[SSLの使用について]    ID:  Password: 
ホーム
人間文化学科
国際社会コミュニケーション学科
社会経済学科
人文社会科学科
▼教員一覧
思想系の学問に興味のある人へ
家族研究への布石(映像篇03)
家族研究への布石(映像篇04)
日日是労働セレクト22
日日是労働セレクト26
日日是労働セレクト1-3
家族研究への布石(文献篇01)
思想系の読書の勧め
日日是労働セレクト69
家族研究への布石(映像篇10)
恣意的日本映画年間ベスト1
武藤ゼミとはどんなゼミ?
家族研究への布石(映像篇11)
日日是労働セレクト98
日日是労働セレクト106
日日是労働スペシャル XLII (東日...
家族研究への布石(映像篇12)
日日是労働セレクト112
日日是労働セレクト121
日日是労働セレクト122
家族研究への布石(文献篇05)
日日是労働(臨時版)1703- ...
花摘みの頁<02>
【新選】平成日本映画百選
「高知市民の大学」講演レジュメ集
2018年度版「福島原発事故を考え ...
家族研究への布石(映像篇15)
驢鳴犬吠1806
日日是労働セレクト150
驢鳴犬吠1807
日日是労働セレクト151
驢鳴犬吠1808
日日是労働セレクト152
驢鳴犬吠1809
2018年度版「男女共同参画社会を ...
驢鳴犬吠1810
日日是労働セレクト153
驢鳴犬吠1811
日日是労働セレクト154
日日是労働セレクト155
驢鳴犬吠1812
日日是労働セレクト156
驢鳴犬吠1901
驢鳴犬吠1902
日日是労働セレクト157
日日是労働セレクト158
驢鳴犬吠1903
驢鳴犬吠1904
講義と演習
日日是労働セレクト159
日日是労働セレクト160
驢鳴犬吠1905
驢鳴犬吠1906
日日是労働セレクト161
日日是労働セレクト22
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第22弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレ
クト22」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、
いちいち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日
に加筆することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させ
ました。ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何
かと読者のお気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目
的は一切ありませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 『二階の他人』(監督:山田洋次、松竹大船、1961年)を観た。山田洋次監督のデヴュー作である。軽
いコメディ・タッチの映画で、日本の住宅事情や、高齢者問題がすでに顔を見せている。葉室正巳(小坂
一也)というサラリーマンがいる。二階のある家を建てたのだが、借金返済のためにやむなくその二階を
人に貸したところ、さまざまな騒動に巻き込まれてしまうという物語である。彼の妻明子に葵京子、母と
みに高橋とよ、次兄に穂積隆信、彼が勤める会社の部長に須賀不二男、最初の間借人小泉久雄に平尾昌章、
その妻晴子に関千恵子、次の間借人来島泰造に永井達郎、その妻葉子に瞳麗子が扮している。とみの「ど
こへ行っても邪魔にされるよ、年寄はね」という台詞や、正巳の兄たちの「兄に対して口答えするのか」
の台詞などは、まだまだ浪花節が通じた時代の雰囲気を伝えている。隣に住む警官が間違って子どもの拳
銃を本物と取り違えて携帯しようとしたり、とみが生煮えの肉を鍋に戻したりするような軽いギャグはい
くつかあったが、取り立てて大笑いを誘うような演出はなかった。しかし、この作品にはすでに山田色が
出ており、その意味で記念碑的な作品と言ってもよいだろう。


 某月某日

 DVDで邦画を2本観たのでご報告。1本目は、『学校 II』(監督:山田洋次、松竹=日本テレビ=住友
商事、1996年)である。 前作に続いて西田敏行が主演の映画であるが、設定はだいぶ変わっている。今
回は、北海道が舞台で、学校も竜別高等養護学校となっている。クラスメイトは9人、先生は3人。とて
も贅沢な布陣と言ってよいが、いろいろな意味で手のかかる生徒たちなので、先生が3人でも足りないく
らいである。 物語は1年F組が無事卒業するまでのエピソードで綴られているが、主に緒方高志(吉岡
秀隆)と久保佑矢(神戸浩)のコンビが中心である。卒業を控えた頃、このコンビが旭川に無断で出掛け
てしまう。安室奈美恵のコンサートを観に行ったのである。それを知らない先生たちは大慌て……。さま
ざまな情報を頼りに、とりあえず青山竜平(西田敏行)と小林大輔(永瀬正敏)の両先生が自動車で探索
に出掛ける。結局、二人はコンサートを観た後、先輩木村(役者、不詳)の働いているホテルに泊めても
らう。雪原で親切な夫婦の勧めによって熱気球に乗せてもらった二人を発見した青山と小林は、無事二人
を連れて帰ることができる。彼らが無事保護されたという連絡を受けた居残り組の北川玲子先生(いしだ
あゆみ)と小宮山勇吉校長先生(中村富十郎)は、ほっと胸を撫で下ろすのであった。青山先生が若い小
林先生に教え諭す場面がある。そのときの台詞を引用してみよう。

  子どもたちに迷惑をかけられるのが教師の仕事でしょう。そのために高い月給貰っているん
 でしょう。それとも、教師が楽できるような手のかからない人間をつくることが学校教育とで
 も思ってるの。まさかそんなこと、優秀な成績で大学出たあんたが考えているわけないだろう。

 学校や教師の質が問われ始めて久しいが、学校が聖域であったり、先生が聖職であったりすることを望
むよりも前に、もっと単純なことに注目すべきではないだろうか。それは、教育に効率を求めてはいけな
いということである。たとえば、ここに登場する佑矢は、明らかに手のかかる「モンスター」であるが、
その彼には人を変える力が秘められていたのである。そのことを見逃して、面倒を見ることはもはや困難
と判断されてしまえば、教育は効率の犠牲になってしまう。この場合は、自宅に送り返されて、佑矢の人
生は停滞したままになったであろう。しかし、そうはならなかった。結局、佑矢のお蔭で高志は自分の殻
を破ることができたし、佑矢の全面的な世話にうんざりしていた小林先生でさえ、その考え方を変えたの
である。もちろん、母親の久保文枝(原日出子)の喜びが大きかったことは言うまでもあるまい。これは、
高志の母親である緒方綾子(泉ピン子)とても同様であった。教育とは「教え育てること」であるが、そ
れだけでは足りない。その足りない何かをこの映画はそれとなく暗示しているのではないだろうか。他に、
浜崎あゆみ(青山先生の娘)、笹野高史(ホテルのマネージャー)などが出演している。
 2本目は『妻は告白する』(監督:増村保造、大映東京、1961年)である。以前から鑑賞を待ち望んで
いた映画であるが、期待通りだったとは言えないので少し残念である。一つにはミステリーとしてもはや
陳腐そのものだし、人妻の恋愛として見れば、これも物足りない出来だからである。おそらく、60年代初
頭においては十分にセンセーショナルなテーマなのだろうが、この手の映画やテレヴィ・ドラマがその後
量産されたために、鑑賞者としては食傷気味にならざるを得ないのである。東都大学薬学部助教授の夫が
いる。名前は滝川亮吉(小澤栄太郎)という。酒と山登りをこよなく愛しているが、だいぶ意地の悪い性
格である。その妻は彩子(若尾文子)、28歳である。幼いときから苦労の連続で、ともかく薬剤師を目指
していたが、生活苦から逃れるために、雑用を引き受けていた亮吉とやむなく結婚したのである。好きで
もない人と結婚したため、やがて耐え難くなって離婚を申し入れたが、亮吉にすげなく断られる。そうこ
うしているうちに、亮吉のもとに出入りしていた製薬会社の社員である幸田修(川口浩)に、彩子は心惹
かれるようになる。それを察した亮吉は、山登りにかけては素人同然の二人を誘って、山で大いにいじめ
てやろうとしたが、それが裏目に出てしまう、という筋書である。三人は、北穂高滝谷の第一尾根の岸壁
で、ザイル一本で宙吊りになったのである。真ん中に位置した彩子が、夫との間を結ぶザイルを切り、二
人は助かるという流れであった。当然「緊急避難」が適用されるケースであるが、彩子が亮吉を憎んでい
たこと、それと同時に幸田を愛していたこと、500万円という当時としては多額の保険金を夫にかけていた
ことなどが相俟って、「殺人」の疑いがかけられたのである。結局、無罪になるが、保険金を使ってまで
贅沢に暮らそうとする彩子の姿に幻滅した幸田は、彼女から離れてゆく。そして、それを苦にした彩子は
薬によって自ら命を絶つのであった。さらに、幸田の婚約者である宗方理恵(馬淵晴子)が幾分かは話に
絡むが、何かとってつけたような印象だった。そもそも、「いやしくも妻たるもの、本来、たとえ失神し
ても、夫と運命をともにすべきであった」という葛西検事(高松英郎)の台詞も、もはや大時代的にしか
聞えない。また、この事件を担当した杉山弁護士(根上淳)も、「新しい緊急避難の判例を得ることがで
きた」という台詞にこの人のすべてが集約されており、所詮「裁判商売人」以外の何ものでもない。円山
雅也の原作であるが、モデルがあるのだろうか。若尾文子の代表作の一つと言われているが、時代を考慮
しないと、とても首肯できない。


