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花摘みの頁<02>
【新選】昭和日本映画百選
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驢鳴犬吠1509
 月が替わりましたので、「日日是労働スペシャル」の続篇をお届けします。「日日是労働スペシャル
LI (東日本大震災をめぐって)」が正式名称ですが、通称を用いることにしましたので、「驢鳴犬吠
1509」となります。そういうわけで通称を用いますが、内容に変わりはありません。主として、今
回の大災害(原発の過酷事故を含む)に関係する記事を掲げますが、特定の個人や団体を誹謗中傷する
目的は一切ありません。どうぞ、ご理解ください。人によっては、多少ともショッキングな記事がある
かもしれませんので、その点もご了承ください。なお、読み進めるほど記事が古くなります。日誌風に
記述しますが、後日訂正を載せるかもしれません。あらかじめ、ご了解をいただきたいと存じます。
 また、ご質問、ご意見等のおありの方は、muto@kochi-u.ac.jp 宛にメールをいただければ幸甚です。

                                              
 2015年9月30日(水)

 今日は本の紹介と、その本からの若干の抜書を行いたいと思います。紹介する本は『昭和のエートス』
(内田樹 著、文春文庫、2012年)です。このブログ(「日日是労働スペシャル」、通称「驢鳴犬吠」)を
公表する主たる目的は、言うまでもなく東日本大震災と福島第一原発事故をめぐるさまざまな動向について
コメントをつけることです。ところが、この本の初出(単行本:バジリコ刊、2008年)を知れば一目瞭然で
すが、地震や原発についての直接的な言及はありません。しかし、ここに書かれていることの精神は、まさ
にこれらの問題に対処する心構えを構築するために、必要不可欠なことに見えます。「日日是労働スペシャ
ル(驢鳴犬吠)」(2011年3月16日より現在まで不定期連載)を開始して以来、内田樹には実にさまざまな
示唆を受けました。この本は、本年度の2学期に開講される「思想論基礎演習」(4コマ担当のオムニバス
演習)の準テキストとして採用した本なのですが、奇しくもこのブログの目的にも沿うことが判明しました。
このところ実に忙しく、内田樹の発言をチェックしていなかったのですが、これを機にまた彼の言説に注目
してみたいと思っています。
 さて、ネット情報全盛の世にあっても、やはり書籍を繙く時間は貴重なものです。しかし、なかなかこれ
はという本に出遭うことは稀で、ガツンとくる経験は得難いものです。さまざまな本には、それなりの書か
れた目的があって、人はその目的に共鳴した場合にその本を読み始めます。小生は、内田樹の膨大な著作の
ほんの一部しか読んでいませんが、およそ読むに足る著述家のひとりであると断定しています。これは稀有
なことであって、そんな人物は滅多にいません。もちろん、「古典」と呼ばれている本は別格です。現代人
の書いたものに関して言っているのです。彼は学者であると同時に、教養人でもあります。学者がそのまま
教養人であるわけではないので、このような区別が成り立ちます。しかも、「インテリ臭」のする教養人で
はなくて、馥郁たる「インテリジェンスの香」が漂う教養人です。
 文脈を無視して、『昭和のエートス』から引用してみましょう。何ごとかを感じられた方は、是非この本
を手に取っていただきたいと思います。


 ********************************************

     第1章 昭和のエートス

     私的昭和人論

 p.14 ・明治は近代と近代以前のいわば「汽水域」のような時代である。

 p.16 ・敗戦という断絶をどう生き延びるかということを個人的に避けて通ることができない思想的・
     実践的課題として引き受けた人々だけを私は「昭和人」と呼びたいと思う。

 p.23 ・この謙抑的な構え(=戦前の大義に対して二度と加担しないという自制と恥辱の感覚をもつ
     こと)は、一方では軍国主義イデオロギーの繁昌に関与した一切のもの(軍隊、シャーマニ
     ズム的熱狂、金切り声を上げるナショナリスト)への忌避というかたちを取り、他方では軍
     国主義イデオロギーがもっとも軽んじたもの(科学性と民主主義)への熱い期待というかた
     ちを取った。

 p.24 ・「神懸かり的」なもの、オカルト的なもの、総じて宗教的なものに対する忌避の感覚は「科
     学信仰」と対になって戦後日本の目に見えない空気を形成していた。

 p.29 ・だから、民主主義が自己利益の増大に資すると判断すれば、彼ら(=国家主義にシニカルな
     かたちで迎合した人々)は逡巡なく民主主義の旗を振った。そこには葛藤も「内面の痛み」
     もない。

 p.33 ・なぜ吉本(隆明)がそれほどのポピュラリティを獲得したのか、私はその理由が当時はよく
     わからなかった。今では少しわかる。政治史的な区分をすれば、全共闘運動は皇道派のテロ
     リズムや「八紘一宇」と同じカテゴリーに含めることができる。

     貧乏で何か問題でも?

 p.38 ・貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。「意味の問題」と言うこともできるし、
     「関係の問題」と言うこともできる。とりあえず数字で扱える問題とは次元が違う。

 p.39 ・だから、日本で社会問題になっているのは貧困(=ニカラグアの小作農における「出口のな
     い貧困」などの例)ではなくて、貧乏であると考えた方がよい。

 p.40 ・貧乏は「人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と宣言した『人権宣言』
     によってはじめて公式登録された。生まれながらに平等であるはずであるにもかかわらず、
     権力や財貨や情報や文化資産の所有において現に個人差がある。それを「苦しみ」として感
     じるのが「貧乏」である。だから、貧乏は近代市民社会とともに誕生したのである。

      *「貧乏は近代市民社会とともに誕生した」の部分に傍点あり。

 p.41-42 ・クリエイティヴでイノベーティヴな「○金」の人々は自分の規範に従い、自分の欲望に
       忠実である。一方、模範的で追従的な「○ビ」の人々は他人の規範を模倣し、他人の欲
       望に感染する。

 p.43 ・誰でも他人の所有物を羨む限り、貧乏であることを止めることはできない。 * 傍点あり。

    ・外形的にはきわめて富裕でありながら、なお自分を貧乏だと思い込んでいる人間こそ市場に
     とって理想的な消費者である。

 p.44 ・他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」
     の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。

     喧嘩の効用

 p.47 ・教養主義というのは、ひとことでいうと「好き嫌い」に小うるさい理屈をつけずにはすまな
     い性向のことである。

     団塊の世代からの発言

 p.56 ・それ(=自分自身で否定したはずの政治闘争をロマネスクな回想形で語ること)は団塊の世
     代の同世代意識が世代的な規模での「構造記憶の共有」に支えられているせいだったのであ
     る。

