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日日是労働セレクト52
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第52弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト52」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@cc.kochi-u.ac.jp までお寄せ下さい。


 某月某日

 学生の卒論や修論、試験答案やリポートを大量に読まなければならない季節である。人呼んで「地獄の季
節」であるが、地獄に仏がいないこともない。それは、質の高い文章や考えにであったときで、思わず感心
してしまうことも稀ではない。教師のタイプとして、自分の行った講義を上手にまとめる学生の答案を誉め
る人もいるらしいが、小生はまったく違う。小生の気付かなかったこと、新しい考え方、ものを捉えるとき
の角度の新鮮さなどにであったとき、嬉しくなるのである。だから、地獄の季節ではあるけれども、けっこ
う楽しむことができる。内心、今年もそうあればいいなと思っている。


 某月某日

 DVDで邦画の『地獄門』(監督:衣笠貞之助、大映京都、1953年)を観た。恋慕の闇に迷って、平康の乱
(そんな乱があるのかどうか知らないが、平治の乱以後の話らしい)の最中に知り合った人妻に懸想した平
家の遠藤武者盛遠(長谷川一夫)が、誤ってその相手である袈裟(京マチ子)を斬り殺してしまうまでの顛
末を描いた作品である。物語の筋はどうということはないが、その様式美が評価されて、1954年のカンヌ国
際映画祭でグランプリを受賞している。たしかに、イーストマン・カラーを用いたこの作品の色調は優雅で、
いかにも平安末期を表現しているかのように鑑賞者に思わせるような出来である。もちろん、実際にこうで
あったかどうかはまったく分からないが、要は雰囲気が出ていればよいのである。斬った盛遠といい、斬ら
れた袈裟といい、その夫の渡辺渡(山形勲)といい、何か浮世離れした感じで、平安の世の無常が伝わって
くる。平清盛役の千田是也もそれらしく見え、その他の役者も楽しんで演じていたのではないか。牛車が襲
われるシーンや、競べ馬のシーンなどの躍動感も見所と言えるだろう。原作は、菊池寛の「袈裟の良人」で
ある。製作者の永田雅一が、『羅生門』(監督:黒澤明、大映京都、1950年)の成功(1951年のヴェネチア
国際映画祭でグランプリを受賞)に味を占めて作った作品だと言われているが、国内での評判はさほどでも
なかったらしい。たしかに、『羅生門』と比べるべくもないが、この作品にはそれなりの得がたさがあると
思う。長谷川一夫(ベビーフェイス)と山形勲(ヒール)の普段のキャラが逆転しているところも面白い。
他に、黒川弥太郎(重盛)、坂東好太郎(六郎)、田崎潤(小源太)、清水将夫(信頼)、石黒達也(弥中
太)、植村謙二郎(政仲)、清水元(三郎介)、毛利菊枝(佐和)、南義江(刀根)、荒木道子(真野)、
澤村國太郎(盛忠)、荒木忍(家貞)、香川良介(康忠)、殿山泰司(加喜助)、伊達三郎(友行)などが
出演している。なお、配役等については、<goo 映画>を参照した。ちなみに、刀根役を演じていた女優が、
<goo 映画>では南美江、佐藤忠男の『日本映画300』では南美枝となっていたが、クレジットでは南義江
と出ていたので、南義江としておく。


 某月某日

 DVDで邦画の『安宅家の人々』(監督:久松静児、大映東京、1952年)を観た。久松監督と言えば、『警
察日記』(監督:久松静児、日活、1955年)、および、『続・警察日記』(監督:久松静児、日活、1955年)
しか観たことがないが、実に丁寧に細部を描き切る人だと思う。当該作品も、たぶん現代では作品化しにく
い題材を見事に料理している。知的障害者(この作品では、「精神薄弱者」という表現が使われている)の
夫を支える一人の女の生き方を淡々と綴っている作品ながら、けっして際物ではなく、静かに現実を見つめ
る視線はあくまでも温かい。冷たい現代人が観れば、「なぁに、キレイゴトさ」と嘯くかもしれないが、小
生はそうではないと思う。筋は追わないが、知的障害者である安宅宗一を演じた船越英二の実力もさること
ながら、その妻國子役の田中絹代はまさにはまり役と言えよう。この人は、こころの中の熱情を隠して表面
上は冷たいそぶりを見せる女を演じさせたら、右に出る者がいないほどである。つい最近観た『武蔵野夫人』
(監督:溝口健二、東宝、1951年)でも、同様の役柄を難なくこなしていた。養豚場の経営に関する条も、
時代を感じさせた。宗一とその義妹である安宅雅子(乙羽信子)との絡みも、実に清々しい感じがした。情
けない男である雅子の夫安宅譲二を演じた三橋達也も、この人ならではの好演だったと思う。他に、三條美
紀(宇田川次枝=國子の妹)、山村聡(玉木雄二郎=雅子の父、元陸軍中将)、大泉滉(高橋=譲二の悪友)、
小沢栄〔栄太郎〕(譲二の借金を國子のもとに取り立てに来た男)、見明凡太朗(宗一の従兄)などが出演
している。今では失われた日本を知るためにも、格好の映画であると思う。まさに、匂い立つ佳品である。
なお、配役等は、<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 大衆が悪いと書くと、きっと怒られるから、大衆化が悪いとでも書いておこうか。大衆化が進むとものご
との純粋性が失われる。純粋性が失われると、質が落ちる。質が落ちると、質の高いものにまで悪影響を及
ぼす。ひいては、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が活きてくる。「精神の貴族」という
言葉があるが、それに近い人を見かけなくなってから久しい。もちろん、小生は大衆の一人であるが、そう
いった人を敬愛してもいる。小生自身はとても真似ができないが、小手先の技術や流行に阿ることなく、本
物を求めるお人である。きっと、そういう人は日本の現実に絶望して、身を潜めているに違いない。一部の
ものを除いて、日本全体が地盤沈下を起こしている。これを食い止めるためには、何であれ、妥協せずに少
しでも上のものを求めることしかない。これは、大衆の底上げにもつながる。下に合わせるのではなくて、
上に合わせるのである。大衆化と大衆の底上げとは全然違う。このことに多くの人が気付かないと、ガラク
タばかりが日本に蔓延ることになる。実に恐ろしいことである。


 某月某日

 またまた地獄の季節がやってきた。やるべきことが多すぎて、対応するのに四苦八苦という季節である。
入試、期末試験はもとより、講義・演習の成績評価、卒論・修論の吟味ならびに評価、卒論・修論発表会、
予算の調整、自己評価、各種委員会の総括、来年度の準備等々が、まるでテトリスのように降って来るから
である。しかも、今年度はただでさえ忙しいのに、2月の中旬には学内集中講義(哲学概論 II)までこな
さなければならない。平日は、ほとんど毎日午前様で、ほとほとまいっている。しかも、まだ二学期の講義
も終了しておらず、ノートすらできていない科目もある。しかし、何とか乗り越えてゆくことができる目途
は立った。いろいろな事柄をつらつらと思索したり、のんびりと文学作品に触れたり、絵画や音楽などの芸
術に親しんだりする時間がほしいが、今は叶わぬ夢である。おざなりの義務感からではない、本当の思索を
したいが、来年度はそんな時間を作ることができるのだろうか。こころからそれを望んでいる昨今である。


 某月某日

 早朝から久しぶりにヨハン・セバスティアン・バッハのヴァイオリン・ソナタをCDで聴いた。ヴァイオリ
ン演奏はヴォルフガング・シュナイダーハン、チェンバロ演奏はカール・リヒターである。やはりこころに
響く。全6曲であるが、とくに3曲ある短調の調べは、物悲しい音色に満ちている。ちょっと憂鬱な気分に
なるが、やや鬱の方が仕事が捗るので、ちょうどいい。実は、このCDは戴き物で、十年ほど前にある人から
「たぶんあなたに合っているのではないか」ということで貰ったものである。この人とは、それからしばら
くして音信不通になった。趣味人で、芸術のみならず生活一般に関して洗練された感覚の持主だったが、今
頃どうしているだろうか。ふと、聴きながらそんなことを思った。


 某月某日

 DVDで邦画の『武蔵野夫人』(監督:溝口健二、東宝、1951年)を観た。大岡昇平の原作を読んだのはだ
いぶ以前なので、筋書はすっかり忘れていた。ただ、小生の実家(すでに存在しない)があった東村山市周
辺の地名が、作品の中にけっこう出てきた記憶がある。もちろん、現代でいうところの「不倫問題」を扱っ
ている作品であることは覚えていたが、だいぶ古めかしい。だいいち、「不倫」や「浮気」ではなく、「姦
通」という言葉を使用しているところからいっても、若い人には馴染めないかもしれない。小生も「姦通」
などという言葉があったことを久しぶりに思い出したくらいである。さて、戦前までは刑法上の犯罪として
姦通罪が存在した。以下に、ウィキペディアの記述を引用してみよう(一部改変、もしくは、省略した)。

