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日日是労働スペシャル III (東日本大震災をめぐって)
日日是労働スペシャルIII(東日本大震災をめぐって)
 月が替わりましたので、「日日是労働スペシャル」の続篇をお届けします。単純に、「日日是労働スペシ
ャル III(東北・関東大震災をめぐって)」と命名しました。主として、今回の大災害に関係する記事を掲
げますが、特定の個人や団体を誹謗中傷する目的は一切ありません。どうぞ、ご理解ください。人によって
は、多少ともショッキングな記事があるかもしれませんので、その点もご了承ください。なお、読み進める
ほど記事が古くなります。日誌風に記述しますが、後日訂正を載せるかもしれません。あらかじめ、ご了解
をいただきたいと存じます。また、ご意見等のおありの方は、muto@kochi-u.ac.jp 宛にメールをいただけ
れば幸甚です。

 タイトルを「日日是労働スペシャルIII(東日本大震災をめぐって)」と改名しました。
                                                 
 2011年5月31日(火)

 本日も、『原発はなぜ危険か ─元設計技師の証言─』(田中三彦 著、岩波新書、1994年<第7刷/1990
年第1刷>)の重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。なお、
文脈は無視しますので、どうぞご諒解ください。


 第二部 “運転中の原発”の安全性

 第一章 理論的構築物の矛盾

 p.52 よくいわれる「今日の科学的、技術的知見」なるものが原発の製造や建設に具体的に反映されるの
   は、“早くて”きょうから数年後に動き出す原発、である。
    このように、ともすると最先端技術の塊のような印象を与える原発も、じつは、周囲で急速に展開
   される重要な技術革新に対してきわめて応答の遅い鈍感な構造物であり、その意味で、すでに何年も
   運転されている原発の多くは「使用年数以上に古い」。

 p.53 原発の安全性を議論するとき忘れてはならない視点は、現在運転されている原発が「同じ安全性を
   有していない」ということだろう。とくに古い原発は新しい原発にくらべて、法的にも技術的にも
   “最近の新しい知見”が反映していない分だけ明らかに危険であり、機器の老朽化と併せて、それだ
   け慎重にケアーされなければならない。

 p.54 この敦賀一号が大阪万国博の開催に合わせるように誇らしく運転が開始されたのは一九七○年のこ
   とだが、すでにそのころまでには、「熱疲労の観点からは、贅肉をつけることは容器の健全性にとっ
   てマイナスである」ことが、設計者の常識になっていた。新しい設計センスとはあい入れない原発が、
   動きだしたのである。
    問題の本質は、年々進んでいく「規格や技術基準の整備」に象徴的にあらわれている。たとえば、
   敦賀原発がつくられた当時の基準と、その後整備された基準とのあいだには、一貫性と質において、
   雲泥の差がある。実際、敦賀原発を今日運用されている技術基準で評価すれば、設計、構造、材料、
   製造、検査などすべての分野で、原発の安全性、健全性と関わるさまざまな問題が表出するはずで
   ある。たとえば、もし“いま”、敦賀一号機をそっくりそのままコピーした原発をつくろうとして
   も、国はその設置を認めないだろう。

 p.57 しかし安全係数をこのように「安全のための余裕代」と解釈するのは、おそらく、あまりにも表面
   的であろう。たしかに安全係数には、構造物に強度的余裕をもたせる意味もあるが、けっしてそれが
   安全係数の本質的な意味ではない。

 p.58 このように安全係数とは、けっして必要以上に余裕をとるためではなく、正確に把握できないもの、
   把握しにくいものがあるという不安や「不確実要素」を配慮して導入されているものだと考えた方が
   よい。

 p.59 繰り返せば、安全係数とはけっして余裕代ではなく、設計上“どうしても必要な”安全代である。
   実際、大きな安全係数がとられていながら構造物が破壊したりすることはよくあるが、それはそうし
   た不確実な要素のいずれかがいわば“予想を超えて”的中したからであって、けっして壊れないはず
   の頑丈なものが壊れているわけではない。

    さて、一般の人ならだれもが、原子炉圧力容器のような重要な原子力発電用機器には化学プラント
   より大きな安全係数がとられているにちがいない、と考えるのではないかと思う。しかし事実は逆で
   ある。

 p.69 大きな事故を起こすことが絶対に許されない原子炉が、さまざまな“質”でこの狭い日本に同時に
   存在することを、「法的に問題ない」といって放置することは、原発の安全性に対する現実的な対応
   ではない。

 p.69-70 問題にすべきことは、本章のはじめに述べたように“いま”ではない。今日運転されている原
     発の多くは、日本の原発技術者がまだ ASME III の解釈も満足にできないときにつくられた“古
     い”ものであることを、忘れてはならない。

 p.72 原発の場合、一度でも大きな事故をおこしたらそれで終りである。整備された基準や指針で古い原
   発の安全性が見直されねば、それらを整備する本当の意味はない。ここに、他の分野の技術規準の整
   備との根本的なちがいがある。しかし先の『原子力安全白書』の文に、「一つ大事故をおこせばすべ
   ては終わる」という危機感を見てとることはできない。


 「この世の中に『絶対的なこと』などない」……かつて、ハーツホーンという哲学者(ホワイトヘッドの
弟子)が、「どんなに堅固な物理法則だって、単なるものの『習慣』にすぎない」と言い切っていたことを
覚えています(『中庸の知恵』、チャールズ・ハーツホーン 著、大塚稔 訳、行路社、1992年)。したがっ
て、いま「絶対的なこと」であっても、将来に亙って「絶対的であること」は保証されません。「一つ大事
故をおこせばすべてが終わる」原発の安全性も、神話にしてしまってはいけません。「事故は起こる」と認
識する方が、より健全な精神の判断だと思います。チェルノブイリや福島の原発も、「絶対安全」を宣言し
て建設されたはずです。「まさか、事故が起こるとは考えなかった。想定外である」……この言説は通用し
ません。「絶対に」事故は起きないと宣言されていたからです。この論法からすれば、今日本にある原発も、
もしかすれば第二の重大な事故を起こす可能性を否定することはできません。この事実に対して、原発推進
派の方々は、どのような回答を用意しているのでしょう。
 また、事故は現存の日本人の全体責任によって対応することができたとしても、核廃棄物の処理に関して
は、現存の日本人だけの問題ではありません。まだこの世に生まれていない人々への、きわめて深刻な「負
の遺産」なのです。したがって、事故が起こるかどうかの問題も大切ですが、もっと大切なのは、現在の科
学技術では処理し切れない核廃棄物の処分問題なのです。事故への憂慮のみならず、遠い将来への配慮を思
えば、原発がいかに理不尽な存在かが十分に分るでしょう。もし、わたしたちが、今後も地球上で生きてゆ
く意思があるとすれば、もう少し慎ましい道を選ばなければならないと愚考します。
 さて、次回は、「第二章 原発の老朽化1──圧力容器の中性子照射脆化」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月30日(月)

 本日から、『原発はなぜ危険か ─元設計技師の証言─』(田中三彦 著、岩波新書、1994年<第7刷/  
1990年第1刷>)の重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。な
お、文脈は無視しますので、どうぞご諒解ください。しかも、話の発端についても引用しませんので、興味
をお持ちになった方は、ご自分自身でこの本を手に取って下さい。


  第一部 福島四号原発・原子炉圧力容器
      ゆがみ矯正事件

 p.37 そんなこともあって、あのゆがみ矯正に関しては、必ずしもこの十数年、同質の疑問を抱きつづけ
てきたわけではなかった。はじめはどちらかといえば純粋に技術的・法的な疑問をもっていたが、次
   第にそれに社会的な視点を付加する形で、ゆがみ矯正問題を考えるようになっていった。

 p.40-41 なぜそんな手品のようなことが可能であったかをここで追及するつもりはないが、結局、絶対
     的な安全性を要求されている原発用の機器といえどもあくまで一民間企業の“商品”であって、
     基本的には「企業の論理」から自由ではないということだろう。製造メーカーは、必要とあらば、
     さまざまな戦略を駆使しながら、ある程度の薄氷はあえて踏むということである。それと同じこ
     とは、電力会社という“電気を売る会社”にもいえることであろう。けっして技術的、法律的
     “良心”が、原発製造メーカーの唯一の行動規範というわけではない。

 p.41 科学的・技術的活動を“中立”とはきちがえ、科学性を前面に立て、一般大衆の論理に共感する視
   座を持たない。

 p.42 あのゆがみ矯正作業を「一般に実施されていること」と判断したのである! 驚くべき、現実感覚
   の欠如である。

 p.43 われわれ一般の人間が国に望んでいることは、問題をすばやく沈静化することではなく、問題を徹
   底的に調査する姿勢であろう。

    国も電力会社も恐れているのは原発の事故ではなく、つねに「問題の拡大」であるようだ。

 p.49 (1)東電は「社内の設計精度基準をパスしないので」と述べたが、第一章で述べたように、パス
   しなかったのは「社内の基準」などではなく、「法規」である。社内の基準であれば、あえて危険を
   おかしゆがみ矯正作業をおこなう必要などなかった。ここに、ゆがみ矯正問題に対する東電の基本的
   な認識のずれが見られる。


 本日は、ボクシングで言えば、ジャブ程度の話です。福島第一原発の第四原子炉は、最初に製造されたと
き歪んでいた。それを、後日になって製造した会社が矯正した。この二つの事実を押さえておけば、十分で
しょう。さて、次回は、「第二部 “運転中の原発”の安全性」の「第一章 理論的構築物の矛盾」に言及
する予定です。

                                                 
 2011年5月27日(金)

 本日も、『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)の
重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第4章 <チェルノブイリ>は終わっていない

 p.231 そうした旧ソ連の汚染地帯の総面積は十三万平方キロメートル、実に日本の本州の五七パーセン
    トに相当する。

 p.232 着の身着のままで避難してから七年がたった九三年五月のはじめ、久しぶりで戻ってみたわが家
    は、泥棒の手で無惨に荒らされていたのである。

 p.234 人々は避難先でも被曝し、数年後、原発には近いが、より汚染の少ないホイニキ地区などへふた
    たび移動しなければならなかった。

 p.235 「「神経血管疲労」という病名をつけることになったのは、ソ連保健省からの通達があったから
    です。「事故の規模はそれほど大きくないから、住民に放射線障害に関連した病気は起こらない」
    という指示があり、われわれ現場の医者は、「放射線障害」と診断することを禁止されたのです。
    (中略)当時、医療分野は共産党とKGBのコントロール下にありましたから、医療検査の結果
    は特別の部屋に保存されて、機密扱いを受けたのです」。

 p.240-241 学術調査としてはきわめて限定的な性格の調査を、「原子力推進」という基本姿勢を持つ政
      治的な組織であるIAEAが宣伝として利用した、つまり「事故の影響を過小評価しようとし
      た」と批判されたのである。

 p.244 十年以上の潜伏期間があった広島・長崎と違い、事故後わずか四年目から小児甲状腺がんが急増
    した理由は、被爆(筆者註:ママ。「被曝」の方が適切か)者集団が数百万人と大きいため、がん
    増加の立上りが早く観察されやすいこと、風土的に人体中のヨウ素が不足した地帯であり、がん誘
    発の感受性が大きい集団である可能性などを指摘している。

 p.245 ロシア語でサルコフォーク、日本語にすると「石棺」。この巨大な原子炉の墓場は文字どおり、
    破壊された四号炉の瓦礫の山のなかに残った放射能や核燃料を封じ込め、外界から長期にわたり遮
    断するためにつくられた。キエフの工場でつくられた鋼鉄のブロックを水路で運び、それを積み上
    げたなかに、遠隔操作の長身のコンベアラインで総量四百万トンのコンクリートが流し込まれた。

 p.247 ロシア人の事故処理作業者の三十万人のうち、三万人が身体障害者となり、すでに五千人以上が
    死亡したという。

 p.251 作業者たちの被曝データは「ノルマ」に合わせて捏造されていたのである。実際、十五レムを表
    示していた総量計を測定官に取り上げられ、針をゼロに戻されてしまったと証言する炭坑労働者も
    いた。

 p.253 チェルノブイリの事故処理作業者の場合、体の外部からの被曝だけでなく、ほこりを吸い込むこ
    となどで体内に入った放射能が健康に与えた影響がきわめて大きかったことである。激しい頭痛や
    記憶障害の出た作業者の脳を切開したところ、セシウム137が検出され、脳機能の破壊が確認され
    るなど、従来の放射線医学の常識をくつがえす症例が次々と発見されているという。広島・長崎で
    は語られなかった「内部被曝」の危険が今まさに明かされようとしているのである。

 p.264 今、原発周辺は、元の静けさを取り戻しているように見える。だが、二万四千年の半減期を持つ
    プルトニウム239をはじめ、ストロンチウム90、セシウム137など、人間の生きる時間を遥かに越え
    て地上に残される放射能との戦いは、実はまだ始まったばかりなのである。

 p.266 チェチェロフ主任は、調査の結果、ほとんどの核燃料は事故によって炉心室から外に放出されて
    いたことを確信したという。これは、核燃料のうちわずか三パーセントだけが、放射能として外部
    に放出されたとしてきたソ連政府の報告とは、百八十度違う調査結果だった。

 p.268-269 「事故によって、この原子炉で何が起きたかを、今もって誰も完全に説明することはできな
      いのです。しかし、このような態度では、安全な原子炉の開発をすることはできません。事故
      の全体像を把握することが大切です。そしてそのためには、ここで起こった破壊のエネルギー
      について、ていねいに検証し尽くさなければならないのです」
    研究を中止させられずに続けるために、自分の被曝線量を決して人には明かさないコンスタ
      ンチン・チェチェロフ。彼にとっては、この原子炉の墓場こそが、未来の科学技術を生み出す
      かけがえのない出発点なのである。

 p.273 この違いの垣根が崩れた時に、軍事と平和、二つの目的に分けることで発展をとげてきたこの半
    世紀の原子力文化は、音を立てて瓦解することになる。すでにインドやイラクの例が示した、原発
    を隠れみのにした核兵器開発のような「越境」に加えて、とてつもない破壊力を内包する原子力と
    いう野獣を人類はコントロールし、その幸福に貢献する創造の母神に変えることができるという二
    十世紀最大の科学神話の土台が、崩壊することになるのである。

 あとがき

 p.278 もはや市民社会から隔たったまま突き進もうとする科学技術に未来はない。人類はいま、チェル
    ノブイリの破局を直視し、新たなシステムを構築する岐路に立っているのである。


 この新書も、出版されたのは今から十五年前のことです。しかし、この新書の訴えることは今でも新鮮で
あるばかりか、誰の胸にも「この十五年間に、核関連技術者はいったい何をしていたんだ」という強い疑問
が湧き上がるのではないでしょうか。原発事故を飛行機の墜落事故ぐらいにしか思っていない人がいるとす
れば、チェルノブイリの汚染地帯が、本州の五七パーセントに及ぶという現実を直視していただきたいと思
います。広大な土地を持つ旧ソ連ですら、たいへんな被害を蒙ったのです。日本のような狭い国で、もし福
島級の事故が再び起こるとすれば、もう日本は立ち直れないでしょう。どんなにたいへんな課題を国家と国
民に強いたとしても、全ての原発をいずれは廃炉にする必要があると愚考します。
 さて、次回からは、『原発はなぜ危険か ─元設計技師の証言─』(田中三彦 著、岩波新書、1994年<第
7刷/1990年第1刷>)に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月26日(木)

 本日も、『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)の
重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第3章 世界は事故をどう受け止めたか

 p.160 原発事故に国境はないという事実である。

 p.161 世界で運転中の原発四百二十八基(一九九五年)のうち、四○パーセント以上がひしめき合う原
    発密集地のヨーロッパで、万が一、どこかの国の原子炉で同じような大事故が起これば、放射能は
すべての国にばらまかれてしまう。実際、チェルノブイリの放射能はヨーロッパの北西の果て、三
    千キロ離れたイギリスにも到達していた。人々は自分の国の原発、そして国境を接した隣の国の原
    発に対しても、見直しを求めて動き始めたのである。

 p.165 脱原発のみならず、環境とエネルギー政策の調和を目指すスウェーデン国民の志が感じられる計
    画であった。

 p.168 「スウェーデンだけが脱原発して、それで安全かしら」。

 p.169 近い将来に迫った電力価格の急上昇を前に、産業界から不安の声が上がり始めた。とりわけ、ア
    ルミ、鉄鋼、紙パルプ、化学工業など電力多消費型産業は、これまで世界の先進国で最も安い電力
    価格のおかげで保たれてきた、製品価格の国際競争力を失う心配が出てきた。

 p.171 一人の生活者としては脱原発に賛成だが、企業の一員としてはそれが自分の首を絞めることにつ
    ながりかねない。工業社会スウェーデンに生きているがゆえのジレンマであった。

 p.172 巨大なエネルギーを生み出す原発を必要とするような社会そのものからの脱却を目指そうと志し
    ていたのである。
     
 p.173 この大胆な節電プログラムの基本精神は、「不便さを耐え忍ぶ節電」や「昔の生活レベルへの逆
    行」ではなく、生活水準は向上しながらの、「快適に暮らしながら無駄を省く」ことにあるとも語
    った。それがどういう形で実行に移されようとしているのか、現場を取材してみた。

 p.175 実際一カ月以上は子どもを外で遊ばせなかったし、生野菜は食べず、牛乳は飲みませんでした。
    今でも、大好きな森のキノコや木の実は、放射能汚染値が高いから食べられません。

 p.176 省エネのためというより、このほうが人間の暮らしかたとして自然だと思いませんか。

 p.177 リダールストローム家ではプロジェクトが始まってから一年間の電力消費をそれまでの三分の一
    に抑えることができたという。環境に有害な石油をやめて、薪を使った暖炉をつくったり、窓も三
    重のガラスにして、暖房効率をさらに上げることを検討していると語っていた。

 p.187 かつて百年前には、ヨーロッパで最も貧しい国の一つに数えられたスウェーデンが、ヨーロッパ
    を代表する工業国に変身し、鉄鋼、パルプ、自動車などの輸出国として繁栄する礎をなしたのは、
    水力→火力→原子力と、環境への影響を考えながらシフトし、強化された電力だった。

 p.188 チェルノブイリから放出され、スウェーデンの大地に降りそそいだ死の灰の下から、人類の未来
    の生きかたを方向づけるモデル社会が生まれようとしていると、私は考えたい。