     北京オリンピックが失うもの

 p.69 ・私はそれでも心の底からオリンピックを歓迎していたわけではない。首都高速が日本橋にか
     かった写真を見たときには、子ども心にも深い衝撃を受けた。そこまでしなければならない
     ほどのものなのか、といささか暗澹たる気持ちになった。けれども、口に出しては言わなか
     った。小学生のそんな感慨を聞き届けてくれる人はどこにもいなかった。

 p.75 ・私が北京オリンピックについて感じる不安はこの「富の収奪と遍在を正当化するイデオロギ
     ー」の瀰漫のゆえである。

 p.76 ・貧しさ、弱さ、卑屈さ、だらしのなさ……そういうものは富や強さや傲慢や規律によって矯
     正すべき欠点ではない。そうではなくて、そのようなものを「込み」で、そのようなものと
     涼しく共生することのできるような手触りのやさしい共同体を立ち上げることの方がずっと
     たいせつである。私は今そのことを身に沁みて感じている。

 ********************************************


 今日はこれくらいに留めておきましょう。文脈が見えないと、ここに引用した文章の味わいは半減するか
もしれませんが、いくばくかの香気は嗅いでいただけたと思います。したがって、下手なコメントは要らな
いでしょう。あえて一言付け加えれば、小生も内田樹と同様、あの日本橋の上に架かる高速道路はいただけ
ないと感じた口です。つづきは、次回に持ち越しです。

                                                 
 2015年9月25日(金)

 ついさっき、集中講義を終えました。1コマだけでしたが、けっこう疲れました。題目は「男女共同参画
とジェンダーの考え方いろいろ」で、主として日本映画に垣間見えるジェンダー問題を扱いました。これで、
9月中に開講しなければならない講義をすべて終えたと思ったのですが、29日に高知東高校看護専攻科での
講義があることを忘れていました。10月1日から2学期が始まるので、全く余裕がありません。残り数日、
大車輪で準備を進めなければなりません。貧乏閑なしですね。
 ところで、村上龍の『オールド・テロリスト』を読了しました。あらすじは明かしませんが、納得のいく
結末でした。パニックについて考えることもできましたし、原発や経済システムやテロリズムの問題に関し
てもいろいろ教わりました。もちろんフィクションですから、ここに書かれていることは事実ではありませ
んが、村上龍の想像力が描いた世界にはかなりのリアリティがありました。かつて『コインロッカー・ベイ
ビーズ』(1980年)や『半島を出よ』(2005年)を読んだとき、その圧倒的な想像力に驚嘆しましたが、そ
れと同じような読後感に浸っています。

                                                  
 2015年9月23日(水)

 本日(9月23日)、平成27年度第65回高知県芸術祭協賛行事として、「龍馬の生まれたまち記念館」で自
主上映会(「小夏の映画会」、代表:田辺浩三)が開催されました。演目は、映画『アンネの日記(The
Diary of Anne Frank)』(監督:ジョージ・スティーブンス〔George Stevens〕、米国、1959年)、TV
ドキュメンタリー『核戦争後の地球 -地球炎上-』(NHK特集、1984年)、講演「戦争はどのように始まり、
どのように終わったか -過去の日本の戦争から学ぶ-」(講演者:根小田渡高知大学名誉教授)でした。ほ
ぼ5時間に及ぶ自主上映会(小生の参加した時間。『アンネの日記』は都合3回上映されたはずなので、全
体では10時間ほどになったと推定されます)でしたが、充実した時間を過ごすことができました。以下、簡
単に概要を記します。
 先ず、『アンネの日記』ですが、小学校の頃からその存在は知っていましたが、どういうわけか読んでい
ません。何となく機会がなかったからという理由ですが、手に取ったことも記憶にないので、いずれ機会を
作って読んでみたいと思います。概要が<ウィキペディア>にありますので、以下に引用してみましょう。執
筆者に感謝します。なお、ほぼ原文通りです。

   『アンネの日記』:『アンネの日記』(オランダ語: Het Achterhuis)とは、ユダヤ系ドイツ人の少女
              アンネ・フランクによる日記様の文学作品。

   概要

  第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっている。ド
 イツによるユダヤ人狩りを避けるために咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ8人のユダ
 ヤ人達の生活を活写したもの。執筆は密告(密告者はいまだ不明)によりドイツの秘密警察に捕まる
 までのおよそ2年間に及んだ。1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。彼女の死後、
 父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになった。

 最近になって(2014年2月)、東京都内(一部、横浜)の公立図書館所蔵の同書およびその関連本が何者
かによって破損された事件があったので、ご記憶の方も多いと思います。詳しくは自分で調べていただきた
いのですが、「言論・表現の自由」にも大いに関わりますので、洒落では済まないものを含んでいると思い
ます。
 さて、物語を確認しましょう。例によって<Movie Walker>のお世話になります。執筆者に感謝いたします。
なお、一部改変しましたが、ご寛恕を乞いたいと思います。

   〔解説〕

  日本でも翻訳出版されて好評を博したアンネ・フランクの『アンネの日記』の映画化。製作・監督
 は『ジャイアンツ』のジョージ・スティーヴンス。脚色は『ある微笑』のフランセス・グッドリッチ
 とアルバート・ハケット。撮影を『ジャイアンツ』のウィリアム・C・メラーが担当し、音楽はアルフ
 レッド・ニューマン。出演は新人ミリー・パーキンス、ジョゼフ・シルドクラウト、シェリー・ウィ
 ンタースら。

