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日日是労働セレクト40
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第40弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト40」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することはご法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。なお、ご感想は、muto@cc.kochi-u.ac.jp までお寄せ
下さい。


 某月某日

 環境問題に関して憂えている人は多いでしょうが、以下の文献に接すると、とても悲しくなります。こ
こに書かれていることが本当ならば、人間の業の深さに溜息を吐くしかありません。

 『いつか秘境で 柳生一彦の冒険稼業』、田中正悟 著、澪標、2006年、23頁(一部、改変)。

  「生き物の棲めない環境を、いまも人間がつくっているのだと思います。森林が焼畑や伐採で
   消えていきます。一方で、日本の大手の住宅メーカーが、アジアの森林地帯にユーカリの木
   を植林して、それをテレビでも宣伝していますね。ユーカリは燃料になるし、ログハウスの
   資材にもなってすぐお金になるから植えている。本来生えていたラワンなどは植えない。で
   もユーカリは猛毒の木で、生物は昆虫も鳥も哺乳類も爬虫類も両生類もみんな死にます。雑
   草さえ生えないような木ばかり植えて、何が植林だって思うでしょ? ジャングルの生き物
   はどんどん死んでいます。それを十分知ってやっている」。

  「国際的保護団体は、寄付で成り立っている組織だから、大口の寄付先は取り締まることがで
   きません。マダガスカル島のなかでも、一番派手に金を使って遊んでいるのが、そういう自
   然保護団体の連中です。彼らが山に別荘を建て、その周囲にわざわざユーカリを植えている。
   それは虫除けのためなんです。土壌から影響を受けて、微生物も死にますから、昆虫も生き
   られない。こいつらが、パンダマークつけて、動物保護の寄付金で毎日ディスコ通いの贅沢
   をしている。ペット業界なんかは、大きな額の寄付なんかできないから、いつも狙い打ちさ
   れていますよ」。

 ユーカリといえば、オーストラリアに生息するあの愛らしいコアラがその葉を食べることで有名ですが、
上で書かれているように、芳しくない特性もあるようです。われわれ人間には、耳障りの悪い事柄を聞き
たがらない傾向がありますが、それは悪い癖なのです。「よくないことはよくない」としっかり意識しな
ければいけない時期に来ているのではないでしょうか。そうしなければ、地球に棲んでいる資格を失いか
ねません。


 某月某日

 最近、KY(空気読めよ→空気読めない)という言葉が流行しているが、これは一種のファシズムである。
小生としては、読めなくていいし、読む必要もない、という極論を対峙させたいとまで考えている。だい
いち、別の人格同士が、こころから理解し合えることは、ほとんど不可能だと思う。その分かり合えない
者同士が、何とかして分かり合おうとするためには、こころを尽くし、思いを尽くし、言葉を尽くして、
はじめてスタートラインにつけるのではないだろうか。たしかに、小生は、言葉の行き違いから、とても
大切な人を喪った経験があるが、その貴重な経験すら、小生の人生の糧になったのかどうか、怪しいと思
っている。したがって、言葉が当てにならないという点に関しては、多くの人と同様の見解である。しか
しながら、その頼りない言葉に頼らないで、どんな途が展けるのだろうか。小生には疑問である。また、
空気を読む行為を、小生自身が企てていないわけではない。しかし、それは所詮、当て推量にすぎない。
仮にそれが的を射たとしても、僥倖の部類に属することだろう。「分らないということが、辛うじて分る
のでは」という禅問答のような答えが、今のところ言い得る唯一の言葉である。釈迦と迦葉の間に生まれ
た「拈華微笑」や、いわゆる「阿吽の呼吸」が立ち現れるのは、凡人にとっては千載一遇のことである。
しかも、それは、互いに何度も傷つけ合った後のことではないだろうか。人と寄り添うためには、全人格
を賭けなければならない。それ以外の交流は、ただのおつきあいである。口幅ったいことを語ってしまっ
た。しかも、熟考の末の言葉ではもちろんない。あくまで、感想めいた戯言である。ただ、ある行為の意
味を求めた場合、当の本人にもよく分らない場合があるようだ。少なくとも、小生にはそういうことが稀
ではない。もしかすると、すべてが空回りの連続で成り立っているかもしれない。それでもいいと開き直
るつもりはないが、分ったつもりになることだけは避けたいと思う。


