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 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第26弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト26」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 邦画の『戒厳令』(監督:吉田喜重、現代映画社=ATG、1973年)を観た。吉田喜重らしい難解な台詞に
満ちた作品である。北一輝の『日本改造法案大綱』を読んだこともなく、二・二六事件の背景もよく分ら
ない身にとって、この映画の鑑賞には辛いものがあった。極力娯楽性を排除し、律義に北とその周辺を描
いているからである。また、俳優も知らない人が多く、主人公の北一輝を演じた三國連太郎も、どちらか
と言えば切れのない演技に終始している。わずかに面白いと感じたのは、盲目となった傷痍軍人(今福正
雄)と北が対峙したときで、とくに今福は迫真の演技を披露していると思う。また、どんな身分の人物か
は分らないが(特高警察か、あるいは憲兵隊か)、とにかく北を取り調べている人物の一人(内藤武敏)
の台詞を書き取っておこう。

 「あれ(「日本改造法案大綱」のこと)からは、戒厳令を布き、憲法を停止するということと、そ
  の戒厳令下を在郷軍人が活動するということしか読み取れなかった」。

 傍流である安田善次郎を刺殺した朝日平吾(辻萬長)とその姉(八木昌子)の話や、兵士(三宅康夫)
とその妻(倉野章子)の話も、本流である北の内面の動きと上手に絡み合っているとは思えなかった。北
の側近の西田税(菅野忠彦)や岩佐(飯沼慧)も、その人物像が見え難かった。また、北の妻のすず(松
村康世)も、どんな人間かさっぱり見えてこなかった。北が大正天皇に『法華経』三巻を献上した折、そ
の受領書には何も書かれてなかったこと、頻繁に登場する明治天皇の写真(絵画)、「革命家の本分は革
命を起こすことではなくて、革命に耐えられることである」という北の台詞、処刑されるとき「天皇陛下、
万歳」を叫ぶのかという官吏の質問に対して、「死に際にはそんな冗談は言わないことにしている」と答
える北など、いろいろ謎があり、「北一輝や二・二六事件に関して十分に勉強した後、改めて観なければ
よく分らない」というのが正直な感想である。若い頃、この映画の脚本を担当した別役実の戯曲をいくつ
か読んだことがあるが、不思議な読後感であったことを覚えている。思うに、文章として読むと想像力を
掻き立てられるが、いざ映像化すると途端に難解になる作風なのかもしれない。また、同じ素材を別の監
督が扱ったならば、だいぶ異なる作品になったのではないか、と思う。たとえば、本編にはエロチックな
場面がいくらか出て来るが、映画全体に何の関係があるのかと思ったからである。他の監督だったら、強
引にでも辻褄合わせを行なっていただろう。侍従長時代の鈴木貫太郎が銃撃されるシーンがあるが、どこ
で撮影したのだろう、と思った。素敵な庭だからである。


 某月某日

 今年の卒論生の取り上げたテーマは総じて過激なものが多いので、小生自身も、さまざまな犯罪や自殺
や虐待などの人間にまつわる「負の側面」に関する文献や映像を中心に読んだり眺めたりしている。人間
の愚劣な行状にはいささかうんざりする面が多いが、それでも嫌悪感をもって見るよりも、何とか理解し
ようと努める方が精神衛生上は好ましいのではないかと思う。しかも、どんな愚劣な行為であっても、決
定的で深刻な状態に陥るまでには、その前段階を踏む場合が多いということを考えれば、早期にそのよう
な前段階を認めて速やかに対処する方が、人間社会に蔓延する不幸をいくらかでも減じることができるは
ずである。病気の早期発見、早期治療が効果的なことは明らかなのだから、人間社会の病理にもそれを適
用すべきであろう。日常に潜むさまざまな暴力を暴いて、それが社会システムの欠陥から生じるものだと
いうことが分れば、速やかに改善する必要があるだろう。言い換えれば、今日では、「予防社会学」や
「予防倫理学」といった分野の研究が求められているのではないだろうか。


 某月某日

 『バトル・ロワイアル 特別篇』(監督:深作欣二、「バトル・ロワイアル」製作委員会〔東映=アムア
ソシエイツ=広美=日本出版販売=MFピクチャーズ=WOWOW=ギャガ・コミュニケーションズ〕、 2001
年)を観た。社会現象にもなったほどの過激な映画という触れ込みであるが、別にそれほどの残酷シーン
はない。やはり、中学生同士が殺し合いをするという設定がセンセーションを巻き起こしたのであろう。
国会までも巻き込んだのだから、製作者としては本望であろう。42人いた中学生のうち、40人までがわず
か3日のうちに息を引き取るというのだから半端ではない。死亡した中学生の性別、番号、氏名の後に
「死亡」の文字が続き、【残り○○人】と出る。たとえば、

   女子10番 清水比呂乃 死亡 【残り23人】
   男子16番 新井田和志 死亡 【残り22人】

というような按配である。『光の雨』(監督:高橋伴明、シー・アイ・エー=エルクインフィニティ=衛
星劇場、2001年)にも同様の処置が取られていた(ただし、死んだ人の名前だけのクレジット)が、この
ような無機的な死亡通知がこの種の映画では効果的なのだろう。それでは、どうして中学生同士が殺し合
わなければならなかったのか。そこへ至る経緯を語るメッセージを引用しよう。

  新世紀のはじめ、
   ひとつの国が壊れた。
  完全失業率15%突破、
   失業者 1千万人
  不登校生徒 八十万人
   相次ぐ少年犯罪
  自信を失くした大人は
   子供を恐れ、
  やがてひとつの法案が
   可決された。

      新世紀教育改革法 【通称BR法】

 要するに、この「BR(Battle Royale)法」に基づき、全国の中学3年生、4万3千クラスから選ばれ
たクラス・メイツが、最後の一人になるまで殺し合いをする、という破天荒な物語である。もっとも、殺
しそのものにはシーンとして目新しいものはなく、その点では凡作だろう。教師キタノ役のビートたけし
も、もうひとつ冴えがなかったと思う。それでも、最後のギャグのような死に方は、彼のアイディアなの
だろうか、少し面白かった。出演者の中でも特別な存在である柴咲コウ(女子11番・相馬光子)、山本太
郎(男子5番・川田章吾)、安藤政信(男子6番・桐山和雄)は安定した演技を見せていた。とりわけ、
柴咲コウは光っていた。もちろん、主人公の藤原竜也(男子15番・七原秋也)や前田亜季(女子15番・中
川典子)は、初々しい演技を披露していた。この映画には続編があるので、近いうちに観ようと思ってい
る。


 某月某日

 『遊び』(監督:増村保造、大映東京、1971年)を観た。増村監督が大映で撮った最後の作品である。
数年前に死んだ飲んだくれの父(内田朝雄)の借金を返すために、中学校を出ると直ぐに工場勤めに出た
少女(関根恵子〔現 高橋恵子〕)がいる。女子寮に入り、せっせと母(杉山とく子)と姉(小峯美栄子)
に仕送りをする毎日である。母は内職でかつかつの生活を送っており、姉はカリエスで寝たきりという状
態である。絵に描いたような不幸な境遇であるが、根が真面目なのでぐれることもなく健気に生活してい
る。ある日、母親が無心にやって来たが、さすがに応じることができず、嫌気が差す。買いたいものも買
えず、何の遊びも知らず、ただ働いて眠るだけの生活に飽き飽きしてくる。そんな折、元工員のヨシ子
(甲斐弘子)が女子寮を尋ねてくる。たいした羽振りである。キャバレーに勤めているという。その姿に
影響を受けた少女は、ヨシ子が住んでいる町を訪ねるが、電話帳で探しても分らない。困惑している少女
に、少年(大門正明)が声をかける。そして、キャバレーなんてつまらないからよせ、と言う。それより
今日一日俺と付き合えと言う。喫茶店、映画館、ダンスホール、スナックバーと渡り歩いて、仕舞いには
小汚い旅館に入る。実は、少年は少女を「こまそうとしていた(犯して言いなりにさせること)」のであ
る。しかし、あまりに純情な少女の様子にほだされた少年は、兄貴(蟹江敬三)を裏切って旅館から逃げ
出す。そして、兄貴から預かった一万円と少女が持っていた三千円があるので、思い切って二人で高級ホ
テルに泊まる。出された料理も、部屋もトイレも風呂場も、彼らにとってはとても贅沢なものであった。
料理の盛られていた皿を洗ったり、下着を風呂場で洗濯したりする少女。それを眩しげに見る少年。二人
は互いの出会いを必然のものと意識する。少女は言う。「ずーっと前から決まっていた。あんたに逢うた
めに今日まで生きて来た。お姉ちゃんの分まで抱いて」。そこで結ばれた二人は、今までの経緯をすべて
過去に流そうとする。少女の境遇は上で述べた通りであるが、少年の境遇も似たり寄ったりの不幸に彩ら
れていた。夫に蒸発された少年の母(根岸明美)は屋台のおでん屋をやっているが、真面目に商売に精を
出すこともなく、寂しくなると部屋に若い男を連れ込むような自堕落な女だった。少年も少女も、そのよ
うな遣り切れない過去を捨てて、新しく旅立とうとするのである。朝霧の中、早起きした二人は水辺の葦
原を駆け回り、沈みかけた舟を漕いで向こう岸に渡ろうとする。向こう岸に何が待っているかは分らない
が、とにかく裸で出直すのである。渡辺岳夫のもの哀しい音楽に乗って、切なく惨めではあるが、同時に
甘酸っぱい青春の匂いのする風が吹いている映画である。 時代を伝えるために、少ししかないが出てきた
ものの値段を列挙しておこう。

 喫茶店(レストラン)で  ポークソテー    300円
              ハムサンドウィッチ 150円
              餃子        100円

