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川本 真浩
ラジオ私感/史観
ローンボウルズ、良くも悪くもイ...
ローンボウルズひとりがたり
ローンボウルズひとりがたり
 イギリス帝国=コモンウェルス史を研究するなかで出会ったローンボウルズを始めた私が、ローンボウルズの歴史、その楽しみかた、競技スポーツとしてとりくむ意識まで、独断と偏見にまみれた(?)思いを、独り言のように、とりとめなく語ります。

国際大会「デビュー」に向けて
 2017年10月にYC&AC(横浜市)で開催される第5回ジャパンオープンに神戸と名古屋のボウラーの方々とともにチームを組んで出場することになりました。フォアーズ戦なので1チーム4名ですが、私のチームでは私だけが国際大会初出場です。予選を勝ち抜いて、という形ではありませんが、お誘いを受けたことは光栄であり、試合までに心身の調子をしっかり整えて、試合では「その日その時の最善を尽くす」というつもりです。

 若い頃から長らく個人競技(陸上競技)を続けていた私にとっての最重要課題は「チームプレーにいかに上手くなじんで自分のベストを尽くせるか」でしょう。そこについては、今のところ「楽しくプレーすること」がキーになると考えています。むろん、自分一人だけで楽しんでいてはダメで、「チームとして楽しくプレーする」ということです。
 ただし、「チームとしてまとまる」が「チームとして凝り固まる」になってしまうと、たぶんダメなんだろうとも思います。極端な例で言えば、チームが強烈に一致団結してるんだけど、全員で一致団結して「ズブズブと沈んでいく」ようでは先行きは暗いでしょう。
 調子の悪い人、いい人それぞれいるし、上手くいったりいかなかったりするけど、そのへんを超越した次元で「チームとしてボウルズを楽しむ」ことができれば、出場した意義と充実感を得ることができるはずだ、というふうに思っています。どんな試合結果がついてくるか・・・それはすべて終わってから振り返ればいいだけです。

 えらそうなことを書きましたが、メンバーは皆さん、私よりも経験豊富なボウラーです。結局のところ、私は「ついていくだけ」かもしれません。しかし、それならそれで「ついていくこと」を楽しんでみたい、と考えています。
(11Sept2017)

日本選手権(2017)地区予選を終えて
 今月に入って、男子のペアーズとシングルスの日本選手権愛知・関西地区予選が2週間のインターバルで開催されました。ともに明石公園のローンボウルズ場が会場で、高知からは私(川本)だけが出場しました。試合結果については、「良くも悪くも・・・」のほうに書きましたので、ここにはもっと個人的な思いを記します。

 率直な「気分」だけで語れば、どちらの予選も「かなりガッカリ」でした。印象論ですが、自己分析してみるに、過去の大会出場時よりも自分の技術は向上しておりミステイクの数も減ったと思います。それでも本戦出場に至らなかった、あるいは相対的に順位が上がらなかったのは、「他選手と比べると自分はヘタだった」ということに違いありません。
 このあたりがもどかしいところで、陸上競技の「記録」のように単純明白な物差しがありませんから、じつのところほんとうに上達しているかどうかさえ、はっきりわからないのです。オーストラリアなどでは、試合の全投球をコーチや観察者が記録してジャックへの接近度を数値化し、指導に活用する例もあるそうですが、日本でそんなことをしている人はいませんし、そもそも私の境遇でそんなことは不可能です。

 それにしても、このスポーツは競技者としてのモチベーションを維持することが難しいな、と率直に思います。「自分が強くなっても、相手が強ければ負ける」のです。むろん、それは対戦スポーツすべてそうでしょう。ただ、それだけではなく、ローンボウルズの勝敗は偶然性に左右される度合いが他のスポーツよりも高いように思います(私の個人的な印象です)。異論はあるかもしれませんが、ともかくローンボウルズの「勝敗」に他のスポーツのそれとは少し違った趣があるのはたしかなようです。今世紀初めにパラリンピックの競技種目からローンボウルズが外されたときの(少なくとも公式の)理由をご存じの方なら、私の言わんとすることは想像していただけるはずです。
 したがって、私のように「ヘタ」な(あるいは少なくとも平凡な)競技者にとっては、それに適応できるか、自分の思考や志向が合うか、合わせられるかが、このスポーツでのモチベーション維持のポイントになりそうです。

 今回はこれまで以上に「ガッカリ」でしたので、そのぶんいっそう冷静に試合を振り返ってじっくり反省してみました。結果的にそれは有意義でした。今まで自分でも気づいてなかったことにいくつか思い至ったからです。
 今はそれをここには書きません。あと1年、この反省を基にさらに実践を積み重ねてみて、来年それなりに成果が出れば、そのときに「じつはこうでした」と書くつもりでいます。
(17July2017)

「オリンピックへの道」
 ローンボウルズにかかる国際競技団体「ワールドボウルズ」(World Bowls)が昨年来、国際オリンピック委員会(IOC)の認証団体になるための申請手続きを進めています。WBがIOC認証団体になったからといってすぐさまローンボウルズがオリンピック種目になるわけではありませんが、認証団体にならないとオリンピック種目にはなりません。つまり、認証団体になることは「オリンピックへの道」を一歩前進することになります。
 あくまで私の個人的な印象ですが、国内の数少ないローンボウルズ愛好者も、その大半は「ローンボウルズがオリンピック種目になったらいいのに!!」と思っているようです。いや、おそらくどんなスポーツでも、自分が好きで熱心にとりくんでいるスポーツがオリンピック種目になること(またはオリンピック種目であること)に反対意見をもつ人はほとんどいないでしょう。

