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日日是労働セレクト28
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第28弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト28」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 DVDで邦画の『太陽の傷』(監督:三池崇史、シネマパラダイス、2006年)を観た。三池監督の映画はあ
まり観ていないが、『殺し屋1』(監督:三池崇史、オメガ・プロジェクト=オメガ・ミコット=EMG=
STARMAX=スパイク=アルファグループ=エクセレントフィルム、2001年)の強烈な印象があるせいか、観
る前からどんな映画か楽しみにしていた。期待に違わず、緊張感を持続させてくれる映画だった。モチー
フとしては、『誰がために』(監督:日向寺太郎、ジャパンケーブルキャスト=バンダイビジュアル=ワ
コー=メリオル=パル企画、2004年)に近いか。古くは『マッドマックス(Mad Max)』(監督:ジョージ・
ミラー、オーストラリア、1979年)のモチーフでもあり、これまで何度も作品化されてきたテーマである。
つまり、愛する家族が惨殺され、その復讐に燃える主人公の怒りが物語を引張ってゆくという筋書である。
主人公の名前は片山敏樹。演じるのは哀川翔。Vシネマで鍛えただけあって、スター性たっぷりの配役で
ある。言い換えれば、彼の名前だけでその映画を観たくなるというわけである。愛嬢彩乃(佐々木麻緒)
が殺され、それを苦にした妻陽子(蜷川みほ)が自殺し、本人も被害者なのにマスコミに叩かれるといっ
た、絶望的な状況に立たされる。しかし、学生時代の友人(小木茂光)の勧めに従って横浜に移転し、犯
人の少年神木彰(森本慧)への復讐心を封印させて生活し始める。3年後、片山は、電車の中の週刊誌の
吊り広告を読んで愕然とする。「凶悪少年犯が仮退院していた/彩乃ちゃん殺害少年/偽名で既に社会復
帰か」という記事である。この記事に居ても立ってもいられなくなった片山は、何としても神木を探し出
そうとする。この後の展開は割愛するが、暴力が暴力を生んで、殺伐とした結末を迎えるしかないのであ
る。他に、佐藤藍子(保護監察官の滝沢真弓)、吉岡美穂(妹の片山香緒里)、勝野洋(片山の友人の田
口邦男)、本宮泰風(刑事の新田誠=香緒里の恋人)、平泉成(保護司の福島太郎)、夏山千景(万引す
る女レイナ)、冨浦智嗣(ナイフで猫を刺殺する少年の涼)、遠藤憲一(ドラッグストアの店員)、松重
豊(刑事の尾崎勝也)、風間トオル(保護司の内村洋平)、宅麻伸(弁護士の赤津洸一郎)などが出演し
ている。ところで、犯人役の森本慧は、いかにも「ジャニーズ」系の美男子であるが、こういう役を演じ
る少年を劣等感の塊のような風貌の役者にやらせたらどうなるだろうか、などと余計なことを考えてしま
った。たぶん、こういう役柄には必ずと言ってよいほど美男子が起用されることに、小生としては違和感
を感じるからだろうと思う。さて、少年法の問題は今も喧しい議論を呼んでいるが、いずれも決定的な結
論を得ていないようである。主人公の片山は、「警察もマスコミも法律もわれわれを守ってくれない」と
吐き捨てるが、映画を観ている限りでは片山に同情したくなる。しかし、やはり「目には目を、歯に歯を」
では何の解決も得られないと思う。もっとも、三島由紀夫の『午後の曳航』を持ち出すまでもなく、13歳
の殺人者をどう処遇したらよいのか、おそらく誰にも答えの出せない問いではないだろうか。携帯電話で
殺人依頼を受け、インターネットで武器を調達し、「13歳には殺しのライセンスが与えられている」とい
うメッセージを真に受けて、誰でもいいから殺人を犯そうとする。まさに世も末であるが、暴力に対する
不断の拒絶が不可能な以上、せいぜい人を信用することのできる社会の構築に黙々と勤しむしかないのだ
ろう。それで殺されるのならば、殺されるしかない。なお、出演者に関しては<allcinema>を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『犬死にせしもの』(監督:井筒和幸、大映=ディレクターズ・カンパニー、1986年)を
観た。井筒監督の作品なので少し期待したが、平凡な演出であった。ところどころに井筒らしいギャグも
ないことはなかったが、ほとんどが滑っていた。シリアスにするのか、おちゃらかすのか、中途半端なま
ま撮影を進行させたので、うまくいかなかったのであろう。ただし、そこそこ面白い映画ではある。時代
は敗戦直後、場所は瀬戸内海、島ごと海賊の島があるという設定の中で、三人の若者がそれなりの青春を
生きる物語である。それぞれ、重左(真田広之)、鬼庄(佐藤浩市)、伝次郎(堀弘一)と呼ばれており、
小型船の梵天丸を操って海賊稼業に勤しんでいる。重左と鬼庄はビルマのインパール戦線から生還した戦
友同士であり、伝次郎は戦艦大和の生き残りである。いずれもが「拾った命」を自覚しており、さほど胆
力があるわけではないが、何とか海賊商売を続けている。そんなある日、花嫁船を襲い、思わぬ経緯から、
花嫁の洋子(安田成美)を誘拐することになり、これが騒動の元になる。瀬戸内海を牛耳る私的警察の
「花万」を敵に回すことになったからである。以後の展開は省略するが、火つけ柴と呼ばれる花万の番頭
(蟹江敬三)との戦いが主な見所である。他に、今井美樹(千佳=火つけ柴の愛人)、平田満(岩テコと
呼ばれる情報屋)、西村晃(元ヤクザの阿波政)、中村玉緒(重左の母)、吉行和子(たえ=火つけ柴の
姉)、木之元亮(猪狩)、風祭ゆき(大名の血筋を引く娼婦)、桂べかこ(船員)、梅津栄(花嫁が掠奪
されたことを猪狩に説明する人物)、寺田農(オカマ)、内藤剛志(オカマ)などが出演している。意味
不明の場面も多く、その点ではいただけないが、そのような「遊び心」が後の井筒監督を育てたのかと思
えば、無駄としか思えない要素も芸の肥やしになっているのだろうとは思う。敗戦直後の雰囲気はまった
くないし(とりわけ、兵隊の服装が綺麗すぎる)、ファンには悪いがなぜ売れたのかよく分らない安田成
美をなぜここまで守られるべき人物に仕立て上げる必要があるのかこれもよく分らないし、ヌードまで披
露した今井美樹の格好も現代(ただし、1986年当時)風で滑稽きわまるし、だいたいテーマは何なのか、
それすらも分らない。しかし、どこか憎めないのは、やはり井筒監督の人徳のお蔭なのであろう。なお、
伝次郎を演じた堀弘一が公開直前に亡くなっており、いわゆる「遺作」になった由。合掌。さらに、これ
も蛇足であるが、三人組の隠れ家である五貫島の三っつのポスターが少し読めたので記録しておこう。


   被災で困っている人達に衣類を

   出漁の折沖合三キロ附近に機雷および沈没船があると思ひますから呉々も注意して下さい

    お知らせ

   防空壕を至急撤去して下さい

         五貫島自治会


 某月某日

 今日は、シリーズ日本近現代史6の『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著、岩波新書、2007年)の要点記
載のつづき(第四弾)を行なってみよう。


 61.「大東亜共栄圏」は、諸国家・諸民族間の平等な関係を原則とした国際秩序ではなく、日本を盟
  主としたピラミッド型の階層的な秩序が想定されていた。

 62.1942(昭和17)年2月、陥落直後のシンガポールでは、華僑に対する粛清工作が行なわれ、検問
  によって狩り出された5,000人をこえる華僑が日本軍の手で処刑されている。

 63.日本にとって南方領地行政に関する泣きどころとは、少なくとも1億を下らない南方原住民を養
  っていかなければならず、その生活必需物資を米英蘭に代わって給付する余力がなければならない
  点であった。

 64.アジア・太平洋戦争は、連合軍との間の資源争奪戦争という側面だけでなく、「日本という帝国
  内部での資源の争奪戦」という側面もあわせ持っていた。たとえば、船舶の喪失による輸送力の急
  速な低下が招いた、共栄圏内の「米不足=飢餓状態」などが挙げられるだろう。そうした意味でも、
  「共栄」は虚構の大義だった。

 65.大日本帝国の権益至上主義は根強く、フィリピンやビルマの独立準備を進めるとともに、マライ・
  スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスを帝国領土に組み込み、重要国防資源の供給源として、極
  力これらの地域の開発と民心の把握に努めるよう促している。つまり、日本にとって重要な地域は
  独立を認めないという政策である。

 66.アメリカ合衆国は、戦時中に生活水準を向上させた唯一の国であり、その結果、アメリカの一般
  国民にとっても、戦争が十分に引き合うものだったことが分る。

 67.アジア・太平洋戦争の開戦前後から配給制は一層拡大し、1941(昭和16)年11月からは魚類が、
  翌年2月からは衣料品と味噌・醤油が、つづいて11月からは青果物が配給制に移行している。しか
  し配給品だけでは生きてゆくのが不可能だったから、多くの国民は公定価格制度違反の闇取引によ
  って、米や野菜を購入するようになり、闇取引の常態化が起こった。

 68.軍隊への召集令状が「赤紙」と呼ばれたことは周知の事実であるが、これに対して、徴用令書は
  国民の間では「白紙」と呼ばれていた由。また、軍需会社の場合には、事業主と従業員を丸ごと徴
  用することも可能になり、これを「現員徴用」と呼んだ。

