地へ撤退した。自衛隊の東電不信が、一挙に強まっていき、それ
   で非協力的になったという。「チェルノブイリの時は、民間と軍が一体となって、一刻も早く事態を
   収束させようとしたのに」とTさんは悔しがる。
    現場に復帰すると、東電や国の言い分の矛盾が目につくようになった。ベントで大変な量の放射性
   物質が放出された可能性があるのに、それを国も東電も認めていない。人体に影響がないはずはない
   のに、それを誰も認めない。

 p.40-41 さらに被曝の上限値が一〇〇ミリシーベルトから二五〇ミリシーベルトに引き上げられた。昨日
     まで「危険」だとされたレベルは、今日は「危険じゃない」ということにされた。基準自体がなく
     なり、何が安全で何が危険か、誰にも分からない状態になった。

 p.41 大学の教授たちがテレビに出てきて、「ただちに人体に影響を与える値ではない」と繰り返し言っ
   たが、それで安心して被曝をしてしまった一般の人もたくさん出たとTさんは考える。その人びとが、
   やがて裁判を起こす可能性もあるだろうが、国は絶対に責任を認めないだろう。これまでのように、
   病気と放射能の因果関係はないと言い続けるだろう。
    「最初吹っ飛んだ建屋を見たときに、こんなひどい状態なのに、レベル4のはずはない。レベル7
   の事故が起きているんじゃないかと思いました。メルトダウンに違いないし、残っている2号機もぶ
   っ飛んじゃうんじゃないかと考えました」
    免震棟内には、こんな冗談があるという。
    「ここには情報が入ってこないから、ここが一番怖くない」

 p.43 高度経済成長に取り残された福島県は、新しいエネルギーとして登場した原子力産業を誘致するこ
   とに必死となった。こうして、いわき市と南相馬市の間にある双葉、大熊、富岡、楢葉の町々は、や
   がて「原発立地四町」と呼ばれ、「原発銀座」となっていくのである。

    ここに設置された原子炉は沸騰水型軽水炉(BWR)と呼ばれるもので、アメリカのGE社の設計による
   ものであり、1号機から5号機までの格納容器はMark I型、6号機がII型である。このI型は、アメ
   リカの元GE設計者らによって、従来よりその危険性が何度も指摘されていた。またバブコック日立の
   設計者だった田中三彦氏は、4号機の原子炉圧力容器が製造途中に自重でゆがんだため、ジャッキで
   持ち上げて円形に矯正したと証言している * 。

 * 『原発はなぜ危険か ‐元設計技師の証言‐』、田中三彦 著、岩波新書、1994年<第7刷/1990年第1刷>、
  参照のこと。とくに、「第一部 ゆがみ矯正事件」にその詳細な経緯が描かれている。

 p.44 原発作業員はインタビューで、試運転時に激しい振動が起こり手直しが行われたこと、設計に変更
   が続き工事ができなかったので、先行させた工事に合わせて後から設計図を作り、非常に入り組んだ
   構造になってしまったことなどを語ってくれた。そのため、定期検査で作業員の体が配管の間に引っ
   掛かり、身動きとれないまま時間が経過し、放射線測定器のアラームが鳴り続け、その作業員はやが
   て病死するが、放射能との関連についてとうとう会社は認めなかったことがあったという。

 p.44-45 また、第一原発のこれまでに明らかになった主な事故は、次のとおりである。

       一九七六年四月二日
       2号機で火災が発生。外部には長く隠されていたが、内部告発で明らかにされた。
      
       一九七八年一一月二日
       3号機で日本で最初の臨界事故とされる事故が発生。定期検査中に制御棒五本が抜け落ち、七
       時間半にわたり臨界状態が続いた。東京電力による事故の公表は実に三〇年近くたった二〇〇
       七年三月である。

       一九八八年二月二二日
       4号機で定期検査中、制御棒三四本が脱落した。

       一九九〇年九月九日
       3号機で主蒸気隔離弁のピンが破壊し、原子炉圧力が上昇して自動停止した。

       二〇一〇年六月一七日
       2号機で電源喪失と水位低下が起こる。

 p.45 第一原発3号機では、二〇一〇年一〇月からプルサーマル計画によりMOX燃料(ウランとプルトニウ
   ムを酸化物の形で混合した燃料)が導入され、営業運転に入った。これには福島県前知事の佐藤栄佐
   久氏が反対を表明していたが、後に冤罪といわれる事件によって逮捕され、佐藤雄平氏が後任の知事
   に就任した後、計画が認可されたといういきさつがある。

 p.46 また第一原発の設計には別の問題もあった。アメリカ式にDE社主導で建設されたことにより、竜巻
   やハリケーンの対策として、非常用のディーゼル発電機が津波の被害を受けやすい地下に設置されて
   いたのである。国際原子力機関(IAEA)は、津波対策を含め、何度か耐震工事を進言していたという。
   しかし安全よりも利益を求める東電は聞く耳を持たなかった。

 p.46-47 Tさんは、第一原発の地元の大熊町に生まれ育った。町は原発の恩恵を受けており、東電は子ど
     もたちに対しても至れり尽くせりだったという。ウルトラマンやアニメ映画の上映会も頻繁に行わ
     れ、いつもそれを楽しみにしていた。ふつう映画を見るにはいわき市まで行かなければならなかっ
     たからである。ミニ四駆の模型の組み立て教室もあり、東電は一台一〇〇〇円もするキットを子ど
     もたちみんなに無料で配布した。その時は弁当まで用意して、発電所の中をバスで見学させてくれ
     た。「東京電力ってすげえなーって思いましたね」とTさんは言う。東電は子どもたちの心を確実
     につかんでいった。

 p.47 原発への不安を口にすることは家庭でも仕事場でもタブーだった。しかしTさんは、個人的な関心
   から、チェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故、そして原潜事故などの情報をウィキペデ
   ィアや文献で読んで、勉強するようになっていた。周囲からは、深刻な事故は絶対ありえないと言い
   聞かされてきたが、心のどこかで、もしかしたら起こるかもしれないと考えていた。

 p.48 原発で働くようになってからも、不安が消えたわけではない。町の祭りで原子力推進団体がPRして
   いたので、彼は自分の仕事を隠して、質問したこともある。
    「福島第一原発でシビアアクシデントが起きる可能性を、国や東電はどう考えているんですかね」。
   しかし返事は「チェルノブイリクラスの事故が起きることはまったく想定してしないし、そこまでの
   マニュアルも作成されていないと思います」というものだった。

 p.48-49 「もし制御棒が入らなかったらどうなるんだろう」という不安も付きまとった。しかしすぐに自
     分でその不安を打ち消した。「冷却装置やジェットポンプなどの水の系統が全部動かなくなるなん
     てことは起こらないだろう。電源がなくなってもディーゼル発電機や電源車があるし、どこかで食
     い止められるはずだ」と考えるのだった。

 p.49-50 それでももしシビアアクシデントが起きてしまったら、何十年も人間が住めなくなるし、とんで
     もない事態になるということは脳裏から離れることはなかった。しかし彼にはこうした問題を相談
     する相手がいなかった。

 p.50 原発で働いていて労働環境が改善されることもあった。昔の福島第一原発は今と比べると汚染が非
   常に高かった。一九七〇年代ごろには白血病で亡くなる人が多かったという。もちろん国がその人び
   との病気と放射能の因果関係を認めることはほとんどなかったが。
    現在では、定期検診の時など、まず化学洗浄を行い、放射線量を低くして、被曝量を抑えることが
   できるようになっている。また昔は鼻から下半分だけを覆う反面マスクで作業していたが、それも全
   面マスクに代わった。被曝する時間を短くするなど、さまざまな方法で、人体への影響を低減する努
   力も進んだという。

 p.50-51 一方で、定期検査の工期(定検工期)の短縮もすすめられた。Tさんによると、例えば原発を止
     めてから立ち上げるまで、ふつう定検工期は八〇日前後必要とされる。しかし当然のことにその間
     は発電できないし、業者への支払いもかさんでいく。こうした損失は一日あたり一億円とTさんは
     言う。だから東電はなんとか定検工期を短くしようとし、八〇日かかる定検工期を一週間減らして
     七三日でやろうとす。これで七億円の節約になる。これに成功したらさらに五日間短くしようとす
     る。こうしてどんどん期間を短縮していったという。
 
 p.51 しかし四〇日で検査となると、当然本格的な点検はできないので簡易点検になる。例えば分解して
   点検しなければばらないものを、外観だけ見て、「傷なし、油漏れなし。点検終了」というわけだ。
   どうしても手抜きになってしまう。
    こうした流れの中で、自主点検でシュラウド(炉心隔壁)にひび割れが見つかってもなかったこと
   にしてしまったのが、二〇〇二年に発覚した東電のトラブル隠しである。トラブル隠しが暴露され、
   東電はすべての原発を止めて徹底的な点検をしなければならなくなった。その後、定検工期をいった
   ん長くしたが、それがまた徐々に短くなっていく。しかも今度は人海戦術で、一日何交代もして短期
   間で済ませようとする。作業員の負担は大変なものになったという。作業員はけがをしないように注
   意しながら、高い品質を保つようにしなければならない。

 p.52 東電によると、原発構内で三月から四月にかけて緊急作業に従事したのは八三三八人。
    全員が被曝し、そのうち一一一人は一〇〇ミリシーベルト以上被曝していることが判明した(七月
   一三日現在)。上限二五〇ミリシーベルトを超えたのは六人で、最高で六七八ミリシーベルトに達し
   ている。
    この被曝量をどう考えればよいのか。過去にがんを発症して労災認定された原発作業員一〇人のう
   ち、九人(白血病五人、多発性骨髄腫二人、悪性リンパ腫二人)は累積の被曝線量が一〇〇ミリシー
   ベルト以下で、最も少ない人は約五ミリシーベルトだ(七月二六日付毎日新聞)。今回の事故で作業
   員たちがいかに多量の被曝を強いられているかが分かる。
    また、厚生労働省によると今回の復旧作業に携わった作業員一九七人と連絡がとれず(七月二〇日
   現在〔原文には「日」の字が抜けているので補っておく〕)、被曝量が測定できないという非常にず
   さんな管理も明らかになっている。


