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日日是労働セレクト67
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第67弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト67」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たので、ご報告。先の2本は赤木圭一郎主演の日活アクション映画。後の1本は久々
に鑑賞する機会を得た戦争映画である。
 1本目は、『錆びた鎖』(監督:斎藤武市、日活、1960年)である。異母兄弟、手形のパクリ事件、港湾
労働者(いわゆる「沖仲士*」)や風太郎**の群像などが描かれている。港湾労働者には、賃金とは別に塩
やビタミン剤の支給が習慣化されていたこと、正規の沖仲士とは区別される、いわゆる「プータロー」(現
在では、その簡略化された言葉である「プー」も使われる)と呼ばれる労働者の立場、パクリ屋やサルベー
ジ屋の実態***、ペトロニウム(実際に存在するのかどうかは不明だが、液体状の化学物質という触込みで、
ちょっとした振動で爆発するかもしれないという危険極まる代物)の積み下ろし作業、ウインチマンやデッ
キマン****などの港湾用語、急病に見せかけて殺人を犯すヒロポン中毒(ポン中)の医者、若い女性の微妙
に揺れる女心、簡易宿泊所(「60円宿」、ベッド風呂付)の実態、異母兄弟間の確執、妻と愛人の立場の違
い、黒人の労働者を「本場のダッコちゃん*****」と呼んでいることなどが、時代を感じさせたり、いろい
ろ考えさせたりする。たとえば、冬木美枝(笹森礼子)という若い女性が、同居している二人の従兄の間で
苦悩する。兄の長岡健一(小高雄二)は、美枝に優しく、ハンサムで、その上頭もいいが、恋愛や結婚の対
象ではない。弟の長岡英二(赤木圭一郎)は、野蛮で、荒っぽく、意地悪をするが、それでも好きである。
兄の求婚を断った上で、弟の愛を受け容れられるかどうかが、彼女の苦悩の正体である。また、プータロー
の一人である西村晃(ぐちりの平太)の「近頃の若いもんときたら……」という嘆きの言葉や、「冗費節減」
や「アメちゃん荷役」という言葉(最近ではあまり使われないのではないか)、「男が女より偉かった時代
の人」という表現などが耳に残った。

 * はしけと本船との間で荷物の積み下ろしをする人夫(『広辞苑』より)。
 ** (多く「プータロー」と書く)第二次大戦後、横浜桜木町駅付近にその日の働き口を求めて集ま
  った日雇い労働者。風の如く集まり風の如く散ったところからの名という。転じて、定職につい
  ていない人。ふうたろう(同)。
 *** パクリ屋とサルベージ屋:【資金繰りに苦しい会社を狙って、手形を沈めて引き上げる悪の連
   携プレーも】手形詐欺で代表的なのが、手形を詐取するパクリ屋である。
    資金繰りに窮している会社などは、基本的には手形を発行すればお金を作ることができるが、
   実際には自分の手形を金融機関などに持って行き、割り引いて現金にするというのは難しい。
   そこで、第三者に依頼してその会社が銀行で割るとか、あるいは回し手形で転々と流通させて
   お金にするという方法がある。
    ここにつけ込むのが、パクリ屋である。パクリ屋は、資金繰りなどに窮している会社に手形
   を第三者に割って現金化することを名目にどんどん手形を発行させておきながら、その手形を
   もって姿を消してしまう典型的な詐欺師である。
    その一方で、手形をパクられた被害者を狙った詐欺もある。それがサルベージ屋である。サ
   ルベージとは、もともと沈んだ船を引き上げるという意味だが、パクられた(沈んでしまった)
   手形を「引き上げてきますよ」と、手数料をとっておきながら実際には引き上げないというも
   のだ。手形をパクられるということは、それだけで会社の信用に傷がつくことにもなるので、
   下手に公表できない。この心理につけこんでくるのがサルベージ屋だ。
    また、パクリ屋とサルベージ屋がグルになっている場合もあり、手形をパクっておきながら、
   回収してやったと称してお金をふんだくることもある。
    このように一次被害に遭った会社が、二次被害に遭うケースも少なくない。また、昨今は不
   景気なども災いしてか、融通手形などの危険な手形もたくさん出回っており、何十億という手
   形を振り出して倒産したケースはざらにある。手形の取扱いには特に注意する必要があるだろ
   う(【法律あれこれ 実用リンク集】より)。
 **** ウインチマン(Winch Man):船上で貨物を積み卸しする場合、甲板上に装置されている動力
   の起重機の操作をする労働者をさす。デッキマン(Deck Man):甲板上から船舶に積み卸しさ
   れる貨物の荷役状況をみながらウインチマンに合図を送って、その操作を指示する船内労働者
   をいう。通常ウインチマンもデッキマンも特定の労働者の呼び名でなく、作業チームを構成す
   る班長格の労働者が交替ですることが多い(ネット情報「港湾用語」より)。
 ***** ダッコちゃん:ダッコちゃんは、1960年(昭和35年)に発売された空気で膨らませるソフト
   ビニール人形の愛称。またそのモチーフとなったキャラクター。
    1960年(昭和35年)に単なる玩具の一種として、宝ビニール工業所製造により発売された。
   製造工場は横浜市泉区内。当初は「木のぼりウィンキー」、「黒ん坊ブラちゃん」といった名
   前で売り出された。発売元はツクダ屋玩具であり、空気で膨らますビニール人形であった。真
   っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズ
   をとっている。「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げることが可
   能だった。価格は当時180円。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォル
   メされており、非常にシンプルな形状だった(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   より)。

 物語については、例によって<goo 映画>の「あらすじ」を引用させていただく。執筆者に感謝したい。な
お、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  横浜港の荷役を扱っている長岡企業の社長である長岡康三郎(小沢栄太郎)には健一と英二という
 二人の息子がいた。健一がパクリ屋の罠におちて二千万円の手形を奪われた。翌日、康三郎のもとに
 手形のことで怪電話がかかった。康三郎はすぐ指定された場所に出かけたが、その談合中に倒れ、死
 んだ。死因は心臓麻痺と診断された。数日後開かれた株主総会で健一が新社長に選ばれたが、水原泰
 三という金融業者(大坂志郎)がパクられた手形をもって現れ、強引に専務におさまってしまった。
 水原は営利一点ばりの経営に切りかえた。過重な労働がたたって、沖仲仕たちの疲労の色が濃くなっ
 ていった。松平政吉(杉山俊夫)が鉄梯子から落ちて死ぬという事故が起った。仲仕たちの不満は爆
 発した。健一と英二は水原を追い出そうとした。しかし、それには二千万円の金が要る。健一には美
 枝という許婚者がいた。健一は秘書の沢村加奈子(白木マリ)とできていたが、急に美枝と結婚する
 と言い出した。持参金が目あてなのだ。嫉妬した加奈子は英二に話した。二人ははじめて殴り合いの
 兄弟喧嘩をした。興奮した健一は、英二が妾腹であることを口に出した。英二は美枝に会い、健一と
 の結婚はやめた方がいいと言い、二人はおたがいの愛情をはじめて認めあった。ある夜、英二は暴漢
 に襲われたところを、風太郎の平太たちに救われた。英二は手形事件と関係があるとにらんで追求し
 た。暴漢たちは松井組の身内で、手形を奪った犯人は幹部の大林(花村典克)と中西(相原巨典)の
 二人らしいと分った。水原が危険な液体の荷役を引きうけたために、沖仲仕たちに不穏な空気に包ま
 れていた。

 他に、宮城千賀子(井上正緒)、三島雅夫(馬場吉太郎)、近藤宏(松井保)、河上信夫(大石由造)、
山田禅二(安井五郎)、松本染升(小坂善作)、弘松三郎(神田)、高原駿雄(高尾=ヒロポン中毒の医
師)、藤村有弘(三田村平之進)、高野由美(康三郎の妻)などが出演している。
 2本目は、『紅の拳銃』(監督:牛原陽一、日活、1961年)である。こちらの方は、拳銃にまつわる基礎
知識満載の物語で、とくにコルト45に関する話が面白かった。たとえば、コルト45(45口径)は、他の22口
径や38口径の拳銃と異なって殺傷力が強いこと、殺し屋という商売は、商売道具(もちろん、拳銃のこと)
の故障が一番怖いということ、したがって、自動式(オートマチック)の拳銃(たとえば、ヒトラーが自殺
したことで知られるワルサーP38)は、回転式(リボルバー)の拳銃と違って、「突っ込み」を起こして弾
が詰ることがある。そうなれば、どんな名人でもお手上げだが、回転式だと、万一不発があっても、もう一
度引鉄を引きさえすれば次の弾を撃てるということ、などが中田克巳(赤木圭一郎)と石岡国四郎(垂水悟
郎)の間で遣り取りされる。石岡が師匠にあたり、中田が弟子に当るというわけである。原作は、田村泰次
郎の『群狼の街』(筆者、未読)だが、軍隊を経験した世代では、拳銃に関する知識が豊富であり、その扱
いに関する技術に長けた者など、掃いて捨てるほどたくさんいたのであろう。中田に拳銃に関するあれこれ
を仕込む石岡も、そんな一人である。先ず、拳銃の構造の説明がある。暴発を防ぐために、6連発でも5発
しか弾は籠められておらず、実際に銃を用いるときは、絶えず発射した弾の数を覚えておかなければならな
い、ということも教えられる。シリンダー(気筒)、ハンマー(撃鉄)、トリガー(引鉄)などが説明され、
銃口を下に向けて弾を調べる、指で撃つよりも腰で撃つ、5分もすぎると拳銃が重くて下がるが、慣れると
重さを感じなくなる、素人は拳銃を指で回すような仕草をしたくなるものだが、あれは西部劇のお遊びで、
弾が入っているときは暴発しやすい。したがって、今後絶対にやめろ、などと中田は石岡に窘められたりす
る。「殺し屋要請講座」という荒唐無稽劇を展開するのだから、せめて拳銃に関してはリアリティを出そう
とした結果であろう。その他、ボーダー・シフト(二挺の拳銃のうち、弾切れや故障などで一挺が使えなく
なったときの技)などの技術が紹介されている。ところで、肝心の物語であるが、この作品も<goo 映画>の
お世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  クラブ「銀の城」の片隅に坐っていた石岡は、酒をあおっているニヒルな感じの男を見て、「俺が
 探していたのはこの男だ」とつぶやいた。石岡はかつて射撃の名手だったが、戦争で右腕を失ってか
 らは悪の世界にとびこんでいた。命知らずの男を殺し屋に仕立ててボスに売りこむのが彼の商売なの
 だ。中田というその男は、殺し屋になることをあっさり引受けた。そのとき、ホステスの牧野千加子
 (白木マリ)が中田に助けを求めた。ギャングに殺されるという。中田はギャングを殴り倒した。中
 田の射撃の腕はみるみる上達した。石岡には菊代(笹森礼子)という盲目の妹がいた。中田は菊代に
 同情した。神戸の大学病院に行けば治るかもしれないという診断だった。ボスの小寺久(芦田伸介)
 が中田を買った。小寺は写真を出して、この女を消せと言った。女は千加子だった。干加子は神戸の
 ボス陳万昌(小沢昭一)の情婦で、麻薬ルートの秘密を知っている彼女を陳は殺そうとして小寺に命
 じたのだ。中田と千加子の姿が消えた。小寺は裏切りを怒り、石岡に中田を殺すように命じた。中田
 と彼を追って神戸にきた石岡も、陳の罠にかかった。神戸の大学病院にきた菊代も監禁されてしまっ
 た。陳の弟である大隆(草薙幸二郎)が香港にいた麻薬王劉徳源(小沢栄太郎)を殺して帰ってきた。
 兄弟は、東京の小寺一派を消す相談をした。中田と石岡兄妹は砂丘に連れ出された。そのとき、劉の
 配下の男(藤村有弘)が現われ大隆を乱射した。劉徳源がさし向けた殺し屋だった。劉は死んでいな
 かったのだ。劉は中田に味方になるよう頼んだ。劉の妻の張栄光(吉行和子)は、かつての中田の恋
 人の長山美津だった。劉一味は陳邸を襲った。凄惨な闘いの最中に千加子は陳を射って自ら決着をつ
 けた。陳も劉も倒れた。そのとき、警官隊がきた。中田は実は暗黒組織に単独侵入した刑事だったの
 である。やがて、菊代の目も全治した。

