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日日是労働セレクト10
 以下に、「日日是労働」のダイジェスト版・第10弾を掲げます。直ぐ下の記事がこの「日日是労働セレク
ト10」の中では最も新しい日付のものです。つまり、読み進めるほど、古い記事になります。ただし、いち
いち明示しませんが、後日に行った加筆訂正を含んだ日があります。日誌ですから、少なくとも後日に加筆
することは御法度であるはずですが、「某月某日」ということもあり、記事内容の充実を優先させました。
ご了承ください。また、頑張って「辛口」の批評を展開しようと務めておりますので、本文に何かと読者の
お気に召さない表現等が散見されるやもしれませんが、特定の個人、団体等を誹謗中傷する目的は一切あり
ませんので、どうぞご理解ください。


 某月某日

 邦画のDVDを5本観たので、感想を記そう。1本目は『縮図』(監督:新藤兼人、近代映画協会、1953年)
である。佃島にある靴屋の娘である銀子の半生記である。次のように、物語の概要が冒頭で語られる(正字
は現行のものに変えた)。「この物語は/人間が人間を/売買するという/最大の冒涜(さんずいに賣)が/
公然と行われた頃の/銀子と言う女の/半生である」。なお、原作は同名の徳田秋声の小説であり、戦時中、
情報局の弾圧にあってついに絶筆となった遺作の由。ただし、原作は自然主義文学の典型で、ただありのま
まの世界が描かれているのに対して、映画では「女性解放」というメッセージが高々と唱えられている。貧
困を理由に芸者になった銀子(乙羽信子)は、牡丹、壽々龍、春子(?)……と名前を変えながら、さまざ
まな経験を積んでゆく。あるときは、置屋の亭主磯貝(菅井一郎)に犯され、またあるときは、名家の御曹
司倉持(山内明)との結婚を夢見るが、あっさりとその夢は破れてしまう。さらに、若林という株屋(山村
聰)と懇ろになるが、大病を機に縁を切られる。なお、この男には、「孝行芸者なんだって。社会奉仕のつ
もりで、ひとつ君の面倒をみようかという気になった」などとまで言われている。芸者同士の火花も散らし
合う(日高澄子演じる染福という芸者と争う)。置屋の女将たち(沢村貞子や山田五十鈴ら)との相性は悪
いわけではないが、つねに意に染まない芸者という仕事に愛想を尽かしている。しかし、転々とするうちに
根性が坐り、ついに一本芯の通った芸者になってゆく、という物語である。置屋春芳の女将民子(山田五十
鈴)の、銀子を雇い入れるときの台詞が面白かったので、以下に写しておく。

  なにしろ、この土地は三百軒も置屋があるんだからね。もう、うっかりしていたら顎が干上がっちゃ
 うんだよ。相手を倒すか、こっちが倒されるかって競争なんだからね。ちゃんとやってちょうだいよ。
 で、うちは丸抱え七三の契約なんだから、そのつもりでいいね。つまり、うちが七分、あんたが三分、
 三味線、長襦袢、着替えの普段着、これはあんたもちなんだよ。旦那早く見付けなくちゃ、やっていけ
 やしないよ。あんたの名、春子としたよ、いいね。

 なお、父(宇野重吉)と母(北林谷栄)の娘に対する態度が正反対(父は娘に芸者をさせたくないのに対
して、母はよい旦那を見付ければ出世したと思う)なところも上手に描かれていた。上の妹が死ぬところも
しっとりとしており、「お涙頂戴」になっていないところが優れていると思った。成瀬巳喜男の『流れる』
ほどではないが、往時の花柳界の一断面をきれいに切り取った佳作である。
 2本目は『青春残酷物語』(監督:大島渚、松竹大船、1960年)である。大島渚の名を一気に揚げた作品
で、いわゆる「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の問題作である。1960年1月19日、「日米安保改定条約」が調
印され、5月に国会で強行採決が行われている。7月には池田勇人が内閣総理大臣に就任し、いわゆる「所得
倍増計画」を打ち上げている。そんな混乱の時代に、藤井清という大学生(川津祐介)が、ふとしたことか
ら高校生の新庄真琴(桑野みゆき)と知り合い、そのときの経験をきっかけに「美人局」を働き、それが元
で二人とも破滅するという物語である。真琴の姉(久我美子)とその元恋人である医者(渡辺文雄)の時代
とは異なる青春を生きているが、どちらの時代も閉塞感に満ちており、青春のやり切れなさにあふれている。
男女は互いに傷つけ合わなければならないのである。なお、これは蛇足であるが、藤井清の友人伊藤好巳の
役で、田中晋二が出演している。この人は、『野菊の如き君なりき』(監督:木下恵介、松竹大船、1955年)
の主人公のひとりである政夫役を演じている人である。だいぶ感じが違うので、面白いと思った。
 3本目は『ふくろう』(監督:新藤兼人、近代映画協会、2003年)である。この映画はブラック・ユーモ
アに満ちた怪作である。「希望ヶ丘」という東北にある開拓地に最後まで残った母娘(大竹しのぶと伊藤歩)
の冒険譚である。不毛の地のゆえに餓死寸前までいった二人は、男を誑かして金を巻き上げ、その金でこの
開拓村を出る算段をする。ダム男A(木場勝己)、電気屋(六平直政)、ダム男B(柄本明)、電気屋上司
(魁三太郎)、水道屋(田口トモロヲ)、ダム監督(原田大二郎)が次々と毒殺され(農薬と雪姫草という
毒草が溶け込んだ焼酎による)、最後には、巡査(池内万作)、県福祉課引揚援護係の男(蟹江一平)、元
開拓村の住民浩二(大地泰仁)が拳銃や鎌で殺されるという筋書である。これだけではこの物語は面白くな
いが、実際観てみると、密室劇として非凡な作品であることが分かるだろう。
 4本目は『瀬戸内少年野球団』(監督:篠田正浩、YOUの会=ヘラルド・エース、1984年)である。阿久
悠原作の典型的な通俗ドラマ。夏目雅子(駒子)の活き活きとした姿と、「バラケツ」(不良のこと)と自
称する子役、大森嘉之の元気のよさが光っていた。他に、女給節子役のちあきなおみは懐かしかった。なお、
時代考証をもう少ししっかりとなすべきで、たしかにそれなりの工夫は施されていたが、雰囲気は敗戦直後
と言うよりも、製作された1980年代のままであった。屈折のない海軍提督(伊丹十三)や陰影の感じられな
い傷痍軍人中井正夫(郷ひろみ)などを見ていると、もはや終戦直後は描けない世界なのだということがよ
く分かる。
 最後の5本目は『太陽の墓場』(監督:大島渚、松竹大船、1960年)である。小生には上記の『青春残酷
物語』よりずっと面白く、こちらの方に対する評価の方が高い。大阪の釜ヶ崎に花子(炎加代子)というす
れっからしがいる。もぐりの売血を元衛生兵(浜村純)にやらせて掠りを取っている。一方、津川雅彦が演
じる不良を会長とする愚連隊がある。そこには、川津祐介や佐々木功が演じる不良仲間がいて、主に売春を
仕切っている。その他、戸籍を売買する輩(小池朝雄)など、いろいろな人間が入り乱れる様は凄まじく、
猥雑な土地に蠢く人間像を力強く描いている。伴淳三郎、小沢栄太郎、藤原釜足、渡辺文雄、北林谷栄、佐
藤慶、田中邦衛、左卜全、戸浦六宏などが脇を固めており、重厚な人間喜劇に仕上がっている。