   〔あらすじ〕

  1945年、ナチ占領下から解放されたアムステルダム。強制収容所を出たオットー(ジョゼフ・シル
 ドクラウト)は、想い出の屋根裏部屋に戻って来た。そこで娘アンネ(ミリー・パーキンス)の書い
 た日記をみつけた。日記は1942年7月9日から始まる。アンネの父オットーはユダヤ人で、母はオラン
 ダ人だった。姉マーゴット(ダイアン・ベーカー)とアンネはドイツで生まれた。ヒットラーが政権
 をとるとユダヤ人の排斥が始まった。アンネ一家は親友のバン夫妻と息子ピーター(リチャード・ベ
 イマー)とともに、オランダへ亡命した。隠れ家の屋根裏部屋の下は香味料工場で、オットーは家族
 にいろいろと注意を与えた。姉妹はピーターと親しくなった。両親は耐乏生活に苦労した。戦争は連
 合軍側に有利になった。その頃、家主のミープ(ドディ・ヒース)がオットーに1人同居人を入れて
 くれと頼みにきた。彼はデュッセル(エド・ウィン)というユダヤ人の歯医者だった。デュッセルは
 一家の人々に、ナチのユダヤ人殺害の話をした。アンネはその話を聞き、ある晩夢を見て悲鳴をあげ
 た。毎年12月に行われるユダヤ人のハヌカ祭が、屋根裏でささやかに開かれた。アンネは父に手編み
 のマフラーの贈物をした。その時、階下で物音を聞いた。泥棒が入ったらしい。おびえたアンネはピ
 ーターに抱きついた。デュッセルはピーターが音を立てたと彼を責めた。泥棒が捕まった時、その物
 音から自分たちの所在がばれるのを恐れたからだ。新年を迎え、アンネも女性らしくなった。ある日、
 階下の倉庫で働いているカールという男が、屋根裏部屋のことで階下のクラレルを脅迫した。アンネ
 とピーターは愛し合うようになった。アメリカ軍がイタリアに上陸すると、ピーターは自由オランダ
 義勇軍に参加するといった。ある日、ミープが盗まれたタイプライターのことで、アンネたちの所在
 がゲシュタポに知られたことを告げにきた。8月のある日、遂に来るべきものが来た。サイレンを鳴
 らした警察の車が階下に止った。今はすべてを覚悟したアンネは、ピーターに別れの、そして最後の
 接吻をした。人間の善意は永遠に失われないことを信じて、アンネは死の収容所に向かうのだった。

 字幕が見えにくかったこともあって、内容がなかなか伝わってこなかったのですが、この記事を読んで、
ほぼ理解に至りました。映画として評価した場合、いくつか興味深い場面はあったのですが、全体に平板で、 
当時のユダヤ人亡命者の苦悩はあまり感じられませんでした。場合によっては、ただの恋愛映画に堕してい  
ると言われるかもしれません。ともあれ、観ることそのものに意義があるので、出来は問わない方が無難な
のかもしれません。
 次いで、『核戦争後の地球 -地球炎上-』ですが、この作品は定番とはいえ、よくできていると感心しま
した。とくに原水爆の威力を示す映像は本格的で、改めて「核の恐怖」を感じました。ネット記事の「NHK
は何を伝えてきたか」に、このドキュメンタリーに関する寸評がありますので、それを以下に引用させてい
ただきます。執筆者に感謝します。

   「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」

  特筆すべきは「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」であった。国際的な反響も大きく、11
 か国でニュースに取り上げられ、イタリア賞、文化庁芸術祭でいずれもドキュメンタリー部門の大賞
 を受賞するなど、内外の高い評価をえた。
  米ソ両国が保有する核兵器は当時、約5万発、広島型原爆の150万発に相当した。もし、そのうち
 1万発、5,000メガトンが全面核戦争に使用されたら、人類と地球はどんな運命に見舞われるだろう
 か。この問いを発して、米ソを含む15か国126人の科学者・専門家からデータの提供を受けて、核戦
 争とその後の世界を迫真の特撮技術で映像化し、2部に分けて放送した。第2部は、核戦争に生き
 残った人々の運命を予見した。核戦争後来る「核の冬」は、超大国が保有する核の0.5%でも起きる。
 番組はこうした科学者たちの予見を映像化して、世界の人々に核の現実を訴えた。この番組は、テレ
 ビジャーナリズムの役割を果たそうとするものであった。

 以上です。「内外の高い評価を受けた」とありますが、現在のNHKは、このような番組を作れるのでしょ
うか。小生はTV鑑賞をやめてから久しいのですが、書籍や映画よりもTV番組の影響力は強いので、ぜひTVマ
ンの奮起を期待したいと思います。ちなみに、「第2部」は次回に上映するそうです。
 最後を飾ったのは、根小田名誉教授の講演です。10頁に亙るレジュメを用意され、熱弁を振るわれました。
その概要を以下に示します。ほぼレジュメの原文通りです。

  〔はじめに〕 自己紹介

  1.アジア・太平洋戦争の末期と敗戦直後に満州・朝鮮半島で起きた事

      * 国家による「棄民」 ── 軍隊は国民を守らない!
      * 戦争を起こすのは国家ではない。国家になりすました「時の政府」である。

  2.「本土防衛の楯」とされ「捨石」にされた沖縄

    (1)戦争末期「幻の平和交渉」案における沖縄の位置 
    (2)戦後、冷戦が激化し、「共産主義の防波堤」へとアメリカの対日政策が転換していく時期に
      発せられた昭和天皇の「沖縄メッセージ」(1947年11月)

  3.アジア・太平洋戦争(1937年の日中戦争開始以来、1941年の対米開戦を含めた15年間の戦争の総称)
    の経緯 ── 壊滅的敗北への道

    (1)対米開戦を主導した軍部・官僚・政治家たちの意識・行動

      * 日露戦争(辛勝だった)以降の「夜郎自大」な大国意識。
      * 過去の成功体験(日露戦争)に囚われた精神主義。
      * 失敗を隠蔽する無責任体質。日中の戦争を「事変」といい、日本軍の退却を「転進」と呼
       び、全滅を「玉砕」、敗戦を「終戦」と言い換えた。

    (2)「軍部の暴走」と「国民の支持」

   〔おわりに〕 先の戦争から、私(=根小田名誉教授)なりの教訓を引き出すならば、以下のような
         ことになります。

      * 制限なき権力、批判勢力・対抗勢力を欠いた全体主義権力は暴走する。
      * 立憲主義・法治主義は、政治権力を制限し分割する(監視する)思想・制度だが、何より
       も政治権力の横暴・暴走を防ぐために必要なのである。
      * 国家のために国民があるのではない、国民のために国家はある ── 主権在民の意味。
       そうであれば、国民には、言論・表現の自由をはじめとする政治的諸権利が保障されると同
       時に、主権者としての責任が伴う。
        政治情報や政治家のサービスの消費者となり、操作される対象となってしまう。「お任せ
       民主主義」、「消費者民主主義」(「面倒だから誰か決めてよ、気に入ったら選んでやるか
       ら」。分りやすさを求め自らは動かない)は危ない。
      * お上を信用しないこと。
        「自己の運命」を「国家の運命」にゆだねること(「寄らば大樹の陰」)の危険性。
        国家に過度に依存せず、相互扶助にもとづく自分たちの自治の世界=協力・協同の人間関
       係・社会関係を大事にする。