 その他、野呂圭介(陳の部下)、中台祥浩(殺し屋中島)、浜村純(八十島博士=一流の眼科医)などが
出演している。最後の場面で、中田と菊代は対面している。中田の顔を知らない菊代は目が見えるようにな
っても目の前にいる好青年が中田その人とは確信がもてない。中田自身が声をかけてくれなければ、見知ら
ぬ他人にすぎないのである。それにしても、殺し屋を育てるという奇妙な商売を営んでいた石岡が、事件が
終息した後に無罪放免されるのには、さすがに無理があると思った。
 3本目は、『火垂るの墓』(監督:日向寺太郎、「火垂るの墓」フィルム・パートナーズ〔テレビ東京=
バンダイビジュアル=ポニーキャニオン=衛生劇場=佐久間製菓=トルネード・フィルム=ジョリー・ロジ
ャー=パル企画〕、2008年)である。野坂昭如の同名の短篇小説の実写版である。実は、アニメの『火垂る
の墓』(監督:高畑勲、新潮社、1988年)が上映されてから20年が経過しており、だいぶ感じが違う。筋書
も若干原作とは異なっており、アニメ版よりもリアリティが足りないと思う。言い換えれば、亡くなった妹
の骨がサクマのドロップスの缶の中でカラカラ音を立てないかぎり、野坂の作品ではないのである。しかし、
当該作品のような筋書もまんざら悪くはない。ただし、いくつかの疑問が残った。先ず、未亡人(松坂慶子)
が、清太(吉武怜朗)の父親(高橋克明)である海軍大尉の階級を、「たいい」と発音していたことである。
陸軍ではたしかに「たいい」と発音するが、海軍では「だいい」と発音するはずである(薩摩藩の影響を受
けているため)。帝国軍人の妻がそのことを知らないはずがない。したがって、ここがおかしい。女性が穿
いたモンペの柄も少しイメージとは違うような気がする。モンペというよりも、長ズボンに見える。また、
節子(畠山彩奈)には防空頭巾を被らせるべきだったのに、その点が抜かったのではないか。天皇と皇后の
<ご真影>を燃やしてしまった校長一家が無理心中を企てるが、そこまで神経質だったのかと思わざるを得な
い。若い人ならば、「たかが写真ではないか」と憤るのではないだろうか。その他、気になった箇所はいく
つかあるが、おおむねよくできていると思う。この作品も、物語に関しては<goo 映画>の「あらすじ」のお
世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  1945年6月の神戸。大空襲の後、逃げまどう人々の中に14歳の清太とその背中でおびえている4歳の
 妹節子がいた。彼らの家は焼け落ち、やっとの思いで二人は国民学校にたどり着く。教室の中には重
 傷の人たちが寝かされ、その中に兄妹の母である雪子(松田聖子)もいた。清太は雪子を病院へ連れ
 て行こうとリヤカーを調達するが、その苦労も無駄に終わる。町会長(長門裕之)から母親が亡くな
 ったことが清太に告げられたからである。清太は節子を連れて西宮の遠縁の家を訪ねる。半年前に夫
 を失ったばかりの未亡人は、最初二人を追い返そうとするが、兄妹の荷物の中にある大量の缶詰など
 の食料に気付き態度を変える。近所にはさまざまな人がいた。学生の高山道彦(山中聡)は、若い未
 亡人(池脇千鶴)と同棲しており、周囲から白い目で見られている。近くの中学校の校長である本城
 雅夫(江藤潤)は何かと清太を気にかけ、剣道の稽古をつけたり、家に招待することもあった。しか
 し、日を追うごとに兄妹に対するおばの仕打ちはひどくなり、炊事も別々にするようになる。そんな
 ある日、校長一家が心中、清太が淡い思いを寄せていた娘も帰らぬ人となった。兄妹は家を出て、池
 のほとりの横穴式防空壕で生活を始める。池の周りを飛ぶ蛍を捕まえては壕の中へ放して遊んでいた
 が、そんな生活も束の間、食料がなくなると清太は空家に忍び込み盗みを繰り返すのだった。ある日、
 清太は防火用水に高山の死体を発見する。どさくさに紛れて町会長(原田芳雄)らに虐殺されたのだ。
 節子は日々弱っていき、下着を汚すたびに清太が手で洗った。やがて、日本は敗戦の日を迎える。兄
 妹の父は海軍大尉だったが生還の望みは薄かった。天皇による玉音放送の数日後、節子は静かに息を
 ひきとる。清太は池のほとりの蛍たちの墓の隣に小さな墓を作り、節子を埋めた。そして、清太はど
 こへ行くあてもないまま歩き続けるのだった。
                                                
 その他、千野弘美(本城君枝=雅夫の妻)、鈴木米香(本城和子=雅夫と君枝の娘)、谷内里早(本城昭
子=同)、矢部裕貴子(未亡人の娘)、萩原一樹(未亡人の息子)などが出演している。当初は黒木和雄が
撮る予定であったが、急逝したために弟子筋に当る日向寺監督がその遺志を継いでメガフォンを取った由。


 某月某日

 2学期に開講する予定の「学問基礎論」のテキスト候補を読んでいるが、予想以上に胸が痛くなる本だ。
そのテキスト候補は『ルポ 最底辺 ──不安定就労と野宿』(生田武志 著、ちくま新書、2007年)である。
詳細は割愛するが、不安定就労や野宿者に関する世間の常識がかなり間違っていることが分る。著者は、実
際に釜ヶ崎で日雇い労働者になって集めた情報を元に執筆しているので、実にリアルである。机の前に座っ
て、他者から得た情報を元に「思索」とやらに現を抜かし、安全地帯から感想をブログに寄せているだけの
小生からすれば、まことに頭が下がる思いである。なお、学問基礎論のコンセプトを以下に記しておこう。
これは、「武藤ゼミとはどんなゼミ?」からの転載である。


 タイトル:「現実を直視しよう」
 テーマと目的:いじめ、就職難、リストラ、中年層の自殺、DV、ひきこもり、幼児虐待、老老介護、
        リストカット、ホームレス、震災、原発問題など、われわれの周囲には暗い話題が
        尽きません。その閉塞感を回避するためには、刹那的な娯楽に現を抜かすこともひ
        とつの選択肢ですが、それらの問題を直視し、われわれの眼前に立ちはだかる難問
        を少しでも解決しようと試みることもまた、われわれが選び得る選択肢のひとつで
        す。この学問基礎論においては、現実を直視し、そこに潜む問題に真摯に取り組む
        ことのできる、タフなメンタリティを各自育ててゆくことが目的です。
 授業計画と内容:テキストとして、上記の『ルポ 最底辺 ──不安定就労と野宿』、『ルポ 餓死
         現場で生きる』のどちらか(あるいは、両方)を採用する予定です。内容はハー
         ドですが、逃げずに対象を直視することによって、少しでも解決の糸口を見つけ
         ていた だきたいと思います。参加学生に与えられた課題は、これらのルポの中
         に自分の問題を見つけ、それにひとつの回答を与えることです。
 評価:最終リポート(4,000字以上)の内容および形式、出席、議論への参加などを、総合的に判
    断して評価します。


 他に差し障りがなければ、上記のテキストを採用することにほぼ決めた。世界の最底辺の暮らしと、日本
の最底辺の暮らしがともに浮き彫りにされているテキストだからである。50年以上生きてきた小生でもその
実態を知らなかった事柄も散見され、まさに、辺見庸の『もの食う人びと』(角川文庫)を読んだとき以来
の衝撃だった。


 某月某日

 DVDで邦画の『眠狂四郎殺法帖』(監督:田中徳三、大映京都、1963年)を観た。今は亡きシバレン(柴
田練三郎)の代表作を原作(『週刊新潮』に『眠狂四郎無頼控』として連載された)に仰ぐ痛快時代劇シリ
ーズ(全12作)の第1作である。眠(ねむり)という苗字が実際にあるのかどうかは知らないが、いずれに
せよ荒唐無稽な物語であることは確かである。さらに、小生は剣道に暗いので何ともいえないが、「円月殺
法」という剣の型も無駄が多いように見え、あの動きが人を斬るために有効なのかどうかはかなり怪しいと
睨んでいる。妖刀無想正宗の出自も分らず、だいいち、肝心の狂四郎の生い立ちも不明である。どうやら第
4作あたりで明かされるらしいが、髪が茶色がかっているところがミソであろう(混血であることの証)。
色好みで、ニヒルで、しかも美剣士という設定は、なるほど魅力的であり、主演の市川雷蔵の当り役の一つ
であった。もっとも、鶴田浩二(全3作)や松方弘樹(全2作)が狂四郎を演じたシリーズもあり、TVでは
田村正和が扮して好評だったことを覚えている。
 さて、物語であるが、さして面白いものではない。加賀藩の豪商である銭屋五兵衛(伊達三郎)がご法度
の密貿易に手を染めて、莫大な利益を上げている。加賀藩の宰相前田斉泰(沢村宗之助)はこれを黙認しな
がら彼を亡き者にし、その抜け荷から得た財宝を横取りしていた。しかし、五兵衛は生きていた。しかも、
斉泰が密貿易を後押しする旨を記した文書を握っていた。これが表沙汰になると、大藩とはいえ外様の身、
お家取り潰しは必至であった。斉泰の娘千佐(中村玉緒)が間者として狂四郎に近付くが、この時点で千佐
は、斉泰が実の父であることを知らないという設定である。また、少林寺拳法の手練である陳孫(城健三朗
〔=若山富三郎〕)や、伊賀の忍者、狂四郎の取り巻きなども絡んで、なかなか賑やかである。しかし、銭
屋に短筒で撃たれたはずの狂四郎が無傷であるシーンは、いかにも解せない展開であった。その他、忍者と
の戦いも子ども騙しだし、陳の少林寺拳法もあまりはまってはいなかったと思う。密書をその中に納めた碧
玉仏も実に安っぽく見えた。なお、狂四郎は、「品物のように人間を道具にして利用する奴ら」を赦すこと
はできないと断言し、むしろ「人間という人間に腹を立てている」人間であると、自分自身を捉えている。
 詳しくは、<goo 映画>の「あらすじ」に頼ってみよう。執筆者に採録することを許していただく。なお、
一部改変したが、それもご勘弁願おう。

