[SSLの使用について]    ID:  Password: 
ホーム
人間文化学科
国際社会コミュニケーション学科
社会経済学科
人文社会科学科
▼教員一覧
思想系の学問に興味のある人へ
家族研究への布石(映像篇01)
日日是労働セレクト7
日日是労働セレクト9
日日是労働セレクト10
日日是労働セレクト8
日日是労働セレクト11
家族研究への布石(映像篇03)
日日是労働セレクト12
日日是労働セレクト13
日日是労働セレクト14
日日是労働セレクト15
日日是労働セレクト16
日日是労働セレクト17
家族研究への布石(映像篇04)
日日是労働セレクト18
日日是労働セレクト19
日日是労働セレクト20
日日是労働セレクト21
日日是労働セレクト22
日日是労働セレクト23
日日是労働セレクト24
日日是労働セレクト25
家族研究への布石(映像篇05)
日日是労働セレクト26
日日是労働セレクト27
日日是労働セレクト28
日日是労働セレクト29
日日是労働セレクト30
日日是労働セレクト1-3
日日是労働セレクト31
日日是労働セレクト32
日日是労働セレクト33
日日是労働セレクト34
日日是労働セレクト35
日日是労働セレクト36
日日是労働セレクト37
家族研究への布石(映像篇06)
日日是労働セレクト38
日日是労働セレクト39
日日是労働セレクト40
日日是労働セレクト41
日日是労働セレクト42
日日是労働セレクト43
日日是労働セレクト44
日日是労働セレクト45
日日是労働セレクト4-6
日日是労働セレクト46
日日是労働セレクト47
日日是労働セレクト48
日日是労働セレクト49
日日是労働セレクト50
日日是労働セレクト51
日日是労働セレクト52
日日是労働セレクト53
家族研究への布石(文献篇01)
家族研究への布石(映像篇02)
日日是労働セレクト54
家族研究への布石(映像篇07)
日日是労働セレクト55
思想系の読書の勧め
オール岩波文庫文学選
日日是労働セレクト56
日日是労働セレクト57
日日是労働セレクト58
日日是労働セレクト59
家族研究への布石(文献篇02)
日日是労働セレクト60
日日是労働セレクト61
日日是労働セレクト62
日日是労働セレクト63
日日是労働セレクト64
日日是労働セレクト65
日日是労働スペシャル I (東日 ...
日日是労働セレクト66
日日是労働スペシャル II (東日 ...
家族研究への布石(映像篇08)
日日是労働セレクト67
日日是労働スペシャル III (東日 ...
日日是労働セレクト68
日日是労働スペシャル IV(東日本...
日日是労働スペシャル V (東日 ...
日日是労働セレクト69
日日是労働セレクト70
日日是労働セレクト71
日日是労働スペシャル VI (東日 ...
日日是労働セレクト72
日日是労働スペシャル VII (東日 ...
日日是労働セレクト73
日日是労働セレクト74
日日是労働スペシャル VIII (東日...
日日是労働セレクト75
家族研究への布石(映像篇09)
家族研究への布石(文献篇03)
日日是労働セレクト76
日日是労働スペシャル IX (東日 ...
平成日本映画百選
日日是労働セレクト77
日日是労働スペシャルX(東日本...
日日是労働セレクト78
日日是労働セレクト79
日日是労働スペシャル XI (東 ...
日日是労働セレクト80
日日是労働スペシャル XII (東日 ...
火曜日の詩歌01 - Anthologica Poet...
日日是労働スペシャル XIII (東日...
日日是労働セレクト81
日日是労働セレクト82
日日是労働スペシャル XIV (東日 ...
日日是労働セレクト83
日日是労働スペシャル XV (東日 ...
日日是労働セレクト84
日日是労働スペシャル XVI (東 ...
日日是労働セレクト85
日日是労働スペシャル XVII (東日...
日日是労働セレクト86
日日是労働スペシャル XVIII (東 ...
家族研究への布石(映像篇10)
日日是労働セレクト87
日日是労働スペシャル XIX (東日 ...
火曜日の詩歌02 - Anthologica Poet...
日日是労働セレクト88
日日是労働スペシャル XX (東日 ...
恣意的日本映画年間ベスト1
日日是労働セレクト89
日日是労働スペシャル XXI (東日 ...
日日是労働セレクト90
日日是労働スペシャル XXII (東日...
日日是労働セレクト91
日日是労働スペシャル XXIII (東 ...
日日是労働セレクト92
日日是労働スペシャル XXIV ( ...
日日是労働セレクト93
日日是労働スペシャル XXV (東 ...
火曜日の詩歌03 - Anthologica Poet...
日日是労働セレクト94
日日是労働スペシャル XXVI (東 ...
日日是労働セレクト95
日日是労働スペシャル XXVII ( ...
日日是労働セレクト96
日日是労働スペシャル XXVIII (...
武藤ゼミとはどんなゼミ?
日日是労働セレクト97
日日是労働スペシャル XXIX ( ...
家族研究への布石(映像篇11)
日日是労働スペシャル XXX(東日 ...
日日是労働セレクト98
日日是労働セレクト99
火曜日の詩歌04 -Anthologica Poetica-
日日是労働スペシャル XXXI (東日...
日日是労働セレクト100
日日是労働スペシャル XXXII (東 ...
日日是労働セレクト101
日日是労働スペシャル XXXIII (東 ...
家族研究への布石(文献篇04)
日日是労働セレクト102
日日是労働スペシャル XXXIV (東 ...
日日是労働セレクト103
日日是労働スペシャル XXXV (東日...
日日是労働セレクト104
日日是労働スペシャル XXXVI (東...
日日是労働セレクト105
日日是労働スペシャル XXXVII ( ...
火曜日の詩歌05 -Anthologica Poetica-
日日是労働セレクト106
日日是労働スペシャル XXXVIII ( ...
日日是労働セレクト107
日日是労働スペシャル XXXIX (東...
日日是労働セレクト108
日日是労働スペシャル XL (東日 ...
文理融合について
日日是労働セレクト109
日日是労働スペシャル XLI (東日 ...
日日是労働セレクト110
日日是労働スペシャル XLII (東日...
家族研究への布石(映像篇12)
日日是労働セレクト111
日日是労働スペシャル XLIII (東 ...
日日是労働セレクト112
日日是労働スペシャル XLIV (東日...
日日是労働セレクト113
昭和日本映画百選
日日是労働スペシャル XLV (東日 ...
花摘みの頁<01>
日日是労働セレクト114
日日是労働スペシャル XLVI (東日...
日日是労働セレクト115
驢鳴犬吠1505
日日是労働セレクト116
驢鳴犬吠1506
日日是労働セレクト117
驢鳴犬吠1507
日日是労働セレクト118
驢鳴犬吠1508
日日是労働セレクト119
驢鳴犬吠1509
日日是労働セレクト120
驢鳴犬吠1510
日日是労働セレクト121
驢鳴犬吠1511
家族研究への布石(映像篇13)
驢鳴犬吠1512
日日是労働セレクト122
日日是労働セレクト123
驢鳴犬吠1601
花摘みの頁オルドゥーヴル
日日是労働セレクト124
驢鳴犬吠1602
驢鳴犬吠1603
日日是労働セレクト125
日日是労働セレクト126
驢鳴犬吠1604
日日是労働セレクト127
驢鳴犬吠1605
日日是労働セレクト128
驢鳴犬吠1606
日日是労働セレクト129
驢鳴犬吠1607
日日是労働セレクト130
驢鳴犬吠1608
日日是労働セレクト131
驢鳴犬吠1609
日日是労働セレクト132
驢鳴犬吠1610
家族研究への布石(映像篇14)
日日是労働セレクト133
驢鳴犬吠1611
家族研究への布石(文献篇05)
驢鳴犬吠1612
日日是労働セレクト134
日日是労働セレクト135
驢鳴犬吠1701
日日是労働セレクト136
驢鳴犬吠1702
ATG映画のページ
驢鳴犬吠1703
日日是労働セレクト137
日日是労働セレクト138
驢鳴犬吠1706
驢鳴犬吠1707
日日是労働(臨時版)1703- ...
驢鳴犬吠1708
日日是労働セレクト139
日日是労働セレクト140
驢鳴犬吠1709
花摘みの頁<02>
【新選】昭和日本映画百選
【新選】平成日本映画百選
日日是労働セレクト141
驢鳴犬吠1710
驢鳴犬吠1711
日日是労働セレクト142
日日是労働セレクト143
驢鳴犬吠1712
日日是労働セレクト144
驢鳴犬吠1801
高知文学学校などのレジュメ集
日日是労働セレクト145
驢鳴犬吠1802
「高知市民の大学」講演レジュメ集
日日是労働セレクト146
驢鳴犬吠1803
驢鳴犬吠1804
日日是労働セレクト147
2018年度版「福島原発事故を考え ...
家族研究への布石(映像篇15)
驢鳴犬吠1805
日日是労働セレクト148
日日是労働セレクト149
驢鳴犬吠1806
日日是労働セレクト25
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第25弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト25」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。1本目は『鍵』(監督:神代辰巳、日活、1974年)である。市川崑
版(大映京都作品)よりも原作に忠実であるが、当時の日活の「ロマンポルノ」という制約のために、物
語よりも官能描写に力を入れた作品になっている。したがって、取り立てて書き残すことはない。ただ、
主人公役の観世栄夫と、ライヴァルの木村役の河原崎健三が、交互に荒砂ゆき(主人公の妻役)の身体を
むさぼるかのように見えるシーンは、合成とは言え新機軸であった。他に、渡辺督子、加藤嘉、殿山泰司、
絵沢萌子などが出演している。
 2本目は『最高殊勲夫人』(監督:増村保造、大映東京、1959年)である。増村監督の健全路線タイプ
の作品である。上から三原一郎(船越英二)、二郎(北原義郎)、三郎(川口浩)という名前の兄弟が、
上から野々宮桃子(丹阿弥谷津子)、梨子(近藤恵美子)、杏子(若尾文子)という名前の姉妹と次々に
結婚して、愛の三重奏を奏でるという筋書である。いわば「お気楽映画」であるが、時代が現れていて、
随分参考になった。先ず、結婚観が古風であって、「女性は社会進出するよりも、よき家庭人になる方が
幸福である」という枠組は疑われていない。また、男性の女性観、女性の男性観も紋切型で、目新しいわ
けではない。いわく、「女は計り知れないほど図々しい」。いわく、「男なんて、直ぐに増長する」。い
わく、「女は、ふくれる、むくれる、直ぐに泣く」。いわく、「男って、定見がなくて、浅はかで、おま
けに新し物好き」。……時代が変わっても大して変わらない要素ではないだろうか。たとえば、杏子の求
める男性像は、今と大して変わらない。いわく、「醜男でなければ、美男子でなくてもよい。磊落で、さ
っぱりしていて、親切で、ある程度のお金がある人」ということであった。最近、何人かの女性にどうい
う男性が結婚の対象になり得るかと訊いたことがあるが、そのときの答えを総合すると「甲斐性があって、
男前」だった。ひところ、「三高(高学歴、高収入、高身長)」という条件が話題になったが、女性の間
で、少し条件が下げ気味になったのかもしれない。また、女性が男性に自分を売り込むシーンがあるが、
「わたし、顔は十人並み以上、ヒップは92センチ、おみおつけを上手に作れる」という触れ込みだった。
この辺りは、現代ではどう変わっているのだろうか。あるいは大差がないのだろうか。ともあれ、言葉や
風俗や物価などはこの50年間で随分変わっている。ざっと、例を挙げておこう。「秘書と言えば、ビジネ
ス・ガールの中ではデラックス」(ビジネス・ガールは略してBGと言われた。今日のOL)という文句。
電話交換手やバスの車掌の存在。55歳で定年の憂き目。支那饅頭、ハイボールなどの飲食物。チキンライ
ス100円、ラーメン70円(ラーメンに関して言えば、値段の張る方ではないだろうか。たとえば、昭和40
年前後、小生の住んでいた東京都中央区晴海に隣接する月島のラーメン屋のラーメンは、40円だった記憶
がある)。「テレビには日立真空管」という広告文。「ビール2本までは紳士だが、3本で身体に触りた
がり、4本でキスを求め、5本でホテルに誘う、この伝で行けば、6本で結婚を申し込むんじゃないか」
という単純明快さ。巨人の川上一塁手の後釜は与那嶺。鬼怒川温泉への新婚旅行。子どもができて、妻の
座は大磐石。女給や女傑という言葉。東京の電話局番がまだ2桁、等々、時代をとても感じさせた。ただ、
三郎の台詞である「優越感に幸せを求めるのは、人間の悲しき本能」は、現代でも立派に通用する文句だ
ろう。他に、宮口精二(野々宮林太郎=三姉妹の父)、滝花久子(野々宮杉子=三姉妹の母)、亀山靖博
(野々宮楢雄=三姉妹の弟)、小林勝彦(宇野=三原商事の若い社員)、野口啓二(野内=同)、金田一
敦子(大島富士子=三郎の元フィアンセ)、東山千栄子(大島千代子=富士子の母)、柳沢真一(大島武
久=富士子の兄)、潮万太郎(結婚式でスピーチをする中年男性)、八潮悠子(ポン吉=一郎の浮気相手)、
三角八郎(大島商事の若い社員)、藤巻潤(テレヴィ局のフロア・マネージャー)、早川雄三(結婚式の
招待客)、三宅川和子(岩崎豊子=宇野の恋人)、市田ひろみ(舟橋邦子=野内の恋人)などが出演して
いる。丹阿弥谷津子や金田一敦子が演じた女性(活発で、弁が立ち、かつ男に媚びない)は、今日では普
通であろうが、この頃では結構珍しかったのだろうか。とくに、桃子役は誰だろうと思いつつ観ていたの
であるが、まさか丹阿弥谷津子とは思わなかった。お年を召してからの彼女は、どちらかと言えばおっと
りとしたタイプを演じていたからである。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たのでご報告。1本目は『刺青(いれずみ)』(監督:増村保造、大映京都、1966年)
である。谷崎潤一郎の原作をアレンジした作品であるが、おそらくそれとは懸け離れた出来映えになって
いると思われる。もっとも、読んだはずの原作の筋はすっかり忘れているので、それは当て推量に過ぎな
い。機会があれば、再読してみたい。質屋の娘であるお艶(若尾文子)が手代の新助(長谷川明男)と駈
落ちするが、その落ち着き先がよくなかった。権次(須賀不二男)という名前の、表向きは船頭にして船
宿の経営者であるが、裏に廻れば博打などの極道稼業に手を染めている遊び人だった。しばらく彼らは、
その二階に寝泊りして愛欲の日々を過ごしていたが、その間に権次は妻のお滝(藤原礼子)と共謀して、
一方でお艶の実家から二人の探索費を巻き上げ、他方で新助を謀殺し、お艶を芸者に売り飛ばそうと目論
んでいた。新助は、彼を殺すべく差し向けられた三太(木村玄)と格闘の挙句、逆に三太を殺してしまう。
彼は一旦実家に顔を出すが、母(毛利菊枝)には人を殺したことだけは告白できなかった。やがて、そこ
を去り、しばらくは杳として行方が分らなくなった。お艶の方はと言うと、刺青師の清吉(山本学)から
その肌を見初められ、女郎蜘蛛の刺青を入れられて(もはや、堅気には戻れない)、口入れ屋の徳兵衛
(内田朝雄)に売られていた。お艶は染吉という源氏名でお座敷に出たが、たちまち売れっ妓となり、
借金も消えて独り立ちの辰巳芸者になっていた。そこに、新助が訪ねてくる。お艶は彼を匿って一生飼い
殺しにする腹を決め、手始めに彼女に言い寄りつづけていささか煩かった権次を始末しようとする。先ず、
権次自らに自分を女房にしたいのならば今の女房のお滝を殺せと命じ、お滝殺害後はこの権次を新助に殺
させる手筈であった。この計画はまんまと成功し、自分たちにとって邪魔者はいなくなったと思った。と
ころが、今度は一部始終を知っているらしい徳兵衛がお艶に美人局の策略をもちかけることによって、話
がややこしくなってくる。それは、旗本の芹沢(佐藤慶)をはめて、百両ほどせしめようという計画であ
った。物語の筋はこの辺りで省略するが、最後はお艶が新助を刺し、そのお艶を清吉がまた刺し、最後に
は清吉が自害する、という流れになっている。女郎蜘蛛を背中に背負った女の「毒を喰わば皿まで」とい
う美学が、若尾文子の妖艶さによく似合っていた。映画全体の色彩も鮮やかで、たくさん出てきた和服と
ともに、それらを見るだけでも値打ちのある映画である。一箇所、「新助をおびき出して殺した」という
お艶の台詞は話の筋と合わないと思った。「殺した」ではなく、「殺そうとした(そして、反対に相手を
殺した)」でなければならないからである。また、新助は三太を返り討ちにするが、その前に、お艶から
「意外に新助には力がある」と言われている。これは下手な伏線の敷き方であろう。
 2本目は『晴れたらポップなボクの生活』(監督:白岩久弥、ジェイディ・スター、2005年)である。
ところどころ作り過ぎの感はあるが、おおむね楽しめる映画である。15年間ホームレスになって逃げてい
た男ユウさん(池畑慎之介)が動き出し、それに金魚の糞よろしく付いて廻るボク、尚樹(矢部太郎)。
ボクは会社を辞めた後、寮を追い出されたのであるが、いつの間にか定職のないホームレスになっている。
住所がないから定職に就けず、定職がないから部屋が借りられない、という究極の悪循環である。しかし、
そうなるには、煙草をやめるよりも簡単だった。それでも、河川敷にあるダンボール・ハウスの住人にな
って、結構楽しくやっていたのである。仲間は、台湾生まれのヤンさん(板尾創路)、彼と同居している
美幸さん(片桐はいり)、その美幸さんに惚れている高田(「たかだ」ではなく「たかた」と発音する)
さん(温水洋一)、自衛隊上がりで、今は綺麗な服(女性の服)を着ることが生き甲斐のマーちゃん(木
村祐一)、ホームレスに生活保護を受けさせて、法外なマージンを取っているNPO男のゲンセン(山田雅
人)、それに、いつも野球のキャッチャー・マスクを被っているユウさんである。ユウさんは元ヤクザで、
どうやら15年前に殺人を犯して逃走していたらしいことが分る。こまごまとしたギャグが全篇に鏤められ
てあり、その一つ一つを楽しむことができる。一例だけ挙げておくが、ファミレスに入っていったユウさ
んが、店員に「あのう、昨日ここに煙草を忘れていったのですが……」と言うと、店員はたちどころにお
客の忘れ物である数種類の煙草を持ってくる。もちろん名前も書いてないし、だいいち後日取りに来る人
間もほとんどいないので、遠慮なく好きな煙草を獲得することができる、という裏技である。軍司(左と
ん平)の店で飲むシーンがあるが、そこにユウさんの昔の恋人千枝(多岐川裕美)が訪ねてくる。軍司か
ら教わったからである。15年分のうらみつらみを吐き出すが、ユウさんは無言で応える。千枝の台詞で面
白いのがあったので、下に収録しておこう。