 69.戦死者の遺骨が遺族の許に届けられることはむしろ稀で、実骨の代わりに「留魂砂」と呼ばれた
  海砂が収められていることもあった。1943(昭和18)年6月27日付の『朝日新聞』には、「凄壮苛
  烈な近代戦/時に遺骨還らず/軍当局/銃後の覚悟を要請」という記事が掲載されている。遺族に
  あきらめを説くような記事が掲載されること自体、遺族の側に不満がたかまりつつあったことの証
  左である。「きのう召された蛸八が/弾にあたって名誉の戦死/タコの遺骨はいつ帰る/骨がない
  ので帰らない/タコの親たちゃかわいそう」などという戯歌なども歌われたようである。このよう
  な「不穏歌謡」は、国民の潜在意識を映し出す鏡のような役割を果たしていたのかもしれない。

 70.戦後のオーストラリア社会では、漂流中の無抵抗の日本兵を機銃掃射で殺害するのは、戦争犯罪
  にあたるという批判の声があがり、大きな論争に発展している。

 71.「玉砕」という一見美しい表現は、両刃の剣であった。1943(昭和18)年12月20日付の大本営発
  表では、タワラ島・マキン島の守備隊の全滅に対して「全員玉砕せり」の表現を使用しているが、
  クェゼリン島・ルオット島の守備隊の全滅を報じた翌1944(昭和19)年2月25日付の大本営発表で
  は、「全員壮烈なる戦死を遂げたり」の表現に代わり、以後、「玉砕」の二文字は基本的に使われ
  なくなる。この政策変更は、「玉砕」という表現が、逆に日本軍の無力さを国民に印象づける結果
  になるという判断に基づいていると考えられる。

 72.サイパン島をめぐる攻防戦では、日本軍守備隊4万4千名の他に、日本の民間人1万2千人と、
  先住民のチャモロ人・カナカ人数百人が戦闘に巻き込まれて戦没している。日本の民間人の多くは、
  沖縄県からの移民であり、サイパン戦は、多数の民間人を巻き込んだ最初の地上戦となった。この
  事情は、『大日本帝国』(監督:舛田利雄、東映、1982年)に詳しい。なお、当該映画で、佳那晃
  子(国吉靖子)が沖縄出身の娘を好演している。さらに、サイパン島の戦闘で見逃すことができな
  いのは、この頃から日本軍の戦意に明らかなかげりが見え始めるという事実である。その後、マリ
  アナ諸島の失陥によって日本の敗戦はもはや決定的となり、戦局は見通しのない絶望的抗戦期に移
  行するのである。

 73.民間人戦没者の処遇をめぐって、彼らを軍属として取り扱い靖国神社に合祀するべきだという主
  張もあったが、結局、実現しなかった。靖国神社は、現在に至るまで、基本的には天皇のために戦
  い、天皇のために戦死した軍人・軍属だけを、慰霊し顕彰する施設にすぎないからである。

 74.陸軍中央が対米戦の重要性を認識するのには、かなりの時間がかかった。教育総監は、1943(昭
  和18)年9月になってから、「今後の教育、研究は主としてあ号作戦〔対米戦〕に転換する」と、
  陸軍隷下諸学校に指示しているが、遅きに失した感がある。

 75.1941(昭和16)年1月、東条英機陸相が布達した「戦陣訓」(日本軍の将兵が守るべき戦場道徳
  を説いたもの)は、「生きて虜囚の辱めを受けず」という形で、従来からの日本軍の中に根強かっ
  た捕虜になることを恥辱とする思想を公式に定式化し、投降を禁じていたのである。邦画の『バル
  トの楽園(がくえん)』(監督:出目昌伸、東映=シナノ企画=日本出版販売=TOKYO FM= テレ  
  ビ朝日=加賀電子=読売新聞=福島民報社、2006年)で、多くの日本の軍人が降伏したドイツ人将
  校を詰ったのも、このような背景があったからと思われる。なお、最初の「玉砕」であるアッツ島
  の場合は、捕虜となった日本兵は29名で、これは全兵力の1%にすぎない。

 76.1944(昭和19)年2月には、東条英機陸相が参謀総長を、嶋田繁太郎海相が軍令部総長を兼任する
  という異例の措置がとられた。戦局の悪化にともなって、国務と統帥の分裂、統帥部内における陸
  海軍の対立が深刻化するなかで、陸海軍の内部からさまざまな改革構想がうまれてきていた。大本
  営陸軍部(参謀本部)と大本営海軍部(軍令部)を完全に統合し、大本営幕僚部総長を一名置く案、
  陸相と参謀総長、海相と軍令部総長の兼任案などである。特に陸軍は大本営の一元化に積極的だっ
  たが、陸軍に主導権を奪われることを恐れた海軍が消極的だったため実現せず、結局、陸海軍大臣
  がそれぞれ統帥部長を兼任するという上の措置に落ちついた。

 77.議会への請願書提出に警察が干渉する事実があるのは、「下情上通権の抹殺」であるとして、政
  府の姿勢を厳しく批判した坂東幸太郎委員の異例の質問は、請願委員会での東条首相の言明(国民
  の請願は憲法において与えられた重要な権利であり、また下意上達の一つの重点であると考える)
  が実質をともなうものではないことを突いたものだった。

 78.東条英機首相の極端な精神主義への傾斜が周囲の顰蹙を買うまでになった事情は『日本の軍隊』
  (飯塚浩二 著、岩波現代文庫、2003年)に詳しい。「敵機は機関砲で堕とすのではなく、精神力
  で堕とすのである」という精神論は、徒に空回りしつつあった。

 79.東条と嶋田による参謀総長、軍令部総長兼任は、「統帥権干犯」という大義名分からの東条内閣
  批判を可能にした。1944(昭和19)年7月18日、米内光政の入閣拒否や岸信介の国務大臣辞任拒否
  を受けて、ついに東条内閣は総辞職した。「政治はやるものではない、孫子の末まで政治に関する
  ことはさせない」という東条の非公式発言もあったようである。

 80.農業生産物の増産が至上命令となるなかで、政府は直接生産者である小作農を保護する政策をと
  らざるをえなくなり、結果として、寄生地主制は、戦時下において大きく後退することになった。


 つづきは、またの機会に譲ろう。


 某月某日

 5本の邦画を観たので、報告しよう。1本目は『男はソレを我慢できない』(監督:信藤三雄、シモキ
タ・シネマ・プロジェクト、2006年)である。いわゆる「人情喜劇」に分類できる作品であるが、物語に
捻りがなく、成功しているとは言い難い。鈴木京香(大山さつき)に特殊な言葉を言わせる場面があるが、
面白いとは思うけれども品がない。竹中直人(DJタイガー=服部大河)が絡むといつもそうなるので、少
しばかり食傷気味になっている。他に、小池栄子(CHERRY=服部ちえり)、温水洋一(なすおやじ=那須)、
清水ミチコ(おばちゃん=服部ミチヨ)、ベンガル(おいちゃん=服部弁軽)、大森南朋(たかし=大森
隆史)、高橋克実(チャーリー=鮫島千有)、中村達也(タツヤ)、ワタナベイビー(ベイビー=渡辺大
覧)、田中卓志〔アンガールズ〕(赤パン)、高橋幸宏(真龍寺の住職)、斉木しげる(金閣寺大造)、
緋田康人(ヒルズ=丘比留男)、岸野雄一(LADY=髭野まさこ)、野宮真貴(JANE)などが出演している。
 2本目は『グラマ島の誘惑』(監督:川島雄三、東京映画、1959年)である。高知県立美術館で「川島
雄三映画祭」(4日間)が催されたが、上映された作品(16本)のうちの1本である。戦争末期、南海の
孤島に漂着した皇族や軍人(男たち)と報道記者や従軍慰安婦など(女たち)の物語。設定に無理がある
が、天皇制や水爆実験を批判するまなざしは皮肉に満ちている。森繁久彌、フランキー堺、桂小金治、八
千草薫、三橋達也、淡路恵子、浪花千栄子、宮城まり子、春川ますみ、岸田今日子などが出演している。
 3本目は『花影』(監督:川島雄三、東京映画、1961年)である。同映画祭で観た作品。しっとりとし
た味わいの作品であるが、定番の筋書で目新しさはあまりない。ただ、主人公の足立葉子(池内淳子)の
侘しさやら悲しみやらは伝わってくる。他に、佐野周二(高島謙三)、池部良(松崎勝也)、高島忠夫
(清水文雄)、有島一郎(畑浩助)、三橋達也(野方逸郎)、山岡久乃(戸田潤子)、筑波久子(亜矢子)、
淡島千景(お米)、塩沢とき(近所のバーの女)などが出演している。人のいい中高年の役のイメージが
強い有島一郎が、この作品では女癖が悪い嫌な男を演じているのが目に付いた。
 4本目は『バルトの楽園(がくえん)』(監督:出目昌伸、東映=シナノ企画=日本出版販売=TOKYO
FM=テレビ朝日=加賀電子=読売新聞=福島民報社、2006年)である。まさに教科書のような作品である
が、よくできていると言ってよいだろう。1914(大正3)年11月15日、446名のドイツ軍捕虜が久留米収容
所に収容された。第一次世界大戦において中国の青島(チンタオ)の守備隊であったが、結果的に降参し
たドイツ将兵4,700名のうちの一部である。陸軍省俘虜情報局の采配によって、全国12箇所に捕虜を分散し
て収容したのである。日本はわずか77日間の参戦ではあったが、戦勝国としてハーグ条約に基づき捕虜を
収容しなければならなかったのである。そこでの捕虜の生活は過酷を極め、囚人同様の扱いを受けていた。
2年後、収容所の統合が画策され、89名の捕虜が鳴門市の坂東収容所に移送されてきた。彼らは新たな地
獄を経験するのかと思っていたが、あにはからんや、大変な歓迎を受けることになったのである。それは、
所長の松江豊寿(松平健)の方針であった。坂東収容所でのドイツ人は、パンを焼き、新聞を作り、楽器
を演奏し、かつ日本の青年にそれを教え、器械体操を地元の中学生に教え、自らは日本語や柔道を習った
りしていた。また、 予算が削減されたときなど、山の木材を伐り出す仕事を皆で行って収容所の費用を捻
出したりすることもあった。要するにとても捕虜とは言えない生活を満喫することができたのである。ド
イツ側の指揮官(ブルーノ・ガンツ)の台詞である「われわれは捕虜であっても、野蛮人じゃない」や、
松江の台詞である「信頼されれば、人は皆その信頼に応えようとする」が伝えようとしている精神が生き
ている映画であった。松江は「会津魂」に支えられて生きているが、それは明治政府に対する憎しみや復
讐心ではなく、会津人としての誇りである、と言い切っている。最後に、ベートーヴェンの「第九交響曲
(歓びの歌)」が収容所の人々によって演奏されるが、これがきっかけで年末の第九の合唱が日本に根付
いたようである。1920(大正9)年4月1日、坂東俘虜収容所は、正式に閉鎖された。この模範収容所(ムス
ター・ラーゲル〔Muster Lager〕)が地上に存在したのは、2年10ヶ月であった。なお、題名の「バルト
(Bart)」は、ドイツ語で「髭」のことである。松江所長の立派な口髭のことを指しているのだろう。他
に、阿部寛、國村隼、大後寿々花、中山忍、中島ひろ子、市原悦子、徳井優、三船史郎、勝野洋、大杉漣、
泉谷しげる、坂東英二、平田満、高島礼子などが出演している。最後に、國村隼のドイツ語が流暢だった
ことも指摘しておこう。
 5本目は『Helpless』(監督:青山真治、WOWOW=バンダイビジュアル、1996年)である。青山監督の映
画は本作で4本目の鑑賞であるが、いずれも彼のスタイルが一貫していると言えよう。浅野忠信(白石健
次)初主演の映画ということで、以前から観たいと思っていたのであるが、TSUTAYAがレンタルを始めたの
で観ることができた。北九州を舞台にして、未来の見えない若者の行き場のない暴力が描かれている。他
に、辻香緒里(松村ユリ)、光石研(松村安男)、斉藤陽一郎(秋彦)、伊佐山ひろ子(ウェイトレス)、
諏訪太朗(コック)、永澤俊矢(坂梨)、りゅう雅登(白石辰造)、梅田剛利(警官)、木村亮介(チン
ピラ)、木滝和幸(五郎)などが出演している。
 以上5本とも、出演者に関しては<goo 映画>を参照しているが、間違いと思われるところは訂正してお
いた。