     世界に先駆けて、一九七○年代に、環境保護を政策の根幹においた政党・緑の党を生み出し、反
    核、反原発そして酸性雨など公害に対する反対キャンペーンの潮流の常に先頭に立ってきた国で、
    <チェルノブイリ>ののちに何が起こっていたのだろうか。

 p.190 しかし、スウェーデン同様、チェルノブイリ事故の放射能が流れこみ、南部を中心に国内に濃厚
    な汚染地帯ができ、長い期間食糧汚染を体験したことで、この国の市民の原子力への信頼感は、強
    力な不信と拒否の姿勢に一気に変わっていた。

 p.190-191 一九八八年暮れに発覚したビブリス原発の放射能漏れ事故隠し……。マスコミを通じて次々
      と明るみに出た原子力をめぐる不祥事の影響で、世論調査(シュピーゲル誌)において、チェ
      ルノブイリ事故以前は二二パーセントにすぎなかった「原子力からの撤退」支持は、その年の
      二月には六二パーセントにまで増えていた。

 p.193 私たちは、原子力の持つ三つの危険性について見誤っていたことに気づきました。
     第一に、原子力システムには絶対的な安全性が確立されていないこと、そして万が一の大惨事が
    起きた場合、膨大な数の人命が脅かされ、居住不可能の土地が生まれ、またはっきりとした影響も
    定かでない遺伝的影響があらわれてしまいます。
     第二に、放射性廃棄物の処分法が確立されていないこと。今後何千年も確実に安全に保管しなけ
    ればならないという課題が、いかに困難であるかは、キリスト生誕以来二千年の人類史が教えてく
    れます。
     第三に、原子力の軍事利用と民生利用をはっきり区別することの困難さです。民生利用という迂
    回路をとって核兵器を調達したインドやパキスタンがいい例です。

 p.199 このように、ドイツでは統一後も原発の新規建設はせず、原子力の新たな開発も行わない現状維
    持、あえていえば「推進から撤退」が、今日まで貫かれてきたといえる。

 p.200 実際、ドイツでは<チェルノブイリ>後に、多くの企業が太陽や風力エネルギーの利用技術の開発
    に向かい、省エネや公害防止技術を加えると、今や世界一の環境保全技術の輸出国となっている。
    九四年に新設された未来省では「こうした環境技術こそ、マルチメディア、バイオバイオテクノロ
    ジーと並んで二十一世紀の新しい分野」に位置づけている。

 p.203 チェルノブイリ原発事故の直後、国民が最も敏感に反応した国、スウェーデンやドイツでも、時
    がたつにつれ、原子力の未来に対する選択が揺らぎ始めているのは確かである。

     原発による発電電力量が世界第二位で、五十五基(一九九四年現在)の原発が電力の八○パーセ
    ントを供給するフランスは、歴史上の経験から、国防とエネルギーの自立には異常と言われるほど
    に固執する国家である。

 p.204 チェルノブイリ原発事故直後には、フィリピンのバターン原発が八七年五月、一度も運転されな
    いまま廃炉となっている。
 
 p.209 「日本ではチェルノブイリのような事故は絶対に起こりませんから」と説明する関西電力の技術
    者の説明に対して、調査阻止行動の先頭に立つ住民は「あんたらはそう思っているかもしれないが、
    わたしらは起こると思う。だけどもし事故が起こったら、あんたらだけでなく、わたしらも死ぬん
    だよ」と切り返している。「安全だから」を繰り返す電力会社と住民の主張は平行線を辿るのだが、
    住民たちが次々と発する声のなかには「事故が現実に起こりうること」そして、その場合の運命は
    発電所の職員も、地域の人々も「一蓮托生」であるという強い確信に満ちた不安が宿っていた。

 p.212 一生懸命金まいてだまそうと思っているんですよ。そう思うと情けないです。

 p.217 「原発立地が過疎を解消する」というキャッチフレーズも、実は、先発地の福島県や福井県の事
    例から必ずしも真実ではないことが今日、明らかになっている。

 p.219 だが、実用化となると話は別だった。原爆の材料でもあり、きわめて強い毒性を持つプルトニウ
    ムを燃料とすること、加えて、水や空気と激しく反応する科学的活性が高いナトリウムを冷却材と
    して使わなければならなかったからだ。また、炉が大きくなるほど暴走事故を起こす危険性が高ま
    ることも、早くから指摘されていた。アメリカの実験炉「FBR-I」では一九五五年に原子炉が暴走
    して炉心溶融事故が起こり、閉鎖に追い込まれた。

 p.223 それは地震に始まり、地下鉄サリン事件、不良債権問題など、日本の信頼性が急落した年の最後
    のニュースでもあった。チェルノブイリ原発事故のあと、いささかもペースを変えずに原発を増設
    し、「原子力こそ未来の日本を支える」、「これからは安全文化の高い日本が世界の原子力をリー
    ドしてゆく」と自負していた日本の自信に満ちた姿が、世界各国の人々にはすでに相当奇異に映っ
    ていたことも背景となっていた。

 p.225 そうしたなかで、もんじゅが当面停止され、次の実証炉開発が遅れるようなことになれば、消費
    されない余剰プルトニウムが生じ、それを何に使うかが問題になる。

     <チェルノブイリ>後の世界における日本の特異性を一言で言えば、事故の体験を糧にした民意を
    反映し、それまでに行政が進めてきた路線を修正したり変更する政治が存在しなかったことである。

 p.228 <チェルノブイリ>はヨーロッパの人々に、立ち止まって考える機会を与えた。そして人々は、か
    つて未来永劫に人類にエネルギーを供給すると考えた原子力が、将来、より理想的なエネルギーを
    手にするまでの過渡的エネルギー源に過ぎないことに気づいた。スウェーデンやドイツでは、人々
    は将来に向けて準備を始めた。<チェルノブイリ>でその考える機会を逃がした日本人は、<もんじゅ>
    の経験を機に、それをすべきだと思う。そのためには文字どおり「文殊の知恵」を官僚組織や専門
    化の枠を越えて広く集める必要がある。エネルギーや巨大科学技術の選択を、閉鎖的な官僚機構の
    手から解放して、市民社会のなかに位置づける。それが、<チェルノブイリ>が世界に伝えたメッセ
    ージのうちで、最も早急に具現すべきことだと、私は思う。


 <チェルノブイリ>や<もんじゅ>の事故から、日本と日本人はほとんど何も学ばなかった、と言うしかない
ようです。悲しい現実ですが、事実だから仕方がありません。しかしながら、<福島>から何も学べないとす
れば、これはもう《終り》を示しています。言い換えれば、最後のチャンスが日本と日本人に与えられてい
るのではないでしょうか。以下は、高村光太郎の有名な詩です。


  あどけない話(昭和三年)

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。


 東京どころか、福島にも「ほんとの空」はなくなりました。人類は、今こそ奢りを捨てて、大自然に対し
て敬虔な気持を抱くべきではないでしょうか。それが今回の災厄で亡くなった方々へのせめてもの鎮魂にな
るのではないでしょうか。
 さて、次回は、「第4章 <チェルノブイリ>は終わっていない」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月25日(水)<その2>

 以下は、中部大学の武田邦彦氏のブログからの引用です。ほぼ原文どおりです。


  科学者の日記(11/05/25) 「縦割り:子供の立場は誰が?」

  子供の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守
 る」ためである。
  食材の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守
 る」ためである。
  でも、どうもそうなっていない。放射線の被曝を受ける子供の立場になった計算を見たことがない。
  基準を見ると水道以外は「自分の職務範囲」だけで被曝限度になるように計算をしている。
  文部〔科学〕大臣は次のように考えている。

  「子供の被曝限度を、法律で定めた(大人の)1年1ミリの20倍にして、1年間に20ミリまでとする。
  子供は学校から帰ると、外には出ないから、学校以外は家の中に閉じこもっているとして、0.4を
 乗じて良い。また子供は食事をしないし、水も飲まないし、砂埃もかぶらないから、すべてゼロにし
 て良い。農水省が「地産地消」とか言って福島の子供達に福島の野菜を食べさせるだろうが、それは
 文科省の管轄ではない。文科省はあくまで学校での被曝だけで20ミリで良いのだ。結果として子供達
 がどのぐらい被曝しても、それは縦割り行政の原則があるので、計算しなくてもよい。
  教育とは上から強制して教えるのだから、子供達の立場など立たなくて良い。文句を言ってくる保
 護者はすべて「モンスター」と言って追い返せ」と言う。

  ・・・・・・・・・

  農水大臣は、「子供は学校では被曝しない。だから、食材と水で1年20ミリシーベルトで基準を作れ
 ばよい。スーパーや生協はどうせ子供の被曝量は計算しないだろうから、基準を300ベクレルと決めて
 おけば、それ以下は<安全だ>と言って販売するだろう。文科省は学校の運動場での被曝を決めるだ
 ろうが、そんなのは農水省とは関係がない。農水省の仕事は、農作物を買う消費者や子供の被曝など
 問題では無く、農家を守ることだ」。
  かくして、国家を信じた親のもとで育つ子供は1年に50ミリシーベルトまで「安全」とされて被曝す
 る。放射線防護学では、大人と子供の感度は3倍とされているので、大人として150ミリの被曝と同じ
 になる。

  ・・・・・・・・・

  日本の大人はどうしたのだろうか? 地方自治体はもちろん、どこでもかしこでも、「被曝しても
 安全だ、放射性物質の含まれている野菜も安全だ。自分だけ助かろうとするのは汚い」という大合唱
 である。
  今まで発がん性物質などに神経を配っていた人たちも、子供達に年間150ミリシーベルト相当の被
 曝をさせても「安全」と言う。
  日本の大人はどうしたのだろうか? 被曝量の計算ができないことはないはずだ。文科省の役人は
 国家試験を通っているのだから、算数はできるはずだ。
  また、いくら縦割り行政でも、同時に国民の一人だから、文科省の役人は農水省の基準を知ってい
 るはずだ。だれも、子供を守ろうとしない? なぜだろうか?
  縦割り社会が続き、なんとか言い訳できれば責任をとらされないという習慣が身につき、「誰のため
 の限度」なのかが判らなくなっているのだろうか?
  私は教育基本法にあると思う。
  今の大人は「自分だけ良ければ良い」という教育を徹底的に受けてきている。政府が1年20ミリまで
 OKといえばしめたもので、他人の子供が被曝しようが関係ないと言う教育を私たちはしてきた。
  だから、政府の高官が「健康に影響はない」と連呼して、家族を遠くに待避させていたのは「教育
 の成果」なのだ。

  ・・・・・・・・・

  私はこのような歪んだ日本社会を元に戻したいと思う。人間としての心を持ち、他人の健康に気を配
 り、高潔な魂を持つ人たちの住む国で暮らしたいと願う。
  そのために、1年20ミリなどと文部大臣が言っても、それを「無視して、子供達のために1年1ミリ」を
 守る活動を続けたい。
  そしてそれを通じて、「他人を痛めても、自分だけ得をすればよい」という社会から、「他人の痛みが
 分かる、誠実みのある社会」に近づけたい。

                               (平成23年5月25日 午後5時 執筆)


 小生は子どもを持っていませんので、子どもを守ろうとする親の気持を正確に把握しているわけではあり
ません。しかし、小生とて人の子、何かにつけ自分の親が小生を守ってくれた記憶はあります。ましていわ
んや、ことが子どもの生命に関わることであれば、どんな親だって向きになるのではないでしょうか。血の
通わないお役人の公式発表に憤っても無駄かもしれませんが、やはり、その人だって人の子のはずですから、
言葉が通じるまで説得する必要があるのでしょう。「どんな量であれ、放射線を被曝して、身体にいいわけ
がありませんよネ」、と!

                                                 
 2011年5月25日(水)

 本日も、『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)の
重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視し
ますので、どうぞご諒解ください。


 第2章 隠された事故原因 チェルノブイリ・事故と政治2

 p.80 また、濃厚な汚染地帯の大部分がベラルーシ共和国の領土となった。

 p.81 しかし、その言葉がかけられるのは、事故直後、防護服もつけずに消火作業をし、落命した六人の
   消防隊員にかぎられていた。死後、「国家英雄」として祀られた消防隊員とは対照的に、原発職員、
   とりわけ当日四号炉の運転に携わっていた運転員は、多くの人命を奪い、取り返しのつかない広域な
   放射能汚染を招く事故を起こした責任者として「国賊」の扱いを受けてきたからだ。

 p.93 原子炉を暴走に導く欠陥を作り出した設計者や監督官庁にこそ事故の責任があるのであり、その欠
   陥を知らされずに理由もわからずにただルールを守らされていた運転員に責任責任はない、とシュテ
   インベルクは明言した。

 p.109 緊急停止スイッチAZ-5を使ってテストした時、千回のうち三、四十回は出力が急上昇したす
    ることがあったのです。こうしたことは研究者もみな知っていたんですが、しゃべれば身が危険だ
    と思って黙っていたのです。

 p.114 ああいう状況では、人々は「英雄」も必要とするが、「敵役」も必要としたということですね。

 p.150 ソビエト側の発表を故意に信じたのだと思います。期待したとおりの説明をソビエトがしたので、
    西側は願ったりかなったりだったのです。

 p.153 レガソフは自宅の階段の手すりで首をつり、自殺したのである。

 p.154 レガソフが「原発の安全性を確保するためには体制の改革が必要である」と説いていることが印
    象深い。

 p.155 ワレリー・アレクセービッチ・レガソフ、享年五十二。レガソフはその最晩年に、チェルノブイ
    リ原発事故を招いた真の原因は長年国を支配した官僚体制がその内部に宿した病巣、「体制を維持
    するためには秘密を守り通し、民をかえりみない」という倒錯的な矛盾にあったことを見抜いてい
たに違いない。

 p.157 かつて別天地と呼ばれ、不自由のない生活が保証されていた核科学者たちの世界はもはや過去の
    ものとなったのである。

 p.158 チェルノブイリ原発事故の事故原因をめぐる政治劇は、行き着くところ、その当事者たちはみな
    退場し、国も滅び、原子力だけが不気味に生き残ることになった。


 本日引用した箇所は、文脈が見えなければ分り難いでしょうが、要するに、致命的な出来事を前にして、
なおも責任の擦り合いをしつづけたばかりか、より立場が弱い人ほど悪者にされてしまった……それは非常
に残念なことではなかろうか、ということです。「名演説」を披瀝して、一時的な糊塗策を成功に導いたレ
ガソフも、良心の呵責に耐えかねてか、自ら命を絶っています。原発事故に「悪者」は要らないのではない
でしょうか。よほどの悪人か世の中に絶望した者でない限り、原発に事故を起こして欲しいとは望まないで
しょう。むしろ、起こってしまったことは取り返しがつかないことなのですから、これから以後どうすれば
一番よいのかをしっかりと考え、確実に実行することでしょう。責任の擦り合いや悪人探しをしている場合
ではないと思います。
 さて、次回は、「第3章 世界は事故をどう受け止めたか」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月24日(火)

 再び、『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)の重
要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。なお、文脈は無視しま
すので、どうぞご諒解ください。