  法律に時効はあっても、女に時効なんかないんだよう。

 よほど愛してなければ言えない台詞である。俳優の池畑も多岐川も左も年を取ったが、それぞれ枯れた
演技を見せてくれた。ホームレスが重要な役柄を演じる映画としては、この他に『赤い橋の下のぬるい水』
(監督:今村昌平、日活=今村プロ=バップ=衛星劇場=マル、2001年)、『デラシネ』(監督:中原俊、
ライズピクチャーズ=ルートピクチャーズ、2002年)、『死に花』(監督:犬童一心、東映=アミューズ=
テレビ朝日=東映ビデオ=IMJエンタテインメント=毎日新聞社、2004年)などがある。他に、梅津栄(本
田という名前のホームレス)、山城新伍(ユウさんの父)などが出演している。
 3本目は『鍵』(監督:市川崑、大映京都、1959年)である。この映画は下手なホラー映画よりもよほ
ど不気味な作品である。「老衰と闘ったある男の、悲愴な、たいへん興味のある物語」という仲代達矢が
語る惹句にあるように、人類の永遠のテーマである「老い」を性の側面から扱った作品である。ただし、
原作(谷崎潤一郎)とは、だいぶ様相が違うと思う。物語の筋は追わないが、結局関係者が全員死ぬとい
う結末である。同じ原作を仰いでいる映画に『鍵』(監督:神代辰巳、日活、1974年)、『鍵(THE KEY)』
(監督:木俣尭喬、オティック・インターナショナル=若松プロ、1983年)があるが、両者ともに筆者は
未見である。ちなみに、前者は近日観る予定である。興味深い場面、面白い台詞、その他巧みな演出をあ
ちこちで味わうことができた。小生は市川崑とはあまり相性がよくないが、『野火』(監督:市川崑、大
映東京、1959年)、『股旅』(監督:市川崑、市川プロ=ATG、1973年)、『悪魔の手毬唄』(監督:市川
崑、東宝、1977年)とともに、傑作の部類に入ると言ってもよい作品であった。気になった箇所をいくつ
か拾っておこう。先ず、木村(仲代達矢)の胸ポケットにあった音楽会の切符が、振り返ったときなくな
っていた。記録係の見落としではないのか。家族全員の眉毛が妙なかたちであった。ちなみに、夫の剣持
(中村鴈治郎)、妻の郁子(京マチ子)、娘の敏子(叶順子)の三人家族である。古美術商(山茶花究)
が五千円札の束を剣持に渡すシーンで、「この時代には、まだ一万円札は発行されていない」ということ
に気付いた。剣持が、ポーラロイド・カメラを用いたのにわざわざ木村に現像させたのは、自分の妻の裸
身を彼に見せ付けることによって、木村を妻に接近させ、自らそれを嫉妬して若さを呼び戻そうとしてい
たからである。持って回ったやり方であるが、何か妙なリアリティがあった。木村が敏子と寝るとき、汽
車の連結シーンが象徴的に重なるが、似たような手法は『帰らざる日々』(監督:藤田敏八、日活、1978
年)にもあった。自動車のバックミラーで木村と郁子が目と目で挨拶を交わすシーンがあるが、思わずぞ
っとした。剣持が死んだとき、郁子は明らかに微笑を浮かべている。戸部はな(北林谷栄)がサラダに農
薬を混ぜるシーンがあるが、何のためらいもないところに北林の演技の真骨頂がある。しかも、自分が殺
したと刑事に告白しているのにまったく取り合って貰えず、結局娘の婚約者を含めた一家の、主人に対す
る後追い心中ということで片付けられるのである。先ほど述べたように、原作とは大いに異なると思う。
他に、菅井一郎(指圧師の石塚)、倉田マユミ(小池看護婦)、浜村純(相馬医学博士)、潮万太郎(児
玉医師)、伊達三郎(刑事A)、星ひかる(刑事B)、中條静夫(刑事C)などが出演している。時折入
るストップ・モーション、風で煤煙が部屋に吹き込んでくるシーン、突如現れる砂漠のシーン、青い缶の
裏側に書かれた細長い「ドク」の文字、複視現象、眼底検査、心電図等の医学用語、指圧師の靴下に穴が
開いているシーン、古美術商の前で眩暈のために倒れる剣持、郁子の上に脳溢血で倒れ込む剣持、跛行す
る猫を嫌う郁子(実は剣持も少し跛行するのである)、全体に暗い家、竹薮に囲まれた屋敷など、さまざ
まなイメージがざわめいて、谷崎文学の不気味さをよく伝えていた。


 某月某日

 DVDで邦画を3本観たので、ご報告。1本目は『リング』(監督:中田秀夫、「リング」「らせん」製作
委員会〔角川書店=ポニー キャニオン=東宝=IMAGICA=アスミック=オメガ・プロジェクト〕、1998年)
である。鈴木光司の原作は読んでいないが、随分と売れたそうである。テレヴィなどで、貞子の名前を何
度も耳にし、その長い髪の毛で顔を隠して現れる場面も何度か目にしたが、映画を観るのは始めてである。
ヴィデオを観た人間がその1週間後に死ぬという設定が斬新だったので、映画も売れたはずである。しか
も、デュアル・ムービー(2本続けて観て初めて全貌が分る)という、これも画期的な方法で上映したの
で、その点でも企画の勝利だったと思う。浅川玲子(松嶋菜々子)だけが出ている場面では怖かったが、
高山竜司(真田広之)が登場すると、あまり怖くなくなった。思うに、真田広之という役者の顔とこの役
の剛毅さが、鑑賞者の恐怖を和らげているからだろう。一番気持が悪かった場面は、高山が浅川の写真を
ポラロイドカメラで撮ったときである。分っているのに、ぞーっとした。他に、竹内結子(大石智子)、
佐藤仁美(雅美)、松重豊(浅川の上司の吉野)、中谷美紀(高野舞=竜司の恋人)、沼田曜一(山村敬=
貞子の従兄)、村松克己(浅川浩一=玲子の父)、浅川洋一(大高力也=竜司と玲子との間にできた息子)、
雅子〔ママ:苗字なし〕(山村志津子=貞子の母)、伴大介(伊熊平八郎=貞子の父)、伊野尾理枝(山
村貞子)などが出演している。
 2本目は『らせん』(監督:飯田譲治、「リング」「らせん」製作委員会〔角川書店=ポニー キャニオ
ン=東宝=IMAGICA=アスミック=オメガ・プロジェクト〕、1998年)である。『リング』の後日譚である。
最初の設定は面白かったが、だんだん支離滅裂になって、最後は下手なテレヴィドラマのようにお粗末な
結末を迎えざるを得なかった。ただし、全体的には面白い方だろう。『パラサイト・イヴ』(監督:落合
正幸、フジテレビジョン=角川書店、1997年)でも感じたが、科学的な辻褄合わせをするための説明はか
えって興醒めなのである。だいいち、天然痘のウィルスの話はどうなったのか。たしかに、DNAがヴィデオ
の映像や書かれた文字を通して伝達されるという発想は面白いが、大人を騙せるほどには巧妙ではなかっ
たと思う。佐藤浩市(安藤満男=高山竜司の医学部時代の同級生)、中谷美紀(高野舞)、鶴見辰吾(宮
下=高山や安藤の同級生)、松重豊(吉野)、小木茂光(前川警部補)、佐伯日菜子(山村貞子)、松嶋
菜々子(浅川玲子)、真田広之(高山竜司)、伴大介(伊熊平八郎)などが出演している。
 3本目は『悪名一番勝負』(監督:マキノ雅弘、大映京都、1969年)である。清次(田宮二郎)が出て
来ない作品なので、色合がいつもとまったく違う。時代設定も戦前だと思われ、朝吉が軍隊に取られる前
の話として観ればよいと思う。屋台の「一銭洋食」の暖簾に、クシカツ、ドテヤキ、トンカツ、とんちゃ
ん、と書かれてあり、感じが出ていた。また、やくざの世界の一端も窺われ、その点でもマキノ監督らし
いのだろう。酒のことを「パイイチ」と言ったり(たぶん、「一杯」の逆さ読み)、やくざの系図に詳し
い「絵図屋」という商売が登場したり、妙にリアリティがあった。しかし、第15作目にしてついに行き詰
った、と言わざるを得ない。なお、同じ今東光原作の『悪名縄張荒らし』(監督:増村保造、勝プロ、19
74年)や、『悪名』(監督:和泉聖治、シネマパラダイス、2001年)という作品もある。それぞれ、朝吉
(勝新太郎)と清次(北大路欣也)、朝吉(的場浩司)と清次(東幹久)という配役である。小生はどち
らも未見なので、機会があれば(今のところ、TSUTAYAには置いていない)観てみたい。さて、物語であ
るが、朝吉が理不尽なやくざ連中を懲らしめて、長屋の住民の居住権を守るという筋である。刃物が頻出
するので、この頃流行った「仁侠映画」と同じ様相を呈しており、その意味で「悪名」のイメージではな
い。勝新太郎(朝吉)、江波杏子(おりん)、安田〔大楠〕道代(お浜)、田村高廣(放れ駒の政吉)、
津川雅彦(川流れの仙次)、小川真由美(お妙)、山本学(花島卯之助)、金子信雄(金やん)、芦屋小
雁(銀三)、辰巳柳太郎(河徳=河田徳次郎)、水島道太郎(白石鉄之助)、河津清三郎(大西寅松)、
内田朝雄(関西鉄道の島田常務)、石山健二郎(柳)、木村元〔木村玄から改名〕(久光)などが出演し
ている。安田道代と内田朝雄、あるいは安田道代と河津清三郎の遣り取りが傑作だった。彼女は例の「や
とな(雇女=臨時雇いの仲居・芸者)」の役であるが、はまり役と言えよう。とても魅力的である。