  日本では、1880年に布告された旧刑法(明治13年太政官布告第36号)353条に規定され、1907年に
 公布された刑法(明治40年法律第45号)183条に引き継がれた。姦通罪は必要的共犯として、夫のあ
 る妻と、その姦通の相手方である男性の双方に成立する。姦通罪は、夫を告訴権者とする親告罪とさ
 れた。また、告訴権者である夫が姦通を容認していた場合には、告訴は無効とされ罰せられないもの
 とされた。
  第二次世界大戦後、1947年に施行された日本国憲法には男女平等が定められ(14条)、姦通罪は同
 条に違反するとされた。一部には「妻のある男性にも平等に適用するように改正すれば、憲法に違反
 しない」とする意見もあったが、同年10月の刑法改正によって姦通罪は廃止された。これには、当時
 は有力者が愛人を有するのは珍しくなく、同条を男性にも適用すれば罰せられる政治家が大量に出る
 ためと揶揄する見解がある。
  イスラム圏では、姦通罪を定める国が多い。姦通罪は重罪とされ、女性が姦通罪で死刑に処せられ
 ることもある。韓国においても、姦通罪が定められている。しかし、日本の旧規定とは異なり、配偶
 者のある者には男女を問わず姦通罪が適用される。姦通罪を犯した者の配偶者が告訴権者となる親告
 罪とされ、告訴権者が姦通を慫慂 (しょうよう) 又は宥恕 (ゆうじょ) した場合には告訴することが
 できない点は、日本の旧規定と同じである。

 一夫一婦制の基本理念として、夫婦の双方が貞操を守るということは常識に属することだが、それがタテ
マエであることもまた常識であろう。自分の相手が別の異性と性的関係を結ぶことは、いわば「裏切り」と
されるが、それが人間の「本然」であることも否定できないからである。たとえば、本篇でも、主人公の秋
山道子(田中絹代)は、従弟の宮地勉(片山明彦)と肉体的な関係を結ぶことこそ避け得たが、精神的には
夫の秋山忠雄(森雅之)を裏切っている。「精神的な裏切りは許されるが、肉体的な裏切りは許されない」
という根拠はどこにあるのか。イエスの言葉を借りれば、「情欲を抱いて女(人の妻)を見る者は、もうす
でに姦淫の罪を犯している」ことになるのではないか。もちろん、道子が勉に対して「情欲」を抱いたとは
とても考えられないが、勉に対して「愛している」という言葉を吐いている以上、これは立派な「不倫」で
はないのか。二人は、一緒に出かけた村山貯水池で嵐に遭遇し、やむなく泊った宿で、危うい関係に陥る。
勉が道子に迫ったのだ。余談であるが、漱石の『行人』にも同様の設定がある。あれは、兄嫁と義弟の関係
だったか。
 勉は叫ぶ。「道ちゃんを助けたい。愛は自由なんだ。自由は力だ」、と。道子の夫である忠雄が、すでに
道子を裏切っていることを二人は知っている。隣に住む道子のこれも従兄である大野英治(山村聰)の妻で
ある大野富子(轟由起子)がその相手である。しかし、道子はそれに応えない。「道徳だけが力だ」、と。
しかも、その道徳よりも上のものがあると勉を諭すのである。道徳よりも上のものとは何か。道子によれば、
「誓い」だという。誓いさえ守れば、世間の掟に勝つと。人が不幸になるような掟はやがて敗れ去ると。自
分たちが生きているうちにはけっして達成できない誓いだと勉は反論するが、結局道子の思いを汲んで押し
留まる。この場面はキレイゴトに思えるかもしれないが、どうしてどうして、道子の信念を忖度すれば、け
っしてキレイゴトとは思えない。すでに気持の上では、勉と契りを結んでいるのだ。「こういう生き方もあ
る」といえばそれまでだが、流行り廃りとは関係のない一人の女の生き方であろう。そして、その信念が道
子に死をもたらすことになるが、観ている者に「やむなし」と感じさせるような作りになっている。
 敗戦必至となった日本を省みて語った、道子の父宮地信三郎(進藤英太郎)の台詞である、「明治の足軽
政府の向こう見ずが、今日のこの結果を生んだんだ」を始めとして、青酸カリの配給(実際、道子はこの毒
物を嚥下して亡くなっている)、勉のシンガポールからの復員、アプレ青年の無軌道ぶり、道子に託された
宮地家の死守、「パン助」という言葉など、時代を感じさせるアイテムにはこと欠かない作品であった。し
かし、即効性のある青酸カリで服毒自殺を企図した道子がかなり時間をおいて死んだことや、村山貯水池に
向かうときになぜ天気予報を調べなかったのか(あまりにも迂闊ではないのか)や、あるいは、道子を純粋
に愛しながら他の女にしなだれかかる勉など、観ていて違和感を感じさせるシーンも少なくなかった。勉が
愛する武蔵野の話も取って付けたようで、もう少し道子と勉を結ぶきっかけであってほしかった。「恋ヶ窪」
という地名が辛うじてそれに当たるが、あまりにも俗っぽい。なお、道子の道は「道徳」を意味し、富子の
富は「情念の豊かさ」を意味しているのか。また、道子が和装、富子が洋装というのも分かりやすい図式で
あった。さらに、忠雄はスタンダールの研究者という設定で、『赤と黒』の主人公であるジュリアン・ソレ
ルを木下藤吉郎に擬えているのはちょっとおかしかった。
 他に、平井岐代子(宮地民子=道子の母)、中村美那子(大野雪子=英治と富子の娘)、千石規子(大野
家の女中)、深見泰三(貝塚)、大谷伶子(孝子)、塩沢登代路(はるえ)、西田智(成田)などが出演し
ている。


 某月某日

 DVDで邦画の『小原庄助さん』(監督:清水宏、新東宝、1949年)を観た。まことに牧歌的な映画で、小
生好みの作品である。村一番の資産家で、家柄も高く、村中の連中に頼りにされている人物がいた。冒頭で、
この人物の紹介がなされている。引用してみよう。

  もし旅人が来て この村の
  旧家杉本佐平太さんの家は
  どこですか と尋ねても
  村人はすぐに返答は
  出来ないでしょう
  だがー
  小原庄助さんの家は
  どこでしょう と尋ねたら
  すぐ教えて
  くれるでしょう。

 「小原庄助さん」こと杉本佐平太(大河内傳次郎)は、人に頼まれると嫌とは言えない性格で、村人が旧
家の威勢を頼って寄付などを頼みに来ると、ほいほいと引き受けて懲りなかった。今日は野球のユニホーム、
明日はミシンと、次から次へと寄付をしていた。しかも、自分の家に来る客には必ずと言ってよいほどお茶
代わりの振舞い酒をして、自分も朝から飲んで悔いなかった。朝寝坊に加えて朝風呂も日課らしく、まさに、
「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」を地で行く生活態度だった。妻のおのぶ(風見章子)はそんな佐平太に呆
れながらも、甲斐甲斐しく夫に仕えていた。ただ、婆やのおせき(飯田蝶子)はそんな旦那に批判的で、や
きもきしていた。佐平太の常住は太平楽に見えるが、実際はそうでもない。いかな財産と雖も限りがあるか
らだ。だいいち、戦後の農地改革で、大部分の所有地を失っているはずである。だんだんと家計が傾いてゆ
き、金融屋の紺野青造(田中春男)の世話にならざるを得ないところまで来ていた。しかも、周囲との付き
合いは決して変わらない。相変わらずのお人好しである。ロバに乗って近隣の寺まで出かけ、そこの住職で
ある月岡海空和尚(清川荘司)と碁を打つことを愉しみにしている。例の借金取りが来た日も、妻にへそく
りはないかと督促する始末である。「あなたは損ばかりしているじゃないですか」という妻の思わず出た愚
痴にも、「他人よりも自分が損した方がよい。損しようにも損するものがなけりゃ、人も頼みに来ない」な
どと、暢気なことを言っている。しかも、「この頃では、頼みに来る人も減った。甘い餌が少なくなったか
らだろう」とまるで他人事である。ある日も仲人を頼まれて、妻と二人で乗合自動車に乗る。27回目の月下
氷人である。家柄がそのような務めを強いるのである。しかし、以前はもっと凄かったらしい。おせきも、
「てんてこ舞いの方が張り合いがあっていい。昔は朝から晩までお客がひっきりなしだった。いつも薦っ被
り(四斗樽)が転がっていたのに……」と呟く。そんな折、現村長が病気で倒れ、後任を選ぶことになった。
村人は佐平太を担ごうとするが、それは断り、代わりに海空和尚に出馬してもらう。しかし、実際に立候補
への応援をしたのは、相手方の吉田次郎正(日守新一)に対してだった。とぼけているのか、地なのか分か
らない佐平太である。選挙は得票数の差で吉田の勝利だったが、選挙違反のために和尚が繰り上がったらし
い。さて、いよいよ左前になった杉本家では、おせきを暇に出す。おせきの息子の幸一(川部安一)に連れ
られて泣く泣く杉本家を去るおせき。さらに、それだけに留まらなかった。家財道具一切を競売にかけたの
である。がらんとした屋敷。追い討ちをかけるように、妻のおのぶを彼女の兄の正太郎(坪井哲)が実家に
連れ帰ってしまう。文字通り屋敷以外無一物になった佐平太の家に、二人の泥棒が入る。得意の柔道で撃退
したが、結局、二人組にも酒を振舞いながら、「惜しかったな。ガラクタとはいえ、少し前ならなにがしか
の家財があったのに」と語りかける佐平太である。「若い頃は結構なご身分に生まれたと思っていたが、そ
うでもなかった。古い家には垢が溜まる。今のご時世では、家柄はもはや役に立たない遺物だな」と、自嘲
気味に話す。これまで小原庄助さんを決め込んでお茶を濁してきたが、家屋敷も失い、妻にも去られたとい
うわけである。ついに家を捨てて旅立つ佐平太。門の戸の貼り紙にこう書かれてある。