 某月某日

 アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis)の『何も共有していない者たちの共同体(The Community
of Those Who Have Nothing in Common)』(野谷啓二 訳、洛北出版、2006年)を読んでいたら、南イン
ドのマハバリプラムにも寅さんがいることを知った。梗概はこうである。自由に引用させてもらおう。

  著者のヒンギスが、病気のために、何週間も南インドのマハバリプラムの小屋に横たわっていたあ
 る晩、何日もつづいた熱による意識の混濁から目が覚めると、両腕の自由をすでに奪っていた麻痺が
 胸にまで広がっていることに気付く。彼はよろけながら重苦しいモンスーンの、星のない暗闇の中へ
 と出て行った。浜辺で息を切らしていると、誰かが彼の腕をつかむのを感じた。その人は裸で、ただ
 擦り切れた下帯だけをつけており、彼には、その人がネパールから来たということしか理解できなか
 った。どのようにしてその人が、ここインド亜大陸の最南部までやってきたのか、クレジットカード
 をもち、ジェット機に乗って一日で、家からここまでやってくることができた彼よりも、ずっと遠く
 まで来たのか、聞きだすすべがなかった。その人は、持ち物をもっておらず、砂浜で、一人で寝てい
 るようだった。その人は、ジャングルのはずれにある小屋から目を覚ましてやってきた漁師と、彼に
 は理解できない長い会話をしていた。そして最終的に、彼をアウトリガーのついたカヌーに乗せた。
 その人の話す言葉は、一言も理解できなかったが、モンスーンの海を漕いで、65マイル離れたマドラ
 スの病院に連れていくつもりらしかった。彼の熱のある目は、カヌーを漕ぎながら、ときどき遠くの
 光にきらめきに照らされる、その人の静かな、表情のない顔を熟視していた。彼には、はっきりとわ
 かっていた。嵐が激しくなっても、その人は、自分の命をかけて、彼を救うことを躊躇しないだろう
 ということを。
  彼たちは、とある漁港でカヌーをおり、そこでその人は、彼をまず輪タクに乗せ、つぎにマドラス
 行きのバスに乗せた。それからその人は、彼に一言の言葉もかけず、また一瞥もくれずに消えていっ
 た。確かにその人は、砂浜のほかに住所をもたなかった。その人に再び会うことは決してないだろう。
 そして彼は、引き裂かれることも忘れ去られることも決してあり得ないような絆で結ばれることにな
 るとは、いかなる意味なのか、兄弟姉妹となることはいかなる意味なのか、理解できなくなることも
 ないだろう。

 もちろん、この「砂浜の人」こそ、南インドの寅さんであることは言うまでもない。寅さんは一度助けた
いと思ったら、周囲の迷惑などまったく顧みず、己の行為に没頭する。およそ常人には理解できない感性の
持ち主なのである。『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎』の風子に対するときもしかり、『男はつらいよ・
寅次郎真実一路』の健吉・ふじ子夫婦に対するときもしかりである。「金を貸せ」と迫られたおいちゃんに
しても、見ず知らずの他人のために何かができるなどとは考えていない。切りがないからである。それが常
識というものである。しかし、寅さんは「思い立ったが吉日」、たとえ思い通りに行かないまでも、その情
熱だけは誰にも負けないのである。そのこころが周囲を動かして、話は納まるところに納まることになるの
である。寅さんを笑い飛ばしてバカにすることはやさしい。南インドの寅さんを何というお人好しだと軽蔑
することは簡単である。しかし、彼らのこころを、純粋なこころを、自分にはできないということを理由に
切り捨ててはならない。彼らのこころのつぶやきはけっして「雑音(noise)」ではない。グローバリゼーシ
ョンという「雑音除去装置」は、こうした人々のつぶやきを一掃しようとしている。この世に「雑音」など
存在しない。「雑音」にしているのは、己の狭量なこころなのである。寅さんの試みは不可能な試みではあ
るが、その無鉄砲な行為の中に、計り知れない深さが存しているのである。


 某月某日

 寅さん映画を2本観たので報告する。1本目は第33作、『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎』(監督:
山田洋次、松竹、1984年)である。マドンナは中原理恵(風子)で、寅さんの恋のライバルとして渡瀬恒彦
(トニー)も出演している。中原理恵には久しぶりにお目にかかった。1978年、「東京ららばい」が大ヒッ
トした歌手でもあり、劇中歌もなかなか上手だった。記憶に間違いがなければ、「えぐいんでないかい」と
いう流行語の発信者ではなかったか。線が細いわりには印象の強い顔立ちなので、中年になった彼女を見て
みたいものである。渡瀬恒彦はデビュー以来好みのタイプの俳優で、やくざ映画でのチンピラぶりには、他
の俳優では出せない味がある。兄の渡哲也が優等生タイプなので、余計にそう思うのかもしれない。本作の
役柄はまさにはまり役か。その役柄であるが、風子は渡りの理容師、トニーはオートバイ・サーカスのスタ
ント・ライダーという設定である。さて、次のような台詞に風子の自由奔放な性格が出ている。寅さんと知
り合って、ステーキを食べ終わった直後の会話の中の言葉である。

 「やれ挨拶しなかったの、お客さんと仲良くしすぎるの、マスターに色目を使ったのって、あること、
  ないこと言い立てて、うじうじ、うじうじ、新人いじめんの。わたし、そういうの我慢できない質だ
  からね、ときどきバーンとやっちゃうの。だから、長続きしないんだけどね」。

 彼女は「フーテンの風子」という通り名で、寅さんと相部屋になった中年男の福田栄作(佐藤B作)とと
もに、釧路の近くの茶内というところへ赴く。栄作の「男と逃げた女房」が暮らしているらしい。その元女
房にはすでに子どもができており、栄作は復縁を諦めて東京に帰る。また、風子も寅さんと一緒に気ままな
旅をしたがるが、当の寅さんに断られる。風子には堅気の生活がして欲しいのである。ここで、寅さんの科
白を引いておこう。

 「俺には、七つ八つ年下の妹がいてな、さくらっていうんだけどもな。今から十年、十五年前か、そい
  つには随分意見されたよ。こんな暮らしを続けていたら、そのうちきっとお兄ちゃん後悔するわよっ
  て。ふん、何しろこっちは若けえからね、真面目に働いている奴ァ全部バカに見えて仕様がねェ。大
  きなお世話よ、お前。こちとら太く短く生きるんだいって、相手にもしなかったけどな。ふと気が付
  いてみると、気の利いた仲間はみんな足洗って、ほどほどの女と所帯をもって堅気の暮らし。ふん、
  いい年こいて渡世人稼業やってんのは、俺みてえなバカばっかりだ」。