 旅館ことぶき荘(いわゆる「温泉マーク」あるいは「連れ込み」)
  各室バス・トイレ・テレビ・電話付

      御商談/御休憩  800円より
      御宿泊     1500円より

 他に、松坂慶子(フーテン娘)、平泉征〔現 平泉成〕(兄貴の子分)、稲妻竜二(兄貴の子分)、早
川雄三(金貸し)、田武謙三(アパートの管理人)、仲村隆(マネージャー)、小山内淳(ことぶき荘の
主人)、村田扶実子(その妻)、飛田喜佐夫(タクシーの運転手)、藤野千佳子(ホテルの女中)などが
出演している。なお、関根恵子が出演している映画は、『ラブレター』(監督:東陽一、にっかつ=幻燈
社、1981年)や『TATOO<刺青>あり』(監督:高橋伴明、国際放映=高橋プロ=ATG、1982年)ぐらいしか
印象にないが、彼女の若いころの映画がTSUTAYAのラインナップに入っているので、いずれ観たいと思う。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たので報告しよう。先ず1本目は『野獣死すべし』(監督:村川透、東映=角川春樹
事務所、1980年)である。すっかり忘れていたが、2度目の鑑賞である。したがって、「家族研究への布
石(映像篇)」〔一般公開はしていない〕にも登録していなかった。『蘇える金狼』(監督:村川透、東
映=角川春樹事務所、1979年)と、原作:大藪春彦、監督:村川透、主演:松田優作、製作:角川春樹事
務所、配給:東映がいずれも同一の映画である。なお、『野獣死すべし』(監督:須川栄三、東宝、1959
年)という先行作品(主演は仲代達矢)があるが、小生は未見である。通信社の元カメラマンで、現在は
翻訳の仕事をしている伊達邦彦(松田優作)が、その卓抜した射撃術、冷徹な頭脳、反社会的な野獣の血
を発揮して、現代の管理社会に果敢に挑む「フィルム・ノワール」である。彼は、アンゴラ・レバノン・
ウガンダなどの戦場を渡り歩いており、そのときの血腥い経験が野獣の血を呼び覚ましたと言える。大藪
春彦の原作はだいぶ以前に読んでいるはずだが、この手の話を一般的な倫理観で切って捨てることはでき
ない。たとえば、伊達は自分のことを慕っている華田令子(小林麻美)をあっさりと射殺しているが、そ
れまでの映画では考えられない場面である。その点で画期的であるが、戦争の狂気が下敷になっているの
で、十分に説得力はある。刑事の柏木秀行(室田日出男)に対するロシアン・ルーレットの場面も迫力が
あるが、柏木とすれば「蛇に睨まれた蛙」の心境だったことだろう。もちろん、伊達とコンビを組む真田
徹夫(鹿賀丈史)の存在感も捨て難い。他に、根岸季衣(原雪絵)、風間杜夫(乃木)、岩城滉一(結城)、
泉谷しげる(小林)、佐藤慶(遠藤)、青木義朗(岡田)、安岡力也〔現 力也〕(峰原)、トビー門口
(奥津)、井上博一(立花)、草薙幸二郎(永友)、阿藤海〔現 阿藤快〕(東条)などが出演している。
配役等に関しては<goo 映画>を参照した。ただし、一部修正した箇所がある。なお、戦争と殺人の関係に
ついては、『戦争における「人殺し」の心理学(On Killing)』(デーヴ・グロスマン 著、安原和見 訳、
ちくま学芸文庫)という卓抜した本がある。興味のある人は、参照してみたらどうか。
 2本目は『宇宙の法則』(監督:井筒和幸、プロジェクト・アルシエ、1990年)である。以前から観た
いと思っていた作品だが、TSUTAYAのラインナップに入ったので観ることができた。1980年代の後半に、
まったく映画製作とは無縁の小島敏弘氏によって構想された映画である。その企画に興味を示したのが井
筒和幸だったというわけ。愛知県一宮市と東京が舞台の物語である。父の正蔵(常田富士男)との確執か
ら家を飛び出した後、頑張って一流のアパレル・デザイナーになった正木良明(古尾谷雅人)が、父の死
を契機としてそれを捨て、家業の機屋を継ごうとして奮戦する物語である。家族である母の君子(馬淵晴
子)、兄の一也(長塚京三)、妹の美紀(横山めぐみ)、一也の後添えの絵美子(芦川よしみ)との関係、
比較的親しい間柄と言える友人の佐久間(竹中直人)、元の勤務先の社長である中村(寺田農)、恋人の
令子(鳥越マリ)との関係、郷里に帰ってから知り合った安井(三木のり平)や村山(太平サブロー)と
の関係、同業者の小田(なぎら健壱)や長山(柄本明)との関係などが、丁寧に描かれている。一つ言え
ることは、人間はそれぞれくだらない自己満足に固執しており、それを実現するためには命を擦り減らし
ても構わないと思っていることである。もちろん、本人にとってそれは「くだらない自己満足」どころで
はなく、それこそ命懸けの営みなのである。この作品では、それぞれの思いが激しくぶつかり合いながら、
しかるべきところで折り合いをつけている様子が丹念に描かれている。しかも、個々の行為そのものはあ
まり理性的とは言えず、人間という存在にはいかに無駄が多いかが分るように描かれているのである。小
生としては、長塚京三が演じた一也という男の空威張りと、太平サブローが演じた村山という男の破廉恥
さがとくに目に付いた。他に、椎名桔平、梅津栄、内田春菊などが出演している。なお、井筒監督らしき
人物もバーの客役で出演していた。井筒の「真に普遍的なもの、インターナショナルなものは、実は等身
大の自分たち自身の姿である」という持論が活かされている作品だと思う。なお、題名の由来は、「人は
必ず死ぬ」という「宇宙の法則」にあるらしい。配役などに関しては、<goo 映画>を参照した。
 3本目は『人間の約束』(監督:吉田喜重、西部セゾングループ=テレビ朝日=キネマ東京、1986年)
である。吉田喜重らしい難解さがあるが、高齢者問題を浮き彫りにした佳作と言えよう。全篇に「水のイ
メージ」(金盥の水鏡、噴水、驟雨、失禁の小水、ずぶ濡れの愛人、風呂の湯など)が鏤められ、しっと
りとした味わいのある作品となっている。森本タツ(村瀬幸子)という高齢の女性が亡くなるが、その死
因に疑問が持たれて解剖に付される。タツの夫である森本亮作(三國連太郎)が、「自分がタツを絞殺し
た」として自首する。ところが、解剖の結果、窒息死ではなく、水を飲んだためだということが判明する。
また、取調べの最中に失禁するほど耄碌している彼に、果たして妻を殺せるかという疑問も浮かび上がる。
年配の田上刑事(若山富三郎)と若い吉川刑事(佐藤浩市)がいろいろと推理をめぐらすことになる。物
語の流れと結末は別にどうということのない平凡なものであるが、細部に微妙なニュアンスの籠ったシー
ンが詰まっており、最初から最後まで鑑賞者に緊張を強いる構成になっている。両親の呆けぶりをつぶさ
に見ながら、別れかけた愛人野上冴子(田島令子)と逢わずにはいられない森本依志男(河原崎長一郎)。
「濡れてる私が抱けて」と、依志男に対して静かに語る冴子。姑の介護よりも夫の浮気の方がきついと漏
らす妻の律子(佐藤オリエ)。「これは かがみです。うつっているのは自分です」と書かれた鏡の前で、
誰か初対面の人を認識して挨拶をする亮作。故郷の大沼に出向いて、先祖の墓の前に穴を掘ってそこに埋
めて欲しいと懇願する亮作。「お前も思い切って呆けるがいいだに」と半ば嬉しそうに呟く亮作。一人の
高齢者の死に対して、「かわいそう」と律子が発話する傍で、「うらやましい」と呟くタツ。「今日はお
風呂に入れない。女のあの日だから」と、恥ずかしそうに律子に語るタツ。来年の話をする亮作に対して、
「来年の夏まで生きるつもりかよ」と吐き捨てる孫の鷹男(杉本哲太)。その他、それぞれの何気ない台
詞や仕草が、考え抜かれた演出によって活かされている、と思った。原作は佐江衆一の『老熟家族』であ
る。いつか読んでみようと思う。他に、武田久美子(依志男と律子の娘である直子)、結城美栄子(中村
則子)、高橋長英(中村武也)、今福将男(担当医の近藤)、米倉斉加年(三浦刑事課長)などが出演し
ている。


 某月某日

 『氾濫』(監督:増村保造、大映東京、1959年)を観た。真田佐平(佐分利信)という技師がいる。金
属接着剤を発明することによって一躍有名になり、勤務先の三立化学から重役に迎えられた中年男性であ
る。給与などの待遇は大幅によくなり、さらに300万円もの一時金や自社の株券を貰って自宅をもつことも
できた。しかし、これまで貧乏(脚光を浴びるまでは、月給1万5千円弱の待遇であった)に耐えてきた
妻の文子(沢村貞子)は急に派手になり、自宅に前衛華道の先生である瀬山玄花(伊藤雄之助)やその取
り巻きの有閑マダム連中を出入りさせたり、娘のたか子(若尾文子)にはピアノの先生である板崎(船越
英二)をつけたりするようになった。日のあたる場所に出ることになった真田は、同時にさまざまな勧誘
や寄付の申し込みなどに悩まされるようになる。恩師である沼田教授(河原侃ニ)を囲む会でも、二次会
の費用は当然のごとく彼がもつことになるなど、「重役」という肩書が彼の財布を狙う不逞な輩を増やす
ことになった。羽根木(伊東光一)は三流私大の教授であるが、有望株である自分の助手の種村恭助(川
崎敬三)を連れてこの会に出席し、真田の元学友の久我象吉(中村伸郎)に引き合わせたりした。久我が
官立大学の教授であるとともに、学会のボス的存在だからである。ここで、種村は、有名な先生に自分の
論文を見てもらう算段をするが、大いに得るものがあった。真田がその論文を見て、種村の才能を見抜い
たからである。英訳すれば、学会誌に載せることも可能だと言う。種村の野望の一端が実現しかけたので
ある。仕事の方でも野心満々の種村であったが、女性に対しても積極的だった。先ず、結婚を餌にして、
親戚の娘である沢井京子(叶順子)の肉体を自由にする。次いで、京子の大学の同級生である真田たか子
を誘惑する。自分の論文を認めてくれた真田の娘であるから、絶好のターゲットだった。それを知った京
子はたか子の父佐平に一部始終を打ち明けるが、種村はたか子と結婚することを佐平に約束し、京子への
手切れ金を出させることに成功する。かくして、京子はその金で種村と別れることを承知し、学業をやめ
て故郷に帰るのである。しかし、種村の野望がこれで終わるわけではない。真田が重役をやめることを知
った種村は、たか子を捨てるからである。そして、久我教授の口添えで三立化学に入社した種村は、さっ
そく社長の三田京太郎(潮万太郎)の娘である令子(金田一敦子)に目をつけ、彼女をものにしようとす
るのである。傍からみれば、種村は卑劣漢そのものだが、本人は「僕が悪いんじゃない、世間が悪いんで
す」と嘯くのである。もっとも、この映画では、誰も彼もが自分勝手な行動を取っている。真田佐平も、
戦時中、女子学生の勤労動員の引率教員であった西山幸子(左幸子)を、空襲の最中に劣情を催して犯し
ている。その後しばらく、妻の文子が疎開していることを奇貨として二人は同棲するが、妻が戻ってくる
と同時に幸子を捨てているのである。佐平の名前が新聞に載ったのをたまたま見て、幸子は接近してくる。
しかも、子どもの雄之助(山田喜芳)が佐平の実子であることを仄めかし(本当は、死んだ亭主の連れ子)、
さらに軽い肺浸潤だと偽って金銭を巻き上げている。佐平は幸子に愛を感じているが、幸子は単なる金銭
目当てだったのである。佐平の妻文子も、仕事一辺倒だった佐平のために捧げた年月を埋め合わせようと
もがく。「色魔」でしかないピアノ教師の板崎の言葉を信じて「恋愛」に没頭したつもりが、あっさりと
捨てられている。つまり、真田家の三人は三人ともそれぞれのパ ートナーに裏切られるのである。総じて、
色と欲とに振り回される人間群像を、実に巧みに描き切っている佳作である。とくにひどい人物である二
人を俎上に載せてみよう。

 種村恭助による「久我象吉」評:官立大学のいやらしさの権化。気取ってて、威張ってて、無能で助平。
 沢井京子による「種村恭助」評:意地が汚くて、堪え性がなくて、女の人を見たら直ぐに手を出す。

 また、西山幸子の台詞である「結婚すれば女は名前が変わりますわ」や、佐平の同僚吉村の台詞「贋物
ばっかりでしゃばって、あんた(真田佐平のこと)みたいな本物が引っ込む時代っていうのは、腹立つね」
が、印象に残った。なお、種村恭助の月給が9,800円であるのに対して、真田が重役に取り立てられた後の
ボーナスは80万円である。さらに、久我教授の三立化学への名義貸し料も同じく80万円(久我はこの金を
愛人への手切れ金として使うつもりである)で、種村の実験成功に対する報酬は3万円である。「年功序
列」がくっきりと数字に表れていると言えよう。これは蛇足であるが、種村がたか子を連れ込んだ怪しげ
な寿司屋の料金システムも記しておこう。寿司が二人前で400円、部屋代が100円、一時間毎に50円の追加
料金である。つまり、寿司は口実で、その実態は「連れ込み宿」なのである。他に、八潮悠子(圭子)、
多々良純(吉村)、倉田マユミ(久我保子)、春本富士夫(安東)、三角八郎(荒田助手)、飛田喜佐夫
(保険の勧誘員)、伊達正(アパートの管理人)などが出演している。


 某月某日

 『戦争と人間 第三部 完結編』(監督:山本薩夫、日活、 1973年)の感想を記そう。先ず、第一部と第
二部の解説が冒頭に設けられているので、それを書き取ってみよう。耳から得た情報がほとんどなので正
確とは言えないが、ご了解いただきたい。