 第1章 「パニックを回避せよ」

 p.14 現実に北欧、ドイツ南部、北イタリア、黒海沿岸などに濃厚な放射能汚染地帯(ホット・スポット)
   ができ、原発事故のもたらす被害には国境がないことや、距離の遠い近いにかかわらず、風向きや降
   雨の有無など自然条件によって死の灰が襲来してくるというまったく新たな体験に、世界は震撼した。

 p.15 スウェーデン北部では、トナカイを放牧して暮らす少数民族のサミたちが、主食のトナカイ肉も好
   物の森のキノコや野イチゴも食べられなくなり、外国製の缶詰を食べる生活を強いられていた。
    そして西ドイツでは、事故後、放射能に汚染された牛乳からつくられた五千トンもの粉ミルクが、
   行先を失って立往生していた。
    ひとたび死の灰が暮らしと生命のサイクルに入り込むと、終りなき悪夢のように社会につきまとう、
   放射能汚染の無間地獄。

 p.18 そして浮かび上がってきたのは、「誰も予想だにしなかったカタストロフ」を前にした時の人々の
   無力さと、目に見えず、においもしない放射能との絶望的な戦い、そしてどんなことをしてでも社会
   秩序を維持しようとする国家権力の冷徹な姿だった。

 p.24 放射線測定担当者はこの時、最大値の毎時三・六レントゲン(レントゲンは放射線の強さを表わす
   単位)と読み取り、それから作業員の現場滞在可能時間を割り出している。しかし実際は毎時三万レ
   ントゲン、思っていた数字の一万倍近く強い放射線がとびかい、人が一分以上滞在すれば必ず死に至
   る危険ゾーンだったのである。

 p.36 この時の放射線量に関する「虚偽の報告」が、事故を起こした責任と並んで、のちに刑事被告人ブ
   リュハーノフに下される判決の罪状の一つになった。

 p.42 事故の翌朝から撮影された八ミリフィルムに映っていた、青空の下で遊ぶ子どもたち。あの無邪気
   な笑顔の一瞬一瞬に、放射線が小さな身体を射抜き、ヨウ素131が甲状腺に吸収されていたのである。

 p.53 汚染が進むことを防ぐために、プリピャチ川、ドニエプル川の河岸に数キロにわたる堤防が突貫工
   事でつくられた。そして、念には念を入れて、原発周辺の除染作業が盛んな五月十一日から六月十五
   日まで、チェルノブイリ地域に雨が降らないようにする作戦が発動された。国家水文気象委員会が、
   四機の飛行機を用いて、チェルノブイリに近づく南西方向からの雲にヨウ化銀をまき、事故区域の手
   前で降雨させていたのである。

 p.55-56 ヨードカリウムは服用すると放射性核種のヨウ素131が甲状腺にたまるのを防ぐことができる。
     半減期が八日間と短いものの、空気や水、牛乳などを通じて体内に侵入するヨウ素131の摂取を防
     ぐことは、核災害では──とりわけ子どもにとっては──最も重要な健康上の予防措置の一つで
     ある。

 p.60 この二度目の爆発の危機は、関係者以外には絶対に口外してはいけない最高機密だった。それはシ
   チェルビツキー書記長以外のウクライナ共和国政府首脳に対してすら秘密にされた。

 p.66 ……今では不十分な情報公開と批判される演説は、その当時は反対に、やり過ぎだと言われていた
   わけです」

 p.71 そして、キエフからの「学童疎開」が始まる前日の五月十四日、きわめつけの通達がモスクワのソ
   連保健省次官シチェーピンから送られてきた。それまで決められていた住民の被曝許容線量を大幅に
   引き上げた新しい許容線量についての通達だった。

 p.73 しかし、いやしくも、住民の健康を守るためにきびしく決められたはずの許容線量が、その時の事
   情によってこれほど大幅に変えられてよいのだろうか。

    住民保護の対策を決める際の客観的な目安となるはずの被曝許容線量が、国の都合で勝手に変えら
   れる。その動機としては、まずむやみに人の移動を認めて、パニックに導かないという政治上の大方
   針があった。

 p.74-75 しかし、それもこれも低いレベルでの放射線が人体に与える影響のわからなさ、グレーゾーン
     をめぐる放射線医学のデータが不十分なことに原因がある。それゆえ被曝許容線量を決める当事
     者が、自分に都合のよい恣意的な解釈を持ち込み、政治的に利用する危険性が存在するのである。
     これは、広島、長崎、ビキニ、ムルロワなど核の被災地で何度となく繰り返されてきた悲劇であ
     る。そしてチェルノブイリでもこの先、このさき「数字の政治術」がさらに住民たちの心と健康
     をさいなんでゆくのである。

 p.76 だが、仮にそうであったとしても、五年後にその「最悪の事態」が到来し、しかも、それがこの時
   に生じた「情報公開」と「地方の中央からの離反」という潮流によってもたらされることを、当時の
   ゴルバチョフは知る由もなかった。
    モスクワの執拗な干渉と統制、そして地元ウクライナの反発。キエフの長い二十日間は、秩序を維
   持したい国家と市民を抱えて事故に直面した地方との確執の日々だった。


 ソ連という、日本からすれば国情のまったく異なる国の実態は、かの国が崩壊した後でさえ少しも知り得
ませんが、事故隠しや現状の情報開示に際して、データの改竄もしくは捏造があったとすれば、「人間のや
ることは、そうそう変わらないな」という感想を漏らさずにはおれません。何も知らされずに、放射線の洗
礼を浴びた子どもたちは、重篤な甲状腺癌を発症したとき、誰に窮状を訴えればいいのでしょうか。これは、
日本の福島県の子どもにおいても同じことだと思います。
 さて、次回は、「第2章 隠された事故原因」に言及する予定です。

                                              
 2011年5月23日(月)

 本日はもう日付が変わりましたので(実は、もう24日)、このブログを書くことは断念しました。それで
も、少し未練があるので、ネットに載っていた記事を、以下に引用してみたいと思います。なお、ほぼ原文
通りです。


  原発から生まれる放射性廃棄物の危険について(フィンランドの場合)映画『100,000年後の安全』
 緊急上映[2011年3月30日 16:52]

  本作『100,000年後の安全』は、フィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル
 放射性廃棄物の最終処分場“オンカロ(隠された場所)”と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが
 潜入したドキュメンタリー作品。安全になるまで10万年を要するという高レベル放射性廃棄物を、果
 たして10万年間も安全に人類が管理できるのかという問題を、フィンランドの最終処分場の当事者た
 ちに問う。アップリンクでは、この作品を今秋に公開する予定だったが、福島原発事故が起き、原発
 に関する知識を得る事を必要としている人が多いと思い、2011年4月2日から渋谷アップリンクにて緊
 急公開される事が決定した。また、この映画の入場料の内、200円が東日本大震災の義援金として寄
 付される。

 【上映情報】公開日:4月2日(土)
  劇場:アップリンク
  渋谷区宇田川町37-18 トツネビル (渋谷東急本店右側道200m 先右手)
  お問合せ:アップリンク(03-6825-5502)
  当日料金:一般1600 円/学生1400 円/小・中・シニア1100 円

 【作品情報】
  原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要する
 と考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュ
 メンタリーである。毎日、世界中のいたるところで原子力発電所から出される大量の高レベル放射性
 廃棄物が暫定的な集積所に蓄えられている。その集積所は自然災害、人災、および社会的変化の影響
 を受けやすいため、地層処分という方法が発案された。フィンランドのオルキルオトでは世界初の高
 レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、固い岩を削って作られる地下都市のようなそ
 の巨大システムは、10万年間保持されるように設計されるという。廃棄物が一定量に達すると施設は
 封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保証できるだろうか。10万年後、そこ
 に暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。彼らはそれを私たちの時代の遺跡
 や墓、宝物が隠されている場所だと思うかもしれない。そもそも、未来の彼らは私たちの言語や記号
 を理解するのだろうか。

  監督・脚本:マイケル・マドセン/脚本:イェスパー・バーグマン/撮影:ヘイキ・ファーム/編集:
 ダニエル・デンシック/出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンド
 クヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ/配給・
 宣伝:アップリンク
  配給:アップリンク
 4月2日(土)より、渋谷アップリンクにて緊急公開


 高知でも観ることができないでしょうか。もし、観ることが可能ならば、是非観てみたいと思います。

                                                  
 2011年5月21日(土)

 『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)を読み終っ
たので、重要箇所を以下に引用します。例によって、しばらくは余計なコメントをつけません。


 序章 もんじゅとチェルノブイリ

 p.2 戦後五十年という区切りの一九九五年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げたと思っていた自分たち
   の世界に対する確信が、脆くも崩れてゆく瞬間に何度も立ち会った。
    阪神大震災では、強固だったはずの高速道路の橋脚が無惨にも倒れ、耐震設計が自慢だったビルや
   マンション、そして通信、運輸、医療などあらゆる都市機能が一瞬のうちに壊滅した。前年のロサン
   ゼルス地震のときに、専門家たちが口をそろえて「日本の技術ではこんな破壊はありえない」と語っ
   ていたのを思い出す。

    「安定」「安全」「ハイテク」「不滅の成長」といった戦後日本の神話は、この一年で一気に崩壊
   し始めたともいえる。日本人の多数はいま、これまで拠って立ってきたものの行方に不安を感じこそ
   すれ、洋々たる未来を語る気分にない。

 p.3 そして、この一連のできごとを締めくくるかのように起こったのが、福井県敦賀市にある高速増殖
   原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故であった。
    十二月八日夜に起こったこの事故では、配管から二次冷却系のナトリウムが推定七百キロ(科学技
   術庁調査・一次報告書)漏れ出し、原子炉補助建屋の二割にあたる広い面積に拡散した。さいわい、
   放射能漏れも直接的な死傷者もなかった。だが、「小さな漏洩事故」としてかたづけたかった動燃
  (動力炉・核燃料開発事業団)や科学技術庁の思惑と反して、日本の社会に、重大な事故として受けと
   められた。なぜだろうか。

 p.3-4 事故が「重大」である理由はそれだけではない。高速増殖炉の技術は、猛毒のプルトニウムを燃
    料とすること、冷却材として、水と反応すると爆発的に反応し、空気中で燃えやすい金属ナトリウ
    ムを使うことから危険が多く、アメリカ、フランス、ドイツなどで事故が続発、開発から撤退する
    国が続出している。そのなかで日本は、「わが国の技術水準ならば問題はない」と、建設を進めて
    来た。フランスでナトリウム漏洩が問題になった時も、動燃は「日本の溶接技術は優秀だから大丈
    夫」と強弁していた。

 p.6 チェルノブイリ原発事故以前、原子炉が暴走して炉や建物が完全に破壊されるような爆発事故はあ
   りえないといわれた。そのため、事故直後、原発の運転員や管理職は、しばらくは炉の破壊を把握で
   きず、無意味な復旧活動などを命じて、職員に大量の被曝をさせている。また原発に配備されていた
   放射線測定器の測定能力が低かったため、針が振りきれてしまい、いったいどれだけの放射線被曝の
   危機にさらされているかさえ、定かにはわからなかった。

 p.7-8 事故とはそもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」ももん
    じゅの事故も、「想定外」が連続するなかで次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった。

 p.8 真の事故実態が、世界にそして被災した当の市民たちに明らかになるのは、事故から三年以上たっ
   た一九八九年以降、正確には一九九一年のソ連邦崩壊後のことだった。

 p.9 事故をできるかぎり小さく評価したいという動燃側の気持ちが露わになった瞬間だった。

 p.10 日替わりで嘘と真実が塗り替えられるドタバタ劇は、地元のみならず全国民をあきれさせた。そし
   て科学技術庁長官も「まったく話にならない。憤懣やるかたない」と表現したこの事態には、さらに
   悲劇が待ち構えていた。

 p.11 情報公開というルールを受け入れず、国策を錦の御旗にして、市民に対し秘密主義を通してきた会
   社(動燃)と、その責任を追及する社会との板ばさみとなった犠牲者だった。

    まがりなりにも、「自主、民主、公開」という原子力基本法の精神を持つ国に起こったできごとで
   あったがゆえに明るみに出され、社会の批判を浴びたともいえる。
    だが「(情報を)求めても出さない動燃」と地元で呼ばれる度しがたい秘密主義の体質を持つ、国
   策のトップランナーたちの失策は、国を支えるエネルギー供給の決め手としての原発の大型化、拡大
   を進め、その障害となるあらゆる事故や技術的欠陥を隠し通してきたソ連の官僚や科学者たちが犯し
   た失敗に、きわめてよく似ていることを指摘せずにはいられない。

 p.12 十年前、ソ連であの事故が起こった時、日本の原子力関係者は異口同音に言った。
    「日本では絶対に起こりえない事故だ」

     いま、チェルノブイリ原発事故という、二十世紀の終りに人類が立ち止まってみずからの姿を映
    し、見つめ直すべき歴史の鏡を、もう一度手にとり、そこにかかった曇りを晴らさなければならな
    い。さもなくば、それから十年後に日本で起こった相似形の田舎芝居は、茶番劇と呼べない深刻な
    未来に直結するだろう。それは最悪の場合、「チェルノブイリ」の五年後にソ連が迎えた「国家の
    崩壊」という終幕である。


 福島第一原発の事故があまりに深刻なので、もはや「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故(1995年12月8日)
は霞んでしまったようですが、まだまだ安全が確保されたとは言い難い状況です。当該事故以後の「もんじ
ゅ」の状況を、ウィキペディアから引用してみましょう。


 1995年12月8日 ナトリウム漏洩事故発生。
 1998年10月1日 動燃解組。核燃料サイクル開発機構発足。
 2005年3月3日 ナトリウム漏洩対策の準備工事を開始。
 2005年9月1日 ナトリウム漏洩対策の本体工事着手。
 2005年10月1日 独立行政法人日本原子力研究開発機構(略称:JAEA)発足。
 2007年5月23日 本体工事終了。
 2007年8月31日 運転再開に向けて、プラント確認試験の開始。
 2008年5月15日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)の1回目の輸送。
 2008年7月18日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)の2回目の輸送。
 2010年5月6日午前10時36分 運転再開。
 2010年5月6日午後11時9分・7日午前10時1分 放射性ガスの検知器の2回の誤作動。
 2010年5月8日午前10時36分 臨界確認。試験として約1時間後、19本の制御棒のうち2本を挿入し未臨界と
              した。今後、臨界と未臨界など各種の試験を経て2013年春に本格運転を目指
              す。
 2010年8月26日 原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下。後日、吊り上げによる回収
        が不可能と判明。長期の運転休止を余儀なくされた。
 2010年12月28日 海抜21mにあるディーゼル建物に設置されている非常用ディーゼル発電機(発電出力
         4250kw)3台のうち1台(C号機)がシリンダライナのひび割れにより故障。
 2011年3月23日 福島県の原発事故を受け、福井県は、もんじゅの安全性確保について、文部科学省に申し
        入れをした。
 2011年4月5日 福島県の原発事故を受け、全電源喪失時対応訓練の実施を行った[6]。(尚、04月26日の
        共同通信の報道によると4月現在の装備では、もんじゅを含めて多くの原子炉で電源車で
        は十分な冷却が不可能なことが明らかになった。日本原子力研究開発機構や電力会社では
        電源車の追加配備を計画している。)
 2011年4月20日 経済産業省から緊急安全対策を指示されていた日本原子力研究開発機構は、もんじゅに
         電源車1台などを配置しすべての電源喪失を想定した訓練を行ったなどとする報告書を経
         産相に提出した。(もんじゅでは電気がなくても、高低差と温度差による対流でナトリ
         ウムを循環させて原子炉を冷やす仕組みになっている。この仕組みについて報告書には
         「冷却が可能であることを再確認した」とあるが運転停止中のため、データ解析などに
         よる確認のみで同機構の担当者は「実際に機能するかどうかは出力試験後に確認したい」
         としている)。


 「三人寄れば文殊の知恵」という諺がありますが、原子力関係者は何人集まっても「文殊の知恵」を生み
出せないようですね。なぜでしょうか。その科学・技術絶対主義、科学・技術無謬主義を速やかに手放すべ
きなのに、二言目には「日本ではそのような事故は絶対に起きません」などと、強弁を吐くからです。たし
かに、机上では事故は起こらないでしょう。手抜かりはないでしょう。しかし、現実は、わたしたちの想定
をはるかに超えるものを出現させることができるのです。人間は自然には所詮勝てないのです。なぜ、こん
な単純な真理を理解しようとしないのでしょうか。それは、自然に打ち勝ってきたという錯覚に陥っている
からではないでしょうか。神の領域に近付いたと自惚れているからではないでしょうか。わたしたちは、も
う一度自分たちの足元を見つめるべきです。ギリシア神話には、神の火を盗んだプロメテウスの物語が伝え
られています。彼は、神々によって禿山に晒され、襲来する鷲によってその内臓を未来永劫に亙って啄ばま
れるという凄惨な天罰を受けることになりました。原発事故の悲惨さは、プロメテウスの苦行のほんの一日
目に当るにすぎません。核廃棄物が処理できないという未来永劫に亙る天罰は、人類滅亡まで続くのでしょ
うか。そうあっていいはずがありません。核廃棄物の完全処理(無毒化)が済んで、安全確認の精度が極限
にまで高まらないかぎり、原発はもはや人類の扱える代物ではないことは明らかです。原発に代わるものを
探すことは荊棘の道でしょう。しかし、わたしたちは、その道への第一歩を印さなければならない時に来て
いるのです。
 上で余計なコメントはつけないと書いたのですが、だいぶ余計なコメントをつけてしまったようです。申
し訳ありません。さて、次回は、「第1章 パニックを回避せよ」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月20日(金)

 内田樹氏が新しいブログを発表していますので、引用させていただきます。一部改変した箇所もあります
が、ほぼ原文どおりです。


  脱原発の理路(2011.05.20)