 ズバリ、私はローンボウルズにはオリンピック種目になってほしくない、と考えています。その理由を説明し始めると長くなりますので、あえて端折って言うと、オリンピック種目になるとローンボウルズがもっている「オリンピック種目であるスポーツにはない魅力と長所」がこわされてしまう、と考えるからです。そもそもオリンピックそのものに問題があります。東京開催にかかる招致から現在までのさまざまな問題はいわずもがなです。これまでにも長らくオリンピックがつねに「お金」をめぐる問題にまみれてきたことも周知の事実です。いろんな「お金」の問題にローンボウルズが巻き込まれていくことが、私には残念でなりません。メダル獲得競争と結びつく勝利第一主義もしかりです。ちなみに、私が問題視するのは、イベントとしての「オリンピック」であり、その基本理念である「オリンピズム」とは別物です。その点にはご留意ください。

 スポーツ好きで私のような考え方をする人はきわめて少数派だと思います。ですから、昨秋ニュージーランドを訪ねたときにたまたま出会った、次のオリンピックで採用されたあるスポーツの関係者の方から「ホンネを言うと、嬉しさ半分、ザンネン半分です」という話をひとしきり聞いたときには「我が意を得たり!」と思いました。また先月、地元紙に元オリンピック候補選手が現在行っておられるスポーツ指導に関する記事がありました。「オリンピックが大災害をもたらす」という、いささかセンセーショナルな見出しでしたが、内容的にはきわめて真っ当な記事でした。
 もうひとつ、欧米のあちこちでオリンピック招致への逆風が吹いていることも見逃せないポイントです。招致に反対する理由はさまざまであるにせよ、オリンピックに対する反感が各地で一定の規模をもつ共通意識になっていること、そのいっぽうで夏冬ともオリンピックにまつわる「お金」は(オモテもウラも)ますます莫大な額になっていること、それに比例するような形で新種目が続々と登場していること、そうした状況のなかでWBをIOC認証団体とする話が進みつつあること、などなど、気になることはいくらでも出てきます。ローンボウルズがオリンピック種目になることがほんとうに喜ばしいことなのかどうか、じっくり腰を据えて考えてみたほうがよいかもしれません。

 最後に念押ししておきますが、上に書いたことはあくまで私の個人的見解であり、競技団体や所属クラブの見解や立場とは異なります。自分で書いておいて何ですが、世の中、組織の中に異なる意見があるのは当たり前なのに、いちいちこんなふうに書かないと(いや、こんなふうに書いても)ややこしいことになりそうなのもザンネンです。きちんとした議論がフツー感覚でできればいいのに、ということを、ローンボウルズにかぎらず、いろんな場面でしばしば思うことがあります。
(24Feb2017)

すすめられない?!ローンボウルズ(4)
 みなさんには先輩や後輩という知り合いがいますか? 私も中高大と運動系の部活をやっていましたので、それぞれの時代に先輩や後輩がいました。とくに高校や大学のときの陸上競技部にいた人たちとは、同級だけでなく先輩や後輩とも今でも年賀状をやりとりしたりしています。

 ところで、最初の大学を卒業してからまもなく30年経つのですが、それでも先輩、後輩と・・・というのはなんなんだ?と、あらためて考えることがあります。いや、あらためて、などと言うまでもなく、この先輩、後輩という関係は、在学中だけでなく、その後の人生でもずーっと続くのです。まさしくこれはひとつの日本(独特かどうかは、社会学者か人類学者に尋ねてみたいですね)の文化です。

 じつは私はこの先輩、後輩という習わしが好きではありません。尊敬する先輩はいますが、正直なところそうは思えない人もいます。また自分より優れていて尊敬できる人は後輩にもいます。むろん、これはお互いさまで、私自身も、イヤな先輩、無礼な後輩、などと思われている可能性はじゅうぶんにあります。

 いずれにしても、先輩が上、後輩が下という人間関係が一生続く、という「文化」は、私にはいささか居心地が悪いのです。厳密に言えば、同じ時期に部に所属していた先輩や後輩に対しては、さほど私もあれこれ思うことはありません。要するに、学年や年齢が離れた、面識のない人まで「同じ学校、部活の先輩だ、後輩だ」となるところに居心地の悪さを感じるのです。「同じ陸上部の出身ですね!」ということで対等に話すなら私もすんなりと入っていけます。ところが、とくに組織(OB会、同窓会)となると、いささか気持ち悪い状況が現出するのです。じつは、白状すると(というか近しい人たちは知ってますが)私はまさに30年余り前の大学時代にすでに「OB嫌い」(!)を公言していました・・・むろんOBの方々が物心両面で応援してくださっていたことは知っていましたが、それに付随する独特の「組織的な雰囲気」(「個人的」ではありません、ご留意ください)は私にはどうにも受け容れがたいものでした。

 ローンボウルズを始めて3年余りたちました。私より先にローンボウルズを始めた人たちが真摯に競技にとりくんだり運営に力を尽くしたりしてこられたことを見聞きし、そうした先人たちを大いに尊敬しています。ただし、それは、さまざまな話を聞いたり、現場や資料を見たりしたことで初めてわき起こってきた気持ちです。「先輩だから」ということで自動的、反射的に尊敬しているわけではないのです。

 もちろん、先人の知識や経験をいろいろ教えてもらえることにも感謝しています。ただ、私も周りの人になにか教えられることがあるかもしれません。そして、私より後で始めた人が私に何かを教えてくれることもあるでしょう。新しくローンボウルズを始めよう、始めたという人に私がお教えできることや助けてあげられることがあれば、喜んでそうします。要するに、長幼の序ではなく、お互いに対等なローンボウルズ競技者、愛好者として、お互いに敬意をもって接し、自分ができるかぎりにおいて手を差し伸べたり、ときには意見し忠告したりする、それだけです。私はスポーツに限らず、すべてについてそう考えています。

 私は、高知でローンボウルズをやろうとする人たちの集まりも、年齢、学年、競技年数の長短にはこだわらない、対等な人のつながりかたでつくりあげてみたい、と考えています。学生間で先輩、後輩という考えかたをとらないだけでなく、現実には少し難しいかもしれませんがローンボウルズに関するかぎりは教員と学生の壁も取り払ってしまいたい、と考えています。