 某月某日

 昨日のブログの補遺を行なっておこう。『赤い天使』(監督:増村保造、大映東京、1966年)の西さく
らは、応急救護班のもう一人の看護婦として、都留崎看護婦を連れて行くが、彼女は戦闘の恐怖から発狂
し、それが元で塹壕を飛び出し、その挙句にどうやら敵軍に嬲り殺されたらしいことを知る。このとき、
西は、三人目の殺人を行なってしまったと思っている。たしかに、都留崎を連れて行くことを決めたのは
西であるが、発狂したのは西のせいではない。都留崎についても、西がそこまで自責の念を持つ必要があ
るのかと思った。もっとも、鑑賞者に、西の考え方を不思議に思わせることが狙いなので、これでいいの
だろう。
 従軍看護婦の例を追加しておこう。『独立愚連隊』(監督:岡本喜八、東宝、1959年)における、元従
軍看護婦で、今は従軍慰安婦をしているという設定のトミ(雪村いづみ)である。主人公の荒木〔本名は
大久保〕(佐藤允)の子どもを宿してしまったために、看護婦ではいられなくなったという話であった。
また、ついでに書いておくと、『独立愚連隊西へ』(監督:岡本喜八、東宝、1960年)の羽島久美子役の
水野久美も、敵に捕まったためにその協力者になるという設定ではなかったか。いずれにしても、看護婦
としての行動の描写はなかったと思う。
 増村保造と「赤いシリーズ」のことも指摘しておかなければならない。大映倒産後、彼はテレヴィ界に
進出しているが、山口百恵や宇津井健などを起用して、多くの「赤いシリーズ」を撮っているはずである。
この『赤い天使』などの作風とは違うが、人間の情念の大袈裟な表現は受け継がれていたと思う。出生の
秘密、骨肉間の葛藤、複雑な人間関係、復讐を呼ぶ因縁、強烈な個人主義、殺人の疑惑など、これでもか
というくらい執拗に描いていた。なお、配役等に関しては、<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 邦画3本の感想を記そう。1本目は、『赤い天使』(監督:増村保造、大映東京、1966年)である。久
し振りの戦争映画である。従軍看護婦と軍医の物語という珍しい設定で、興味深い題材だった。今年は戦
争・軍隊関連の邦画を百本以上観る(これまでに鑑賞済みの映画を含む)という計画を立てたが、すでに
その目標は達成している。めぼしい映画はあらかた観たが、まだいくらか未鑑賞の作品が残っているので、
年末までには観ておきたい。
 さて、従軍看護婦と言えば、『ひめゆりの塔』(監督:今井正、東映東京、1953年)の原泉子〔後に、
原泉に改名〕、『さらばラバウル』(監督:本多猪四郎、東宝、1954年)の岡田茉莉子、『独立愚連隊西
へ』(監督:岡本喜八、東宝、1960年)の水野久美、『続兵隊やくざ』(監督:田中徳三、大映京都、19
65年)の小山明子、『きけ、わだつみの声 Last Friends』(監督:出目昌伸、東映=バンダイビジュアル、
1995年)の鶴田真由、『八月拾五日のラストダンス』(監督:井出良英、ブロードバンド・ピクチャーズ、
2005年)の稲田奈緒などを思い出す。彼女らに振られた役は重要ではあったが、この作品の若尾文子のよ
うに主役を張っているわけではない。その意味で当該作品は貴重である。また、この頃、監督の増村保造
は、『兵隊やくざ』(監督:増村保造、大映京都、1965年)、『陸軍中野学校』(監督:増村保造、大映
京都、1966年)といった画期的な戦争映画シリーズの第1作を手がけているが、その後のシリーズは、
『新兵隊やくざ・火線』(監督:増村保造、勝プロ、1972年)〔筆者、未見〕を除いて、森一生、田中徳
三、井上昭に監督を譲っているので、いっそ思い切りがよい。もっとも、会社の方針だったのかもしれな
いが……。なお、以下の記述には、現在では不適切と思われる表現が含まれているが、歴史性を考慮して
ご海容いただきたい。
 映画の惹句から見てみよう。「明日知れぬ体ゆえに、白衣の下の女が燃える! 血と泥の戦場で、男の
欲望とたたかい、女のいのちに生きる従軍看護婦」である。これだけを読んだならば、「何と煽情的な文
句であろう」と思う人もいるかもしれない。しかし、この映画は、単に興味本位な視点で描かれているわ
けではない。もっとはるかに重いテーマが横たわっている。主人公の西さくら(若尾文子)のナレーショ
ンからこの映画は始まり、岩島婦長(赤木蘭子)の訓辞がそれに続く。なお、西さくらは、看護婦養成所
を経て、3年ばかり東京の陸軍病院にいたという設定である。東京の木場で生まれた西は、早くに両親を
亡くし、孤児の境遇にあった。後に、岡部軍医(芦田伸介)に恋心を抱くが、父親に面影が似ているから
であった。孤児の境遇がその恋を生んだのかもしれない。

  私、西さくらは、昭和14年5月、陸軍看護婦として、日本から支那大陸に渡り、天津の兵站病院に
 赴任した。

  この病院の内科患者は、約半分の重傷の者を別にすれば、他は軽い結核か精神異常だけど、贋の病
 人が多いから気を付けるのよ……。体温計をこすって、8度5分なら8度5分にきちっと上げる技術
 をもった兵隊が何人もいます。精神異常なども、治癒しているのに、気違いの真似をしたり、みんな
 前線復帰を嫌って、居心地のいい病院に残りたがっています。その嘘を見抜くのは、軍医殿や私では
 なく、日常患者に接しているあなた方よ、分りましたね。

 軍隊と野戦病院と言えば、安岡章太郎の小説『遁走』を思い出すが、たしかに軽い病気にでもなって、
病院で寝ていた方が原隊に復帰するよりもよいに決まっている。中には、傷口にわざと蛆を湧かせるため
に、蠅をたからせて卵を産ませようとする輩もいる。戦死を免れようとして、できることは何でも試みる
のである。徴兵を免れようとして、片目を潰したり、片腕を落としたり、醤油を飲んだりした者がいた、
という話は子どもの頃によく聞いたが、入隊した後も、疾病を作為したり、身体をわざと毀傷したりすれ
ば、陸軍刑法の「辱職ノ罪」(第二編、第三章、第五十五条)に抵触して厳罰に処せられたようである。
なお、この「辱職ノ罪、第五十五条」については、邦画『陸軍残虐物語』(監督:佐藤純彌、東映東京、
1963年)にも描かれている。
 西が赴任してまもなく、夜の巡回で傷病兵たちに犯されてしまう。その卑劣な行為を率先して行なった
のは、肺浸潤で入院していた坂本一等兵(千波丈太郎)だった。西は一部始終を岩島婦長に報告するが、
坂本は常習犯で、西で3人目だという。地方(軍隊用語で、軍以外の一般社会)であれば重罪だが、前線
ゆえにその罪を咎めることは難しい。つまり、泣き寝入りである。もっとも、坂本は強制退院させられ、
原隊復帰を余儀なくされている。やがて、西は前線の深縣分院に派遣される。そこは、文字通り、「戦場
の病院」であった。蒋介石の正規軍と共産八路軍が合同して大反撃を開始し、そのために多くの兵隊が戦
死し、あるいは深く傷ついた。戦死した者は、認識票を外され(誰が戦死したかをそれで調べる)、火葬
に付される。四肢に深い傷を負ったものは、岡部軍医少尉(後に中尉に昇進)によって、次々とその四肢
を切断される。生命を救うためには、四肢の切断しか方法がないのである。麻酔もかけられずに四肢を切
断されるのである。正視するに忍びない場面の連続である。やがて、腹をやられた兵隊の治療に当たる。
岡部軍医はもはや助からないことを宣告する。ところが、その兵隊は例の坂本一等兵であった。西の腕を
つかんで死にたくないという。あの時は済まなかったという。このとき、「私を犯したぐらいの罪で、こ
の兵隊を戦死させるわけにはいかない」という想念が西の頭に浮かぶ。題名の「赤い天使」の意味の一端
が現れる場面である。一般に、看護婦(現 看護師)は「白い天使(白衣の天使)」と言われることがあ
るが、単なる「白」を超えた「赤」、すなわち「情念(情熱)」の天使を表現しているのである。西さく
らは、その特殊な感情を、極限の世界で爆発させるのである。西は岡部に輸血を申し出る。輸血は佐官以
上の高級将校にしか施さないという原則があったが、岡部軍医は夜になったら自分の部屋に来ることを条
件に輸血を許可する。しかし、その甲斐もなく坂本は死ぬ。西は、坂本を殺したのは自分だと思うが、そ
こまで自責の念をもつのは、やはり尋常ではない。相手は、西を犯した憎き男ではないか。ここで、岡部
が西に向かって吐いた台詞を記しておこう。

  西、患者を区別しちゃいかん。兵隊はみんな人間じゃない。ものだ。一枚の認識票だと思え。

 夜、岡部の部屋にやって来た西に、岡部軍医は、モルヒネの注射を自分に打つことと、下着姿で添い寝
をすることを命令する。三日三晩不眠不休で治療に当たった二人であったから、とにかく安らかに眠りた
いのである。やがて目覚めた西は、「眠りに就いてから10時間くらい経っている」とすでに起きていた岡
部に告げられ、もう少し眠れと言われる。そう告げられた西は、自分が裸にされていることに気付く。岡
部にそのことを詰問すると、「お前には分らない」と言われる。実は、後で判明するが、岡部はモルヒネ
を常用していたため、男としての機能を失っていたのである。
 西さくらは、再び天津の病院に戻ってくる。ここで知り合ったのは、折原一等兵(川津祐介)である。
彼は岡部軍医の執刀で両腕を切断された兵隊である。折原は、両腕がないために性欲の処理ができないこ
とを心から悩んでいた。そのことを折原に告げられたとき、西はまたしても「赤い天使」に変身する。折
原の願いを叶えてやるのである。婦長はこう言う。「看護婦に心は要らないわ。あなた方は、黙ってただ
仕事を片付ければいいの」。しかし、西は心を捨てられない。しかも、情念の絶頂まで容易に登り詰める
のである。折原と西の会話を収録してみよう。耳から拾ったのと、一部の台詞を省略したので、正確では
ない。

 折:自分はもう諦めています。多分、永久に内地には帰れません。
 西:永久に?
 折:もっとも、この戦争が永久に続くとは思いませんがね。
 西:どうして、帰れないの?
 折:両脚を切られたこの部屋の兵隊が、やっと内地に帰ったけど、箱根の病院にこっそり送り込
   まれて、 家族にも会わせて貰えません。一生、秘密の病院で飼い殺しになるらしい。僕だっ
   て同じ運命です。
 西:何故かしら。
 折:こんな姿を内地の人が見たら、誰だって、戦争は悲惨だ、嫌なものだ、と思うでしょう。中
   には、怪我人が多いから負け戦だと考える人がいる。そうなっては困る、と陸軍の上層部は
   考えているんだ。ときどき、死にたい、そう思います。
 西:お気の毒ね。辛いでしょう。
 折:でも、もう慣れました。ただ、とても苦しいのは……。
 西:何なの?
 折:それは、いや、いいんです。何でもありません。
 西:さ、身体を拭きましょう。
 折:西さん、夜にしてくれませんか。
 西:どして、あなただけ特別扱いはできませんよ。
 折:こんな身体、人目に晒したくないんです。今夜、消灯後、拭いていただけませんか。お願い
   です。