 某月某日

 今日は、ある講義の試験答案の採点をしているが、ごくたまにであるが、小生の考え及ばなかった内容
に出くわすことがある。そんなときはつい嬉しくなって、高い評価を与えることになる。若いということ
はよいことである。とういうのも、小生のような頭の固いロートルの気付かない領域に向けて、難なく羽
ばたくことができるからである。教員は教えることが商売であるが、実は教えているはずの当の学生から
教わることも多い。悔しいからあまり誉めないことにしているが、内心ではその学生に感心しているので
ある。そういう答案が多いときは、当然のことながら機嫌がよくなる。次の講義ではもう少し頑張って少
しでもましな講義をしなければと思う。したがって、教員の講義の質を高める原動力の一つは、明らかに
学生の素敵な答案なのである。また、素敵な答案を学生に書いてもらうためには、当然のごとく素敵な講
義が前もって成立していなければならない。もちろん、このような「良質の循環」を構成するためには、
教員の不断の努力が必要不可欠であることは言うまでもない。言い換えれば、外圧から「改革」を余儀な
くされる前に、内発的な「改革」を自ら試みることが、昨今の大学教員に求められていることなのだろう。


 某月某日

 講義というものは恐ろしいもので、小生がアドリブで、いわば「軽く」語った言葉を学生が重く捉えて、
それに強い刺激を与えられたらしいことが分かると、少しこころに応える。そんなに重い意味を込めたの
ではないのだが……と悔やんでも後の祭りである。だいいち、今の学生は質問することにかなり抵抗感を
感じているようだ。小生自身が学生の頃は、先生の語った言葉で分からないことがあったら、しつこいぐ
らいに質問攻めにしたものである。しかも、幸いなことに、小生の教わった先生方は、皆とても誠実な方
ばかりで、小生のくだらない質問に懇切丁寧に答えて下さったものである。今でも、本当にありがたいこ
とだったと思う。さて、教員としての小生としては、秘かに良質の質問が出ることをいつも待ち望んでい
るのだが、なかなか学生の口は開かない。しかも、それで済むのならばそれでも仕方がないと思うのだが、
後で文句を言われることもあるので、質問をしない学生をそのまま看過することはできないのである。注
文があるのならば、なぜその場で言わないのか、小生には理解できない。目立つことを嫌がっているのだ
ろうか。それとも、単に反応が鈍いだけなのか。羊のようにおとなしいと安心しているわけにはいかない。
羊が突然狼に変身するからである。最初から狼ならば対処のしようもあるが、急に狼になられても戸惑う
ばかりである。思ったことをきちんと言語化して、他者と意思の疎通をはかる……学生には、このような
コミュニケーションの基本をしっかりと身に着けて欲しい。もちろん、われわれ教員の側も、それに誠実
に応えることを不断に心がけるべきであることは言うまでもない。だいぶ以前に、ある大学人に、「学生
対策はどうしていますか」と尋ねたところ、「学生? しっしっ、追い返してますよ」と返答した人がい
た。もちろん、額面通りには受け取れないが、そんなことが通用する大学など、もう要らないのではない
だろうか。


 某月某日

 正規の講義はほとんど済んで、あとは試験やリポートの採点を残すのみとなった。オープン・キャンパ
スなどの重要な行事も控えているが、もう直ぐ「夏休みモード」に入れるかと思うと、やはりほっとする。
正直言って疲れ切っているので、暇になったら少しボーっとしていたい。ただし、そうも言ってられない
かもしれないので、因果なものである。さて、このブログももう直ぐ2周年を迎えることになる。継続は
力なり、のんびりと続けたいと思っている。モンテーニュの『エセー(Essais)』には及ぶべくもないが、
せいぜい『似非ー(えせー)』と呼べるくらいの内容は維持したいものである。


 某月某日

 『学校』(監督:山田洋次、松竹=日本テレビ=住友商事、1993年)を観た。2度目の鑑賞である。だ
いぶ以前に観た映画なので、ほとんど覚えていなかった。西田敏行のコミカルな先生振りが魅力の映画で
ある。場所は夜間中学。何らかの事情で正規の中学に通えなかった人々に、学習する喜びを与えようとし
てつくられた学校である。西田扮する黒井先生は、ある日の授業で作文を課す。卒業文集を作ろうという
のである。それをきっかけにして、次々と生徒たちの過去のエピソードが黒井先生の脳裏に浮かぶ。孫も
いる56歳で入学してきた金順姫(キムスニ)がいる。通称オモニ(新屋英子)である。彼女は3人の子供
を育て上げ、商売の焼肉屋も繁盛させているが、字を覚えるために夜間中学に入学してきたというわけで
ある。中国人の父と日本人の母との混血児である張〔チャン〕(翁華栄〔オウフアロン〕)がいる。彼は
日本になかなか馴染めず、職場でもうまくいかないが、田島先生(竹下景子)の献身的な力添えのお蔭も
あって、日本で生きてゆくことに決めている。昼間は清掃の仕事に精を出すカズ(萩原聖人)がいる。黒
井先生とは喧嘩友達で、ある日などは行きがかり上一緒に清掃の仕事をしたりする。黒井先生が「ポリッ
シャー(電動床磨き機)」を扱おうとして一騒動を起こすが、「最初から上手には扱えないよ」と思った。
というのも、小生は大学院生時代に清掃員のアルバイトをしていたことがあり、実はポリッシャーを操っ
たことがあるからである。慣れればどうということはないが、慣れないうちはかなり操縦が難しい機器で
あることをここに記しておきたい。不登校児だったえり子(中江有里)がいる。どうしても学校に馴染め
なかったのに、夜間中学のオープンな感じが気に入ったのか、あるいは黒井先生の人柄に惹かれたのか、
この学校には真面目に通うようになったのである。えり子の父(大和田伸也)と母(浅利香津代)は結局
別れてしまうが、立ち直ったえり子は、一所懸命に勉強して、高校、大学と進み、やがては先生になって
この夜間中学に戻ってくるつもりだという。シンナーを吸ったりして自暴自棄になっているみどり(裕木
奈江)がいる。黒井先生が親身になって面倒を見ているうちに、やがて学校に落ち着くようになる。背景
となるエピソードはあまり描かれていないが、万事ユックリズムの修(神戸浩)がいる。「幸せとはお金
のことだ」という発言が物議を醸すことになる。そしてもう一人、苦労人のイノさんこと猪田幸男(田中
邦衛)がいる。彼は卒業直前に倒れて結局他界するが、 皆の思い出となる。彼が河合茂医師(大江千里)
に連れられて夜間中学の門を叩いたとき、費用の問題を気にする場面がある。そのとき、黒井先生から
「憲法26条2項に、義務教育は無償であると書いてある」と聞き、安堵する場面である。心温まる場面だ
った。また、幸福を皆で論じ合う場面、修学旅行ではしゃぐ場面、海で砂山をつくる場面、どれもこれも
平凡なのに、どこかしらほっとするような映像であった。他に、土屋先生(笹野高史)、イノさんの叔母
さん(園佳也子)、八百屋の親父(渥美清)、リネン工場の社長(坂上二郎)、自動車解体工場の社長
(小倉久寛)などが出演している。黒井先生の言葉をいくつか収録しておこう。

  いろいろな例外を認められてこそ、学校が教育的で人間的な場になるじゃないでしょうか
 〔校長(すまけい)との遣り取りにおいて〕。

  いい授業をしようと思ったら、裸になんなきゃ。生徒を惹きつけるのは勉強の内容じゃな
 くて、その教師の人間なんだ〔田島先生との遣り取りにおいて〕。

  授業ってのは、クラス全員が汗かいて、皆で一生懸命になってつくるもんなんだ。それが
 ようく分かった。いい授業だった。ありがとう〔イノさんの追悼ホームルームで〕。

 ちなみに、岩波新書に『よみがえれ、中学』(江沢穂鳥 著)という、やはり「夜間中学」をテーマにし  
た名著があることを記しておく。さて、オモニのことは覚えていたが、その役に扮した新屋英子が、後に、
『ぼくんち』(監督:阪本順治、「ぼくんち」フィルムパートナーズ、2002年)や『ジョゼと虎と魚たち』
(監督:犬童一心、フィルムパートナーズ、2003年)で、それぞれ個性的な役を演じていようとは思わな
かった。また、みどり役の裕木奈江は『光の雨』(監督:高橋伴明、シー・アイ・エー=エルクインフィ
ニティ=衛星劇場、2001年)で、重要な役どころを演じている。なお、配役に関しては、<goo 映画>を参
照した。


 某月某日

 本日は妻の誕生日である。これを書こうとするまで忘れていた。もうだいぶ以前になるが、完全に失念
していたために、罰金を取られたことがある(自ら進んで罰金を支払った)。旅行好きの彼女は、喜び勇
んで北海道に出掛けていった。今年は危ないところで罰金を取られずに済んだ。話は変わるが、今朝、ジ
ョギングをしている最中に部屋の鍵を落とした。幸い直ぐに見付かったから大事には至らなかったが、ど
うも最近うっかりが多い。そう言えば、颱風のせいで日程が大幅に狂ったが、そのためにおかしくなった
ことにしよう。悪いことは天候のせいにすればよいのである。しかし、颱風はよいことももたらした。と
いうのも、颱風が通り過ぎた日、一日中部屋に閉じ籠っていたので、普段は観ないテレヴィで結構楽しい
ことに遭遇したからである。ひとつは「コンドルズ」という芝居集団のリーダーである近藤良平という人
物を知ったことである。NHK教育TVの「食彩浪漫」という番組で手料理を紹介していただけであるが、
何が一番インパクトがあったかというと、ずばり彼の容貌である。久し振りに個性的な顔に出会ったよう
な思いがした。いつか、彼の手掛ける芝居を「生」で観てみたいと思う。もうひとつは、その後の時間帯
の番組で、同じくNHK教育TVの「スーパーピアノレッスン」という番組で、ジャン・マルク・ルイサ
ダというピアニストが生徒にピアノを教えていたのであるが、その際の話題に興味が湧いたことである。
ショパンにはモテ夫人という教え子がいたが、その夫人にも教え子がいて、そのひとりがドビュッシーだ
ったという事実である。どんな分野でもそうであろうが、「伝承の美」が見て取れる話であった。たまに
は颱風もよし、という次第である。