  狂四郎が「巣」と呼んでいる大川端の船宿喜多川に赴く途中、手裏剣の襲撃をうけた。闇の中に姿
 を溶かしているのは伊賀者と知れた。迫る刺客を斬りすてたものの、ついに一人捨丸(高見国一)と
 いう小男を逃がした。冷たく無表情な顔が、常盤津の師匠文字若(真城千都世)の離れに移ったのは
 それから数日後のことであった。そこで加賀前田藩の奥女中千佐の訪問をうけ、命をつけ狙う唐人陳
 孫から護ってくれるよう依頼された。指定の清香寺に出向いた狂四郎は、意外にも陳孫から千佐が前
 田藩の間者であることを知らされた。怒った狂四郎は千佐を前に前田藩のからくりをあばいた。すな
 わち、前田藩主は豪商銭屋五兵衛と結んで大規模な密貿易を働いて巨富を築いた。しかし公儀への発
 覚を恐れ銭屋一族を処断し、復讐を企む銭屋の仲間の陳孫を抹殺するために、狂四郎に近づけたとい
 うのだ。全てをみやぶられた千佐は拒絶の姿勢を崩して狂四郎を誘ったが、狂四郎の胸の内は唯人間
 を品物同様に利用する者への憤りだけがあった。またも陳孫に誘われて河口まで来た狂四郎は、そこ
 に死んだはずの五兵衛を見て驚いた。しかも金銭を積んで協力を要請してした。狂四郎の虚無な眼は
 それを受け流したが、それを予期した陳孫は千佐を拉致し去った。前田侯にばかげた茶番の決着をつ
 けるよう迫る狂四郎は、江戸表から金沢へと追った。金沢には、千佐の出現以来狂四郎につきまとう
 捨丸が千佐の居場所をつきとめて待っていた。陳孫の許を脱出した千佐は能面師仁兵衛(南部彰三)
 の家に身を寄せて狂四郎を待っていた。また捨丸は前田家の命運を動かし、密貿易に絡む文書を秘め
 た碧玉の仏像の所在を探っていた。陳孫から奪った碧玉仏の入った木筥は狂四郎の手に渡った。対い
 合う陳孫と狂四郎を捨丸が救い勝負はおあずけとなった。狂四郎は小筥をはさんで、千佐の出生の秘
 密を語った。前田侯は千佐の実父であり、かつて遊女だった母は出家しているという。北の海に面し
 た砂丘の尼寺に馳けつけた千佐と狂四郎の見たのは、絞殺された尼僧の姿だった。陳孫と五兵衛のし
 わざだ。円月殺法と小林寺拳法の対決のときが出来したのだ。

 他に、小林勝彦(金八)、扇町景子(柳橋の芸者歌吉)、荒木忍(狂四郎の育ての親である僧空然)、木
村玄(根来竜雲)、美吉かほる(お美代の方)、橘公子(船宿の女将)などが出演している。狂四郎が斉泰
の側室であるお美代の方の衣服を次々と剣で斬って裸にひんむいてゆくシーンがあるが、あれこそ狂四郎の
本質を表わすイメージではなかろうか。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。1本目は、『グーグーだって猫である』(監督:犬童一心、「グーグー
だって猫である」フィルム・コミッティ〔アスミック・エース エンタテインメント=IMJエンタテインメン
ト=住友商事=WOWOW=角川書店=ミュージック・オン・ティーヴィ=CJ Entertainment=シネマ・インヴェ
ストメント〕、2008年)である。大島弓子が原作の映画。犬童監督ということで少し期待したが、あまり成
功した作品とは言えない。ただし、猫の生態の描き方は抜群で、「猫映画」としては面白かった。小泉今日
子が天才漫画家である小島麻子を演じている。他に、上野樹里(アシスタントのナオミ)、加瀬亮(沢村青
自=医師)、大島美幸(加奈子=アシスタント)、黒沢かずこ(美智子=同)、村上知子(咲江=同)、林
直次郎(マモル=ナオミの彼氏)、田中哲司(近藤=麻子がかつて振った相手)、村上大樹(田中)、でん
でん(梶原=動物園の飼育係)、山本浩治(小林=同)、楳図かずお(UMEZU氏)、大後寿々花(サバ)、
柳英里紗(エリカ)、小林亜星(骨董屋)、江口のり子(高梨)、松原智恵子(麻子の母)などが出演して
いる。エリザベスカラー(動物が傷ついたり手術をしたとき、その治療跡をなめてしまわないように首をガ
ードする襟飾りのこと。エリザベス女王の首のカラーに由来する)、ウェルナー症候群(遺伝子異常で、通
常よりも早く老ける病気)、老人体験シミュレーター(白内障などを疑似体験するためのグッズを肉体に装
着すること)などが物語に組み込まれている。猫のトイレのコマーシャルや角川書店の宣伝が見え透いてい
て、その点でも鼻白んだ。なお、グーグーという猫の名前は<good, good>から来ている。
 2本目は、『座頭市物語』(監督:三隅研次、大映京都、1962年)である。何十年も前に観たことがある
映画。冒頭の部分の壺振りのシーンと、座頭市(勝新太郎)が居合抜きで蝋燭を真っ二つにするシーンが印
象深い。相手役の平手造酒〔ひらてみき〕役の天知茂の渋い演技も覚えていた。勝新の「座頭市」シリーズ
は何篇か観ているが、何を観たのかは判然としない。この第一作だけは確実に観ていると思うが……。例に
よって、物語に関しては、<goo 映画>のお世話になろう。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご
寛恕を乞う。

  下総飯岡の貸元助五郎(柳永二郎)の所へ草鞋を脱いだ異風なやくざは、坊主で盲目で人呼んで座
 頭市。壺振りでも居合抜きでも目明きの及ばぬ市の腕を見込んだ助五郎は、彼を客分扱いにし乾分蓼
 吉(南道郎)を世話係につけた。ヤクザ嫌いでヤクザの飯を食う市は、釣場である溜池で出逢った病
 身(労咳を病んでいた)の浪人平手造酒と心を触れ合う思いをしたが、その造酒は助五郎とは犬猿の
 仲の笹川の繁造親分(島田竜三)の食客であった。助五郎は新興勢力の笹川一家を叩き潰す機会を狙
 っているが、そのときは市と造酒の面白い勝負が見られると乾分たちにうそぶいた。その頃、身投げ
 したか落されたか蓼吉の女お咲(淡波圭子)が水死体となって溜池に浮かんだ。何気なくそこを訪れ
 た市は再び造酒と逢い、その夜二人は通夜を口実に酒を酌み交わした。お互いに相手の剣に興味をも
 ったが、ヤクザの喧嘩に巻込まれて斬り合うのはご免だと笑い合った。このとき造酒を訪れた笹川の
 繁造は、市が飯岡の客分と知り乾分に市を斬るよう命じた。帰り途、市を襲った乾分は市の刀に一た
 まりもなかった。市の腕前に驚いた繁造は、造酒に喧嘩の助勢を頼んだが造酒は頭から断った。一方、
 市は昨夜の答礼に酒を贈ろうと思い蓼吉にその使いを頼んだが、代りに行った弟分の猪助(中村豊)
 は間もなく無惨な死体となって飯岡の鉄火場で発見された。笹川は、この機会を利用して喧嘩を売る
 決意をしたが、そんなとき、造酒が血を吐いて倒れてしまった。それを知った助五郎は好機到来とば
 かり喧嘩支度にかかった。笹川の繁造は、飯岡勢を笹川宿場の迷路へ誘い込み、座頭市は鉄砲で討ち
 取る策略を立てた。それを知った病床の造酒は鉄砲を撃つことだけはやめてくれ、その代り自分が働
 くと繁造に頼むのだった。そこへ造酒を訪ねた市は、彼が友情のため死を決して喧嘩に加わったこと
 を知った。笹川の作戦は功を奏し飯岡方は苦戦に陥った。血をはきながら斬りまくる造酒。その行手
 には座頭市が立っていた。ついに二人の宿命的な対決のときが来たのであった。座頭市の剣に造酒は
 倒れた。座頭市は彼を慕うおたね〔=蓼吉の妹〕(万里昌代)を振り払うように下総を去っていくの
 だった。

 他に、三田村元(松岸の半次)、真城千都世(半次の女房お芳)、毛利郁子(繁造の女房お豊)、千葉敏
郎(飯岡の乾分政吉)、守田学(同じく清助)、舟木洋一(笹川の乾分与五郎)、市川謹也(同じく茂吉)、
尾上栄五郎(同じく利兵衛)、山路義人(蓼吉の父親弥平)などが出演している。座頭市の決まり文句であ
る「俺たちヤクザはな、ご法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。いわば、天下の嫌われもんだ。そんな奴が、
大手を振って歩いていいのか」と飯岡の助五郎に啖呵を切るシーンがあるが、後のゆっくりとした口調では
ないので、少し拍子抜けした。なお、原作は子母沢寛の随筆集である『ふところ手帖』の中の短いエピソー
ドから採られている由。もちろん、盲目の悪党を描いた『不知火検校』(監督:森一生、大映京都、1960年)
の成功が、このシリーズを生み出すことになったきっかけの一つであることは言うまでもない。個人的には、
柳永二郎の空威張りが目立つ親分と、南道郎の卑屈と傲慢の綯い交ぜになった乾分の演技が活きていると思
った。とくに、陸軍内務班の意地の悪い古参兵をやらせれば右に出る者のそうはいないと思われる、南の演
技には捨てがたいものがあると思った。こういう演技があるからこそ、同じくヤクザ渡世とはいえ、市の剛
毅な精神が際立って見えるのである。