 日本人は外国のものをアレンジして巧みに取り入れてきたのだ、という考えは、日本社会のあらゆる面で強く言われています(私もいちおう「歴史学者」ですので・・・)。近代スポーツにしても、欧米から伝来したものを日本流にアレンジして世界の高い競技レベルに追いついてきた、という話も、けっしてウソではありません。ローンボウルズも日本流にアレンジして、日本独自のローンボウルズ文化を築く、という発想もそれなりに面白そうだと私も思います。

 でも、私のホンネは「日本流にアレンジされた西洋スポーツはすでに無数に存在するのだから、ローンボウルズぐらいはアレンジせず、外来のスタイルを意識した形でやってみませんか?」です。日本のほかのスポーツにはない、独自路線をとる、それが「日本での超マイナースポーツ」というローンボウルズの希少価値を最大限に活かすことになるはずだと私は考えています。

(付記) 私のSOULSページにあるコーナー「ローンボウルズ、よくも悪くもイギリス流」というタイトルは、じつは上に述べたような考えに基づいて命名しました。

(12Feb2017;17Feb一部字句修正)

すすめられない?!ローンボウルズ(3)
 そろそろこの「タイトル」は止めたほうがいいだろうな、と自分でも思っているのですが、「みなさん、ローンボウルズってすばらしいですよ、どんどんやりましょう」みたいに八方美人な振る舞いで言いまくっておいて、あとで「裏切られた」みたいなことを思われるのもイヤなので、このさい私のホンネを率直に書いておいたほうがいいだろう、とも思います。お読みいただいている方には感謝します。今しばらくおつきあいください。

 今の日本には、ほんとうに多種多様なスポーツがあります。メジャーなものはおおぜいの人がプレーも観戦も楽しめますし、新しいスポーツ、古いスポーツ、子どももできる、お年寄りもできる、障がい者も健常者も楽しめる、というふうに、スポーツの種類やバリエーションはたくさんあります。

 私はローンボウルズがそれら他のスポーツより特別になにか優れたところがあるとか、面白いとか、誰でもできるとか・・・ということは、考えていませんし、言いもしません。たぶん、日本で暮らすほとんどの人たちの身近には複数のスポーツがあって、どれかに取り組めるだろうし、都会であればなおのこと選択の幅は大きいはずです。さまざまな制約があるローンボウルズをやらなくても、すでにスポーツの選択肢はふんだんにあるのです。

 ローンボウルズと似たルールの競技として、日本ではペタンクやボッチャのほうが、ローンボウルズより有名ですし愛好者、競技者の数もはるかに多いです。ローンボウルズよりもペタンクのほうが競技場所の制約が小さく用具も安価なので、本場ヨーロッパの英語圏でさえローンボウルズからペタンクへと愛好者がシフトしつつある地域があるとの報道もみかけました(BBC英国放送協会による)。

 じつのところ、私は、飽食の時代ならぬスポーツ飽和状態、かつ人口減少の日本で、ローンボウルズ愛好者をどんどん増やそうという気は「ほとんど」ありません。既存のスポーツでも手軽に同じような楽しみが味わえるのだから、あえてお金や労力のかかるローンボウルズを導入する意味は「ほとんど」ありません。

 ただし、上に「ほとんど」と留保をつけたのは、今の高知にはローンボウルズを売り込めるいくつかの「特別な要素」があるからです・・・それはまた別のところで書きます(身近な人にはすでに話し始めています)。

 たぶん同意してくれる方も多いでしょうが、とくに青少年がスポーツをやるとき、友人や仲間とのつながりはとても大きな動因になります。仲のいい友達がやろうというからいっしょに始めたとか、その競技をつうじて友達が増えたからずっと続けているとか、小中高ではざらにある話ですね。そこで重要なのは、そのスポーツをいっしょにやる仲間がいる、そのスポーツの話ができる人が周りにいる、という点です。
 スポーツに限らず、趣味はなんでもそうでしょう。芸能人、アイドル、ミュージシャンのファンになり、その話で友達と盛り上がる、というのと同じことです。そうでなくても、多くの人が関心をもっていること、少なくとも周囲の人に「話がつうじる」ことが、特に日本では、多くの人が強く意識するところでしょう(これはいわゆる「同調圧力が強い」とされる日本社会の特徴とリンクしているのではないか、と私は考えています)。たとえば、高知龍馬マラソンに出場するために毎日練習してます!!といえば、高知県内ならたいていの人が「おぉ、がんばりゆうね」と反応してくれるはずです。

 それにたいして、ローンボウルズの話で盛り上がれる、などという環境は、高知はもちろん、日本国内にはほとんどありません。ローンボウルズの話をしたって、聞き手の反応は「それ、なに?」で、ひとしきり話をしても「あぁ、そう」で終わります。超マイナースポーツですから、身近に仲間がいない、話が通じない、つまらない、となるのが、ごくふつうの流れだと思います。

 ですから、身近な人とワイワイ楽しく、あるいは日本国内でおおぜいの仲間と競技を楽しみたい、とか、そのスポーツの話に周りの人が積極的に乗ってくるような状況を期待するなら、ローンボウルズはまったくお勧めできません。

 今の日本でローンボウルズをお勧めしない理由といった、後ろ向きなことばかり並べ立てましたが、それでも・・・と、ここからが重要です。それでも、ローンボウルズを私がやる、身近な人たちに勧めてみる、授業もやってみる、というのは、個人的な競技意欲プラス「興味を持ってくれる人だけにコッソリ教えてあげたくなるようなヒミツ」があるからです。現在の日本ですでに広く親しまれているスポーツやごく最近「発明」されたようなスポーツとは異なる「魅力とヒミツ」が、ローンボウルズをとりまくあれこれに隠されているのです。

 その「魅力とヒミツ」に触れるには2つの方法があります。ひとつは、あなた自身が自力で探ってみること。私にできたことですから、他の人にだってできるでしょう。もうひとつは、もしあなたが高知大の学生または今後高知大に入学することが可能なのであれば、来学期またはいつの日か高知大学人文社会科学部でやっている私の授業をうけてみる、ということです。