 以上です。ご自身の体験を織り込みながら、肝となる日本近代小史を語られました。要は、自主独立を自
覚し、是々非々でものを考え判断することの大切さを力説されたというわけです。小生の認識とほぼ軌を一
にし、改めて勇気を与えられたような気になりました。上映会には年配者が多かったのですが、若い人にも
ぜひ聞かせたいお話でした。
 現代の日本が抱えている問題は重いものばかりです。しかし、地道な努力を怠らなければ、けっして打ち
砕くことのできないものではありません。小生も、非力ながら、日本と日本人の行く末に思いを馳せ、何が
いちばんよい道なのかをじっくりと考えたいと思います。そういう意味でも、有意義な自主上映会でした。

                                                  
 2015年9月22日(火)

 「日日是労働セレクト120」で公開予定の記事を、先行してここに記します。原爆・原潜関連の邦画の
感想文です。


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 DVDで邦画の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(監督:金子修介、東宝映画、2001年)を
観た。物語はハチャメチャであるが、映像には迫力があった。自衛隊の宣伝映画のような筋書だが、映画の
中では「防衛軍」となっている。国防の増強を目論む人たちにとっては、こんな映画を観ると興奮するのだ
ろう。小生はと言えば、「可もなし不可もなし」が妥当なところかと思っている。
 物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  平成「ガメラ」シリーズの金子修介監督が、ゴジラ映画に初挑戦。新たな設定をもとにゴジラを脅威
 の存在に徹しさせ、怪獣たち、そして人類との壮絶な戦いを描く最新作。

   〔あらすじ〕

  グァム島沖で消息を絶った米原子力潜水艦の捜索に向かった防衛海軍が、海底でゴジラと思われる
 生物を発見した。50年前、ゴジラの上陸で家族を失った防衛軍の立花泰三准将(宇崎竜童)は、ゴジ
 ラ襲来を警戒するよう軍上層部に促すも、平和に慣れきった軍は自らの兵力を過信し、立花の言葉を
 黙殺する。同じ頃、日本各地で若者たちが何物かに襲撃されるという事件が起こっていた。BS放送
 局「デジタルQ]のB級オカルト番組のリポーターで、立花の娘である由里(新山千春)は、友人で
 サイエンス・ライターの武田光秋(小林正寛)が持って来た『護國聖獣傳記』にあるバラゴン(婆羅
 護吽)、モスラ(最珠羅)、ギドラ(魏怒羅)の日本古来の怪獣が眠っている場所と事件発生現場が
 一致していることをつかみ、調査を開始。謎の老人・伊佐山嘉利(天本英世)からゴジラは太平洋戦
 争で命を散らした人々の「残留思念=怨念の集合体」であること、ゴジラから大和の国を護るべく聖
 獣たちが永く深い眠りから覚醒するであろうことなどを聞き出すのであった。そんな矢先、ゴジラが
 焼津に上陸。さらにバラゴンが地中から出現し、ふたつの怪獣が箱根で激突する。だがバラゴンは以
 前よりパワーアップしているゴジラの敵ではなく、バラゴンを倒したゴジラは東京へ移動を始めた。
 やがて、ゴジラは横浜に出現した。迎え撃つモスラとギドラは、壮絶なバトルを展開。しかし、ギド
 ラもモスラの力を借りてキングギドラへと姿を変えるも、遂に力尽きてしまう。ところがその時、三
 聖獣が光となってゴジラを海中へと引きずり込んだ。ゴジラを撃退するには聖獣とともに戦うしかな
 いと考え、D-03ミサイルを搭載した特殊潜航艇「さつま」に乗り込んでいた立花准将は、この時をチ
 ャンスとばかりさつまもろともゴジラの体内へと突っ込んで行く。そんな父親の姿に心打たれた由里
 は、報道へのプロ意識に目覚めゴジラとの戦いを最後まで放送することを決意し、レポートを続けた。
 そして、ゴジラの体内でD-03を発射し、ゴジラを倒すことに成功した立花准将は、無事、生還を果
 たす。だが、海の底では死んだ筈のゴジラの心臓がまだ鼓動を続けていたのである。

 他に、吉田瑞穂(ゴジラ/モスラを見上げる男)、大橋明(キングギドラ/漁協の職員)、太田理愛(バ
ラゴン/漁協の職員)、佐々木俊宣(バラゴン)、佐野史郎(門倉春樹=デジタルQのプロデューサー)、  
仁科貴(丸尾淳=同じくAD)、モロ師岡(同じくディレクター)、南果歩(江森久美=防衛隊の隊員)、
渡辺裕之(広瀬裕中佐=「さつま」搭乗員)、大和田伸也(三雲陸将)、村井国夫(日野垣真人=防衛隊の
書記官)、津川雅彦(官房長官)、葛山信吾(小早川時彦=防衛隊隊員)、布川敏和(宮下中佐=同)、中
原丈雄(崎田大佐=同)、村田雄浩(F-7Jパイロット)、角田信朗(本城=横浜・地上部隊隊長)、かとう
かずこ(小学校の先生)、中村嘉葎雄(初老の漁師)、加瀬亮(マサ=若い猟師)、鈴木ひろみ(民宿「鯨
見」の女将)、篠原ともえ(民宿の女)、竹村愛美(同)、温水洋一(民宿の客=小用中にゴジラに踏み潰
される)、高橋昌也(自転車屋老店主=由里に自転車を売る)、河原さぶ(トラックの運転手=バラゴンの
目撃者)、螢雪次朗(自殺志願の男=ギドラの発見者)、上田耕一(和泉村村長)、山崎一(同じ助役)、
松尾貴史(本栖署のウェブ担当の警察官)、近藤芳正(大涌谷の記念写真カップル)、奥貫薫(同)、笹野
高史(静岡のタクシー運転手)、木下ほうか(暴走族のヘッド)、徳井優(報道ヘリのリポーター)、山寺
宏一(TVプロデューサー)、佐伯日菜子(ロープウェイの女)、翁華栄(その連れの男)、杉山彩子(杉
野=「さつま」の搭乗員)、チューヤン(中国系住民)、峯村リエ(中国系住民)、前田愛(モスラを見上
げる姉妹)、前田亜季(同)、種子(田舎のホステス=和泉村村長の愛人)、水木薫(スーパーの客)、村
松利史(清水港の釣り人)、玄海竜二(囚人)、金子奈々子(長野気象台の職員)、森麻緒(お天気お姉さ
ん)、真由子(富田=管制官)、笠井信輔(臨時ニュースのアナウンサー)などが出演している。
 聖獣伝説や残留思念など、オカルト色満載の映画なので、原爆や原発や放射能についてはわずかしか触れ
ていない。最後の場面で、立花父娘が無事に再会を果たすが、そのとき准将が「残留放射能」を口にして、
近づくことを拒んでいる。あの状況では死んでいてもおかしくないのだが、この人だけは戦死させたくなか
ったのだろう。なお、小学教員の役を演じたかとうかずこの目の前にキノコ雲が湧きあがり、彼女が「原爆」
と発音するシーンがあるが、その後のフォローがない。あれはどういう意味だったのか。いずれにせよ、初
期のゴジラ映画とは大きくかけ離れていると思う。