 隣室で、同じテキ屋仲間(関敬六など)が酒宴を張っているときである。この話を聞かされた風子は寅さ
んに失望して、自分の塒に帰ってしまう。ステーキを食べたときの支払いの際にもそうだったが、寅さんに
は妙に古臭い「分別臭さ」があるからである。それは、「女に金払わしたとあったんじゃ、男の名が廃るか
らなァ」という台詞にも端的に現れている。そのくせ、事実上女性に支払いをさせたことなど枚挙に遑がな
く、寅さんの惨めさは毎度おなじみの年中行事である。
 さて、そんな風子が、渡世人のスタント・ライダーのトニーにくっついて東京に出て来る。だいぶ苦労を
しているらしく、女房に逃げられた栄作が寅さんを訪ねてきて、そう報告したのである。栄作は風子に会っ
たとき、金を都合してくれと頼まれて断ったと言う。ここで、寅さんは怒る。なんで貸してやらなかったん
だ、と。この辺りが寅さんの寅さんたる所以であるが、人の事情(この場合は栄作の事情)などお構いなし、
自分の感性の赴くままに人を裁き、それが元で人とトラブルを起こすのである。
 行き方の知れない風子を心配していたある日、トニーがふらっと寅さんを訪ねてくる。今は一緒に暮らし
ているが、その風子が寅さんに逢いたがっていると言う。少し病気らしい。その後、柴又のとらやに風子を
連れて来る。近所の理髪店での就職まで決める。また、寅さんは渡世人同士のよしみでトニーと話をつけ、
風子と別れさせる。しかし、このことが風子の癇に障り、彼女は北海道に帰ってしまう。なお、この後の展
開はいわば「付け足し」であるが、簡単にその様子を記しておこう。やがて風子は寅さんの望み通り「堅気
の男」と結婚することになる。さくらたち一家が北海道に赴き、寅さんも結婚式に駆けつけるが、その途中
で寅さんが熊に襲われるという筋書である。前半部分がしっとりとしていただけに、少し苦笑した。なお、
タコ社長の娘あけみ役の美保純、昔の舎弟役の秋野大作、理髪店主役の人見明、結婚式の参加者役の加藤武、
谷幹一などが出演して花を添えていた。ちなみに、満男(吉岡秀隆)が中学校に入学し、ブラスバンド部で
フルートを吹いていた。
 2本目は第34作、『男はつらいよ・寅次郎真実一路』(監督:山田洋次、松竹、1984年)である。マドン
ナは大原麗子(富永ふじ子)で、第22作の『男はつらいよ・噂の寅次郎』(監督:山田洋次、松竹、1978年)
以来の出演である。ただし、浅丘ルリ子や吉永小百合のように同一人物としての出演ではなくて、別の人物
に扮している。これは竹下景子などと同じケースである。また、夫である富永健吉役の米倉斉加年も、大学
の教師やお巡りさんの役で、他の寅さん映画(第10、16、20、26作)に出演している。
 ある日、上野で危うく無銭飲食になりそうなところを助けてくれた富永と仲良くなる。彼がくれた名刺に
は「スタンダード証券」の課長という肩書が書いてあった。博によれば、一流会社の由。早速、ご馳走にな
ったお礼に、バナナをもってスタンダード証券の富永課長を訪ねる寅さんであった。このときの受付嬢との
やりとりが面白く、寅さんは株券を競輪の車券のようなものと理解していた。さて、寅さんは、案内された
応接室で、多忙の富永を待っていたが、彼は9時になってやっと仕事から解放されたのである。当然のごと
く酒盛りになるが、二人はこの夜もだいぶ酔ってしまって、結局寅さんは富永の家がある茨城県の牛久沼ま
で行って泊まることになる。
 朝になる。夫の健吉や一人息子は、会社や学校に出掛けている。家の中にふじ子と二人だけであることを
意識した寅さんは、そそくさと富永宅を辞する。その後、健吉が失踪したことが判明。ふじ子は、寅さんに
健吉に女がいなかったかどうかを恥ずかしそうに訪ねるが、「健吉に限ってそんなものはいない」、と寅さ
んは断言する。また幾日か経って、健吉が鹿児島にいるかもしれないという情報が入る。二人は鹿児島に旅
立つ。健吉ゆかりの地を訪ねるが、民宿うなぎ荘というところで、彼が慥かに泊まったという証拠を見付け
る。宿帳に、健吉の筆跡で「車寅次郎」と書かれてあったのだ。その夜、タクシー運転手(桜井センリ)の
家に泊まることを決めた寅さんに対して、ふじ子は「どうして」と問う。それに対して寅さんは、「俺はき
たない」と呟くのであった。空しく鹿児島からふじ子と一緒に帰京した寅さんは「俺は醜い」を連発して、
落ち込んでいる。御前様は「己の煩悩に気付いた寅は、少し成長した」と評価する。一方、博は、「兄さん
は、人妻に恋をし、あまつさえ失踪した夫がこのまま現れなければよい、と心のどこかで思ってしまった自
分を責めているのだ」と分析している。どちらももっともな発言である。やがて寅さんは傷心の心を癒すた
めに旅に出ることになる。そこに、ひょっこり健吉が現れる。直接、ふじ子の元には帰れないと言うのであ
る。寅さんはタクシーを飛ばして健吉をふじ子の待つ牛久沼に連行する。仕事を含め(ただし、土浦営業所
に転勤)、元の鞘に収まる、という筋書である。「家族が揃ってにぎやかに食事をすることが幸せ」という
ふじ子の言葉に実感がこもっていた。また、鹿児島へ発つとき、寅さんにポンと5万円を貸してくれたタコ
社長のキップもなかなかよかった。なお、鹿児島の枕崎の場面で、父富永進介の役に辰巳柳太郎が扮してい
た。また、ふじ子の母らしき人物の役に風見章子、健吉の姉らしき人物の役に津島恵子が配されていた。