  昭和3年、この頃満州には、日清・日露両戦争で獲得した権益を守るために、日本の関東軍が  
 駐屯していた。関東軍は時の政府の対中国強硬路線を背景に、満蒙を中国から切り離し、日本の
 支配下に置こうと、虎視眈々とその機会を狙っていた。新興財閥伍代家のサロン、当主伍代由介
 は、風雲急を告げる中国大陸の情勢をめぐって、長男英介、実弟喬介らと、今後の方針を検討し
 ていた。喬介はすでに満州に乗り込み、関東軍の強硬派と気脈を通じていた。伍代家の次男俊介
 は、標(しめぎ)耕平と知り合った。耕平の兄拓郎は、伍代産業の工場労働者であったが、左翼
 の一斉検挙に連座し、獄につながれていた。俊介は耕平や画家灰山を通じて、貧しい労働者の生
 活を知り、次第に社会の矛盾に目を向けてゆくようになった。伍代家にあって、俊介の唯一の理
 解者は、長女の由紀子であった。由紀子は、直情径行な青年将校柘植進太郎中尉を愛していた。
  昭和6年9月、関東軍の板垣参謀長らは、奉天柳条溝(今日では「柳条湖」が正しいとされる)
 附近で、満鉄列車を爆破。これを満州地方軍閥張学良軍の仕業だとして、一斉攻撃を開始した
 (昭和6年9月18日、満州事変勃発)。翌昭和7年1月28日、第一次上海事変勃発。時を同じく
 して、日本の手によって、傀儡国家満州帝国が建国された。日本国内においては、激しい思想弾
 圧が始まった。そして画家灰山も反戦思想を理由に逮捕された。こうした中で、大陸進出の機を
 窺っていた伍代由介は、関東軍と手を組んだ喬介の協力を得て、満州に次々と事業を拡張してい
 った。成長した耕平は、工場で働きながら、夜間学校に通い、左翼反戦運動に参加し、活動して
 いた。こうした耕平に、俊介の妹伍代順子(よりこ)は、純粋な愛情を寄せていた。しかし、耕
 平は、特高警察の手によって逮捕され、獄につながれていた。
  昭和11年2月26日、二・二六事件。日本は侵略戦争への道を驀らに突っ走り、国内は軍国主義一
 色に塗り潰されていった。戦争を餌に肥え太ってゆく伍代家のあり方に疑問を抱いた俊介は、学
 校をやめ満州に渡った。俊介は人妻である狩野温子を愛し、すべてを擲って生きようとしたが破
 れ、失意のうちに伍代産業の一員として、天津に赴いた。昭和11年12月12日、西安事件。その事
 件を契機に、それまで敵対関係にあった国民党政府と中国共産党は、共に手を組んで日本の侵略
 と戦うこととなり、「抗日救国」の機運は中国全土を覆っていった。昭和12年7月7日、盧溝橋事
 件勃発。これを契機として、日本は直ちに内地部隊を現地に出動せしめ、ここに日中全面戦争の
 火蓋は切って落とされた。参謀本部にあって、対中国戦争不拡大を主張した柘植大尉は、前線に
 飛ばされ、由紀子と別れて中国へと赴いていった。監獄から釈放された耕平を待っていたのは、
 軍隊であり、戦場であり、そして、順子との別離であった。こうして時代の波は、人々を否応な
 しに戦争の非情な渦の中へ巻き込んでゆくのである。

 さて、第三部が始まるが、冒頭のナレーション(鈴木瑞穂)を書き取ってみよう。不正確なのは、上記
の事情と同じである。お許し願いたい。

  昭和12年7月28日、支那駐屯日本軍は、北京・天津附近にて、中国軍に対し一斉に攻撃の火蓋
 を切った。ここに日中全面戦争は開始されたのである。8月13日、戦火は上海に拡がる。2ヶ月以
 上に亙る激烈な上海の攻防戦を掩護すべく、11月5日、柳川兵団は、杭州湾に上陸。同9日、上海
 全域の占領が完了するや、松井石根(いわね)中支方面軍司令官の命令を無視して、柳川兵団長
 は独断をもって首都南京へと兵を進めた。先に設置された大本営が南京の攻略の大命を下したの
 は、これより後12月1日のことであった。12月13日、南京占領。国民政府は、首都を漢口に移し
 た。世界大戦上類例を見ない、悪夢のような大事件がこの直後に引き起こされたのである。日本
 軍による言語に絶する大量虐殺は、1ヶ月に亙って続けられた。殺戮された中国人の数は、実に
 30万人を超えると伝えられる。

 こうして、第三部が始まったが、標耕平(山本圭)や伍代俊介(北大路欣也)や柘植進太郎(高橋秀樹)
や灰山浩一(江原真二郎)などの軍隊生活に関する描写や、耕平と伍代順子(吉永小百合)の結婚や俊介
と苫(夏純子)との束の間の関係、伍代由紀子(浅丘ルリ子)と銀行家の雨宮家との政略結婚とそこから
生じた様相、軍国主義と伍代産業の絡みなど、さまざまな人間模様を鏤めながら、物語はノモンハン事件
へと収束してゆく。国家総動員法、軍人勅諭と陸軍内務班の実態との乖離、日本と米国、あるいは日本と
ソ連との主要生産物資の比較(たとえば、日米生産量の算術的平均値は米国74.2に対して日本1であって、
お話にならない)上海・南京・北京・武漢・広東の主要産業都市を占領しても、敵に打撃を与えられない
もどかしさ、徐州攻防戦の失敗、初年兵の銃剣刺突訓練の実態(共産ゲリラの処刑)、その際に起こった
「抗命罪」に値する刺突拒否、漢口を陥落させても臨時首都を重慶に移して抵抗する中国政府軍、特高警
察の時局に鑑みた「アカ狩り(自由主義者の弾圧も含む)」、伍代産業の非人間的実態、東條英機中将の
「ソビエト・支那二正面戦争論」、無抵抗の中国人を攻撃する日本軍、負傷を利用して軍隊を脱走しやが
て敵に投降したと目される耕平の安否を気遣う順子、そして、ノモンハン事件……。柘植は戦死し、俊介
は生き残る。

  昭和14年9月16日、モスクワでモロトフ外相と東郷大使との間に、ノモンハン事件に関する停
 戦協定が成立した。日本軍の戦死者総数1万8,000余名。だが、これだけで戦闘が終わったので
 はない。軍律という化物が、さらに人間の命を奪ってゆくのである。歩兵第72連隊長酒井大佐は
 負傷して後退。チチハルの陸軍病院で、部隊全滅の責任を負って自殺するなど、多くの指揮官が
 自分の意志で、あるいは上官に強要されて自決している。
  ノモンハン事件の停戦に先立つ9月1日、ドイツ軍は突如ポーランドに侵入を開始。これに対
 し、英仏両国は9月3日、ドイツに宣戦布告。ここに第二次世界大戦の火蓋は切って落とされた。
 ヨーロッパに始まった大戦の炎は、やがて日中戦争の泥沼に喘ぐ日本を巻き込み、アジアから太
 平洋へと燃え拡がってゆくのである。

 3本併せて9時間以上に及ぶ大作を鑑賞して、さすがにお腹が一杯になった。張作霖爆殺事件(昭和3
年)から始まってノモンハン事件(昭和14年)で終わる10年余の間、さまざまな人間模様が交錯し、エピ
ソードも豊富であったが、結局のところ、大きな渦の中にいる人間にとって、その渦に身を任すことしか
生き残る術はないことを示している。時代の大勢に棹させば時流に乗れるかもしれないが、それが嫌なら
時局に逆らって死ぬ他はないのである。「これからどうなる」という瀕死の戦友の問いに対する俊介の返
事が耳に残った。いわく「天皇に訊けよ」である。「日本が起こして破れた戦争の傷跡は、いまだにこの
日本の至る所に残っている」というのが小生の苦い認識だが、あまりにも悲観的だろうか。
 他に、滝沢修(伍代由介)、高橋悦史(伍代英介)、芦田伸介(伍代喬介)、水戸光子(滝)、波多野
憲(武居弘通)、加藤嘉(雨宮公一郎)、鈴木瑞穂(田島)、山本麟一(関東軍参謀辻政信少佐)などが
出演している。その他、確認できたのは、粟津號、井上博一、下川辰平、藤岡重慶、藤原釜足、絵沢萌子、
片桐夕子などである。なお、出演者などに関する情報は、<goo 映画>を参照して得たものである。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たので、ご報告。1本目は、『戦争と人間 第三部 完結編』(監督:山本薩夫、日活、
1973年)であるが、こちらの方は明日以降に感想を記そう。記述が長くなることが予想されるからである。
もう1本は『吹けば飛ぶよな男だが』(監督:山田洋次、松竹、1968年)である。全篇「シモネタ」満載
の下品な映画であるが、それなりの哀愁もあり、山田監督が描きたい世界は描けていると思う。少なくと
も、前回観た山田作品の『ハナ肇の一発大冒険』(監督:山田洋次、松竹、1968年)よりははるかに面白
いと思った。「スケコマシ」(女を誘惑してものにすること。またはそれが上手な男を指す)、「チンピ
ラ」(ヤクザに憧れながらも、まだ一人前として認められていない不良のこと)、「淫売」(売春のこと。
あるいは、売春婦のこと)、「シケ張り」(官憲の動きを見張る役目)、「カキザラエ」(漢字で書けば
「掻き浚え」か。掻爬手術のこと)、「ツツモタセ」(漢字では「美人局」と書く。夫婦または内縁の男
女が共謀して、女の方が他の男に密通を働きかけ、それをネタにその男から金銭等を強請り取ろうとする
こと)、「おスペ」(旧「トルコ風呂」の「スペシャル・サーヴィス」のこと)、「オカマを掘られる」
(ホモセクシャルの男に男が犯されること)、「シノギ」(ヤクザが生活の資を稼ぐ手段のこと。博打や
売春や麻薬取引などの非合法活動が多い)などの言葉が飛び交い、「強姦」(「ブルーフィルム」におけ
る演技としてのそれであるが、本人の了解を得ていないので明らかな犯罪行為である。ただし、この作品
では未遂)や「エンコ詰め」(ヤクザなどが小指を切り取ること)のシーンが出て来る。また、「連れ込
み宿」や風俗店の「トルコ風呂」(現在では、「ソープランド」と呼ばれている)が出てきたりして、と
ても山田洋次の作品とは思われないほどの過激さである。もっとも、フーテンの寅さんだって、最初の頃
はずいぶん下品だったので、この時代の風潮としては別に大したことではないのかもしれない。ただし、
現在では、少なくともTV放映はできないと思う。主人公は三郎(なべおさみ)である。そのなべは、前
作とは打って変わって熱演している。彼の代表作と言えるかもしれない。ヤクザを気取るがなり切れなく
て往生する話である。相手役は家出娘の花子(緑魔子)である。当時緑魔子は東映の専属女優だったが、
小生は大映や独立プロ、あるいは当該作品のように松竹などの他社作品に出演している彼女しか知らない。
TVでは何度も見かけたので、売れっ子だった時期があったのだと思う。不思議な魅力を湛えた女優であ
る。したがって、他社からも声が掛かったのであろう。
 また、この映画は、風俗上の貴重な資料にもなる作品である。『女体の神秘』(監督:エリック・F・
ベンデル、独、1967年)のポスター(小生が小学校6年生の頃に公開されたのではないか。たしかに記憶
にある)、連れ込み宿であるホテル美鈴の料金が「お泊り650円、お休み300円」であること、三郎と相棒
のガス(佐藤蛾次郎)が紳士風の男(石橋エータロー)から巻き上げた金銭が1万円で、当時としては大
金であったこと、美人局の客(石井均)から巻き挙げたキャンセル料(相手がガスでは無理もない)とタ
クシーの運転手の紹介料がともにが2千円、旅館代が千円であったことなどである。ここで言われるタク
シーの運転手の紹介料というのは、タクシーに売春斡旋のビラを撒き、その話に乗った客を連れて来たタ
クシー運転手に支払う謝礼のことだろう。よくある手段らしい。その他、「花はおそかった」(作詞:星
野哲郎、作曲:米山正夫、唄:美樹克彦)がこの映画の基調歌謡曲であること、第39回メーデーのシーン
があること、カソリック教徒には堕胎も自殺も許されていないこと、流産の際胎児の毒が母親の血に混じ
って母親を死に至らしめることがあることなどが上手に物語に組み込まれ、それなりの工夫が随所に凝ら
されていた。さらに、三郎が「淫売」と罵る相手であるお清(ミヤコ蝶々)と、そのお清が逆に「チンピ
ラ」と罵倒する三郎とが、実は親子ではないかという辺りも泣かせどころだろう。ニュートルコ「エデン」
の気丈な経営者である彼女の目に涙が浮かぶシーンがあるが、親子の名乗りを断念した涙のように見える。
彼女の台詞を拾ってみよう。