 さまざまなリスクを背負わなければ運営できない施設を、単に「お金が儲かるから」という理由で存続さ
せることは、小生にはきわめて愚かなことだと思いますが、世の中にはそれを愚かなことと思わない人もい
るようです。誰にも責任の取れないことを許しておきながら、致命的な事故を起こしたらそれを隠蔽し、さ
らに多くの人びとを地獄に突き落とすような真似がよくできるもんですね。しかも、そういうことをする人
が、たとえば「悪魔」のような存在だったらまだ納得がゆくかもしれませんが、責任ある地位に就いている
「紳士」なのですから呆れ果てます。今からでも遅くはありません。ここに書いてあることが、一過性の悪
夢であって、二度と起きないことを祈ります。それにしても、人間のすることなすこと、本当に愚かですね。
涙が止まりません。その後、笑いが止まらなくなりました。やはり、ヘーラークレイトスの徒であるよりも、
デーモクリトスの徒でありたいと念じているからでしょう。不謹慎かもしれませんが、致し方ありません。
 さて、次回は、「第3章 避難した人びと」に言及する予定です。

                                                  
 2011年9月9日(金)

 本日より、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及します。例によって、主要
部分を引用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文
脈は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第1章 地震、そして事故発生

 p.12 (三日目:3月13日〔日〕)まもなく、3号機のベント(一般に、圧力容器に取り付けられた排気弁、
   排気ラインのことをベントという。その弁を開けて圧力を調整する安全弁のこと。ここではその弁か
   らの排気のことを指して使用した言葉であると思われる)が開始された。放出される放射能は微量と
   の報告が繰り返されたが、前日の1号機の水素爆発もあり、実際にはこのとき猛烈な放射能が一帯を
   覆い始めていた。そしてそれは知らされなかった。その汚染のさなかに私たちは原発に向かったこと
   になる。

 p.14-17 双葉町は、私がこれまで経験したことのない高濃度の放射能で覆われていた。
      しかし、その街に人びとの姿を見つけ、私たちは驚いた。自転車やバイクで移動する人もいた。
     自転車の男性を止めて聞くと、そんなに放射能が高いなどとは信じられないと言う。「念のための
     避難」「ただちに健康に影響がない」と繰り返し聞かされたため、深刻な事態と受け止めている人
     はほとんどいなかった。

 p.17 避難のためにために街に出るときも、数千円しか持たない人が多かったという。
    みんなすぐに公民館などに集められ、数日の避難だと告げられてバスに乗せられた。避難生活も三
   日目を迎えると、ある人は預金通帳を取りに、ある人はペットに餌を与えに戻って来ていた。ビニー
   ルハウスで栽培する花に水を与えに戻ろうとしていた人もいた。情報が与えられないまま、人びとは
   確実に猛烈な被曝を強いられていた。


 今日はこれだけに留めておきます。次回に言及する予定の「第2章 原発作業員は何を見たか」があまり
にショッキングなので、最初から飛ばすのもどうかと思い、そう決めました。

                                                  
 2011年9月8日(木)

 本日は、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。なお、今回が最終回です。


 第七章 原発に未来はない

 p.162 世界の電力自由化の波は着実に日本にも押し寄せてきていました。EU統合以降のヨーロッパでは新
    規参入業者に電力市場が開放され、発電・送電・配電会社の分離・再編が進んでいます。日本の電力
    会社の放漫経営とは全く違った「競争の時代」が始まっているのです。もちろん過度の競争が2000年
    代初頭の米国で「カリフォルニア電力危機」を引き起こしたように、電力自由化が全て正しいわけで
    はありません。
 
 p.162-163 しかし、否応なしに日本の電力業界も市場原理で電気料金を決めざるをえない時代に入りつつ
      ありました。世界一高い電気料金に堪えられなくなった企業が自分で発電所を持つようになり、
      2000年には大口需要家を対象に電力の小売自由化がはじまりました。このような流れが加速すれ
      ば、原発を造れば造るほど電気料金が値上げできて儲かるおかしなシステムは維持できなくなり
      ます。日本の電力会社がこれ以上の原発を抱え込むことのできない時代が確実に近づいていたの
      です。

 p.163 それでも原子力を捨てることができないのは、電力会社だけでなく三菱、日立、東芝といった巨大
    企業が群がって利益を得ているからです。次第に肥大してきた原子力産業は全体で「3兆円産業」と
    呼ばれるほどにふくれあがり、すでに設置してしまった生産ライン、育成・配置してしまった人員も
    膨大です。もはやどうにも止まれない状態になっています。
     しかし、これは原発と関係のない企業から見ればとても迷惑な話です。原子力産業の利益は、早い
    話が電気料金に上乗せされますから、第4章でご紹介したアルミ精錬産業のように、その負担のため
    に潰れてしまう産業も出てきています。企業が自前の発電所を持つようになってきたのも電気料金の
    負担を避けるためだし、生産拠点の海岸移転、つまり「産業空洞化」の大きな原因にもなっています。
    日本経済全体が原発という「重荷」に耐えきれなくなっていたのです。

 p.163-164 すでに世界の先進国は続々と原子力から撤退をはじめていました。貧弱なウラン資源、成り立
      たない経済性、破局的事故の恐れ、見通しのつかない放射性廃棄物の処分などが大きな負担とな
      ってきたからです。ヨーロッパの原子力を牽引してきたフランスにすら新たな原発建設計画はな
      く、ヨーロッパ全体でも計画中の原発はフィンランドに1基あるだけです。米国でも一時期強力
      に原子力の復興が図られましたが、縮小の流れは止めようもありませんでした。

 p.165-166 日本に原子力開発が許されるようになったのは、1952年のサンフランシスコ講和条約発効以後
      のことです。しかし、その時にはもう完全に手遅れでした。核先進国から何周も遅れた状態で、
      これから独力で原子力開発に着手してもとうてい間に合いません。
       残された手段は、海外から原発や原子力技術を買ってくることでした。日本で原発が動いたの
      は1966年の東海1号炉が最初ですが、それは日本が造ったのではなくイギリスから買ったもので
      す。世界の主要な原子力発電利用国である米国、フランス、旧ソ連、イギリス、ドイツ、カナダ、
      日本の中で、独自に原子力技術を開発してこなかった特異な国は日本だけです。

 p.167 しかし、原発を増やしてはみたものの、米国の技術のコピーにすぎないので、致命的なトラブルが
    起こると自力で対処できません。福島第一原発の原子炉はGE(=General Electric)とその技術をコ
    ピーした東芝・日立によって造られましたが、日本の原子力業界では事故に十分な対応ができなかっ
    たことは見ての通りです。

 p.168 日本の原子力技術は元がコピーですから、独力では海外に売り込みもかけられません。「もんじゅ」
    や六ヶ所再処理工場でもお粗末な失敗が繰り返されていることはすでに指摘した通りです。日本はれ
    っきとした「原子力後進国」なのです。
     それなのに原子力推進派は、1979年のスリーマイルアイランド(TMI)原発事故が起きた時には「米
    国の運転員は質が低い」「日本とは型が違う」と言い張りました。そして、1986年のチェルノブイリ
    原発事故の時も「ロシア人は馬鹿だが、日本人は優秀だ」「日本が使っている米国型はロシア型とは
    違う」「日本の原子力技術は優れているから安全だ」と宣伝してきました。「日本の原発だけは安全」
    という根拠のない“神話”は、いつしか日本人の心深くに住みついていきました。

 p.169-170 原子力は現代社会にすさまじい重荷となってのしかかっています。この恐怖から解放され方法
      はただ一つしかありません。「原発を止めること」。ただそれだけです。
       このようなことを言うと「代替案は?」という反論が必ず出てきます。ほとんどの日本人は
      「原発を廃止すれば電力不足になる」と思い込んでいます。そして今後も「必要悪として受け入
      れざるを得ない」とも考えています。それどころか、原子力利用に反対すると、「それなら電気
      をつかうな」と怒られたりします。これらは、根本的な誤解から生じています。
       いちばんの代替案は「まず原発を止めること」です。「代替案がなければ止められない」とい
      のは、沈没しかけた船に乗っているのに「代替案がなければ逃げられない」と言っているような
      ものです。命よりも電気の方が大事なんですね。
       原発は、電気が足りようが足りなかろうが、即刻全部止めるべきものです。
       そして、全部の原発を止めてみた時。、「実は原発がなくても電力は足りていた」ということ
      に気づくでしょう。

 p.171 今回の地震と津波で、原発が止まって電力不足になったような印象がありますが、実は違います。
    火力発電所が被害を受けたことが大きな理由です。

     それでは、原子力発電を全部止めてみたとしましょう。ところが、何も困りません。壊れていた火
    力発電所が復旧し、その稼働率を7割まであげたとすれば、十分それで間に合ってしまいます。原子
    力を止めたとしても、火力発電所の3割をまだ止めておけるほどの余力があるのです。それだけ多く
    の発電所が日本にはあるのです。

 p.173 それでも将来的には、いつか石油資源は枯渇します。それに備えて、今から太陽光や風力、波力、
    地熱など代替エネルギーの開発と普及に務めるべきでしょう。日本は、ほんの少し前まで太陽光発電
    の分野で世界のトップでした。それが、国をあげて原子力にしがみついたばかりに、今や中国やドイ
    ツに追い越されてしまいました。原子力にかける労力をもし太陽光発電に注いでいれば、今も世界の
    トップを走っていたはずだし、太陽光発電もよりコストが安く優れたものになっていたでしょう。

 p.179 300年後には電力会社はなくなっているかもしれません。民主党や自民党もないでしょう。たった
    60年の歴史しか持っていない会社が原子力を推進して「死の灰」を生み出し、それを300年間管理す
    るなんてことが、本当に約束できるのでしょうか。当然、電力会社は「一企業の時間の長さからす
    れば300年は長すぎるから、国が責任を持ってくれ」と言っています。そりゃあ、そうだろうと思い
    ます。電力会社が責任を取れる道理がない。そこで政府は「よし、じゃあ放射能のゴミは国で責任
    を持ってやろう」と言っているわけです。
     ただし、政府に責任は取れないでしょう。日本という国は、明治維新が起きてからようやく近代
    国家になったといいます。それより前は「士農工商」の世界で、侍は刀を持ってちょんまげを結っ
    ていました。それからまだ143年しか経っていません。米国の歴史はわずかに235年です。日本や米
    国という国すら存続しているかどうか分からない未来まで、放射能のゴミをどうやって責任をもっ
    て管理していくというのでしょうか。ましてや、高レベル放射性廃棄物を管理する100万年という時
    間は、何をどう考えていいのか分からないほどです。

 p.182 しかし、もし安全な地球環境を子どもや孫に引き渡したいのであれば、その道はただ一つ。「知
    足」しかありません。代替エネルギーを開発することも大事ですが、まずはエネルギー消費の抑制
    にこそ目を向けなければなりません。