  小原庄助さん なんで身上つぶした
  朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした
  尤もだ 尤もだ

 ボストンバッグと蝙蝠傘を手に駅に急ぐ佐平太。女の影が現れた。おのぶである。重苦しい旧家を捨て、
新しい旅立ちだ。小原庄助さんは、家柄などに頼らない新生活へと旅立ったのである。ほのぼのとしたユー
モアに満ちた作品である。敗戦後の日本の新しい姿を象徴しているかのようである。主演の大河内傳次郎は、
黒澤明の作品などで見せる豪放磊落な感じは少しもなく、没落する旧家の心優しい中年親父を見事に演じ切
っていたと思う。他に、清川虹子(マーガレット中田)、杉寛(茂作老人)、宮川玲子(茂作の娘おりつ)、
鮎川浩(おりつの情夫哲男)、鳥羽陽之助(小六)、尾上桃華(古田)、石川冷(婚礼の世話人代表)など
が出演している。なお、配役等については、<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 インターネットに、1999年版のキネマ旬報「オールタイム・ベスト100」日本映画編というサイトがある。
以前からときどき参照していたが、ここに引用してみよう。このサイトは、キネマ旬報社が映画評論家、映
画製作スタッフたち140人を対象にアンケート調査をもとに選んだ日本映画ベスト100の由。なお、作品名と
監督名、および、小生が鑑賞済みか否かを挙げる。

 1位 『七人の侍』(黒澤明)          済
 2位 『浮雲』(成瀬巳喜男)          済
 3位 『飢餓海峡』(内田吐夢)         済
 3位 『東京物語』(小津安二郎)        済
 5位 『幕末太陽伝』(川島雄三)        済
 5位 『羅生門』(黒澤明)           済
 7位 『赤い殺意』(今村昌平)         済
 8位 『仁義なき戦い』(深作欣二)       済
 8位 『二十四の瞳』(木下恵介)        済
 10位 『雨月物語』(溝口健二)         済
 11位 『生きる』(黒澤明)           済
 11位 『西鶴一代女』(溝口健二)        済
 13位 『真空地帯』(山本薩夫)         済
 13位 『切腹』(小林正樹)           済
 13位 『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦)     済
 13位 『となりのトトロ』(宮崎駿)       済
 13位 『泥の河』(小栗康平)          済
 18位 『人情紙風船』(山中貞雄)        済
 18位 『無法松の一生』(稲垣浩)        済
 18位 『用心棒』(黒澤明)           済
 21位 『蒲田行進曲』(深作欣二)        済
 21位 『少年』(大島渚)            未見
 21位 『月はどっちに出ている』(崔洋一)    済
 21位 『麦秋』(小津安二郎)          済
 21位 『復讐するは我にあり』(今村昌平)    済
 26位 『家族ゲーム』(森田芳光)        済
 26位 『砂の器』(野村芳太郎)         済
 26位 『青春残酷物語』(大島渚)        済
 26位 『人間の条件』(小林正樹)        済
 26位 『また逢う日まで』(今井正)       済
 31位 『一条さゆり 濡れた欲情』(神代辰巳)  未見
 31位 『キューポラのある街』(浦山桐郎)    済
 31位 『けんかえれじい』(鈴木清順)      済
 31位 『幸せの黄色いハンカチ』(山田洋次)   済
 31位 『Shall we ダンス?』(周防正行)     済
 31位 『にっぽん昆虫記』(今村昌平)      済
 31位 『夫婦善哉』(豊田四郎)         済
 38位 『愛を乞うひと』(平山秀幸)       未見
 38位 『赫い髪の女』(神代辰巳)        済
 38位 『遠雷』(根岸吉太郎)          済
 38位 『仁義の墓場』(深作欣二)        済
 38位 『ソナチネ』(北野武)          済
 38位 『天国と地獄』(黒澤明)         済
 38位 『日本のいちばん長い日』(岡本喜八)   済
 38位 『日本の夜と霧』(大島渚)        済
 38位 『野良犬』(黒澤明)           済
 38位 『ゆきゆきて、神軍』(原一男)      済
 38位 『竜二』(川島透)            済
 49位 『安城家の舞踏会』(吉村公三郎)     未見
 49位 『おとうと』(市川崑)          済
 49位 『隠し砦の三悪人』(黒澤明)       済
 49位 『十三人の刺客』(工藤栄一)       未見
 49位 『近松物語』(溝口健二)         済
 49位 『もののけ姫』(宮崎駿)         済
 55位 『青い山脈』(今井正)          未見 *TVで観ているかもしれない。
 55位 『神々の深き欲望』(今村昌平)      済
 55位 『キッズ・リターン』(北野武)      未見
 55位 『櫻の園』(中原俊)           済
 55位 『青春の殺人者』(長谷川和彦)      済
 55位 『台風クラブ』(相米慎二)        済
 55位 『丹下左膳余話・百万両の壷』(山中貞雄) 未見
 55位 『天使のはらわた 赤い教室』(曾根中生) 未見
 55位 『楢山節考』(木下恵介)         済
 55位 『野菊のごとき君なりき』(木下恵介)   済
 55位 『宮本武蔵 五部作』(内田吐夢)     済
 55位 『竜馬暗殺』(黒木和雄)         済
 67位 『赤線地帯』(溝口健二)         済
 67位 『赤ひげ』(黒澤明)           済
 67位 『駅・STATION』(降旗康男)        済
 67位 『恋人たちは濡れた』(神代辰巳)      未見
 67位 『サード』(東陽一)           済
 67位 『細雪』(市川崑)            済
 67位 『三里塚 辺田部落』(小川紳介)      未見
 67位 『青春の蹉跌』(神代辰巳)         未見
 67位 『日本の悲劇』(木下恵介)        済
 67位 『の・ようなもの』(森田芳光)      未見
 67位 『裸の島』(新藤兼人)          済
 67位 『張込み』(野村芳太郎)         済 *『張り込み』になっていたが、訂正。
 67位 『乱れ雲』(成瀬巳喜男)         済
 67位 『約束』(斎藤耕一)           未見
 67位 『野獣死すべし』(村川透)        済 *『野獣の死すべし』になっていたが、訂正。
 82位 『愛のコリーダ』(大島渚)        済
 82位 『赤ちょうちん』(藤田敏八)       済
 82位 『赤西蠣太』(伊丹万作)         未見
 82位 『悪魔の手鞠唄』(市川崑)        済
 82位 『稲妻』(成瀬巳喜男)          済
 82位 『鴛鴦歌合戦』(マキノ正博)       未見
 82位 『お葬式』(伊丹十三)          済
 82位 『影武者』(黒澤明)           済
 82位 『火宅の人』(深作欣二)         済
 82位 『カルメン故郷に帰る』(木下恵介)    済
 82位 『きけわだつみの声』(関川秀雄)      済
 82位 『CURE』(黒沢清)          未見
 82位 『沓掛時次郎 遊侠一匹』(加藤泰)    未見
 82位 『蜘蛛巣城』(黒澤明)          済
 82位 『狂った果実』(中平康)         済
 82位 『午後の遺言状』(新藤兼人)       済
 82位 『秋刀魚の味』(小津安二郎)       済
 82位 『次郎長三国志』(マキノ雅弘)      未見
 82位 『新宿泥棒日記』(大島渚)        未見
 82位 『砂の女』(勅使河原宏)         済
 82位 『素晴らしき日曜日』(黒澤明)      済
 82位 『戦場のメリークリスマス』(大島渚)   済
 82位 『Wの悲劇』(澤井信一郎)        済
 82位 『忠次旅日記・全三部』(伊藤大輔)    未見
 82位 『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順)   済
 82位 『椿三十郎』(黒澤明)          済
 82位 『東海道四谷怪談』(中川信夫)      未見
 82位 『どついたるねん』(阪本順治)      済
 82位 『肉弾』(岡本喜八)           済
 82位 『日本春歌考』(大島渚)         済
 82位 『人間蒸発』(今村昌平)         済
 82位 『八月の濡れた砂』(藤田敏八)      済
 82位 『笛吹川』(木下恵介)          済
 82位 『豚と軍艦』(今村昌平)         済
 82位 『真昼の暗黒』(今井正)         未見
 82位 『めし』(成瀬巳喜男)          済
 82位 『酔いどれ天使』(黒澤明)        済
 82位 『私が棄てた女』(浦山桐郎)       済