 某月某日

 今日は、シリーズ日本近現代史6の『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著、岩波新書、2007年)の要点記
載のつづき(第三弾)を行なってみよう。


 41.マレー沖海戦は、海上を機動しながら対空戦闘を行なう戦艦を撃沈した最初の航空戦であり、
  大鑑巨砲主義時代の終焉と航空戦力が主役となる時代の到来をつげる画期的な戦闘だった。

 42.真珠湾攻撃における小型潜航艇(甲標的)の役割については、邦画の『海軍』(監督:村山新
  治、東映、1963年)、および、『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』(監督:小沢茂弘、東映、1968
  年)に詳しい。発進した10隻全部が未帰還となったが、少なくとも1隻が湾内に進入して米戦艦
  に魚雷一発を命中させていた由。しかし、真珠湾攻撃は潜水艦部隊による攻撃としては、完全な
  失敗に終わったと言ってよい。この失敗は、日本海軍潜水艦部隊の運命を暗示するものでもあっ
  た。

 43.ガダルカナル攻防戦(42年8月から)では、ソロモン海域は文字通り陸上攻撃機(陸攻機)の
  「墓場」であった。

 44.ウェーキ島攻防戦(41年12月から)では、制空権の掌握が決定的な意味をもつことを改めて  
  明らかにしたにも拘らず、日本軍は米軍の力を侮りその戦訓から何も学ばなかった。

 45.戦車戦の蹉跌も見逃せない。日本軍の主力戦車である九七式中戦車や九五式軽戦車は、米軍
  のM3軽戦車に苦戦を余儀なくされ、一層強力なM4中戦車を戦線に投入してくると、日本の
  戦車兵にとって九七式中戦車や九五式軽戦車は、「鉄の棺桶」にすぎなかった。

 46.華北の日本軍は、八路軍の支配下にある「敵性部落」に対する「燼滅作戦」〔中国側のいう
  「三光作戦」〕を繰り返し実施した。

 47.天皇は、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に示されたような軍部による戦争終結構
  想を、ほとんどそのまま受け入れたように見える。

 48.真珠湾攻撃に際して未帰還になった小型潜航艇の乗組員であった「九軍神」(将校4名、下
  士官5名)を讃えるキャンペーンの欺瞞性。なぜなら、1名の将校が米軍の捕虜となったが、
  その事実は伏せられていたからである。

 49.『細川日記』(細川護貞の記録)によれば、宮内省奥向に東条英機礼讃者がいるのは、「附
  け届け」が極めて巧妙だったからしい。例として、陸軍がジャワで押収したアメリカ製自動車
  の謹呈が挙がっている。精神主義の裏の物質主義と言える。

 50.42年4月に実施された翼賛選挙において、臨軍費を用いた露骨な選挙干渉にも拘らず、翼賛政
  治体制協議会の推薦を受けなかった候補が85名も当選している。これには、翼賛選挙に対する
  国民の批判がある程度反映されている。

 51.42年8月には、政府は、部落会・町内会に大政翼賛会の世話役を、隣組には世話人を置くこと
  を決定し、実際の人選に際しては、部落会長・町内会長と世話役を、隣組長と世話人を、一致
  させる方針がとられた。これによって、大政翼賛会を中心にした一元的な国民動員網が、組織
  上は完成されたのである。

 52.東条内閣の性格を知る上で忘れてはならないのが「憲兵」の存在である。本来の任務は軍事
  警察であるが、一般人にも警察権を行使する場合があり、陸軍大臣に直属していたため、憲兵
  の存在しなかった海軍の軍人の取締りも陸軍の憲兵が担当した。そして、東条内閣の政敵の監
  視(石原莞爾には常に憲兵が張り付いていたらしい)や弾圧にも狂奔したため、東条の「私兵
  化」したと言える。

 53.総力戦遂行のためには、たとえ擬似的であれ、下からの自発的努力を喚起することが重要で
  あるが、東条にはそのことがまったく理解できなかった、という見方もあるが、それは一面的
  である。東条は、ヒトラー同様、映像・音声メディアを意識的に利用した最初の政治家だった
  からである。要するに、国民の前に立ち、常に先頭で行動する姿を見せていたと言える。

 54.東条首相のこうしたパフォーマンスを端的に示しているのが、しばしば事前の予告なしに行
  なわれた官庁・配給機関などに対する現状視察であり、国民の実際の生活を知るための民情視
  察だった。しかし、これらの行動は演出として捉えられ、視察も度重なれば、識者の反撥と顰
  蹙を買うばかりだった。参考:『日本の軍隊』、飯塚浩二 著、岩波現代文庫、2003年。

 55.ミッドウェー海戦の日本大敗の原因を挙げれば、(1)初期作戦の大勝からくる驕り、(2)
  日本海軍の偵察能力の低さ、(3)暗号解読など情報戦での立ち遅れ、(4)ダメージ・コン
  トロール(被弾した際の損害修復能力)の不備などが指摘できる。

 56.ガダルカナル島での戦死者(陸軍2万1千人)の約70%は、船舶による食糧や医薬品の補給
  が断たれた状況下で生じた広義の餓死者(栄養失調症、熱帯性マラリア、下痢および脚気など
  を含む)だった。

 57.日本の軍隊では、軍隊以外の一般社会のことを侮蔑の意味をこめて「地方」と呼んだが、戦
  局が悪化するに連れて、その軍隊が「地方化」されつつあった。

 58.農村は頑健な兵士の供給源であり、都市部と比べて明らかにしわ寄せを食っていたにも拘ら
  ず、農業生産は辛うじて維持された。召集された男子に替わって、女性や高齢者が農業生産の
  主たる担い手となったからである。ちなみに、戦後の「三ちゃん農業」と構造は似ていると言
  えよう。

 59.兵士としての女性の動員には軍上層部に強い反対意見があり、一部で女子通信隊が編成され
  るにとどまった。

 60.連隊区司令部には、夫や息子の招集の取り消しを求める女たちの姿が常にあった。これは、
  すべての女性が男たちの出征を、抗うことのできない運命として受容していたわけではなかっ
  たことを示している。