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 「空想科学小説」という言葉がありましたが、今ではあまり遣われていないようです。いわゆる「SF」
とか「オカルト」に取って替えられたのでしょう。フィクションですから、どんな表現でも構わないのです
が、どの作品を観ても子ども騙しの域を超えないので、たいがいは観ている間に白けてしまいます。当該映
画も同様で、「聖獣伝説」とか「残留思念」とかの発想は面白いのですが、やはり白けました。おそらく、
小生が子どもの頃だったら興奮したのでしょうが、もうそうなるのは無理のようです。しかも、放射能に関
しては無防備もいいところで、きわめて楽観的な描き方をしていました。仕方ないですね。

                                                 
 2015年9月21日(月)

 また、今日も終わろうとしています。いろいろやらなければならないことがあるのですが、考えがまとまり
ません。明日こそは……毎日唱える呪文です。

                                                 
 2015年9月20日(日)

 村上龍の『オールド・テロリスト』が佳境に入って来ました。浜岡原発付近で主人公たちが不穏な動きに巻
き込まれかけています。この切迫感は、同じ村上龍の『半島を出よ』や、高嶋哲夫の『原発クライシス』に匹
敵します。まだ百頁余ありますが、読み終わってしまうのが惜しいので、今夜はこれで打ち切ります。明日も
少し仕事をしようと思っているので、大学に来ます。もしかすると、一息に読了してしまうかもしれません。

                                                 
 2015年9月18日(金)

 高知病院附属看護学校の「哲学」の講義や、高知文学学校研究科の講義「日本映画と文学」を終えたばか
りですが、今度は本務校の集中講義で1コマ講義しなければなりません。「男女共同参画とジェンダーの考
え方いろいろ」という題目です。昨年度も開講しましたので、ノート作りは改訂が主な仕事となりますが、
頭の中にだいたいの流れを入れておかなければなりません。講義日は1週間後の9月25日(金)なので、ま
だ十分な余裕がありますが……。ともあれ、それが終わってからは、論文の執筆、卒論生・修論生の指導、
2学期開講の講義の準備、各種委員会や定例行事に関わる仕事、高知東高校看護専攻科の講義の準備など、
いよいよ2学期に向けて、本格的な臨戦態勢に入ります。

                                                
 2015年9月17日(木)

 雑用ばかりに追われて、2学期の準備もままなりません。世の中のスピードについていけないのですが、
元々ついていくつもりもないので、これでよいのでしょう。「マイペース、マイペース」と唱えていない
と、やってられません。

                                                 
 2015年9月14日(月)