 全119作品のうち、未見の作品は23作品だった。鑑賞率.807である。未見の作品はともかく、なぜ選ばれ
ているのか不思議な作品はなかったが、落選した作品や順位に関しては大いに異議がある。だいいち、「オ
ールタイム」と謳っているわりには、古めかしい作品が多く、比較的若い人には納得がいかないのではない
か。もっとも、映画の好みなんて客観性とはほど遠いところにあるので、仕方がないのだろう。全体に喜劇
映画が少なく、その点でも不満が残った。以下に、ベスト100に入れてほしかった作品を掲げておこう。

 『祇園の姉妹(きょうだい)』(監督:溝口健二、第一映画、1936年)。
 『浪華悲歌(なにわエレジー)』(監督:溝口健二、第一映画、1936年)。
 『王将』(監督:伊藤大輔、大映京都、1948年)。
 『晩春』(監督:小津安二郎、松竹大船、1949年)。
 『山びこ学校』(監督:今井正、八木プロ=日本教職員組合、1952年)。
 『お茶漬けの味』(監督:小津安二郎、松竹大船、1952年)。
 『雲ながるる果てに』(監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年)。
 『どぶ』(監督:新藤兼人、近代映画協会、1954年)。
 『大阪の宿』(監督:五所平之助、新東宝=スタジオ8プロ、1954年)。
 『警察日記』(監督:久松静児、日活、1955年)。
 『流れる』(監督:成瀬巳喜男、東宝、1956年)。
 『異母兄弟』(監督:家城巳代治、独立映画、1957年)。
 『東京暮色』(監督:小津安二郎、松竹大船、1957年)。
 『野火』(監督:市川崑、大映東京、1959年)。
 『鍵』(監督:市川崑、大映京都、1959年)。
 『浮草』(監督:小津安二郎、大映東京、1959年)。
 『女は二度生まれる』(監督:川島雄三、大映東京、1961年)。
 『雁の寺』(監督:川島雄三、大映京都、1962年)。
 『しとやかな獣(けだもの)』(監督:川島雄三、大映東京、1962年)。
 『女系家族』(監督:三隅研二、大映、1963年)。
 『陸軍残虐物語』(監督:佐藤純彌、東映東京、1963年)。
 『拝啓天皇陛下様』(監督:野村芳太郎、松竹大船、1963年)。
 『卍』(監督:増村保造、大映東京、1964年)。
 『乾いた花』(監督:篠田正浩、松竹大船、1964年)。
 『河内カルメン』(監督:鈴木清順、日活、1966年)。
 『赤い天使』(監督:増村保造、大映東京、1966年)。
 『絞死刑』(監督:大島渚、創造社=ATG、1968年)。
 『白昼堂々』(監督:野村芳太郎、松竹、1968年)。
 『どですかでん』(監督:黒澤明、四騎の会、1970年)。
 『忍ぶ川』(監督:熊井啓、東宝=俳優座、1972年)。
 『股旅』(監督:市川崑、崑プロ=ATG、1973年)。
 『祭りの準備』(監督:黒木和夫、綜映社=映画同人社=ATG、1975年)。
 『県警対組織暴力』(監督:深作欣二、東映、1975年)。
 『鬼畜』(監督:野村芳太郎、松竹、1977年)。
 『事件』(監督:野村芳太郎、松竹、1978年)。
 『曽根崎心中』(監督:増村保造、行動社=木村プロダクション=ATG、1978年)。
 『ガキ帝国』(監督:井筒和幸、プレイガイド・ジャーナル社=ATG、1981年)。
 『TATOO〔刺青〕あり』(監督:高橋伴明、国際放映=高橋プロ=ATG、1982年)。
 『さらば愛しき大地』(監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年)。
 『魚影の群れ』(監督:相米慎二、松竹、1983年)。
 『麻雀放浪記』(監督:和田誠、角川春樹事務所=東映、1984年)。
 『それから』(監督:森田芳光、東映、1985年)。
 『海と毒薬』(監督:熊井啓、「海と毒薬」製作委員会、1986年)。
 『人間の約束』(監督:吉田喜重、西部セゾングループ=テレビ朝日=キネマ東京、1986年)。
 『黒い雨』(監督:今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年)。
 『三月のライオン』(監督:矢崎仁司、矢崎仁司グループ、1991年)。
 『12人の優しい日本人』(監督:中原俊、ニューセンチュリー・プロデューサーズ=サントリー=日本
  テレビ、1991年)。
 『PiCNiC』(監督:岩井俊二、フジテレビジョン・ネットワーク=ポニーキャニオン、1995年)。
 『ラヂオの時間』(監督:三谷幸喜、フジテレビジョン=東宝、1997年)。


 某月某日

 自分のブログ(日日是労働セレクト51)を点検していたら、名前の間違いを見つけた。「西川美和」と書
くべきところを「西河美和」となっていたのである。正確に書いている箇所もあったので、きちんと覚えて
いない証拠である。この監督についてはずいぶんと感心しているので、そんなに注目している人の名前さえ
間違える自分の情けなさに辟易せざるを得ない。かつて、菊池寛は、「菊地寛」と宛名書きされた手紙には
目を通さなかったそうである。「俺ではない」というわけか。小生の名前は「武藤整司」であるが、精二、
誠治、清次、聖司……と、さまざまな表記に出くわしたことがある。ガス料金未払いの通知だったか、名前
が間違っていたので文句をつけたこともある。菊池寛同様、「俺ではない」というわけである。あるときの
表記は傑作だった。「武藤軽司」というものである。実は、「これはわざと間違えたのではないか」と、今
でも疑っている。また、人気プロレスラーの「武藤敬司」と一字違いなので、「Yahoo!」のウェブ検索で
「武藤整司」を検索すると、「武藤敬司ではありませんか?」が表示される。複雑な気持になる。「武藤整
司」と同姓同名の名前は、これまで、横浜の電話帳に一人、海上自衛隊に一人、岐阜県の公式サイトに一人
(おそらく、故人)、自主制作映画の出演者に一人、それぞれ発見している。したがって、少なくとも、小
生の他に4人の「武藤整司」さんがこの日本に存在する(存在した)はずである。小生の名前は、父親が姓
名判断を本業とする人から500円(昭和29年当時)で買ったものらしいので、字画はきっといいはずである。