  (やがて、消灯後)

 西:さ、身体を拭きましょう。
 折:すいません、わがままを言って。西さん、これから毎晩来てくれますか。
 西:お望みなら、そうします。
 折:是非、お願いします。西さんたち看護婦さんは、食事から下の世話まで、本当によく面倒を
   みてくれます。嫌な顔を一つしないで。
 西:当然のことよ。
 折:しかし、誰もしてくれないことが、ひとつ、あるんです。分りますか、西さん。僕でも男だ。
   片端だけれど、何もかも健康です。他の奴は、それぞれ勝手にできるけど、僕には自由にな
   る手がない。どうしようもないんだ。苦しい。気が狂いそうになる。分かってくれますか。
 西:ええ、私は看護婦ですからね。養成所で男の生理は習いました。
 折:西さん、お願いだ。僕を救ってください。僕の身体に触れてください、頼みます。
 西:そんなこと、他の看護婦にも頼んだの。
 折:まさか。今まで誰にも言いません。西さんだからお願いするんです。
 西:そう。
 折:西さん、僕は汚い男です。嫌な奴だ。でも、僕は死ぬまで妻に逢えないんです。西さん、助
   けてください。

 結局、西は折原の願いを聞き入れる。それどころか、公休日に折原を街に連れ出し、あろうことかホテ
ルにまで誘って、自分のすべてを与えるのである。「赤い天使」の面目躍如といったところである。

 西:折原さん、私の身体、見たいだけ見ていいのよ。やりたいことは何でもやりなさい。私にし
   て欲しいことも、遠慮なく言ってちょうだい。
 折:何故、そんなことを……、僕に。
 西:理由なんかないわ。

 そう、理由なんかないのである。だからこそ、「赤い天使」なのである。しかし、この世の掟破りのよ
うな仕業は、また悲劇を生む。一生西が折原の世話を焼くわけにはいかないことは自明なので、折原は飛
び降り自殺を企て、死んでしまうのである。口に鉛筆を咥えて書いた遺書を遺して……。

    さくらさん きみのやうな人に
    二度とあへない 生きてゐても
    むだだ ありがとう
    さやうなら

              をりはら

 西は、二人目の殺人を犯したことを自覚する。しかし、折原は納得ずくで死んだのであって、西が慰め
なくても、遅かれ早かれ死んだのではないか。それとも、あり得ないことを経験した折原は、これ以上の
ことは自分の人生においてもはや起こり得ないことを悟ってしまったのだろうか。
 西さくらは、再び深縣分院に出向し、岡部軍医と再会する。彼は中尉に昇進していた。岡部の台詞を拾
っておこう。

  軍隊というところは、人を殺せば殺すほど星の数が増える不思議なところだ。

 傷病兵の数は前回にも増して多く、西も弾丸摘出の手術を行い、患者から抜き取った弾だけで160発を
数えた。生きたまま腹を裂かれて胃の腑をまさぐられた通信兵もいた。暗号文を焼き捨てる暇がなく、千
切って飲み込んだからである。あるいは、仙骨付近の手術をしなければならない兵隊がいた。ところが、
岡部軍医は手術を途中でやめている。その理由を西が問うと、岡部はこう答える。

  俺はここでやっている仕事に自信がない。何もかも間違いだらけだ。助かる兵隊を殺し、死んだ
 方が幸せな奴を片端にして生かしている。しかし、西、男にとって性的不能になることは、手足を
 失うより辛いかも分らんぞ。

 つまり、仙骨付近には性に関係する神経が集まっており、一歩間違えば男としての機能を失わせること
になるかもしれない。弾丸が入ったままでも生活はできるのだから、十分に設備の整った病院に入院する
ことができるまでは、手術を延期した方が得策という判断を下したのである。これは、往々にして、手足
を平気でちょん切る外科医にしてはなかなかできない判断ではないかと思いがちであるが、むしろ、彼の
繊細さは、四肢の切断と十分に両立するのではなかろうか、と思った。
 戦火はますます広がって、応急救護班が結成されることになった。軍医1名、看護婦2名、衛生兵3名
の班編成である。岡部は残れというが、西はこれに志願する。どうせ死ぬなら、岡部の傍で死にたいとい
うのである。岡部は好きにしろと言う。彼らは前線へ向かうが、栄林鎮という部落で立ち往生する。しか
も、ここにいる従軍慰安婦の一人がコレラになる。敵のゲリラ戦法かもしれない。味方がコレラに次々と
感染し、この地を守備する兵隊の数も激減してゆく。今夜辺り、敵が一斉攻撃をかけてくるだろうと予想
される日、岡部は西を部屋に呼ぶ。一晩のデートである。西に自分の軍服を着させて、今夜だけはお前を
上官にしてやろうと言うのだ。若尾文子の軍服姿というのも奇妙なものであるが、岡部に靴を履かせるシ
ーンはさらに滑稽であった。さて、岡部はモルヒネ常習者であるから、男にはなれない。そこで、西に頼
んで自分を縛らせ、禁断症状との闘いに挑む。5時間にも及ぶ禁断症状との格闘の後、岡部は男を回復す
る。二人は初めて結ばれるのである。「戦場では心は要らん。快楽があればいい」と強がりを言う岡部も、
最後には西の愛に素直に応えるのである。そして、いつ死ぬかも知れぬ境遇を確認し合うように、互いの
心臓付近にキス・マークを付け合う。やがて、砲撃が始まる。もちろん、負け戦である。辛うじて生き残
った西の目に、岡部の衣服をはぎ取られた遺体が飛び込んでくる。西がつけた心臓付近のキス・マークが
くっきりと見える。
 この映画は、フランスで高い評価を受けているらしい。それどころか、「伝説の名作」という称号さえ
ある。全体に増村保造ならではの欧州風の味付けがあるせいだろう。しかし、面白いことに、若尾文子本
人は唯一未見の作品だそうである。なお、小生は若い頃、岡部軍医を演じた芦田伸介という役者が好きで
はなかった。直ぐに説教を垂れそうなタイプだったからである。しかし、こちらが年を取ってみると、あ
の渋さが何とも言えないほど好ましくなるから不思議である。他に、池上綾子(都留崎看護婦)、喜多丈
八(野上衛生上等兵)、小山内淳(特務曹長)、仲村隆(小隊長)などが出演している。
 2本目は『かもめ食堂』(監督:荻上直子、かもめ商会〔日本テレビ=バップ=幻冬舎=シャシャ・コ
ーポレイション=パラダイス・カフェ=メディア・スーツ〕、2006年)である。小林聡美(サチエ)、
片桐はいり(ミドリ)、もたいまさこ(マサコ)といった個性派女優を起用し、フィンランドの町を舞台
に小粋に作った佳品。かもめ食堂(ruokala lokki)という名前の食堂を経営するサチエと、その周辺の
物語を丁寧に綴っている。これといって取り上げるべき事件はないが、女性監督らしい優雅な時間がゆ
ったりと流れている。イタリア(ピザとパスタ)、ドイツ(ソーセージ)、韓国(焼肉とキムチ)、イン
ド (カレー)、タイ(トムヤンクン)、アメリカ合衆国(ハンバーガー)、フィンランド(サーモン)
と来て、だから、かもめ食堂のメインは「おにぎり」(梅干、鮭、おかか)という辺りのこじつけた論理
が面白い。また、最初の客となったトンミ・ヒルトネンに、ミドリが「豚身昼斗念」という漢字を当てる
ところ、そのミドリが「ガッチャマン」の歌詞を知っていたこと、フィンランド語も知らないのに夫に逃
げられた婦人を慰めるマサコ、フィンランド語に堪能で合気道も抜群のスーパーウーマンであるサチエ、
その他おっとりしたフィンランド人の出演者、何かアナザー・ワールドに来た感覚を味わえる映画である。
珈琲もおにぎりもその他の料理も、皆美味そうだった。とくに、シナモン・ロールが印象に残った。
 3本目は『リング』(監督:中田秀夫、「リング」「らせん」製作委員会〔角川書店=ポニー キャニ
オン=東宝=IMAGICA=アスミック=オメガ・プロジェクト〕、1998年)である。この作品は『らせん』
(監督:飯田譲治、「リング」「らせん」製作委員会〔角川書店=ポニー キャニオ ン=東宝=IMAGICA=
アスミック=オメガ・プロジェクト〕、1998年)と一緒に感想を述べた方がよさそうなので、今日はこれ
でブログは店仕舞としよう。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観た。1本目は、『赤い天使』(監督:増村保造、大映東京、1966年)である。2本
目は『かもめ食堂』(監督:荻上直子、かもめ商会〔日本テレビ=バップ=幻冬舎=シャシャ・コーポ
レイション=パラダイス・カフェ=メディア・スーツ〕、2006年)である。両方とも面白かったが、本
日は大変疲れているので、明日以降に感想を記すことにする。


 某月某日

 今日は小粋な本の紹介をしよう。『色っぽいキモノ』(井嶋ナギ 著、河出書房新社、2006年)という本
である。以前のブログで紹介したサイトの「放蕩娘の縞々ストッキング!」のブロギェンヌであるナギ氏
のチャーミングな本である。本で明かされているプロフィールによれば、上智で哲学を齧った後、江戸文
学研究に転じ、花柳文学に耽溺しつつ仁侠映画や芸者が出て来る映画にも魅せられて、「粋」と「色気」
についてのマニアックな考察を通じて、現実世界をドラマティックに演出していくことがテーマだという。
BGF(baroque, glamourous, fantastic)をこよなく愛し、シャンデリアと教会とお城を観るのがお好
きだとか(ナギさん、ごめんなさい、適当に改変しました)。アメイジング! こんなお人がこの世にお
られようとは! 間違いなく、近い将来、この人はブレイクする……感激しているだけでは、紹介にはな
らないので、順を追ってご著書を覗いてみよう。なお、浮かれ口調、許されたし。

  先ず、表紙カヴァーが紫色です。本書にも書いてありますが、紫色は高貴な色(冠位十二階
 によれば、紫・青・赤・黄・白・黒の順番)、この本の品格を表現しています。なお、帯は金
 色、ゴールドのもつ圧倒的な攻撃性、拝金教信者のわたくし奴といたしましては、もうひれ伏
 すしかありません(本当はシルヴァー好きだけど)。表紙を飾るイラストレーションはコダカ
 ナナホ氏。氏の描く女性のコケティッシュでアンニュイでオネイなテイストがたまりません。
  本を開きましょう。「実は姐さんなテイストが好き!」「品のいい着物だけじゃ、物足りな
 い!」「とにかく、着物で色気を漂わせたい!」……いきなり、パワー全開です。著者をこの 
 心境に導いたのは、邦画『鬼龍院花子の生涯』(監督:五社英雄、東映=俳優座映画放送、19
 82年)に登場する岩下志麻の着物姿だったのです。引用してみましょう。

   髪の毛を振り乱した志麻姐さん、長襦袢の裾からこぼれるのは、緋色の裾よけ。高熱
  のために震える指先で弾く三味線、太ももには竜と牡丹の刺青……。
   「コ、コレだ!」
   その瞬間から私は、姐さんテイストな着物姿が醸し出す、独特の色っぽさの虜となっ
  てしまいました。

  わたくし奴のような着物に無縁で、しかも男の身にとっては、このような出会いはあり
 得ないと言ってよいでしょう。ただし、ナギ氏の気持は分らないではありません。「コ、
 コレだ!」と思う瞬間がわたくし奴にもあったからです。それは、国語の教科書で、吉行
 淳之介の「童謡」という短篇小説に出会ったときです。「これで、生きていける」……大
 袈裟ではなく、本当にそう思ったものです。
  さて、ナギ氏の感動に戻りましょう。「コ、コレだ!」と叫んだナギ氏は、かくて姐さ
 んテイストな「色っぽい着物」が登場する映画、歌舞伎、小説、美人画などを渉猟し始め
 たそうです。そうです、マニアーになれば、他のことなど眼中になく、自分好みのアイテ
 ムを探し回るものです。もう少し、引用しましょう。

   本書には、着物に関する知識やヒントなどの実情報とともに、「色っぽい着物」の世
  界観が伝わるようなエピソード、ストーリー、資料性の高いビジュアルなど、イメージ
  を膨らませることができる要素をふんだんに盛り込みました。
   色っぽさとは、外見だけでなく、内面からも滲み出てくるものです。だからこそ、表
  面的な着こなしだけではなく、その背後にあるエピソードやストーリーを知ることが、
  「色っぽい着物」を自分のものにする際には大切なのではないか。そんな風にも思うの
  です。「色っぽい着物」が、皆さんの着物生活の新たなヒントとなれば、幸いです。

  美しい女性の着物姿を写した本を眺めることは楽しいことでしょうが、そういったビジ
 ュアルに解釈を加えた本を読むことはもっと楽しいことでしょう。それが、本書です。わ
 たくし奴にとって、初めて出会ったジャンルです。さて、これ以上余計なことを書いても
 仕方がありませんので、わたくし奴の琴線に触れたお言葉を、以下に書き写して進ぜまし
 ょう。