 話は単純です。原発には何のメリットもない(お湯くらいは沸かせるけれど)一方、人類はおろか、地球
上の生物の存続の危機を招くようなリスクに満ちています。小生の認識も著者の小出氏とそれほど違いませ
ん。つまり、専門家ではなくても、原発がいかに危険かは一目瞭然です。推進派の人だって、今回の福島の
原発事故には心底驚いたことでしょうが、事情通ならば、「想定外」ではなかったと思います。ましていわ
んや関係者が知らなかったとは言わせません。もし本当に想定外の事故だったすれば、それほど危険な原発
の存在理由はますます希薄になるでしょう。専門家にも予測がつかないような極めて深刻な事故を引き起こ
したというわけですから。ことここに及んで、まだ経済が持たないとか、電気がなくなるとか騒ぐ人には、
「王より飛車をかわいがりそのものですね」と言ってやりたい気分です。小生は、多少の不便は忍ぶつもり
ですが、放射線にやられて急性の病気に罹って死ぬのは嫌ですし、晩発性の癌に冒されることも真っ平御免
です。「安全な被曝量など存在しない」……小生は、著者のこの単純な言葉を信じたいと思います。
 さて、次回からは、『福島 原発と人びと』(広河隆一 著、岩波新書、2011年)に言及する予定です。

                                                  
 2011年9月7日(水)

 本日は会議等で23時まで手が離せなかったので、予定していた最終回は明日に延期します。

                                                  
 2011年9月6日(火)

 本日も、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第六章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない

 p.140 米国には100基を超える原発がありますが、その多くは東海岸で、大地震が起こる可能性のある地
    域はきれいに避けて建てられています。150基の原発があるヨーロッパは非常に地盤の強い場所で、
    ほとんど地震が起こりません。
     日本はどうでしょう。大地震が頻発している場所なのに、すでに54基もの原発が建っています。地
    球上の地震地帯に原発をたくさん建てているのは「日本だけ」と言っていいでしょう。

 p.140-141 このような行為を後押ししてきたのは「専門家」たちです。例えば1995年1月の阪神・淡路大
      震災が起こる直前、日本の耐震設計の大家は次のようなことを言っていました。「ノースリッジ
      地震の後も、サンフランシスコの被害が大問題となった1989年ロマプリエタ地震の後も、日本の
      建設技術者は、『ところで日本の構造物は大丈夫なんですか』という質問をあちこちで受けるは
      めとなった。『あれくらいでは日本の構造物は壊れません』というのが、私たちの答えである……
      なんと言っても最大の理由は、地震や地震災害に対する知識レベルの高さであろう」(片山恒雄
      東大教授、「予防時報」第180号、(社)日本損害保険協会、1995年1月)
       ところが、阪神・淡路大震災で神戸の街が壊滅してしまいました。次々に倒壊したビルや崩壊
      した高架の姿を生々しく覚えておられると思います。
       その惨状を目の当たりにした日本の耐震工学の専門家の感想は「予想を超える揺れだった」と
      いうものでした。今回の原発事故と同じですね。専門家たちは、平気でいつもそういう言い逃れ
      をします。
       「想定外」の地震が起きても、地熱発電所や風力発電所は無事でした。火力発電所ではだいぶ
      被害が出ましたが、それでも原発の被害とは比べものになりません。「想定外」の事故が起きれ
      ば、人間の手ではどうにも収拾することができない。そんな恐ろしい施設を日本はたくさん造っ
      てきてしまったのです。

 p.142 福島の事故は全ての電源が失われたことによって起こりましたが、専門家たちは発電所の「全所
    停電(ブラックアウト)」が一番危険であることを長年の研究の積み重ねでよく知っていました。で
    はなぜ防げなかったのかというと、「発電所の全所停電は絶対に起こらない」ということにして、そ
    れに「想定不適当事故」という烙印を押してしまったからです。

 p.143 これまで政府や電力会社は「起こりうる原発事故は安全審査で厳重に評価している」と宣伝してき
    ました。しかし彼らの想定する事故では「安全防護装置はいついかなる時にも有効に働き、放射性物
    質を閉じ込める格納容器は最後まで決して壊れない」という仮定になっています。彼らの考える事故
    では、放射能は決して広範囲には拡散しないのです。格納容器が破壊されるような事故には「想定不
    適当事故」なる烙印を押して、破局的事態に至る可能性を無視し続けてきました。

 p.143-144 そういう前提で審査されているので、環境汚染や住民の被曝は考慮されていません。ですから
      広域避難計画の用意などあるはずがなく、汚染地域でも住民たちを避難させることができません。
      すぐに避難はさせられないが、パニックを起こされても困るので「ただちに影響はない」と言う
      しかなかったのです。

 p.144 さらに4月下旬、衝撃的な事実が発覚しました。福島の事故を受けて「もんじゅ」を含む全国の原
    発に非常用の電源車や発電機が配備されましたが、マスコミの取材でこれらの対策が全く役に立たな
    いことが分かったのです。配備された非常用電源では容量が少なすぎて装置の一分しか動かせず「ほ
    とんどの原子炉を冷やせない」とのことでした。
     あれだけの事故を目の当たりにしてもいまだに対策ができていないのですから、お粗末すぎて言葉
    になりません。福島第一原発の事故が起こってすぐ、各電力会社はあわてて非常用電源を準備し「う
    ちは大丈夫です」と言い張ってきました。それらは全部、原発を止めないためのウソだったのです。

     東北地方太平洋沖地震以降、プレートは大変不安定な状態にあります。それが原因で東海地震が引
    き起こされる危険も十分にある。日本は巨大地震や津波から逃げられない土地なのです。そんな場所
    に原子力発電所を54基も建てて、その一つ一つにつき「将来起こりうる事故」の対策をすることなど
    絶対にできません。しかも、日本は福島の事故を目の当たりにしても非常用電源さえきちんと用意で
    きていない国です。


 この後、浜岡原発(中部電力管内)、上関原発(中国電力管内)、使用済み核燃料再処理工場(日本原燃
株式会社/青森県六ヶ所村)、高速増殖炉「もんじゅ」(日本原子力研究開発機構/福井県敦賀市)が極め
て危険な核関連施設として採り上げられていますが、地震・津波対策、環境破壊、放射性物質の処理問題、
経済性などの点で、少しもメリットがないどころか、きわめてリスクが高い点がさまざまな角度から指摘さ
れております。もう、見飽きた事例ですが、それでも原発を維持・推進しようとする人々の意欲はいったい
どこから来るのでしょうか。小生には、強烈な「ニヒリズム」(「その後どうなろうと知ったこっちゃない」
という完全な無責任体制に対して、感受性をまったく働かせることのない、図太い精神構造)のなせる業と
しか思えません。
 さて、次回は、「第七章 原子力に未来はない」に言及する予定です。なお、最終回になります。

                                                  
 2011年9月5日(月)

 本日も、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第五章 原子力は「未来のエネルギー」か?

 p.125 マンハッタン計画(=米国の原爆製造計画)には総額20億ドル、当時の日本の一年間の国家歳出に
    相当するお金がつぎ込まれ、ニューメキシコ州の秘密都市・ロスアラモスに5万人とも10万人ともい
    われる科学者・技術者・労働者を閉じ込めて原爆を作り上げていきました。
     それが炸裂したのが広島・長崎です。広島では推定14万人、長崎では7万人の人々が短期間のうち
    に死亡し、生き延びた人々も「ヒバクシャ」というレッテルを貼られて暮らすことになりました。
     しかし、原爆が示したその強大な爆発力への恐怖は、しだいに「未来のエネルギー源」としての大
    きな期待に転化していきます。
   
 p.125-126 その期待の背後には、近い将来に「化石燃料が枯渇するのではないか」という懸念がありまし
      た。日本の原子力開発が始まった当時、1955年12月31日の『東京新聞』は次のように原子力発電
      の未来を描いています。

              ※            ※           ※

       「三多摩の山中に新しい火が燃える。工場、家庭へどしどし送電。さて原子力を潜在電力とし
      て考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、地球上から次第
      に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠なものといっ
      てよいだろう。……電気料金は2,000分の1になる。……原子力発電には火力発電のように大工
      場を必要としない、大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運びこみ、たきがらを捨てるた
      めの鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいら
      ないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所というこ
      とになる」