 某月某日

 雑用に次ぐ雑用に暮れる毎日が続く。今月はもう終わりに近づいたというのに、何もしていないような
情けなさが湧いてくる。映画も観ていないし、仕事以外で活字を目にすることもあまりないし、とにかく
忙しいのは仕方がないけれど、充実感が伴わないのはちょっとまずい。きっと、中心にこなしている仕事
が創造的なものではないからだろうが、もっと仕事を楽しもうと思う。そうしなければ、その質が落ちて
しまうからだ。
 ところで、本日、倫理学演習 II が終了した。今期は15回フルに開講したが、それはテキストを了らせ
るためだった。テキストは、J.S.Mill, On Liberty, 1859.(『自由論』)である。2003(平成15)年度
から読み始めて、6年かかって読み終えたわけである。演習数では12期150回以上(おそらく169回=11×
14+15)にのぼる。多少とも、感慨深いものがある。その間、多くのゼミ生のお世話になった。この場を
借りてお礼したい。


 某月某日

 仕事が山積しているので、休日出勤である。学生のリポートなどを読んでいるが、できのよいリポート
に出会うと、思わず小躍りしてしまう。年配の人の中には、「若い人は何を考えているのか分からない」
と愚痴を漏らす人も見受けられるが、ちゃんと考えていると思う。ただ、それを表現するのに少し臆病な
だけである。仕事柄、小生はそういった若い人の声を聴くことができるので、むしろ若い人こそいろいろ
考えていることが分かる。年配の人はどうしても保守的になって、自分の歩んで来た道筋だけが正しいと
考えがちである。そして、自分の考えを若い人に押し付けていることに気づかない。これは不幸なことで
ある。小生は、若い人の斬新な考えに触れることによって、いつでも若返ることができると思っている。
そうしないと、仕事に支障を来たすのではないか。小生は何事かを教える立場ではあるが、却って若い人
に教えられることの方が多い。とても感謝している。


 某月某日

 保留していた邦画の感想を述べておこう。『西鶴一代女』(監督:溝口健二、新東宝=児井プロ、1952
年)という作品である。お春(田中絹代)という女の一代記で、波乱万丈の生涯が描かれている。齢(よ
わい)五十の惣嫁(街娼)であるお春が冒頭に登場する。旅の者に「化け猫」と罵られ、傷ついたこころ
を抱えて羅漢堂に迷い込む。そこに居並ぶ羅漢の顔に、かつて関係のあった何人かの男の面影を見出す。
舞台は一気に遡って、若かりし頃のお春の話になる。御所勤めのお春に、公家の使用人である勝之介(三
船敏郎)が懸想する。しかし、それは不義密通に相当する振る舞いで、お春とその両親は洛外追放、勝之
介は斬首刑に処せられる。女の幸せは「真実の想い」に裏付けられた男と暮らしてこそ、と口説く勝之介
の心情は純粋だったが、いかんせん時代が悪かった。勝之介がいよいよ処刑されるとき、「身分などとい
うものがなくなって、誰でも自由に恋のできる世の中が来ますように」と願うものの、現代人にはやや滑
稽に映る。次にこのお春に目を付けたのは、松平清隆(近衛敏明)の家臣である磯部弥太衛門(小川虎之
助)であった。城主が側室として望む条件をすべて揃えていたからであった。奥方(山根寿子)に子ども
がおらず、お家断絶の危機にあった松平三万石のお部屋様になったお春は、見事お世継を産む。しかし、
彼女は周囲から冷遇されて、結局実家に帰される。嫡子さえ得られれば、もうその腹に用事はないのであ
る。娘の出世を当て込んでいた父新左衛門(菅井一郎)と母とも(松浦築枝)は、娘の里帰りに失望し、
島原の廓に売り渡すのであった。花魁となったお春の生涯は、この時点で先が見えてくる。廓の生活には
馴染まず、金銭的には潔癖なお春を面白く思って、身受けしようとする田舎大尽(柳永二郎)が現われた
こともあった。しかし、この男は贋金遣いで、その話も立ち消え、笹屋嘉兵衛(進藤英太郎)の店の住み
込み女中となった。最初のうちは、女房のお和佐(沢村貞子)の信頼を勝ち得るが、花魁だった過去がば
れ、追い出されてしまう。しかし、実家に帰ったお春に朗報が舞い込んだ。前身を承知で女房にしたいと
いう人物が現われたのである。扇屋弥吉(宇野重吉)という商人だった。束の間の幸せをつかんだお春だ
ったが、好事魔多し。夫が物取りに出会って殺害されたのである。あとの展開は割愛するが、どんどん転
落して行って、最後は惣嫁である。しかし、お春はめげない。やがて、宗教的な悟りの境地に入るのであ
る。井原西鶴の原作を、依田義賢が丁寧に脚色している。さして新味のある話ではないが、登場人物にそ
れぞれ個性があって、それなりに楽しめる作品に仕上がっている。他に、清水将夫(菊小路)、毛利菊枝
(老尼妙海)、大泉滉(番頭文吉)、三島雅夫(菱屋太三郎)、菱屋太三郎(加東大介)などが出演して
いる。なお、配役等に関しては、<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 今日は母親の祥月命日である。2004年に亡くなったので、5年の月日が流れたわけである。その間いろ
いろなことがあったが、母親の信条や生活ぶり、あるいは小生との関係を思い返してみると、生前彼女に
助けられたことが随分あったことが思い返される。八方美人というあまり芳しくない性格が散見できたが、
それもご愛嬌で、人には好かれた方だと思う。小生がジェンダー問題に興味を抱くようになった理由のひ
とつに、母親のあり方が影響していることは明らかである。どの点から見ても母親より見劣りする父親に
仕えていた彼女のあり方に、子どものころから疑問をもっていたからである。今ならば、「共依存」とい
う概念が当て嵌まるかもしれないが、そんな関係にあった両親に嫌悪感を抱いていたことも事実である。
母親が亡くなり、父親が逝ってしまった現在、そんな心の澱もだいぶ澄んできたが、個人的な体験を材料
にして、夫婦、親子、兄弟、家族について、まだまだ考えることは一杯ある。