  平田オリザ内閣官房参与は17日、ソウル市での講演で、福島第一原発で汚染水を海洋に放出したこ
 とについて、「米国からの強い要請があった」と発言したのち、翌日になって「不用意な発言で、た
 いへん申し訳なく思っている」と発言を撤回して、陳謝した。発言について平田参与は「この問題に
 は全くかかわっておらず、事実関係を確認できる立場でもない」として、事実誤認であることを強調
 した。内閣官房参与、特別顧問の「失言」が続いている。平田参与の前に、3月16日には笹森清内閣
 特別顧問が、菅首相との会談後に「最悪の事態になった時には東日本がつぶれることも想定しなけれ
 ばならない」という首相の発言を記者団に紹介した。4月13日には松本健一内閣官房参与が「原発周
 辺には10-20年住めない」という首相発言を紹介したのち、撤回した。震災直後に内閣官房参与に任
 命された小佐古敏荘東大大学院教授は、政府の原発事故対応を「場当たり的」と批判して、4月29日
 に参与を辞任した。私はこれらの官邸に近いが、政治家でも官僚でもジャーナリストでもない方々の
 「ぽろり」発言はおおむね真実であろうと解している。彼らはある意味「素人」であるので、官邸に
 実際に見聞きしたことのうち、「オフレコ扱い」にしなければならないことと「公開してもいいこと」
 の区別がうまくつかなかったのだろう。
  私だって、彼らの立場になったら、「ぽろり」と漏らす可能性がたいへんに高い人間なので、とり
 わけご本人の篤実なお人柄を存じ上げている平田さんには同情を禁じ得ないのである。顔見知り相手
 に内輪で「いや、驚いた。ここだけの話だけどさ、実はね……」というふうに言うのまではOKだが、
 マスメディアやネット上で公開してはならないコンフィデンシャルな情報というものは、官邸まわり
 に出入りしていれば、ごろごろ転がっているであろう。「それは言わない約束でしょ」という、「あ
 れ」である。「あるけど、ない」とか「ないはずだけど、ある」というときの「あれ」である。「そ
 ういうもの」がなければ、政治過程だって意思疎通はできない。それは政治家の方たちと多少お話を
 する機会があるとわかる。彼らだって、一皮剥けば「ふつうの人」である。喜怒哀楽があり、パーソ
 ナルな偏見を抱えており、あまり政治的に正しくないアイディアだって抱懐している。それをある程
 度開示しなければ、自分が政治家として「ほんとうは何がしたいのか、何を言いたいのか」をまわり
 の人たちに理解させることはできない。それは「自分のメッセージの解読のしかたを指示するメッセ
 ージ」、すなわちコミュニケーション理論でいうところの「メタ・メッセージ」として、通常は非言
 語的なしかたで(表情や、みぶりや、声のピッチや、あるいは文脈によって)指示される。
  顧問や参与のみなさんの「失言」は、発言者が「どういう文脈でそれを言ったか」というメタ・メ
 ッセージの聞き違えによって発生したものと思われる。その「文脈のとり違え」は「私のような『ふ
 つうの人間』に『そういうこと』を平気で言うというのは、『そういうこと』はいずれ天下に周知さ
 れることなのだ」という解釈態度によってもたらされたのだと私は思う。つまり、参与や顧問の方々
 はご自身を「政治家たちの中に立ち交じっている非政治家」だとは自覚しているのだが、それをつい
 「ふつうの人間」のことと勘違いしたのではないかと、私は思うのである。「私のようなふつうの人
 間」にむかって、「こんなこと」がぺらぺら話されるというのは、「こんなこと」は別にクラシファ
 イドではないのだ、という情報の機密度評価を彼らはなしたのではないか。ところが、彼らは「クラ
 シファイド情報を開示してもいいクラブ」のメンバーに実はリストされていたのである。ただそのこ
 とがご本人には、はっきりとは伝えられていなかったのである。
  「そういうことは、先に言ってくれよ」と平田さんも、松本さんも思ったのではないであろうか。
 以上、すべて想像ですので、「ちげーよ」と言われたら、それっきりですけど。ともかく、私は上に
 名を挙げた方々はすべて「官邸内で実際に聴いたこと」をそのまましゃべったものと理解している。
 おおかたの日本人もそう理解しているはずである。興味深いのは、マスメディアがこれらの発言が
 「撤回」や「修正」されたあとに、あたかも「そんなこと」そのものを「なかったこと」として処理
 しようとしていることである。
  「たぶん『ほんとうのこと』なんだろう」という前提から、「『失言』の裏を取る」という作業を
 しているメディアは私の知る限りひとつもない。私はこの抑圧の強さに、むしろ驚くのである。それ
 はつまり、政治部の記者たちは自分たちを「インサイダー」だと思っている、ということである。政
 治家たちがリークする「クラシファイド」にアクセスできるのだが、それは公開しないという「紳士
 協定」の内側で彼らは仕事をしているのである(そうじゃないと「政府筋」の情報は取れない)。だ
 から、今回のような「クラブのメンバーのはずの人間の協定違反」に対してはたいへん非寛容なので
 ある。たぶんそうだと思う。おおかたの読者も私にご同意いただけるだろう。以上、マクラでした。
  さて、その上で、平田発言を吟味したい。これは私がAERAの今週号に書いたことにだいたい符合し
 ている。私はこう書いた。そのまま採録する。

   菅首相が浜岡原発の停止を要請し、中部電力がこれを了承した。政治的には英断と言ってよい。
  メディアも総じて好意的だった。でも、なぜ急にこんなことを菅首相が言い出し、中部電力もそ
  れをすんなり呑んだのか、その理由が私にはよくわからない。経産省も電力会社も、「浜岡は安
  全です」って言い続けてきたのだから、こんな「思いつき的」提案は一蹴しなければことの筋目
  が通るまい。でも、誰もそうしなかった。なぜか。政府と霞ヶ関と財界が根回し抜きで合意する
  ことがあるとしたら、その条件は一つしかない。アメリカ政府からの要請があったからである。
  もともとアメリカが日本列島での原発設置を推進したのは、原発を売り込むためだった。ところ
  がスリーマイル島事故以来、アメリカは新しい原発を作っていない。気がつくと「原発後進国」
  になってしまった。でも、事故処理と廃炉技術では国際競争力がある。福島原発の事故処理では
  フランスのアレバにいいところをさらわれてしまい、アメリカは地団駄踏んだ。そして、「では
  これから廃炉ビジネスで儲けさせてもらおう」ということに衆議一決したのである(見たわけで
  はないので、想像ですけど)。だから、アメリカはこの後日本に向かってこう通告してくるはず
  である。「あなたがたは原発を適切にコントロールできないという組織的無能を全世界に露呈し
  た。周辺国に多大の迷惑をかけた以上、日本が原子力発電を続けることは国際世論が許さぬであ
  ろう」と。その通りなので、日本政府は反論できない。それに浜岡で事故が起きると、アメリカ
  の西太平洋戦略の要衝である横須賀の第七艦隊司令部の機能に障害が出る。それは絶対に許され
  ないことである。だから、アメリカの通告はこう続く。「今ある54基の原発は順次廃炉しなさい。
  ついては、この廃炉のお仕事はアメリカの廃炉業者がまるごとお引き受けしようではないか(料
  金はだいぶお高いですが)」。むろん「ああ、それから代替エネルギーお探しなら、いいプラン
  トありますよ(こちらもお高いですけど)」という売り込みも忘れないはずである。ホワイトハ
  ウスにも知恵者はいるものである。(引用ここまで)

  驚いたことに、菅首相の浜岡原発操業中止要請を中部電力が承諾した時点から、ほとんどすべての
 新聞の社説は(週刊誌を含めて)、ほぼ一斉に「脱原発」論調に統一された。福島原発において日本
 の原子力行政の不備と、危機管理の瑕疵が露呈してからあとも、政府も霞ヶ関も財界も、「福島は例
 外的事例であり、福島以外の原発は十分に安全基準を満たしており、これからも原発は堅持する」と
 いう立場を貫いており、メディアの多くもそれに追随していた。それが「ほとんど一夜にして」逆転
 したのである。私はこれを説明できる政治的ファクターとして、平田オリザさんが漏らしたように、
 「アメリカ政府の強い要請」以外のものを思いつかない。
  MBSの子守さんの番組でも申し上げたように、日本が脱原発に舵を切り替えることで、アメリカは
 きわめて大きな利益を得る見通しがある。

  (1) 第七艦隊の司令部である、横須賀基地の軍事的安定性が保証される。
  (2) 原発から暫定的に火力に戻す過程で、日本列島に巨大な「石油・天然ガス」需要が発生す
     る。石油需要の減少に悩んでいるアメリカの石油資本にとってはビッグなビジネスチャン
     スである。
  (3) 日本が原発から代替エネルギーに切り替える過程で、日本列島に巨大な「代替エネルギー
     技術」需要が発生する。代替エネルギー開発に巨額を投じたが、まだ経済的リターンが発生
     していないアメリカの「代替エネルギー産業」にとってはビッグなビジネスチャンスである。
  (4) スリーマイル島事件以来30年間原発の新規開設をしていないせいで、原発技術において日
     本とフランスに大きなビハインドを負ったアメリカの「原発企業」は最大の競争相手をひと
     りアリーナから退場させることができる。
  (5) 54基の原発を順次廃炉にしてゆく過程で、日本列島に巨大な「廃炉ビジネス」需要が発生
     する。廃炉技術において国際競争力をもつアメリカの「原発企業」にとってビッグなビジネ
     スチャンスである。

  とりあえず思いついたことを並べてみたが、日本列島の「脱原発」化は、軍事的にOKで、石油資本
 的にOKで、原発企業的にOKで、クリーンエネルギー開発企業的にOKなのである。「日本はもう原発や
 めろ」とアメリカがきびしく要請してくるのは、誰が考えても「アメリカの国益を最大化する」すて
 きなソリューションなのである。
  私がいまアメリカ国務省の小役人であれば、かちゃかちゃとキーボードを叩いて「日本を脱原発政
 策に導くことによってもたらされるわが国の国益増大の見通し」についてのバラ色のレポートを書い
 て上司の勤務考課を上げようとするであろう(絶対やるね、私なら)。
  勘違いして欲しくないのだが、私は「それがいけない」と申し上げているのではないのである。私
 は主観的には脱原発に賛成である。そして、たぶん日本はこれから脱原発以外に選択肢がないだろう
 という客観的な見通しを持っている。けれども、その「適切な政治的選択」を私たち日本国民は主体
 的に決定したわけではない。このような決定的な国策の転換でさえも、アメリカの指示がなければ実
 行できない、私たちはそういう国の国民なのではないかという「疑い」を持ち続けることが重要では
 ないかと申し上げているのである。
  不思議なのは、私がここに書いているようなことは「誰でも思いつくはずのこと」であるにもかか
 わらず、日本のメディアでは、私のような意見を開陳する人が、管見の及ぶ限り、まだ一人もいない
 ということである。原発のような重要なイシューについては、できるだけ多様な立場から、多様な意
 見が述べられることが望ましいと私は思うのだが、こんな「誰でも思いつきそうな」アイディアだけ
 を誰も口にしない。


 今回のブログもかなりキナ臭い想定を素直に吐き出されたものでしたので、読みながら思わずニヤニヤし
てしまいました。もちろん、ことは国益に関わる最重要案件なので、卑しくも日本国民たる者が「ニヤニヤ」
してはいけないとは思うのですが、内田樹氏の記述の魔術にかかれば、誰だって笑うしかないでしょう。小
生も、なぜ、いきなり浜岡原発が運転停止になったのか不思議でしたが、ともかく少しは安全になったので
よかったと思っていました。なるほど、内田樹氏の仰る通り、アメリカ合衆国の要請だとすれば、辻褄は合
います。たぶん、『凶気の桜』(監督:薗田賢次、東映=テレビ朝日=東映ビデオ、2002年)だったと思う
のですが、主人公が、現状の日本を「アメポン」と呼んでいたことを思い出しました。内田樹氏が指摘され
るように、わたしたち日本人は、重要な案件に主体的な判断を下すことができない国民であることを深く自
覚すべきです。かつて、ニクソン大統領は、1973年の「エネルギー教書」の中で、「エネルギー自給なき国
家は国家ではない」と断言しましたが、この論法に従えば、残念ながら日本は「国家」の体をなしていない
ことになります。「またぞろ、アメリカ主導か」と嘆く前に、わたしたち日本人が、わたしたち日本人自身
の行く末を、主体的に創造してゆく道を模索しなければなりません。アジア・太平洋戦争時、制海権や制空
権を奪われながら、なおも戦争をつづけた愚を繰り返してはいけないので、もちろん、大国の示唆や援助も
必要でしょう。しかし、究極的には、自らの国は自らで設計しなければなりません。今こそ、「国家百年の
計」を図るときなのです。少なくとも、政府に近い人物の失言云々を論うときではないと思います。小生と
しては、フランスのように、本物の決断力を発揮できる政治エリートを分泌するグラン・ゼコール(総合大
学とは別個のエリート養成機関)を創設して、さまざまな利権に群がるだけの「政治屋さん」にはお引取り
を願って、本物の「政治家」(少なくとも、日本と日本人の行く末に責任をもちうる力量を備えた人)を養
成しなければならないと思っています。

                                                 
 2011年5月17日(火)

 現在、『原発事故を問う ─チェルノブイリから,もんじゅへ─』(七沢潔 著、岩波新書、1996年)を読
んでいます。改めて、「チェルノブイリの原発事故とは何だったのか」を考えるためです。この本も15年前に
出版された本ですが、けっして色褪せてはいません。読み終えたら、要点を記したいと思います。

                                                  
 2011年5月16日(月)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。IX章の「住民投票、1996年8月 巻町」、および、「単行本あとがき」等において、
目立っている文章です。例によって文脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更し
ましたが、それもご了承ください。蛇足ながら、この本に関しては今回が最終回です。


 IX章 住民投票、1996年8月 巻町

 p.293 ウソとカネ。これが原発建設のエネルギーだ、とわたしはなんどか書いてきた。それと地方自治
    の崩壊、である。

 p.311 世論は、あきらかに原発反対にむかっている。


 単行本あとがき

 p.313-314 日本はアメリカにつぐ原発大国で、稼動中のものが(事故による休止中のものもふくめて)
      二十二基(当時)、建設中が十基、建設準備中が三基と、いぜんとして建設ラッシュがつづい
      ているが、どんなに事故が続出し、不安と批判がたかまっても、ただ計画だけをやみくもに実
      行しようとするのをみると、なにか「撃ちてしやまん」の玉砕精神をみるようで、ぞうっとす
      る。

       「安全性」は、もはや彼らの行動の範疇にはなく、政府にタナ上げしてしまったのだ。「国
      が安全だといってますから」と彼らは判断を停止した表情をしてみせる。そのかわりに、彼ら
      が熱心に語るのは、「メリット論」である。原発は心配といえば心配である。しかし、地元に
      はかくかくしかじかの利益があります。どこの自治体でも、まるでハンをついたようにおなじ
      論法だった。危険と利益をハカリにかけると、利益のほうが重い、ということなのだが、その
      利益からは人命と子孫の健康の必要経費はひかれていないのである。
       かつて、ある鉄鋼メーカーについて、「カネと命の交換会社」といい伝えられていたが、原
      発は、その極限である。すべてをカネによって測る価値観のひろがることが、放射能汚染同様
      に恐ろしい。「カネは一代、放射能は末代」である。

 p.315-316 とにかく、原発はカネである。カネをバラまいて原発が建設される。地元の人たちを説得す
      る武器はそれしかない。原発がバラまくカネは、住民を頽廃させ、地方自治を破壊する。建設
      されたあと、大量に送りこまれた下請、日雇い労働者たちの健康と将来を確実に破壊し、被曝
      者量産工場と化す。原発は、コンピュータによって、というよりも、暴力団が手配する“人夫”
      によって維持されているのである。

       原発各地をまわったわたしの結論とは、原発は民主主義の対極に存在する、ということであ
      った。


 解説 矛盾の最前線から                   高木仁三郎

 p.320 鎌田が民衆の側から見ようとした原発の巨大な矛盾は、原発という巨大システムそのものの矛盾
    である。なによりもそれは、広島原爆一千発分、数千億人の人間の致死量にもあたる死の灰を内蔵
    して高温高圧で運転を継続せざるをえないシステムが、必然的に人間や自然に対して示す矛盾であ
    る。原発の内蔵する放射能の大きさを、私たちはチェルノブイリ原発の事故によって、いやという
    ほど知らされた。チェルノブイリ事故によって環境中に放出された放射能は、炉心に内蔵された全
    量のたかだか一○パーセント以下に程度にすぎなかったが、その放射能が未だに地表や食品の汚染
    となって、ヨーロッパの人々の生命に脅威を与えているのである。

 p.322 原発のかかえる矛盾のなかでも、放射性廃棄物問題は最たるものだ。「捨てられないゴミ」の矛
    盾は、電力会社を追いこみ、追いこまれた電力・原子力産業は、その総体をあげて、「中央からみ
    たとき、ここは不毛の半島」であり、「公害対策にカネのかからない地域」である下北半島六ケ所
    村に襲いかかった。その状況は鎌田のルポルタージュに明らかだが、鎌田が巨大開発に対する民衆
    の闘いの取材のスタートをこの土地から始め、原発問題の取材を通じてもう一度廃棄物問題を抱え
    たこの土地に戻ってきたのは、必然という以上のものがあるだろう。


 もはや、原発の問題点は明らかですが、経済的メリット云々を引き合いに出して、あくまで原発推進を敢
行したい方は、どこか地球外でやっていただきたいと思います。《Any nuclear power plant in Japan don't
pay in the long run!》
 なお、このブログで紹介した本は、青志社という書肆から『日本の原発危険地帯』(鎌田慧 著、2011年)
というかたちで、現在も出版されています。あるブログでは、「今までの原子力発電所建設の歴史を綴った
本。特に新しい切り口はないようで、残念」という感想が記されていましたが、それはその方が原発に関し
てお詳しいからで、普通の人にとっては、このような昔の本でも、十分に新鮮な情報として読むことができ
ると思います。事実、こんなブログを発見しましたので、以下に引用させていただきます。多少とも改変し
ましたが、ほぼ原文のままです。執筆者の方に感謝します。


 新版「日本の原発地帯」から「日本の原発危険地帯」(鎌田慧著)へ
 (2011-04-17 14:11:03 生きること)