 「武藤ゼミとはどんなゼミ?」の<お知らせ8>でお伝えしましたように、明日15日、高知文学学校研究科
で、「日本映画と文学」と題して、講義を開講します(於 かるぽーと)。ついさっき、その準備を終え、
少しほっとしているところです。採り上げる邦画は130本を超え、同じく文学作品は110余篇を数えますから、
一応、日本映画とその原作としての文学に触れることにはなります。しかし、それを80分という短い時間で
駈け抜けるのですから、内容は推して知るべしでしょう。網羅的に日本映画と文学との関係をある程度示す
ことはできますが、肝心の聴講者の頭の中に何が残るでしょうか。おそらく、断片的な印象ぐらいしか期待
できないと思います。その点では忸怩たるものを感じているのですが、今回講義開講のオファーを受けたこ
とを契機にして、両者の少なくとも外面上の関係についてはある程度把握できましたので、その点では満足
しています。
 ところで、映画は巨額の資金を要しますので、最低限紙とペンがあれば書けないこともない小説とは本質
的にまったく異なる営みです。また、映画はさまざまな立場の人々が集団で製作する総合芸術ですが、小説
は例外を除いて作家の孤独な作業から生み出されます。文学作品は文字で表現され、読者の想像力に訴えま
す。映画は映像を媒介にして、鑑賞者の視聴覚を直接的に刺激します。前者はある程度受け手の能動的姿勢
が要求されるのに対して、後者はどちらかと言えば受動的な姿勢でも受容することができます。文学と映画、
その間に優劣をつけることにはあまり意味がありません。少なくとも、小生には等分の魅力があります。
 文学作品が原作の映画はあまたありますが、最近では漫画が原作の映画が激増している傾向にあります。
どこに大きな違いがあるのでしょうか。漫画はもちろん文字情報もありますが、決定的に小説と異なるとこ
ろは、主人公の顔や身体が視覚的に示されるという点です。だから、小説の主人公を演じる俳優は、その人
物のイメージをさして壊しませんが、漫画が原作ですと、「全然似ていない」などと言われる虞があります。
おそらく、そのような事情を逆手にとって、凝りに凝った似せ方を敢行した映画があります。『あしたのジ
ョー』(監督:曽利文彦、「あしたのジョー」製作委員会〔TBSテレビ=ジェイ・ ストーム=東宝=電通=
講談社=毎日放送=中部日本放送=OXYBOT=RKB毎日放送=TBSラジオ&コミュニケーションズ=北海道放送〕、
2011年)がそれです。この作品で重要な役柄を占める丹下段平という人物が登場しますが、この役を演じた
香川照之は、思わず「そっくり」と思わせるほど、丹下段平そのものでした。また、『ヤッターマン』(監
督:三池崇史、「ヤッターマン」製作委員会〔日活=日本テレビ放送網=タカラトミー=松竹=バップ=讀
賣テレビ放送=文化放送=ジェイ・ストーム=ホリプロ=オー・エル・エム=竜の子プロダクション〕、2009
年)でボヤッキーに扮した生瀬勝久も、かなりその特徴をつかんでいたと思います。もちろん、小説の主人
公を演じても、「イメージとは違う」と批判されることはままあるようです。
 今回いろいろ調べてみて分ったことのひとつに、いわゆる「文芸映画」は意外に少ないということでした。
また、文学的営みを、仮に純文学、中間小説、大衆文学の三つに分けた場合、圧倒的に映画の題材とされる
のは、大衆文学です。むしろ、「純文学作品はほとんど映画化されない」と言った方が正確でしょう。また、
仮に試みられたとしても、映画作品としては成功しなかったり、あるいは興行的に不振だったりして、かな
り冒険的な試みということがあらかじめ分かっているからです。小生の知る限りで最も希有な作品としては、
『砂の女』(監督:勅使河原宏、勅使河原プロ、1964年)を挙げたいと思います。原作(安部公房)、映画、
ともに国際的に高く評価されています。
 さらに、もともと大衆向けに書かれた小説が原作だったとしても、映画としては素晴らしい出来に仕上が
っているものもあります。たとえば、林芙美子が原作者である『浮雲』(監督:成瀬巳喜男、東宝、1955年)、
水上勉が原作者である『飢餓海峡』(監督:内田吐夢、東映東京、1965年)などがそれに当たるのではない
でしょうか。なお、林や水上の作品は、次々と映画化されたように、そもそも映画向きだったのかもしれま
せん。
 原作が短く地味な小説でも、脚本家や監督がそれを大きく膨らませて、独自の世界に作り変えて成功して
いる作品もあります。小生にとって、その白眉は、『ツィゴイネルワイゼン』(監督:鈴木清順、シネマ・
プラセット、1980年)です。原作は内田百間(本来は、門に月)の「サラサーテの盤」ですが、おそらく読
み飛ばしてしまうような地味な作品です。戦時中、海上を何日か漂流した経験をもつ監督の鈴木清順が、そ
のときの辛い経験を自らの作品に織り込んだそうです。生死の間(しょうじのあわい)を独特の感覚で表現
し得たのも、このときの経験がものをいったのではないかと推量しています。
 「個人的に、あの小説をぜひ映画化してほしいと思う作品を挙げてみなさい」と言われたとしたら、何に
思い当たるでしょうか。小生は、外国作品ならば、モーパッサンの『脂肪の塊』か、メリメの『カルメン』
を真っ先に思い浮かべます。日本の作家の作品ならば、夢野久作の『少女地獄』のうち、「何でも無い」を
推輓するでしょう。小生が観念的に愛してやまない主人公の姫草ユリ子には、まったく無名の新人を起用し
てほしいと思います。また、できれば、その一作で消えていってほしいとまで思うのです。もちろん、あり
得ない話ですが……。実は、『少女地獄』(短篇小説集)には、他に、「殺人リレー」と「火星の女」が収
録されているのですが、どちらも映画化されているのです。前者は『ユメノ銀河』(監督:石井聰亙、ケイ
エスエス、1997年)、後者は『夢野久作の少女地獄』(監督:小沼勝、日活、1977年)〔筆者、未見〕です。
なぜ、「何でも無い」だけ映画化されないのでしょうか。たぶん、映像化しにくいからでしょう。あの姫草
ユリ子を放っておくのはもったいないと思います。誰か映画化してください(笑)。あるいは、中井英夫の
掌篇小説「チッペンデールの寝台 もしくはロココふうな友情について」が映画化されれば、おそらく狂喜
するでしょう。あのニュアンスを映像化することは、とても困難だと思うからです。
 ところで、小生の大好きな作家である吉行淳之介の、最も好きな作品である『砂の上の植物群』は現実に
映画化されていますが、あまり観たいとは思いません。なぜでしょうか。たぶん、がっかりするだろうから
です。映画の題材は、名作である必要はありません。また、文学としては名作でも、映画になった場合に失
敗することもあるでしょう。かつて角川映画の宣伝コピーに、「読んでから見るか、見てから読むか」とい
うのがありましたが、「読むけれども観ない、観るけれども読まない」という想定も可能でしょう。いずれ
にせよ、原作も名作、映画も傑作という作品に出遭いたいことは言うまでもありません。

                                                 
 2015年9月7日(月)