 某月某日

 さて、『乾いた花』(監督:篠田正浩、松竹大船、1964年)の感想の続きを記そう。その日(高額のテラ
銭が動く土場に村木が冴子を連れてゆく日)がやってきた。冴子は、颯爽とオープン・カーに乗って来たが、
ナンバープレート(練5 わ0026)を見て少し苦笑した。「わ」ナンバーは、レンタカーの証である。
こんなところに、映画の綻びを感じるのは小生の悪い癖か。ともあれ、賭け金を惜しまないところといい、
スポーツカーを乗り回すところといい、冴子の正体はますます謎に包まれる。二人は鉄火場に案内される。
バッタ〔バッタマキの略称〕(花札で行う後先の数の和を競う博奕。「アトサキ」ともいう)が行われてい
たが、規定の時間がすぎたので、手本引きに変わる。村木は冴子が手本引きをしたことがないのではと案じ
てちょっと心配するが、どうしてどうして、胴を取った(親を受けた)冴子の捌きは堂に入っている。やが
て、村木は、冴子にじっと視線を向けている男に気付く。青い顔をして、微動だにしないその若い男は、不
気味そのものである。後で仲介人の相川に訊ねると、香港から来た中国人(映画では、「支那人」と発音さ
れていた。現在では使用できない言葉である)と日本人の混血(映画では、「あいのこ」と発音されていた。
これも同じ)で、溝口親分が横浜から拾ってきた男の由。仕込杖と自動拳銃を所持しており、それらの手練
〔てだれ〕だという。一月前に香港で二人を殺して逃げてきたらしい。相川は吐き捨てるように言う。「あ
の気味が悪い顔色をごらんよ。あれは、ヤク(麻薬)をやっている顔色だ。あいつはヤクザでも悪党でもな
い。筋の悪い素人だ」、と。村木は、葉〔よう〕(藤木孝)という名前のその男が妙に気になった。もとも
と、村木は麻薬嫌いである。冴子に、「ヤクをやる奴は卑怯だ。自分で自分を引っ張りきれねぇ奴だ」と語
る。しかし、冴子はそうではない。葉と葉が漂わす頽廃の匂いに惹かれている節がある。村木はそれを恐れ
た。事実、村木は夢を見る。葉が冴子に麻薬を注射している夢だ。村木はそれを止めようとするが、どうし
てもできない。そんな夢である。ある日、村木は、冴子がお見合いの場の主人公であるところを、ホテルで
目撃している。冴子がしかるべき階級の令嬢であることは明らかだ。自分とは明らかに違う「人種」なのに、
村木はどんどん冴子に溺れていったのである。
 ある日、例の土場ががさ入れ(警察の家宅捜索)にあった。村木は冴子を伴って旅館(土場は旅館の中に
設えられていた)の一室に逃げ籠もり、嫖客を装って難を逃れるが、そのときのシーンが面白い。村木は、
口張り(口頭で張る目を告知すること)でケッタツ(二点張り)勝負に出るが、冴子に負ける。松(一月の
札)と牡丹(六月の札)が村木の張り目だったが、冴子の選んだ札は桜(三月の札)だったからである。二
人は大笑いする。突然のがさ入れが招いた寝床の中の洒落た遊びだったからだろう。その後、村木は葉に命
を狙われる。薄気味の悪い口笛を吹きながら跡をつけてきた葉は、村木に外科用のメスを投げる。だんだん
と村木を追い詰める様子は、蛙を睨みつける蝮のようである。
 村木は、興業の件(人気歌手をキャバレーに出演させること)で船田親分(宮口精二)の厳命を受けてい
た。今井組の横槍を躱して、何とか興行を成功させろというものだった。その矢先、組員の玉木(中原功二)
が殺された。玉木の弔いに刺客を立てなければならない。礼二の他に誰も手を挙げないので、村木が買って
出る。出所したばかりだったので、さすがの船田も村木を指名できなかったが、本人が名乗り出たので渡り
に舟である。しかも、刺す相手は今井(山茶花究)本人のなので、やはり刺客を買って出た礼二では無理だ。
船田は村木に、「ハジキはよしなよ。刺してえぐっちゃえ」と言う。その直後に、船田は、生まれたばかり
の二人の赤ん坊を抱えて走る看護婦(現 看護師)に向かって、「何て乱暴なことをしやがる」と非難する。
子どもを儲けたばかりの船田ならではの台詞だが、自分の村木に対する命令は乱暴ではないのか。ともあれ、
このシーンは秀逸。
 村木は今井を殺ることになった。新子に「俺のことなど忘れて、結婚しろ」と引導を渡し、船田からは歯
を治せと言われる。服役したら、歯の治療はままならないのであろう。この辺りの設定もいい。リアリティ
がぐっと出てくる。村木は、葉に走りそうな冴子に、麻薬よりもいいものを見せてやる、と嘯く。自分が殺
人を犯す場面に立ち会わせようというのだ。これは、村木の冴子に対する愛の証でもあるのだ。「雁」とい
う名前の店に乗り込んでゆく村木。冴子をエスコートする礼二。村木は見事今井を刺し殺す。無表情な冴子
の顔が少し歪む。
 二年後、服役中の村木の目の前に、相川が現れる。何かの罪で、彼も懲役を受けたのであろう。その相川
に、村木は耳打ちされる。冴子が殺されたという。誰に? 葉に。痴情の果てだという。麻薬漬けにされた
のかもしれない。相川が冴子の身元を語ろうとしたとき、看守がそれを遮る。しかし、村木にとって、冴子
が「何者なのか」などはどうでもいいことなのである。村木はただ、冴子に飢〔かつ〕えていたのだ。
 予告篇にあった文字を写し取ってみよう。

  その男は 火口湖
  冷ややかな水の底に
  激しく 揺れ動く 火があった

  その女は からっぽの宝石箱
  日々の倦怠に 埋もれて
  激しく飢え渇く心があった

 巷では、東京オリンピックに沸いていた日本である。その日本の片隅で、平凡な日常に我慢できない一組
の男と女がいた。二人は結ばれることもなく、男は人を刺し、女は人に殺される。ただ、それだけの話であ
るが、重い題材にも拘らず、鑑賞後のこのカタルシスは一体どうしたことか。「難解」を理由に松竹の上層
部から問題視され、そのために公開の遅延を余儀なくされたのみならず、「反社会性」の廉で映倫によって
「成人映画」の指定を受けた作品である。その作品が爽やかなわけがないが、しかし、どこかに突き抜ける
ものがあった。それは、戦後日本の繁栄が虚妄であり、日常に倦怠して自ら脱線するこの男女にこそ真実が
あるからではないのか。また、非合法の博奕にこそ、弛緩した世の中を嘲笑うかのような緊張感が漂ってい
るからではないのか。それらは、一種の美学を示しており、まさに「悪の花」の乾いた美そのものなのであ
る。ありふれた極道映画におけるヤクザ者の美化にはない、約束事を守れない人々の真実がここにはある。
感傷を捨て去った後の、乾いた透明のこころが垣間見えるのである。主演の池部良は、およそこのようなタ
イプとは対蹠的な人物ばかり演じてきたらしいが、この映画で新境地を開いたと言われる。もっとも、佐藤
忠男氏によれば、『現代人』(監督:渋谷実、松竹大船、1952年)〔筆者、未見〕でアプレ青年を演じたこ
ともあり、池部良の本質にはけっこう危ないものが潜んでいるのかもしれない。その後、池部良は、この映
画の演技が認められて、東映で『昭和残侠伝』シリーズで高倉健と共演することになる。もっとも、正統派
