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無印良品映画の頁(2)
日日是労働セレクト30
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第30弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト30」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 日本の映画産業が斜陽化してから(1960年代後半から1970年代前半にかけて)、劇場用映画の製作者た
ちが活路を見出したテーマは「性」と「暴力」である。このテーマをかつてお茶の間の中央に鎮座したテ
レヴィでは扱いかねたからであるが、その隙間を埋めるようにさまざまな可能性が追求された。たとえば、
いわゆる「性的倒錯」に関わることは健全な市民のなすべきことではないという保守的な考えが、だんだ
んと打破されていった。たとえ自分は性的にはノーマルな人間であっても、アブノーマルなものを避けず
にむしろそれらに理解を示すべきだ、と考える人が多くなったのである。SM、緊縛プレイ、ニューハー
フ、ホモセクシャル、レズビアン、獣姦、スカトロジー……興味のない人にはひたすら嫌悪感しかもたら
さないような対象が、たとえ市民権を得るところまではいかなくとも、少なくとも人間の可能性の産物と
して把捉され始めたのである。したがって、映画は、改めて日常を超える現象を常に追いかけるための道
具となり、平凡で退屈な日常に風穴を開ける装置になったのである。今日もまた、それらの装置について、
一言なりとも語りたいと思う。
 さて、DVDで5本の邦画を観たので、ご報告。1本目は『団鬼六 縄化粧』(監督:西村昭五郎、日活、
1978年)である。原作は『肉体の賭け』という題名の作品だそうであるが、小生はそれを読んでいないば
かりか、そのような作品の存在することすら知らないので、原作がどれくらい映画に活かされているのか
は分らない。ただ、主演の谷ナオミ(石野加奈子)は一時代を築いた「緊縛の女王」であり、団鬼六との
相性もよかったのではないか。この作品自体は、「犬」になることを強要されることによって、被虐的な
悦びを得ることが追及されており、必ずしも緊縛が重要視されているわけではない。他に、中島葵(滝田
友江)、山田克朗(石野英一郎)、高橋明(滝田伊作)、日夏たより(滝田の助手)が出演している。
 2本目は『最も危険な遊戯』(監督:村川透、東映セントラル・フィルム=東映芸能ビデオ、1978年)
である。村川透=松田優作の名コンビが躍動するアクション映画であるが、この作品に限って言えば、中
途半端な出来に留まっていると思う。この後、同工異曲の『殺人遊戯』(監督:村川透、東映セントラル・
フィルム、1978年)、『処刑遊戯』(監督:村川透、東映セントラル・フィルム、1979年)が製作されて
いるが、後者2作は映画館で観ているような気がする。出演者を記しておこう。松田優作(鳴海昌平)、
田坂圭子(田坂杏子)、荒木一郎(桂木彰警部)、内田朝雄(小日向兵衛)、草野大悟(土橋卓)、見明
凡太朗(足立精四郎)、市地洋子(綾乃)、名和宏(居郷忠司)、入江正徳(南条信隆)、片桐竜次(植
田)、山西道広(梶井)、榎木兵衛(麻雀屋の男A)、石橋蓮司(麻雀屋の男B)、苅谷俊介(石崎)、
大前均(刑事A)、阿藤海[現 阿藤快](刑事B)、団巌(南条のガードマンA)、原田力(南条のガ
ードマンB)、岡本麗(ストリッパー)などである。
 3本目は『殴者(なぐりもの)』(監督:須永秀明、ドリームステージピクチャーズ=アーティストハ
ウス、2005年)である。初期の明治時代を背景にした、異色の時代劇である。K?1やプライドなどの格
闘技を上手に溶かし込んで成功している作品ではあるが、筋は見え見えなので、もう少し捻りを入れても
よかったのではないかと思う。少し、惜しい。出演者を挙げておこう。玉木宏(暗雷)、陣内孝則(ピス
トル愛次郎)、水川あさみ(月音)、虎牙光揮(殴者のひとり)、篠井英介(皮舌)、山田明郷(黒田浅
左右衛門)、クリスチャン・ストームズ(ヴィンセント)、田中要次(暗雷の父)、桜庭和志(殴者のひ
とり)、ヴァンダレイ・シウバ(殴者のひとり)、クイントン・ランペイジ・ジャクソン(殴者のひとり)、
ドン・フライ(殴者のひとり)などである。
 4本目は『錆びたナイフ』(監督:舛田利雄、日活、1958年)である。おそらく、テレヴィで観ている
と思うが、まったく記憶している場面がなかった。あるいは、初見かもしれない。筋は追わないが、それ
なりに面白い内容だった。日活アクション全盛の頃の作品で、当時としては、いわゆる「純情な不良」に
扮した裕次郎が格好よく見えたに違いない。なお、小生としては、この題名は映画よりも歌謡曲の方の印
象が強い。出演者を書き留めておこう。石原裕次郎(橘行彦)、小林旭(寺田誠)、宍戸錠(島原)、北
原三枝(西田啓子)、白木マリ(由利)、安井昌二(狩田検事)、河上信夫(加納刑事)、高原駿雄(高
石刑事)、杉浦直樹(勝又清次)、清水将夫(間野真吾)、弘松三郎(間野明=真吾の息子)、天路圭子
(陽子)、渡のり子(玉枝)などである。
 5本目は『張り込み』(監督:篠原哲雄、シネロケット=日本トラステック、2000年)である。上記4
作は「まあまあの出来」の作品であるが、この作品は「傑作」と言ってもよいだろう。似たような題名の
作品に『張込み』(監督:野村芳太郎、松竹大船、1957年)があるが、両者を観比べれば、およそ結構の
異なる映画であることが分る。つまり、40年ほどの歳月が過ぎ去ってみると、よほど変わった設定を施さ
なければ映画にならない時代に突入したということである。なお、この映画は《Lovecinema COLLECTION》
の Vol.4に当る。平凡な家庭の主婦である一宮スミレ(若林しほ)の住んでいる団地に、ある日「刑事」
と称する吉岡タスク(小市慢太郎)が訪ねて来る。向かいの団地に爆弾魔が潜伏しているので、「張り込
みをさせてくれ」と言うのである。しぶしぶ承知したスミレだったが、どうもこの刑事の様子がおかしい。
卑猥な話題を平気で口にするし、勤務中なのにビールを要求したりするからである。だいいち、刑事は二
人組で行動するのが常ではないのか。その点を追及すると、一人で張り込まなければならないのは、予算
の都合であると言う。もっともらしいが、どうもおかしい。そうこうするうちに夜になるが、一向に帰る
様子がない。実は、張り込みは方便で、スミレが以前に浮気の相手を殺したことを脅しのネタにして、ス
ミレをどうにかしようと思ってやって来たのだ。かつて吉岡が警察の鑑識係であったことから思いついた
筋書である。この映画は、そのような経緯から対峙した二人の巧妙な話術合戦に支えられており、緊迫し
た場面が観る者をぐいぐいと引張ってゆく。もちろん、冷静に考えれば穴も多いのであるが(たとえば、
かつて殺人を犯した人間が簡単に刑事を自宅に引き入れるだろうか)、観ている間は手に汗を握ることが
できる。ヘリコプターの爆音、サイレンの音、犬の鳴き声なども、効果的に聞こえて来る。二人の間の台
詞を少しだけ引用してみよう。例によって、耳から得た言葉なので正確ではないが、その点はご勘弁いた
だきたい。吉岡が、男と女ののっぴきならない関係を話題にした直後の会話である。


 吉岡:スミレさんだって昔はあったんですよね、そういうこと。ほら、一年前の飛び降り自殺の男。
    荒川さんでしたっけ。人妻とセールスマンなんて、絵に描いたような設定ですね。
 スミレ:どなたの話か知りませんけど、そういう話、分るような気がします。
 吉岡:ええ。
 スミレ:こんな牢屋みたいなところに何年も閉じ込められたら、浮気でもしなけきゃやっていけな
     いんじゃないかしら。
 吉岡:でも、殺しちゃダメですよね。