 某月某日

 ある郵便局での話。簡易保険料相当額プラスアルファを入金しようとして、通帳と紙幣を局員に渡して
待っていたところ、名前を呼ばれたので通帳を受け取って確認しようとしたら、わが目を疑った。その日
の通帳への記載がないのである。慌てて通帳を持っていって抗議したところ、それを受け取った局員は恐
縮するでもなく、改めて記載した通帳を返してきた。あまりのことに小生は愕然として、開いた口が塞が
らなかったが、それでも辛うじて「しっかりしてや」という言葉を発することができた。こんなことは、
郵便局を利用するようになってから40年、一度だに経験したことのない椿事である。「青天の霹靂」と言
ってもよい。「おいおい、郵政民営化、本当に大丈夫かよ」、といった感じ。小生は大いに憂えている。
もちろん、この「うっかり局員」にではない。郵政をがたがたにした改革に。もっとも、一時的な混乱で
あることを願ってはいるが……。


 某月某日

 DVDで邦画を4本観た。1本目は『あゝ決戦航空隊』(監督:山下耕作、東映、1974年)である。いわゆ
る「特攻」の創始者である、大西瀧治郎に焦点を合わせてつくられた映画である。先ず、この映画のニュ
ース・ソースは何だろうと思った。というのも、今まで観たこの手の映画の中で、小生にとって知らない
ことが最も数多く出て来る映画だったからである。たとえば、墜落した飛行機の残骸に不発弾が残存して
おり、それが何かの拍子に破裂する場面など、なるほどと思った。知っている人にとっては珍しいことで
はないのだろうが、小生は想像だにしなかったことである。さらに細かいことだが、機上弁当の插話、爆
弾の信管に用いる銅や火薬製造に使う塩不足の插話など、これまでの太平洋戦争を描いた映画では観たこ
とがなかった場面である。また、児玉誉士夫が実名で登場している(役者は小林旭)ことも刺激的だった。
というのも、この映画が公開された翌々年、すなわち1976年に、いわゆる「ロッキード事件」が発覚して
いるが、彼はその事件の大物関係者の一人だったからである。ともあれ、この映画は埋もれさせてはなら
ない映画だと思う。ただし、題名に工夫がないので、どうも損をしているような気がする。
 さて、日本の軍人は「生きて虜囚の辱めを受けること勿れ」を頭に叩き込まれているから、一旦捕虜と
なった者は、何とかその不名誉を挽回しなければならないと思い込むらしい。その感情を利用して、「特
攻」が創始された。しかも、恥辱を雪ぐべく「温情」として……。つまり、実際に捕虜になった者たちに
「死に場所」を与えるための「特攻」だったのである。この段階では、まさに「特別」と呼んでも差し支
えはなかった。正式に「特攻」が採用されたのは、フィリピンの「捷一号作戦」においてであった。日本
軍が、圧倒的な劣勢を少しでも巻き返そうとして敢行した作戦である。最初の特攻隊の隊名は「神風(し
んぷう)特別攻撃隊敷島隊」といった。零戦に250キロ爆弾を装着して、敵の艦船に体当りする戦法であ
る。常識的に考えれば、健康な人間が必ず死ぬと分かっている作戦を受諾するわけはないはずだが、事実
としては、関行男大尉(北大路欣也)を隊長とする5名の特攻隊が結成されている。関は従軍記者のイン
タビューに答えて、「軍人が戦場で死ぬのは当たり前のこと。しいて言えば、ワイフを守るために死ぬ」
と語っている。特攻隊員に対する「皆はすでに神である」という上官の台詞は欺瞞に聴こえるが、そう言
うしかなかったのであろう。戦果としては、空母「セントロー」撃沈、同「キトンカンベイ」撃破・火災、
同「カリエンベイ」火災、とある。その他、大和隊、朝日隊、山桜隊、菊水隊、若桜隊……というふうに、
次々と「特攻」を敢行している。しかし、昭和20年1月6日に出撃した5機を最後に、フィリピンでは飛ば
す飛行機がなくなって、駐屯していた海軍は陸戦隊となった。そこで、「司令部のみ転戦せよ」の命令が
下り、第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎中将(鶴田浩二)は、台湾にある台南基地に移り、そこで特攻隊
の再編成を行なっている。転進命令を受けた大西の「まだ死ねんのか」という台詞が重い。
 なぜ特攻は作戦として選ばれたのか。戦局断然不利の折、長期持久戦に持ち込み、一人でも多くの敵を
殺せば、人命の損耗を懼れるアメリカはまいる。したがって、一機もって数百名の敵を殺せる「特攻」は
有効な作戦である、という理屈である。台南基地での大西中将の演説を聴いてみよう。なお、耳から拾っ
たものであることを予めご了承いただきたい。

  戦争の現状を見るに、フィリッピンの大勢が敵の手に帰して以来、南方輸送路の維持はきわめ
 て困難になり、敵の攻撃はいよいよ日本近海に急迫、本土に対する空襲は日とともに激化し、全
 般的な戦力の低下、同盟国ドイツの苦戦等、われを巡る情勢はきわめて厳しいと言わざるを得な
 い。しかし、正味の戦争はこれからなのである。敵も弱ってきている。今こそ、全国民が特攻と
 なって、長期持久戦に耐え抜き、あらゆる手段・方法をもって、一人でも多くの敵を殺せば、人
 命の損耗を懼れるアメリカはきっとまいる。それでこそ、活路は開き、光栄ある勝利が与えられ
 る。地上戦闘で、一人で数百人の敵を殺すことは不可能であるが、わが航空隊は、一機もって数
 百名の敵を船もろとも殺すことができる。われわれは、死に甲斐のある闘いができるのだ。勝敗
 は最後にある。九十九回敗れても、最後に一勝すれば、それが勝ちだ。その一勝をあげさえすれ
 ば、アメリカも日本との和平を考えてくる。戦争は引き分けになる。引き分けに持ち込めば、と
 りもなおさず日本の勝ち、「勝利」と言えないまでも、負けにはならない。また、諸氏ら神風特
 別攻撃隊が出て、万一、万一にも闘いに負けたとしても、日本はけっして亡国にはならない。そ
 の精神の高さ、強さにおいて、はるかに白人を凌駕し得る。だが、それをやらずして負けたとき
 は、日本は真の亡国、滅亡民族となる他はないのである。死ぬことが目的ではないが、各自、必
 死必中の信念をもって、最も効果的に敵を殺せ。最も効果的な死を選べ。

 さて、以下の展開は割愛するが、この大西中将は8月16日に自刃している。遺書があるので、それも写し
ておこう。ただし、正確とは言えないので、ご寛恕されたし。

         特攻隊の英霊に申す
         善く戦ひたり深謝す
         最後の勝利を信じつつ
         肉弾として散華せり
         然れ共 其の信念
         は遂に達成し得ざる
         に至れり
         吾死を以って旧部下の
         英霊と其の遺族に
         謝せんとす
         次に一般青壮年
         に告ぐ
         我が死にして
         軽挙は利敵行為
         なるを思ひ
         聖旨に副ひ
         奉り自重忍苦するの
         誡めとならば
         幸なり
         隠忍するとも日本人た
         る矜持を失ふ勿れ
         諸氏は国の宝なり
         平時に処し、猶ほ克く
         特攻精神を堅持し
         日本民族の福祉を
         世界人類の和平の為
         最善を盡せよ