の侠客としてではあるが……。なお、池部良は90歳を越えているが(1918年生まれ。一説には1916年生まれ)、
文筆業が中心になった現在でも、現役の俳優を自認している(ウィキペディアより)。
 なお、この映画の弱点にも触れておこう。オープン・カーがレンタカーだったことには言及済みであるが、
その他、なぜ今井を殺す際にハジキ(拳銃)ではなくドス(短刀)で刺さなければならないのか、葉は仕込
杖と自動拳銃の使い手という触れ込みのはずなのに、なぜ村木を襲ったときには外科用のメスを用いたのか、
今井が刺されたとき、なぜ周囲に用心棒がいなかったのか、それらが妙に気になった。しかし、それらを補
って余りあるシーンに満ちていた。たとえば、船田親分と安岡親分(東野英治郎)との遣り取り。古田新子
が義理の父親におもちゃにされていたらしい過去。新子が寝泊りする時計屋の時計が奏でる神経を高ぶらせ
る音。村木の棲んでいるヤサの佇まい。村木と船田、村木と相川、村木と礼二、村木と次郎、それぞれの人
間関係の妙。そして、何よりもバッタマキなどの博奕の臨場感。寒々としていながら、それでいて納得がゆ
く物語の流れ。ずばり、「傑作」の称号を贈りたいと思う。
 他に、竹脇無我(歌手)、倉田爽平(早川)、水島弘(中盆A)、玉川伊佐男(中盆B)、水島真哉(サ
ブ)などが出演している。なお、配役等については、<goo 映画>や、『日本映画300』(佐藤忠男 著、朝日
文庫、1995年)などを参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『乾いた花』(監督:篠田正浩、松竹大船、1964年)を観た。小生が私淑する映画評論家の
佐藤忠男氏が激賞していたので、以前から観たいと思っていた作品である。京都でセルDVDを発見したので、
早速購入した。佐藤氏の語り口から期待していたものをたしかに受け取ることができたと思う。なお、同名
の原作の作者は石原慎太郎であるが、それ自体は未読である。これは以前にもこのブログで書いていること
であるが、篠田監督と言えば、当該作品と併せて、『処刑の島』(監督:篠田正浩、日生プロ、1966年)、
『心中天網島』(監督:篠田正浩、表現社=ATG、1969年)、『無頼漢』(監督:篠田正浩、にんじんくら
ぶ=東宝、1970年)、『化石の森』(監督:篠田正浩、東京映画、1973年)、『桜の森の満開の下』(監督:
篠田正浩、芸苑社、1975年)、『はなれ瞽女おりん』(監督:篠田正浩、表現社、1977年)、『悪霊島』
(監督:篠田正浩、角川春樹事務所、1981年)、『瀬戸内少年野球団』(監督:篠田正浩、YOUの会=ヘラ
ルド・エース、1984年)、『少年時代』(監督:篠田正浩、藤子スタジオ=テレビ朝日=小学館=中央公論
社=旭通信社=シンエイ動画、1990年)と都合10本の作品を観ているが、実験的な映画が多いにも拘らず、
これまであまり相性のよい監督とは言えなかった。面白くないこともないが、どうにも小生の感性には鈍く
しか訴えてこなかったのである。しかし、当該作品はそうではなかった。シニカルでお洒落な映像を通して、
良質の外国映画(とくに、アメリカやフランスの広い意味でのフィルム・ノワール)の雰囲気を伝えてくれ
たのである。こんな想像は無理筋だろうが、同じ素材を、日本でお馴染みのアラン・ドロン(もしくは、ジ
ャン=ポール・ベルモンド)とブリジッド・バルドー(もしくは、カトリーヌ・ドヌーヴ)に演らせたら面
白いのではないか。日本固有の博奕であるバッタマキや手本引きをポーカーやルーレットに替えれば、十分
に成立するだろう。実際、アラン・ドロン主演の『サムライ(Le Samourai)〔末尾の《i》は、トレマ〕』
(監督:ジャン=ピエール・メルヴィル、仏、1967年)と似たような雰囲気をもっている映画だった。
 物語の流れを追ってみよう。自分がヤクザ組織にいることが巡り合せとなって、敵対する組織の人間を刺
殺した村木(池部良)という男がいる。3年の刑期(当時は、ヤクザ同士の抗争で殺人を犯した場合、その
程度の量刑にしかならなかった)を終えて東京(冒頭に上野駅周辺の雑踏が映し出される)に舞い戻ってく
る。さっそく、自分の組の土場(博打場)に顔を出す。その日ではないが、競馬場で弟分の礼二(三上真一
郎)が、村木が服役している3年の間にだいぶ情勢が変わったことを彼に伝える。村木が殺した木島が所属
していた安岡組と、村木自身の所属する船田興業が手打ちを行ったというのだ。それというのも、関西の今
井組が関東に進出してきて、互いに手を組まなければまずいことになることが目に見えていたからである。
そのため、両組織がこれまでの経緯を水に流して手を組んだ方が得策ということになった。したがって、村
木の殺人は意味を失ったことになる。しかし、村木はそんなことを気にしていない。ひたすら花を引くだけ
である。土場に珍しい客がいた。若い女である。しかも、張り方が派手で、潔いのか投げやりなのかよく分
からない。村木はその謎のような女にこころを動かす。しかし、その場はそれで済んだ。村木はその夜、昔
の女である古田新子(原知佐子)に逢う。時計屋の娘だ。肉体を重ねるが、もう昔の情熱は枯れている。新
子はまだ村木に未練があったが、村木の方ではもう終わっていたのである。ある日、村木が土場を出た後、
屋台のおでん屋で偶然謎のような女に出会い、会話を交わすことになる。冴子(加賀まりこ)という名の女
だった。冴子はその晩、おそらく3万5千円くらい(当時としては大金だろう)土場でスッタはずであるが、
そんな金額では燃えないと言う。もっと、賭け金の大きい博打場を紹介しろと言う。村木は冴子に自分と同
じような匂いを嗅ぎ取り、その願いを叶えようと申し出る。現在だったら、携帯電話の番号を知らせ合うこ
とになるのだろうが、この当時にはそんな便利なものはない。村木の住所を冴子に教えることでその場は別
れる。その後、村木は、ボーリング場で大きな土場を仕切っている溝口(平田未喜三)の子分である相川
(杉浦直樹)に逢う。客(冴子)を紹介しようというのだ。話が通った辺りで、村木を刺しにきた若い男が
いた。生前の木島に可愛がってもらっていた次郎(佐々木功)で、敵討ちのつもりである。しかし、組同士
の手打ちが済んでいるので、とんだ場外乱闘である。その後、村木の部屋に詰めた指をもって次郎がやって
くる。俺のようなチンピラが出世する糸口だったのに、どうも今回は失敗だったという台詞を吐くが、村木
はそんな次郎に憎めないものを感じる。その後、次郎の提案で、二・八(次郎が二部、村木が八部)の兄弟
分ということになる(村木は承知したのかどうか。あるいは、どうでもよかったのかもしれない)。例の冴
子が村木のヤサにやってきた。村木は冴子に「サシゴト」(二人だけで花を引くこと)を仕掛ける。そんな
気分になったのだ。そのとき、冴子は村木の過去の殺人に触れる。そのときの村木の台詞を下に記してみよ
う。正確ではないが、ご海容いただきたい。