(08Feb2017)

すすめられない?!ローンボウルズ(2)
 前回(1)を読んでくださった方のなかには、「妙に後ろ向きな話だな」と思われた方、あるいは「そういう凝り固まった考え方はよろしくない!!」と眉をひそめた方がおられるかもしれません。あらためてお断りしておきたいのですが、私は自分の考えを人に押し付けようという気はありませんし、それに同意しない人がいても当然だと思っています。現在の日本では少数派だろうし、自分が生きている間に自分のような考え方が多数派になることはありえないだろう、とも思っています。もっと言えば、自分の考えは間違っているかもしれないとさえ思います。

 何度も書いたり話したりしていることですが、声を大にして言いたいのは、自分の考えそのものよりも、「ローンボウルズへの思い、考え、取り組みかたは、人それぞれでかまわないのであって、どれが正しいとか、どれが優れているとかいうことはありえない」ということです。私が心から願っているのは、「自分の練習方法、指導方法、プレースタイルへの賛同者が増えること」ではなく、「人それぞれの異なる考え方、取り組みかたをお互いに尊重しあえる雰囲気ができること」のほうです。

 それなら、前回(1)で書いたような「タダ乗り」はどうなのだ?そういうやり方も認めるのか?と問われるかもしれません。そう、私は、一部の人たちが必死で裏方を支えるいっぽうで、あまりそうした仕事にはたずさわらない人がいる、という状況もアリだ、と考えています。裏方仕事にたずさわらない事情はそれぞれあるでしょう。ほんとうはたずさわりたいけどなんらかの事情でそうした時間や労力を割けない、という人もいるでしょう。たんにそういう仕事はイヤだから、自分がしなくても誰かがやってくれるからいいじゃないか、と考えてスルーする人もいるでしょう。生活、人生観、価値観は人それぞれです。スポーツとの関わりかたもそれぞれ違っていていいと思います。
 ただ、そこにあまりに大きな不公平感が生じると、人の集まりはバラバラになり、離れていく人も増えるでしょう。そうした不公平感の増大を抑えるために、クラブなり競技団体なりで最低限のルール(たとえば登録会費、練習や試合のための参加料、仕事の分担など)を定めているのだと思います。

 そうした最低限のルールと一般的なマナーやモラルを守るかぎり、あとはそのスポーツとどう向き合おうが自由です。公式戦に出場する人がそうでない人より優れている、ということはけっしてありません。ルール、マナー、モラルに反しないかぎりどんなプレーをしてもいいし、どんな頻度でどんな練習をしようとも本人の自由です。
 もちろんさまざまな人たちと情報交換したり交流したりすることの意義は大きいと思います。ただし、どのやり方がいいかは人それぞれが判断することで、そこに優劣や上下はないはずです。「勝負」は正式な競技ルールに則った試合で決まることであって、そこに至るまでの取り組みかたに優劣をつけるものではない、と私は考えます(勝利へのメソッドがしばしば「後知恵」であることは、歴史を振り返れば明らかです)。だから、たとえハイレベルな競技の領域に入ったとしても競技への取り組みかたを画一化する必要はない、とさえ私は考えています。

 おそらく日本における大半のスポーツ(とくにオリンピック競技に典型的)の状況と私の考え方はほとんど相容れないでしょう。私が比較的よく知っている陸上競技は、かなりの程度、私のような考え方も入り込む余地がありそうです。だから私でも30年以上とりくめたのだと思います。「公務員ランナー」と呼ばれる某選手や、近年は海外のチームで練習を積む選手もいます。しかし、そうした人たちは珍しいから注目を集めるのであって、やはり大多数の競技者は国内において別々のチームであってもおおよそ同じようなメソッド、方向性で同じような取り組み方をしているように思えます。

 しかし、日本の外には、日本とは全く異なるスポーツへの取り組みかたがあります。それを日本でやって何が悪い、と思うのです・・・表現が不適切でした。もう少し丁寧に言えば、日本ではどの競技も似たような方向性--紋切型ですが「体育会系」と呼んでもいいでしょう--を帯びているなら、それと異なるやりかたを実践する意義はじゅうぶんあるんじゃないか、ということです。

 スポーツは語源的には「気晴らし」という意味です。このことは日本中の保健体育あるいは大学のスポーツ系の授業で1年間に何百万回?(数値に根拠なし)と唱えられているはずです。でも、体育やスポーツの授業、あるいは部活動で、ほんとにみんな「気晴らし」してますか? 先日、日本体育協会が日本スポーツ協会に改称する方向で話が進んでいるという報道がありました。「体育」を「スポーツ」にする・・・私にとって「飛んで火に入る夏の虫」的なネタです。physical educationをやめてsportにしようといっても、看板の掛け替えだけではなんの意味もないでしょう。
 私は、ローンボウルズが日本で超マイナースポーツであることを逆手にとって、本来の意味を髣髴とさせるようなsportが日本でもできないものか、と考えています。少なくともそういう考え方や試みを受け入れてもらえる雰囲気をつくっていきたい、と考えています。

 まだまだ書きたいことがありますが、今日はこれくらいにするとして、最後に一言。ザンネンなのは、今、高知にはローンボウルズ高知UCしかクラブがない、ということです。今回書いたことにそっていうなら、現在の高知では「川本のローンボウルズへの取り組みかた」と異なるローンボウルズへの取り組みが存在しないのです。私と異なるタイプの人がいないのは正直なところ私自身にとっては気楽でイイ(!?)のですが、新たにローンボウルズを始める人にとって選択の幅が狭くなる(=私がこんなヤツだから、というので敷居が高くなる)という点では発展性が低くなります。高知にもっとクラブが、願わくばもっと練習できる場所が、できたらいいのに、とホンネとして思っています。

(03Feb2017)