  女っちゅうもんはな、子を産むようでは男に負けや。わてもまァ、一人は産んだけど、まァ、
 あとは産まれんように、腹を断ち割って、ラッパ管を括って今日まで頑張ってきたんや。ハハ。
 ま、そのお蔭で今日こうして「エデンのお清はん」と言われるようになったんや。な、わても
 これで成功したんや。どや、ほんまに頑張らなあかんで。え、男に騙されるなよ。男からばー
 っと搾り取れ。

 フーテンの寅さんの母親役をミヤコ蝶々が演じており、大阪でラヴ・ホテルを経営しているという設定
だったが、このお清にその原型があるとみて間違いないだろう。また、美人局で800円を強請られ、その後
も花子の行末を心配して気を揉んでいる学校の先生役の有島一郎や、うだつの上がらぬヤクザである島田
組の不動を演じた犬塚弘など、なかなか味があった。また、活弁調のナレーションを担当した小沢昭一の
名調子にも捨て難いものがあった。他に、芦屋小雁(三郎の兄貴分である鉄)、安田伸(街頭の紳士)、
佐山俊二(看守)、上方柳太(馬やん)、上方柳次(喜やん)、長門勇(医者)、石井富子(不動の妻)、
牧よし子(先生の家の老女中)などが出演している。


 某月某日

 『Wの悲劇』(監督:澤井信一郎、角川春樹事務所、1984年)を観た。薬師丸ひろ子が二十歳になって
から製作された映画。直前作の『メイン・テーマ』(監督:森田芳光、角川春樹事務所、1984年)よりも、
さらに大人になった彼女が売りの映画である。「舞台女優として一人前になるためには、さまざまな人生
経験が必要である」という表向きのメッセージとともに、大人になった薬師丸ひろ子(三田静香)のお披
露目にもなっている映画である。物語の詳細は割愛するが、いわゆる「バック・ステージ・ムービー」と
して斬新な構成になっていると思う。三田佳子(羽鳥翔)の役柄も薬師丸の役と遜色のない重みを課せら
れ、十分に応えていたと思う。とくに、「女を使う」(「女の武器を使う」ではないところがミソである)
という言葉と、「誰かが上がれば誰かが落ちる」という言葉には、実感が籠っているような気がした。ま
た、薬師丸の相手役の一人である世良公則(森口昭夫)も熱演していたと思う。ただ、「演出の鬼」と言
われている蜷川幸雄(安部幸雄)の演技には少し遠慮があり、もっと激しくてもよかったのではないか。
また、薬師丸のもう一人の相手役の三田村邦彦(伍代淳)も、どこか中途半端な性格に見えた。つまり、
もっと「女たらし」風にした方がよかったのではないか。もっとも、薬師丸ひろ子のためにつくっている
ような映画だから、これはこれでいいのかもしれない。その他、高木美保(菊地かおり)、清水紘治(嶺
田秀夫)、仲谷昇(堂原良造=羽鳥翔のパトロン)、志方亜紀子(宮下君子)、草薙幸二郎(木内嘉一)、
南美江(安恵千恵子)、西田健(城田公二)、香野百合子(小谷光枝)、堀越大史(水原健)、藤原釜足
(昭夫の将棋相手)、梨本勝(レポーターA)、福岡翼(レポーターB)、須藤甚一郎(レポーターC)、
藤田佳子(レポーターD)などが出演している。


 某月某日

 『ハナ肇の一発大冒険』(監督:山田洋次、松竹、1968年)を観た。はっきり言って、駄作以外の何も
のでもない。若い頃の山田洋次だから仕方がないか、という感想。先ず、脚本がなってない。たとえば、
ダイヤモンドの入手先とその受け渡しの経緯に関して、最後までまったくリアリティがなかった。「ロー
ド・ムーヴィ」として観たとしても、どこに「大冒険」があるのか。殺人犯(北見治一)が日本アルプス
に紛れ込むというネタも、『銀嶺の果て』(監督:谷口千吉、東宝、1947年)のパクリだし、その点でも
つまらない。だいいち、真田悟郎(入川保則)の唐突な登場(おそらく、アルプス越えを敢行するため、
登山家が必要になったのであろう)と殺され方(しかも、心臓病を儚んで死ぬ覚悟はすでにできていたと
いう設定)など、批判する気にもなれない。悪漢の兄貴分(石井均)と弟分(なべおさみ)も、その存在
理由はひたすらダイヤモンドを奪おうとすることであるが、その経緯には一切触れていないので、幽霊み
たいな存在である。しかも、この二人、ほとんどギャグらしいギャグをかまさないのである。何のために
出てきたの? ……と思った。石井均が結構好きな小生としては、まったくの期待外れ。なべおさみに至
っては、せいぜい息子のなべやかん程度。女店員(中村晃子)の着替えに間貫一(ハナ肇)がぎょっとす
るシーンがあるが、あれはいったい何? 速水亜子(倍賞千恵子)の存在にもまったく現実感がなく、い
くら名優でも、こんな役では演技の仕様がないだろう。キリン堂(犬塚弘)やダルマ屋(桜井センリ)は
いつもの定番だし、まったくだらけ切った映画である。唯一救いがあるとすれば、貫一の妻富子(野村昭
子)、母かね(武智豊子)、近所の奥さん(久里千春)の掛け合いぐらいか。最後に、おまけのように倍
賞美津子が登場するが、台詞を与えて、次なる話の取っ掛かりくらいは施すべきだったろう。なお、自動
車にむち打ち症防止のための「ヘッドレスト」がまだなかった。人間が突然いなくなることを「蒸発」と
呼んだ。今では「ステーキ」と言うところを、「テキ」もしくは「ビフテキ」と言っている。……などに
時代を感じた。他に、田武謙三(捜査本部長)、山本幸栄(医師)などが出演している。


 某月某日

 『卍』(監督:横山博人、横山博人プロダクション、1983年)を観たので、感想を少々。以前に観た
『卍』(監督:増村保造、大映東京、1964年)が谷崎潤一郎の原作に近かったのに対して、この作品は
衣裳を借りただけであって、谷崎作品とは似て非なるものである。言い換えれば、女性同士の同性愛に
その片割れの男性パートナーが絡むといった設定が重要なモチーフをなしている点では原作と同じであ
るが、その他の点では完全なオリジナルである。現職刑事の柿内剛(原田芳雄)の妻園子(高瀬春奈)
は、ふとした弾みでスプーンを万引してしまう。それを見ていた志藤光子(樋口可南子)は、黙ってそ
の場を立ち去ってしまうが、もしこの万引が告発されれば、夫が解雇されるかもしれない。そこで、園
子は光子を尾行し、彼女のマンションの部屋にまで押しかけて、口外しないようにと哀願する。何でも
するという条件で……。そのとき以来、二人は同性愛の関係に陥るが、それを知った夫も加わって、奇
妙な三角関係が成立する。詳細は割愛するが、その奇妙さをコミカルに描いている。ただし、結末は喜
劇ではない。ところで、二人は一緒の墓に入るという約束をするが、その際の園子の戯言を拾っておこ
う。光子が死んだという設定で、見も知らずの比翼塚で吐いたモノローグである。

  あたしね、あなたがこの世にあったとき、いつでも胸苦しいほどあなたがほしくて。そうなの
 よ、あなたの何もかも好きだった。あなたのお乳、触れてるとき、抉って自分のものにして、い
 つも持ち歩きたかった。あたしの大好きな目にキスするときはそのまますっと飲み込んでしまい
 たい。つるっと飲み込んでしまいたい。あたしはときどきめちゃめちゃにあなたを引き裂いて、
 殺してしまいたかった。あたしは自分が恐ろしかったわ。今でもあたしは恐ろしい。ねぇ、光子、
 何か言って。あなたが死ぬなんて。死ぬなら一緒に死ぬのよ。一秒も違えず。光子……。あなた
 が死んだから言えるのよ。墓の下で嗤えばいいわ。あたしねぇ、からだの奥と奥を一緒にして、
 あなたと二人でどんな血の出るような工夫してでも、何が何でも二人だけのものを作って、あな
 たが産んでもよかった。あたしが産んでもいい。いいえ、絶対にあなたに産ませたかった。あた
 したちの赤ちゃん。死ぬなら三人で、二人だけで、三人で死にたかった。

 増村版『卍』とは一味違った筋書と演出であった。他に、小山明子(光子の母千草)、中島ゆたか(園
子の友人尾崎祥子)、鹿内孝(祥子の恋人法月)、梅宮辰夫(ハーレー・ダヴィッドソンのライダー)、
高月忠(警官)などが出演している。


 某月某日

 『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』(監督:山本薩夫、日活、1971年)の感想を綴ろう。先ず、
第一部の解説が冒頭に設けられているので、それを書き取ってみよう。例によって耳から拾ったので、正
確とは言えないが、どうぞご寛恕願いたい。なお、ナレーターは鈴木瑞穂である。

  昭和3年初頭、中国大陸、蒋介石を総帥とする南京の国民政府軍は、北京に侵出して来た満州
 軍閥張作霖を討つために40万の兵を北に向けていた。この頃、満州には、日清・日露両戦争で獲
 得した権益を守るために、日本の関東軍が駐屯していた。関東軍は時の田中内閣の対日中国強硬
 路線を背景に、満蒙を中国から切り離し、日本の支配下に置こうと、虎視眈々、その機会を狙っ
 ていた。新興財閥伍代家のサロン、当主伍代由介(滝沢修)は、風雲急を告げる中国大陸の情勢
 をめぐって、長男英介(高橋悦史)、実弟喬介(芦田伸介)らと、今後の方針を検討していた。
 喬介はすでに満州に乗り込み、関東軍の強硬派と気脈を通じていた。伍代家の次男俊介(中村勘
 九郎から北大路欣也へ)は、標(しめぎ)耕平(吉田次昭から山本圭へ)と知り合った。耕平の
 兄拓郎(伊藤孝雄)は、伍代産業の工場労働者であったが、この年3月15日に行なわれた左翼一
 斉検挙に連座し、獄につながれていた。俊介は耕平や貧乏画家の灰山(江原真二郎)を通じて貧
 しい労働者の生活を知り、次第に社会の矛盾に目を向けてゆくようになった。伍代家にあって、
 俊介の唯一の理解者は長女の由紀子(浅丘ルリ子)であった。由紀子は直情径行な青年将校柘植
 中尉(高橋英樹)を愛していた。一方、満州の関東軍は、張作霖を暗殺し、混乱に乗じて一挙に
 武力占領するという陰謀を企んでいた。こうした中で、満州の抗日運動は次第に拡がっていった。
 朝鮮人徐在林(地井武男)は、万歳事件で日本兵に一家を惨殺された怨みから、中国共産党満州
 小委員会白永祥(山本学)、満人のブルジョワの娘趙瑞芳(栗原小巻)は、横暴な日本の侵略行
 為に対する怒りから、抗日運動へと参加していった。日本人の中にも批判的な者がいた。満州医
 大講師の服部(加藤剛)、伍代公司の高畠(高橋幸治)たちだった。関東軍の板垣参謀長(藤岡
 重慶)、石原参謀(山内明)らは、昭和6年9月18日、奉天柳条溝(現在では、「柳条湖」が正
 しいとされている)付近で満鉄列車を爆破、これを張学良軍の仕業だとして、一斉攻撃を開始し
 た。いわゆる「満州事変」である。この戦いの中で、獄から出され、第一線部隊に配属された耕
 平の兄拓郎は戦死した。昭和7年、戦火は上海へ飛んだ。上海の第一線には、柘植大尉の姿があ
 った。こうして人々は、好むと好まざるとに拘わらず、 戦争の大きな渦の中に巻き込まれていっ
 たのである。