  やはり書いておこうと思う。
  新版「日本の原発地帯」鎌田慧著(岩波書店同時代ライブラリー)を読んだ。しかしこの文庫は19
 96年11月に第1刷が発行されており、15年を経ている。原本は1982年(潮出版社)だと言うからほぼ
 30年程前になる。僕は、原発の近辺に行ったこともなく、その後の15年間と現状も知らない。書いて
 いいのかとちょっと悩んだ。
  だが、この文庫の最終章に反原発住民闘争がレポートされた東北電力新潟の「巻」は、計画が消滅
 しているし、このたびの大震災で事故を起こした福島第一の一号炉は、ルポした当時、放射能を含ん
 だ冷却水漏れが発見されて運転停止中と記載されていて、71年に稼動してから平均稼働率は30パーセ
 ントしかなく現地では「被爆者製造炉」と言われていたとある。これは読んでわかったことなのだが、
 そうでなくても今回の事故報道の東電や政府、関係機関のあやふやな様を見ていて、原発の実態が気
 になっていた。
  ルポライター鎌田慧が原発をルポしていることは知っていたが、書店になく版元にもなく、図書館
 も貸し出し中で何人もの予約が入っていていつ手に入るかわらない。ブックオフだと思って数件まわ
 ってみたが原発関係だけがなかった。そこへ「この度改めて読み返してみて愕然としました」とS教
 授からメールがきた。新版「日本の原発地帯」を読んだという。思い余ってメールを入れた。そして
 貸して頂き読んだ。想定していたもののやはり愕然とする。僕自身の思考の記録としてもここに書い
 ておきたいと思った。
  蒲田慧は1938年青森県弘前市に生まれ、早稲田大学を卒業したフリーのルポライターである。原発
 に限らず、何よりも自身で現地を歩き、ルポした相手の名前や組織、現状を率直に書き記しているこ
 とが貴重な記録となっている。「反骨ー鈴木東民の生涯」(講談社文庫)で新田次郎賞、「六ヶ所村
 の記録」(岩波書店)で毎日出版文化賞を受賞しており、その業績は社会的評価を受けているのだ。
  この著作は`原発の先進地の当惑`と題した「福井」からスタートしている。若狭湾に面した敦賀、
 美浜、大飯、高浜、敦賀は日本原子力発電だが、他は関西電力、久美浜が次の主要候補地点となって
 いるが設置されなかった。その他本書でルポされたのは、愛媛の伊方、福島、柏崎、島根、下北(む
 つ・六ヶ所村)、`核の生ゴミ捨て場`と題された岡山県と鳥取県の県境にある山岳地人形峠など、そ
 して巻である。今回の事故は東京電力福島第一だが、関西電力、中国電力、四国電力などなど、どの
 原発も安全性についての大きな問題を抱えていることがわかってくる。
  でも僕自身コントロールできないのだが、心のどこから底知れない怒りがじんわりと湧き上がって
 きて留まってしまうのは、過疎であったとしても先祖から受け継いできた土地とコミュニティを、彼
 ら!が嘘を並べ立てて分断させてきたことである。故郷を失うこと、故郷のない僕は溜息が出てくる
 のだ。事故を隠蔽して(でも伝わるものなのだ)安全を表号し地域の人々を雇用し、生活の安定と活
 性化を図るとされる。海に高温の排水をすることになって生態系が変わるので漁業権を放置させる。
 政治家と産業界の裏に膨大な金が動くが、当の住民が気がついたときにはただ同然の金で土地を手放
 してしまったことを悔やむことになるのだ。故郷とは言えないのかもしれないが、小学生時代を過し
 た過疎の村(天草下田村)の、僕の家族を支えてくれた人々の顔が浮かんでくる。
  こういう記述がある。柏崎刈羽の人たちが科学技術長の担当官に、東京につくったらいいだろうに
 というと、東京は人口が多くて危険だと答えたと言う。(140ページ、後に紹介する日本の原発危険
 地帯では153頁)。原発の寿命は60年とされるが、日本と同じ原発で40年以上稼動している例はなく、
 現実には40年で廃炉になるとみられるという。廃炉になったときにこの地域はどうなるのでしょうか?
 と伊方の町長に問うと「三年、五年向こうのことでさえむずかしい。二十年、三十年先のことは、あ
 との町長が考えます」。是非を越えて、既に人がコントロールできないのだ。
  さて4月15日本屋(僕もしつっこいなあ!)に行って検索したら、この度の事故を受けて「日本の
 原発危険地帯」(鎌田慧著・青志社4月17日第1刷)が緊急発刊されていた。蒲田さんは改題刊行あ
 と書きにこう書く。「いままで感じることのなかった、奇妙な時間である。(中略)原発が事故を起
 こすのは予測されていた。が、どこかに救いを求めていた。」2006年文庫本後書きにはこうある。
 「この本は私にとって愛着の深い本である。一人の人生がどのように変わったか、私がお会いした、
 原発に立ち向かいながら、無念のうちに他界したひとたちの冥福を祈りたい」。


 1982年、潮出版社から刊行された後、河出文庫版や当ブログで引用させていただいた岩波同時代ライブリ
ー版などを経て、現在は青志社から出版されている由。興味のある人は、ぜひ手に取っていただきたいと思
います。とくに、これから日本を背負って立つ若い人には、原発問題は他人事ではないことを自覚して欲し
いと思います。
 さて、偶然ですが、本日、高知大学で、「日独交流150周年記念講演会」が開催されました。その際、講
師のアレクサンダー・オルブリッヒ(Dr.Alexander OLBRICH)氏(ドイツ連邦共和国総領事)に、ドイツの
原発事情について質問させていただきました。それによりますと、7基ある原発はすでに廃炉が決定してい
るそうです。チェルノブイリの原発事故以来、ドイツにおいて原発は廃止の方向に動いています。国民の70
パーセントの人が脱原発の考えをもっているそうです。もちろん、エネルギー問題については、慎重に論議
しているそうですが……。そして、そのような政治的な動向には、「緑の党」が大きく影響している由。ま
た、日本には、地熱発電の可能性が十分に考えられるのでは……といったお考えを披瀝していただきました。

                                                
 2011年5月14日(土)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。VIII章の「核の生ゴミ捨て場はどこに? 人形峠、東濃鉱山、幌延」において、
目立っている文章です。例によって文脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更し
ましたが、それもご了承ください。


 VIII章 核の生ゴミ捨て場はどこに? 人形峠、東濃鉱山、幌延

 p.252 動燃は原子炉を「もんじゅ」や「ふげん」などと命名するほどに、縁起を担ぐのが好きで、祈り
    甲斐もなく事故を多発させては、馬脚をあらわしている。もんじゅの事故隠しなどは、その極めつ
    きである。

     人形峠は、かつて日本の原子力産業のメッカだった。ここで、天然ウラン鉱がはじめて発見され
    た一九五五年に、原子力基本法が制定された。翌年、原子燃料公社が設立、六一年に茨城県の東海
    原子力研究所で国産ウランが精製されている。このころ、原子力発電は、「クリーンエネルギー」
    とか「第三の火」などと喧伝され、バラ色の夢がふりまかれた。

 p.259 日本の原発の行き詰まりは、いまだ核廃棄物の最終処分場が決まっていないことにある。低いレ
    ベルとされているものは、青森県の六ケ所村に運ばれたり、「浅い地中処分」されようとしている
    が、プルトニウムなどの高レベルの猛毒の引き受け地はない。候補地として、人形峠、六ケ所村、
    北海道の幌延(ほろのべ)、岐阜県の東濃(とうのう)地区などがあげられている。

 p.260 上斎原村のウラン濃縮実証試験は、九七年で終わる。これまで、千人たらずの村に、「電源立地
    促進対策交付金」が、六十五億円もはいっている。「毒まんじゅう」ともいわれているカネで、一
    度もらうと、もっとほかの各施設を要求するようになるのは、ほかの原発立地自治体でも共通のこ
    とである。

 p.261 人形峠には、いまもう一度、人形をたてる時のようだ。核廃棄物という名の悪魔ばらいのために。

 p.262-263 発表によれば、「超深地層研究所」は、放射性廃棄物処理の基礎研究をおこなう施設、とい
      う。深さ一千メートル、直径六メートルの大形坑道を掘る。建設費は二百億円、運営費は二十
      年間で、四百億円。これほど巨大な事業が、地元に知らされず、いきなり協定に持ち込もうと
      されたなら、だれでもその中身を疑って当然である。

 p.265 いま、高レベル廃棄物は、暫定的に六ケ所村にはこばれているが、それもはじめは、低レベルの
    ものだけが埋設される約束だった。引き受けてのない原子力の施設は、いつも姿を変えてあらわれ
    る。嘘が当たり前になっているのもまた、わたしは各地でよくみてきた。

 p.266 奥村さんの思想は、自然のリズムを壊すのは犯罪行為、というものである。人間は自然のなかで
    生きている。放射性廃棄物など、自然の破壊物である。「孫子(まごこ)に生きざまをみせる」。
    それが、区長としての覚悟である。

 p.268 「地下の処分場は、二キロ四方、といわれているんで、人家の下にできるかもしれない」
     と加藤さんは、不安そうな表情になった。七年前(八九年)、ここで地層処分の実験をしていた
    ことが発覚したとき、キャニスター(金属製の核廃棄物保存容器)の腐食研究がされていたことも
    あきらかになっている。
     「動燃は最終処分場にはしない、といっていても、彼らには決定権はないはずだ。インチキをこ
    まかくやって、たらかす(傍点が施されている)つもりだ」
     加藤さんは、鋭くいった。たらかす、とは「ごまかす」の方言である。もんじゅの大事故でさえ、
    「事象」などといいくるめようとしていた動燃のやり方にたいして、住民の不信感は強い。

     たとえばそれは、長い間、道路が不便だった地域に、「道路をつくってあげる」といって原発を
    押しつけたこれまでの歴史とおなじやり口である。

 p.269 「国会移転など、毛鉤(けばり)だよ」
     と、彼は笑いとばした。これまで、自治体が原子力施設を誘致するときの引き換え条件は、新幹
    線だった。長崎県が原子力船「むつ」の修理を引き受けた条件がそうだったし、青森県が核燃料施
    設を引き受けたのも新幹線が欲しかったからだ。が、それは実現しなかった。
     科学技術庁の幹部は、こう語っている。
     「処分地を押し付ける、引き受けてもらう、という発想ではもう限界ではないか。首都の移転と
    セットにして、最終処分場もつくる覚悟で挑まないと……」(『日本経済新聞』九五年八月二十一
    日)。

 p.271 原発推進派の鈴木篤之東大教授は、「放射性廃棄物問題は優れて社会問題である」(『電気新聞』
    九五年十二月十八日)と書いている。ここでの社会問題とは、「地元の理解」ということであり、
    地層や岩盤の問題ではない、との見解である。
     試験地がそのまま処分地にされるのではないか、それが東濃地区のひとたちの共通の不安である。
    日本の政治は、既成事実で踏みつぶしてくるのを常套手段としている。既成事実を強引につくり、
    あとは時間をかけて、諦めさせる手法である。「地元の理解」とは、そのことを指している。

 p.272 つまり、「放射性廃棄物問題は優れて社会問題である」。住民がノーといいつづけている限り、
    そこにはつくれない。それでもなお、強引につくろうとするなら、それは民主主義の破壊である。

 p.274 このように、地域にとって、まるで貴重な工場であるかのような表現でいいくるめてまで、もっ
    とも危険な高レベルの放射性廃棄物を運び込もうとしたのは、住民をバカにしていた、としか考え
    られない。動燃特有の秘密主義である。

     冷却のための貯蔵期間は、「三○年間から五○年間程度」と書かれているが、千メートルの地下
    に埋設した放射性物質を、もういちど地上に運ぶ方法やコストは書かれていない。また、「処分に
    ついては海洋処分(傍点が施されている)と陸地処分を併せて行う方針とする」とあるのも、この
    ころのいい加減さをあらわしている。

 p.275 しかし、原子力産業界は、処分場の建設は、東西二箇所にしたい意向である。西は人形峠(岡山
    県)か東濃地区(岐阜県)、東は幌延か六ケ所(青森県)が有力候補地である。

 p.280 研究の既成事実をつって、本体を押し込むのは、たとえば、測量だけ、水質調査だけ、といいな
    がら、原発をつくってきた実情の踏襲である。貯蔵だけ、といっても、一度埋設した放射性生ゴミ
    を、またエレベーターに載せて、どこかへはこぶなど、マンガでしかない。


 かつて、イニシャルが<M.T.>の衆議院議員が科学技術庁長官だったとき、核廃棄物の処分問題で、ある地
域に対して、「50年でいいから引き受けてくれないか」という発言をしていたと記憶していますが(記憶違
いかもしれません)、そのときに感じたことは、「本当に、政治家という輩は、こんな無責任なことを平気
で発言するな」でした。50年も経てば、発言した当の本人が生きている確率は極めて低いですし、まだ存命
だとしても、責任のある地位からはとっくに退いていると思われます。もちろん、その発言は、タテマエ上
は国が責任をもって引き受けることになっているのでしょうが、50年後の政権がどんな政党によって握られ
ているのかは、誰にも予想などできないでしょう。したがって、この発言は「空手形」になる可能性が極め
て高いのです。ましていわんや、このような正攻法の提言ならばまだまだまともだと考えられますが、既成
事実を積み上げていって、とどのつまりは後に引けないように画策することは、リッパな「犯罪行為」では
ないでしょうか。
 さて、次回は、IX章の「住民投票、1996年8月 巻町」、および、「単行本あとがき」等に言及する予定
です。

                                                 
 2011年5月13日(金)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。VII章の「1988年、下北半島の表情」の後半(2 原発のマスコミ攻略)において、
目立っている文章です。例によって文脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更し
ましたが、それもご了承ください。


 VII章 1988年、下北半島の表情(後半)

 p.234 いま、この地域での最大の問題は、日本の原発地帯にあふるようとしている核廃棄物の「サイク
    ル基地」の建設である。原発は「トイレのないマンション」といわれているが、八戸市から四十キ
    ロほど北上した六ケ所村には、一兆二千億円の資金が投入され、再処理工場、ウラン濃縮工場、放
    射性廃棄物貯蔵施設が建設されようとしているのである。

 p.237 そのたびに感じるのは、テレビや新聞などでの「原発、核燃」関係の広告の多さである。新聞広
    告は『東奥日邦』と『デーリー東北』の両紙におなじ内容のものが、おなじ日に、おなじ分量だけ
    掲載されている。

 p.238 電力会社の大盤振る舞いは、すでに日常化した見慣れた光景である。歴史的に有名なのは、昭和
    二十年代に「タダノミ(傍点が施されている)川」と世評を賑わせた福島県の只見川流域のダム建
    設で、会津若松の東山温泉は「夜の舞台」といわれ、ここで東北電力の担当者が費消した接待費だ
    けで、五年間で、一億二千万円(福島民友新聞刊『電力県ふくしま』)にものぼった。当時の金額
    で、である。

 p.239 各原発とも、地元の人たちに対して、まず声をかけたのが「視察旅行」。旅なれぬ人たちをタダ
    の観光旅行に招待して、賛成派にひきよせている。三沢市の記者クラブや県政クラブも茨城県東海
    村などへ無料の招待旅行に誘われている。

     『デーリー東北』の中堅記者たちが、「協力費」問題に危機感を深めたのは、「いわれのないカ
    ネをもらっていると、次第にボディブローがきいてきて、何も書けなくなってしまう」という懸念
    によるものだった。そしてもうひとつ。過去に不祥事で辛酸を舐めた経験があったからである。

 p.245 八六年四月のチェルノブイリ事故は、一基の原発でさえ、地球規模で汚染をもたらすことを証明
    した。このことによって、日本の都会に住むひとたちも、ようやく原発の恐ろしさを肌で感じるよ
    うになった。
     アメリカでの原発からの撤退は、本書のもとになった単行本(八二年、潮出版社刊行)の「あと
    がき」(本書三一三頁所収)でも書いているが、ニューハンプシャー州の電力会社は原発を建設し
    たものの、運転にはいれず倒産。ニューヨーク市郊外の原発の閉鎖も伝えられている。原発はいよ
    いよ「幕引き」の時代にはいったのだが、ますます悪あがきをしているのが日本の政府と電力会社
    で、彼らの「解決策」は、昔通りのカネと宣伝である。

 p.246 原発は危険だが、日本のは安全です、という神風精神主義である。

     これまでのカネによる攻勢を電事連などは、「パブリック・アクセプタンス」(国民的容認)な
    どと体のよいことをいっているが、もともと危険で事故つづきのものを安全だ、といいくるめる
    「大衆欺瞞」でしかない。

 今回もウソとカネの話ですね。あまりのワンパタンにもううんざりですが、「水清ければ魚棲まず」とい
うわけで、人の世では未来永劫変わらないのでしょうか。さて、次回は、VIII章の「核の生ゴミ捨て場はど
こに? 人形峠、東濃鉱山、幌延」に言及する予定です。

                                                  
 2011年5月12日(木)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。VII章の「1988年、下北半島の表情」において、目立っている文章です。例によっ
て文脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更しましたが、それもご了承ください。


 VII章 1988年、下北半島の表情

 p.213 ATR型は、チェルノブイリ原発とほぼおなじ構造で、炉心には燃料としてのプルトニウムが内蔵さ
    れているため、住民の不安は強まっている。これにたいする電源開発の対策は、「奥戸三百六十人
    (漁民)の半分に視察にいってもらう」ということである。視察とは、全国の原発建設での常套手
    段であって、買収行為ともいうべき「原発先進地の見学」で、伊方(愛媛県)、敦賀、美浜(福井)、
    島根原発などへの飛行機での招待旅行である。大間町では一人で四、五回いった人や家族連れもい
    る。原発見学というよりは物見遊山で、お土産つきで帰ってくる。

 p.215 原発ができ、温排水で水温が変わってしまえば、根付け漁業は全滅する。出稼ぎが多いのは事実
    だが、だからといって、七月末から十月に収穫できるコンブ漁を捨ててしまえるものではない。そ
    れが蛯子さんたちが原発に反対するひとつの大きな理由である。