 某月某日

 『愛と希望の街』(監督:大島渚、松竹大船、1959年)を観た。松竹のヌーヴェル・ヴァーグの旗手大島
渚監督のデビュー作である。当初、『鳩を売る少年』という題だったが、会社側の方針で改題された由であ
る。京都でDVDを見付けて購入しようかどうか迷ったが、結局先送りにしていたところ、あっさりレンタル
版がTSUTAYAに登場したので早速借りてみた。川崎の貧しい人々が住む町に、靴磨きを生業にしている母
くに子(望月優子)と知能の発達が遅れている妹保江(伊藤道子)とともに暮らす男子中学生がいる。名前
を武田正夫(藤川弘志)という。この妹は死んだネズミやネコの絵を描くのが好きであるが、同時に飼って
いるハトにも心を許している。このハトは物語の狂言回し的存在で、ある日競輪で儲けた客から母が靴磨き
料として1,000円をもらったことをきっかけに一家に渡来した存在である。少年の家の暮らし向きは貧しく、
病気がちな母の商売では食べていけないほどである。そこで、一計を案じた打開策が「ハト売り」であった。
先ず、デパートで買えば1,000円のハトを700円で売る。ところが、ハトには帰巣本能があるから、売られた
先で取り逃がしてくれさえすれば、必ず帰ってくるという寸法である。そして、またハトを売り、このハト
が帰ってくればまた売る、ということ繰り返すというわけである。元手が要らないので、売れた金額が丸々
儲けというわけだ。もちろん、これは詐欺まがいの商売であるが、「逃げて来てくれなきゃ、ご飯が食べら
れないじゃないか」の母の一言には逆らえず、正夫は心ならずもこの商売を続けている。
 一方、母親としては、正夫を何としても高校に進学させたい。担任の秋山先生(千之赫子)もそれを望ん
でいる。しかし、当の本人は母を楽にさせたいという理由から就職したいと思っている。高校は夜間部に通
えばよいのである。そんなある日、ハトが売れる。買ってくれたのは高校2年生の久原京子(富永ユキ)で
ある。彼女の父親(須賀不二夫)は大手家電メーカーの重役であり、その兄勇次(渡辺文雄)も労務課員と
して同じ会社に勤めているという設定である。ハトが売れたその日、正夫は買い物をしてから帰宅する。鶏
卵(1個10円)、玉葱(1山20円)、ソーセージ(1本15円)、白菜漬け(100g5円)などである。病気で
靴磨きを休んでいる母親の内職の手間賃は1日100円足らずであるから、700円の収入は大きい。食事の支度
をする正夫に「男があんまり料理上手になっちゃね。困るからね」と声を掛けて、母はいそいそと交替する。
数日後、1羽のハトが戻ってくるが、傷を得ておりやがて死ぬ。もう1羽のハトは京子の手元にある。ハト
の売り買いがきっかけで、京子と正夫は友だちのような関係になる。それと同時に、京子と秋山先生も仲良
くなる。さらに、秋山先生の真摯な人柄を知るに及んだ京子の兄勇次は秋山先生にそれとなく接近し、二人
は交際を始める。やがて、秋山先生は勇次に、あなたの会社、すなわち久原の会社が自分の中学校から卒業
生を採用してくれないのはなぜかと訊く。答えは都会の子どもは「すれっからし」が多いからだという。し
たがって、中卒採用者は地方の生徒に限定しているというのである。この頃、地方の中学校卒業者は「金の
卵」と呼ばれ、集団就職も珍しくなかった。集団就職専用列車もあったほどである。もちろん、秋山先生は、
この回答に満足しない。結局、秋山先生の情熱に押されて、会社側は正夫を含む5人の生徒の受験を許可す
るのである。正夫は試験もうまくいって、合格間違いなしであったが、蓋を開けてみると、あにはからんや
不合格であった。例の珍商売が傷となったのである。秋山先生はそのことを知らされ、苦悩する。勇次の愛
を受け容れるか、教え子の幸福を取るかの二者択一である。勇次の言い分はこうである。「家庭が不完全だ
と、どうしても歪んだ人間が生じやすい。正夫君は優秀ではあるが、いかんせん例のハト売りは弁護の余地
のないものである。それを黙ってやっていた彼が悪い」、と。秋山先生はこれにこう応える。「世の中には
許されなくとも、生活のために仕方のない行為をするかもしれない。時と場合によっては、わたしもハトを
売るかもしれない」、と。勇次の住む世界と秋山先生の住む世界は違う。一度はいわゆる「玉の輿」に乗り
かけた秋山先生であるが、二人の間には決定的な溝があり、それを越えることができないことに気付くので
ある。秋山先生の住む世界は正夫の住む世界とそれほど変わらない。たとえば、彼女は英語の先生をしてい
るが、家庭訪問に行き、四畳半一間に八人の家族が犇き合い、蒲団も二枚半しかない一家の生徒に英語を教
えることに疑問を抱いている。一方、サラリーマンながら、猟銃を趣味とし、父親の所有とは言え自家用車
を乗り回す勇次は、社会の底辺で苦悩する人間の存在を知ってはいても、彼にとってそのような世界は所詮
向こう岸の世界である。これでは、接点があるはずがない。勇次と秋山先生は別れるしかないのである。
 正夫の家では、ハト小屋を打ち壊す正夫の姿が見られる。就職試験に落ち、その理由が例の商売のせいだ
ということを知ったからである。怯えて泣く保江、母も正夫を止めることができず、ただ打ち震えるしかな
い。京子も、再び手に入れたハトを重荷に感じる。正夫が詐欺まがいの行為を働いていたことを知ったから
である。兄に頼んで、ハトを放ったところを猟銃で撃ってもらうところで物語は終わりを告げる。多少の無
理があるが、社会に存在する断層をコンパクトに描きあげた点で非凡な作品である。役者の中では、秋山先
生役の千之赫子が光っていた。また、京子のような女性像も不思議に見えた。昨今の女高生が観たら、どん
な感想を漏らすのだろうか。さらに、後に悪役を多く演じることになる渡辺文雄の「猫撫で声」も何となく
面白かった。


 某月某日

 『野菊の如き君なりき』(監督:木下恵介、松竹大船、1955年)を観たので、以下に感想を綴ろう。この
映画は、アララギ派の歌人である伊藤左千夫の『野菊の墓』を原作としている。原作は千葉の成東や市川が
舞台であるが、映画では信州に変えられている。細部も微妙に異なるが、ほぼ原作に忠実な作品と言ってよ
いだろう(映画を観た後、久しぶりに原作も読んでみた)。映画は、老境にある主人公(政夫)が、信州に
ある故郷の村を船で訪ねるところから始まる。原作では10数年前を回顧するといった体裁であるが、映画は
60年も前のことである、という設定になっている。ところで、この73歳の老人を演じているのは笠智衆であ
るが、当時笠自身の実年齢は51歳であった。さすが老け役で鳴らした笠だけに、22歳も年上の役作りをこと
もなげにこなしている。さて、その船における船頭との対話から物語が紡ぎ出されてゆく。

 船頭:生まれたときは親だの、兄弟だのと言ってみても、いずれは別れ別れになる世の定めですもん。
 政夫:儚いもんですなァ。生きているうちは泣いたり笑ったり、いろんな苦労をさんざんして……。
 船頭:しまいは、どうでもこうでもお墓へ入らにゃならん。金持ちも貧乏人もみんなおんなじじゃ。

 この対話の後、政夫の「独白」が流れてくる。

 「秋が来ると、わたしはどうも思い出します。なにぶんにも忘れることができません。もう60年も過ぎ
  去った昔のことですから、細かいことは多くは覚えておりませんけど、心持ちだけは今もなお昨日の
  ことのように。笑わないで下さい。老い先の短い年寄りには、昔の夢しか残っておりませんもの……」。

 さらに、この後、政夫の回想シーンになるが、白地の楕円形の枠で囲われ、一種の古びた写真帳をめくっ
てゆくような感じで場面が展開してゆく。リリシズムあふれるメルヘン的手法とも言えよう。なお、ところ
どころで歌が挿入される。全部で十篇あるが、恋心が定まった辺りから文字が映し出されることがなくなる
ので、その直前までの歌を写し取っておこう。六篇ある。

  世にありて/一度逢ひし/君と云へど/吾が胸のとに/君は消えずも

  あじむらの/騒ぎ罵り/かしましき/世となりにけり/古へ恋しも

  燈火の/ほやにうづまく/ねたみ風/ねたむことわり/なきにしもあらず

  まなかひに/見えて消ゆとも/おのが光/立てて消えなば/悔いはあらめや

  世のなかに/光も立てず/星屑の/落ちては消ゆる/あわれ星屑

  わがこころ/君に知れらば/うつせみの/恋の籬を/越えずともよし

 さて、ある旧家に十七歳の少女と十五歳の少年がいる。二人はいとこ同士である。少女の名を民子という。
少年の名を政夫という。民子は病弱な政夫の母の身の回りを世話する役目のためにこの家に同居しているが、
もともと早くから政夫と兄弟同様に育てられている。二人はたいへん仲がよく、中学校に上がるための勉強
をしている政夫の部屋に、民子は掃除にかこつけて遊びに行き、二人で戯れることも再三である。以下は、
そんなある日の政夫の母と民子の会話である。