 スミレが荒川を殺したことを、鑑識係である吉岡はよく知っていた。自殺したと思われる時間、荒川は
昏睡状態だったからである。自力ではけっして死ねない状態で死んだのだから、これは自殺ではない。間
違いなく他殺である。しかし、その事実を知った吉岡は、それを上司に報告しなかったのである。なぜな
ら、現場近くにいたスミレを目撃した吉岡は、スミレが確実にこの事件に関係していることを直感し、し
かも、そのスミレに一目惚れしたからである。このような設定にはかなりの無理があるが(たとえば、鑑
識結果を共有することなく、吉岡だけが重要な事実を知っていたとは考え難いからである)、映画の筋書
としてはなかなか面白いと思う。とくに、役者の台詞回しや表情が真に迫っていたので、「ひょっとした
らこういうこともあり得るかもしれない」と鑑賞者に思わせることに成功しているが、その点で優れてい
ると思う。特典映像のトーク・ショーなどで、出演者が演劇と映画の違いはあまりないと断言していたが、
この映画の「演劇性」がそう言わせたのであろう。脚本を書いた豊島圭介も、映画というよりも演劇の脚
本を書いたつもりでいたのかもしれない。とにかく、この「密室劇」の面白さは、観た者にしか分らない
と思う。また、回想部分の映像を「カラー」で描きながら、リアルタイム映像をわざわざ「モノクローム」
にする工夫が試みられていた。通常ならば、その反対であろう。他に、堺雅人(荒川ヤスオ)、榊ゆりこ
(伊藤ヨシコ)、木村つかさ(お隣の主婦)、伊沢磨紀(向かいの主婦)、伊藤洋三郎(溝口康彦=荒川
の上司)などが出演している。
 なお、配役などに関しては、上記の全5作品とも《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『宇能鴻一郎の 濡れて打つ』(監督:金子修介、にっかつ、1984年)を観た。製作会社と
題名から「ロマンポルノ」であることは直ぐに分るだろう。もっとも、原作者の宇能鴻一郎を知っている
人もだんだんと減ってきているのではないか。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれ
ば、1990年代半ば以降、新作を発表していないそうである。もともと東大の国文科を出た俊英で、『鯨神』
で第46回芥川賞を受賞した純文学作家だった。いつの間にか官能小説の大家になり、小生の記憶では、川
上宗薫、富島健夫、阿部牧郎などと並んで、一頃はこの分野の流行作家だったはずである。もっとも、打
ち込んで読んだことのある作家ではなく、作風も取り立てて好みなわけではない。「あたし?なんです」
調の、若い女性の一人称で書かれた文体に初めて接したとき、太宰治を連想して苦笑したものである。さ
て、当該の映画であるが、金子監督のデビュー作で、コメディタッチの明るいポルノである。だいたいポ
ルノと言えば男の妄想を具現化したものが多いが、この作品などは典型的な部類に属するのではないか。
高校一年生の細川ひろみ(山本奈津子)の性遍歴を中心にして、男女3人ずつの微妙な関係が売りである
が、それぞれの関係があっさりしているので、胃にもたれることはない。エレヴェーター内での情事へ至
る過程や、テニスの特訓と称してセックスに励むという設定もあんまりなので、笑うしかないだろう。題
名は「雨中特訓」(シャワーを浴びながらラケットの素振りをする特訓)から来たものであろうが、同時
に官能的な意味もかけてあることは明らかである。ちなみに、原作は『あんねの日記(1983年)』の由。
また、観れば直ぐに分ることだろうが、山本鈴美香の「スポ根」漫画である『エースをねらえ!』のパロ
ディでもある。他に、林亜里沙(松波美沙=お蝶サマ)、石井里花(小林蘭子)、原田悟(エースの坂西)、
高山茂夫(報道部の玉本)、沢田情児(北條コーチ)などが出演している。なお、配役その他に関しては、
《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『日本誕生』(監督:稲垣浩、東宝、1959年)を観た。東宝の「1,000本製作記念」として
つくられた叙事詩である。取り立ててここに語るべきものはないが、《goo 映画》の解説を下敷にして、
大体の筋を追ってみよう。解説の文章を加工して活用させていただくが、どうぞご寛容あれ。さて、これ
は第12代景行天皇(中村鴈治郎)の時代であるから、 神代の昔、今から千五、六百年前のことである。
重臣である大伴建日連(東野英治郎)は、一族の出身である若帯日子命[ワカタラシノミコト](宝田明)
を世継にしようと画策していた。この皇子は天皇の後添えの子で、前后の遺児である小椎命[オウスノミ
コト](三船敏郎)を熊曾[=熊襲]征伐に名を借りて大和追放を図った。熊曾の兄(志村喬)を討ち取
らんとしたのは、彼が神をも畏れぬ所業を繰り返していたからである。あわよくばそこで小椎命が戦死し
てくれれば、世継は自動的に自分の一族の者がなるというわけである。ところが、予想に反して、小椎命
はたちまちのうちに熊曾兄弟を討ち果したのである。小椎命の力強さに感嘆した熊曾の弟建(鶴田浩二)
は、この国で一番強いあなたであるから、是非「日本武尊(ヤマトタケル)」と名のるようにと言って息
絶えたのであった。日本武尊となった小椎命は、都へ凱旋した。小椎命を亡き者にしようとする策略に失
敗した建日連は、さらに天皇を唆して今度は武尊を東国征伐に向わせたのである。人を疑うことを知らぬ
武尊も、上記の若帯日子命や五百木之入日子命[イオギノミコト](久保明)らの弟連中ををやらず自分
だけを戦いに往かせる父天皇を怨んだ。語り部の媼(杉村春子)が語る、天の岩戸の、平和でおおらかな
話を聞くにつけても自分の運命が悲しかった。しかし、伊勢神宮で宮司をつとめる叔母の倭姫[ヤマトヒ
メ](田中絹代)から、その昔、須佐之男命[スサノオノミコト](三船敏郎=二役)が八岐の大蛇[ヤ
マタノオロチ]を退治して、その尾から出て来た名剣である叢雲剣[アメノムラクモノツルギ]を天皇か
らの贈物として与えられて、一躍勇気が百倍した。しかし、これも実は天皇からの拝領品でなく、倭姫の
計らいであることを巫女の弟橘姫[オトタチバナヒメ](司葉子)は知っていたのである。弟橘姫は武尊
に恋し恋される身であったが、立場上恋してはならないのが巫女の定めだった。したがって、武尊の求愛
に対して、泣く泣く拒否の言葉を吐いているが、それは偽りの言葉でもあった。東征の途についた武尊の
無敵の強さを怖れたのであろうか、行く先々でその地の民が予め逃げ出すほどであった。尾張の国に来た
とき、武尊はその地の国造(山田巳之助)の娘である美夜受姫[ミヤヅヒメ](香川京子)に招かれた。
姫は病気の父に代り国を害する武尊を毒殺しようとしたのであるが、武尊の心の美しさに憎しみも消え、
やがて二人は男女の契りを結んだ。しかし、武尊の身辺を世話するために後を追ってきた弟橘姫に嫉妬の
眼を向けざるを得なかった。その後、弟橘姫を連れた武尊の軍勢は相模国に着いた。かの地の国造大伴久
呂比古(田崎潤)は建日連の使いを受けて武尊を討とうと待っていた。武尊を焼津の野に連れ出し四方か
ら火を放った。しかし武尊は叢雲の剣で草を薙ぎ払い難を避けた。走水まできた武尊は、大伴一族に謀ら
れたことや、父までもが自分を亡き者にしようとしていることをはっきりと覚って、東征の無意味さを知
り大和へ船団を組んで引返すことにした。ところが、このとき一天にわかにかきくもり武尊の船団は波に
呑まれそうになった。恋してはならぬ巫女の身を神が怒ったのか、弟橘姫は心に念じると荒海へ身を躍ら
せた。悲しい最期であったが、それと引き換えに激浪はたちまちおさまった。大和の国にさしかかった武
尊は建日連らの大軍に迎えられた。多勢に無勢、武尊は落命の憂き目に遭う。武尊の化身である一羽の白
鳥が山の上をめぐるや、山は火煙をあげ熔岩が大伴の軍勢を押し流して復讐を遂げた。白鳥は倭姫の館を
旋回すると大昔この国を造った伊邪那岐男神(脇田博行)と伊邪那美女神(村松恵子)のいた高天原に向
い飛び去ったのである。特技監督として円谷英二が参加しており、須佐之男命が八岐大蛇を退治した場面
や最後の溶岩が流れ出す場面など、特撮が頻繁に用いられている。しかしながら、この時代を映像化しよ
うとするとどうしても限界があり、リアリティを醸し出すことは困難ではあるが、それでも果敢に挑戦し
たところにこの映画の命脈があるのだろう。他に、伊豆肇(大椎命)[オオウスノミコト=オウスノミコ
トの兄]、伊藤久哉(大伴小建)、野村浩三(大伴麻毛理)、平田昭彦(吉備武彦)、藤木悠(小鹿火)
[オカビ]、村田嘉久子(小鹿火の母)、小杉義男(稲葉)、水野久美(薊)、三島耕(八雲=薊の恋人)、
環三千世(兄比売)[エヒメ]、上田吉二郎(久米八腹)[クメノヤハラ]、上原美佐(奇稲田姫)[ク
シナダヒメ=スサノオノミコトの妻]、瀬良明(足名椎=その父)[アナヅチ]、中北千枝子(手名椎=
その母)[テナヅチ]、榎本健一(玉祖命=八百万の神々)、有島一郎(伊斯訴理度売命=八百万の神々)、
三木のり平(天児屋命=八百万の神々)、沢村いき雄(高天原の神)、乙羽信子(天宇受女命)[アメ
ノウズメノミコ]、柳家金語楼(思金神)[オモイカネノカミ]、左卜全(天御中主神)[アメノミナカ
ヌシノカミ]、小林桂樹(天津麻羅)[アマツマウラ]、加東大介(布刀玉命)[フデタマノミコト]、
朝汐太郎(手力男命)[タヂカラノカミ]、原節子(天照大神)[アマテラスオオミカミ]などの当時の
東宝の専属俳優陣が大挙して出演している。