すすめられない?!ローンボウルズ(1)
 久しぶりに更新します。新しい年になりました。今年もよろしくお願いします。

 この下に並んでいる書き込みが「ローンボウルズのすすめ」という見出しなのに、それと真逆(この日本語、私は好きではないのですが、あえて・・・)にもとれるような話をしばらく書いてみます。読み込んでくだされば、実際には「ローンボウルズのすすめ」続編だということがおわかりいただけると思うのですが。

 先日、カーペットを学外の体育館に運び込んで、県内外の方々とローンボウルズをする機会がありました。参加されたすべての皆さんに助けられ、私も楽しいひとときを過ごしたのですが、手伝ってくださった方々からは異口同音に「カーペットの運搬、設営、撤去はたいへんですね」という感想が聞かれました。まさしく(!)そうでして、今回初めてカーペットを学外に運び出したのですが、私にとっても、お手伝いをお願いするのが申し訳なく思えるほど、たいへんな作業でした。

 それでも皆さんが喜んでくださるなら、私の都合がつくかぎり、またの機会にも頑張りたいと思います。いっぽうで、この出来事をきっかけに、あらためて考えをめぐらせることもありました。

 新たなスポーツに人びとを招き入れるとき、対象が子供であれ大人であれ、ほぼすべての場合(と言っていいと思いますが)「お気軽にどうぞ」「誰でもできます」というスタンスで誘います。いや、そうしたスタンスは、スポーツにかぎらず、何かを人に勧めたり何かに人を誘ったりするときの常道といえるでしょう。「これにとりくむにはたいへんな苦労を要します」では人は集まらない、それはあたりまえです。

 しかし、私は、ローンボウルズを始めて以来、ふつうとは少し違った考え方、スタンスをとっています。つまり「このスポーツは、日本、高知でやるのは、いろいろたいへんなんです」と率直に語っているのです。練習場所がとても少ない、いろいろ手間、時間、お金がかかる、本格的な試合は海外で1週間ぐらい、日本代表になっても遠征費はほとんど自腹・・・などなど。これでは、新しい競技者は集まりませんね、ふつう。

 ただ、これは「たんにバカ正直」というのではなく、もっと踏み込んだ意図に基づいた語りです。スポーツは「裏方仕事ナシでは成り立たない」をストレートに伝えたい、というのが私の思いなのです。
 ことの端緒や背景を話すと長くなるのでここには書きませんが、競技を始める最初のところから、相当程度の負担をおってやる、あるいは裏方仕事やサポートと競技を並行してやっていく、というのは、自分では妙案(?!)だと思っています。そのほうが、そのスポーツに本当の意味で「のめりこめる」でしょうし、「タダ乗り」競技者・愛好者の数を抑えることは競技者、愛好者の間の連帯感をはぐくみ、その連携をより円滑に進めることで、結果的にはその競技の振興につながるでしょう。

 ひとつだけ個人的事情に触れておくと、こうした考えの根底には、私自身のある「負い目」があります。高校時代以来30年間近く続けていた陸上競技に関して、私は運営側にたずさわったことがほとんどなかった、という負い目です。自分は「ただ走りたかっただけ」であり、昨今のマラソンブームの高まりのなかでも「そうした大会を支えよう」という気持ちにはなれませんでした。そして長らく続けてきた「タダ乗り」にも嫌気がさして走るのをやめたのです(「乗り逃げ」の誹りは免れませんね)。

 ローンボウルズを始めて3年余りたちましたが、競技を続けるうえでの苦労や裏方仕事も含めて、とても楽しく競技にとりくんでいます。むろん、私がやっているのは裏方仕事の「かけら」みたいなもので、もっと大きな裏方仕事をされている方がおおぜいおられるなかで、エラそうなことは言えません。それでも、競技全体が見渡せること、さまざまな取り組みを身近に見聞きできることなど、裏方仕事にも自分が試合に出場しているときと同じような心地よさがあることは、いくらでも話すことができます。
 また、「日本国内の大学でこれほどローンボウルズをやっているところは他にはない!」という気持ちが自分を支えているのも事実です。本格的にローンボウルズを始める大学はここ数年のうちにきっと出てくるでしょうが、「人文社会科学でローンボウルズをやる」ところは当面ありそうにないと思われます。

 スポーツは「気晴らし」であり、余暇のすごしかたのひとつなのですが、日本のスポーツは、深く入り込むほどに、いろんなしがらみが多すぎる、と私は思っています。他方で、「お客さん」として「大会に出場するだけ」を貫く手もありますが、そうした現行のスポーツ構造についても私はいささか懐疑的です。自発的、主体的にスポーツにとりくもうとするなら、スポーツの運営側や裏方にまわっても楽しい、そういう状態でとりくむのが本筋だろうし、そのほうが競技界の土台もしっかり固まる、と思うのです。

 自発的に運営や裏方に、といえば、日本のスポーツ大会にもボランティアが広くみられるようになったじゃないか、とおっしゃる方もおられましょう。あいにく私はそうした善意のボランティアを「活用する」構造に対しても懐疑的です。真の意味でvoluntaryなものといえるのか?ということと、無償の奉仕にたずさわるボランティアの陰で大きな「収益」を上げているアクターがいるらしい?ことなど、どうにもひっかかるところがあります。

 高知でのローンボウルズは始まったばかりで、「同志」が少ないこともあり、カーペットを運ぶにせよ、練習するにせよ、試合出場のために遠方に出かけるにせよ、とにかく苦労がたえません。しかし、少なくとも私自身は、自分が楽しいと思えることを自分から進んで動いて実践していく、それでこそスポーツの楽しみだ、そしてそれが気晴らしになるのならそれこそスポーツの本来の姿ではないか、と思っています。

(31Jan2017)

ローンボウルズのすすめ(6)
 夏が終わって、高知大学に体育館用ローンボウルズ・カーペットが入り、人文社会科学部の授業「ローンボウルズとグローバル・ヒストリー」も今学期いよいよ開講します。「こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは」の最後5つめの項目について、補足説明しましょう。