 つづきは、またの機会に譲ろう。


 某月某日

 『花と蛇』(監督:石井隆、東映ビデオ、2004年)を観た。続篇の『花と蛇2 パリ/静子』(監督:石
井隆、東映ビデオ、2005年)を一昨年の師走に観ているので、約一年ぶりの石井隆作品である。彼の映画
は都合7本目の鑑賞になるが、初めて観た『死んでもいい』(監督:石井隆、アルゴプロジェクト=サン
トリー、1992年)のときに感じた印象と同質のものを常に感じることのできる監督である。とにかく執拗
な演出であり、妥協を許さない姿勢が一貫している。換言すれば、「そこまでやるか」と思わず唸らせる
演出なのである。おそらくディープなファンが多いかと思うが、それと同時に彼の周囲には、良識派から
は攻撃を受けそうな気配が常に漂っている。また、温厚そうな風貌なだけに、作品とのギャップを感じさ
せずにはいられないことも特記事項だろう。さて、作品であるが、荒唐無稽の筋書ながら、この「大人の
ファンタジー」とも言える作品の中に一度入れば、一瞬とも退屈させない映像の連続である。まず、主演
の杉本彩(遠山静子)のただならぬ意気込みに圧倒させられる。脇を固める男優も、野村宏伸(遠山隆義)、
遠藤憲一(森田幹造)、石橋蓮司(田代一平)、伊藤洋三郎(ピエロの男)と個性派揃いだし、未向〔み
さき〕(野島京子)というかつての志保美悦子を連想させるアクション女優も頑張っている。現代人には、
日常において微量ながら脳内で発生する毒を、過激な虚構の世界に浸ることによって解毒することが必要
なのだろう。石井隆の映画は、その役割を十分に果たしていると思う。ともあれ、この映画は、官能映画
の傑作と呼んでも、異論のある人は少ないだろう。原作の団鬼六、脚本・監督の石井隆、主演の杉本彩、
その他のキャストやスタッフ、すべてが滞りなく連動している。したがって、無駄な場面がない。他に、
寺島進、有末剛、中山俊、山口祥行などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『大日本帝国』(監督:舛田利雄、東映、1982年)を観た。同じ頃、同監督によって作られ
た『二百三高地』(監督:舛田利雄、東映東京、1980年)や『日本海大海戦・海ゆかば』(監督:舛田利
雄、東映東京、1983年)と比べると、散漫な印象を受ける。東条英機のような戦争指導者から一介の兵士
に至るまで、それぞれの立場から捉えられた戦争を描いているからであろう。要するに、焦点がぼやけて
おり、戦争の悲惨さを批判しているのか、それとも東条の弁護をしているのか、描こうとしていることの
軸足が安定していない。言い換えれば、本格料理ではなく、飲茶(ヤムチャ)のような作品になっている。
真珠湾攻撃時とサイパン失陥時の日米比較が出て来るので、それを記録しておこう。


   〔日本軍による真珠湾奇襲攻撃〕

   アメリカ側損害           日本側損害

   沈没  戦艦  5      沈没    なし
       巡洋艦 2
       給油艦 1
   大破  戦艦  3      大破    なし
       他   7
   喪失機   450      喪失機   29
   死傷者 3,784      戦死者   64
                  未帰還の
                  特殊潜航艇  5

   〔アメリカ軍によるサイパン攻撃〕

   アメリカ攻略軍         日本守備隊

   空母    16       空母    0
   戦艦     7       戦艦    0
   総艦艇数 775      総艦艇数   0
   兵員   13万       陸海軍  4万
   飛行機  900       飛行機  30
    砲 3,000        砲  260
   戦車   150       戦車   60
               在島法人 2万1千名
               現地人    4千名


 最初のうちだけ華々しいが、線香花火のようにあっけなくやられてしまう日本の事情がよく分る数字で
あろう。当該映画は、戦争映画としては掘り下げが足りないが、21世紀になってからつくられたアジア・
太平洋戦争絡みの映画よりもはるかに良心的な映画だと思う。もっとも、そう感じるのは、最近の映画が
ひどすぎるせいもある。主な出演者を挙げておこう。丹波哲郎(東条英機)、三浦友和(小田島剛一)、
あおい輝彦(小林幸吉)、西郷輝彦(大門勲)、篠田三郎(江上孝)、関根[高橋]恵子(新井美代)、夏
目雅子(柏木京子/マリア)、仲谷昇(近衛文麿)、若山富三郎(石原莞爾)、小倉一郎(本堂一等兵)、
南道郎(加来止男)、近藤洋介(山口多聞)、高橋昌也(内大臣・木戸幸一)、織本順吉(外相・豊田貞
次郎)、田村高廣(陸軍大臣・下村定)、浜田寅彦(賀屋興宜)、弘松三郎(海軍大臣・及川古志郎)、
梅宮辰夫(ヒゲ兵曹)、大和田伸也(小森軍医)、湯原昌幸(由良一等兵)、佐藤允(桐山軍曹)、川地
民夫(古川曹長)、市村萬次郎(昭和天皇)、佳那晃子(国吉靖子)、青木義朗(警官)、稲野和子(東
条勝子)、汐路章(特高刑事)、愛川欽也(小川金作)、石井富子(小川ヨシ)、桑山正一(近隣の男)、
垂水悟郎(柏木俊介)、 河原崎次郎(北川勝馬)などである。なお、配役については、<goo 映画>を参照
した。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たので報告しよう。1本目は偽悪的な映画、2本目は偽善的な映画である。偽悪的
な方は、『日本脱出』(監督:吉田喜重、松竹大船、1964年)である。吉田喜重の初期作品に共通する、
欲望に駆られた挙句に自滅する若者を描いている。ちょうどオリンピックで浮かれていた頃の日本が舞台
であり、そんな日本に鉄鎚を下しているのかもしれない。さて、若者の名前は竜夫(鈴木やすし)といい、
ジャズ歌手になりたいが、コネも実力もなく、しがないバンド・ボーイで糊口を凌いでいる身である。自
称名ドラマーで、兄貴分の浅川(待田京介)に憧れているが、単に利用されているにすぎない。ある日、
浅川がトルコ嬢(現 ソープランド嬢)のヤスエ(桑野みゆき)を連れて訪ねに来た。部屋を貸せと言うの
である。あたかも、『アパートの鍵貸します(The Apartment)』(監督:ビリー・ワイルダー、米、1960
年)を連想させるシチュエーションである。自分は部屋を明け渡して、自動車の中にいる。それを見つけ
た隣りに住む娼婦(市原悦子)にからかわれるが、どうしようもない。さらに、後日、竜夫は浅川と元競
輪選手の郷田(内田良平)に強制されて、ヤスエの勤めているトルコ風呂の売上金を強奪する仲間に引き
入れられる。強奪には成功するが、ガス・バーナーを使用している最中に薬物中毒の浅川が発作を起こし、
火災探知機を鳴らしてしまう。さらに、自動車で逃走中、フロントガラスにへばりついた警官を郷田が射
殺してしまう。それから後は割愛するが、仲間割れを起こしたり、ヤクザ者に脅されたり、アメリカに高
飛びしようとしたり、いろいろもがくが、さまざまな手違いがあって、臆病な竜夫は臆病なゆえに複数の
殺人を犯してしまう。救いようのないドラマであるが、吉田監督好みの筋書なのだろう。他に、坂本スミ
子(ヤスエの友人である光子)、垂水悟郎(ヤクザ者)、中野誠也(密航を企てる朝鮮人)などが出演し
ている。主演の鈴木やすしと言えば、だいぶ以前に、「日劇ウエスタン・カーニバル」の懐メロ番組で、
「ジェニ・ジェニ」を歌っていたのを覚えている。なかなか迫力があった。彼はけっして上手い役者では
ないが、この映画のチンピラ役はよく似合っていた。ちなみに、トルコ風呂の「御案内」という看板が映
っていたので、記録しておこう。


  御案内

   大浴場にても御希望の
   方に料金一五○円にて
   マッサージを致しております


 偽善的な方は、『あ・うん』(監督:降旗康男、東宝映画=フイルム フェイス、1989年)である。昭和
12年春に物語は始まる。なお、題名の「あ・うん」は、もちろん、狛犬の「阿形(口を開けている)」と
「吽形(口を閉じている)」から来ている。門倉修三(高倉健)にとって、陸軍の「寝台戦友(起居を共
にした戦友同士)」に当たる水田仙吉(坂東英二)が久々に東京に帰ってくる。彼は東亜製薬の部長職に
就いているが、今回の帰郷は栄転である。東京での宿舎を世話したのが門倉であるが、彼らは20年来の友
人同士である。それどころか、門倉は水田の妻のたみ(富司純子)を心憎からず想っている。そのことを
水田夫婦も心得ているが、それで3人の間に波風が立つというわけでもない。水田夫婦には一人娘があり、
今年18歳になるさと子(富田靖子)である。門倉という男は義侠心が旺盛で、水田の部下の使い込みが彼
の出世に影響することが分ると、黙って大金(5千円)を渡したり、水田が神楽坂の芸者まり奴(山口美
江)に入れ揚げそうになると、横取りして水田家の危機を救ったり、自分がたみに今まで以上に惹かれそ
うになると、わざと水田に喧嘩を売って彼から絶縁を言い渡されるように仕組んだり、さすが健さん、男
気たっぷりの演技である。しかも、さと子の恋人である石川義彦(真木蔵人)が出征することが分ると、
責任は俺が取るから追いかけろと嗾けたり、八面六臂の活躍である。ところで、石川によれば、門倉のた
みに寄せる想いは「精神的恋愛(プラトニック・ラヴ)」(自殺した北村透谷が言い出した言葉)の由。
その他、堀口大學の訳業であるヴェルレーヌの詩なども出てきたりして、帝大生石川とさと子の恋は文学
的な彩りで飾られる。定番と言えば定番、通俗と言えば通俗、まことに分りやすい。なお、水田夫婦と門
倉の関係から連想したのは、およそ物語は異なるが、『明日に向かって撃て!(BUTCH CASSIDY AND THE
SUNDANCE KID)』(監督:ジョージ・ロイ・ヒル、米、1969年)である。水田がロバート・レッドフォー
ド、門倉がポール・ニューマン、たみがキャサリン・ロスというわけである。ちょっと、水田役の坂東英
二を褒めすぎになるか。他に、宮本信子(門倉の妻の君子)、三木のり平(老掏摸)、大滝秀治(新井旅
館の番頭)、八木昌子(料亭八百駒の女将)、上田耕一(特高刑事)、三谷昇(屋台のおでん屋のオヤジ)
などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『ナイスの森』(監督:石井克人/三木俊一郎/ANIKI、葵プロモーション=レントラック
ジャパン=Yahoo! JAPAN=有限会社ナイスの森、2005年)を観た。同人雑誌の漫画を読んでいる感じと言
えば、この映画の結構が見えてくるだろうか。細かいエピソードがつながっており、それが映画の全体を
形作っているのである。しかも、それはオムニバス映画とも違い、それぞれの話が有機的な連関をもって
おり、石井以下3名の独自な世界が全面的に展開している。ただし、滑っている部分も多く、こんな作品
を延々と2時間半も人に観させる図々しさは半端ではない。小生の好みからすれば、「語り温泉三人姫」
と「部活」が少し抜けていたと思う。寺島進、浅野忠信、池脇千鶴、吹石一恵、森下能幸、津田寛治、
轟木一騎、加瀬亮などが出ていた。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観た。1本目は『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年)
で、5回目くらいの鑑賞である。何度観ても傑作だと思うが、この緒形拳が演じる榎津巌という人物が単
なる悪人には見えなくなるとき、人間の不可思議に触れる瞬間が訪れる。自己愛の究極にあらゆる存在者
への支配が顕現し、その極北に殺意が生じるのである。榎津が浅野ハル(小川真由美)を殺害するとき、
彼の脳裏に去来したものは何であったのか。徹底的に否定された者が己の肯定者に出会ったとき、存在し
てはならない者に出会った歓喜と恐怖に襲われる。その混乱の行き着くところで、己の肯定者の抹殺を命
じられるのではないだろうか。「命じる者とは誰か」……それを考えるとき、倫理の根源が少しだけ見え
てくるような気がする。
 2本目は『四十七人の刺客』(監督:市川崑、東宝=日本テレビ放送網=サントリー、1994年)である。
「映画誕生100年記念」と銘打たれた本作は、日本人の好む「忠臣蔵」がベースになっている。ただし、か
なり大胆な新解釈を施しており、どうにも違和感を禁じ得なかった場面も少なくない。つまり、個々の設
定は面白いのであるが、全体として観た場合、武士の仇討というよりも、侠客の殴り込みを連想してしま
った。大石内蔵助の役を高倉健が演じていたからであろう。ただし、物語の中核に、播州赤穂藩筆頭家老
の大石内蔵助対上杉藩江戸家老の色部又四郎(中井貴一)の戦いを置いたので、その点で分りやすい構図
になっている。元禄14(1701)年3月14日、江戸城松の廊下で、播州赤穂藩主浅野内匠頭(橋爪淳)が、勅
使饗応指南役の吉良上野介義央(西村晃)に刃傷沙汰を働き、内匠頭はその日のうちに切腹、お家は断絶
と決まった。時の権力者である宰相柳沢吉保(石坂浩二)が執った処断である。一方、「喧嘩両成敗」が
建前であるのに、上野介にはお咎めがなかったので、ここに復讐の機縁が生じた。当時、事件のあらまし
を知った赤穂藩士の採るべき道は三通りあった。城受け渡しに対して、籠城、開城、殉死の三つである。
結局、表向きは「恭順」を示し、開城に決まった。しかし、同時に、内蔵助の腹心による仇討の決行も決
まったのである。