 某月某日

 『追悼のざわめき』(監督:松井良彦、欲望プロダクション、1988年)を観た。暗い情念が全篇に横溢
しているインディーズ映画。誠(佐野和宏)は、若い女性を殺害しては、その肉を「菜穂子」と名付けた
マネキン人形の中に入れて愛玩していた。兄妹ともに、成長ホルモンの分泌不足が原因の侏儒症である夏
子(仲井まみ子)とその兄(日野利彦)に雇われて、下水道の清掃をしている。その菜穂子との間に愛の
結晶を宿すのが誠の夢であるが、このおぞましい狂気が一組の兄(隈井士門)と妹(村田友紀子)やルン
ペン(大須賀勇)を呼び込み、近親相姦、近親殺、人肉食などの人間にとっての「絶対的禁忌」がいとも
簡単に実行される。その他、偏見、差別、人権侵害などの諸相が克明に描かれ、松井監督の意図が不気味
なまでに現われている。われわれの世の中が一皮むけば嘔吐を催させる断片に満ちており、普段は欺瞞の
ヴェールがそれらを覆っているに過ぎないことを、この映画は淡々と訴えているかのようである。他に、
白藤茜(傷痍軍人)、皆渡静男(傷痍軍人)、高瀬泰司(玄五郎翁)、片山由希(女子高校生)、上西ユ
リ子(女子高校生)などが出演している。なお、配役等に関しては、《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『IZO(イゾー)』(監督:三池崇史、ケイエスエス=オフィスハタノ=エクセレントフィ
ルム、2004年)を観た。三池監督作品ということで期待したが、退屈な作品だった。一部の映像美を除い
て、台詞回し、役者の動き、脚本、全体の雰囲気、ともに水準以下だった。キャストを豪華にすることに
力を入れすぎて、散漫な作品になったのだろう。「天誅」の名のもとに、数々の幕府要人を暗殺した「人
斬り以蔵」こと岡田以蔵が現代に蘇ったらどうなるかがテーマである。答えはと言えば、どうにもならな
い。ただ、ひたすら殺戮を繰り返すだけである。しかも本人はマシンガンで撃たれても死なないのだから
始末に困る。こんな映画だったら、誰にでも作れる。三池監督は猛反省すべきである。『竜馬暗殺』(監
督:黒木和雄、映画同人社=ATG、1974年)で、松田優作が演じていた右太が以蔵を髣髴させる雰囲気を持
っていたが、この映画の以蔵を演じた中山一也には殺気を感じることができなかった。ただ咆哮すればよ
いのなら素人でもできるだろう。他に、美木良介(領袖のハンペイタ[=武市半平太])、友川かずき(古
風なフォーク・シンガー)、桃井かおり(サヤ)、樹木希林(以蔵の母)、原田芳雄(茶室の男)、大滝
秀治(茶室の男)、ビートたけし(宰相)、岡田眞澄(官僚の長)、片岡鶴太郎(軍閥の将軍)、長門裕
之(大僧正)、篠田三郎(学究の長)、松田龍平(殿下)、ボブ・サップ(門衛の怪物)、勝野洋(武士)、
及川光博(武士)、内田裕也(弐番の男)、石橋蓮司(壱番の男)、力也(貸元)、原田龍二(ヤンキー
のヘッド)、松方弘樹(やくざのボス)、緒形拳(浪人者)、山本太郎(狂気のサラリーマン)、原田大
二郎(裁判長)、遠藤憲一(刑場の役人)、寺島進(刑場の役人)、高瀬春奈(ラッキー・マザー)、中
山麻理(参番の女)、菅田俊(僧兵)、曽根晴美(坊主刈りの男)などが出演している。なお、配役に関
しては、《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たのでご報告。なお、下記3作品ともに、配役に関しては《goo 映画》を参照した。
1本目は『やさぐれ刑事(でか)』(監督:渡辺祐介、松竹、1976年)である。以前に逮捕した相手であ
る杉谷保夫(高橋悦史)に自分の妻である真穂(大谷直子)を誘惑され、その勢いでまんまとコール・ガ
ールに仕立て上げられた刑事である西野剛(原田芳雄)の復讐劇。北海道から鹿児島まで(札幌、小樽、
函館、下北、青森、相馬、東京、箱根、大阪、神戸、小倉、熊本、鹿児島、枕崎、坊ノ津)、全国の暗黒
街を中心に3,000キロを縦断しながら、杉谷を追い詰めて仕留める西野の執念が描かれている。途中、邪
魔する者は皆殺しという徹底振り。とくに、相馬のパチンコ屋で、風呂を空焚きにし、ガスに引火させて
爆発事故を起こさせる場面が印象深い。偶然とはいえ、自分の妻が映っているブルー・フィルムを見せ付
けられれば、頭に血が上っても仕方がない、といった按配である。この手の物語はテレヴィ・ドラマでも
量産されており、その点でまったく新味はないが、主演の原田芳雄の男臭い魅力でそれをカヴァーしてい
るとは思う。他に、神田隆(大西警部=西野の上司)、大木実(青地=暴力団幹部)、清水章吾(松井刑
事)、大滝秀治(野村紹蔵もしくは昭蔵=黒幕)、花澤徳衛(片桐辰造=中村組系のヤクザ)、下川辰平
(尾中信明)、佐藤蛾次郎(武田=山田組の下っ端)、谷村昌彦(精やん)、本郷直樹(守雄)、梓よう
こ(広美)、赤座美代子(浅見俊江=南龍会の女)、絵沢萠子(三千子=先代中村組組長の姐さん)、ひ
ろみどり(中沢圭子)、岡本麗(娼婦)、江角英明(理髪店主)、阿藤海[現 阿藤快](殺し屋)、たこ
八郎(山田組の下っ端)などが出演している。
 2本目は『ピストルオペラ』(監督:鈴木清順、日本ビクター=松竹=衛生劇場=テレビ東京=電通=
スパイク=小椋事務所、2001年)である。これは『オペレッタ狸御殿』(監督:鈴木清順、ジェネオン
エンタテインメント=電通=日本ヘラルド映画=松竹=衛星劇場=小椋事務所、2005年)の感想を記した
ときにも指摘したことであるが、鈴木監督の意図が役者にうまく伝わっていない感じがした。また、脚本
も洗練され尽くしたとまではいかなく、まだまだ改良の余地が残っているような印象を受ける。もし、そ
の辺りの欠点が解消されれば、実に楽しい「オペラ」になったと思う。要するに、この手の映画が成立す
る下地がまだ日本にはないのである。唯一、永瀬正敏(黒い服の男)だけがこの映画の意図を理解してい
たような気がすると書けば、他の役者連中は気分を害するだろうか。他の出演者を挙げておこう。江角マ
キコ(皆月美有樹=殺し屋ナンバー3、野良猫)、山口小夜子(上京小夜子=殺し屋ナンバー1、百眼)、
韓英恵(少女・小夜子)、平幹二朗(花田五郎=殺し屋ナンバー0、チャンプのめ組)、加藤治子(折口
静香=胡蝶蘭のお静)、樹木希林(りん)、沢田研二(東京駅の男=殺し屋ナンバー2、昼行灯の萬)、
ヤンB・ワウドストラ(白人の男=殺し屋ナンバー5、無痛の外科医)、渡辺博光(車椅子の男=殺し屋
ナンバー4、生活指導の先生)、加藤善博(情報屋の男)、柴田理恵(女剣劇の役者)、青木富夫(演芸
場で殺される男)、小杉亜友美(ターゲットの女)、上野潤(若い男)、乾朔太郎(ダンスホールの男)、
田中要次(殺し屋ナンバー7=長町場の駕籠屋)、三原康可(殺し屋ナンバー6=宴会部長)、森下能幸
(殺し屋ナンバー9=幽霊作家)、加藤照男(殺し屋ナンバー8=蛇ばら)などである。
 3本目は『風の歌を聴け』(監督:大森一樹、シネマハウト=ATG、1981年)である。70年代の雰囲気を
残している作品で、予想以上に面白かった。筋は追わないが、原作の村上春樹お得意の曖昧な悲しさが色
濃く出ている映画である。出演者を記しておこう。小林薫(僕)、真行寺[眞行寺]君枝(女)、巻上公一
(鼠)、坂田明(ジェイ)、蕭淑美(鼠の女)、室井滋(僕の三番目の女の子)、広瀬昌助(旅行センタ
ー係員)、狩場勉(当り屋・学生風の男)、古尾谷雅人(当り屋・柄の悪い男A)、西塚肇(当り屋・柄
の悪い男B)、黒木和雄(精神科の先生)などである。