(5)日本ではきわめて知名度が低くて競技者も少ないけど、歴史は古いし、世界各地におおぜいの競技者や愛好者がいる、「いまどき、そんな隠し玉みたいなもんがあったんかいな」というスポーツをやってみたいと思う人

 私の専門で言えばイギリスが世界各地に支配地域や勢力圏を拡げていた時代、日本ではいわゆる幕末に「開国」という出来事がありました。19世紀後半から20世紀にかけて、イギリスを含むヨーロッパそして西洋の文化がものすごい勢いで日本に入ってきましたし、「開国」から百数十年たった今もその流れは途絶えることなく続いています。

 世界各地で現在おこなわれているローンボウルズの競技規則の直接のルーツは、ちょうど日本の幕末ごろにスコットランドで制定され、イギリス国内外に拡がっていきました。時期的に言っても、現在に近いルールが定められて世界各地に拡がる、という点では、ローンボウルズは他の西洋スポーツたとえばサッカー、ラグビー、野球、テニス、バドミントン、陸上競技などとほとんど同じと言えるでしょう。

 つまり、多くの西洋スポーツとともにローンボウルズが明治期かそれ以降に日本に入ってきていたとしても、まったく不思議ではないのです。しかし、その当時以来、イギリス帝国=コモンウェルスを中心に世界各地でおこなわれているにもかかわらず、日本では(じっさい日本に来たイギリス人がローンボウルズをおこなった痕跡はありますが)その後も他の球技のように普及することなく、ローンボウルズは21世紀初頭の現在に至るまで「超」がつくほどのマイナーなスポーツなのです。最近になって始まった新しいスポーツならともかく、19世紀後半にイギリスから世界に拡がったスポーツで、日本に近いアジア・オセアニア地域でもおこなわれているような古いスポーツが、なぜ日本では広まらないのか・・・その理由は「謎」です(じつは私が調べ始めています)。

 グローバリゼーションのまっただ中にある日本において、ローンボウルズはいわば「謎のグローバル・スポーツ」とも言えるでしょう。そんなローンボウルズ競技を始めるとともに、人文科学や社会科学の手法でもって「謎解き」にチャレンジしてみる、というのは、少なくとも現時点では高知大学人文社会科学部以外ではできないことだと私は考えています。
(08Oct2016)

ローンボウルズのすすめ(5)
 このページの下のほうに書いた「こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは」の補足説明シリーズ、久しぶりの書き込みです。

(4)どちらかというと、ワイワイにぎやかな雰囲気よりも静かな落ち着いた雰囲気のほうが好きだという人。別の言い方をすれば、「気合いだー!」みたいなスポーツよりも、「沈着冷静、緻密に考え、決断する」スタイルのスポーツのほうが性に合っている人

 これを読んでくれている皆さんは、海外のローンボウルズの一試合を最初から最後までフルに見たことがあるでしょうか。現地でナマでみた、という人はきわめて少ないでしょうが、ありがたいことにyoutubeなどインターネット動画で見ることができますから、国内でもそれを見れば試合全体の様子を知ることが可能です。

 そこで気づくのは、シングルスはもちろんのこととして、ペアーズ以上になっても、リンクの両端にいるチームメイト同士がやりとりするほかは、それほど大きな声をあげることはない、ということです。ドライブでヘッドを大きく変えようとするとき以外は、ボウルの動きも緩やかですから、「にぎやかさ」とは対照的な雰囲気が醸し出されます。たまにギャーギャー言う選手もいますが、ふつうは敵味方とも静かにボウルを注視して、それが自然に停止する瞬間を待っています。
 また、ローンボウルズは偶然性が結果に入り込む余地が大きいスポーツです。当然ながらベテランや一流の競技者はそれを知っていますから、敵味方問わず、ラッキー/アンラッキーについても静かに結果を受け入れるのがマナーだと考えています。

 少なくとも大学生や若者にとって「スポーツ」といえば、仲間とワイワイいいながら、汗をたくさん流してヘトヘトになるまで練習して、というイメージがあるだろうと思います。ローンボウルズはそれとはぜんぜん違うのです。今、思いつくかぎりで言えば、雰囲気的にはアーチェリーがけっこう近いでしょう(おっと、これも西洋伝来の歴史あるスポーツですね)。

 あるいは「ローンボウルズは陰気な性格の人がやる、暗い雰囲気の、辛気臭いスポーツか」と思われる可能性がありますが、それも「ハズレ」です。過去も現在もローンボウルズは社交の一手段となっていますから、ゲームの前後にはけっこうおしゃべりをします。ただ、たしかにゲーム中は、許されたシチュエーションでの必要な会話を除いて、静謐を保つのがマナーです。つまり、基本的に静かなスポーツですから、おしゃべりが苦手な人でもさほど居心地は悪くありません。

 そうしたあれこれも、ローンボウルズがイギリスやコモンウェルス諸国において多くの高齢者に親しまれている要因だと私は思います。もちろん、高齢者にお似合いだからといって、若者や子どもには合わない、ということは全くありません。若者だって「わいわいガヤガヤするより、静かなほうが好き」という人もいるはずです。だからこそ、私が強調したいのは、「小中高でスポーツとは疎遠だった人」あるいは「小中高で頑張ってスポーツしてたけど、大学では全く異なるタイプのスポーツをやってみたい人」にとってチャレンジする価値のあるスポーツだろう、ということです。

 念のため言えば、「にぎやかな人」が試合中は別人のようになる、というパターンもありますから、「静かな人」だけに向いているスポーツ、というわけでもないでしょう。スポーツとは無縁だった人もそうでない人も、日本での(とくに小中高の部活の)スポーツのイメージとは面白いほどズレているローンボウルズを試してみませんか。

(16July2016;字句修正・追記18July2016)

ローンボウルズのすすめ(4)
 今回も前回の続きですが、「こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは」の補足説明とくに「高知大学で!!」です。