 民子:あら面白い、政夫さん。
 政夫の母(民子にとっては伯母):また政夫のとこに入り込んで。さっさと掃除してしまえ。
 民子:はい。
 母:政の勉強の邪魔しちゃいけないよ。年上のくせに。
 民子:わたしだって、手習いがしたいもの。
 母:何を言うか。女は手習いよりも裁縫じゃ。着物が満足に縫えんで、女は一人前にお嫁さんに行かれ
   やせん。
 民子:ああ、つまらん、女は。
 母:つまらんことがあろうか。
 民子:政夫さん、11月に行ってしまうの、中学へ。
 母:間がないもの。うんと勉強しにゃ。いけないよ、邪魔しては。
 民子:政夫さんがいなくなると、淋しくなっちゃう。
 母:何を言うの、十七にもなって……。明日薬を取りに来るように言っておくれ。
 民子:はい。
 母:お前早くお茶を持って行ってあげな。10時になってしまうよ。
 民子:はい。

 この後、二人は農作業をしている兄夫婦と奉公人のお増のもとにお茶を運ぶのであるが、遅いと言われて
邪険にされる。せっかく摘んできた花束もぽいっと投げ捨てられてしまうのである。兄嫁のさだとお増は、
二人の仲を快く思っていないのである。二人の仲が村中の噂になっていることを進言された母は、民子を呼
んで因果を含めるが、本気ではないので効き目がない。したがって、小言を言われた当初こそ政夫に対して
よそよそしく振る舞っていた民子であったが、ある日二人になすびをもいでくるように命じられたときは、
もう以前にもまして仲良く作業をするのであった。それをからかう村人に対しても、二人はもはや動じない。
禁じられれば燃え上がるのが恋の必定、二人の間には淡い恋心が芽生え始めていたのである。
 さて、ある日、遠方にある山畑の綿を摘んで来るように命じられた二人は、弁当を持っていそいそと出掛
ける。政夫が中学校の寄宿舎に入る前の、二人だけでいられる束の間のときである。道々、政夫は野菊を見
付けて、大好きだと言う。民子も同じく大好きだと言う。あまつさえ、「民さんは野菊に似ている」と言う。
今度は政夫の番である。民子は「政夫さんはりんどうのような人だ」と言う。しかも、急にそのりんどうが
好きになったと言う。何とも微笑ましい愛の告白である。二人の愛は確認された。幼いときからの気持が、
恋に変わった瞬間である。しかし、民子は気が重い。自分が二つ年上であること、政夫が中学校に進学して
離れ離れになること、周囲の二人を見る目が冷たいこと、などが原因である。
 帰りが遅くなった二人はそのことが咎められて、政夫は早急に中学校の寮に入るように命じられる。別れ
は悲しいが仕方がない。政夫は民子に後で読むようにと手紙を渡す。次のような文面である。

  朝からここへはいったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもなら
 ず、ただ繰り返し繰り返し民さんの事ばかり思っている。民さんといっしょにいれば神様に抱かれて雲
 にでも乗っているようだ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学
 校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、
 僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っ
 ていてください。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんにあうのを楽しみにしており
 ます。

   十月十六日                                  政夫

    民子様

 しかし、政夫が12月25日に帰宅してみると、そこに民子の姿がなかった。兄嫁の「二人を夫婦にするつも
りがなっかたならば、早いところ引き離した方がよい」という意見を母が受け容れたからである。二人は黙
って周囲の者たちの判断に従うことになった。まだあまりに幼かったからである。
 さて、月日が少し流れ、政夫は民子が嫁に行ったことをお増の口を通じて知ることになる。悲しいが仕方
がない。たとえ民子が嫁に行っても、自分の気持は少しも変わらないことを知っているからである。しかし、
また数カ月が過ぎ、中学校の教場に電報が舞い込んでからは、話は急展開を迎える。電報の「スグカエレ、
ハハ」に胸騒ぎを押さえながら帰宅した政夫に、とても残酷な知らせが待っていたのである。嫁ぎ先で流産
した後、実家に返されていた民子が死んだというのである。嫁に行ったことまでは我慢できたが、死んだと
あっては話が違う。「なぜ知らせてくれなかった」と叫ぶしかない政夫であった。二人の仲がそこまで進展
していたことを知らなかった周囲が、無慈悲にも仲を割いたことがもとで民子は死んだのである。政夫の母
を筆頭に周囲の者は政夫に謝るしかない。もっとも、たった一人であるが、最初から二人の味方だった者も
いる。民子の祖母である。彼女は、「自分の人生において、他のことはどうでもよかったが、ただ一点、死
んだおじいさんと添い遂げられたことがどれだけ嬉しかったか」と言って、民子の気持をもう少し汲むべき
だと主張していたのである。しかし、二人の気持を深く考えなかった政夫の母は、二人の結婚については不
承知であることをはっきりと民子に言い渡したのである。縁談を断り続けた民子としては、政夫を完全に諦
めなければならないと覚ったとき、お嫁に行く決心をせざるを得なかったのである。しかし、亡くなった民
子の掌の中に政夫からの手紙が握り締められていたことを知った人々は、自分たちが愚かな判断を下したこ
とを骨の髄まで後悔するのであった。民子の墓に野菊を捧げる年老いた政夫の心には、何が去来していただ
ろうか。
 なお、民子役に有田紀子、若き政夫役に田中晋二、政夫の母役に杉村春子、兄役に田村高廣、兄嫁役に山
本和子、お増役に小林トシ子、民子の祖母役に浦辺粂子が扮している。


 某月某日

 何日か前、背中に黒い蛇がどさっと降ってくる夢を見た。全部で十一匹であった。最初、十匹かと思った
が、慌ててそれらを払った後、もう一匹背中をもぞもぞ這っていることに気付いたのである。最後の蛇の首
根っこを押さえてみると、赤いくりくりした眼でこちらを見ている。甘噛みされたかもしれないが、毒針で
噛まれた形跡はない。しかもこの蛇はベルベットタッチのつかみ心地で、不思議な愛嬌があった。ただ、黒
一色というのが何とも気色が悪い。目覚めた後、蛇の夢はお金に関係があるのではなかったか、それとも単
に性的な色合いをもっているに過ぎないのか、そんなことを少しだけ考えた。黒は、夜、冬、死、悪、罪、
痴などの象徴であろう。だとすれば、あまりよくない予兆なのかもしれない。また、十一という数字は何を
意味するのだろうか。今、それを考えている。