              ※            ※           ※

      この記事の後半部分が完全な誤りだったことは皆さんご存知の通りです。電気料金は2,000分の
     1になるどころか、どんどん高くなって今や世界一高額となりました。また原子力発電は火力発電
     に比べてはるかに巨大な工場となりましたし、三多摩のビルの地下に原子力発電施設など建設でき
     るわけもなく、過疎地に押しつけたままです。

 p.126 しかし、この記事の前半に書かれていること、すなわち「化石燃料はいずれ枯渇するので、原子力
    こそが未来のエネルギー源になる」という見通しは今も語れ続けていますし、多くの日本人もそれを
    信じ込んでいます。「資源枯渇の恐怖」が原発を推進してきたと言っていいでしょう。

 p.128 一方、多くの人たちが「未来のエネルギー」との幻想を抱いているウランは、利用できるエネルギ
    ー量換算で石油の数分の一、石炭に比べれば数十分の一しか地球上に存在していません。石油よりか
    なり前にウランが枯渇してしまうことはもはや明らかです。「化石燃料が枯渇するから未来のエネル
    ギーは原子力しかない」という宣伝は、全くの誤りでした。事実を虚心坦懐に見るならば、太陽光や
    風力、波力、地熱といった新エネルギーを推進しつつ、それまでは上手に化石燃料を利用していかざ
    るをえないというのが現実のところなのです。

 p.132 しかし政府は2010年5月8日、再び「もんじゅ」を動かしはじめます。この運転は単に臨界状態が
    達成できるかどうかを調べるだけの試験でしたが、こんな基礎的な試験運転の段階で936回の警報が
    鳴り、32個の不具合が発見されました。その後も「燃料交換炉内中継装置」を炉内に落下させるとい
    う事故を起こし、それが引き抜けない状態になっています。予定されていた40%出力試験は絶望的で
    しょう。
     そもそも、15年間も動かなかった機械をまた動かそうとしたこと自体が常軌を逸しています。2011
    年2月には、復旧作業にあたっていた日本原子力研究開発機構の課長さんが山の中で自殺していたこ
    とが発覚しました。
     この日本という国は、いまだに1kWの発電もしていない「もんじゅ」にすでに1兆円を越える金を
    捨ててしまいました。ところが、こんなでたらめな計画を作った歴代の原子力委員は誰一人として責
    任を取らないまま原子力界に君臨し続けています。そして、いまだに「高速増殖炉はすぐにでも実現
    できる」とうそぶく学者さえいます。

 p.134-135 プルサーマルが危険なのはなぜでしょうか。
       どんなものでも、何かものを作る時には「余裕」を持たせて作ります。それでも考えていた通
      りの余裕など実際にはなくて、事故を起こしてしまうことがあります。福島第一原発の事故など
      はその典型でしょう。
       普通の原子力発電所はウランを燃やして発電するために設計されたものです。その原子炉で燃
      やす予定でなかったプルトニウムを燃やすことになれば、当然ながらさまざまな問題が起こって
      安全性は低下します。
       そのことを専門的には「安全余裕」を低下させると言います。想定していたウランと異なるも
      のを燃やせば、安全余裕が食いつぶされることになるわけです。現在、政府と電力会社はプルト
      ニウム入りの「MOX燃料」(ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料)を「全炉心の3分の1ま
      で入れても安全だ」と説明していますが、それはもともと危険な原子炉をさらに危険にする行為
      です。
       例えるならば、灯油ストーブでガソリンを燃やそうとする行為に似ています。灯油に1%のガ
      ソリンを混ぜてストーブに入れてもたぶん動いてくれるでしょうが、5%、10%とガソリンの割
      合を増やしていけば、いつか大火災が発生してしまうでしょう。

 p.136 つまり、高速増殖炉を中心とした核燃料サイクル計画の破綻によってプルトニウムが大量に余り、
    それを消費するためにさらに危険な原発を建てていることになります。愚かな行為のためにさらに愚
    かな選択を迫られる「悪循環」に陥っているのが、日本の原子力の本当の姿です。


 1955年当時の「バラ色の未来図」には呆れる他ありませんが、わたしたちはえてして根拠のない楽観論に
浸りたくなるようです。「石橋を叩いても渡らない」という極端な臆病風に吹かれることは、確かに日本の
未来にとって芳しくないことかもしれません。しかし、大博打を打って、元も子もなくすような政策には、
やはり「ノー」を突き付けなければならないでしょう。プルサーマル計画には、今のところまったく未来は
ありません。どうしてこんなことにお金をかけようとするのか、小生にとってもまったくの謎です。「電気
が必要だから、電気を作ろう」という時代は過ぎ去りました。わたしたちの未来にとって真に必要なものを
見定めて、賢く生きていく以外、わたしたちに道はないと思った方がはるかに健全だと思います。
 さて、次回は、「第六章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない」に言及する予定です。

                                                 
 2011年9月4日(日)

 本日も、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第四章 原発の“常識”は非常識

 p.101 政府や電力会社は、福島の事故が「想定外」だったと強調しています。しかし彼らは原子力発電所
    に事故が起これば大惨事になることをはじめからよく知っていました。だから東京電力は自社の給電
    範囲に火力発電所は建てても、原子力発電所だけは建てませんでした。そんな危険なものを人口の多
    い地域につくることはできない、人口の少ない田舎に押し付けてしまえ、というわけです。

 p.101-102 それでは、日本の原子力発電所はこれまでどれだけの電気を作り、また同時に「死の灰」を作
      ってきたのでしょうか。今日まで日本の原発が生み出してきた電気の総量は7兆kW時に達します。
      想像もつかないぐらいのすごい量ですが、原子力でそれだけの電気を作ったということは、その
      分確実に「死の灰」もできているということです。

 p.102 それが今や積もりに積もって、広島原爆の約120万発分に達するほどになりました。放射能の減衰
    を考慮に入れても現在のところ80万発分を超えています。日本のあちこちに広島を壊滅させた原爆の
    80万倍もの「死の灰」がたまっている。
     福島第一原発の事故は、そのごくごく一部が飛び出してしまったものにすぎません。たったそれだ
    けのことで、安心して水も飲めない、空気も吸えないようになってしまう。本当に原発は恐ろしいも
    のなのです。

 p.103 電力会社は、勝手に好きな場所に原発を造っているのではありません。国の原子力委員会が定めた
    「原子炉立地審査指針」に基づいて立地を選定しています。「指針」に掲げられた三条件は「原子炉
    から一定の範囲内は非居住区域であること」「その外側は低人口地帯であること」「原子炉敷地は人
    口密集地帯から離れていること」です。もし本当に原発が安全なら、こんな条件を掲げる必要はあり
    ません。電力の大消費地である大都市に建設したほうがずっと効率がよいのですから。

 p.106 原子力損害賠償法が最初に設定した賠償措置額は50億円。「それ以上の被害が出たら国が国会の議
    決を経て援助を行う」と定めています。この法律はほぼ10年ごとに見直されており、2009年にも改定
    されて賠償措置額は1,200億円になりました。
     1,200億円というと私たちからすれば想像もつかない大金ですが、電力会社は「どうせ保険だし、
    それで済むなら原子力発電をやってみるか」と思ったでしょう。ただし「それ以上の賠償金は国で支
    払ってくれ」ということにして、今日までやってきたのです。逆に言えば、もし全ての被害を電力会
    社が賠償する制度だったら、原子力発電をやろうとはしなかったはずです。

 p.106-107 日本は資本主義社会です。企業には「お金を儲ける自由」が認められていますが、そのかわり
      何らかの事故を起こして誰かに損害を与えた場合、「自分たちで補償する」のが原則です。とこ
      ろが原子力発電は「電力会社は事故時の賠償金を全額払わなくてもよい」という、本当におかし
      なシステムのもとに成り立っているのです。

 p.107-108 さすがに政府は「東京電力の損害賠償免責はありえない」「一義的には東京電力に責任がある」
      と言っていますが、5月13日に正式発表した賠償スキームによれば、東京電力の存続を前提とし
      て「原発賠償機構(仮称)」を作り、他の電力会社の資金拠出や公的資金投入で賠償支援を行う
      ことになっています。また、「電力の安定供給に支障が生じる場合は国が補償を肩代わりできる」
      という条項も盛り込まれました。つまり原子力を推し進めてきた体制を何の反省もなしにそのま
      ま維持し、全国民に電気料金値上げと税金の形で事故の責任を押しつけようとしているのです。

 p.108 電力会社は慈善団体ではありませんから、単に損害賠償から免責されるだけでは原子力発電に手を
    染めたりしないでしょう。「利益」が出る成算があってはじめて本腰を入れることになります。これ
    まで原子力が推進されてきた一番の動機、それは何といっても個別企業つまり電力会社の利益です。

 p.109 資本主義社会では、商品の価格は市場原理で決まります。価格が不当に高い製品は生き残ることが
    できません。ところが日本では一つの会社からしか電気を買うことができないので、いくら料金が高
    くても消費者はそれを買わざるをえないのです。こういった独占構造の中で、電力会社は電気事業法
    で「利潤」を出すことが保証されています。

     電力会社も会社である以上、必要経費がかかります。減価償却費、営業費、それに税金も支払わな
   くてはなりません。その必要経費に利潤(事業報酬)を足したものが「総括原価」と呼ばれるもので、
   この額が全て電力会社の懐に入るように電気料金を決めることになっています。つまり、電力会社は
   何をやったとしても絶対に損はしません。

 p.109-110 それでは、電力会社はどうやってこの利潤を獲得するのでしょうか。
       普通の会社は汗水たらして少しでもいい商品を作り、それをたくさん買ってもらうことによっ
      て儲けを出します。
       ところが電力会社は違います。「レートベース」というものに「報酬率」という一定のパーセ
      ントを掛けて利潤を「決める」のです。
       では、その「レートベース」とはいったい何でしょうか。要するに電力会社が持っている「資
      産」のことです。「資産の何%かの額を自動的に利潤として上乗せしていいですよ」ということ
      が、法律でおおっぴらに認められているわけです。
       ここで原発が大活躍します。原子力発電がこの「資産」をたくさん増やしてくれるのです。原
      発は建設費が膨大で、1基造ると5,000億円、6,000億円。核燃料も備蓄できるし、研究開発など
      の「特定投資」も巨額です。
       それら全てが「資産」となって、利潤を決める際のベースをつくり上げてくれます。つまり原
      子力発電をやればやっただけ、原発を建てれば建てただけ、電力会社は収入を増やすことができ
      る。とにかく巨費を投じれば投じるほど電力会社が儲かるシステムです。そのため、夢中になっ
      てこれまで原子力を推進してきました。

 p.112 電力会社などが主張している原発の安いコストは、実は一定のモデルで産出された金額にすぎず、
    現実を反映していません。発電に直接要する費用に再処理などの費用、そして開発や立地に投入され
    る国の財政支出などを合わせると、実際のコストは水力や火力より高くなってしまうのです。