   色気をただ無自覚に垂れ流すことほど愚かしくみっともないことはないですし、あ
  る意味、色気は危険と紙一重とも言えます。

   いつの時代でも、美しいこと、魅力的であることは、社会的規範を軽々と超えて人
  を巻き込んでしまいます。かくして、人々はこぞって遊女や役者の真似をしたのでし
  た。

   それはともかく、ここでの教え。芸者を、いや、女を口説くなら長襦袢まで見逃す
  な!  細部までチェックしろ! そういうことです。でも、実際にモテてしまうの
  は、そんなことちっとも気がつかない野暮な人だったりするのですが……。

   「粋」というのは、究極のストイックな美意識であって、「はんなり」とか「上品」
  とか「華やか」とか「かわいい」とか、そういうものとはまったく逆のベクトルを持
  ったものです。たとえば、模様なら、無地や縞。色なら、黒や青や茶色。(中略)諦
  めつつも、それでも果敢に、強気で挑まねばなりません。もちろん、常に色気は保ち
  つつ、です。

   「粋」は、色っぽくてカッコイイけれど、本当はとても寂しくてせつないもの。だ
  けど、それを紛らせてしまうのではなく、全身で感じてかつ正気でいられる強さがな
  いと、とうてい「粋」な人間にはなれないのだ、としみじみ思うのです。

   でも、日本において喪服が黒になったのは、明治時代に入ってから。一時期、平安
  時代の貴族の間で喪服は黒と決められたことはありましたが、その時期以外はずっと
  白。それが、日本の風習でした。なので、ことさら黒=喪服と思い込むこともないの
  です。
   何と言っても、黒はエレガント。それも、模様が少なければ少ないほどいい。よく
  妄想しがちな男性が、「喪服を着た女は美しい」なんて言ったりしますが、それは喪
  服だからというよりも、全身黒一色に身を包むことがどれだけその人に凛とした美し
  さを与えるか、だと思うのです。

   紫色には高貴なイメージがありますが、実は、一歩間違えるとワザとらしかったり、
  下品に堕してしまう危険な色。そうならないためには、「自分は何のために紫色を用
  いるのか」ということを、きちんと把握して身につける必要があると思うのです。

   ところが、この補正をした上から帯を締めたその姿が、丸太のようになってしまっ
  たり、もしくは、やけにたくましいドスコイな風情を帯びてしまったことはないでし
  ょうか。

   つまり、こうした「ほんのわずかな自由」こそが、着姿に色気を与えるのではない
  か、ということです。色気というものは、野放図な状態からはもちろん漂ってきませ
  んが、逆に完璧過ぎる状態からも漂ってこないもの。自分を理想のフォルムに近づけ
  ながらも、どこかで「ほんのわずかな自由」を感じさせる、そんな色気のある着姿を
  実現するためのポイントは、帯にあるのではないでしょうか。

   遊郭とは、客と遊女を「夫婦」に見立てて遊ぶ場所。だから遊女は、既婚者の風俗
  であるお歯黒をしますし、やっぱり帯も前結びで正解なのです。

   実は、当時の江戸っ子たちは、ホンモノ博多ではなく、ニセ博多を締めて「粋」や
  「いなせ」を気取っていたのですね。いや、それどころか「ゴージャスな絹なんか野
  暮、カジュアルな綿のほうがずっと粋だわよ」ぐらいのことは言っていたかも。粋っ
  て、そういう逆説的で自虐的な美意識でもありますから。

   ところで、博多帯で後見結び、といって思い出す姐さんがもうひとりいます。こち
  らは女侠客ではなく、復讐の女。クエンティン・タランティーノが映画「キル・ビル」
  を作る際に大いに参考にしたという、映画「修羅雪姫」のお雪です。
   お雪(梶芽衣子)は、両親の仇を討つために復讐マシーンとして育てられた女。と
  ある賭場で、探し求めていた憎き仇にやっと遭遇します。
   その時のお雪の装いは、白と黒のかなり幅の広い棒縞の着物に、半襟は刺繍が施さ
  れた淡い紫色。赤い博多帯を後見結びにし、黒い帯締めでキリリと引き締めています。
   お雪は、仇である男にゆっくりと近づき、こう言います。
   「行こうか」
   「行くって、どこへ? あんた一体……」
   「迎えの者さ。お前を一番ふさわしい所へ連れていく、迎えの者だよ。さ、死出の
  旅に出かけようか」
   そうしてお雪は、蛇の目傘に仕込んでいた刀でバッサリ、怨みを晴らすのでした。

   そんなわけで、心の中のファンタジーを具体化し、その世界を完成させるために欠
  かせないのが、小物たち。着物のお洒落というのは、必要なアイテムがある程度決ま
  ってしまっているものですが、小物だけは自由自在です。自分だけのファンタジーを
  思いきり反映して、誰はばかることなく「自作自演脳内劇」を演じてしまいましょう。

   粋な大人の女である深川芸者の姐さんさえも、簪に想いを込め、髪に挿す。このい
  じらしき乙女心よ。
   女は女である。と同時に乙女でもある。
   このことを忘れてはいけないのかもしれません、大人になって久しい女でも。

  以上です。こうやって書き写すだけでは、この本の素晴らしさは万分の一も伝わらないでしょ
 う。そうです。実は、わざとこのような中途半端な引用をしてみたのです。さあ、もうあなたが
 女であれ、男であれ、この本を手にとってみたくなったでしょう。本屋に駈け参じて、買うべし。
 運悪く売り切れならば、間髪を容れずに注文すべし。


 * 九鬼周造、宇野千代、徳田秋声、永井荷風、泉鏡花、幸田文、夏目漱石、尾崎紅葉、広津柳浪、
  吉屋信子、村松梢風、為永春水、鏑木清方、佐多稲子、岡鬼太郎、岡本かの子、松本清張、森茉莉、
  瀬戸内晴美、川端康成、花柳章太郎、川上音二郎、貞奴、初代水谷八重子、幸田露伴、鳥居清長、
  鶴屋南北、三世瀬川如皐、四世芳村伊三郎、菊川英山、伊東深水、月岡芳年、歌川国貞、富岡永洗、
  東郷青児、北原武夫、白洲正子、白洲次郎、安藤広重、宮田文子、江波杏子、七代目市川団十郎、
  初代中村芝翫、森田たま、森田草平、竹久夢二、お葉、藤島武二、伊藤晴雨、初代上村吉弥、菱川
  師宣、山東京伝、曲亭馬琴、山田順子、富司純子、松井須磨子、島村抱月、有島武郎、里見とん**、
  森雅之、波多野秋子、川島雄三、若尾文子、夏目雅子、清少納言、田沼意次、八百屋お七、河竹黙
  阿弥、宮古路薗八、森鴎外、藤本箕山、三田佳子、萩原健一、かたせ梨乃などの人名をこの本のど
  こかで見ることができるはず。漏れ落ちた名前もあるだろうが、何かの目安にはなるだろう。
 ** 里見とんの「とん」は、弓偏に「淳」の旁。文字化けするので、やむをえない処置を採った。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たので、ご報告。1本目は『燃ゆるとき』(監督:細野辰興、フューチャー・プラ
ネット=東映=角川映画=テレビ朝日=エムシーエフ・プランニング、2006年)である。ラーメンが主力
食品である東輝水産株式会社の、アメリカ合衆国における奮闘を描いた作品。20世紀終盤から今世紀に向
けての3年間が物語のスパンである。東輝水産は、アメリカでは《SANSUN.INC》である。カリフォルニア
州オレンジ郡に工場を有し、スタッフ一同頑張っているが、他のアジア系の企業(韓国など)の廉価商品
に押されて業績が悪化している。しかも、リベラ・コーポレーションという乗っ取り企業から買収を持ち
掛けられており、かなりのピンチである。社長である高木遼太郎(津川雅彦)は、生え抜きの部下である
深井光司(鹿賀丈史)に一年以内での建て直しを命じる。深井は、レイオフ(従業員の一時解雇)、徹底
的なコスト・カット(工場内の電気の節約までをも含む)、新商品の開発(さまざまな味や素材のテスト)
などによって、立て直しを図る。経理、資材、生産(工場)、営業、企画をあげて生き残りを図ったので
ある。チキン&レモン味のラーメンが当たって営業成績が伸び、資材としても、アミーゴ・オイルという
高品質の油を得ることができて順調だった。しかし、資材部のチーフである川森潔(中井貴一)が「セク
ハラ」の罠に嵌められて、和解金として10万ドルの損失(ラーメン45万個分)を招いてしまう。川森は社
長に辞表を提出するが、社長は「家族主義」を理由に、その辞表を受理しない。武田信玄ばりの「人は城、
人は石垣」を地でいったのであろう。3年後、業績を持ち直し、さらに発展を遂げた《SANSUN.INC》は、
今度はユニオンの脅威に曝される。従業員の立場からすれば「労働組合」は大切な組織であるが、アメリ
カでは日本のような組合とは様相が違う。会社そのものを潰しにかかるためにユニオンを設けるというの
である。またしても、川森の誠実さが突破口となって、会社は救われる。まるで、スーパーマンである。
中井貴一の清潔感がそれにある程度のリアリティを与えているが、全篇を通してウソっぽく、現実はこう
であるはずがない、と思いながら観ていた。もっとも、この映画は企業の理想を描こうとしているので、
仕方がないか。太平洋戦争のリベンジを企業経営のモチベーションにしている社長(面白いけれど、いま
だにそんな人物がいるのか)、企業戦士の家族の通俗的な描き方(子どもが病気になるネタはもうたくさ
んだ)、アミーゴ・オイルのマルケス(グリンゴ〔アメリカを軽蔑してそう呼ぶ〕嫌いのメキシコ人)や
禿頭のクールではあるがユーモアを解する弁護士などいかにも日本人好みの人物設定、営業畑と素材や生
産などの技術畑との軋轢とその予定調和的和解、悪玉の悪に徹し切れない中途半端さ、等々、いろいろ注
文はあったが、総じて鑑賞者の気持がよくなるように作られており、その点では「お気楽映画」としては
よくできているのだろう。また、セクハラを捏造した当の本人(キャサリン)が謝罪する場面があるが、
金銭的な部分に限ったとしても10万ドルもの金が動いているので、それで済むのだろうかと思った。とも
あれ、川森の寛容さは不気味なほどである。キャサリンの「自由の国アメリカには自由はない」というメ
ッセージは、他の人物が発した「弁護士が犯罪をつくる」という言葉とともにかなり重い。他に、伊武雅
刀(大村薫工場長)、大塚寧々(川森隆子=潔の妻)、長谷川初範(営業の責任者)、木下ほうか(開発
担当者)などが出演している。
 2本目は『悪名十八番』(監督:森一生、大映京都、1968年)である。前作で、ついに刃傷沙汰を起こ
した朝吉(勝新太郎)だったが、ブラシ工場を営む兄の村上辰吉(金田龍之介)の奔走で、執行猶予なが
らも監獄入りを免れた。出所の際、工場の事務員鈴子(安田〔現 大楠〕道代)が迎えに来る。八尾(こ
の作品ではなぜか田尾市になっているが)に帰った朝吉は、兄の工場で堅気の仕事に就こうとするが、悪
名の血がそうはさせない。辰吉と何かと張り合っている中沢政兵衛(西村晃)との間に因縁ができ、中沢
のところの若い衆を殺した疑いまでかけられてしまう。以後の展開は割愛するが、朝吉が殺人容疑で追わ
れる身になったことを新聞で知った清次(田宮二郎)が病院を抜け出して駈けつけ、二人で中沢とその子
分たちを叩きのめすのであった。この作品の製作年は昭和43年であるが、どうやらそれよりも十年以上も
前に物語が設定されているらしい。なぜなら、月殿という遊郭が出てきたり、そこの遊女であるお染(森
光子)と朝吉が一夜の契りを結んだり、そのお染が「もうじきこんな商売やめになるっちゅうこっちゃし」
と発言したりするからである。さらに、鮨屋の勘定がトロや鯛や赤貝などの値段の張りそうなネタを注文
した割には300円だったりして、何かちぐはぐな印象をもった。おそらく、昭和30年前後という設定では
ないだろうか。なお、舞台になる河内は素人相撲が盛んらしく、辰吉の花川部屋、中沢の黒鶴部屋が、河
内三郡連合相撲大会で優勝を争っている。朝吉も「朝岩」という四股名で大会に出場し、元玄人力士の荒
雲(松枝錦治)をうっちゃって、花川部屋に優勝をもたらせている。他に、藤田まこと(朝吉の幼馴染で
ある佐太郎)、京唄子(おしん)、鳳啓助(木村捨三)、芦屋小雁(稲妻)、守田学(増造)、伊達三郎
(芳太郎)、木村玄(万吉)などが出演している。なお、森光子、藤田まこと、芦屋小雁などは、比較的
重要な別人の役でこのシリーズの他の作品にも出演しているが、できればそういう配役はして欲しくない
と思った。先行する作品のイメージが残っているからである。ただし、森光子の演技はくさいが、いじら
しさはよく出ていたと思う。なお、配役に関しては<goo 映画>を参照した。一部間違いがあった(南都雄
二は出演しておらず、振られている役の木村捨三は鳳啓助が演じている)ので、直しておいた。なお、勝・
田宮の名コンビは、この作品が最後となる。