 某月某日

 昨日のつづきを少し。『さらば愛しき大地』で描かれている世界は「荒廃する農村」である。工業団地と
して農地が買収され、思わぬ金を得る者、農業では暮らしが立たなくなり、ダンプカーの運転手になる者な
ど、静かな農村地帯は高度経済成長期とともに一変するのである。そのような見掛けの変化は、人々の心を
も変化させる。たとえば、嫁と姑の問題も、過去から連綿と続くものとは言え、この時代この地方に特有の
あり方を示している。イネのところに二人の老婆がやってくる。神経痛で思うように動けないイネのために、
夫の幸一郎が洗濯物を干している。それを見た一人の老婆が、「このおじいさんと一緒になるんだった」と
言って軽く幸一郎の背中を叩く場面がある。弟の竹二郎にまで意気地がないと貶されている幸一郎も、他人
の目には「やさしいおじいさん」に映るのである。近所の老婆の訪問を受けたイネは昼寝をしている文江を
起こすが、なかなか起きない。しかし、別に狸寝入りを決め込んでいるわけでもないようだ。老婆たちも負
けていない。文江が訪問者のために起きてお茶を淹れようとしたとき、「じきに死ぬ者にお茶など不要だ」
と言って笑い合うからである。やがて農作業に出掛ける幸一郎と文江を見て、一人の老婆は、「嫁っつうの
は、どこでも舅とは仲いいもんだなァ」という台詞を吐く。それを受けたもう一人の老婆は、「おらァ、も
う、十日も嫁と口きいてねェんだよなァ」と呟く。どうもこの人は、後に猫イラズをのんで自殺したようだ。
息子にも裏切られたと思ったからである。また、実家に帰って愚痴をこぼす文江に対して、兄は「嫁に行っ
たら、そこがお前の家だ」と言って、取り合わないのである。もっとも、兄嫁(猪俣光世)からは「いつで
も帰って来い」というやさしい言葉をかけられる。嫁として同じ立場だからであろう。嫁姑問題はどこにで
もあるが、育った時代も環境も違うだけに、どちらが悪いわけではない。距離をどう置くかがうまく捌くコ
ツなのだろう。文江は、豚の餌を運んで来た男(小林稔侍)の誘惑に簡単にのることによって、幸雄のみな
らずこの一家にも復讐を遂げるのである。というのも、情事がおこなわれたその同じ時間に、一家は霊媒師
を呼んで子どもの霊を慰めていたからである。文江は己の現実しか見ていない。だから、順子に対して「妻」
の意地など発揮することはけっしてないのである。見事な処世術と言えよう。
 覚醒剤のためにおかしな行動を取る幸雄や大尽の描き方もさることながら、斬新な映像もところどころで
見られた。とくに、順子の手が眠っている幸雄の首を絞めているように見えるシーンや、日蝕の日の葬礼場
面などは、稲穂が波打つシーンなどともに素晴らしいと思う。もちろん、幸雄が順子を刺殺する場面は秀逸
で、臨場感にあふれていた。『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平、松竹=今村プロ、1979年)におい
て、榎津巌(緒形拳)が浅野ハル(小川真由美)を扼殺するシーンに匹敵するのではないだろうか。


 某月某日

 『さらば愛しき大地』(監督:柳町光男、プロダクション群狼=アトリエダンカン、1982年)を観た。以
前から観たいと思っていた作品で、京都でDVDをみつけて購入しておいたのである。期待以上の作品で、主
演の根津甚八(山沢幸雄役)を見直した。もちろん、共演の秋吉久美子(順子役)は予想通りの熱演で、彼
女が読み終わった柳町の生原稿(脚本)を抱き締めた気持も分からないではない。おそらく、二人にとって
代表作と言ってよいだろう。思うに、生涯に「代表作」のある表現者は、それだけで生まれてきた甲斐があ
るのではないか。ジャンルはどうあれ、小生もいつの日か「代表作」と自負してよいものをつくりたいもの
である。
 さて、物語であるが、茨城県の鹿島地方を舞台にして、農業が成り立たなくなりつつある時代の閉塞感が
描かれている。言い換えれば、人間の営みの徹底的な哀しさを描破した作品である。幸雄という青年がいる。
ダンプの運転手をしており、それなりの腕や度胸もある。しかし、弟明彦(矢吹二朗)に対する幼いときか
らの根強い劣等感があって、何かをきっかけにその感情が暴力となって迸ってしまうことがある。父幸一郎
(奥村公延)や母イネ(日高澄子)とも折り合いが悪く、妻である文江(山口美也子)に対しても含むもの
をもっている。要するに、家族の中で浮いた存在なのである。ただし、二人の息子は彼に懐いている。和也
と哲也とである。ある日、船遊びをしていた息子が二人とも溺れて死んでしまう。母親が注意義務を怠った
ということで、幸雄の文江への怒りは半端ではない。大雨の中、容赦なく拳を振り上げている。それほど、
息子を溺愛していたのである。実際、葬式を済ました後、幸雄は観音菩薩の像とともに二人の戒名を背中に
刺青している。
 葬式で東京から帰ってきた明彦がスナックで飲んでいる。元恋人の順子の店である。そこに、幸雄がやっ
て来て、酒をあおる。明彦に「東京に帰れ」と言う。何もかも面白くないのである。ところで、この店は順
子の母(佐々木すみ江)が経営者であるが、やがて男と駆け落ちしてしまう。独りぼっちになった順子は、
幸雄のドライヴの誘いにのって、互いの身の上を確認し合う。その日、弾みから男と女の仲になる。孤独な
魂が惹かれ合ったのである。やがて、幸雄は実家を出て、順子と同棲するようになる。稼ぎ手を喪った一家
は、東京から明彦を呼び寄せる。彼もダンプの運転手になるのである。もっとも、覚醒剤に溺れる幸雄とは
異なり、地道に実績を上げて界隈の出世頭になる。やがて、自分の会社の事務員だった娘(志方亜紀子)を
娶ることになる。弟の結婚式の日、彼ら兄弟はまたも喧嘩になる。刃物まで持ち出して。その日、覚醒剤が
もたらす幻覚に悩まされ続けた揚げ句、幸雄は順子を刺し殺してしまう。順子の声が幻聴として聞こえてき
たのだ、こんな風に。もちろん、順子が実際に語った言葉ではない。

  わたしが悪いよ、たしかに。シャブ打ってんの知っててやめさせなかったんだから。わたしだってや
 めさしたかった。でもあんたが可哀想で。そのうち何とか立ち直ってくれると思って。わたしが悪い。
 けど、あんたの方がもっと悪い。もっともっと悪い。あんたがしっかりしててくれたら、こんなとこま
 で落ち込むことなかった。男らしくやってくれたら。一体、何のために背中に刺青彫ったの。死んだ和
 也ちゃん、哲也ちゃんが笑っているよ。ゲラゲラ笑っているよ。しっかりしろ。男じゃないって。皆に
 迷惑かけて、皆の責任にして、大っきい顔してよくも生きてられるよ。感心するよ。人間じゃないよ。
 動物だ。ケダモノだ。死んじめェ。もう顔も見たくない。

 ジャガイモの皮をむく音が増幅されて、しゃわしゃわとうるさい。薬漬けになった人間の感覚は常人をは
るかに超えてしまっているのだ。稲穂の波、ダンプの砂、工場街、補償金で得たけばけばしい家、豚ども、
順子の下手だが魂を揺さぶる歌声と表情、それぞれのシーンは反響し合って、一瞬の無駄もない。映像は単
なるリアリズムを超え、一篇の神話と化している。豊饒でありながら、それでいてストイックな物語。まさ
に、傑作である。叔父の竹二郎に草薙幸二郎、ダンプ仲間の通称「大尽」に蟹江敬三、文江の浮気相手に小
林稔侍、文江の兄に松山政路、ジャパゆきさんに岡本麗、霊媒師に白川和子が配されており、それぞれ見事
に自分の役を演じ切っている。とくに、蟹江敬三の味わいは格別であった。