                 海軍中将 大西瀧治郎

 行年55歳であった。なお、原作は『特攻の思想 大西瀧治郎伝』(草柳大蔵)の由である。他に、米内
光政海軍大臣(池部良)、児玉機関員岡村吾一(山城新伍)、第一航空艦隊先任参謀猪口力平大佐(室田
日出男)、第201航空隊副長玉井浅一中佐(梅宮辰夫)、同飛行長中島正少佐(葉山良二)、久納好孚中尉
(伊吹吾郎)、大西淑恵(=瀧治郎の妻)(中村玉緒)、厚木航空隊司令小園安名中佐(菅原文太)、零
戦隊分隊長荒井武夫大尉(黒沢年男)、零戦隊改田義徳中尉(渡瀬恒彦)、司令付中井勝彦中尉(長谷川
明男)、海軍大臣兼軍令部総長島田繁太郎大将(内田朝雄)、連合艦隊司令長官豊田副武大将(大木実)、
第三航空艦隊司令長官寺岡謹平中将(遠藤太津朗)、鈴木貫太郎首相(村上冬樹)、陸軍大臣阿南惟幾大
将(山本麟一)、迫水久常(江原真二郎)、関根賢(安藤昇)、佐田照美(=改田の婚約者)(檀ふみ)、
大黒上飛曹(太田博之)、高瀬丁二飛曹(西城秀樹)、空母「千代田」艦長城英一郎大佐(松方弘樹)、
中村兵曹(山田吾一)、畑井一水(桜木健一)、佐多大佐(待田京介)、岡村義基(中谷一郎)、門司大
尉(野口貴史)、手塚中将(金子信雄)、誠直也、片桐竜次などが出演している。なお、配役については
<goo 映画>を参照したが、数箇所でその誤りを正した。
 2本目は『続・悪名』(監督:田中徳三、大映京都、1961年)である。前作の完全な続編で新味はない
が、松島一家の元締として中村鴈治郎(中村玉緒の実父)が出演しており、女親分麻生イト(浪花千栄子)
とともに、貫禄を示している。また、ミヤコ蝶々の相方である南都雄二が「河太郎」という名前の情けな
い男を演じており、懐かしかった。さらに、沖縄の源八役で上田吉二郎が出演しており、この人も懐かし
かった。思うに、昔の役者は味があるねェ。さて、物語としては、元娼妓の琴糸(水谷良重=現 八重子)
のいじらしさや、朝吉(勝新太郎)の女房お絹(中村玉緒)の勝気さが光っていた。なお、モートルの貞
(田宮二郎)が雨の中で刺されて死ぬが、この場面には見覚えがあった。朝吉は、「ヤクザ渡世も所詮は
金次第」ということに嫌気が差して足を洗おうとするが、結局その前に「赤紙」が来て、兵隊に取られる
のである。他に、吉岡(山茶花究)、松島の子分(須賀不二男)、シルクハットの親分(永田靖)、お照
(=モートルの貞の女房)(藤原礼子)、チェリー(長谷川季子)、夕顔(浦路洋子)、新世界のカポネ
(藤山浩二)などが出演している。
 3本目は『レディ・ジョーカー』(監督:平山秀幸、日活=東映=毎日新聞社=テレビ朝日=葵プロモ
ーション=スポーツニッポン=日本出版販売、2004年)である。「大山鳴動して鼠一匹」といった映画。
渋さを狙いすぎていると思った。高村薫のベストセラー小説を原作としているらしいが、この映画のまま
の作品だとすれば、どこにミステリーがあるのだろうか。なお、昭和22年の手紙が出てくるが、「会社」
の「社」の字や、「清二」の「清」の字などは、きちんと正字にして欲しかった。まだ、新字体が採用
される以前の插話だからである。なお、下敷きは明らかに「グリコ・森永事件」であるが、ここではビー
ル会社に変えられている。渡哲也、徳重聡、吉川晃司、大杉漣、吹越満、加藤晴彦、長塚京三、岸部一徳、
清水紘治、辰巳琢郎、國村隼、光石研、菅野美穂、綾田俊樹、松重豊、菅田俊などが出演している。吉川
晃司の悪徳警官のニヒルさが光っていた。
 4本目は『失楽園』(監督:森田芳光、角川書店=東映=日本出版販売=三井物産=エースピクチャー
ズ、1997年)である。何も言うことがない、渡辺淳一原作の「官能映画」である。日本版『エマニエル夫
人』(監督:ジュスト・ジャカン、仏、1974年)と言ってもよいだろう。「夏果てて秋は来るのに非ず」
という兼好の洞察が活きている。つまり、愛の絶頂で彼らが心中を選んだのも、やがて来る倦怠を厭うた
からだろう。中年編集者の久木祥一郎に役所広司、その相手の書道家の松原凛子に黒木瞳が扮している。
性愛場面はいかにも女性受けを狙ったショットで、きれいに描かれている。他に、寺尾聡、柴俊夫、星野
知子、木村佳乃、小坂一也、あがた森魚、石丸譲二郎、原千晶、平泉成、岩崎加根子、中村敦夫、村上淳、
金久美子、井上肇などが出演している。当然の前提として、「不倫するには、お金、時間、体力が必要で
ある」という台詞が出てきたが、肝心の「恋心」は入っていなかった。肉体上の不倫だけが不倫ではなか
ろうと思ったのだが、そんなものは現代人の視野には入らないのだろう。なお、あの鬱陶しい携帯電話が
「小道具」として多用されているが、それを用いる久木の顔が「阿呆面」にしか見えないのは、小生の偏
見だろうか。


 某月某日

 今日は久し振りに13日の金曜日であるが、実際に颱風のせいで酷い目(びしょ濡れ)に遭った。今後とも、
強力な颱風が来るたびに覚悟しなければならないことだが……。
 さて、戦争映画を1本観たので報告しよう。『きけ、わだつみの声 Last Friends』(監督:出目昌伸、
東映=バンダイビジュアル、1995年)である。スタッフも役者も一所懸命に映画をつくろうとしているの
だろうが、出来映えは今一つだった。思うに、テレヴィのようなつくりで、個々の場面を取ればそれなり
によくできているのだろうが、つないでみると凡作という結果に陥っている。じっくりとテーマを追いか
けているのではなく、「鬼面人を威す」効果ばかりを狙っているので、かえってつまらなくなるのである。
もっと厳しく言えば、こけおどしの連続では人の感動を呼ばないのである。たとえば、憲兵役の石橋蓮司、
歴戦の猛者役の遠藤憲一、出陣学徒壮行会に出て来る仕官役の大杉漣はある程度様になっていたが、あと
の連中は軍人には見えなかった。とにかく、軽いのである。関係者が、学徒たちの遺稿集をどれだけ読み
こなしているのか、いささか心もとないと思った。たとえば、野戦病院の場面で岩波新書が出てくるが、
単に添え物にすぎない扱いなのである。役者の力量にも関係しているが、それは仕方がないか。また、こ
の映画は、事実上『きけわだつみの声 日本戦歿学生の手記』(監督:関川秀雄、東横映画、1950年)の
リメイク作品に当たるが、早坂暁の脚本は明らかに味付けが甘い。従軍看護婦や慰安婦を登場させて彩り
を添えているつもりであろうが、史実からは遠いのではないか、と思った。もっとも、小生も史実を知っ
ているわけではないので、あくまでそのような印象を受けるとしか言いようがないのであるが……。さら
に、的場浩司(彼は大好きな俳優だが……)演じる大野木上等兵は噴飯ものであった。いくらなんでも、
あれ(和製ランボーみたい)では物語を壊してしまうと思った。また、大学における最後の講義風景が出
てくるが、50年版の信欣三扮するフランス文学研究者のリアリティと比べると、学者役の高橋悦史や田村
高廣の演技は数段落ちると思った。その他、徴兵拒否、人肉食、万歳突撃、手榴弾自爆、特攻、従軍慰安
婦問題、原爆投下など、重いテーマをがっかりするほど軽く描いている。喜劇にしたいのならばともかく、
これでは伝わるものも伝わらない、と思った。戦争に関する断片を寄せ集めて戦争映画をつくっても、戦
争映画とは似て非なるものが出来上がるだけである。以前の東映の戦争映画はもっとまともだったのに、
本当に残念である。やはり、年月による時代の風化は免れないのだろうか。他に、緒形直人(彼は徴兵拒
否者であるとともに、現代の大学生をも同時に演じているが、このSF的登場に一体どんな意味があるのか)、
中村トオル、織田裕二、鶴田真由、風間トオル、岩崎加根子、佐藤慶、井川比佐志、河原崎建三、奥田瑛
二、大和田伸也、宮崎淑子(=宮崎美子)、寺田農、もたいまさこ、佐藤友美などが出演している。


 某月某日

 鑑賞済みの戦争が大きく絡む邦画は都合80篇を数えるようになった。小生の今年の目標の一つである「戦
争関連映画」100篇鑑賞はどうやら達成できそうであるが、その手の映画の未鑑賞作品の在庫も底をついて
きた。世に出回る極道映画の数と比べると、意外に少ない感じがする。そもそも需要が少ないのかもしれな
いし、戦争にはドラマがありそうで実はあまりないのかもしれない。さて、年代別に戦争映画の特徴を分析
してみると、だいたい以下のようになる。もちろん、恣意的な分析なので、根拠はあまりない。

 戦前(1930-40年代) ほとんど例外なく戦意高揚映画。
 代表作:『ハワイ・マレー沖海戦』、監督:山本嘉次郎、東宝、1942年。
     『加藤隼戦闘隊』、監督:山本嘉次郎、東宝、1944年。

 1950年代  戦争に対する深刻な反省が主流。リアリズムの探求。
 代表作:『きけわだつみの声 日本戦歿学生の手記』、監督:関川秀雄、東横映画、1950年。
     『原爆の子』、監督:新藤兼人、近代映画協会=劇団民芸、1952年。
     『真空地帯』、山本薩夫、新星映画、1952年。
     『雲ながるる果てに』、監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年。
     『二十四の瞳』、監督:木下恵介、松竹大船、1954年。
     『ビルマの竪琴(総集版)』、監督:市川崑、日活、1956年。
     『人間の條件 第1部・純愛篇/第2部・激怒篇』、監督:小林正樹、にんじんくらぶ=
      歌舞伎座映画、1959年。
     『野火』、監督:市川崑、大映東京、1959年。

 1960年代  戦争をこれまでとは別の角度から描く映画の出現。ドラマ性が強い。
 代表作:『独立愚連隊西へ』、監督:岡本喜八、東宝、1960年。
     『拝啓天皇陛下様』、監督:野村芳太郎、松竹大船、1963年。
     『兵隊やくざ』、監督:増村保造、大映京都、1965年。
     『陸軍中野学校』、監督:増村保造、大映京都、1966年。
     『肉弾』、監督:岡本喜八、「肉弾」をつくる会=ATG、1968年。

 1970年代  戦争の周辺を描いた作品が主流。
 代表作:『サンダカン八番娼館 望郷』、監督:熊井啓、東宝=俳優座、1974年。
     『不毛地帯』、監督:山本薩夫、芸苑社、1976年。