 某月某日

 DVDで邦画の『男の怒りをぶちまけろ』(監督:松尾昭典、日活、1960年)を観た。炭酸の抜けたサイダ
ーみたいな作品。2億円相当の価値のある巨大ダイヤをめぐって、ハイジャックや敵の根城の爆破などの派
手な場面がありながら、何となく物足りなかった。例によって、物語は<goo 映画>の「あらすじ」に頼ろう。
執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞う。

  ある夜、羽田発の中型旅客機が伊豆半島上空で行万不明になった。その日の早朝、毎朝新聞の三沢
 十郎(赤木圭一郎)は、国道の自動車事故を取材に行った。帰途、彼は東京行きのトラックに便乗し
 た。途中、怪漢が車を止め、十郎は殴打され意識を失った。都内に入り、車は運転手と十郎を乗せた
 まま、海に突入した……。気がついた時、十郎はバー<鈴>にいた。マダムの鈴江(南寿美子)は彼を
 助けたのが村西三次(二谷英明)という男だといった。警視庁もデスクの岩井(雪丘恵介)も十郎の
 訴えにとりあわなかった。トラック事故は酔払い運転とかたづけられ、運転手の妹小泉章子(浅丘ル
 リ子)も、十郎の話を信じなかった。彼は一人で調査することにした。事件屋と称する村西は、十郎
 に手を引けと脅迫した。二人は激しい格闘の末、何となく意気投合した。行万不明の旅客機は残骸と
 なって発見され、乗客二十五名は全員死亡または行方不明。が、うち行方不明の三名のうち二名は偽
 名で、一名は事故現場からかなり離れたところで発見された。警察当局は捜査に乗りだした。十郎は
 キャバレー<トレモロ>をつきとめた。支配人の稲上勇二(金子信雄)は死んだはずの十郎が現われて
 驚いた。旅客機墜落事件は彼らの仕業だった。ボスの筧順造(西村晃)は、外国人陳(嵯峨善兵)の
 配下である密田(伊丹慶治)が時価2億円のダイヤを空路神戸に運ぶのを探知した。子分の有本(内
 田良平)と橋場(土方弘)がダイヤを奪取した。稲上は橋場を使って十郎を消そうとしたが、村西が
 救った。十郎は章子を踊子に仕立て、<トレモロ>に潜入させた。村西は陳に密告し、報酬を受け取っ
 た。<トレモロ>のマダム礼子(渡辺美佐子)と章子を陳一味が誘拐した。礼子は筧の情婦で、陳はダ
 イヤと交換しろといった。筧は陳の根城、日香交易公司を襲った。その隙に十郎と村西は礼子と章子
 を救った。村西の狙いはダイヤだった。十郎とともに、礼子と章子を救出したのも、礼子を囮に筧か
 らダイヤを奪おうという魂胆からだったのだ。彼は礼子と<トレモロ>に行き、筧の罠に落ちた。二人
 の命が危い。実際、二人は銃弾に倒れた。十郎と警官隊が筧一味を逮捕にかけつけた。筧は村西と十
 郎に追われた。追いつめられた筧はダイヤとともに屋上から落ちた。夜が明けた。十郎と章子はいつ
 までも日の出をみつめていた。

 他に、野呂圭介(中田)、藤村有弘(張)、上野山功一(陳の配下)などが出演している。これまで観た
赤木圭一郎主演の映画の中で、一番生温い作品だった。また、二谷英明の「半ワル」もあまり似合っていな
かった。墜落した旅客機がプロペラ機であったことや、「パレンバンの生き残り」や「岩戸景気」などの言
葉が、時代を感じさせた。なお、ホテル一泊100円の看板が出ていた。ずいぶん安いと思った。


 某月某日

 辺見庸の『詩文集 生首』(毎日新聞社、2010年)には、「生首」と題された詩篇はないが、いくつか単
語としての「生首」が出て来る。たとえば、次の詩「下駄箱」を引用してみよう。一部(倦怠の「倦」)、
フォントがないので、代用した文字がある。


  下駄箱

 下駄箱の闇 古びた革と黴のにおいにまみれて
 端然としていならぶものたちの
 心象を知っているか
 音なく燻ゆりたつ
 モスグリーンの闇に
 列なし いつづけるものらは
 じっと待っているようでいて
 じつはもはや
 なにものも待ってさえいない
 悔いているようでいて
 もはや悔いてさえいない
 やつらは ただ
 耽っているのだ
 湿気ったそこに ひたすら在ることに

 仕切りのこちらがわから
 閉じられた闇を想定して
 履かれなかったパンプスの無聊だの
 すりへった短靴の倦怠だの
 桐下駄の性的郷愁だの
 いろいろと
 きいたふうな講釈をするのは
 おまえらの勝手だ

 だが 知るまい
 燻ゆりたつ モスグリーンの闇に 燻ゆられ
 いならぶ履き物たちが
 じつのところ
 手に負えないほどに充足していることを
 そして 足垢で黒ずんだ
 革サンダルと臭いゴム長にはさまれて
 俺の生首がひとつ
 こっちをむき
 緑がかった闇を吸いつつ
 鼻歌うたいつ
 うすくまなこをあけて にやけているのを


 辺見庸と言えば、1991年、『自動起床装置』(筆者、未読)で第105回芥川賞を受賞した作家であり、元
は共同通信社の外信部の敏腕記者であり、北京の特派員時代に中国のトップ・シークレットを暴露して、当
局から国外退去処分を受けている剛の者でもある。小生は、彼が芥川賞を受賞したことは知っていたが、実
際に注目したのは『もの食う人びと』(1994年)においてである。この本は、不謹慎な言い方をさせていた
だければ、たいへん面白かった。他に類を見ない作品だった。その後、『永遠の不服従のために』(2002年)
という著作や、原作(筆者、未読)が彼である今村昌平監督の映画『赤い橋の下のぬるい水』に反応したぐ
らいか。最近になって大病を患ったことも知っていたが、この『詩文集 生首』に出遭うまで、「即かず離
れず」を維持してきた人である。それは、感性が合わないからではない。むしろ、彼の影響を受けすぎるこ
とを警戒したからである。しかし、その戒めも解いてみようと思う。案の定、この詩文集は小生の気に入る
ものだったから。つまり、彼の古い著作をぼちぼち読んでみる気になったのは、この詩文集のおかげである。


 某月某日

 DVDで邦画の『北陸代理戦争』(監督:深作欣二、東映京都、1977年)を観た。「実録もの」としては、
深作監督最後の作品である。酒井哲によるナレーションとともに幕が開く。引用してみよう。ただし、耳か
ら拾ったので正確ではない。ご寛恕を乞う。

  日本海が荒れ狂う極寒の冬と温暖平穏な夏の両極端の顔をもっているように、北陸の男や女たちも
 また、この朴訥な外面からは想像もできない激しい性格を内面に秘めている。中でも、福井という土
 地は、石川、富山を併せた北陸三県の商工業の中心地であって、古くからヤクザ者の数が多く、過去、
 そこで繰り展げられた抗争事件は、どれをとっても、広島や九州のヤクザ者でさえ、顔をそむけるほ
 ど凄惨苛烈な戦いであった。

 「北陸ヤクザの生きざまを鮮烈に描く実録巨篇」というキャッチフレーズに偽りはなかった。ただし、終
り近くになってやはり酒井哲のナレーションで語られる「越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師」という俗諺に
はびっくりした。北陸三県の人が聞いたら、気分を悪くするのではないか。生きるためにはなりふり構わぬ
北陸人の気質がこの言葉に表れているとすれば、たしかに荒れ狂う極寒の日本海を連想せざるを得ない。小
生は新潟で四年間暮らしたことがあるが、越後人の気質にそういうものを感じたことはなかった。したがっ
て、雪深い土地柄だけがそのような気質を形成しているのではないと思う。果たして、何が北陸人を突き動
かしているのだろうか。例によって、物語に関しては、<goo 映画>の「あらすじ」のお世話になろう。執筆
者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご海容いただきたい。

  北陸富安組組長の安原富蔵(西村晃)は、若頭の川田登(松方弘樹)に手を焼いていた。川田は、
 安原が競艇場の権利を譲るという約束を守らないため、安原にリンチをかける。二人の仲は決定的
 な破局を迎える。安原は、川田相手では勝目がないと考え、弟分の万谷喜一(ハナ肇)に相談。万
 谷は、仲介役として大阪浅田組の斬り込み遂長である金井組の金井八郎(千葉真一〔JJサニー千葉〕)
 に相談。金井はかねてより、北陸を支配下に入れようと狙っていたので、安原対川田の仲介役という
 名目で北陸に乗り出すことにする。ある日、川田は万谷の闇打ちに合う。重傷を負った川田は、情婦
 の仲井きく(野川由美子)の実家の能登で傷の手当てをする。今は金井組の支配下となってしまった
 北陸を、川田はひそかに取り戻そうと決心する。川田は傷がなおってから、まず万谷に復讐をし、刑
 務所に入る。出所後、川田は、大阪浅田組の若頭である岡野信安(遠藤太津朗)に援助を依頼する。
 金井は、その行動があまりにもえげつなく、浅田組は金井に手を焼いていたのである。そこで、川田
 に援助することを約束する。川田は、浅田組の援助のおかげで、金井組の連中を北陸から追い出すこ
 とに成功。しかし、こんどは浅田組系の岡野組が幅をきかすようになる。川田はそこで、今は落目の
 万谷と安原に、地元を北陸のヤクザの手に戻すことを提案。そして、川田は兄貴分でもある岡野組に
 挑戦状を叩きつける結果になる。かくして、生きるためにはなりふりかまわぬ北陸人特有のしぶとさ
 の前に、大阪ヤクザは撤退を余儀なくされるのだった。