     下北半島は、「原発半島」ともよばれている。マサカリ形の刃先のあたりに本州最北端の大間原
    発が予定され、そこからマサカリの頭部をすべり落ちるようにして、関根浜の原子力船「むつ」の
    母港。柄の部分に東通村の原発、そこから南下して六ケ所村の核廃棄物サイクル基地、そしてプル
    トニウム空輸が予想される三沢基地と核施設が目白押しである。その間に射爆場や対空射場、防衛
    庁弾道試験場、海上自衛隊基地と、軍事施設がはさまっていて、核と軍事の一貫体制となっている。
    いわば毒を食らわば皿までの、きわめてアナーキーな県政といえる。

 p.216 一九八三年末、東京、東北両電力は、三十八億七千万円の漁業補償金を提案したが、両漁協とも
    に拒否、やがて約二倍の七十三億七千六百万円となったが、白糠漁協はそれも拒否した。

 p.218 「民主主義はどこへ行ったのか。それをいいたい」
     東田さんは語気を強めた。さいきんでは電力会社は二の足を踏んでいるのに、県や村当局のほう
    が原発建設に血眼になっている。交付金をアテにして財政を組んでいるからである。

     俗に「核燃三セット」とよばれている、核廃棄物処理工場、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃
    棄物貯蔵施設は、奇妙にことに東通村と六ケ所村との誘致合戦となった。

 p.219 一方、下北原発二十基が幻と消え去ろうとしている東通村の村長は、さっそく電事連の申し入れ
    にとびつき、はやばやと「受け入れ」を表明し、ついで遅れてはならじと六ケ所村村長も「受け入
    れたい」と表明した。いわずと知れた電源三法による立地交付金を狙ってのことだが、両村長とも
    「村経済の起爆剤」などと剣呑な発言をしていたのは、まだチェルノブイリの爆発が発生していな
    かった時期とはいえ、なにかドロ舟に乗ろうとしている小動物のあさましさを思わせる。

     再処理工場よりはプロパンガスのほうがはるかに危険だと力説したほどだった。
     立地をめぐって、二つの自治体を競わせるのは、明治の開発以来の常套手段で、ライバルがあら
    われると、それがいかにも重要なものにみえ、必要以上に誘致に熱中するのが人情である。こうし
    て安全性よりも経済性(メリット)が前面に出てしまう。

 p.220 こうして、六ケ所村は、バラ色の開発幻想がオイルショックとともにはかなくも消えたあと、す
    べて灰色の核廃棄物三点セットの舞台となった。

 p.221 村を荒廃させたのは、七○年になってから、列島改造の土建屋ブームに乗って、「巨大開発」の
    夢をまき散らして農地を奪い取った政府や県や不動産業者だった。とりわけ、三井不動産がひどか
    った。農民たちに馬鈴薯の種を与えるために開設された「原原種(げんげんしゅ)農場」が、いま
    核廃棄物再処理工場にされようとしていることをみるだけでも、これからの荒廃を理解できる。そ
    のちかくの開拓部落がつぶされた跡には、五十一基もの巨大な原油備蓄タンクが並んで建っている。
    再処理工場の予定地には、二重のフェンスが張りめぐらされ、つぎのような看板が立てられている。
     「ゴミを捨てないで下さい。
     自然環境を大切にしましょう
            日本原燃サービス」
     核のゴミを捨てる会社が、ちいさなゴミを禁止する。放射能をまき散らす会社が自然環境につい
    て説教する。牧場をつぶした石油備蓄会社が、石油タンクに緑のペンキを塗りたくる。ひとりを殺
    すと殺人罪、百人を殺すと英雄になる、とか。

 p.222 事故を発生しつづけながらしつづけながら、なんとか操業されている原発よりも、はるかに技術
    的に不安定な再処理工場を、原子力推進を標榜する国などの安全審査だけで操業させていいものか
    どうか。たかだか七年ほどで打ち切りになる「交付金」に眼がくらんだ地方自治体を闇雲に走らせ
    ての非民主的な方法が、はたして将来の安全性を保障できるのかどうか、それがわたしの強い疑問
    である。

 p.223 こうして、六ケ所村は数百年間、というよりは未来永劫に核物質を抱えて生活することになる。
    それも、天変地異がなく、平和な生活がつづくと仮定しての話である。すでに全国の原発地帯には、
    二百リットルのドラム缶で約七十万本の放射性廃棄物が保存され、これからまもなくはじまる廃炉
    によって、廃棄物はさらに急増する。このため、政府の放射線審議会は、低レベル(年間一ミリレ
    ム以下)の放射性廃棄物を、一般産業廃棄物として扱うことにした。
     とすれば、やがて、六ケ所村に貯蔵された放射性廃棄物は、炭坑地帯のボタ山のように、掘り起
    こされてダンプに積まれ、都会の道路の舗装やビル建設の捨石に使われることになろう。一人六ケ
    所村の人たちだけが放射能の不安におびえるのは、不合理というものである。

 p.227 しかし、飛行機と墜落事故は切り離せない関係にある。三沢市周辺でも、八七年三月に米空軍の
    F16、四月に自衛隊のF1、七月自衛隊のヘリが二機、そして十一月に自衛隊のF1(行方不明)と八
    ヵ月間に五機もが墜落している。再処理工場予定地の上空には、年に四万回もジェット戦闘機が飛
    来しているデータもある。ましてプルトニウムは核爆弾の材料であり、耳かき一杯の分量で数千人
    もガンで死亡する、といわれている猛毒で、まして半減期が長い。それが、二週間に一便の割合で
    空を飛んでくる。

     「自民党なら放射能の被害はないんですか」というのは、あげ足取りというもので、そのときは
    こらえたが、住民の生命の不安よりは、自民党のカサ意識のほうがはるかに強固のようである。

 p.230-231 県の政策とは、ひとつが駄目になると、またつぎに行く。論理性がまったくない、と彼は口
      をきわめて批判した。わたしが記憶しているだけでも、むつ製鉄、ジャージー牛の導入、ビー
      ト(テン菜)の栽培。そして巨大開発、核燃基地と、この下北半島周辺は、中央に依存し裏切
      られる、といった失敗の繰り返しだった。

 p.231 漁業権を放棄させるには補償金がいる。ところが、その算定規準は漁民たちの実際の収入をはる
    かに上回るものだった。たとえば、当時、港もなかったのに、高級魚であるマグロが六百四十一ト
    ン、ヒラメが四百二十三トンも獲れていたことになっている。統計の偽造であり、県の担当者なら
    チェックできるはずのものだった。こうして算定された金額が、「つかみ金」あるいは「政治加算
    金」として漁協に支払われ、漁業権を消滅させたのだった。いわばカネのじゅうたん爆撃である。
     これについて、上告代理人である浅石紘爾弁護士はこういう。
     「開発をおこなう側にとって、実態以上の政治加算が適法になると、“つかみ金”が公然化され
    る、するとこれからの公共事業で、不当な請求がなされても県は応ぜざるをえない。県でさえ払う
    のだから、私企業では当然のこととなる。

 p.233 ストップ・ザ・核燃、その百万人署名運動が、青森県から全国にむけて呼びかけられている。チ
    ェルノブイリの大事故以来、「反原発」「脱原発」の運動は、子どもを抱えた主婦を中心にしてよ
    うやく市民レベルでひろがってきた。時代は大きく変わりつつある。

                                             (つづく)


 原発建設にまつわる、電力会社等の利益第一主義、行政の事勿れ主義、過疎地の中央依存体質、三者に共
通する無責任体制などが「複合汚染」を招くという図式は、これまで何度も指摘されてきました。それを報
じるマスコミも、口封じのカネをつかまされてしまうと、批判の矛先が鈍るようです。そして、誰もがおか
しいと感じながら、誰にも止められないシステムが自動的に回り始めるのです。「ちょっと、待って!」と
叫ぶ勇気が、ひとりでも多くの人のこころに芽生えることがなければ、カタストロフまで一直線です。いわ
ば、ブレーキの利かない暴走列車に乗っているのと同じことです。曖昧な話で申し訳ないのですが、ドイツ
では、ほぼ完成していた原発を、たった一人の住民の異議申し立てがきっかけとなって、廃炉に追い込んだ
事例があるそうです。「おかしいことはおかしい」と、勇気をもって指摘することです。そして、間違いを
素直に認めることは、そのまま頬っ被りするよりも、はるかに「カッコイイ」ことなのです。
 さて、次回は、VII章「1988年、下北半島の表情」の後半に言及する予定です。
  
                                                  
 2011年5月11日(水)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。VI章の「原発半島の抵抗 下北」において、目立っている文章です。例によって文
脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更しましたが、それもご了承ください。


 VI章 原発半島の抵抗 下北

 p.190 巨大開発、原発、原子力船。それ以前では、軍港大湊、三沢の日米空軍基地、太平洋岸一帯の日
    米射爆場など、いわば、日本の吹きだまりとして、この広大にして平坦な地域が利用されてきたが、
    抵抗闘争は、まだはじまっていなかった。
     各地をまわってきてのわたしの感慨は、これまで政治の光の当ることのすくなかった地域にかぎ
    って、いま原発地帯として脚光を浴(原文では、「沿」という文字が使われているが、誤植と思わ
    れる)びていることへの無念さ、といったようなものである。
     裏日本の若狭湾岸、福島県の浜通りなどがその典型である。原発が集中すようになった地域は、
    ながいあいだ、政治から見捨てられてきた地域でもある。それはまるで、やがて原発をもちこむた
    めにこれまで意識的になんの恩恵も与えず飢餓状態にしてきた、ともいえるほどである。

 p.195 これまでの電力会社の作戦とは、反対運動の強いところでしのぎを削り、まず既成事実をつくっ
    たあと一服休み、そして、「最後の料理」として、下北に攻めこむ腹づもりだったのだろうか。

 p.197 原発建設の条件として、お寺まで寄付するとは、前代未聞である。東電寺、あるいは原発寺とで
    も名付けるのであろうか。

 p.199 原発建設は、このように営々と積み重ねてきた生活を中断させようとしている。もしも操業がは
    じまると、そのあと生態系の変化によって、いまのような年間のバランスの取れた漁業に予測不能
    の影響を与える。

 p.201 陸奥湾岸漁民の反対を押し切っての強行出港で大憤激を買い、あげくの果てに放射能漏れ事故を
    起こして洋上で立ち往生した「むつ」が、母港にたどりつくための条件として漁民たちからつきつ
    けられたのは、立ち退き要求だった。

 p.203 しかし、津軽海峡に面した関根浜は、波が荒く、気象、海象、地震津波などの自然条件からだけ
    でもまったく資格を欠くと語ったのは、ほかならぬ原船事業団の理事であった。それでもなお、あ
    らゆる悪条件を押し切り、膨大な投資をして関根浜に建設するとしたら、それは、下北核基地にむ
    けての廃棄物受け入れ港や軍事施設の建設、と疑うこともできる。
     この欠陥原子力船に政府がこだわればこだわるほど原子力行政の失態をクローズアップさせ、さ
    りとて、政府みずから廃船するにしても、すでに多大の批判を招かざるをえまい。どっちにしても
    進退きわまったのなら、追い銭を使わないほうが利口というものである。もっとも、それでもなお
    かつこだわるとしたなら、それはもはや、軍事利用(原子力潜水艦)の研究のため、と考えるしか
    ない。

 p.208 当選発表の翌日、「四年間の浪人生活で、なにを考えてましたか」とわたしはたずねた。「原子
    力のことです」と、彼は即答した。保守派の政治家として出発した菊池さんは、原発について独学
    しながら、原子力開発と地元の将来があい入れない、との結論に達したのだった。


 下北半島と言えば、恐山のイメージが強く、寂れた地域という偏見が付き纏います。鉞に似た形状からも、
何かおどろおどろしいものを連想し、自然も苛酷なのではないか、といった先入見があります。事実、小生
は訪ねたことがなく、実態としては何一つ知らないと言ってよいでしょう。また、津軽か南部かを問わず、
青森県出身の作家としては、葛西善蔵、石坂洋次郎、太宰治、三浦哲郎、寺山修司、長部日出雄などを連想
します。さらに、歌手の泉谷しげる、三上寛、吉幾三などが思い浮かびます。小生としては、太宰、三浦、
泉谷、三上にはとくに惹かれるものがあります。映画『田園に死す』(監督:寺山修司、人力飛行機舎=ATG、
1974年)で描かれた下北半島も印象深かったことを覚えています。また、ニホンザル(ツキノワグマやニホ
ンカモシカも)の北限でもあります。一言で言えば縁遠い地ではありますが、「自然が開発されずに残れば
いいのに」と本気で思っている地でもあります。
 さて、次回は、VII章の「1988年、下北半島の表情」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月10日(火)

 本日は、再び『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)か
ら引用させていただきます。V章の「政治力発電所の地盤 島根」において、目立っている文章です。例に
よって文脈を無視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更しましたが、それもご了承くだ
さい。


 V章 政治力発電所の地盤 島根

 p.156 ここの原発の特徴は、「桜内一家」とよばれる政治地盤のうえで、巧妙な駆け引きによって建設
    されたことである。

     そんな政治風土だったから、原発も、当初は、「桜内っあんがそんな悪いもん持ってくるはずが
    ない」と歓迎された。

 p.157 だから、島根原発は鹿島町で五○パーセント強の得票率を誇ってきた義雄と中国電力社長の乾雄
    の血のつながりによって産みだされたともいえる。
     義雄は、自民党の中曽根派として通産大臣になった。中曽根康弘は、一九五四(昭和二十九)年、
    史上最初の原子力予算を成立させた仕掛人で、当時「右往左往する学者たちのホッペタを札束でひ
    っぱたいて眼を覚まさせる。政治が科学に優先しなければ、日本の原子力研究は進むはずがない」
    と発言して、物議をかもした原子力政治家である。

 p.157-158 中国電力が、島根半島に原発を建設すると発表したのは、六六年十月十一日のことである。
      当時の新聞には、こう書かれている。
      「建築地を島根半島に選んだ理由は現在の原子力発電所の安全性、公害性などの客観情報と中
     海干拓に伴う需要増を含めた経済性を考えたためで、具体的には、1.人口密度が低い、2.地
     盤が堅い、3.将来二、三基分が確保できる、4.将来、送電によるロスが少ない──ことなど
     があげられる。

 p.158 安全性、公害性を考え、人口密度の低い地域に立地した、と中国電力は新聞記者に発表したのだ
    が、一・五キロ離れて隣りあっている片句部落に百八戸、約五百人が住んでいるばかりか、人工
    十二万七千人の松江市とは、わずか九・五キロの距離でしかない。ここは県庁所在地にもっとも
    ちかい原発なのである。

 p.159 原発自治体では、このような姑息としかいえないような情報操作が、公然と罷り通っているので
    ある。

     「したがって、基準通りに設計されれば、サカナの臓器に廃棄物がたまっても人体に害はない。
    基準は、人間を対象に考えているので、人間が廃棄物を食べても心配ないわけである」
     物理学教授の科学性とは、こんなものだったのだ。

 p.160 わたしは、この社史によってはじめて知らされたのだが、驚くべきことに、その年の一月、アメ
    リカ上院のイエーツ議員が、アメリカ政府原子力委員会の意をうけて、広島に日米両国政府の協
    力によって原発を建設する法案を提出していたのだった。「最初に原爆を投下された広島にこそ
    原子力の平和利用を目的とした原発が建設されるべきである」との提案にたいして、当時の渡辺
    廣島市長は、「受け入れの用意がある」と市議会で言明、渡米していた島田中国電力社長は直接
    イエーツ議員と会談したという。この計画は住民感情を逆なでして、強い反発を受けて立ち消え
    になったのだが、社史では、「この年をさかいに中国地方でも原子力発電への関心が高まったこ
    とは事実であった。翌三一(一九五六)年三月、中国電力では調査課に原子力係をもうけて、そ
    の調査研究を開始したのである」と評価されている。

 p.162 島根原発で発電されたほぼ半数は、後段に記述されている「山陽地区への送電」にむけられるこ
    とになったのである。

 p.163 いま、原発反対の運動の中心人物になっている中村栄治さんの話によれば、測量のために無断で
    立木を切ったり、勝手に農地に踏みこんだりした行為は、「地元民をみくびっている」「大企業
    はとんでもないことをする」との反発を強めることになったとのことである。
     一方、町会議員、県・町職員幹部、そして漁協幹部たちは、福井県敦賀市や福島県大熊町などの
    「視察旅行」に招待され歓待されていた。

 p.164 自分でも納得できないことを住民に納得させるのが町長の任務というなら、町長とはただ電力会
    社の言い分を鵜呑みにして伝えるスピーカーでしかないことになる。桜内社長の誤算は、おのれの
    弟と政治力たのむあまり、地元の中小ボスたちに協力させれば、簡単に片が付くと考えたことだっ
    た。
     地区の集会に桜内義雄や副知事を繰りだして説得にあたらせても、用地買収や漁業権交渉は遅々
    としてはかどらず、着工は著しく遅れる見通しになった。そのとき、実施したウルトラCの作戦と
    は、「建設計画白紙撤回」だった。「やめるぞ」とブチあげると、新聞は大見出しをたてて書きた
    てる。交渉にひきだし、条件をだしたあと「そんならよそへいくぞ」と脅かすのは、開発側の常套
    手段である。

 p.167 カナギ漁は、海面から眼にみえるものだけを獲る漁法なので、潜って根絶やしにすることもなく、
    資源はいつまでも保存される。漁師たちが、「元金に手をつけないで、利息だけで食っているよう
    なもんや」というように、自然と漁師が共生する関係をつくりだしてきた。原発による温排水は、
    この昔ながらの世界をぶちこわす。そのことを直感した漁師たちは、知事や社長や大臣の説得にも
    屈することなく、漁業権放棄の議案を葬り去ったのだった。

 p.170 「原発を建設するために採用しているんだ。だから、建設できなくなったら、クビになるぞ」
     中国電力の幹部が直接そういうのか、それとも、保守的な地域からでている労働者たちのあいだ
    に、そんな不安が潜在的にあるのかはともかくとしても、血縁関係の濃い、ちいさな部落では、原
    発に勤めるようになったものの利益を親戚ぐるみで守るようになる。そのため、部落のなかで、表
    だって反対するのを遠慮するような雰囲気ができてくる。

 p.176 「子々孫々どうなるか、歴史にたいする責任がありますね。いったい、安全性は確立したんです
    か。人間がいなくなってしまえば、電気も必要なくなるでしょう。ちがいますか」。

 p.180 いま、賛成派とみられているのは、中電に勤めているふたり程度とのことである。

 p.184 原発に対置する価値観とは、カネやメリットではなく、生命なのである。
      「“もつ”ではなく“ある”でなければならない」
      と小川さんは静かにいった。カネをもつ、クルマをもつ、家をもつ。そうではなく、人間で
     ある(「ある」の部分に傍点)。それが大事なことだ、というのだった。

 p.185 町長選挙になると、当然、原発推進派を担いで運動する。中国電力の別働隊である。
    原発の恐怖とは、自然を汚染し、人間や生物の組織を破壊するばかりではなく、品性をいらしくさ
   せ、人間のつながりを断ち切り、権力に迎合させ、自治体を秘密主義と非民主的にすることにある。
   電力の原発依存とは、人間生活が危険物に依存し、他人と未来がどうなっても、自分と現在だけがよ
   くなればいい、という思想を蔓延させる。建設過程の強引さが、そのすべてを物語っている。
    そして、もしひとたび事故が発生したなら、たとえば、島根原発の十キロ圏内に住む七万六千人が
   どのように避難するのか、三十ヶ所の上水道、簡易水道の水源地をどう守るのか、水をどうして供給
   するのか、その具体案は市民になにも知らされていない。