 某月某日

 1960年代後半、日本映画が斜陽産業になってからは、上品な物語の提供を減らして、性と暴力を前面に
押し出す映画が量産されるようになった。さすがにテレヴィではこれらのテーマを描くには制約がありす
ぎるからだが、これらの作品群の中には、それなりに話題を振り撒いた作品やアイドルの登場もあって、
安定した人気を誇っていた。ところが、1980年代後半になって家庭用ヴィデオ・デッキが普及し始め、そ
れに伴ってアダルト・ヴィデオが登場すると、性を物語の中で垣間見させることなど、もはやまどろっこ
しい営みとなった。その結果、メディアとして性を扱う産業はずばり「即物性」を売りものにし、物語を
絡ませることはほとんどなくなったのである。たとえば、日活(1978年から「にっかつ」)が、比較的長
期に亙って「ロマンポルノ(1971-1988)」に活路を見出したけれども、やがてはそれにも限界が来たとい
うわけである。
 ところで、昨年は「戦争映画」を中心に邦画を鑑賞してきたが、今年は「性愛映画(成人映画)」を積
極的に取り上げて研究したいと思う。「性」を通して人間を探求することの重要さは改めて指摘する必要
がないほどだが、集中的にこのテーマを扱うとどんな光景が見えて来るのだろうか、少なくとも現段階の
小生にとってそれは不透明である。
 さて、そのような「性愛映画」を2本観たのでご報告。1本目は『完全なる飼育 赤い殺意』(監督:若
松孝二、セディックインターナショナル=アートポート、2004年)である。若松監督と言えば、一般映画
(ピンク映画に対する呼称)の作品を発表する以前には、「ピンク映画の巨匠」と呼ばれていた時期があ
る。当該作品はそのような初期の作品群とは異なり、人気シリーズの第6弾に組み込まれたいわば「定番」
にすぎないが、彼の特徴が現れているのかどうか、今の小生には判断がつかない。今後、彼の初期傑作選
を集中的に観ていく計画なので、それはおいおい分ってくることだろう。ここで、物語の概要を述べてお
こう。関本文也(大沢樹生)というホストがいる。私大を出て貿易会社で3年間頑張ったが、忍耐の限界
を超えたのでそこを飛び出し、転職を繰り返すうちにホスト業界に首を突っ込んだ人物である。その彼は、
非合法の博奕で負けが込み、500万円の借金を抱えている身でもある。きつく返済を迫られており、何とか
しなければならないが、当てがない。唯一の頼みの綱は、出会い系メールで知り合った、細井幸江(伊藤
清美)だった。彼女は、「ケチでインポ」の夫・耕吉(石橋蓮司)を殺してくれれば、500万円を進呈する
という。関本は鉄アレイを用いて耕吉の撲殺に成功したが、回覧板を持って来た近所の主婦に現場を目撃
され、逃亡を余儀なくされる身となった。やがて、挫いた足を引きずりながら逃げ込んだ一軒家に彼が見
出したものは、監禁されている少女・明子(伊東美華)であった。この後の展開は割愛するが、監禁の実
行者である山田真一(佐野史郎)の異常性がよく描かれており、それに逆らわないどころか、従順な態度
まで見せる明子の心理が微妙な陰影を伴って伝わってくる。明子が動かしていいものとして、「布団、洗
濯物、食器」が真一によって指定されるが、それを繰り返し確認させる彼の執拗さと、それにどこまでも
付き合う明子の従順さから見えてくるものは、一種の「共依存」関係であろう。このシリーズの大きな特
徴と言える。言い換えれば、どの場合でも、飼育者(監禁者)と被飼育者(被監禁者)との「共犯関係」
が成立しているのである。また、真一が明子の陰毛を剃る行為やその全身にシッカロールを塗りつける行
為は、一種の「儀式」に見えないこともなく、真一なりの明子に対する愛の表現なのであろうことは伝わ
ってくる。もちろん、その趣味のある人を除いて、多くの人の共感を得ることは難しいだろうが……。他
に、不破万作(警官)、小林宏史、中島宏海などが出演している。
 2本目は『少女娼婦 けものみち』(監督:神代辰巳、にっかつ、1980年)である。神代監督も若松監
督同様この手の作品の練達者であるが、当該作品は彼がロマンポルノとして製作したものの一つである。
題名とは関係の薄い内容で、なぜこんな題名がついているのか不思議なくらいである。性的に奔放な母親
をもつ17歳の少女が、二人の男と関係を結びただちに妊娠、葛藤を経てその子を産む決心をするまでを描
いている。男の一人であるアタルを演じる内田裕也の人物像が面白い。彼の「俺は天才的に女の本性が見
えるんだ」や、「やるのと食うのと仕事よ、俺は」という台詞は、嫌味がなくていっそ心地よい。映画全
体にアンニュイな感じが漂っており、閉塞した空間から醸し出される頽廃的な悲しみがこころに痛い。他
に、吉村彩子(サキ)、水島美奈子(遊子)、珠瑠美(サキの母・圭子)、無双紋(外男)、三谷昇(浪
曲師)、高橋明(中年男)などが出演している。なお、両作品ともに、配役などに関しては《goo 映画》
を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『帝銀事件 死刑囚』(監督:熊井啓、日活、1964年)を観た。事件のあらましを知るため
に、日活のDVD所収の作品解説を引用しよう。一部記述を変更したが、ご寛容いただきたい。

  『帝銀事件 死刑囚』は、1948(昭和23)年1月26日午後3時過ぎ、東京の豊島区にある帝国銀
 行椎名町支店で白昼堂々と行員12名を毒殺、18万円余を奪い、犯罪史上未曾有の凶悪事件として
 日本中を騒然とさせた‘帝銀事件’を映画化する衝撃の問題作です。大胆不敵の大量毒殺事件の
 犯行から容疑者逮捕、判決まで、事件の全貌を事実に基づきながら強烈にえぐりだす迫真のショ
 ッキングドラマです。とにかく、この『帝銀事件 死刑囚』は、興味本位の犯罪映画、新聞記者・
 刑事を中心とした推理ドラマ、事件ものではなく、‘死刑囚’平沢貞通の‘白か、黒か’をめぐ
 る事件の真実に対する世論をまき起こす異色超大作です(公開当時のプレス・シートより)。

 当日、銀行は3時ちょうどに閉店しており、支店長は病気で午後には帰宅していた。その他、5人の欠
勤者がいた。「東京都衛生課ならびに厚生省厚生部委員 醫學博士 某」という名刺を差し出した中年男性
が、支店長の代理を務める小林と対峙していた。その男はこう切り出した。「実は、伊藤(伊東かもしれ
ない)さん方で集団赤痢が4名出たので、進駐軍のスペンサー中尉と現場の消毒に行きましたが、家族の
一人がね、今日の昼頃この銀行に預金に来たことが分ったので、現金や帳簿を金庫に入れる前に消毒しな
ければなりません。私に一足先に行ってくれと言うので、来たのです」。こうして、この銀行にいた16名
を一堂に集め、自分で飲み方を示しながら、予防薬と称して遅効性の青酸化合物を飲ませたのである。当
初、男性4名、女性2名の生存者がおり、残り10名は全員死亡していた(最終的な生存者は男性2名、女
性2名の計4名)。なお、犯人が持って来た名刺と犯人に供された客用の茶碗は持ち去られたと推測され
る。調査によれば、現金および証券18万1,855円35銭が被害金額である。死亡した者の中には子どもも含ま
れており、吉岡一家は全滅であった。所轄の目白警察署が事件の解明に向けて捜査を開始した。それと同
時に、新聞記者連中も活発な取材活動を始めた。翌朝、前夜に引き続き、午前8時30分より、第2回目の現
場検証が行なわれた。この事件は、発生当時集団中毒と思われたために、現状保存が十分ではなかった。
目白署手配によるこの殺人強盗事件は、ただちに特別捜査にかかり、本部を同署2階に置き、所轄および
本庁80名の専任刑事が動員されたのである。これだけの犯行だけに、必ず未遂事件があるはずだの予測の
もとに調査したところ、1週間前の1月19日午後3時頃、新宿区下落合の三菱銀行中井支店に似たような
事件(ただし、未遂)があったことが判明した。そのとき使われた名刺は「厚生省技官 醫學博士 山口二
郎 兼 東京都防疫課」というものであった。さらに、もう一つの未遂事件があった。それは、1947(昭和
22)年10月14日、品川区平塚にある安田銀行荏原支店での未遂事件であった。ここで使用された名刺は、
「厚生技官 醫學博士 杉浦豊 厚生予防局」というもので、実在の人物が使用した本物であった。なお、帝
銀事件当日、黒縁の眼鏡を掛けた一見土建屋風の人物が、証券金壱萬七仟四百五拾圓也を安田銀行板橋支
店で現金化しており、その際の裏書の筆跡が後に平沢貞通(信欣三)のものと断定され、有力な証拠にな
っている。進駐軍の不良分子が事件に関わっているのではないかという憶測が流れつつ、5ヵ月がいたず
らに過ぎ去った。捜査の指導者の言葉に耳を傾けてみよう。筆者の加工がだいぶ入っているが、ご海容あ
れ。

  犯人の過去を知ることは、捜査の幅を限り、深みを求めることにおいて、すこぶる重要である。
 犯人は、昔民間の医療・防疫・薬品の取り扱い、または研究・試験等に経験がある者、また、引
 揚者や、軍関係のこの種の経験者、および、特務機関員、憲兵などであると思われるが、とくに、
 軍の特殊部隊関係者であると考えられる理由については、第一に、青酸化合溶液5?10%の濃度、
 量と効果に対して、相当の自信。第二に、毒薬とその次に飲ませる水。薬が効いてくる時間の1
 分間を一箇所に縛り付けておく手段として最適。つまり、薬を飲んだ行員が席を離れていれば、
 苦しがって建物の外部に逃げる虞があった。第三に、毒薬の飲ませ方。吐き出させずに飲ませる
 最も合理的方法(舌を前に出させて、喉の奥に流し込ませる方法)を採っている。第四に、犯人
 が同じ薬品を摂取しながら何ともなかったのは、上澄みに無毒の溶液、その下に油、そしてさら
 にその下に毒薬を仕込んであったのではないかと推測される。つまり、自分の分は上澄みを採っ
 て飲んだのである。事実、薬は少しガソリン臭かったという供述もある。