  われらは不意に、主も、家も、領国も奪われた。その処置処遇に一片の情もなく、武士に
 対する礼節もない。……吉良上野介を討ち、その家を潰す。それだけではない。上杉家の武
 名を地に落とし、将軍家と柳沢吉保の面目を叩き潰す。

 内蔵助の誓詞であるが、小生の好まぬタイプの人であることは明らかである。執念深く、己の想念に酔
い、それこそ一片の情もなく、武士に対する礼節も知らない。なぜなら、上野介を発見したとき、命乞い
をする上野介に対して、問答無用の太刀を浴びせているからである。せめて、内匠頭との経緯を語ろうと
する上野介の話を聴くべきであっただろう。また、討ち入りの際「殺せ」という言葉を発しているが、こ
れも武士には相応しくない言葉であろう。さらに、塩相場の操作で軍資金を得た冷静さや、妻のりく(浅
丘ルリ子)を離縁しながら、うら若いかる(宮沢りえ)を囲って子どもさえ拵える大胆不敵さには、まっ
たく恐れ入る。あまつさえ、部下の瀬尾孫左衛門(石倉三郎)に直前の脱盟を命じて300両を彼女の元に届
けさせるが、これなどどう弁解しても私利私欲に走っているとしか思えない。上野介を非難できる身では
ないことは明らかである。なおかつ、流言蜚語を用いて、人々の「浅野哀れ、吉良憎し」を演出する辺り、
まったく赦せない人物である。もっとも、当時の武家には当然の心つもりなのだろうか。小生には、とう
ていこの人物を武士とは認めたくないのであるが……。もちろん、このような演出をする意図が知りたい
が、単に娯楽のためだとすれば、市川崑の名前が廃るというものである。また、内匠頭が刃傷に及んだ真
の原因という映画を引張るサスペンスは明かされないままに物語は閉じるが、これなどは「羊頭狗肉」の
謗りを免れまい。厳しいようだが、「凡作」と言わざるを得ない。他に、岩城滉一(不破数右衛門)、宇
崎竜童(堀部安兵衛)、松村達雄(堀部弥兵衛)、井川比佐志(奥田孫太夫)、山本學(吉田忠佐衛門)、
神山繁(小野寺十内)、黒木瞳(きよ)、清水美砂(ほり)、横山道代(わか)、古手川祐子(瑤泉院)、
石橋蓮司(小林平八郎)、尾藤イサオ(山添新八)、佐藤B作(一文字屋)、今井雅之(高田郡兵衛)、
尾上丑之助(大石主税)、中村敦夫(原惣右衛門)、板東英二(天川屋儀兵衛)、小林稔侍(進藤源四郎)、
森繁久彌(千坂兵部)などが出演している。
 3本目は『嵐が丘』(監督:吉田喜重、セゾングループ、1988年)である。この作品は、監督本人によ
れば構想28年だそうだが、「それがどうした」と言わざるを得ない。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を
下敷にして、18世紀の英国ヨークシャーから、鎌倉・室町期の日本を舞台にした作品に翻案している。お
そらく、ヒースクリフを鬼丸(松田優作)に見立てているのだろうが、取り立てて興味の湧く人物とは思
えず、作品としては、失敗していると思う。前作の『人間の約束』(監督:吉田喜重、西部セゾングルー
プ=テレビ朝日=キネマ東京、1986年)が傑作だっただけに、惜しまれる。他に、田中裕子(絹)、名高
達郎(西の荘光彦)、石田えり(妙)、萩原流行(秀丸)、伊東景衣子(紫乃)、志垣太郎(無明聖)、
今福将雄(市)、高部知子(母と同じ名前の絹)、古尾谷雅人(良丸)、三國連太郎(東の荘高丸)、杉
山とく子(さと)、不破万作(薬売り)などが出演している。
 上記2作を通して、時代劇はとても難しいということが改めて分った。とくに、小生にとっては、新解
釈や現代風なアレンジは不要である。ともかく、重厚な時代劇が観たい。なお、配役については、上記2
作ともに<goo 映画>を参照したが、一部誤りと思われる箇所は訂正した。


 某月某日

 DVDで邦画の『夢二』(監督:鈴木清順、荒戸源次郎事務所、1991年)を観た。『ツィゴイネルワイゼン』
(監督:鈴木清順、シネマ・プラセット、1980年)、『陽炎座』(監督:鈴木清順、シネマ・プラセット、
1981年)に続く、鈴木清順の「大正浪漫3部作」の完結篇である。以前から観る機会は何度かあったが、
縁がなかった。実は、竹久夢二のイメージと沢田研二のイメージがどうにもしっくりと重ならなくて、敬
遠していたのである。やはりこの作品における人物は清順的世界の添え物で、いくら監督が「一に俳優、
二に俳優、三に監督」と言い張っても、俳優は取り替えが利くが清順の独自の演出は他の人では無理だと
思う。したがって、映画そのものの素晴らしさを俳優が減殺していると思った。もっとも、それは俳優の
責任ではなく、清順映画の際どさの証だと思う。小生にとって、この種の傾向をもった映画としては『ツ
ィゴイネルワイゼン』が最高で、残りはだいぶ落ちると言ってもよい。なお、物語はあるようでない。し
たがって、色彩と人の動きと古い建物とさまざまな調度を楽しめばよい。意表を突くものとしては、人間
の脚を大根に見立てて洗う場面があるが、あれには驚いた。風船、弁当や寿司の箱に書かれた絵、黄色の
船、さまざまな和服や絵画、杯の中の朱色……清順流を堪能できる。最後の方で、「まてど/暮らせど/
来ぬひとを/宵待草の/やるせなさ/こよひは/月も/出ぬそうな」を淡谷のり子が歌っている。沢田研
二(竹久夢二)、毬谷友子(巴代)、宮崎萬純(彦乃)、広田玲央名(お葉)、原田芳雄(脇屋宗吉)、
大楠道代(女将)、坂東玉三郎(稲村御舟)、長谷川和彦(鬼松)、宮城千賀子(乳母)、麿赤児(刑事)、
余貴美子(女郎)などが出演している。なお、彼らには、「裏方」に対する「表方」という表示がなされ
ていた。造語だろうか。


 某月某日

 今日は、シリーズ日本近現代史6の『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著、岩波新書、2007年)の要点記
載のつづきを行なってみよう。


 21.経済的な指標でみれば、圧倒的な国力の差のあるアメリカ相手に戦争をすることは無謀以外の
  何ものでもないが、当時、臨時軍事費による軍備の充実という事態があって、それが軍部を戦争
  に駆り立てた要因のひとつになっている。なお、臨時軍事費は、議会はおろか政府のコントロー
  ルも完全には及ばない特殊な軍事予算だった。

 22.開戦時の太平洋地域においてという限定を行なえば、日本の戦力はアメリカのそれを上回って
  いたので、「短期決戦にもちこめば、米英を屈服させる見通しがある」という根拠の薄弱な幻想
  が生まれたのである。