 他に、地井武男(仲井隆士=きくの弟)、高橋洋子(仲井信子=きくの妹、後に川田の女房になる)、伊
吹吾郎(竹井義光=金沢谷中組の残党。川田と行動を共にする)、矢吹二朗(花巻伝=川田の舎弟)、中原
早苗(あさ=安原の女房)、成田三樹夫(久保利夫=浅田組の幹部)、牧冬吉(能田孝雄=金井組の幹部)、
曽根将之〔晴美〕(大崎軍次=金井組の幹部)、野口貴史(植村厚志=同)、片桐竜次(黄東明=金井組の
組員)、小林稔侍(朴竜国=同)、中谷一郎(吉種正和=京都のヤクザ)、天津敏(元村武雄=名古屋の竜
ヶ崎一家の組長)、織本順吉(谷中政吉=金沢谷中組組長)、秋山勝俊(利本得治=金井組の組員)などが
出演している。仲井の三きょうだい(女、男、女)が微妙に川田に絡むが、まさかこんな結末を迎えるとは
予想もつかなった。長女であるきくの、三人の男を渡り歩く女傑ぶりにも目を瞠るものがあったが、妹の信
子の激しさはそれを上回るものであった。兄の隆士を殺めることになるとはまったく思わなかったからであ
る。生きる上で苛酷な環境が、そのような激しさを産むのだろうか。劇中、「北陸の家には、仏壇と花札は
欠かさずあるものだ」といったニュアンスの台詞が登場するが、長い冬を忍苦をもって越すうちに、粘り強
いしぶとさが醸成されるのであろうか。蛇足ながら、伊吹吾郎の役は、予告篇では渡瀬恒彦が演じていた。
途中交代したのだろうか。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。2本とも北野武監督の作品であり、これで現在のところ発表されてい
る15作品全部を観終わったことになる。どちらも彼の世界観全開といった作風で、彼のファンならばともか
く、それほどではない者には、なぜこんな映画を作るのだろうと思ってしまう。
 1本目は『監督・ばんざい!』(監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=オ
フィス北野、2007)である。デフォルメされた自画像を描いているのだろうが、安易な発想の連続で、力が
抜けた。小津安二郎風の映画「定年」、恋愛映画「追憶の扉」、昭和30年代への回顧映画「コールタールの
力道山」、和製ホラー映画「能楽堂」、アクション時代劇「蒼い鴉 忍Part2」、SF大作「約束の日」などが
構想され、実際に途中まで作るがオシャカになることを繰り返し、最後は、江守徹が扮する怪人東大泉が登
場し、カタストロフを迎える。北野武にしか製作を許されない映画であろう。他に、ビートたけし、岸本加
世子、鈴木杏、吉行和子、宝田明、藤田弓子、内田有紀、木村佳乃、松坂慶子、大杉漣、寺島進、六平直政、
渡辺哲、井手らっきょ、モロ師岡、菅田俊、入江若葉、森下能幸、諏訪太朗、つまみ枝豆、横山あきおなど
が出演している。なお、ナレーションは、伊武雅刀である。『TAKESHIS'』(監督:北野武、バンダイビジ
ュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=オフィス北野、2005年)より、少し面白いか。なお、短編映画『素
晴らしき休日』(本篇のおまけか)のモロ師岡はよかった。映画館に入るとき、「農業、一枚」という台詞
を吐くが、笑った。
 2本目は、『アキレスと亀』(監督:北野武、バンダイビジュアル=テレビ朝日=東京テアトル=WOWOW=
オフィス北野、2008年)である。絵心もある北野武が、自分の作品を活かすために作った映画。一応筋があ
る。例によって、物語に関しては<goo 映画>の「あらすじ」を引用させていただく。執筆者に感謝したい。
なお、一部改変したが、ご寛恕を乞いたい。

  俊足のアキレスでも、亀の歩みには追いつけない。古代ギリシャの哲学者ゼノンは、そう語った。
 美術好きで富豪の父倉持利助(中尾彬)を持った真知寿(吉岡澪皇)は、絵を描くことが大好きな少
 年として育った。父の知人からも才能を褒められて、赤いベレー帽をもらった彼は画家への道を目指
 す。しかし、父の会社が倒産したことによって、真知寿の人生は暗転する。立て続けに自殺した両親
 の無念さを背負いながら、自立することを余儀なくされた。新聞配達や印刷工場で働きながら美術学
 校に通う真知寿(柳憂怜)は、ひとりの女性と出会う。完成した作品を画商の菊田(大森南朋)のも
 とに持ち込んでも良い反応は得られなかったが、バイト先の女性である幸子(麻生久美子)は真知寿
 の才能を認めてくれた。ともに貧しいながら、二人は結ばれる。絵画という芸術への高みを目指す真
 知寿の姿勢は、やがて前衛の方向へと傾いていった。仲間たちと無茶な表現を繰り返す真知寿。どん
 な犠牲を払っても、彼にとってアートとは生涯の目標となっていた。子供を産んだ幸子も、そんな真
 知寿を応援し続ける。やがて、娘のマリ(徳永えり)は高校生になっていた。すでに中年になった真
 知寿(ビートたけし)と幸子(樋口可南子)だが、それでもアバンギャルドな芸術表現を求めてやま
 なかった。菊田からは相手にされず、困窮する生活は幸子が支えていた。貧しさゆえに援助交際に走
 ったマリにさえ、真知寿は借金を申し込む。そんなマリの死をきっかけに、幸子も真知寿のもとから
 離れていった。何もかも失いながらも、亀のように芸術への道を究めようとする真知寿。歩みを止め
 なければ、アキレスにも勝てる。それが真知寿の信念だった。真知寿を見限ったはずの幸子との関係
 も修復される。二人は、これからも同じ人生を歩んでいくことの充実感と幸福を噛み締めていた。

 閉店セールのために「首吊り」のイラストの入ったちらしを作って怒られたときの真知寿(柳優怜)の表
情が少しよかった。ビートたけしの演技は可もなし不可もなし。他に、伊武雅刀(菊田昭雄=上記の画商の
菊田の父)、筒井真理子(倉持春=利助の妻)、大杉漣(倉持富輔=利助の弟)、円城寺あや(富輔の妻)、
六平直政(新聞店主)、大竹まこと(屋台のおでん屋の親父)、ふせえり(商店街の関係者)、ビートきよ
し(建設現場の作業員)、森下能幸(ウリセンの男)、寺島進(ウリセンの上前をはねるヤクザ)、不破万
作(農民)などが出演している。できとしては、『Dolls 〈ドールズ〉』(監督:北野武、バンダイビジュ
アル=TOKYO FM=テレビ東京=オフィス北野、2002年)ぐらいのレヴェルだろうか。もしかすると、北野監
督は、この作品の製作に際して、『夢』(監督:黒澤明、黒澤プロ、1990年)を少し意識しているかもしれ
ない。以下に、現在までの北野武監督の作品を掲げる。順番は小生が評価する順であるが、もちろん極めて
恣意的な評価であることをお断りしておく。

 1.『ソナチネ』、監督:北野武、バンダイビジュアル=松竹第一興業、1993年。
 2.『キッズ・リターン』、監督:北野武、オフィス北野=バンダイビジュアル、1996年。
 3.『その男、凶暴につき』、監督:北野武、松竹富士、1989年。
 4.『アウトレイジ(OUTRAGE)』、監督:北野武、「アウトレイジ」製作委員会〔バンダイビジュアル=
   テレビ東京=オムニバス・ジャパン=オフィス北野〕、2010年。
 5.『あの夏、いちばん静かな海。』、監督:北野武、オフィス北野=東通、1991年。
 6.『BROTHER』、監督:北野武、オフィス北野=レコーデッド・ピクチャー・カンパニー=バンダイ
   ビジュアル=TOKYO FM、2001年。
 7.『HANA-BI』、監督:北野武、バンダイビジュアル=テレビ東京=TOKYO FM=オフィス北野、1997年。
 8.『菊次郎の夏』、監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=日本ヘラルド映画=オフィス北野、
   1999年。
 9.『3ー4×10月』、監督:北野武、バンダイ=松竹富士、1990年。
 10.『座頭市』、監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=齋藤エンタテイン
   メント=オフィス北野、2003年。
 11.『Dolls 〈ドールズ〉』、監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=テレビ東京=オフィス北野、
   2002年。
 12.『アキレスと亀』、監督:北野武、バンダイビジュアル=テレビ朝日=東京テアトル=WOWOW=オフィ
   ス北野、2008年。
 13.『監督・ばんざい!』、監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=オフィス
   北野、2007年。
 14.『TAKESHIS'』、監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=オフィス北野、
   2005年。
 15.『みんなーやってるか!』、監督:北野武、オフィス北野=バンダイビジュアル、1994年。
   〔フォントがないので、波線を「ー」で代用させる〕。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たので、ご報告。1本目は、『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』(監督:本木克
英、松竹、2001年)である。今回もスーさん(三國連太郎)が期待していた重役のひとりである高野研一郎
常務(青島幸男)が自己都合で早期退社し、後継者ができない苦悩を背負い込むことになる。しかし、高野
は故郷の萩に帰ると間もなく腎臓の病気で入院し、あっけなく他界する。高野の姪である木戸梢(宮沢リエ)
が物語に色を添えているが、はっきりいってマンネリもいいところ。梢の恋人役で吉岡秀隆(上杉晋)が出
演しているが、相も変らぬ山田洋次調の恋愛話(梢の萩と晋の会津は、幕末以来不倶戴天の仇同士という設
定)で、まったく新鮮味がない。しかも、SKFC(鈴木建設フィッシング・クラブ)なる親睦団体(全社員のう
ち、121名が所属)が以前から存在したというご都合主義に加え、今回もハマちゃん(西田敏行)の弟子と
称する松井電機の渡辺施設部長(大杉漣)なる人物が登場し、ハマちゃんの私的人脈によって壊れかけた仕
事が鈴木建設に戻ってくるというお粗末。スーさんのフグの肝喰いの挿話も取ってつけたようで、いい加減
にしろ言いたくなった。すなわち、もうシリーズのやめごろに入っているのだが、商売の方は順調らしく、
終わらせないところは松竹の商魂か。だいいち、ハマちゃんはともかくとして、スーさん役の三國は当時78
歳。「還暦」祝いなどという言葉も出てくるが、どうみても後期高齢者そのもの、いくら三國が矍鑠として
いたとしても、さすがに観ていて痛々しい。佐々木課長役の谷啓も69歳だから、だいぶ無理があると思った。
青島はこの映画に出演した5年後の2006年に他界しているが(享年、74歳)、この高野常務同様、若々しい
まま亡くなってしまったような印象がある。また、川島営業担当取締役を演じている荻島真一も2004年に亡
くなっているが、享年58歳の若さであった。そう言えば、谷啓も最近亡くなった(2010年)。享年78歳であ
った。他に、浅田美代子(みち子)、中本賢(太田八郎)、加藤武(秋山専務)、鶴田忍(堀田常務)、辺
見えみり(妙子)、柴俊夫(原口人事担当取締役)、笹野高史(前原社長付運転手)、中村梅雀(草森秘書
課長)、奈良岡朋子(鈴木久江=スーさんの妻)、菅原隆一(浜崎鯉太郎)、アベリータ・フルタ(太田パ
トリシア)などが出演している。なお、「晴耕雨読」をもじった「晴釣雨読」という言葉が登場するが、ち
ょっとよかった。釣りバカ諸氏には堪らない響きではないだろうか。
 2本目は、『殯(もがり)の森』(河瀬直美、組画=Celluloid Dreams Productions=ビジュアルアーツ
専門学校 大坂、2007年)である。河瀬監督の作品はこれが3本目であるが、『萌の朱雀』(監督:河瀬直
美、WOWOW=バンダイビジュアル、1997年)や『沙羅双樹』(監督:河瀬直美、日活=よみうりテレビ=ビ
ジュアルアーツ=リアルプロダクツ、2003年)と同様、時間の流れがゆったりとしていて、そのゆったりと
した流れを楽しむことができないと、始終退屈を感じる作品である。なお、「殯」とは、「敬う人の死を惜
しみ、しのぶ時間のこと。また、その場所の意。語源に「喪あがり」……喪があける意、か」とある。33年
前に妻を亡くした認知症の男(うだしげき)と、子どもを亡くした女(尾野真千子)との間に生まれる共感
の物語。映画の娯楽性を極力排しているので、河瀬作品に慣れていない人は戸惑うかもしれない。なお、和
歌子(渡辺真起子)というヴェテランの介護福祉師が、うまくいかない真千子にアドヴァイスを贈るシーン
が少し面白い。「こうさなあかんてこと、ないから(There are no formal rules, you know.)」という台
詞は、たしかにこのときの真千子にとって救いであったと思う。しかし、世の中には、「こうしなければい
けないこと」は実にたくさんある。したがって、端的に身勝手な行動を取ってよいということにはならない
だろう。そこら当りに関して、河瀬監督はどう捉えているのか。また、僧侶が二通りの「生きる」の話をす
るシーンがあるが、説教臭くて鼻に付いた。年齢を重ねれば宗教心が昂揚すると思っていたが、まったくの
逆である。現在の小生は、少なくとも30代よりも、宗教的言説に対して感受性が鈍磨しているからである。
 3本目は、『夜の河』(監督:吉村公三郎、大映京都、1956年)である。最近、1960年前後に製作された
大映作品を観る機会が多いが、いずれも優れた出来で(もっとも、優れているからDVD化されるのであろう)、
ご多分に洩れず、この作品もかなり面白かった。もっとも、主演の山本富士子(舟木きわ)の艶やかさが圧
倒的なので、彼女の力に負っている部分が大きいのだろう。相手役の上原謙(竹村幸雄)も相変わらずの大
根役者ぶりだが、それが妙にマッチしていた。例によって、物語に関しては、<goo 映画>の「あらすじ」を
引用させていただく。執筆者に感謝したい。なお、一部改変したが、ご寛恕を乞いたい。