 1980年代  戦争映画なのに妙に明るい作品が出現する一方で、意欲的な佳品もちらほら。また、
     アニメーション作品の傑作も生まれた。
 代表作:『戦場のメリークリスマス』、監督:大島渚、日本(大島渚プロ=朝日放送)=英国、1983年。
     『瀬戸内少年野球団』、監督:篠田正浩、YOUの会=ヘラルド・エース、1984年。
     『海と毒薬』、監督:熊井啓、「海と毒薬」製作委員会、1986年。
     『ゆきゆきて、神軍』、監督:原一男、疾走プロダクション、1987年。
     『火垂るの墓』、監督:高畑勲、新潮社、1988年。
     『黒い雨』、監督:今村昌平、今村プロ=林原グループ、1989年。

 1990年代  史実よりも造形美を中心に描いた作品の登場。
 代表作:『白痴』、監督:手塚眞、映画「白痴」製作実行委員会=手塚プロダクション、1999年。

 2000年以降  史実を軽視して、戦争とファンタジーを結びつけた作品の登場。
 代表作:『ローレライ』、監督:樋口真嗣、フジテレビジョン=東宝=関西テレビ放送=キング
      レコード、2005年。
     『八月拾五日のラストダンス』、監督:井出良英、ブロードバンド・ピクチャーズ、2005年。

 さらに、まだ観ていない作品の中に、これらの傾向には当てはまらないものもあるだろう。戦争には、
まだまだ知られていない要素もあるに違いないが、関係者が亡くなったり高齢になったりして、それが伝
わらないまま忘れ去られていくのだろう。小生の父親も徴用されたとき遺書を書いたと言っていたし(実
際、現物を見たこともある)、母親も女子挺身隊員として竹槍訓練を行なったと聞いている。いろいろ訊
いておけばよかったが、今となっては後の祭りである。


 某月某日

 2本の邦画をDVDで観たので、ご報告。なお、配役その他に関して、両作品ともに<goo 映画>のお世話に
なっている。1本目は『最後の特攻隊』(監督:佐藤純彌、東映東京、1970年)である。この映画は小松
方正によるナレーションから始まる。

  昭和16年12月、太平洋戦争に突入した日本軍は、わずか4ヶ月で、西南太平洋全域の諸島を
 占領し、その勢力下においた。だが、翌年6月、ミッドウェイ海戦での敗北を機に戦局は逆転
 し、ガダルカナル島の撤退、連合艦隊司令長官の戦死、アッツ島の玉砕と、刻々劣勢に追い込
 まれ、昭和19年7月、マリワナ沖海戦の惨敗とサイパン島の玉砕によって、西南太平洋の制海
 権は完全に米軍の手に帰した。日本連合艦隊はその大半を失い、残るはわずか空母4隻、戦艦
 7隻にすぎなかった。つづいて、同年10月、米第七艦隊は、マッカーサー最高司令官指揮の下
 に、その全力をあげてルソン島南方のレイテ湾に殺到した。

 毎度お馴染の太平洋戦史のおさらいだが、この後立てられた作戦は周知の「特攻作戦」である。ときは
昭和19年10月、ところはマニラ、第一航空艦隊司令長官杉浦中将(内田朝雄)が第二十六航空戦隊司令官
矢代少将(見明凡太朗[旧名 凡太郎])に特攻の是非を問う。矢代は答える。世界の戦史において、「決死
隊」の記録はあっても「必死隊」のそれはない。日露戦争における旅順攻撃の決死隊は必ずボートで戻る
ように命令されていたし、今次大戦におけるハワイ真珠湾攻撃の際の特殊潜航艇は、奇襲に成功すれば帰
還するはずだったのである。それだからこそ、東郷元帥も山本司令長官も作戦を許可したのである、と。

  人間は兵器ではありません。いかに逼迫した戦局であっても、人間を爆弾とともに体当たり
 させる必死隊の編成は、日本海軍70年の伝統に汚点を残すものと思います。

 しかし、杉浦中将は、これに対して、「敵の船は700隻、飛行機は少なく見積もっても1,000機、味方の
飛行機は200機、勝ち目はない。せめて、可能な限り敵に打撃を与え、それをもって敵の戦意を挫き、戦争
終結のきっかけをつくるのが、究極の目的である」、と。

  もはや勝ち負けは問題ではない。祖国の永遠の平和を願って、一艦でも多く、一兵でも多く敵を
 倒すしかない。すでに作戦の正邪善悪(「ぜんまく」と連声していた)を批判する段階ではない。

 矢代少将の抗弁空しく、他の参謀たちの賛同により、特攻作戦の実施が決定した。この後、連合艦隊の
全兵力を挙げてレイテ湾に突入するが、これも失敗。もはや、特攻(特別攻撃)はその名前の「特別」の
文字を裏切るかのように、当たり前の作戦に変貌してゆくのである。
 当初、最初の特攻攻撃の指揮者は宗方大尉(鶴田浩二)であったが、特攻攻撃に最後まで反対の立場だっ
た矢代少将が予備機に乗って出撃したので、結果的に矢代少将が指揮者となった。菊地中佐(藤山浩二)が
「飛行長以上の上級指揮官が出撃するのは前例のないこと」と諫めたが、矢代の決意は固かった。飛行長の
辺見中佐(小池朝雄)も「自分が代わる」と申し出たが、それも却下しての出撃であった。矢代は、自分の
命を擲つことによって、特攻をこれっきりにしたかったのである。さて、実際の戦果はどうだったか。矢代
少将機は、見事スワニー型空母に突入。しかし、他の特攻機は全部撃墜された由。宗方はどうしたのか。実
は、矢代機を守るために、爆弾(最初の特攻機は零戦に250キロ爆弾を装着していた)を投下し、敵戦闘機
と戦った末に負傷して一人帰還したのであった。なお、特別攻撃隊の編成は志願制とし、強制ではなかった。
あくまで自由意志だったので、堂本上飛曹(山本麟一)は「上空直掩隊」を選んでいる。彼は、昭和8年に
海軍に16歳で入隊し、10年間に及ぶ戦闘機搭乗員としての輝かしい戦歴をもっていた。出撃回数95回、撃墜
48機(戦死する直前には、出撃回数120回、撃墜56機となっている)の猛者である彼は、生きていればこそ
立てられた記録だから、1回の攻撃で死ぬのはいやだという理屈である。
 さて、昭和19年11月24日、帝都大空襲。同年12月13日、中京地区大空襲。昭和20年2月17日、敵機動部
隊硫黄島に来襲。同年3月17日、硫黄島玉砕。同年3月19日、敵機動部隊沖縄上陸作戦開始。同年3月26日、
「天一号作戦」発動。第五航空艦隊麾下全航空隊、南九州地区に集結。連日特攻作戦強行。なお、比島作
戦以来、この時点に至るまでの神風(しんぷう)特別攻撃隊の出撃機数1,915機。命中その他は256機。よ
って、総効率は13.4パーセントにすぎなかった。途中で撃墜された特攻機、約65パーセント、敵艦船の対
空砲火で撃墜された特攻機、約20パーセントだった。
 さて、成功率の低さを掩護のなさのためと分析した上層部は、上空直掩隊の編成を目論む。ここでその
指揮官として白羽の矢が立ったのが、厚木基地に転属されていた宗方大尉だった。最初は固辞した宗方だ
ったが、辺見中佐の説得で引き受ける。このときの、宗方の最初の返事を記しておこう。

  今や作戦と言えば特攻です。しかも、上層部は、他の作戦を考えつかぬ無能無策をごまかす
 ため、戦果を誇大に発表し、特攻を美化しています。私は、そんな連中のお先棒を担ぐのは真
 っ平です。ましてや、死に逝く者を死に場所まで引張ってゆき、次々と死んでゆくのを黙って
 眺めて還って来る。そんな葬式屋のような真似は私にはできません。

 この後の展開は割愛するが、親子愛、夫婦愛、兄弟愛などを絡ませて、特攻の残酷な結末を悲壮感にあ
ふれる映像によって描いている。もちろん、腑に落ちない箇所(たとえば、宗方が自分の子供を抱かなか
ったところ、戦争に反対する堂本の弟が「だからこそ特攻を志願したんだ」と兄に告げるところ)も散見
したが、おおむね叙情的な映画に仕上がっている。ところで、特攻隊員の明日なき身の上がそうさせるの
であろうが、当時の人気女優の名前と顔写真を貼ったルーレット盤によって博打が行なわれている。実在
の女優(山田五十鈴、風見章子、李香蘭、高峰三枝子、山根寿子、高峰秀子、原節子、小暮実千代)の名
前がそのまま読み取れたが、本人の了解を得ているのだろうか、などと妙なことを考えてしまった。しか
し、特攻隊員の生態として一番リアリティがあるような気がした。というのも、綺麗事ばかり並べられる
と、うんざりするからである。また、格好だけ深刻ぶっても、ちっともその悲哀が伝わってこないからで
ある。たとえば、「別杯」シーンなども、単に杯を地面に叩きつけているだけに見える。特攻隊を描いた
作品としては、『雲ながるる果てに』(監督:家城巳代治、重宗プロ=新世紀映画、1953年)が最高傑作
だと思うが、あの作品にはうそが少ないと思った。特攻へと飛び立つ直前の映像など、涙なしでは見られ
ないほどであった。要するに、言い過ぎかもしれないが、時代が下るにしたがって、映画は戦争の真実か
ら離れていくのではないだろうか。
 他に、高倉健(矢代中尉=矢代少将の息子)、若山富三郎(荒牧上整曹)、梅宮辰夫(堂本少尉=堂本
上飛曹の弟)、渡辺篤史(吉川二飛曹)、藤純子[現 富司純子] (宗方志津子=宗方大尉の妻)、三益愛
子(矢代中尉の母)、笠置シヅ子(吉川いね=吉川二飛曹の母)、笠智衆(宗方の父)、荒木道子(宗方
の母)、大木実(立石大佐)、待田京介(杉田少尉)、千葉真一(三島大尉)、菅原文太(佐竹少尉)、
伊吹吾郎(西村少尉)、 渡瀬恒彦(秋山二飛曹)、佐藤晟也(安田一整)などが出演している。
 2本目は『少女・an adolescent』(監督:奥田瑛二、ゼロ・ピクチュアズ、2001年)である。連城三紀
彦原作、奥田瑛二監督の佳作。ただし、少し常套すぎたか。もっとも、内容は多少とも過激である。不良
中年警官と十五歳の少女の恋愛劇だから。比翼の鳥の刺青、年齢差のある恋愛、母の性行為を目撃した知
的障害者の兄、自殺した父、発砲された拳銃、援助交際、ドラッグ、人妻との情事、義理の娘に手を出す
男、沈滞した町、葬式の最中に起こる乱暴狼藉、煙突からの飛び降り、ジミー・ヘンドリックスに心酔す
るジャンキー、認知症気味の老婆……戦後の日本がさまざまなかたちで凝縮されており、それを背景にし
て誇張された人間模様が描かれている。一つ一つはありふれているが、どうにもならない悲しい風景であ
る。特攻隊の映画を観た直後なので、「こんな日本を残すために彼らは死んだのか、ちょっと浮かばれな
いなァ」と、正直なところそう思った。しかし、この映画の登場人物は、皆本音で生きているのである。
だから、不良だっていっこうに構わないのである。
 主役の友川に奥田瑛二、その相手の陽子に小沢まゆ、その兄助政に小路晃、その母幸枝に夏木マリ、そ
の祖父昌三に室田日出男、認知症気味の老婆トヨに浦里晴美、友川の友人たちの一人である斎藤に日比野
克彦、同じく鈴木に笹野高史、同じく西片に吉村明宏、同じく松岡にそのまんま東、幸枝の夫寺岡に金山
一彦、友川の同僚警官星野になすび、友川の浮気相手の瞳に濱田のり子が扮している。