 このブログは、「3・11以後の日本(「世界」と言い換えても構いません)をどう捉えていくべきだろう
か」を目的として書かれています。その観点からいえば、このサイト(当初は、「日日是労働スペシャル」
というタイトル)を立ち上げた2011年3月16日以来、小生の姿勢に変化はほとんどありません。その後、小
生は自らの講義の内容に先の大震災や原発事故をめぐる問題を絡ませることが多かったのですが、2011年頃
と今とではだいぶスタンスが変わってきているのではないかと考えています。原発事故を含む大震災の直後
には、「今、自分は何をすればいいのだろうか」というのが中心的な課題でした。それまでにも、原発の危
険性についてはずっと注目してきたのですが、「ついにやってしまったか!」というのが当時の偽らざる心
境でした。おそらく、どこにぶつけたらいいのか分からない怒りや悲しみが小生の言動を支配していたのだ
と思います。
 誤解されることを恐れずに書けば、自分自身、口では東電が悪いだの、政府が悪いだの、原子力安全・保
安院が悪いだの、マスコミ業界が悪いだのといった単なる「悪者捜し」に終始していたような発言が多かっ
たような気がしますが、その反面、どこかが違うと感じていました。たとえば、「原子力ムラ」という言葉
がありますが、それを諸悪の根源のように扱う場合、そのようなスタンスを採る人々は、彼らを悪人に仕立
て上げて、自らの「根源的悪」には気付いていないのではないかと訝っていました。あるいは気付いていた
としても、自らは「正義の味方」といった気分に浸りたくて、この事態を引き起こしたことには一切関与し
ていないと自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。小生は、現代社会に生きる限り、どのような問
題に関しても、没交渉はあり得ないと考えています。小生の言葉を遣えば、誰しも「荷担構造」に組み込ま
れているのです。つまり、善悪のボーダレス社会に生きざるを得ないのです。2011年の暮れ頃までは、その
辺りの思索が固まっていなかったので、「原発反対デモ」にも時々参加していました。もちろん、デモに参
加する人々を批判するつもりは毛頭ありませんが、「自分自身のスタンスではないな」と判断し、そのよう
な活動はしないことにしました。さらに、年賀状のような「外交辞令」や、中元・歳暮のような「虚礼」を
やめました。現在では、冠婚葬祭にもなるべく関わらないようにしています。なぜでしょうか。情に絆され
て、あるいは、柵に囚われて、自らの判断に狂いを生じさせないためです。3・11以後の世界においては、
これまでの人間の生き方(慣習や習慣)を根本的に変えなければならないと考えています。もっとも、小生
において何が変わったと言えるでしょうか。実は、ほとんど変わってなどいないのです。しかしながら、変
えなければいけないとは思っています。それは何なのか、はっきりとした答えはまだありませんが。
 「無理が通れば道理引っ込む」という俚諺があります。小生は、無理筋を突破するような試みに快哉を叫
びたい衝動に駆られることが多いタイプの人間だと自認しておりますが、原子力の利用だけは例外です。シ
ャレにならないと本気で考えています。大規模な汚職事件とか、直視できない凶悪事件とか、凄惨な大事故
とか、莫大な損害をもたらす大災害とか、わたしたちの社会を震撼させる事件や事故はあまた起っています
が、とりあえずそのような事件や事故の独立性と一過性を顧みれば、回復の希望は残されています。しかし、
原発問題は違います。先ず、どのような事柄にも深く関与しています。しかも、人間の思考パターンを大き
く食み出すタイム・スケールを有しています。わたしたち人類のみならず、地球上に住まう全生物に悪影響
を与えますし、これから生まれてくる人間を含めた全生物にも予想できない災禍をもたらす危険性がありま
す。どの角度から見てもデメリットがメリットを上回るように見える原発が、なぜ放棄されないのか。その
ような前提から、最近まで、それにしがみつく人々の精神構造に知的な興味が湧いていました。
 ところが、最近になって、少しずつ考え方が変わってきました。人間の営みは、それがどんなに理不尽で
常軌を逸していたとしても、思考可能なことはすべて起こり得るのだ、と。そこに小賢しい善悪判断は介入
できず、ただ黙って見ている他ないのだ、と。諦念でもない、判断停止でもない、世界の流れの必然性への
帰依に他ならないのです。人間がなしたことが主要な原因で、その結果が人間自身に降りかかるとすれば、
自由意志をもち、ある程度の能力を有する人間のなしたことなのですから、その結果の責任は人間が負うし
かないでしょう。どこの誰がなしたかなどは、些細な問題です。メリットがあれば受け容れ、デメリットが
上回れば拒否する……たしかに理に適ってはいますが、もはや、そのような理屈では対処できない段階に達
したような気がします。

                                                 
 2015年9月4日(金)

 「日日是労働セレクト120」で公開予定の記事を、先行してここに記します。原発関連の邦画の感想文
です。


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 DVDで邦画の『ゴジラ2000 ミレニアム』(監督:大河原孝夫、東宝映画、1999年)を観た。20世紀末の日
本に出現したゴジラと、謎の宇宙生物との戦いを描いているが、相も変わらず「科学の暴走」批判を繰り返
しながら、根本的な問題には触れていない。今回も東海村の原発がゴジラに襲われかけるが、なぜか回避し
ている。「原子炉停止!」と叫ぶ内閣官房副長官兼危機管理情報局(CCI)局長(阿部寛)はいささかエキ
セントリックな人物だが、そう感じるのは日本人には少ないタイプの人間に見えるからであろう。村田雄浩
が「ゴジラ予知ネット」の主宰者役(主演)で登場しているが、『ゴジラVSモスラ』(監督:大河原孝夫、
東宝映画、1992年)〔「日日是労働セレクト113」、参照〕でいくつかの助演男優賞を受賞しているので、
ゴジラ俳優として一目置かれる立場だったからであろう。ウィキペディアによれば、ゴジラシリーズには、
主演から端役までのさまざまなポジションで合計5作品に出演している由。
 物語を確認しておこう。例によって<Movie Walker>のお世話になる。執筆者に感謝したい。なお、一部改
変したが、ご寛恕を乞う。

   〔解説〕

  ハリウッドに進出したゴジラが、2000年の日本に復活し未知の地球外生命体と壮絶なバトルを繰り
 広げる怪獣パニック映画のシリーズ23弾。監督は『誘拐』の大河原孝夫。脚本は『あぶない刑事フォ
 ーエヴァー THE MOVIE』の柏原寛司と『天才えりちゃん金魚を食べた』」の三村渉の共同。撮影を
 『修羅がゆく8 首都血戦』の加藤雄大が担当。特殊技術に『モスラ3 キングギドラ来襲』の鈴木
 健二。主演は『プライド 運命の瞬間』の村田雅浩と『ナビィの恋』の西田尚美。

   〔あらすじ〕

  北海道・根室にゴジラが出現した。現場にいたゴジラ予知ネット(GPN)を主催する篠田雄二(村
 田雄浩)と小学生の娘・イオ(鈴木麻由)、そして取材で同行していた雑誌『オーパーツ』の記者・
 一ノ瀬由紀(西田尚美)は、間近に見たゴジラに人間の作り出すエネルギーに対する憎悪を感じるが、
 果たしてゴジラは根室近郊に建つ巨大発電所を破壊する。同じ頃、茨木県沖の日本海溝では巨大な岩
 塊が発見されていた。危機管理情報局(CCI)局長で、内閣官房副長官でもある片桐光男(阿部寛)
 は、科学者・宮坂四郎(佐野史郎)を使って調査に乗り出すが、それは6千万年から7千万年前に地
 球に飛来したUFOだったことが判明する。ところがその時、東海村の原発を狙って再びゴジラが現
 れる。しかも、ゴジラに向かってUFOが飛行を開始。対峙したゴジラとUFOは一戦交えるが、互
 いの力は五分と五分。ゴジラは海中に飛ばされ、UFOも墜落してしまう。しかし、先に蘇ったのは
 UFOだった。その後、新宿に飛んだUFOは由紀の会社のあるシティ・タワーの屋上に到着する。
 地球を侵略すべくコンピューター・ネットに侵入し、地球改造計画を開始する。だが、そこへ復讐に
 燃えるゴジラが登場した。壮絶なバトルが再び展開され、ゴジラはUFOを叩き壊すが、その残骸か
 らゴジラの細胞組織であるオルガナイザーG1を吸収した怪獣オルガが出現する。またもやオルガと
 激しく戦い、みごとオルガを倒すゴジラ。しかし、ゴジラの人間に対する攻撃は終わっていなかった。
 高層ビルが林立する新宿で暴れ回るゴジラを止められるものは、もはや誰もいない。