 さらに、本篇のイントロダクションが続く。一部文言を改変したが、ご海容いただきたい。

  昭和7年3月1日、満州国建国宣言、清朝廃帝、宣統帝溥儀、満州国執政に就任。同、5月15
 日、「五・一五事件」勃発。犬養首相、海軍将校らに射殺される。同11月12日、東京地裁尾崎判
 事、政治活動の疑いで検挙。以後、司法官の免官各地に拡がる。昭和8年1月30日、ドイツ、ヒ
 トラー内閣成立。同2月24日、国際連盟総会、満州国不承認を決議。日本、国際連盟を脱退。同
 5月10日、滝川事件??。京大、滝川教授、左翼思想を理由に文部当局により処分、後日、京大
 法学部全教授総辞職。同7月11日、神兵隊右翼クーデター未遂事件。同12月25日、日本共産党中
 央部弾圧。宮本顕治ら800余名を検挙。昭和9年3月1日、満州国帝政を実施。執政溥儀、満州国
 皇帝となる。同11月20日、陸軍青年将校、士官学校生徒らクーデター発覚??士官学校事件。昭
 和10年2月18日、美濃部達吉博士の<天皇機関説>議会で攻撃される。

 今回は筋を追わないが、見所だけは押さえておこう。先ず、灰山や陣内(南原宏治)や耕平が特高で甚
振られるが、そのとき「小林多喜二の死に様」という言葉が出て来る。また、ファッショ文学運動の推進
者として、直木三十五(映画では「みそご」と発音されていた)、久米正雄、三上於菟吉、白井喬二の名
前が挙がっている。さらに、左翼系の本の著者として、蔵原惟人や戸坂潤の名前が挙がっている。監督の
山本薩夫は左翼陣営の人であるから、この辺りの描写は不可欠であったのだろうが、少し紋切り型すぎて
通俗に堕してしまったきらいがある。ただ、特高刑事として草薙幸二郎が出演しているが、この人にこう
いう役をやらせるととてもうまいので、その点で見所の一つと言えるだろう。
右翼も出て来る。伍代産業の本社を訪ねて来た「防人會(さきもりかい)」の連中である。「昭和維新断
行ニ逆ラウ伍代財閥ノ暴挙」という宣伝ビラを買えというのである。応対した英介は、一枚10銭、1万枚
で千円という値段ならば取引に応じるという。脅しにも屈しないし、かと言って国の方針にも逆らわない
という柔軟性を示しているつもりなのだろう。英介が名乗るとき、胸が反り返っている構図で描かれてい
るが、傲慢な英介の心が見る者に分りやすく示されていた。英介は時代の流れを逆行することを懼れ、父
由介の「実業一点張り」の姿勢に批判的なのである。具体的には、三井や三菱のように、伍代産業の体制
を軍需産業にシフトすべきだというのである。二人の会話を拾ってみよう。

 由介:「皇道派*」も「統制派**」も、一皮むけば将官連中の古狸が若い者を利用しているだけだ。
    政党の腕利きが陣笠を買って頭数を増やそうとするのと同じだな。要は元老・重臣・財閥・
    官僚を倒して軍閥内閣をつくることだろう。だが、建設のプログラムはできているのか。生
    意気盛りの子どもがちょっとばかり関心があって、時計を壊してみる。しかし、一つしかな
    い時計だから、組み立てなきゃならん。やってみるが、子どもにはそれができん。結局、時
    計屋にもってゆく。それでは困るぞ。
 英介:国家の改革と子どもの遊びを一緒にされたらたまりません。認識不足ですよ。
 由介:知能的には子どもの遊びだ。血腥いだけよけいに始末が悪い。天皇だ、国家だと旗印を立て
    るが、国という複雑な社会で一つの歯車がどっちへ曲るかも知っていないだろう。

  * 旧日本陸軍内部の一派閥。荒木貞夫・真崎甚三郎を中心に、昭和7〔1932〕年頃から勢力を
   もった。クーデターによる国家改造を計画したが、統制派と対立、二・二六事件の失敗により
   衰退した。『デジタル大辞泉』より。
  ** 昭和初期、陸軍内で皇道派に対立した派閥。永田鉄山・東条英機らが中心で、直接行動を
    唱える青年将校の運動を封じ、一元的統制の下での国家改造を目ざした。二・二六事件以後、
    軍部の指導権を握った。『デジタル大辞泉』より。

 由介と英介、あるいは由介と喬介、または喬介と英介、それぞれの立場は微妙に違うけれども、少なく
とも俊介から見れば、三人ともに同じ穴の狢であろう。所詮、憂国の士でもなければ、社会的弱者の味方
でもない、ただのスノッブだからである。それでは、俊介はどうだろうか。彼は、英介の元婚約者である
狩野温子(佐久間良子)との恋に生きようとするロマンティストである。しかし、温子には夫があった。
狩野市郎(西村晃)という中年男である。この映画では俊介と温子に同情的であるが、小生に言わせれば、
やはり身勝手で無鉄砲な印象は免れず、清純どころかかえって薄汚く見えた。恋愛観の相違と言ってしま
えばお仕舞いだが、この手の恋愛を称揚すればするほど、単に性欲が意識化で蠢いているだけじゃないか、
と思ってしまう。しかし、俊介の友人の耕平と伍代順子〔よりこ〕(佐藤萬理から吉永小百合へ)との恋
は様相を異にすると思う。耕平はやはり生粋のプロレタリアートであり、俊介とは所詮立場が違うのであ
る。耕平がありきたりの青年だったならば、恋する順子の気持を利用して階級的にのし上ることも可能だ
ったのだから。しかし、耕平はそうしなかった。兄拓郎の無念が心の底まで浸透していたからであろう。
もちろん、そんな耕平だからこそ順子も耕平に恋をしたのであって、上昇志向一辺倒の青年だったら、お
そらく鼻も引っ掛けなかっただろう。しかし、所詮子ども染みた淡い恋であって、現実感のないふわふわ
した感情に見える。由紀子と柘植の恋はどうだろうか。由紀子は、軍務に忙しい柘植をひたすら待ちなが
らも、「女がいつまでも待っているとは思わないで」という言葉を当の恋する相手に投げつけている。端
的に言って由紀子は潔く、温子や順子とは違う女であることをはっきりと示している。さて、もう一つの
恋もある。服部達夫と趙瑞芳との恋である。こちらは、瑞芳に深い傷がある。英介に犯されたことや父大
福(龍岡晋)が伍代家に騙されたことなどである。したがって、服部の愛も直截には示されない。しかし、
鴻珊子(岸田今日子)の手を借りたとはいえ、命がけで瑞芳を亡命させることによって、その愛が本物で
あることが分る。このように、四つの恋愛を概観したが、この映画で一番の売りである俊介と温子の恋は、
小生にとっては一番くだらない恋だという結論に達せざるを得なかった。判定、女は由紀子を、男は服部
を買いたい。
 エピソードは他にもたくさんある。その一つは、柘植が垣間見た石井部隊(七三一部隊)の実態である。
周知のように陸軍軍医正〔後、軍医中将〕(軍医総監、軍医監に次ぐ役職)の石井四郎が率いる部隊で、
元々は関東軍の管轄区域内で、防疫や給水業務を行うことを目的に設置された組織であるが、実際には、
細菌・化学戦研究のために、中国人捕虜やモンゴル人捕虜を用いて生体解剖などを行ったとされている部
隊である(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。映画では、ホスゲン(Phosgen)・
ガス〔塩化カルボニルの別称〕実験、青酸実験、電気の衝撃実験などが描かれている。柘植は、「人体実
験を受けているのは死刑囚か」と、担当者に尋ねている。それに対する答えは、「全員、反満抗日連合軍
と称する共産匪の捕虜だ」であった。
 鴫田駒次郎(三國連太郎)、大塩雷太(辻萬長)、高畠正典、白永祥などの、第一部から続く物語もそ
れなりに面白く、徐在林と全明福(木村夏江)の愛なども見所であろう。また、「五族(漢・満州・蒙古・
西蔵〔チベット〕・ウイグル)協和」や「王道楽土」といった満州国のスローガンの偽善性(日満ブロッ
ク経済による共存共栄を謳いながら、その実、趙大福所有の鉱山を接収してしまうこと、あるいは、阿片
の密売によるボロ儲けなど)、皇道派と統制派の角逐から生じた相沢中佐事件なども、丁寧に描いている。
とくに、皇道派の相沢三郎中佐(玉川伊佐夫)が統制派の軍務局長永田鉄山少将を斬殺する場面などには
迫力があった。
 二・二六事件の様子も描かれている。ナレーションを以下に書き写してみよう。

  昭和11年2月26日、かねてから元老・重臣・財閥・官僚などを打倒し、天皇親政下の軍事政権
 を主張していた、皇道派の一部青年将校は、この日、昭和維新国家改造のスローガンを掲げて決
 起。歩兵第一連隊、同第三連隊、近衛歩兵第三連隊の下士官・兵1,400余名を率いて、岡田啓介
 首相を始めとする、政界要人を襲撃。朝日新聞社などを襲った後、首相官邸付近一帯を占拠した。
 殺害された者、内大臣斉藤実、大蔵大臣高橋是清、陸軍教育総監大将渡辺錠太郎、重傷を負った
 侍従長、大将鈴木貫太郎は、奇跡的に一命を取り留めた。「二・二六事件」と呼ぶ。同7月12日、
 二・二六事件の首謀者15名、銃殺刑に処せられる。

 その他、抗日運動の高まりに呼応して、中国国民党政府軍事委員長蒋介石と、中国共産党軍事委員会副
主席周恩来との間に、内戦の停戦が結成された、いわゆる「西安事件」なども描かれている。これは、国
民党政府掃共軍司令官張学良の画策で実現したことである。「愛国即戦争即他国への侵略」や「抗日即生
不抗日即死」などの言葉が踊っている。
 昭和12年7月8日午前5時30分、北京郊外盧溝橋付近で、日本軍と中国軍が衝突。宣戦布告なき日中戦
争が開始されたのである。

      奉勅

     支那駐屯軍ハ
     平津地方ノ支那軍ヲ
     膺懲シテ、同地方ノ
     主要各地ノ安定ニ任
     スヘシ

                  参謀総長 閑院宮戴仁

 他に、水戸光子(お滝)、波多野憲(武居弘道)、山田禅二(梅谷庄吉)、和泉雅子(梅谷邦)、岩崎
信忠(趙延年)、斉藤真(島津)、井川比佐志(朴)、大月ウルフ(イワーノフ)、高原駿雄(車夫)な
どが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たので、ご報告。1本目は、『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』(監督:山本
薩夫、日活、1971年)であるが、こちらの方は明日以降に感想を記そう。記述が長くなるからである。も
う1本は『盲獣』(監督:増村保造、大映東京、1969年)である。江戸川乱歩の原作を増村流にアレンジ
した異色作である。類似の作品を探しても直ぐには思いつかないが、『undo』(監督:岩井俊二、フジテ
レビジョン=ポニーキャニオン、1996年)に少しだけ近いか。盲人の蘇父道夫(船越英二)が、ファッシ
ョンモデルの島アキ(緑魔子)を、母親の蘇父しの(千石規子)の手助けを借りながら拉致監禁し、彼女
をモデルにして彫刻を製作しようとする話である。凄惨な結末を迎える猟奇譚であるが、「触覚の芸術」
の極北にあるマゾヒズムを描くことが目的のようである。あるいは、ヒトデやクラゲのような下等生物の
世界を人間に置き換えればどうなるかを、実験的に探求した作品とも言える。乱歩が原作の映画にはたい
てい限界があるが、ある程度成功している方の作品ではないだろうか。緑魔子の妖艶な魅力が光る映画で
もある。