 「原発が汚染するものは、ずばり人のこころである」という言説は、今回の福島第一原発事故関連のニュ
ースの中では触れられることはあまりないようです。おそらく、マスコミも、原発付近の地域住民に遠慮し
ているのでしょう。しかし、この観点を抜きにしては、原発誘致問題は語れないと思います。地域住民への
メリット(真の意味でメリットかどうかは、注意深く考慮すべきでしょう)を顧みることなく誘致を拒絶し
た地域もあるのですから、地域住民のこころのもちようこそが、原発の誘致を妨げ、現存する原発を廃炉に
追い込む力となり得るのです。小生は地域住民ではないので、「そのメリットは毒入りだぞ」と大声で勧告
できるような立場にはいません。しかし、原発廃止後の節電への協力や、経済地盤の低下による暮らし向き
のマイナスへの変更を受け容れる用意はあります。また、子孫のことを考えれば、核廃棄物の最終処理に関
して何ら妙案のない現在、原発を維持することは先細りの隘路に入り込むことと同じことです。中部電力管
内にある浜岡原発は、しばしの間運転停止に決まったようです。しかし、それは廃炉にするという意味では
なく、現在の安全性の確認と今後の一層の安全性確保への第一歩だそうです。しかし、小生は、やはり、廃
炉への第一歩であって欲しいと考えます。できれば、全国に存在する原発を一時運転停止にし、国民全体で
今後のことを話し合って欲しいと考えています。
 さて、次回は、VI章の「原発半島の抵抗 下北」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月9日(月)<その2>

 内田樹氏が、もう一つブログを公開されておりますので、それも引用させていただきます。なお、一部改
変しておりますが、ご寛恕を乞いたいと存じます。

  
 浜岡原発停止について(2011.05.08)

  MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、
 いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕
 の三人の three-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くし
 たりしながら見ているという四人組ベース。今回は「震災」テーマでのトークである。
  菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。名越先生も私も、
 これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私
 案」に近いのではないかという意見だった。浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的
 な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。「安全性に問題はない」である。
  でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府機関も中電の経営
 者も原子力工学の専門家たちも、口を揃えて「想定外の事態だった」と言うに決まっている。福島に
 続いて静岡で原発事故が起きたら、もう「日本というシステム」に対する国際社会の信用は回復不能
 のレベルにまで下がるであろう。メーカーへの送電や、株主への責任や、天然ガスの手当てといった
 レベルでの不安はあるだろうが、それは首都圏が福島・静岡の事故に挟撃された場合に日本が失うも
 のとは比較にならない。だから、菅首相の判断を私は支持する。
  官僚たちはさぞやご不満であろうし、撤回させるために、いま全力を尽くしているところだとは思
 うけれど、民意が「反原発」に完全に傾いた今となっては、もう原発推進に舵を切ることはできない
 だろう。
  それにしても、高い確率で大地震が起こる地盤の上に原発を建てた人間はいったい何を考えていた
 のか。何も考えていなかったと私は思う。「2000年問題」というのがあった。2000年になるとコンピ
 ュータが誤作動を起こすかもしれない。どのような事故が起きるか想像もつかない……と1999年の12
 月31日にはみんなどきどきしていた(さいわい、たいしたことは起こらなかった)。なぜこんな問題
 が起きたかというと、コンピュータの設計をしていた人たちが「そのうち紀元2000年が来る」という
 ことを考えていなかったからである。もちろん、彼らだって「そのうち紀元2000年が来る」というこ
 とは高い確率で想定していたはずである。しかし、そのことを考えに入れると、コンピュータの設計
 を変えないといけない。年号表示を2桁増やすことで失われるメモリー量が「もったいなかった」の
 で、「2000年は、2000年までは、来ない」ということにして(これは命題としては正しい)、考える
 のを止めたのである。それと同じである。大地震は、大地震が来るまでは、来ない。命題としては、
 正しい。だが、そこから「大地震が来るまでは、大地震のことは考えないでもよい」という実践的命
 題を導くことはできない。
  こういう発想をする人を私が好まないのは、もちろん「無責任」ということもあるけれど、それ以
 上に「どうせ来るなら、そのときは破局的な事態になった方がいい」という無意識的な願望を抑制で
 きなくなるからである。「姉歯事件」をご記憶だろうか。構造計算をごまかして、耐震性の弱い建築
 物をどんどん建てた人たちがいた。彼らが単にコストカットして金儲けをしたかった、というのなら
 それほど罪はない(あるけど)。でも、彼らは地震が起きて、適正な構造計算をした建物だけが残り、
 虚偽の構造計算をした建物だけが選択的に倒壊するという事態を怖れた。その場合にのみ彼らの悪事
 は満天下に明らかになるからである。それゆえ、彼らはこう願った。もし地震が起きるとしたら、中
 途半端な規模のものではなく、すべての建物が倒壊するようなものでありますように、と。彼らの犯
 罪は「自分たちの悪事が露見しないためには、すべての人が破局的な目に遭うことが必要である」と
 いうかたちで構造化されていた。それが何より罪深いと思う。そのためには彼らは朝な夕なに「どう
 せ来るなら、日本列島が全壊するような地震が来ますように」と祈る他ないからである。
  祈り(というより呪い)の効果を軽んじてはならない。活断層の上に原発を建てた人たちは地震に
 ついては何も考えていなかった(というより、考えたくなかった)。もし地震について何かを考えて
 いたとしたら、姉歯たちに近いことだろうと思う。「どうせ地震が来て、原発事故が起きるなら、日
 本列島が全壊してしまうような規模の破局の方がありがたい」と。というのは、そのとき(つまり、
 『北斗の拳』的世界においては)、彼らの旧悪を追求するような司直の機能はもう日本列島上には存
 在していないはずだからである。だから、無意識的に彼らは活断層の上に原発を建てることを選んだ
 のである。私はそう思う。
  安全に対する手立てを講ずることを怠る人間は、自分が「なすべきことを怠っている」ということ
 を自覚している。だから、必ず、「どうせ何かが起きるなら、安全について手立てを講じた人間も、
 手立てを講じなかった人間も、等しく亡びるような災厄が訪れますように」と祈るようになる。それ
 はその人と属人的な資質とは関係がない。夏休みの宿題を終えないうちに8月31日を迎えた子どもが、
 「学校が火事になればいい」と祈るのと同じである。別にそう祈る子どもが格別に邪悪なわけではな
 い。宿題をしなかった子どもは必ずそう祈るようになる。人間の無意識的な祈りと呪いの力を過少評
 価してはならない。だから、浜岡原発を停止することに決めたのはよいことだと私は思う。繰り返し
 いうように、私は原子力テクノロジーに対しては何の遺恨もない。テクノロジーは価値中立的なもの
 である。テクノロジーに良いも悪いもない。でも、愚鈍で邪悪な人間たちに原子力テクノロジーの操
 作を委ねることには反対する。そして、「愚鈍で邪悪な人間たち」というのは端的に「人間というも
 の」と言うのとほとんど同義なのである。


 ここでも、「まったく同感!」と叫ばずにはおられない自分がいます。管首相はだいぶみっともない状況
に陥りましたが、今回の浜岡原発に対する判断は快哉に値すると思います。小生の「日日是労働スペシャル
II(東日本大震災をめぐって)」〔2011年4月14日(木)〕で引用させていただいた石橋克彦氏の「原発震
災 破滅を避けるために」(『科学』、1997年、10月号、所収)を読んだことのある人ならば、即刻運転停
止にして欲しくなると思います。黙っていれば、承認していると同じことです。その気持があるならば、今
こそ声を上げるべきときです。「原発は要らない」、と!        

                                                 
 2011年5月9日(月)

 内田樹氏が新しいブログを発表しているので、引用させていただきます。一部改変した箇所もありますが、
ほぼ原文どおりです。


 弁慶のデインジャー対応について(2011.05.07)

  5月3日に灘高の文化祭で生徒会主催の講演をした。そのときの話を少し書いておきたい。
  生徒会主催の講演に呼ばれたのは、これがはじめてのことである(そういえば、大学の文化祭とい
 うのにもあまり呼ばれた覚えがない)。お題は「次世代に望むこと」……原発事故以来、また繰り返
 し集中的にしている「リスクとデインジャー」の話をここでもした。その話はもういいよ、という人
 もいるかも知れないけれど、はじめての人はちょとお付き合いください。危機には「リスク」と「デ
 インジャー」の二種類がある。「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージ
 したりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のこ
 とである。喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハイン
 ドというのは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避で
 きる可能性がある。試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デイン
 ジャー」である。対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。だが、そういう場合でも、
 四囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断をできる人間
 がいる。こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確率が高い。でも、いちば
 ん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと『厭なこと』が起こりそうな気
 がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして、家でふとんをかぶっている人間である。WTC
 テロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。
 彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス・ベースで示すことは誰にもできない。「ただの偶然
 だ。理屈をつけるな」と眼を三角にして怒る人がいるけれど、そういう人には「そうですよね」と言
 ってお引き取り願うしかない。
  けれども、「どうして私だけが生き残ったのか、理由がわからない」ということは、よくある。そ
 の場合に「単なる偶然である」と言って済ませることのできる人はきわめて少ない。ほとんどの人は
 「自分だけが生き残った理由」について考える。少なくとも、ホロコーストを生き延びたエマニュエ
 ル・レヴィナスやエリ・ヴィーゼルやウラジミール・ジャンケレヴィッチはそうした。もちろん、
 「自分だけが生き残った理由」はわからない。「おそらくはゲシュタポの気まぐれによって」とジャ
 ンケレヴィッチは書いている。レヴィナスはそれをそのまま引用しているので、たぶん「同じ気分」
 だったのだろう。けれども、人は他人の「気まぐれ」で手に入れた人生をそのままに生きることはで
 きない。生き延びた理由は「気まぐれ」でも、そのまま長生して、いざ死ぬときにふりかえって「私
 が生き残ったことにはやはりそれなりの意味があった」と言い切れなければ、自分が生き残ったとき
 に死んだ人間に申し訳が立たない。だから、自分自身の人生に加えて、「死んだ人の分まで生きる」
 という責務を自らに課すことになる。「あの人があのとき死ななければやっていたかもしれないこと」
 は「生き残った私」の宿題になる。その宿題を完了したときにはじめて、「ゲシュタポの気まぐれ」
 という「人の生き死にに、理由なんかない」という非?人間的無底(anarchie)を人間的意味と人間的
 秩序が少しだけ押し戻すことができる。
  だから、もし大災厄を生き延びた場合には、どんなことがあっても、「生き残ったことは単なる偶
 然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」というような発言をしてはな
 らない。それは死者を二重に穢すことになるからである。私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延
 びることがあったとしたら、私たちはそのつど「なぜ私は生き残ったのか?」と自問しなければなら
 ない。「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でも
 オカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。
  だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」という
 ふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。そうすべきなので
 ある。私が生き残ったことには意味があると思わなければ、死んだ人間が浮かばれないからである。
 誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになるからである。そ
 して、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに「デインジャ
 ーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。
 だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」とし
 てしか考察しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発で
 きるのかについての「まじめな議論」を私はかつて聴いたことがない。
  今回の原発事故は「デインジャー」である。「リスク対応」は十分であったと政府と東電と原子力
 工学者たちは言う。たしかに、その通りなのかも知れない。だが、「デインジャー対応」という発想
 は彼らにはなかった。「デインジャー対応」というのは事故前の福島原発を見て、「なんだか厭な感
 じがする」能力のことである。その「厭な感じ」が消えるように設計変更を行ったり、運転の手順を
 換えたり、場合によっては操業を停止したりする決断を下せることである。それができる人間がそこ
 にいれば、そもそも事故は起こっていない。事故が起こっていないから、そのような能力を発揮した
 人が巨大な災厄を未然に防いだという「事実」は誰にも知られない。それは「事実」でさえないのだ
 から、知られなくて当然である。けれども、そこから、そのような能力は「存在しない」という結論
 を導くことは論理的にはできない。私たち人類は久しく「後一歩のところで破局を迎えたはずの事態」
 を繰り返し回避したことによって今日まで生き延びてきた。
  むろん、「存在しなかった災厄」について、たしかなことは誰にも言えない。けれども、「存在し
 なかった災厄は、それを無意識のうちに感知して、それを回避する策を講じた人がいたせいで存在し
 なかった」という仮定はあきらかに人間的能力の向上に資する。能の名曲に『安宅』がある。歌舞伎
 で『勧進帳』と呼ばれる物語である。これはよく考えると不思議な物語である。富樫の立てた新関の
 前で困惑した弁慶は「ただ打ち破って御通りあれかしと存じ候」といきりたつ同行の山伏たちを抑え
 て、「なにごとも無為(ぶい)の儀が然るべからうずると存じ候」と呟く。そして、弁慶の「不思議の
 働き」によって、安宅の関では「起こるはずのこと」(富樫一党と義経一行の戦闘)は起らなかった
 のだが、それは「白紙の巻物」を「勧進帳と名づけつつ」朗朗と読み上げる弁慶の「ないはずのもの
 が、ある」というアクロバシーと構造的には対をなしている。『安宅』が弁慶の例外的武勲として千
 年にわたって語り伝えられているのは、「ないはずのものをあらしめることによって、あるはずのこ
 とをなからしめた」という精密な構造のうちに古人が軍功というものの至高のかたちを見たからであ
 る。『安宅』は「存在しないものをあたかも存在するかのように擬制することによって、存在したか
 もしれない災厄の出来を抑止する」というメカニズムを私たちに示してくれる。ここでいう「存在し
 ないもの」が「災厄の到来を事前に感知する能力」である。弁慶の武勲は何よりも白紙を朗朗と読み
 上げた点に存する。これはひとつの異能である。勧進帳を読み上げているときの弁慶は、東大寺建立
 のため重源上人に北陸道に派遣された山伏に「なりきっている」(強力に化けた義経を打擲するとき
 も)。この弁慶の憑依力・物語構成力によって、安宅の関には、「そこに存在しない世界」が幻想的
 に出来する。この幻想的に構築された物語が、現実の災厄の出来を抑止する。私が「デインジャー対
 応能力」と呼ぶのは、ひとつの「物語」である。そう言いたければ「幻想」と言い切っていただいて
 も構わない。けれども、幻想を侮ってはいけない。「存在するはずだったのに、しなかった現実」と
 均衡するのは、理論的には「存在しないはずなのに、存在してしまった幻想」だけだからである。そ
 れはシーソーのような構造になっている。それが今日の核戦略における「抑止力」と構造的に相同的
 であることはまことに皮肉と言う他はないけれど。


 内田樹氏は、今回も論旨明白に、リスクとデインジャーの相違をわたしたちに分りやすく伝えてくれます。
たしかに、弁慶の異能はわたしたちにはなかなか望めない類の才能でしょう。しかし、それを科学では証明
できないからという理由で斥けたとすれば、それこそ愚かな科学万能主義に陥っているとしか言いようがあ
りません。小生は携帯電話をかなり激しく嫌っておりますが、理由は明確ではありません。ただ、「あの忌
まわしいものが、人間を縛り付ける鎖そのものに見えるから」と答えることにしています。ただし、人から
借りて使用することもあるので、機能そのものを嫌っているわけではありません。それこそ、どこか「厭な
感じ」を携帯電話に感じるからなのです。

                                                 
 2011年5月6日(金)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。IV章の「原発反対運動の戦跡 柏崎」において、目立っている文章です。文脈を無
視しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更しましたが、それもご了承ください。