 23.アジア・太平洋戦争期の臨軍費はすべて、日中戦争の臨軍費の追加予算として成立している。
  これは、法的根拠の乏しい措置であった。

 24.天皇の軍隊統率の権限(統帥権)の拡大として、1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省から
  の独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の
  改正(軍部大臣現役武官制の実現)などが行なわれた。

 25.国務大臣としての陸軍大臣、海軍大臣は、閣議に列席してそれぞれが天皇を輔弼するという
  機能を担うが、参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇
  をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣による輔弼と区別して輔翼と
  呼ばれる。このため、参謀本部と軍令部は、陸軍省と海軍省から完全に分立していたのである。

 26.第一次世界大戦の勃発によって、「総力戦」という新しい戦争形態が出現すると、国務と統
  帥の分裂が戦争指導体制の欠陥として捉えられるようになり、ここからその分裂をどのような
  かたちで克服するかという問題が大きな政治課題になる。

 27.内閣機能の強化として、1937(昭和12)年に「企画院」(戦時統制経済の調査・立案にあた
  る総合国策機関)、1940(昭和15)年に「情報局」(言論や報道の指導・統制、戦時プロパガ
  ンダなどを管掌)が設置された。

 28.大本営政府連絡会議の最初の開催は1937(昭和12)年11月であるが、出席者は、参謀総長、
  軍令部総長、首相、陸相、海相、外相などである。

 29.現役軍人が官界に進出する場合、その最大の進出先は企画院や情報局を擁する内閣であった。

 30.宣戦・講和は帝国憲法第十三条に定める広義の外交大権に属し、どのように考えても国務大
  臣の輔弼に専属する国務であるのに、開戦の決定も、終戦の決定も、参謀総長・軍令部総長が
  同意権・拒否権を行使する構成員として出席する御前会議でおこなわれた。

 31.国務大臣の輔弼責任の形骸化と、枢密院が事後承認の機関(諮詢の形式化)となったことは
  銘記すべきである。これは、アジア・太平洋戦争の開戦決定に重大な法的瑕疵があったことを
  示しており、換言すれば、明治憲法体制が変質してゆく過程でもある。

 32.企画院が年度ごとに策定する石油や鉄鋼などの重要物資の需要計画である「物資動員計画
  (物動)」は、「カネの予算」に対して「モノの予算」と呼ばれ、この「モノの予算」に基
  づく重要物資の配分がなければ、軍備の拡充は不可能である。

 33.1940(昭和15)年12月開会の第76回議会で成立した第四次追加予算からは、陸軍費・海軍
  費・予備費の区分がなくなった。これは、明らかに、海軍の臨軍費の急増=対米戦準備の本
  格化を外部に漏れないようにする隠蔽工作である。

 34.国策よりも自らの組織的利害を優先するという海軍の姿勢は、開戦決定に至る過程にも顕
  現している。軍備拡充に必要な予算と物資とを獲得するために武力南進政策を推進するが、
  同時に、十分な勝算のない対米英戦はできれば回避したい、というのが海軍の矛盾に満ちた
  本音である。

 35.日本が実質的な開戦決定を下したのは、1941(昭和16)年11月5日の御前会議においてであ
  る。

 36.昭和天皇は、勝算のない開戦決意には大きな危惧を抱きつつも、統帥部の開戦の主張にも
  耳を傾け始めた。

 37.日米交渉に臨む日本政府の基本政策は、「戦争瀬戸際外交」(外交上の危機に際して、戦
  争をも辞さないという強い意志をあえて示すことによって、相手側の譲歩や妥協を引き出す   
  こと)だった。

 38.内乱を避けるために戦争を決意せざるを得ないという転倒した論理が生じる。

 39.陸軍にとって「アジア・太平洋戦争」とは、何よりも「日英戦争」(マレー半島とシン
  ガポール の陥落を重視)を意味していた。

 40.日本軍による真珠湾奇襲攻撃は、政治的には、アメリカ国民の結束を固めさせた。


 つづきは、またの機会に譲ろう。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たので報告しよう。最初は『探偵物語』(監督:根岸吉太郎、角川春樹事務所、19
83年)である。赤川次郎が現場復帰した(大学受験のために、一時芸能活動を休止していた)薬師丸ひろ
子のために書き下ろしたオリジナル・ストーリーらしいが、成功しているとは言い難い。アメリカに行く
ことが決まっている新井直美(薬師丸ひろ子)と、出発するまでのボディ・ガードを務める探偵の辻山秀
一(松田優作)との淡い恋を描いている。家政婦、直美の大学の同窓生、辻山の元妻、極道者なども絡ん
で一見派手なつくりだが、同じ薬師丸が主演の『セーラー服と機関銃<完璧版>』(監督:相米慎二、角川
春樹事務所=キティ・フィルム、1982年)には及ばないと思う。また、根岸吉太郎と言えば『遠雷』(監
督:根岸吉太郎、にっかつ=ニュー・センチュリー・プロデューサーズ=ATG、1981年)を思い出すが、そ
れにも遠く及ばないし、TV版の『探偵物語』との比較では、まさに論外の出来である。ただし、大人にな
りかけの薬師丸ひろ子はやはり魅力的である。もっとも、松田優作とは釣り合わないと思う。他に、岸田
今日子、北詰友樹、秋川リサ、坂上味和、中村晃子、財津一郎、ストロング金剛、三谷昇、鹿内孝、荒井
注、蟹江敬三、藤田進などが出演している。
 2本目は『リング2』(監督:中田秀夫、角川書店=アスミック・エース=東宝=住友商事=IMAGICA=
日本出版販売=オメガ・プロジェクト、1999年)である。柳の下の泥鰌を狙った作品。山村貞子の呪いで
亡くなった高山竜司(真田広之)の恋人だった高野舞(中谷美紀)が、恋人の死因に疑問をもち、だんだ
んと真相を暴いてゆく様を描いている。若き日の深田恭子が沢口香苗役で出演しているが、彼女の恐怖で
引き攣った顔は本人の演技だろうか、それともCDの処理を受けているのだろうか。前半の、何気ない日常
に潜む恐怖の映像の数々は怖かったが、後半は滑稽と紙一重になっていた。しかも浅川玲子(松嶋菜々子)
が車に轢かれて死ぬシーンの前後など、どういう意味があるのだろうか。すべてに亙って安直な設定であ
った。他に、佐藤仁美(倉橋雅美)、小日向文世(川尻医師)、石丸謙二郎(大牟田刑事)、柳ユーレイ
(岡崎)、沼田曜一(山村敬)、伴大介(伊熊平八郎)、大高力也(浅川陽一)、雅子(山村志津子)、
梶三和子(山村和枝)、村松克己(浅川浩一)、伊野尾理枝(山村貞子)、芹沢礼多(岡崎の同僚の佐久
間)、由良宜子(林看護婦)などが出演している。
 3本目は『リング0 -バースデイ-』(監督:鶴田法男、角川書店=アスミック・エース エンタテイ
ンメント=東宝=イマジカ=日本出版販売=住友商事、2000年)である。この作品は貞子本人に焦点を合
わせているが、矛盾だらけでちっとも怖さを感じなかった。至るところで苦しい辻褄合わせを行なってい
る。とくに、30年間も井戸の中で貞子は生きていたとか、貞子は双子だったとか、貞子は足の不自由な高
齢者を擦るだけで治す超能力を備えていたとかの類は、いかにも見苦しく感じた。「つくる必要のなかっ
た作品」と言えばそれまでであるが、三番煎じの味は落ちるに決まっているので、「出涸らしでもまだ当
るうちに商売として続篇を出したのだな」と思えば、腹も立たないだろう。他に、田辺誠一(遠山博=劇
団飛翔の音声担当)、麻生久美子(立原悦子=同劇団員)、田中好子(宮地彰子=中央日報記者)、水上
竜士(久野亘=医師)、奥貫薫(葉月愛子=劇団飛翔のアイドル)、若松武士(重森勇作=劇団飛翔の演
出家)、高原淳子(有馬薫=同劇団のベテラン女優)、伴大介(伊熊平八郎=貞子の父代わり)、角替和
枝(須藤先生)、雅子(山村志津子=貞子の母)、田中要次(男性教諭)、門脇学(宮地の元婚約者)な
どが出演している。


 某月某日

 『野生時代』(2008年1月号)に、井嶋ナギ氏の「お江戸恋愛妄想論」が載っている。とても興味深い切
り口で面白く読ませていただいた。江戸時代の人々の妄想(恋愛)の対象は何だったのか、という問いに対
して、「それは、平凡な日常とは違う、非日常。恋愛や裏切り、堕落、時には殺人まで生じるような非現実
世界。そんな、あり得ないほどドラマティックな世界に、人々はあこがれ、恋していたのではないだろうか」
と答えている。この辺りは井嶋流であるが、小生もまったく同感である。


 某月某日

 さて、邦画の感想を2本書き留めておこう。1本目は『十五才 学校IV』(監督:山田洋次、松竹=日本
テレビ放送網=住友商事=角川書店=博報堂、2000年)である。学校シリーズも4本目で、今回は「不登
校」の中学3年生の冒険物語である。横浜から鹿児島県の屋久島までの長い旅路をヒッチハイク等で乗り
切り、さまざまな人々との交流を通して人間的に成長するという典型的「ロード・ムーヴィー」である。
主人公は川島大介(金井勇太)といい、彼のナレーションで物語が始まる。語りの言葉と文字言語(字幕)
が必ずしも一致していないが、一応文字言語に合わせて引用してみよう。