 某月某日

 DVDで『カリスマ』(監督:黒沢清、日活=キングレコード=東京テアトル、1999年)を観た。黒沢清監
督の作品は「難解」が基調であるが、この作品はその最たるものであろう。はっきり言って、つまらなかっ
た。言いたいことは何となく分かるような気がするが、とにかくリアリティがない。たとえば、カフカや安
部公房はあり得ない世界を描きながら、その作品には強烈なリアリティがある。この作品にはそれがない。
「カリスマ(charisma)」と呼ばれる「毒樹」があり、その樹木を巡る幾人かの思惑が錯綜する物語である。
「生態系」は当然映画の材料になるが、こなれているとはとうてい言えない内容だった。風吹ジュンが植物
学者の神保美津子を演じているが、残念ながらミスキャストだろう。風吹ジュンは魅力的な女優ではあるが、
彼女の顔立は学者のそれではないからである。また、桐山直人(池内博之)が神保千鶴(洞口依子)を殺害
する場面があるが、あれは金目当てだったのか。まったく唐突で、噴飯ものでさえあった。なお、メイン・
メッセージである「世界の法則を回復せよ(Restore the Rules of the World.)」が、宙に浮いたまま物
語は閉じられている。「鑑賞者の好きにせよ」というように受け取ったが、あまりに無責任であると思った。
1992年、この作品のもとになった脚本(黒沢清)が、サンダンス・インスティチュートのスカラシップを獲
得しているらしいが、まだまだ煮込む必要のたっぷりある作品であった。蛇足ながら、一言。黒沢清は「撲
殺」が好きだね。「また、出てきた」と思わず呟いてしまったほどである。他に、主人公の刑事藪池五郎を
役所広司が、謎の団体の首領である中曽根敏を大杉漣が、それぞれ演じている。松重豊、田中要次なども顔
を出している。


 某月某日

 『花とアリス』(監督:岩井俊二、Rockwell Eyes-H&A Project、2004年)の感想のつづきを綴ろう。物
語を追うので、未見の人はそのつもりで……。
 さて、電車通学の余禄として、素敵な男性を発見して写真を撮りまくる彼女ら。やがて、二人そろって
手塚高校に進学する(二人が万朶の桜の下に佇む場面が眩しい)が、ハナはカメラを通しての憬れの先輩
が所属する落語研究会に入部する。そこには、猛烈亭ア太郎こと洩津当郎(坂本真)と、お目当ての爆発
家五郎こと宮本雅志(郭智博)がいた。ハナも、ア太郎から、花家ピュンピュン丸という噺家名をもらう。
ここでも、漫画家の赤塚不二夫(『もーれつア太郎』)やつのだじろう(『花のぴゅんぴゅん丸』)がさ
りげなく登場している。なお「爆発五郎」はゲームソフトのキャラクターか何かだろうが、不詳*。宮本
が落語を覚えようとその筋の文庫本を読みながら歩いていて、不注意からシャッターに頭をぶつけて転倒
する。軽い脳震盪を起こしたらしいが、たまたま彼を尾行していたハナは、この千載一遇の機会をつかま
えて、宮本を記憶喪失者に仕立て上げるのである。「先輩は、私のことを好きだと言った」、と。そのと
きのハナの表情がとてもよい。映像も、時間をずらして同じ場面を繰り返す方法によって、ハナの企みを
巧みに表現している。その後のデートの場面も傑作で、まったく無理がない。たとえば、宮本はよくハナ
の夢を見るという。ただし、奇妙な夢ばかりで、ハナが警察に連れていかれたり、ナメクジになったりす
る夢である。詳細は観てもらうしかないが、洗い損ねた石鹸の泡がハナの手から宮本の手にうつる場面な
どは、まさにナメクジのイメージが小奇麗に映像化されていると思った。「記憶喪失」というトリックを
使うことによって、宮本とハナが付き合っていることになり、そのことに宮本は大いなる疑問を抱きなが
らも、時は過ぎてゆく。


 * 「爆発家(「屋」かもしれない)五郎」はおそらく「爆発五郎」という元ネタがあるはずだと思っ
  ていたが、記憶の端に引っかかるものがあって調べてみたら、後日出自と思われる漫画を発見した。
  よって、ここに報告しておく。『江口寿史の爆発ディナーショー』(江口寿史 著、双葉文庫名作シ
  リーズ、1998 年<第3刷/1995年第1刷>)所収の<Menu:2>「青春爆発!!」に登場する高校生の
  名前がまさしく「爆発五郎」であった。