 某月某日

 DVDで邦画の『黒い十人の女』(監督:市川崑、大映東京、1961年)を観た。以前のことであるが、借り
ていながら時間切れのために返却しなければならなかった作品の一つである。風松吉という名前のテレヴ
ィ局のプロデューサー(船越英二)がいる。双葉という妻(山本富士子)がありながら、十指に余る女性
と次々に関係する。子どもを産めない身体である双葉は、淋しい思いを紛らすために《Katyusya》という
名前のレストランを経営している。トルストイの『復活』から取った名前である。自分と夫の中が復活す
るようにという思いが籠められているらしい。夫の最初の愛人は女優の石ノ下市子(岸恵子)である。そ
の他、雨が降ったからそうなったとか、暑かったからそういうことになってしまったとかの理由で、印刷
屋であるアート社の三輪子(宮城まり子)、コマーシャル・ガールの四村塩(中村玉緒)、演出家の後藤
五夜子(岸田今日子)、劇団員の百瀬桃子(森山加代子)を始めてとして、虫子(宇野良子)、七重(村
井千恵子)、八代 (有明マスミ)、櫛子(紺野ユカ)、十糸子(倉田マユミ)などの女性と交友してい
る。女性たちは松吉を挟んで争うが、それぞれの立場によって彼に対する思いには濃淡がある。最も切実
なのは未亡人の三輪子で、結婚を迫るが松吉は歯牙にもかけない。やさしいが、煮え切らない松吉に対し
て、誰もが重荷に感じている。「いっそ、死んでしまえばよいのに」という風に。そのような状況の中で、
双葉と市子は共同して松吉をなき者とする計画を立てる。本気だか冗談だか判然としないが、計画を話し
合う際の彼女らの会話は弾んでいる。やがて、関係する女性がすべて集められ、妻の双葉の拳銃から弾丸
が発射される。関係者の面前で、松吉は射殺されるのである。もっとも、これは夫婦間のお芝居で、松吉
は殺されたわけではない。拳銃は本物であるが、実弾ではなく空砲だったからである。その場に居合わせ
た女たちはにわかにそわそわし出して、自分たちには関係がないことを強調し始める。双葉もその方が好
都合なので、全員を帰してしまう。しかし、三輪子だけは松吉の死を悼んで自殺してしまうのである。結
局、松吉は双葉と別れて市子のものとなり、会社を辞めさせられた彼の行く末は不透明なままである。一
生食べることには困らないと豪語する市子に、飼われているのであろうか。最後の場面で、自動車を運転
する市子の顔は、能面のように無表情である。反対車線で大事故があったのにもかかわらず、興味すら示
さないからある。半世紀近くも前の作品であるが、一部(たとえば、三輪子や塩)を除いて、女性の方が
男性よりもずっと進んだ意識をもっている。すでに「結婚制度」そのものがはっきりと疑われているから
である。ところが、男性連中は旧態依然の慣習に執着している。たとえば、本町芸能局長(永井智雄)の
「女性はなんていっても家庭におさまるべきものじゃないかね」という台詞など、その典型例と言ってよ
いだろう。脚本を書いた和田夏十(市川崑の妻)のジェンダー批判(もちろん、当時の人は「ジェンダー」
意識はなかっただろうけれども)が垣間見える。他に、大辻伺郎(野上)、伊丹一三〔伊丹十三〕(花巻)、
浜村純(警官に扮した俳優)、村田扶実子(風家の家政婦)、三角八郎(テレヴィ局員)、早川雄三(劇
団員)、ハナ肇とクレージーキャッツなどが出演している。なお、配役については<goo 映画>を参照した。


 某月某日

 DVDで邦画の『銀のエンゼル』(監督:鈴井貴之、「銀のエンゼル」製作委員会、2004年)を観た。かつ
て松山千春が北海道限定のスーパー・スターだったように、本作の監督は北海道ではかなり有名らしい。
小生は寡聞にして知らなかったが、たしかに北海道にはそういう人がいそうである。さて物語であるが、
国道沿いにぽつんと存在するコンビニ(コンビニエンス・ストアー)を舞台にして、そこに集う人々の日
常を描いている。味わいとしては、『埋もれ木』(監督:小栗康平、「埋もれ木」製作委員会、2005年)
に近いか。主軸を成している物語はコンビニ(LAWSON)店を経営する北島家に起こる騒動であるが、枝葉
の物語もこのコンビニの関係者が絡んでいる。主人公の北島昇一(小日向文世)は、コンビニ店を妻任せ
にしてのんびりと暮らしている中年男性であるが、真面目に家族と向き合わなかったために、いざ妻の佐
和子(浅田美代子)が自動車事故で全治三ヶ月の大怪我をしてみると、とたんに前途多難となってしまう。
店の切り盛りすらこなせない上に、娘の由希(佐藤めぐみ)の進路についてまるで無知であったことが露
呈してしまう。しかし、昇一は、妻、娘、仕事から突きつけられた難問に真摯に立ち向かうことによって、
自分の存在を見詰め直すことができ、エンディングでは実に晴れ晴れとした表情を見せるのである。他に、
西島秀俊(店員の佐藤耕輔)、嶋田久作(白下巡査)、山口もえ(昇一が仄かな恋心を寄せる小林明美)、
大泉洋(自称「ロッキー」のトラック配達人六ツ木晴男)、辻本祐樹(由希のクラス・メイトで、コンビ
ニ・ダンサーでもある中川武)、村上ショージ(ガソリン・スタンドのオーナー杉山登)、輪島功一(家
族思いの酔っ払い客小暮達也)、安田顕(由希の担任の先生)、佐藤重幸(バナナを電子レンジで温めて
くれと注文する客)、長曽我部蓉子(携帯電話の女)などが出演している。なお、配役に関しては、フリ
ー百科事典の『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照した。雪虫、珈琲味のメロン、ポルシェのトラク
ター、「熊エナジー」という名前の健康ドリンク、ホット・バナナなど、いかにも北海道ならではのアイ
テムが出てきた。もちろん、題名にある「銀のエンゼル」とは、森永製菓が誇るロング・セラー商品「チ
ョコボール」のくちばしに付いていることが稀にあるエンブレムのことである。ちなみに、このブログで
も少し前に書いたことであるが、この映画に登場する明美と同様、小生も現在「銀のエンゼル」を4枚所
有している。
 さて、この映画が製作(公開)された2004年は邦画の当たり年とも言える年で、ほとんどがDVDによるも
のではあるが、近年では小生の鑑賞した作品が最も多い年である。ちなみに、2000年以降の鑑賞作品の本
数を挙げておこう(本日現在)。2000年(8本)、2001年(19本)、2002年(28本)、2003年(26本)、
2004年(34本)、2005年(29本)、2006年(4本)である。順不同でその作品も挙げておこう。

 『ヴィタール』、監督:塚本晋也、海獣シアター、2004年。
 『SUVIVE STYLE 5+』、監督:関口現、電通=東北新社=日本テレビ=TUGBOAT、2004年。
 『誰も知らない』、監督:是枝裕和、『誰も知らない』製作委員会、2004年。
 『父と暮らせば』、監督:黒木和雄、衛星劇場=バンダイビジュアル=日本スカイウエイ=テレビ
  東京メディアネット=葵プロモーション=パル企画、2004年。
 『下妻物語』、監督:中島哲也、アミューズ=TBS=小学館=東宝=TOKYO FM=ホリプロ=博報堂DY
  メディアパートナーズ=パルコ=小椋事務所、2004年。
 『村の写真集』、監督:三原光尋、讀賣テレビ放送他、2004年。
 『血と骨』、監督:崔洋一、ビーワイルド=アーティストフィルム=東芝エンタテインメント=
  衛星劇場=朝日放送=ザナドゥー、2004年。
 『69 sixty nine』、監督:李相日〈リ・サンイル〉、「69 sixty nine」製作委員会、2004年。
 『誰がために』、監督:日向寺太郎、ジャパンケーブルキャスト=バンダイビジュアル=ワコー=
  メリオル=パル企画、2004年。
 『ホーム・スイートホーム 誰にでも帰りたい家がある』、監督:栗山富夫、アークビジョン、2004年。
 『理由』、監督:大林宣彦、WOWOW=PSC、2004年。
 『約三十の嘘』、監督:大谷健太郎、「約三十の嘘」 製作委員会、2004年。
 『タナカヒロシのすべて』、監督:田中誠、プログレッシブピクチャーズ=ジェネオンエンタ
  テインメント=ヒューマンコミュニケーションズ=バップ=ネルケプランニング=グレコ
  ジャパン=小椋事務所、2004年。
 『隠し剣 鬼の爪』、監督:山田洋次、松竹=日本テレビ=住友商事=博報堂 DYメディアパートナーズ=
  日本出版販売=衛星劇場、2004年。
 『カナリア』、監督:塩田明彦、「カナリア」パートナーズ、2004年。
 『半落ち』、監督:佐々部清、東映=TBS=住友商事=東京都ASA連合会、2004年。
 『火火』、監督:高橋伴明、ゼアリズエンタープライズ=バップ=カルチュア・パブリッシャーズ=
  ヒューマックスコミュニュケーションズ=ブロウアップ=滋賀県映画センター=アレックスシネマ=
  オフィスケイツー=ワコー)、2004年。
 『透光の樹』、監督:根岸吉太郎、「透光の樹」製作委員会、2004年。
 『パッチギ!』、監督:井筒和幸、シネカノン=ハピネット・ピクチャーズ=衛星劇場=メモリーテ
  ック=S・D・P、2004年。
 『樹の海』、監督:瀧本智行、シー・アイ・エー=ハピネット・ピクチャーズ=メモリーテック、2004年。
 『ヒッチハイク/溺れる箱舟』、監督:横井健司、フルメディア=クリエイティブアクザ=バイオ
  タイド、2004年。
 『お父さんのバックドロップ』、監督:李闘士男、シネカノン=スラップ=リーライダーす=衛星劇場、
  2004年。
 『イン・ザ・プール』、監督:三木聡、IMJエンタテインメント=日本ヘラルド映画=ポニーキャニオン=
  WILCO、2004年。
 『スウィングガールズ』、監督:矢口史靖、フジテレビジョン=アルタミラピクチャーズ=東宝=電通、
  2004年。
 『世界の中心で、愛をさけぶ』、監督:行定勲、東宝=TBS=博報堂DYメディアパートナーズ=小学館=
  S・D・P=MBS、2004年。
 『いま、会いにゆきます』、監督:土井裕泰、TBS=東宝=博報堂DYメディアパートナーズ=小学館=
  S・D・P=MBS、2004年。
 『海猫』、監督:森田芳光、東映=東映ビデオ=テレビ朝日=カルチュア・パブリッシャーズ=S・D・P=
  朝日放送=ギャガ・コミュニケーションズ=北海道新聞社=東京都ASA連合会=朝日マリオン21、2004年。
 『隣人13号』、監督:井上靖雄、「隣人13号」製作委員会、2004年。
 『死に花』、監督:犬童一心、東映=アミューズ=テレビ朝日=東映ビデオ=IMJエンタテインメント=
  毎日新聞社、2004年。
 『インストール』、監督:片岡K、角川映画=テレビ東京=日活=ハピネット、2004年。
 『笑の大学』、監督:星護、フジテレビ=東宝=パルコ、2004年。
 『花とアリス』、監督:岩井俊二、Rockwell Eyes-H&A Project、2004年。
 『レディ・ジョーカー』、監督:平山秀幸、日活=東映=毎日新聞社=テレビ朝日=葵プロモーション=
  スポーツニッポン=日本出版販売、2004年。
 『銀のエンゼル』、監督:鈴井貴之、「銀のエンゼル」製作委員会、2004年。

 傑作あり、話題作ありで、なかなかの年であったことが分るだろう。本作は小品ではあるが、それらと
は一線を画するかたちで、その独自性を咲かせている。ただし、アイディア倒れに終わっている箇所も少
ないとは言えず、その意味では「作り過ぎ」の感があった。これは『悪名無敵』(監督:田中徳三、大映
京都、1965年)のDVDに収められている木全公彦氏との対談で、田中監督が語っていたことであるが、素人
監督は発想には見るべきものがあるとしても、全体の構成に目を配っていないので、どうしても成功には
結び付かない由。ちなみに、彼がその典型例として挙げていたのは勝新太郎だった。勝のアイディアはと
ても素晴らしいのであるが、監督としてそのアイディアを活かそうとした場面になると、全体の流れの中
から浮き上がってしまい、そのせいで構成に歪みが生じてしまうそうである。さもありなん、と思った。
テイストがこの映画に似ている『埋もれ木』の感想でも書いたことであるが、映像的な遊びを無闇に鑑賞
者に押し付けてしまっては、かえって逆効果をもたらすのである。