  学校は嫌だ

  制服を着て/教室にいるだけで嫌だ

  型にはまった/先生のしゃべり方も嫌だ

  何で学校に/行かなきゃいけないんだ

  大人になって/役立ちそうにないことを

  何で勉強/しなくちゃいけないんだ

  お父さんにそう言ったら/いきなり殴られた

  学校に行かなくなって/もう半年になる

  机には ぼくの代わりに/金魚が泳いでいるそうだ

  明るくて 素直で/聞き分けがよくて

  そんな子だけがいい子なのか

  誰がそんなこと決めたんだ

  いい子の振りをするなんて/簡単だ

  でも 自分にうそをついてまで/いい子になるなんて

  ぼくは嫌だ


 学校に行こうとすると、急にお腹が痛くなる。大人の言うことも矛盾だらけである。一方で、「個性を
伸ばせ」と言いながら、人と異なることをすると怒られる。結局、大人の本音は「画一」を望んでいるの
である。やるべきこと、やってはいけないことも、多過ぎる……感受性豊かな中学生にありがちな状況と
不満である。小生の弟も、一時大介と同じような腹痛に見舞われていたようである。しかも、病院の看護
婦さんに「仮病」呼ばわりされて、ずいぶん憤慨していたことを覚えている。今ではそんな看護師はいな
いだろうけれど。精神的なものから来る腹痛なのだろう。
 大介は一大決心をして、以前から憧れていた屋久島に向かう。お金がないので、ヒッチハイクだ。最初
に乗せてくれた児玉という中年男性(笹野高史)は、説教臭くて敵わなかった。結局、二人は喧嘩して、
車から降ろされてしまう。次に乗せてもらった運転手は、佐々木康(赤井英和)という気のいい兄さんだ。
勤めていた運送会社が倒産して失業中の友人宮本(梅垣義明)も同乗している。宮本は袋井で降り、隣の
掛川で佐々木は荷物を降ろす。大介も荷降ろしを手伝い、小遣いを貰う。大阪南港で、九州方面に行くト
ラックを佐々木に探してもらう。女性ドライヴァーの大庭すみれ(麻実れい)が請合う。彼女には引きこ
もりの息子がいるので、家出少年を放っておけなかったのかもしれない。とにかく、親に電話を入れさせ
て、一応の旅の許諾を得る。大介の父川島秀雄(小林稔侍)も、大介の母川島彩子(秋野暢子)も一安心
である。すみれの家のある宮崎県日向市に到着する。家族一緒の食事だ。少々呆け気味の大庭房子(桜む
つ子)、すみれの娘大庭薫(真柄佳奈子)、そして、すみれと大介。しかし、引きこもりの息子である大
庭登(大沢龍太郎)は一緒には食べない。ちらしご飯の上にてんぷらを載せて、自室に戻ってしまう。そ
れでも、登は少しずつ大介に心を許してゆく。彼は終日ジグソーパズルをするか、時代小説を読んで暮ら
しているらしい。翌日、鹿児島まですみれに送ってもらった際、朝起きの苦手な登が大介のために完成し
たパズルを手土産代わりに渡す。大介はお返しにかぶっていた帽子を進呈する。もう友人同士だ。そのパ
ズルの裏側に、登の詩が浪人のイラストとともに書き付けてあった。

   大介君へ

  草原のど真ん中の一本道を
  あてもなく浪人が歩いている
  ほとんどのやつが馬に乗っても
  浪人は歩いて草原を突っ切る
  早く着くことなんか
  目的じゃないんだ
  雲より遅くて十分さ
  この星が浪人にくれたものを
  見落としたくないんだ
  葉っぱに残る朝露
  流れる雲
  小鳥の小さな呟きを
  聞きのがしたくない
  だから浪人は立ち止まる
  そしてまた歩きはじめる

   日向国 浪人 大庭登

 息子がそんな詩を書いたことに感激したすみれは、自分が息子のことを何にも知らなかったことに気付
く。大介を乗せて本当によかったと思う瞬間である。やがて生駒高原を抜けて鹿児島の港南埠頭に着く。
ここから屋久島へはフェリーだ。宮之浦港に着く。翌日、湯泊海中温泉で湯に浸かっていた大介は、縄文
杉を目指している山のお姉さん金井真知子(高田聖子)と知り合う。結局、同行することになる。苦労を
重ねて、縄文杉を見て来た大介が麓でしょんぼり佇んでいると、島の極道老人であるバイカルの鉄こと畑
鉄男(丹波哲郎)に声をかけられる。家に来いと言うのである。しばらくここで待っておれと言う。パチ
ンコ屋の仕事をしている鉄男が帰ってくると、カラオケに行こうと言う。鉄男の友人周吉(犬塚弘)と正
夫(桜井センリ)も一緒である。翌日、鉄男が失禁する。それを契機に、しばらく大介が鉄男の面倒を見
ることになる。ヘミングウェイの『老人と海』を連想した。大介がオムツを買いに行った先で、薬屋のお
かみ(余貴美子)から助け舟が出される。鉄男の息子の畑満男(前田吟)が福岡にいるので、連絡してく
れると言う。やがて、救急車に乗って満男がやって来た。しかし、来て早々、失禁した父親を臭い臭いと
嫌がる様子を見て、大介は憤慨していまう。自分だって、赤ん坊の頃はオムツをしていただろう。そんな
ことも分らないで、よく大人と言えるな、というわけである。クライマックスである。ここで、完全に大
介は何かをつかんでいる。やがて横浜に帰ってきた大介は、妹の川島舞(児玉真菜)とともに登校する。
本当に久し振りである。クラスメイトの木下泉(皆川香澄)がやさしく迎えてくれる。黒井先生(中村梅
雀)が出席を取る。「川島」……しばらく無言だった大介が「はい」と返事をする。「学校」という冒険
が始まったのである。何もコメントする必要のない映画である。現実の世界はこんなに甘くはないだろう
が、それでもここには希望がある。日本の悲しい現実(不登校、不況、引きこもり、高齢者の介護、等々)
に風穴を開ける希望がある。旅は子どもを大きく育てるのである。他に、すみれを慕う大角(蛭子能収)、
スナックの主人(佐藤蛾次郎)などが出演している。なお、この映画は、2000年6月30日に閉鎖された松竹
大船撮影所最後の作品でもある。
 2本目は『武士道残酷物語』(監督:今井正、東映京都、1963年)である。《goo 映画》が見事な梗概
を載せているので、それを下敷にして以下に粗筋を記そう。当該の梗概を書いた方にお礼とお詫びがした
い。
 日東建設の営業部員である飯倉進(中村錦之助〔後 萬屋錦之介〕)は、婚約者の人見杏子(三田佳子)
が自殺を計ったとの知らせを受けたとき、学生の頃の記憶を蘇らせた。飯倉家に連綿と伝わる忌まわしい
歴史である。それは、故郷である信州の菩提寺で発見した先祖代々の日誌に記されていた。関ケ原の戦い
で主君を失い浪々の身であった飯倉次郎左衛門秀清(中村錦之助)は、信州矢崎の田舎大名である堀式部
少輔(東野英次郎)に召抱えられた。槍術を買われたのである。時代はまだ慶長であった。主従の契約を
交わしてから27年が経過した寛永15年に、主君とともに島原の役に遠征した次郎左衛門は、式部少輔の罪
科を糊塗せんがため、本陣門前で割腹して果てた。これが功を奏して、主君へのお咎めは不問に付された。
その結果、飯倉家は加増されている(飯倉次郎左衛門の巻)。
 島原の乱後3年経って、伜の佐治衛門(中村錦之助)が近習に取り立てられた。父親の功績もその抜擢
に関係していただろう。しかし、病床にあった式部少輔の不興を買って、閉門を命ぜられた上に加増分を
召上げられてしまう。それでも佐治衛門の忠心は変らず、間もなく死去した主君の後を追って切腹するの
である。妻のやす(渡辺美佐子)も、武士の務めを止めることはできないのである(飯倉佐治衛門の巻)。
 次の話は元禄時代である。江戸遊学中の佐治衛門の孫久太郎(中村錦之助)は、時の藩主である堀丹波
守宗昌(森雅之)に見初められ、お手付小姓となった。人も羨む身分であるが、彼は泣き崩れてしまう。
主君の寵愛とはいえ、男色の世界に無理やり連れ込まれたからである。やがて、丹波守の側室である萩の
方(岸田今日子)との密通を咎められ、宗昌の命で「羅切りの酷刑(男根切断)」に処せられる。結局、
萩の方を妻に貰い受け信州に帰ることになったが、幸か不幸か萩の方は彼の子を懐妊していたのであった
(飯倉久太郎の巻)。
 今度は天明期に移る。全国各地で天災地変が相次ぎ、農民は苛斂誅求に苦しんでいた。時の飯倉家当主
修蔵(中村錦之助)は、奉納試合で秘剣「闇の太刀」を披露し、藩主安高(江原真二郎)に褒美を貰った。
娘さと(松岡紀公子)と、修蔵の剣術の弟子である野田数馬(山本圭)の祝言も決まって、順風満帆であ
った。ところが、同じ頃、藩を抜け出した農民5人が江戸の老中田沼意知(成瀬昌彦)に直訴した。安高
は国家老静田権之進(柳永二郎)の勧めに従い、美貌のさとを賄賂として意知に献上した。「京人形」と
いう触れ込みであった。5人の農民は近藤三郎兵衛(佐藤慶)の進言により、「鋸引きの刑」に処せられ
ている。性きわめて悪辣な安高は、さらに修蔵の妻まき(有馬稲子)に夜伽を命じたため、まきは自害せ
ざるを得なかった。やがて、意知が暗殺されために、閉門蟹居中であった修蔵の許に娘のさとが下って来
た。しかし、さとと数馬とが不義密通の疑いをかけられ、囚われの身になった。あまりの仕打ちに耐えか
ねた修蔵は、主君への諫言を決意して陣屋に赴く。安高は修蔵が得意の「闇の太刀」で罪人を斬れば許し
てやると言い、目隠しをさせ剣を握らせた。一閃、見事打ち落した首は、何とさとと数馬のものだった。
修蔵は太刀を腹に突き刺して、その場に倒れた(飯倉修蔵の巻)。
 時代は明治と変り、時の飯倉家当主進吾(中村錦之助)は青雲の志を抱いて上京、気が狂った最後の藩
主高啓(加藤嘉)の面倒を見て人力車夫をしながら勉学に励んでいた。ところが、将来を誓いあったふじ
(丘さとみ)の貞操を高啓に奪わてしまった。進吾は悩んだ揚句ふじを説きふせ、高啓の病床に通わせた。
高啓の死後進吾とふじは世帯を持った。そして一年後、進吾はふじの体に子供を残して日清戦争に出征、
帰らぬ人となった(飯倉進吾の巻)。
 その子、つまり進の父に当る多津夫は満州事変で戦死。進の兄である修(中村錦之助)もアジア・太平
洋戦争の最中、特攻隊員として戦死した。ここでの主君は昭和天皇であった(飯倉修の巻)。
 そして現代、進は上司の山岡営業部長(西村晃)に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関
する競争会社飛鳥建設の入札情報を盗むよう言われた。飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承
知した。ほどなくして入札は日東建設の勝利に終った。乾杯の席上で進は山岡に結婚を延期するように勧
められた。理由は式場に飛鳥建設の木原重役(小川虎之助)が参列するらしいからだった。つまり、ほと
ぼりが冷めるまで、結婚を延ばせというのである。杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を
責めた。あの残酷な歴史を「かくは生きまい」と誓った進が、それをくり返していたのだ。会社という主
君に対して。進は二人だけで結婚する決心をして、飯倉家に伝わる忌まわしい歴史に終止符を打つつもり
であった(飯倉進の巻)。
 やや急ぎ足で物語っているせいか、落ち着きがない映画になってしまった。それでも、一人七役をこな
す中村錦之助の実力は凄まじいものである。とくに次郎左衛門と修蔵がよかった。また、脇を固める役者
も素晴らしく、当時の東映京都の時代劇はいまや一場の夢としか語りようがないほど突き抜けていたと思
う。このような背景をもってこそ、修蔵が遺子に語り聞かす言葉が生きてくるのである。