 某月某日

 『明日の記憶』(監督:堤幸彦、東映=住友商事=東映ビデオ=日本出版販売=光文社=読売新聞=ケ
イダッシュ、2006年)を観た。いわゆる「闘病もの」であるが、丁寧に作られているので、「お涙頂戴」
にはなっていない。ただし、小生には、涙が止らなくなってしばし鑑賞を中断した場面があった。佐伯
雅行(渡辺謙)という49歳の敏腕広告マンがいる。電通や博報堂ほど大手ではないが、広告会社「A&P」
の第二営業部長である。「ギガ・フォース」という会社から大きなプロジェクトを任され、私生活でも
一人娘の結婚を控えており、何かと忙しい日々を送っていた。しかし、最近になって、物忘れがひどくな
り、頭が痛かったり、目が疲れやすかったりした。うつ病(物忘れ、不眠、倦怠感、集中力不足、食欲不
振、など)の症状かと思って、家庭向けの医学書を読んだりもする。そのうち、会議の予定が変更された
ことを忘れたり、部下の顔が分らなくなったりして、いよいよ深刻であることを自覚し始める。夫の様子
がおかしいことを見て取った妻の枝実子(樋口可南子)も心配して、一緒に病院を訪れる。簡単な記憶力
テストの芳しくない結果に不安を感じた雅行だったが、幾日か経って、神経内科の吉田武宏医師(及川光
博)から、ずばり病名である「アルツハイマー病」を宣告された途端、その不安は恐怖と絶望へと変貌す
る。この後の展開は割愛するが、周囲の人間の心遣い、夫婦の絆、家族という愛情共同体などが、静かに、
しかし力強く描かれている。『私の頭の中の消しゴム』(監督:イ・ジェハン、韓国、2004年)(筆者、
未見)でも話題になった「若年性アルツハイマー病」が真正面から取り上げられて、この病気を取り巻く
周辺の物語に仕上げられている。枝葉のエピソードもそこそこ面白く、とくに、枝実子の友人で雇い主で
もある浜野喜美子(渡辺えり子)と、この夫婦が結ばれる場となった窯の陶工である菅原卯三郎(大滝秀
治)とによって、この物語はしっかりと引き締められていた。また、ギガ・フォースの課長河村篤志を演
じた香川照之や、佐伯の友人でもある長谷川局長を演じた遠藤憲一は、安定した演技を見せていた。さら
に、彼らに上述の及川光博を加えてもよいだろう。もちろん、渡辺謙や樋口可南子の演技が絶品であった
ことは言うまでもない。とくに、渡辺謙には急性骨髄性白血病の既往症があるからか、迫真の演技だった
と言ってもよい。他に、吹石一恵(娘の佐伯梨恵)、坂口憲二(伊東直也=梨恵の夫)、田辺誠一(佐伯
の部下の園田守)、袴田吉彦(同じく安藤俊彦)、水川あさみ(同じく生野啓子)、MCU(同じく馬場
敬哉)、山崎和如(同じく吉沢大悟)、平岳大(同じく富永雄一)、松村邦洋(同じく柿崎知宏)、市川
勇(クリエイターの粟野集)、木梨憲武(陶芸教室の木崎茂之)、木野花(あすなろホームの恩田)など
が出演している。
 なお、これはおまけであるが、広告業界のことに関しては、山本夏彦の『私の岩波物語』(文春文庫、
1997年)や、『ビッグコミックスピリッツ』連載のホイチョイ・プロダクションズ(作・馬場康夫、画・
松田充信)作、『気まぐれコンセプト』を覗いてみると面白いだろう。後者はまだ連載しているらしい。
ただし、小生は漫画雑誌を見なくなってから久しいので、詳しい事情は知らない。


 某月某日

 『メイン・テーマ』(監督:森田芳光、角川春樹事務所、1984年)を観た。典型的な「ボーイミーツガ
ール」もの。小笠原しぶき(薬師丸ひろ子)という二十歳前後の女性と、大東島健(野村宏伸)というマ
ジシャンの見習いが出会い、やがて結ばれるまでの物語。房総、浜松、大阪、沖縄、石垣島などを舞台に
しており、4WDのビックアップでのドライヴ旅行も重要な要素なので、「ロード・ムーヴィー」にも分
類され得る映画である。しぶきには御前崎渡(財津和夫)という中年の思い人がいる(ただし、まともに
は相手にされない)。一方、健も伊勢雅代子(桃井かおり)という年上のジャズシンガーに思いを寄せて
いる。しかし、結局は年齢的に相応しいカップルである二人は、少しだけ回り道をして結ばれることにな
るのである。この映画のミソは、二人がそれぞれ背伸びし合う相手が元々恋人同士(「不倫カップル」と
いうレッテルが貼られるかもしれないが)というところにある。つまり、渡と雅代子には長い恋の歴史が
あったのである。話ができすぎているが、思春期のファンタジーと、中年に差し掛かった者同士の大人の
恋が交錯して、微妙な色合いを出すことに成功していると思う。セックスがあっけらかんと表現されてい
るところに、薬師丸ひろ子のそれまでの映画と違う味が出ていることも付け加えておこう。その他、映像
的な遊び(マジックや視覚的トリック)が随所に鏤められているので、恋人同士で鑑賞すれば、甘酸っぱ
い記憶を共有することができるだろう。たとえ、それが子ども騙しだとしても……。しぶきと雅代子の会
話の一部が少し面白かったので、記しておこう。雅代子がしぶきを朝食に誘って、二人が屋外のテーブル
で語り合う場面である。

 雅代子:御前崎と別れたわよ。
 しぶき:簡単に言うんですね。
 雅代子:簡単じゃないわ。だから朝に逢いたかったの。
 しぶき:どうして別れたんですか?
 雅代子:うん。御前崎さんとあたしだけなら、いくらでも長続きしたわ。でも、3人、4人って、時
     間が経つにつれて周りが増えてくるの。あたしは、1人しか愛せないわ。
 しぶき:あたしだったら、その人の周りの人も愛せます。
 雅代子:まだ御前崎さんのこと好きなの?
 しぶき:いえ、もう好きでも嫌いでもありません。今はとにかく新しい仕事のことで頭が一杯です。

 雅代子が去った後、ブラックで飲むはずのコーヒーにしぶきが砂糖を入れるシーンがあるが、この会話
に一層の含みを持たせることになった。なお、幼稚園の先生(しぶき)とマジシャンの卵(健)という組
み合わせもありきたりではあるが、この物語にやさしいアクセントを与えている。最後に万座ビーチホテ
ルが鳥瞰的映像として現れるが、そのときの薬師丸ひろ子の顔は、明らかに大人のそれであった。なお、
これは蛇足であるが、電話ボックスのシーンと、「ミリバール」という言葉に時代を感じた。もちろん、
携帯電話の普及と「ヘクトパスカル」という言葉への変更が、時代を劃しているからである。他に、太田
裕美(千歳しずく〔=しぶきの姉〕)、ひさうちみちお(千歳国〔=しずくの夫〕)、戸川純(エリ)、
浜村純(大東島一郎太〔=健の父〕)、弓恵子(大東島きぬ代〔=健の母〕)、加藤善博(四日市始〔=
健の叔父のマジシャン〕)、渡辺真知子(御前崎由加〔=渡の妻〕)、中沢亮(御前崎カカル〔=渡と由
加の息子〕)、小倉一郎(鳥嶋)、小松政夫(ライヴの客)、伊藤克信(マスター)などが出演している。
なお、配役等については、 <goo 映画>を参照した。


 某月某日

 『からっ風野郎』(監督:増村保造、大映東京、1960年)を観た。作家の三島由紀夫が主人公の朝比奈
武夫を演じており、彼のギョロ目ばかりがやたらに印象に残る作品である。彼は朝比奈組の二代目である
が、腕も度胸もなく、ヤクザとしてはなはだ中途半端な存在である。それでも、敵対する組織の相良商事
の社長である相良雄作(根上淳)の太腿を刺して、3年近く服役することになった。出所が間近に迫った
ある日、相良が差し向けた殺し屋の半田三郎(小山内淳)が面会室で彼を射殺する。しかし、実際に射殺
されたのは武夫ではなく、面会のつなぎに来たまったくの別人であった。武夫は、身内を騙してまで用心
して何とか出所する。出迎えてくれたのは、叔父貴に当る平山吾平(志村喬)と兄弟分の愛川進(船越英
二)だけだった。組は左前で、縄張から上がるショバ代と映画館のコンパル座の収益ぐらいしか収入源が
なかった。武夫は、先ず愛人の香取昌子(水谷良重〔現 八重子〕に会って、その関係を清算する。彼女
には他に男がおり、すんなりと同意する。表向きは昌子を組同士の抗争に巻き込みたくなかったからであ
るが、どうにもこの別れは唐突に見える。武夫はどうやって相良との喧嘩に決着をつけようかと迷ってい
たが、平山はそんな武夫の優柔不断ぶりに呆れて、拳銃を取り出し一気に片をつけろと迫る。相良を殺せ
と言っているのである。さらに、身代わりとして、自分が自首するとまでお膳立てをして……。そこで覚
悟を決めた武夫は拳銃を預かるが、相良も半田が殺しに失敗したことを受けて、新たな殺し屋であるゼン
ソクの政(神山繁)を雇う。お誂え向きのタイミングで、大親分の雲取大三郎(山本礼三郎)から両陣営
宛に法事の案内が来る。素直に出向く武夫。しかし、相良の姿はなく、代わりに政が代理として出席して
いる。武夫の帰路を政が急襲し、ついに二人は撃ち合うが、武夫が軽い負傷を負う程度でその場は治まっ
た。結局、武夫はコンパル座の2階の住人になるが、もぎり嬢をしていた小泉芳江(若尾文子)とできて
しまう。武夫の求愛は乱暴であったが、芳江はそんな武夫に惚れてしまう。組同士の抗争はエスカレート
し、互いの陣営の誘拐合戦になる。その際、癌の特効薬をめぐる利権が両陣営の争いの焦点となるが、ど
うもピンと来ない設定だった。最後は雲取の親分がそれを治めるが、子どもを身籠った芳江を実家の九州
に帰郷させる際に見送りに来た駅のデパートで、武夫は政にピストルで撃たれてしまう。エスカレーター
の上でのたうつ武夫の姿は、ヤクザ者の哀れな最期をリアルに描いたものと言えよう。
 別線の插話として、臆病風に吹かれて所長の川瀬(三津田健)と刑務所への「滞留」の交渉をする武夫、
愛川と恋人の高津綾子(小野道子〔=長谷川季子〕)との遣り取り、芳江と兄の小泉正一(川崎敬三)と
の兄妹愛、武夫と縁を切った後の昌子の生態、同じく昌子の腋毛(この頃の女性は腋毛を剃らないのが一
般的だったのではないか)、かなりいかがわしい二人の医者である淀川(浜村淳)〔ポン中〕と村田(倉
田マユミ)〔堕胎医〕の雰囲気、相良の子分綿貫(杉田康)が実行するエンコ詰め、労働争議に警察と協
力して介入する愚連隊の存在、早くも評判を集め始めていたトルコ風呂など、時代の雰囲気が満載であっ
た。言うまでもないが、三島由紀夫は俳優としては素人なので、演技過剰と台詞下手が気になったが、そ
れでも個性的であることは否定できないだろう。とくに、相手の台詞を待ち切れずに自分の台詞を吐き出
してしまうところなど、監督の指導でなんとでもなりそうなものであるが、やはり「作家先生」に遠慮し
ていたのか、お任せという感じだった。また、昌子、芳江、綾子と若い女性が3人出てきたが、綾子を除
いて、その気持があまり見えてこなかった。とくに、芳江がなぜ暴力で犯された相手である武夫を好きに
なったのか、さっぱり理解できなかった。最後に一言。志村喬の刺青姿というのは始めて見た。大した貫
禄であった。他に、潮万太郎(支配人の金沢)、藤巻潤(労働争議を妨害する愚連隊の一人)、高村栄一
(相良の子分である赤間)、矢萩みゆき(相良雄作の娘)などが出演している。なお、配役等については、
<goo 映画>を参照した。

                                                 
 某月某日

 『戦争と人間 第一部 運命の序曲』(監督:山本薩夫、日活、1970年)の感想を記そう。昭和3年1月、
陸軍士官学校の講義風景から物語は始まる。教官(渡辺晃三)が熱心に満蒙の現状について講義をしてい
る。以下に、その講義内容を拾ってみよう。耳からの情報なので正確ではないが、ご寛恕願いたい。