 某月某日

 DVDで邦画の『青空娘』(監督:増村保造、大映東京、1957年)を観た。何とも他愛のない筋書であるが、
若尾文子の瑞々しい魅力が売りの映画。ありていに言えば、シンデレラ物語を現代(昭和32年)に移した
もの。小野有子(若尾文子)という高校生がいる。育ての親の祖母(滝花久子)が、臨終の際有子の本当
の母親の話をする。妻子ある父・小野栄一(信欣三)が、三村町子(三宅邦子)という女性と恋愛関係に
落ち生まれたのが有子だという。母のことはともかく、とりあえず父を頼って上京するようにとアドヴァ
イスを受けた有子は、父の豪邸にやって来る。最初のうちは、生さぬ仲の母・達子(沢村貞子)、兄・正
治(品川隆二)、姉・照子(穂高のり子)、弟・弘志(岩垂幸彦)に散々いじめられるが、天性の明るさ
から有子はまるでめげない。女中代わりに使われるが、先輩女中の八重(ミヤコ蝶々)が何かと気を遣っ
てくれるので、有子にとってはいわば最初の「心強い援軍」である。その後、父親とのデート、広岡良輔
(川崎敬三)をめぐる照子との諍い、弘志との心の交流、富豪の令息・良輔の求愛、有子を挟んだ二見桂
吉(菅原謙二)と良輔のライヴァル合戦、母親探しと再会、小野一家の再生などが続いて、ハッピー・エ
ンディングというわけである。題名にもある「青空」は、高校時代の憧れだった美術の先生・二見と見上
げた空であるが、最後は恋人の良輔と見る空に変わるのである。他に、東山千栄子(広岡静江=良輔の母)、
南都雄二(哲学に凝っている魚屋・哲五郎)、八潮悠子(米川信子=有子の同級生)、清川玉枝(女傑マ
ダム=信子の叔母)、藤田佳子(津村順子=有子の同級生)、矢島ひろ子(稲川青子=二見のモデル)、
柴田吾郎〔田宮二郎〕(靴を吟味する青年)、叶順子(ピンポン大会に参加した少女)、早川雄三(有子
が二見の会社の所在を尋ねる青年)、藤山浩一(学生風の変人)などが出演している。後にブレイクする
田宮二郎や叶順子が端役で出演しているところが興味深い。柴田吾郎とういうクレジットが出ているのも
始めて見た。なお、ドライな兄の役で品川隆二(往年の人気TV番組『素浪人・月影兵庫』で、焼津の半次
を演じていた)が出演しているが、現代劇の彼を見たのも始めてである。その他、ジーナ・ロロブリジー
ダやソフィア・ローレン(往年のイタリア女優)の名前が出てくるのは増村監督がイタリア帰りだからで
あろうし、哲学好きな魚屋を登場させるのも、彼が東大の哲学科出身だからであろう。本篇にはないが、
予告篇には若尾文子のセーラー服姿も出て来る。よく似合っていると思う。太陽族、中西(西鉄〔現 西
部〕の名選手)や川上(巨人の名選手にして名監督)の名前、カリプソ娘、ストロンチウム90など、時代
を感じさせるタームが頻出するので、その点ではいくらか惹かれた。最後に、これは蛇足であるが、二見
先生が東京で就職した会社である「大日本宣伝美術社」が、ビルの会社案内の札には「大日本美術宣伝社」
になっていた。スタッフのうち誰一人として気付かなかったのだろう。まったく嫌味な性格がわれながら
いやになるが、こういうミスを発見すると、ちょっと嬉しい。


 某月某日

 DVDで邦画の『悪名一代』(監督:安田公義、大映京都、1967年)を観た。シリーズ第13作である。さす
がにマンネリ化は免れず、お粗末な脚本だった。馴染みのシルクハットの親分〔ただし、二代目〕(長門
勇)、沖縄の源八(上田吉二郎)などを出演させているが、まことに取って付けたようで、名脚本家の依
田義賢も苦し紛れに捻り出した物語である。だいいち、アメリカから大富豪の老婦人が相続のために帰国
するという設定自体が安易すぎる。その財産を受け継ぐ予定の蔦江(浜田ゆう子)の存在も稀薄で、まる
でリアリティがない。清次(田宮二郎)が二代目シルクハットの妹お美津(坪内ミキ子)と所帯を持った
り、最後には匕首で刺されたり、朝吉(勝新太郎)がやくざのお十夜(おじゅうや)(小池朝雄)をお美
津や清次の仇として刺したりするところは新機軸ではあるが、それでは『悪名』ではない。あくまで素手
で闘う(せいぜい自分の履いている下駄や、その辺にあった棒切れを使うことぐらいはあるが)のが朝吉
だったはずである。これで、『悪名』の物語としての命運は尽きた、と思った。アメリカ帰りのお菊(本
間文子)、渡り仲居のお澄(森光子)、二代目シルクハットの養女である環(勝山まゆみ)、二代目のシ
ルクハットの子分中木(北城寿太郎)、お十夜の子分文珠の銀次(早川雄三)、同じく菩薩の春吉(木村
玄)、などが物語を彩っている。ところで、朝吉とお澄のやや滑稽なキス・シーンがあるが、誰の提案な
んだろう、と思った。

                                                 
 某月某日

 DVDで2本の映画を観た。1本目は『力道山』(監督:ソン・へソン、韓国=日本〔ソニー・ピクチャー
ズ エンタテインメント〕、2005年)である。小生も子どもの頃から力道山の活躍をおぼろげながら知って
はいるが、彼がいわゆる「在日朝鮮人」で、そのためにずいぶん苦労したという事実を知ったのはずっと
後年のことである。現在、時津川部屋の若者がしごきによって亡くなったことが大問題になっているが、
昔から大相撲の世界は「無理偏に拳骨」と書いて「あにでし(兄弟子)」と読むような世界であるから、
事件自体はたいへん痛ましいことではあるが、とくに驚くべき出来事ではない。しかも、力道山は本当の
日本人ではないという点からそれ以上にいじめられたらしい。われわれの想像を絶する世界が展開された
のだろう。この映画でもその一端は描かれており、それゆえに相撲(因習が支配する世界)を断念した後
にプロレス(人種も国籍も問われない世界)に賭けた彼の心情がよく伝わってくる。とくに、シャープ兄
弟との対戦(小生自身は同時代人として知っているわけではない)、盟友木村政彦(映画では井村)との
確執、横綱東富士(映画では東浪)との複雑な関係、豊登や遠藤幸吉や大木金太郎などの初期のプロレス
ラーの消息などが活写され、プロレス創成期の歴史的な流れをある程度知ることができる。また、力道山
はナイトクラブで刺されたのが原因で亡くなるが、自分の肉体的強靭さを確信していたがゆえの不幸であ
った、と言えるだろう。小生の記憶では、「まだ十分に治り切っていない段階で、お見舞いの寿司を摘ま
んだのがいけなかった」ということになっているが、実際はどうだったのか。なお、力道山の役にソル・
ギョング(薜景求)、妻の綾役に中谷美紀、谷町の菅野武雄役に藤竜也、マネージャーの吉町役に萩原聖
人、力道山にプロレスの魅力を教えたハロルド坂田役に武藤敬司、力道山を刺す若者の役に山本太郎が扮
している。韓国語の部分の日本語字幕がなぜか出なかったので、その点が少し残念だった。
 2本目は『夫婦善哉』(監督:豊田四郎、東宝、1955年)である。豊田四郎の代表作であると同時に、
森繁久彌と淡島千景のコンビを不動のものにした作品と言われている。原作は織田作之助、時代は昭和七
年、舞台は大阪である。船場の化粧品問屋である維康(これやす)商店の若旦那である維康柳吉(森繁久
彌)は極楽トンボのぼんぼんであるが、病弱な妻が里で療養しているのをいいことに、曽根崎新地の売れ
っ妓芸者である蝶子(淡島千景)といい仲になる。父親の伊兵衛(小堀誠)は彼を勘当にし、その後柳吉
は自分の家の敷居が高くなる。結局、二人は駈落ちして二階の貸間で同棲するようになるが、存外暢気な
ものである。生活のために「雇女(やとな)」(臨時雇いの仲居、芸者の真似事もする)になったりして
蝶子は散々苦労するが、難波にある西洋料理屋の「自由軒」でライスカレーを食べたりする際のいちゃつ
きぶりを見ていると、それほど苦にはならないらしい。それでも、せっかくの貯金が柳吉の一晩の遊行費
に化けたときには、さすがに愛想が尽きた素振を見せるが、結局は別れられない。蝶子本人は、自分が柳
吉を堕落させたと言われるのが癪で、一人前の男に出世させることが本望だと語るが、彼女の無意識の世
界では、日蔭の身を苦に病んでいるようにも見える。柳吉の妻が亡くなったときはそうでもなかったが、
柳吉の父親が亡くなったときには、後添えにさせて貰えなかったことをあからさまに恨んでいるからであ
る。それでも、蝶子は損得抜きで柳吉に己を捧げており、柳吉も悪びれずに「頼りにしてまっせ、おばは
ん」などとのたまっている。まことに、お気楽な世界であるが、老舗のぼんに生まれて放蕩の末に廃嫡さ
れた人物のやんちゃぶりから、本物と言える人生の哀歓が透けて見えるから不思議である。もっとも、柳
吉も関東焚(かんとうだき=おでん)屋を切り回したり、腎臓結核を患ったり、遺産相続にありつけなか
ったりするので、まんざら遊んでばかりいるわけではないが……。小生の父親も喜寿で脳梗塞のために倒
れるまでやんちゃ一筋であったが、森繁演じる酔態に父親と似たものを感じたのは単なる小生の感傷だろ
うか。ともあれ、遊び人の眼から見た真面目な世界など、ちゃんちゃらおかしくてやってられないのだろ
う。維康商店の店先には「誠實(=誠実)」と書かれた人生訓めいた書が掲げてあるが、まさに皮肉にし
か見えないのである。縄の切れ端を捨てないで焚き付けに使えという倹約の心も、一晩で大金を蕩尽する
身からすれば、何とも慎ましくも滑稽な人生訓なのだろう。なお、「夫婦善哉」という題名は、法善寺横
町の汁粉屋の名物善哉に由来する。大阪弁を基調とする台詞回しは快かったが、唯一わざとか間違いか分
らない箇所があった。それは、蝶子の「身を粉(こな)にして働く」という台詞で、「身を粉(こ)にし
て働く」が本来的である。蝶子の教育のなさを表現していたのだろうか、それとも誰も気が付かなかった
のか、今となっては判然としない。他に、司葉子(柳吉の妹・筆子)、田中春男(現金な番頭・長助)、
浪花千栄子(やとなの元締・おきん)、森川佳子(柳吉の娘・みつ子)、田村楽太(蝶子の父・種吉)、
三好栄子(蝶子の母・お辰)、山茶花究(養子の京一)、万代峰子(蝶子の昔の朋友・金八)、上田吉二
郎(浪花節をうなる酔客)、澤村いき雄(手相見)などが出演している。とくに、蝶子の父・種吉を演じ
た田村楽太という俳優の演技が光っていた。昔はこんなオヤジ(口さがないが、一本気で、万事弁えてい
る人)が町内に必ず一人はいたような気がする。また、これは蛇足であるが、蝶子が就く「やとな」とい
う職業は以前から知っていた。切っ掛けは『ある映画監督の生涯 ──溝口健二の記録』(監督:新藤兼
人、近代映画協会、1975年)という邦画で、溝口監督が包丁で背中を刺された相手の職業としてである。


 某月某日

 DVDで邦画の『氷点』(監督:山本薩夫、大映東京、1966年)を観た。三浦綾子による朝日新聞一千万円
懸賞当選小説が原作である。彼女が原作の映画化作品としては『塩狩峠』(監督:中村登、ワールドワイ
ド映画=松竹、1973年)以来の鑑賞であるが、相変わらず頭の中で組み立てられた物語という印象は拭え
ない。推理ものなので筋書は追わないが、物語の最後にどんでん返しが仕込んである。何とも無理筋の話
であるが、案外現実にはこんな話などごろごろ転がっているのかもしれない。戦後直ぐの昭和21年に物語
の発端があるが、子どもが絡む事件は陰惨で敵わない。医者同士の会話でも、チョンガー(独身者:朝鮮
語)、テーベー(結核:独語)、フラウ(婦人:独語)、プルス(脈搏:独語)などが飛び交い、時代を
感じさせた。「近頃は中絶の希望ばかりだよ。昔なら殺人犯だ、俺も」や「女は子宮でものを考える」と
いう、産婦人科医の台詞も興味深い。また、過去に恋に破れた経験(相手は獄中死したマルキスト)をも
つ中年女の「汝の敵を愛せよなんて偽善者ぶったって駄目、俗物は」といった台詞に、若き乙女の「どん
な人間でも世の中には掛替えのない人間よ」といった台詞が拮抗していたのが、世代間の差が見えて面白
かった。また、「高血圧、糖尿病、バセドー氏病などは眼科の協力が必要である」といった医学的知見が
出て来るところは、眼科医の村井を再登場させるためには打って付けの話題であった。なお、物語の舞台
になる辻口病院の診療科目を挙げておこう。内科、小児科、外科、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科、レントゲ
ン科である。さらに、北海道の物語ということで、雪祭やアイヌの笛であるムックリが出て来て、雰囲気
を盛り上げていた。主な出演者を記しておこう。若尾文子(辻口夏枝)、安田道代〔現 大楠道代〕(辻
口陽子)、船越英二(辻口啓造)、山本圭(辻口徹)、津川雅彦(北原邦雄)、森光子(辰子)、鈴木瑞
穂(高木)、成田三樹夫(村井)、明星雅子(次子)、仲村隆(松田)などである。なお、映画化の前に
テレヴィ・ドラマになって好評を博したらしいが、そこでの陽子役は内藤洋子の由。彼女はこの作品でブ
レイクしたが、何となく記憶に残っている。ただし、小生自身は未見だと思う。