 他に、喜多川務(ゴジラ)、伊藤慎(オルガ)、中原丈雄(高田=自衛隊実働部隊の指揮官)、大林丈史
(権野)、並樹史朗(塩崎)、木村栄(大川)、ベンガル(園田=福島在在住のゴジラ予知ネット情報提供
者)、なぎら健壱(篠田酒造の番頭)、石井愃一(石井)、中村方隆(稲垣)、篠塚勝(皆川)、榊原利彦
(『オーパーツ』の記者)、近藤芳正(灯台の係員)、西村雅彦(戦車隊隊長)、二瓶鮫一(パーティの客)、
新納敏正(後藤)、木澤雅博(佐々木)、大森嘉之(CCIスタッフ)、中沢青六(下町のオヤジ)、大久保
運(高田付幹部)、児玉徹(同)、本田大輔(松島の若者)、阿知波悟美(居酒屋「ちぃちゃん」の女将)、
でんでん(漁師、「ちぃちゃん」の客)、有薗芳記(同)、村松利史(列車の客)、温水洋一(同)、安斎
肇(同)、吉田照美(アナウンサー)、小俣雅子(同)、笠井信輔(レポーター)、こはたあつこ(同)、
松重豊(マスコミクルー)、デンジャラス(新宿の野次馬)、上田耕一(東海村原発所長の声)などが出演
している。

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 科学や科学者を批判することは簡単です。科学(者)の暴走を咎める姿勢には、必ずメリット・デメリッ
トの物差が存在するからです。もし、人類にメリットが大きければOK、デメリットがメリットを上回れば
NGという物差です。しかし、そのような功利的観点からだけで科学的営みが批判され始めたのはいつ頃か
らでしょうか。もともと、科学(厳密な意味では、「学問」と言った方がいいかもしれません)とは、功利
的な観点を考慮しない営みではなかったのでしょうか。ところが、学問をするにも高額の費用を要する時代
に突入したので、どうしてもコスト・パフォーマンス(費用対効果)の観点を織り込まざるを得なくなった
のです。科学(=知的好奇心)という営みが純粋性を失って、最初から収益を考慮しなくてはそもそも手を
出しにくい存在に成り下がったのです。ゴジラは、そのような人間の営みに天誅を加えているように見えま
す。篠原の台詞である「ゴジラは俺たちの中にいる」は、まさにそのことを示しています。もっとも、それ
はある意味で弁解にも聞こえます。具体的に、科学とその応用(技術)という営みの何をどう改善するべき
かの議論がない限り、実際には何も変わらないからです。明らかにデメリットの方が上回ると思われる原発
が再稼働される理由も、その辺りにあります。当該映画では、ゴジラが原発を破壊するシーンはありません。
しかし、自然はゴジラよりもさらに恐ろしいでしょう。原発を破壊しようとする意志すらないからです。

                                                 
 2015年9月3日(木)

 本年度2学期に開講予定の「基礎倫理学 II」(「パニックとパンデミック」〔居場所 XIII〕)の準備を
進めていますが、その一環として読み始めた村上龍の『オールド・テロリスト』に「トツキリ」という言葉
が登場します。「突然切りつける」といった意味のネット・スラングとして設定されています。実際に使わ
れている言葉かどうかは判然としませんが、今風の略語で、むしろ「トッキリ」と促音便化しそうな言葉で
す。五・一五事件のとき、暗殺された犬養毅首相が「話せば分る」と言ったのに対して、暗殺を敢行した青
年将校は「問答無用」とばかり拳銃を発砲しました。先ず腹部、次いで頭部に命中し、即死ではありません
が、深夜に亡くなったそうです(ウィキペディアより)。この事件の流れを見ると、両者の間には寸刻とは
いえ時間の余裕があります。それに対して、「トツキリ」には間隙すらありません。まさに、「青天の霹靂」
とか「君子は豹変す」などの俚諺を連想させる切迫感があります。『地震列島』(監督:大森健次郎、東宝
映画、1980年)という映画では、「地震は何故怖いのか」という問いに対して、「何の予告もなしに不意に
やってくるからだ」という回答を与えています(「日日是労働セレクト74」、参照)。まさに、至言でし
ょう。しかし、パニックもパンデミックも、いつ来るかは分かりませんが、それに備えることは十分に可能
です。少し安直かもしれませんが、「復興より、防災」、「治療より、予防」……これが基本的なスローガ
ンになるのではないでしょうか。

                                                 
 2015年9月2日(水)

 本当のところ、小説などを読んでいる暇はないのですが、村上龍の『オールド・テロリスト』(文藝春秋、
2015年)を読み始めてしまい、少し後悔しています。もちろん、面白いからです。『歌うクジラ』(講談社、
2010年)が今一つだったので、その後の『心はあなたのもとに』(文藝春秋、2011年)や『55歳からのハロ
ーライフ』(幻冬舎、2012年)はスルーしていました。今回手に取ったのは、その題名に惹かれたからです。
彼も還暦をすぎて、期するところがあるのかもしれません。2011年5月-2014年9月に雑誌『文藝春秋』に連
載された作品だそうですが、その存在をまったく知りませんでした。この手の情報を得ようと思えば簡単な
のですが、なるべく漁らないことにしています。切りがないからです。現在は、むしろDVDによる映画(と
くに、邦画)の鑑賞が研究や教育の材料を得る手段となっています。もう少し読書に力を入れたいのですが、
なかなか。いずれにせよ、この後の展開にわくわくしながら読めそうです。先日読了した『紙の月』(角田
光代 著、ハルキ文庫、2014年)も面白かったのですが、女性らしい細部の描写に感心したものの、展開は
意外に平凡で少し欲求不満になったからだと思います。やらなければならない仕事が山積しているのに……
それは十分に了解しています! どうか、少しの間、見逃してください(笑)。

                                                 
 2015年9月1日(火)

 月が替わりました。相変わらず貧乏閑なしですが、何とか今月も乗り切りたいと思います。2学期はまだ
始まりませんが、今月中に講義を3コマこなさなければなりません。しかも、そのうちの2講はまだ準備に
すら入っていません。卒論生の指導も本格化し、さらに教育実習の授業参観などの仕事に加え、入試も始ま
ります。2学期の講義の準備に早く入りたいのですが、ままなりません。もっとも、被災した方々の苦労に
比べれば大したことはありません。自分に向けて、「ファイト!」です。

                                
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