 「満蒙(満州と蒙古〔内蒙古〕との併称)は、わが日本帝国の生命線である。ここには広大な、し
  かも肥沃な農地と、無限の鉱山資源がある。しかも、面積はわが国の約2倍。人口は、3,000万
  に満たない。諸君もよく知っているように、満蒙は日清・日露の両戦役によって、貴重な権益を
  獲得した天地である。これを開発すれば、あり余る農産物、巨大な規模の工業を興し得て、無限
  の繁栄を期待することができる。国民には失業の心配もなくなり、貧しい農村の娘が苦界に身を
  沈めるというがごとき悲惨を、二度と繰り返す必要はなくなるのである。ところが最近、満蒙に
  おいては、地方軍閥の首魁にすぎなかった張作霖が、馬賊あがりの分際で北京にあって皇帝を僭
  称し、日本の権益を圧迫・侵害すること目に余るものがある。張作霖は20万の兵を擁して、2万
  に満たない関東軍を侮っておる。これから言うことは、教官一個人の意見であるが、日本人にし
  て、心ある者には、すべて共通する考えであろう思う。すなわち、張作霖以下の暴慢無礼に対し
  て、断乎鉄槌を下す日が来るのは、そう遠くないということである」。

 現代の目でこれを見ると、よその国に対する権益を云々すること自体不穏かつ越権であることは明白だ
が、この時代にあってはこれが普通だったのだろう。そうでなければ、朝鮮・台湾を植民地にし、満州国
(中国側の呼称では、「偽満州国」)をでっち上げたりすることはできなかっただろう。
 さて、場面は変わって、長春郊外の貧農の家で、日本人医師の不破学(田村高廣)が子どもの治療をし
ている。そのとき、「紅槍匪」と呼ばれる匪賊が村を襲い、不破は命からがら逃げることになる。この場
面で、当時の満蒙の治安が安定していないことを鑑賞者に印象づけているのである。この後、徐々に登場
人物が揃ってゆくが、ここで主に満州に住んでいる人物を挙げておこう。先ず、不破の友人で奉天医大講
師の服部(加藤剛)、その思い人である趙瑞芳(栗原小巻)、その父の趙大福(竜岡晋)、その兄の趙延
年(岩崎信忠)、伍代公司の裏稼業(阿片売買、暗殺など)を取り仕切る鴫田駒次郎(三國連太郎)、伍
代公司の最前線(伊通営業所)を仕切る高畠正典(高橋幸治)、その妻の素子(松原智恵子)、その助手
の役割を果たす満人白永祥(山本学)、奉天総領事書記官の篠崎淳児(石原裕次郎)、奉天総領事代理の
森島守人(滝田裕介)、万歳事件(三・一独立運動)で親兄弟を失った朝鮮人の抗日パルチザンである徐
在林(地井武男)、匪賊の大頭目(丹波哲郎)、満州伍代の情報源鴻珊子(岸田今日子)、関東軍司令官
村岡中将(小山源喜)、河本大作大佐(中谷一郎)、特務機関の荒木五郎(井上昭文)、鴫田と接触する
中国人劉(大滝秀治)などである。
 さて、旅順にある関東軍司令部に伍代喬介(芦田伸介)が尋ねてくる。軍の意向を探りに来たのである。
村岡中将はお惚けを決め込むが、河本大佐が本音をしゃべる。張作霖(落合義雄)の横暴をどう食い止め
るかが当面の課題であるが、満州鉄道附属地外である山海関(さんかいかん)に治安維持を目的にして出
兵することはできない。敢行すれば、日本による満蒙の武力占領ということになり、ポーツマス条約違反
であるとともに、国内の反軍勢力が黙っていないからである。ただし、奉勅命令の伝宣(勅旨を伝達する
こと)があればその限りではなく、そのときには一気呵成に張作霖を押し潰してみせる、と豪語している。
 この後、もう一つのエピソードが始まる。昭和3年3月の東京である。伍代産業株式会社小松川電機工
場の様子が描かれる。労働者の苦境を暗示するためである。ここに、標拓郎(伊藤孝雄)と標耕平(吉田
次昭)が登場する。兄の拓郎は刑事にマークされている存在である。いわゆる「アカ」と看做されている
からである。弟の耕平と伍代家の次男である俊介(中村勘九郎)とは後に親友同士になる。俊介が、利潤
をあげるために労働者を搾取する伍代家の在り方に深い疑問を抱いたからである。なお、この標拓郎の関
係者として、左翼の活動家である山川(梅野泰靖)、プロレタリア派の画家である灰山浩一(江原真二郎)、
左翼の小説家である陣内志郎(南原宏治)などが登場する。昭和3年3月15日払暁、時の田中義一内閣は、
全国の労働団体、農民団体、労働農民党などを、一斉に急襲した。検挙者数は1,600余名。いわゆる「3・
15事件」である。このとき、標拓郎は山川とともに逮捕されている。なお、山本薩夫監督は、直接の主
題ではないが、この事件が描かれている『武器なき斗い』(監督:山本薩夫、大東映画、1960年)を撮っ
ている。ちなみに、この映画は労農党の山本宣治(通称、「山宣」)を主人公にした映画であるが、検挙
のシーンは両作品ともに重要である。
 労働者や左翼の生活とは打って変わり、新興財閥の伍代家の風景になる。ピアノを弾く伍代由紀子(浅
丘ルリ子)が登場し、伍代家総帥の伍代由介(滝沢修)、長男の伍代英介(高橋悦史)、前述の次男俊介、
由介の弟の喬介、伍代産業の技師である矢次樵夫(二谷英明)、女中頭にして由介の妾でもあるお滝(水
戸光子)、金融家の市来善兵衛(清水将夫)、陸軍参謀本部の佐川少佐(青木義朗)、同じく柘植進太郎
中尉(高橋英樹)などが集まっている。俊介は大人社会の矛盾を鋭く突くが、由介に軽くあしらわれてし
まう。「貧乏は貧乏している人間の責任だ」という由介の論理に、俊介は納得がいかないのである。この
俊介を由介は「柔弱」であると批評する。もっと「豪気」にならなければと言う。また、長男の英介もま
だまだ子どもだと言われる。英介はもちろん反撥するが、後に趙瑞芳を力尽くで犯したりする輩なので、
単に金満家の一族の権力を笠に着て自分勝手に振舞う卑劣漢にすぎず、その本性がすでにこの時点で見え
隠れしている。父の由介も叔父の喬介もけっして善人ではないが、それなりの節度を守っているので、こ
の英介の傲慢さが際立って見える。もっとも、それだけ子どもということかもしれない。女に関しては、
由介も喬介も「英雄色を好む」を地で行っているからである。なお、次女の順子(佐藤萬理)や矢次の妻
の僚子(三条泰子)なども顔を出している。また、由紀子は矢次に興味を示しているが、妻帯者の彼はそ
の気を起こさないので、柘植中尉に心を移し始めている。その様子を伍代家の秘書である武居弘通(波多
野憲)が皮肉っぽく眺めている。
 北伐軍第一路が済南へ迫り、日本陸軍第六師団が戒厳令を布く。「日貨排斥」(日本から輸入されてい
る商品をボイコットする運動のスローガン)の文字が躍っている。昭和3年5月3日、日支両軍、済南で
衝突。済南事件である。その頃、伊通地方で頑張る高畠と白は、蒋介石の国民党、張作霖の満州政権、中
国共産党奉天小委員会などが犇く中で、何とか商売をしようと目論む。捕まって匪賊の大頭目の許に連行
された二人は、銃や弾薬は商いの対象ではなく、衣類や食糧や雑貨などを運搬するのが目的だという。無
事にこの辺りを通してくれれば、その分の報酬は与えるというのだ。交渉は成立し、軍人や特務機関など
を輸送団に潜ませなければ、襲ったりはしないと確約する。
 他方、軍部の不穏な動きを阻止するため、奉天総領事書記官の篠崎淳児などが活動を開始するが、所詮
外交よりも武力侵略の方が手っ取り早いためか、篠崎の主張は通らない。また、今度は東京の小菅刑務所
に場面は転換する。標拓郎が服役しており、弟の耕平が慰問に来る。耕平の友人俊介は、画家の灰山と小
説家の陣内に世相の窮状を頭に叩き込まれる。それを父親の由介に訴えるが、「お父さんは貧乏を泣くの
ではなく、なくすように努力しているのだ。お前もこの理屈が分るようなる」と言って、俊介の逸る気持
を抑える。なお、由紀子と柘植の仲がまた進む。
 場面はまた変わり、奉天の東洋拓殖ビルディングに、喬介と鴫田がいる。5月22日、旅順の関東軍司令
部は奉天に移動。主力部隊を奉天に集結中。なお、河本大佐らの独断専行により錦州出撃の計画があり、
この一帯はだんだんとキナ臭くなってゆく。満鉄線と京奉線の交叉点である皇姑屯(奉天へ4キロの地点)
に仕掛けがある様子。張作霖を乗せた列車は山海関(奉天へ420キロの地点)を走っている。張作霖は取り
巻きとともに、呑気にも麻雀に打ち興じている。一方、奉天医大の助手趙延年、その妹瑞芳、不破、服部
も麻雀をしている。やがて、張作霖が爆殺されたらしい、という噂が飛ぶ。6月3日のことである(満州
某重大事件)。総領事の要請で初めて出兵できるが、今は警察力で十分という総領事の判断に対して、軍
部は大いに不満を漏らす。また、延年は、暗殺や陰謀は単に両国間の問題に留まらず、人類に対する挑戦
であると断言している。不破は不破で、「服部、いくら自由人を標榜しても、政治的国籍の束縛からはな
かなか抜け出せんようだな、お互いに」と述べている。張作霖が死んだので、今度は息子の張学良が、昭
和3年12月29日に、易幟(青天白日満地紅旗の掲揚)し、蒋介石の国民政府に合流したのである。ちなみ
に、張学良は2001年に103歳で亡くなっている。小生はそのニュースを目にしたとき、張学良はまだ生きて
いたのか、と驚いた記憶がある。
 時が少し経って、昭和5年1月、場所は長春である。徐在林が登場する。怪我をしている彼は、不破と
服部の二人の医師に手当てを受ける。そのとき、官憲がやって来るが、彼は逃亡に成功する。旅順と大連
が日本の統治下に置かれた事情が批判的に語られた後、石原莞爾中佐(山内明)が画面に登場する。彼は
満州事変の首謀者に擬せられている軍人である。さらに、間島(かんとう)で朝鮮人が武装蜂起する(間
島事件)。徐在林も参加している。経緯をもう少し書いておこう。昭和5年5月30日、中国共産党満州小
委員会は、在満共産主義団体ならびに不満分子に対して、暴動指令を発した。その冒険主義的な指令によ
って、間島在住の一部の朝鮮人たちが暴動に参加したのである。殺傷者190名、検挙者3,168名、第一次間
島暴動である。
 ここで、また日本にキャメラは移動する。耕平と俊介が屋台のおでん屋で食事を摂っている。お年寄り
の酔っ払いが叫ぶ。貧乏人には、失業、一家心中、幼児殺ししか残っていない、と。昭和の不景気は長く
続き、「大学は出たけれど」という嘆きが流行したほどであった。東北地方などでは、娘の身売りなど日
常茶飯事で、いよいよ日本は切羽詰っていた。満州の利権を何とかしない限り、日本に明日はない、と。
しかし、戦争を食い物にし、「死の商人」と罵られる伍代家などの金持は、貧乏人の味方には金輪際なれ
ないのである。したがって、争議が起こっても、これを弾圧するだけで、歩み寄ることもしない。もっと
も、俊介が批判するまでもなく、この伍代家はだんだんと怨恨の対象にされてゆく。喬介が兇漢に襲われ
るが、鴫田の援護によって簡単に返り討ちにしている。
 昭和5年10月26日、台湾中部の霧社で山地部族が反日蜂起。日本軍が出動してこれを鎮圧した。蜂起し
た部族の死者は600余名に及ぶ。霧社事件という。11月14日、浜口雄幸首相、東京駅にて右翼結社員の佐
郷屋留雄に狙撃され重傷を負う(翌年8月死去)。由紀子と伍代家を訪ねに来た柘植がこの部族のことを
話題にする。柘植は霧社事件の調査のために台湾に渡るという。柘植は言う。彼ら部族には「出草」と呼
ばれる敵の首を狩る慣習があり、女はその様子を恍惚として眺めるという。「一般に、男が死力を尽くし
て決闘するのを見るのは女の好むところである」という見解に二人とも同意し、その会話が縁で二人は唇
を重ねる。
 昭和6年4月、伊通の営業所が襲われる。輸送馬車に特務機関が潜んでいたという理由である。高畠の
妻素子が攫われる。高畠は白とともに身代金をもって匪賊の許に急ぐが、彼女は共産匪に連行されたとい
う。彼らは共産匪の幹部になっていた徐在林に出会うが、素子はすでに犯され、殺され、埋められていた。
高畠は徐に向かって「抗日運動というのは、女を犯し殺すことか」と難詰するが、徐は万歳事件(大正8
年3月1日、朝鮮独立運動を弾圧した事件。殺傷者3万人余と言われている)の凄惨さを持ち出し、日本
人に批判する資格はないと言い放つ。高畠も白の忠告を受け、この場を立ち去る他はなかったのである。
 昭和6年6月6日、参謀本部作戦課兵站班中村震太郎大尉ならびに予備役井杉延太郎曹長の2名は、兵
要地誌実地調査のため、ロシア人1名、蒙古人1名を連れて、公安嶺イレクテを出発。7月6日から10日
間、関東軍司令部、板垣征四郎大佐(藤岡重慶)、同石原参謀は、幕僚とともに対ソ作戦終末点の研究の
ため、ソ満国境を視察。ここで、モールス信号による文言が画面を流れる。