 「あれは犯罪じゃない。もっとつまらん当たり前のこった。俺があの男を刺したのは何のためでもね
  えんだ。仁義でも、義理でも、メンツでも何でもありゃしない。この俺が、刺さなくたっていい男
  を刺したんだ。ただそれはな ー 順番だとか、回り合わせだとか、そんなもんで決まったんだ。た
  だ俺はあいつを殺りながら ー その瞬間にこうでもしなけりゃ生きられねえと思ったよ。俺がやっ
  た時、あいつは言いやがった。“おめえ、女房子供がねえな”。その時、俺は、純粋にあいつを憎
  んだ。俺は少なくともあいつを刺した時、いつもよりは生き生きとしたと思うよ」。

 村木は、そう言いながら、「人間の屑」である自分を自分で赦すと冴子に語りかけ、冴子もそれに同調す
るのである。
 さて、今日はもう遅いので、この辺でブログを閉じ、続きは明日以降ということにしたい。


 某月某日

 久しぶりにタイトル付のブログを披瀝してみよう。少し前に書いたものであるが、ちょっと感じるものが
あったので、ここに再録してみたい。考察の足りない稚拙な文章ではあるが、かなり「ホンネ」なので、で
きうれば、諸兄姉のご批判を賜りたい。

 「愛と所有」

 一度、「所有」の概念を徹底的に考えなければいけないと思っているが、今のところある程度見えている
ことは、(1)人類は共同体を形成することには肯定できても、究極的には共産主義的な考え方には同調で
きないのではないか、ということ。(2)人間が同じ人間を所有の対象にしてはいけない、ということ。こ
れは、奴隷などを指しているだけではなく、親子関係にも当て嵌まる。(3)人間が生きてゆく上で必要な
もの(衣食住、医療、宗教などの信仰を含む精神的な糧、芸術や娯楽)は、共同体がこれを保障する、とい
うこと。(4)得がたきもの(宝石などの貴重品、高い身分、臓器などの特殊なもの)に関しては、どんな
方法を用いても公平な分配は不可能なので、「所有」とは異なる概念を創出する、ということ。以上である。
 もちろん、動産や不動産の区別、土地所有の問題、金融の問題など、所有にまつわる事柄はこの世に無数
に存在するだろう。それらを一つ一つ考察してゆく必要があるが、ここではもっと気楽な問題を扱ってゆこ
う。さて、小生は、若い頃、「煙草と傘と女に関しては、おおむね共産主義がよろしかろう」などと嘯いて
いたが、今も基本路線は変わっていない。女に関しては、女性から見れば男ということになるだろうから、
異性と言い換えてもよい。もちろん、セクシャリティの問題はそんなに単純ではないから、男と女の二分法
が通じないことがあることを考慮しなければならないだろう。さて、問題を絞ろう。異性を所有するとはど
ういうことなのだろうか。
 しばしば、「おれの女」、「あたしの彼」、「わたくしどもの娘」、「僕たち兄弟の母」などという表現
を耳にするので、これらの表現はきわめてありふれたものであろう。ここで、所有について考えてみた場合、
いずれの言葉にも存在する「の」が焦点になる。たとえば、「おれの女」とは、一体どんな事態を指してい
るのだろうか。先ず、対象になっている女性が、この言葉に同意するか否かが問題になるだろう。「あたし
は、あんたの女じゃないよ」の一言で、男の思惑は崩れてしまう。つまり、男は対象の女を所有しているつ
もりかもしれないが、女の方ではそれを否定していることになる。
 そもそも、男が女を、あるいは、女が男を、所有することなど可能なのだろうか。一般的に言って、性的
な関係が生じた場合、この所有の意識が生まれることが多い。もちろん、それが錯覚であることを承知しな
がら、そう考えたいと思うのである。ある漫画で、ある男と性的な関係をもって浮かれている友人に対して、
「もうあの人を《彼》と決め付けているのはどうかなぁ。そういうのは、単に、一、二度、寝ただけの関係
って言うんじゃないの」と冷ややかに論評する女性が登場するが、小生としては、この女性を高く評価した
い。
 この冷静な女性は、人間関係に恒常性をもちこむことに根本的な懐疑の目を向けているが、その点でこの
女性の鋭さが窺えると思うからだ。たまさか一度ぐらい性的な関係を結んだだけで、女房面や亭主面を発揮
することは、相手がそれを許容している場合を除いて、極力避けなければならない事項である。たしかに、
親密度の度合は増したかもしれないが、相手に自分のすべてを譲り渡したわけではないからである。まして
いわんや、相手の所有物になったなどと考える人は、男と女を問わず、よほどおめでたい人と言わなければ
ならないだろう。もちろん、過去の封建主義が主流の世の中にあっては、女が男と初めて同衾した後、「こ
れで、あたしはあんたの女になったのね」、「もう、あたしたちは他人じゃないのね」などという台詞に意
味があっただろうが、これらの台詞は、現在でも通用しているのだろうか。
 残念ながら、通用していると思う。人は、誰かを所有したいと思うと同時に、場合によっては誰かに所有
されたいと思うからだ。つまり、二人の関係に保障を持ち込みたいのである。金銭を代償にして何かのグッ
ズを購った場合、そのグッズの占有権が売り手から買い手に移行することは、この世の約束事である。この
考えを人間関係にまで及ぼしたいのである。しかし、この場合、対象が「物言わぬ物」ならばともかく、そ
のような存在ではない人間であること忘れている。たとえば、ある服が、ある人に着られることを拒んで、
ひらひらと逃げ出すことなどあり得ないだろう。しかし、人間は、ある人と交際することを拒んで、その人
の許からすたこら逃げ出すことは大いにあり得ることである。
 それが恐いから、保障を求める。たとえば、その最たる制度が婚姻制度である。もちろん、この制度は、
単に男女の性愛を恒常的に限定させるための制度ではない。むしろ、そこから生じる、財産とか、子どもと
か、個人の生活とかの「安定」が目論まれているのだ。だから、婚姻制度は、けっして男女間の愛を保障し
ない。つまり、法律によって互いに縛りあったとしても、愛はけっして保障されないのだ。それでは、何が
それを保障するのだろうか。小生は、愛そのものから所有の観念を追放することではないか、と思っている。
言い換えれば、「おれの女」とか、「あたしの彼」などの表現から、所有のニュアンスを抹殺することであ
る。人が人を所有することなどあり得ない。それは、血を分けた自分の子どもであっても同じことである。
「おれの」や「あたしの」の「の」には、さもしい欲望が潜んでいる。「の」の力で、相手を所有しようと
しているからだ。この所有の欲望から逃れることは難しいが、挑戦する価値は十分にあると思う。
 もちろん、これまでの考察はいわば「思考実験」であって、現実の世界から乖離しているとは思う。やは
り、人は、自分流の仕方で異性を所有したいのだ。しかも、それは占有のかたちで現れる。つまり、独占的
に所有したいのである。たとえば、「不倫」とか「浮気」とかの言葉が存在しているところから見ても、そ
う言えるだろう。しかし、徹底的に男女関係から所有の観念を追放すれば、そのような言葉は原理的にあり
得なくなるのではないか。つまり、相手が子どもでない限り、行動に制限を加える権利が消滅するからであ
る。相手の行動に制限が加えられないのだから、相手がたとえ他の異性と何らかの関係をもったとしても、
それは相手の自由であり、相手の責任の範囲内のことである。むしろ、相手の愛が拡散して、息苦しさから
解放される利点さえもつと言えるかもしれない。
 愛はおしなべて重いものである。それを他の人と分かち合えば軽くなる。しかし、人は、あえて自分独り
で担おうとする。自分のパートナーが、自分以外の他の異性に現を抜かすのは、自分に魅力が欠けているか
らだ、という風に反省的な思考をする人は少ない。自分が相手にとって最高度に魅力的な人間であったとし
ても、完璧とは言えないはずである。相手が求めているものを、すべて備えている人などあり得ないからだ。
だから、ときには、「他の異性のところに行っておいで」と本気で言える人は強い人である。たとえ、相手
が帰ってこなかったとしても、それはそれでよしとする。所有の観念がないから、そうすることができるの
である。しかし、愛が消えるわけではない。依然として、相手に対する愛は不動なのだ。
 もちろん、ここに書いたことは理想論である。小生に、このように実行しろと言われても、なかなかでき
ないだろう。しかし、「所有できるのなら愛しましょう。それが無理なら愛しません」。これでは、何か愛
に不純なものが混じっている感じがして仕方がない。愛は相手の出方を待って成立するものではない。愛は、
おのれの相手に対する無償の感情なのである。したがって、もし、愛に保障を求めるならば、愛から所有の
観念を追放すべきだろう。もしそれが可能になれば、きっと清々しい愛に恵まれると思う。その愛は、何も
のにも打ち勝ち、けっして滅びることはないだろう。(了)


 某月某日

 下に、昨年の本ブログの月間アクセス数(外部からの接続)が多かったものを挙げる。相変わらず、「武
藤ゼミとはどんなゼミ?」のアクセス数が多いが、一昨年と比べるとかなり減っている。最高が7月の210だ
った。ちなみに、一昨年は10月の334だった。個別のセレクトの最高は、2月の「日日是労働セレクト21」の
175である。一昨年は、8月の「日日是労働セレクト25」の501だから、激減と言ってよいだろう。多分にマ
ニアックな傾向の強いブログだから、アクセス数の多寡は気にしないことにしている。むしろ、読んでいた
だける貴重な読者のお気に召すように努力するしかない。

 1月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 183
    日日是労働セレクト25 ……………… 144
 2月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 194
    日日是労働セレクト21 ……………… 175
 3月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 136
    日日是労働セレクト25 ……………… 148
 4月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 150
    日日是労働セレクト25 ……………… 119
 5月 武藤ゼミとはどんなゼミ? …………  84
    日日是労働セレクト25 ……………… 102
 6月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 171
    日日是労働セレクト27 ………………  85
 7月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 210
    日日是労働セレクト45 ……………… 114
 8月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 161
    日日是労働セレクト46 ……………… 114
 9月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 203
    日日是労働セレクト47 ………………  98
 10月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 202
    日日是労働セレクト48 ……………… 133
 11月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 132
    日日是労働セレクト49 ………………  95
 12月 武藤ゼミとはどんなゼミ? ………… 144
    日日是労働セレクト21 ……………… 118

 昨年、「日日是労働セレクト」は「50」を突破した。まことにお粗末なブログであるが、「日日是労働セ
レクト100」を目指して、これからもアバウトに書いていこうと思っている。お付き合いいただける方には、
たいへん感謝している。ありがとう。今年もよろしく。


 某月某日

 今日は、『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』(監督:武内英樹、「のだめカンタービレ 最終楽章」
製作委員会〔フジテレビ=講談社=アミューズ=東宝〕、2009年)の感想を記してみよう。TV版の「のだめ」
はまったく観ていないので、経緯はよく分からないが、映画だけでも十分に楽しめる内容になっている。ピ
アノに人生を賭ける(?)野田恵〔通称:のだめ〕(上野樹里)の活躍を描く漫画原作(原作者:二ノ宮知
子)の映画。千秋真一(玉木宏)との運命の出会いから、彼女の才能はどんどん花開いてゆく。現在上映中
なのでストーリーは追わないが、この前編では、むしろ千秋が中心に物語が進む。劇中のオーケストラ演奏
も聴き所で、コンサート気分が味わえること請け合いである。人生の起伏が音楽を絡めて描かれており、安
直なギャグ満載ではあるが、楽しめない人はあまりいないだろうと思わせる構成になっている。今から、後
編が愉しみである。劇中、千秋がのだめに、欧州中世の「自由七科(septem artes liberales)」のうちの
「四科(quadrivium)」に、「幾何学(geometria)」、「数論(arithmetica)」、「天文学(astronomia)」
と並んで、「音楽(musica)」が属していることを語りかけるシーンがある。いずれも、神の作った世界の
調和を知るための学問である。そして、《musicus》(音楽理論を熟知して、理性の力によって作品全体に
対して入念に音楽が判断できる人)と《cantor》(ただ音を歌ったり、演奏したりする人)の違いを説明す
る。映画の中でははっきりと示されてはいないが、この辺りで、のだめは彼我の違いを強烈に感じていたの
ではないだろうか。つまり、千秋が立派な「ムジクス(正確には、ムーシクス)」であるのに対して、自分
はただの「カントル」に過ぎないと……。とまれ、後編を待とう。他に、竹中直人(フランツ・シュトレー
ゼマン)、瑛太(峰龍太郎)、水川あさみ(三木清良)、小出恵介(奥山真澄)、ウエンツ瑛士(フランク)、
ベッキー(ターニャ)、山田優(孫Rui)、山口紗弥加(並木ゆうこ)、谷原章介(松田幸久)、なだぎ武
(テオ)、福士誠治(黒木泰則)、吉瀬美智子(エリーゼ)、伊武雅刀(峰龍見)、片桐はいり(Ruiの母
親)、マヌエル・ドンセル(シャルル・オクレール)、マンフレッド・ヴォーダルツ(シモン)、ジリ・ヴ
ァンソン(ジャン・ドナデュウ)などが出演している。