 さて、昭和新報の記者連中が雑談しているシーンに変わり、「731部隊」の名前が挙げられる。元岩本中
将が指揮した関東軍防疫給水部である。満州に特殊な監獄があって、毒物・細菌による大量の生体実験が
行なわれていた。だが、ソ連軍の国境突破と同時に、建物を全部爆破して、日本に引き揚げている。この
731部隊の関係者が事件に関わっているのではないかという推測である。その他、伊藤(伊東)方の共同井
戸の存在を知っていたかどうかが、犯人であるかどうかの目安になるということや、使われた毒薬が、ど
うやら遅効性のアセトン・シアン・ヒドリンらしいということなどが分ってきた。昭和新報の武井記者(内
藤武敏)や阿形記者(井上昭文)が、731部隊の佐伯元少佐(佐野浅夫)を訪問し、毒薬兵器の実態を話す
義務があると迫ったりもしている。そうこうするうちに、「杉浦名刺」の線から、容疑者として平沢貞通
(57歳)の名前が挙がり、やがて小樽で逮捕される。彼は、横山大観の弟子で、テンペラ画家としては一
流の腕前をもつ画伯であった。直ぐに東京に護送され、面通しが行なわれた。全体として似てはいるが犯
人ではないとする者6名、後の5名はよく似ているが断定はなしという結果であった。検事勾留の間、平
沢の詐欺が発覚したり、自殺も試みられたりしたが、一番重要なのは「自白」であった。この事件は、旧
の「刑事訴訟法」のもとで裁判が行なわれおり、現在とは異なり「自白」は有力な証拠となり得たのであ
る。この間、大野木キャップ(鈴木瑞穂)らは、先の佐伯元少佐の協力を得て、731部隊の実態を調べてい
る。1941(昭和16)年5月、南京で、1943(昭和18)年10月、上海で、アセトン・シアン・ヒドリンの実験
が行われている。0.3グラムから始めて致死量を探り、0.6?0.7グラムが人間の致死量であることを突き止
めている。また、1分?1分30秒くらいで絶命することも分った。ところが、大野木キャップは、警視庁
刑事部長室に呼ばれ、米軍司令部より、731部隊の調査を打ち切るように要請される。悲しき敗戦国の立場
から逆らえない。せいぜい、「そのような要請(実質は命令)は、デモクラシーの精神に反するのではな
いか」と訴えるしかない。やがて、さまざまな操作を行なって、真犯人を平沢にすりかえる作業がつづく。
平沢にはコルサコフ氏症候群という一種の「虚言癖」があり、何度か詐欺を働いていた。また出所不明金
(実際には生活のために画いた春画の代金だったらしい)のこともあり、筆跡鑑定の「クロ」から、一挙
に「犯行自供」に追い遣られている。これは、拘禁反応から拘禁精神病に至る過程そのものであり、一ヶ
月に亙る精神的圧迫を受ければ、誰しも陥るであろう「楽になりたい一心」で、やってもいないことをや
ったと告白したのではないかと推測することができるのである。
 1948(昭和23)年12月10日に、東京地裁で第一回公判が行なわれている。平沢は心境を歌に詠んでいる。

    白蓮の白きに立たん裁きには

 そして、「拘留中は自白を余儀なくされたが、天地神明に誓って自分は帝銀事件の犯人ではない」と、
断言している。やがて1950(昭和25)年5月8日、検事論告が、読むだけで6時間もかかって行なわれた。
平沢貞通を犯人とする証拠として、1.杉浦名刺、山口二郎名刺、小切手裏の筆跡鑑定。2.自白。3.
人相、所持品、服装、金銭関係、アリバイ。4.犯罪の動機、犯人の適格性、言動、などが挙げられた。
一月後の1950(昭和25)年6月9日、弁護人側の9万語に及ぶ弁論が展開され、検事論告のすべてが否定
された。論旨はこうである。すなわち、この事件は軍の特殊工作員が関わっており、特殊な専門的知識や
体験がなければ、とても遂行できないものである。ところが、検事論告は、すべての要素を専門家ではな
く素人でも可能なようにすりかえており、とうてい支持できない。たとえば、毒薬を掬ったピペットを万
年筆のスポイトにすりかえて、平沢のような市井の絵描きにも入手できるものにしているのが典型例であ
る。こうして、弁護側の弁論は、「疑わしきは、これを罰せず」の精神からも、「自白」だけが有力な証
拠であるこの容疑者を有罪にしてはならない、と結ばれている。東京地裁における判決は、1950(昭和25)
年7月24日に下されている。第一回公判から1年と7ヶ月が過ぎていた。なお、判決は「死刑」だった。
1951(昭和26)年9月29日、東京高裁において、一審を支持する「死刑」判決が下される。1955(昭和30)
年4月6日、最高裁は上告を棄却し、「死刑」が確定している。物語はその後情緒的な方向に流れ、平沢
の妻(北林谷栄)は世間の迫害を耐え忍ぶ決意を固めているが、娘俊子(柳川慶子)は国籍を捨て、アメ
リカに渡っている。1962(昭和37)年11月24日、平沢は東京拘置所から仙台にある宮城刑務所に移送され
ている。この刑務所には死刑台があるのだ。もっとも、歴代の法務大臣が署名しなかったために平沢には
死刑の執行はなく、1987(昭和62)年、八王子にある医療刑務所において95歳で死亡している。人間が人
間を裁くことの困難さを描いている佳作。三鷹事件、下山事件、松川事件などとともに、敗戦直後の混乱
に乗じて行なわれた謀略事件の数々は、今もなお、われわれにさまざまな思索の種を提供していると思う。
他に、庄司永建(笠原記者)、藤岡重慶(小田記者)、高品格(山藤刑事)、陶隆[陶隆司](国木田刑
事)、草薙幸二郎(森田検事)、長尾敏之助(東京地裁裁判長)、笹森礼子(生き残りの行員である正枝=
後に武井記者と結婚する)、山本陽子(同じく生き残りの行員である英子)などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『泥の河』(監督:小栗康平、木村プロ、1981年)を観た。長らく観たいと思っていた映画
なので、やっと念願が叶った感じである。宮本輝の原作をきっちりと映像に移し変えて成功している作品
だと思う。時は1956(昭和31)年、所は大阪安治川の河口、川っ縁にへばりつくように建っている「なに
は食堂」の息子と、対岸に舫っている廓舟の姉弟との出会いと別れを淡々と描いている。抑制の効いた叙
情に包まれているので、鑑賞後の余韻が心地よい作品である。ただし、この作品には死のにおいがうっす
らと漂っている。戦争の時代を必死に生き抜き、戦後の混乱を乗り越えて来たのに、荷馬車に押し潰され
てあっさり死んでしまう中年男(芦屋雁之助)、いつも釣餌のゴカイを取っていたのに、ひょんなことか
ら舟から落ちて溺死したと推測される老人(役者不詳)、腕のよい船頭だった廓舟の亭主も死んでおり、
なには食堂の亭主の前妻だと思われる佐々木房子(八木昌子)も死に瀕している。それでは生きてさえい
ればよいのかというと、そうでもなく、夏でもキンツバを焼いている食堂の亭主板倉晋平(田村高廣)は、
子どもには優しいがどこかニヒリズムの影が常につきまとっている。その妻板倉貞子(藤田弓子)は明る
く食堂と家庭を切り盛りしているが、どうやら亭主の前妻には負い目があるらしい。原作がどうなってい
たか忘れたが、もしかしたら亭主を奪ったのかもしれない。そんなある日、荷馬車を曳くおっちゃんが死
んだ。この家の息子である板倉信雄(朝原靖貴)が荷馬車を見に行くと、荷物である鉄屑を盗もうとして
いる少年松本喜一(桜井稔)と出会う。それをきっかけとして二人の間に友情が芽生えるのであるが、喜
一の母親である松本笙子(加賀まりこ)は春を鬻いで生計を支えている身なので、その子どもには過酷な
環境である。また、喜一の姉松本銀子(柴田真生子)はよくその事情を弁えており、家事一切を引き受け
ている健気な女の子である。小生にとってたまらないのは、貞子がせっかく姉弟を家に呼んでご馳走し、
ワンピースまでプレゼントしたのに、それをやんわりと返すシーンである。私は物乞いはしないの意思表
示であり、銀子の幼いながら精一杯の心意気であった。もっとも、もっと親しくなって、貞子と銀子が一
緒に内風呂に入るシーンがあって、初対面のときの頑なさは取れている。しかも、銭湯とは違う風呂に入
ったのはこれが2度目であることを語る銀子の声は弾んでいる。とてもよい場面である。さて、楽しみに
していた天神祭の日が来た。連れて行ってくれると約束していた父の晋平は姿を隠してしまう。仕方がな
いので信雄と喜一は50円ずつ貞子に貰って出かける。銀子はお留守番である。お金を遣うことを惜しんで
いるうちに、喜一がそれを落としてしまう。ポケットに穴が開いていたのである。昔だったら、母の笙子
が繕ってくれたはずなのに、今は裁縫とは縁遠い身である。こんなところにも、悲しみがあふれている。
気落ちした信雄を慰めるために、喜一は宝物を見せるために廓舟に来るように誘う。「夜は行ってはいけ
ない」と父親に釘を刺されていたのに、喜一の勢いに押されてついて来てしまう。泥の河に突き刺した竹
箒に、たくさんの蟹がわらわらとしがみついている。喜一はそいつを捕まえてランプの油に浸し、次々と
火を付け出した。蟹は泡を吹きながら焼け死んでゆく。「どうだ、面白いだろう」と喜一は信雄に同意を
求めるが、信雄は「蟹が可哀そうじゃないか」と反論する。焼けながら逃げてゆく蟹を追って信雄は船べ
りを這ってゆき、明かりの漏れた窓から背中に彫り物のある男に抱かれている笙子を見てしまう。翌日、
廓舟は岸を離れて上流に運ばれてゆく。それを追う信雄だったが、ついに追いかけ切れないで、見送るし
かない。「さよなら」の言葉もなく、挨拶すらない別れである。この映画を観ていて、不思議にも涙が出
なかったが、心の深いところで号泣していたからかもしれない。他に、初音礼子[初音麗子](タバコ屋)、
西山嘉孝(倉庫番)、蟹江敬三(巡査)、殿山泰司(屋形舟の男)などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。1本目は『女囚さそり・701号怨み節』(監督:長谷部安春、東映東
京、1973年)である。この映画は3回目くらいの鑑賞である。松島ナミ(梶芽衣子)が工藤安男(田村正
和)を刺すシーンが印象深い。「あんたを刺したんじゃない。あんたに惚れた私を刺したんだ」といった
臭い台詞が決っていた。気障な刑事児玉武志(細川俊之)が彼女らの共通の敵だった(工藤は公安時代の
児玉に拷問を受けている)ので、一時はこころを通わせてともに闘ったが、かたちの上でナミを裏切るこ
とになった工藤が、最後にナミに殺されるのである。「刑事殺し8件、脱獄3件、同未遂28件、およそ国
家の尊厳にとって、また、法と秩序の保持のために、あの女は断じて赦すべからざる悪そのものの存在な
んだ」と児玉は「さそり」ことナミを憎々しげに語るが、そのさそりを敵に回せば必ず殺されるのである。
工藤を始末して夜の闇に消えたナミは、その後杳として知れない。なお、この作品は、梶芽衣子が主演の
「さそり」の完結篇である。他に、金井由美(児玉君代=児玉刑事の妻)、土方弘(広瀬刑事)、大下哲
矢(高井刑事)、初井言栄(工藤トメ=工藤の母)、渡辺やよい(ストリッパーのみどり=工藤の愛人)、
楠田薫(女子刑務所の中曽根所長)、中原早苗(死刑囚の稲垣明子)、森秋子(大門看守長)、根岸明美
〔最近、鬼籍に入った。合掌〕(南村看守)などが出演している。なお、配役等に関しては、《goo 映画》
を参照した。
 2本目は『ビジターQ』(監督:三池崇史、シネロケット=日本トラステック、2000年)である。『家
族ゲーム』(監督:森田芳光、にっかつ=ニュー・センチュリー・プロデューサーズ=ATG、1983年)、
『逆噴射家族』(監督:石井聰亙、ディレクターズ・カンパニー=国際放映=ATG、1984年)、『ひき逃
げファミリー』(監督:水谷俊之、キティ・フィルム=サントリー=アルゴプロジェクト、1992年)、
『カタクリ家の幸福』(監督:三池崇史、『カタクリ家の幸福』製作委員会、2001年)、『空中庭園』
(監督:豊田利晃、リトルモア=ポニーキャニオン=衛星劇場=カルチュア・パブリッシャーズ=アス
ミック・エース エンタテインメント、2005年)などの系譜に属するカルト映画である。家族は、なけれ
ば淋しく、あれば鬱陶しい存在であるが、その家族に生じたさまざまな病いが、謎の訪問者が触媒になっ
て癒されてゆく過程が描かれている。かなり過激な言葉を使用せざるを得ないが、どうぞご海容いただき
たい。さて、家族構成はと言えば、村上龍の『最後の家族』のような設定で、ざっとこんな具合である。
父・山崎清(遠藤憲一):元ニュース・キャスター、43歳、失業中かつ不倫中。母・山崎恵子(内田春菊):
専業主婦、40歳、主婦売春に染まり、そこで得た金銭を麻薬につぎ込み中毒になっている。また、息子か
ら、いわゆる「家庭内暴力」を受けている。長女・山崎美貴(不二子):女子高生、16歳、家出中、援助
交際で食いつないでいる。長男・山崎卓弥(武藤洵):中学生、14歳、不登校生徒で、イジメにも遭って
おり、その捌け口として母親に暴力を振るっている。このような、およそ目を覆いたくなる惨状に加え、
死姦、スカトロジー、膣痙攣、殺人、死体損壊、死体遺棄……留まるところを知らない勢いで話は進行し、
母親の「母乳飛ばし」(乳首を自らつまんで母乳を周りに撒布すること)辺りから母性によって「家族の
安らぎ」を構築することへと大きく方向転換し、この後どうなるのかと思って観ていれば、息子は「母乳
溜まり」に身体を浸しながら再生への誓いを口にし、父親と娘は母親の左右の乳房を分け合って至福の瞬
間を味わっているところで物語の幕は閉じられるのである。遠藤憲一と内田春菊の身体を張った怪演も見
物だが、死体役(死姦までされる)を見事にこなしている中原翔子(村田麻子=清の同僚にして不倫相手)
の根性には心底恐れ入った。本物の「役者魂」である。なお、この作品は《Lovecinema COLLECTION》の
Vol.6に当る。他の作品としては、『東京ゴミ女』、『絵里に首ったけ』、『閉じる日』、『張り込み』、
『ギブス』(いずれも未見)があるが、機会があればすべて観てみたいと思う。さて、肝心の「ビジター
Q」(謎の訪問者)は、映画監督の渡辺一志が演じている。一種の狂言回しの役である。石で清を殴りつ
けるシーンが2度出て来るが、絶妙のタイミングであった。なお、エンディング・テーマの『水のあぶく』
(アーティスト:リアルタイム、作詞:葛西つぐみ、作曲:池田龍治)もなかなかよい曲であった。こん
な話が現実にあったら裸足で逃げ出したくなるが、あくまでフィクションなので、そのブラック・ユーモ
アを十分に楽しめばよい作品だと思う。さすが、鬼才・三池崇史である。おそらく、世の良識派の顰蹙を
買うだろうという意味で、「傑作」の称号を与えたい作品である。