 「行方不明ヲ伝エラレタ中村大尉、井杉予備役曹長ノ両名ハ支那官憲ニ不法逮捕サレ所持品全テ
  ヲ掠奪ノ上銃殺サレタリ。ナオ調査中ナルモ、支那側ハ証拠消滅ノ為ニ二名ノ遺体ヲ山中デ焼
  却シタ模様ナリ」。

 柘植が金沢に転属になる。霧社事件に絡んで軍の植民地政策を批判したからであろう、という。場面は
また変わり、石原莞爾の許に、満州青年連盟員が押しかけ、関東軍の腰抜けを罵倒するのである。「石原
の軍刀は竹光か」とまで言われるが、石原は甘んじてこの非難を受ける。おそらく、腹は決まっていたか
らであろう。
 昭和6年9月18日午後10時20分頃、奉天郊外柳條溝付近で満鉄が爆破される。満州事変が起こったので
ある。花谷少佐(佐藤京一)が作戦参謀だという。この事件に対して、総領事館書記の篠崎は陸軍刑法を
持ち出して、軍隊の出動を非難する。第2章の「擅権ノ罪」の第35条「司令官外国二対シ故ナク戦闘ヲ開
始シタルトキハ死刑二処ス」、および、第38条「命令ヲ待タス故ナク戦闘ヲ為シタル者ハ死刑又ハ無期若
ハ7年以上ノ禁錮二処ス」を口にし(第38条は途中まで)、軍人連中に睨まれる。篠崎は、直接的には宣
戦の勅命を受けずに戦争状態に入ったことを非難しているのであるが、間接的には謀略を見抜いていて、
それを糾弾しているのであろう。演じている石原裕次郎の顔は怒りで膨れている。
 長春の南嶺砲兵営の戦闘で標拓郎が戦死する。その知らせを受けて涙する耕平。同情する俊介。満州で
は、前述したように、英介が瑞芳を犯す。悲しみがあらゆる所で噴出する。
 昭和6年10月24日、国際連盟理事会は、満州撤兵勧告案を可決。11月18日、日本軍、チチハルを占領。
昭和7年1月3日、日本軍、錦州を占領。昭和7年1月8日、桜田門事件、起こる。李奉昌による天皇暗
殺未遂事件である。昭和7年1月28日、第一次上海事変、起こる。天皇、陸軍の出兵裁可。昭和7年2月
9日、前蔵相井上準之助、血盟団員小沼正に暗殺される。由紀子が柘植のいる金沢の第九師団を訪ね、二
人は結ばれる。由介はこのことの意味を問う。由紀子は軽はずみでしたことではない、と言う。3月、満
州国の建国が宣言される。
 以上、梗概を記したが、記憶に頼っているのでだいぶ当てにならない記述である。間違いも多いかと思
うが、どうぞご寛恕願いたい。これだけの話を上手にまとめている辺り、さすが山本薩夫である。小生は
物語を追うのがやっとで、張作霖爆殺から満州事変に至る道筋がこのような解釈でいいのかどうかは分ら
ない。ただ一つ言えることは、戦争のような大きな波が来た場合、個人の力ではどうにもならないという
ことである。だとすれば、普段からアンテナを張って、戦争の兆しを敏感に感じ取り、それを阻止する道
を模索することが大事であることは、もはや明白であろう。少なくとも、戦争の悲惨を引き受ける覚悟が
ない限り、それは人間の義務である。以下はエラスムスの言葉であるが、今の時代にこそ、警句として機
能するはずである。

  《Dulce bellum inexpertis.》 「経験せぬ者どもには、戦争は甘し」。

 さて、この作品はまだ続篇が2本ある。じっくりと味わってみたい。なお、配役等に関しては、<goo
映画>などを参照した。小生が間違いであると判断した箇所は訂正した。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たので、ご報告。1本目は『告白的女優論』(監督:吉田喜重、現代映画社、1971年)
である。この映画は、おそらく何回か観なければ筋を追えないほど、分り難い作品である。三人の女優が
いる。一森笙子(岡田茉莉子)、海堂あき(浅丘ルリ子)、伊作万起子(有馬稲子)の三人である。それ
ぞれ、失語症、性的恐怖、自殺狂という設定であり、なぜそうならざるを得なかったかが、複雑な人間関
係の中で徐々に明らかにされていく。吉田喜重調とも言える難解な展開ながら、女優という「虚構の世界」
の住人を対象にして、その生活空間と内面世界が徐々に暴かれていくという趣向である。それぞれの女優
にはそれぞれのエピソードが絡むが、互いにまったくの無縁というわけではなく、最後はキャメラに向か
って三人が歩み始めるところで終わっている。
 映画の終盤で登場するインタビュアーの質問とその答えを掻い摘んで記しておこう。一森に対しては、
「映画があなたにもたらしたものとは?」という問い。その答えは「女優になったこと、女優であること、
女優であり続けること」である。「演じている自分自身は?」という問いに対しては、「空虚」と答えて
いる。海堂に対しては、「何故女優になったのか?」という問い。その答えは「他人の人生を生きてみた
かった」である。「嫌いな役は?」という問いに対しては、「幸せな女。喜劇的だから」と答えている。
伊作に対しては、「人生とは?」という問い。その答えは「愛しいものを一つ一つ失ってゆくこと」であ
る。「好きな言葉は?」というに問いに対しては、「NO(ノー)」と答えている。
 他に、一森の関係者として、三國連太郎(笙子のマネージャー南川)、太地喜和子(笙子のところで女
優修行をしているリエ)、菅貫太郎(波多医師)、早野寿郎(戸山博士)、中野誠也(伊作万起子と取り
合った音楽家の亘理隼人)が、海堂の関係者として、木村功(能勢監督)、赤座美代子(京子=あきの高
校の同級生で、現在の付き人。能勢の愛人でもある)、稲野和子(能勢婦人桐子)、草野大悟(クリーニ
ング屋)、児玉泰次(牛乳配達夫)、川津祐介(あきと京子の高校時代の先生)、峰岸隆之介〔現 峰岸
徹〕(海堂と共演する俳優)が、伊作の関係者として、月丘夢路(万起子の母)、久保まづるか(ディザ
イナー・ノブ)、細川俊之(万起子の継父にして、心中の相手)、伊藤豪(唐沢)が、さらに、原田芳雄
(カメラマン)、三木敏彦(若い俳優)、金内喜久夫(インタビュアー)などが出演している。なお、配
役等に関しては、<goo 映画>を参照した。
 2本目は『戦争と人間 第一部 運命の序曲』(監督:山本薩夫、日活、1970年)であるが、今日はもう
疲れたので、明日以降に感想を綴ろう。


 某月某日

 最近、増村保造監督の映画を見ることが多いので、彼の監督作品のフィルモグラフィー(全57作品)を
記してみよう。彼の作品(DVD)の特典に付いている資料からの引用である。関係者に感謝したい。

 1957年 『くちづけ』、『青空娘』、『暖流』
 1958年 『氷壁』、『巨人と玩具』、『不敵な男』、『親不孝通り』
 1959年 『最高殊勲夫人』、『氾濫』、『美貌に罪あり』、『闇を横切れ』
 1960年 『女経(オムニバス第一話:耳を噛みたがる女)』、『からっ風野郎』、『足にさわった女』、
     『偽大学生』
 1961年 『恋にいのちを』、『好色一代男』、『妻は告白する』、『うるさい妹たち』
 1962年 『爛(ただれ)』、『黒の試走車(テストカー)』、『女の一生』
 1963年 『黒の報告書』、『嘘(オムニバス第一話:プレイガール)』、『ぐれん隊純情派』
 1964年 『現代インチキ物語騙し屋』、『『女の小箱』より 夫が見た』、『卍(まんじ)』、
     『黒の超特急』
 1965年 『兵隊やくざ』、『清作の妻』
 1966年 『刺青(いれずみ)』、『陸軍中野学校』、『赤い天使』
 1967年 『妻二人』、『痴人の愛』、『華岡青洲の妻』
 1968年 『大悪党』、『セックス・チェック/第二の性』、『積木の箱』、『濡れた二人』
 1969年 『盲獣』、『千羽鶴』、『女体(じょたい)』
 1970年 『でんきくらげ』、『やくざ絶唱』、『しびれくらげ』
 1971年 『遊び』

     (以上、大映作品48本)

 1972年 『新兵隊やくざ・火線』(勝プロ)、『音楽』(行動社=ATG)
 1973年 『御用牙・かみそり半蔵地獄責め』(勝プロ)
 1974年 『悪名縄張荒らし』(勝プロ)
 1975年 『動脈列島』(東京映画)
 1976年 『大地の子守歌』(行動社=木村プロ)
 1978年 『曽根崎心中』(行動社=木村プロ=ATG)
 1980年 『エデンの園』(白信商事=オルソ・オリエンタル・コーポレーション)
 1982年 『この子の七つのお祝いに』(松竹=角川春樹事務所)

     (以上、大映以外の作品9本)

 このうち、小生が鑑賞済みの映画(本日現在)は、『くちづけ』、『青空娘』、『巨人と玩具』、『最
高殊勲夫人』、『妻は告白する』、『黒の試走車(テストカー)』、『黒の報告書』、『卍(まんじ)』、
『黒の超特急』、『兵隊やくざ』、『清作の妻』、『刺青(いれずみ)』、『陸軍中野学校』、『赤い天
使』、『痴人の愛』、『セックス・チェック/第二の性』、『でんきくらげ』、『しびれくらげ』、『音
楽』の19作品である。小生が始めて増村保造を意識したのは『音楽』(監督:増村保造、行動社=ATG、
1972年)で、三島由紀夫の原作を前衛作品として撮った野心作だった。封切の際も観たし、ヴィデオにな
ってからも観ている。とくに主人公の弓川麗子を演じた黒沢のり子と、麗子の兄を演じた高橋長英の絡み
が忘れられない。文字通りの「近親相姦」シーンなのであるが、『無常』(監督:実相寺昭雄、実相寺プ
ロ=ATG、1970年)における田村亮(弟)と司美智子(姉)の絡みに匹敵する迫力であった。映画は、日
常における禁忌をことさらに取り上げ、それを出来る限りリアルに描こうとする。鑑賞者は、一時的に日
常を逃れ、異常な時空間において禊を済まして、言い換えれば、日常生活において身についた穢れを洗い
流して、また日常に還ってくる。だから、優れた映画は単なる娯楽ではないのだ。増村保造は、われわれ
にそのような時空間を提供してくれる数少ない映画監督の一人なのである。

                                                
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