 p.112-113 「揚水発電」とは、主に原子力発電のために存在している施設です。原子力発電は小回りがき
      かず、一度運転し始めたら1年は稼働率100%でずっと発電し続けます。夜間は消費電力が減り
      ますが、止めることができないので電気が余ってしまいます。仕方がないので、余った電気を消
      費するために「揚水発電所」というのを造ります。上と下に池を造り、夜に余った電気で下の池
      から上の池に水をくみ上げておき、電気をたくさん使う昼間に上の池から下の池に水を落して発
      電するのです。
       そのたびにエネルギーを3割ロスしていくという非常にばかげた“電気を捨ててしまう”発電
      所ですが、この発電単価が桁違いに高い。でも、これは原子力発電のために必要なものですから、
      その分を上乗せして計算するとさらにコストは高くなります。「原子力発電が安い」なんていう
      のは全くのウソなのです。

 p.113 地球温暖化が叫ばれるようになって以来、政府や電力会社は「原子力は二酸化炭素を出さず、環境
    にやさしい」「地球温暖化防止のために原子力は絶対に必要」と宣伝してきました。電力会社のパン
    フレットにもそう書いてありますし、マスコミを使ってのPR活動もさかんにそう主張しています。原
    子力発電はウランやプルトニウムの核分裂現象を利用します。確かに核分裂は通常の物が燃える時に
    二酸化炭素を出す現象とは異なりますから、そのことを強調して「原子力は二酸化炭素を出さない、
    だから原子力を使おう」と言ってきたわけです。

 p.114 ところが、どうも最近様子が変わってきました。どうなったかというと「原子力は『発電時に』二
    酸化炭素を出さない」と表現するようになってきたのです。「発電時に」という言葉がいつの間にか
    滑り込んできました。私じゃなくて、日本の国や電力会社がそう言うようになったんです。どこかお
    かしいと思いませんか。
     実は、原子力発電も二酸化炭素を出しています。それも、おびただしい量を出しています。そのこ
    とは、原子力発電がトータルでどういう作業をしているかを見ればすぐに分かります。
     今日では標準になっている100万kWという原子力発電所を一年間動かすためにはどういう作業が必
    要でしょうか。
     原子力発電所を動かすと、1年間に70億kW時という電気が出てきます。これが原子力発電から得ら
    れるメリットです。しかし原子力発電所を動かそうとするなら、発電所を建てるだけでは済みません。
    まず燃料が必要です。その燃料はウラン鉱山からウランを採掘して運んできます。運んできたウラン
    はそのままでは発電に使えないので、製錬所に運んで「製錬」します。

 p.114-115 まだ終わりません。製錬したウランを、今度は原子炉で燃やすことができるように「濃縮」し
      ます。一口にウランといっても、その中には燃えるウランと燃えないウランが存在しています。
      大部分は燃えない=核分裂しない「ウラン238」で、燃える=核分裂する「ウラン235」はわずか
      に全体の0.7%しかありません。そこで燃えるウラン235を集める作業が必要になります。これが
      「ウラン濃縮」です。
       さらにそのウランを「加工」して燃料ペレットにし、それから燃料棒の形にしなくてはなりま
      せん。ようやくここにきて原子炉の中で使える燃料ができあがります。

 p.115-116 もうお気づきだと思いますが、それぞれの工程で実に莫大な資材やエネルギーが投入されてい
      ます。そして、これらの採掘、運送、製錬などに使われるエネルギーは、ほとんどが石油などの
      化石燃料です。そうすると原子力発電所が動くまでに、すでにたくさんの化石燃料を燃やして二
      酸化炭素を出してしまっていることになります。
      
 p.116 さらに、原子力発電所を建てるのにも、たくさんの二酸化炭素を出します。原発というのは外は巨
    大なコンクリートのお化け、中は鋼鉄のお化けです。この莫大なコンクリートや鋼鉄は、大量の二酸
    化炭素を出しながらでないと作ることはできないし、工事で出す二酸化炭素もおびただしいものがあ
    ります。
     このような明らかな事実がありますから、国や電力会社も「原子力発電は二酸化炭素を出さない」
    と言い続けることができなくなり、「発電時に出さない」という表現に変えざるをえなくなりました。
    しかし、これでもまだウソです。科学的に正しく言うならば「ウランの核分裂反応は二酸化炭素を出
    しません」とだけ言わなければなりません。

 p.116-117 そもそも核分裂反応は二酸化炭素のかわりに「死の灰」を毎日生み出し続けます。「発電時に
      二酸化炭素を生まない」という点だけを強調して、二酸化炭素よりもはるかに直接的に私たちの
      生命を脅かす「死の灰」の危険性に目をつぶるような議論は、根本から間違っていると思います。

 p.117-118 これまで原子力は「クリーン」であるとか「エコ」であるとか、マスコミ、ミニコミその他の
      あらゆる手段を使って四六時中宣伝されてきました。このような宣伝の洪水に晒されれば、多く
      の日本人がそれを信じてしまうのも無理はないかもしれません。
       ところが、このような宣伝に違和感を持ったある一人の若者が、日本広告審査機構(JARO)に
      宣伝の正当性についての審査を求めました。JAROは専門家による審査委員会を作って検討し、20
      08年11月に次のような裁定を下しました。
       「今回の雑誌広告においては、原子力発電あるいは放射性降下物等の安全性について一切の説
      明なしに、発電の際に二酸化炭素を出さないことだけを捉えて『クリーン』と表現しているため、
      疑念を持つ一般消費者も少なくないと考えられる。今後は原子力発電の地球環境に及ぼす影響や
      安全性について十分な説明なしに、発電の際に二酸化炭素を出さないことだけを限定的に捉えて
      『クリーン』と表現すべきではないと考える」
       当然の裁定だと思いますが、JAROは社団法人で強制力を持っていないため、政府と電力会社は
      その裁定を無視して宣伝を続けてきました。しかし、すでにお分かりのように原発は「エコ」で
      も「クリーン」でもなく、温暖化防止にも役立ちません。発電時以前に化石燃料を大量に浪費し
      ている存在なのです。

 p.118 「今、原子力発電所と呼ばれるものがある。でも、あれを原子力発電所と呼ぶのは間違いだ。『海
    温め装置』と呼びなさい」

 p.119 300万kWの熱を出して、3分の1だけを電気にして、3分の2は海を温めている。だから水戸さん
    は原発を「海温め装置と呼びなさい」と言いました。その教えを今も私は心に刻んでいます。

 p.120-121 日本は自然豊かな国で、国土の6割が森林です。「どうしてそんなに緑が豊かなのか」という
      と、雨がたくさん降るからです。日本は世界各国の中でも有数の雨の多い国で、そのおかげで私
      たちは自然の恵みを受けて生きることができます。
       日本の約37万8,000平方キロメートルの国土には、1年間で約6,500億トンの雨が降ります。そ
      の一部分は蒸発してなくなり、一部分は地面にしみ込んで地下水になります。そして残りが川に
      なって流れていくわけですが、その川の流量は全部で約4,000億トンです。私が今住んでいる大
      阪の淀川も含まれますし、荒川も多摩川も含まれます。もっと大きな信濃川とか石狩川も全部含
      めて、1年間に流れる水量が4,000億トン。
       では、日本には現在54基の原子力発電所がありますが、それらから流れてくる7度温かい水が
      どれくらいあるかというと、約1,000億トンです。
       これで「環境に何の影響もない」というほうが、むしろおかしいと思いませんか。現に日本近
      海は異常な温かさになっているのです。温暖化が地球環境に悪いというなら、このような「海温
      め装置」こそ、真っ先に廃止しなくてはいけない。私はそう思います。

 この章は、全部引用したかったぐらい、原発のデメリットがこれでもかとばかり指摘されています。小生に
とってさほど新鮮ではなかったのですが、さすがに「揚水発電所」の存在には、口があんぐりとしてしまいま
した。これが事実とすれば、何という無駄使いでしょう。また、温度の高い水を海洋に垂れ流すことは知って
おりましたが、7度も高いとは! これも絶句しました。人は、推進しようと思っているものの欠点を隠そう
とするものです。それ自体は驚くに当たらないのですが、原子力発電にまつわる欺瞞がここまでひどいことを
知らなかった人は数多くいるでしょう。今からでもけっして遅くはありません。原子力発電所は、メリットよ
りもデメリットの方がはるかに多いこと。それどころか、致命的なリスク(原発事故や核廃棄物の処理問題な
ど)を背負っていることを肝に銘じなければなりません。小生は根っからのアバウト人間ですが、ことが「原
発」となれば話は別です。万難を排して、原発をこの世からなくさなければならない、と思っております。
 さて、次回は、「第五章 原子力は「未来のエネルギー」か?」に言及する予定です。

                                   
 2011年9月3日(土)

 本日も、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第三章 放射能汚染から身を守るには

 p.69 当たり前ですよね。「被曝」とは、私たちの体を作っている分子結合の何万倍、何十万倍ものエネ
   ルギーの塊が体内に飛び込んできて、遺伝情報を傷つけることです。被曝量が多ければ、火傷、嘔吐、
   脱毛、著しい場合は死などの「急性障害」が現れます。
    しかし、ちょっとDNAに傷がついた程度でも、その傷が細胞分裂で増やされていくわけですから「全
   く影響がない」なんてことは絶対に言えません。「人体に影響のない程度の被曝」などというのは完
   全なウソで、どんなにわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊するという現象
   は起こるのです。

 p.70 利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会(註:電離放射線の
   生物学的影響に関する委員会=米国科学アカデミー所属)は以下の結論に達した(2005年の報告)。
    被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であって
   も、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。こうした仮定は「直線、しきい値なし」モデルと呼ば
   れる。

    「しきい値」(閾値)というのは、症状が出はじめる最低限の被曝量のことです。つまり、「この
   量以下の被曝なら安全ですよ」という値です。低レベルの被曝は人体に害がないという考え方は、こ
   の「しきい値」が存在するという前提で成り立っています。