 ある日、ハナのパソコンを操作している最中、宮本は、自分の写真がハートマークのついたフォルダに
収められていることを知る。しかも日付は1月から2月にかけてで、彼らが出会っているはずのないハナ
の高校入学前のことである。この点を追及すると、ハナは咄嗟に新しいウソを吐く。実は、宮本は以前に
アリスという女の子と付き合っており、この写真はそのアリスから送りつけられてきたものだというので
ある。つまり、辻褄を合わせるために、アリスを出汁に使ったのである。同じ日、アリスの方は原宿で芸
能プロの楠れんこ(ふせえり)にスカウトされる。タレントにならないか、と。その会社名が傑作である。
いわく、《Paper Company》。知らない人のために『広辞苑』を引用させていただくが、「ペーパー・カ
ンパニー」という項目にはこう書いてある。「(和製語 paper company)登記書類の上で存在するだけで、
事業所や従業員を有しない実体のない会社」。ただし、映画の中の会社には実体があり、アリスは少しず
つタレントになってゆくのである。この辺りの映像処理も上手である。「般若心経」を唱える僧侶と、宮
本の顔写真と、それを発見して驚く宮本自身と、携帯電話でアリスと会話するハナと、買い物袋をいっぱ
いさげたアリスと、次々と映像が変化しながら、複雑な話を一挙に了解させる仕組になっている。後日、
宮本はアリス本人に会ってハナの言うことを確認するが、口裏を合わせていたので、記憶喪失がフィクシ
ョンであることはまだばれない。
 この後、ハナとアリスが通うバレエ教室で、二人の共通の友人である矢上風子(役者名同じ)がバレエ・
シーンを写真におさめる場面や、母の有栖川加代(相田翔子)が男(阿部寛)と一緒に連れ立っていると
ころにアリスが行き合わせてまごつく場面など、定番ながら演出がとても自然なので気持がいい。また、
この後、アリスが父親の黒柳健次(平泉成)とデートする場面はさらに秀逸である。多分、この中年男は
加代の別れた夫なのだろう。高校入学祝の万年筆、ところてん、トランプ、中国人の落とした携帯電話、
小さな橋の中央でそれを拾う二人、中国語を操る父、「ウオ・アイ・ニー(I love you.)」や「サイ・ツ
ェン(See you again.)」を父から教わるアリス、父はプラット・ホーム、アリスは電車の中での二人の
別れ際に「お父さん、ウオ・アイ・ニー」と発話するアリス……。おそらく、妻と離婚して娘と別れて暮
らさねばならなくなった世にいる子煩悩の父親は、この場面で号泣するのではないかと思った。父と娘の
理想的な再会だから……。なお、このデートでのあれこれが、後の捏造されたアリスと宮本の存在しなか
った過去の思い出の細部に加工されるのである。
 宮本は疑問を抱いたままハナと付き合い、その疑問を質すためにアリスとも時折デートしていた。宮本
はアリスに対して言う。「なぜ君を捨てて、ハナを好きになったのか。ハナは、自分(宮本自身)から好
きになるタイプとは思えない。むしろアリスのことばかり思って胸が焦がれるから、アリスと付き合って
いた証拠の方が確かである」、と。これに対して、アリスはハナのことを慮って、別れた理由については
口を閉ざす。もっとも、付き合っていたことも別れたこともともにハナによって捏造されたことだから、
その理由など初めからないのであるが……。なお、この時点で、アリスも宮本のことを好きになり始めて
いる。
 ある祭の日、宮本が倒れたところに偶然出くわしたハナは、雨の中、宮本を自宅に連れて帰る。どうや
ら宮本が風邪を引いたらしいので、ハナは薬を買いに出かけるが(これら一連の動作は、ハナの、あわよ
くば宮本の唇を奪おうとした上での策略とも取れる)、途中で雨の中で踊っているアリスに出会う。ここ
で、ハナは、「宮本が記憶喪失だというのはウソだ」ということをアリスに告げる。やがて、二人の佇む
場所にやって来た宮本に見つかる二人。咄嗟に、アリスに頼んで宮本の記憶を呼び覚ますためにはどうし
たらよいかを相談していたと騙るハナ。ウソはどんどんエスカレートしてゆくのである。その言葉の通り、
宮本の記憶を呼び覚ます目的で、三人は海岸に出かける。アリスと宮本の虚構のデートの場所である。し
かも、これはアリスと父親との思い出の場所でもあり、アリスと父親との関係が、アリスと宮本との関係
に摩り替わってゆく場面でもある。トランプのハートのエースを探す競争の場面で、探し当てたアリスが
こう宣言する。「今日からマー君(宮本のこと)は私のもの。ハナは別れて!」、と。ここで取っ組み合
いとなるハナとアリス。実は、宮本もハートのエース(別のトランプ)を拾っていて、これが後で活きて
くる。ところで、この取っ組み合いのシーンは本気で喧嘩しているようには見えず、その点に疑問を持っ
たのだが、再度観たとき(実は、2度続けてこの映画を観ている)、これはこれでよいと思った。つまり、
二人は納得ずくで、あるいは暗黙の共犯者として、じゃれあっていると解釈した方がいいのである。ちな
みに、季節外れの海岸の様子、縄跳びの插話、アリス特製おにぎりサンド(宮本の台詞「牛乳と味噌汁両
方欲しくなるね」が効いている)、トランプが舞う場面、宮本が拾ったトランプ(もしかすると、アリス
と父親がはるか昔になくしたトランプかもしれない)の擦り切れ具合など、どれを取ってもゲイコマだと
思った。
 アリスはタレント活動を続けているが、「当て馬」のような仕事ばかりで、何となくつまらない。たと
えば、人気有名女優役の叶美香が登場するが、その場面の当て馬役(CFの絵作りのために、有名タレント
の代わりに被写体になること)だったりする。ちなみに、このCFのキャッチ・フレーズが面白かった。そ
れは「あなたに抱かれて、私は蝶になる」であるが、これは森山加代子の大ヒット曲「白い蝶のサンバ」
(作詞:阿久悠、作曲:井上かつお、唄:森山加代子、1970年)の歌詞の一部だからである。おそらく、
映画館では気付かなかったと思う。つまり、DVDによる鑑賞だからこその発見である。
 さて、ついにウソがばれるときがきた。宮本とアリスが例によってデートをしているとき、ところてん
を食べる場面がある。アリスと父親とのデートのときにも同様の場面があるが、決定的に違うところは、
宮本がところてんアレルギーだったという点である。思い出の品としてところてんを注文したアリスに
対して、彼女の思い違いか、あるいはウソか、そのどちらかであると迫る宮本。アリスは、鼻をつまんで
声を変え、「ごめんなさい」と小声で答える。その後、ハートのエースも彼女の「ずる」だよね、と詰問
する宮本に対して、それは違うと訂正するアリス。ハートのエースは本当に2枚存在したのである。この
偶然に感激して泣き出すアリス。そのカードは机の奥にしまっておいて欲しいと懇願するアリス(実は、
これも父からもらった万年筆に関連する逸話である)。それに応えて、「毎日見付けるよ」と意気込む宮
本。しかし、アリスは宮本の愛を受け容れることはできない。「ウオ・アイ・ニー」と一言発するだけだ。
宮本には意味が分からない。「サイ・ツェン」と重ねるように呟くアリス。
 やがて、手塚高校の文化祭の日がやって来る。落語研究会の三人も出演する予定だったが、手塚治虫原
作の『ジャングル大帝』の上演の煽りを食って、一人しか演じられないことになる。姑息な手段を使って
猛烈亭ア太郎が一席ぶつことになる。それが終わって、一人だけ高座に上ったことに気が引けたのか、ア
太郎が皆の飲み物を買いに行くことになり、必然的に宮本とハナは二人だけになる。ここで、宮本がハー
トのエースをもっていることに気付いたハナは、「それを破け」と言う。「そんな必要はない」と応じる
宮本。窓には巨大な鉄腕アトムのビニール製人形が顔を出している。傷ついたハナは、風子の写真展「風
の舞」の会場で風子その人に励まされる。「不登校だった君が、アリスに連れられてバレエ教室に来たじ
ゃない」、と。花屋敷(ハナの家の内外には花があふれている)に閉じ籠っていたハナを立ち直らせたの
はアリスだったことが判明する場面である。「だめじゃん、けんかしちゃ」という風子の言葉が優しく響
く。そうこうするうちに、和服から制服に着替えていたハナのもとに、ア太郎が駆け寄ってくる。『ジャ
ングル大帝』のキリンが転倒して、急遽「落語をやれ」とのお達しが来た、と。時間の穴埋に、ア太郎が
「粗忽の使者」を演じているとき、ハナは宮本に告白する。「みんな、ウソだった」、と。「宮本が私を
好きだと言ったことはない」、と。しかし、ここからがミソである。宮本はこう言うのである。「えっ、
あるよ。勝手に決めないで。それに、もう知っているよ。君の悪行非道の数々……償ってもらわないと」。
この後、ハナは、アリスしかいない会場で落語を上演するが、実に晴れ晴れとした表情である。
 やがて、少し時が経ち、アリスがカメラマン・リョウタグチ(大沢たかお)の面前でバレエを踊る。オ
ーディションの流れの中での一幕であるが、これが功を奏して《Melmo》という雑誌の表紙を飾ることに
なる。コンビニでこの雑誌を購入したハナの前にアリスが現れる。もったいぶりながら、表紙を見せるハ
ナ。そこに写っているアリスの鼻には蚊に刺された痕が……弾けたように笑い合う二人。エンド・ロール。
 この映画を観て、真っ先に連想したのは、『台風クラブ』(監督:相米慎二、ディレクターズ・カンパ
ニー、1984年)であるが、あの瑞々しさを超える勢いの傑作だと思う。その他、彼女らの手の動き、足の
運び、咄嗟にウソを思いつくときの表情や仕草、異質なもののアンサンブル(たとえば、ア太郎演じると
ころの「粗忽の使者」と、ハナの宮本への告白が重なる場面)、風子の写真の美しさ、細かいギャグ(た
とえば、アリスが姓名判断をする場面で、いけしゃあしゃあと「一年で画数変わったっけ」とのたまうノ
リ)、鏡を上手に使った映像(ハナが宮本との付き合いはどこか空しいと語る場面や、アリスがハナと宮
本が二人でいるところを隙間からを覗く場面)、孔雀などの鳥に餌をやる場面、男連れのアリスの母親が
アリスを追っ払おうとして「さよなら」を連発する場面、ハナの母親と思われる人物が下着姿で宮本と顔
を合わせる場面、オーディションにおけるタレント同士が牽制し合う場面、ハートのエースのカードの裏
面でキスをするウサギと少女、汽車や消防車の音をアレンジした携帯電話の着信音……ありふれたネタを
用いながら、それら数々のアイテムが生き生きと画面の中を縦横無尽に躍動していた。小道具の使い方の
上手な作品としては、『三月のライオン』(監督:矢崎仁司、矢崎仁司グループ、1991年)を連想した。
そう言えば、『三月のライオン』も「記憶喪失」が物語の重要な要素だった。それどころか、自分の大好
きな実兄が記憶を失ったことを利用した妹の策略によって、近親相姦にまで発展してしまう物語だった。
それほど深刻ではないが、『花とアリス』の類似性は明らかである。さらに、鏡やウサギなども、両作品
に共通するアイテムだった。だいいち、主人公の一人も「アイス」と呼ばれていたので、これも「アリス」
と一字違いである。もしかしたら、この映画は岩井監督に大きな影響を与えているのかもしれない。しか
し、そのような穿鑿はどうでもよい。重ねて書くが、この映画は「傑作」なのである。
 他に、木村多江(堤ユキ=バレエの先生)、広末涼子(現場担当の編集者)、 大森南朋(『漂流少年』
AD)、ルー大柴(『サルとルー』ホスト)、森下能幸(同スタッフ)、テリー伊藤(医者)、アジャ・コ
ング(室伏エリカ)、梶原善(CM制作会社スタッフ)などが出演している。なお、配役については、<goo
映画>を参照した。