  侍の生命は、侍の生命ならず
  常に主君のものなれば
  主君のために死に場所を得ることこそ
  誉れと知れ
  おのれを殺して主君に仕えることこそ
  忠節の初と知れ

 他に、織田政雄(佐治衛門の下僕吾平)、北龍二(式部少輔の側用人)、荒木道子(久太郎の母しげの)、
東恵美子(堀丹波守宗昌の奥方)、河原崎長一郎(修蔵に斬られる村の若者)、木村功(ふじの兄井口広
太郎)、川合伸旺(進吾の友人の下田)、 原田甲子郎(特攻の指揮官)などが出演している。なお、原作
は南條範夫の「被虐の系譜」である。

 
 某月某日

 『十五才 学校IV』(監督:山田洋次、松竹=日本テレビ放送網=住友商事=角川書店=博報堂、2000
年)を観た。いろいろあって、およそ2週間ほど映画を観ていなかった勘定になる。今日は時間がないの
で、後日に感想を述べよう。ところで、10年ほど前に卒業したゼミ生から年賀状を戴いたが、その文面に
よると、ライプニッツの『単子論(モナドロジー)』のフランス語原文を読み始めたそうである。彼は小
生の演習で同書のドイツ語訳をほとんど一人で担当した学生で、大変勉強熱心な学生であったが、卒業後
10年も経ってから演習のつづきを始めたということになる。おそらく、独学でフランス語を学んだのだと
思う。感激し、頭が下がると同時に、自戒にもなった。小生自身は学生時代の情熱を果たして残している
のだろうか、と。ともあれ、今年は改めて「学校」を考え直してみようと思っている。


 某月某日

 現在、「シリーズ日本近現代史6」の『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著、岩波新書、2007年)を読ん
でいるが、知らなかったことや誤解していたことが目白押しで大変面白い。もっとも、この時代を面白い
と表現すれば、苦労に苦労を重ねてきた上の世代の人々の顰蹙を買うかもしれないので、「大変興味深い」
と言い換えた方が賢明だろう。また、著者が小生と同い年(1954年生まれ)であることが興味の質を高め
ているのだと思う。とりあえず、最初の方の20箇所ほど目に止った事柄を挙げてみよう。そのまま引用す
ることは避け、要点をまとめてみる。


 1.日本人の意識の中でも、戦後はまだ終わっていない。

 2.湾岸戦争の頃から、われわれの戦争への想像力が衰弱している。したがって、戦争は単
  なる「ウォー・ゲーム(War Game)」と成り果て、われわれの視野から、最前線の塹壕の
  中にはいつくばって死の恐怖と戦っている兵士の存在や、戦争にまきこまれた民間人犠牲
  者の存在は、すっぽり抜け落ちてしまった。

 3.第二次近衛内閣における大本営政府連絡会議(1940年7月27日)は、「世界情勢の推移
  に伴ふ時局処理要綱」を決定するが、それは(1)ドイツ・イタリアとの政治的結束の強
  化と、(2)東南アジアへの武力南進を決めた重要国策だった。

 4.松岡洋右外相は、まず日独伊三国同盟を結び、これにソ連を引き入れて「四国協商」に
  発展させるという構想をもっていた。しかし、ドイツの対ソ侵攻作戦の開始により、松岡
  の「四国協商」は絵に描いた餅になった。

 5.アジア・太平洋戦争には、帝国主義国家間における植民地再分割戦争といった側面があ
  る。したがって、米英蘭に対して戦争責任を負ういわれはないという解釈が生じる。

 6.戦争前の日米交渉最大の争点は、対中国侵略戦争で日本が獲得した既得権益を放棄する
  か否か、あるいは、放棄するとすればどの程度か、であった。

 7.ハル・ノートの要点は、(1)日本軍の中国からの撤兵、(2)汪兆銘政権の否認、
  (3)三国同盟の空文化などであり、これを日本が受諾するとはとうてい考えられない
  内容であった。

 8.実質的な開戦決定の日は1941年11月5日(真珠湾攻撃の約一月前)である。

 9.ハル・ノートをアメリカの「最後通牒」と受け取り、戦争に突入していったところに日
  本外交の過誤があったという解釈もある。つまり、もう少し柔軟な対応策もあり得たはず
  である。

 10.日本政府や軍部は、敗戦前後の時期に重要な機密文書を徹底的に焼却した。

 11.東条英機や木戸幸一による秘匿戦術(11月5日の御前会議を隠蔽したこと)が功を奏した
  のは最初のうちだけだった。

 12.第一次世界大戦以後、国際紛争を解決する手段として戦争という行為に訴えるという考
  え方自体が基本的に否定されるようになった。ただし、自衛のための戦争はこれに含まれ
  ない。

 13.第一次世界大戦後、植民地における民族自決という原理が漸進的に認められる方向に世
  界は動いたが、その具体的な取り決めは1922(大正11)年のワシントン会議で調印された
  九ヵ国(米・英・仏・日・伊・蘭・ベルギー・ポルトガル・中国)条約であるが、満州事
  変以降の日本の対中国侵略戦争は、この九ヵ国条約(関係各国は、中国の主権や領土の尊
  重を義務づけられるとともに、門戸開放・機会均等の原則を相互に確認)に対する明らか
  な違反行為であった。結局、日本は九ヵ国条約を事実上棚上げにしながら、アジア諸国へ
  の侵略を継続し拡大するという道を突き進むことになった。

 14.日本が米英に奇襲をかけたとき、陸海軍は「無警告攻撃」を重視した。外務省も軍の圧
  力に屈したということになる。

 15.オランダに対して宣戦布告を行なわなかったのは、豊富な石油資源を有するオランダ領
  インドネシアを「無疵で手に入れたいとの意見」が強かったからである。

 16.開戦にともなって日本は数々の国際法違反(たとえば、中立国のタイに武力進駐してい
  る)を犯しているが、それは軍事の論理だけが優越したこの戦争の性格を端的に物語って
  いる。

 17.日本はフランスと協定を結んでおり(松岡=アンリ協定)、フランスと共同でインドシ
  ナを支配している日本がアジアの解放を主張することには、明らかな矛盾があった。

 18.人種戦争キャンペーンは日本にとって効果的なプロパガンダになり得たであろうが、実
  際には三国同盟が成立していたため、それが政治的な足枷になって、そのようなキャンペ
  ーンを張ることはできなかった。敵はアングロサクソンに限られたからである。

 19.大東亜戦争の目的は、「大東亜新秩序の建設」、すなわち、アジア諸民族の解放と日本
  を盟主とした新秩序の建設にあった。しかし、現地自活主義を取ったので、東南アジアに
  おける重要戦略資源の軍事力による獲得こそが、日本の明瞭な国家意思だったのである。

 20.「日本は、なぜ国力の面で圧倒的な格差のあるアメリカ合衆国との戦争を決意したのか」
  という問いの重要性。


 つづきは、またの機会に譲ろう。


 某月某日

 今日から講義が始まる。もしかすると、小学校よりも早い始業である。昔の人は奥床しかった。松の内
に仕事をすることの愚を知っていたから。荷風のように「子を持たぬ身のつれづれや松の内」と詠んでみ
たいが、「子を持たぬ身」だけは同じで、「つれづれ」どころか「あくせく」を押し付けられている感じ
である。これも現代風、堪えるしかないのだろう。
 年末は風邪で腹をこわして寝ていたが、年明けには治癒して快調である。寝て暮らす効用は抜群という
ことか。今年の目標をひとつ……下腹の贅肉を何とかしたい。

                                                 
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