 某月某日

 DVDで邦画の『女囚さそり・けもの部屋』(監督:伊藤俊也、東映東京、1973年)を観た。記憶に残って
いるシーンがまったくなかったので、自分では鑑賞済みと思っていただけで、あるいは初見か。例によっ
て脱獄した松島ナミ(梶芽衣子)が、追って来た刑事の権藤徹(成田三樹夫)に手錠を掛けられるが、隠
し持ったナイフで権藤の腕を切り落とし、その腕をぶらつかせたまま逃走するシーンから始まる。ずいぶ
んとショッキングな口開けで、思わず『警視庁物語』(題名以外の詳細は分らない)の劈頭を思い出した。
その映画は、小生が就学以前に観たもので、河川敷で草野球を楽しんでいた少年たちが草叢から女性のバ
ラバラ死体を発見する、といったオープニングだったと思う。「犬が切断された腕を咥えて走る*」とい
う構図もたぶん両者に共通で、インパクトのある光景だった。なお、その映画を観た小生はとても怯えて
しまい、しばらく夜になると怖がっていたという記憶がある。一見して、両親の教育的配慮が足りないと
言えるが、どうせ越えなければいけない壁なのだから、今となってはかえってよかったような気がする。
成人向け映画(たぶん、『くノ一忍法』のような類の作品)もすでに小学生のときに観ており、あの頃は
牧歌的だったことを窺わせる。なにしろ、際どい映画を上映している映画館に小学生を入場させたのだか
ら。また、中川ユキ[第一作とは別の役](渡辺やよい)とその発達障害者の兄正男(役者、不詳)との
近親相姦の場面が何度も出てくるが、ユキ個人の切なさが女一般の悲しみに昇華しており、「聖なる映像」
に見えた。小生の錯覚だろうか。さらに、堕胎手術の強要などの場面も、女の悲しみがあふれ出していた。
全体にスピード感のある構成で、敵役の成田三樹夫の風貌を愛する小生としては、なかなかの傑作に映っ
た。また、梶芽衣子がミシンを踏むシーンも格別によい。愛しささえ感じた。加えて、鮫島剛次(南原宏
治)を死に追い遣るときの彼女の服装(青のワンピースに黒のワンポイント)も魅力的だった。他に、李
礼仙(鮫島カツ)、藤木孝(谷田)、真山知子(安江)、森みつる(しのぶ)、藤山浩二(山崎刑事)、
関山耕司(堕胎医の山下)、八名信夫(安達)、太古[たこ]八郎(酔客)などが出演している。

 * 「犬が切断された腕を咥えて走る」に関しては、『用心棒』(監督:黒澤明、東宝=黒澤プロ、
  1961年)にもそれに類したシーンがあるので、それと取り違えているのかもしれない。


 某月某日

 今日は、『明日への遺言』(監督:小泉尭史、アスミック・エース エンタテインメント=住友商事=産
経新聞社=WOWOW=テレビ東京=ティー ワイ リミ テッド=シネマ・インヴェストメント=CBC=エース・
プロダクション、2008年)の感想から書き始めよう。岡田資[たすく]陸軍中将・東海軍司令官(藤田ま
こと)の「法戦」物語。彼はB級(通例の戦争犯罪)戦犯容疑(無差別爆撃をしたとの罪状で、撃墜した
米軍機の搭乗員を斬首刑に処したことが問われている)で起訴され、絞首刑になった軍人である。当該映
画のパンフレットによれば、彼の主張したことは以下の通りである。