「(3)指導者にガミガミ言われたり、事細かに指示されたりするのは、好きではない人 」

 なにごとも初心者、初学者は、先生、先人、指導者に教えを乞わねばなりません。むろん、独学でマスターすることも不可能ではないでしょうが、ものごとを広く深く吸収し、自分のものとするには、然るべき人から指導を受けたり、話を聞いたりすることは、スポーツにかぎらず、大切なことだと思います。
 ただし、自発的・主体的な余暇活動としてスポーツにとりくむ場合、そこでの「学び」も自発的・主体的なものであるはずです。
 ここでもまた個人的な話をします。自分がある程度おとなに近づいてきたころにひっかかりを覚え始めたのが「部活の先生は何故そんなにガミガミいうのか」でした。中学のときはまだピンとこなかったのですが、高校時代には他校の顧問を見て「なんで、あんなエラソーにガミガミ言うんや?」と思っていました。私たちの先生はそういうタイプではなかったので、なおのこと、そう思いました。練習メニューはけっこうハードでしたが、先生はしばしばニコニコしながら穏やかな口調で要を得た指示・指導を下さり、私たちは「今日もきつい練習やなー」とか言いながら、それぞれに頑張る、という日々でした。そして私も仲間もそれなりに力をつけ、体育系など他の有力校の選手に勝つ者もたくさんいましたし、同級生たちは3年のときに近畿IHから勝ち上がって全国大会に行きました。
 中学・高校での指導についてはそれぞれの学校や生徒の特性によって「よりよい指導」の形があるはずですし、中高の先生方のご苦労も私なりに理解し、また敬意をもって受けとめる部分も大いにあります。その道の専門家ではない私の個人的な経験がいつでもどこでも当てはまるとは、私自身も思っていません。しかし、大学生や大人が、余暇活動の一つとしてスポーツをやるときに、中高のときみたいにあれこれ事細かに言われる必要があるかどうかといえば、私は「ない」と考えています。
 もちろん、スポーツには競技規則、ルールがあり、心得なければならないマナーがあります。それを習得することは必須であり、それが守られていない場合は然るべき指示・指導を受け、それに従わなければなりません。しかし、ルールやマナーを守り常識的な振る舞いを心がけるかぎり、競技スキルの上達については各人の自発的かつ主体的な意思にゆだねられるべき範囲の話です。もっとくだけた言い方をすれば、最低限の約束事、ルールやマナーは守ったうえで、「ローンボウルズにどんなふうにとりくむか」「上達するためにどうするか」「そもそもローンボウルズが上手になりたいと思うか」は、人それぞれ自由だと私は考えます(それではメンバー間の意識の差が大きくて練習場でのちぐはぐが大きくなるのではないか、という懸念に対して、私なりの暫定的な「答え」をもっていますが、ここには書きません。知りたい人はコッソリ尋ねてください)。
 私はけっして、指導者から強力かつレベルの高い指導を受けるというスポーツのやりかたを否定するわけではありません。ただ、そういうタイプのスポーツのやりかたは自分になじまない、あるいは中高時代にはそういうふうにやってきたけど大学ではもうやりたくない、という人が高知大学の学生のなかにいるなら、ひとつローンボウルズというのをやってみませんか、と思うところです。

 ちなみにローンボウルズの取り組みかたはさまざまです。上に書いたのはあくまで「私が高知大学でやろうとしている」ローンボウルズのとりくみですし、今後変わっていく可能性もある、ひとつの試みの「途中」でもあります。あしからず。

(18June2016)

ローンボウルズのすすめ(3)
 前回の続き「こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは」の補足説明です。

「(2)どちらかというと、「仲間と力を合わせ、一致団結して前進する」よりも「自分ひとりででも、地道に頑張る」ほうが性に合っている人」

 シンプルに言えば、個人競技、団体競技のどちらをやりたいか、ということです。
 ローンボウルズにも団体競技はあります。ペアーズ、トリプルズ、フォアーズではチームワークが大切です。お互いの性格やプレースタイルを理解しあったうえでの、チームメイトとの円滑なコミュニケーションが欠かせません。ただ、ボウルを転がすのは「自分だけ」で、いわゆる連係プレーはありません。シングルスはもちろんまったく「自分だけ」です。つまり、ローンボウルズ技能の究極の目標が「思い描いたとおりの投球ができるかどうか」であるとすれば、それは全く「自分だけ」にかかっていると言えるでしょう。その点で、相対的に言えば、ローンボウルズは個人競技に属すると私は考えています(これには異論があるかもしれません)。

 もっと個人的な話をします。私は、中学のときは野球部でしたが、だれが見てもヘタでしたし、性格的にも個人競技のほうが真剣に取り組めると考えたこともあって、高校から陸上競技を始めました。予期したとおり(いやそれ以上でした)30年余りの長きにわたって、長距離走をそれなりにマジにやりました。そういうスポーツ経験もあって、競技スポーツとしてローンボウルズを始めるのも、さほど抵抗感はありませんでした。
 ただ、正直なところ、私にとって、ローンボウルズでのチームワークは「新たなチャレンジ」です。駅伝は何度も走りましたが、自分が走る区間に関しては「自分だけ」なので、そこでいうチームワークはあくまでメンタル(もっとうがった見方をすれば「精神論」)の問題にすぎません。「いや、仲間や応援してくれる人の後押しは大きい」と反論されるかもしれませんが、私に言わせればそれはあくまで「プラスアルファの要因」にすぎません。「応援がなかったら、力を出せない」ようでは競技者としてダメだと思います(この件、ここでは深入りしません)。
 しかし、ローンボウルズでの団体戦では、駅伝以上に具体的なコミュニケーションとチーム意識が求められるので、私の性格にはひょっとするとハードルが高いかも?と思うことがあります。なぜなら、ざっくりとした言い方ですが、私は日本的な意味での「強烈な仲間意識をもって、チーム一体となって、突き進む」を敬遠する気持ちが強いからです。
 この気持ちについての立ち入った話も別の機会に譲ることにして、ここでは私の基本的なスタンスである「個々のプレーヤーが主体的に動く」ということだけ示しておきます。