 某月某日

 あれは小学校5年生の頃だったか、小生は合唱部に入っていた。幼い頃から歌を歌うことが大好きで、
当然の選択だった。でも、練習中、自分の声が浮いていることに気付いた。つまり、「音痴」であること
が分かったのである。それでも、しぶとく音楽に拘っていたけれど、今度は声変わりで大ショック。ボー
イ・ソプラノが台無し。この頃、ウィーン少年合唱団に憧れていた(笑わないでください!)小生は、な
ぜオーストリア人に生まれなかったか、ほんとにがっかりしていた。
 そういうわけで、中学校に入ったとき、選んだクラブはブラスバンド部だった。たぶん、楽器で何とか
しようと思ったのだろう。当時好意を寄せていた人も同じクラブだった。彼女はピッコロ、小生はトロン
ボーンとチューバ。ある日、遅い時間に一緒に練習していて、ふと二人だけであることに気付き、ちょっ
とドキドキしたことを覚えている。あのときは、もっと自分が上手だったらいいな、と悲しんだものであ
る。つまり、楽器も駄目ということ。高校時代、ギター(もっとも、ちゃんとは弾けない)でも、20曲位
作ったことがあるけれど、今思うと、まったく才能はない。
 それでも、小生は、TV番組でピアノを弾いたことがある。幼稚園の頃だけれど。その頃はオルガンを習
っており、ピアノに移るとき、周りに男の子がいなくなって、急に恥ずかしくなってやめてしまった。続
けていても、無駄だっただろうけれど。そして、高校生の頃、弟がハード・ロックに嵌ったので、小生の
出番は完全になくなった。音楽に対する決定的な挫折を経験したのである。
 美術に関しては、もっと悲惨である。あれは小学校4年生のときだと思うけれど、宿題として「写生」
が課せられた。それで、何か描き始めたのだけれど、全然駄目で、仕舞にはグジャグジャになった。そこ
で、「火星の想像図」と題して提出した。最悪である。それでも、6年生のときに彫った版画は東京都知
事賞を戴いて、何とニューヨークに送られた。生涯唯一ではあるが、小生の「藝術」作品が認められたわ
けである。あの作品はどうなったのだろうか? しかし、所詮、芸術的センスゼロには変わりない。
 そこで、小生の向かった先は文学である。詩と小説、これで何とかしようと思った。小生の詩は、自分
で言うのも何だけれど、ヘタクソの典型。それでも書いているのは、いつか一篇でもいいから、ほんとに
素敵な作品ができないかな、と思っているからである。小説の方はと言うと、これも駄目。ストーリー・
テリングの才能がまったくない。思いつく筋書は陳腐そのもの。まったく、八方塞がりである。トーマス・
マンの『トニオ・クレーゲル』の気持がよく分かる。普通の社会人にもなれない、かといって芸術家には
なおさらなれない。せいぜい、ディレッタントにしかなれないのである。でも、まぁ、いいだろう。パン
クの追っかけやって、踊るくらいが小生に似合ってるのだから。