 1.無差別爆撃は違法(ジュネーブ条約)である。
 2.略式手続きでの処刑は避けられなかった。
 3.責任はすべて司令官である自分にある。

 極めて明瞭な主張であるが、岡田中将の行為は「殺人」と認定されて、フェザーストン主任弁護人(ロ
バート・レッサー)の懸命の努力にも拘らず、死刑が確定してしまった。もっとも、岡田は死刑になるこ
とを懼れていたのではない。判決を「本望」として受け取っているので、それは明白である。自分の信念
を吐露し、部下の命乞いができれば、それで満足だったのである。このような責任の取り方が果たして正
しいかどうかは簡単には判断できない。しかし、観ていて納得がいくのは、情に訴えたつくりが成功して
いるからだろう。もっとも、敵側の主任検察官バーネット(フレッド・マックィーン)までもが岡田に好
意的になったのは少しやりすぎではなかったか。また、岡田を支えているものが日蓮宗であることも、何
か引っかかるものがあった。また、こんなに悟り切った心境をどうして得たのか、説明不足だと思う。さ
らに、彼の心の乱れは描けなかったとしても、せめて、妻の岡田温子[はるこ](富司純子)の動揺くら
いは描いて欲しかった。観ている間だいぶ泣いてしまったが、いざ終わってみると、結構穴のある映画だ
と思った。周囲の絶賛が鼻に付くような感じがするのは、小生だけであろうか。他に、リチャード・ニー
ル(ラップ裁判委員長)、西村雅彦(弁護側証人の町田秀美)、蒼井優(弁護側証人の守部和子)、田中
好子(弁護側証人の水谷愛子)、頭師佳孝(元海軍経理部相原伍長)、加藤隆之(岡田陽[あきら]=岡
田資の長男)、近藤はな(小原純子=陽のフィアンセ)などが出演している。
 さて、DVDでさらにもう1本の邦画を観たので、簡単な感想を記そう。『女囚さそり・第41雑居房』(監
督:伊藤俊也、東映東京、1972年)である。おそらく、封切直後ではなくて、東京の上野駅付近の地下に
あった映画館(二番館、あるいは、それに準ずる映画館)で観たと思う。36年ぶり2度目の鑑賞である。
ほとんど覚えていなかったので、新鮮な感じがした。相変わらず、様式的・悪魔的・耽美的な作風なので、
物語の世界に入れないと、ひたすらエログロ画像を見せつけられているだけに終わるかもしれない。途中
で、七人の女の罪科を歌舞伎風に披瀝している場面があるが、そのときの台詞が煽情的なので下に書き写
してみる。例によって、耳から拾ったので、正確ではない。

  男に狂う女の性(さが)か/恨み辛みの愛憎地獄/悲しき罪に震え慄く/徒花七つ

  一の女(白石加代子)は、惚れた亭主の浮気憎さに/わが子を殺す罪深さ

  次の女(荒砂ゆき)は、連れ子いびりの若い情夫の/首を絞めたる情けなさ

  三の女(八並映子)は、好いた男の女房憎しと/毒嚥ませたる恐ろしさ

  四の女(賀川雪絵)は、春を鬻いで男を渡る/果ての浅まし刃傷沙汰

  五の女(伊佐山ひろ子)は、人の幸せ妬ましや/放火に狂う愚かしさ

  六の女(石井くに子)は、娘を襲う畜生道の/父[てて]親殺しのおぞましさ

  七の女(梶芽衣子)は、…………………(ここで、松島ナミの竹を割る場面が入る)

 子殺し、情夫殺し、浮気相手の女房の毒殺、売春の果ての刃傷沙汰、妬みから来る放火、近親相姦の果
ての親殺し……おぞましい限りの罪科のオンパレードである。しかし、ここに女という性の業の深さとそ
こから生まれる悲しみを汲み取ってみることもできるだろう。また、この映画では、前作同様、松島ナミ
(梶芽衣子)が輪姦されるシーンがあるが、本気で腹が立った。性犯罪の暴力沙汰は、愛という行為と似
ていながら、その対極に属するものなので、よけいに憤りを感じるものなのかもしれない。自分自身の男
という性にもその暴力性が常に潜んでいるだけに、男女関係の難しさを意識せずにはいられない。気を遣
い、重ねて気を遣い、なおも気を遣うくらいでちょうどよいのではないか。なお、主演の梶芽衣子のほと
んど台詞のない目による演技は、小生を魅了してやまない。まるで、蛇に睨まれた蛙である。他に、渡辺
文雄(郷田所長=後の東京矯正管区長)、白石加代子(大場ひで)、荒砂ゆき(及川君代)、伊佐山ひろ
子(野田朝子)、八並映子(我妻春江)、賀川雪絵[賀川ユキ絵](安木富子)、石井くに子(都ローズ)、
室田日出男(沖崎)、堀田真三(古谷)、小松方正(辻)、佐藤京一(田所)、安藤三男(鳥居)、阿藤
海[阿藤快](尾形)、久地明(風間)、林宏(落合)、宮地謙吉(稲村)、 田中筆子(老婆)、相馬
剛三(警官)、高月忠(若い男)、小林稔侍(若い男)、伊達弘(若い男)、笠原玲子(若い女)、戸浦
六宏(法務省巡閲官)、三浦忍(東京矯正管区員)などが出演している。なお、配役等に関しては、《goo
映画》を参照した。


 某月某日

 久し振りのブログである。所用で上洛していたので、その間お休みをいただいたというわけ。さて、映
画館で1本、DVDで1本、都合2本の邦画を観たのでご報告。1本目は『明日への遺言』(監督:小泉尭史、
アスミック・エース エンタテインメント=住友商事=産経新聞社=WOWOW=テレビ東京=ティー ワイ リミ
テッド=シネマ・インヴェストメント=CBC=エース・プロダクション、2008年)である。ただし、今日は
時間がないので、この映画に関しては後日感想を記そう。
 2本目は『女囚701号・さそり』(監督:伊藤俊也、東映東京、1972年)である。おそらく、5回目くら
いの鑑賞である。したがって、細部を問わなければ、ほとんどの場面を覚えていた。「それでも面白いの
か」と訊かれたら、「そうだ」と答えるしかない。それがファン気質というものだろう。梶芽衣子の代表
作の一つである。この映画はシリーズ化され、彼女の主演に限ると合計4本を数えたが、いずれも荒唐無
稽の復讐譚で、その点では論じることは少ない。したがって、このブログで言及することもないだろうと
思っていたが、禁を犯してDVDを購入してしまったので、こうして記録しているわけである。小生は彼女の
大ファンであるが、ブロマイドとか、写真集(そんなものがあれば、買い求めるかもしれないが……)と
か、タレント本とか、石鹸(知っている人は、あぁあれかという代物)とか、一切買い求めていないし、
彼女が出演しているテレヴィの『鬼平犯科帳』も、ほとんど観ていない。「それでは、ファンとして欠格
ではないのか」と責められれば、「そうかもしれない」と答えるしかない。ここで、多少の弁解を述べて
おこう。つまり、グッズなどを追いかけなくても、いつもわが胸の内に彼女が住まっているから、基本的
にそういうものは必要ないのである、と。さて、今回の鑑賞でもやはり彼女に痺れてしまった。もちろん、
映画の役柄としての話であるが、彼女に刺される夏八木勲が少し羨ましいと書けば、変態扱いされるだろ
うか。「閻魔おとし」(『シーシュポスの神話』を思わせるような苦役。穴を掘らせ、掘ったらそれを埋
める作業を半永久的にやらせる一種の体罰かつ精神罰)や「アバレ」(集団反抗、もしくは、集団脱走の
こと)などの特殊な用語が極悪刑務所の雰囲気を盛り上げている。70年代前半の権力に対する「反抗劇」
の要素もあるが、小生としては純粋な女の「私怨劇」として観たい。最後に、主な出演者を記録しておこ
う。梶芽衣子(松島ナミ)、夏八木勲(麻薬捜査官の杉見次雄)、扇ひろ子(進藤梨恵)、渡辺文雄(刑
務所長の郷田)、横山リエ(片桐)、渡辺やよい(木田由起子)、根岸明美(大塚)、三原葉子(政木)、
片山由美子(鬼頭)、室田日出男(刑務官の仲崎)、沼田曜一(刑務官の曽我)、伊達三郎(海津敏)、
および、無名時代の小林稔侍(刑務官)、太古八郎[後のたこ八郎](刑務官)などが出演している。な
お、配役等に関しては《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『櫂』(監督:五社英雄、東映、1985年)を観た。『鬼龍院花子の生涯』(監督:五社英雄、
東映=俳優座映画放送、1982年)、『陽暉楼』(監督:五社英雄、東映京都=俳優座映画放送、1983年)
につづく、宮尾登美子原作=五社英雄監督作品3部作の完結篇である。高知で「藝妓・娼妓紹介業(女衒)」
を営む富田岩伍(緒形拳)とその妻喜和(十朱幸代)との関係を中心に、女の悲しい生と性を描いた作品
で、時代は大正3年から昭和11年までである。「櫂は三年、櫓は三月、浮かしておけば、流される」とい
うキャッチ・フレーズは小気味よいが、全体に焦点のぼやけた映画だった。娯楽作品としては「まあまあ」
といったところか。主演の十朱は、前2作の出演者(岩下志麻や浅野温子たち)よりおとなし目の顔立ち
なので、どうしても映像的な迫力の点で劣るのだろう。緒形は相変わらずだったが……。「女衒という仕
事は一種の人助けである」という認識は現代では通じないだろうが、女性が自立して生きることのできる
社会を構築しなければ、内実は昔と少しも変わらないことになる。つまり、女性が独り立ちできない世の
中がつづく限り、売春(あるいは、それに類する商売)はけっしてなくならないだろう。売春を「必要悪」
として容認し、それを公的にきちんと管理する方法もあるのだろうが、今の日本ではその方法を肯定する
人は少数派であろう。売春そのものはいつの世も盛んだというのに……。つまり、問題は売春にあるので
はなく、女性の生活環境の社会的改善こそが焦眉の急なのである。女性が泣かなければならない社会を放
置してきた罪は、とても重いのである。これからでも遅くはないので、この問題もきちんと考えていくべ
きであろう。他に、名取裕子(染勇)、石原真理子[石原真理絵](菊)、井上純一(竜太郎)、田中隆
三(健太郎)、高橋かおり(綾子)、草笛光子(大貞)、真行寺君枝[眞行寺君枝](豊竹巴吉)、ハナ
肇(小笠原楠喜)、園佳也子(里江)、白都真理(松井照)、島田正吾(森山大蔵)、左とん平(庄)、
成田三樹夫(谷川文造)、島田紳助(竹市)、桜金造(米)、藤山直美(鶴)、宮尾登美子(陽暉楼の女
将)などが出演している。なお、配役については、《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 『無宿(やどなし)』(監督:斎藤耕一、勝プロダクション、1974年)という邦画を観たので、以下に
感想を記そう。総じて言えることは、「何もかも中途半端な作品である」ということである。まず配役だ
が、せっかく高倉健(穴吹錠吉)と勝新太郎(駒形玄造)という二大スターを共演させながら、互いの持
味を十分に発揮させていない。紅一点の梶芽衣子(サキエ)の役も、とくに彼女じゃなければ務まらない
役ではない。敵役の面々もどこか冴えず、誰一人好演した者がいない。筋書も平凡で、最後まで盛り上が
ることなく、取って付けたような結末には失笑するしかなかった。勝新太郎が『津軽じょんがら節』(監
督:斎藤耕一、斎藤プロ=ATG、1973年)に感激して連れてきた斎藤監督の力量も、どこに現れているのか
よく分らない。名作と言われている『冒険者たち(LES AVENTURIERS)』(監督:ロベール・アリンコ、仏、
1967年)[筆者、未見]を下敷にしているらしいが、「宝探し」をテーマにした映画はなかなか成立しな
いと思った。また、男女の微妙な三角関係も描けておらず、梶芽衣子が浮いてしまった。彼女のファンと
しては、たいへん残念である。唯一珍しいと思われるのは、高倉健と勝新太郎が潜水夫になる場面である。
しかし、どこか滑稽であった。他に、藤間紫(坂東梅之丞)、安藤昇(斐川仙蔵)、殿山泰司(為造)、
中谷一郎(辰平)、山城新伍(安)、今井健二(磯吉)、三上真一郎(常泰)、大滝秀治(大場親分)、
神津善行(ガセネタ売り)、荒木道子(女郎屋の女将)、石橋蓮司(勇作)などが出演している。なお、
配役等に関しては、《goo 映画》を参照した。