    しかし、BEIR(=電離放射線の生物学的影響に関する委員会)報告が結論づけているように、そん
   なものは存在しません。低線量の放射線でも必ず何らかの影響影響があるし、そしてそれは存在し続
   けます。どんなに少ない被曝量であってもそれに比例した影響が出る、このような見方を「直線、し
   きい値なし」(LNT:Linear Non-Threshold)モデルと呼びます。

 p.70-71 LNTモデルが出てきた背景には、非常に長い期間にわたる研究の積み重ねがあります。広島・長
     崎に原爆を落とした米国は、1950年から被爆の健康影響を調べる寿命調査(LSS:Life Span Study)
     を開始しました。広島・長崎の近距離被爆者約5万人、遠距離被爆者約4万人、さらに比較対照の
     ため原爆が炸裂した時に広島・長崎にいなかった人(非被爆対照者)約3万人を囲い込んで被爆影
     響の調査を進めたのです。半世紀にわたる調査の結果、年間50ミリシーベルトの被曝量でも、がん
     や白血病になる確率が高くなるということが統計学的に明らかになりました。

 p.71 ところが、原子力を推進する立場の人たちはこれらのモデルを絶対に認めようとはせず、「50ミリ
   シーベルト以下の被曝は何の問題もない」と主張してきました。皆さんも報道で何度も聞かされてき
   たと思います。そして、それを裏づける「証拠」として次のような主張がなされています。
   「生き物には放射線被曝で生じる傷を修復する機能が備わっている」(修復効果)
   「放射線に被曝すると免疫が活性化されるから、量が少ない被曝は安全、あるいはむしろ有益である」
   (ホルミシス効果)

 p.72 私たちに備わっている修復機能は、本当に被曝で受けた傷を治すことができるのでしょうか。LNT
   モデルを採用していない国際放射線防護委員会(ICRP)ですら、「生体防護機能は、低線量において
   さえ、完全には効果的でないようなので、線量反応関係にしきい値を生じることはありそうにない」
   と述べています。保健物理学の父と呼ばれ、ICRP委員も務めたK・Z・モーガン氏が「私たちは当 
   初、あるしきい値以上の被曝を受けなければ、人体の修復機能が細胞の損傷を修復すると考えてい
   た。しかしその考え方が誤りであった」と認めている通りです。

 p.73-74 細胞分裂が活発な子どもたち、そして胎児は、成人に比べてはるかに敏感に放射線の影響を受け
     ます。「人体に影響のない被曝」などというものは存在しないのです。専門家たちは、「ただちに
     影響ないレベル」なんてことは絶対に言ってはいけないと思います。

 p.77 チェルノブイリ事故によって、非常に広い地域が「人間が生活してはいけない場所」になってしま
   いました。その面積は、あわせて約15万平方キロメートル。これは日本全土の4割に相当する広さで
   す。
    ところが、ソ連政府が避難させたのは特に汚染の激しい地域(15キュリー/平方キロメートル)の
   住民約40万人だけでした。今なお約565万人が「放射線管理区域」以上の被曝環境でさまざまな病気に
   怯えながら生活しています。

 p.78 福島で起きたレベル7の原子力事故とは、このような大事故に他ならないのです。すでに述べたよ
   うに、福島第一原発から北西約40kmに位置する飯舘村では、チェルノブイリ事故で強制移住させられ
   た地域をはるかに上回る汚染が確認されました。それなのに、日本政府は1か月も住民を放置したま
   までした。

 p.81 ただ一番心配なのは、私たちに大事故の発生が知らされない可能性があることです。政府や電力会
   社は事故を過小評価し、できるだけ小さく見せようとしています。現に福島の事故でも、一刻を争う
   ような事態でありながら情報をなかなか出そうとしませんでした。さらに、事故当時に東京電力の勝
   俣恒久会長はマスコミOBを引き連れて中国旅行に出かけていたようですが、これまで政府や電力会
   社と馴れ合いで情報を垂れ流してきた大マスコミの追及はどうしても甘くなります。厳しく追及して
   いる記者の多くは、雑誌やネットメディア、フリーの記者たちです。

 p.84 年間1ミリシーベルトという基準は、1万人に1人ががんで死ぬ確率の数値ですが、「それは我慢
   してくれ」というのが今の法律です。これが10ミリシーベルトの被曝になると、1,000人に1人がガン
   で死ぬことになります。原子力安全委員会は、すでに放射線量の高い地域の年間限度量を20ミリシー
   ベルトまで引き上げる検討をはじめました。「安全を考えて」基準を決めるのではなく、「現実の汚
   染にあわせて」基準を変えようとしているのです。

 p.84-85 すでに、緊急時における原発作業員の被曝限度量は、100ミリシーベルトから250ミリシーベルト
     にまで引き上げられています。それまでの100ミリシーベルトという数字は、被曝による急性障害
     が出るラインが目安となっていました。それが250ミリシーベルトに引き上げられたということは
     「もう急性障害が出たとしても我慢してくれ」ということを意味しています。

 p.85-86 4月19日、文部科学省は福島県内の学校の「安全基準」を提示しました。それによれば、1時間
     あたりの空間線量率3.8マイクロシーベルト未満の学校には、通常通り校舎や校庭を利用させると
     のことです。
      この「3.8マイクロシーベルト」とは、どのような根拠で決められた数字でしょうか。年間の積
     算被曝量を20ミリシーベルトと定め、子どもが1日8時間屋外にいることを前提として、そこから  
     3.8マイクロシーベルトという数値を導き出したと言います。
      これは正気を疑わざるをえないような高い被曝量です。まず前提となっている年間20ミリシー
     ベルトという値自体がとてつもなく高すぎます。たびたび述べているように、日本で一般の大人が
     法律で許容されている被曝量は年間1ミリシーベルトです。大人よりはるかに放射線に敏感な子ど
     もが、なぜ20倍の被曝を受けさせられなくてはいかないのでしょうか。年間20ミリシーベルトとは、
     原発作業員が白血病を発症した場合に労災認定を受けられるレベルです。

 p.86 さすがに原子力安全委員会の一部委員も「子どもは成人の半分以下にすべきだ」と指摘しましたが、
   文部科学省は「国際放射線防護委員会は大人も子どもも原発事故後には1-20ミリシーベルトの被曝を
   認めている」と開き直っています。結局、原子力安全委員会はろくに検討もせずに文科省の決定を追
   認しました。
 
 p.89 それを解決する唯一の方法は「放射能の墓場」を造ることしかありません。どこに造るかといえば、
   福島第一原発周辺です。原発周辺の汚染はあまりにもひどく、恐れずに現実を直視すれば、将来にわ
   たって無人地帯とせざるをえない状況です。大変言いにくいことですが、おそらく周辺住民の皆さん
   は元に戻れないでしょう。むしろすぐに戻れるような期待を抱かせる方が残酷です。現実的な方策と
   して、私はその無人地帯に汚染されたゴミを捨てる「放射能の墓場」を造るしかないと思っています。

 p.92-93 子どもたちの被曝を減らすために私が提案したいのは「大人や高齢者が汚染された食品を積極的
     に引き受ける」ことです。学校給食などは、徹底的に安全にこだわらなければなりません。政府は
     「暫定基準値」を設けてそれを超えた食品を出荷停止にし、越えなければ「安全」と見なしていま
     すが、それは明らかなウソです。「レベルが低いから安全」なんてことは絶対にありません。

 p.93 チェルノブイリ事故後、ソ連国内とヨーロッパの食べ物は強い汚染を受けました。それを知った日
   本人は、「汚染された食品は食べたくない」と、国に輸入規制を求め、日本はセシウム134と137の合
   計370ベクレル/kg以上のものは国内に入れないようにしました。しかし日本人が食べないからとい
   って汚染した食料がなくなるわけではなく、それらは原子力の恩恵など全く受けていない、貧しい食
   糧難の国々に流れていきました。
   
    私たちはエネルギーを膨大に使える社会があたかも“豊か”であるかのように思い、地域の農業や
   漁業を崩壊させてきました。その象徴が原子力だと私は思います。その原子力が事故を起こした現在、
   さらに農業と漁業を崩壊に追いやってしまえば、事故から何の教訓も汲み取らないことになります。

 p.94 どんな汚染でも生じてしまった以上は拒否してはいけない。「汚染されている事実」をごまかさず
   に明らかにさせたうえで、野菜でも魚でもちゃんと流通させるべきだということ。そして「子どもと
   妊婦にはできるだけ安全なと分かっているものを食べさせよう。汚染されたものは、放射線に対して
   鈍感になっている大人や高齢者が食べよう」ということです。


 放射能の何たるかについてまだまだ無知な小生にとって、ここに書かれていることがどれほど信憑性のあ
ることかは判断できません。しかし、仮に、著者が許容被曝量のまやかしについて述べていることが本当な
らば、「専門家」と称する人々の「すぐには健康被害は出ません」という言葉は、「ウソ」ではないけれど
も、「ウソ」以上にひどい言説ではないかと思わざるをえません。専門家が、「晩発性障害」の可能性に蓋
をすることは、「どうせだいぶ先のことなのだから、何も自分たちが責任を取る必要はない」といった高を
くくった態度です。もし、専門家がこのような責任逃れを「当然」と看做すようになったのだとすれば、ま
さに世はお先真っ暗と言わざるをえないでしょう。そうでないことを祈りたいのですが、果たしてどうでし
ょうか。「放射能の墓場の創設」や「大人や高齢者が汚染食品を積極的に消費せよ」といった言説について
は、判断を留保したいと思いますが、おおむね著者の考えには賛意を表したいと思います。また、80-81頁
に展開されている「被曝を防ぐ具体的方法」に関しては、小生には非現実的に思えましたので、割愛させて
いただきました。
 さて、次回は、「第四章 原発の“常識”は非常識」に言及する予定です。

                                                 
 2011年9月2日(金)