 某月某日

 感想を先送りにしていた2本の映画について記そう。1本目は『クローズZERO II』(監督:三池崇史、
「クローズZERO II」製作委員会〔TBS=トライストーン・エンタテインメント=東宝=MBS=秋田書店=CBC=
ハピネット=S・D・P〕、2009年)である。簡単明瞭、単純明快という感じのストーリー。鈴蘭高校をほぼ
手中に収めた滝谷源治(小栗旬)が、新たな敵である鳳仙学園と戦うという物語。前作を観ていれば、流れ
は必然。前作で倒した芹沢多摩雄(山田孝之)が、今回は源治の味方につく。鳳仙側の大将は鳴海大我(金
子ノブアキ)。最後に源治とのタイマン勝負に敗れる。漆原凌(綾野剛)と芹沢との対決の他、見所満載で
ある。源治と劉生会滝谷組の組長である父の滝谷英雄(岸谷五朗)との遣り取りがあるが、英雄は暴走しが
ちな源治の壁になって強い父親を演じている。とくに、拳銃で撃たれたために死線を彷徨うことになった後
の英雄の態度が興味深い。源治と逢沢ルカ(黒木メイサ)との遣り取りや、G.P.S(GENJI PERFECT SEIHA)
の幹部である牧瀬隆史(高橋努)の恋の行方なども、適度な箸休めにはなっていたと思う。その他、阿部進
之介(川西昇=以前に鈴蘭高校と鳳仙学園との抗争の際、鳳仙の美藤真喜雄〔山口祥行〕を刺殺して少年院
送りになった元鈴蘭校生。その後両校は休戦中だったが、彼の出所がきっかけで再び抗争勃発。その後、矢
崎組組員の指嗾によって滝谷英雄に向けて発砲)、高岡蒼甫(伊崎瞬=G.P.Sの幹部。敵将の一人的場とタイ
マンを張る。通称、金狼)、鈴之助(田村忠太=G.P.Sの幹部、次郎長一家の小政みたいなタイプ)、桐谷
健太(辰川時生=芹沢軍団のナンバー2)、遠藤要(戸梶勇次=芹沢軍団の頭脳。伊崎のライヴァル)、伊
崎右典(三上学=極悪ツインズ1号)、伊崎央登(三上豪=極悪ツインズ2号)、遠藤憲一(早秋一家矢崎
組組長矢崎丈治)、やべきょうすけ(片桐拳=元矢崎組組員、源治の理解者。この人も鈴蘭高校OB)、深水
元基(林田恵=鈴蘭高校の実力ナンバー1、源治は林田の通称であるリンダマンを倒さなければ真の鈴蘭制
覇にはならないというわけで、何度か源治と戦うことを余儀なくされる)、上地雄輔(筒本将治=鳳仙の漆
原により重傷を負う芹沢の後輩)、阿部亮平(的場闘志=鳳仙の三年生。猪突猛進型のファイター。伊崎に
敗れる)、大口兼悟(熊切力哉=鳳仙の三年生。通称、地獄のテディベア)、蕨野友也(芝山隼人=鳳仙の
三年生。戸梶に倒された模様)、浪岡一起(鷲尾郷太=鈴蘭から鳳仙に転校した二年生。向う気だけは強い)、
松重豊(ルカが歌うライブハウスの店員の牛山)、三浦春馬(美藤竜也=鳳仙の一年生。美藤真喜雄の弟で、
一年生にして幹部)などが出演している。なお、各種の情報についてはウィキペデイアを参照した。天下の
三池崇史が監督を務め、小栗旬はもちろん、山田孝之、高橋努、浪岡一起、黒木メイサなどの魅力的な若手
俳優がスクリーンの中を縦横無尽に躍動し、岸谷五朗や遠藤憲一が脇を固めるのだから、面白くないはずが
ない。ただし、この作品に瑕瑾があるとすれば、ヴェテラン女優が一人も絡んでいない点であろう。
 2本目は『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』(監督:武内英樹、「のだめカンタービレ 最終楽章」
製作委員会〔フジテレビ=講談社=アミューズ=東宝〕、2009年)である。しかし、今日はもう遅いので、
感想は再び後日に持ち越したい。


 某月某日

 DVDで、TVドラマの『私は貝になりたい』(脚本:橋本忍、ラジオ東京テレビ〔現 TBS〕、1958年〔昭和
33年〕10月31日放送)を観た。実は、同名の邦画作品『私は貝になりたい』(監督:橋本忍、東宝、1959年)
〔筆者、未見〕と誤認して購入したDVDだったが、こちらの方も観たかったので、映画の方は後日に観る機
会もあるだろうと思って自らを慰めている。さて、作品自体は当時としては異例の傑作で、多くの視聴者を
感動させたと言われている。もちろん、TV創成期であるゆえの稚拙さもあったが、今観ても十分に鑑賞に堪
えられる作品であると思う。ドラマの筋は比較的単純で、戦時中に上官の命令で捕虜を殺害した(実際には、
銃剣で腕を突いただけ)という容疑で死刑にされる青年の物語である。いわゆる「BC級戦犯」の悲劇を扱
ったドラマで、もし本当にこういう話があったとすれば、かなり理不尽なことだと思う。実際、『顔のない
国 戦後の虚妄と国の品位喪失を問う』(飯田進 著、不二出版、2001年)には、石垣島の陸戦隊の兵士たち
(上官の命令で捕虜を刺突した兵士の中には、数日前に徴募に応じてきた17歳の島の少年兵もいたとの由)
の悲劇が描かれている。共同正犯として、極刑に問われた者の気持はいかばかりであったか。このドラマの
主人公である清水豊松(フランキー堺)も、本人の意志とは関係なく、絶対的であった上官の命令に従った
だけである。しかも、捕虜を殺したわけでもないのに死刑にされるとは、まさか夢にも思わなかったことで
あろう。このドラマはリメイクされているし(1994年、豊松の役は所ジョージ)、映画版のリメイク(2008
年、豊松の役は中居正広)もある〔両者共に、筆者未見〕。したがって、まだ単純な感想しか抱いていない
が、ゆっくり検討してみるに値する作品であると思う。なお、作品そのものは、元陸軍中尉・加藤哲太郎の
手記「狂える戦犯死刑囚」の遺言部分が元になっているが、物語自体は橋本の創作であるとの由。理不尽な
戦争は数え切れない理不尽な不幸を生んだことであろう。戦争を知らない世代であるわれわれは、せいぜい
想像力を働かせて、二度と戦争の悲劇を繰り返してはならないと思う。他に、桜むつ子(清水房江=豊松の
妻)、平山清(清水健一=豊松と房江の息子)、高田敏江(房江の妹)、佐分利信(矢野中部軍司令官)、
大森義夫(参謀)、原保美(司令部将校)、南原伸二〔南原宏治〕(日高大尉)、清村耕次(木村軍曹)、
熊倉一雄(滝田二等兵)、小松方正(下士官)、内藤武敏(同房の大西死刑囚)、恩田清二郎(少佐)、浅
野進治郎(少尉)、増田順二(赤紙〔召集令状〕の配達人)、坂本武(近所の仲間)、十朱久雄(同)、垂
水悟郎(同)、河野秋武(小宮教誨師)、田中明夫(日系人通訳)、ジョージ・A・ファーネス(弁護人)、
佐野浅夫(戦犯被告・西沢)、織本順吉(BC級戦犯の一人)、梶哲也(刑事)などが出演している。最後
になったが、豊松は高知県幡多郡清水の理髪師(当時は、床屋)で、「よさこい節」を上手に歌う陽気な青
年という設定である。もっとも、一人前になる前に相当の苦労をしたようなので、生まれ変わったら「貝」
になりたいと呟く前に、「お金持の一人息子」になりたいと教誨師の小宮に漏らしている。さもありなん、
といったところか。なお、配役等の情報については、ウィキペディアを参照した。


 某月某日

 年末に1本(DVD)、年始に1本(劇場)邦画を観たのでご報告。1本目は『クローズZERO II』(監督:
三池崇史、「クローズZERO II」製作委員会〔TBS=トライストーン・エンタテインメント=東宝=MBS=秋
田書店=CBC=ハピネット=S・D・P〕、2009年)である。2本目は『のだめカンタービレ 最終楽章前編』
(監督:武内英樹、「のだめカンタービレ 最終楽章」製作委員会〔フジテレビ=講談社=アミューズ=東
宝〕、2009年)である。どちらも話題作だけあって、とても面白かった。今日は時間がないので、感想につ
いては後日記そうと思う。年末に鑑賞した邦画を1本追加したので、これで、昨年観た邦画は、上半期61本、
下半期100本の合計161本ということになった。なお、評価対象に『クローズZERO II』が加わったわけだが、
ベストテンの順位の入替にまでには至らなかった。今年は、200本の邦画を観たいと思っている。まぁ、ち
ょっと無理か。

                                                  
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