 IV章 原発反対運動の戦跡 柏崎

 p.120 砂丘から波打ち際まで鉄条網がはしっている。囲いこまれた海は縛られたようにみえる。保安林
    の伐採、海の封鎖、これらの作業は、深夜および早朝、機動隊を配備し、県外から駆り集めた労働
    者を使って、電光石火のごとくやってしまったのだった。砂丘が共有入会地であることを主張する
    地元のひとたちの裁判がまだ決着のついていないときに強行されたのである。七八年七月の保安林
    伐採開始時には、三名の逮捕者をだしている。

     原発はまず、ここに住むひとたちの長い生活のしきたりにくさびを打ちこんで建設開始となった
    のである。
     突然、海岸に杭が打ちこまれてバラ線が張られた日は、海を眺めながら県道を往来していた地域
    のひとたちにとって、占領にも匹敵する大事件だった。

 p.121 「原発はあの野郎が持ってきたんだデ」
     いまではあの野郎などとののしられることになってしまったが、それまでは東京にでもいって田
    中角栄の名前でもでようものなら、柏崎、刈羽のひとたちは、
     「うん、おらちのちかくだコテ」
     などと鼻をうごめかしたものだった。なにしろ庶民宰相の出身地の西山町は隣町で、このあたり
    の越山会メンバーは、砂丘の砂粒に匹敵するほども多く、彼は多大なる尊敬をかちえていたのだっ
    た。

 p.123 当時、この砂丘は坪百円でも買い手がつかないといわれていたのだが、木村から東電に売られた
    ときには、二千六百円にもなっていた。これによって木村がつかんだカネは三億九千五百万(税込
    み)といわれているが、それがそのまま彼の懐にはいったのか、それとも室町産業をにぎる親分こ
    と田中角栄にはいったのか、といえば、どうも彼のところを素通りしただけ、と地元ではささやか
    れていたのである。

     「村は田中と木村県議におぶさってきた。何をするにも二人におうかがいをたて、また面倒をみ
    てもらった。その因縁が今回のような不正事件となって出てくる。農協も、村も一人歩きをしなく
    ては……」。

     親分も子分も金銭感覚がマヒしている、その地盤の上に原発がすべりこんできたのである。

 p.125 「責任は政府に、カネは自治体へ」。それが原発自治体の長の全国共通の思想である。つまり、
    無責任なのである。

     今井哲夫現市長は、スリーマイル島の事故のあと、市民たちに責任をとれ、と追及されて、「叩
    (はた)きたければ、オレの頭を叩け」とひらきなおったとのことである。

 p.126 六九年三月、柏崎市議会は圧倒的多数で「誘致決議」をおもなった。
    「原子力発電所を誘致し、建設の実現をはかることは柏崎市の産業振興に寄与し、ひいては豊かな
    郷土建設をめざす地域開発の促進に貢献する……」お定まりの文句である。原発が産業振興にも、
    地域開発にもなんら貢献しないことは、わたしのこれまで報告してきた通りである。

 p.129 男たちは勤め先に気兼ねしてその種の会合にでたがらないこともあったが、生活の問題や子供の
    将来について真剣に考えるのは、いつでも家庭の主婦である。

 p.134 賛成派は、酒、砂糖などを各戸に配って歩いた。賛成派のポスターを貼らしてくれと戸別訪問し
    てまわった。狭い部落でそれを拒否するのには大いなる勇気を必要とする。それが踏み絵だった。
    町内会長選挙の直後、アメリカ・スリーマイル島の大事故が発生した。選挙がもうすこし遅かった
    ならまちがいなく再選されていたはずである。賛成派町内会長は、池田さんの従弟である。文字通
    り、血で血を洗う選挙戦だった。

 p.135 彼は、タダ金をもらうことによって村の自治の精神が犯される、村が東電の植民地化される、と
    反対理由を唱えて起立しなかった。

 p.136 地元で生まれ、地元で生活してきた青年たちが、運動を政党や労働組合などの団体にまかせるの
    ではなく、自力で考え、自力でつくりだしてきたのは、貴重な財産である。

 p.138 生田萬の乱から百三十数年たって現れた原発反対闘争は、彼の孤立し、ヒロイックにして絶望的
    な行動としてではなく、きわめて日常的に、生活と深く切りむすんだところで、多くのひとたちの
    共感をかちえてたたかいつづけられているのである。

 p.139 「知事は国の安全審査ばかり持ち出してくるが、県民の立場で県がなぜ調査できないのか」と田
    辺議員。「私は専門家ではないし、県も独自で調査する力はない。私は国や専門家の意見を尊重す
    る」と県知事。

 p.140-141 刈羽のひとたちは、手弁当で何回となく上京し、抗議にきた。科学技術庁の担当者に、東京
      につくったらいいだろうに、というと、東京は人口が多くて危険だ、と答えたという。それな
      ら柏崎のこんな人家にちかいところにつくることをどう考えるのだ。そんなことから、刈羽の
      婦人たちは、政府のいい加減さを身をもって知らされたのである。

 p.141-142 広川みゆきさんが原発を恐ろしいと思うようになったのは、福島原発を見学してからである。
      外観だけをみたときは、白亜のビルでまるで観光地のようだったのだが、まず、温排水がすさ
      まじい勢いで海に流れこんでいるのをみて不安な気持になった。建屋のなかでは作業員たちは
      自分の洋服を脱いで白い服に着替える。でてきたときにその作業衣を受け取る係員がマスクを
      しているのをみて恐怖にかられたのだった。このときは賛成派だけの見学だったためか、東電
      も安心してなかまでみせたのだった。

       東電の社員が口にした補償金の額があまりに大きかったのにびっくりして眠気が吹っ飛んで
      しまった。いくらだったか、金額はいまでは思いだすことはできないのだが、とにかくびっく
      りしたことだけは記憶に鮮明なのだ。そんなカネを払うということはなにかまずいことがある
      にちがいない、と考えるのが庶民の英知というものである。

 p.143 「こんなちいさな村に巨きな原発をたててどうする気なのか。村長は東電から五億円もらって、
    おれがもらってやったと自慢しているが、こんな住民を馬鹿にしたことはない。これじゃまるで動
    物園の動物だ。餌をくわしてもらうだけで、自分ではなんにもしなくてよくなってしまい、本当の
    生き方ができなくなっていまう。もう心の病気がはじまっているんだ」。

 p.144 わたしは原発の危険性をむやみに爆発などで強調する議論は使わないようにしているのだが、こ
    んな巨大な容器のなかでおこなわれる核分裂を、人間が制御しようとする行為の愚かしさを悟った。
    おそらく、これをみたひとなら誰しも、本当に大丈夫かな、と思うことはまちがいない。柏崎原発
    は、地中から空にむかって、なにかを叫ぶように大きな口をあけていたのである。

 p.145 活断層の上に地震に弱い原発を建設し、建物の耐震性を強調しているのは、泥舟に乗っていばっ
    ているカチカチ山の狸のような無謀ともいえる。ここに八基の大原発を並べるのが、東電の計画
    である。

 p.146 地震と雷、近代技術の粋を喧伝する原発は、この古典的な恐怖にまったく弱い。それが最大の恐
    怖でくある。いわば自然への無謀な挑戦なのである。

     長野茂柏崎市助役はそういったのだった。国はもっと国民の信頼をうるような原発行政を進めて
    ほしい、というのが敦賀事故からえた彼の提言である。だいたい環境モニタリングでさえ会社で実
    施しているのが現状だ、と彼はいう。たとえは悪いが、これは泥棒が刑事を兼ねているようなもの
    だ。昔流にいえば、博徒が十手をあずかっているのにも似ている。わたしは長野助役の憤慨をきき
    ながらそんなことを考えていた。敦賀事故以来、自治体の責任者たちが国の責任をいいだしたのは、
    いままで住民につきあげられていた安全論争の結末を国に転嫁するためである。まして柏崎では反
    対運動の歴史が長いこともあって、安全論議は徹底され、その予見がすべて当ってきていた。彼こ
    う言った。

 p.146-147 かつては、電力会社も自治体も、「絶対安全」だけをいい張っていたのだった。それがさい
      きんでは、「事故があっても被害を防ぐ」に力点がおかれるようになった。防げない被害がで
      たときどうするのか、彼らはそこまでは考えないようにしているだけである。その代わりにと
      いうべきなのか、いまのうちにカネをバラまいておこうという寸法である。刈羽村への五億円
      の寄付はその前兆である。

 p.148 原発が建設されている砂丘には、ひとたび落ちるとたちまち底まですべり落ちてしまう場所があ
    った、という。地元のひとたちはそれを「どんどん」と称して恐れていた。アリ地獄である。原発
    と自治体は、いまこの「どんどん」にのめりこんでいっているように思えて仕方がない。

 p.149 九六年十月現在、柏崎・刈羽原発では五基稼動、二基が建設中。六、七号炉(各一三五万キロワ
    ット)は、九七年に稼動が予定されている。神を畏れぬ驕り、というしかない。


 小生は、1980年から1984年にかけて新潟大学の学生でしたので、この「柏崎原発建設反対運動」に関して
は、まんざら知らないわけではなかったのです。しかし、当時の運動はどちらかというと一部の人だけのも
のでした。まして新潟県に住民票を移していなかった小生の立場からすれば、地元の人の問題としか認識で
きなかったものです。一貫して原発には反対でしたが、具体的に運動に参加するといった気概はありません
でした。むしろ、シニカルに、「どうせ建設されるに決まっている。よしんば阻止できたとしても、場所が
移るだけだ」というのが、当時の小生のスタンスでした。70年安保闘争以後の閉塞感は半端ではなく、新潟
が角栄のお膝元でもあったので、観念的反対論者の域を出ていませんでした。「カタストロフがなければ、
住民は動こうとしない」という見方は、いまでも変わっていませんが……。ともあれ、反対運動も、単なる
住民エゴから出発するものならば、いずれ切り崩されてしまいます。子孫をもちたい人は、原発に賛成でき
るわけがありません。小生は20歳のころ、一生子どもをもつまいと誓ったのですが、日本に原発が存在する
ことがその理由のひとつであったことを思い出しました。さて、次回は、V章の「政治力発電所の地盤 島
根」に言及する予定です。

                                                 
 2011年5月2日(月)

 本日も、『新版 日本の原発地帯』(鎌田慧 著、岩波書店〔同時代ライブラリー286〕、1996年)から引
用させていただきます。III章の「原発銀座の沈黙 福島」において、目立っている文章です。文脈を無視
しますが、ご海容ください。なお、字句や記号を少し変更しましたが、それもご了承ください。


 III 章 原発銀座の沈黙 福島

 p.80 部落はうちそろって反対していた。しかし、病人のいる家とか、カネを必要としていた家から、
   次第に切り崩されることになった。

 p.82 原発は、原発と名乗らずにやって来たのだった。

    原発は住民をだまして、まず現地調査を終えた。

 p.85 原発反対の強化 三原則

    一、話し合いには絶対に応じないこと
    一、だんまり戦術により多忙な様に仕事する
    一、印は絶対に押さないこと
     (イ)部落一致団結して堅く三原則を守り勝ち抜く。
     (ロ)町当局の策戦(ママ)として各要人を差配して話し合いの糸口を見つけようとしており
        ます。地権者挙げてこの謀略には乗せられない様たしかめましょう。
                                   毛萱原発反対委員会

 p.87 交通の便が悪く、耕地としても不適当な土地に縛りつけられていた波倉のひとたちにとって、原
   発が経済的な恩恵であったのは事実である。

    佐藤さんは「信用」に力をいれていった。さまざまな原発地帯できかされた言葉だった。信用は、
   そこに住むものたちの悲願ともいえるものである。

 p.89 あとは、お定まりの、あそこもハンをついた、ここも承諾した、がんばっていても、強制収用さ
   れて元も子もなくなるぞ、とまわって歩くのである。

 p.92 「地元の誘致」とか「地元の合意」などといわれても、たいがいはこのように地権者たちの頭を
   とびこし、県とか町の幹部たちのあいだで話がすすめられるだけのことである。

 p.96-97 おそらく、避難訓練の実施は、地元のひとたちの心に潜在している恐怖を攪拌し、原発にた
    いする疑問の泡を生み出す作用をもたらすことになるので、やろうとしないのであろう。

 p.97 原発がやってくるまえにきかされた話は、電気料金は無料になるとか、関連工場ができて地元が
   発展する、などの結構ずくめで、橋本さんたちはよろこんだものだった。ところが、結局は、電気
   を東京にもっていかれるだけのことでしかなかった。

 p.98 これから、二十年、三十年のあいだに、事故がないかどうか、そして、人体への影響がないかど
   うか、そしてつまりは、孫の代になって、原発を受け入れたことが「よかった」と感謝されること
   になるか、それとも「バカヤロー」と怨まれることになるか、さいきんではそんなことを考えるそ
   うである。

    原発立地県を歩くと、市役所は県庁のごとく、町役場はまるで市役所のような偉容を誇っていて、
   さながら原発景気のショーウインドーとなっているのである。

 p.99 「原発九五パーセントメリット論」

    「生活は極度に向上した。このあたりは千ヘクタールの土地に千世帯がしがみついていて、現金
   収入といえば、日雇いや出稼ぎに頼るぐらいのものだった」
    それが原発工事がはじまった六五年から農外所得が向上し、七○年には町民分配所得は、県内第
   一位となった。かつては九十町村のうち、ビリから二、三番だった、ということである。

 p.100-101 双葉地方原発反対同盟の調査によっても、七一年九月から七九年二月までで、ガン、リンパ
     腺腫瘍、心臓マヒなどで死亡した原発内労働者は二十九名に達し、その後も被曝労働者の死亡
     はふえているとのことである。ただ、農村部であるため、原発下請労働者が被曝の疑いによる
     ガンや白血病で死亡しても、遺族たちは、風評をおもんばかって隠す傾向にある。

 p.101 七八年に納入された大熊町の町税は十九億二千万円である。このうち、東電からの、法人税、町
   民税、固定資産税、電気税など、いわゆる「原発関係税」は、十七億円に達している。町税収入の
   八八・五パーセントが原発によって支えられている。

 p.102 原発の老朽化とともに破綻していくのはいまからすでに織り込みずみである。
     ところが、身分不相応ともいえるスポーツセンターや公民館の維持費は原発がその命運を絶っ
    たあとも、毎年かかることになる。どこの原発地帯をまわってみてもいまからささやかれている
    のは「ポスト原発」の不安である。つまり、原発が運転されているあいだは、事故と被曝の不安
    にさらされ、交付金は打ち切られ、いったん廃炉となれば地方財政の灯は消える。原発依存の自
    治体は、そんなジレンマに陥っているのである。

 p.103 「国が安全である。というから引き受けた。だから、あとのことも国で責任を取ってくれ」
     原発メリット九五パーセント論者は、すでに国にゲタを預けてしまった。自治の精神など、ど
    こにもない。退廃である。

 p.104 ある教師は、こんな戯(ざ)れ歌をつくった。

     このごろ 双葉にはやるもの 飲み屋 下宿屋 弁当屋 のぞき 暴行 傷害事件
     汚染 被曝 偽発表 飲み屋で札びら切る男 魚の出所きく女

 p.104-105 この一号炉は七一年に稼動してから平均稼働率三○パーセントでしかなく、双葉地方原発
     反対同盟によれば、「被曝者製造炉」ということになる。

 p.105-106 敦賀原発での事故隠し以来、新聞の社説などで、「地方自治体の監督権の強化を」などの
     論調が現れているが、これは実情を知らないものの空論ともいえる。原発を誘致し、用地買
     収の手数料を稼ぎ、さまざまな交付金と原発からの税収入で水ぶくれになった地方自治体に、
     城主を完全に監督する意志などあろうはずもない。事故の責任追及は、安全性を強調して地
     元民の用地を買収した、自治体の長の責任問題にハネ返りかねないのである。市長や町長は
     世論におされて、原発側に申し入れるだけのことである。

 p.107 原発は「科学技術の粋」などと喧伝されているが、労働環境が悪く、修理したあとの検査の杜
    撰さをみただけでも、そのひどさといい加減さがわかったのである。働きつづけて「原発病」
    で死んだ友人や知人には、ことかかない、という。わたしが会った孫請業者(パイプ工事担当)
    は、「パイプに継手を使ってないから、亀裂が入って当り前、いい加減なものだった」と証言
    した。

 p.111 補償金は一種の餌付けともいえる。だんだんそばによっていくと、突然、首根ッ子をギュウと
    つかまれ、それからあとは、グウの音も出ない沈黙を守らされることになる。  
     そうなってしまうまえに、桝倉さんのように、
     「桝倉隆は百姓だ。決して原発の犠牲にはならないぞ」
     と胸を張っているほうが、どれほど人間的なことだろうか。

     九六年現在、東電福島第一原発は六基、第二原発も四基稼動している。が、東北電力の浪江
    原発は、依然として手つかずの状態で、土地は守られている。


 現在、福島の原発のことを書くことは辛いことです。しかし、原発建設までの経緯、さらにその後の経
過を知ると(ただし、推進派にも言い分はあるのでしょうが)憤りぐらいでは済まされない感情が湧いて
きます。誰にも責任を取れないような(もちろん、国でさえも)事業を推進することの愚を、愚ではない
と言いくるめる神経はどうやって養われるのでしょうか。「はなはだ疑問である」としか言いようがあり
ません。
 さて、本日はこれだけにとどめておきましょう。次回は、IV章の「原発反対運動の戦跡 柏崎」に言及
する予定です。

                                                 
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