 今日も、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第二章 「放射能」とはどういうものか

 p.44 放射能は、もともと「放射線を出す能力」を意味する言葉ですが、日本では「放射性物質」を指す
   言葉としても使われています。要するに、テレビや新聞に出てくるヨウ素、セシウム、プルトニウム
   のことです。一般に「放射能」と言われる場合、たいてい放射性物質を意味していると考えてよいで
   しょう。

 p.44-45 「放射能は五感では感じられない」とよく言われます。しかし放射性物質も物質である以上、重
     さもあるし、目で見ることも、触ることも、場合によっては臭いを感じることすらできるものです。
     ですが、これらの放射性物質が五感で感じられるほど身近にあるとすれば、人は生きていられませ
     ん。
      そればかりか、特殊な装置がないと計測できないほどのわずかな量で、十分に人を殺すことがで
     きます。2006年11月23日、旧KGB、ロシア連邦保安庁(FSB)の職員だったアレクサンドル・リトビ
     ネンコさんがロンドンで毒殺されました。毒として使われたのは「ポロニウム210」という放射性
     物質です。おそらく食べ物や飲み水に混ぜられたのでしょうが、リトビネンコさんはポロニウムの
     「味」を感じることなどできなかったでしょう。用いられた量は「100万分の1グラム」にも満た
     ない量のはずだからです。
      そんなごくごくわずかな量が体内に入っただけで人を被曝させ死に至らしめてしまう。そこに放
     射性物質の恐ろしさがあります。

 p.45-46 人類で最初に放射線を発見したのは、ドイツの物理学者レントゲンでした。1895年、陰極線管
     (テレビのブラウン管もその一種です)の実験をしていたレントゲンは、偶然「正体不明の不思議
     な光」が発生していることに気がつきました。そして彼はそれを「エックス線」と名付けました。

 p.46 それ以来、たくさんの人たちがエックス線の正体を探るための研究を始めました。翌1896年には、
   フランスの物理学者ベクレルがウラン鉱石も謎の放射線を発する力を持っていることを発見し、それ
   を「放射能」と名付けました。続いて1898年には、キュリー夫妻がウラン鉱石の中からラジウムとポ
   ロニウム(キュリー夫人の祖国ポーランドにちなんで命名)を分離し、それらこそが放射能を持って
   いる正体であることを突き止めて「放射性物質」と名付けました。彼らの発見の功績をたたえて「ベ
   クレル」や「キュリー」は放射能の強さを表す単位として今でも使われています。

 p.50 核分裂反応が起こると、中性子線、ガンマ線などの放射線が大量に放出されます。JCO事故では近隣
   住民に「避難要請」「避難勧告」が出され、10km圏内にも「屋内退避要請」が出されましたが、結局
   700人近くが被曝してしまいました。中でも現場で作業にあたっていた3人の労働者が大量被曝し、そ
   のうち大内久さん(当時35歳)と篠原理人さん(当時40歳)が、筆舌に尽くしがたい苦しみの末に亡
   くなりました。

 p.51 国立病院も専門病院も治療できないほどの被曝というと、今にも死にそうな意識不明の重体患者を
   思い浮かべるかもしれません。でも、東大病院に運び込まれた当時の大内さんには目に見える外傷も
   なく、看護師さんとおしゃべりするほど元気な様子だったといいます。

 p.54 亡くなった2人がどれだけの量の被曝をしたのかというと、大内さんが18グレイ当量、篠原さんが
   10グレイ当量です。「グレイ」とは物理・化学的な放射線の被曝量を測る単位ですが、ここでは皆さ
   んがご存知の「シーベルト」という単位(生物的な被曝量を測る場合に使う)に置き換えていただい
   て結構です。
    人間が2グレイ、つまり2シーベルトという量を被曝すると、中には「死ぬ人」が出始めます。被
   曝量が多くなるにつれて死ぬ確率はどんどん高くなっていき、4シーベルト被曝すると2人に1人は
   死にます。これを「半致死線量」といいます。8シーベルト被曝すると絶望的で、全員が死にます。
   放射線を使い始めてから100年の歴史の中で、こういう事実がだんだん科学的に分かってきました。
   被曝量から見て、大内さん、篠原さんは、到底助かる見込みはなかったのです。

 p.56 大内さんは自分の身体を再生する能力を失って亡くなりました。篠原さんもそうです。DNAがお互い
   を引き付け合っている数eV(=エレクトロンボルト)のエネルギーに比べて放射線の持つエネルギー
   は数十万から数百万倍も高いために「生命情報」がズタズタに引き裂かれてしまったからです。

 p.57-58 原子炉でウランを燃やす(核分裂させる)と「核分裂生成物」という放射性核種が何百種類も作
     られますが、今大量に環境に飛び散っているのは、「ヨウ素」という一群の放射性核種と、「セシ
     ウム」という一群の放射性核種です。なぜヨウ素とセシウムかというと、この二つは「揮発性」が
     高い、つまり飛び散りやすいからです。おそらく原子炉の中にたまっていたもののうち、もう数%
     が外に出てしまったと思われます。もし私が恐れている最悪のシナリオ・水蒸気爆発が起こり、圧
     力容器、格納容器とも破局的に壊れた場合、それらの数十%が環境に飛び出すことになるでしょう。
     チェルノブイリの時は、原発内部にあったヨウ素の約50-60%、セシウムの約30%が外に出てしま
     いました。

 p.63 原発事故の直後、テレビ番組の解説者は1時間あたりの放射線量をレントゲン写真やCTスキャン、
   東京・ニューヨーク間を航空機で往復した場合の被曝線量と比較して「(放射能汚染は)それほど心
   配するレベルではない」などと説明していましたが、これは比較する基準が全く違います。
    例えばレントゲン写真は1日24回撮影するわけではありません。放射性物質を体内に取り込めば1
   日24時間、何日もずっと内部被曝し続けるわけで、外部被曝と単純に比較できるものではないのです。


 数字をやたらに出して説明する言葉よりも、直感に訴えてくる言葉の方が、ときには説得力を持つようで
す。もちろん、科学時代の申し子であるわたしたちが、非科学的な言説を妄信するような態度は許されませ
ん。しかしながら、小生のような疑り深い気質の者にとって、「科学的」と称する言説のまやかしにうんざ
りすることもしばしばです。「数字でしか説明できないのか」と言いたくなるほどです。たしかに、何かを
比較するときには数字は有効でしょう。しかし、初めから拵えてあった結論を支えるために、都合のよい数
字ばかり並べて素人を言いくるめようとするような言説には、激しい怒りさえ感じます。まだ、放射性物質
に関して一般の人に知識が乏しかった頃、プルトニウムを「プルト君」というユル・キャラに託して、「万
一飲んでも大丈夫です」なんていうビラが存在したそうです。関係者に人々を誑かす意志があったとすれば、
完全に「犯罪」と言ってよいでしょう。ところで、この本の著者の小出氏も、けっこう数字をお使いになり
ます。小生としては、その部分だけは割り引いて受け取ることにしています。
 さて、次回は、「第三章 放射能汚染から身を守るには」に言及する予定です。   

                                                  
 2011年9月1日(木)

 本日より、『原発のウソ』(小出裕章 著、扶桑社新書、2011年)に言及します。例によって、主要部分を引
用させていただきます。ほぼ、原文通りです。しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 まえがき

 p.2 私はかつて原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人間です。でも、原子力のことを学んでその危
   険性を知り、自分の考えを180度変えました。「原発は差別の象徴だ」と思ったのです。原子力のメリ
   ットは電気を起すこと。しかし「たかが電気」でしかありません。そんなものより、人間の命や子ども
   たちの未来のほうがずっと大事です。メリットよりもリスクのほうがずっと大きいのです。しかも、私
   たちは原子力以外にエネルギーを得る選択肢をたくさん持っています。

 第一章 福島第一原発はこれからどうなるのか

 p.11 2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東京電力福島第一原子力発電所を津波が
   襲いました。それ以来、私たちは歴史上ほとんど類のない原子力災害の中を生きています。
    私は40年間、原発の破局的な事故が必ず起こると警告してきました。その私にしても、今進行中の
   事態は悪夢としか思えません。

    そして問題は、原発は膨大な危険物を内包している機械であり、大きな事故が起きてしまえば破局
   的な被害を避けられないということです。

 p.12 しかし、安心できる材料はまだ何一つありません。放射性物質は漏出し続けているし、これまで累
   積した汚染もきわめて深刻です。福島県飯舘村では、チェルノブイリ事故で強制移住となった地域を
   はるかにしのぐ汚染が確認されました。海にも信じがたいほど高濃度の汚染水が流されています。福
   島県内の多くの市町村が「警戒区域」「計画的避難区域」に指定され、住民たちは避難生活を余儀な
   くされています。楽観できる状態にはまったくなっていないのです。

 p.13 ところが実態は違うのです。原子炉は今もきわめて危機的な状態にあります。それどころか、この
   ままだとチェルノブイリを超える大事故に発展する可能性さえ十分に残しています。
    そう考えざるをえない理由は、毎日大量の水を注入しているにもかかわらず、原子炉が正常に冷却
   できていないからです。

 p.14-15 福島第一原発で最初に起きたことはいたって単純です。発電所が「全所停電」したこと、それに
     よって原子炉の冷却ができなくなってしまったことです。
      原子炉の中で発生する熱エネルギーを冷やすためには、水を送り続けなくてはなりません。その
     ためにはポンプを動かす電源が必要ですが、原子炉を緊急停止させたので自分では電気を起すこと
     ができなくなり、また地震と津波によって外部からの送電線と非常用発電機も使えなくなってしま
     いました。電源車を構内の電力系統に接続する場所は水没してしまっていて、電源車も使えません。
     一切の電源が断たれてしまったのです。
      私たちはそれを「ブラックアウト」と呼び、原発が破局的事故を引き起こす最大の要因であると
     警告してきました。

 p.20 チェルノブイリの時は「地球被曝」という言葉ができたほど広範囲に放射能汚染が広がりました。  
   もし、福島第一原発で1号機から3号機までの原子炉、そして大量の使用済み核燃料がむき出しとな
   って溶けてしまった場合、それ以上にすさまじい汚染が全世界を襲うことは確実です。首都圏はおそ
   らく壊滅してしまうでしょう。

 p.20-21 この最悪のシナリオが現実になる可能性は今も消えていません。回避する唯一の方法は、原子炉
     に水を入れてひたすら冷却することだけです。政府や東京電力は当然そのことをよく理解していて、
     だからこそ作業員の被曝限度を無理やり引き上げ、急性障害が出るレベルの被曝にも目をつむって
     作業を続けさせています。この瞬間も現場で被爆しながら必死に働いている人たちの努力によって、
     何とか最悪の事態を押さえ込めているのです。しかし、いまだに原子炉を正常に冷やすことができ
     ない以上、どのような不測の事態が起きてもおかしくありません。事態が好転していると思い込む
     のは現段階では早計です。少なくともこの危険な状態が半年は続くと考えなくてはいけないでしょ
     う。