 某月某日

 小生の周囲で、たくさんの人の悲鳴が聞こえる。どうすればいいのか、さっぱり分からない。何もして
あげられない。完全なる無力。餓えて死にそうなら、食べものを与えればよいだろう。しかし、問題はそ
んなに単純じゃない。レヴィナスという人は、人から助けを求める目を向けられたときには、必ず助けな
ければならない、と語った。顔と目がすべてを語るからだ。その人との関係の深さを問わない愛の行為。
無償の行為。条件のない行為。もしそんな仕事があったなら、それこそ人間としてやるべきことなのだろ
う。しかし、動けない。小生の腰はずっしりと重いままなのである。
 ドストエフスキーの『白痴』に登場するムイシュキン公爵のような人がいたら、小生は完全にまいって
しまうだろう。この人は徹底的に純粋な人だから、おそらく生きてゆくことが難しいはずである。もちろ
ん、生きてゆくことが難しい人はたくさんいるが、助けてあげたいと思わせる人は非常に少ない。いった
い何がそれを決めるのだろうか。そもそも、人のために何かをしてあげたいと思う心とは何だろうか。そ
んなことは、ひたすら傲慢なことではないのか。まったく、邪心のない行為などこの世に存在するのか。
 イエスは、「汝の隣人を汝と同じように愛せ」と言った。「汝と同じように」がポイントである。ここ
には、一切無差別の愛がある。しかし、イエスの言葉を実践できる人は多くはない。小生は、イエスの真
似をしようとする人を「キリスト者」と呼びたいが、はたして真のキリスト者がこの世に何人いるのだろ
うか。人を見捨てて生きる悲しさと、人を助けて死ぬ悲しさを比べることなどできはしない。ここに、人
間の苦悩がある。
 できないのならば、エゴイズムに徹すればよい。ただし、エゴを取るのならば、一切の甘えは許されな
い。お前は自分だけを選び取ったのだから。しかし、エゴイズムには逆説が潜んでいる。エゴに徹するた
めには、周囲も自分の都合よく按配されていなければならないからだ。そのためには、却って利他的な行
いをする必要が生じる。その方が結局自分にとってよい状況を作れるからだ。だから、巧妙なエゴイスト
は、他者に優しい。自分のために、自分ひとりのために、他者に優しいのだ。もちろん、小生も拙劣なが
らエゴイストである。しかし、これでも問題は半分も片付いていないのである
 さて、どうするか。結論はこうである。何もしてあげない。自分で何とかしろと突き放す。これが一番
いい方法ではないか。最近の言葉で言えば、「自己責任」だ。しかし、しかしだ。これでは、ワイマール
憲法の精神が泣く。「生存権」という最低の権利をボソッと語った奴らはきっと偉い。日本国憲法でも、
第25条第1項が生存権の根拠となっている。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
を有する」だ。私的な力は弱い。弱すぎる。だから、人間同士協力する必要がある。ちょっとだけ、エゴ
に休暇を与えるのだ。でも、フリー・ライダーも駄目だ。努力をしないで無賃乗車を最初から目論むこと
は、自分を卑しめることだ。《INDEPENDENCE》……こいつが根底にある協力体制が大事。武士は相身互い
なのだ。


 某月某日

 DVDで邦画の『西鶴一代女』(監督:溝口健二、新東宝=児井プロ、1952年)を観た。今年初めての映画
鑑賞である。今日はもう遅いので、感想は明日以降に。


 某月某日

 今年に入ってから、1本も映画を観ていない。人間の頭には許容量というのがあって、今は食傷気味な
のだろう。そのうちまた飢えてきて、映画三昧になるかもしれない。小生はエンジンに火が点くまでとて
も時間がかかるタイプだが、一度火が点くと持続力はある方だと思う。去年は「性愛」がテーマの映画を
よく観たが、今年は「任侠」映画を中心に観たいと思っている。ただし、思索のテーマは「富」である。
とくに、アダム・スミスを代表とする考え方を吟味したいと考えている。言い換えれば、アングロ・サク
ソン族の席捲に疑問を呈したいのである。蟷螂の斧は承知である。真面目に生きようとしている人間を腐
らせるシステムに、何とかして一矢報いたいと思う。当たり前と多くの人が思っていること、それを疑問
視したい。多数者の暴虐を見逃してはいけないと思う。


 某月某日

 いわゆる本日まで「松の内」で、この日に七種粥を食べると一年中無病息災でいられるという民間信仰
があるが、生協には「七種粥」のメニューはなかった。したがって、今年も食べ損なったわけであるが、
まぁ仕方がない。母親が、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これ
ぞ七草」と口ずさんでいたのをよく覚えている。楽しそうだったからだろう。今年こそはダイエットをし
ようと思っている。メタボ、メタボと言われるのが癪だからである。野菜、豆腐、納豆、小魚、海草、牛
乳などを中心にした食事にしたいが、粥なんてのもいいかも。しかし、年中腹が空いているだろうな。

                                                 
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