 某月某日

 DVDで邦画の『悪名桜』(監督:田中徳三、大映京都、1966年)を観た。ピストルで殺される人間が4人
も出て、一見派手な作品だが、この映画の見所はむしろ市原悦子が演じた菊枝にある。朝吉(勝新太郎)
の幼馴染で、押しかけ女房として朝吉の許にやって来る女である。彼女の出演映画と言えば、『黒の斜面』
(監督:貞永方久、松竹=俳優座映画放送、1971年)や『青春の殺人者』(監督:長谷川和彦、今村プロ=
綜映社=ATG、1976年)が思い浮かぶ。どちらもシリアスなドラマだったので、本作品のようなコメディ・
タッチの演技とはだいぶ異なっている。どちらも捨て難いが、本質的には喜劇向きの人ではないだろうか。
例によって清次(田宮二郎)とともに、弱気を助け、強気を挫くという話で、その意味では新鮮味はない
が、二つのヤクザ組織を潰滅させるパワーは健在であった。他に、須賀不二男(大鯛組組長の後藤)、藤
岡琢也(ABCクラブ理事長の乾)、沢村貞子(沢村房江)、多々良純(沢村亀之助)、酒井修(沢村猛)、
守田学(政)、平泉征七郎〔現 平泉成〕(ABCクラブのチンピラ)などが出演している。なお、藤岡琢也
は『悪名無敵』(監督:田中徳三、大映京都、1965年)から連続出演(別人の役)であるが、前回と違っ
て今度はヤクザの感じがよく出ていた。右目目蓋の上の切傷と、鋭角的な眼鏡の演出によるものと思われ
る。田中徳三が木全公彦氏との対談で彼を激賞していたが、この作品で納得した。なお、相手側の須賀不
二男は、相変わらずいい味を出していた。ちなみに、酒井修という若い俳優は、『兵隊やくざ俺にまかせ
ろ』(監督:田中徳三、大映京都、1967年)という作品でもお目にかかっているが、実は小生の師匠のお
一人と同姓同名である。


 某月某日

 DVDで邦画の『黒の超特急』(監督:増村保造、大映東京、1964年)を観た。新機軸があるわけでもな
いし、扱われている金額(20億円)が高いのに全体として華やかさがないし、殺人事件に至る経緯にも説
得力があるわけではないので、どうにも中途半端な印象を受けた。「黒シリーズ」(全11作)の中では傑
作とされているそうだが、後に似たようなドラマが量産されているので、今では色褪せた作品となってい
る。ただし、出演している俳優はそれぞれの味を出し尽くしており、その点では面白かった。とくに、東
宝から助っ人に来た加東大介の演技は素晴らしく、さすがであった。物語の梗概は割愛するが、要するに
山陽新幹線敷設に際しての土地絡みの汚職を扱った映画で、当時としては新鮮な題材だったのであろう。
ある地主の台詞が面白かったので、下に記しておこう。

  わしらが売る土地は反当り2石しか取れぬ最低の土地じゃ。一年中あくせくと働いても、一町
 当り30-40万の収入しかない。坪7,000円、一町2,100万円に売れたら、そっくり銀行に預けて、
 利子が年に85万、座ってて倍の金が入る。中江様々じゃ。

 戦後、日本国中でこのような台詞が何万回も飛び交ったことは間違いない。日本人の金銭に対する感覚
が麻痺するのももっともなことであろう。農地の売買とその地方の精神的荒廃を扱った傑作映画に『さら
ば愛しき大地』(監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年)があるが、あそこ
まで掘り下げているわけではないとしても、この『黒の超特急』でもいくらかそれに似た場面がある。大
金が転がり込んだために万事が派手になって、かえって生活が苦しくなったという話である。さもありな
ん、とかく大金は人間を狂わすのである。
 さて、この映画がつくられた1964年から8年後の1972年に、日本工業新聞社から『日本列島改造論』と
いう本が出版されている。この本は田中角栄の著作であるが、出版とほぼ同時に彼は内閣総理大臣になっ
ている。ポスト佐藤栄作の一番手で、当時は「三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赴夫)」
という言葉を新聞などでよく見かけたものである。この映画がつくられた頃からずっと田中角栄が総理大
臣になるまで(あるいは、それ以後も)、この調子で新幹線をめぐる利権は日本国中の拝金主義者を狂奔
させたことであろう。70年代から80年代にかけて、新幹線敷設予定地に相当する土地を細長く買って大儲
けをした奴がいる、という話はよく聞かされたものである。さて、上記の本であるが、父親が「読め」と
言って高校生だった小生に勧めてくれた本である。何に影響を受けたのか今となっては判然としないが、
即座に投げ捨てた記憶がある。こんな本なんか読めるかと。あとで思えば、読んでおけばよかったが……。
 最後に、出演者を記しておこう。田宮二郎(庭瀬〔岡山〕の野心家である桔梗敬一)、藤由紀子(財津
の愛人である田丸陽子)、船越英二(西日本新幹線公団専務理事の財津政義)、加東大介(土地転がしで
大儲けを目論む中江雄吉)、石黒達也(大物政治家の工藤)、穂高のり子(財津夫人)、大西恭子(桔梗
不動産の事務員)、三島愛子(料亭「かつらぎ」の女中=中江の愛人)、早川雄三(地主の加田)、高村
栄一(同じく大藤)、春本富士夫(同じく小林)、中條静夫(証券会社の社員)、目黒幸子(田丸家の隣
人)、村田扶実子(雑貨屋の女将)、上田吉二郎(神田の旅館「錦」の主人)、此木透(毛利マンション
の管理人)、小山内淳(鮨屋の板前)、中田勉(肉屋の店員)、千波丈太郎(ジュク〔新宿〕の山本の身
内)、花布辰男(検事)などが出演している。


 某月某日

 『東京大空襲 ガラスのうさぎ』(監督:橘祐典、大映映像=共同映画全国系列会議、1980年)を観た。
どうしてもこの類の映画は高評価になるが、小生としてはあまり買えない。先ず物語が平板すぎること、
役者の演技も郡山のおばちゃん役の三崎千恵子を除いて際立ったものがなかったこと、東京両国の焼跡も
感じは出ていたがいま一つリアリティがなかったことなどが理由として挙げられる。それに、小生として
は、善人しか登場しない映画は本当に疲れるのである。もっとも、この映画を観て感動する人が多いだろ
うことは予想できる。高木敏子という女性が、自分の戦争体験を書いてベスト・セラーになった作品が原
作だからである。映画自体は、国際児童年を記念した企画との由。昭和20年3月10日の東京大空襲の日に
母と二人の妹を喪い、二宮駅であと10日もすれば戦争が終わるという日に父親を米軍機の機銃掃射で喪っ
た人の話であるから、もちろん半端ではない。題名にもある「ガラスのうさぎ」とは、ガラス職人の父親
がつくったガラス製のうさぎのことを指すが、業火に焼かれてだいぶ変形してしまった。それを埋葬して、
荒廃した街で逞しく生きてゆくことになる少女、川井敏子の役を蛯名由起子が熱演している。他に、長門
裕之(父)、長山藍子(母)、大和田獏(長兄・昭雄)、佐久田修(次兄・和雄)、日色ともゑ(疎開先
の親切なおばさん・井上しげ)、木村理恵(近所に住んでいた若い女性・田辺ふみえ)、荒木道子(井上
のおばあちゃん)、岩本多代(女学校教師)、花澤徳衛(役場の史員)、福田豊土(戦後担ぎ屋になる大
野)、藤原釜足(隠坊)、前田武彦(住職)、ハナ肇(中島医師)、浦辺粂子(葉書を買おうとして断ら
れる老婆)、左右田一平(隣組組長)、吉田義夫(仕事の手配をする人)などが出演している。


 某月某日

 DVDで邦画の『おとうと』(監督:市川崑、大映東京、1960年)を観た。 諸氏の評価は高いが、小生と
してはあまり面白くなかった。物語に予想外の要素が皆無だったこと、弟の碧郎(川口浩)の不良ぶりが
定番過ぎたこと、弟を肺病と診断した医者(浜村純)が転地先の院長でもあったこと、姉のげん役の岸恵
子が撮影当時28歳でやや薹が立っていたこと(これは当時24歳の川口浩にも当て嵌まる)、母役の田中絹
代は感じが出ていたが、父役の森雅之は子どもに対してあまりに甘いのではないかなど、どうにもちぐは
ぐな感じがした。だいいち、「骨肉もの」はもともと苦手なのでその分点が辛くなるし、小生と市川崑と
の相性ももう一つなので(『股旅』、監督:市川崑、市川プロ=ATG、1973年などは例外)、仕方がない
ことである。ただし、署の男役の仲谷昇や、田沼夫人役の岸田今日子(かつてこの二人は現実世界で夫婦
だった)が、両者ともにねっとりとした演技をしているところに興味が沸いた。少し気になった台詞をい
くつか拾っておこう。

  <姉と弟の会話>

 弟:ああ、腹減ったよ、俺は。
 姉:帰ったら、直ぐ支度するわよ。今日はお遣いに行って遅くなっちゃったから。
 弟:ぐずだよ、まったく。姉公(ねぇこう)は足が太いから、歩くのがのろいんだ。
 姉:だまれ、弟野郎の分際で。足が太いから遅くなったんじゃねぇや。わけがあったんだ。
 弟:うめぇ、うめぇ、うめぇもんだ。その調子だ。

  <弟碧郎の言葉>

 碧郎:うっすらと悲しいなぁ。姉さん、俺、そのうっすらと悲しいのがやり切れないんだ。
    酷い悲しさの方がまだいいや。

  <父母の会話>

 母:わたしは自分が晩婚だったために、こうして後妻に来て苦労しているだけに、女の子
   というものは、一年歳を取れば取るだけに幸せをつかみにくくなるということを……。
 父:分っている。もう、向こうに行ってくれ。碧郎は向こう意気は強くても、気が弱いん
   だから、今はまだ周りから助鉄砲(すけでっぽう)を撃ってやらなければ駄目なんだ。
   だいたい病院は晴れ晴れするとは言えないから、なるべく惨め臭くないところに逃げ
   て、綺麗な空気を吸わせてやりたい。
 母:ちっとも分っていらっしゃらない。

  <碧郎に「助かるのか、助からないのか」を訪ねられたときの院長の台詞>

 院長:君、医者ってものはね、最後まで患者の生きる分しか考えないもんなんだよ。分ったね。

 なお、最後の台詞は、脳死や尊厳死を肯定しようとしている現代に通じるのかと思って書き留めておい
た。また、浜村純がこの医師の役を演じているが、なぜ髪を金色に染めていたのだろうか。理由が分らな
かった。他に、土方孝哉(中田)、友田輝(鉄工場の息子)、佐々木正時(鉄工場の息子の父親)、星ひ
かる(借馬屋)、飛田喜佐夫(馬子)、伊東光一(船宿の船頭)、江波杏子(宮田看護婦)、穂高のり子
(分院の看護婦)などが出演している。配役などに関しては、<goo 映画>を参照したが、一部誤りと思わ
れる箇所を訂正しておいた。
 以下は上記の記事とはまったく関係ないが、あまりに嬉しかったので、あえて記しておく。小生にとっ
て苦節40年の出来事である。青天の霹靂である。快哉である。万歳である。知らない人にはまったく面白
くないだろうけれど、知っている人は少しは驚いてくれるだろう。前置はこのくらいにして、何の話か書
こう。現在、小生は森永チョコボールの「銀のエンゼル」にリーチがかかっている。つまり、4枚溜まっ
ている。あと1枚で「おもちゃのカンヅメ」と交換できるのである。さて、本日、何気なくチョコボール
を買ってみて(しばらくぶりの購買である)、銀のエンゼルが出ないかと思いながら、「くちばし」を開
けようとした。ここまではよい。そのとき、「まさか金のエンゼルが出てくるんじゃないだろうな」とふ
と思ったのである。実は、こんなことを思ったこともおそらく初めてである。小生の知っている限り、こ
の「金のエンゼル」を出した人は、慶応大学の山内志朗教授しかいない(山内先生、こんなところでお名
前を出してご免なさい)*。つまり、「金のエンゼル」など、小生のような者には夢のまた夢の話なので
ある。ある人など、チョコボールをたびたび大箱ごと買いながら、それでも「金のエンゼル」は出て来な
かったという話も仄聞している**。それが、何と、その輝かしい姿を現したのである。高額の宝籤が当た
ったような気分である。しかも、宝籤と違うところは、誰にでも口外できることである。万歳! 誰にも
やらんぞう!

 * その後、高知大学人文学部人間文化学科に、「金のエンゼル」を2度出したお方がいることが
  判明した。世の中は実に広い。
 ** その方と先日お会いした際、ついに「金のエンゼル」をゲットした話をお聞きしたので、ここに
  記しておく(2012年9月)。

                                                 
***このページは一般に公開されています。リンクアドレスには下記をご利用ください。***
http://souls.cc.kochi-u.ac.jp/?&rf=3100
 Copyright (C) 2005, Kochi University Faculty of Humanities and Economics All Rights Reserved.