  京都、堀川の東一帯に立ち並ぶ京染の店。その中に「丸由」と屋号を名乗る舟木由次郎(東野英治
 郎)。五十年来の老舗だが、慌だしい世相に若い職人は労働基準法を云々、最近休業の染屋が三軒も
 あるご時勢。由次郎は七十歳、後妻みつ(橘公子)とは三十も違い、今では長女きわが一家の中心、
 ろうけつ染に老父を凌ぐ腕を見せている。新婚旅行の妹美代(小野道子)と清吉(夏目俊二)を京都
 駅で見送った帰途きわは画学生岡本五郎(川崎敬三)が、彼女を描いて出品している青樹社展覧会場
 に寄る。岡本はきわに好意を寄せている。きわはろうけつ染を、四条河原町の目抜きの店に進出させ
 たいと思ったが、話はかなり困難。それを知った近江屋(小沢栄〔栄太郎〕)は彼女の美貌に惹かれ、
 取引先の店を展示場にと約束するが妻やす(万代峰子)の眼がうるさくてならない。きわは唐招提寺
 を訪れた折、桜を訪ねて来ていた阪大助教授竹村幸雄、娘あつ子(市川和子)と知り合う。そして新
 緑五月、堀川の家を訪れた竹村との再会に喜ぶきわ。市内を散策する中、きわは彼と別れ難い気持に
 なる。きわは阪大研究室に竹村を訪問。彼は助手早坂(舟木洋一)と猩々蝿を飼育、遺伝学の研究に
 没頭しているのだ。競争相手の婦人服デザイナー大沢はつ子(大美輝子)と競って、きわは近江屋の
 紹介で東京進出にも成功。きわの出品作は燃えるような猩々蝿を一面に散らしたものだった。東大の
 研究発表会に来合わせた竹村と逢ったきわは、彼が赤く染めることに成功した猩々蝿が単純な飼育の
 ミス(温度調整器の故障)から全滅したと聞かされる。加茂川の宴会で近江屋の手から逃れたきわは、
 友達せつ子(阿井美千子)の経営する旅館みよしで竹村と逢う。彼は岡山の大学に移るという。二人
 はその夜結ばれた。画学生の岡本は、きわに竹村との仲を忠告。怒りを浮かべるきわに、僕は貴女を
 尊敬しているのだと岡本は叫ぶ。数日後、竹村の娘あつ子の口から、竹村の妻が長い間病床に伏して
 いると聞いたきわは驚く。彼女は竹村を忘れたいと願う一方、思慕の心をも押えきれない。大阪へ所
 用で赴いた折、きわは竹村と白浜に行った。そこに竹村の妻の病勢悪化の電話。彼女は死去。喪服に
 身を包んで告別式に出たきわは「もう少しだ。待ってくれ」といった白浜での竹村の言葉を思い出す。
 残酷な言葉。「うちは違う」と、きわは泣きながら、心の中で叫び続けた。

 きわが竹村と関係をもったとき、彼の妻が病気だとは知らなかった。したがって、その妻が死んだからと
いって、おいそれと後添えに納まるつもりはない。それが、きわのけじめであった。だいいち、万一、竹村
との間に子どもができたとしても、自分独りで育てるつもりだった。その思いが、「もう少しのこと」とい
う竹村の言葉によって汚されてしまったのである。他人の不幸を土台にしてまで、自分が幸福になることを
潔しとしない古風な人生観である。女の切ない意気地でもあるが、いっそ清々しかった。竹村の「妻に対し
てはこころを尽くした」という言い訳も、若い岡本の「実存」だの「主体性」などと口にする様子も、きわ
の水際立った振る舞いの前では、まったく色褪せて見える。いい女の見本とはこういうものだろう。なお、
本作は、山本富士子をスターダムに伸し上げた作品の由。他に、山茶花究(篠田=近江屋の商売仲間)、西
川ヒノデ(ゑびす屋)、伊達三郎(職人寛治)、高倉一郎(職人利雄)などが出演している。小生は、京染
めの職人を何人か知っているが、不況で仕事を離れていった人も多い。もっとも、それは80年代から90年代
にかけての話であるが、それどころか50年代から和服の衰退が始まっていることがよく分る作品である。
 なお、3作品ともに、配役等に関しても<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。1本目は、『TAKESHIS'』(監督:北野武、バンダイビジュアル=TOKYO
FM=電通=テレビ朝日=オフィス北野、2005年)である。何とも評しようのない映画である。ただし、「世
界の北野武」の名前が観ることを強いる。これは大島渚などにも通じることだが、世人にべた褒めされたり、
「天才」などとおだてられたりすると、ときどきこんな勘違い映画を作りたくなるのだろうか。『みんなー
やってるか!』〔フォントがないために、波線を「ー」で代用させる〕(監督:北野武、オフィス北野=バ
ンダイビジュアル、1994年)よりはずっとましであるが、「私小説」ならざる「私映画」といった趣きか。
少しだけ北野武を擁護するとすれば、売れてしまった自分自身に対する後ろめたさが作らせた映画なのだろ
う。主な出演者を列挙しよう。ビートたけし、京野ことみ、寺島進、岸本加世子、大杉漣、津田寛治、美輪
明宏、六平直政、渡辺哲、ビートきよし、上田耕一、森下能幸、松村邦洋、内山信二などである。美輪の
「ヨイトマケの唄」(作詞・作曲・唄:丸山明宏〔美輪の本名〕、1966年)を久し振りに聴いた。なぜこの
作品に美輪明宏が出ているのかさっぱり分らないが、存在感だけはある。なお、北野映画はこれが13本目の
鑑賞。残るはあと2本(『監督・ばんざい!』と『アキレスと亀』)なので、近いうちに観ておきたい。
 2本目は、『大阪物語』(監督:吉村公三郎、大映京都、1957年)である。『東京物語』(監督:小津安
二郎、松竹大船、1953年)ほど有名ではないが、今まで観なかったことが悔やまれるほどの傑作である。ど
うしてこれまでさほど評価されてこなかったのか不思議である。溝口健二が、『赤線地帯』(監督:溝口健
二、大映京都、1956年)を撮り終えた後、脚本の依田義賢とともに企画していた映画で、彼の急死(1956年、
享年58歳)に伴って吉村が撮ることになった作品である。井原西鶴の作品である「日本永代蔵」、「当世胸
算用」、「萬の文反古」などが下敷になっている。西鶴の作品は、太宰治も翻案していて(『新釈諸国噺』)、
小生などは、高校生の頃、『お伽草子』などと並んで太宰の戦時中の傑作と看做していた作品群である。さ
て、映画の方はどうだろう。例によって、<goo 映画>の「あらすじ」を引用させていただく。執筆者に感謝
したい。なお、一部改変したが(本篇にまったく含まれていない話が書かれていた)、ご寛恕を乞いたい。