 p.21 工程表通りに作業が進んでくれれば、こんなに嬉しいことはないですが、まず無理だと思います。
   やがて見直しを迫られると思った方がいいでしょう。
    その理由は二つあります。第一に、放射能汚染がひどすぎて作業が進まないということです。冷却
   を続けない限り原子炉が溶け落ちて破局に至る可能性が今でもあります。従ってやるべきことはただ
   一つ、原子炉に水を入れ続けることです。

 p.21-22 しかし、ずっと外部から水を注入しているわけですから、入れた分は外に溢れ出ることになりま
     す。もちろん出てくるのは放射能で汚染された水で、それが敷地内や建屋のあちこちにたまって作
     業員を被曝させています。1,000ミリシーベルトを超える高濃度の汚染水が見つかった場所もあり
     ました。その量もすでに10万トンに達し、処理の方策が見えません。放射能汚染水の処理が進まず、
     イタチごっこが続いている間に「工程表」は時間切れを迎えてしまう可能性が高いと思います。私
     は4月初頭から、「汚染水を巨大タンカーで柏崎刈羽原子力発電所に輸送し、そこの廃液処理装置
     を使って処理すべき」と主張してきましたが、残念ながら実現しませんでした。

 p.26 4月末に1号機の「水棺」作業が始まりましたが、必要とされる7,400トンの水を注入しても圧力容
   器内の水位は上昇しませんでした。5月12日までに注入された水は計1万トン以上。ところが水はたま
   っていません。東京電力は、「3,000トン近くの水がどこかに行っている」と述べていますが、格納容
   器に損傷があって水が漏れていることは明らかでしょう。5月14日、1号機原子炉建屋の地階で3,000
   トンほどの汚染水が確認されました。水を入れれば入れるだけ汚染水が漏れてくるので、「水棺」方
   式は断念せざるをえなくなることは確実です。

    私を含めた多くの研究者は、「とにかく循環式冷却システムの構築を急ぐべきだ」と主張してきま
   した。原子炉を水で冷却する作業を徹底して行わなければならないのですが、外部から水を入れ続け
   る以上、汚染水が溢れてきて工事が妨げられます。そこから抜け出すためには原子炉を冷やす水を循
   環式にし、途中に熱交換器を設置して熱だけを環境に捨てるようにしなければいけません。

 p.28 東京電力はもちろん循環式冷却システムが必要と考えています。5月13日、東京電力は仮設の空冷装
   置を用いた冷却システムの設置にとりかかりました。除熱できるならば水冷でも空冷でもいいのです
   が、依然として汚染が進んでおり作業の難航が予想されます。「進むも地獄、退くも地獄」の膠着状
   態の中で、作業員たちの被曝が蓄積する一方です。

 p.31-32 政府と東京電力に求めたいのは、情報を選別して小出しにするのではなく、生データを全て開示
     してほしいということです。そうすれば、専門家なら誰でも自分で検証することができます。クロ
     ル38検出に関しても、間違ったデータを開示したことによって世界中の専門家が「再臨界が起こっ
     た」と判断し、非常に驚きました。

 p.32 4月下旬、東京電力と原子力安全・保安院、原子力安全委員会はそれまで別々に行ってきた記者会
   見を「一本化」することにしました。説明の食い違いを解消することが目的だそうです。しかし、間
   違ったデータを流す、それを訂正する、また訂正……というイタチごっこが常態化しているのに、一
   本化してどうするつもりでしょうか。複数の機関が同時に情報を出せば、私たちはそれらをつき合せ
   て矛盾や隠蔽を発見することができます。ところが、情報の出所が少なくなってしまえば、測定ミス
   や解釈の間違いに気づくことが難しくなります。そもそも事故を起こした東京電力と、それをチェッ
   クする立場の政府が一体となって会見するというのはどう考えてもおかしい。

    しかもこの会見は「事前登録制」で、保安院が参加者を選別できます。「メディアにふさわしい方
   に聞いていただきたいと考えている」そうですが、厳しい質問をする小メディアやフリーの記者が排
   除されていくのではないかと危惧しています。

 p.35 チェルノブイリ原発は、事故が起きるまで「(首都モスクワの中心部にある)赤の広場に建てても
   安全」と宣伝されていて、みんながそれを信じていました。周辺住民は、まさかこんな事故が起きて
   放射能をまき散らすなんて思いもしないで生活してきました。

    事故直後、発電所の所員と駆けつけた消防士たちが、燃えさかる原子炉の火を消すために必死で格
   闘しました。そのうち特に重度の被曝を受けた31人は、生きながらミイラになるようにして、短期間
   のうちに悲惨な死を遂げました。

 p.35-36 モスクワの近くに作業員たちの墓があります。彼らの遺体は鉛の棺に入れられ、墓も隔離されて
     います。遺族も遺体に近付くことはできません。すさまじい被曝をしながら、彼らはできる限りの
     努力をしました。

 p.36 その後、放射能の拡散を防ぐために投入された人員は膨大な数にのぼりました。事故後数年にわた
   って、動員された「リクビダートル」(清掃人)と呼ばれる軍人・退役軍人・労働者たちは、累計で
   60万人に及びます。
    彼らが猛烈な被曝をしながらボロボロに崩れた4号炉を「石棺」で覆ってくれたことによって、さ
   らに大量の放射能が出る事態は防がれました。しかし、この石棺もすでに25年経ってあちこちに損傷
   が生じており、外側にもっと大きなシェルターを作ることになっています。まだ事故処理が終わって
   いないのです。

    「リクビダートル」たちは、鉛のスーツを着て活動しました。鉛はものすごく重たく、そんなもの
   を着たら当然身動きはとれないわけですが、それでも少しでも放射能を防ぐためには着用しなくては
   なりませんでした。彼らはその姿で壊れた原子炉建屋の屋上によじ登り、放射能がそれ以上飛び散る
   のを防ぐ作業を行いました。
    今、福島第一原発の敷地内でも同じように必死で苦闘している作業員たちがいます。これ以上破局
   的な事故に進まないために、彼らの努力が実を結ぶことを心から祈っています。

 p.37 福島第一原発でも事故処理のためにたくさんの車両や機材が使われていますが、それらは放射能で
   汚染されています。原発から20km圏内に、チェルノブイリと似たような「放射能の墓場」を作らざる
   をえないことになるだろうと思います。

    チェルノブイリ原発のあったウクライナはソ連きっての穀倉地帯で、ソ連国内の40%もの穀物を供
   給する豊たかな大地でした。その大地が一面放射能で汚れてしまい、食物を通して「内部被曝」を受
   ける人たちが膨大な数にのぼりました。特に子どもたちが放射能で汚れた牛乳を飲み、小児がんに襲
   われました。

 p.38 チェルノブイリ4号機は、たった2年の運転で炉内に広島型原子爆弾の約2,600発分の放射能をため
   込んでいました。そのうち環境に出たのは約800発分です。その汚染は今も残り続けています。

    当初、ソ連政府は事故を「なかったことにしよう」と考えていました。冷戦時代ですから、原子力
   は軍事機密扱いです。それが漏洩することを恐れたし、また住民たちがパニックを起こすことを恐れ
   たのでした。

    最初はなんとか隠し通せると思ったのですが、あまりにとてつもない事故だったために、すぐにば
   れてしまいました。事故の翌日、1,000km以上離れたスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所で
   チェルノブイリから出た放射能が検出されたのです。西側諸国が騒ぎ出しましたから「もはやこれは
   隠し切れない」ということになって、ようやく公表。住民たちを避難させることにしました。

 p.40 しかしそれらの村々では、自分の意志で残った人たち、、または移住先から帰ってきてしまった人
   たちが今も生活しています。「自分はこの土地でしか生きていけない」と考え、被曝を覚悟の上でそ
   うしている人たちです。彼らは「サマショール」(自発的な帰郷者)と呼ばれます。

    福島の「警戒区域」にも残っている人がいると聞いていますが、今後は自分の意志で戻る人も出て
   くるかもしれません。政府はその時どうするでしょうか。無理矢理連れ出すでしょうか。放置するで
   しょうか。それとも彼らの意志を尊重して必要な支援を提供するでしょうか。私は「汚染された地域
   に住んで欲しくない」と思いますが、人が自分の故郷を捨てるということは、非常に辛いことです。
   単に科学的な尺度だけでは割り切れません。これも、私たちが考えていかなければならない問題です。

 p.41 さて、日本政府は福島第一原発から出た放射能の量を4月現在で「チェルノブイリの時の約10分の
   1」と発表しています。「4月現在」という留保をつけるのなら、チェルノブイリすらいまだに終わ
   っていないのに、福島がこれからどうなっていくかは誰にも想像できません。

    また発電所の規模という観点で見ると、福島第一原発には事故を起こした原子炉が3基もあり、そ
   のほかに大量の使用済み核燃料がくすぶっています。原子炉だけ見ても、チェルノブイリ4号炉が出
   力約100万kWなのに対して、福島第一原発は1ー4号機の合計で300万kW近くあるのです。チェルノブ
   イリ4号炉は停止寸前だったのに、福島第一原発は普通に稼働していたという大きな違いもあります。
   私たちは単純に「10分の1」といって安心せずに、チェルノブイリの教訓からより多くのことを学ん
   でいく必要があるように思います。


 チェルノブイリの教訓を活かしながら、わたしたちは行動しなければなりませんが、福島県における被曝
対策が十全かどうかについては、だいぶ怪しいというのが今のところの感想です。著者は、取り立てて新し
い見解を述べているわけではありません。それでも、わたしたち素人には分かりやすい言葉で語ってくれる
ようです。しばし、耳を傾けてみたいと思います。
 さて、次回は、「第二章 「放射能」とはどういうものか」に言及したいと思います。

                                                  
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