 某月某日

 邦画のDVDを3本観たので、感想を以下に記そう。1本目は『男はつらいよ・旅と女と寅次郎』(監督:
山田洋次、松竹、1983年)である。マドンナは都はるみで、主な舞台は新潟県の佐渡である。寅さん映画に
は過去に観ている作品がいくつかあり、この映画も観たことだけは覚えている。ただし、内容はほとんど忘
れていた。演歌の大物歌手「京はるみ」が失恋と過密スケジュールに嫌気がさして失踪し、寅さんがその同
行者になるという設定である。実際、当の都はるみが「普通の小母さんになりたい」という理由で引退直前
だった頃の作品である(もっとも、何年か後に歌手に復帰している)。どちらのファンにも叱られるかもし
れないが、小生はこの映画を観ているうちに、これは寅さん版『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(監
督:ウィリアム・ワイラー、米、1953年)ではないかと思った。都はるみがオードリー・へプバーン、渥美
清がグレゴリー・ペックというわけである。他にも芸達者が多数出演しており、その点でも濃い味わいの映
画だった。たとえば、二人が佐渡に渡る際に乗り合わせる小船の船長に山谷初男、二人が泊まる佐渡の民宿
「吾作」のおばあちゃんに北林谷栄、芸能プロの社長北村に藤岡琢也、同幹部に桜井センリ、マネージャー
にベンガル、お付きの女の子に木ノ葉のこ、芸能記者に梅津栄、佐渡の食堂の店主に人見明、テキ屋仲間に
佐山俊二、ちんどん屋に関敬六、保険外交員久子に中北千枝子、矢切の渡しから女を連れて逃げる男に細川
たかし(特別出演)といった塩梅である。また、タコ社長(太宰久雄)は京はるみの大ファンという設定で
あった。実は小生も、都はるみの「涙の連絡船」は戦後の演歌の最高峰だと思っている。なお、これは蛇足
であるが、面白いと思うので以下に記しておく。タコ社長がかき氷を食べるシーンがある。このシーンは途
中でカットが変わって、一瞬のうちに氷が少なくなってしまうのであるが、そのことに気付いたとき、これ
は『ローマの休日』で、オードリーがジェラード(アイスクリーム)を食べるシーンで、映画の中の進行時
間とは異なって、時計台の針が随分と進んでしまうことに似ているのではないかと思った。まさか、山田洋
次がそのような演出をしたとは思えないが、それを発見した瞬間に思わずニヤッと笑ってしまった。
 2本目も寅さん映画である。題名は『男はつらいよ・口笛を吹く寅次郎』(監督:山田洋次、松竹、1983
年)で、寅さん映画の32作目である。マドンナは竹下景子(朋子役)で、お寺のお嬢さん(ただし、いわゆ
る「出戻り娘」役)を演じている。竹下景子と言えば、『祭りの準備』(監督:黒木和雄、綜映社=映画同
人社=ATG、1975年)での印象が強く、また、「お嫁さんにしたい女優」のナンバー1になったこともある。
さらに、大橋巨泉の番組で、漫画家のはらたいらとともに「知性」を競ったこともある。このときは「三択
の女王」という異名を賜ったはずである。また、コマーシャルにも多く出演し、視聴者の好感度が高い女優
でもある。したがって、この後の寅さん映画にもまったく別の役で出演している。さて、物語は、博の父親
の墓参りに来た寅さんが、たまたま諏訪家(博の実家)の菩提寺である蓮台寺の住職である石橋泰道(松村
達雄)と意気投合するところから始まる。朋子はその娘というわけである。この娘には弟がいて、名前を石
橋一道という。若き日の中井貴一が演じている。その恋人ひろみ役が杉田かおるである(なお、キャストメ
ニューのところには「めぐみ」とあるが、間違いであろう)。その他、檀家の一人に長門勇、タクシー運転
手に関敬六、旅先で親しくなった幼い娘連れの男にレオナルド熊、その後添え役にあき竹城、などが出演し
ている。備中高梁の諏訪家の兄弟も出演しており、長男毅役に梅野靖泰、次男修役に穂積隆信というわけで、
これは前回出演(母親の死去)のときと同じである。今回は父親の三回忌という設定である。その際、実家
が売却され、兄弟(他に博の姉がいる)均等に財産を相続するということに決着するが、その間少し諍いが
あって、長男の毅が激昂する場面がある。相変わらず、梅野も穂積も上手であった。寅さんが「にわか坊主」
になって活躍するが、本当の坊主にはなれないことを覚り、朋子との恋も諦めるという結末である。朋子に
はその気になった瞬間があったのに……。その代わりに、一道とひろみの恋には花が咲いている。
 3本目は『乱れ雲』(監督:成瀬巳喜男、東宝、1967年)である。司葉子、加山雄三、草笛光子、森光子、
浜美枝、加東大介、土屋嘉男、藤木悠、中丸忠雄、中村伸郎、十朱久雄、浦辺粂子、左卜全などが出演して
いる。物語は、通商産業省の通産事務次官である江田宏(多分、土屋嘉男だと思う)に、「在アメリカ合衆
国大使館付き一等書記官を命ずる」という「人事異動通知書(辞令)」が下りるところから始まる。いわゆ
る立身出世への第一歩である。妻の由美子(司葉子)は大喜びである。しかも彼女は妊娠しており、この夫
婦は喜びの二重奏に浸っているという設定である。しかし、好事魔多し、姉(草笛光子)の団地で、義兄の
石川(藤木悠)や一人息子と食事をともにした後、夫である宏が箱根で死亡したという電話連絡が姉夫婦の
団地に届く。車に轢かれたとの由。葬式の日、夫を轢き殺した当の本人が焼香に来る。明治貿易株式会社の
独身係長である三島史郎(加山雄三)である。彼は藤原部長(中丸忠雄)に付き添われて来たが、事故に関
しては不可抗力だと信じている。裁判でも「無罪」となるが、人間的な責任は感じており、補償もしたいと
言う。この場合、観ている者の目にはどちらも不幸に映る。被害者の由美子は、遺族年金を欲しがる嫁ぎ先
から離籍を迫られる。さらに、生命保険には入っていなかったらしく、加害者からの示談金「月一万五千円」
ぐらいではとても食べていけないので、子どもを堕ろして働きに出るが(不動産屋、喫茶店)、思うように
はいかない。やがて、旧姓の四戸(しのへ)に戻り、十和田湖の近くの実家の旅館に舞い戻る。加害者の三
島は、常務(中村伸郎)から「待命休職」を受け、やがて青森出張所に左遷される。常務の娘(浜美枝)と
の婚約も解消される。この時代には契約を取るための「売春斡旋」は日常茶飯事で、江田宏を轢いたとき、
契約先のミスター・ベネットだけではなく、コールガールも同乗していたのである。これは明らかに会社命
令でしたことなのに、常務は業界紙に嗅ぎ回られたことを不快に思っている。サラリーマンの辛いところで
ある。したがって、被害者も加害者も、奇しくも同じ青森に行くことになるのである。由美子は史郎に対し
て、いつまでも葬式の席で見せた「憎しみの眼」を向ける。史郎は「どうしたら償うことができるのか」と
迫るが、由美子はもう示談金を受け取ることをやめて、お互いに過去を忘れることにしようと提案する。史
郎の母親(浦辺粂子)が由美子を訪ねて「史郎を赦してくれ」と頼むが由美子は頑なである。
 さて、姉である勝子(森光子)が経営する旅館には、死んだ夫の代わりとして林田という男(加東大介)
が出入りしている。仲は悪くはないが、林田にはまだ妻がいることから、そのことで二人は始終喧嘩をする。
また、林田の仕事の関係で、営林署の男鰥と交際したらどうかと由美子は口説かれている。もちろん、そん
な話には乗らない。そんなある日、史郎が客の接待のためにしのへ旅館を用いる。このとき、史郎は転勤を
口にする。行き先は西パキスタン(当時、現在のバングラデシュは東パキスタンと呼ばれ、パキスタンはイ
ンドを挟んで飛地国であった)のラホールだという。由美子は夫が通産省の輸出促進課にいたことから、誰
もが海外出張を命じられたくない地名として、ダッカ、カラチ、ラゴス、サイゴンとともにラホールがその
中に入っていることを知っていた。史郎は、「もうお別れだから、十和田湖を案内してくれ」と言う。山菜
摘みでの出会いですでに接近していた二人は束の間のデートをすることになる。そこで熱を出した史郎を夜
通し看病する由美子。実は、この時点で史郎の情熱に惹かれはじめていたのである。しかし、自動車事故を
目撃した二人は、やはり一緒にはなれないことを覚る。哀しいが、分別くさい別れが来る。この作品は成瀬
巳喜男の遺作だそうである。物語の流れはやや不自然であるが、落ち着いた大人の悲恋に仕上がっている。