  元禄の頃。東近江の水呑百姓仁兵衛(二代目中村鴈治郎)は、年貢米を納められぬままに代官所の
 催促に堪えかねて、地主にすがろうと、女房のお筆(浪花千栄子)と二人の子ども(国米曠、竹野マ
 リ)を連れて大阪(当時は、大坂)へ夜逃げした。しかし、地主の蔵元である「花屋」で玄関払いを
 喰って当てもなく去ることを余儀なくされる。一度は一家心中を決意した仁兵衛だが、船から米俵を
 荷揚げする土佐堀川の岸で、こぼれ米を拾って露命をつなぐことを覚えた。そして十年来筒落米を拾
 った仁兵衛は、それが積り積って今は堺筋に「近江屋」を名のる茶問屋(後、両替屋)に出世した。
 吉太郎(林成年)、おなつ(香川京子)の二人の子どもも成人し何不足のない仁兵衛だが、貧乏の味
 をいやというほど嘗めた彼は、徹底した始末屋になっていた。花屋が取潰しになると早速後釜に入り
 鼻を明かすが、大店に移っても彼の守銭奴ぶりは変らない。正月の門松が大き過ぎると番頭の忠三郎
 (市川雷蔵)を怒鳴り、年始めにお筆が髪結いのお竹(万代峰子)を呼ぶと、それも追返す始末。そ
 の仁兵衛は、ある日、近くの普請場で会った油問屋である鐙屋の女主人お徳(三益愛子)と意気投合
 し、話の末にお徳は伜市之助(勝新太郎)の嫁におなつをくれと縁談を申し込む。仁兵衛は快諾する
 が、女房のお筆は大反対。夫婦喧嘩に激情したお筆は喀血して病の床に臥す。しかし仁兵衛の吝嗇は
 凄まじく、碌々薬もやらずに労咳の妻を死なせてしまう。お通夜には鐙屋のお徳も市之助を連れてく
 る。放蕩息子の市之助は気晴しに女でも買いに行こうと吉太郎を扇屋へ誘う。その上、初めての経験
 に上機嫌の吉太郎につけこんだ市之助は、馴染みの太夫であ滝野(小野道子)を身受けする金の工面
 まで頼む。一方、鐙屋との縁談を嫌うおなつは番頭の忠三郎にかねての思いを告げ駈落ちを迫る。そ
 して吉太郎は蔵から市之助へ渡す金子300両を盗み出す。これを知った仁兵衛は怒りに燃えて吉太郎
 を勘当、忠三郎をも追出してしまう。おなつも後を慕って家出、独り残った仁兵衛は遂に金箱を抱え
 て発狂する。

 他に、中村玉緒(綾衣=扇屋の太夫、吉太郎の相方)、東野英治郎 (星野権左衛門=大名留守居役)、
山茶花究(河内屋=大阪の両替屋)、十朱久雄(新屋=同)、天野一郎(天王寺屋=同)、石原須磨男(木
賃宿の亭主)、滝花久子(すえ=花屋の女房)、林家染丸(医者)、西川ヒノデ(源六=仲仕頭)、伊達三
郎 (庄吉=花屋の手代)などが出演している。なお、配役等に関しても、<goo 映画>のお世話になった。
 仁兵衛が考案したと思われる、朝夕のお祈りの文句が面白いので、以下に記しておこう。耳から拾ったの
で正確ではないが、これもご寛恕いただきたい。

  掻き寄せよ/掻き寄せよ
  福あれば/禍の始めと思い
  朝起きは/十文の得
  慎みて/拾うべし
  身によき着物を/着ると思うな
  口に美味きを/好むまじ

 吝嗇家の話と言えば落語にいくらでもありそうだが、海外に目を向ければ、シェークスピアの『ヴェニス
の商人(The Merchant of Venice)』(1596年ごろ)やディケンズの『クリスマス・キャロル(A Christmas
Carol)』(1843年)を連想する。シャイロックやスクルージと同様、この仁兵衛も金の亡者と成り果てて、
その結果自らに禍をもたらすという筋書となっているが、われわれは彼らを単純に嗤うことなどできるのだ
ろうか。むしろ、金銭に甚だしい執着をみせる彼らのあり方に、小生は驚嘆を感じこそすれ、嫌悪感を抱く
ことはない。しかし、それは身近な人間ではないからであって、やはり自分の父親だったとすれば、かなり
悩んだだろうと思われる。したがって、吉太郎の父親に対する反逆の仕方には小気味よさを覚えずにはいら
れないのである。演じた林成年は最近鑑賞した『ぼんち』にも出演していたが、長谷川一夫の息子である。
名優の息子ということを抜きにしても、なかなか味のある俳優だと思う。また、滝野を演じていた小野道子
は長谷川季子とも名乗った女優で、林成年の妹(つまり、長谷川一夫の娘)である。遊女らしい妖艶さであ
った。この滝野が勝新太郎の相方で、勝の後の妻である中村玉緒(太夫の綾衣役)が林成年の相方であると
いうのも面白い。しかも、母の民は初代中村鴈治郎の次女だというから、当時のこの業界は実に狭いことが
分る。蛇足ながら、勝新(かつしん)も雷様(らいさま)も、まだまだ本領を発揮するには至っていないと
思う。俳優稼業の面白いところである。こころなしか、名優鴈治郎も少し演技が硬いか。
 さて、滋賀県の人には頗る迷惑な話かもしれないが、「江州の人間が通った後は、草も生えん」という河
内屋(演じた山茶花究が抜群)〔だったと思う。記憶違いかもしれない〕の台詞は、この映画を観る前から
知っていた。商人としては誇ってもよい言種だと思う。また、「こぼれ米」の話から、『どですかでん』
(監督:黒澤明、四騎の会、1970年)の伴淳三郎が演じた中年男(島悠吉)の「米粒取得法」(濡れた釜を
米屋に持参し、支払う段になって金を忘れたといい、釜から米を戻すことになるが、釜が濡れているので、
いくらかの米粒を取得できる仕組)を連想した。半端ではない貧乏が生んだ知恵だが、卑しいというよりも
逞しさを感じる。


 某月某日

 DVDで邦画の『ジャズ大名』(監督:岡本喜八、大映、1986年)を観た。「ジャズは、幕末の頃、三人の
黒人によって日本にもたらされた」という設定の、筒井康隆原作のSF作品を映画化した異色時代劇である。
駿河の国の小藩である庵原藩の藩主海郷亮勝〔ウミノゴースケカツ〕(古谷一行)は、徳川三百年の沈滞に
うんざりしている。そこに、降って湧いたかのように、遭難した三人の黒人が漂着する。彼らは、リンカー
ンの政策によって解放された元奴隷であるが、アフリカに帰るつもりが日本に流されてしまったというお粗
末。しかし、彼らの強みは、楽器を演奏できることだった。それらは、トロンボーン、コルネット、ドラム
であるが、実はもう一人いた。しかし、その奏者叔父のボブ(George Smith)は船内で亡くなり、形見の品
としてクラリネットが遺された。亮勝は持主なきクラリネットを所望し、その代わり彼らを匿うことにした。
かくして、城内全体がジャム・セッションとなり、奥方の不義密通、ええじゃないか運動、倒幕の官軍の行
進などへはまったくの無関心を決め込み、ひたすらジャズに酔い痴れるのである。戊辰戦争を無視する姿勢
には、岡本喜八らしい「反戦」のメッセージが籠められており、日本には少ないタイプの音楽映画でもある。
ちなみに、岡本作品は、以下に挙げるように当該映画を含めて14本観ている。なお、この作品は、ノリとし
ては『独立愚連隊西へ』に似ているのではないか。というのも、戦いの回避の仕方に奇想天外な発想がある
から。

 『独立愚連隊』、監督:岡本喜八、東宝、1959年。
 『独立愚連隊西へ』、監督:岡本喜八、東宝、1960年。
 『江分利満氏の優雅な生活』、監督:岡本喜八、東宝、1963年。
 『戦国野郎』、監督:岡本喜八、東宝、1963年。
 『ああ爆弾』、監督:岡本喜八、東宝、1964年。
 『血と砂』、監督:岡本喜八、東宝=三船プロ、1965年。
 『日本のいちばん長い日』、監督:岡本喜八、東宝、1967年。
 『殺人狂時代』、監督:岡本喜八、東宝、1967年。
 『肉弾』、監督:岡本喜八、「肉弾」をつくる会=ATG、1968年。
 『赤毛』、監督:岡本喜八、三船プロダクション、1969年。
 『青葉繁れる』、監督:岡本喜八、東宝、1974年。
 『英霊たちの応援歌・最後の早慶戦』、監督:岡本喜八、東京12チェンネル、1979年。
 『ジャズ大名』、監督:岡本喜八、大映、1986年。
 『大誘拐 Rainbow Kids』、監督:岡本喜八、喜八プロ=ニチメン=フジエイト、1991年。

 他に、財津一郎(家老の石出九郎左衛門)、神崎愛(文子姫=亮勝の妹)、岡本真実(松枝姫=同)、唐
十郎(薩摩藩士の益満休之助)、殿山泰司(玄斎=藩医)、本田博太郎(鈴川門之助)、今福将雄(由比軍
太夫)、利重剛(赤坂数馬)、友居達彦(烏丸源之進)、小川真司(中山八兵衛)、ミッキー・カーチス
(アマンド=メキシコ商人)、タモリ(屋台のラーメン屋)、六平直政(薩摩藩士)、Ronald Nelson
(ジョー)、Pharez Whitted(ルイ)、Leonard Marsh(サム)、香川良介、山下洋輔、樋浦勉、細野晴臣
などが出演している。なお、楽器としては、篳篥(ひちりき)を筆頭に、桶、火鉢、火箸、鼓、横笛、算盤、
薩摩琵琶、琴、鍋、釜、三味線、鮫の顎と歯などが登場している。底抜けの明るさの中に、一抹の悲しみを
感じるのは小生だけではあるまい。それが、岡本映画の特徴でもあるのだから。なお、ジャム・セッション
の基調となる曲は「メイプル・リーフ・ラグ(Maple Leaf Rag)」であり、1899年にスコット・ジョプリン
(Scott Joplin, 1868- 1917)が作曲したピアノのためのラグタイムの由(ウィキペディアより)。


 某月某日

 DVDで邦画の『ぼんち』(監督:市川崑、大映京都、1960年)を観た。さすが、大映映画。さすが、市川
雷蔵。さすが、市川崑である。市川作品は、当該映画を含めて、以下に記すように27本観ているが、この
『ぼんち』は『野火』や『鍵』に迫る傑作だと思う。ちなみに、「ぼんち」とは、「放蕩の限りをつくして
も、その度にぴしりと帳尻の合った遊び方をする……それを大阪ではぼんちと呼ぶ!」の由(DVDの惹句よ
り)。