 言うまでもなく、チームメイトとのコミュニケーションやチームワークを否定するわけではありません。ただ、究極の目標は「思い描いたとおりの投球ができるかどうか」ですから、それが実行できる(という確信を持てる)かどうかは「自分だけ」にわかること、大げさに言えばプレーヤー本人の主体性に帰することです。確固たる主体性を保持しながら、異なる考え方をもつ他者とコミュニケーションをとって、その時点、その状況下で最善を尽くす・・・ローンボウルズで求められるのは、そうした「個人の力」だと私は考えています。

 当然ながら、ここに述べた私の考え方とは異なるローンボウルズへのアプローチもあるはずです。私とて、自分の考えがぜったい正しい、と考えているわけではありません。ただ、「ひとつの考え方」いわばローンボウルズへの取り組み方の「ひとつのオプション」として、私はそれを実践してみたい、と考えています。

(05June2016)

ローンボウルズのすすめ(2)
 しばらくは、このコーナーの最初(最下段)に示した「こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは」について、言葉を補足していきます。

「(1)パワー、スピード、持久力、体格など、多くの競技スポーツで求められがちな要素について、自分は劣っているからスポーツは苦手だな?と思っている人」について・・・

 小中高でやる競技スポーツでは、まず確実にこれら4つの要素のひとつまたはいくつかが優れていないと、あるいはそれを高めないと、勝負には勝てません。フィジカルな動きが主体なのに「パワーやスピードや持久力や体格を必ずしも必要としない」という競技スポーツは、小学校のスポーツ団や中高の部活ではあまり出会いません。だから、「じつは競技スポーツに興味があるけど、体育やスポーツがとにかく苦手だから、自分でやるのは避けてきた」人は、ローンボウルズを試してみる価値があるでしょう。
(補足:もっとぶっちゃけたことを言えば、「学校の体育の先生(and/or部活の先生)が嫌いだったから、スポーツは嫌い」とか「スポーツが好きで、中高で部活を猛烈にやったけど、大学ではもうえぇわ、止めとくわ」とかいう人にもオススメします。)

 ローンボウルズで何を競うのか、というと、ボウルを想定どおりに転がす技術と、その想定すなわち自分が得点できる「展開」を考える思考力です。競技レベルが上がるとパワーがあったほうがいいという場面もゼロではありませんが、それは勝つための絶対的な要件ではありません。むしろ高いレベルでの対戦で大切なのは「戦術・戦略の適確さ」「ボウル・コントロール力(腕力よりも、もっぱら技術面)」そして「メンタルな強さ」でしょう。

 率直に言うと、ローンボウルズにも「向き不向き」があります。技術を素早くかつ器用に習得する人もいれば、なかなか上達しない人もいるでしょうし、つまらないと思う人もいれば、のめりこんでしまう人もいるでしょう。あくまで私の個人的な考えかたですが、ローンボウルズを、誰でもできる、誰でも好きになるはず、とは私も思っていません。やってみて面白いと思った人は続ければいいし、イマイチだなと思った人はやらなくてもいい。スポーツとは元来そういうものですから、「体育」や「部活」とは別物です、ということは強調したいと思います(その点について、今年の私の授業「西洋文化史」ではもっと突っ込んだ話をしています)。

(22May2016;加筆修正23May2016)

ローンボウルズのすすめ(1)
 話の順序としては、まず最初に私とローンボウルズとの出会いを語るべきかもしれませんが、それはまたいずれお話しするとして、今日は「こんな人にローンボウルズをおすすめしたい」というのを語ります。なぜなら、本学でローンボウルズ同好会を結成してから3年目に入りましたが、メンバーがなかなか増えないからです。もっとも、練習が週1回、しかも雨天やコートが濡れていると練習無し、わずかなメンバー全員の都合がつかないと練習無し、ですから、たとえ興味を持ってくれた学生がいたとしても「なんだかタヨリナイな」と思われているであろうことは、私も自覚しています。その点は、今年度さまざまなイベントや授業をたちあげて、できるだけアプローチしやすい環境をつくることで、改善していくつもりです。

 さて、私の独断と偏見で(!)、こんな人がローンボウルズを始めてみたらいいのでは、というのを、思いつくままに記してみます。

(1)パワー、スピード、持久力、体格など、多くの競技スポーツで求められがちな要素について、自分は劣っているからスポーツは苦手だーと思っている人
(2)どちらかというと、「仲間と力を合わせ、一致団結して前進する」よりも「自分ひとりででも、地道に頑張る」ほうが性に合っている人
(3)指導者にガミガミ言われたり、事細かに指示されたりするのは、好きではない人
(4)どちらかというと、ワイワイにぎやかな雰囲気よりも静かな落ち着いた雰囲気のほうが好きだという人。別の言い方をすれば、「気合いだー!」みたいなスポーツよりも、「沈着冷静、緻密に考え、決断する」スタイルのスポーツのほうが性に合っている人
(5)日本ではきわめて知名度が低くて競技者も少ないけど、歴史は古いし、世界各地におおぜいの競技者や愛好者がいる、「いまどき、そんな隠し玉みたいなもんがあったんかいな」というスポーツをやってみたいと思う人

 繰り返しますが、上に書いた(1)から(5)は私の独断と偏見が紛れ込んでいますので、ローンボウラーのなかにも同意しない人がたくさんいるはずです。もっとも、私と異なる意見の人がいて当たり前、と私は思っています。じつのところ、自分の考えが少数派であることはほとんど気にしていませんが、そういう考え方もあるんだ、と私の考えに関心をもってくれる人がいたらうれしいな、とは思います。
 そう、少子高齢化の最先端にあるといわれる高知に暮らしていて、ローンボウルズのような超マイナー・スポーツをやっているのですから、私はマイノリティであることを、気に病むというより、むしろ面白がっています。「あ、自分もそんな感じだ」という人も、ローンボウルズを始めてみたらいいのでは、と思います。
(20May2016)
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