 某月某日

 DVDで『花とアリス』(監督:岩井俊二、Rockwell Eyes-H&A Project、2004年)を観た。『PiCNiC』(監
督:岩井俊二、フジテレビジョン・ネットワーク=ポニーキャニオン、1995年)の岩井監督ということで
少し期待していたが、期待は大きくよい方に外れた。彼の才能は小生が強調するまでもなく衆目の一致す
るところだが、その才能もまったく枯れることなくまたこの世に素晴らしい作品を送り出してくれたから
である。鑑賞者は、素直にそのことを喜ばなければならないだろう。
 女子中学生がいる。名前は荒井花、通称ハナ(鈴木杏)である。ハナには友人がいる。名前は有栖川徹
子、通称アリス(蒼井優)である。二人は電車で通学している。水木駅から石ノ森学園駅までが通学経路
らしいが、駅名をよく見ると軽いギャグが施されていることが直ぐに分かる。つまり、「水木(Mizuki)」
は漫画家の水木しげるを意味しているからである。というのも、隣接駅が「北廊(Kitaro)〔o の字には
長音記号が付いている〕」(=鬼太郎)と「塗壁(Nurikabe)」(=妖怪ぬりかべ)だからである。知っ
ている人には何を意味するのか一目瞭然であろう。なお、「白土方面」の文字も見え、これもやはり漫画
家の白土三平のことを指しているのだろう。また、降りる予定の駅だった「石ノ森学園(Ishinomori)
〔なぜか gakuen は省略されている〕」は、これも漫画家の石ノ森章太郎を意味している。なぜなら、隣
接駅が「木会田(Ki-eda)」(=人造人間キカイダー)と「来田(Raida)」(=仮面ライダー)だから
である。最初、木会田の方は分からなかったが、読み方を変えてみたら分かった。さらに、二人は見知ら
ぬ駅で電車を降りるが、そこは「藤子(Fujiko)」だった。もちろん、同じく漫画家の藤子・F・不二雄
を意味している。こちらの隣接駅は「野比田(Nobita)」(=野比のび太)と「須根尾(Suneo)」(=
スネ夫)だった。『ドラえもん』に馴染んでいれば、容易に分かることである。彼ら四人は、岩井監督の
好きな漫画家なのだろうか。それとも、単に大物を挙げただけなのか、それは分からない。なお、この後
二人が進学する高校は「手塚高校」であり、もちろん手塚治虫を意味していることは明らかである。
 本日は、忙しいので、ここまで。


 某月某日

 2本の邦画を観たので、感想を記そう。1本目は『零戦燃ゆ』(監督:舛田利雄、東宝映画=渡辺プロ、
1984年)である。若き戦闘機乗りのエースと、その戦闘機である零戦の整備に命を賭ける同じく若者との
交流物語。これに、親や恋人や上官などが絡む。それなりに見所はあるが、80年代につくられた戦争映画
は総じて明るすぎる。言い換えれば、戦争の暗黒面を描けなくなっているような気がするのだ。役者もの
っぺりした顔立ちの人が多く、育ちのよさがかえってマイナスに働いているように見える。日本人の顔立
ちが大きく変わったのであろう。なお、映像特典として、零戦についての詳しい解説が付されている。出
演者は、加山雄三(下川万兵衛大尉)、堤大二郎(浜田正一=零戦搭乗員のエース)、橋爪淳(水島国夫=
整備兵)、丹波哲郎(山本五十六連合艦隊司令長官)、あおい輝彦(小福田租=浜田たちの上官)、目黒
祐樹(宮野善治郎=零戦隊の隊長)、早見優(吉川静子=浜田たちの友人)、南田洋子(浜田イネ=浜田
の母)、北大路欣也(堀越二郎=零戦の生みの親の技師)、大門正明(曽根嘉年)、宅麻伸(東条輝雄)、
おりも政夫(森崎中尉)、加藤武(宇垣纒連合艦隊参謀長)、青木義朗(小沢治三郎第三艦隊司令長官)、
神山繁(軍令部参謀)、佐藤允(軍医)などである。出演者に関しては、<goo 映画>を参照した。
 2本目は『模倣犯』(監督:森田芳光、東宝=小学館=博報堂=日本出版販売=毎日新聞=スポーツニ
ッポン新聞社=TOKYO FM=日本テレビ放送網、2002年)である。どうもアイディアが十分に活かされてい
ない憾みがある。原則として、森田芳光の映画は面白いのだが、最近の作品は通俗に流れる傾向が強く、
この映画も新機軸を数多く打ち出しながら、全体の流れは煮込みの足りないカレールーを連想させる出来
だった。題材としてはサスペンスフルなのだから、もっと練ってつくったならばさらによい作品に仕上が
ったと思う。異常な行為に自己の使命を重ね合わせる網川浩一(中居正広)と、平凡な人生を送ってきた
のに晩年になって苦悩を抱えることになった豆腐屋の有馬義男(山崎努)との対決が主軸の映画である。
多分わざとだと思うが、通り一遍のリアリズムを削り取ることによって現代人の不安を浮かび上がらせよ
うとしている。また、「メディア・スクラム(大きな事件・事故などのニュース取材の際、被害者、容疑
者といった当事者やその家族などの関係者、さらには周辺の住民にメディアが多数殺到したり、執ように
取材が繰り返されることで、たとえ1社ごとの取材方法が妥当であってもプライバシーが侵されたり、日
常生活がさまたげられるなどの事態が引き起こされる「報道被害」のこと。<MSN-Mainichi INTERACTIVE
ニュースな言葉>より)」の問題にも触れている。『日本の黒い夏 冤罪』(監督:熊井啓、日活、2000年)
ほどではないが、それなりに考えさせてくれる。他に、津田寛治(栗橋浩美=網川の相棒)、藤井隆(高
井和明=網川や栗橋の中学時代の同級生)、木村佳乃(前畑滋子=ルポライター)、伊東美咲(古川鞠子=
有馬の孫娘)、寺脇康文(前畑昭二=滋子の夫の畳職人)、中村久美(古川真智子=鞠子の母)、小木茂
光(古川茂=真智子の夫)、藤田陽子(高井由美子=和明の妹)、田口淳之介(塚田真一=一家惨殺事件
の生き残り)、小池栄子(岸田明美=栗橋の彼女)、平泉成(武上悦郎刑事)、城戸真亜子(木島アナウ
ンサー)、モロ師岡(篠崎刑事)、村井克行(田川一義=最初の容疑者)、由紀さおり(栗橋寿美子)、
太田光(峠の車の男)、田中裕二(峠の車の男)、吉田朝(坂木刑事)、福澤朗(記者)などが出演して
いる。機会があれば、宮部みゆきの原作を読んでみたい。「家族」を考える上でも、ヒントがありそうだ
からである。なお、出演者に関しては、<goo 映画>を参照した。


 某月某日

  邦画を2本観たので、ご報告。1本目は『笑の大学』(監督:星護、フジテレビ=東宝=パルコ、20
04年)である。2度目の鑑賞であるが、1度目と変わらず面白かった。傑作の証拠である。エノケンこと
榎本健一の座付作家だった菊谷栄の物語である。時代は昭和15年、軍国主義が跋扈する暗い世相を吹き飛
ばそうとして、喜劇の台本作りに没頭する星一(稲垣吾郎)と、警視庁保安課検閲係に勤務し、時局に合
わない演劇を取り締まろうとする向坂睦男(役所広司)との間の友情譚である。「お国のために」を「お
肉のために」と言い換えて時局を皮肉る星一の才能を賞賛しながら、あまつさえ、その台本をさらに面白
くすることに全力をあげて協力しながら、それでも上演許可を出さない向坂睦男。さすが、当代の密室劇
の第一人者、三谷幸喜の脚本である。映画の展開も、平凡ながら過不足のない演出だった。喜劇は説明し
ても仕方がないので、とにかく「一見の価値あり」とだけ記しておこう。他に、小松政夫(青空貫太)、
高橋昌也(廊下の制服警官)、石井トミコ(もぎりのおばさん)、長江秀和(石川三十五右衛門)などが
出演している。
 2本目は『悪名』(監督:田中徳三、大映京都、1961年)である。このシリーズは何本か観ているはず
だが、この第1作に関してはまったく記憶にない。初めての鑑賞だろう。お馴染み八尾の朝吉(勝新太郎)
とモートルの貞〔第3作以降では、弟の清次〕(田宮二郎)の名コンビが縦横無尽に活躍する痛快アクシ
ョン映画である。戦前を舞台にした浪花節調の映画なのにじめじめしていないのは、勝と田宮のキャラク
ターのお蔭であろう。依田義賢の脚本は、喧嘩、駈落ち、足抜け、遊興といろいろ用意しているが、残念
ながら小生にとっては凡作だった。この手の作品を散々観ているせいだろう。もっとも、モートルの貞を
演じている田宮二郎は、子どもの頃の小生に強烈な印象を与えている。ただし、後のシリーズに登場する
貞の弟清次を演じている方の田宮二郎であるが……。さらに、この作品に限定すれば、娼妓琴糸に扮する
水谷良重〔現 八重子〕の、薄幸の境遇に耐える重たい表情や、朝吉と駈落ちするお千代に扮する中田康子
の男心をそそる風情は、現代の女優にはなかなか出せないのではないかと思った。さらに、女大親分麻生
イト役の浪花千栄子は、さすがの貫禄だった。厳しい表情の中に人情が垣間見える演技は、彼女独特の持
味だった。戦前という設定なので、登場人物が現代的でないのも悪くなかった。このシリーズは観続けよ
うと思う。他に、中村玉緒(お絹)、阿井美千子(おしげ)、永田靖(シルクハットの親分)、山茶花究
(吉岡の親分)、須賀不二男(松島組の小頭)、藤原礼子(お照)、嵐三右衛門(漁師)、高橋とよ(漁
師の妻)、伊達三郎(中盆)などが出演している。なお、お絹は朝吉の女房役であるが、それを演じる玉
緒と勝新は、実生活でもこの映画が公開された翌年に結婚している。

                                                   
***このページは一般に公開されています。リンクアドレスには下記をご利用ください。***
http://souls.cc.kochi-u.ac.jp/?&rf=2993
 Copyright (C) 2005, Kochi University Faculty of Humanities and Economics All Rights Reserved.