 『こころ』、監督:市川崑、日活、1955年。
 『ビルマの竪琴(総集版)』、監督:市川崑、日活、1956年。
 『穴』、監督:市川崑、大映東京、1957年。
 『炎上』、監督:市川崑、大映京都、1958年。
 『野火』、監督:市川崑、大映東京、1959年。
 『鍵』、監督:市川崑、大映京都、1959年。
 『おとうと』、監督:市川崑、大映東京、1960年。
 『ぼんち』、監督:市川崑、大映京都、1960年。
 『黒い十人の女』、監督:市川崑、大映東京、1961年。
 『私は二歳』、監督:市川崑、大映東京、1962年。
 『太平洋ひとりぼっち』、監督:市川崑、石原プロ=日活、1963年。
 『雪之丞変化』、監督:市川崑、大映京都、1963年。
 『股旅』、監督:市川崑、崑プロ=ATG、1973年。
 『吾輩は猫である』、監督:市川崑、芸苑社、1975年。
 『犬神家の一族』、監督:市川崑、角川春樹事務所、1976年。
 『悪魔の手毬唄』、監督:市川崑、東宝、1977年。
 『獄門島』、監督:市川崑、東宝、1977年。
 『女王蜂』、監督:市川崑、東宝、1978年。
 『病院坂の首縊りの家』、監督:市川崑、東宝、1979年。
 『細雪』、監督:市川崑、東宝、1983年。
 『ビルマの竪琴』、監督:市川崑、フジテレビジョン=博報堂=キネマ東京=東京国際映像文化振興会、
  1985年。
 『帰って来た木枯し紋次郎』、監督:市川崑、フジテレビ=C・A・L、1993年。
 『四十七人の刺客』、監督:市川崑、東宝=日本テレビ放送網=サントリー、1994年。
 『どら平太』、監督:市川崑、日活=、毎日放送=読売広告社、1999年。
 『かあちゃん』、監督:市川崑、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画、2001年。
 『ユメ十夜』、監督:実相寺昭雄/市川崑/清水崇/清水厚/豊島圭介/松尾スズキ/天野善孝・河原真
  明/山下敦弘/西川美和/山口雄大、「ユメ十夜」制作委員会〔日活=IMAGICA=I&S BBDO=ダイコク
  電機〕、2006年。
 『犬神家の一族』、監督:市川崑、「犬神家の一族」製作委員会〔角川ヘラルド映画=日本映画ファンド=
  TBS=オズ=ソニー・ミュージックエンタテインメント=Yahoo! JAPAN〕、2006年。

 物語に関しては、例によって<goo 映画>の「あらすじ」を引用させていただく。執筆者に感謝したい。な
お、一部改変したが、ご海容願いたい。

  四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、祖母のきの(毛利菊枝)、母
 の勢以(山田五十鈴)にすすめられて成金の砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁に貰った。河内屋は
 三代も養子旦那が続いたために、きのと勢以の実権は絶大だった。二人は弘子をじりじりとしめつけ
 た。たとえば、月の物の有無を調べるために、厠を探索するなどの念の入れようは半端ではない。妊
 娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎を産んだ。家風を無視されたきのと勢以は弘子を離別
 するよう図った。昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。
 富の家の娘仲居である幾子(草笛光子)が喜久治に好意をよせた。やがて、父の喜兵衛(船越英二)
 が死に、喜久治は河内屋の五代目の旦那におさまった。襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭の
 お福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。彼女を喜久治にとりもち娘を生まそうと企んだ。しか
 し、お福は石女なので、子どもが産まれるはずはない。喜久治はきのと勢以のたくらみが無駄に終わ
 ることを喜んだ。また、喜久治は待合金柳で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。妾となった
 ぽん太はしきたりに従って本宅うかがいに現われた。さすがの勢以も気をのまれた。喜久治はさらに
 幾子が芸者に出たのを知ると彼女も囲った。ぽん太に男の子が生れた。きのは五万円の金で生れた子
 と縁切りをするよう言った。女子(おなご)だったら、一万円のところである。
  日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。喜久治は道頓堀のカフェーで女給比佐子
 (越路吹雪)とねんごろになった。幾子が難産の後、子癇を起して死んだ。妾の葬式を旦那が出して
 やることは許されない。喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。男泣き
 に泣く喜久治を、お福は自分の身体を投げ出して慰めた。日中戦争から太平洋戦争へ。喜久治は灯火
 管制下にも妾の家をこまめに廻った。憲兵(浜村純)に外出を咎められたこともあったが、何とか切
 り抜けた。空襲で河内屋も蔵一つを残し全焼した。ぽん太、比佐子、お福がやって来た。喜久治は腹
 巻に隠し持っていた紙幣およそ10万円を出して六等分にし、それぞれの女と、きの、勢以、そして自
 分の取り分とし、河内長野の菩提寺へ行ってくれと言った。翌朝、きのは水死した。河内屋とともに
 自らも葬るつもりで、自殺したのかもしれなかった。戦争が終った。一年後、菩提寺を訪れた喜久治
 は、風呂場で勝手にしゃべりまくる三人の女のあけすけの姿を覗き見て、そのまま女たちにも会わず
 に帰った。これで放蕩も終りだとさっぱりした気持になったのだ。昭和三十五年三月、今は五十七歳
 の喜久治、彼は彼なりに商売に対する夢を抱いている。自分の半生を下手な落語家の春団子(中村鴈
 治郎)に話して聴かせながら、懐の不如意を少しばかり嘆いている。だが、ぽん太の子太郎(林成年)
 は、いまさら足袋屋でもないと喜久治を嘲笑するのだった。喜久治がほんまものの「ぼんち」であっ
 たことを知っているのは、永年喜久治の側で仕えてきたお時(倉田マユミ)だけだった。

 他に、潮万太郎(高野市蔵=弘子の父親)、北林谷栄(内田まき=喜久治と弘子の仲人)、菅井一郎(工
場主土合)、橘公子(君香=喜兵衛の妾)、嵐三右衛門(和助=河内屋の番頭)、伊達三郎(泰助=同)、
上田寛(幾子と喜久治の息子幾郎の里親)、志摩靖彦(佐野屋)、小柳圭子(看護婦)、毛利郁子(芸者1)、
種井信子(芸者2)、谷口和子(芸者3)、里中位子(芸者4)、山口万千子(お針女1)、高原朝子(お
針女2)、東山京子(お針女3)などが出演している。
 この映画が素晴らしいのは、1.原作、2.脚本、3.演出、4.撮影、5.出演者、6.音楽、7.美
術など、映画が必要とするすべての要素に亙って過不足がないからである。まず、山崎豊子の原作(筆者、
未読)であるが、大阪は船場のよくある物語を、実に丁寧に描いている。彼女は社会派作家として名を成し
たが、こんな市井のどうでもいいような話でさえも、実に上手に仕上げている。また、脚本であるが、市川
自身と妻であった和田夏十の共同執筆で、これまた台詞の端々にまで血の通った見事な出来映えである。少
しだけ、以下に引用してみよう。耳から拾ったものなので、正確ではない。ご寛恕いただきたい。

  喜久治(きのと勢以の猿芝居を皮肉って):「ホンマの母娘(おやこ)で、世間並みの嫁姑の芝居
 しはんのは、いつ見ても面白いもんでんな」。

  きの(弘子を嫁に貰う際に):「見合いの相手の高野屋はにわか景気の砂糖問屋。あんな一代限り
 の成金にうちが負けられまっか。普段は手堅(てがと)うに暮らしても、いざというときは派手に振
 舞(ふるも)うて、店の奥行を見せるのが、商いの信用というもんだす」。

  勢以(嫁の弘子を咎めて):「奉公人のおかずは味より見場でっせ。丸っぽで二つ三つお皿によそ
 ってあるより、おんなじ嵩でも賽の目でたんと盛り上げてある方が見場に満足するやないか。ケチく
 さいようでも、そういうとこへまで気ぃ配らな、代々の分限者にはなれまへん。一代限りのにわか成
 金なら話は別でっしゃろけど。弘子はん、船場には食べもんにまでうちのしきたりいうもんがごわん
 ねん。おいもさんの切り方、おだいの刻み方ひとつにしても、うちぃ来たらうちの家風を守ってもら
 えまへんとな。せやないと、若御寮さんとはいわれまへん」。

  幾子(喜久治に感謝して):「だんさんみたいに、若(わこ)うて、男前がようて、銭甲斐性のあ
 るお方のお世話になれて。おなご冥利に尽きる思うてます」。

  お時(喜久治の半生を回想して):「だんさんはぼんぼん育ちでおましたけど、根性(こんじょ)
 のしっかりした男はんでしたんや。船場でお生まれでなかったら、あないに優しいおこころをもって
 おられなんだら、立派なぼんちになれたお人やった」。

 その他、女子の節句に男子が生まれて「逆らい子」と呼んだり、「妾腹はお家の小柱」という俗諺を口に
し、お福に喜久治の子ども、とりわけ女子を産むように仕向けたりして、このきのと勢以の母娘は、喜久治
ならずとも、たいへん面白い。このコンビは、『必殺』シリーズの中村主水(藤田まこと)の義母と妻であ
るせん(菅井きん)とりつ(白木万理)(中村家の「戦慄」から命名された由)を髣髴とさせる。もっとも、
喜久治の場合は、実の祖母と母であるが。したがって、主水とせんりつとの関係は、父親の喜兵衛と彼女ら
との関係に擬えられることになる。その他、「抜け口上」、「気根性」、「乳母妾」、「疎開鰥夫」などの
特殊な言葉、「もう女はふるふるご免や」などの台詞は実に活き活きとしていた。
 次に、演出であるが、市川崑のもっとも脂ののった時期(45歳)ではなかったか。小生がとくに買ってい
る作品である『野火』と『鍵』が、ともに前年の1959年製作だからである。ブラック・ユーモア、大胆なカ
ット割り、はっとする場面展開、いずれもまったく無駄がない。さらに、それを支える演技陣も素晴らしい。
主演の市川雷蔵は言うまでもなく、祖母の毛利菊枝、母の山田五十鈴、妻の中村玉緒、身の回りの世話役の
倉田マユミ、妾の草笛光子、若尾文子、京マチ子、越路吹雪、父親の船越英二、物語の聞き役の中村鴈次郎、
仲人役の北林谷栄、妾腹の子の林成年、工場主の菅井一郎、店員の伊達三郎、憲兵の浜村純、番頭の嵐三右
衛門、父親の妾の橘公子、弘子の父の潮万太郎などなど、すべての役者がところを得ていたと思う。
 宮川一夫の撮影は言うまでもなく、音楽(芥川也寸志)や美術(西岡善信)も素晴らしい。とくに、映像
に関しては、三人の女(若尾、京、越路)の入浴シーンが圧巻である。それぞれに逞しさを示しながら、な
お女の見栄も忘れないのだ。あれを見たら、喜久治が「放蕩の終り」を感じたのももっともだと思わざるを
得ない。音楽は、何となく滑稽、何となく不安といった微妙な音を響かせていた。美術に関しては、とくに
焼跡のシーンが優れている。焼け残った蔵の様子にもなかなかのものがあった。この映画は、『炎上』(監
督:市川崑、大映京都、1958年)に出演した市川雷蔵が、今度はお返しに自分の企画した作品の監督をして
欲しいと市川崑に依頼してなったものだという。不世出の役者を囲む芸達者な女優たちの競演は、今日では
もはや実現不可能といった領域にまで達していると思う。なお、配役等に関しても、<goo 映画>のお世話に
なった。蛇足であるが、もし『ぼんち』がリメイクされるとすれば、喜久治の役ができる俳優は果たして誰
であろうか。それとも、現代には、そんな俳優はいないのだろうか。

                        
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