 某月某日

 「虫の居所が悪い」という言葉がある。どうにも不機嫌で、ちょっとした刺激に過剰反応して、本人も
不愉快、周りも迷惑という困った状態である。小生の父親は、この虫の居所がいつも悪くて、直ぐに不機
嫌になり周囲に当り散らしていた。お天気屋でもあるので、機嫌がいいときもあるのだが、こちらがその
つもりでいると痛い目に遭った。たった今上機嫌だったのに、あっという間に不機嫌になるからである。
それでも、幼い頃は、「父親とはそういうものである」と母親から言い含められていたので、格段の不都
合を感じなかった。しかし、こちらも思春期に入る頃になると、そういうわけにもいかなかった。父親の
態度に批判的になるからである。ただでさえ思い通りに行かない世の中なのに、わざわざ不機嫌の種を見
つけて勝手に苦虫を噛み潰し、あまつさえ周囲を巻き込んでその場の雰囲気を壊すのは即刻やめてくれ、
というわけである。二十歳をすぎてからは父親の相手をすることのばからしさに気付き、不干渉主義に変
えたが、その分母親に負担がかかっていたらしい。小生は何はなくとも洒落や冗談を好むのだが、子ども
の頃のあの重苦しい雰囲気がとてもいやだったからかもしれない。これらをさらに洗練させれば、ユーモ
アと寛容の精神に衣替えするだろう。このユーモアと寛容の精神が不足気味の世の中はまことに棲みにく
いと思う。ともあれ、古代ギリシアの哲人デーモクリトスのように、あらゆることを笑い飛ばして生きた
いものである。


 某月某日

 DVDで邦画の『けものがれ、俺らの猿と』(監督:須永秀明、日本ビクター=スペースシャワーネットワ
ーク=パノラマ・コミュニケーションズ、2000年)を観た。町田康の小説を縦横に映画化したものと思わ
れるが、彼の作品をひとつも読んでいないので、どのくらい原作を活かしているのかは分らない。機会が
あれば、原作も読んでみたい。さて、物語であるが、自堕落なために生活が破綻寸前の脚本家佐志(永瀬
正敏)のもとに、自称「映画プロデューサー」の楮山(小松方正)が訪ねて来る。仕事の依頼である。彼
の住処は義父(車だん吉)の持ち物で、その義父から追い立てを喰らっていた。奇怪な肉食虫(カブトム
シに似ているか?)が跋扈するようなところなので、取り壊してマンションを立てる計画らしい。佐志は
生活費にも困っていたから、一も二もなくその仕事を引き受けることになった。楮山の依頼内容を下に記
してみよう。

  ……現代的な諸問題、つまり環境問題、青少年犯罪の問題、老人福祉の問題、等々、盛り込みま
 してな、ゴミの処分場をめぐる、社会派サスペンス……とはいえ、美男美女が活躍する恋愛娯楽映
 画でもあります。

 要するに、焦点の定まらない大作であり、最初から失敗するに決まっている企画である。その脚本を佐
志に書けと言うのである。しかし、楮山は取材費を惜しみなく出してくれそうな勢いだったので、佐志は
舞い上がってしまう。そして、いよいよシナリオ・ハンティングに出かけることになるのであるが、そこ
で佐志はさまざまな災難に遭遇することになる。この後の展開は割愛するが、既成の秩序では量れない濃
厚にして空虚な内容である。鳥肌実が田島青年の役で出演しているが、『タナカヒロシのすべて』(監督:
田中誠、プログレッシブピクチャーズ=ジェネオンエンタテインメント=ヒューマンコミュニケーション
ズ=バップ=ネルケプランニング=グレコジャパン=小椋事務所、2004年)で見せたような不可思議な感
じはまだ出せていないと思った。要するに、芸風は一緒であるが、まだ洗練されていないのである。つま
り、臭みがありすぎて笑えないのである。他に、降谷建志(青年)、ムッシュかまやつ(焼却場の男)、
松重豊(警官もどき)、森下能幸(喫茶店の客の一人)などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『東京フィスト(TOKYO FIST)』(監督:塚本晋也、海獣シアター、1995年)を観た。塚本
監督の完全純正作品第2弾である。物語は単純だが、その偏執狂的な映画術には思わず魅せられる。平凡
な保険会社の社員が、ふとしたきっかけからボクシングに打ち込んでゆく様を描いている。津田義春(塚
本晋也)は真面目に働くセールスマンである。恋人の藤本ひづる(藤井かほり)との仲も良好で、充実し
た毎日を送っていた。ところが、そこに高校時代の友人である小島拓司(塚本耕司)が現れてから歯車が
狂い始める。彼ら二人には、共通の友人だった少女が殺されるという過去があった。義春はその事実を封
印して生きるという平凡な日常を選び取っていたが、拓司はボクサーになっていつの日にか少女を殺した
相手をぶちのめすことに生き甲斐を見出していた。そんな拓司にとって、義春の変貌には許しがたいもの
があった。そこで、拓司の攻撃は義春の恋人のひづるに向かった。義春の留守にひづるの唇を奪う行為に
出たのである。それを知った義春は激怒し、拓司に殴りかかるが、反対に叩きのめされるのであった。こ
のことをきっかけとして、義春とひづるの関係は破綻し、ひづるは自分の肉体に改造を施すこと(身体の
あちこちにピアスしたり、刺青を入れたりする行為)に喜びを見出すようになる。しかも、義春との生活
を清算し、拓司と同棲を始めるのであった。義春はひづるとの仲を裂かれたことに対する怨恨を、ボクシ
ングによって晴らそうとする。以後の展開は割愛するが、壮絶な恋愛ボクシング映画である。例によって
塚本晋也は、製作、監督、主演、脚本、撮影、照明、美術、編集の8役をこなしている。なお、相手役の
塚本耕司は実弟の由。他に、輪島功一(白田会長)、六平直政(トレーナーの長谷)、竹中直人(セコン
ドの大泉)、田口トモロヲ(刺青師)などが出演している。ちなみに、英語の《fist》とは、「握り拳」、
「拳骨」のことである。なお、配役等に関しては、《goo 映画》を参照した。
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