 某月某日

 『乱歩地獄』(監督:竹内スグル/実相寺昭雄/佐藤寿保/カネコアツシ、「乱歩地獄」製作委員会、20
05年)を観た。浅野忠信、成宮寛貴、松田龍平がキーマンにそれぞれが扮する4本立てオムニバス映画であ
る(第1作と第4作が浅野忠信主演)。原作は、江戸川乱歩の「火星の運河」、「鏡地獄」、「芋虫」、「蟲」
である。乱歩原作の作品はTVを含めていくつか観ているが、出来映えとしては上等な部類だろう。小生の好
みからすれば、「鏡地獄」が秀逸で、さすがヴェテラン実相寺監督ならではである。もちろん、他の作品が
劣るわけではない。「芋虫」の大森南朋はよく頑張っているし、浅野忠信をはじめ、成宮寛貴や松田龍平の
男優陣も個性を発揮していると思う。女優陣も小生には未知の人ばかりだったが、なかなか味があったと思
う。原作としては、やはり「芋虫」の印象が強い。いかにも乱歩好みの世界だからである。なお、山上たつ
ひこ(『がきデカ』で有名)が『光る風』で同じシチュエーションを設定しているが、このときの衝撃も強
かったことを覚えている。


 某月某日

 忌引のため、10日ほどこのブログを休んだ。本日から再開したい。その間、洋画を1本、邦画を4本観た。
邦画にだけコメントを寄せておこう。ただし、そのうち1本については、省略させていただく。
 1本目は『嫌われ松子の一生』(監督:中島哲也、「嫌われ松子の一生」製作委員会、2006年)である。
久しぶりに映画館で観た。中谷美紀が演じる川尻松子という女性の一代記である。中学教師、トルコ嬢(現
在では避けられるべき言葉であるが、昭和40年代には普通に用いられていたのでご海容願いたい。現在のソ
ープ嬢)、殺人犯、囚人、美容師、やくざ(元教え子)の情婦などを経て、53歳で中学生たちに暴行によっ
て殺される役どころである。波瀾万丈の一生であるが、松子はめげない。むしろ、彼女のちぐはぐな優しさ
が静かな涙を誘う映画である。ただ、「タコ口ヨリ目」は横山ノックの持ちネタだったし、カラスがアパー
トの部屋から飛び出すシーンは辰巳ヨシヒロの劇画に描かれていたりして(確証はないが)、少し興醒めな
感じを受けた。また、宮藤官九郎演じる太宰治狂の八女川徹也(松子の同棲相手)も今一つ重みがなかった
し、だいいち、「生まれてすみません」を使っているが、それでは陳腐すぎる。谷原章介(教師佐伯俊二役)、
劇団ひとり(松子の愛人岡野健夫役)、荒川良々(理容師島津賢治役)ら、松子が愛した男たちも何か冴え
ない感じ。ただ、元教え子の龍洋一役を演じた伊勢谷友介や友人沢村めぐみ役の黒沢あすかには雰囲気があ
った。その他、父親役に柄本明、弟役に香川照之、妹役に市川実日子、甥役に瑛太が配されている。なお、
ガレッジセールのゴリも、ユニークなパンク野郎の役で出演している。さて、全体評であるが、中島監督の
『下妻物語』が抜群に面白かっただけに、少し拍子抜けがした。ただし、劇場用映画としては十分に満足で
きる作品だと思う。
 2本目は『ユメノ銀河』(監督:石井聰亙、ケイエスエス、1997年)である。夢野久作の『少女地獄』の
一篇である「殺人リレー」を映画化したもの。原作は、「何んでも無い」、「火星の女」と三部作を形成し
ているが、それぞれにほとんど関係はない。ただ、主人公の年齢が19歳(ただし、「何んでも無い」の姫草
ユリ子は年齢を誤魔化している)というところだけが共通している。「女十九は孕むか死ぬか」という俗諺
があるように、いわゆる「女の厄年」に当たるが、現代でも不安定な年頃と言ってもよいだろう。三作中、
原作の題名は一番派手だが、内容は一番地味な作品で、この映画は丹念にそれをなぞっている。監督の石井
聰亙も、新しい作風を模索してみたかったのか。ただ、分かりにくいこと夥しく、主演の小嶺麗奈と浅野忠
信のやりとりも今一つ説得力に欠けていた。夢野久作が原作の映画と言えば、『ドグラ・マグラ』(監督:
松本俊夫、活人堂シネマ=都市環境開発、1988年)を思い出す。映画独自の筋は忘れたけれども、今は亡き
桂枝雀が好演していたことは覚えている。ところで、『少女地獄』を映画化するならば、是非姫草ユリ子の
「何んでも無い」を、という思いがする。鈴木清順がメガホンを取ったらどうなるか、といったところか。
 3本目は『サード』(監督:東陽一、幻燈社=ATG、1978年)である。この作品は明瞭であり、主人公の
サード(妹尾新次)を演じる永島敏行の魅力が迸っている。物語は、関東朝日少年院の日常から始まる。原
作(「九月の町」)の作者軒上泊が、実際の少年院に関わっていることから、その細部に精彩がある。また、
脚本が寺山修司ということもあり、その色も濃厚に出ている。高校生の四人組がいる。それぞれ、サード、
IIB(吉田次昭)、新聞部(森下愛子)、テニス部(志方亜紀子)と呼び合っている。前者が男子、後者が
女子である。四人ともこの町を出たいが、その資金がない。そこで、女子の提案により「売春」をすること
になる。この辺りは、シリアスかつコミカルで、よくできていると思う。順調にいくかと思われるが、やく
ざ(峰岸徹)とのトラブルが元で、サードが彼を殺してしまう。そこで、少年院送りになるという設定であ
る。同じ少年院仲間のうち、「短歌」と呼ばれている少年が光っていた。ただし、俳優名は不詳*。やがて、
IIBも窃盗の常習で同じ少年院にやってくるが、残り二人の少女たちはちゃっかり結婚への道を選び、サー
ドをがっかりさせる。残された彼は、ホームベースのないグランドを駆け抜けるだけである。70年代後半独
特の「閉塞感」や、相も変わらぬ青春のやるせなさを描いており、「秀逸」と言ってよいできである。

 * 後の調査(〈goo 映画〉による)で、「短歌」役は西塚肇であることが判明した。同映画を含めて、
  1977年から1981年にかけて6本の映画に出演している由。その後は不明(〈Movie Walker〉より)。


                                                  
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